四つの境に浮かぶ、海の月
馬県・義透
前回までのあらすじ
お伽噺陰海月
そういえば、の疑問。
陰海月は『四人の見分け』がついてるみたいだが。
どうやって見分けてるのか、四人からしたら謎で仕方ない。
学習意欲盛りだくさんにより、買ってもらって増えた絵本を読み込んでる陰海月に聞いてみた。
そうしたら…
「ぷーきゅ!ぷきゅぷきゅ、きゅーきゅーぷきゅー!」
訳:えっとね!『疾き者』なら、『びゅーびゅー』って感じがするの!
※『びゅーびゅー』は風の音らしい
どうも、表に出てる人によって感じ方(『静かなる者』なら『さむさむ』…寒々、『侵す者』なら『あつあつ』…熱々、『不動なる者』なら『おもおも』…重々しいらしい)や使える属性(風、氷雪、炎、重力)が違うので、そこで判断してるようだ。
というか、陰海月にそうやって伝わっているのか…と感心した四人であった…。
「かねてからの疑問であったのだが、『陰海月』は如何にして我等を見分けておるのだ?」
それは馬県・義透(死天山彷徨う四悪霊・f28057)という猟兵の成り立ちを見直すものであったかのかもしれない。
束ねられた四つの悪霊。
それが己。いや、己達である。
ならばこそ、姿は殆ど差異はないはずだ。けれど、あの巨大クラゲである『陰海月』は自身たちを見分けているように思えるのだ。
「確かに不思議ですねー」
「見目は変わらぬはず。ならば、どこか感じ取れるものがある、ということなのでは?」
「いや、それにしたってわからないことですよ」
四つの悪霊たちは首を傾げる。
どうやって見分けているのか。
考えれば考えるほどに謎を呼ぶ。
人は他と己との間に境目を作るからこそ、個として認識することができる。己たちは四つで一つ。境目などない。
けれど、『陰海月』はそれを認識しているのかもしれない。
とは言え、いくら考えたところで答えが出るわけでもない。
こうなれば、直接聞くばかりであると四つを一つに束ねた悪霊は山積した絵本の中心で、また一枚と頁をめくる触腕を手繰る『陰海月』の元へと向かう。
「一つよいか、『陰海月』よ」
「ぷきゅ?」
「あなたは我等のことを認識している様子。それをどうやっているのかご教授願えませんか」
「今なら胸の内を言葉にすることもできるでしょうともー」
「感じたままでいいのだ。『陰海月』の言葉で」
彼らの言葉に『陰海月』は首を傾げる。
そんなに入れ代わり立ち代わり言わなくてもいいのに、という雰囲気が伝わってくる。
でも、絵本を読み続けた彼は言葉にする。
胸の内を言葉で表現することの素晴らしさを知っているからこそ、感じるままに言葉にするのだ。
「ぷーきゅ! ぷきゅぷきゅ、きゅーきゅーぷきゅー!」
その言葉は四悪霊たちにとっては衝撃であったのかもしれない。
『疾き者』ならば『びゅーびゅー』。
『静かなる者』なら『さむさむ』。
『侵す者』なら『あつあつ』。
『不動なる者』なら『おもおも』。
それはあまりにも拙い言葉であったかもしれない。
けれど、人が感じる以上に彼は自分たちの力を、自分たちそのものとして認識している。
「なるほどのぅ」
「はー……属性でー」
「『陰海月』は思う以上に感受性が高いのやもしれませんね」
「ふむ……情操教育というものか」
これが成長を見守るということだと、彼らは関心するしかないのであった――。
成功
🔵🔵🔵🔵🔴🔴