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【旅団】ちぎる(作者 藤野キワミ
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#カクリヨファンタズム  #宿縁邂逅 


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#カクリヨファンタズム
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#宿縁邂逅


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●告
 これは旅団シナリオです。旅団「志崎剣道場跡」の団員だけが採用されます。

●糸
 にいや。
 にゃあ。

 か細い声で母を呼ぶような哀憫溢れる鳴声は、さらさら降る雨に紛れる。
 濡れそぼった躰を、木戸の隙間に滑り込ませれば――リリリリッと鈴が鳴る。
 しかし水滴を撒き散らしたところで、騒ぐ声は家内に響かない。

 にゃあ。

 ただいまと告げても、返事はない。
 いたずらをしても、叱られない。

 にぃ。

 濡れた白い尾を先まで震わせて、もう一度、ごしゅじんさまを呼んだ。
 返事は――

「おかえり、あられ」

 姿はないけれど、そこから確かに声がした。

●蒼
 腰に佩いた刀の柄をコツコツと叩き、紺色の鋭い双眸は、視えた予知の気まずさに戸惑い揺れる。
「饗の捜してた猫を見つけた」
 彷徨う白猫――名はあられ。ふわりとやわらかな毛並みは純白で、金色に煌く双眼は邪気なく『ごしゅじんさま』を求めている。
 そんなあられが迷い込んだのは、古い庵。
 戸を開ければ【台所】のある土間、上がれば板の間の【座敷】が二間繋がっていて、生活用品が整頓されている。
 座敷の奥には、畳敷きの一番大きな部屋。その【奥の間】には縁が伸びていて、【庭】に下りることができた。
 そんな庵で、あられはかくれんぼをしている。
 あられが捜し求める『ごしゅじんさま』の終の庵と瓜二つのそこで、彼女は「にぃあ、にゃあ」と、『ごしゅじんさま』を捜している。
「饗には、そこが『終の庵』じゃねえってことは分かってるだろうけど、それでも、『そうだ、ここだ』って思い込んじまうくらいそっくりだ」
 それがあられの力であることは間違いない。
 奇妙な力場を生み出して、遠く離れたかの地にある終の庵に滲みこんだ【さまざまな想い】が、幻となって再生されることだろう。
「饗、お前の……【今の姿になる前】の出来事だって、平気で見える」
 それらはきっと、ごしゅじんさまと、あられと、かのじょたちを取り巻くキオク。
 例えば、台所で炊事に精を出す人影。
 例えば、懇願するような言い争う声。
 例えば、穏やかに未来を語り笑む顔。
 いろんなオモイデの幻を見ることになるだろう。幻影だ。過去だ。手出しはできない。今更ソレを変えることはできない。
 台所で、座敷で、奥の間で、庭で。
 あられは、オモイデを追いかけ、ごしゅじんさまを呼び続ける。
 かのじょを追いかけてほしいと、誉人はそろりと息をついた。
「庭にゃァ綺麗に花が咲いてる――梅が満開だよ、饗」
 ただ、雨が降り続いている。
 大切なオモイデ以外を遮るように、絶え間なく雨が降っている。庭に出るとびしょ濡れになるだろう雨足の強さだ。
「お前とあの仔猫との間に何があったンかは、知らねえけど……」
 誉人の掌上に輝く蒼い珠が、精緻な幾何学模様を浮かべ煌めく。
「ケリつけて来い」
 蒼の奥にあってなお、純白と解るアネモネが一輪――花開く。


藤野キワミ
このシナリオは、「宿縁邂逅シナリオ」です。
旅団《志崎剣道場跡》にて事前にお約束した方を優先して採用します。
====================
藤野キワミです。
決着のそのときまで、どうぞよろしくお願いいたします。

運営速度は速くありません。
じっくりとプレイングを考えていただければと思います。
またリプレイ返却もゆっくりめとなりますので、お付き合いいただけると幸いです。
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第1章 ボス戦 『彷徨う白猫『あられ』』

POW ●ずっといっしょに
【理想の世界に対象を閉じ込める肉球】が命中した対象にルールを宣告し、破ったらダメージを与える。簡単に守れるルールほど威力が高い。
SPD ●あなたのいのちをちょうだい
対象への質問と共に、【対象の記憶】から【大事な人】を召喚する。満足な答えを得るまで、大事な人は対象を【命を奪い魂を誰かに与えられるようになるま】で攻撃する。
WIZ ●このいのちをあげる
【死者を生前の姿で蘇生できる魂】を放ち、自身からレベルm半径内の指定した全対象を眠らせる。また、睡眠中の対象は負傷が回復する。
👑11 🔵🔵🔵

種別『ボス戦』のルール
 記載された敵が「1体」出現します。多くの場合、敵は、あなたが行動に使用したのと「同じ能力値」の戦闘方法で反撃してきます。
 それらを踏まえつつ、300文字以内の「プレイング」を作成してください。料金は★0.5個で、プレイングが採用されなかったら全額返金されます。
 プレイングが採用されたら、その結果は400文字程度のリプレイと「成功度」で表現されます。成功度は結果に応じて変化します。

 大成功🔵🔵🔵
 成功🔵🔵🔴
 苦戦🔵🔴🔴
 失敗🔴🔴🔴
 大失敗[評価なし]

👑の数だけ🔵をゲットしたら、次章に進めます。
 ただし、先に👑の数だけ🔴をゲットしてしまったら、残念ながらシナリオはこの章で「強制終了」です。

※このボスの宿敵主は💠香神乃・饗です。ボスは殺してもシナリオ終了後に蘇る可能性がありますが、宿敵主がボス戦に参加したかつシナリオが成功すると、とどめを刺す事ができます。
※自分とお友達で、それぞれ「お互いに協力する」みたいな事をプレイングに書いておくと、全員まとめてひとつのリプレイにして貰える場合があります。


●台所
 チリリリン……と涼やかな鈴の音が、がらんどうだったそこに響く。
 残響さえじわりと消えていけば――
「おかえり、あられ」
 声は、ごしゅじんさまのものではなかった。近づいてくるのは、まあるくて薄ぼんやりとした人影。
「ずいぶん濡れてきたんだね。拭いてやるから、そこでじっとしてな」
 白い割烹着、海老茶色の着物、ふくふくまあるい身体の女は、手ぬぐいを持ってくる。

 にぃあ。

 いつも忙しくごしゅじんさまの世話をしている人だ。
 金瞳に映る光景は、徐々にいろの数を増やして、鮮明になる。
「今日は雨だね、いやだね」
 話しかけて、冷たかった体を拭いてくれて。
 にこにこと笑みながらごはんをくれる優しい人だ。
 ふわりとかつおの香りがする。
 聞こえるのは女の声だけでなく、かまどの火、炊飯の音――いままで聞こえていなかった、屋根を叩く雨粒の音。
 台所は雨のせいで薄暗いから灯が入れられている。燭台で揺らぐ火の音すら聞こえてきそうだ。
 だんだん増え。
 ますます鮮明に。

 それでもまだ、ごしゅじんさまの声はしない。
香神乃・饗
ひさびさに帰ってきたっす
ね、誉人
毎年夏には必ず帰ってるっすけど
誉人とは久々
誉人にとっては居づらい場所っす
苦笑
それでも見届けて欲しいんっす
ご主人様に

相変わらず良い匂いっす
お福さんの料理っす
誉人は知っているのに
手を出せなかった事はあるっすか
俺はずっとそうだったっす
食べた事は無いっす
美味しいって聞いてる

あられには
帰ってきたっすか!反射的に尻に敷かれる事を警戒
誉人
猫は良くないっすか
雨に降られたりはするっすけど
自由に駆け回れるっす

この庵は
俺の終わりと始まりの場所
無機物である事と無力な俺と決別し
明日に向かい生きると決断した場所

誉人は亡くした事はあるっすか
あの夏の日
出てきたら斃れてきて
亡くした事を受け入れられなかったっす

主の願望を叶えて祝言をあげて
庭を眺めてた
春の日
花の香で
抱いてるモノが何かを理解して
主がそれを望まない事を思い出して
明日を目指したっす
俺が生まれる切欠の主の目標っす

今は越えたから大丈夫っす


●懐/Ambivalente
 雨は凍えるような冷たさではない。しかしずっと濡れていると体は芯から冷えるだろう。
 これ以上、体を冷やしてしまわぬよう軒先に入った。
 髪についた雨粒を払って落とす。隣の黒毛にも珠になった雨がついている。
「なかなか、すごい雨っすね」
「ああ……やっぱすごかったな」
 雨珠を落としながらも、五感は多くを感じ取っている。
 相変わらず――香神乃・饗(東風・f00169)は、懐かしい香りで胸をいっぱいにして、ほわりと笑んだ。
「お福さんの料理の香りっす」
 知っていた。
 ずっとあるじが美味そうに食べる様子を見ていたから知っていた。
 ずっと一緒にいたから、ずっと見えていた。
「主様が言ってたっす、お福さんのごはんは美味しいって」
「確かに美味そうな……味噌汁の匂いだ」
 すんっと鼻を鳴らしたのは、鳴北・誉人(荒寥の刃・f02030)だ。いつか交わした約束を守ってここにいる。
 開け放たれたままの戸から入り込むが、家人はこちらを見ることもない。
(「これが、……過去を見ているってことっすか」)
 福は、せっせと昼飯の準備をしている。
 香ばしくも甘い香りの味噌汁、芋の煮物、さらに魚の焼ける香りも立つ。
 誉人も長らくサムライエンパイアで暮らしていたというから、この食事の『異様さ』には気づくだろう。
 しかし、彼は何も言わない――福の手元を見て、押し黙ったままだ。
「ひさびさに帰ってきたっす。ね、誉人」
「ん? ん、そォだな。いや……お前は毎年帰ってンだろォ」
「そうっすけど、誉人とは久々っす」
 彼にとって、あまり居心地の良い場所ではないだろうことは、想像に難くない。
 執着心と嫉妬心が、寂しさと敗北感にすり替わる誉人だから、ここは彼にとっての鬼門だろう。それでも、『ここは、饗が生まれて、巣立った庵だ』から、やはり郷愁を覚える。
 きょろりと見回して、肯く。『間違いない、ここだ』――毎年、夏の日に帰る庵だ。
 あるじが過ごした、『終の庵』だ。
「里帰りまで邪魔しようとは思わねえだけェ」
 もっともらしいことで嘯いてみせた誉人の横顔をちらと盗み見て、小さく苦笑を漏らした。
 邪魔ではない。
 彼を邪魔だと思ったことは一度もないというのに。
 約束したこととは言え、ここに来ることは、きっと嫌だったろう。彼が嫉妬を剥き出して怒った――過ぎ去った初夏の日をを思い出す。あるじに向かって、はっきり「嫌い」と言い放った彼だ。やっぱり行きたくないと同行を断られても不思議ではなかったというのに。
 誉人は優しいから。
「俺のわがままに付き合ってくれてありがとうっす」
「なン、急に?」
 こともなげに、くすりと笑った誉人は饗を見上げてくる。
「わがままって? 約束したでしょォ」
「それはそうっすけど……でもこんなこと、誉人が困るのは知ってるっす――それでも見届けて欲しいんっす」
 ひたっと饗の視線と合わさった。真剣な紺の星眸が、燭台の火の揺らぎをも映し込んだ。
「誉人はご主人様っすから、見ててほしいっす」
 瞼がぴくりと動く。ほんの些細な動揺は、たちまち消えて、彼は小さく――それでもはっきりと肯いた。

 ◇

 一度交わした約束だが、反故にすることも出来た。嫌だと突っぱねる隙はあった。
 饗の因縁だ。こればっかりは彼が一人で向き合うものだし、そこに誉人が首を突っ込むのは違うと思ったのもまた、嘘ではない――否。もっと心の深いところで、拒否していた。
 本音を言えば、この庵は好きじゃあない。
(「前の人のことすら……好きじゃねえってのに」)
 出かけた溜息を飲み込んで、佩いた太刀の柄頭を撫でる。
 『ここ』は死が香り過ぎている。
 しかし、誉人の預かり知らぬところで、饗が『あの人』に触れることが、ことさら嫌だった。
 思い出は往々にして美化されて、容易く心を苦しめ、惑わすから。
(「もういない人には、俺はどうやっても勝てない……でも、」)
 ほわりと笑む彼を見上げて、柄を握り締め、最後まで彼の隣にいると改めて決意する。
 深い悲しみに、彼一人で触れさせることが、『嫌いな人』に会うより――なにより嫌だったのだ。
「困ることねえよ、ちゃんとココにいる。約束したからァ」
 囁くように言葉を紡ぐ。そうすることで、強くなる気がした。

●呼
 チリン。
 くみひもは、ごしゅじんさまがあんで、あられのくびに ゆわえてくれたもの。
 あられの じまん。
 これは、あられがごしゅじんさまのねこ っていう、しょうこ。
 すずのおと かわいい。
 このおと ならすと、ごしゅじんさまがきてくれる。
 きょうは、あめ。
 あめ すきじゃない。
 からだ ぬれちゃう。
 さむいから すきじゃない。
 あめ……すきじゃない じゃない。きらい。
 すずめ みんなかくれちゃうし、ねずみもみつかんない。
 きょうは ごしゅじんさまによろこんでもらえない……。

●羨/Dilemma
 鈴の音がした。
 先刻、饗らがここに入ってきたように現れたのは、びっしょり濡れた白い子猫。
 チリリっと高らかな鈴の音を鳴らして、水飛沫を飛ばす。
 その金瞳に、ぞわりと総毛立つ。
「帰ってきたっすか!」
 反射的に身構える。よく知っている。この猫に何度も踏みつけられた記憶が蘇る。

 にぃあ。
 にゃあ、にゃぁ。

 甘えたような声で鳴いて福の世話を受けている。
 何を考えているのか、なにも考えていないのか――あられは尾をふらりと揺らして、福の手を喜んでいた。
「誉人、猫は良いと思わないっすか」
 ぽつりと呟いても、福も猫も饗を見ない。聞こえないふりをしている様子でもない。
(「やっぱり不思議っす……でも、この感じ、知ってるっす」)
 ここにいるのに気づいてもらえない――返事が届かないのは、知っている。
 これはすでに起こったことで、塗り替えようのない、事実だ。
 いまは、二十余年前の――遠い昔の雨の一日を追体験しているだけにすぎない。
 饗らに介入する余地がないことを思い知らされる。
「猫は、こんなふうに突然雨に降られたりするっすけど、自由に駆け回れるっす」
 なにものにも縛られることなく、ただ気ままに遊び、思うがままに駆け、無邪気に甘えることができる。
「今となっては俺も、自由に動くことができるっすけど――」
 この時代に、この猫のように、自由に手足を伸ばし、地を駆け、声を出すことができていたら。
 ふと過ぎる、どうすることもできない仮定を口にしかけて、唇を引き結んだ。
 詮無いことだと判っているから。
 誉人の肺の奥から息が不器用に洩れるような音がして、それを隠すように何度も小さく頷き、「ああ……」と喉を震わせた。
「猫は良いよな。分かるよ、俺だって似たようなもんだ」
「似てるっすか?」
「俺だって、好き勝手に生きてる。いろんなしがらみを見ないふりして、勝手気ままに」
「……いろんなしがらみっすか」
 確かに頷いた誉人の紺瞳は、饗を見ながら別のなにかを見ているようだった。
 彼の見ているものがなんなのか――なんとなく分かるような、分からないような。彼が時折見せる寂しさの影が落ちた。
「いろんなことに目を瞑って、いろんなことから顔を背けて、俺はここまで生きてきた」
 呟く誉人の声音は静かに庵に揺蕩う。微かに震える唇が、薄く開いて、躊躇うように閉じられた。
 なにかを話そうとしていることは判った。だから、饗は口を挟まず待つ。
「俺は、あの家に親を置いてきた――……それだけで、俺は十分、不孝をしてる。手を出したくても出せなかったんだ。親は、俺が思うよりずっと、あの町が好きだったみてえだから」
 帰ることのできる家はあるけれど、誉人にとって、それは帰るべき場所ではない。
 言い訳じみた我儘を零す。
 いつだったか、生まれた町がキライだと吐き出したことがあった。辛気臭い場所だと。それでも、やっぱり彼は棄てきれないのだ。
「家族は、誉人が帰ってくるのを待ってるんじゃないんっすか?」
「わかんねえ。それに、今更どのツラ下げて帰りゃいいンかも、わかんねえ」
「待ってるなら、帰った方がいいっす」
「そうさなァ……また今度な」
 思わず笑いが零れた。嘘ではないだろうが、『行きたくない』と言外に逃げ、先延ばしにしようとしているのが判った。それでも――彼はまたひとつ、約束を重ねる。
 たとえどんなに些細なことでも、それは誉人にとって生きるという意志と同義。短い生であることを理由に、あらゆることを諦めていた彼が、こっそりと未来へ掲げる、踏み出し踏ん張る意志だ。
 それが、饗にはたまらなく嬉しかった。
「亡くしてから行っても、遅いっすから」
「ああ、そうだな……」
 彼の声音が憂いに翳る。
 亡くす哀しみを知っているからだ。
 誉人は師を亡くしていた。時折彼の話の中に出てくるセンセーだ。彼を叩きあげた人物で、会ったことはないが、その豪傑さを想像するに、そくっと背筋が震える。
 誉人が師の話を積極的にしたがらないのは、在りし日を思い出してしまうからだろう――墓前で手を合わせる背を思い出した。
「誉人は……――センセーの最期に、間に合ったっすか?」
「いや、もうセンセーとは別れたあとだったから、葬儀が終わったあとに知った」
 静かに。
 深い吐息を一緒に漏らす。
「志崎の親から、センセーが亡くなったことを聞かされて、遺言状もらって……墓の前で泣き崩れて、――」
 訃報に悲嘆し悔悟し涙したあのときを思い出しているように、静かにゆっくりと声を紡いだ。
「百合サンたちは、順番だから仕方ないって言ってくれたけど、それでも俺は、センセーはもっと長く生きると思ってたし、もっとたくさんのことをセンセーから教えてもらうつもりだったし、これからゆっくりたくさん恩返しできると思ってたから……後悔しかねえ」
 その後悔を知っているのなら。
 会えるのなら。
 薄靄のかかる晴れない心持ちのままに、饗は誉人の双眸を見返した。
「なおさら、郷里に行かないといけないっすね」
 会えるときに会っておかないと、また彼は後悔する。
 その後悔は、往々にして繰り返されるものだから――今、こうして踏ん切りのつかない姿を、もどかしく感じた。
 母という存在がどれほど大きなものか、想像する他ないが、
「帰ってきた子を迎えないはずないっすから」
 ただいまと告げられて、おかえりと返さないわけがない。
 ただいまと告げられることが、どれほど嬉しいことか。
 おかえりと迎えることが、どれほど幸せなことか。
 饗は知っているし、誉人もわかっているはずだ。
 困ったように笑う彼は、また小さく頷いた。
「俺は、誉人とはちょっと違うっす」
 見えないふりをして手を出していないと嘯いた彼の隣で、饗はぽつりと呟いた。
「手を出したくても、出せる手がなかったっすから、どうにもならなかったっす」
 ずっとだった。ずっと。映るのに、聞こえるのに。手を出すことはできなかった。
 福の旨そうな料理を知覚することはできても、食べることはできなかった。
 あるじの喜びを共に叫ぶことも、あるじの悲しみを拭うことも。ずっとずっと、できなかった。
 話を聞くだけ。いろんなことを聞いて聞いて聞いて、知っていくだけ。
 もどかしくても、それが常だった。

 にゃぁ。
 にぃぁん。

 福の手に甘えるあられの鳴き声に、饗を見つめ返していた誉人の紺瞳が、ひたりとそちらに合わさる。
 それにつられるよう、饗もそちらを見た。
「お前がここにきてくれてから、お嬢様はよく笑うようになったんだからね。お前に風邪でも引かれたら困るんだよ」
 福の言葉に嘘はない。
 あられが庵に迷い込み、ここで共にあるじと生活するようになって、彼女の言う通り――あるじの声には張りが出た。
 覚えている。
 ちょうど、今日と同じような雨の日に、ずぶ濡れでやってきた――今の姿よりももっと小さく頼りなく細い、あられの姿。
 あるじの心を癒し、笑顔にさせたあられ。甘やかで高い声音で鳴いて、あるじを呼んで、自由気ままに出ていくあられ。
 対して饗はどうだ。
 話せず。動けず。ただ見るだけ。歯がゆくとも、手を拱くしかできなかった。
「知っての通り、俺も主様を亡くしたっす」
 あの夏の日――手を伸ばしたときには、手遅れだった。
「主様が亡くなったと、受け入れらなかったんっす」
 やっと触れることのできたあるじの命は尽きていた。
 望みに望んで、焦がれ続けて、漸々触れた躰は、魂が落ちた抜け殻だった。
「饗……」
「話したことあるっすね、誉人には。俺は、主様から、いつか嫁に行きたい、祝言をあげたいと聞かされ続けたっす」
 饗の体の奥底に溜まる願いを叶えないといけなかった。
 饗が饗たらしめるものだから。
 骸を白無垢で清め、あるじが望んだように、ともにいた。
 来る日も来る日も庭を眺め、空を眺め、雨に打たれ、風に吹かれ、雪に降られ。
 文字通り、片時も離れることなく、ともにいた。
 いつか話した過去をもう一度告げれば、誉人の双眼は曇る。彼は何も言わない。ただじっと黙って、饗の言葉を聞いていた。
「狂ってると思うっすか」
 ついに聞いてしまった――それでも、これが俺だから。呆れていないか。愛想を尽かされていないか。薄気味悪いと忌避されやしないか。棄てられやしないか。
 声に乗らなかった思いは重く、庵に沈殿する。
 誉人は息を呑んだまま、答えない。かわりに黒髪が揺れた。僅かに首を振って否定したのだろう。
「俺は、あのとき、……」
 詰まっていた痼と化した息を吐き出しながら、
「それしか知らなかったんっす。わからなかったんっす。でも、春がきて、花の香がしたんっす」
 ふたつの腕に抱いたモノを唐突に理解した。
 腕の中に閉じ込めたまま、どこにも動けずにいる――きょうでも、あすでもないモノは、誰も望んだ姿ではなかった。
 まざまざと思い出すことができる。
 あの春の日の日差しも、頬を冷やす風の柔さも。
 見上げた空に向かって、精一杯に腕を伸ばし、咲き誇る蝋梅の爽やかな甘さの、なんと気高いこと。
「主様は、そんなことを望んでいたわけではないんっす」
 この庵は、見ることしかできなかった饗が終わった場所だ。
 あるじになにをしてあげることも出来なかった饗が終わった場所だ。
「無機物で無力だった俺とは、ここで決別したっす」

 ――生きて
 ――生きて
 ――きょう、あえた、から
 ――あす、も
 ――いきたい

 託されたから。明日に向かい生きると決断し、立った。
 あるじを見続けていたから。言葉を交わしたことはなかったが、きょうの中には、あるじの思いがたくさん溜まっていたから。
 立てた。
 立つことができた。
 明日を目指すことができた。
 過去に囚われて、雁字搦めに縛られて、歪んで凝っている――眼前の猫とは違う。
 饗は明日を手に入れた。
 だから、今がある。
 じわりと潤んだ紺瞳に微笑みを返した。
「誉人、大丈夫っす。もう、超えてきたことっす」
 判っている。
 眼前のこの光景すら、過去であることも。
 チリリっと鈴を鳴らし、福にじゃれつくあられすら――過去であることも。
(「だから、誉人がそんな顔することはないっす」)
 ひどく傷ついたような、いまに泣き出しそうに唇を引き結んでいる。
 眉間に刻まれた皺を伸ばして、「そっかァ」といつもみたく、にかりと笑ってくれればいいのに。
 いまのあるじは、多くを語ってくれそうで、ときおり二枚貝のように口を閉ざす。

 ◇

 手を伸ばしかけて、やめた。今は彼に触れるべきではない。懐かしさと、やるせなさと、ふつりふつりと沸く怒り――それらが渾然と騒然と饗を揺さぶる。
「もう大丈夫っす」
 そう繰り返し言った彼の、それでも溢れる哀しさを見て、誉人は己の無力を思い知る。
 彼の語った出来事は、誉人が生まれたころの話だ。遠い遠い――かの闇が支配する地で産声を上げ、父母の愛だけを浴びていたころの話だ。
 昔話だ。今更、当時の饗に寄り添ってやることはできないし、今の饗にかける言葉は最早ない。それが、たまらなく誉人を掻き乱す。
 諦念したような、達観したような――力ない微笑みに、一層心が締め付けられた。
 慰めも労わりも、一切合切を己の力と意志で乗り越えた饗に、一体なにを言えばいい。
 言葉が見つかるはずもなかった。
 滲んだ涙を乾かそうと、懸命に誉人は目を瞬いた。
大成功 🔵🔵🔵

●疑
 すずのおと いっぱいならした。
 ごしゅじんさま きてくれない。
 やさしく からだをふいてくれたけど、このひとはごしゅじんさまじゃない。
 おっきなこえで ただいまっていってみた。
 でも、ごしゅじんさま きてくれない。
 きこえてないのかな。
 あめのおと おっきくって やかましいから。
「そんなに鳴いて、どうしたんだい? 腹が減ってるのかな……あんたにもごはんあるから、ちょっと大人しくしてな」
 ごしゅじんさまのおせわするひと あられのおせわもしてくれる、やさしいひと。
 このひとのごはん おいしい。
 でも ごしゅじんさまじゃない。

 ごしゅじんさまあ! ただいまあ!

 へんじない。
 だから さがしに……。

●厄
 にゃぁ。
 にゃッ――
 鳴き方ががらりと変わり、ぴりっと雰囲気を引き締めたあられは、慌てて福の手から逃れるように座敷へと駆け入っていった。
「あられ?」
 福の呼ぶ声も聞こえないようで。なにかから逃げるように。手ぬぐいを持ったまま立ち上がった福は、大仰に溜息をひとつ。
「猫らしいと言えば猫らしいけどね……晴れたら洗濯しないと」
 手癖のように手ぬぐいを畳み、止めていた昼食の支度を終わらせようと、踵を返した。
 雨足はいよいよ強く、天井を叩く雨音は、家中に響いて喧しい。

「御免」

 降雨の爆音の中にあって、その男の声は、まるで雷のように鮮烈だった。
 弾かれたように声の方へと体を捻った福は、瞠目した。
 それも無理からぬこと――そこには、本家の伝達役がいたのだ。
●座敷
 本家の使者――福も知っている。何度もこの庵を訪れ、明日香のことを根掘り葉掘りして帰っていく男だ。名を平助。まるで名が体を現さない男だ。なにも平らに収めず、福のことも明日香のことも助けない、冷徹な男だ。
 腫れぼったい一重の細い眼が、じろりとあられを睨む。
「ふん、猫なんぞと暮らしておるのか」
「お嬢様の猫よ」
 暮らしぶりを値踏みするような陰険な視線が、支度の整った昼食を睨めつけた。
 少しは時間を考えて訪ねてくれても良かろうものを――こちらの事情の一切を無視した訪問に、福は苛立ちを募らせた。
 平助は、立ち話をする気はなさそうで、勝手に座敷へと上がっていく。
 そして、盛大に舌打ちをした。
「おい、この猫をつまみだせよ、汚えな」
 平助はあられを足蹴に追い払う。
 驚き慌てたあられは、座卓の上に飛び乗り、さらに箪笥の上へと跳び逃げる。
 その拍子に――薬入れが、床に落ちた。
 戛然と響く音の余韻は、雨に攫われ、最後まで聞き取ることは難しかった。
 蓋は外れとんだが、中身は散らばらない――散らばる中身がなかったからだ。
 空の薬入れを拾い上げた平助は、下卑た嗤いに体を揺らす。
「汚い猫に、空の薬箱……ハハッ、」
「お嬢様の猫だと言ったろう! 乱暴するのはやめて!」
 それでもぴしゃりと言い切った福は、男の手から薬箱を奪い返し、大きな体を怒らせて平助を威嚇した。