グリードオーシャン冬景色
●|釣りガチ勢《さめまおう》に釣りの話を振るとこうなる
荒っぽい波音が幾つも重なり響いている。
見渡す限り広がる海原。その水面は激しく揺れ、白波が立ち並ぶ。
雪こそ降っていないが、びゅぅと吹き抜ける冷たい海風に、波から零れた飛沫が乗っている。
「……」
「……」
「……」
そんな海に突き出した石の桟橋の上で、3人の猟兵が釣糸を垂らしていた。
パチパチと薪の爆ぜる音を立てている焚き火に、3つの影が揺れている。
「お! 栴! ルシル! かかったぞ!」
「落ち着け、山羊の。あまり強く引くと糸が切れるぞ」
不意にしなった竿を、明石・鷲穂(真朱の薄・f02320)が破顔しながら腕を伸ばし、生浦・栴(calling・f00276)が魚を受け止める網を取る。
「はは、がんばれー」
その喧騒を背中に聞きながら、ルシル・フューラー(新宿魚苑の鮫魔王・f03676)は竿自体を伸ばしたり縮めたりと、実に奇妙な釣り方をしている。
彼らが何故、こんな見るからに寒そうな海で釣りに興じているのか。
発端は、数時間程前の事だ。
「よう、ルシルー! グリードオーシャンに、ニシン釣りに行こうぜ」
理由を置き去りにした鷲穂の言葉に、ルシルの目が丸くなった。
「フューラーのの誕生日だったと聞いて、山羊のがな」
「そうそう。栴と祝いに来たぞ!」
「……成程?」
2人の来訪の意図を知ったルシルだが、疑問は深まる。
祝いに来たとは言うが、何故か鷲穂も栴も、釣り竿の他に目立った荷物は持っていない。
「不思議そうだな、フューラーの。その、プレゼントは……」
「ニシンのパイだ!」
栴が向けた視線に混ざる不安の色に気づいた風もなく、鷲穂がやる気に満ちた声音で告げる。
これはつまり――。
「これから釣って作る。頑張ろうな」
そう言う事だ。
「努力はする。リカバリの準備もしているので安心して欲しい」
「そもそもニシンがいるか分からんが。けど、楽しそうじゃないか?」
何とかフォローしようとする栴に、鷲穂はカラカラと笑って返す。
鷲穂とて、必ず釣れるなとは思っていない。
その時はその時――栴が何とかするだろうと、相棒を信頼しているだけである。
けれどもそんな対照的な2人に、ルシルは不意にいつもの事件の話をする時よりも真面目かもしれないくらいの顔で、こう告げた。
「2人とも防寒着は持ってる? 寒い所に行くことになるよ?」
何故なら、ニシンは冷水域の海に生息する魚である。
●素顔の一端
そして、現在。
「…………これ、ニシンか?」
「さて。青魚の系統ではなさそうだな」
網の中のまだら模様の魚に、鷲穂と栴が揃って首を傾げていた。
「食材としては何とかなるのでは、とは思うが」
「それもそうだな! 魚には違いない!」
「その背鰭の長さ――多分、ホッケかな?」
栴の言葉に食べられるなら良しと鷲穂が片づけかけた所に、振り向いたルシルが魚を一瞥して口を開く。
「たいへん美味だ。旬には少し早いけど」
「詳しいな、フューラーの」
「やっぱ魚好きなのか。鮫魔術師だから?」
「確かに魚は好きだけどね。鮫魔術師だから、というのは少し違うかな」
海に向き直りながら、ルシルは栴と鷲穂に背中で返す。
「鮫魔術師だから魚が好き、ではなく、魚が好きだから鮫魔術師になったんだ」
どちらが先かというその拘りは、案内人の仮面がないルシルだから見えたもの。
「まあ、カナヅチを克服する手段と言う理由もあったけれど――そして、これがニシン」
「……ふむ」
「成程な」
背側が青く腹が銀色に輝く魚を釣り上げたルシルに、栴と鷲穂が顔を見合わせた。
●適材適所
釣りはルシルに任せようと、2人はパイを焼く場を作る準備に取り掛かり始めた。
「炭の状態は良さそうだな」
準備と言っても、栴の担当の炭熾しはもうほとんど済んでいる。
背中で囲んでいた焚き火は、竈の火種作りも兼ねていた。
「あとは任せたぞ、山羊の」
「任された!」
――Saved area――魔鍵『prison cell』により創る保冷の異空間――から栴が出したレンガを、鷲穂がせっせと積み上げていく。
なんとこの2人、パイを焼く窯から作るつもりなのだ。
石窯で肝心なのは、炎の熱が内部に籠る構造。
その点さえ押さえていれば、即席で作る事も出来る。
「なぁ、栴。これで作り方あってるのか?」
「石窯か? 正直分かりかねるが、空気が通り焼き網が乗ればパイも何とか成るぞ?」
何処に火種を入れ、何処にパイを置くか――栴のアドバイスも受けながら、鷲穂はレンガを積んでいく。
「捌くのも任せてくれ」
即席のレンガ石窯を作り終えた鷲穂は、続けて包丁を手に取った。
そのまま包丁の背と刃を使い分け、ニシンや他の魚の鱗を落とし、腹を裂いて腸を取り除いていく。
「パイ生地は此処に」
栴が『Saved area』から、UDCアースで仕入れた冷凍パイ生地を取り出す。
「あ、そこは冷凍なのか」
「あの世界の食材資材の充実ぶりは尋常ではないからな」
釣り竿をしまったルシルのツッコミに、栴はパイを成形しながらさらりと返す。
パイを作るのであれば、パイ生地は要であり、今回は、パイを失敗出来ない理由もある。
「パイってケーキみたいなもんイメージしてたけど、これってもう飯みたいなもんだよなぁ」
パイ生地の器に注ぐのは、ニシンの白子を混ぜたホワイトソース。その中に、鷲穂は骨を取ったニシンの身や他の具材を入れていく。
「ニシンは頭が飛び出てる風に焼きたいよな。その方がインパクトがある」
更に被せたパイ生地の上に、鷲穂は切り落としたニシンの頭を更に並べた。
まるで、パイの中からニシンが顔を出している様に。
何故パイにインパクトを求めるのか。
「ああ、ニシンのパイって、そっち……」
「独創的になるのはまあ、山羊のだからな」
スターゲイジーの方だったか、と呻くルシルに頷きながら、栴はそれをアルミホイルで包んでいく。
あとは炭を入れて熱しておいた石窯の中に入れて、焼き上がりを待つばかり――。
●もうひとつの祝い事
「さて……料理食う前と、食った後。どっちで誕生日のパイ投げくらいたいか希望あるか?」
石窯にパイを入れる手を止めて、鷲穂がそんな事を言い出した。
「待って聞いてない」
「山羊のが言ってなかったか」
『Saved area』から投げる用のパイが出て来る辺り、栴も共犯なのは間違いないだろう。
「なんとレインコートの準備もあるぞ」
「冷えているがな」
この準備の良さ。最初から、2人はパイ投げも計画していたのだろう。この時まで、ルシルにはニシン釣りでまんまと隠し通された。さながらちょっとした|燻製ニシンの虚偽《レッド・ヘリング》だ。ニシンだけに。
「よし。なら先にやろう。と言うか今すぐやろう」
ならばと、ルシルは開き直った。
「おや、今から遣るのか?」
「ならレインコートを――」
「ああ、それは良いよ」
栴がレインコートを出そうとするのを遮って、ルシルは空に視線を向けた。
「属性は風。現象は旋風と突風。パイを飛ばせる程度でいい」
「そう来るか――ふむ、偶には派手に暴れるのも良かろう」
空に向けたルシルの言葉が精霊への呼びかけと気づいた、栴が同じ力を行使する。
「お、おまえら……!」
2人の周りで風が渦巻いたのを見て、鷲穂は慌てて半獣たる自身に合わせた特注のレインコートを羽織った。
「驚かせて貰ったからね。サプライズ返しだ」
「悪く思うな、山羊の」
「ちょっと待っ――!?」
共に風の力を味方につけたルシルと栴が投げたパイは、鷲穂にニシンのパイを投げるふりをする暇も与えない勢いで飛んでった。
●宴の刻
空の色が変わり、傾いた陽光を浴びた海が黄金色に輝き出す。
その頃には投げるパイも尽きて、石窯から良い匂いが漂い出した。
「良い匂いすんなぁ……腹減ってきた」
パイ投げで一人窮地になったからか、鷲穂の腹の虫が騒がしい。
「そろそろ良さそうだ」
栴が石窯の中から網を取り出す。パイを包んだアルミは表面がほんのり焦げて、内側からの熱で膨らんでいた。開けば、綺麗なキツネ色に焼き上がったパイから湯気が立ち昇る。
一緒に炙っていた他の魚や、厚切りのベーコン、トウモロコシもいい塩梅だ。
「よし。それじゃあ――飲むぞ!」
ずいっと鷲穂が出して来たのは白ワイン。
確かにこのメニューでワインを合わせるなら、白だろう。
「ルシルはあんま呑む口じゃないだろうが、料理の合わせに1杯どうだ?」
「それじゃあ、1杯だけ」
「大丈夫だ。残りはおれがいっぱい飲むから」
などと鷲穂が軽口を交わしながら、ルシルのグラスに淡い色の液体を注いでいく。
まだ半分以上残ったワインを置いて、鷲穂は別の瓶を手に取った。
「栴はぶどうジュースいっぱいな」
「あと1年少々は仕方ないな」
用意されていた同じ白葡萄を使ったジュースの瓶に、栴は苦笑しつつグラスを向ける。
「その時は酒、いっぱい飲ませてやるよ」
「程々でいいぞ」
(「……栴が酔い潰れる様子は、浮かばないな」)
そう遠くない未来を話す鷲穂と栴を見やり、ルシルは胸中で呟いた。
それが判るようになるのは次の年の初夏の頃。
今時分よりは、アウトドア飯に良い季節だろう。
さて――その頃に、宴会でも付けられる事件があると良いのだけれど。
そんな事を胸中に留め、ルシルは2人に合わせてグラスを掲げる。
乾杯の音が小さく響いた。
なお――肝心のニシンのパイの出来はと言うと。
「如何なる事かと思ったが」
「いけるね」
「美味いじゃんか」
焼き加減も味も良く出来ていた。
子持ちのニシンの卵も使ったので、プチプチとした食感も楽しい。
但し――。
「骨が硬くて、食えるとこがあまりないな」
「まさに煮ても焼いても食えぬ」
「まあ、頭から食べる魚じゃないからね」
インパクトを求めて盛りつけたニシンの頭部だけは、最終的に海に返す事となったのであった。
成功
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