――太刀が一つあった。
名も無き刀工が竜神に捧げた一振り。
竜神はそれを手に荒ぶるが如く戦い、ある日、刀を失った若者へと託した。
若者はやがて神祇官となり大史として代々、太刀を伝えた。
物語はそれから幾百年も経ったカクリヨから始まる。
晴耕雨読とはよく言ったもので、晴れた日は身体を動かし、雨の日は本を読む。
しかし毒島・雅樂は竜神、水神としての相を持つが故、晴れよりも雨が多く、本を読んでばかりだった。
やがて晴れた日も本を読んで数十年。
聞きなれたうるさい声が家の中に響いてきた。
「姐さ~ん♡」
小走りに走って来た狐目の小男が自分の胸元目掛けて跳んできたので雅樂は煙管で打ち据える。
彼の名は伏見の|狐太郎《こたろう》。稲荷の神の使いを自称する狐の妖怪にして何故か自分に懐いている。
「なンだ? お前が来るッてことは何か仕入れてきたンだろ?」
竜神の言葉に狐太郎が笑う。
「へい、お好みの蘭物とですね……姐さんのお探しの物の情報を一つ」
「……ホウ?」
雅樂がこの狐との縁が続くのは理由があった。
「姐さんの太刀の行方、分かりましたぜ」
この狐妖は三度に一度は興味深い話を持ってくるからだ。
「聞かセろよ、狐太郎」
竜神が身体を乗り出すと狐が視線をその胸元へと落とす。
雅樂は躊躇いなく彼の両目に指を突き刺した。
「にぎゃぁ――っ!!」
――賭場はむせ返らんばかりに熱気と何かが充満していた。
「コマがそろいました」
中盆が場に座る面々を見まわし。
「勝負!」
ツボ振りがツボを開く。
「四、六の丁!」
賭場にどよめきが起こった。
ひと昔に居た傾奇者を思わせる格好をした女――雅樂の手元に掛け金代わりのコマ札が山と積まれているのだから。
偶にはと遊んでみたが、賽の目を読むのはなかなかに難しい。
そのスリルを酔いとして楽しむのは酒にも勝るものだった。
中盆がツボ振りに耳打ちをする。
「ではここいらで振り師の交代とさせていただきやす。よござんすね?」
「ああ、構わねェけど。妾は降リるさね」
振り師の交代と共に雅樂は席を立つ。
「……尻尾をまくると?」
場を仕切る中盆の男が少しだけ侮蔑を混ぜて問いかけた。
明らかな挑発。だからこそ竜神には分かるのだ。
「だッたら、ツボの糸を取るンだナ」
再度、場が騒然となり、賭場に居た男衆がツボ振りの男の元に殺到した。
「イカサマだ!」
怒号が響く中、雅樂はコマを金に換え賭場を後にした。
「……姐さん」
「狐太郎カい?」
竜神の傍に控えるように歩く狐妖。
「派手にやりましたね、ここの仕切りである深木一家は面子潰されたようなものですから、落とし前に来ますよ」
「構わナいサ」
雅樂が笑う。
「いざとなッたラ川ッぷちデ事に及ぶさね」
「だろうと思いました。で、目的のブツ見つかりやした」
狐太郎が前に出て竜神を導く、その背後で光る眼に二人は気づいていたが敢えて無視を決めた。
取るに足らないと決めていたが故に。
そこは粗末な鍛冶場だった。
炉や鞴、金床が場の殆どを占め、出来上がってであろう包丁や鍬、鋤が並べられている。
「……客か? それとも用事を申し付けられたのか」
そばかすの様に黒い染みが目立つ頬を持った男が来客たる二人を一瞥し、口を開いた。
「あちきらはですね」
「ホウ……見たコトある奴じゃねェか」
狐太郎の言葉を遮り、雅樂が刀鍛冶の手元にある太刀へ視線を落とした。
「訳知りか……こいつは神社に祭ってあった宝刀だ。悪いが渡せねえ。それに……」
刀工は太刀へ槌を落としながら言葉を続けた。
「こいつは太刀としては死んでる。使えん」
「どういうコト……さね」
雅樂の問いに鍛冶屋を槌を振り下ろす。
「昔は大事にされていたようだが、ここに来るまでに刃先はボロボロ、峰も錆が浮いてる……だから使える部分だけを磨上げる。短くなるが、このまま朽ちるよりはマシだろう」
「ホウ……」
竜神は刀工の言葉に興味が引かれた。
自分の刀がこのような有様になったのは残念だが、それが新しく蘇るという事に。
「なァ、出来上がルまで。通ッても良いか」
「それは構わんが……この通りだ、火の粉散るぞ」
雅樂の服装を気にしての言葉だろう。刀鍛冶の男の言葉に女は好感を持ち、そして飛んでくる火の粉は狐太郎で盾にした。
「にぎゃぁーーっ!!」
男の情けない悲鳴が鍛冶場に響いた。
「古木屋の面目は丸つぶれというわけですか」
賭場から離れた一軒の家。
深木一家の親分にして顔役も務める細面の男は蛇のような目で賭場を仕切っていた男を睨んだ。
「申し訳ありやせん……勘が良い女で。ツボ振りを変えようとしたところでイカサマを見抜かれやした」
「にして、その女の名前は?」
委縮する男に対し、落ち着くようにと手で示しながら顔役は訪ねる」
「うた……雅樂と聞いておりやす」
「そうですか」
親分は鷹揚に頷いて、腰の物を抜いた。
「明日から賭場は貴方が仕切りなさい」
転がる首を蹴飛ばし、血に染まった長脇差の切っ先を別の男に向けて顔役は告げた。
「して、今はどちらにおられます? お礼をしなくてはいけません」
男の目は人の領域を踏み越えた光を放っていた。
女が男の元に通う日は幾日にも及ぶ。
「マダか?」
「まだだ」
始まりはいつも同じ。
そして女は赤く燃える鉄が変わりゆくさまを眺め、そして帰っていく。
続きに続いたある日、男は訪ねた。
「この刀に縁があるのか」
「昔、妾が使ッてイた」
女の言葉に男は流石に笑った。
「年代物だろ、これ? それとも長く生きていたっていうのか?」
「だとシたら?」
女の答えに男は拍子抜けした顔をして、改めて女の眼を見た。
虹彩異色の銀の左目。そして眼帯の裏にあるのは――。
「明日、また来い。拵えは自分で選べ」
男は何かを悟ったように言葉を口にした。
刀が還るべきところに還るなら。
その為に自分が火を入れているのなら。
それが天運なのだろうと。
上機嫌で帰っていく女の背中を見送り、男は最後の槌を振り上げた。
――翌日。
雅樂の機嫌はすこぶる悪かった。
「雅樂さんですね。お付き合い出来ますでしょうか?」
深木一家の顔役自身が子分と無宿人を連れて道を塞いだのだから。
「断ルと言ッたら」
「騒ぎますよ、『竜神』風情」
雅樂はその一言で全てを察した、こいつは自分を知っている。
「河岸を変ヱるゾ」
「喜んで」
顔役と竜神が並んで歩く中、雅樂は子分へと目配せした。
「なンで、顔役なンかやってんダヨ、邪神ヤロウ」
「いえ、無宿人の世話をすると人が集まるものなのですよ」
竜神と顔役――邪神が言葉を交わす。
「なので一家を立ち上げまして」
「反吐ガ出るナ」
雅樂が自分の気分を率直に言葉にした。
「サテ、着イたざね」
途中の坂を下りて、川べりまで歩いたところで竜神は振り向いた。
緋色の稲妻――閣思君を身に纏い。
無宿人達が一斉に飛び掛かってきたのはほぼ同時だった。
空気の弾ける音、鞭のように振るわれる裏拳。
まず一人、無宿人が倒れた。
「てめぇ!」
別の男が脇差を振り上げる。
「遅イ」
雅樂が笑って踏み込めばそこは刃の間合いの内の内、首根っこ掴まれ鳩尾に膝を入れられた男に続けざまに掌底を見舞う。
「川辺……竜神ゆえの選択ですか。小賢しい」
子分達が倒れゆく中、顔役は忌々し気に呟いた。
カクリヨへ逃げ込んだ神や妖怪。
その神秘と力は大きく減じているが、信仰の源はまだ残っている。
雅樂が川べりを選んだのは自らの竜神としての一面――水の神たる源を頼ったが故だった。
かつての荒ぶる竜神は長きにわたるカクリヨでの生活の末、知識を身に着け過去の追憶を喰らう神となっていた。
そして喰らって智は血となりて、雅樂の身に刻まれている。
その結果、男衆は皆倒れ、顔役一人が残った。
「アきらメろ、邪神ヤロウ」
「あきらめません。賭場の仕切りで得た無宿人という信徒で駄目ならば、私自身が貴女を生贄に真の神とならん」
細面の男が蛇のような双眸を見開き、長脇差を抜く。
脇差と言っても、長さは約60cm。
現代ならばマチェットと同じ長さの片手剣も同然。
リーチとそして閣思君すら切り裂く邪気を纏った刃が雅樂の肌に赤い線を引いた。
舌打ちと共に竜神は煙管を手に持つ。
無いよりはマシと言った所だろう。
あとは待つしかない……。
「姐さん!」
聴きなれた声が聞こえ、火の灯された油皿が飛んできた。
狐憑きという言葉がある。
一種の人狼病ともいえる現象だが、稲荷の使いはその一端を使いこなすことで妖となり得た。
狐太郎が使ったのは一種の催眠。
邪神たる男を完全に捕えることはできないが数秒、隙を生むことは可能だ。
現世に心を戻した顔役。
目の前では女が白木の刀を抜いていた。
一尺九寸。
かつて竜神の手にあった太刀は今、脇差へと摺り上げられ主の手に戻った。
肉を切る音は無かった。
代わりに首が落ちる音が鈍く伝わり、それは川の流れる音にかき消された。
「……悪くナい」
雅樂が戻って来た刀身を覗き、その出来に満足する。
元は竜として戦うための太刀は長脇差と生まれ変わり、好みの武骨さを持っていた。
「もう、勘弁してくだせえよ。あちきは走るの苦手なんすから」
何度も呼吸を整えるように深呼吸を繰り返し、時々咳き込む狐太郎。
「悪イ、お前にシカ頼めなかッた」
「分かってやすけど……で、刀鍛冶からの伝言でやす『銘はお前が着けろ』……どういう意味なんでしょ?」
狐妖の言葉に竜神は笑みを浮かべ脇差を空に掲げた。
「モウ無くスなッて意味ダロ? なら――」
竜神の刀は再び戻って来た。
過去に託した若者が官職を得て、代々伝えたのはいつか返すためだったのだろう。
彼らの想いを受け継ぐなら、それに纏わるものが相応しい。
「神祇大史國家」
一尺九寸縁起。
それは長き時と人を経て帰って来たある刀の物語である。
成功
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