薔薇の香りに深呼吸をしたロザリア・メレミュールの胸が、甘やかな香りに満たされる。
晴れ晴れした青い空と鮮やかな緑には赤い花たちが良く似合っていた。
「ふふ……今年も綺麗に咲いて良かったです」
実は薔薇の世話と言うのは大変で、剪定を間違えてもいけないし、土の管理だって水やりの量や回数だって管理をしてはじめて美しく咲くものであった。
今年の冬に薔薇へやった専用の肥料は大当たりだし、水やりの管理も大成功!とロザリアもつい鼻歌さえ歌いたくなってしまうほど。
「花がらは……摘み終わったらポプリにしてしまいましょう」
幾つか出始めた咲き終わりの回収した後を思い、新しい楽しみに胸を弾ませ剪定鋏を握った、その時。
ごう、と風が吹いた。
「あ」
煽るようなそれが庭全体を撫で、赤い――そう、赤い、
「……あ、」
あかい、あらしを。
「――あ、ぁ、 ぁ」
あかがいっぱい。
「――めて、や、めて……!おとうさまっ――おかあさまっ……!おにいさまおねえさまたちまで!!」
無いものを叫ぶ。
見えぬものを呼ぶ。
虚空へ伸ばされたロザリアの手は何も掴める筈も無く、それでも藻掻いて。
「 、だ―――……や――、やぁぁあああああ!!!」
薔薇色の瞳から零れた滴と絶叫が、庭に落ちた。
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これは懐かしくも忌々しき少女の物語の一端。
今は忘却の彼方にありながら、未だ静かに息づく紅き道程のプロローグ。
夜な夜な密やかに両親が言葉交わす部屋の扉に、幼きロザリアはそうっと耳を当てる。
「……でしょう?あなた、やはり月を――……、で、花を供物にしなければ――……」
「―――、――だから……やはり~~アを贄にすればきっと我々の――は、叶う。それこそが存在価値だとしか思えん」
「(贄……?願い……?存在、価値……)」
こんな話を聞き始めるようになったのは最近の――つい、一か月程前。始まりの違和感は至極近い場所からだった。
ふと視線を感じるようになり、振り返れば兄や姉、メイド達までもがじっと自身を見ては薄笑いを浮かべていることが幾度もあって。
視線が増えると同期に、妙に両親が優しくなった。
「(私は“いらない子”じゃなかったの……?)」
長く言われ続けていたことを心の裡で反芻しながら、作り笑顔で返事をすれば喜ぶ両親の様に幼きロザリアは内心震えていた。
「(――おかしい)」
ロザリアがこの家の正真正銘の末娘にも関わらずそのような感情を抱くのか……理由は簡単。“いらない子”と呼ばれていたから。
この家の両親――“お父様”と“お母様”は黒い瞳の持ち主であった。
先代たる祖父も、曾祖父も両親ともに黒い瞳。そうして一人の兄と三人の姉達も、黒い瞳。だのに、生まれえぬはずの薔薇色の瞳をしたロザリアが“生まれてしまった”。
家のメイドにさえ“この家の子ではないのでは”と噂され、生んだ母さえ“おかしな子”と罵った挙句兄や姉にさえ言い聞かたせいで、兄姉にさえ爪弾きにしていたのが現実。
更に酷いのが、父は母への不信感どころか“おかしな子を産んでしまった”と泣き暮らす|女《母》の手を取り慰めると、自身の娘であるはずのロザリアだけを差別したのだ。
外聞が合悪いからと外にも出されず居た所為で肌は透けるほど白く、艶やかな月色の髪と薔薇色の瞳に無感情な色を乗せ、ロザリアは人形の如く生きていた。
話しを戻す。
ロザリアの気付き通り、急にここ一カ月程前から“ロザリア、ロザリア”と二言目には自身を呼びつけ見せつけるように自身をかわいがる両親姿はいっそ異常なほど。
しかし日中におかしな部分は無かった。けれど夜。そう夜だけ、酷く密やかに自身の就寝を確認した両親が“決めなければ”と|どこかの部屋《屋敷最奥の小部屋》へ向かう。
子の部屋の存在はふと目が覚めてしまったある夜、何故かどうしても気になったロザリアが足音殺して後をつけた先――ドア越しに聞き耳を立てるようになってから初めて知ったこと。
聞き耳を立てる度、分厚いドアの存在がもどかしくて仕方がない。そのせいでとぎれとぎれにしか聞こえない両親の会話から必死に言葉を拾って推察し理解しなければならないから。
徐々に頻繁に聞く言葉が定まってきていた。
「(最近多いのは贄、時間、花……お庭の話、ではありませんよね)」
察しきれない根幹への恐怖。
「(お父様もお母様も、お兄様だってお姉様だって皆……変よ)」
あの笑顔はおかしい、思った瞬間の寒気に体が震えた。
「……もう、戻らなきゃ」
自身を抱き締め、声を潜め足音を殺してロザリアは部屋へと戻る。
今にして思えば、きっとそれは虫の報せ。所謂第六感の類だったのかもしれない。
ある日、ロザリアは幼さに不釣り合いな豪奢なネックレスと、まるで花嫁の様な絹のドレスを纏わせられた瞬間――異様な力で母に腕を引かれていた。
「おっ、お母様、いたい、ですっ」
「~~~っと、やっとよ、あぁ、なんでこんな――!」
頭を掻き毟る女を“おかあさま”とは、もう呼べなかった。
何かに憑かれたように“忌々しい”、“こんなに”、“やっとこの時が”と譫言染みて喋るその|女《母》の目はとうに狂っていたのだから。
「――まさか、」
奇しくもロザリアは賢い娘であった。
一人ぼっちだった時間が邸宅の本全てを読むだけの時間を彼女に与え、知恵を育んでしまっていた。
「――やだ、や、おかあさま!」
「うるさい!!!」
訳の分からぬまま投げ捨てられた|血生臭い部屋《邪神召喚用魔法陣の上》から逃げ出そうとしたロザリアは姉――否、姉|だった《・・・》女に頬を叩かれ叫ばれる。
「お前は今日の贄になるの!今日こそ!今日こそ我らに神来たるのだから!!」
「育ててやった恩を忘れるな!」
叫ぶ父親だった男。
無言で自身睨み据える兄だった男。
「(どうして……誰か、)」
『 』
「(助けて――!)」
耳を掠めた声にロザリアが助けを求めると、同時。
うたうような呪詛が部屋を満たした瞬間――……家族の頭を吹き飛ばし、降り注ぐ赤が幼い心を抉ってゆく。
『可哀想に。あぁ、薔薇は良く咲いている』
「あ」
『良い目だ、気に入った』
「いや……なんで、どうして、おかあさまおとうさまおにいさまおねえさま……!」
『わらえ。わらえ薔薇よ、俺が助けてやったのだから』
「いや……いや、いやっいやぁぁあああ!!」
『ふむ』
顎を撫でるそれは花喰の悪魔は惨劇を作り出したにも関わらず、不思議そうな顔をしながらロザリアの頭に触れると中を読んだ。
『ほう』
「(どうしてどうしてなんでまっかなのあかがあか、おかあさまおとうさまおにいさまおねえさまどうしてどうしてあかあかあかあかあかああああああ――きゅうけつきの、ものがたり、みたい)」
『ふむ――吸血鬼か』
吸血鬼とはロザリアが読んだ中でも一際恐ろしく書かれた残虐な化物の物語。
『良い譚ではないか』
こうしてロザリアの|記憶《偽譚》は“作られ”る。
悪しき吸血鬼に家族を奪われ、花の悪魔の気紛れで救われたのだと。
『私に|花《お前の目》を摘ませよ。その色、気に入った』
綴られた契約は薔薇色。
・
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抱き起してくれる熱に、縋る。
「――ロザリア!起きろロザリア!」
思い出せぬ恐ろしい夢の残穢から逃れるように。
「……バー、ガン……ディー――?」
声にした愛おしい名に涙が出ても。温もりを手放さないよう、強く握る。
成功
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