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百と｜環《めぐ》りて一となれ

作者：しばざめ

「なァんていうかさァ」
　溜息じみた声が、何もない空間に響いている。
　心の空洞――ともいうべきそこに、今はひしめき合う黒がある。めいめい自由に過ごす雑踏じみた少女の群れから離れ、机のようなものに肘をついたまま、娘のうちの一つが溜息を吐いた。
「お外って普通のところよねェ」
「まー、そりゃそーだろ」
　応じるのは、同じ顔の娘である。
　しかしこちらは目つきが悪い。同じ声帯を使っているはずの声も低く、まさしく男のような――或いは男勝りの少女のような――振る舞いだ。座る少女を、腕を組んで見下ろす彼女は、呆れたように肩を竦めてから熱心に見詰める先へ視線を投げやった。
　このところ、外の世界が｜明瞭《はっきり》と見える。
　ここに皆が集まって久しい。本来であればそれで終わるはずの役目が中途半端に奪われて、暇を持て余した彼女たちは、まるで人間のように個性を獲得し始めていた。中には、今しがた外へ惹かれる彼女のような者もあるし、そういう相手と仲の良い者もある。
「オレらが集まって薄まって、よーやく人間一人だぜ」
「それはそうだけど。期待してたのにィ」
「あ！」
　――ふいに、肘をついた娘の体がぐらついた。
　飛びついてきたのは、足首ほどまであるであろう長髪を二つに結んだ娘である。ぴょんぴょんと無意味に跳ねる膝に、抱きつかれた短髪の少女がひどく鬱陶しそうな顔をする。
「あのひとイケメンじゃない？　ねえねえほらほら、見て！　見ーてーよ！」
「分かった分かったから――ちょっとォ、誰かこれの相手しといて！」
　同じ顔の雑踏に投げかけたところで返事はない。しかし暫しの間を置けば、人波を掻いて二人の娘が現れる。
　見るからに快活なボブカットが、明らかに｜朦朧《ぼんやり》としたふぜいの長髪の手を引いている。誰も彼もが自ら暇の潰し方を見出す中で、彼女たちは共に行動し、他者の言う面白いことに付き合うことでそれを成し遂げたらしい。
　とはいえ――。
　長髪の娘の方は、どちらかといえばボブカットの少女に付き合っているだけのようにも見える。
「わたしたちと一緒に遊ぼうよ」
「やったあ！　あの銀髪のひと！　見てよ、凄いかっこいいでしょ！」
「はー、やれやれねェ」
　ようやく話し相手を見つけ、べったりと二人に張り付いたツインテールを一瞥し、再び外を見詰めようとした短髪の娘が――。
　はたりと視線を動かすのをやめた。
　鬱陶しくすら見える長いツインテールが揺れている。その先が不自然に持ち上がったままだ。そのまま自然と伝った視界に、べそべそと泣き顔を晒した三つ編みの姿があった。
「私もいっしょにお話したいのにぃっ、うーっ」
「あらあら泣かないで。あたしが一緒にいてあげるから」
「ふええん」
　彼女にも世話を焼く係がついている。優しく肩を撫でる内ハネの娘も、泣いている当の本人も、流れる涙を長いツインテールの一方で拭っていることは気にも留めていない。拭かれている娘の方も自身の髪の惨状に気付いている様子はなかったから、短髪も再び外に目を遣った。
「あーっ。また泣いてる！　かわいいボクよりかわいいことは駄目なんですよ！」
　――その後方で、きゃんきゃんと高い声がした。
　涙を流す娘を指さしたのは、切り揃えた髪を高く結んだ少女である。
　彼女のもっぱらの関心事はといえば、当人の言葉通りに｜かわいい《・・・・》ことだ。ありとあらゆるそれらを集め、己に還元することに腐心する娘の姿に、男勝りな声はいつも茶々を入れてしまわずにはいられない。
「泣くのって可愛いか？」
「かわいいですよ。何言ってるんですか！　女の泣き顔がこの世で一番の武器なんですからね！　ほらぁ、見てくださいこのかわいいボクのかわいい泣き顔！　ふぇぇ」
「あーうるせえ！　知らねえよブス！」
「なっ」
　一を言えば十が返ってくるのは承知の上で、短髪はついついそのスイッチを踏む。そして途中で面倒になって、適当に切り上げるための捨て台詞で、今度は地雷を踏むのだ。
　わなわなと震え、徐々に真っ赤に染まっていくツインテールは、かわいいと言うには些か般若に近い顔をしていた。
「同じ顔のくせにー！」
　金切り声を上げて飛び掛かってくる体を、短髪がこともなげにいなした刹那――。
「あっ」
　――その向こうにあった後ろ姿に、ツインテールが飛び込んでいく。
　強い衝撃に振り返ったポニーテールは、案の定ひどく不満げな顔をしていた。その手にはレジンと思しきものがある。
　その出所については誰も知らないが――。
　この世界には何もなく、同時に何でもあるものであるから、同じように誰も気にしてもいない。
「ネイル崩れるとこだったんですケド？」
「崩れなかったんだろ」
「まね。神っしょ」
　謝りもせずに放言を零す短髪に向けて、丁寧に巻いた髪を揺らしながら、ポニーテールが五指を広げて見せる。まるで気にせぬあっけらかんとしたそぶりを知っていて、短髪の方もそういうことを言うのだ。
　彼女たち全員の髪が飼う星屑に似たそれを自慢げに翳したのち、彼女は未だ機嫌を損ねたままのツインテールへと視線をやった。
「何キレてんの。エモネイルしたげよっか」
「する！」
　全く現金である。
　すぐさま機嫌を直し、ポニーテールの前に正座した彼女の姿を目ざとく見つけたのは、先まで道行く男たちを品評していた三人だ。最初に駆けていくのは長いツインテールを揺らす娘だった。彼女に比べれば追随する二人の歩みは緩やかなものである。
　短いツインテールに後ろから抱きついた彼女の目は、既にポニーテールの仕上げた星屑ネイルに向いている。勢いよく挙手してみせる声に耳を塞いだのは外に目を遣る短髪の方である。
「わたしも！　わたしもやる！」
「はーいはい」
「ふええん、ずるいぃ、私もやるぅ」
「大丈夫だからね。次にやってもらおうね」
「オレで拭くな！　お前も撫でてねーで止めろ！」
　長いツインテールに引っ付くようにして、やはり泣き虫がやってくる。あまりの勢いに振り落とされたらしい彼女が、今度は騒がしい一団を見ていた短髪に縋りつく。無遠慮に服の端を目元に寄せる泣き虫と、その背をにこやかに撫でる世話焼きに向けて叫ぶ短髪の声など知りもせぬとばかり、ポニーテールの指はしなやかに星屑を描き始める。
　半ば混沌とした大洞の中に――。
「――んふふ」
　小さな笑声が、ふいに波紋のように広がった。
「元気なのは良いですが、すこぅしうるさいですよぅ」
　心の洞のあるじ――百鳥・円（華回帰・f10932）の小さな抗議にも、｜妹《・》たちの暴虐は止まらない。きゃあきゃあと声を立て、はしゃぐように駆けずり回る九十八の欠片は、この閑静な宿の一室には些か騒々しすぎる。
　尤も、それも円以外には聞こえやしないのだが。
　静まり返った現実の静謐に、夢は決して這い出ては来ない。
　あくまでも円の裡側にある顛末だ。今だってこれほどまでに騒がしいのに、きっとここに誰かがいれば、唐突に彼女が独り言を呟いただけにしか見えまい。
　知らず口を衝いた溜息と共に、長い睫は先からの気配に震える。自由奔放な人格の断片たちがいるのは｜塒《ゆめ》の中だが、恐らく眼前で風もなく馳せる体は現実のものだ。
　九十九の欠片のひとつ。夢の虚ろの中に浮かぶ彼女たちの中で、唯一現実に干渉しうる断片――。
「お前みたいにわたしの言うことを聞くようにするのに、何が足りないんでしょう。ねえ、累」
　｜回帰する《もどる》のは、なしですよ――。
　言いながら目を上げれば、累と呼ばれた星屑の娘はひどくむくれた。
　彼女たちの目的はたった一つだ。この身を産み落とし壊れた｜胡蝶《はは》に回帰する。百に散ったものを、ひとつなぎに縫い合わせる。
　全て――円が拒み、そして今も遠ざけ続ける終焉だ。
　耳元に寄ってきた妹の声を聞き落とさぬよう、円の宿した獣のそれがぴくりと動く。しかし、まるで風のように淡く溶ける台詞には、思わず考え込んでから苦笑した。
「そうですね。考えておきましょう」
　笑ってみせこそするが、円がそれを本当に実行する日は、きっとこの嵐の前の静けさのうちには来ないだろう。
　――九十八人分の名前を考えるのは、流石に骨が折れる。

成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​

最終結果：成功 完成日:2022年12月21日