デ・ショコラ・プティカドー
●チョコレート香る幸せ
嘗て生まれた日を祝ってもらったことがある。
それはチョコレート香る幸せの記憶。
多くの人に祝ってもらった記憶がある。それはきっとコナタ・クガサネ(枯の忍者・f39077)の中に在るのだ。
だから、朽ちた落葉が朝露に濡れて輝くような金色の瞳は、彼がオーナーを務めるショコラトリーの厨房に並べられたチョコレートを映して揺れる。
青がかる灰色の髪が同じように揺れに揺れる。
黒い狐面に描かれた目鼻さえ緩んでいるように思えたことだろう。
「こちらが今年のものです」
そう言ってショコラティエのジョニーがコナタに示すのは、来るシャルムーンデイに販売するショコラの試作品だ。
まずは箱入りチョコ。これは定番であるし、また箱に詰める個数で値段が調整できるのも買い求める人々にとってはありがたいことだろう。
一口サイズの見た目も可愛い。
「今年はアマツカグラのエッセンスを取り入れたものもあります。アマツカグラ独自のお酒を使ったもの、黒蜜、生姜、柑橘、栗に胡麻、柚子なんかも」
ジョニーのショコラティエとしての才能は言うまでもない。
へたれ気質であるところが少し玉にキズだけれど。
けれど、変わった素材を扱わせてもしっかりとショコラとしての水準を超えてくる。
「これは面白いですね。ワインとはまた違ったアルコールの香り……ふむ、こちらの方は甘めの紅茶と合わせるのも良いでしょうし」
そう言うのはソムリエのアイザックだった。
彼はショコラトリーの二階にあるカフェを取り仕切ってくれている。ショコラとのマリアージュを取り仕切るためにとても大切な人材だ。
「そうなんです。お茶の文化がある都市の作物とも相性がいいように思えるんですよ」
「それでこういう形なんだ? でもいいね、これ。上に乗っているナッツもキャラメリゼされているし、同じようなものでも味が違うし」
コナタには馴染みのある形もある。
木の葉の形をしたもの。丸水文様や、紅葉やひょうたん。
彼がショコラトリーを構えるラッドシティにはあまり見られないデザインだ。
「はい、エッセンスを取り入れるならデザインもと思いまして」
「珍しくも可愛らしい形……箱入りで個数を選べるのはいいですね。お値段も……ほどほどにできます」
そういうのは頭の中で試算を重ねる店長のヘレネ。
彼女は父親が店長をしていたショコラトリーを引き継いで、コナタをオーナーとして迎え入れた敏腕だけれど苦労人な店長だ。
なぜ苦労人なのかというと、それは言うまでもない。
「でも、ジョニーさん!」
「は、はい! な、なんでしょう……?」
彼がビクついているのはどういうわけなのだろうかとコナタは首を傾げる。
それは2つ目の試作品に問題があったのだ。
「うっ、このトリュフ……めちゃくちゃお酒の味……!」
「そうです! これ、どう考えても採算を度外視していますよね!」
詰められるジョニー。
「ひぇっ……そ、その、えっと、趣味に走りましたすいませんっ!」
平謝りである。
でも仕方ないのである。
ジョニーはショコラティエだ。
チョコレートを美味しく作るためには予算なんて、という思いもある。でもそこはプロでもあるのだから、少しは良心が痛んだ。
でもである。
そう、でもである!
「あー、わかった。あのおねーさんでしょ」
コナタはわかってしまった、と笑う。
そう、コナタの知り合いの女性……紫煙銃を操る淑女たる城塞騎士の言葉を思い出したし、またそれをジョニーに告げていたのだ。
「はい……か、彼女が今年のチョコレートを楽しみにしている、と仰ってくださったので。こ、今年も大満足してもらえるように!」
ジョニーはショコラティエである。
だからこそ、確かな舌と経験を持つ者からの言葉は、得難いものだ。
お世辞を言うこともなく。
またはっきりとイマイチならイマイチだと言ってくれる。だからこそ、そんな彼女をしょんぼりさせたくないとジョニーは奮起したのだ。
「だからと言って、こ・れ・はっ!」
ヘレネの言葉も尤もだ。
「うわぁ……これ高いやつだよね……こ、こすと……」
「そうです! コストです! どう考えても数を用意できないじゃないですかっ!」
「いや、でも……これだけ美味しいんですよ?」
「確かに。高くてもこれは買う人は買う!」
「ふふ、私はいくつ作るかは口出ししませんが、カフェに出す分の確保、よろしくおねがいしますね」
アイザックの言葉にヘレネは肩を落とす。
彼が認めたということは、確かな味なのだろう。オーナーのコナタの言うところの『買う人は買う』という言葉もわかる。
けれど、いつだってそうだけれど、こうした暴走じみたコスト度外視の商品を作るのはいいが、歯止めを効かせるのも自分の役目なのだ。
「……なら、これは50個! これは50個です! それ以上はダメです! どう考えても此方の採算が取れませんから。いいですね!」
厳命するヘレネにジョニーはオドオドしながらも頷く。
そんな二人のやり取りにコナタは彼謹製のトリュフをまた一つ摘む。
「うん、やっぱり、ジョニーのトリュフはおいしいね! いやあ、本当に!」
もう二十歳だからしっかりとお酒も嗜めるようになった。
だから、わかることもある。
チョコは大人だけのものでもないし、子供だけのものでもない。
けれど、チョコはいつだってそうだけれど、笑顔を生み出してくれる。
だからこそ、なのだ。
「あ、じゃあ、これが今年のやつかな?」
「ええ、お子様向けの、ですね」
コナタが目ざとく見つけたのは、花や犬、猫と言った動物、それに水神アクエリオの型を使ったチョコレートだった。
「フレーバーは、ミルクにダーク、それにホワイトとルビーですか。ルビーの鮮やかは、目を引きますね」
「ええ、ご家族と一緒に召し上がってくれればと思いますし、見た目を可愛くと思いまして」
「へぇ、これもいいね。しっかりカカオの香りが伝わってくるよ。折角可愛いんだから、包装にも力入れたいよね。何かアイデアある?」
「それなら……――」
そんな風にして試作品を囲んでの会議は進んでいく。
結局、試作品の殆どが採用されることになった。
どれもがショコラティエのジョニーの力作だったし、アマツカグラのテイストを取り入れたのも面白い。
次はアクエリオのテイストも取り入れてもいいと次につながるアイデアも出てきた。
それにジョニーがこだわって、ヘレネが悲鳴を上げたトリュフも一つのお酒を使うのではなく、6つそれぞれに違うお酒を使うといのも、値段はギリギリであったが採用される。
数を増やしたいという意見とヘレネの数を抑えたいという衝突はあったものの、結局限定50個として落ち着いた。
「あ、それと今年もなんだけど……」
「ええ、小さい子へのおまけですね。わかっておりますよ」
「へへ、ありがとう。一口サイズでもさ、貰えると嬉しいよね」
ぱくっとコナタは犬の形をしたチョコを口に放り込んで笑顔になる。そこにあるのはチョコへの大好きという感情ばかりだ。
この素晴らしさをみんなに知ってほしい。
普段は手が届かないものであっても、シャルムーンデイの日だけは、とも思うのだ。
だからこそ、コナタは小さな子どもたちには、とおまけを提案している。
「ええ、ところでオーナー、当日お暇です?」
「えっ、まさか……」
「人手が足りないんですよね……終わった後に残った商品は食べていいですから」
「そう言って前年は売り切りましたよね」
アイザックが去年のことを思い返して微笑んでいる。
そうだそうだ、とコナタは首を横に振る。
けれど、結局当日彼は手伝うだろう。オーナーである、ということもある。けれど、それ以上に間近でチョコを笑顔で求める人々を見たいとも思うのだ。
タダ働きはしない。なんて、そんなふうに言いながらも、きっと彼は笑っているだろう。でも、その表情は狐面に遮られてしまうかもしれないけれど。
●そして、と続く
その日は一日中忙しかった。
とっても忙しかったし、また自分がオーナーを務めるお店が繁盛していたことは、とても喜ばしいことだった。
けれど、それにしたってと思う。
くたくたになってしまった。
「お疲れ様です、オーナー」
テーブルの上に突っ伏すコナタのもとにアイザックが一息どうぞとお茶を差し入れてくれる。礼を告げて、一口すすれば一緒に運ばれてきたチョコと合わさって疲労が積もる澱を溶かしてくれる。
「あ、ねぇ僕が頼んでたチョコできてる?」
忙殺されてなんで自分がお店にやってきたのかを思い出してコナタはジョニーに呼びかける。
その言葉にジョニーは出来てますよ、と微笑んで箱に収められたチョコレートを持ってきてくれる。
そこを覗き込んだコナタはとてもうれしそうだった。
チョコを頬張るよりも。
きっと嬉しいという感情が溢れてやまなかっただろう。
ヘレネが、その箱を包装してくれる。それはコナタの個人的な注文を、たくさん伝えて作ってもらった世界に一つだけのチョコレート。
アイザックが助言し、ヘレネが提案する。そしてジョニーが作り上げ、コナタが受け取る。
それはきっと繋がっていくことと同じだった。
コナタの手から、同じくチョコの好きな者へと贈られる。
材料一つとっても唯一人ではなし得ないことだ。
だからこそ、いくつもの奇跡みたいな偶然が連なって、今自分の手の中に宝物のような奇跡があることをコナタは嬉しく思う。
「ばっちり! ありがとね!」
いつかのどこかで、コナタは言った。
『僕はいろんなことに感謝してるんだよ』
その言葉は自分から誰かに向けたものだった。
亡くしたものがあった。
それでも立ち続けた。
それは約束のため。
いつもそばにある黒い狐面を手に取り、コナタは受け取る誰かの笑顔を思い浮かべる。
それはなんて、なんて幸せな――。
成功
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