春の日和の福徳円満
●縁
人の巡りとは不思議なものである。
気の合う者、そうでない者。
それでも合う合わないを理解するためには出会わなければならない。世の中というものが、全てうまく回っていくものだというのならば、全てが気の合う者達同士で固まらなければならない。
けれど、そうではないのだ。
気の合わない者も合う者も。
等しく噛み合う歯車のように世界を回していく。
故にこれもまた一つの縁であったことだろう。
「にゃ……」
小さくつぶやく者があった。
それは所謂、猫と呼ばれる小動物であった。古来より人の近くに住まう者。共に在りて、けれど、どこか付かず離れずに存在するもの。
その猫は傷ついていた。
如何なる由来かわからぬが、しかし傷の具合を見やれば遠くない内に命の灯は消え果てるであろうことは誰にも明らかであったのだ。
猫は思った。
悟った、と言っても良いだろう。ゆっくりと体が傾ぐようにして倒れ込んだ大地のなんと乾いたことか。これが己の死地であるのか、と考える余裕があったのは幸いであると言うべきか。
来世、というものがあったのならば、できればより良いものであって欲しいと願うばかりである。
●目覚め
何か遠くで鳴く声が聞こえる。
自分には到底理解できない鳴き声であったし、それが意味のあるものであると気がつけたのは、その声に悲痛なるものがあったからである。
猫は思った。
今際の際に、このようなことがあるのかと。
己を抱えるひんやりとした感触。
もしも、猫に神という概念が備わっているのならば、きっとそれは神の御手であったことだろう。
「ぷきゅ――!」
「……この猫は」
人の声。
確かに一声が聞こえる。かすれる瞳はまぶた重たく開けることは叶わない。今自分は人の手に抱かれているのか。
神の御手ではなく。
そう思えば僅かに暖かいと感じる。
いや、それ以上にまぶたの向う側がチカチカしている。
なんだこれは。
「にゃあ……」
小さく鳴くことしかできない。
それを聞いた何かはまたひときわ高く鳴く。
「ぷきゅ――っ!」
祖父時期ちょっとやかましいと思ったが、今際の際においてこんなことを思うのもまた不躾かと思ってしまったのだから、もしかしたら存外に余裕があるのかもしれない。
そう考えれば、またまぶたがより重たくなってくるのだ。
「わかりました。『陰海月』、そのユーベルコードを使い続けてくださいね」
「ぷっきゅ!」
また一つ気配がする。
もういいから、とも猫は思った。
何をそんなに必死になっているのだ。己は死する定め。どちらにせよ、生命であるのならば死ぬ運命にある。
自分のような小さな体躯は、空往く翼を持つ者にとっては格好の餌食。
ほら、また羽音が聞こえる。
「クエ……クエッ!?」
羽撃く者が何か喚いているような気がする。いや、これは驚いているのか。
また一つ騒がしい。
けれど、徐々に体が暖かいと感じる。
それまでは身じろぎ一つできやしなかったというのに、今僅かに体を動かすことができた。
どういうことなのだ。
わけがわからない。
「『静かなる者』、頼みましたよ。これは霊力で治療したほうが良いでしょうから」
「ふむ、それはそうでしょうね」
また違う人間の声。
なんだ、なんだ、何が起こっている?
わけがわからない。
けれど、今まさに苦しみと痛みで死に絶えようとしていた体が己の意志とは裏腹に生きようとしているのを感じていた。
不思議だと思う。
あれだけ、もう此処で生命が潰えると思っていたのに、この期に及んでまだ体は生きたいと思っているのだ。
「にゃ……」
小さく鳴く。
自分の喉から響く声は、こんなにもまだ生きたがっている。
ならば、生きねばならない。命尽きるまで懸命に生きるのが生命だというのならば、自身もまたそうなのだ。
落ちたまぶたは開かない。
けれど、生きようとする体は己の意識をゆっくりと鎮めていく。
まるで再び目覚めるために眠るかのように。
●目覚め
目覚めた時、そこにあったのは水桶と奇妙な生物。
そして己を包む羽撃く者の翼。
不思議と恐怖はなかった。
あったのは不可思議な気持ちだった。言葉にされずとも、意志を伝えずとも猫は理解していたのだ。
彼等が自分を救ってくれたのだと。
「にゃ……」
これは礼を尽くさねばならないと思った。猫であるけれど。
意志は伝えられない。
けれど、差し伸べられた手がある。
応えるように猫は頬を擦り付ける。
それは馬県・義透(死天山彷徨う四悪霊・f28057)の家にもう一匹の家族が増えた瞬間でった。
●福々
福々しくなった毛玉のような猫は、それを由来するかのような名で呼ばれ時折駆けていく。
「今日は日和が良いですね。どこへ行きましょうか」
主の懐は暖かい。
なら、何処へでも。
そんな風に笑むように目を細め、猫は今日も生きるという幸福に眠るように浸かるのだった――。
成功
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