●恋心と誘惑
それは甘くときめく日、バレンタインの夜のこと。
ベアータとメルトは特別な日を意識しあいながらも普段通りのままでいた。
大親友であり、互いに密かに想いを寄せる間柄。心地よくも、もどかしい二人の距離はいつも通り。
しかし今夜、二人はお泊まりパーティーを行う約束を交わしていた。
「こんばんはー!」
「いらっしゃい、メルト。準備を済ませちゃうからちょっとくつろいでなさい」
元気な挨拶と共に部屋に訪れたメルトを迎え、ベアータは上機嫌な視線を返す。夜を覚えぬ街の片隅に存在するバー内部にある私室はほどよく片付いていた。
其処に用意されていくのは良質なチョコリキュールカクテルやベアータ手作りのおつまみ。特別だとされる夜をメルトと一緒に過ごせると思えば準備だけでもワクワクした。
「はーい」
メルトはベアータに感謝を抱き、その後ろ姿を愛おしげに見つめる。
実は準備を整えてきたのはメルトも同じ。今夜はメルトにとって、恋愛に興味が無いと(あくまで表向きは)言っているベアータの心を揺り動かす誘惑チャレンジの日だ。
(ベアータさんが恋愛に目覚めてくれたら……きっと)
これまでは関係が壊れることが怖くて気持ちを伝えられなかったが、違う方向からアプローチすることは無駄ではないはず。そのように考えたメルトの精一杯の決意は行動へと変わった。
そんな挑戦をしなくとも既に彼女の心は――という事実をメルトが知らないのはさておき。ベアータが準備している間に、扉の裏に身を隠したメルトは着替えを始める。
本屋で読んだ雑誌にあった『大好きな人を誘惑する衣装』こと、逆バニー衣装が今日の主役だ。
コンコン、とノックの音が響いたことでベアータは振り返る。
「メルト?」
「じゃじゃーん、です」
バーン! と効果音が付く勢いで衣装をお披露目したメルトは両手を広げていた。どうしたのよ、と言葉を紡ぐ前にメルトの逆バニー衣装を目にすることになったベアータの顔は次第に真っ赤になっていく。
「……え?」
メルトの髪からは兎の耳めいた部位が伸びており、たわわな胸元は柔らかく揺れている。
ブラックタールのメルトにとって露出は何でもない。本人に恥ずかしいという概念はないのだが――。
「な、ななななんて格好してんのよアンタはッ!!」
「あれ?」
慌てて毛布を引っ張ってきたベアータはメルトの露出部位を隠すために動く。ふわりとした感触を覚えたメルトは不思議そうな顔をしていた。対するベアータは顔を赤くしたまま、胸部が見えないようにしっかりと毛布を巻き付けてやる。
「わいせつ罪でしょっぴかれたいの!?」
「お、おお? ヒト的には恥ずかしい衣装なのです?」
「そうよッ!」
「前に怒られた裸ではなくて、きちんと布をまとった状態なのですけれど……」
「いや、布があるとかそういう問題じゃないのよ! むしろ強調されて余計に卑猥だわ! 前にあれだけ言ったのに……全ッ然理解してないじゃない!」
一気に捲し立てたベアータには照れも混じっていたのだが、お説教の中に上手く感情を隠していた。
きょとんとしたままのメルトは彼女の言葉を聞きつつ首を傾げる。
(なんかゆーわくどころじゃない? ボク、説教されてます?)
メルトはどうにも釈然とせず、思い描いたドキドキムフフな空気どころかお叱りタイムに突入していることが解せない。ちょっぴりしょんぼりした気分になりつつも、ベアータが毛布ごと自分を抱きしめてくれているような体勢なのは嬉しいことだ。
この部屋に自分達以外は誰もいないというのに、ベアータは無意識にメルトを守る姿勢に入っていた。
しかし、彼女はすぐにはっとする。
「ま、まさか……この格好で外出歩いたりとかしてないでしょうね!?」
「ここで着替えたので大丈夫です」
あらぬ想像をしたのか、見る間に青褪めていったベアータに対してメルトは明るく答える。その瞬間、ベアータはほっとした表情を見せた。
「……してない? つまり私の前だけで? そ、そう……それなら――」
良いのよ、と言い掛けたベアータは慌てて首を振る。
「何でもないわ。いい? 他人の前じゃ絶対に着ないようにね」
念押しをしたベアータはメルトを見つめ、その腕を背に回す。何か間違いでもあったら大事だもの、と言葉にした彼女の声がメルトの耳を擽った。
心配そうな声色でもあったためメルトは不思議な嬉しさを感じる。
倫理感でお説教をしている反面、ベアータにはメルトを独り占めしたい無自覚な気持ちもあった。
その証拠が、ちゃんと隠すためという名目で触れ合わせた胸と胸。互いに純粋な人間ではないが、まるで鼓動が響き合っているようなくすぐったい感覚があった。
「わかりました、ベアータさん」
「良い返事ね」
「次に着るときはベアータさんの前でお着替えしますね」
「……ッ!? 生着替、じゃなくて! 普通に制服でいいの、制服で……!!」
にこやかに語るメルト。
その言葉を聞いたベアータは再び真っ赤になってしまって――。
それから暫し後。
少し惜しい気持ちもあったが、ベアータはメルトを制服に着替えさせた。
気を取り直して始めるのは当初の予定でもあったバレンタインパーティー。腕とチョイスによりをかけ、とっておきのメニューを用意していたベアータのもてなしは最高のものだ。
「ベアータさん、これ美味しいですね」
「気に入った? こっちもお勧めよ」
「わ、素敵です! ベアータさんも一口どうぞ。はい、あーん」
「あっ……えっと……あーん……」
自然体のメルトを微笑ましく見守るベアータ。慣れたとはいえ、不意打ちに照れてしまった様子のベアータを微笑ましく感じるメルト。同じ想いを抱く二人はよき時間を過ごしていく。
好きな人と楽しむ酒と料理はいつもより断然美味しく感じるもので、時間はあっという間に過ぎていった。
夜も更けた頃、二人は時刻を確かめる。
「そろそろもう寝なきゃ、ですね」
「そうね、もっと夜更かししたいけど……って、なに人のベッドに居座ってんのよ」
今夜は眠りにつこうとしたベアータだったが、先にメルトが布団に飛び込んだ。ぴょんとウサギのように寝そべったメルトはふんわりと微笑む。
「えへへ、スペースワールドのハイテク就寝具なんかよりも、ずっとずっとこのベッドが好きなのです」
「それでも狭いでしょうが」
「ダメですか?」
好きな理由はベアータの横だという要素が一番強い。されど、それはメルトの胸の内に仕舞われたまま。
ベッドに腰を下ろしたベアータはそっぽを向く。本当は歓迎なのだが素直に言えない裏返しの行動だ。
「……ま。どーしてもってんなら、別に良いけどさ」
「えへへ、ありがとうございます。それでは、おやすみなさーい」
なんだかんだでベアータが許してくれることはメルトも想定済み。メルトはベアータが眠る分のスペースを開けてから、嬉しそうに笑った。
「おやすみ、メルト」
ベアータも横になり、すぐ傍にあるメルトの顔を見つめる。
瞼を閉じたメルトはとても幸せそうだ。誰よりも近くにいることにドキドキしてしまったベアータだったが、ふと思い立って口をひらいた。
「……メルト」
「ベアータさん……?」
眠そうな声が返ってきたことで、ベアータはメルトにそっと語りかける。
「あのバニー服だけどさ、アンタによく似合ってたわよ。さっきは着替えなさいって言っちゃったけど……ふたりっきりの時なら、また着てくれていいから」
呟いたのは本音であり、正直な気持ち。
静かに告げたつもりだった声は思いのほか大きく聞こえてしまっており、ベアータは頬を赤く染める。
「楽しくって幸せで――ボク、ベアータさんと一緒に、」
「一緒に……?」
むにゃむにゃと呟いたメルトは嬉しそうだったが、次の返事はなかった。
本当はメルトも寝る前にたくさん話をしたかったのだが、先程までの時間があまりにも楽しくてはしゃいでしまっていた。それゆえにベアータの声を聞きながら眠りに落ちていったようだ。
「もう寝ちゃったのかしら、メルトったら。……ふあ。なんだか私も眠く……」
ベアータは欠伸をしながら腕を伸ばした。
眠っているメルトの前でなら少し素直になれる気がする。ベアータはメルトを優しく抱き寄せ、額と額を合わせた。このまま口付けすらできるほどだったが、ベアータは瞼を閉じるだけに留める。
大好きを伝えられるはずの距離はこんなにも近くて、まだとても遠い。
それでも、これが今の自分達の形。
胸いっぱいの幸せを感じたベアータは微睡んでいく。
次に目覚めたとき、一番におはようを伝えられることを楽しみに思いながら――。
成功
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