Pour vous à l'aube
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「ここが……」
マギラントは緑の領地。
ロッタ・シエルト(夜明けの藍・f38960)は、パティスリー『Miel de Ange』の看板を見上げていた。
――事の発端は数日前。
友達と、他愛ない話に花を咲かせていた時のことだ。
誰かが、今度皆でスイーツ食べ歩きに行かない? なんて言い出して。
その時はロッタも、その場のノリで賛同してしまったものの、解散の運びとなったところでふと気づく。
自分の食べたい――いや、そもそも自分の『好きなスイーツ』って何だろう、と。
(「そもそもスイーツがどんなものかっていうのも、いまいち分かってないのよね……」)
そもそもロッタは、世界転移の影響でほぼ全ての記憶を失ってはいるものの、幼児期の栄養状態が非常に悪く、好き嫌い以前に『人間が食べても大丈夫なものかどうか』で食べ物を判断する傾向にあった。余談だが、極端に背が低いのもそのためである。
自問自答に陥り、頭を悩ませていたところに耳にしたのが、『Miel de Ange』の噂。
自分をモチーフにしたスイーツを作ってくれるパティシエさんがいるらしい――そう聞いて、店へと足を運んだのだ。
看板はまだ日も高い時刻だと言うのに『Close』を示しているが、意を決してドアを開く。ドアベルがからんと可愛らしい音を立てた。
木を基調とした内装は小洒落ていながら可愛らしく、ほっとするような空気感だ。そのケーキショーケースの向こうで、噂のパティシエが笑顔を向けている。
「いらっしゃいませ! 連絡くれたお客様かな?」
「はい。ロッタ・シエルトです」
お待ちしておりました! と、クレープ・シュゼット(蜂蜜王子・f38942)がにっこり、笑みを深めた。それから、店の鍵を締める。
「じゃあ早速、取り掛かろうかな。今鍵掛けたから、荷物そこに置いて大丈夫だよ」
クレープは準備を始める傍ら、カフェスペースのテーブルを指し示した。ロッタはそこに荷物を置いて、キッチンの前へと向かう。
「じゃ、入って入って」
「いえ、あの……髪やスピカの毛が落ちるといけないから」
そう言って辞退するロッタ。
調理過程に興味津々がないと言えば、嘘になる。しかし、プロの仕事を邪魔してはいけないとの思いがロッタにはあった。
すると、クレープの明朗さを感じさせる微笑みが、より柔らかさを帯びた。
「ふふ、ありがとね。じゃあ、話はここで聞いちゃおっか。製菓の様子はここから見れるしね」
キッチンはセミオープンになっていて、中が外からも見える状態だ。見学も出来る。
クレープは別のカフェスペースにロッタを促し、向かい合って腰掛けた。そこでロッタを構成するもの、大事にしてることなどを聞かせて欲しいと言うが。
「実は……」
ロッタは世界転移前の記憶がほぼないこと、食べ物の好き嫌いを考えたことがなかったことなどを、隠さず話した。
クレープはふんふんと、真剣な面持ちでそれを聞いていた。
「自分探しの最中ってとこかな」
「そんな大層なものではないけれど……でも、そういうことになる、のかしら」
「解った。じゃあ、本当に俺のイメージで作っちゃうね。見ててなにか気になることがあったら、遠慮なく声かけてね」
そう言ってキッチンへと引っ込むクレープを、ロッタは見送った。
まず作り始めたのは、チーズケーキのようだった。これを三層にしていくのだが、下からスフレ、レアチーズ、フロマージュと、階段状に少しずつ上に向かうほど層の幅が小さくなってゆく。
ベースとなるそれを一旦寝かせて冷やし、その上に乗せる甘めのチーズクリームを作り始めたクレープだったが、ロッタはその中に彼が青い粉末を入れるのを見た。クリームが青色に変わっていく。
「ええと、それは?」
興味を惹かれて声をかけた。会話が出来るよう、ウインドウは少し開いている。
「これはねぇ、紅茶の粉だよー。バタフライピーとかマロウブルーとか、青色の紅茶あるでしょ。それの一種」
食欲湧かない色とも言われるけどねぇ、とクレープは苦笑しつつも。
ロッタは目が離せない。
黎明よりもまだ早い時間、未明の頃を少し過ぎた、夜明けの空の色。
取り出したケーキの最上層に広げるように敷かれたそれに、まばらな粉砂糖の星と、昇る食用金粉の朝日を。
夜明けを求めてロッタの代わりに階を上るのは、マジパン細工の星霊スピカ。
そっと乗せた皿の舞台にぐるり、青の粉末を散らして完成!
「わぁ……っ」
「お待たせしました!」
ことり、眼前のテーブルに置かれても、何だか勿体なくて手につかない。
それでも、幾つかの逡巡の後にいただきます、と手を合わせて食べれば、優しい甘さとほんのり浮かぶ酸味が口の中に広がった。
「美味しい……」
「『|Pour vous à l'aube《夜明けのあなたへ》』」
「えっ?」
「気に入って貰えたら、嬉しいな」
そう言って、パティシエは優しく、笑った。
成功
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