――香港租界。
コンキスタドールが支配し、この封神武侠界においては一際発達した文明を有しながらも頽廃した、侵略地。
しかし頽廃したこの地にも、否、頽廃しているからこその独自の文化が根づく。取り分け、食文化に関してはその文明レベルも相俟って群を抜いている。
瑠璃・やどり(チャイナウルフガール・f03550)もまた、暗澹の中に綺羅めく美食を堪能しに、この地を訪れた者の一人だ。がつがつと、餓えた狼の如き勢いで飯を掻き込んでいる。
その少女と女性の狭間で揺れるような、華奢でありながら程よく肉の乗った身体のどこにそれだけの量が入るのだろうか。店主も客も、思わず呆気に取られるほどだった。
「ん〜、美味しい〜っ! この叉焼飯、お肉もジューシーでご飯にかかる肉汁も絶品……! 雲呑麺も海老のワンタンがぷりぷりでまた……」
「……じゃあ、支払いはいつも通りに……」
じゅう、と鍋の上で踊る炎の声。
その中に掻き消え燃え尽きてしまいそうな、低くも密やかに抑えられた声。だが、やどりの狼の耳はその声を聞き逃さなかった。
声を発した男が立ち上がると、支払いを終えて店を出る。直後、店内が俄にざわついた。
「ああ、また華朱荷の連中か……」
「華朱荷?」
隣の壮年男性が呟くのを、やどりは物怖じせず問いかける。
聞けば最近頭角を現してきた新興のマフィアであると言う。とは言え、その行いは典型的で、銃火器や阿片をばら撒き儲けを得、勢力を広げていると言う。
堂々としているのは、尻尾を掴ませたように見せかけても、決して本拠地までは曝さない隠密力と、抱え込んだ圧倒的な武力によるものだと言う。ゆえにこの店に限らず、近隣でも見て見ぬふりをされているようだ。
(「ふんふんなるほど。放ってはおけないね」)
新たなマフィア――コンキスタドールの台頭とあっては、猟兵として速やかに解決せねばなるまい。
美味しい食事も堪能したことだし、そのお礼と腹ごなしも兼ねて。
「よーし任せて! 私が何とかしてくるよっ」
「あっ、お客さん!?」
ぱっと席を立ち、元気よく駆け出していくやどり。
幾ら何でも無謀だ、店内がそんな空気になるのも無理はないだろう。何も知らぬ者から見れば、やどりは可憐な少女そのものなのだから。逆に食い物にされてしまうと、誰もが思ったことだろう。
いや、しかし今はそれ以前に――、
「……お客さん、お代金……」
●
「ここがハナシュカ? の根城だねー……」
はえー……と見上げるやどり。その視界一杯に広がっていたのは、家屋が連なりちょっとした城のような様相を呈する建築群だった。
やどりがここまで辿り着き、敵の本拠地であると確信を得たのは、先程の構成員の男を急ぎ追いかけ追跡したからだ。こう見えて種族柄、やどりも追跡には長けている。
何よりここまで迷宮のように乱立する建物の合間を縫って、かなりの距離を歩いた。一般人では辿り着けずに音を上げてしまうだろう。だが、人狼のフットワークを舐めて貰っては困る。それに加えてやどりは猟兵なのだ。この程度のことで匙を投げたりしない。
「さあっ、乗り込むぞー!」
堂々と正面切って突撃!
――と、ざらりと一斉に向けられる銃口。
どうやら追跡がバレていたらしい。撒くよりも誘い込む方が手堅いと判断されたようだ。
完全に舐められている。だが、やどりは金の双眸を光らせて、大胆不敵にニヤリと笑う。
愛らしくも無謀で無力な少女――そう、読み違えた瞬間に、勝敗は決していたと言っていいだろう。
銃口が吼える。やどりの身体が蜂の巣になる――そう思われた瞬間、ふと、やどりの姿が掻き消えた。
「何ッ!?」
「い、いない……!!」
慄いた男の、その背後。
打出の小槌にも似た、黄金に輝くハンマーが、男の即頭部へと振り抜かれる!
「えいやっ!!」
「ぐわっ!!」
そこから先は、玉突きのように並んだ男らが次々と薙ぎ払われるように倒れていった。反対側に控えていた男らへは、唖然としている隙に接敵。
回転しながら手刀を叩き込み続け、奥へと進む。
「ぎゃあ!」
「つ、強ぇ……!!」
最後の一人を伸したところで、かつりと上方から靴音が響いた。
やどりが音の源へと顔を向ければ、階段の上に、一見すると男か女かも曖昧な、中性的な美貌を湛えた長身の姿がある。
「そこまでになさい。アンタたちじゃ相手にならないわ」
「ボス!!」
成程、奴が親玉か。悠然と微笑みながらも威風堂々としている。これが貫禄があるというやつかと、やどりはぼんやりと思った。
「ふーん。なかなか可愛い娘じゃないの。調教のし甲斐がありそうだわ。出すとこに出せば高く売れそうだし、アタシが使ってもいいしねぇ」
何やら下卑た視線で見られている気がする。本能的に嫌な空気を覚えてやどりは地を蹴った。
すぐさま相手も反応し、二丁の拳銃を向けてくる。先程の男らとは比べ物にならない強さだ。隙を突いて、決定的な一撃を叩き込む。それしかない。
弾丸がやどりの足元を鋭く刺す。だが、この暗澹たる地においても明るく、前向きで、やる気充分なやどりは、その程度の脅しには屈しない!
「ていやぁ!!」
「あら」
ハンマーを振り下ろす。
しかし大振りの攻撃は、じゃらじゃらと重そうな装飾を身に着けている筈の敵にも容易く躱された。
肉薄する。銀のナックルダスターが、敵の手を飾り鋭く光を放つ。
「傷物にはしたくないんだけど。大人しくなさいねぇ」
「べーだ。お断りだもん!」
距離が近い。ハンマーは使えない。
だが、それは敵の懐に潜り込んだと同義!
「ちぇいやーッ!!」
「!?」
咄嗟に身を捻り、華麗に宙返り蹴り!
顎を見事に叩き割り、大打撃を与える。反った喉に突起が見えた。
(「あ、オネェさんだこの人」)
なんて、そんなことがつい気に入ったのも一瞬。
美人だろうと男性だろうと女性だろうと、悪は許しません!
「ぼっこぼこのふるぼっこにしちゃうんだからねっ!」
と、いうわけで。
ぐらついたその身体――勿論、顔も含む――にやどり容赦なく、ハンマーの連撃を叩き込むのであった。
●
やどりの活躍で、華朱荷は解体。
例の飯店を中心とした近隣住民に感謝されることになるのだが、それはもう少し先の話。
「ん〜! 一仕事したらお腹空いちゃった。また美味しいお店探しに行こうかなっ」
達成感と共に歩き出すやどり。
そして――ふと。
「あれ、何か忘れてるような……ま、いっか。大切なことならその内思い出すよね」
今は勝利の美酒、ならぬ勝利の美食を求めて。
やどりは租界の雑踏へと消えてゆく。
――なお、やどりが料金未払いの件を思い出し、慌てて支払いに戻ることになるのもまた、もう少し先の話。
成功
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