ビバ・テルメは湯烟に絆ぐか
●商機逃さず
クロムキャバリアは戦乱続く世界である。
平和とは程遠く、しかしてそれを求めるにはあまりにも多くの滅びがあった。星が瞬くように小国家は隆盛の後に衰勢の道を辿る。
如何なる世界にあっても、その理は覆ることはない。
いずれの賢人も知るところであろうし、それを止める方策などないということも、如何なる叡智を持ってしても『無い』ということを知ることしかできないだろう。
故に月夜・玲(頂の探究者・f01605)は雪原に今は動きを止めているボーリング機器を見つめていた。
難しい顔をしている。
このボーリング機器は、荒野にて小国家『第三帝国シーヴァスリー』が地上と地底を繋ぐために用意したものであった。
もはや施設と呼んで差し支えないほどの大地に穴を穿つ機器は、猟兵たちの活躍に寄って無用の長物と化していたのだ。
「いやー……ほんと『シーヴァスリー』お前ホントに……って思っていたけど、設備だけはちゃんとしてるんだものなぁ」
彼女はこの事件の折に、このボーリング機器に目を付けた猟兵の一人だった。
「ホントにもうボーリングするなら変なもん掘り起こさずに温泉でも掘り起こせばいいんだよ、まったく」
しっかり『第三帝国シーヴァスリー』を撃退した後に、彼女はこのボーリング施設を奪っていたのだ。
「とは言え、まずは調査からだよね。適当に掘って、また地底帝国とかと鉢合わせするのは勘弁してほしいし」
そう、やたらめったらに掘れば温泉が出てくるというものではないのである。
調査をしっかり行って、地質構造を把握し、精査しなければならない。
断層やら放射線強度やらなんやらかんやら、それはもう面倒くさいものである。
「えーと、電気探査、電磁探査……めんどくさ! なら、こんな時こそユーベルコードっしょ!」
玲の瞳がユーベルコードに輝く。
Code:M.C(コード・マシン・クラフト)。多目的小型マシンがユーベルコードの煌めきから湧出するように無数に飛び出してくる。
雷の属性を帯びた小型マシンたちは、地中の調査にうってつけだった。
電磁波を自演に浸透させ、発生した電場と地場を測定し、地盤の情報を得ていくのだ。地質の構造を知ることができたのならば、地下に存在する泉源の特定や、貯留の推察が出来る。
そうすればボーリング機器での切削に移れるというものだ。
「ふんふん。なるほどね。『シーヴァスリー』のレン中もやたらめったら穴掘って掘り進めていたわけじゃないってことか」
玲は小型マシンたちの調査から得られる情報に頷く。
確かにこの下には大きな空洞らしきものがある。それが本当に地底帝国のあるアンダーグラウンドの空洞であるのかは、ここからはわからない。実際に掘ってみないと解らないということだ。
けれど、玲の目的はそんなことではないのである。
「温泉温泉温泉! ええい、空洞はいいからさ、泉源を見つけようよ!」
玲は焦れていた。
早く温泉に入りたい!
季節を考えて欲しい。このだだっ広い荒野は冬であることを痛烈に突きつけるかのように真っ白な雪原を見せつけてくるのだ。
同じ白でも湯気のほうが良いに決まっている。
「あ、あのー……」
「なに!?」
ぐわっと玲が振り返ると、其処には四人の青年少女たちがいた。
彼らは……。
「誰だっけ?」
「さ、さっき一緒に戦ってくれた、人、ですよね?」
人であってるよな? と四人はちょっとビクついていた。それもそのはずである。玲はキャバリアという体高5m級の戦術兵器と生身単身で渡り合うことのできる、謂わば超常の存在。
そんな彼女を前にして話しかけてくるのは、余程の胆力を要することだっただろう。
「僕たちは、『フォン・リィゥ共和国』……元、ですけど。そこに居たことがあるんです。さっき、温泉って……」
「あるの、温泉!?」
「いえ、正確には泉源が、という意味なのですが」
彼らは『神機の申し子』と呼ばれたアンサーヒューマン。既に瓦解した小国家『フォン・リィゥ共和国』で生み出された者たちだ。
『エルフ』、『ツヴェルフ』、『ドライツェーン』、『フィーアツェン』と呼ばれる四人は、玲の温泉に対する情熱に若干引いていた。
グイグイ来る彼女の鮮烈なまでの生きることに対する楽しみ方というものに圧倒されている、というのが正しいのかもしれない。
「あるんでしょ! あるって言ったよね!? あるんなら、あるってことでしょ!!」
「そ、そうなんだが……ただ、場所がここではないのだ。元『フォン・リィゥ共和国』であった場所……あそこは工場地帯の背に鉱山があった。その鉱山の奥に泉源がある、というのは聞いたことが」
あって、と言う言葉を待たず玲が宣言する。
「なら行くでしょ。あ、思い出した。君ら、サイキックキャバリア呼び出せるでしょ。それでボーリング機器運んで。そこまで。あと案内も」
「で、でも許可とか……」
「そういうのは事後承諾でいいんだって。権利を主張しようにも、もう小国家瓦解しているでしょ。それにこういう世界だからこそ、温泉なんていう娯楽施設は必要なんだよ!」
玲の言葉に四人は押しに押される。
半ば押し切られるようにして四人は赤と青の装甲を持つサイキックキャバリア『セラフィム』を呼び寄せ、玲に指示されるままにボーリング機器を元『フォン・リィゥ共和国』の背面に存在していた鉱山へと向かう。
●湯気の向こうに
其処からは速かった。
十分な時間さえあれば玲の呼び寄せた小型マシンたちは城や街さえ築くことができる。
今回は事件ではない。
だから、急がなくていいのだ。時間ならばたっぷりある。
「というわけでトンカンやろうね。ほら、君らもしっかり働こう! 働いたら働いただけの対価が得られるのが仕事ってものだからね!」
ほら、キビキビ動く! と玲の指示のもと、四人の『神機の申し子』たちはサイキックキャバリアを操縦してボーリング機器を設置していく。
「……なんか、当たり前のように指示されているんだけど」
「強引というか、剛腕というか……」
「なんとも気持ちの良い、思い切りの良い御仁であるよな! 豪胆過ぎるという気もするが!!」
『エルフ』と『ツヴェルフ』、『ドライツェーン』が通信で玲のことをそう評する。彼らは今まで命じられるばかりであった。
けれど、猟兵との戦いで自分たちが何をすべきかを選んできた。
その結果が先の戦いだ。
戦いは確かに多くのものを奪っていく。けれど、彼らは多くに手を伸ばして得てきたのだ。
己が成すべきことを。
それを得た彼らだからこそ、玲の強烈なまでに鮮烈な生きることに見出す楽しさというものに知らずの内に惹かれていたのかもしれない。
鉱山はすでに枯れ果てている。
けれど、そこには温泉の泉源がある。それはすでに小型マシンたちによる調査でわかっている。なら、後は掘り進めていくだけだと玲は『セラフィム』によって用意されていくボーリング機器に勇姿に目を細める。
「聞こえてるよ、君ら!」
「ヒェっ……準備、できました」
『フィーアツェン』の言葉に玲は頷く。
唸りを上げるボーリング機器。宛が外れることはない。盛大な音を立てて地中を掘り進めていくボーリングマシン。
途中から溢れ出す泥水を吐き出し、枯れ果てた鉱山のスペースへと流し込んでいく。
仮設とは言え、鉱山跡を利用できたのは大きい。
「暴噴装置よーし。ガス層からの噴出も……とっ!」
玲が計器を見つめていた瞬間、湧出する湯気立つ熱水。まるで巨鯨が潮を噴射するように湧き上がる光景に四人と玲は見上げる。
「出た……!」
「これが、温泉? 温かいだけでは?」
「それはこっからだよ。色々数値やらなんやら調べないとね」
玲はここからが忙しくなるぞ、と唇を湿らせる。そう、玲が本当にしたいことはここからなのだ。
温泉が湧出したのなら?
そう、次は温泉宿の経営で丸儲けである!
そのために小型マシンたちには、温泉の浴場を作らせていたのだ。
さらに言えば、それだけではない。
温泉が湧き出したから、さあ、垂れ流しにしておきましょう、ということにはならない。
「『フォン・リィゥ共和国』はもう瓦解してないんでしょ。ならさ、ここをどうこうしたって文句は言われないわけ。そして、温泉が湧き出してる。なら?」
玲はニンマリと笑う。
「そう、商機ってやつだよ」
此処が他の小国家であったのならば、問題は山積みだった。
けれど、此処は恵まれた立地がある。
背後に鉱山。前面には停止した工場地帯。
攻めるには旨味が少なく、そして、守るには容易い。その上、周辺小国家からアクセスのし易い立地になっている。
「そうなんだよね。シティゲームなら、こんな最高の立地なんて勝ち確みたいなもんなんだよ」
玲は常々言っていたのだ。
確かに娯楽としての闘技場はある。けど、それだけでは手詰まりだと。そして、此処に泉源が在ったという事実が玲の頭の中にあった商売の構想に結びついた。
「つまり、どういう?」
「此処を温泉宿小国家にしちゃおうってことだよッ!!」
え、えええ……!?
四人の『神機の申し子』たちは驚愕することしか出来なかった。温泉ほって入るだけじゃないの? と。
彼らはそれくらいしか考えられていなかった。
けれど、玲は違う。
温泉に入っておしまいでいいのなら、銭湯に行けば良いのである。
だがしかし!
そう、温泉があって立地が恵まれているのなら!
「温泉宿でウッハウハだよ! プラントも少ししか残ってないなら、食料全振りにして。此処を小国家ではなく中立地帯にしちゃえばいい。戦闘禁止。所属を問わないってことを標榜して、観光地にしちゃうんだよ。まあ、そりゃあ、都合のいい中立地帯なんて戦争ばっかりのこの世界では真っ先に狙われるだろうけど、さ?」
そのために君らがいるんだよ、と玲は四人の『神機の申し子』たちを指差す。
あの雪原で出会ってから、此処まで考えていたのかと四人は玲に感服するばかりであった。
其処からはもう目まぐるしかった。
玲の語った温泉中立地帯構想は大当たりであった。
通信方法が暴走衛生のせいで途絶しているが、しかし、人の口づてというのは従来のものと比べれば遅いものであった。
けれど、しかしである。
口づてに伝わる温泉の効能。
その素晴らしさというものは、必ず伝わる。
あらゆる世界においても湯治というものがあり、また温泉の魅力に勝てる者などそう多くはないのだ。
「なら、がっぽりってわけ! ガハハハってね!」
玲さんはもう左団扇であった。もう笑いが止まらない。
彼女が生み出した温泉中立地帯は周辺小国家のみならず、小国家という寄る辺を失った難民たちの受け皿にもなっていた。
それを一生懸命に管理運営しているのが四人の『神機の申し子』たちだった。
「はぁ~極楽。極楽……あ~……溶ける……」
そんな彼らの忙しなさを他所に玲さんはとっぷり湯に使っていた。
首まで浸かった温泉の心地よさは何物にも代えがたい。
すでに玲さんは、温泉中立地帯の経営権を放り出していた。四人にまかせていた、とも言える。
確かに得られる利益は膨大なものであった。
一生働かなくて良いだけのお金だった。けれど、玲は自分の研究に必要なものだけを引っこ抜いて、後は不要と『神機の申し子』たちに押し付けたのだ。
「ま、お金儲けがしたいだけだったしね。正直、あんまりお金事態には興味ないんだよね。余らせても意味ないし。そういうわけだから」
とは彼女の言である。
思い切りが良い、といえばそれまでである。
烈女の如き戦いぶりや、手腕は彼女の側面でしか無い。
玲にとって重要なのは、利益の総量ではなく、その過程にこそあるのだ。
●極楽ビバノン
そうして、玲さんは今日も温泉に浸かる。
打たせ湯。
立ち湯。
寝湯。
足湯に大浴場。
もうありとあらゆる温泉施設を玲さんは考案しては作り出していった。元『フォン・リィゥ共和国』が闘技場で発展していたことを想起するものはいない。
それほどまでに、この場所はすでに温泉中立地帯として定着していたのだ。
「はぁ~……今日も今日とて温泉が気持ちいい……」
溶ける。
凛々しい眉根は下がりっぱなしだし、赤い瞳はふせられっぱなし。黒髪は温泉に濡れてしっとりしている。
青い一房の髪も心なしか色鮮やかに輝いてさえ見えるだろう。
お湯を掬って肌に叩く。
そうすると、温泉の効能なのだろう。肌の調子がとても良いのだ。
そんな玲さんの様子に褐色の肌をほんのりと赤らめたグリモア猟兵のナイアルテが温泉の相伴に預かることになった幸運を噛みしめるように息を吐きだしていた。
日々の激務、と言うにはまだまだであると思うが、しかし温泉に浸かれば疲れという澱が溶けていくようでもあった。
「……ぁ、本当です、ねぇ……」
IQが著しく下がっている。
語彙力というものがまったくなくなっているかのようにナイアルテは目を細めて温泉の素晴らしさに、すっかり蕩けていた。
共に髪が長いせいもあってか、後ろでまとめて上げているのは互いに新鮮な出で立ちに思えたかもしれない。
「でも、本当に良いのでしょうか。こうして、誘って頂けて……宿泊料金などは」
「いいのいいの。あっても腐らせるだけなら、ぱーっとした方がさ。それに猟兵としてのお仕事ってのは、まだまだあるんだし。お金儲けするだけなら、困らないんだよねー」
玲さんは十分に温まった身体と染み渡る効能に満足したように立ち上がる。
湯気に隠れていることが大変に申し訳なくなるほどの美しいプロポーション。
温泉宿のヴィーナスとは彼女のことである。
「のぼせない内に上がっとこう。それにさ、温泉宿と言ったら、色々あるでしょ?」
「え、そういうものですか?」
なんだろう、とナイアルテは首を傾げる。
今日初めて温泉宿に玲から誘われたせいもあってか、温泉宿かくありけりというのを今だ理解しきれていないのだろう。
湯治、というからには温泉の効能を堪能するだけではないのかと思ったのだが、ナイアルテが思う以上に温泉道というのは奥が深いのかもしれない。
「そういうものなんだよ。ほら、行こっか。まずは浴衣に着替えて」
「は、はい。お供致します……!」
玲に促されて浴衣を纏う。
互いにほこほこした湯気立つ身体。そこに玲さんが持ってきたのは瓶牛乳。言うまでもない。これはプラントから作り出したものである。
キャバリアを作り出すことなく、ただただ食料だけを生産し続けているのだ。
その中の一つがこれである。
「温泉まんじゅうとか、温泉卵とか色々あるんだけどさ。まずはこれからでしょ」
紙蓋を外して一気に煽る。
玲の白い喉が鳴り、一気に飲み干される牛乳。火照った身体を内側から急速に冷やす乳白色の飲み物。
それにナイアルテはゴクリと喉を鳴らす。
美味しそう。
腰に手を当てているのもまた、所作の一つ。美しい温泉宿にて定められた一つの伝統的所作である。
それを真似るように彼女も瓶牛乳を頂くのだ。
「ぷはー……これは、とても良いものですね」
乳白色のひげを付けたナイアルテが笑う。そのさまを見て玲さんもも笑うのだ。
こんな光景が、今やこの温泉中立地帯においてはどこにでも散見される。
全てがうまくいったとは言えない。
争いの全てから此処が遠ざけられたとも言えない。
けれど、と思う。
結局積み重ねなのだと。こうしたことの積み重ねが争いを遠ざけ、平和への道へと繋がる。
険しく辛い道の半ばに、こんな穏やかな日々があっていい。
「ひげ、ひげ」
玲が自身の口元を指差す。
ナイアルテは何のことかわからないという顔で首をかしげている。その様子があんまりにもおかしいものだから、玲は笑いをこらえ切れなかった。
噴き出すように笑う。
「あっは、あはっ、あはははっ!! 白いひげがっ、ひげが……! ぶふっ!」
「え……え? あっ!?」
鏡を見てようやく理解したであろうナイアルテの顔が、温泉に浸かっていた時よりもさらに真っ赤になってしまう。
「も、もう! 玲さんてば、もうっ! 教えてくださいよっ! なんで黙っていたんですか!」
「写真も撮っておいたから」
「消してください!!」
二人がもみ合うようにわちゃわちゃと平和な騒動を引き起こす。
浴衣を翻して、温泉宿を走る二人。
笑い声と涙目が朗らかで暖かな空気を呼び込む。
そんな二人の様子を見ていた四人の『神機の申し子』たちは、たまには玲さんに仕事手伝ってもらえないかなぁと思いつつも、しかし言い出せぬまま得難き穏やかな日々を重ねていく。
「お願いですからっ! 後生ですから!! それを消して、ください!!」
「だーめだってば! 可愛いだからいいじゃない。あははっ!!」
二人の追いかけっこは湯冷めしない程度に続き、この後も温泉宿ならではの楽しみに浸る。
何せ温泉宿と言えば、料理に卓球、そんでもって再びの温泉。
人はそれを自堕落と呼ぶのかもしれない。けれど、その自堕落さを愛することもまた温泉の魅力にして得難きもの。
湯煙の向こうにこそ、待つ極楽があるのならば。
時には自堕落に浸るを自覚するのもまた、佳きことだろう。
故に此処に記す。
小国家『ビバ・テルメ』の興りを――。
成功
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