愛しき十九代将軍徳川家将に贈るチョコミルクレープ
1996年2月13日夜。翌日に控えるビッグイベントを前に多くの恋する女性が浮かれるその日、徳川・翠(妖怪アパートの大家さん・f37954)もまた、浮かれていた。
そう、明日はバレンタインデー。大切な人にチョコレートを贈るイベントだ。
1958年ごろから日本で流行したそれは、日本独自の発展を遂げているとは言え、元は一神教の聖人、|聖《セント》ヴァレンティヌスに由来する紛れもない一神教の神性に関わる記念日である。
ということはつまり、本来なら東照大権現の神性を称える徳川家勢力がこれを祝えば、即ち他の神性を強化すると同時に自身の神性を弱化させる事になる。
このため、暗黙の了解として、バレンタインデーは祝ってはいけない記念日の一つであると、徳川家の人間なら分かっているはずの事である、はずなのだが。
「家将のため、腕によりをかけて作らないと」
と、自分の大切な弟のような存在、徳川・家将(徳川家幻の第十九代当主・f37222)に贈りものをすると決めている翠はすっかり浮かれており、そんな事は意識の内に少しも浮かばない。
キッチンに並ぶのは、薄力粉、ココア、砂糖、牛乳、バター、レモン汁、生クリーム、板チョコ、といった材料達。
作るものは決めていた。今年に入ってとある全国展開のカフェで販売されて流行り始めている「ミルクレープ」。そのクリームをチョコレートクリームに変えたものだ。
既に翠は一度実物を食べているが、次期徳川当主として大事にされておりなかなか庶民向けのカフェになど入れない家将はまだ食べたことがないはずだった。
それでいて、世間の流行などには人一倍のアンテナを伸ばしているはずで、きっと興味津々のはずだ。
(家将はきっと喜んでくれるはず……)
薄力粉とココアパウダーをふるいながら、翠は家将の笑顔を想像する。
眩しいその笑顔はきっと何よりの報酬になるはずだ。
ふるった二種類の粉に、牛乳と卵、砂糖、溶かしバター、レモン汁を投入。だまにならないように滑らかに混ぜていく。
(きっと家将は一人で食べ切るのは大変だからと私と一緒に切り分けて食べることを提案してくれるはず)
滑らかになった生地にさらに牛乳を投入して混ぜる。その間も翠の想像は止まらない。
充分に生地が出来たら、冷蔵庫で1時間ほど冷やす。
(クリームが顔についたら取ってあげたりとか……)
妄想は止まらず、一時間などあっと言う間に立ってしまう。
油を敷いたフライパンを中火で熱し、お玉一杯分の生地を流し入れてクレープを焼いていく。
この焼き加減は重要で、この間は翠も真剣だった。
その甲斐あって、実に10枚のクレープ生地が一枚も破れることなく綺麗に完成する。
続いて、チョコレートホイップクリームを作る。
お湯の温度が50℃を超えないように注意しつつ湯煎で板チョコを溶かしていく。これもうっかり温度が高くなりすぎると口当たりに関わるのでやはり集中。
同時に手際よくボウルに入った生クリームに砂糖を加えて五分だてにしていく。
チョコが溶けたら、そこに生クリームをひとすくい投入し、素早くかき混ぜる。
(いっそ、あーんして食べさせて差し上げるとか……、さ、さすがにだめかしら……)
ここまで来ると余裕も出てきて、翠の想像……否、妄想も加速していく。
いい感じになったら溶かしたチョコレートを残りの生クリームが入ったボウルに投入しホイップしていく。
「こんなものかしらね」
ミルクレープに挟むクリームは、垂れないくらいの固さが求められる。その点、これは合格そうだった。
あとはクレープ、クリーム、クレープ、クリームと挟んでいって、大きく焼いたクレープを被せて、ココアパウダーを振って、完成だ。
「後は冷蔵庫に冷やして、明日持っていくだけ。待っていてね、家将」
そして翌日、即ち、2月14日。
いつものように、翠は家将の元に遊びに来ていた。
「姉上!」
翠の到来を屈託ない笑みで歓待する家将。家将もまた、翠を"姉"として慕っている。
「家将。今日は贈り物があるんです」
周囲に事前に根回ししておいた手伝いしかいないのを確認し、家将にそれを見せる。
「ハッピーバレンタイン、家将」
「おぉ、ミルクレープですか。興味があったのです、ありがとうございます、姉上」
まだバレンタインを祝うということの意味を知らない家将はやはり屈託ない笑みで翠の作ったそれを受け入れる。
大好きな姉上の作ったスイーツであり、前から興味があって食べられなかったものだ、嬉しくないはずがない。
こうして、14日という記念日を二人は笑顔で溢れる一日として過ごしましたとさ。
前日の翠の怪しい動きを訝しみ、屋根裏から偵察していた"忍者"の姿と、それによって翠にもたらされる翌日の呼び出しの事は、今は考えないことに致しましょう。
二人は幸せに一日を過ごした。それでいいじゃありませんか。
成功
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