2013年・秋~黄金のビャウォヴィエジャの森で
――時は、2013年秋。
銀誓館学園卒業後、山吹・慧(この魂が燃え尽きるまで・b71495)に迷いはなかった。
微笑みをたたえる聖女……彼女の力になりたい、それ以外の想いなどなかったから。
だから自分がこれから在るべき居場所、それは慧の中では至極明確であった。
そしてマヨイガの扉を潜り、人狼騎士団本部へと向かったのは、2013年の春。
その時から、ヨーロッパへと渡って半年ほどが経ったわけであるが。
己の選択に全く後悔などはないにせよ、この半年は目まぐるしく、様々な面で苦労も多かった。
これまでと、何もかもが違いすぎる環境に。
暮らす土地の風土、人々の気質や考え方、団の規律や集団の中に存在する暗黙の了解、出世争いや派閥等のあれそれ……他にも言えばきりがないほど、騎士団関連のことから日常生活に至るまで、まだ今でも慣れなければならないことや知っておかなければならないことは沢山だ。
銀誓館学園に所属していたということも、少々周囲の者達からすれば異彩であることは確かで。
かつての人狼戦線においてはやはり、様々な考え方の人がいるのも事実。
最初は余所者というだけでよくは思われなかったり、意思疎通や考え方の違いで誤解を受けたこともあった。
だが慧自身、至って真面目な性格でこつこつマメであるため、理解を示してくれるようになった者もいるし。
ようやく、異国の別組織に在った者ではなく、騎士団に参加する仲間として周囲も以前よりは見てくれるようになってきた……気もする。
けれど、きっと彼らは驚くだろう。
慧が、騎士団のまとめ役のような立場となっている聖女と、幾度も交流をはかったことがあると知れば。
いや、それがあったからこそ今、慧は此処に在るわけで。
人狼騎士団に参加した理由は、聖女アリスの力になる為――ただその強い想い所以であるが。
かといって、それをひけらかしたり得意げに語るような性格では全くないし。
内に秘める熱い一面を人に滅多にみせるようなこともなく。
武に対する志は高くとも、出世や名声、派閥争いなどといったものに興味もないので。
やはり周囲の騎士団員たちの慧に対する印象は概ね、このような感じだろう。
真面目だが、何を考えているのかよくわからないところがある、遠いジャパンから来た変わり者……と。
とはいえ、訓練や実戦となればまた、騎士団の中での立ち回り方も変わってくる。
皆で取り組む作戦であれば、互いの能力や力量を汲みつつ共に行動する事になるし。
今日の訓練のように……個人でこなす課題となれば、周囲は好敵手となる場合もある。
いや、慧にとっては相変わらず、聖女アリスの力になりたいという想いの為に騎士団にあるため、他の者に対してそういった類の感情を抱くことはないのだが。
出世欲の強い者や名声が欲しい者は、特に結果が目に見えてわかりやすいような訓練やテストともなれば、俄然意欲的になるものだ。
そんな、早速我先にと森を駆けていく他の面々の背を見送りながらも。
慧もとりあえず与えられた課題をこなさんと、鬱蒼とした森の中を歩み出す。
今日の訓練は、ビャウォヴィエジャの森でのテストを兼ねたもの。
とはいえ速さ自体を競うものではなく、与えられた課題を森の中でこなし、制限時間内にゴールに指定された拠点へと赴くことができれば完遂という内容であるので。
慧にとっては余計、必要以上に急ぐ心積もりなどはないのであった。
けれどそれでも参加するのは良い経験にはなるだろうし、己の鍛錬のためということは勿論のこと。
彼女の……聖女アリスの評価を得られるのならば、まあやってみようか、という気持ちがあるからだ。
そんな、本日の訓練の場となるのは、ポーランドとベラルーシにまたがる広大な森。
『ヨーロッパに残された最後の原生林』とも言われているビャウォヴィエジャの森だ。
能力者として足を踏み入れた人狼戦線の戦場にもなった場所である。
バルト海と黒海の分水嶺に位置し、ふたつの国にまたがる東京ドーム2万個にもあたるという大規模な森には、多様な生物が人の影響を受けずに広範囲に残っており、その内には数多の神秘を秘めている。
必要以上に急ぎはしないが、だがそのような広さを誇る森でのテストとなれば、のんびりしているわけにもいかない。
夏は暑く冬は寒さの厳しいこの地では、冬の時期が長いため、秋という季節は短いが。
それでも『ポーランドの黄金の秋』とも言われている森の風景は、すっかり秋の色に染まっている。
紅葉と言えば日本の四季の印象は強いが、欧州でも紅葉を見られることが少し意外でありながらも。真っ赤に色づく日本のものとは少し異なり、眼前の風景は一面の黄金色。
そんな地に積もった落ち葉をさくりと鳴らしつつも踏み込めば、人が滅多に立ち入らぬ原生林の土壌は数日前に降った雨の影響もあってか、湿気をはらんでいて。
そんなやはり一筋縄ではいかぬ森での訓練に、必要以上に張り切ったりはしないが、性格的にも真面目にきっちり取り組むべく。
足を取られぬよう注意を払いながらも、慧も森の奥へと進んでいく。
世界遺産に指定されるほどこの場所が美しい土地であると実感する、輝きの森。
そしてその東西にある人狼砦、他にも大小多数の騎士団の拠点が森には存在するが。
テストの課題として出された任務を指定の場所でひとつずつ着実にこなして。
あとは、ゴールである拠点へと向かうのみとなった……その時であった。
「…………」
なにものかの気配を感じ、ふと表情を引き締める慧。
気配は気配でも……向けられているそれは、強い警戒や敵意。
広大な森には、野生の動物や生き物たちは勿論のこと。
この地には、いまだ縛られ現世を彷徨うモノや凶暴な獣など、様々な存在があるのだ。
そしてそれらに対し無害などとは決して思ってはいけない。
この森自身さえも、気を抜いてかかれば、たちまち方向感覚を狂わせて惑わせてくる。
だが、明確な敵意を感じながらも。
それを発しているモノが積極的に襲い掛かってくる様子はない。
それが気になって、薄暗い森の中、気配の元を慎重に探ってみれば。
『グルルル、グルゥ……ッ!』
遭遇したのは、鋭く光る瞳を持つ獣。一体のゴーストウルフであった。
そして慧は気付く。自分へと強い警戒を示している眼前の狼が、何かを守っている様子であることを。
一歩踏み出せば、ピクッと素早く反応し一層威嚇してくるゴーストウルフ。
そんな狼の背後に見えるのは――白骨。
それは、かつての人狼戦線にて命を落としたと思われる、人狼騎士の遺体であった。
刹那、大きく地を蹴ったゴーストウルフが、慧に向かって鋭い牙を剥く。
それに対し、薄手だが頑丈である十字の意匠を刻んだ革製のグローブを嵌めた掌で、繰り出す発頸や闘気をもっていなしては受け流していくが。
ゴーストウルフへと攻撃をする気は、慧にはない。
このゴーストウルフは、ただ守りたいのだ。白骨化しても尚、この人狼騎士のことを。
それが分かったから、慧は決して手を出すことはしない。
鋭い爪が掠った肌が血を滲ませようとも、自分に敵意はないと、そう示すべく。
それに同時に、こうも思ったから……この場で朽ちる前に、弔いたいと。
だからゴーストウルフが守る人狼騎士を騎士団に運んで弔うためにも、まずは分かってもらわなければいけないから。
自分は危害を加えるつもりは一切ない、ということを。
そして――最初こそ激しく警戒し、襲ってきたゴーストウルフであったが。
攻撃を一切行わない慧へと牙を剥くことをいつしか止め、様子を窺うかようにじっと見つめている。
だから慧は、その闇に光る瞳をまっすぐに見つめ返しながらも。
ゴーストウルフへと、こう呼びかけてみる。
「一緒に帰りましょう」
それから小さく一歩近寄れば、ぴくっと身は振るわせたものの、襲い掛かってくることはもうなくて。
「この人狼騎士も一緒に、帰りましょう」
そう改めて紡げば、その心を理解した様子で……ぱたりと。
控えめながらも、もふもふの尻尾を振るゴーストウルフ。
そんな姿に慧は瞳を細めながらも、その手を伸ばして。
もふもふと撫でてあげつつ、ふと思い出すのだった。
そういえば今、騎士団の訓練を兼ねたテスト中であることを。
きっとテストの結果は、ぶっちぎりの最下位であるだろうけれど。
「まぁ、いいか」
今から急げば、何とかギリギリ制限時間には滑り込めるかもしれないし。
何より、テストで落第して人狼騎士団を追い出されるわけにはいかないから。
引き続きゴーストウルフをもふもふしながらも、慧はとりあえずゴールへと向かう事にする。
ゴーストウルフと、彼が守っていた人狼騎士も一緒に。
成功
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