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🎃星影メリーゴーランド

作者：西宮チヒロ

　宵から夜へと移り始めた大空を、ひとつの影が過った。
　緩やかに身体を捻り尾羽を揺らしながら空を往くのは、一頭の島クジラ。
　飛沫のように弾かれた柔らかな雲の欠片が筋となって、色を深め始めた空に淡い軌跡を残してゆく。
　その雄大な背には、いつからか現れたちいさな陸地があった。
　そこへ至るための、決まった空路はない。
　けれど、寄り添うように近づき、そっとその背に降りた者なら誰しも、静かに、そして大らかに受け入れられるのだ。

　――その島クジラが今宵、ハロウィンの灯りに包まれる。

　✧　　　✧　　　✧

「……今月末って、ハロウィンだろ？　遊びに行く場所……決めたか？」
　まだのようなら此処はどうか、と楊・暁（うたかたの花・f36185）はブルーアルカディアの祭について語り始める。

　それは、流星群の降り注ぐ夜に、島クジラの背にある陸地で開かれるハロウィンパーティー。
　常にひとり揺蕩っている島クジラも、その日ばかりは人々と共に夜を過ごすのだと言う。
　ゆったりと夜空を渡る彼の周囲をのんびりぐるりと巡り続けるのは、ハロウィンモチーフに形どられた雲のオブジェ。イルミネーションのように淡く灯るそれらは、宵闇を照らす明かり代わりだ。
　その内側――島クジラの背でもある球場ほどの広さの陸地もまた、ハロウィンの飾りや灯りで彩られ、中央に置かれた幾つものテーブルセットの卓上では、ハロウィンモチーフのちいさなキャンドルの灯が夜風に柔らかく揺れる。
　そして、その周囲を囲うのは、様々な料理や飲み物、お菓子を扱う幾つもの露店だ。

　食事としてなら、王道とも言える、ミニカボチャの中に挽肉を詰めて焼いた『南瓜の肉詰め』に、甘い甘い『南瓜のポタージュ』。
　ベーコンと緑の葉物野菜の入ったマッシュポテト『コルカノン』は、クリーミーで滑らかなポテトの中にシャキシャキとした野菜の食感が楽しめる逸品だし、様々なおかずをポテトを薄くひいて焼いた生地で包んだ『ボクスティ』は、まさに食事系のクレープだ。
　飲み物も、林檎ジュースや、｜林檎酒《シードル》、そしてそれを使ったハロウィン伝統のホットドリンク『ラムスール』。他にも、一般的なものは一通り揃っている。
　スイーツなら、ナツメグにシナモンなどのスパイス類とたっぷりのバターが入ったビスケット『ソウル・ケーキ』。
　オートミールと｜糖蜜《ゴールデンシロップ》、ジンジャーパウダー、牛乳の代わりにエールを入れた『ソウルマス・ケーキ』。
　中でも、ドライフルーツの甘味と仄かな紅茶の香りが楽しめるカップケーキ『バームブラック』は、中に魔法で保護されたちいさな銀製の品が入っていて、そのモチーフによって向こう１年を占えるという。
　指輪なら、『変わらぬ愛』。硬貨なら、『安寧と安らぎ』。
　王冠は『成功と勝利』を意味し、なにか目標や夢を実現させたい人には心強いだろう。
　そして鍵は、それ単体なら『魔除けと幸運』。対となる錠も出てきたのなら、互いに絶えることのない『永遠の絆』を表す。
　ぱくりと食べて、出てきたモチーフを見せ合うのも楽しそうだ。

「……パーティーの中盤からは……ちょっとした遊覧飛行も、できる」
　空飛ぶ乗り物に乗って、灯り雲と一緒に島クジラの周囲を巡る。
　それはまさに、ハロウィンの夜だけに現れる、空に浮かぶ巨大なメリーゴーランド。
　乗り物は主に３種類。いずれも、ハロウィン調に似合いの装飾がされた特別仕様だ。

　１つめは、それを"夜空のメリーゴーランド"と言わしめる『ペガサス』。
　２つめは、ゴンドラを思わせるミニガレオン。
　３つめのペガサスに引かれた馬車は、数種類。
　気心知れた仲間たちと賑やかに過ごせる、半箱型の屋根なし乗合馬車。
　結婚式などでよく見るクラシカルなデザインのものは、自動開閉できる幌つき。幌を畳めば流星群も楽しめよう。
　南瓜の馬車は２パターンあり、白い格子で南瓜の形を象った華やかなものと、窓付きオレンジ色の南瓜型。後者では流星群を窓越しに眺めることとなるが、乗りあった者たちだけのひとときを過ごせるだろう。
　ミニガレオンは自動運転、ペガサスは指定通りに飛行してくれるから、どれを選んでも操縦などは不要だと、暁が最後に添える。

「……折角の夜だ。想い出に残る時間になると、いいな」
　――じゃあ、行こうか。
　そう言ってちいさく微笑すると、彼の掌のグリモアが淡く光った。

第1章 冒険 『島クジラとの遭遇』

POW   :    取り敢えず喧嘩を売ってみる SPD   :    その背の島に降りてみる WIZ   :    クジラにコンタクトを取ってみる 👑7 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

●宵色ハロウィンパーティー
　どこか霧笛を思わせるような鯨の声が、夕暮れ空に響き渡った。
　今宵、ハロウィンパーティーの幕開けの合図だ。

　橙色の光に包まれた会場は、訪れた人々で賑わっていた。それだけ見ればハロウィンの慣れ親しんだ光景だが、目線の高さにある彩移り行く空が、雲でできたハロウィンのオブジェたちとともにゆっくりと後方へ流れてゆく幻想的な景色は、ここブルーアルカディアだけのものだろう。
「いちごさんとでーと♪　いちごさんとでーとっ♪」
　声も足取りも弾ませながら、幸せを顔いっぱいに滲ませている菫宮・理緒（バーチャルダイバー・f06437）に、並んで歩く彩波・いちご（ないしょの土地神様・f00301）もくすりと微笑を洩らした。
　久しぶりのふたりきりのデートとなれば、理緒のテンションが高くなるのも当然のことだった。それがいちごにも手に取るように分かるし、なによりも自分自身も楽しみにしていたのだ。笑顔が増えることはあっても、咎める理由などありはしない。
「理緒さん。色々美味しそうなものがありますけど、何か食べますか？」
「んー……そうだね。――あっ。あの『バームブラック』なんてどうかな？」
　理緒の指さした先には、カフェを思わせる可愛らしい店構えの露店があった。店先にある黒板を用いた看板に、愛らしいカップケーキのイラストがカラフルなチョークで描かれている。
「ハッピーハロウィン♪　ハッピーな１年になりますように！」
　小悪魔風の店員が笑顔で差し出した、オレンジと黒のストライプ柄のグラシンカップに入ったバームブラックを受け取ると、理緒はいちごの待つテーブルへと駆け足で戻ってくる。
「お待たせ、いちごさん」
「ありがとうございます。それが、バームブラック……ですか？」
「うん。見た目、チョコパウンドケーキみたいだよね」
　トレイに乗ったふたつのカップケーキの表面には、レーズンなどの何種かのドライフルーツの姿も見て取れた。興味深げに眺めたあと、ふたり見合って同時にぱくりと食べる。
「ん、ちょうどいい甘さに……これは、紅茶の味かな？」
「ですね。スパイスも効いてて美味しいです♪　――あ」
　食べ進めたところで、グミのような柔らかな食感に当たった。そのまま手の内に隠しながら出してみれば、銀色の何かを包んだちいさな風船のような膜がぱちんと弾け、ころりと銀が掌に毀れる。
「……っと、これは銀の……指輪？」
「え？　いちごさんも指環？」
　向かいで様子を見ていた理緒が、言いながら自分の手許へと視線を落とす。それは、いちごへと渡したいと願っていた、ぴったりの贈り物。
「なら、交換しましょう」
「交換！？」
　突然のことに、思わず理緒の声がひっくり返った。それを気に留めるでもなく、いちごが微笑む。
「はい。さぁ、理緒さん。指を出して」
「ええ！？」
（……いちごさん、占いの意味知ってるかなぁ？）
　そうでなくとも、指輪の交換と言えば自ずと"結婚"の二文字が浮かんでしまう。そわそわとしながらも、理緒は――実は占いの意味は知らぬままの――いちごへと、そっと指を差し出した。
　指を包むひんやりとした感触が、それが夢ではないことを教えてくれる。
「そういえば、ハロウィンなのにコスしてませんでしたね」
「どうしようかなーって、考えてはいたんだけど……」
　それまで以上に幸せ心地のまま理緒が返せば、
「……この後ウェディング馬車なんてものがありますし……いっそウェディングドレス着ましょうか？」
「ええっ！？」
　向かい合って座るいちごが瞳を細めてはっきりと言うものだから、再び理緒の声がひっくり返った。
（ウェディングドレスって……。そんなの着ちゃったら、勘違いしたくなっちゃうよ！？）
　だからと言って、この貴重な提案を断るなんて、それこそありえない。というよりも、断るもなにも、はわーっとふわふわしていたら、いつの間にかいちごに連れられて着付けまで終わっていた。
　真っ白なドレスとヴェールを、いま自らが纏っていることが夢のよう。
「い、いちごさん……？　わたしは、終わりましたけど……って、いちごさんもウェディングドレスだー！？」
「女装男子として、一度は着てみたいですしね」
　理緒さんのテンションがまたおかしくなってますね、なんてくすりと笑いながら、「お揃いのコスということで！」といちごが添える。
「理緒さんも、よく似合ってて綺麗ですよ」
「はわっ……！　そっ、そう……？？」
「はい」
　突然のことに戸惑いながらも、それ以上にこみ上げる嬉しさのままはにかむと、理緒はいちごの腕へと自分のそれを絡めた。
　新郎新婦――とは、またすこし違うけれど。
（でも、それもいいかな）
　だって、隣には変わらずいちごがいて、愉しそうに微笑んでくれているのだから。
「じゃあ、のんびり楽しみましょうか」
「うん♪」
　ふたり寄り添って、笑顔を重ねて。
　柔らかに吹いた夜風が、宵闇に二連の白いヴェールをふわりと靡かせた。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

　茜から紫へ、空の色が静かに移り変わっていけば、ハロウィンモチーフの雲のオブジェの灯りもまた、一層ぬくもりを帯びながらふわりと踊る。
　それがまるでダンスのようだったから、風に紛れて届く音楽に合わせて、陽向・理玖（夏疾風・f22773）もまた、泉宮・瑠碧（月白・f04280）へと恭しくそっと手を差し出した。
「行こうか。――俺の……俺だけの、可愛い蝙蝠さん」
「……はい。吸血鬼様」
　掌を重ねながら、自然と綻ぶ口許。
　今宵の理玖は黒の正装とマントに身を包んだ吸血鬼で、黒と紺のドレスに身を包んだ瑠碧はその使い魔だ。理玖の白のジャボタイを飾るブローチと、瑠碧の紺の薔薇とリボンが愛らしい髪飾りには、それぞれ揃いの蝙蝠羽根。互いが互いの、唯一だという証。
　どちらからともなく、溢れるほどのあたたかな光に包まれた露店へと視線を移す。その向こうに薄く透いた雲が棚引く広大な夜空がなければ、それは普通の街となんら変わりのない風景だ。
「ここがクジラの背なんて不思議だなぁ」
　確かに乗れるなら乗ってみたかったけど、と添える理玖を見上げながら、瑠碧もこくりと頷く。
「そうですね……乗っていても転びませんし」
　一箇所に留まっていないことは、ゆっくりと変化する空の様子を見ていれば分かる。だからこそ余計に、鯨の背に乗っているということが不思議に思えてならない。
「多分……皆を受け入れてくれてるからでしょうか」
　ぽつりと零れた声に、成程、と理玖が鯨の頭のほうを見遣った。それに倣って、瑠碧もまた同じ方角を見る。その表情を見ることはできないけれど、時折響く穏やかな霧笛のような鳴き声はどこか嬉しそうだ。
「……今日はクジラも一人じゃ無いのも、良いですね」
　変わらぬ優しさに、理玖の裡に愛しさが灯る。そう――きっと、共に一夜を愉しむ仲間だからこそ、鯨も皆を受け入れたのだろう。

「わ、南瓜以外にも沢山……」
　ふたり並び歩きながら、あちらこちらの露店を眺める。
　"Trick or Treat"というフレーズにちなんで菓子がメインの祭も多いが、ここでは素朴な料理が多いようだ。野菜をふんだんに用いているのも、ハロウィンというと南瓜のイメージがあるからだろうか。なんにせよ、瑠碧の口に合いそうなのも多そうだと、理玖が嬉しそうに笑う。
「色々あるけど、何食う？」
「私は……林檎ジュースと、ソウル・ケーキにしてみます」
　ソウル・ケーキ――ビスケットは分けっこしましょうね、と眸を細める瑠碧に笑顔で頷きながら、理玖も視線を巡らせる。
「俺、あの……クレープっぽい奴？　あれ食ってみてぇな。何か、肉類乗せたらボリュームありそうだし」
「ふふ。お肉好きの理玖らしいです」
「ブルーアルカディアなら、やっぱ魔獣の肉とかさ。……まぁ、普通の肉でもいいけど」
「よっ！　お兄さん、食ってくかい？」
　そう言って声をかけてきたボクスティ屋の店主は、興味津々のふたりを前に、ざっと具材を説明する。
「肉類だと、ベーコン、塩漬け、煮込み……か。この肉って、魔獣の肉？」
「おうよ！　今朝の獲れたてほやほやのヤツさ。どれもジューシーで美味いよ！」
「マジか！　それなら――」
　声を弾ませながら具材を選ぶ、その横顔を見つめているだけでこんなにも胸があたたかい。

　露店からすこし離れただけで穏やかになった賑わいの中、瑠碧が空いているテーブル席へと腰を下ろすと、傍らにいた理玖が卓上にあったキャンドルを端へと避けた。
「……ありがとうございます」
　互いの顔を見られる対面も良いが、折角の夜ならば、今宵座るのはぬくもりも伝わる隣の席。愛らしい黒猫の尾先の灯がゆらりと揺れて、ふたりの笑顔を柔らかに包む。
「じゃ、乾杯しようぜ」
　灯りを映して煌めく理玖の眸が優しく緩むから、瑠碧もふわりと微笑みそっと杯を合わせた。そのまま口へと運んだ林檎ジュースが、淡い甘みを伴って喉をを潤してゆく。
　薄いポテトの皮でクレープ状に包まれたボクスティを一口食めば、ジューシーな肉と素朴な野菜の風味が口いっぱいに広がった。
「――んっ、美味いなコレ。瑠碧もほら」
　そう言って差し出せば、瑠碧もあーんとちいさく食んだ。ゆっくりと食べ終えて、美味しい、と毀れた声に、理玖もつられて頬が緩む。
「理玖も、ビスケット……どうぞ」
「ん。あーん」
　バターとスパイスで満足感が凄いですよ、と向けられた１枚を、そのままぱくり。
「――ほんとだ、ビスケット旨」
　豊かなバターの風味のなかに、ピリリとしたスパイスのアクセント。ついつい、もう１枚、と後を引く味に、ふたり並んで舌鼓を打つ。
　そうして最後に残ったのは、運試しにと買ったふたつのカップケーキ。
　さて、なにが出るのか――それは、もうすこし先のお楽しみ。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

「シリル」
　愛おしい妻の名をそっと呼べば、残照が音もなく夜の紫紺へと溶けてゆく空を眺めていたシリルーン・アーンスランド（最強笑顔の護り風・f35374）が、夫たる凶月・陸井（我護る故に我在り・f35296）へと振り向いた。宵の名残のような紫の双眸が、柔く緩む。
　揃いの和装と、ふかふかの柔らかな猫耳のカチューシャ。ここが銀の雨降る世界であればちょっとした仮装だけれど、蒼穹の理想郷であるこの鯨の背の大地ならば、珍しくも雅な姿に映ろう。
　訪れる露天の先々で姿を褒められれば、店先から離れたタイミングで陸井が歩調を緩めた。すこしだけ身を屈めて、俺の方はちょっと恥ずかしいけど、と苦笑を滲ませながら、「可愛いよ、シリル」と穏やかな声音をシリルーンの耳許に零せば、シリルーンもまた幸せそうに眦を緩めた。
　長く連れ添っているからこそ、今宵のデートの誘いをもらえたときは歓びで心が飛び跳ねた。その胸の高鳴りは、じんわりと裡に広がる幸せは今もまだ続いている。
　その想いが絶えぬ微笑みとなってシリルーンの愛らしさを彩っているから、無事に誘えて良かったと陸井も裡で安堵する。
　今年のハロウィンは色々と楽しめたけれど、やはりふたりきりでの逢瀬は本当に特別で無二のもの。だからこそ、このひとときを、気張らずゆっくりと愉しみたい。
「――あ。あのお店のようですわ」
「ああ、あれか。行ってみよう」
　ハロウィンカラーのストライプの屋根に、『バームブラック』と掲げた露店を見留めると、ふたり並んで店先を眺め見た。カフェを思わせる可愛らしい店頭には、薄チョコレート色のふんわりとしたカップケーキが、屋根と同じ柄のグラシンカップに包まれて並んでいる。
「シリルが言ってたのはこれか」
「ええ。陸井さま、どれをお選びあそばされますか？」
「そうだな……」
　零しながらちらりと隣を見れば、真剣な眼差しでカップを選ぶシリルーンの様子に、つい笑みが毀れてしまう。中に入っている銀製の品で行く末を占えるのだと語った、あのときの娘の顔が脳裏を過ぎって、もうひとつ陸井は笑みを重ねる。
「じゃあ、俺はこれで」
「これを……いえこちらを」
「ありがとうございまーす！　ハッピーハロウィン♪　素敵な１年になりますように！」
　ころんとしたお化け型のトレイに乗ったふたつのカップケーキを受け取りながら、「一緒のが出ると良いな」と添えた陸井に、シリルーンも密やかにそわりと胸を躍らせながら頷いた。
　――どうか、一緒のものを。
　そう念じながら選んだひとつを祈るように見つめながら、陸井とともに喧噪から離れたテーブル席へと腰を下ろした。どこか愛嬌のある顔でにっこりと笑うジャック・オー・ランタン型のキャンドルが、柔らかにふたりの手許を照らす。
　どちらからともなく視線を移して、交わらせて。頷きながら一口含めば、優しい甘さと紅茶の風味、そしてほんの少しのスパイスの利いた味がふわりと広がった。
　ふんだんに入ったドライフルーツの食感を愉しみ食べ進めると、グミを思わせる柔らかな食感に出逢う。割らないように気をつけながら出してみれば、銀色を抱いた風船のような魔法の膜が軽やかに弾けて、掌に中身が毀れた。
「陸井さま！　指輪ですわ」
「俺も指輪だったよ、シリル」
　願って止まなかった、揃いの品。
　互いの掌の裡でキャンドルの灯に燦めく銀環を見つめていたシリルーンの頬が、忽ち綻ぶ。共にこうして過ごせるだけでも幸せなのに、あたたかな歓びが裡から止め処なく溢れて止まない。
　シリル、と愛しい人の声が名を紡ぐ。
　伸ばされた指が、静かに指輪へと触れた。そのまま誘うように差し出された掌へと、シリルーンも自分のそれをそっと重ねる。
　陸井の視線がシリルーンの指先へと落ち、大切にそっと指輪を通す。
「これからもずっと、一緒だからな」
　微笑みとともに、夜風に溶けるように毀れた静かな声。はい、と答えながら、シリルーンも頷きを返した。
「……わたくしも、陸井さまと……」
　あなたと――永遠の約束を。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

　夜空を駆ける幾つもの星々を映した猫目の大きな双眸がひとつ、瞬いた。
　ふわりとそっと降り立った、空を往く島クジラの広大な背。一度乗ってみたいと思っていたそこは、浮遊しているとは思えぬほど平らかだった。
　柔らかな風が頬を撫で、クーナ・セラフィン（雪華の騎士猫・f10280）の口許も柔く弧を描いた。
　今宵ばかりは、騎士猫ではなく雪の女王。眸と同じ藍色を帯びた白銀のドレスとマント、そして氷の王冠。涼やかな印象の中、落ち着いた緋色の薔薇飾りが、凜々しく立った耳許を華やかに彩っている。
「いい風、いい夜空……」
　視界の端、目線の高さを穏やかに横切ってゆく薄い雲。それに戯れるように浮かびながら、鯨の周囲を巡っている雲の灯りのオブジェたち。
　どんなものが現れても不思議ではないくらい、どこまでも神秘的な場所。そこに訪れたのなら、朱に染まるのが作法というもの。
　何よりも今日は、色々と楽しみに来たのだ。ずっとここで佇む理由はない。心のままに弾みそうな足取りは抑えて、雪の女王然と優雅に、あたたかな灯りを纏った露店群へと足を向ける。
　どの店も賑やかで、なにより店主の顔が晴れやかだ。
（随分大変な戦いだったけど、それが無事終わって最初のお祭りだからかな）
　祭りができるのも、平和だからこそ。それを実感できるからこそ、大戦の終結に改めて想いを馳せ――そんなクーナの鼻孔を、クリーミーな匂いがくすぐった。
「む、この南瓜の香りは……ポタージュ」
　見れば、すぐそばの店先で、大鍋にたっぷりと艶やかなオレンジ色が揺蕩っていた。ほんのりと浮かぶ湯気がふわりと漂い、美味しそうな香りが再びクーナを誘う。
（雪の女王的にどうかなーと思うけど……）
　秋とは言え、もう夜だ。微かに涼を孕んだ空気のなか、このぬくもりに惹かれてしまうのはやむなしだろう。
「すみません。南瓜のポタージュを１つ」
「ありがとうございまーす♪　熱いのでお気をつけて！　ハッピーハロウィン！」
　猫耳と猫尻尾をつけた店員からトレイを受け取ると、南瓜の甘い甘い香りが忽ち女王を魅了した。どうにか誘惑に堪えながらラムスールも買って、近くのテーブル席に着く。家の形をしたキャンドルホルダーの内で、柔らかな灯が愉しげに揺れている。
「ではでは、いただきますにゃー」
　ゴーストの描かれたボトルに入ったラムスールを傾ければ、あたたかな｜林檎酒《シードル》の中に、ナツメグと生姜のアクセントが躍り、忽ち身体が温まった。
　続けて、夜空に湯気を描く南瓜のポタージュも、一匙掬って口へと運ぶ。別段特別な材料も調理法もない、けれどだからこそ素材の旨味が直接感じられる、素朴ながらも蕩ける甘さが、口を幸せで満たしてくれる。
　ご機嫌なままに、ふと視線を上げれば、遙か彼方まで続く夜空と流星。それを背景にゆっくりと島を巡る雲のオブジェは、どこか愉しげだ。
「ん、とっても美味しくていい気分」
　ふふ、と自然と笑みが毀れる。後のスイーツはどう愉しもうか、なんて。まだまだ続く素敵なひとときを想い描きながら、女王は静かに眸を閉じた。

大成功 🔵​🔵​🔵​

　ひらりと淡い光が溢れ、花のグリモアが起動した。
　転移は一瞬。
　再び足が着いたそこは、紛れもなく空の上だった。

　木々も山も海もない。緩やかに弧を描く広大な丘の先、地平線の向こうには茫洋たる夜の空があった。無数の星を抱くそれが、良く見れば静かにゆっくりと移り変わっていることで、漸くこの大地が動いているのだと知る。
「……本当に、ここは鯨の背なんだな……」
　降り立った瞬間のときめきと驚きは多少収まったものの、御簾森・藍夜（雨の濫觴・f35359）は改めて辺りを見渡した。ブルーアルカディアという世界ならば十分有り得ることだとは分かっていても、凄い、という一言しか出てこない。
「――あ。写真……！」
　写真の一枚もとは思ってカメラは持ってきていた。が、想像以上に広い鯨の背では、覗いたファインダー越しに見える風景は地上のそれと変わりがなく、藍夜は静かに肩を落とした。飛翔や浮遊ができればまた違ったのだろうが、何故自分は普通の人間なのか、とやり場のない悔しさを滲ませる。
　それでも、此処は普通の場所ではない。島鯨の背の上という、それだけで特別な場所。
「ふふ……何は無くとも楽しいな」
　浮き足立つ気持ちのまま、周囲を巡る雲のオブジェの灯りに誘われて視線を移せば、賑やかな声とオレンジ色の灯りを纏った露店群が見えた。

　――藍夜……頼んだからな？　俺の分も買っといてくれよ？　絶対だぞ！？
　――分かった、分かった。大丈夫だから、心音。そう心配するな。後で一緒に食べような？
　――食べる。……いっぱい、食べる。

　ふと出先のやり取りが脳裏を過ぎり、藍夜の口許もちいさく綻んだ。「俺が着くころには、露店の売りもんがなくなっちまってるんじゃねぇか」と悲壮感を顕にして耳と尻尾をしょんぼりと垂れ下げていた姿は、本人には悪いけれどやはり可愛いと思ってしまう。
「さて、心音のために、適当に何か見繕っておくか」
　参加者全員を送り届けるだけでも、相応に忙しいはずだ。その彼から頼まれたということもあるが、なによりも自分が心音の喜ぶ顔を見たかった。具体的な品までは言っていなかったが、言われずとも彼の好みなら把握済み。何も案ずることはない。
　まずは見てから選ぼうか、と藍夜は端から露店を見始める。心音から話は聞いていたが、なかなか結構、面白い品揃えだ。
「なるほど、季節の王道で南瓜に……芋か。いいな」
　どちらも心音の好きなもの。特に甘い南瓜は大好きなはずだ。芋も、以前じゃがバターが好きだと言っていた。調理法は違うが、その見た目から予想しうる具材から想像できる味は、きっと好みのものだろう。
　そうだ。折角なら、食べ物は家で作るとちょっと手がかかるやつにしよう。そう想いながら、買う物を脳裏で絞り込む。
「お決まりですかー？」
「んー……ボクスティ、コルカノンを１つずつ」
「かしこまりましたー！　少々お待ちくださーい」
　ガレオノイドの仮装をした店員が手際良く準備を進める傍ら、藍夜は他の露店も見遣った。
（酒――……は、俺だけで楽しむとつまらんから、林檎ジュースを２つ買うとして……）

　――あーもー！　俺も酒飲みてぇ！

　そういや以前、家で酒の話が出たときにテーブルに突っ伏してしょげていたな、とまた愛しい記憶が蘇る。心音と出逢ってからは、こうしてふと何気なく思い浮かぶ風景にはいつも彼の姿があって、そういうときはいつも自然と眦と頬が緩んでいるのだ。
「お待たせいたしましたー♪　良いハロウィンを！」
　店員から受け取ったトレイには、１つずつとはいえ結構なボリュームの品があった。それでも、足りるだろうか、なんて一瞬過ぎったけれど、足りなければまた買えばいいし、買えなければ後で満足ゆくまで作ってやろう。特に、先程見たソウル・ケーキは、エールの代わりに飛ばしたアルコールを使えば家でも作れそうだ。
　林檎ジュースも買い、再び藍夜は露店を探す。目当ては勿論、甘い物が好きな心音のためのデザートだ。
「占い、ねぇ」
　バームブラックの露店の前に立ち、しばし逡巡する。
　あまり神の類は信じないが、いいじゃないか、と裡から声が囁く。運試しは好きなほうだし、折角心音もいるのだ。ふたりで一緒に、来年の今日までの運試しをするのも面白いだろう。どんなモチーフが出たか、見せ合うだけでも愉しそうだ。
　店頭に並ぶバームブラックのカップをじっくり眺めて、選んだ２つをトレイに載せてもらう。気づけば２つに増えたトレイは、どちらも結構な品数で埋まっていた。これだけあれば、心音もきっと喜ぶだろう。その様子を思い浮かべただけで、まぁいっか、と笑みさえ浮かんでくる。
　賑わいからすこし離れたテーブル席を確保すると、器用にトレイを降ろして、一息吐く。
「……さぁて、そろそろ来るころか？」
　結構ここは広いけれど、見つかるだろうか。そんな疑問も、すぐに消える。
　ここよりも広い世界でさえ、巡り会えたのだ。
　あの夜明け色の双眸は屹度、容易く俺を見つけて――俺もまた、同じくその愛おしい彩をすぐに見つけるのだろう。

大成功 🔵​🔵​🔵​

　島鯨の声がひとつ、夜空に響いた。
　心地良い低音は、まるで誰かを呼ぶ笛の音のよう。けれど淋しさではなくぬくもりを帯びたそれに耳を傾けながら、クジラの背中に乗れるなんて夢みたい、と瑞月・苺々子（苺の花詞・f29455）はほわりと笑う。
　確かになかなか出来ない体験だな、と返しながら、ノヴァ・フォルモント（月蝕・f32296）も眸を細めた。自身はいつもの――星や月をあしらった夜色の衣は、何もせずとも今宵に似合いの――恰好だったが、苺々子の愛らしい仮装に、自然ともうひとつ笑みを零す。
　チャイナ風の胸元に、ハイウェストのふんわりスカート。ツインテールの三つ編みにした白く柔らかな髪にも、歩くたびに踊る裾にも花をあしらったハロウィンカラーの服は、ママが着せてくれてたお洋服の色違いなのだと苺々子が言う。
「似合うかな？」
「よく似合っているよ、可愛い」
「ありがとう、ノヴァ！」
　満面に笑顔の花を咲かせながら、尻尾を揺らしながら。踊るような足取りで露店通りをゆく苺々子の、すぐ後ろを見守るようにノヴァが続く。
　ふわふわと浮きながら淡くあたたかな光を零すお化けや黒猫の雲のオブジェたちに、ハロウィンモチーフの連なる紐飾りや、三段重ねのジャック・オー・ランタン。広場に設けられたテーブル席のキャンドルも皆、どれも可愛らしくて胸をときめかせる。
「……ん、何か気になるものがあった？」
「風に乗ってね、色んな美味しそうな匂いがするの」
　真っ先に気づいたのは、南瓜の甘くまろやかな香り。次いで、焼き菓子の甘い香ばしさ。肉汁たっぷりの香りも食欲をそそる。
　後の遊覧飛行用にいくつか買っていこうか、とのノヴァの提案に、苺々子は眸を煌めかせながら大きく頷いた。生憎、お酒が入っているものは無理だが、それ以外にも食べ物飲み物はたくさんある。あれとこれと、と買いながら、ふと紅茶の香りが苺々子の鼻腔を擽った。
「あ！　もも、あれが食べたいかも！」
「ん？　どれ？」
　あれあれ、と指さすほうを見遣れば、カフェ風の愛らしい露店があった。ぱたぱたと駆ける苺々子に続いてノヴァも露店を覗くと、ポップなハロウィン模様のグラシンカップに入った薄チョコレート色のカップケーキが綺麗に並べられていた。近づけば尚、ふんわりと漂う紅茶の芳香が柔らかに胸を満たす。
「これね、ママがよく作ってくれたお菓子に似ているの」
「そうなんだ。――へぇ、中に入っている品で占いが出来るみたいだね」
「占い？　やってみたい！」
「面白そうなので試してみようか。じゃあ、これを２つ」
「お互い、良い結果が出ますように！」
「ありがとうございまーす！　どうぞ良いハロウィンを♪」
　妖精風の仮装姿の店員からバームブラックの乗ったトレイを受け取ると、不意に空いた方の手にぬくもりが触れて、ノヴァは静かに瞠目した。視線を落とした先で、はぐれないようにね、と笑う苺々子に引かれるまま、流星煌めく天蓋の下に設けられた白いガーデンテーブルの空きを探す。
「あのお席がいいね」
　一等席を見つけた苺々子が、そう言って早速腰かけた。その様子に眦を緩めながら、ノヴァも対面に座る。中央に置いたトレイの上のバームブラックを手に取れば、焼き立てなのだろう、まだふんわりと温かみがあった。
　どちらからともなくぱくりと頬張れば、途端に広がる、しっとりとしたドライフルーツの甘味と、ふんわりと鼻を抜ける紅茶の香り。
「ふふ、甘くって、紅茶のいい香りもする！」
「占いを抜きにしても普通に美味しいし、好きだな」
「そうだ！　占いの結果、間違って食べないようにしないと」
　あんまりにも美味しくて、そのまま全部食べ尽くしてしまいそうなそれをゆっくりと食べ進めた先、グミのような感触に触れてぴたりと止まる。皿へと戻すと、２つのバームブラックから魔法の膜がはじけて、ころりと銀が転がった。ふたり揃って、それをじっと覗き込む。
「……俺のは、小さな鍵みたいだ。苺々子の方はどうだい？」
「これは何かしら……錠？」
「おや、対の錠か」
　対の、と紡がれた言葉に、苺々子の耳がぴんと跳ねた。
「あ！　ノヴァが鍵なら、お揃いね」
「ふふ、合わせてひとつ。お揃いみたいだな」
　見合って、笑って。残る数口もゆっくりと味わえば、ふんわりとした幸せ心地が身体を包む。
　ふと見上げれば、夜空を彩り駆けてゆく数えきれぬほどの星々と、近いようで遙かなる月影。同じ景色は二度となくとも、代わらず空に在り続けるひかりたち。
「占いの結果は……永遠の絆か」
「永遠の絆？　ずっと仲良しってこと？」
　きょとんと瞬きながら首を傾げた子狼に、そうだね、とノヴァも柔らかに頷けば、忽ち苺々子が破顔する。
「えへへ。もも、大好きなお友達とずっと仲良しって嬉しいな」
　仲の良い友達と呼べる存在がこれほどたくさんできるなんて、以前なら思いもしなかった。そう過去形で語る娘の未来は、この夜を灯す彩のように、あたたかな優しさで満ちているのだろう。
「俺も。……苺々子とも、こうしてずっと仲良く居られたら俺も嬉しいな」
「それなら、これからも仲良しでいられますようにって、流れ星にもお願いしなきゃ！」
　そう言って、ちいさな指先が燦めく天蓋を指す。
「願い事……」
　倣って視線を移したその向こうでまた、一条の星光が流れて消えていく。そのひとつひとつは儚いけれど、溢れるように流れる光は当分止むことはなさそうだ。
「夜空の遊覧飛行で、流れ星も見られたら良いね」
　願おうとも、願わずとも。
　星は屹度、その燦めきを零してくれるだろうから。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

「ん～～！　やっぱ肉うめえ……！」
　賑やかな露店の灯りに包まれながら、鳴北・誉人（荒寥の刃・f02030）が口の中いっぱいに広がるジューシーな旨味に満面の笑顔を浮かべた。大きさは掌サイズのミニカボチャながらも、挽肉がたっぷりと詰められた肉詰めはやはり食べ応えがある。
「すごいっす！　肉なのにほんのり甘いっす！」
　躊躇いなく南瓜の器の中央にスプーンを差し入れた誉人に倣って、ざくりと大きな一口を掬って頬張った香神乃・饗（東風・f00169）もまた、ごくんと飲み込んで満足げに頷いた。
　忽ちふたりの手許で空になった南瓜の器。これならもうひとつくらい買っておけば良かったかもしれないが、まだまだ露店巡りは始まったばかり。ぐるりと回って足りないようなら、買い足せばいいと、ふたりは左右を眺め見ながらそぞろ歩く。

　黒と橙のストライプの露店屋根に飾られた、お化けや魔女のシルエットパネル。ハロウィンモチーフを連ねた紐飾りが露店と露店を結び、その店先を南瓜型の洋燈が柔らかに灯している。売られているものもそうだが、露店の装いもハロウィン一色で、眺めているだけでも胸が弾むというものだ。
　最大のお目当てだった肉詰めを速攻制覇した誉人が、次に狙うのは勿論、具だくさんのポテトクレープ『ボクスティ』。可愛らしい看板を見つけて店先を訪れれば、ちょうどクレープ地を焼いていた魔女の仮装姿の店員が、いらっしゃいませ！　と快活に声をかける。
「右側の具材から好きなの２、３選んで貰えれば、すぐお包みしますよ♪」
「厚切りベーコンに、ツナに……手前にあるのは、牛肉？」
「そちらは魔獣の肉ですね！　牛と似たような味ですが、もっと深みがありますよー」
「……誉人、今気になったっすね？」
「そりゃあ……肉だし？」
　あれやこれやと悩んだ末、ふたりで選んだ具材の詰まった一品を受け取ると、店を後にしながら誉人は早速一口ぱくり。
「ん、……あ、これコロッケの中身に近えんだな。肉のほうが多いコロッケ。――ほら、饗も」
　面白え、とけたけた笑いながら、ボクスティの包みを傍らへ。
「ん！　おいしいっす！　肉！！　っす！　正義っす！」
「な、うめえ！」
　のんびりとした足取りで露店を巡り、その先々でひとつ買ってはふたりで分け合う。
　同じ場所で、同じ味に舌鼓を打ちながら交わす笑顔は尽きることなく、幾つもの笑み声が重なっては夜風に溶けていく。
「あ、誉人！　南瓜のスープがあるっすよ！」
「お。んー……さすがにスープは座って飲みてえな」
「じゃあ、スープは持ち帰るっすか？　家なら座ってのんびり飲めるっす」
　きょとりと首を傾げる饗に、「ああ。家で食ってもきっとうめえ」と頷いた誉人を見留めると、饗は「ちょっと待ってるっす！」と言って――言葉の通り、すぐに戻ってきた。手に持った紙袋の中から、ふわりと南瓜の柔らかな甘さが漂ってくる。
　それからも、野菜たっぷりとベーコンの入ったマッシュポテト『コルカノン』や、味違いのボクスティ、十字の模様が入ったソウル・ケーキやソウルマス・ケーキといった焼き菓子まで。気の向くままに食べ歩いていれば、持ち帰り用にと包んでもらった荷物で饗の両手がいつの間にか埋まっていた。
「貸して。半分持つ」
「誉人は食べるのに忙しいんっすから、両手使って食べるっす！」
　それにこんなこともあろうかと風呂敷を持ってきてたっす！　とからりと笑って詰め始める饗に、誉人も苦笑しながら差し出した手を引っ込めた。
　いつもこうだ。愉しいも大変も等分にしたいのに、ほんのすこし多く、持って行かれてしまう。
「これだけあれば、暫く料理しなくて済みそうっす！」
「これくらいなら、すぐなくなっちゃうよォ。俺、めっちゃ食っちまうもん」
「そうっすか？　それならそれで、美味しいうちに食べきれるなら安心っす！」
　じゃあもっと追加したほうがいいっすね、なんて。饗が結構真剣に言うものだから、誉人もまた口許をゆるりと緩めた。

　柔らかに頬を撫でた夜風は微かに冬の気配を孕んでいたけれど、スパイスの利いた料理で温まった身体には寧ろそれが心地良い。
　お腹も満たされたのなら、と買った｜林檎酒《シードル》は、程よい甘さが飲みやすくて、気づけば嵩の減りも早くなる。
「誉人、呑みすぎ注意っす！」
「酔っ払うまで飲まねえよォ」
　心配そうに顔を窺う饗に、ほろ酔い気分のまま誉人がへらりと笑う。言ってもここでは嗜む程度。羽目を外して醜態を晒すようなへまはしない。
「ほら、饗も」
「あ、なら、俺も一口欲しいっす！」
　あんまり誉人が美味しそうに飲むものだから、ほんの少し興味が湧いた。口当たりの柔らかな｜林檎酒《シードル》がゆっくりと喉を下ってゆけば、忽ち饗の顔が赤くなり、口許を緩く綻ばせる。
「なんか、ふわふわするっす」
　そう言った自分の言葉も、酔いが覚めたころに覚えているかも分からない。そのくらいふんわりと浮かんだ思考も気持ちも何故か愉しくて、一層笑みを深めた饗に、誉人もまた柔く微笑み視線を返した。
　饗の酒の弱さは周知のこと。だから、無理強いはしない。酒はほろ酔い、花は蕾。そんな塩梅が丁度良いものだ。
「誉人、誉人！　一緒に写真撮――」
「って、背中の荷物、荷物！　落としかけてンぞ？」
「！　っととと……へへへ危なかったっす！」
　酔ってはいても、流石というべきか。スマホを持ちながら落とさぬように荷物を背負い直した饗は、けらけらと声を立てて笑った。
「お祭りの空気に酔ってるだけっす」
「潰れるまで飲むンなら、家で飲み直そうよォ」
　言って、誉人もくつくつと洩らす。ここで潰れるのは勿体ない。まだまだ祭りは続くし、遊び足りないのだから。

　ふわふわと浮き足立つ心地のままに見上げれば、微睡む視界いっぱいに駆けゆく流星群。そのまま視線を落とした先、南瓜洋燈の灯りに包まれたバームブラックの看板が目に留まる。
「なあ饗。カップケーキ食おう。オマケがついてンだってさ」
「いいっすね。俺も食べるっす！」
　ふたりで笑顔を交わすと、その勢いで店先へと赴いた。長考なんてせずに決めた２つのカップを手に再び星空の下へと戻ると、もう待ちきれなかったのか、大きく口を開けた饗がぱくりと頬張った。
「――ん」
「饗、中に入ってンの、忘れてただろ？」
「なんで分かったっすか！？」
「顔に出てンだよォ」
　言いながら食べ進めれば、誉人もまた銀に当たった。そっと形を確認して、ふわりと口許を緩ませる。
「饗はどんなん入ってた？」
　どんなものが出ても気にはしない。饗とふたり、会話の種になればいい。いつかまた、ああそんなこともあったな、なんて笑い合えればいい。
　そうして見せ合った銀細工に、互いが瞳を丸くした。その形が意味する言葉を、未だふわふわとする頭にぼんやりと浮かべる。
「誉人、俺のもあげるっす！」
　お守りは幾つあっても良いものっす！　と差し出された掌で、丁寧に拭かれた銀色が祭りの灯りを纏って淡く燦めいた。
「おまもりかァ。持ち歩くのもいいな。ジャマにならんだろうし」
「いつでも一緒っす！」
　にかっと笑う饗に微笑みながら、誉人は掌のふたつの銀を握った。そのまま懐のポケットへと一緒に押し込まれたのを眺めながら、饗もゆるりと相好を崩すと、どちらからともなく残りのバームブラックを一口食んだ。
　口の中で優しく広がる紅茶の味と香りに浸りながら、ふたり。お腹も心も満たされてゆく。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

「ふふっ、島クジラさんに乗れるなんて、嬉しいの」
　ひよこさんを肩に乗せ、ちいさな王冠を被るジャック・オー・ランタンを頂に乗せた杖を掲げた魔女姿のメノン・メルヴォルド（wander and wander・f12134）が、くるりくるりと軽やかに回る。
　花飾りで彩られた三角帽子と膝丈ドレス。ふんわり南瓜パンツにロングブーツ。どれも淡い宵色とオレンジのハロウィンカラーに染まって、リボンが愛らしさを一層引き立てている。
「イサリビさん。ワタシの我儘に付き合ってくれて、ありがとうなのよ」
　どうしても、この場所に来たかったから。そう続けながら眸を細めたメノンに、狼男の仮装をしたイサリビ・ホムラ（燻る漁火・f34679）も、その長身をすこし屈めながらあっはっは、と軽やかに笑う。
「そんなに喜んでもらえたなら、御供冥利につきますわぁ」
　そう言ったイサリビの気持ちを顕したかのように、不意に吹いた夜風が狼の尾をぱたぱたと揺らす。
「そんなら、自分の我儘も聞いてもらっちゃいましょか」
「どんな我儘？　ぜひ聞かせて？」
　メノンがきょとりと首を傾げれば、柔く編んだふたつの三つ編みもふわりと揺れる。そんな姿にもひとつ笑みを深めると、芝居がかったお道化た仕草で、「可愛らしい魔女さん」とイサリビがそっと手を差し出した。
「1年に1度の夢と現が交差する日、満天の星空に抱かれたパーティーをご一緒してくれますか？」
「まあ！　喜んで！　狼男さんにも魔法をかけちゃうのよ」
　だって、今日はハロウィンの祭。
　あの世とこの世が交わる、特別な夜。
　流星群が渡る空の下、メノンが魔法の杖をくるりと一振りすれば、フオオオオオン……と島鯨も低く優しい笛の音のような声で鳴いた。

　ゆっくりと後方へ流れてゆく、雲のオブジェの灯りと煌めく夜空。
　管弦楽器が紡ぐ、異国情緒あふれる祭の音色。
　踊る心のままに軽やかなステップを踏むメノンに並びながら、イサリビはその珍しさに四方へと視線を巡らせた。文字や音からは完成形が想像できぬ料理はまさに異国の品々で、それだけで胸が高鳴ってしまう。
「イサリビさんは、何が欲しい？」
「なんや珍しいお料理ばっかりで迷ってまいますけど……そしたら自分は、コルカノンとボクスティを少しずつ」
「ん、ワタシは南瓜の肉詰めを少しいただきたい、な」
「ほなら、順に買いに行きましょか」
　よく見れば、どうやら同じ料理でも多少の味を変えて、様々な店が提供しているらしい。ならば、とあちらこちらの露店をふたりで巡り、念入りに選んだ一等気に入ったものを、ハロウィン模様の可愛らしいトレイに乗せてゆく。
「はい、イサリビさんの分よ」
「ふふ、ありがとうメノンさん」
　甘く柔らかな香りに惹かれて、南瓜のポタージュも。さっぱりとしたお野菜も必要よね、と南瓜のソースのかかったサラダも。
　そうして気づけばトレイ狭しと並んだ品々を前に、テーブル席へと腰を下ろしたメノンがくすくすと笑みを零す。
「少し、欲張りすぎちゃった、かしら……」
「それ言うんなら、自分もですわ」
　対面に座ったイサリビも、一息吐きながら口端を緩める。どれも美味しそうなうえに、祭りの夜だ。つい手を伸ばしてしまうのも仕方がない。
　ほんのすこし涼を孕んだ夜風が、ひとつ吹く。黒猫のオブジェが覗き込む硝子の器のなか、柔らかに揺らめくキャンドルは夕食の始まりを告げるようで、メノンがこっそり微笑した。
　他愛もない会話を交わしながら、気になるものから匙を入れる。
「んっ。このボクスティての、たっぷりのお肉とチーズでえらい美味しいわぁ。――メノンさんもはい、どうぞ」
「えっ？　いただいて良いの？」
「勿論。二人で分け合って食べれば、美味しさも二倍。お皿もすぐに空になってまいますやろ」
　言って、丁寧に切り分けられたそれを、メノンの皿へと乗せる。勧められるがままに口へと運べば、ジューシーな肉の旨味とまろやかなチーズ、そして後を引くちょっぴりのスパイスがたまらない。
「そっちの……林檎酒は、甘い？」
　合間合間にイサリビが喉を潤すグラスが気になって、メノンがちいさく問いかける。舐めてみたい、と思う気持ちを、ちょっとだけ滲ませて。
「ふふ、気になるんなら二人だけの秘密ゆーことで」
「え、いいの？」
　躊躇う様子もなく手許の瓶を傾け、空のグラスへと心地良い音を立てながら注ぐイサリビ。灯りを映した硝子の内で煌めく、ほんのりと色づいた透明なそれを眺めると、メノンはそっと一口飲んだ。
「……ん、これ……林檎ジュース？？」
「はは、ハロウィンのちょっとしたTrickです」
　からりと笑うイサリビに、釣られて笑み声が漏れる。お酒の味は気にはなるけれど、今は合わせてくれたその気持ちがあたたかい。
　あんなにあった料理も、ゆっくりと過ごすひとときのなかでひとつ、またひとつと減ってゆき――最後に残ったバームブラックを前に、ふたりはなんとはなしに居住まいをただした。特にメノンにとっては、今宵一番の楽しみだったのだ。
「モチーフの占いができるらしいの」
「二つの楽しみ方があるなんて、面白いケーキですなぁ」
　親しい人と共に食事をするだけでも楽しいのに、更に占いまで楽しめるとは。どこか感心めいた口調で頷くイサリビに、メノンもくすりと微笑み首肯する。
　じゃあ、と視線を合わせて、一口ぱくり。途端に広がった優しい甘さに、ついつい頬が緩んでしまう。
　後から来るのは、ドライフルーツに染む紅茶の風味。シフォンケーキのようにふんわりとした食感は、あんなに食べた後だというのに食を進め、そう時間のかからぬうちに銀へと辿り着く。
　魔法膜に包まれたふたつのそれを、まずは自身の掌の裡で確認すると、
「……一緒に、見てみる？」
「ふふ、そんなら見せ合ってみましょか」
「うん」
　わくわくとどきどきに胸を高鳴らせるメノンの視線の先、
　いっせーの――、せ。
　イサリビの声にあわせて開いた互いの掌には、星光を纏った銀貨の煌めきがあった。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

第2章 日常 『星空の海』

POW   :    流れ星を探す SPD   :    流れ星を探す WIZ   :    流れ星を探す 👑5 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

●星影メリーゴーランド
　霧笛のような幾度目かの島鯨の鳴き声が、穏やかに流れる管弦楽器のメロディに合わせて響いた。
　それが合図だったのだろう。待機場所で大人しくしていたペガサスたちが、ぱさりぱさりと羽を広げ、蹄を鳴らし始める。
　会場の一角に設けられたアーチの奥には、様々なハロウィンモチーフで飾られたたくさんの馬車が集っていた。ベガサスたちの牽くもの以外に、ゴンドラを思わせるミニガレオンもその出番を密やかに待っている。
「乗り物が沢山……」
「めっちゃ色々あるな」
　その華やかながら幻想的な光景に見入る泉宮・瑠碧（月白・f04280）の隣で、陽向・理玖（夏疾風・f22773）も視線を巡らせた。
　ガレオンも格好良いが、瑠碧と共にカップケーキを食べるのなら馬車だろう、と数種ある中から選んだのは、幌のついた純白のウェディング馬車だった。その傍らに立ち、吸血鬼のマントを翻しながら、理玖が恭しく瑠碧へと掌を差し出す。
「可愛い俺の蝙蝠さん、お手をどうぞ」
「……はい」
　ふわりと頬を桜色に染めながら、瑠碧もそっと掌を重ねて座席へと腰を下ろした。いつもより高くなった視線と視界が珍しくてぐるりと見渡した後、正面の艶やかな白い翼で視線が止まる。
「今日はよろしく」
　そう言いながら続けて乗り込んだ理玖に倣ってそっと撫でれば、ふたりに応えるようにゆっくりと翼が広がった。途端ふわりと感じた浮遊感に、瑠碧が傍らの理玖の腕へとそっと掴まると、理玖もまたそれにぬくもりを重ねて柔らかに笑む。

　さっきまで歩いていた露店街の灯りが後ろへと流れ、宵闇に光の尾を描く。その光の五線譜のうえを灯りを抱いた雲のオブジェたちが楽しげに踊り、併泳する島鯨もゆるりと揺蕩いながら尾を揺らす。
「さっきまであのクジラにいたなんて、一寸吃驚だな」
「はい……でも嬉しそうですね、クジラも」
「そう見える？」
「ええ。灯り雲も良く見えますが、一緒に浮かぶ様は楽し気です」
　細めた眸を映して、往く先を見る。
　もうすこし馬車を走らせれば、その表情も見られるだろうか。けれど、そこまでせずとも、このあたたかな光と纏う空気が、島鯨の確かな歓びを伝えてくれる。
　あ、とちいさく零した瑠碧に気づき、その視線を追った理玖が口許を綻ばせた。
　そっと手許の幌を畳むボタンを押せば、天蓋を往く無数の流星群がふたりの双眸に映る。手を伸ばせば掴めそうなほどに近くて、星の雨の中みたいです、と瑠碧がちいさく囁いた。
「これって、普通に願い事とか出来るんかな？」
　こんなに星が降ってたら、何かしら叶いそうだな。そう微笑んだ理玖に、娘もふわりと微笑み頷きを返す。

「瑠碧。さっきのカップケーキ、そろそろ食いたい」
「あ、そうしましょうか」
　言いながら藤籠からバームブラックを取り出し、そのひとつを理玖へと手渡すと、
「――お。紅茶のいい匂いする」
「紅茶と……甘さは、ドライフルーツの香りもありそうですね」
　砂糖とはまた違った果実の柔らかな甘さに惹かれて、ふたり一緒にぱくりと一口。
「いただきます。――ん」
「んっ」
「おいひい……」
　柔らかな食感に続きふわりと広がったのは、しっとりとした生地を包む程よい甘みと、後を引くほんの少しのスパイス。
「紅茶とドライフルーツがいい感じ」
「そうですね。紅茶の香りもあって……」
「何となく――」
「フルーツティーみたいです」「フルーツティーっぽいような？」
　重なる言葉に、見合ってくすりと毀れた笑顔。
　そうして互いにひとつ頷くと、見つけてそっと掌に隠していた銀を、せーので見せ合う。
「おっ、指輪だ」
「……あ、私も指輪です」
　弾けて消えた魔法の残滓を纏って、夜に燦めくふたつの銀環。
　その意味する言葉を想い描きながら、理玖はひとつを取って夜空に翳し、環の向こうに流星を映し見た。
「まぁ、1年と言わずずっとだけど」
「……はい。この先も、ずっと」
　添い遂げます、と寄り添う瑠碧の肩を、理玖もまた抱き寄せる。

「ああ。この先も、だ」

　この流れゆく星が絶えぬように。銀が色褪せることのないように。
　この想いもまた――刻の果てまで。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

　――馬車の中で結婚式できるといいんだけど。
　さすがにそれは贅沢すぎかな？　と、菫宮・理緒（バーチャルダイバー・f06437）は内心で苦笑した。ふと優しく頬を撫でた夜風に、口許も淡く綻ぶ。
　天翔るペガサスに牽かれたウェディング馬車に乗って、ふたりきりの夜空デート。
　加えて、傍らで微笑む彩波・いちご（ないしょの土地神様・f00301）も自分もウェディングドレスに身を包んでいるのなら最早、結婚式と言っても過言ではないだろう。
「……それにしても、いちごさん似合うなぁ」
　そう何気なく零せば、ありがとうございます、といちごもはにかむ。
「今更ですけど、どちらかはタキシードでもよかったかもですね？」
「ああ……わたし、タキシードにすれば良かったかも？」
「理緒さんのタキシード姿、案外似合いそうです」
　胸が平坦だからという意味ではなくデスヨ、と呟いたのは心中だけのはずだったのに。「今なにか失礼なこと考えてなかった？」なんて鋭く言われるものだから、「そんなことないデスヨ」と笑って誤魔化す。
（それはともかく……理緒さん、ちょっと緊張しすぎでは？）
　肩が触れ合うほどに、近しい距離。
　流星群が空を往き、雲の灯りが夜に躍る。その中をゆっくりと走る馬車に揺られながらちらりと理緒を見れば、こんなにも綺麗な景色を見ずに、唯一点をずっと見つめている。
　きっと、"どんなお話ししようか"と、ぐるぐる考えあぐねているのだろう。そう容易く察することができるのも、これまで一緒に過ごした日々があるからこそ。
（何か声を掛けて――）
　そう思った瞬間、
「きゃっ……！」
　馬車が大きく揺れると同時、理緒のちいさな声が洩れた。咄嗟に出した両腕が、その華奢な身体を受け止める。
「……大丈夫……ですか？」
「えっ！？　う、うん……」
　頭上から毀れた声に見上げれば、すぐ傍にある青い双眸に思わず引き込まれてしまう。座面に触れていた指先をそっと離して、両腕をいちごの背へと柔く、柔くまわす。
　理緒としてはごく自然を装ったつもりのそれも、いちごにはお見通しで。
（これはちゃんと支えた方がいいですかね？）
　そう口許を緩めながら、理緒を抱きしめる腕に力を込めた。
「ひゃっ……！？」
「もっと強く抱きついていいですよ？　――このままずっと支えてないと、心配ですからね」
「ず、ずっと支えて……！？」
　抱きしめた彼女には、この幸せの滲む顔は見えないだろう。
　けれど、それはきっと伝わっているだろうし――彼女が今、どんな顔をしているかも、手に取るように分かる。
　まるで熟れた苺のように、愛らしく真っ赤に頬を染めた理緒のぬくもりに、いちごはそっと笑みを重ねた。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

　はじめは島鯨に寄り添うように、次いで周囲で踊る雲灯りと遊ぶように飛んでいた馬車は、凶月・陸井（我護る故に我在り・f35296）とシリルーン・アーンスランド（最強笑顔の護り風・f35374）を乗せて更に上へと舞い上がった。
　より深まる紺青の世界で、仄かに煌めくペガサスの白銀。乗り込む前、優しく首許を撫でながら挨拶をした陸井に倣い、「宜しくお願い致します」と角砂糖を口許へと運んだシリルーンへと嬉しそうに尾を振っていた彼が牽くのは、流麗な蔦模様で装飾された格子が象る、純白の南瓜の馬車だ。
　幾つかあったうちの中からデザインの気に入ったものを選ぶと、陸井が足許を気遣いながら恭しく手を差し出して、
　――お先にどうぞ、俺の愛しいお姫様。
　そう言った柔らかな声と眼差しと、そして指に燦めく銀色が、シリルーンのこころを捉えて離さない。
「シリル？」
「……っ、陸井さま……」
　名を呼ばれ、反射的に顔を自身へと向けた妻へ「どうかした？」と尋ねはしたけれど、シリルーンがその指先に光る銀環に触れながら幸せに口許を綻ばせていたことに、陸井は密やかに気づいていた。
　ふたり共に居られることが何より嬉しいのだと。その想いが言葉にせずとも伝わってきて、妻への愛おしさが一層募る。
（一緒にペガサスに乗ろうかとも思ったけど、南瓜の馬車にして正解だったな）
　２人乗りは恥ずかしそうにしていた彼女を思い返しながら、いま隣で燦めく双眸で流星群を眺める横顔を見て、陸井は改めて安堵した。

　茫洋と果てもなく広がる夜空が、けれど不思議と穏やかに見えるのはきっと、視界に溢れんばかりの星々が、今もなお止め処なく降り注いでいるから。ひとつひとつの明かりはちいさいけれど、地上で見るよりは近しい場所で見るそのひかりは、確かな輝きを放って毀れてゆく。
　その星渡りに、音はない。耳に届くのはただ、柔らかに吹いて頬を撫でる夜風と、それに乗って空を駆る翼の羽ばたきだけだ。
「本当に、良いお時間でございますこと」
「……ああ、本当に」
　ふたりきりで、同じものを見て、同じように感じる。
　それはいつでもできる他愛のないことのようでいて、実はとても貴重な時間であることをシリルーンは知っていた。
　だからこそ、このひとときを眸に焼きつけ、胸に刻んでおきたい。そう思うのに、つい視線は傍らへと向いてしまい――同時に交わった視線に、さっと頬に朱が走る。
　――嗚呼。幾度も見ているはずなのに、その微笑みを間近にすると、今更ながら見入ってしまう。
　とても良い男ぶりなのもあるけれど、なによりは、彼が最愛のひとだから。愛おしく想う心が、星よりもその姿を眩く見せて、視線を奪う。
　そうして妻と同じ想いを抱く男もまた、その幸せに浸りながら。
　誰よりも大切なひとへと、柔らかにひとつ微笑みを零した。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

　ふと俄に賑わう空気を感じてそちらへと視線を移せば、会場の隅に作られた馬車乗り場に、いつのまにかペガサスと馬車の群れがあった。同じく気づいた人々が、乗り場へと集い始める。
「祭もそろそろ中盤かにゃー」
　独り言ちながらやおら立ち上がると、雪の女王――クーナ・セラフィン（雪華の騎士猫・f10280）もまた、極上のラムスールとスープで温まった心地よさに浸りながら歩き出す。

「あれ？　クーナさんだ！　クーナさ――ん！」
　よく知る声に振り向いた先には、女海賊の仮装姿で片手をぶんぶんと振る海藤・ミモザ（millefiori・f34789）の姿があった。
　ぱたぱたと駆けてくるそのもう片方の手には、大きな樽形ジョッキがある。お酒好きの彼女らしい、とクーナの口端も綻ぶ。
「ミモザさんも来てたんだね」
「うん！　お祭りなら来なきゃね☆　クーナさんは雪の女王様？　綺麗ー！　似合ってる！！」
「ありがとにゃー。ミモザさんも、イケてる南瓜海賊……！　いや、ここなら空賊？」
「ふふふ、ありがとー♪　そっか空賊いいかもー！　よーし今晩は空を攻めるぞー！」
　けたけた笑いながら、手許のラムスールの残りを呷る。
　知らぬ人が見れば結構飲んでいるようにも思えるのだろうが、親しいクーナからすれば、それは普段通りの彼女だった。いつものように、からりと明るく元気で、楽しいことが大好きな妖精の娘。
「それなら、一緒に遊覧飛行してみない？」
「わーい行く行くー！　さしずめ、女王を攫う海賊……ってとこ？」
　腰に手を当ててにまりと笑うミモザに、「女王に引っ張られる空賊とかもアリだと思うよ」と、クーナも釣られて笑みを零す。
　そこから繰り広げられた、"女王と空賊の冒険譚"にひと盛り上がりすると、ミモザは景気よく何杯目かのジョッキを空けた。すぐさまおかわりを貰いながら、辺りを見渡す。
「いいねーいいねー盛り上がってきたねー。じゃあ、乗り物は何にする？」
「この格好なら――あれが似合いそうじゃない？」
　クーナが指さす先には、紺色の船体にオレンジや黄色の華やかな装飾が施されたミニガレオンがあった。
　大きさは、ちょうど遊園地などで見かける小型の帆船ほど。ちいさいとは言え、幾重にも帆の張られた立派なガレオン船だ。聞けば自動操縦だと言うから、御者など気にせず空の旅を愉しめるだろう。
「やだクーナさん、めっちゃ良い……！　あれめっちゃ良いよ……！！」
　見れば、ミモザの眸が俄然やる気に満ちている。
「あ、折角なら、何か食べ物とか準備しておいた方がいいかな？」
「……クーナさん、さては天才だね？」
「あはは。あそこのスイーツ……ビスケットとか凄くいい感じだったよ」
「私もさっき食べた！！　あれ美味しかったよねー。んじゃ、それ買ってこよー！　他にも――」
　指折り数えながら声を弾ませるミモザ。
　結局露店の全種を買い占めた空賊を伴って、女王は空の遊覧飛行へと繰り出した。

　静かに舞い上がったミニガレオンが、島鯨の頭上へと躍り出るのには、そう時間はかからなかった。
　まるで秘境で見つけた財宝のように、甲板に置かれた木製のテーブルいっぱいに広げられた料理たち。
　なにも急ぐ旅路ではない。ゆっくりとした速さで夜空をゆく船上で、ほんのすこし冬の気配を孕む夜気を浴びながらふたり佇む。
「……しかしこの島クジラ？　大きいねー」
「本当、上から見ると改めて背中の広さが分かるねー」
　どれほどの長い時間を、この空で過ごしてきたのだろう。
　それこそ、想像もできないほどの果てなき日々。その中で、朝も夜も、一度として同じ景色のないであろうこの空の彩を、ずっと見続けてきたのだろう。――それは、羨ましくもあるけれど。
「クーナさん！　やっぱり私の中の一番は南瓜のポタージュに決めた！　王道大事！」
　とびきりのご馳走を前に、そう言って幸せそうに食べる友人の姿に、クーナはふわりと口許を緩めた。
　ずっと独りは、やはり淋しいかもしれない。
　だからこそ、今宵は私たちも――あなたの友として、傍らに。

大成功 🔵​🔵​🔵​

　ギリシャ神話の月の女神に扮した八坂・詩織（銀誓館学園中学理科教師・f37720）と、楊・暁（うたかたの花・f36185）を乗せたペガサスが、ひとつ大きく羽ばたいた。
　夜風を受けながら柔らかに靡く一枚一枚の羽根から、燦めく光の粒が夜の濃紺へと溶けてゆく。それを間近で見られることに、なによりも｜自分の世界《シルバーレイン》では幻獣とされていたペガサスに乗れることに、詩織は胸を震わせる。
「暁さん、秋の星座のお話は覚えてますか？」
「ああ。詩織が教えてくれたからな。王妃カシオペアが自分の娘のアンドロメダを自慢しまくって、海の支配者のポセイドンを怒らせちまった話だろ？」

　古代エチオピア王家の国王ケフェウスとの間に生まれた姫は確かに大層美しかったが、『私の娘は海のニンフたちよりも美しい』と、ポセイドンの孫娘たるニンフを侮辱してしまったがために、悲劇が起きる。
　怒りのあまり、ポセイドンがエチオピアへと差し向けたのは、ティアマトという大きな化け鯨の怪物。
　災害を引き起こされ困った国王が信託を授かるも、それは『アンドロメダを生贄にせよ』という酷なものだった。
　悩む国王を傍らに、国民によって岩に貼りつけにされたアンドロメダに死が迫ったそのとき――天馬ペガサスに乗った勇者ペルセウスが現れ、姫を救い、そうしてふたりは結ばれ幸せとなった。

「ええ。あの神話には子供のころから慣れ親しんできましたけど、まさか本物のペガサスに乗れる日が来るとは思いませんでした……」
　上半身を捻って、そう言いながら肩越しに笑顔を見せる詩織がほんとうに嬉しそうだったから、「良かったな、詩織」と暁もいつもよりも深く、笑顔を返す。
　叶わないと知りつつも、どうしても焦がれてしまう気持ちは、顔も知らぬ両親を探し求めていた自分にも良く分かるから。
「あ、あそこ！　流れ星が流れましたよ、見えました？」
「見た！　ちゃんと見えた！！」
　乗ったばかりのときは、地上では肉眼で見えぬほどの星明かりに目が慣れず、流星を見落としてばかりだった暁も、漸く目が馴染んできたのだろう。背後から響いた弾む声に、詩織も眸を柔く細める。
　そうしてまたひとつ伝えるのは、星にまつわる物語。
「流れ星に願うと願いが叶う、って言われてますけど、どうしてそう言われるのか知ってます？」
「え？　……ああ、そうか。そういうのにも伝承があるんだな。理由とか考えずに受け入れちまってた」
「そういうものですから、気にされることはありませんよ」
　そう言った優しい声音で、昔語りを紡ぐ。
　昔の人は、流れ星のことを、"神様が下界に通じる窓を開けたときに零れる光"だと思っていた。
　だから、流星の光が見えたとき、つまり神様と繋がる窓が開いている間に願い事を唱えれば、神様にも願いが届く――そう考えたのだと。
「でも、流れ星ってレアな現象だと思われがちですけど、実際には毎日のように降り注いでるんですよ」
「ええっ！？　そうなのか！？」
　余程、驚いたのだろう。まあるく目を見開いて、耳も尻尾もぴんと立てている暁の様子に、つい口許が緩んでしまう。
「はい。たまたま、目にする機会が少ないだけで。――１日に２兆個くらい降ってきてる……って言ったら、びっくりしますか？」
「１日に２兆個……！？　そんなに！？　……はー……宇宙ってすげぇな……」
　言って、夜空を仰ぐ。
　無数と思われる星々にも屹度、ひとつずつ名前があって、自分が知っているのはそのほんの一握り、砂浜の砂一粒ほどのものなのだろうと思うと涯てが見えない。
　けれどそれは決して暗澹たるものではなく、その光の数だけ知る喜びがあるということ。
「――暁さん」
「ん？」
「私ね、暁さんが星の話を聞いて色んな反応を返してくれるのが、本当に嬉しいんです」
　知らなかったことを恥じず、そのままに受け入れて感情と言葉を示す。
　なによりも、自分の好きなものに興味を持ってくれる。
　それは教師という立場であっても、一介の天体に魅了された人間としても、喜ばしいことのひとつだ。
「そりゃあ、詩織が教えんの上手いからだ。……いつも、ありがとう」
　嬉しそうに尻尾を振る暁へと、どういたしまして、と詩織も返す。
　この雄大な夜空には、まだまだ語りきれない伝説と真実が溢れているから。
「これからも、天文部でたくさん星を見たいですね」
「……ああ」

　今はまだ、名も知らぬあの光へ。
　いつの日か、呼びかけられるように。

大成功 🔵​🔵​🔵​

　馬車乗り場でペガサスの群れを遠目に眺めたあと、
「南瓜の馬車だ！　饗、南瓜に乗ろう！」
　視線を傍らへと移してそう言った鳴北・誉人（荒寥の刃・f02030）に、香神乃・饗（東風・f00169）も頷いた。
「っす！　かぼちゃにのるっす！」
　からりと笑う裏側で、その前に自分をちらりと窺っていた誉人を思い返す。
　恐らく、この背にたんまりとある、テイクアウトした荷物を気にかけての提案なのだろう。本当は、その身を纏う狼の殺気さえなければ彼とてペガサスに乗りたいのだろうし、自分としても、手懐けるなりしてペガサスを怖がらせて誉人に嫌な思いはさせないくらいの技量はあるのだ。折角、ふたりで過ごす時間に、我慢はして欲しくはない。
「馬は乗りてえけど……なァんでか敏感でさ」
　苦笑を滲ませながら、誉人が言った。もしや、考え事が顔に出ていたのだろうか。
「ペガサスは大丈夫かな……いや、やっぱ南瓜に乗りてえ！」
　だから手懐けんでいいよォ、と添えられてしまっては、もう提案のしようもない。「背中には、いつかまた」と毀れた声は聞き漏らさずに、「そうするっす！」と饗も微笑みを返す。

　念のため、と馬車の後ろから乗り込んだふたりは、特に暴れる様子もなくふわりと舞い上がったペガサスに安堵の笑みを洩らした。これも食べられるんっすか？　なんて、不思議そうに馬車に触れていた饗の姿を思い出し、誉人はもうひとつ笑みを深める。
　南瓜の溝に沿ってくりぬかれた窓からほろほろと光が舞い込み、毀れながら車内を淡く灯す。馬車の傍らをゆっくりと過ぎていく雲のオブジェたちと――その向こうの夜空を渡る、流星群の光だ。
「見るっす！　流れ星だらけっす！　夜空が滝みたいっす！」
　それに、それを映した誉人の眸も――きらきらと燦めいて綺麗。
「そういや、流星群が見えるって言ってたなァ。はは、これなら『お願い』し放題だな」
「誉人は何をお願いするんっすか？」
「俺の願い？　――ヒミツ」
「ええっ！？」
　何気なく尋ねてみれば、予想だにしなかった答えに思わず瞬く饗。対峙する相棒のその様子に、誉人もつい口端を綻ばせる。
「饗にも全部は教えてやらない。……けどまァ、まず一つめ。さっき買った南瓜スープ、飲みてえなァ！」
「へっ！　かぼちゃのスープっすか！　えっと……ちょっと冷めてるかもしれないっすけどいいっすか！」
　構わねえよ、と返る答えに、饗は隣に置いてあった荷物から南瓜スープの入った容器を取り出した。秘密というものだから、もっと深刻なものを想像してしまっていたが、そうではないらしい。
「南瓜の中で南瓜スープなんて、なァ。食うしかねえだろ？」
　滅多にねえ機会だからァ、と続ければ、
「かぼちゃかぼちゃで共食いにならないっすか！」
　饗の反応に、匙を口へと運んでいた手を止めて、誉人が声を立てて笑った。そのまま再び、一匙食べる。まだ十分に温かいスープの柔らかな甘さにほわりと頬を緩ませながら、そんな自分をスマートフォンで写真に収めようとしていた饗へと器を渡す。

　優しい味の余韻に浸りながら、他愛もない会話を交わす。
　それはいつもと変わらぬ日常であり、同時にかけがえのない大切な時間だ。
「……なァ。そんなに何願ってるんだ？」
　窓の外を流れて止まない星々に、あんまりにも真剣に願っているものだから、つい毀れた問いかけ。
「俺の願いっすか？　誉人の幸せをお願いしてるっす！」
「――俺の倖せってなァ……」
　予想していなかったわけではない。けれど、直接発せられたその言葉に、誉人は頬杖をついていた手から顔を離して瞠目する。
「エナガちゃんについばんで貰えますようにとか、ネコチャンに膝で丸くなって貰えますようにとか」
（――長生き出来ますように、とか）
　いっぱいっす！　と微笑む饗に、
「これ以上倖せにさせて、俺を爆発させてえンか？」
　そう戯けてみせたが、声の端に滲んだ違和にはきっと、気づかれてしまっただろう。
　自分でも分かるほどに、耳が熱い。さっき飲んだ酒ではなく――別の理由で。
「いいじゃないっすか！　りあじゅーは爆発するものっす！　獣爆発っす！」
　そんな自分を知ってか知らずか、"じゅー"の意味を捉え違ったままからりと笑う饗に、誉人もまた、未だ覚めぬ熱を追いやりながら微笑する。
「じゃあ、俺の事ばっかになる饗に代わって、お前の倖せは俺が願ってやるよ」
「誉人はちゃんと自分の事お願いするっす！　俺は誉人が幸せだったら幸せっす！」
「いいからいいからァ」
　結局これは、自分のための願いなのかもしれない。
　それでも、いつも隣にいてくれる、優しくあたたかなひとへ。
　せめて、これだけは願わせて。

　――饗がいつまでも　俺の側で笑ってくれますように。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

　夜に燦めく流星群を背に、ちいさな魔女が背伸びをしながら、おおきくおおきく手を振った。
「イサリビさん、こっち」
　元気なメノン・メルヴォルド（wander and wander・f12134）の呼び声に、自然とイサリビ・ホムラ（燻る漁火・f34679）の頬も柔く緩む。
　ハロウィンの夜の食事を愉しませてもらったお礼にと、メノンがイサリビを誘ったのは夜空への散歩。
　島鯨の背から見ても絶景なのだ。空へと上がったらどれほどの景色だろう。それを見逃すわけにはいかないと、気づけばイサリビの足取りも軽やかだ。
「ペガサスさんで、いい？」
「ええ、もちろん」
「今度はワタシがエスコートする番、ね？　任せて欲しいの」
「魔女さんのエスコート、楽しみにしてますよ？」
　ぐぐっと力強く拳を握るメノンに、イザリビも眦を緩めて首肯する。星のように双眸を輝かせ、俄然やる気に満ちた娘がいるのだ。腹ごなしも兼ねた遊覧飛行もきっと、愉しいひとときとなるに違いない。

　メノンが選んだペガサスは、夜にもなお青く澄んだ眼差しをふたりへと向けた。挨拶をするように頭を垂れると、背へと促すように翼を広げ、一度だけ羽ばたく。
「ほな、メノンさんは特等席にどーぞ」
　自分が前ですと目隠しになってまうしなぁ、とからりと笑う大柄のイザリビに、メノンも柔らかに笑み返す。驚かせないように静かに乗って、「特等席だから、たくさん楽しめそう」とはしゃぐその後ろにイザリビも騎乗すると、取り出した大判のブランケットで自身とメノンをポンチョのようにまるごと包んだ。
「わあ、ありがとうなの。……ふふっ、暖かい」
　ほわりと微笑み、「ね？」と肩越しに振り向いて見上げてくる視線がどうにもくすぐったくて、イザリビは照れを隠すように帽子ごとメノンの頭を撫でた。大きな掌の優しさに、娘の口許にもまた、歓びが滲む。
「ほらほら魔女さん。前を向かんと危ないですよ。――さ、いざ出発ですわ」
「ん、じゃあペガサスさん、お願いするの……！」
　伸ばした掌で白く柔らかな鬣をそっと撫でれば、短く鳴いた白馬が両の翼を広げながら地を蹴った。ふわりと感じる浮遊感。それだけで忽ち、心も躍るようにおおきく弾む。
　良ければ星空に近付いて？　と星の囁きのような声音でしたお願いも、ちゃんと耳に届いたよう。ペガサスは気持ち高度を上げて、ふたりの両脇を毀れていく流星とは逆に、夜空の上へ――上へ。
「わあ！　星が……！」
　島鯨の背を離れ、雲のハロウィンオブジェの灯りを離れたその先には、天満星の満ちる遙かなる世界があった。深い夜と、様々な色を抱いて燦めく星々だけの、静謐なる場所。
　ふと頬をくすぐった夜風に、メノンの口許がふわりと綻ぶ。イザリビが掛けてくれたブランケットと――なによりも背に感じる優しいぬくもりがあるから、心までぽかぽかとあたたかい。
　それも相まって、いつもよりはしゃいでしまう心と声。高さや、足場のない不安定さや、空を駆ける速さは怖くはない。けれど不思議。どうしてか笑みが込み上げてくる。
（……イサリビさんは？）
　風に飛ばないようにと帽子を片手で押さえながら振り向いたメノンの眸が、燦めく滴を零しながら夜空を渡ってゆく光たちをいっぱいに映したイザリビのそれと交わった。
「あっはっは、掴めそうなくらい星が近いですなぁ……！　それに、星空さんも自分の故郷とは違った顔しとりますわ」
「本当、ね」
　同じように愉しんでくれているだろうかと気になったが、杞憂だったとすぐに知る。
　眼下には、悠々と夜空という名の海を泳ぐ島鯨と、淡くも強く瞬く星々。
「幻想的で、このまま、ずっとこの空を飛んでいたくなっちゃうのよ」
　そう独り言ちた声は、風に乗って囁きとなって、イザリビの耳許へとそっと届いた。

　星の燦めきを浴びた白い翼が羽ばたくたびに、夜へと毀れる白銀の光の欠片。
　夜を彩る金銀の輝きは、つい見入ってしまうほどに美しく、知らずと零した吐息が、白く嫋やかな線を描きながら景色と共に後ろへと流れてゆく。
「そういえば、流れ星に祈ると願い事が叶うとか。これだけあると、願い事掛けたい放題ですなぁ」
「それは、欲張りさんになっちゃいそう」
「……メノンさんは、なにか願い事あったりします？」
　からりと笑った声から穏やかなそれへと変えながらイザリビが問うと、腕の中の娘は手綱を握って往く先を見つめたまま、「んー……」とちいさく小首を傾げた。その動きに合わせて、魔女帽子が愛らしく揺れる。
「ワタシのお願い事は……"次もまた、イサリビさんと一緒にお出かけできますように"」
　――叶うと思う？
　そう言って肩越しに振り返ったメノンが、悪戯っぽく笑っていたから。ははは！　とつい、イザリビも腹の底から笑み声を響かせた。
「面白いこと言う子やなぁ。……でも、それは願うまでもないですわ」
　――自分も、同なじ願い事してましたよってなぁ。
　微笑みながら添えた言葉に、娘もまた、幸せそうな笑顔を見せた。

　共に望むなら、願うまでもない。唯ふたり変わらず、傍らに在ればいい。
　それが言うほどに簡単ではないことも、互いに痛いほど知っている。
　けれど、言葉には出さない。
　出さずとも分かっているし――なによりも、願う強さはそのまま意志となって、確かに望む明日へと続いているのだから。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

　足取り軽く南瓜の馬車へと乗り込んだ楊・暁（うたかたの花・f36185）に続いて仲へと入った御簾森・藍夜（雨の濫觴・f35359）は、予想外に広いものだな、と車内を見渡した。
　まさに南瓜をくりぬいた形の内部には、柔らかな座面の横座席があった。暁が進行方向側の窓側の席に座ったのを見て、その対面に食事の乗るトレイを置くと、藍夜も隣に座る。
「ごめんな、持たせちまって」
「気にするな。乗り場まですぐそこだったし、心音も疲れてるだろう？」
　申し訳なさそうな視線を向けるも、彼だけが知る本名を紡ぐ聲に嬉しそうに笑う暁が愛おしくて、藍夜はそっとちいさな身体を包み込むように抱きしめる。
「心音、お疲れ様」
「……ありがとう、藍夜」
　言って、回した腕に力を込める。桃の香にも似た煙草の香り、藍夜の鼓動とぬくもりが、心を穏やかにさせ口許をも緩ませる。
「さ、飯にしよう？　約束通りの旨い物、全部買ってきたぞ」
　そう切り出して、買ってきたものを並べて説明を添える。林檎ジュースを手渡すと、受け取った暁の耳と尻尾が、いよいよぱたぱた大きく揺れ始めた。
「藍夜はどれから食べる？」
「まずは心音から選べ。お前のために買ってきたんだから」
「んー、じゃあコルカノン！」
　そう笑顔で言って匙を取ろうと手を伸ばした暁を、藍夜がやんわりと制した。きょとんと瞬く明け色の双眸には柔らかな微笑を返して、コルカノンを掬った匙を暁の口許へと向ける。
「今日は甘えとけ。な？　ほら、あーん」
「ふふ。じゃあ、甘えとく」
　あーん、と藍夜から貰った一口を食むと、
「なぁどうだ、旨いか？」
「ん。美味ぇ！　ほら藍夜も！」
　と、手から取った匙で同じように掬って、藍夜の口許へ。
「――ん、旨いな」
「だろ？　あー……家でも食べられりゃいいんだけど」
　何気なく零したであろうその言葉に、藍夜の動きがぴたりと止まった。
「……む。作れるからな？　俺は、お前が食いたいものは作れるようになりたいんだ」
　だからこそ、調理中の様子もそれとなく見て覚えてきたのだ。この愛しい黒狐はきっと、そう言うだろうと思っていたから。

　ご馳走様と声を重ね、すっかり空になった皿を乗せたトレイを対面シートへと戻すと、藍夜は手袋を外した右手を暁の左手へと重ねた。柔く包んで、どちらからともなく指を搦めれば、甘えるように暁が肩を寄せる。
「島鯨、すごかったな……。普通の島みてぇなのに、鯨なんだもんな」
「俺も、島鯨は初めて」
「藍夜も？」
「ああ――……心音、俺とお前の思い出になるな」
　そう微笑みかけると、きょとんとまあるくしていた眸が幸せ色に染まった。「また、一緒の"初めて"が増えたな」と、ふわりと笑う。それが一等愛らしくて、ほんのすこし手に力を込めて引き寄せ、肩を抱く。
「心音、素敵な場所を教えてくれてありがとう」
「俺の方こそ……来てくれて、ありが――んっ」
　耳の先に触れた唇の感触に、ぴくりと震える。そんなちいさな様子すらも愛おしくて、もっともっと可愛がりたくて、ちょっとだけ沸いた悪戯心。
「ら、藍夜……！」
「誰も見てないんだ。少しだけ……」
　言いながらもっと抱き寄せ抱きしめて、額に、頬に、口付けを落とす。そのたびにどんどんと赤く染まっていく頬にもう一度唇で触れて、耳許に甘く囁く。
「……なぁ、ダメか？」
「だっ……駄目もなにも……お前、もうやってるじゃねぇか……！」
　そう口では咎めるような言葉を紡ぐけれど、熟れた果実のように顔を赤らめた暁の眸に拒絶の色はない。それすらも、お見通し。
　ふと思い出し、恥ずかしそうに惑う視線を捕まえて、気になっていたことを問うてみる。
「心音。そう言えば、どうしてこの南瓜の馬車にしたんだ？」
「……秘密」
「しーおーん？」
「…………王子様に逢って、幸せになれる馬車なんだろ？」
　ぼそりと毀れた言葉を、けれど藍夜は聞き漏らさなかった。予想外の答えに、一瞬思考が停止し――次の瞬間、思わず破顔してしまう。
「心音、心音、可愛いなぁ……！」
「ああもう絶対言いたくなかったのに藍夜のばか！！」
　そうして散々腕の中でじたばたした後、照れで更に赤らんだ頬を隠すように、ぽすりと胸へ顔を埋めた暁。その柔らかな髪を梳くように撫でながら、藍夜は視界の端にあった紙袋を思い出す。
「――そうだ、心音。バームブラックも買ってあったんだ」
　照れよりも興味が勝ったのだろう。ゆっくりと顔を上げた暁の頬は未だ染まっていたが、対面のシートにある紙袋を見つけると、あれか？　と視線で尋ねた。頷きながら、一度抱きしめていた腕を解いた藍夜が手を伸ばし、紙袋を取って座り直す。
「これだけは、せーので一緒に割らないか？」
　言いながら袋から出した焼き菓子をひとつ、暁の掌に乗せる。もうひとつを自身で持つと、空いた紙袋を傍らに置いた。
「中身が何であっても、俺に向いた運なら全て、心音に渡したい。俺が少しでも心音を幸せに出来――」
「――藍夜」
「はは、分かってる一緒に、だろ？」
　以前の自分なら、こうは返せなかっただろう。全てを相手のために費やして、尽くして、捧げて――それだけで、十分幸せだと考えていた。
　けれど、今は違う。
　一番に愛おしいひとから、真っ直ぐな想いを向けられ、紡がれ、与えられて。それを｜一滴《ひとしずく》も零さずに受け止めて、そしてまた返して、そうして互いの想いを重ねていきたいと心から思う。
　ふたり視線を交わして、せーの、と手許のカップケーキを割る。
　中で燦めく銀は、藍夜は鍵、そして暁が錠。永遠の絆を意味する、一対。
「対だ、藍夜！　……ふふ、綺麗だな……」
　幸せそうに微笑みながら、暁が掌に乗せた銀の錠を眺める。窓から漏れる灯りに燦めくそれに、藍夜がそっと自分の鍵を差し込み、カチリと音が鳴った。そのまま包み込むように手を重ね、指を絡ませながらもう一度裡に抱く。
　例えここが自由な大空でも、この言葉はお前にだけに伝えたいから。耳許に唇を寄せ、ちいさく囁く。
「心音、愛しているよ」
「……俺も」
　凭れるように身体を預けながら、毀れた声。あいしてる、と続いた仄かな言葉は、藍夜の許にだけ甘やかに響いた。

大成功 🔵​🔵​🔵​

　小型のガレオン船と分かってはいるものの、ゴンドラの形をしたものが陸の上にあるだけでも不思議なのに、それがふわりと浮いて星の海を渡り始めると、瑞月・苺々子（苺の花詞・f29455）は躍る心のままに声を弾ませた。
「ノヴァ！　みてみて！　お船！　お船が浮いてるわ！」
「高いところ、怖くない？」
　この高さまで昇っても怖がるどころか喜んでいるのだから、大丈夫だろうと思いながらも、そうノヴァ・フォルモント（月蝕・f32296）が尋ねれば、
「ももは高いところ、平気だよ！　故郷では鳥さんに運んでもらってたから、慣れちゃった」
「……へぇ、鳥に運ばれて？」
　予想だにしなかった答えに、ひとつ瞠目した。ふと思い浮かべた光景はどこか微笑ましくて、口端がほんのり緩む。
「でも、お船で空を飛ぶのは初めてだけれどね」
「そういえば、さっきもそう言ってたね」
　――もも、お船って乗ったことないかも……乗ってみてもいい？
　――ふふ、俺もゴンドラに乗るのは初めてだな。
　そう言って選んで乗り込んだこの船は、ふたりで乗っても広々だと苺々子も喜んだ。夜になお燦めく月色のゴンドラを彩る、夜の星海にも不思議と沈まぬ紺色のリボンが柔らかに靡いて揺れている。
「お船に揺られて星の海を眺めるなんて、なんだかとってもステキね」
　船の縁に肘をかけて、水面に触れるように眼下の星海へと手を伸ばす。
　賑わう露店を乗せた島鯨も、雲のオブジェの灯りも超えたこの空域は、唯々茫々と星々が広がるばかりだった。もう近きも遠きも分からぬほどの先へと伸ばした掌を広げれば、まるで星を掬っているような気分になって、苺々子はもうひとつ笑みを重ねた。
「こんな綺麗な景色を眺めながら飲む林檎ジュースは、格別な味がするの！」
「ふふ、本当だね」
　露店で買っておいたソウル・ケーキをお伴に幸せそうにこくこくと飲む苺々子へと微笑むと、ノヴァも手許のドリンクカップに口をつけた。喉を通ってゆく甘く爽やかな余韻と、頬に触れた仄かなぬくもりを帯びた夜気。それらに浸りながら、穏やかに流れてゆく光たちへと眸を細める。
「……鳥に運ばれるって、どんな感じ？」
「そうね、ゆっくり動く観覧車みたいよ」
　遠くまで見渡せたの、と添えながら、そう言えばノヴァは平気？　と苺々子が首を傾げる。
「俺は、怖くはないけど……少し落ち着かないかもな」
「落ち着かない……――あっ、ノヴァも観覧車に乗ったら慣れるのかな……？」
「そうだね。機会があれば、今度一緒に乗ろうか」
　新しく生まれた、ちいさな星のようにささやかな、けれど確かに点った約束。その燦めきに、ノヴァがそっと微笑み、苺々子も柔らかな笑顔で頷きを返した。

　ゴンドラの流麗な舳先に括られた洋燈が、ほろほろと淡い光を零しながら、夜陰に包まれたふたりだけを優しく照らす。静謐な星海にあるのは、ちいさく柔らかに交わす声音と、眼下と――そして仰ぎ見た空一面を駆ける星々だけ。
　苺々子は、と。止め処なく流れては消えてゆく流星群を夕暮れ色の双眸に映しながら、ノヴァが零した。
「……流れ星に何か願い事、するのかな」
「勿論！　こんなに星が降っているんだもの、願い放題かも！」
「ふふ、両手でも足りないくらい？」
「そう！　たくさんお願い事しなきゃね」
　｜両親《とと ママ》の幸せ。お友達の幸せ。妹弟の幸せ――言いながら、娘は両の手の指を折る。
「ノヴァは何をお願いするの？」
「俺は……そうだな。苺々子の願い事が叶うようにって、お願いしようか」
　それなら君の両手が足りなくても、俺の分が足せるからね。そう続けた言葉は、ノヴァのほんとうの心。
「ふふ！　ノヴァのおっきな手が足せたら、お願い事もたくさん叶いそうなの」
「……小さくても大きくても、きっと叶えられる願いの大きさは同じだよ」
　その瞬きが強くても、仄かでも、星が星であることには変わらないように。
「ねえねえ、早速お願い事ひとつ、叶えてもらってもいい？」
「お願い事？」
「うん。――ノヴァのお歌、ももに聞かせて欲しいな」
「……俺の歌を？」
　静かに眸を瞠りながら聞き返したノヴァに、ゆっくり聞いたことなかったから、と娘が頷いた。勿論いいよ、と返る答えに、一層幸せ色の笑顔を浮かべる。
「流れ星に願わなくても、君が望むならいつでも」
　鞄から愛器を丁寧に取り出すと、ノヴァはそっと腕に抱えた。三日月を模した金の竪琴の弦に指を添え、そうして一度、辺りへと視線を巡らせる。
　天と地には、溢れるほどの燦めきが。そして目の前には聴いてくれる君がいる。
　それだけで、謡うには十分すぎるから。
　優しく爪弾き始めたノヴァの姿に、音に見入りながら、苺々子はゴンドラの縁へと凭れかかって柔く瞼を伏せた。
　ふわりと吹いた夜風に乗って響く優しい謡声は、まるで子守歌のように心地良いけれど、不思議と眠気はなく、ずっとずっと聴いて――浸っていたい。

　ブルーアルカディアの夜空を、星々が綺羅に織り成し、穏やかな音色が包んでゆく。
　霧笛を思わせる島鯨の声がまたひとつ、歓びを滲ませながら高らかに響いた。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

最終結果：成功 完成日:2022年11月27日