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災匣

#ダークセイヴァー #第五の貴族 #宿敵撃破

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#第五の貴族
#宿敵撃破


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●黒薔薇の聖女
 小さい頃から歌が好きだった。
 だけど、今のあたしは歌が嫌い。大嫌い。
 自分では上手く歌えないから。それに、或る歌がすべてを壊したから。
 あの歌さえなければ栄光の黒耀は輝き続けた。
 黒薔薇が咲き誇る絢爛の街を血で染めて、あたしとあの子が愛した享楽の舞台はいつまでも続くはずだった。
 あたしの創った匣の中で、みんなが幸せに暮らせる未来があったのに。

 ああ、きもちわるい。苦しい。痛い。哀しい。
 世界には絶望と破滅と裏切り、諦めと煩悩、罪が廻るばかり。
 どいつもこいつも、誰も彼も信じられない。余計な言葉を紡ぐから擦れ違うの。滅びの歌なんてものがあったからいけなかった。
 音なんて無くなればいいのに。そうよ、無くなればいい。
 無音の棺こそが、この夜に相応しい。

 おいで、おいで。音の無い世界を越えて進んできたなら認めてあげる。
 此処では理不尽に死ぬことも飢餓に喘ぐ必要もない。誰もが平穏に暮らせる世界をあげるわ。絶望に苦しむ本物の世界より、偽りでも幸せが訪れる匣の世界に導くから。
 どうしてこんなことをするのかって?
 あたしは『    』に、青い空が広がる世界をあげるって決めたの。
 たくさんの世界を作っていったら、その中にひとつくらいは『    』が気に入る場所があるかもしれないから。
 ……あれ? 誰の為なんだっけ? 明るい空ってどんなもの?
 まあ良いわ。この匣の中には貴方が望む世界がある。どんな世界だって創ってあげる。
 さあ、望んで。
 けれど、その世界が嫌だっていうなら――さっさと死ねば?
 死んでも大丈夫。あたしが創る『黒薔薇の紋章』の一部になれるんだから!

●美しき世界
 荊棘に包まれた黒耀の城。
 紋章の製造場所だと予見された其処に、第五貴族となったヴァンパイアがいる。
「その名は――『黒薔薇の聖女』パンドラ」
 鴛海・エチカ(ユークリッド・f02721)はオブリビオンの名を仲間達に告げ、パンドラが行っている紋章の製造について語っていく。
 ヴァンパイアに莫大な力を与える存在、『紋章』。
 閉じられた闇の世界に上層があると判明した今も製造は続けられている。
 元々パンドラは別の都市を治めていたようだが、とある出来事によって今の居城に移らざるを得なくなったらしい。
 彼女は現在、城の中に誂えられた紋章の祭壇に生贄を捧げ続けている。
「ただ、パンドラは少し変わっていてのう……。望む者がいれば、自分の『匣』の中にその者の理想の世界を作り出して、幸せを与えて住まわせるそうじゃ」
 匣の中では美しい憧れを実現できる。
 あのときああしなければよかった。そんな後悔を覆した別の世界線を作り出したり、平和や安寧を実現した世界だって思いの儘。
 されどそれを拒否して匣から出てきてしまった場合、紋章の祭壇の生贄にされる。
「皆が幸せでなければならず、否定するなら死が待つのみ」
 それは本当に幸福なのだろうか。
 静かに首を横に振ったエチカは、祭壇の状態について語りはじめた。

 城の中央にある祭壇。
 其処には大量の人間や、過去にパンドラを陥れた他のヴァンパイアの生贄を素体とした、黒薔薇の紋章が形作られている。
 それがある限りどうあってもパンドラを倒すことはできない。
 しかし、彼女と戦う前に祭壇を破壊しておけば力を削る機会が訪れる。
「祭壇にいくには特別なルートを通る必要があるようじゃ。そこは音のない世界が広がる、寂寞の漆黒空間なのじゃ」
 黒薔薇と棺が現れては消える無音の世界。
 祭壇への侵入を防ぐための道には気が狂う程の静寂が満ちている。そして、それは通る者を蝕む。声を出すことは叶わず、記憶がゆっくりと喰らわれていく。
 だが、どうしてか今は空間に綻びが出来ているようだ。
「内部には不思議な標があるようなのじゃ。『荊棘の道』『黒い羽根の道』『白い羽根の道』、どれに進んでも祭壇に辿り着くようじゃぞ」
 原因はわからないが、何らかの力が働いていることは確かだ。それぞれの道に進めば要因を突き止められるかもしれない。
 そして、エチカは紋章の祭壇内部について説明していく。
「そこは大量の生贄の血と死骸が散らばって、漂う悪臭が薔薇の香りで押し隠されている……とても、とても悍ましい場所じゃ」
 更に其処には薔薇に寄生された亡骸が彷徨っている。
 その者達の総称は『死花』ネクロ・ロマンス。既に死した者達に個の意思はなく、祭壇に近付くものを攻撃してくるだけの存在だ。
 相手は茨棘による攻撃を行ってくるが、猟兵ならば難なく倒せる。
「……倒しても魂は救われぬ。かれらの魂自体はもう上層とやらに逝っているのじゃろう。しかし……だからといって、亡骸を動かされ続けていい道理はない。どうか引導を渡してやって欲しいのじゃ」
 彼らを排除した後は祭壇を壊せばいい。
 紋章自体に結界などは施されていないため、一撃で破壊できるだろう。

●厄災と希望の匣
 祭壇の破壊が終われば、城の最奥に君臨するパンドラとの戦いとなる。
「パンドラはお主達を匣の世界に誘うじゃろう。祭壇を壊しても黒薔薇の紋章の力はまだ残っているゆえ、普通に戦ってしまうと苦戦は必至じゃろう。ゆえに敢えて、パンドラの匣に身を委ねるのじゃ」
 匣の中は理想と幻想の世界。
 それを打ち破ることによって、パンドラの力を着実に削ることが出来る。
 しかし、彼女を倒す別の方法もある。それはパンドラが編み出した『彼女の理想が廻る世界』に飛び込むこと。
 其処にはパンドラの希望が詰め込まれているようだ。
 入ったものは否応なしに享楽の舞台にあげられ、歌や詩での戦いを強いられる。
「自分の理想や、望んだ世界が作られた匣に飛び込むか、パンドラ自身の匣世界に挑むか。どんな戦い方でもよい。皆に任せるのじゃ」
 どういった方法を取るかは自由だと語った後、エチカはちいさく呟いた。
「……パンドラの匣の、希望」
 その名と在り方はなんと哀しくて切なくて、皮肉なものなのだろうか。
 そして、黒薔薇の城に繋がる転送魔法陣が紡がれていく。次に猟兵が瞼を開けたときに広がっているのは、黒耀の闇と漆黒の棺が現れる無音の世界。
 そう――寂寞のグランギニョールだ。


犬塚ひなこ
 今回の世界は『ダークセイヴァー』
 かの匣の中に残っているものは何なのか。幸福を作ろうとしているヴァンパイアが行っている、悍ましき紋章の製造を止めてください。

●第一章
 冒険『寂寞Grand Guignol』
 領域に入ると、音のない特殊空間が広がっています。
 気が狂う程の静寂の中で声は奪われ、全ての音が否定され、一緒に入った人がいたとしても引き離されます。無音の世界では大切な言葉が消え、記憶が喰らわれていきます。その中で、あなたがどんな意志を持って、どう進むかを示してください。

 POW:血に濡れた黒棘の道。
 SPD:千切れた黒い羽根が落ちている道。
 WIZ:白い鳥の羽根が転々と散らばる道。

 それぞれ二章以降に繋がる何らかのヒントや、隠された秘密のお話に辿り着きます。どれを選んでも有利不利はありませんのでお好みで大丈夫です。
 描写的にご参加はおひとりさま推奨ですが、後に合流することも可能です。お好きなかたちでどうぞ!

●第二章
 集団戦『『死花』ネクロ・ロマンス』
 場所は紋章の祭壇前。
 黒、赤、紫、黄、青などの寄生薔薇に身体を操られた人々が襲いかかってきます。花の色は様々ですが黒薔薇が多いようです。彼らは既に死しており、身体は新たな紋章になりかけています。しっかりと倒して引導を渡してください。

●第三章
 ボス戦『『黒薔薇の聖女』パンドラ』
 匣の中に偽りの世界を作り、理想や幸福を与える吸血鬼。
 匣世界を作る度に正気を削られているようです。様々なことを失っているようですが、自分は悪でいつか倒される存在だということは忘れていないようです。

 敢えてパンドラの匣(ユーベルコード効果)に入ってください。
 あなたが想像する理想の世界や、幸福の世界がどんなものかをプレイングにお書きください。それらを否定したり、認めたり、示された行動を行うことでパンドラの力を削ることができます。

 また、今回はパンドラにとっての理想世界も作られています。
 パンドラの匣世界に入る選択をする場合は『🎶』マークをプレイング上部にお書き添えください。歌や音、詩が力に変わる舞台の世界での音楽バトルとなります。

 その他、詳しい状況は三章時に追記します。
 彼女とどのような決着を付けるのかは、皆様の答えと行動次第です!
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第1章 冒険 『寂寞Grand Guignol』

POW   :    手探りで進む

SPD   :    無音の闇を駆け抜ける

WIZ   :    音が無くなった原因を探り、奪われた音を探しながら進む

イラスト:葎

👑7
🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

種別『冒険』のルール
「POW・SPD・WIZ」の能力値別に書かれた「この章でできる行動の例」を参考にしつつ、300文字以内の「プレイング」を作成してください。料金は★0.5個で、プレイングが採用されなかったら全額返金されます。
 プレイングが採用されたら、その結果は400文字程度のリプレイと「成功度」で表現されます。成功度は結果に応じて変化します。

 大成功🔵🔵🔵
 成功🔵🔵🔴
 苦戦🔵🔴🔴
 失敗🔴🔴🔴
 大失敗[評価なし]

👑の数だけ🔵をゲットしたら、次章に進めます。
 ただし、先に👑の数だけ🔴をゲットしてしまったら、残念ながらシナリオはこの章で「強制終了」です。

※自分とお友達で、それぞれ「お互いに協力する」みたいな事をプレイングに書いておくと、全員まとめてひとつのリプレイにして貰える場合があります。

レザリア・アドニス
白い鳥の羽根…
それはかつて、私がどれぐらい欲しかったものか…

音もない世界の中で、自分の足音や心臓の鼓動さえも聞こえず、
孤独と静寂に飲まれないように、とにかくいろいろ考えつつ歩く…が、
記憶も段々喰われて、白い白い羽根に目を奪われていく
思わず散った羽根を辿るように進でしまう
綺麗な、白い羽根…
私に、も…
ふと振り返せば
そこに汚い灰色の翼しかない
そして全て思い出した
ああ…
これこそ
私の姿ですね
白い羽根なんか、もう、私にはないわ…

必死にかき集めた白い羽根をあっさり捨てて
出口へ向かう



●白の道標
 此処は城に訪れる者を阻む領域。
 音のない世界はまるで寂寞の幕に覆われているかのようだ。
 一歩、敢えて地面を踏み締めるように進んでみても足音がしない。自分の呼吸の音すら感じられず、奇妙な感覚ばかりが巡っていた。
 黒薔薇に覆われた棺が見える。しかし、それもすぐに消えてしまった。
(白い鳥の羽根……)
 レザリア・アドニス(死者の花・f00096)はその中で不思議な軌跡を見つける。
 それはかつて、レザリアが喉から手が出るほど欲しかったものだ。気が付けば白い羽根を拾いあげていた。指先を地面に伸ばし、触れた羽毛は柔らかい。
 寂寞の世界の中で、レザリアは羽根を拾い集めていく。
 自分の足音はおろか心臓の鼓動さえも聞こえず、心が蝕まれそうになった。孤独と静寂に飲まれないよう、レザリアはずっと思考を巡らせながら歩き続ける。
 早く、この領域の出口を。
 灰に汚れた翼より白が欲しい。
 取り戻さなきゃ。
 でも、どうして――?
 思考が闇に沈んでいく。レザリアはどうして自分がこんなことを考えていたのかすら分からなくなりはじめていた。
 何故、黒と灰が嫌だったのか。白を求めていたのはどうしてなのか。
 この領域に施された力によってレザリアの記憶が段々と喰われていく。ただ白い羽根に目を奪われていくだけになっていった。
 散った羽根を辿るように、レザリアは本能のままに進む。
(綺麗な、白い羽根……)
 気付けば、レザリアの手の中には羽根がいっぱいになっていた。たったひとつの道標を腕に抱えた彼女は、先へ進み続けていく。ただそのことだけがレザリアの行動原理になっているようだ。
(――私に、も……)
 暗闇の向こうに黒薔薇が見えた。レザリアはふと、周囲にも薔薇が咲いているのかと気になって振り返ってみる。
 その拍子に自分の背に生える汚い灰色の翼が見えた。
 次の瞬間、レザリアはすべてを思い出す。奪われかけていた記憶が脳裏に駆け巡り、どうして自分が白い羽根を求めていた理由に気付いた。
(ああ……これこそ私の姿ですね)
 レザリアの胸に突き刺さったままの苦悩と過去への思いは、領域の魔力を跳ね返してしまうほどに深くて強い。だが、それはレザリアの心に影を落とす理由にもなっていた。
(白い羽根なんか、もう、私には必要ない)
 レザリアは必死にかき集めていた白い羽根をあっさりと捨てた。先にはまだ羽根が落ちているが拾ったりはしない。
 やがて、出口らしき小さな光が見えたと思った瞬間。レザリアの頭の中に知らない誰かの言葉が響いてきた。
『――よぉ。俺の遺した標を見つけたのか』
 それは男性の声だった。どうやら、この城を支配するパンドラのものではなさそうだ。その声の主の姿は何処にも見えず、言葉は直接的に心に届いているらしい。
 そうして、『彼』は語る。

 お前も心に或る種の闇を宿しているみたいだな。
 だが、その方が強いぜ。何せ負の感情ってのは消えにくいからな。心に宿った思いを使って進み続けられる力がある。それに加えて理想を簡単に捨てられる意志も持っているときた。いいぜ、お前には見込みがある。
 教えてやろう。
 パンドラの匣に入った時、願望や幸福を叶えた美しい世界を視るかもしれない。
 そういった場合は今のお前がやったように全力で否定してやれ。そうすればパンドラに宿る黒薔薇の花弁が一枚、確実に散る。
 肯定の匣には否定を。
 いいか、此処では真逆のことこそが正解になる。覚えておくといいぜ。
 
「……誰?」
 レザリアが問いかけたとき、声の気配や寂寞の空間は消え去っていた。
 はたとした彼女は自分の声が聞こえていることに気付く。あの領域を抜けたのだと知ったレザリアは静かな安堵を抱いた。
 音のない世界。それはとても恐ろしくて、何故か物悲しいものだった。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

フリル・インレアン
【WIZ】
ふええ、静かというより何も聞こえませんね。
私の声でさえ聞こえないなんて不思議です。
・・・、不思議といえばなんでアヒルさんが何もしてこないんですか?
音が無くたって、アヒルさんのことですから私のことを突いたりしてくる筈なのに何もしてこないなんてありえません。
あ、アヒルさんがいなくなってます。
一緒に来たはずなのに、いなくなってます。

えっと、アヒルさんなら絶対にこの『白い羽根の道』ですよね。
この道を進んでいきましょう。
ここに来た目的とか、この先がどうなっているのか思い出せませんが、とりあえずはアヒルさんと合流するのが先決ですね。
アヒルさんなら覚えているかもしれませんからね。



●今日も誰かを救うために
 寂寞の領域。
 此処ではありとあらゆる音が殺されている。
 そのように表してもおかしくないほどの静寂――否、無音の世界が続いていた。
「ふええ、静かというより何も聞こえませんね」
 フリル・インレアン(大きな帽子の物語はまだ終わらない・f19557)は辺りの様子を探りながら、状況を確かめる。
 口は動いているが、自分の声が聞こえなかった。
 傍から見れば口許をぱくぱくさせているだけの少女に見えるだろう。
「私の声でさえ聞こえないなんて不思議です」
 めげずにもう一度、声を発してみる。しかし、やはり声は響かなかった。これでは相棒ガジェットのアヒルさんに何かを伝えることも出来ない。
「……、不思議といえばなんでアヒルさんが何もしてこないんですか?」
 フリルは大切なことに気付いた。
 普段であれば、どんな状況であってもアヒルさんがフリルを突いてくる。たとえ音がなくたって、アヒルさんはフリルに発破をかけるはず。
 何もしてこないことはありえないと断言できるほどだ。フリルはアヒルさんを呼びながら帽子の上を見てみたが、其処にはいない。
 後ろからついてきているのかと思って振り返ってみても気配がなかった。
「あ、アヒルさんがいなくなってます」
 確かに一緒にこの領域に入ってきたというのに何処にもいない。フリルは少し涙目になってしまった。まさかアヒルさんがはぐれてしまうとは思ってもみなかったからだ。自分を置いて何処かにいくことはあるが、迷子だなんて――。
 そのように考えたとき、フリルは白い羽根が落ちていることに気がついた。
 自分の声すら聞こえない領域では何だか気がおかしくなりそうだったが、今はこの羽根に頼るしかない。
「えっと、アヒルさんが進むなら絶対にこの道ですよね」
 フリルは言葉を発することを止めないまま、羽根を辿って進んでいった。
 歩を進める度に何かが削られていく気がする。
 この場所に来た目的。
 歩いていく先がどうなっているのか。
 事前に説明を聞いてきたはずなのだが、どうしても思い出せない。この領域に満ちている魔力のせいだ。
 それでも、フリルは最後までアヒルさんのことだけは忘れなかった。
「とりあえずはアヒルさんと合流するのが先決ですね。アヒルさんなら覚えているかもしれませんから」
『へぇ……お前、面白い性質を持ってるな』
 そのとき、何処かから不思議な声が響いてきた。それは音ではなく、心に直接働きかけてくるようなものだ。
 青年らしい雰囲気の声はフリルに語りかけてくる。

 お前は今まで、無自覚に人を救ってきたんだろう。
 真っ直ぐな心があって自分を貫き続ける。しかし、決して他者に強要はしない。そんなお前だからこそ、これまで無意識に大きな転機を作って局面を救ってきた。
 お前が此処に来たのも、きっと何かの縁だ。
 大切なことを教えてやろう。
 パンドラの匣に入った時の話だ。後悔や郷愁を思い出して、過去から分岐した『もしもの世界』を視ることがあるかもしれない。
 そのときは決して世界を否定するな。思い描いた世界を認めてやれ。そうしたらパンドラに宿る黒薔薇の花弁がまた一枚、散るだろう。
 否定の匣には肯定を。
 此処では真逆の意思が正解になる。ゆめゆめ、忘れるなよ。

「ふえぇ……どなたですか? あ、私の声が聞こえます」
 急な声に驚いたフリルは、素直に言葉を聞いていた。思わず零れ落ちた自分の声が耳に飛び込んできたので驚きはしたが、それは闇の領域を抜けた証でもある。
 ぐわ、と鳴き声が聞こえた。
 相棒だと察したフリルは、あの声の正体が気になりつつも声の方に走った。
「アヒルさん! 良かったです、もう会えないかと思いました」
 無事に相棒ガジェットと合流したフリルの記憶はすっかり戻っている。次は紋章の祭壇に向かうのだと思い出したフリルは、アヒルさんと共に先へ進んでいった。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

雨倉・桜木
◎/WIZ
■祭壇へ向かう為の道が静寂、か。彼女の理想の世界は其れを強いる程のウタに満ちているというに?ーふぅん、ちょっと興味深いね、その食い違い。嫌なウタでも聞いたのかな?

■音もなく光のない道を歩きながら抱く意志はパンドラへの強い興味のみ。まるで彼女が理想のウタの為にそれ以外を捨てたかのようだと。ぼくは彼女が今に至るまでを知りたい。

よくない癖だと自覚はあれど語り部としての本能のようなものだから仕方ないよね。

過去も未来も想い馳せぬぼくに失うほどの記憶はないだろうーけど、散る白い羽に胸が騒めく。まるで鳥が苦しんだ跡のような其れに彼が無事であることを願った。

ー彼って誰だっけ?
※彼=契約悪魔のゴウカク



●語り部として識るべき事
 黒薔薇の紋章を製造し続けている祭壇。
 其処に向かうために、猟兵達は音のない世界と化した領域を進んでいる。
「祭壇へ向かう為の道が静寂、か」
 雨倉・桜木(花残華・f35324)は伝え聞いてきた情報の通りだと感じた。何故なら、今しがた自分で喋った声が聞き取れなかったからだ。
 言葉にしても響かない。
 空気の振動がない。物理法則が魔力によって崩壊させられている領域は妙に不気味で、不思議なものだった。
(彼女の理想の世界は其れを強いる程のウタに満ちているというに?)
 ふぅん、と頷いた桜木は思考を巡らせる。
 普段は聞こえるはずの音が耳に届いてこないことには違和があったが、桜木は特に狼狽えるようなことはなかった。
 寧ろこの領域の雰囲気を確かめるようにして、一歩ずつ進んでいく。
(ちょっと興味深いね、その食い違い)
 ――嫌なウタでも聞いたのかな?
 予想を思い浮かべる桜木の推測はきっと当たっている。好きだったものを嫌いになるほどの理由があったのだろう。
 桜木の裡にあるのは此度の首魁である黒薔薇の聖女、パンドラへの強い興味。
 音もなく、光すらない道を歩きながら、桜木は彼女のことを想像していく。
 桜木は自然と白い羽根が落ちている道を進んでいた。その際も、まるで彼女が理想のウタの為にそれ以外を捨てたかのようだと考える。
(そう、ぼくは彼女が今に至るまでを知りたい)
 それゆえに此処に訪れたのだと言っても過言ではなかった。幸福の匣を持つパンドラがどうしてウタを嫌い、ウタを好むのか。相反した状態のものを解き明かしたい。
 桜木はこの癖をよくないものだと自覚している。
 駄目だと思ってはいるのだが、これは語り部としての本能のようなもの。
(だから仕方ないよね)
 うん、と桜木は分を納得させるようにして再び頷いた。
 此処では記憶も一緒に闇に沈んでいくと言われていたが、桜木は何の心配もしていなかった。何故なら過去にも未来にも想いを馳せないからだ。
 そんな自分に失うほどの記憶はないだろうと考えてのことだ。もし失ってしまったとしても、些細なことだと思っていた。
 けれども、胸が騒めく。
 それはどうしてだろう。先程から散っている白い羽根を見ているからだろうか。
 まるで鳥が苦しんだ跡のようだ。
 そのことが桜木の胸の裡に興味以外の感情を呼び込んできた。羽根を見下ろした桜木は、彼が無事であることを願う。
(……彼? それって誰のことだっけ?)
 疑問が浮かんだ。自分は誰の心配をしたのだろうか。
 それが誰であるかを忘れさせられてしまったようだ。彼がいたことは確かだ。しかし、思い出せないでいる。
 その対象は愛鳥である四ツ羽ノ化ケ鴉のこと。桜木がゴウカクと呼ぶ存在だ。白鴉であるがゆえに、散る羽根から先程の思いを連想したのだが――。
(何だか胸の奥が痛いな。大切なものを忘れるってこんな感じなんだ……)
 桜木は胸元に掌を添えてみる。
 そのとき、何処かから知らない声が響いてきた。
『……お前もそうなのか』
 それは白い羽根の道を辿った者にのみ聞こえてくる男の声のようだ。音としてではなく、念として届けられた言葉は奇妙だ。そして、男は語ってゆく。

 そうか。お前のことを見ていて分かった。
 大切なものってのは完全には忘れられないもんなんだな。
 感情は覚えているのに記憶を失ってしまう。それがどんなに苦しくて耐えられないことか、俺は考えてもいなかった。あいつの大切なものが、俺だったってのもな。
 あの女はたくさんのことを忘れちまってる。それなのに俺のための理想の匣をつくるって言って、自分の精神を削り続けてるんだ。
 哀れな女だよ、あいつは。
 俺はあの女が好きってわけじゃねぇ。けれど、もう見ていられないんだ。
 なぁ、頼むよ。
 あいつに――パンドラに、終わりを与えてやってくれ。

「……分かった。ウタの正体も知りたいからね」
 知らぬ誰かに掛けられた声に対して、桜木は首肯した。元より興味があったから、と語ろうとした桜木は自分の声が耳に届いており、記憶が戻っていることに気付く。
 白い羽根の主が導いてくれたのだろう。そのように考えながら、寂寞の闇から抜けた桜木は先を見据える。
 紋章の祭壇を越えた先にいるであろう、黒薔薇の聖女を思って――。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

唄夜舞・なつめ
無音。
この感覚を
俺は知っている
何度も迎えた“死”の感覚
恐ろしくなる、感覚
記憶が欠けてゆく感覚

幾度も繰り返した自殺の感覚は
脳にこびりついて剥がれない
常に死した年齢に生まれ変わり
決まって夏だった
蜩はそんな俺を
嘲笑うかの様に鳴いていた

何百と繰り返してからだろうか
熱を感じなくなった
何千と繰り返してからだろうか
鳴き声が聞こえなくなった
何万と繰り返してからだろうか
──忘れてしまった

死んでいたんだ。あの時の俺は。

けれど今は違う
その証拠に今
あの夏の熱を心で感じ
蜩の鳴き声を心で聞き
恐れて汗を流している

おれは今…生きている

ゆっくり口角を上げ
白羽根の道を進む
死んでも忘れぬと誓った
存在を求めて



●死生
 純粋なるまでの無音。
 唄夜舞・なつめ(夏の忘霊・f28619)は、この感覚を知っている。
「俺は……」
 なつめは無意識に呟き、はたとした。普段は聞こえるはずの自分の声が耳に届かなかった。まるで周囲の闇が全ての音を消し去っているかのようだ。
 しかし、そのことが更になつめの感覚を研ぎ澄まさせた。
 これは何度も迎えた“死”の感覚だ。
 音が消え、己の立ち位置がわからなくなり、いずれ自分すら消滅する。
 恐ろしくなり、身が凍える。
 記憶が欠けてゆく感覚を思い出したなつめは、奇妙な心地を抱いた。忘れているというのに思い出す。聞こえないというのに心の声が深く響いている。
 まるで真逆のことこそが正解だと語るかの如く、寂寞の闇が広がっていた。
 幾度も繰り返した死。
 その感覚は脳にこびりついて剥がれず、今という生を過ごしている今も胸裏にまとわりついている。こうして、闇に身を委ねるとどうしても蘇ってくる。
 なつめは常に死した年齢に生まれ変わっていた。
 それは決まって夏だった。
 無音の世界では、心の中の音だけが響き続けている。脳裏に過るのは蜩の声。あのような自分を嘲笑うかのように鳴いていた。

 何百と繰り返した。
 だからだろうか。いつしか熱を感じなくなった。

 何千と繰り返した。
 それゆえにだろうか。鳴き声が聞こえなくなった。

 何万と繰り返した。
 それだからだろう。いつか――忘れてしまった。

(死んでいたんだ。あの時の俺は)
 まるであの頃を繰り返しているみたいだと感じながら、なつめは闇の空間を歩き続けていた。一瞬でも思考を止めれば寂寞に呑まれてしまいそうだった。
 もしまた繰り返すのならば、このような道を進むしかないのだろう。
 けれど、となつめは頭を振る。
 今は違う。
 歩を進めるなつめには明確な意志があった。その証拠に今、あの夏の熱を心で感じている。蜩の鳴き声を心で聞き、恐れながらも生の証である汗を流していた。
 今は音だけが死んでいる。
 此処に居る自分は死んでなどいない。
(おれは今……生きている)
 なつめは胸に手を当て、鼓動を確かめた。音は聞こえなくても脈動していることは手の感覚から分かる。此処は人為的に用意された空間だ。何もかもが無意味になる死そのものが存在しているわけではない。
 なつめはゆっくりと口角を上げ、進む先に見える白い羽根を見据える。
 そのとき、知らぬ誰かの声が心に響いてきた。

 へぇ、お前は死を知っているのか。
 この世界に生まれなくてよかったな。此処では死に救いなんてないからな。
 本当は俺の魂も上に巡るはずだった。だが、あいつがそれをよしとしなかった。俺の魂は囚えられているんだ。
 しかし今更、妙なところに連れて行かれるよりはパンドラの元の方がマシだ。だから助けてくれなんて言うつもりはないが――ひとつだけ、頼みたい。
 死を識るお前。
 この城に蔓延る紋章の侵食を、終焉らせてくれ。

 なつめは本能的に、この声が大事なことを語っていると悟った。正体を探るようなことはせず、そうか、と呟いたなつめは自分の声が耳に届いたことに気付く。
 行く先には空間の出口が見えており、音のない世界が途切れたことを知った。なつめは歩みを止めずに前へ向かう。
 死んでも忘れぬと誓った、存在を求めて――。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

斯波・嵩矩
【WIZ】【◎】

パンドラ
きみの行いは良くないよ
沢山の犠牲を出して成り立つ箱庭世界なんてあまりに冒涜だろう
ひとの世界を勝手に本物とか偽物とかジャッジして
一方的に死を押しつけるのも駄目だ
俺は猟兵だから全力で止めるよ

でも
偽りでも幸せな世界を求めたい気持ちは分かる
喪われて戻らないから逃避したい
閉じた世界で愛したひとの名残りをなぞる事しかできない寂しさ
俺も覚えがある
大好きなひとが愛したはずの『世界』を
捧げ続ける事しかできないって辛いね

うわ
本当に何も聞こえないや
嫌だな
また大切な記憶が削られていく
この感覚は何度味わっても慣れない
床や壁を叩いて確かめてみるけど音は聞こえない?
羽を拾い集めながらゆっくり進むよ



●幸福の意味
 黒薔薇の聖女、パンドラ。
 此度の首魁として予知されたヴァンパイアを思い、斯波・嵩矩(永劫回帰・f36437)は無音の闇に支配された領域を進む。
「パンドラ、きみの行いは良くないよ」
 自分の声すら響かない空間だと分かっていたが、嵩矩は敢えて思いを言葉にした。
 思わず、うわ、と声が出たが発した音が耳に届かない。
 本当に何も聞こえないと実感した嵩矩は改めて周囲を確かめた。床を強く踏んでみたが、普段なら聞こえるはずのコツコツという音は響かない。
 壁を叩いて見ようかと思ったが、何処までも闇が広がっている。それならば、ときおり現れる黒い棺はどうだろうか。嵩矩は棺が出現したところを見計らい、ノックするように叩いてみた。
「やっぱり、音は聞こえない?」
 結局は己の声も響かないまま。仕方ないか、と呟いてこの状況を許容した嵩矩は気を取り直して進んだ。
 パンドラは幸福と希望を詰め込んだ世界を創ってくれるという。幸せでなければいけないと語るかのように、理想を箱詰めにしている。
 しかし、それは多くの犠牲を出して成り立つ箱庭の世界だ。そんなものはあまりに冒涜的だろうと考えた嵩矩は肩を竦めた。
 理想が巡る場所は確かに幸福と呼べるのかもしれない。
 希望に満ちた世界も、誰かが求めたものだと呼べる。
 だが――嵩矩は必ずしもそうだと考えていなかった。ひとの世界を勝手に本物であるか、偽物であるかなどジャッジされたくはない。
「一方的に死を押しつけるのも駄目だ」
 幸福でなければ死を。
 それは結局、幸せになれない方法と考え方だ。嵩矩は黒薔薇と棺が浮かんでは消える空間を歩き続けた。
 自分は猟兵であるゆえ、ヴァンパイアの所業は全力で止めなければいけない。
 嵩矩は己の意志を強く持ちながら、音のない世界をゆっくりと踏みしめていく。けれども、思うこともあった。
 偽りでも幸せな世界を求めたい。その気持ちが分かった。
 喪われて戻らないものから逃避したい。その思いも理解できた。
 閉じた世界で愛したひとの名残りをなぞる。そういったことしかできない寂しさは嵩矩にも覚えがあった。
「大好きなひとが愛したはずの『世界』を捧げ続ける事しかできないって辛いね」
 己の声が響いていなくとも、嵩矩は思いを声にし続ける。
 こうすることで自分の思考を止めず、記憶が沈むのを少しでも遅らせるためだ。瑠璃色の瞳は常に前を映しているが、その胸の奥からは記憶が削られていた。
(……嫌だな)
 また、大切な記憶が失われていく。
 領域を抜ければ戻るのだろうが、だからといって失われていいものではない。それにこのような感覚は何度味わっても慣れないものだ。
 嵩矩は道標の如く落ちている白い羽根を追っていた。一枚ずつ、そっと拾い上げる度に何かが近付いているような感覚がする。
 そうして、幾枚かの羽根を手にしたとき。嵩矩の心に直接、誰かの声が届いた。

 そうだ、世界は移ろいゆくもの。
 あいつも変わらぬ永遠などないと思えたら良かったんだ。しかし、パンドラは擬似的な永遠を望んだ。黒薔薇の紋章なんてものを自分に寄生させて、自らも紋章を作るための第五の貴族になっちまった。
 真の意味であいつを救う方法はないと分かっている。
 だから、此処に来たお前達に願いたい。あいつの匣を壊してくれ。
 頼む。もう、これ以上は――。

 嵩矩は声の主である『彼』が助けを求めているのだと知った。
 聞こえてきた不思議な声は、この白い羽根の主なのだろうか。ふと浮かんだ思いはきっと間違ってはいない。
「うん、良いよ」
 気付けば声は聞こえなくなっていたが、嵩矩は静かに頷いていた。元より此処で起こる事を阻止しにきたのだ。願われずとも嵩矩は進み続けただろう。
 やがて、嵩矩の視線の先には祭壇らしき影が見え始めた。
 無音の世界を抜けたのだと察した嵩矩はそっと身構え、紋章の祭壇を見据えた。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

リオネル・エコーズ

皆が幸せでなければ…か
確かに、少し変わってるかも
人も吸血鬼も色々だね、なんて思うの何度目かな

そんな思考も消えるくらい此処は静かだ
それが、少し怖い

大丈夫

金鍵を握って言ったそれも聞こえない

『彼女』の人形になりに行く日
家族のみんなにも俺は笑顔でそう言った
これは俺の意思
犠牲になりに行くんじゃなくて
みんなを守る為に行くって決めたから

俺なら大丈夫だよ
行ってきます

兄さんと父さんはぐっと堪える顔をした
父さんの眉間の皺凄かったな
母さんは泣いて、妹はきょとんとして

それで
俺に何て、言ってくれたっけ

言葉と一緒に記憶が消え始める
怖い
でも止まっちゃ駄目だ
全て欠片だって零さないと決めた
約束した

標を
黒羽根の道を一気に駆ける



●心の鍵と羽根の標
 皆が幸せでなければいけない。
 まるで幸福であることは権利ではなく、義務であるのだと語られているようだ。
 リオネル・エコーズ(燦歌・f04185)は黒薔薇の領域に踏み入り、此度の敵への考えを巡らせていた。
 パンドラは人々を虐げるだけではなく、先ず幸福を与えようとしている。
「確かに、少し変わってるかも」
 リオネルはそっと呟いてみた。しかし此処では全ての音が殺されている。元より聞いていたので戸惑うことはない。違和感はあったが、寧ろ思考は別のところに向いていた。
 人も吸血鬼も色々だ。
 そんなことを思うの何度目だろうか。
 されど、いつしかこのような思考も消えてしまうくらいに此処は静かだった。
 こういうものだと知っていても、やはり少し怖い。
「――大丈夫」
 金鍵を握ったリオネルは自分に言い聞かせるように呟いた。だが、この場所はその言葉すら聞こえない空間だ。
 リオネルは千切れた黒い羽根が落ちている道を進んでいる。
 その際に思うのは家族のこと。
 あれは『彼女』の人形になりに行く日。リオネルは今と同じように、みんなに笑顔で同じことを言った。
 これは己の意思。犠牲になりに行くのではなく、みんなを守る為。
 そのために行くと決めたから。
 ――俺なら大丈夫だよ。行ってきます。
 あの日の言葉が胸裏に蘇った。それと同時に家族の顔も思い出す。
(確か、兄さんと父さんは――)
 ぐっと堪える顔をしていた。父の眉間の皺が凄かったな、と冷静に思い出せるのはあれから随分と時が経ったからだ。
(それに母さんは泣いて、妹はきょとんとしていて……それで、)
 不意に思考が止まった。
 それから、どうしたのだったか。父と兄、母と妹。彼らの顔に靄が掛かったような不思議な感覚がした。
「俺に何て、言ってくれたっけ」
 記憶が剥がれ落ちていく。リオネルの口から言葉が零れ落ちたが、その声すら耳に届かないので奇妙な心地が満ちた。
 言葉と一緒に記憶が消え始めている。このまま此処で迷い続ければ、自分のことも忘れて彷徨うだけになるのかもしれない。
 怖い。けれども、止まってはいけないと自分に言い聞かせた。
 これ以上、奪われる前に。全て、たったひと欠片だって零さないと決めた。
「約束、したから」
 リオネルは標となっている黒羽根の道を一気に駆ける。黒薔薇が咲いては散る不可思議な空間さえ抜ければ思い出せるはずだ。
 そして、其処で――リオネルは不思議な声を聞いた。

『どこにいるの、■■■■! 出てきなさい、あたしの白い鳥!!』

(……これは?)
 響き渡ってきた女性の声は何処かノイズがかっている。
 自分が呼ばれたのかと思って驚いたが、どうやら違うらしいと気付いたリオネルは周囲を見渡す。誰もおらず、声の主の気配もしない。
 その声は音としてではなく、直接心に響いてくる。おそらくこれは今の出来事ではないのだろう。断片的な記憶の欠片が巡っているようだ。

『■■■■! あんた、あたしの僕でしょう? あたしが来いといったら、すぐ来るの! 全速力で飛んでくるの! なにその、気のない返事は! 捥ぐわよ? 抉るわよ? 殺すわよ!!』

(この声は……パンドラのもの?)
 リオネルは声の主が黒薔薇の聖女だと察した。
 誰かへと喋りかけているのだろうか。厳しい口調でありながらも、相手に信頼を寄せているような雰囲気がする。

『あたし、騙されたのよ! 青薔薇の伯爵がね――街を滅茶苦茶に……――美しい街並みも台無しで――……れ、――は、失敗ね』

 声は次第に遠くなり、途切れていった。リオネルはパンドラの激しい一面が垣間見えた声を思い、足元に落ちていた黒い羽を拾いあげる。
 そのとき、視界がひらけた。
「……出口だ」
 口をひらいたリオネルは音と記憶が元に戻っていると気付き、一先ず安堵を抱く。
 手にしていたはずの黒い羽根はいつの間にか、消えていた。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

朧・ユェー
【月光】◎

血の臭いがする
血に濡れた黒棘の道
隣に居た温かさが無い?
ルーシーちゃん?あの子が居ない
どうやら逸れたようだ
大丈夫だろうか?あの年齢の子よりしっかりした子だから
でもきっと不安になってるに違いない
探さなくては

進んでいくに連れ
小さな音さえも聴こえなくなった
喉が…声が出ない?
嗚呼、まるであの白い世界の様だ
誰も居ない、誰も傷つける事の無い。大切な人達を護れる場所…

大切な人達?
誰だった…だろうか?
複数居たような気もするし、一人だった様な気もする
いや、元々僕だけしか居なかったのかも
ふと、向日葵の匂いがする
手首を見るとリボン?
誰かが僕の為に着けてくれたモノ

誰?
ああ、小さな子が居たはず
あの子が僕を護ろうと沢山の贈り物をくれた
僕の娘

血の臭いであの子はきっとツラくなってるはずだ
大丈夫、大丈夫だよ
迎えにいくから

あの子を探しに行こう
見つけたら抱きしめてあげないと


ルーシー・ブルーベル
【月光】◎

先程までとなりにいたゆぇパパがいない
温みの無くなった手がひどく寒くてふるえる
でも、でも
こんな事は以前もあった
必ずパパは進んだ先で待っていて下さる
だから早くここからでなくちゃ

血のにおいにクラクラする
乾いた喉が鳴る
恐ろしい路
それにとても静か
ブルーベルのお母さまが亡くなった後の館のよう
お父さまはあまり館に帰らなくなって
居ても書斎に籠るばかり
みんな息を止める様に静かに過ごしていたあの時みたい
いつの間にか声も出せない
その為か、あの時の事を強く思い出してしまう

でも『   』お母さまは――あれ?
名が出てこない
声が、姿が思い出せなくなって
あの神域で交わした言葉が霞んでいく
こわい
やっとこの前、本当を知ったのに
また愛されてないと思っていた頃に戻ってしまうの?

いえ、大丈夫
あの方を想えば裡にあたたかさが広がる
記憶が喰われても、受け取った愛を心がおぼえてる
だからわたしは歩いていけるわ
わたしが今、守りたい人
いっしょに居たい人の所まで

――パパ!
パパを見つけたら駆け寄るわ
そしてね、ぎゅううって抱きしめるの!



●血と匂い
 気付けば独り、暗闇の中に立っていた。
 いつからこうしていたのか、いつまでこうしていればいいのか。朧・ユェー(零月ノ鬼・f06712)の頭の中までが闇に包まれているかのようだ。
 ――血の臭いがする。
 そう感じたユェーは足元を見遣る。彼が立っているのは血に濡れた黒棘の道であり、冷えた雰囲気がする場所だ。
「隣に居た温かさが無い? ルーシーちゃん?」
 あの子が居ない。
 そう感じると同時に自分が発した声が聞こえないことに気付く。
「喉が……声が出ない?」
 どうやら少女と逸れてしまったようだとは分かったが、頭の中が霞掛かったような感覚がしていた。声が出ていないのではなく音が響いていないこともわかる。
(大丈夫だろうか?)
 自分や周囲の様子への不安よりも、少女のことが気になる。ユェーは辺りを見渡しているが、心配しすぎてはいない。あの年齢の子と比べれば随分としっかりした子であるゆえ必要以上に取り乱しているようなことはないだろう。
(でも、きっと不安になっているに違いないから――探さなくては)
 ユェーは黒棘の道を引き返すか否かを少し迷い、先に進む方を選んだ。もし少女が進むならばこの道の先だろう。
 どちらが先に進んでいるにしろ、きっと辿り着くところは同じ。
 進んでいくにつれて、音が更に聞こえなくなっていくような気がした。最初は自分の鼓動の動きくらいは感じられていたが、それすらも聞こえなくなった感覚だ。
(嗚呼、まるであの白い世界のようだ)
 誰も居ない。
 誰も傷つけることのない処。
 そして、大切な人達を護ることが出来る場所。
 其処まで考えたとき、ユェーは不思議な気持ちを抱いた。
(大切な人達?)
 それが一体、何だったのかを思い出せない。大切なものがあることは分かっているのだが、肝心のそれが思い出せない。この領域が齎す忘却の力だと理解できたが、そんなことよりも忘れさせられた人のことが気になる。
(誰だった……だろうか?)
 複数人いたような気もするし一人だったような気もした。記憶が薄れていく奇妙な心地を覚えながらユェーは歩み続ける。
(いや、元々僕だけしか居なかったのかも)
 そのような気分にさせられているだけなのかもしれない。ユェーの頭の中は次第に真っ白になっていく。
 しかし、そのとき。ふと何処かから向日葵の匂いがした。
(リボン?)
 香りの元を辿ってみると自分の手首に辿り着く。どうしてか分からないが、誰かが自分の為に着けてくれたものだと分かった。自分ひとりでは選ばないものだと感じたからなのだろうが、しっかりとした確信がある。
「――誰?」
 問いかけてみても声は響かず、答えてくれる者もいない。ユェーは冷静に思考を整理しつつ今の感覚を逃さないようにした。
(ああ、小さな子が居たはず)
 パズルのピースをはめていくように徐々に欠片が集まっていく。
 そうだ、と顔を上げたユェーは黒棘の道の終わりが見えていることに気付いた。そのためか、記憶が少しずつ戻っている気がする。
(あの子が僕を護ろうと沢山の贈り物をくれたんだ)
 ――僕の娘。
 血は繋がっていないが娘と呼ぶ子がいる。ユェーは血と棘の道を見下ろした。幽かではあるがまだ血の臭いがある。
(もしかすれば、あの子はツラくなっているはずだ)
 彼女の心配をしたユェーは立ち止まり、この場から戻ることにした。声や音はまだ消されているが、近付けば姿は見られるはず。
「大丈夫、大丈夫だよ」
 音が殺された世界であっても、この思いは声にしたい。
 ユェーは暗闇を手探りで進みながらもしっかりと前を見据えた。
「迎えにいくから」
 あの子を探しに行こう。そして、見つけたならば――抱きしめてあげないと。

●血とキズナ
 誰もいない。自分だけ。たったひとり。
 ぞっとするような寒さを覚えたとき、ルーシー・ブルーベル(ミオソティス・f11656)は或ることに気が付いた。
「……パパ?」
 先程まで隣にいたはずのユェーがいなくなっている。握っていたはずの手を伸ばしてみても虚空を掴むだけ。温みの無くなった手がひどく冷たくて、寒くて震えるほどだ。
「でも、でも……」
 こんなことは以前もあったのだと思い出す。
 あのとき、必ず彼は進んだ先で待っていてくれた。此処で立ち止まっていはいけないと感じたルーシーは先を目指して歩き出す。
「早くここから、でなくちゃ……――?」
 はっとしたルーシーは耳を押さえた。先程はユェーが居なくなったことで自分の声が耳に届いていないことにまで気が回っていなかった。だが、今ははっきりと分かる。此処では音が殺され、自分の声すら聞こえない。
 声はきっと出ているのだろうが、響かない魔法が掛けられているのだろう。
 それに血の匂いが強い気がした。
(……クラクラする)
 同時に乾いた喉が鳴る。
 足元は荊棘ばかりで歩き辛いが、先程まで進んできた道なのだから引き返したりはしない。恐ろしい路だと感じながらもルーシーは歩を止めなかった。
(とても静か……)
 ブルーベルのお母さまが亡くなった後の館のよう、と考えたルーシーは思い出す。
 たしかあのときは、そう――。
(お父さまはあまり館に帰らなくなって……)
 家に戻ってきても書斎に籠るばかりで顔を出さなくなった。誰もルーシーに話しかけようともせず、みんなが息を止めるが如く静かに過ごしていた。
 そのせいか、あのときのことを強く思い出してしまう。
(あのときみたい。ううん、あのときよりもずっと、寂しくてくらい)
 物音すらしない。
 誰かが息を潜めて廊下を歩く音を思い出したルーシーはぎゅっと掌を握る。此処では声はおろか、足音もしなかった。
(でも『   』お母さまは――あれ?)
 不意に疑問が浮かぶ。
 先程まで思い出せていたはずの名が出てこなくなった。まるで闇に溶けていくかのようにあの人の声や姿が思い出せなくなっていく。
 確かに、あの神域で交わした言葉があったのに。それすら霞んで消える。
(――こわい)
 どうして、なぜ。
 奪われなければいけないの。やっとこの前に、本当を知ったのに。
 抱き締めて貰った温もりは絶対に忘れないと誓ったというのに。
(また愛されてないと思っていた頃に戻ってしまうの? あれ、わたしはどうしてこんなことを思っているの?)
 ルーシーは怖いと思った感情まで消されそうになっていた。しかし、まだ忘れていないことがあると気付いて顔を上げる。
「いえ、大丈夫」
 記憶が消えても、声や音が消されていても心まで失ったわけではない。
 ルーシーは敢えて言葉を紡ぎ、俯かないように努めた。きっとこの領域を抜ければ失われたものも戻るはず。それに――。
(あの方を想えば裡にあたたかさが広がるもの)
 たとえ記憶が喰われても、受け取った愛を心が覚えている。
 恐怖に支配されて動けなくなってしまうよりも、一縷の希望を信じて歩き続ける方が絶対にいい。だから、と胸に光を抱いたルーシーは進んでいく。
「わたしは歩いていけるわ」
 今、守りたい人。
 いっしょに居たい人の所まで。
 そして、ルーシーは道の先に見知った影を見つけた。心に花が咲いたような心地を覚えつつ駆け出した少女はユェーの腕に飛び込む。
「――パパ!」
「ルーシーちゃん」
 腕を広げた彼に身を預けたルーシーはぎゅっと強く抱き締めた。再会を喜ぶ二人がいるのは出口付近だ。それゆえに記憶が喰らわれる力も弱くなっているらしい。
 だが、次の瞬間。

●二人が見た過去
『――制圧しなさい、ノア!』
 女性の声が響き、ルーシーとユェーは辺りを見渡す。しかしその声の主は何処にもおらず、声も此処ではない何処かから届いたかのようなものだった。
 そうして其処から、頭の中に直接イメージのようなものが流れ込んでくる。
 其処は何処かの街の広場だ。
 黒薔薇の聖女がノアと呼ばれた男に命じたのは、反抗的な住民の制圧だった。
 黒耀の建物が美しい都の最中で反乱が起きたところらしい。暴徒と化した人々は領主である黒薔薇の聖女を抹殺しにかかったようだが、それを黒衣の男が止めた。
 振るわれた鞭が住民の肌を打ち、その痛みで何人もの人が倒れる。其処へ領主の下僕である兵が駆け付け、反抗的な者を囚えていった。暴徒の中には暴れ続けて死に絶えてしまった者もいる。
『流石はノアね。あたしは荒事が苦手だから助かるわ』
『……まったく』
『何か言いたげね?』
『あのようになったのは散々に彼奴らを煽ったからだろう』
『別にいいじゃない。……あたしが何をしたって、どうあっても悪扱いだもの』
『まぁいい。舞台の演者も足りていなかったことだ、彼奴らを貰っていくぞ。あの中に良い声で鳴く者が居たからな』
『演者に仕立てあげるのね。次の舞台も楽しみにしているわ!』
 黒衣の男と黒薔薇の聖女はどうやら姉弟であり、黒耀の街を支配するヴァンパイアらしい。他の街の吸血鬼と同様に、住民の命を奪うことや使い潰すことに疑問や罪悪感を覚えていないようだ。
 そして――彼女達が去っていく背中が見えたかと思うとイメージは消えていった。

「黒薔薇の聖女の過去、でしょうか?」
「そうみたい……。あ、ゆぇパパ。お声が聞けるようになっているわ」
「本当ですねぇ」
 ユェーとルーシーは顔を見合わせながら、自分達が完全に寂寞の領域から抜けたことを知る。ほっとしたのも束の間、二人は今しがた見た映像について考えた。
「とっても悪いことをしていたお方なのね」
「そのようです。ヴァンパイアらしいといえばそうなのでしょうが……」
 闇の世界では命が軽い。
 黒薔薇の聖女が行ってきたことはこの世界では当たり前のこと。この世界の住人である以上は痛いほどに分かっていることだ。されど、だからといって決して赦されることではない。そのことを胸に抱きながら、ルーシー達は手を繋ぎ合う。
 進む先は更に奥。
 黒薔薇の紋章が作られているという祭壇の部屋だ。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

宵雛花・十雉


音の無い世界
いつも隣を歩く君も、今はいない

いくら声を張り上げようとしてもどこにも届くことはなくて
この場所にあるのはきっと底なしの孤独だけ
こんな場所に長くいたら本当に気が狂ってしまいそうだ
どっちの方向でもいい、とにかく進まないと

嫌な汗が浮かぶ
黒い棘に纏わりつく赤いものを見ると
どうにも気分が悪い

悲しい時には歌を口ずさむと楽しくなるんだって
ずっと昔にオレに教えてくれたのは誰だったっけ
大事なことの筈なのに思い出せないや
けど音として紡がれることのない、聞こえもしない歌でも
口ずさみながら行くと
臆病な心が少しだけ強くなる気がする

そうだ、思い出せなくても
オレには大切な人たちや守りたい皆がいる筈
その人たちの存在がオレの原動力、死ねない理由なんだ
いくら思い出を奪われても
この想いまでは奪わせない

一歩ずつでいい、歩幅は小さくたって構わない
進め、強くなるんだ
オレが皆を守らなきゃ

いつの間にか姿を現した
傍を舞う蒼い幽世蝶を追いかけるように



●夜を終わらせに
 此処は音の無い不思議な世界。
 いつも隣を歩く君も、今はいない。
 そのように考えながら、宵雛花・十雉(奇々傀々・f23050)は闇の領域を進み続けていた。道中、声を出すようなことはもうしない。
 何故ならば、いくら声を張り上げても何も響かなかったからだ。
 何処にも届くことはない音を出すことは無駄だと思い知った。この場所にあるのはきっと底なしの孤独だけ。
 そう悟った十雉は無言のまま音が殺された空間を歩いていく。
(こんな場所に長くいたら本当に気が狂ってしまいそうだ)
 十雉は前を向く。
 とはいっても、闇ばかりの音無しの世界ではどちらが前かも不明瞭だ。とにかくどちらの方向でもいいので進んでゆく。決して歩みを止めない。そういったことが十雉が取り決めた、この場所においてのルールだ。
 十雉が無意識に選んだのは、血に濡れた黒棘の道。
 じわりと嫌な汗が浮かんだ。
 黒い棘に纏わりついている赤いものを見ると、吐き気めいた感覚が襲ってくる。
 たったひとりでこんな場所を進んでいるからか。それとも、先程から鼻先を擽る鉄の匂いがあるからだろうか。
(どうにも気分が悪いな……)
 口許を片手で押さえた十雉は頭を振った。嫌な気持ちを吹き飛ばさなければどんどん心が沈んでいくだけだろう。
 そういえば、と思い立ったのは或ること。
 悲しい時には歌を口ずさむと楽しくなる。ずっと昔に聞いた話だ。しかし、歌を音にしても此処では響かない。それに――。
(あれ……そうやって、オレに教えてくれたのは誰だったっけ)
 大事なことだったはずだ。
 それなのに思い出せない。
 しかし、十雉は歌を口にした。音として紡がれることのない、聞こえもしない歌でも自分が口ずさんでいるということは変わらない。
 そうしながら進んでいけば、臆病な心が少しだけ強くなった気がした。
 その間にもこの領域に満ちる力が十雉の記憶を蝕んでいく。何かが零れ落ちていくと感じていたが、十雉は必要以上に抵抗したりなどしなかった。
(そうだ、思い出せなくてもいい)
 あれが誰であったかは今、重要ではないはずだ。
 自分には大切な人たちや守りたい皆がいる。その人たちの存在が自分の原動力であり、死ねない理由であるから。
(いくら思い出を奪われても、この想いまでは奪わせない)
 たとえ形を忘れたとしても色は覚えている。
 今はただ、それだけが進み続ける力になると十雉は理解していた。
 一歩ずつでいい。
 歩幅は小さくたって構わない。それこそが自分だと分かっている。
(進め、強くなるんだ)
 オレが皆を守らなきゃ。
 十雉は強い思いを零さぬようにしながら、一歩ずつを踏み締めるように先を目指す。いつの間にか姿を現した、傍を舞う蒼い幽世蝶を追いかけるように――。
 そして、十雉が進んだ先。
 不意に心の中に不思議なイメージと光景が浮かび上がった。

『――開演時間だ。阿鼻叫喚の喝采を!』
 男の声が響き渡ったかと思うと、舞台の幕が開いていく。
 其処は何処かの劇団の内部のようで、先程の声は劇団長が放った開幕の合図らしい。十雉は一瞬、自分が薄暗い舞台に飛ばされたのかと思ったが違うようだ。
 周囲の様子は妙に現実感がない。
(これって、過去の光景を視せられてる……?)
 拍手の音が響く客席の中央、特別席には黒薔薇の聖女が手を叩いている。
 舞台はどうやら悲恋の物語らしい。想い合う男女の間に逆恨みをした恋敵が現れ、男の方を刺した。はっとした十雉は、男を貫いたナイフが本物であることに気付く。
 鮮血が散り、苦しみ悶える演者が断末魔をあげた。されど、それは事故ではない。元々、本物の死が演出そのものとして組み込まれた劇らしい。
(――!)
 十雉が絶句する中、件の特別席から甲高い笑い声と拍手が響く。それは勿論、黒薔薇の聖女と呼ばれるパンドラのものだ。
『あはははは! 素敵、素敵よ! 享楽の舞台はこうでなくちゃ!』
 パンドラは死の舞台を喜び、まるでこれが喜劇であるかのように笑い続けていた。ヴァンパイアが催した舞台劇は何処までも残酷に、血の匂いと共に巡っていく。
 やがて、舞台上の演者は息絶えた。

「……う、」
 十雉は自分の中から妙なイメージが去ったことを知り、深く俯く。
 血棘の道に進んだ者は凄惨な過去の光景を視せられるようだ。これが何を意味するのかは未だ不明だ。パンドラを絶対に倒すべき相手だと見定めるのか、この光景が見えた理由を探すのかは十雉次第。
 きっと、進んだ先ではもっと悲惨な光景が広がっているのだろう。
 十雉はもうすぐ出口であることを確信した。先程までは聞こえなかった声が聞こえ始め、零れ落ちていた記憶が戻ってきたからだ。
 そうして十雉は進む。血と荊棘を越えた、その先へ――。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

橙樹・千織


閑か過ぎる空間を歩んでいれば
彼方此方に落ちている物
何故か気になり屈んでそれをひとつ手にとる
“…何の羽根かしら?”
そう、呟いたはずだった

っ!?
何も、聴こえない
たった今、発したはずの声
動けば聴こえるはずの鈴と衣擦れの音
風や葉の擦れる自然の音も…何一つ
どれだけ獣の耳をそばだてても一音も拾えない

舞えども鈴音が響かない
言の葉を音として紡げない
当然歌も…

聴こえないのではなく、音が無い…?
痛いくらいの無音
音を紡げぬ不安を覚え
万が一に備えて警戒しつつ、ゆっくりと進む

視界でちらつく柩と
友からの贈り物と同じ黒い薔薇
此処は彼と縁がある場所なのかしら…
そう思いながら、そっと薔薇へと手を伸ばす

はらり
何かが抜け落ちたような気配がして
慌てて手を引いた
以前、向かった湖の底に広がる都
そこに響き渡る歌を聴いた時と似た感覚…

…嫌よ

あの時は零すばかりだった愛おしく大切な記憶
再び奪われ失わぬよう
この胸に抱いた記憶と想いを零さぬよう
己を見失わないようにと

何が抜け落ちたのか
零さず抱けているかどうかは気づけぬまま
黒い羽根を辿り先へと



●抜け落ちた記憶
 歩んでいくのは音が封じられた空間。
 千切れた黒い羽根が落ちている道を進んでいた橙樹・千織(藍櫻を舞唄う面影草・f02428)は、ふと首を傾げる。
(本当に閑か過ぎる……)
 彼方此方に落ちている羽根が何故か気になり、千織はそっと屈んだ。それをひとつ手に取ってみた千織は首を傾げてみる。
「……何の羽根かしら?」
 そう――確かにそのように、呟いたはずだった。
 おかしい。どうして、何故。脳裏に過ぎったのは恐ろしいほどの違和感。
「っ!?」
 何も聴こえないと感じた千織は、事前に聞いていた情報が本当だったと知る。
 たった今、発したはずの声が自分にすら届かない空間はやはりおかしい。動けば耳に入るはずの鈴や衣擦れの音が、それまで聞こえていなかったことに思い至った。
 違和に気付けば、よりいっそう周囲が気になってしまう。
 風や葉の擦れる自然の音も真っ暗闇の中ではなにひとつ存在しない。現れては消える黒薔薇や黒い棺は見えるが、それはただの幻想だと分かった。
 どれだけ獣の耳をそばだてても、一音も拾えない。
 千織はその場でくるり、ふわりと舞ってみた。されど、どれだけ舞えども鈴音が響かないことが分かった。
(わかっていたはずなのに……。実際にこうなるとこんなにも恐ろしいものなのね)
 伝え聞いていたとはいえど、驚きは隠せない。
 言の葉を音として紡げないことがこれほどにも苦しいとは。千織は何度も口を開き、歌を紡いでみた。理解しているが確かめられずにはいられない。
「当然、歌も……」
 発しているはずの声は自分では分かっているが、耳にまで届いてくれなかった。千織は更にこの空間の状態を確かめるために様々な場所を見渡してみる。
 やはり闇ばかりが広がる奇妙な空間だ。
「聴こえないのではなく、音が無い……? やはり、そうなのね」
 無駄だと理解していても、声自体は出ている。音の振動が止められた世界なのだと改めて確かめた千織は歩みを進めた。
 先程に拾い上げた黒い羽根は千切れている。とても綺麗とは言えない羽根をこのまま持っていてもいいのか分からなくなってきた。
 周囲は痛いくらいの無音。
 音を紡げないという不安を覚えながら千織は警戒を強めた。此処に敵はいないと聞いていたが、万が一に備えてゆっくりと進む。
(また棺が……)
 視界の端でちらつくものが気になって仕方がない。
 そして、友からの贈り物と同じ黒い薔薇も現れては消えることを繰り返していた。方向感覚を惑わせるためだろうか。それとも、別の意味合いがあるのか。
(此処は彼と縁がある場所なのかしら……)
 しかし、この吸血鬼の城自体はそうではない気がした。そう思いつつ千織は薔薇へと手を伸ばしてみる。だが、花に触れる瞬間にそれは消えた。
 その瞬間。
 はらり、と何かが抜け落ちたような気配がする。薔薇の花弁が落ちたのかと思って慌てて手を引いたが、そうではなかった。
(――!?)
 以前、向かった湖の底に広がる都。
 そこに響き渡る歌を聴いた時と似た感覚がした。
「……嫌よ」
 千織は無意識に呟く。しかし、やはり言葉が響くことはない。それでも千織は抵抗していた。あのときは零すばかりだった愛おしく大切な記憶。
 それらが再び奪われて、失わぬように必死に拳を握った。それでもはらはらと何かが心から散っていく。
 この胸に抱いた記憶と想いを零さぬように。
 己を見失わないように、としているというのに記憶が散っていく。
(何が抜け落ちたのか分からない……)
 暫し後、千織は自分がどうして此処に来たのかを思い出せなくなっていた。それ以外に何が抜け落ちたのか。大切な思いを零さずに、抱き続けられているかどうかすら気付けぬままに、千織は一枚の羽根を持ったままふらふらと歩いていった。
 ただ黒い羽根を辿り、自分が向く先へと。
 そのときだった。

『■ー■ー■ー■ー! 助けなさい! もう、あんたは何時も来るのがおっそいのよ!! 美しいあたしが、こーんな目にあってるっていうのに!』
 女性の声が響き、誰かに話しかけている言葉が千織の心の中に届いた。
 それは今この瞬間に紡がれているものではない。誰かの過去の記憶だと直感した千織はその声に耳を澄ませた。
『黄色の男爵夫人が言ってたのよ。血気盛んな、考えも主張も違うニンゲン達を、同じ場所において彼らに自治を任せるのがいいって! そしたら、勝手に縄張り争いを始めた挙句、あたしが止めに入ったら『吸血鬼こそが元凶! 吸血鬼を倒せ!』って結託して襲いかかってきたのよ!』
 彼女は憤りながら誰かに何かを語っているようだ。
 それが誰であるかは分からないが、女性が随分と信頼を抱いている相手だということは理解できた。
『あの女、あたしを謀ったのね! きっと今頃、ほくそ笑んでるわ。嗚呼! 腹が立つ! ……それにどうせ、どれだけ頑張ったってあたしは悪なのよ』
 他者に憎しみを向ける女性。
 その言葉に一瞬だけ悲しみの色が混じった。しかし、彼女はすぐに霊の誰かに意識を向けたようだ。怒ったような強気な声が響いた。
『ちょっと! 何笑ってるのよ■■■■! でもね、あたしはこの街の領主よ。帰ってきた時に誓ったの。この街を最高の場所にするんだって』
 更に声は響き続ける。
 しかし、それは徐々に聞こえなくなっていく。
『ともあれ――黄の匣は……だめ……。閉じ――……。ねぇ、■■■■。お話を語って欲しいわ。そうねぇ…………が……『黒薔薇の聖女』――あの子の書い……た、忘れ得ぬ――の、物語を――』

 其処で千織がはっとする。
 あの声の主は黒薔薇の聖女パンドラのものだ。彼女が過去に語った誰かへの話が聞こえたのだろう。気付けば落としたはずの記憶が戻っていた。どうしてか、千織は感じ取っていた。たったひとときでも自分達が記憶を失うことに意味があるのではないか、と。
「とにかく、進まなくては」
 自分の声もいつしか聞こえるようになっている。無音の領域の出口が近いのだと感じた千織は進んでいく。
 もしかすれば、この黒い羽根はパンドラの記憶の欠片なのだろうか。
 そんなことを考えながら――。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

夏目・晴夜

呼吸や鼓動すら聞こえない
気持ち悪くて落ち着かないです

そして記憶を喰われる感覚がこうも心地悪いとは!
失ってもいい記憶と同じ位に大事な記憶が増えてしまったのでしょうか
死への恐怖が日毎大きくなっているのも恐らくそのせいだ
ハレルヤらしからぬ恐怖心が強まっているのは実に嬉しくない
ならば此処で大事な記憶を完全に喰って貰うのも一つの手かも知れませんね

出来る事なら、自ら付けた名の記憶だけは残して欲しい
しかし此処では全ての記憶が喰われていって
いずれあの、何も無い惨めで愚図な子供のようになってしまうとしたら
もしもそうなら、そうなる直前に潔く死んでしまうのも悪くない!
その方が至高たるハレルヤらしいです



でも本当は、死にたくないなあ
折角戦える力を持つ狼になれたのに
そのお陰で早死にするだなんて、あまりにも理不尽だ
嫌だなあ、納得できない
でも弱音を吐くのは自分に相応しくない
全てを喰らい尽くして呑み込んで常に歩み続ける、それこそがこの…

ああ、まずい
なんて名前だったっけ
わからないけど行かないと
喰われて死ぬのはやっぱり嫌だ



●生きる動機
 呼吸と鼓動。己の動きに伴い、内に響く音。
 それらは生まれたときから当たり前に傍にあったものだ。その音が何処にもない。聞こえない。存在しない。
 夏目・晴夜(不夜狼・f00145)は片手で自分の胸元に触れてみた。
「どうにも気持ち悪くて落ち着かないですね」
 こうやって言葉を紡いでみても自分の耳にすら届かなかった。口にした感覚があるだけで、無に吸い込まれていくかのようだ。鋭敏な狼耳が何も捉えないということは、此処は本当に音のない世界なのだろう。
 そして、晴夜は別の感覚も抱いていた。この領域に足を踏み入れてから、じわじわと記憶が喰われている。
(……記憶を喰われる感覚がこうも心地悪いとは!)
 声にしても意味がないと悟った晴夜は思いを裡に浮かべるだけに留めた。失ってもいい記憶はいくらでもあった。
 しかし、それと同じくらいに大事な記憶が増えてしまったのだろうか。
 胸の奥が冷えていく。
 感情まで失ってしまっているような、酷く嫌な気分がする。それでも晴夜は歩みを止めることはなかった。
 進んでいるのは白い鳥の羽根が散らばっている道。
 転々と続いている羽根は何かの道標なのかもしれない。そんなことを考えると同時に、晴夜の意識は別のことにも向いていった。
 死への恐怖。
 それが日毎に大きくなっているのも、恐らくそのせい。大切なものが増えていったからだ。音が殺された領域では己の思考が大きくなっていく。考えることしか出来ないからなのだろうが、何故か心が軋んだ。
(いけませんね、これはハレルヤらしからぬものです)
 嬉しくはない。
 恐怖心が強まっているのは事実で、不愉快とまではいえないまでも不安が募った。しかし、晴夜はただで転ぶような者ではない。
 それならば、いっそ。
(此処で大事な記憶を完全に喰って貰うのも一つの手かも知れませんね)
 そうすればこの感覚からは逃れられる。
 或る意味で極論とも呼べる考えに辿り着いた晴夜は肩を竦めた。そのように思考するしかないほどに、この空間には何もない。
 ときおり現れる黒薔薇。消えては浮かぶ黒い棺。それらは有るとは呼べないうえに見えても不穏さを増すだけだ。
 されど、晴夜はこの光景にも意味があるのかもしれないと考えた。
 その間にも記憶は喰われていく。
 何が失われたのか。それすらわからないことが問題だ。形は忘れても、其処に宿っていた色だけは記憶されている。
 忘れたことも忘却してしまえれば楽だというのに。
 この領域の力は、何かを忘れた、ということだけを残していくものだった。
「……ああ、どうか」
 出来ることなら、自ら付けた名の記憶だけは残して欲しい。
 晴夜は記憶が薄れゆく中で、ちいさく呟いた。闇に願っても仕方がないと解っているが、それでも思わずにはいられない。
 一歩、また一歩。
 羽根の示す先に歩いていく晴夜は自分を失いかけている。しかし、その中で思うこともたくさんあった。きっと此処では全ての記憶が喰われていく。
(いずれあの、何も無い惨めで愚図な子供のようになってしまうとしたら――)
 記憶の幕の裏に隠した幼い頃の時分と自分。
 何も知らず、力を持たず、ただ運命に翻弄されるしかなかったあの頃に戻るなら。もしもそうなってしまうだけならば。
「ふ、ふふ……。そうなる直前に潔く死んでしまうのも悪くない! その方が至高たるハレルヤらしいですから!」
 晴夜は両手を広げ、音のない虚空に向けて宣言する。
 それは彼なりの精一杯の宣言であり、強がりであり、そして――。その続きを思考する前に、晴夜からさらなる記憶が抜け落ちた。
 どうして此処にいるのか。何故、白い翼を追って歩いているのか。
 それを忘れた晴夜の焦点は定まっていない。白くて美しいものがあるから、ただ其方に向かって進んでいるだけだ。
 そんな中で、彼は自分が死んでしまってもいいと考えていたことを思い出す。どうしてそう思ったのか。なんで、と疑問を抱いた少年はぽつりと零した。
「でも本当は、死にたくないなあ」
 ああ、せっかく戦える力を持つ狼になれたのに。
 この胸の中に宿した灯火がたくさんあるのに。この心の光は暗闇を照らすことが出来るものだというのに。
 そのお陰で早死にするだなんて、あまりにも理不尽で苦しい。
 嫌だなあ。
 納得できないよ。
 言葉にならない思いが胸裏に過ぎっていく。それでも弱音を吐くのは自分に相応しくないと思う気持ちだけは残っている。
「全てを喰らい尽くして呑み込んで常に歩み続ける、それこそがこの……この……?」
 響かない言葉を落とした少年は首を傾げた。
 まずい。なんて名前だったっけ。
 わからないけど行かないといけない。喰われて死ぬのはやっぱり嫌だから。
 進んで。白いものの先に。それから。それから――?
 そうだ、いつも街の人達は祈っていた。賛えていた。この言葉を唱えれば救われるからって。だから、たとえ聞こえなくても紡ごう。
「……ハレルヤ」
 ただの少年に戻っていた彼は、心にたったひとつだけ残っていた言葉を口にする。
 その瞬間、誰かの声が聞こえ始めた。

 ――お前の心に根差されているのは、祈りと称賛の言葉なのか。
 この世界では祈っても誰も助けちゃくれねぇ。だが、自身に祈り、願う心こそがお前の原動力になっているんだな。
 教えてやる。
 この領域はパンドラの心と記憶が封じられた世界だ。あいつは此処で見える光景や、過去の記憶を消費しながら匣を作り上げている。
 今のあいつの心は穴だらけなんだ。自分を削って記憶や思いを棺に葬って、誰かの理想を叶えることで幸せにしてやろうとしている。
 これは決して正しい行いじゃねぇ。
 あいつがやってきたことは悪だ。これだけは間違いない。
 それでも、悪に救いが与えられてはいけない理由なんてないはずだ。
 完全に救ってくれとは言えないさ。だけど――。

 見知らぬ男の声を聞いた晴夜は其処で正気を取り戻す。
 ハレルヤ、と自分の名でもある祈りの言葉を呟いたことで自分を思い出した。おそらく、あの声はこの白い羽根の持ち主だ。
「そうですね、死ぬ理由はまだありません。それに……その理由もないはずです」
 男の声はもう聞こえない。
 だが、晴夜自身の声は消されずに耳に届いていた。きっと彼が晴夜を出口まで導いてくれたのだろう。戻った記憶を確かめながら、一枚の羽を拾い上げた晴夜は進む。
 ――救われて欲しいと、願うだけは自由だろ。
 最後に聞こえた白い羽根の主の思いを抱き乍ら、晴夜は紋章の祭壇へ向かっていく。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

荻原・志桜


ぷつ、と音が途絶える
声を出してるはずなのに何も聴こえない
どっちに進んだらいいんだろう

足を動かして歩くのにその音も響かない
じわじわと迫りくる不安と恐怖
思わず誰かの名前を呼ぼうとするのに
――誰の名前を呼べばいいの?

遠い記憶の日々も
輝かしい光、薄紅の花も
いとしいひとの顔も、声も、すべて――

っ、だめ。それだけは消えないで!
絶対に忘れちゃいけない、忘れたくない
大切な……わたしだけの、わたしの…っ

訳も分からず叫ぶけど音になっているかも分からない
ひとつ、またひとつと失われていく恐怖
祈るように手を組めば触れたものに目を開いて

指輪?いつからつけてたんだろう
そのふたつの色彩は大切なものだった気がする
なのに込められていた想いが分からない
ごめん、ね
きっと忘れたくなかった
忘れちゃいけないはずだったのに

もしも、大切なひとからの贈り物で
帰る場所に待っていてくれているなら
ここで立ち止まっちゃいけない、よね

顔を上げれば白い羽が道を示していて
この羽の持ち主の思い出も消えたのかなと過る
失ったなら絶対に取り戻すんだから…!



●いとしいアナタヘ
 何も聞こえない。
 音が途絶えて、消えていく。或いは殺されたと表す方が相応しいかもしれない。
「…………」
 荻原・志桜(春燈の魔女・f01141)は、無言のまま暗い道を進み続けていた。此処に訪れたときから何の音も聞いていない。
 現れては消える黒薔薇は揺らめいていた。同様に不意に視界に入る黒い棺の扉も閉じたり開いたりを繰り返しているが、どれも音を発していなかった。
 これまでずっと声を紡いでいたが、自分の声ですら響かない。
「どっちに進んだらいいんだろう」
 不意に言葉が零れ落ちたが、やはり何も耳に届かなかった。普通は足を動かしていれば響くはずの足音もない。
 次第に自分がどちらに向かっているのかも判らなくなる。もし、自分が心に抱く指標や決意などを失ってしまったらこんな感覚なのだろうか。
 志桜の裡には、じわじわと不安と恐怖が浮かんでいる。
 音がない世界。
 言葉だけで表せば簡単なものだが、この場所は想像以上の空間だった。
「――……!」
 志桜は思わず誰かの名前を呼ぼうとする。しかし、声が出てこなかった。音が消されているからではなく、こう思ったからだ。
(誰の名前を呼べばいいの?)
 自分には大切なひとがいるのだということは分かった。
 それなのに、遠い記憶の日々や愛しいと感じた時間が心から零れ落ちていく。
 輝かしい光が消える。薄紅の花も、いとしいひとの顔も、声も。すべてが深い闇に沈んでいってしまった。
「っ、だめ」
 それだけは消えないで。
 叫んでも声は何処にも響かない。それでも志桜は縋るように虚空に手を伸ばし、記憶が消されていくことに抗おうとした。
(絶対に忘れちゃいけない、忘れたくない……!)
 だが、この領域に満ちる力は無情だ。
 大切だと思えば想うほどにすべてが奪われていくような感覚が巡った。
「大切な……わたしだけの、わたしの……っ」
 強く握り締めた掌は何も掴まない。訳も分からずに叫び続けたが、音になっているかもわからないまま。
 ひとつ、またひとつ。思い出せないことが失われていく恐ろしさ。
 一歩ずつ進むことが怖くなる。何故、自分は此処に居るのか。それすらも忘れてしまったようだ。早くこんな場所から出たいと思いながら、祈るように手を組む。
 その瞬間、志桜は触れたものに目を開いた。
(指輪? ブレスレット?)
 いつからつけてたんだろう、と思いつつ見下ろしたのは手首に巻いたブレスレットと右の薬指にある指輪。そのふたつの色彩は大切なものだった気がする。それだというのに込められていた想いが分からない。
「ごめん、ね……」
 絶対に忘れてはいけないものだった。きっと忘れたくなかった。
 理由が思い出せずとも心が軋むように痛む。忘れちゃいけないはずだったのに、と呟いた言の葉すら消されてしまっていた。
 負けるな。
 ふと、そんな声が心に届いた気がした。
 好きだ。
 そう伝えてくれる誰かの影が胸裏に浮かんだ。
 これほどに大切に思うのなら、大切なひとたちからの贈り物だったのかもしれない。
 もし、そうだとしたら。自分が帰る場所で待っていてくれているならば。
「ここで立ち止まっちゃいけない、よね」
 声が響かなくとも構わない。暗闇でじっと留まって、何者でもなくなっていくくらいならば進むしかない。
 顔を上げた志桜は見つめる先に白い何かを見つけた。
 幾つもの羽が道を示しているのだと気付いた志桜は、その中の一枚を拾い上げてみる。
 どうしてか、何かの意思を感じた。この羽の持ち主の思い出も消えたのか。それとも、もっと別の人の記憶が消されたのだろうか。
 志桜が思考を巡らせていると、不意に誰かの声が心に響いてきた。

 ――お前の魔力は心地良い響きがあるな。使いやすそうだ。
 まぁ、そんなことはいい。大切なものがあることだけは解っているのに、それが何だったかを忘れちまうってのはどれほど辛いことなんだろうな。
 俺はな、全部を忘れちまえば楽になれると思っていた。けれどもお前や、あいつを見ているとそれが間違いだったと分かった。
 俺は残酷なことをしちまった。あいつの……パンドラの記憶を消してやれば、妙なしがらみに囚われないで済むと思ったんだ。でも違った。あいつはお前みたいに、大切な相手がいたことだけを覚えていた。
 それが悲劇の芽になった。原因は俺だから自分で始末をつけたかった。
 しかし、俺の魂にはもうそんな力は残っていない。だからお前達に託すためにこの場所に細工をしたんだ。
 頼む、終わらせてくれ。どうか、あいつに――。

 それは聞き覚えのない声だったが、少しだけ知っている気もする。
 志桜は拾っていた白い羽を見つめた。この羽根の主こそが、あの声のひとだ。そう感じた志桜は零れ落ちていた記憶が戻ってくる感覚を抱いた。
「パンドラも……記憶を失ったの?」
 問いかけても答えはなかったが、志桜は自分の声が耳に届いたことを確かめる。きっと羽が領域の出口まで導き、記憶を返してくれたのだろう。
 詳しい事情はわからない。されど声の主が自分の行いを後悔しており、猟兵に助けを求めていることは理解できた。
 志桜はそっと頷き、あの声の主に届くように声を紡いでいく。
「失ったなら絶対に取り戻す……! その方が絶対にいいはずだから!」
 自分にも大切な人がいる。
 両親に師匠、友人や愛しいひと。もしパンドラがそういった相手のことを忘れているのなら、せめて取り戻させてあげたい。たとえ敵であっても、それだけは果たしたい。
 志桜は手首と薬指に宿る彩を大切に想う。
 そして、行く先を見据えた少女は更なる奥に向かっていった。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

蘭・七結


常よりも素早く駆けても
大きく踵を打ち付けても
嗚呼、なにも。音が聞こえない

――ラン、
あかい耀きが拡がるだけで
あなたの羽搏きさえも感じられない
わたしの声は、あなたへと届く?

聞こえないことが苦痛だなんて
そう感じ得たのは、はじめてだわ

視界の先には白い羽根
純な白を拾い辿るように歩が進む
この羽根は何処へと繋がっているのかしら
唯一の標を手繰って、続きを追いましょう

音の無い不可思議な世界の中で
『わたし』を形作る思い出たちがくすんでゆく
以前にも一度、常夜にて似た感覚を味わった
とても遠くて、懐かしい心地がするわ
あの時は、如何にして自分を保ったのかしら

指のさきに眞白い蝶を留めながら
この空間の終わりを目指す
――ラン、何かを見附けられた?

紡いだ言葉は音を成さないけれど
心で唱えたならば、あなたに届く気がして

ぼう、と頭の中が霞むよう
張り詰めたような、不安を煽る場所だけれど
……如何してでしょうね
怖いとは、少したりとも感じないの
ひとりなどでは、無いからかしら



●其の望みは
 踏み込んで、地面を蹴り上げて、闇を進んでいく。
 常よりも素早く駆けても、大きく踵を打ち付けても――。
(嗚呼、なにも)
 音が聞こえない。響かない。
 何処にも届かない。勿論、自分の耳にも。
 蘭・七結(まなくれなゐ・f00421)は何処までも続いているかのような、真暗闇のさきを見つめる。
 其処には七結を導くように舞う、あかい耀きがあった。
「――ラン、」
 蝶々の名を呼んでみても自分の声が耳に届くことはない。ただ目の前にあかい耀きが拡がるだけで、無音だというのに羽搏きの音が感じられなかった。
「わたしの声は、あなたへと届く?」
 もうひとつ、言葉を紡いでみても伝わった気配はない。無論それは音としてという意味であり、七結がそそぐ眼差しはしかと伝わっているようだ。
 振り向くかのように翅を羽ばたかせた蝶々は、そのまま七結の傍をくるりと舞う。
 それでも違和は拭い去れない。聞こえるはずのものが意図的に消され、殺されている此の空間は奇妙なもの。
(聞こえないことが苦痛だなんて――)
 そう感じ得たのは、はじめて。
 七結は駆けることを止め、指さきをランに向けた。ふわりと舞い降りてきた蝶々が指に触れる感覚はあれど、やはり何処からも音は聞こえない。
 いい知れぬ不安めいた感情が浮かび上がっていることを知りつつも、七結は常のように歩を進めていった。
 視界の向こう側。その先には白い羽根が落ちていた。
 暗い世界の中にぽつりと灯ったような純白。そのいろを拾い、辿るように歩を進めていった七結は疑問を抱く。
(この羽根は何処へと繋がっているのかしら)
 それに気になることがある。羽根を拾い上げた瞬間、不思議な悲しみが伝わってきた気がした。それは幽かな感覚でしかなく、確信を得るには僅かなものだ。
 少なくとも、この場で違和の正体が分かるようなものでもはないだろう。
 七結は気を取り直し、唯一の標を手繰ってゆく。
「ラン、この続きを追いましょう」
 言の葉は響かないと分かっているが、七結は蝶々に呼びかけた。音が届かずとも心は繋がっている。ランは承知したと語るようにひらりと翅を揺らした。
 進み続けること暫く。
 音の無い不可思議な世界の中で、七結はぼんやりした気持ちを覚える。
 記憶が――『わたし』を形作る思い出たちがくすんでゆく。そのように感じ取った七結は一度、足を止めた。
 そういえば。思い出すのは以前のこと。
 そのときにも一度、常夜にて似た感覚を味わったことを思い返した。あの日にも確か黒薔薇を見た気がする。
(とても遠くて、懐かしい心地がするわ)
 どうかしたのかという雰囲気で翅を羽撃かせたランに向け、七結は首を振った。何でもないといいたいのだが言葉は響かず、記憶がゆっくりと薄れていく。
(あの時は、如何にして自分を保ったのかしら)
 忘れていく。
 正しく示すならば、忘れさせられてゆく。
 忘歌は流れていないというのに、この闇の中にいるだけで零れていくかのよう。
 七結は指のさきに眞白い蝶を留め乍ら、ふたたび歩き出した。何を忘れたのか。何かを落としたのか。それすら分からなくなっていたが、七結はこの空間の終わりを目指すことだけは忘れていない。
「――ラン、何かを見附けられた?」
 紡いだ言葉は音を成さないけれど、眞白の蝶にはすべて伝わっている。傍にいる存在のことだけは決して忘れ得ない。
 平気よ、と心で唱えたならば、あなたにだけは届く気がしていた。
 白い羽を追って、手に握った白の欠片を確かめて、七結は歩を進め続けた。ぼう、と頭の中が霞むようだったが決して止まらない。
 此処は闇の最中。張り詰めたような空気が巡る、不安を煽る場所だけれど。
「……如何してでしょうね」
 七結は肩に移動した蝶々に語りかける。音は消えて、死んでいるように感じるが恐怖を感じてなどいない。
 おそろしい場所であることは変わらないが、七結の中に畏れはない。
 怖いとは、少したりとも感じない理由。それはきっと――。
「ひとりなどでは、無いからかしら」
 ラン、と呼んで花唇から音を紡ぐ。それだけで心には穏やかさが満ちる。落とした記憶も感覚も取り戻せるような気がした。
 そうして、七結が新たな白い羽根を見つけたとき。
 心の中に誰かが語りかけてきた。

 ――こいつは驚いた。『かみさま』がついているのか。
 お前みたいに俺やあいつも、神にでも愛されていれば良かったんだろうな。俺達は何もかもに見放されていたからさ。ま、ないものねだりをしても仕方がないか。
 それはそれとして、お前も鬼の血筋か。
 だったら解るのかもしれない。忌むべきものや、悪とされる者の心が。あいつはそれをあいつなりに受け入れながら、不器用なりに領地を統治しようとしていた。
 おっと、パンドラを許せとか言う心算はないぜ?
 これは俺の我儘かもしれない。だが、単なる悪だから倒されるなんて終わりを与えたくねぇんだ。一度は死んだはずの俺の魂が此処に残っているのも、お前達がこの声を聞けるのも何かの縁だ。
 黒薔薇の聖女という枠と寄生する紋章から、あいつを解放してやってくれ。
 あの女は元から聖女なんてガラじゃねぇんだ。ただ、普通に――。

「……ええ」
 いつしか音と記憶が戻ってきていた。
 その代わりにそれまで心に響いていた、青年らしき声は途中で途切れてしまった。しかし、七結は自分が声の主から何を願われたのか理解している。
 あの声の主はパンドラにの預かり知らぬところで色々と動いているようだ。そして、紋章という存在と聖女という肩書きから彼女を解き放つことを望んでいる。
 それはつまり、慈悲を持ってパンドラを倒して欲しいという単純明快なことだ。蝶々もまた、声の主の言葉を聞いていたようだ。
「願われたのなら、叶える。……そうしたいのね、ラン」
 七結は自分の声が響いていることを確かめながら、傍らの蝶に語りかける。羽撃きで以て答えを伝えたランも力を揮いたいと示していた。
 眞白の蝶々に頷きを返した七結は、奥に続く祭壇を目指してゆく。
 先ずは紋章という存在を壊し、正しく葬るために。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

音海・心結


音はおろか、振動さえ伝わらないのですね
空気という海を乱すことさえできない
みゆは、生きているのが不思議です
まるで夢で眠っているような
現実感ない空間をひたすら進みます

黒に染まる棘の道に上書きが施された赤い血
……血なまぐさい

それでも、自然と嫌な思いは抱きません
みゆはダンピールで血を欲する身
嫌悪感よりも、喉が渇いて乾いて仕方がないですね
そっと棘についた血をなぞりましょうか
指を傷つけないように、ゆっくり、そぅっと

ね、零時
もしも、同じ境遇にいるとしたら――
まだみゆのことを覚えていてくれてますか?

みゆは、
先程まで浮かんだ彼の服が、髪型が、貌が、
朧になって、いつしか思い出せなくなってしまいました
このまま忘れてしまうんでしょうか
……零時に忘れられるのは寂しいですね

でも、……それでも
心の内にある暖かな気持ち、貰った温もり
いつしか”  ”の存在がわからなくなっても
体は覚えています
そして、再会したら気づくはずです

初めまして、じゃありません
会いたかった、ですよ
もう二度とみゆの傍を離れないでくださいね?


兎乃・零時


心結が居たような気がしたけど、此処にはもう誰も居ない
俺様一人
音のない世界
自分の内側なら魔導書通じて夢想とぐらいは会話できる気がするが…どうだろ、これ

しかし異常なほどに無音だ
気が狂うという気持ちも分かる気がする

黒い羽が千切れて落ちて、不思議な道だ
不快感はないが、なぜこんなにあるのだろう

まぁ無詠唱覚えててよかったな
光を産み出し道を照らす
決して道を見失わないように

記憶を喰らわれていく感触はある
虫食いの様に少しずつ

でも、まだ大事な人を…心結を覚えてる
友人の事もちゃんと覚えてる
忘れたくはないな
…失う事は、やっぱ辛いし
首の中に居た時に改めて実感した

だからこそ俺が諦める道理はない
例え徐々にその姿とか、仕草とか色々朧気になっても
それでも、歩んだ道での想いは、消えない
例え記憶が消えても抱いた想いは忘れない
語った夢想《ムソウ》も
識った友愛《ユウアイ》も
抱えた心愛《シンアイ》も

俺は『  』と共に居たい

だから進む
どんな障害が有っても前へ、前へ
逢えば忘れても分かる筈

俺も会いたかった

お前こそ、俺の傍に居てくれよ?



●血に渇く
 此処は闇に包まれた領域。
「ここでは音はおろか、振動さえ伝わらないのですね」
 音海・心結(桜ノ薔薇・f04636)はそっと言葉を紡いでみた。音として響かない声は自分の耳にすら届かず消されてしまっている。
 この場所では、空気という海を乱すことさえできない。
「みゆは、生きているのが不思議です」
 確かに言の葉にしたというのに、音にならないのでは語っている意味がない。そのように感じた心結はゆっくりと歩を進めていた。
 まるで夢で眠っているような、或いは違う世界に立っているかのような――何とも言い難い感覚ばかりが巡っていく。
 現実感のない空間をひたすら進めば、いつか出口に辿り着くはず。
 そんな心結が進んでいるのは黒に染まる棘の道。其処に施されている赤い血を見下ろした心結は、ぽつりと呟く。
「……血なまぐさい」
 血は乾いているはずであるというのに、そのように思った。音が聞こえないゆえに他の感覚が鋭敏になっているのかもしれない。
 それに血に対して嫌な思いを抱くことはなかった。その理由は、血が幻めいたものだったからではなく――。
(みゆはダンピールで血を欲する身だからですね)
 嫌悪感よりも興味と意識が血に向いている。喉が渇いて乾いて仕方がない。手を伸ばしたかったが、ぐっと堪えた心結は視線を地面から逸らした。
 その代わりにそっと、棘についた血をなぞってみる。皮膚を傷つけないように、触れた指先にちいさな感覚が走った。
 そうして、心結は隣にいるはずの彼に話しかけてみた。
「ね、零時。もしも、いまみたいに同じ境遇にいるとしたら――まだみゆのことを覚えていてくれてますか?」
 答えはない。
 いるはずの彼。そのように表す理由は此処に彼がいないからだ。
 一緒に訪れた彼と自分が、いつの間にか逸れてしまったことは心結も分かっている。それゆえにきっと彼も何処かでこんな感覚を抱いているのだろう。
「……みゆは、」
 心結の言葉が途切れる。
 何度、幾度も声を紡いでみても音にならない。それでも喋り続けるのはこの領域の魔力と効力に抵抗したかったからだ。
 こうしているうちにも、先程まで浮かんだ彼の服を忘れた。その髪型や貌が次第に朧気になっていく。そして、いつしか思い出せなくなってしまった。
(このまま忘れてしまうんでしょうか)
 彼の声はどんなものだっただろうか。いつも彼はどのように話しかけてくれていたのだろう。心結の中に様々な疑問や思いが浮かんでいく。
(……忘れられるのは寂しいですね)
 思いはもう声にならない。音として響かない言の葉よりも、心の中で思い浮かべた言葉の方がよっぽど自分に響くからだ。
 心結が歩く度に、大切な記憶が抜け落ちていく。
 だが――。
(それでも、みゆは覚えています)
 心の内にある、あたたかな気持ち。彼から貰った温もり。楽しい思い出や、嬉しかった出来事から感じたこと。
(いつしか『  』の存在がわからなくなっても――)
 きっと心と体が覚えている。
 名前を落としても、声を忘れても、記憶が欠けても。彼がいた、大切なひとだった、ということまで落としたりはしない。
(そして、再会したら気づくはずで……あれ?)
 不意に何かが動いた気がして、心結は周囲を見渡してみた。すると其処に幻想の光景が広がり始める。はっとした心結はそれが過去の光景の断片だと悟った。
 其処から、或る女の葛藤の一幕が始まっていく。

 何もかもが、思い通りに行くとは思っていない。
 何もかもが、思い通りにならない。そうでしょう、そうでしょう。

 そのように呟いた黒薔薇の聖女、パンドラは唇を噛み締めていた。掌を痛いほどに握り締め、領主の館の二階から見下ろしたのは街の広場だ。
 其処には反逆の罪で処刑される人間達の姿がある。彼らはパンドラに歯向かい、見せしめに殺される者達だ。
『あたしは上手くやってるのに。どうして逆らうの? 何故、誰も彼もあたしの言うことを聞いてくれないの?』
 もし自分に求心力というものがあれば、違ったのかもしれない。
 そう、たとえば綺麗な声で歌うことが出来たら。みんなが褒め称えてくれるはず。
『でも……あたしは歌えない。かあさまのような、歌姫になりたかったけれど。ノアの舞台にだって、立つことはできないもの』
 処刑という名の惨殺が終わり、広場には血が広がっていた。パンドラは転がった亡骸を見るために領主の館から出ていき、処刑台の前に立つ。
 たん、たん、たたん。踵を鳴らして、黒曜を舞う聖女は薄く笑む。
 こつ、こつん。
 警戒な音が響いたかと思うと、ゴツ、と強い音が処刑台前に何度か響き渡った。亡骸の肋骨をへし折って、頭蓋骨を踏み潰したパンドラは更に笑みを深める。
 一面にひろがったあかい海。
 生臭い生命の香りに目眩がしそうになったのはパンドラも、それを見ている心結も同じだった。幻だと分かっているが、心結は眉をひそめる。
 そうして、過去の光景の中で黒薔薇の聖女は亡骸の脳天をヒールでかち割った。そのうちの一体はまだ息があったらしく、ひしゃげたカエルのような声を出す。
「ああ、きもちわるい」
 どいつもこいつも、美しく歌えないのかしら。
 音など無くなればいいのに。

 其処で、過去の光景は途切れて消えた。
「今のは何だったのですか……?」
 心結は自分が見ていた景色を思い返す。あの女性は確かに黒薔薇の聖女と呼ばれるオブリビオン、パンドラだった。彼女が過去に行ってきたヴァンパイアとしての行為は決して赦されるものではない。
「でも、それでも……どうして哀しげだったのでしょうか」
 この領域には音がない。音などなくなれば、と語っていた彼女の意思が反映されているのかもしれない。
 心結は僅かに垣間見た、寂しげで苦しそうなパンドラの顔を思い出した。
 しかしきっと、此処で考えていても答えは見つからない。心結はそっと顔をあげ、更なる先へと進んでいった。

●想いと愛と
 誰もいない。何も響かない。
 兎乃・零時(其は断崖を駆けあがるもの・f00283)は暗闇と黒薔薇が広がる領域を、たったひとりで歩き続けていた。
(心結が居たような気がしたけど……)
 此処にはもう誰の姿もない。
 自分だけが独りきりで、黒い羽根が落ちている道を進んでいるだけだ。
(俺様一人で音のない世界で……何しに来てたんだっけ?)
 既に零時の中からは記憶が抜け落ちていた。もし記憶が訪れた時のままであり、書を実際に手にしていたら自分の内側を通して夢想と会話が出来たかもしれない。しかし、今の零時が側にいて欲しいと願ったのは紙兎のパルだ。
「そっか、お前がいたな」
 この空間の効果によってそれすらも忘れかけていたことに気付き、零時はパルに呼び掛けた。されどこの領域は音が殺された世界だ。掛けた声も響かず、音は巡らない。
 此処は異常なほどに無音だ。
 気を取り直した零時は辺りを見渡してみる。闇と棺と薔薇。後は黒い羽根くらいしか見当たらない場所。こんなところに居続ければ気が狂う気持ちも分かる気がした。
「黒い羽か……」
 千切れた状態で落ちている不思議な道。その先を改めて見つめた零時は疑問を感じていた。羽根自体に不快感はないが、なぜこんなに羽根があるのだろう、と。
 零時は道の先を見失わないように注意深く進んでいった。
 今も記憶を喰らわれていく感覚がある。一気に忘れるのではなく、じわじわと零れ落ちているような。まるで虫食いの如く少しずつ思い出が消えていく。
「でも、まだ大丈夫だ」
 今はパルが傍らにいてくれる。そのことが自分自身が此処に存在していることを証明してくれていた。
 それに、大事な人を――心結のことを覚えている。
 自分に優しくしてくれる友人の姿も、声もちゃんと覚えているはずだ。
 忘れたくはない。
(……失う事は、やっぱ辛いし)
 少し前のこと、首の中にいたときに改めて実感した零時は頭を振った。だが、ふと不思議に思ってしまう。何の首の中にいたんだっけ、という思いが浮かんだからだ。
 それも忘れさせられてしまったのだろう。
 頭を押さえた零時は、零れ落ちるな、と自分に念じた。記憶は次々と失われていくが感情や思いそのものが消えているわけではない。
「だからこそ俺が諦める道理はねぇ!」
 たとえ声が響かずとも構わない。零時は強く叫び、正気を保とうとしていた。
 心結、と呟いた零時は無意識に彼女を求めている。されど大切だと思うものほど記憶が薄れていくようだ。
 思い浮かべていた姿は徐々に薄れ、見慣れているはずの仕草がわからなくなる。声すらも思い出せなくなり、彼女のことが朧気になっていった。
(……誰のことを思ってたんだ?)
 やがて零時の中から心結の記憶が完全に奪われてしまう。自分が誰かを想っていたことはわかっている。だが、その名前が言葉にならない。
 ついさっきに呟いていたはずの音を思い出すことが出来ないでいる。
「それでも……」
 隣にはパルがいる。何もかも無くなったわけではない。
 つまり――歩んだ道での想いは、消えない。
「例え記憶が消えても抱いた想いは忘れない! そうだろ、パル! 夢想!」
 零時は無意識ながらも夢想の名を呼んでいた。
 語った夢想も。
 識った友愛も。
 抱えた心愛も。
 今も変わらずこの胸の中に存在し続けている。消えるものなんてない。奥底に眠らされているだけで、たとえ忘れてもいつか目覚めるものだ。
 それに、と零時は道の先を見据える。
「俺は『  』と共に居たい!」
 名前を忘れても、音の海に声が巡らなくとも心を結い紡ぐ。
 だから進める。
 どんな障害が有っても前へ、前へ――。己が求める誰かとまた巡り逢えば、忘れていても心で理解するはずだ。
 そう思っていたとき、黒い羽根の道の先から何かが聞こえ始めた。

『さんさん、お日様わらってる。るんるん、黒薔薇にっこにこ』
 心の中に直接届いた不思議な声は調子外れの歌だった。それが黒薔薇の聖女の声であると直感した零時は奇妙な響きに集中した。
 翼をはたり、はためかせ。
 さあさあ、遊びにいっちゃおう。そんなものはどっこにもないけれど――。
『でもでも、きっと、きっと』
 きっと。
 そこで歌は止まり、パンドラの声は誰かに話しかけるようなものに変化した。
『ねぇ、■■■■。あんたは青空って見たことあるの? 太陽って知ってる? それはあたしたちを焼き尽くして滅ぼすものだって、きいたわ』
 呼びかけている誰かの名前の部分は不明瞭だ。パンドラの姿は見えないが、その相手と何かを喋っていることだけは分かった。
『知らねぇなって……あんたねぇ、もっと気が利くこと言えないの!? あたしの下僕でしょ? あんただけは忠実でいてくれなきゃ駄目なの!』
 ま、いいけど。
 そのように区切ったパンドラは相手の容姿について触れていく。
『……あんたは、青空の下でもよく映えるんでしょうね。その白い翼も、白孔雀の尾羽みたいな髪も。まっしろな雲みたいだもの』
 そうして、声は更に何かについて語っていった。
『そうだわ、■■■■。今度、東の伯爵がオークションをするのですって! 何でも、目玉は世にも美しい歌を歌う黒い人魚らしいわ! どんな歌を歌うのかしらね』
 あたしも参加するの、と笑う声はとても楽しげだった。

 其処で声は途切れ、零時がはたとする。
 今の不思議な会話は気になったが、それ以上に驚くことがあった。これまで失われていた記憶が蘇っている。そして、交差した道の先に心結を見つけたのだ。

●再会
「心結!」
「零時……?」
 名を呼ばれたことで心結が振り返った。
 音のない領域の出口に近付いているゆえに、声が響くようになったようだ。
 駆け出した二人は自分達の中に記憶と情報が戻ってきていることを確かめる。忘れていても大切に想っていた相手。それが目の前にいるひとだ。
「初めまして、じゃありませんよね」
「ああ!」
「零時……会いたかった、ですよ」
「俺も会いたかった」
 手を取り合った二人は互いの顔を見つめ合う。そして、それぞれが見て聞いた不思議な光景と会話について話す。きっとあれはこの城に君臨するパンドラのことを知るための大事な標だ。
 或いは、一時的にも記憶が失われたことが何かのトリガーなのかもしれない。その答え合わせは後でいいとして、心結と零時は言葉を交わす。
「もう二度とみゆの傍を離れないでくださいね?」
「お前こそ、俺の傍に居てくれよ?」
 心結と零時は想いを重ね、心からの思いを伝えあった。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

誘名・櫻宵


カムイとはぐれちゃった!

闇より深くて
水底より冷たい闇だわ
声はしないしなんの音もしない…窒息しそうな程苦しくて何だか哀しみも感じるわ
…きっと、こんなの望んでなかったはずなのに

でも美珠だって一緒にいるんだから!
お兄ちゃんだもの、私
しっかりするわ!

この先に──リルの家族がいるのよ
先に泳いでっちゃったから追いかけなきゃ
カムイだってリルを追ってるはず

私は血濡れの黒棘の路を行く
静かすぎて落ち着かないわ
まるで存在すら、のまれて消えていくよう
……水底に沈んだ冷たい御魂のようね

守るための棘であるのに、誰かを傷つける刃になった棘
血を流すようにながれていくのは、私が私である記憶
あの日、あの時のあなたの笑顔が……駄目よ、だめ
これは私の愛だもの
一欠片だって喰らわせない
ひとつだって落とさない
腕に爪立ていたみを刻み思い出す
忘れないわ
私の愛を
私のいのちを

本当に痛いのは、この闇の主の心だと感じるから
棘が何を守るのかを見破らなきゃ
私はひとりじゃない!

音すら喰らう暗闇に
とけているのはきっと絶望

なら…全部喰らって咲かせなきゃ



●孤独の匣
 何処までも続く闇。
 この世界そのものを表しているかの如く、咲いているのは黒い薔薇。それすらも薄れては消え、また別の場所に咲いていくという不思議な動きをしている。
「はぐれちゃったわ」
 誘名・櫻宵(咲樂咲麗・f02768)は、これまで同道していた伴侶の姿がないことに気付いた。いつから逸れていたのか、何処から別々になったのか。考えてみても思い当たる節がなく、櫻宵は首を傾げる。
 されど、進み続ければ出口で彼と出会えるはず。
 そう信じた櫻宵は歩を進めていく。
 周囲の様子は変わらない。闇より深く、水底より冷たい闇だと感じた櫻宵は辺りを見渡してみた。黒薔薇の他にも黒い棺が浮かんでは消えている。
 あれが何を意味するのかは分からないが、何かの暗喩のようにも思えた。
(声はしないし、なんの音もしない……)
 現に先程の呟きも音として響かなかった。音が殺された世界というものは想像以上に寂しいものだ。窒息しそうなほどに苦しくて、何だか哀しみを感じる。
(……きっと、こんなの望んでなかったはずなのに)
 歌が嫌い。
 音なんか消えてしまえばいい。
 そういった意思が反映された場所だとすれば、此処はとても哀しいところだ。櫻宵もまた、身体が冷えるような寂しさを抱いていた。
「でも、大丈夫。美珠だって一緒にいるんだから!」
 声は聞こえずとも、言葉を紡ぐことは出来る。櫻宵は自分を鼓舞しながら脇差に触れ、この闇に負けないように努めた。
「お兄ちゃんだもの、私。しっかりするわ!」
 美珠を撫でた櫻宵は一歩、また一歩とゆっくり歩んでゆく。何よりも強く思うのは、先に泳いでいったあの子のこと。
「それに、この先に――リルの家族がいるのよ」
 追いかけなきゃ、と言葉にした櫻宵は思いを巡らせた。きっとカムイだってリルを追って進んでいるはず。自分だけが進まないわけにはいかないと考えているゆえ、足が竦んだりなどはしない。
 そうして、櫻宵はいつしか血濡れの黒棘が巡らされた路を進んでいた。
 血の匂いが微かに感じられる。
 そして、どうにも静かすぎて落ち着かない。まるで存在すら、のまれて消えていくような感覚がずっと消えてくれなかった。
(……水底に沈んだ冷たい御魂のようね)
 浮かび上がれないほどに深く、果てのない闇に落とされているようだ。守るための棘であるのに誰かを傷つける刃になった棘。それらを見ている最中、櫻宵は不思議な感覚を抱いた。
 血を流すようにながれていくもの。それは――。
(私が私である記憶が、消えていく……?)
 あの日、あの時の記憶。
 あなたの笑顔が思い出せない。あなたが誰だったのかも忘れていく。
「……駄目よ、だめ」
 櫻宵は思わず立ち止まり、自分を抱きしめるようにして腕を回した。それでも記憶が零れ落ちていくことは止められない。
「これは私の愛だもの」
 一欠片だって喰らわせない。ひとつだって落とさない。
 それなのに、意思に反してすべてが奪われようとしている。櫻宵は腕に爪を立て、痛みを刻むことで記憶を思い出そうとした。
「忘れないわ」
 私の愛を。私のいのちを。
 あなたの微笑みを。あなたの言の葉を。
 それなのに――噫、零れていく。落としてしまう。こんなに苦しいのは、これほどにいたいと感じるのは本当に大切なひとがいるから。
 はたとした櫻宵は或ることに気付いた。これは自分の中の痛みだけではない。この領域の主が感じた痛みでもあるのかもしれないと。
(そう……。本当に痛いのは、この闇の主の心なのかもしれない)
 棘が何を守るのか。
 血が何を示すのか。
 それを見破らなければいけないとして、櫻宵は自分を律する。
「それに、私はひとりじゃない!」
 響かずとも声を巡らせ、音すら喰らう暗闇を進む。此処にとけているのはきっと絶望。それを晴らすのが今の自分のやるべきことだ。
「それなら……全部喰らって咲かせなきゃ」
 櫻宵が決意の言葉を口にしたとき、其処に重なるように別の声が響いた。それは音として響くものではなく、心に直接的に届いたものだ。
 そして、其処から不思議な光景が広がっていった。

 真っ赤な享楽を飲み干して、狂ったように笑って嗤って。
 さぁ、いのちを味わいましょう!

 血が満たされたグラスが掲げられ、乾杯の音色が響き渡った。黒耀の館で催されている宴の中心にいるのは黒薔薇の聖女、パンドラだ。
 特別に誂えられた小さな舞台では阿鼻叫喚の歌が響いている。甚振り殺された罪人が血を流して倒れていた。
 それを眺めて楽しんでいるのはこの宴に招かれた、様々なヴァンパイア達のようだ。
『酒池肉林、絢爛の舞踏会を!』
 グラスを揺らしたパンドラは愉しげに嗤っている。他の領地を治めるヴァンパイア達と歓談し始めたパンドラは双眸を細めていた。他の領主達と同等に渡り合っているつもりらしいが、見るものが見れば誇りと強がりだけを詰め込んで虚勢を張っているだけだと分かった。他のヴァンパイア達から見下されているのだと本人も知っているようだが、それでも彼女は高らかに笑い続ける。
 宴はそのまま続いていたが、櫻宵には別の或る言葉が聞こえていた。

 美しいものはすべてすべて、うつくしい私のもの。
 集めて、閉じ込めて、大切に大切に、匣のなかに仕舞い込む。
 砕け散った骨の欠片を。想い出の欠片を。悲劇と悲哀と情熱と祝福と呪いと災いと。そうして、あえやかな狂気をひとしずく。閉じ込めておきましょう。
 ――『パンドラの匣』へ。
 そのように語った聖女が腕を伸ばすと、薔薇が刻まれた漆黒の匣が現れた。

 櫻宵は顔を上げる。
 これまで見ていた光景は消えてしまったが、あれだけでも十分に分かった。パンドラは強がっているが、徐々に心が追い詰められていたようだ。
 どれほどに豪華な宴を開いても、どんなに美しいものを集めても満たされない。何もかも自分から零れ落ちてしまう。そういった感情が櫻宵に流れ込んできていた。
 それゆえに彼女は匣というものを生み出したのだろうか。
「それにしても、随分と昔の光景と今に近い光景が混じっていた気がするわ」
 舞踏会の宴は昔。
 匣についての語りは比較的最近。そんな気がする。
「あら?」
 無意識に声を出したとき、櫻宵は自分の耳に言葉が届いたことに気付いた。無音の領域の出口が近いのだと知った櫻宵はほっとする。
 この不思議な光景は何なのだろう。先程まで失っていた記憶は戻ってきているが、それにも何か意味があるのだろうか。
「……行かなきゃ」
 闇を抜けた先へ。愛しいひとに追い付き、寄り添うために。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

朱赫七・カムイ


カグラが新婚旅行中は二人で頑張ろうね、ホムラ
この先に、リルの家族が居るのだという
…リルは私達を助けてくれたのだ
リルも家族も…厄に見舞われているならば私は助けたいと思うよ
大切な同志だ

ホムラの光でも照らせないとは
この闇の主は、斯様な闇の中に何を葬ってしまったのだろう

サヨは大丈夫だろうか
…あれ、ホムラ
羽がちぎれて…?違う
これは黒い羽根だ
カラスのものとも違う黒
羽根は空を翔ぶ、自由の象徴のようにも思えるものだから
それが、千切れる姿に胸が傷んだ
まるで持ち主の心が千切れているかのように思えたから

それにしても…何の音もしない闇というのは心細いな
此処に居るのか居ないのかも紛れてわからなくなるようだ
此処にいる私は本当に私、なのか
それとも過去の……いいや
カラスは新婚旅行だから私の元には戻っていない
闇にとけるように記憶が解けるよう

けれど解けても無くなりはしない
落としたら拾えばいい
解けたら結ぶのだ
御魂に刻まれている
愛も、重ねた日々も全て
だからホムラ
鋭くつつかなくても大丈夫

先を急ごう
サヨも、リルも
きっとそこに居る



●孤毒の声
 深くて暗い闇の中。
 この世界と同じくらいに暗澹としている領域に黒薔薇が咲いている。浮かぶ黒い棺は不思議なもので、現れたかと思えばすぐに消えていく。
「はぐれてしまったね」
 朱赫七・カムイ(禍福ノ禍津・f30062)は辺りを見渡し、同道者の伴侶がいないことを確かめた。きっとこの領域の魔力のせいなのだろう。
「二人で頑張ろうね、ホムラ」
「ぴぃ!」
「……やはり声は響かないか」
 カムイは共に進む雛、ホムラに語りかけた。言葉自体は発せられているが、この領域では互いの声が聞こえない状態だ。
 それでも視線を交わすことは出来る。
 先程から逸れてしまっている櫻宵のことも気になるが、カムイはかれが弱い存在ではないことを知っていた。
 行こう、とホムラに視線で告げたカムイは歩を進めていった。
「この先に、リルの家族が居るのだというね」
「ちゅん……」
 カムイの声は聞こえていないが、ホムラは何が言いたいかを理解しているようだ。カムイも音が響かないことについては気にせず、前を見据えた。
「……リルは私達を助けてくれたのだ」
 もし彼や家族が厄に見舞われているならば助けたい。大切な同志のことを思ったカムイはホムラに先を示す。
 目映い光を放つホムラであっても闇の先は照らせない。この闇の主は、斯様な闇の中に何を葬ってしまったのだろうか。櫻宵は大丈夫だろうか、と考えたカムイはふと足元に何かがあることに気付く。
「……あれ、ホムラ。羽がちぎれて……?」
 一瞬、勘違いをしかけていたがすぐに違うと知った。
 落ちているのは黒い羽根であり、カラスのものとも違う黒を宿している。羽根は空を翔ぶためのもの。自由の象徴のようにも思えるものであるゆえ、千切れたそれを見るだけでどうしてか胸が傷んだ。
(まるで――)
 持ち主の心が千切れているかのようだ。この暗い領域もそのような心を表しているように感じられた。
 そうして、カムイは更に先を目指す。
 歩き続けているというのに何の音もしない闇。自然と心細さが生まれ、不安めいた思いや感覚が胸を支配していく。
 此処に居るのか、居ないのか。闇に己が紛れてわからなくなる。
 此処にいる自分は本当に自分であるのか。それとも過去の――と、思いかけたカムイは首を横に振った。
(いいや。カラスは新婚旅行だから私の元には戻っていない。ならば、私は……)
 闇にとけるように記憶がとけていく。
 水底に沈むように感情が抜け落ちていった。
 はぐれたのは誰だったか。その名前を呼びたいのに、呼べない。
「けれど、きみがいたことは覚えている」
 すべてが解けたとしても無くなりはしないものがある。それに、もしも落としたらならば拾えばいい。
 カムイは無意識に黒い羽根を拾い上げていた。千切れている羽は美しいとは呼べないものだが、何故か大事な欠片のように思える。
 カムイはいつしか、傍にいる雛の名前も忘れてしまった。これがこの領域の恐ろしさだと知ったが、カムイそのものが壊れたわけではない。
「解けたら結ぶのだ」
 想いは御魂に刻まれている。千年を待ち続けた意志は継がれているはずだ。
 愛も、重ねた日々も全て胸の中にある。
 そう信じたとき、知らない誰かの声がカムイの中に響いてきた。

『この白い匣をみて。貝殻みたいに綺麗でしょ?』
 それは女性の声だった。声の主が黒薔薇の聖女だと感じ取ったカムイは、彼女が誰かに話しかけているのだと知る。
 おそらく過去の出来事や会話がこの空間に響いているのだろう。
『なーんと、この匣の中には――あたしの憧れの世界がひろがっているの!!』
 自慢気に語るパンドラは匣を掲げているようだ。
 匣と呼ばれるものがどんなものかは分からないが、彼女が自信を持っていることは感じ取れた。それからパンドラは更に続ける。
『ま、あたしほどの力があれば、どんな世界でもつくれちゃうけど。■■■■、あんたはどんな世界を望む?』
 彼女は誰かを呼んだが、其処だけが不明瞭になって聞き取れなかった。
 そして――声の調子が変わり、別の場面の会話がカムイの胸に届き始める。

『■■■■、あたしね。本当は歌手になりたかったのよ』
 もう叶わないから教えてあげる。
 母様はそれはそれは美しい声で歌った。あたしはそれが大好きだった。だから、あたしも歌いたかった。舞台に立って、大勢の前で――ノアの舞台に立って。
『……ノアの舞台で歌う歌姫たちが羨ましいわ。少しだけ、すこしだけ。歌っている時は、あたしは自由だもの』
 もう叶わないから言える。
 絶対に叶わないから、もういいの。
『でもあたし、領主になったこと、後悔なんてしてないわ! ノアはあたしには向いてないっていうけど』
 そもそも、あたしは歌が下手だから。舞台になんて立てないから。
 だから、だからね。
『歌いなさい、■■■■。あたしの代わりに歌ってちょうだい。また物語を読んで。あんたの声は硝子細工みたいで気に入ってるの』
 あの子が、ノアが書いてくれた黒薔薇の聖女の物語。
 怖くて最後の頁も物語も読み解けないけれど、それまでのお話だけで十分。
 あたしね、その声が好き。
 ■■■■のことが好き。
 だけど触れたらきっと、こわれてしまう。こわしてしまうから、言わないわ。
 現実ではなにもかも叶わない。
 理想の匣の中なら叶うかしら。あんたが見たいって言った青い空と、あたしが憧れた舞台が広がっていて、美しく歌う人魚がいる世界。
 好きなものだけを繋げられたら素敵ね。だからきっと、いつか――。

『■■■■! どこにいるの……? あれ、『    』って……誰? あたしは誰を呼んでいたの? わからない。わからないわ。あたしの大切な――』
 誰だったの。
 何だったの。思い出したいのに、思い出せない。
 誰かがあたしを陥れたのね。青薔薇の伯爵や黄色の男爵夫人、東の伯爵みたいに。
 許せない。赦せない。殺してやる。
『エスメラルダ! あんたね! あの歌とあんたの声が聞こえてきてから思い出せなくなったもの。返して! 早く返して!! 返しなさいよ!!! あたしの記憶を……! あたしにとって、大事だったはずのものを――!』

 パンドラの心の声めいたものが聞こえていたかと思うと、声は断片的なものになっていった。これは彼女が歌によって記憶を失わされたということだろうか。声は消えていったが、最後に違う誰かの悲鳴が聞こえた気がする。
「ぴ!」
「ホムラ、鋭くつつかなくても大丈夫だよ」
 いつしか出口に近付いていたのか、カムイとホムラの声は響くようになっていた。
 同時に記憶も戻ってきている。ホムラの名を思い出して宥めたカムイは、今しがた聞こえたパンドラの声は意味のあるもかもしれないと考えた。しかし今は何より、この先に進むことが重要だろう。
「先を急ごう。サヨも、リルもきっとそこに居る」
 意味を考えるのは二人と出会ってからでいいはず。カムイは凛とした眼差しを向け、ホムラと共に闇の出口に進んでいった。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

リル・ルリ


ヨル…この先にパンドラがいる
彼女は僕の仇で
僕は彼女の仇だ
正義と悪はくるくるまわる
それでも──行かなきゃ
逢って伝えなきゃ
とうさんが教えてくれた…僕も想い重ねた歌を
かあさんが、彼女から奪ってしまった大切を
かえさなきゃ

音がないということは僕は何も出来なくなること
怖くない
僕は進む
唯一、残った家族に会いにいく
…忘却の苦しみから解くんだ
ヨル、僕は信じてる
本物の希望は絶対あるんだって

漆黒の闇は僕から何を剥がして行くのだろう
まるで闇の海に沈んでいくようだ
泡沫になる記憶を抱くよう游ぐ
大好きな人達のこと
とうさんとかあさんのこと、歌を──離したりしないと心に重ねて刻む
この音を想を、届けるんだから!
ふわふわした手触りが、見えなくてもヨルがいるって教えてくれる
大丈夫だよ、ヨル!
僕は負けない

あれ?
白い羽根がある…これは、もしかしてユリウスの?
落としてしまった物語を辿るように進む
君の大切を拾い集めるみたいに

白の魔法を僕に教えてくれた白い鳥
何かをきっと伝えようとしてくれてた
君はパンドラの事どう想っていたの
君は何処に?



●一欠片の希望
 荊棘に包まれた黒耀。
 カナン・ルーを思わせる色彩だと感じた城。その内部には、黒薔薇の聖女と呼ばれるパンドラが君臨している。嘗て彼女が治めていた黒耀の都は水底に沈んだ。それゆえに戻れなくなった彼女は此処を拠点としているのだろうか。
 城の内部には幻の黒薔薇が咲く不思議な領域が広がっていた。
「ヨル……この先にパンドラがいるよ」
「きゅ」
 リル・ルリ(『櫻沫の匣舟』・f10762)は腕の中の仔ペンギンに語り掛ける。音が殺された領域では声が通じないが、互いが何を思っているかは分かった。
 パンドラ・カナン・ルー。
 その名の通り、彼女はリルの血縁者だ。父の姉であるということから家族とも呼べる存在だが、両者の因縁は深い。
(彼女は僕の仇で、僕は彼女の仇だ)
 母のエスメラルダを殺したのはパンドラ。
 パンドラの弟であるノアに最期を与えたのはリル。
 そして、黒耀の都を水底に沈めたのもリル本人だ。
 どちらが正義で、どちらが悪なのか。その答えは何処にもない。正義と悪はくるくるまわり、見る者によって変わるもの。どちらも正しいことだとも言える。
「それでも――行かなきゃ」
 逢って伝えたい。
 憎しみと悪意、忘却に囚われているパンドラに想いと歌を。
「とうさんが教えてくれた、僕も想い重ねた歌を。かあさんが、彼女から奪ってしまった大切を、かえさなきゃ」
 リルは己がすべきことを理解している。
 パンドラが音などなくなってしまえばいいと願ったがゆえに、この領域が生まれたのだろう。本当は音楽が好きだったはずだ。ノアの作った曲や歌を聞いて喜んでいるところを幼いリルは何度か見ていた。
 だが、好きだったものを嫌いになってしまうほどのことがあったなら――。
「パンドラも、苦しかったんだ」
 音がない。
 それは歌を武器にするリルにとって、何も出来なくなることと同じ。
 されど怖くはない。これから、唯一残った家族に会いに行くのだと思えば尾鰭もしっかりと動いてくれた。僕は進むんだ、と決意したリルは漆黒の領域を泳いでいく。
(……忘却の苦しみから解くんだ)
 すべてが上手く巡らなかった果てにパンドラの心は壊れた。
 自分が壊れていることすら理解できぬまま、寄生紋章を作り続けるという恐ろしいことに手を染めている。
「ヨル、僕は信じてるんだ。本物の希望は絶対あるんだって」
「きゅきゅ……」
 声は響かないが、そっと撫でられたヨルもリルの思いを理解しているようだ。しかしそんな彼らにも忘却の波が襲い来る。
 漆黒の闇は徐々に記憶を剥がしてゆく。
 ひとつ、何かが落ちた。ふたつ、また何かが零れる。しかしそれが何だったかを思い出すことは出来ない。
 まるで闇の海に沈んでいくようだと思えた。
 浮かんだ泡沫が空気にとけて消える。そんなものになっていく記憶を抱くようにして、リルは游ぎ続けた。
 大好きな人達のことを。それから、とうさんとかあさんのことを。歌を――離したりしないと心に重ねて刻みつける。
「この音と想いを、絶対に届けるんだから!」
 それでも、記憶は消えていく。
 大切な二人がいた。父と母の面影が見えなくなっていく。どうして此処にいるのか。腕に抱いているペンギンの名前は何だったか。
「……」
「きゅ!」
 ペンギンは強く鳴いてくれた。ふわふわした手触りが教えてくれる。ぼくはここにいるよ、忘れていてもぼくたちは進みつづけられる。そのように語っているようなペンギンはリルの手にぎゅっと抱き着いた。
「大丈夫だよ、僕は負けない」
 記憶が剥がされても、大事なものがあることは忘れていない。けれども、もしもずっとこんな気持ちのままだったならば――きっと、すごく辛いはず。
 おそらく、パンドラは忘れたことを思い出せないまま今までを過ごしてきた。
「苦しいよね、辛いよね。そんなの駄目だ……あれ?」
 リルは辛うじて覚えていたパンドラの心を想像してみる。すると視界の先に何か不思議なものが見えた。
 漆黒の闇には似つかわしくない白い羽根だ。其処に幽かに宿っている魔力の流れを知っているような気がした。
「これは、もしかしてユリウスの?」
 羽根を拾って手にしたリルは、その名前を口にした。
 ユリウス。
 彼はリルに白の魔法を教えてくれた白い鳥だ。彼自身はもう死んでしまっているようだが、各所に魔法の仕掛けや意志を遺している。
「ユリウスは、僕に何かを伝えようとしてくれてたから……きっと今だって!」
 リルは落としてしまった物語を辿るように進んでいった。
 大切なものを拾い集めるが如く、リルとヨルはめいっぱいの羽根を拾い上げる。そうして、暫し進んだ先。
 或る青年の声が聞こえてきた。

●白の想い
『――誰だ、忘れられたはずの俺の名前を呼んだのは』
「ユリウス、君なの?」
『ああ、リル。お前だったのか。色々仕込んでおいた甲斐があった』
 その声はリルの心に直接的に響いてきた。音のない世界でもユリウスの声が届くのは、彼の魔力が巡っているからだろう。
「ねぇ、君は何処にいるの」
 リルは周囲を見渡してみたが彼の姿は何処にもない。声だけの存在は短く息を吐いたような雰囲気を醸し、リルに語りかけてくる。
『今の俺の姿は白い鳥そのもので、パンドラが手にしている鳥籠の中にいる』
「閉じ込められているの?」
『そうとも言えるが、そうじゃねぇ。死んでから分かったんだが、この世界で死ぬと魂が違う場所に巡るんだろ。そうなる前にパンドラが俺の魂を捕まえて留めたんだ』
 しかし、パンドラはそれを無意識に行っただけだ。
 上層に魂が逝くことなどは理解しておらず、ユリウスの魂を鳥籠に入れているだけ。されどパンドラはユリウスに関する記憶を失っている。
 白い鳥を常に連れている理由もわからず、鳥籠を意識することもない。
 それほどにパンドラの心は壊れている。
「君がこうして魔法を使えるのも、パンドラに留められているからなんだね」
『そういうことだ。ある意味で俺はあいつのおかげで助かったわけだな。だが、いつまでもこのままでいたくねぇ。パンドラが狂っていく様子を特等席で見せられているだけなんて、拷問に近いだろ?』
 ユリウスはリルへ、パンドラに終焉を与えて欲しいと願った。
 パンドラは匣を造る力を持っている。匣の中にならどんな世界でも作り出すことが出来た。しかし、その強大な力の代償は自分自身だ。
 ひとつ匣をつくれば、心と精神が削られる。ユリウスはそう語った。
「……ユリウス。君はパンドラのことをどう想っていたの」
『さぁな。このクソみたいな世界の主のヴァンパイアなんて、どうだってよかった。いや、災いの元凶である相手が憎くないはずがない。それでも……』
「それでも?」
『俺にも解らない。それよりもお前に謝っておく。エスメラルダが殺される原因になったのは俺だ。お前から母親を奪うことになるなんて考えてもみなかったが……』
「かあさんを……?」
 ユリウスは語る。何故、パンドラがエスメラルダを憎んだのか。それはユリウスがエスメラルダに忘歌を唄わせたからだ。
 当時、パンドラはありもない世界のためや、叶わない願いのために自分を削り続けていた。自分が領主だからと意地と虚勢を張り、あの都と民に幸福を呼ぼうとした。
 願いも命も正気も全部、匣に喰われているというのに。
 匣から希望など生まれないというのに。愚直に幸福や永遠、希望を信じているパンドラの行為を止めさせたかった。
 ユリウスは己の命の灯火が消えかけていることを知り、策を講じた。
『あいつは俺が見たいといった世界を作ろうとしていた。そんなものに縛られちまってるパンドラを見ていられなかった。あいつが俺の存在ごと忘れたら――なんて思いついちまってな。忘却の歌を紡げるあの人魚、エスメラルダならそれが出来ると思った』
 だが、忘歌は完全ではなかった。
 パンドラの意思が強かったからだろう。彼女はユリウスのことを忘れたが、大切な相手がいたことだけは忘れなかった。其処に生まれた喪失感は怒りに変わり、殺意となってエスメラルダの最期を招く結末となった。
『悪かった、リル。すまなかった、エスメラルダ。くだらないエゴのために、俺はお前たち親子を引き裂いたんだ。憎まれたって構わない』
 ユリウスの声は苦しげだった。
 懺悔めいた言葉を聞いたリルは首を横に振り、違うよ、と言葉にする。
「ユリウスがパンドラを思ってやったことなら、それは君にとっての正義なんだ。謝ってくれてありがとう。でも僕は君を憎んだりしないよ」
 本当はとても苦しい。けれども今は誰かを恨むよりも先に進みたい。
 そのように告げたリルはユリウスの羽根をそっと見つめた。鳥籠の中に魂を囚われた彼は解放されたがっている。
 しかし、それだけではなくパンドラのことも思っているようだ。
 その感情は愛ではなく、もしかすれば同情と表す方が近いのかもしれない。それでもユリウスがここまでするということは少なからず何かの想いがあるはず。
「僕は行くよ、君たちの元へ」
「きゅ!」
「ヨルだって、ユリウスとパンドラを助けたいって!」
 これまで心で会話していた状態だったが、いつしか声が響くようになっていた。落としていた記憶もユリウスの魔力のおかげで戻ってきたようだ。
『……そうか。頼むことしか出来ないが、お前達を待ってる。記憶を戻す手伝いをしたから、俺の魔力も限界で、もう声は響かせられないが……お前……伝わって……良……。ど……か、パンドラ……と……に、希……を――』
「ユリウス……!」
 彼の声が途切れ、消えていったことでリルがはたとする。それと同時に不思議な光景がリルの目の前に浮かんだ。

●黒の思い

 しってるわ。
 しってるの。

 『黒薔薇の聖女』の終わりは破滅だけ。
 こわくて、続きのページがめくれない。
 みんなが燃えて、消えてなくなる物語。

 しってるわ。
 しってるの。

 ――悪役に許されたエンディングは、死のみ。

 それはパンドラが俯き、譫言のように何かを呟いている光景だった。
 周囲が城の最奥の如き場所だった為、これが現在の情景だと解る。彼女の手には鳥籠があり、その中には白い鳥がいる。魔力を使い切ったユリウスは最後に黒薔薇の聖女の姿をリルに見せてくれたようだ。
「きゅ……」
「パンドラは自分を悪だとしっていて、それで――」
 ヨルは俯き、リルは唇を噛み締める。
 自分の役目は希望を齎すこと。それだけは確かで、大切なことだと思えた。
 白と黒を宿す人魚は游いでいく。
 己が往くべき場所へ、逢うべき人と巡り合うために。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​




第2章 集団戦 『『死花』ネクロ・ロマンス』

POW   :    パイル・ソーン
【既に苗床となったヒトの手による鷲掴み】が命中した対象に対し、高威力高命中の【背から突き出す血を啜る棘を備えた茨の杭】を放つ。初撃を外すと次も当たらない。
SPD   :    フラバタミィ・ニードル
【体を振い止血阻害毒を含んだ大量の茨棘】を放ち、自身からレベルm半径内の全員を高威力で無差別攻撃する。
WIZ   :    バイオ・ビュート
レベル×5本の【木属性及び毒】属性の【血を啜る棘と止血阻害毒を備えた細い茨の鞭】を放つ。

イラスト:綴螳罫蝉

👑11
🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​

種別『集団戦』のルール
 記載された敵が「沢山」出現します(厳密に何体いるかは、書く場合も書かない場合もあります)。多くの場合、敵は、あなたが行動に使用したのと「同じ能力値」の戦闘方法で反撃してきます。
 それらを踏まえつつ、300文字以内の「プレイング」を作成してください。料金は★0.5個で、プレイングが採用されなかったら全額返金されます。

 大成功🔵🔵🔵
 成功🔵🔵🔴
 苦戦🔵🔴🔴
 失敗🔴🔴🔴
 大失敗[評価なし]

👑の数だけ🔵をゲットしたら、次章に進めます。
 ただし、先に👑の数だけ🔴をゲットしてしまったら、残念ながらシナリオはこの章で「強制終了」です。

※自分とお友達で、それぞれ「お互いに協力する」みたいな事をプレイングに書いておくと、全員まとめてひとつのリプレイにして貰える場合があります。


●ネクロ・ロマンス
 寂寞の闇を抜け、辿り着いたのは祭壇の部屋。
 一度は記憶が奪われたが、猟兵達は大切な思い出をすべて取り戻している。そして、闇から脱出した者はみな不思議なものを見たり聞いたりしていた。

 黒棘の道を進んだ者には、パンドラが行った過去の悲劇や惨殺劇が視せられた。
 黒い羽根の道では、黒薔薇の聖女が失った記憶の断片と言葉が巡った。
 白い羽根の道には、ユリウスという名の魔法使いの青年の声が響いた。

 黒の領域はパンドラが作ったものらしいが、道標だけはそうではない。
 どれもユリウスが巡らせた魔法によるものだったらしい。ユリウスは現在、パンドラが手にしている鳥籠の中に白い鳥の姿で囚われているようだ。
 彼は黒薔薇の聖女の下僕だったらしく、自分達を此処から解放して欲しいと願った。
 それは即ち、パンドラを倒せという意味合いだ。
 寂寞の領域で猟兵達に伝えられた、それぞれの情報は望めば知ることが出来る。他者が見た光景や言葉を知り、どのように思うかは個人次第。また、ユリウスは猟兵達に記憶を戻すために魔力を使い切ったらしく、これ以上の協力は望めないだろう。
 だが、猟兵達には個々の力がある。
 城に蔓延る紋章や、黒薔薇の聖女を倒す目的が果たせなくなったわけではない。

 祭壇の前。
 見据える先には寄生薔薇に身体を操られた死者達がいる。
 黒、赤、紫、黄、青。意思なき者達は様々な色の寄生花に操られ、侵入者を排除しようとして襲いかかろうとしていた。
 周囲には大量の生贄の血と死骸が散らばっている。強い薔薇の香りがしているが、それは漂う悪臭を押し隠すためのものだ。
 特に黒薔薇の死花達は祭壇を守るように布陣している。彼らを倒せば紋章の祭壇を壊すことが出来るだろう。
 何をどのように感じ取り、どうやって事を成すか。
 それは――全て、君次第だ。
 
雨倉・桜木


腐敗と花の甘い香りが入り混じる空間で微笑む。流れ込んだ記憶等からぼくが感じたパンドラは、ヴァンパイアの性質と自身の優しい気質が噛み合わず、民の幸福を想うが故に頑張りが空回ってしまった…頼るのが下手で強がるのが得意で我儘な愛らしい少女だった。

世界が此処でなかったらこんな悲劇もなかったろう。でも恐らく此処でなければ彼女は彼女ではなかったろう。だから此れは避けられなかった惨劇だ。

でもせめて自身を悪と嘆いていた彼女に一言伝えたい。性質こそ悪だが君自身は悪でなどあるものか、と。それくらいの救いはあってもいいだろう?

さて、まずは邪魔なものを排除しよう。死体も花も火に焚べて全て燃やして灰にしてしまおうか。



●緋桜の導き
 腐敗した肉の匂い。
 それを押し隠すように漂う甘い香り。花が死を隠すと語れば聞こえがいいが、此処にあるのは理不尽な現実。
 亡骸となった者は紋章を造るためのものとされている。
 鼻を突く匂いも隠しきれてはおらず、床にこびりついた血の色もそのままだ。そんな腐臭と花の香が入り混じる空間で桜木は微笑んでいた。
「あれが紋章の祭壇だね」
 城の主であるパンドラの姿は何処にもない。彼女は猟兵がこの場にいることに気付いていないらしいが、代わりに花に寄生された亡骸が何体も見えた。
 あれらを葬ってやれば寄生紋章の製造は止められる。きっと苦労はせずに終わらせられるだろうと考えた桜木は、現状を確かめた。
 先程に不思議な闇の空間で奪われた記憶は戻ってきている。
 それと同時に流れ込んできた黒薔薇の聖女の記憶や、過去の光景。それらから桜木が感じたのは、パンドラの心の在り方だ。
 三味線を構えた桜木は近付いてくるネクロ・ロマンス達を見据える。
 弦を爪弾くことで花風が周囲に巡り、燃えあがる八重紅枝垂桜がふわりと浮かんだ。それによって敵の身を穿ちながら、桜木は思いを巡らせた。
(ぼくが感じたパンドラは――)
 ヴァンパイアの性質と自身が元から宿していた優しい気質が噛み合っていなかったように思える。吸血鬼は人間を支配し、非人道的なことも当たり前に行うもの。だが、パンドラは少し違った。
 もしかすれば、民の幸福を想うが故に頑張り過ぎてしまったのかもしれない。
 他のヴァンパイアに倣って民を虐げもした。
 血と享楽を愉しみ、人の命を軽く扱いもした。
 だが、本当に願っていたのは幸福だ。されど、そのすべてが空回ってしまった。
「頼るのが下手で強がるのが得意で我儘な、愛らしい少女だった――と、思うんだけれど君達には分からないよね」
 桜木は枝垂れ桜の花を舞わせ、葬送を刻むように迸らせる。
 言葉を発しない寄生花の死者達。彼らに問いかけても答えが戻ってくることなど勿論なかった。それでも、桜木は彼らを見つめ続けた。
 あの死体達もパンドラに理想と希望の匣を作ってもらったのだろうか。
 それを認められず、幸福を捨てて匣から出てきたのかもしれない。それは想像する他ないが、あの姿こそがパンドラの持つ歪みの果てのような気がした。
「世界が此処でなかったらこんな悲劇もなかったろう。でも、恐らく此処でなければ彼女は彼女ではなかっただろうね」
 桜木は自らが下した結論を言葉に変えた。
 だから、此れは避けられなかった運命と惨劇だ。
 そして今、自分達がこの場に訪れたこともまた運命と呼べるのだろう。桜木はネクロ・ロマンス達を次々と地に伏せさせながら思う。せめて自身を悪と嘆いていた彼女に一言だけでも伝えたい。
 ――性質こそ悪だが、君自身は悪でなどあるものか、と。
「それくらいの救いはあってもいいだろう?」
 誰に問うわけでもなかったが、桜木はそのような言葉を発していた。この思いを本人に伝えるならば、先に進む必要がある。
「さて、邪魔なものを排除してしまおうか。死体も花も火に焚べて、全て燃やして灰にして……静かな終わりをあげるよ」
 花風の戯れが暗い祭壇の部屋を彩り、亡骸を葬っていく。
 燃え上がる桜翔舞は容赦なく――それでいて、優しい巡りとなって死者達の躰に二度目の終わりを与えていった。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

フリル・インレアン
ふええ、この先にパンドラさんがいるんですね。
でもその前に黒薔薇の紋章の祭壇を破壊しないといけませんね。

あの人たちに掴まれると次に強力な攻撃が来てしまいますから掴まれないようにしないといけませんね。
ふええ、私には鷲掴みに出来るほど大きなものはないから大丈夫って、ひどいですよ。
こんな時に冗談は言ってないで、私がサイコキネシスであの人たちの腕を逸らしますからそのすきに攻撃してくださいよ。
サイコキネシスで腕を抑えたり手を握ってしまえば掴むことはできないですよね。



●救いの手
 紋章の祭壇が聳え立つ場内。
 豪奢な作りの部屋は装飾だけを見れば美しい。だが、この場所は酷い匂いと血の色に満たされ、数多の亡骸が転がっている。
 見渡す限りの花、花、花。
 様々な色の花を咲かせた薔薇たちは巨大なものだ。人間の亡骸に寄生して躰を操っている薔薇は不気味に蠢いている。
「ふええ、この先にパンドラさんがいるんですね」
 フリルは祭壇の横手から続いている通路を見つめていた。あの奥に進めば、更に城の奥に控える黒薔薇の聖女に会えるだろう。
 そのとき、フリルの視線を遮るようにしてネクロ・ロマンスが動き出した。
「でも、その前に黒薔薇の紋章の祭壇を破壊しないといけませんね」
 視線を巡らせたフリルは身構える。
 亡骸は操られており、花だけが瑞々しく動いていた。それが怖くはないといえば嘘になってしまうが、フリルは戦意を抱いている。
 何より強い目的はこれ以上の紋章を作らせないこと。
 死という犠牲を伴って作られるものなどあってはいけない。周囲には既に戦っている仲間もおり、様子が窺える。
 フリルは敵に近付き過ぎないようにまずは距離を取った。なるほど、と呟いたフリルは敵の動きを見極める。
「あの人たちに掴まれると次に強力な攻撃が来てしまいますね」
 それならばから掴まれないようにしなければならない。幸いにも駆け回ることならば、どちらかといえば得意な方だ。これまでアヒルさんとの追いかけっこで培われた素早さを駆使しながら、フリルはネクロ・ロマンスからの一撃を避けてゆく。
 すると、その様子を見ていたアヒルさんがぐわっと鳴いた。
「ふええ! 私には鷲掴みに出来るほど大きなものはないから大丈夫って……ひどいですよ、アヒルさん」
 その間にもフリルへの攻撃が迫ってくる。
 慌てながらもくるりと踵を返して軌道から逃れたフリルは、帽子の上に乗っているアヒルさんと共に戦場を駆けていく。
「こんな時に冗談は言ってないで真面目にやりましょう。いきます……!」
 自分がサイコキネシスでネクロ・ロマンス達の腕を逸らす。その隙に攻撃して欲しいと相棒ガジェットに願ったフリルは力を巡らせた。
 そして、次の瞬間。
 不可視のサイキックエナジーが戦場に広がり、ネクロ・ロマンスの腕や茎などを一気に押さえつけた。
「アヒルさん、今です!」
 声を掛けたフリルに応じ、アヒルさんが薔薇の花を突く。フリルもサイコキネシスで敵の腕を抑え続けた。
「こうして手を握ってしまえば掴むことはできないですよね」
 敵の動きを封じたフリルに合わせ、アヒルさんが突撃していく。そうしてネクロ・ロマンスは次々と倒されていき、悲しき亡骸は解放されていった。
 亡骸とはいえ、紋章の材料にされるだけだった躰はフリルとアヒルさんによって救われたことになる。
 闇深き世界に幽かな希望を灯すが如く、少女達は進み続けるのだろう。
 そして、戦いは其処からも更に巡りゆく。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

アリステル・ブルー(サポート)
この状況、さてどうしたもんかな
僕は、周囲をよく見て状況を判断して行動するよ
もし保護が必要な人や死守しなくてはいけないものがあるならそれを優先的に守るよ
他の人がやってくれるなら僕は戦闘かな!

基本的に黒剣を細身の剣にして戦うけど状況に合わせるよ
戦闘でも味方の支援でも僕にまかせて!
UCは攻撃/回復問わずその場で一番有効そうなものを使うね
状況の好転等有益だと判断すれば多少の怪我は厭わず積極的に行動するよ

もしも連携してくれる猟兵さんがいたり味方が指示を出してくれるなら、僕はそれが有益である限り従います

(記載に関わらず、不足している役割等MS様のご都合に合わせてご自由に利用してください)


満月・双葉(サポート)
ダメージは【激痛耐性】を用いて無視
連携が必要であれば行う
仕事を完遂するためなら手段は選ばず、何らかの犠牲を払う事もする

【爆撃】の魔術が専門で格闘技に爆撃を混ぜて威力をあげるなど戦術に織り交ぜる
アイテム【虹瞳】は義眼として左目に収まり、裸眼として晒せば視界に収める対象に対して【生命力吸収攻撃】を行う。仕様の際に眼鏡(魔眼殺し)を外す必要がある
大根には爆発の【属性攻撃】が付随し【爆撃】で広範囲の攻撃を行う
敵の攻撃は【野生の勘】で交わすことが可能
武器桜姫は【捕食】による【生命力吸収攻撃】がある

請け負った仕事は完遂させるが、『自分は滅ぼされるべき悪』という思考回路から破滅的な行動をとることが多い



●解放の為に
 ヴァンパイアの城に作られた、紋章の祭壇。
 現在、此処では黒薔薇の紋章が作られている。数多の人間、時にはヴァンパイアのような高位存在すらも材料として混ぜ込まれるという紋章。それは宿主に寄生するものであり、恐ろしいほどの力を与えるらしい。
 そして今、猟兵達は紋章の祭壇を破壊するために此処に居る。
「さて、今回の状況は……」
 アリステル・ブルー(果てなき青を望む・f27826)は周囲の様子を確かめた。その近くでは身構えている満月・双葉(時に紡がれた忌むべき人喰星・f01681)の姿もある。
 二人の瞳に映っているのは大きな薔薇の花。
 それらに寄生されている人間の亡骸だ。ネクロ・ロマンスと呼ばれているオブリビオンにはもう個の意思などはなく、祭壇に近付くものを排除するためだけに動く。
「やることは単純明快だね」
 双葉は敵であるネクロ・ロマンスを見遣ってから、魔術を巡らせ始めた。相手に意思がないのならば掛ける言葉は不要。
 そして、亡骸が操られているのならば解放してやるだけ。
 それ以上でもそれ以下でもない。
「死んでも尚、操られているなんて苦しいよね」
 同様にアリステルもそのように判断していた。双葉は右側の敵に狙いを定め、アリステルは左側に向かって駆ける。
 双葉が放った爆撃の魔力が途端に弾けた。
 それによってネクロ・ロマンスの赤薔薇が散る。寄生されていた亡骸はぴたりと動きを止め、その場に崩れ落ちた。
「生憎、こんな葬送の仕方しか出来なくてね」
 双葉は倒れ伏した者に一言だけ声を掛けた後、次の標的に視線を向けた。左目に宿る虹瞳で見遣った先には瑞々しく咲く黄薔薇がある。
 その反面、操作されている死体は干からびて見る影もない。
 双葉が更なる爆撃を解き放った瞬間、右側ではアリステルが二体のネクロ・ロマンスを相手取っていた。
「大丈夫、今すぐに終わらせるから」
 黒の細剣を振り上げたアリステルは操られた亡骸に語りかけている。通じないと分かっていても、そうしたいと思ったからだ。
 この死体達は生前、ヴァンパイアにいいようにされた者なのだろう。生を失っても亡骸を使われているならば、せめて死くらいは人らしくあるべきだ。
 アリステルは漆黒の旋風を纏い、刃を振り下ろす。
 亡骸ではなく巨大な薔薇の方を見事に斬り裂いた彼は、操られた人に絡まった荊棘も一緒に切り落としてゆく。
(この人達も生きていれば、きっと……たくさんの可能性が広がったんだろうな)
 思っても詮無きことだろうが、アリステルはそう思わずにはいられない。一体を倒し、次の敵に目を向けたアリステルは更なる斬撃を解き放った。
 左方向では赤黒い大鎌を振るう双葉がいる。
 次々と敵を撃破していく双葉とアリステルはときおり視線を交わした。言葉を交わさずとも、自分達のやるべきことは分かっている。
 ネクロ・ロマンス達は――否、死者達は次々と解放されていた。
 その際、双葉が気になったのはこの城の主であるパンドラのこと。聞いてきた話では、彼女は『悪である自分は滅ぼされて終わり』だと考えているらしい。
 それは双葉が抱く思いに似ている。
「……悪、か」
 双葉が呟いた言葉は戦いの音に紛れて消えていった。
 そして、双葉による爆発の魔術が紡がれる。アリステルはその機に合わせて敵の背後に回り込み、黒薔薇のネクロ・ロマンスを打ち倒していった。
「これでこの辺りの敵は全て散らせたかな」
 アリステルは周囲を見渡し、他の敵は別の仲間がやってくれるだろうと判断する。自分達を狙っていた敵を打ち倒した双葉とアリステルは身構え直した。
 ヴァンパイアに利用された者達を解き放つ。その役目は見事に果たされた。
 

成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​

レザリア・アドニス
まあ、相変わらずヴァンパイアらしいことが…
何度もヴァンパイアの所業を見たから、これぐらいは、予想出来るんですね…と小さくため息して、肩を竦める
ヴァンパイアに、何の期待を抱くというのでしょうか?

…死骸ですから、遠慮はいらないよね
しかもこの濃すぎる香り…不愉快です
手に炎を具現化させ、【全力魔法】と【範囲攻撃】をかけて、雨のように降らせて、周りの死花を燃やす
ーー死花って?
ただの死体に憑いた寄生者でしょう
本物の死の花はーー
祭壇へ近づきつつ炎の矢を編み出し続き、
花も、花たちが放つ鞭も、生贄の血も死骸も、纏めて焼き尽くす
髪の福寿草も炎の赤に染まるほどに
ほら、見てごらん
死を告げる花って、本当に綺麗でしょう?



●花と焔
 生贄を素体として作られる紋章。
 今回のそれは黒薔薇だという。美しい花の名を冠していても、紋章の製造方法はどれも同じ。紋章は全て命を糧にして作られるものだ。
 祭壇の周囲には大量の生贄の血と亡骸が散らばっている。それらは酷い悪臭を撒き散らしているため、薔薇の香りで隠されていた。
「まあ、相変わらずヴァンパイアらしいことが……」
 辺りを見渡したレザリアは小さく溜息をついた。紋章が作られているところが悍ましい場所だということはやはり変わらない。
 レザリアはこれまで、何度もヴァンパイアの所業を見てきた。それゆえにやはり今回も同じだと感じていた。
「これぐらいは、予想出来るんですね……」
 肩を竦めたレザリアは、自分に向かってくる敵を見遣る。彼らは亡骸だ。頭上に咲いている巨大な薔薇に操られた者達を見つめたレザリアは、そっと身構えた。
 この城に君臨しているのもまたヴァンパイアだ。
 彼女にどのような過去があろうとも、この亡骸を作った原因なのは間違いない。
「ヴァンパイアに、何の期待を抱くというのでしょうか?」
 少なくともレザリアの意見は一貫している。結局、これまでにどういった経緯があれど相手は倒すべき存在だ。
 目の前の存在にも同じことが言える。
「……死骸ですから、遠慮はいらないよね」
 操られた亡骸達に無意味な慈悲は要らない。寧ろ、手心を加えてしまう方が死体達にとっての不幸になるだろう。意思はないとはいえ、嘗ての躰がいいように利用されてしまっている状況はよくない。
 そう考えたレザリアは掌を翳した。
「しかも、この濃すぎる香り……不愉快です」
 甘い薔薇の香が強いが、レザリアは死の匂いも同時に感じている。香水を振りすぎたかのように漂い続ける色濃い香りは遠慮したいものだ。
 手に炎を具現化させたレザリアは、その勢いを強めていく。ゆっくりと歩いてくるネクロ・ロマンスを見遣った彼女は、紡いだ焔に全力を込めた。
 襲い掛かられる前に先手を取る。此度の相手はそれが叶う相手だ。炎の範囲を広げたレザリアは一気に力を解き放った。
「燃えて、ください」
 炎を雨のように降らせていくレザリアは周りの死花を燃やす。亡骸に取り付いたものを焼き払っていく彼女はふと思う。
(――死花って?)
 死を弔う花だとか、死に寄り添う花というように語れば美しいものだ。
 だが、今回のこれは違う。
「こんなもの、ただの死体に憑いた寄生者でしょう」
 そう、本物の死の花は――。
 レザリアは禍々しい雰囲気を放つ薔薇を焼きながら、少しずつ祭壇へ近付いていく。炎の矢を編み出していく彼女は止まらない。
 花も、それらが放つ鞭も。生贄の血も死骸も、纏めて全て焼き尽くす。
 照り返す炎の色で髪の福寿草も炎の赤に染まるほどに強く、激しく。
「ほら、見てごらん」
 レザリアは傍らの死霊に呼びかけ、葬送されていくもの達を示した。燃え上がる炎はまるで花の如く、揺らめく火も花弁のように戦場に舞っている。
「死を告げる花って、本当に綺麗でしょう?」
 レザリアは薄く双眸を細めた。
 容赦も遠慮などもしなくていい。亡骸達は今ここで、永き苦しみにも似た使役から解放されているのだから。
 そうして、弔いの炎は全てを巻き込みながら迸っていった。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

リオネル・エコーズ


黒羽根の道で聞こえたパンドラの声
他のみんなが見聞きした事
それらを知って湧くのは、この先へ行かなきゃって強い気持ち

彼女のした事全て善行とは言えないし
自分は結局悪だって思ったみたいだけど
彼女は彼女なりに自分のいる世界を、大切なものを愛してた
守ろうとしてた

魂を削って匣を創り続けた彼女に残る最後のものは?
それに
俺が知った彼女の失くし物
少しでも届けられるなら
俺はこの後に待つ舞台へ喜んで上がる

そして過去を変えられない分
今と未来を変える為に心から歌おう
出来るだけ死者以外の所を花弁で断ち切る
鞭を食らっても歌は止めず
ごめんねと心の中で

薔薇は好きだけど
この人達の体はこの人達のものだから
この先へ、進ませてもらうね



●祝福と希望の薔薇
 黒い羽根の道で聞こえた声を思い出す。
 あれは黒薔薇の聖女、パンドラの素のままの言葉だった気がした。あの声を感じ取った降、リオネルの裡には様々な記憶や声が響いていった。
 それらは他にこの場に訪れた者達が見聞きしたものであり、望めば与えられる不思議な光景と言葉だった。
「あのパンドラの声……それに、たくさんの出来事は、」
 リオネルは己の胸を押さえる。
 紋章を作っているヴァンパイアという印象から、パンドラへの思いは随分と変わってしまった。倒すべき存在だということは変わらない。
 あの記憶を知って湧くのは、この先へ行かなきゃ、という強い気持ち。
 歩みを進めたリオネルの視線の先には紋章の祭壇がある。そして、立ち塞がるようにして薔薇に寄生された死者達が集まってきていた。
「君達が紋章の犠牲者だね」
 リオネルはそっと呼びかけた後、やわらかな歌声で旋律を描きはじめる。
 思うことはあれど、まずは祭壇をどうにかしなければならない。死花に操られる亡骸達に捧ぐのは春薔薇の祝福。
 激しく舞う、淡桃色の薔薇は死の花に対抗するように巡っていく。
 その際にリオネルが思いを巡らせたのは、やはり黒薔薇の聖女パンドラのこと。
 彼女のしたこと、全てが善行とは言えない。歯向かう領民を処刑したことや、死で飾る舞台の演者として送り出したことは悪行だ。
「パンドラは結局、自分は悪だって思ったみたいだけど」
 ヴァンパイアに生まれ落ちたことで、そうならざるをえなかった。
 リオネルが思うに、彼女は彼女なりに自分のいる世界や大切なものを愛していた。そして、守ろうとしていたはず。
 その意志があった証拠こそ、パンドラの匣だ。
 匣は理想の世界や思い描いた光景を作り出すことの出来る能力だという。だが、偽りの世界を作り出す代償は重いものだった。
 魂を削って、記憶を落として、自分の一部を殺し続けているパンドラ。
「……匣を創り続けた彼女に残る、最後のものは?」
 リオネルは疑問を抱いていた。他者に幸せを与えようとする行為は半ば無理矢理なものだ。しかし、其処には彼女の幸福は含まれていないのではないか。
 巡らせた祝福はネクロ・ロマンスを穿つ。
 その代わりに、ほのかに薫る淡桃色の薔薇が亡骸を静かに癒やしていた。悪しき花には終わりを。操られる死者には弔いを。
 リオネルは目覚めた春の歩みと共に、葬送の音色を響かせ続けた。
 音はもう殺されていない。それゆえに存分に旋律を紡ぐ。
「それに――」
 リオネルは彼女の失くし物を知った。
 匣で己を削ることとは別に、パンドラはユリウスという青年の記憶を消されているようだ。聞こえた声からするに、彼女は少なからず彼を好いていたはず。
「忘れるのは悲しいから。少しでも届けられるなら、俺は……」
 この後に待つ舞台へ喜んで上がる。
 痛みを伴う戦いだとしてもリオネルの心は決まっていた。過去を変えられない分だけ、今と未来を変える為に心から歌う。
「先ずは君達から送るよ」
 リオネルは淡桃の薔薇を解き放ち、死花だけを断ち切り続けた。たとえ鋭い茨の鞭を受けて毒が巡ろうとも勢いは止めない。
 ごめんね、と心の中で告げたリオネルは双眸を静かに緩めた。
 手放せない希望は己も抱いている。それゆえに彼女を取り巻く物やこの状況にも、幽かだとしても希望を呼び込みたい。
「薔薇は好きだけど、この人達の体は花に囚われていいものではないから」
 亡骸を操る黒薔薇を散らしたリオネルは、相手を弔うように一度だけ目を閉じた。
 そして、彼が次に瞼をひらいた瞬間。
「この先へ、進ませてもらうね」
 言葉と同時に激しい花の嵐が吹き荒び、戦場を淡い色彩に染めあげた。
 想いは音へ、願いは花に込めて。
 紋章の祭壇に龜裂が走り、悪しき存在に終わりが導かれていく。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

橙樹・千織


彼女はこんなにも記憶を落として…
掌の羽根を見、あの声の主を思う
己を保っていられるのだろうか、と

戻った記憶に安堵したのも束の間
花の香と悪臭に
眼前の光景に顔を顰める

彼女が想い描いた通りにならなかった世界
民と彼女の想いはすれ違ってしまった
彼女が選び取った手段と…きっと民の固定観念も要因の一つ

目に見える物だけが真ではない
想いは言の葉で紡がなければ伝わらない
しかしどれだけ紡いでも
聴く耳を持たねば真の意味が伝わらない

互いに過ちと後悔を重ね
歩み寄り前に進む
それが出来れば良かったのでしょう

けれど全ては過去に沈んでしまったこと
たらればで語ろうとも誰も救われない

ならば
終わりに致しましょう
あなた方の永い悪夢を
この先にいる彼女がこれ以上、己を削るのを

私に出来るのは
断ち斬り
清め
言の葉を紡ぐこと

きっともう聴こえないし、伝わらない
けれど
最期の寝物語に
彼女が願った世界を紡ぎましょう
純粋で、周囲に翻弄されども
民と想い人の幸せを願い、己を削り続けた
黒薔薇の聖女…いいえ
一人の少女の想いを

せめてその身だけでも
安らかにと願って



●ひとりの少女へ
 命を歪められ、操られた者達が花と共に蠢く。
 その光景を見つめる千織は、或ることに思いを馳せていた。それは寂寞の空間で見聞きしてきた黒薔薇の聖女の記憶や言葉のこと。
「彼女はあんなにも記憶を落として……」
 千織の掌には拾い上げてきた羽根が乗っている。羽根を見遣った千織は、先程に聞いた声の主を思う。
 彼女はいつまで己を保っていられるのだろうか、と。
 ユリウスという協力者によって猟兵達の記憶は戻された。千織はそのことに安堵はすれど、それも束の間。
 不意に過ぎったのは、記憶が戻っていないパンドラの心はどうなっているのかということ。それと同時に微かに鼻孔を掠めた香りが千織の心を掻き乱す。
「この匂いは……」
 花の香は甘やかなものだが、亡骸や血から漂う悪臭が入り混じっていた。香りとは呼べない腐臭や鉄めいた匂いは、眼前の光景がどれほど凄惨か物語っている。
 人々は紋章の材料とされる前に惨殺されたのだろうか。想像することが憚られるほどの光景が広がっている。
 顔を顰めた千織は身構え直した。
 パンドラやユリウスに思うことはあれど、今はネクロ・ロマンスと呼ばれる花の退治が不可欠だ。千織は得物を構え、近付いてきた赤い薔薇の亡骸を見据える。
 ――剣舞・柘榴霹。
 苗床となったヒトの手が伸びた刹那、千織は鷲掴みを避けた。反撃として振るったのは破魔や呪詛、催眠術を籠めた一閃。ヒト側の肉体を傷つけず、薔薇の動きのみを攻撃した千織は刃を切り返す。
 きっと、此処は彼女が想い描いた通りにならなかった世界。
 黒薔薇の聖女として、求められるがまま振る舞ったパンドラは何もかもを上手く巡らせられなかったのかもしれない。
「民と彼女の想いはすれ違ってしまったのね」
 彼女が選び取った手段。
 民達が反乱を選んだ理由。
 ヴァンパイアとしての行為が原因でもあるが、きっと民の固定観念も要因のひとつであると千織は考える。過去になってしまった者達の心境や状況は想像する他ないが、垣間見た光景からはそのように感じた。
「そう、目に見える物だけが真ではないの」
 千織は二体目の敵に狙いを定め、薔薇だけを貫きに掛かった。花にも罪はないのかもしれないが、今は亡骸を操られた者の動きを止めるのが先決。
 振り下ろした一閃で花弁を穿った千織は、更に思いを紡いでいく。
 想いは言の葉で紡がなければ伝わらない。
 ただ独りで思っているだけでは、心の奥底に沈んでしまうだけ。
 しかし、どれだけ紡いでも意味がないこともある。聴く耳を持たねば真の想いが伝わらず、虚空に消えてしまうだけ。
 それゆえに千織は、自分だけは耳を傾けたいと願った。
「互いに過ちと後悔を重ね、歩み寄り、前に進む」
 千織は理想を言葉にする。
 だが、そうすることが出来なかったのが今という時だ。
「……それが出来れば良かったのでしょう」
 過ぎ去ったことを悔いても仕方がないと分かっている。全ては過去に沈んでしまったことであり、たらればで語ろうとも誰も救われない。
 こうすればよかった。ああすればより良い道に進めた。そんなことを本人達ではない者が語る権利はないはずだ。
 思いを改めた千織は強い眼差しを前に向けた。
「ならば、終わりに致しましょう」
 柘榴霹の舞が再び振るわれ、周囲のネクロ・ロマンスが蹴散らされていく。亡骸を損壊させぬように立ち回る千織は凛とした声で呼びかける。
「あなた方の永い悪夢を」
 そして――この先にいる彼女がこれ以上、己を削るのを。
 止めることが己の役目。
 猟兵としての思いを抱いた千織は刃を振るい続けた。その一閃ずつに思いを込め、本当を知りたいと願う彼女の眼差しは強い。
「私に出来るのは――」
 断ち斬り、清め、言の葉を紡ぐこと。
 きっともう聴こえないし、伝わらない。そのことは理解しているが、たったひとかけらでも希望を召したかった。
「最期の寝物語に、彼女が願った世界を紡ぎましょう」
 決意は深く、千織は真っ直ぐな思いを先に向け続ける。ヴァンパイアという存在であっても、すべて一緒くたにしてはいけないはず。
 パンドラという女性はきっと純粋で、周囲に翻弄されども民と想い人の幸せを願った者であるはず。少なくとも千織にとってはそうだ。
 己を削り続け、狂気を宿したパンドラを思う千織の刃は止まらない。
「黒薔薇の聖女……いいえ、一人の少女の想いを」
 そのためにはネクロ・ロマンスという存在など、斃してしまえばいい。千織は破魔の巡りを確かめながら、死の花を斬り裂いてゆく。
 そうして、千織は願う。
 ――せめてその身だけでも、安らかに。
 聖女と呼ばれし者と薔薇の亡骸への思いは強く、剣舞と共に解き放たれた。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

ルーシー・ブルーベル
【月光】◎

見えたパンドラさんのお姿は
ひどい事を沢山してきた黒薔薇の聖女
悪い吸血鬼さん
それは間違いなさそうだけれど
悪扱いされることを諦めている、ようにも見えた
あってるかは、ルーシーには分からないけど…
そうね
何か出来る事があるならば
先に進まなくてはって気持ちは強くなった
行きましょう、ゆぇパパ
手を繋ぐ
今度は離れる事が無いように

ただよう死の香り
知らないワケじゃない
死後、魂だけじゃなくて体も自由にならないなんて
……!
あのひと、青い花が咲いてる……

虚ろな目、自分のいつかの未来を写したような姿に震えが走る
頭に触れた温みに
漸く自分が強くパパの手を握っていた事に気づいた
「大丈夫」っていうパパの言葉
ざわざわした心をいつもなだめてくれる、魔法の言葉

うん、ありがとう
だいじょうぶじゃ無かったけど、だいじょうぶになったよ
見上げたパパのお顔は何かに耐えているよう
だから今度はルーシーから
パパも、だいじょうぶよ

ふたいろ芥子の怪火よ、咲いて
棘も鞭も、パパに届かせたりなどしないわ
木なら燃えるでしょう
そして地にお還りなさい


朧・ユェー
【月光】◎

黒薔薇の聖女
悪者扱いを諦める?
許される行為では無い
でも…彼女にとってそうしなければならなかったかもしれない
それは彼女の心だけ、彼女を知る者だけがわかる事だろうが
少しでも何か救える事があるのなら
えぇ、そうですね。
行きましょう、ルーシーちゃん
彼女の手を取り、祭壇へと歩む
今度は一緒に

死の臭い
何度嗅いだかわからない
薔薇の香り
死後も身体を乗っ取られて操られる
色とりどりの薔薇
黒薔薇の中に赤い薔薇
嗚呼、喉が渇く
やはり赤は好み…そして飢えを膨張される
彼女の手が強く握られる
彼女を見ると怯えている様だ
目線を見ると青い薔薇
ああ、彼女にとって自分を写すモノ
そっと頭を撫でる
大丈夫、大丈夫ですよ
君はあの様にはならないからさせないからと
大丈夫よと彼女が笑う
多分まだ少しは不安なはずなのに
彼女は僕にも大丈夫だと
喉の渇きが和らげる
ありがとう、大丈夫ですよ

嘘喰
君や僕、そして貴方のそんな嘘な姿は喰べてあげましょう
本当の姿になる為に



●言の葉に込めた願い
 黒薔薇の聖女。
 そのように呼ばれる者が辿ってきた過去の一部を視たことで、ユェーとルーシーの心は僅かに揺らいでいた。
 酷いことを多く行ってきたヴァンパイア。ルーシーとしては彼女はそう見えた。
「パンドラさん……悪い吸血鬼さんなのね」
「どうやらそのようです」
 少なくとも悪事と呼ばれる事柄を行ってきたことは間違いない。しかし、それ以外にもルーシーが感じたことがある。
「悪いことだったのは間違いなさそうだけれど、悪扱いされることを諦めているようにも見えたわ。あってるかは、ルーシーには分からないけど……」
「悪者扱いを諦める? いや、許される行為では無い」
 考え込むユェーは戸惑いと同時に不思議な感覚を抱いていた。気付けば思考は言葉として零れ落ち、祭壇の空間に響く。
「でも……彼女にとってそうしなければならなかったかもしれない」
 真相は彼女の心の中だけにある。
 そして、その真意は彼女を知る者だけがわかることだろう。ユェーの考えは決まっていたが、相手が悪だからといって邪険に扱っていいわけではない。
「僕達に少しでも出来ることがあって、何か救えることがあるのなら……」
「そうね、何か出来る事があるならば――」
 ユェー達は頷きを交わした。先に進まなくては、という気持ちが強くなったのだと語ったルーシーはそっと手を伸ばす。
「行きましょう、ゆぇパパ」
 強く手を繋ぐ。
 次は一緒に。今度は離れることがないように、しっかりと。
「えぇ、そうですね。行きましょう、ルーシーちゃん」
 首肯したユェーも彼女の手を取り、祭壇へと歩んでいく。もう逸れることはないと確信した二人は祭壇前に佇む人影を見据えた。
 漂うのは死の香り。
 甘やかで不思議な薔薇の香に誤魔化されてはいるが、死臭が感じられる。
(この匂いを、知らないワケじゃない……)
「ルーシーちゃん?」
 口許を押さえた少女に気付き、ユェーは顔を覗き込んだ。平気だと言うように首を横に振ったルーシーは気を落ち着けた。
 彼女にとっても、ユェーにとってもこの匂いは比較的身近なものだ。死の臭いは何度嗅いだかわからないほど。
「この薔薇の香りは良いものではありませんね」
「それにあのひとたち。死後、魂だけじゃなくて体も自由にならないなんて」
「そうですね、死後も身体を乗っ取られて操られています」
 色とりどりの薔薇を見つめたユェーは眉を顰めた。黒薔薇の中に赤い薔薇があることに気付いたユェーは喉を鳴らした。
(――嗚呼、喉が渇く)
 やはり赤は好みだ。そう感じると同時に飢えを覚えた。ユェーとしては赤は血の色であり、腹を満たす前に見る色彩だ。
 すると、ルーシーがユェーの手を強く握った。先程は強がっていたようだが、ユェーには彼女が怯えているように思える。
「……!」
「どうかしましたか?」
「あのひと、青い花が咲いてる……」
 驚きを見せたルーシーに対し、ユェーが首を傾げた。少女の目線を追うと其処には青い薔薇に寄生されたネクロ・ロマンスが見える。
(ああ、あれは――彼女にとって自分を写すモノだから)
 それゆえにルーシーは怯えを抱いているのだろう。ユェーは思いを敢えて言葉に出さず、もう一度その手を握り返した。
 震えそうになったルーシーは唇を噛み締める。
 虚ろな目に操られた身体。それも青い花に絡みつかれた状態。目の前の存在は、いつかの自分の未来を写し取ったような姿だ。
 動けない。動きたいのに、とルーシーが考えたとき。
 ユェーがそっと頭を撫でた。はっとしたルーシーは顔を上げ、ユェーを見上げる。
「大丈夫、大丈夫ですよ」
 彼は静かに告げてくれた。多くは語らないが、向けられた視線にはルーシーへの慈しみと優しい感情にあふれている。
 頭に触れたあたたかさと同時に、ルーシーは漸く自分が彼の手を痛いほどに強く握っていたことに気付いた。痛みがあったはずだというのにユェーはそのことについては何も言わなかった。
「君はあのようにはならないし、させないから」
「……うん」
 大丈夫だと伝えてくれるユェーの声が優しい。どんなときも、ざわざわした心をなだめてくれる魔法の言葉のようだ。
 ルーシーは涙を堪え、ユェーに微笑みを向けた。
「ありがとう。だいじょうぶじゃ無かったけど、だいじょうぶになったよ」
 見上げた彼の顔も何かに耐えているようだ。自分ばかりが支えられているだけでは嫌だと感じたルーシーはユェーに語り掛ける。
 だから、今度はルーシーから。
「パパも、だいじょうぶよ」
 大丈夫。
 二人が告げ合う言葉は同じだが、一言ずつに込めた意味合いは違う。
 多分、少女はまだ不安なはず。それでもルーシーは笑みを浮かべ、ユェー自身にも大丈夫だと伝え返してくれた。
 それによって喉の渇きが和らげられた気がする。
「ありがとう、大丈夫ですよ」
 互いに平気なことばかりではないと分かっているが、二人は強く伝えあった。一緒にいれば怖いことなんてない。
 そして、ユェーとルーシーはネクロ・ロマンスの解放を目指す。
 紋章の祭壇に捧げられる生贄として命を奪われ、あまつさえ亡骸までこのように利用されていいわけがない。
 たとえ未来の自分のように見えても、飢えが誘発されようとも惑わされない。
「ふたいろ芥子の怪火よ、咲いて」
 片手を掲げたルーシーは花菱草色と蒼芥子色の火を紡ぎあげた。
 敵は怪しく蠢き、棘や鞭で此方を穿とうとしている。されど攻撃が届く前に怪火が迸り、ネクロ・ロマンスの動きを阻んだ。
 彼女の動きが自分を庇ったものだと知り、ユェーは静かに微笑む。
「ありがとうねぇ、ルーシーちゃん」
「ええ、絶対にパパに届かせたりなどしないわ」
 強化と魔を祓う火が巡りゆく最中、ユェーはルーシーの存在を心強く感じた。
「それなら、僕も打って出ましょう」
 ――嘘喰。
 ルーシーにばかり任せてはいけないとして、ユェーは攻撃を仕掛けに掛かる。内なるモノ、或いは偽りのモノに死の紋様を付与した彼は、死への導きを紡ぐ。其処に這い寄る無数の喰華は敵に向かって喰らいついていった。
 其処へ更に、ルーシーが巡らせる魔祓いの炎が解き放たれる。
「木なら燃えるでしょう。地にお還りなさい」
「君や僕、そして――貴方のそんな嘘の姿は喰べてあげましょう」
 さぁ、本当の姿になる為に。
 ルーシーの焔とユェーの嘘喰による導き。重なった力はネクロ・ロマンスを貫き、哀しき者達を解放していく。
 互いの手は繋がれたまま。信頼を抱きあう二人は真っ直ぐに前を見据えた。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

宵雛花・十雉
【天竺葵】◎

なつめも来てたんだ!
へへ、なつめの顔見たら安心しちゃった

パンドラさんにも大切な人がいるんだね
でも今はその人のことも忘れてしまって
その人と一緒にいるために頑張って、もがいてる
…オレもなつめが死んじゃったら何とか繋ぎ止めようとするかもしれない

人は忘れる生き物なんて言うけど
忘れてしまうって苦しいことなんだって、1人で暗闇を歩いてみて分かったよ
闇を抜けて
無くした記憶を取り戻した時は本当にほっとした

ねぇ、なつめ
悪ってなんだろう
オレの見た過去の彼女は残酷で
彼女によって犠牲になった人もいた
パンドラさんを恨んでる人もたくさんいると思う

それでもオレは
彼女にも闇を抜けて欲しいって思うんだ
正しいとか間違ってるとかじゃなくて
オレがそうなって欲しいって思ってるだけなんだけど
だって歌が好きな人に悪い人はいないよ

その為にも今は目の前の死者達に休息を
この世界では魂は上層に行くと言うけど
せめて少しの間でも安らかに眠れるように、火葬してあげる
この世に囚われ続ける死者たち
彼らが迷わず逝けるよう、送ってあげたいんだ


唄夜舞・なつめ
【天竺葵】◎

ン……?お!ときじ!
お前も来てたのかァ
なんかやべー空間あったけど
大丈夫だったかァ?
クク、俺もお前の姿が見れて
ホッとしてらァ

記憶から抜け落ちちまっても
本能で離しちゃいけねェって
思ってンだろなァ
俺らもそんな風になれっといいな

忘れるってェのは
悪いことじゃあねーけどよ
良い事も悪いことも覚えてるから
人ってのは成長できンだ
記憶ってのはそンだけ大切だ
例外はあれど、
簡単に手放すのは勿体ねーよ。

取り戻せて本当によかった
俺の今までも、お前との記憶も
持ってかれちゃ困るからなァ。

俺に哲学みたいなこと
聞くんじゃねーよ
しらねー。
俺は悪ィと思うやつは悪だし
悪くねーと思うやつは悪じゃない
ただそう判断するだけだ

そンなら、
お前のその思いをぱんどらって
ヤツにぶつけてやンなァ。

スン、と匂いを嗅ぐ。
知っている匂いだ。
だからこそ気付く。
花の香りに混ざって悪臭がする。
人一倍、いや、
人万倍嗅いできた匂いだ。

──死ぬ間際に嗅いだ匂い

チッ、悪趣味で胸糞悪ィな。
白羽の道で聞いた声を思い出す

あぁ、望み通りさっさと

──終焉らせてやる



●番う雷焔
 寂寞の闇から祭壇の間へと続く道の最中。
 偶然にも出会ったのは番であり、想いを同じくするなつめと十雉の二人。
「ン……? お! ときじ!」
「なつめも来てたんだ!」
 笑みを重ね合った彼らは安堵を抱いた。吸血鬼の城に満ちる空気は淀んでいるが、誰よりも想い合う相手が傍にいるのならば不安などない。
 なつめは口許を緩め、十雉の肩を抱く。
「お前も来てたのかァ。なんかやべー空間あったけど大丈夫だったかァ?」
「へへ、なつめの顔見たら安心しちゃった」
 十雉の目元もふわりと緩められた。なつめとの距離は近すぎるほどだが、これまで孤独に進んできたことを思うと安心出来る。
「クク、俺もお前の姿が見れてホッとしてらァ」
 間近で笑いあった十雉となつめは、もう何も心配はないと感じあっていた。
 そうして、十雉はこれまでに視てきた記憶や言葉について考える。黒薔薇の聖女として領地を統治してきたパンドラは、ただの悪者だと断じることは出来ない気がした。
「パンドラさんにも大切な人がいるんだね」
「だろうなァ」
「でも、今はその人のことも忘れてしまって……それなのに、その人と一緒にいるために頑張って、もがいてる」
「記憶から抜け落ちちまっても、本能で離しちゃいけねェって思ってンだろなァ」
 黒薔薇の聖女、パンドラ。
 白い鳥と呼ばれる魔術師、ユリウス。
 二人の関係は主人と下僕というものだったようだが、パンドラはそれ以上の感情を抱いていたように見えた。
 そのうえ、パンドラはユリウスの記憶を失っても尚、彼を求めている。なつめは彼女達の関係を悪いものだとは思っていなかった。
「俺らもそんな風になれっといいな」
「……オレもなつめが死んじゃったら何とか繋ぎ止めようとするかもしれない」
「そっか、ありがとな」
 健気なことをいう十雉に向け、なつめは双眸を細める。
 もし死んでもまた転生してきてやる、なんてことを彼に言うのは冗談でも憚られた。それゆえになつめは礼を告げることで意志を示してみせる。
 すると、十雉がぽつりと零した。
「人は忘れる生き物なんて言うけど……忘れてしまうって苦しいことなんだって、独りで暗闇を歩いてみて分かったよ」
 闇を抜けて、なくした記憶を取り戻した時は本当にほっとしたのだと十雉は語る。記憶を取り戻せて本当によかったとなつめも感じていた。
「俺の今までも、お前との記憶も持ってかれちゃ困るからなァ」
「思い出したとき、改めて思ったよ」
 大切だ、と。
 十雉はなつめを見つめ、そっと囁いた。自分達はユリウスの助けで元に戻ったが、まだ記憶が戻っていないパンドラを思うと胸が痛む。十雉が胸元を抑える中、なつめも考えを口にしていった。
「だな、忘れるってェのは悪いことじゃあねーけどよ」
 本当に辛い記憶を忘れてしまうことは人としての防衛術でもある。しかし、なつめは首を横に振った。
 其処から続けていく言の葉は自分が抱く、記憶への思い。
「良いことも悪いことも覚えてるから人ってのは成長できンだ」
 記憶というものはそれだけ大切だ。
 例外はあれど簡単に手放すのは勿体ない。なつめの語る言葉を聞きながら、十雉は静かに身構えていく。
 そうした理由は見つめる先にネクロ・ロマンス達が現れていたからだ。
 距離を詰めつつ、十雉は傍らのなつめに問いかける。
「ねぇ、なつめ。悪ってなんだろう」
 自分が見た過去の彼女は残酷で、パンドラによって犠牲になった人もいた。おそらくパンドラさんを恨んでる者もたくさんいるのだろう。
「俺に哲学みたいなこと聞くんじゃねーよ」
 しらねー、と答えたなつめは肩を竦めた。例えば此方に迫ってきているネクロ・ロマンスも或る意味では悪だ。紋章の祭壇に近付くものを阻むという点だけを見れば、という話ではあるので――やはり善悪はただの定義だ。
「……そうだよね」
「俺は悪ィと思うやつは悪だし、悪くねーと思うやつは悪じゃない」
 ただそう判断するだけだと話したなつめ。
 十雉はそれもまたひとつの意見だと認め、自分の心を見つめ直した。
「それでも、オレは……」
「ン?」
 彼が何かを言い掛けたので、なつめは何でも言ってみろと語るように視線を向ける。その眼差しを受けた十雉は思いを声にした。
「彼女にも闇を抜けて欲しいって思うんだ。正しいとか間違ってるとかじゃなくて、オレがそうなって欲しいって思ってるだけなんだけど」
「そンなら、お前のその思いをぱんどらってヤツにぶつけてやンなァ」
「うん。だって歌が好きな人に悪い人はいないよ」
 なつめがニッと笑ったことで十雉も笑みを向け返す。そして、二人は迫り来るネクロ・ロマンスに狙いを定めた。
 スン、と匂いを嗅いだなつめ感じたのは知っているものだということ。
 だからこそ気付ける。
「花の香りに混ざって悪臭がしやがるな」
 人一倍、否、万倍とも呼べるほどに嗅いできた匂いだ。それはなつめが死ぬ間際に嗅いだ匂いに似ている。
 舌打ちをしたなつめは力を巡らせ、完全竜体に変身した。
「チッ、悪趣味で胸糞悪ィな」
 白い羽の道で聞いた声を思い出しながら、なつめは飛翔する。祭壇の間の天井すれすれまで飛び上がった彼を見上げてから、十雉もユーベルコードを紡いでいった。
 薔薇の花に操られた亡骸は虚ろだ。
 気の毒に、と呟いた十雉は彼らを解放することを誓った。
 何よりも自分がやりたいと感じたことのの為にも、今は目の前の死者達に休息を。
「この世界では魂は上層に行くと言うけど、それでも。せめて少しの間でも安らかに眠れるように、火葬してあげる」
 ――悔魂・花浅葱。
 全ては灰に還り、安らかに。
 人魂を集めて再構成した蒼の炎を放ち、十雉は頭上に合図を送る。それに合わせて激しい雷を轟かせたなつめはネクロ・ロマンスを穿っていった。
「あぁ、望み通りさっさと――終焉らせてやる」
 夏雨が局地的に降り注ぐ最中、十雉も蒼の焔で薔薇達を焼き払う。それは救済のためであり、亡骸を葬送するためのものでもあった。
「さぁ、この世に囚われ続ける死者たち。君達を送ってあげたいんだ」
 迷わず逝けるよう、道を繋ぐ。
 雷光と蒼焔が導く先に少しでも救いがあるように願い、なつめと十雉は其々の力を解き放ち続けた。祭壇への道が開き、破壊の隙が生まれるまで。
 彼らの導きは深く巡っていった。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

蘭・七結


頭の中を覆っていた靄が晴れたようだわ
あの時のひとは――…
語り掛けた聲の主は、誰だったのかしら

告げられた言葉の一音一音を、憶えている
……ええ。確と応えてみせるわ
“型”に嵌め込まれた彼女を、救いましょう

先ずは、彼らを苗床とする花たちを
その一輪ずつを、廃さなければ

色とりどりの花は、彼らを養分とするのでしょう
もう、誰ひとりも救えはしないけれど
骸から離れた魂を、掬い取れやしないけれど
この、歪な花たちを散らしていきましょう

喚び起こすのは黒鍵の刃
花とひと。ふたつの繋ぎ目を鍵穴として
身体を損傷させないように、刻んでゆく
この軌道を、見切られるかしら

吸血鬼の性として
君する聖女として
犯した過ちが消えることは無いでしょう
けれど、ただ討たれてしまうだけなのは
――哀しいと、そう思ってしまう



●いのちのいとを
 闇を抜ければ視界が広がる。
 奪われていた記憶は戻り、己が何であったかを思い出した。頭の中を覆っていた靄が晴れていくようだと感じた七結は額を押さえる。
「あの時のひとは――……」
 七結は先程のことを思い返してみた。まだ少しだけ頭がぼんやりとする。幻のように現れ、消えてしまった言葉が胸裏に浮かんでいた。
(語り掛けた聲の主は、誰だったのかしら)
 確か、ユリウスだと名乗る声も端に聞こえていた気がした。
 七結は次第に頭が冴えていくことを感じつつ声が伝えたことを思う。告げられた言葉の一音一音を、憶えている。
「……ええ。確と応えてみせるわ」
 応えても彼には届かないと分かっているが、七結は敢えて決意を言の葉にした。
 ユリウスという青年は余裕を保っているように思えて、その実は焦っていたのかもしれない。七結が連れる神について言及したことの端々にパンドラへの思いが見え隠れしていたことから、そのように感じられた。
 此方を羨みながらも諦めた様子と、それでいて神にでも縋りたいという気持ち。彼の人物像が垣間見えた気がして七結は静かに頷く。
「大丈夫。“型”に嵌め込まれた彼女を、救いましょう」
 願われたのならば、共に叶える。
 ランと重ねた思いをもう一度、心の中で復唱した七結は前を見据えた。パンドラとユリウスのことも気に掛かるものの、今はあの祭壇を破壊すべきときだ。
 亡骸の頭上に咲く大きな薔薇。
 花は死体に絡み付いて美しく咲いているが、悍ましきものでもある。先ずは彼らを苗床とする花を葬ることが必須。
「あの一輪ずつを、廃さなければ――ね、ラン」
 傍らに寄り添い続けてくれている蝶々に呼び掛けた七結は黒鍵刀を構えた。七結の声に応えた蝶は翅を羽撃かせる。
 黒薔薇だけではなく、赤や黄色、白。様々で色とりどりの花は、亡骸を養分としてあのように育っていったのだろう。
 美しさの代償が哀れな殺戮人形を作り出すことだとしたら恐ろしい。
 魂は祭壇に捧げられ、死しても尚巡ることを運命付けられた者達。この世界の仕組みを思うと奇妙な感覚が浮かぶ。
「もう、誰ひとりも救えはしないけれど」
 其処に誰の意志もないと識っている七結は胸裏に巡る痛みを抑えた。
 骸から離れた魂は寄生紋章の一部にされた。それだけではなく、魂の意識そのものは更なる地獄に導かれてしまった。
「なにも、掬い取れやしないけれど」
 七結の声には悲痛な思いが宿っている。もし自分の大切な相手がこのような仕打ちを受けたとしたら、平静を保っていられるだろうか。
 されど、それ以上の思いを表に出すことはなく、七結は確かなことを口にした。
「この、歪な花たちを散らしていきましょう」
 喚び起こす黒鍵の刃で以て、その禍を断ち切る。
 狙うのは花とひと、ふたつの繋ぎ目。
 其処を鍵穴として定めた七結は刃を斬り上げた。亡骸の身を損傷させないよう、鋭く刻まれる一閃は紅の縁となっている。
 対する死薔薇も骸を操り、七結を穿とうとしていた。蠢く花から視線を決して逸らさずにいた彼女は血を啜る棘を見切った。
 細い茨の鞭を黒刃で斬り裂いた七結は、瞬く間に反撃に入る。
「この軌道を、見切られるかしら」
 紡いだ言葉が落とされた直後、黒薔薇とひとが見事に切り離された。倒れゆく亡骸に静かな冥福を願い、七結は更なる標的に目を向ける。
 最後の花が落ちるまで此の手は止めないと決めた。七結は果敢に立ち回り、赤や黒、白の花から人々を解放していく。
 その際、思うのは悪と善という曖昧な境界線のこと。
 誰しも自分こそが正義だと思って当たり前。悪だと思いながら生きるのはどれほどのものだっただろう。
 黒薔薇の聖女としてのパンドラ。
 吸血鬼の性として、君する聖女として、犯した過ちが消えることはない。
「けれど、」
 散っていく死花を瞳に映した七結はちいさな思いを零した。
 悪であるとしても、ただ討たれてしまうだけなのは――哀しい。そう思ってしまうのはきっと悪いことではない。
 いずれ終わる物語だとしても、其処に何かを添えたい。
 それは希望か、はたまた別のものなのか。その答えはまだ誰も知らない。だからこそ見届けに行くのだと決め、七結は縁を結び続けた。
 雁字搦めのこころを解いた先に在るものは、はたして――。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

夏目・晴夜

成る程、あれはユリウスさんという御方の声だったのですね
情け無い姿を晒してしまったような気がしないでもないですが
記憶を戻して出口まで導いて下さった恩は必ずお返し致しましょう

間違いなく悪だの正義だの、そんな事はどうでもいい
救われて欲しい、と、そう願われていると知ったからには
ハレルヤはハレルヤとしての最善を尽くすまでです
祈っても誰も助けてはくれない──
この世界のその概念を、ハレルヤが壊します

その為にも、まずは貴方達を解放して差し上げますね
どうぞ存分に褒めて下さってもいいですよ!

寄生薔薇のみをズタズタに斬り刻むだけで倒せるならば、
操られている死者の身体は出来る限り傷付けないようにしたく
ああ、この毒は些か厄介でよろしくないですねえ…
どうやっても止血は無理なのでしょうか?
ならば血が足りなくなるまでに全員殺すとしますかね

薔薇の花も蔓も香りも、身体ごと仕留めなくては倒せないのなら死者の身体も
躊躇うことなく片っ端から全て切り裂いて参ります
傷付けないのが一番ですが、甘い理想をうたって無様に死ぬのは御免です



●祈りよりも強きもの
 白い翼を持つ魔術師、ユリウス。
 此方に呼び掛け、記憶と路に干渉してきた青年の声を思い出す。軽く語りながらも真剣さを宿していた彼は猟兵達を導いてくれた。
「成る程、あれはユリウスさんという御方の声だったのですね」
 おそらく奪われた記憶を返すときに晴夜の感情の一部を悟ったのだろう。
 何だか情けない姿を晒してしまったような気がしないでもないが、晴夜は彼が手助けをしてくれたことに感謝を抱いている。
 記憶を戻して、こうして出口まで導いてくれたことが純粋に有り難い。もしかすれば記憶を失ったまま、自分が何者か解らずに戦いの場に訪れていた可能性もある。
「この恩は必ずお返し致しましょう」
 ユリウスはこういった流れを期待して猟兵達に干渉したのだろう。大切なものを拾い上げて返す代わりに、自分達に終わりを与えて欲しいと願った。
 対価としては十分。
 オブリビオンを倒す決意を抱くに至る理由付けも出来ている。
「なかなかの策士なのかもしれませんね、ユリウスさんは」
 晴夜は妖刀の柄に手を掛け、周囲を見渡した。正面の奥には怪しい雰囲気を放つ祭壇がある。それを守るようにして布陣した花憑きの亡骸は戦闘態勢に入っていた。
 寄生する薔薇の色は様々。
 一見すれば美しくもあるが、養分にしているものが死体となると悪趣味だ。
「葬って差し上げましょう」
 晴夜にとって、間違いない事柄がある。どちらが悪であり正義であるか。そんなことはどうでもいい。
 ――救われて欲しい。
 そう願われていると知ったからには、己の力を揮って応えるだけ。
「ハレルヤはハレルヤとしての最善を尽くすまでです」
 祈りの言葉が自分の裡に最後まで残っていたことを思い返しながら、晴夜は床を蹴りあげた。悪食の刃は手近な死薔薇に差し向けられ、呪詛を纏う衝撃波が解き放たれる。
 薔薇の花弁が散る反面、亡骸の体が大きく振るわれた。
 それによって毒を含んだ大量の茨棘が蠢きはじめ、晴夜の身に突き刺さる。
「祈っても誰も助けてはくれない――」
 救いなど何処にもない。
 願いは踏み潰され、祈りはただの言葉にしかならない。
 この世界はそんなものだ。死ですら救いではなく、新たな苦痛と絶望に導かれる闇が広がっているだけ。
 だが、晴夜は憂いばかりを抱いているわけではなかった。
「この世界のその概念を、ハレルヤが壊します」
 先ずは目の前で暴れさせられている哀れな亡骸から。死して尚、使われ続けるという運命から逃してやることで意志を示す。
「その為にも、まずは貴方達を解放して差し上げますね。上手く切り離せたら、どうぞ存分に褒めて下さってもいいですよ!」
 相手には意思がないと分かっているが、晴夜は亡骸達に呼び掛けた。
 痛みを堪えて振り上げる一閃は薔薇と死体を繋ぐ茎を穿つ。決して亡骸は傷つけず、寄生薔薇のみを攻撃する晴夜は薄く笑う。褒めて貰えるに相応しい動きが出来ていると自負しているからだ。
 されど、薔薇が予想以上に硬い。途中で刃が止まってしまったが、晴夜は怯まずに更なる力を込めた。斬撃で以て薔薇を切り落とした彼は身を翻す。
 別の場所から伸びてきた棘に気付いたゆえ、既のところでそれを避けたのだ。
「ああ、この毒は些か厄介でよろしくないですねえ……」
 しかし、先程に受けた傷から血が滴り続けている。血が凝固しないような毒なのだろうか。止血をしても無駄だと感じた晴夜は敢えて痛みを享受した。
「流血が止まらないならば、血が足りなくなるまでに全員殺すとしますかね」
 滴り落ちた血が地に付いた瞬間、晴夜は近くの敵全てに狙いを定める。事が起こったのはたった一瞬のこと。
 振るわれた斬撃が起こす風が嵐の如く巡ったかと思うと、周囲のネクロ・ロマンスの花が激しく散った。薔薇が落ち、零れるように散る。
 その中で切り落とせていないものを素早く判断した晴夜はとどめを刺しに掛かった。
 死臭が鼻を衝く。
 薔薇の花も蔓も、死の匂いを隠す香りも切り刻んで葬ること。それが今の己の役目だとして、晴夜は瞬く間にネクロ・ロマンスを斬り伏せた。
 死者の身体を一部刻むことになっても躊躇うことなく、晴夜は動いている死薔薇を片っ端から斬ってゆく。
 伏していく死者に思いを向け、晴夜はオブリビオンを滅していった。無論、亡骸は傷付けないことが一番。されど――。
「甘い理想をうたって無様に死ぬのは御免です」
 生きてこそ繋げるものがある。
 そのことを識っている晴夜は刃を構え直し、紋章の祭壇を見据える。既に他の猟兵も敵を葬っており、道はひらけていた。
 祭壇が破壊される瞬間はきっと、間もなく訪れる。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

誘名・櫻宵
🌸迎櫻


一方通行、叶わぬ戀の行く末は…枯れる事無く爛れた死の花…
ネクロ『ロマンス』とは皮肉なものね
この腐臭はきっと絶望の香
絢爛で着飾って真を隠した彼女の心はきっとこんなふうに爛れていったのだと感じるわ

カムイ…リル!無事でよかったわ
リルは先にいっちゃうし、カムイは迷子になるし…心配したのよ!
三人一緒なら大丈夫

愛していた
大切なものがわからなくて
苦しくて狂っていってそれでも何かに幸をと──パンドラは間違ってる
己が幸せでなければ
誰も幸せになんてできないの
…自らが悪だ、なんて
苛まれるうちに本当にそうなるのよ
私もしってる…どんどん歪んでいくって

こんな所にひとりになんてしておけない
リルの家族だもの
紋章なんて散らせてしまいましょ
カムイ、行くわよ!
リルを庇いながら前へでるわ

腐臭ごと薙ぎ払うよう浄化の衝撃波を放ち花刈るよう斬る
桜化の仙術を巡ら傷から咲かせるわ

──喰華
生命の代わりに喰らうは絶望
哀しみの根源ごと喰らい花葬してあげる
醜い花も美しく
巡るよう咲いて眠りなさい

リル!この絶望を苦しみごと
泡沫にとかして!


リル・ルリ
🐟迎櫻


あれがパンドラの過去
僕の知らないカナン・ルー
そして昔のとうさん
ヨル、『黒薔薇の聖女』はとうさんが書いたんだ
とうさんは愛を識った…破滅の終わりとは思えないんだ
いくよ
匣の中に囚われた彼女をすくいに
捲られていない最後の頁を捲り…希望を示しに

櫻、カムイ!来てくれたんだね
ありがとう…二人とも
僕はパンドラをとめる

パンドラは悪なんだろう
でも魂から悪な訳じゃないと感じる

ユリウスに託された想いを胸に
誰よりも希望を願い幸福をもたらそうとした不器用な吸血鬼に
希望を歌い咲かせたい
櫻とカムイは僕に足らないところを補ってくれる
だから、大丈夫

ヨル、ホムラをよろしくね
祭壇の前の黒薔薇の死花達からカムイと櫻を守るべく水泡のオーラを重ねる

…黒薔薇はだいすきな人に捧ぐ花
ねぇ、パンドラ
君は誰に捧げたかったの?

あの時は扱いきれず都を沈めた
今度は僕の意思で歌おう
皆を君を苦しめるこんな祭壇は
重なり澱んだ絶望ごと深い水底に沈めるために

……君の所まで届くかな?
カムイが断ち切り
櫻が咲かせて、僕は歌うよ

泡沫の歌

哀しき薔薇達に水葬を


朱赫七・カムイ
⛩迎櫻


私の識るこの世界は哀しみと絶望に満ちている
彼女の行いは吸血鬼にとっては普通で
人にとっては悪災で…葛藤があったのだと感じるよ
されど匣の中だけでも理想を、幸な世界をと…パンドラは考えたのかな
愛しい存在のために己を削り、果たそうと…懸命なのに
理想に近づけず成せない焦りは私もしっている

サヨ!リルも無事で何よりだよ
噫、ここからは3人で行こう
…私は迷子だったのだね…

薔薇で隠そうとした腐臭か…幸福で彩ろうとした絶望のようだ
…私は、彼女こそが最も絶望していたのだとすら感じたが…逢わねばわからないか

リルの想いを受け止めて、サヨの声に頷く
この祭壇は厄災でしかない
しかと壊して進むのだ
ホムラはヨルと共に偵察を頼むよ

サヨと太刀筋合わせ斬りこんで斬撃波を薙ぎ花を断つ
その身を厄から断ち切るように放つは、黄泉ノ絶華

死せる者には安寧を
悪役の終わりは死だけ…などと私は認めない
彼女は災禍を生んで己もまたその中にいる
悪だとしても、終わりこそは厄より解き放たれてほしいと祈るよ
歪んだ果てに、失った本当の心を取り戻せるように



●黒薔薇の意味
「……あれがパンドラの過去」
 寂寞の闇を通じて視た景色と記憶には、リルの知らないカナン・ルーがあった。
 享楽と退廃。薄闇に包まれた黒耀の都市。自分にとっての父であるノアはヴァンパイアと呼ぶに相応しい行いをしていた。
 そして、黒薔薇の聖女と呼ばれていたパンドラも――。
「きゅ」
「ヨル、『黒薔薇の聖女』はとうさんが書いたんだ」
 自分を見上げている仔ペンギンに向け、リルはそっと語る。その表情からは感情が読み取れないが、複雑な思いが巡っていることだけは確かだ。
「とうさんは愛を識った……。それが、破滅の終わりとは思えないんだ」
 パンドラは最後の頁がこわくて捲れないと感じていたらしい。
 だが、弟であるノアが姉の破滅だけを描くだろうか。
 それにノアは黒薔薇の聖女のための曲を作っていた。そのことが未来を拓くものになるはずだとリルは信じている。
 いくよ、とヨルに告げたリルは俯きかけていた顔をあげる。
 ヴァンパイアという存在。
 それらしく在ろうとしたがゆえに自分を削り、匣の中に囚われたパンドラ。 彼女を救うため。
「捲られていない最後の頁を捲り、希望を示しに――」
 リルが決意を固めたとき、背後からよく知る気配が近付いてきた。
 振り向いたリルは櫻宵とカムイが闇を抜けてきたことを知る。櫻宵達も今しがた互いの姿を確認したところらしく、三人の間に笑みが宿った。
「櫻、カムイ! 来てくれたんだね」
「カムイ……リル! 無事でよかったわ」
「サヨ! リルも無事で何よりだよ」
「リルは先にいっちゃうし、カムイは迷子になるし……心配したのよ!」
「ありがとう、二人とも」
「もう心配ないわ。三人一緒なら大丈夫」
「私は迷子だったのだね……。噫、ここからは三人で行こう」
 合流を果たしたリル達は行く先に目を向ける。パンドラの元に急ぎたい気持ちはあるが、この城で作られている紋章の破壊も必要なことだ。
 櫻宵は屠桜を、カムイは喰桜を抜き放つ。その際に思いを馳せるのは、紋章の製造に手を染めたパンドラのこと。
「一方通行、叶わぬ戀の行く末は……枯れる事無く爛れた死の花……」
 その被害者である亡骸は薔薇に操られている。
 ネクロ『ロマンス』とは皮肉なものだとして、櫻宵は頭を振った。カムイは櫻宵の思いを感じ取り、世界の在り方を思う。
 カムイが識る此の世界は哀しみと絶望に満ちている。パンドラの行いは吸血鬼にとっては普通の事柄である反面、人にとっては悪災。
「皆、葛藤があったのだと感じるよ」
 ヴァンパイアらしく在ろうとした者。悪を貫くと決めた少女。垣間見えた過去からはそういったことが感じられた。
 匣の中だけでも理想を、幸せな世界を――と、パンドラは考えたのかもしれない。
「愛しい存在のために己を削り、果たそうと……懸命なのに、どうして」
 理想に近付けず、成せない焦り。
 それはカムイも知っていた。櫻宵は物憂げなカムイに寄り添い、果たすために此処に来たのだとそっと告げる。
 櫻宵はネクロ・ロマンスを見つめた。
 薔薇の香に混じって、鼻を衝く死臭が漂っている。押し隠せないほどの匂いは現状を示唆しているように思えた。
「この腐臭はきっと絶望の香ね」
 絢爛で着飾り、真を隠した彼女の心はきっと――このように爛れていった。そのように感じたのだと話した櫻宵はリルにも目を向ける。
 黒薔薇の紋章が作られているという祭壇を見つめていたリルは、静かに頷いた。
「僕はパンドラをとめる」
 寄生紋章も、自分を削って造る匣も存在し続けていいものではないはず。
 確かにパンドラは悪の側に自ら立っている。
「彼女は、魂から悪な訳じゃないと感じるから……。匣の中に希望だって残ってる」
 ユリウスもそう信じたいに違いない。
 リルは黒薔薇の死花を真っ直ぐに瞳に映し、思いを抱いた。
 自分達にとっての黒薔薇は血で穢されるばかりのものではない。正しい意味合いの花にしたいと願うリルは、強く掌を握り締めた。

 蠢く薔薇の色は黒一色。
 白を宿す己の本当の色に似ていると思いながら、リルは思いを強めていく。
 ユリウスに託された想いを胸に、誰よりも希望を願い幸福をもたらそうとした不器用な吸血鬼に希望を歌い、終わりを咲かせたいから。
「櫻、カムイ! 前はお願いするね」
「任せてくれ」
「ええ、リルはいつものように歌って!」
 リルの呼び掛けを受けたカムイと櫻宵は一気に地を蹴る。刃を差し向けるのは亡骸を操っている黒薔薇。
 花を散らすのは心が痛むが、それは相手が自然のものである場合のみ。
 亡骸から養分を吸って成長した花であるならば話は別。リルは二人の背中をしかと見つめ、自分に足りないところを補ってくれることを嬉しく思う。
「大丈夫、いつも通りだ。ヨル、ホムラをよろしくね」
 祭壇の前に佇む、黒薔薇の死花。
 それらからカムイと櫻宵を守るべく、リルは水泡のオーラを重ねていった。
 その力を受けた櫻宵は手前のネクロ・ロマンスに刃を振り下ろす。一閃は桜花を呼び、薔薇の悪しき棘を覆ってゆく。
 愛していた。
 けれども、大切なものがわからなくて苦しくて、狂っていって――それでも何かに幸せをと考えた。パンドラは間違っている。
「駄目なの、己が幸せでなければ誰も幸せになんてできないの」
 自らが悪だ、なんて。
 呟いた櫻宵は過去を思った。自分を卑下して、己よりも誰かの幸福を願っていたことがある。しかし、あのままではいけないと気付いた。
「苛まれるうちに本当にそうなるのよ。私もしってる……どんどん歪んでいくって」
 櫻宵はカムイと共に薔薇を切り刻む。
 今はこうすることが正解なのだと信じて、亡骸を解放していく。
「何より、こんな所にひとりになんてしておけない」
 パンドラはリルの家族と呼べる存在。
 紋章なんて散らせてしまいましょ、と語った櫻宵はカムイを呼ぶ。
「カムイ、行くわよ!」
「噫、勿論だよサヨ」
 リルを庇いながら前へ出ていく櫻宵に続き、カムイも神殺の斬撃を振るった。薔薇を斬る度に死臭が漂う。
「薔薇で隠そうとした匂いか……幸福で彩ろうとした絶望のようだ」
 眉を顰めたカムイは首を振ることで匂いを払う。
 カムイはパンドラこそが最も絶望していたのだとすら感じたが、本当はどうなのかは逢わねばわからないものだ。
 リルの想いを受け止めたカムイは櫻宵と共に祭壇を目指す。
「あの祭壇は厄災でしかないね」
 しかと壊して進み、この城の主となったパンドラに会いに行く。リルのためにも、と意気込みを強くしたカムイはホムラとヨルを見遣った。
「きゅ!」
「ちゅちゅん!」
 偵察を終えた二羽は、この空間には祭壇以外なにもないと示している。それ以上奥には二羽だけでは行けないと判断して戻ってきたのだろう。
 ありがとう、と告げたカムイは櫻宵と太刀筋を合わせて斬り込んでいった。
 斬撃波で敵を薙ぎ、花を元から断つ。こうすることで亡骸を必要以上に傷つけることなく戦う力を奪えた。
 その身を厄から断ち切る黄泉ノ絶華は、次々と死花の動きを止める。
「カムイ、今よ!」
「サヨも共に――」
「そうね、とびきりの葬花を贈ってあげましょう」
 魂は既に紋章に取り込まれ、上層で更なる地獄を味わっているとしても。
 櫻宵は死臭ごと薙ぎ払うよう浄化の衝撃波を放ち、花を刈るよう斬り落とし続けた。桜化の仙術を巡らせ傷から咲かせる花は美しい。
「あの人達も、きっと……」
 救われたいと願って僅かな希望に縋ったはず。櫻宵とカムイの勇姿を見守るリルは、亡骸となった者達を思う。
 そして、リルはあの歌を紡ぐことを決めた。
 喰華と絶華。重なる華の一閃は哀しき存在を斬り伏せていた。
「死せる者には安寧を」
「それが遠くても、いつか辿り着けるように」
 櫻宵が生命の代わりに喰らうは絶望。哀しみの根源ごと喰らい、花葬するが如く広がる色は闇を彩っていた。
「醜い花も美しく巡るよう咲いて眠りなさい」
「悪役の終わりは死だけ……などと私は認めない」
 櫻宵が葬送の言葉を紡ぐ中、カムイはパンドラが抱いていた思いに考えを向ける。彼女は災禍を生み、己もまたその中にいるようだ。
「悪だとしても、終わりこそは厄より解き放たれてほしいと祈るよ」
 歪んだ果てに、失った本当の心を取り戻せるように。
 ただ祈るだけでは何も叶わない。それを理解しているカムイは刃を振るい続け、この手で新たな結末を手繰り寄せることを心に決めた。
 そして――櫻宵は振り返り、リルの名を高らかに呼ぶ。
「リル!」
「うん、準備はできたよ」
「この絶望を苦しみごと、泡沫にとかして!」
「そなたの歌の力を信じているよ、リル」
 櫻宵とカムイの声に応えたリルは花唇をひらいていった。おそらくこの亡骸の中には黒耀の都市カナン・ルーに住んでいた者達も含まれている。
 彼らのため。パンドラとノアのために。次は間違えない。
 黒耀の都では、黒薔薇はだいすきな人に捧ぐ花とされていた。人の命を吸い尽くしていくものであってはいけない。
「ねぇ、パンドラ。君は誰に捧げたかったの?」
 問いかけても勿論答えはない。
 されど、その答えを知るために自分達は進むのだと分かっていた。
 リルが歌うのは、泡沫の歌。
 ――ゆらり、ゆれて、夢の中。全て、すべてを泡沫に。
 あのときは扱いきれず都を沈めた歌。悲しみを生み、パンドラを黒耀の都市から追いやった因縁の歌でもある。
 しかし今は違う。今度は自らの意思で歌おうと決めていた音色は、希望を導く歌として紡がれていた。
「皆や君を苦しめるこんな祭壇は、いらない」
 重なり澱んだ絶望ごと、深い水底に沈めるためにリルは此処に居る。
 周囲のネクロ・ロマンスは次々と倒されていた。カムイが断ち切り、櫻宵が花を咲かせて、リルが歌い紡ぐ。
「……君の所まで届くかな?」
 届いて欲しい。たとえまだ届いていなくても、届かせる。
 リルの歌声は祭壇の間に響き渡り、葬花の代わりとなって巡っていった。

 どうか――哀しき薔薇達に、水葬を。


●祭壇の先へ
 死の薔薇に囚われた亡骸は解放され、地に伏す。
 その魂の行方は知れないが、少なくとも死したまま操られる存在ではなくなった。しんとした静けさが満ちる祭壇の間に残るは黒薔薇の紋章だけ。
 猟兵達はそれぞれの武器と力を紡ぎ、紋章の祭壇に狙いを定めた。
 暫し後。
 巡るユーベルコードを受け、完膚なきまでに壊された祭壇は跡形もないほどに崩されている。パンドラが宿す紋章は完成していたようだが、この場所で新たな紋章が作られることはなくなった。

 後はこの城の主、黒薔薇の聖女の元に向かうのみ。
 終焉の時は刻々と近付いている。
 パンドラの匣に宿るのは果たして、絶望か希望か。それとも別のものか。そのことを確かめる為の戦いが今、始まってゆく。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​




第3章 ボス戦 『『黒薔薇の聖女』パンドラ』

POW   :    美しい憧れと肯定の匣
小さな【、憧れや理想を投影する白い匣】に触れた抵抗しない対象を吸い込む。中はユーベルコード製の【願望や幸福を叶えた美しい世界。否定する事】で、いつでも外に出られる。
SPD   :    幸福な楽園と否定の匣
小さな【、後悔や郷愁を齎す翡翠の匣】に触れた抵抗しない対象を吸い込む。中はユーベルコード製の【対象の過去から分岐したif世界。認める事】で、いつでも外に出られる。
WIZ   :    黒耀の愛と正義/悪の匣
小さな【、平和や安寧を実現した黒の匣】に触れた抵抗しない対象を吸い込む。中はユーベルコード製の【争いのない平凡で平穏な街で、住民を殺す事】で、いつでも外に出られる。

イラスト:Kirsche

👑11
🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

種別『ボス戦』のルール
 記載された敵が「1体」出現します。多くの場合、敵は、あなたが行動に使用したのと「同じ能力値」の戦闘方法で反撃してきます。
 それらを踏まえつつ、300文字以内の「プレイング」を作成してください。料金は★0.5個で、プレイングが採用されなかったら全額返金されます。
 プレイングが採用されたら、その結果は400文字程度のリプレイと「成功度」で表現されます。成功度は結果に応じて変化します。

 大成功🔵🔵🔵
 成功🔵🔵🔴
 苦戦🔵🔴🔴
 失敗🔴🔴🔴
 大失敗[評価なし]

👑の数だけ🔵をゲットしたら、次章に進めます。
 ただし、先に👑の数だけ🔴をゲットしてしまったら、残念ながらシナリオはこの章で「強制終了」です。

※このボスの宿敵主はリル・ルリです。ボスは殺してもシナリオ終了後に蘇る可能性がありますが、宿敵主がボス戦に参加したかつシナリオが成功すると、とどめを刺す事ができます。
※自分とお友達で、それぞれ「お互いに協力する」みたいな事をプレイングに書いておくと、全員まとめてひとつのリプレイにして貰える場合があります。


●悪の匣
 黒耀の城の奥。
 紋章の祭壇が壊されていることには気付かず、高らかに笑う者がいた。
「あはははは! 出来た、やっと出来たわ。あたしも行き来できる匣が! 黒薔薇の紋章のおかげね。ふふ……!」
 嬉しそうだが、狂気を宿した笑みを浮かべるパンドラは両手を広げている。
 彼女の胸の前には黒い匣が浮かんでいた。
「この世界でなら、あたりも上手く歌える。憧れの舞台に上がれるわ!」
 片手には鳥籠が携えられており、内部に白い鳥がいる。
 寂寞の空間で話を聞いた者ならば白い鳥がユリウスだと分かっただろう。視認できるまでに近付いたからか、鳥籠の中から念が響いてきた。
『――聞こえるか?』
 ユリウスは猟兵達に呼び掛けてくる。
 彼はパンドラの前に浮いている匣を示し、僅かに翼を揺らした。
『まずい、黒薔薇の紋章の力でパンドラの理想の匣世界が出来上がっちまった。理想の歌と舞台の世界って名前だけならば聞こえはいいが、こんなもんに入り浸った暁にはパンドラは意思のない化け物になっちまう!』
 そんな終わりは望んでいない。
 ユリウスはパンドラを止めて欲しいと願った。新たな黒い匣の中は、音がすべての律となる場所だという。
 彼の声は直接的に頭に届いている。この声は黒薔薇の聖女には聞こえていないらしく、猟兵の到来に気付いた彼女は訝しげな顔をしていた。
「何? あんた達、誰よ」
 不機嫌そうな顔をしたパンドラは、訪れた猟兵達を見て眉を顰めた。
 見知った顔があったからか、純粋に猟兵達を厭ったのかはわからないが、なんとも言えない表情をしている。
『俺が伝えた、パンドラの匣から出る方法は覚えているか?』
 肯定には否定を。
 否定には肯定を。
 そして、新たな情報がユリウスから語られる。
『もしお前達が羽根や花を拾ってきているなら、パンドラの匣の中に置いてきてくれ。或いは思いを伝えて欲しい。そうしたら、こいつの心も少しくらいは――』
 しかし、その言葉は途切れてしまう。
 パンドラが鳥籠を後ろに隠してしまったからもあるが、ユリウスが魔力を使うのも限界に至っていたのだろう。
「ああ、この鳥が羨ましいのね。いつから居るかも忘れちゃったけれど、綺麗な眸と翼でしょ? この子が歌ったらきっと素敵な声のはずよ。全然歌わないからつまらないけど、あたしのお気に入りよ」
 白い鳥をユリウスだと認識しておらず、彼のことも忘れてしまっているパンドラは不敵に笑ってみせた。そして、彼女は匣に手を翳す。
「あんた達にも幸せな世界をあげましょう。望むなら、出来たばっかりのあたしの舞台も魅せてあげる。それに――もし匣の世界に住んでくれるなら、この城に勝手に入ってきたことも許してあげる!」
 パンドラは猟兵達の人数分だけ匣を作り、それぞれの目の前に解き放った。

●黒耀の心
 美しい世界が広がる、憧れと肯定の匣。
 幸福が満ちている、楽園と否定の匣。
 黒耀の愛と正義の匣。即ち、音楽と歌が巡る悪の舞台。

 否定と肯定の匣に入れば己を試される。
 優しい世界や、自分が思い描いた世界は居心地がいいが、各々で否定や肯定をすることで出られる。この匣達は、己と決着を付けてから出ることでパンドラのオブリビオンとしての力を削ることが出来る。
 悪の匣に入れば黒耀と享楽の舞台に上げられる。
 黒耀の匣の中では通常の攻撃は通じず、歌や詩でしか相手に影響を及ぼせない。
 パンドラとの直接対決になるが、歌と歌をぶつけあうやりとりになる。歌詞に思いを込めてるほど力となる。此処ではこの匣の住民、即ちパンドラを歌や詩で打ち倒すことで匣の外に出られるようになるだろう。
 何処でどのように戦うかは個々の選択次第。
「さぁ、幸せになりましょ。あたしの世界では幸福になるのが義務なんだから!」
 パンドラは笑う。
 黒薔薇の聖女が開いた黒耀の匣。其処にはどのような終焉が導かれるのか。

 歌が紡ぐ結末は如何に。
 そして、パンドラの匣の中に残るものは――。
 
ティア・メル


此処、は?
靡く黒髪
優しく細まる青い瞳

「ティア、俺も好きだぜ」

刹、くん
こんなのは幻
わかってる
刹くんに振り払われた手の痛みも
拒絶された事も
一瞬だって忘れた事はない

どうして告白なんてしちゃったんだろう
泣かなければ
怒らなければ
いつだって笑顔のいい子であれば
彼は未だ傍に居てくれたかもしれないのに

そう、例えばこんな風に
ぼくに笑いかけて抱き締めてくれる
そんな夢もあったかもしんない

涙が出たなら枯れるほど泣いただろう
でも今のぼくにはもう泣く事すら

大きな背中に腕を回す
このままこうしていたい
刹くん
刹那くん
好きだよ
こんな世界も良かったかもしんないね

でもそうだったら
彼女にも彼にも逢えなかった
だからぼくは行かなくちゃ



●甘くて哀しい
 匣の中は希望の世界。
 何でも叶う。何だって思いのまま。願ったもの、望んだこと。この世界のすべてが自分の幸福のために存在している。幸せになることは権利ではなくて、義務だから。
 それが、パンドラの匣。

「此処、は?」
 ティア・メル(きゃんでぃぞるぶ・f26360)が瞼をひらいたとき、彼女を取り巻く世界は一変していた。此処に居るのは自分と、もうひとりだけ。
 煩い何かは何処にもない。ただ、其処に彼がいる。
 靡く黒髪。優しく細まる青い瞳。
 その唇がひらかれたかと思うと、望む言葉が紡がれた。
『ティア、俺も好きだぜ』
「刹、くん」
 途切れがちに呼んだ名前を受け止め、彼は穏やかに笑った。
 違う。嬉しい。でも違う。だけど嬉しくて堪らない。相反する気持ちがティアの裡に生まれ、混乱めいた気持ちを呼び起こす。
 こんなのは幻。
 わかっている。理解しているつもりだ。
 彼に振り払われた手の痛みも、拒絶された過去のことも覚えている。一瞬だって忘れたことはないというのにティアは望みを捨てられていなかった。
 そうでなければ、こんな世界が具現化するはずがない。
『ティア?』
「…………」
 名前を呼んでくれる彼に対して、ティアは俯いていた。このまま彼の瞳を見てしまうと戻れなくなる気がした。
 それに、今更その顔を見ることなんて出来ないと感じている。
 どうして告白なんてしちゃったんだろう。
 泣かなければ。
 怒らなければ。
 そうやって、いつだって笑顔のいい子であれば――彼は未だ傍に居てくれたかもしれないのに。浮かぶのは後悔の念。
 ティアはそっと顔を上げ、此方を心配そうに覗き込む彼を見つめた。
(そう、例えばこんな風に)
 この世界では彼が自分を慈しんでくれる。
 誰よりも大切な相手だと認めてくれて、心を注いでくれる。
(ああ……刹くんが、ぼくに笑いかけて――)
 抱き締めてくれる。
 触れ合うことで心に灯った温もりを感じながら、ティアは瞼を閉じた。こうして此処にいられたらどれだけ幸せだろう。
 こんな夢もあったかもしれない。そんな思いをこの匣の世界は叶えてくれている。
 もしも涙が出たなら、枯れるほど泣いていただろう。
 しかし、今のティアはもう泣くことすら出来ない。その代わりにティアは彼の背に腕を回した。大きな背中をめいっぱいに抱き締め返して、彼の存在を確かめる。
 本物ではない。
 それでも、これほどまでに鮮明に現れるのはティアの思いが強かったからこそ。
「このままこうしていたいな」
『ティアが望むなら、ずっとこうしてていい』
「……刹くん」
『ん?』
「刹那くん、」
 束の間ではあるが、永遠にも感じられる時間。二人は言葉を交わす。
 ティアはこの一瞬だけでも夢に浸りたいと感じながら、そっと決意を抱いていた。
「――好きだよ」
 俺も、という言葉はもう言わなくていい。
 ティアがそう望んだからか、彼は先程の言葉を告げ返すことはなかった。
 既にティアは認めている。
「こんな世界も良かったかもしんないね」
 もしも、違う道を選び取れたら。そのような世界を心から認めたティアはもう、此処から出る資格を得ている。
 ずっといてもいいと告げるような眼差しを向ける彼に対して、ティアは首を振った。
「でもそうだったら――」
 彼女にも、彼にも逢えなかったから。
 大好きだったひとから離れたティアは満面の笑みを浮かべ、手を振る。
「だからぼくは行かなくちゃ」
 ばいばい。
 またねとは決して言わず、ティアは幸福な楽園から姿を消した。
 そうして、世界は消えゆく。たったひとつの心を残して、音もなく静かに――。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

雨倉・桜木


パンドラの匣へ飛び込む。彼女と歌うに相応しいのはぼくではないが、彼女に一言伝えるにはこれしかないからね。

ア・カペラで歌おう。ぼくが伝えたいのは、吸血鬼故に悪だっただけで、彼女自身は悪ではなかった、と。それだけ。

宵闇の中 産まれ落ちた少女
宿したその心は 月明かりのように優しく
されどその生まれは 悲しい程に悪で
噛み合わぬ歯車は からからと空回り
やがて奏でる 崩壊の旋律
彼女の願いは 皆の幸福だったのに
忘却の歌は 願いだけは奪わず
彼女はひとり 幸せをつくる
それが偽りでも 束の間でも
例えその身を 削るモノでも
惨憺たる悲劇 黒薔薇の聖女
綴られいく終わりに せめてもの救いを
希う花はひとひら 拙い詩を紡ぐー



●歌に込める願い
 悪の舞台である黒耀の匣。
 即ち、本当のパンドラの匣とも呼べる所へ飛び込む。
 理想や憧れ、楽園を映すものではなく、敢えて其処に向かった桜木には伝えたいことがあった。これまでに見てきたもの、寄生薔薇と対峙する際に覚えた感情。
 そういったものを認め、告げるためには此処でなければいけない。
「ようこそ、あたしの舞台へ!」
 桜木は気付けば舞台の上に立っており、其処にはパンドラが立っていた。
 この場は黒耀の舞台。
 血飛沫を舞わせ、悲鳴を響かせる為の残虐劇が演じられる場所。何処から鞭の音が響いたかと思うとパンドラが歌い出す。
 黒孔雀を思わせる羽根の衣装を纏った彼女は、本来ならば歌が不得手なはずだ。
 しかし、響き始めたのは美しい歌声。

 世界の全てはあたしのもの。
 みんな、みんなが幸福で、死すらも音で彩られる。

 その旋律は平和や安寧を示すものなのだろう。
 桜木は心に直接響いてくる音を受け止め、強く床を踏み締めた。明確な痛みはないが、心が溶かされていく気がした。
「君と歌うに相応しいのは、ぼくではないが……」
 彼女にこの一言を伝えるにはこれしかない。桜木は息を吸い込み、あの歌声への返歌を紡ごうと決めた。
 しかし、桜木の思いこそがこの舞台に必要なものだった。本人は相応しくないと思っているかもしれないが、パンドラの終幕を飾るには彼の思いも必要不可欠。
 伴奏はなくてもいい。ア・カペラで歌える。
 音色を響かせながら、桜木は声に思いを込めてゆく。
(ぼくが伝えたいのは、吸血鬼故に悪だっただけで、彼女自身は悪ではなかった、と――ただそれだけ)
 声で届かないとしても、歌ならば伝わるはず。
 パンドラは此方の歌声がどのように響くのか待っているようだ。桜木はパンドラを真っ直ぐに見つめ、心からの詩を紡ぐ。

 宵闇の中 産まれ落ちた少女。
 宿したその心は 月明かりのように優しく。

「へぇ、なんだかあたしを称える歌みたい!」
 パンドラは桜木の歌を聞き、愉しげに笑っていた。その通りだと告げるように桜木は更なる詩を重ねていく。
「あれ、本当に……あたしの、こと……?」
 僅かにパンドラが疑問を抱く。
 それでも桜木は歌を止めず、思いを音に乗せて伝え続ける。視てきたものを歌詞とすることで彼女に告げるためだ。

 されどその生まれは 悲しい程に悪で 噛み合わぬ歯車は からからと空回り。
 やがて奏でる 崩壊の旋律。彼女の願いは 皆の幸福だったのに。

 忘却の歌は 願いだけは奪わず 彼女はひとり 幸せをつくる。
 それが偽りでも 束の間でも。
 例えその身を 削るモノでも。

 惨憺たる悲劇 黒薔薇の聖女。
 綴られいく終わりに せめてもの救いを。

 希う花は、ひとひら。

(たとえ拙い詩であっても、ぼくは紡ぐよ)
「や、やめなさいよ。救いなんて必要としてないのよ、あたし自身は!」
 みんなが幸せであればいい。
 あたしはいつか、幸福を振りまいた後に悪として倒されるだけ。
 パンドラが叫ぶ。その声を歌にして響かせる彼女から視線を逸らさず、桜木は思いの丈を声に乗せ続けた。
 そんなに哀しい思いを抱き続けなくていい。
 悪には違いないが、それでも。悪だからといって無様になる必要はない。桜木の心は確かな歌となり、黒薔薇の聖女に届いていく。
 たとえ時間が掛かろうとも構わない。
 争いのない平凡で平穏な街。即ち、彼女の世界。
 それがパンドラの望んだものならば最期もそう在って欲しい。
 桜木の歌に呼応するように花風が舞い、世界に希望の色彩を宿していった。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

リオネル・エコーズ

黒曜の匣を恐れず受け止め悪の舞台へ
白薔薇の君も喚んで一緒に礼を

初めまして
貴女の初舞台に華を添えに来たよ

白薔薇の君が紡ぐ旋律へ静かに歌声を重ねよう


パンドラ
貴女は何の為に理想の匣を創ってた?
貴女が失くしたものの名は?

大丈夫
知ってるよ
見付けたんだ
貴女が心を許し、自分を見せたものの名を

『ユリウス』

それが貴女の幸福
貴女の希望
貴女の、白い鳥

どうか受け取って
この四つの音は貴女の為
皆の幸せ願い
皆の為に匣を創り続けた貴女の心に在るべき音


失くしても解らなくても
今も傍に留めるほど大切だったもの
そんな彼女の物語
匣の中にパンドラの幸福も残ってほしい

聞いた過去のパンドラの声も歌にして
幸せな結末に繋ぐ為、歌い続けよう



●記憶の序曲
 黒耀の舞台。それは吸血鬼らしく生きた者達の享楽が集う場所。
 闇に沈むような匣を恐れずに受け止め、舞台に立ったのはリオネルだ。ようこそ、と匣に入った者へ挨拶をしたパンドラは得意そうに微笑んでいる。
「初めまして」
「あら、挨拶ができるなんて躾がなっているじゃない」
 感心したパンドラに対し、リオネルは恭しくお辞儀をしてみせた。その隣にはリオネルが喚んだ白薔薇の歌姫も控えている。
 白薔薇の君も一緒に礼をしたことでパンドラは満足気だ。
「貴女の初舞台に華を添えに来たよ」
「その白い子、綺麗ね。いつからだったかしら、あたしは白も好きになったの」
「それはどうして?」
「どうしてって……さぁ、忘れちゃったわ」
 白薔薇のドレスを纏う歌姫を好ましいと話したパンドラに向け、リオネルは問いかけてみる。すると彼女はあっさりと答えた。忘れたことに疑問も抱かないほどに自己を削られているのかもしれない。
 白薔薇の君が旋律を紡ぎ始める。
 リオネルは静かに歌声を重ね、言葉通りに舞台を音で彩っていった。
「――パンドラ」
「なあに?」
 黒薔薇の聖女に呼び掛けたリオネルは疑問を音に乗せていく。
「貴女は何の為に理想の匣を創ってた? 貴女が失くしたものの名は?」
 その間に白薔薇の聲が響き渡った。
 リオネルからの問いかけに対してパンドラは首を横に振る。
「何よ、聞かれたって答えてあげないんだから」
 だって、忘れちゃったから。
 小さく零れ落ちた言葉からは寂しさのようなものが感じられた。しかし、それもたった一瞬のこと。パンドラは両手を広げ、歌で対抗してくる。

 全部、全部、あたしの思うがまま。
 苦しいことなんてひとつもない、悲しいことは消えちゃった。
 あたしはあたし。失くしたって、手に入れられなくても、あたしは――。

 その声を聞いたリオネルは心が溶かされていく感覚を抱いた。
 もしかすれば、この感覚がパンドラの覚えている痛みなのかもしれない。締め付けられるような鈍い痛みが響いている。
「大丈夫、知ってるよ」
「……何を」
「見付けたんだ。貴女が心を許し、自分を見せたものの名を」
「嘘よ、そんなものあたしにはないはずだもの!」
 だって覚えていないから。
 リオネルはパンドラが落とした言葉を聞き逃さなかった。彼女も薄々わかっていながら、何もかも思い出せないまま心を彷徨わせているのだろう。
 やがて、リオネルはその名を口にする。

 ――『ユリウス』

「……ふん、聞き覚えがあるけれど知らないわ」
「本当に? それが貴女の幸福なのに」
 貴女の希望。
 そして――貴女の、白い鳥。
 リオネルはパンドラが後ろ手に隠していた鳥籠を示す。内部の鳥は己の名前が音にされたことではっとしていた。
 首を傾げたパンドラは鳥籠の中を覗き込む。
「この子が? ふぅん、ユリウスって名前を付けられているのね……」
 彼女はまだピンと来ていないらしい。懐かしいような名前、と口にしていることから思い当たることがないわけではなさそうだが、思い出すには未だ遠いようだ。
「ユリウス。ユリウス。心地良い響きだわ」
「思い出せた?」
「何が? じゃあ次は、このユリウスに歌って貰いましょう。ふふふ!」
 リオネルが問いかけてもパンドラは鳥籠を軽く振るだけ。
 内部でユリウスが肩を落としている様子なのは、自分の名を聞いてもパンドラが記憶を取り戻さなかったからだろう。だが、それはパンドラが大事な気持ちすら落としてしまったからかもしれない。
 そのように感じたリオネルは歌姫と共に更に詩を紡ぐ。
「どうか受け取って」
 この四つの音は貴女の為。
 皆の幸せを願い、皆の為に匣を創り続けた貴女の心に在るべき音だから。
 失くしても、解らなくても、今も傍に留めるほど大切だったもの。そんな彼女の物語を紡ぎ上げれば、記憶を戻してやれるはず。
「この匣の中にパンドラ、君の幸福も残ってほしいと願っているよ」
「ご心配には及ばないわ! みんなの幸せがあたしの幸せだもの。さぁ、幸福になりなさい。あたしの――あたし達の舞台は、此処で永遠に続くから!」
 何もかも失った永遠。
 誰もが偽物の匣の中。
 彼女はこんな場所で歌い続けようとしている。悪としての彼女は倒されるべきだが、奥底に眠る本当の心だけは救われるべきだ。
 それが猟兵として望むことだと示し、リオネルと白の歌姫は謳い続ける。
 幸せな結末に繋ぐ為に。
 未だ取り戻すには至らずとも、名を告げたことは確かな切欠となった。リオネル達の歌声は響き渡り続け、記憶を呼び起こす序曲となってゆく。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

フリル・インレアン
ここは学校ですね。
高校2年5組、4月ですからまだ春休みの最中ですね。
ここの学校は進級してもクラス替えは無いんですよね。
そして、この世界なら骸魂になってしまったあなたが私の中にいるんですね。
私が帽子を被り続ける理由。
http://tw4.jp/character/status/d32564

ここではアリスの私と人狼の私、両方の記憶が残っているようね。
普段と口調が違うって、それはあなたが離れてしまったから、その分成長が遅れてしまったからじゃない。
主に心のね。

さて、ここから脱出しないといけないんだけど、ユリウスさんがこの世界を肯定しろと言っていたわね。
でも、ごめんなさい。
それをするわけにはいかないのよ。
アリスの私のアヒルさんとの出会いを否定することになるから。
だから、私は私の取った選択を否定する匣を私の取った選択が正しかったと認めることで脱出するわよ。
ここにもまだ残っているはずよ。
私のアサイラムが。
そこから脱出しましょう。
黒薔薇の花弁を散らせなかった分の働きはお願いね。
銀狼の私。



●私の歩いた軌跡
 幸福な楽園が広がる、否定の匣にて。
 匣に触れ、目を閉じたフリルの周囲に光が渦巻き始める。匣の中に入ったフリルが瞼をひらいたとき、其処にはこれまでとは全く違う景色が広がっていた。
「ここは……ふぇ、学校ですね」
 フリルの瞳には長い廊下と窓硝子が映っている。
 そっと頭上に目を向けると、教室らしき部屋の前にプレートが掛かっていた。
 二年五組。
 そのように書かれた教室には人がいない。どうやら雰囲気から察するに此処は高校らしく、外には桜並木が見える。
 ひらひらと舞う花弁は美しくて可憐だ。
 もうすぐすれば新入生があの並木道を歩くのだろうか。制服が変わったことを喜んで笑い合う学園生達はきっと微笑ましい。
 そんなことを思っていると、頭の中にこの場所の情報が流れ込んできた。
「四月ですから、まだ春休みの最中でしょうか」
 フリルは自分が立っている場所の状況を確かめた。この学校は進級してもクラス替えがないようだ。自然とこの学園のことが理解できたのは不思議だが、違和感はない。
「この世界なら……」
 何もかもが幸福に、或いは思い通りになる。
 そのことを知っているフリルは教室の中に入り、黒板の前に立ってみた。机が並ぶ光景は何だか懐かしい。此処で授業を受けている自分の記憶や、クラスメイトの顔が薄っすらと胸裏に浮かんでいた。
 まるで今までも当たり前に此処で生活してきたような感覚がある。
「クラス替えがないということは、あの学園なのですね」
 そして――。
 フリルは胸に手を当て、帽子を脱いだ。
「此処でなら、骸魂になってしまったあなたが私の中にいるんですね」
 その途端、フリルの表情が変わる。
 おどおどしている様子は薄くなり、雰囲気が随分と変化しているようだ。フリルは黒板の方に振り向き、そっと口をひらいた。
「ここではアリスの私と人狼の私、両方の記憶が残っているようね」
 その言葉はしっかりとしたものだ。
 フリルはまるで誰かと語るようにして言葉を続けていく。
「普段と口調が違うって、それはあなたが離れてしまったから。その分だけ成長が遅れてしまったからじゃない」
 主に心のね、と語ったフリルは再び胸元に触れた。
 凛とした眼差しを窓の外に向けた彼女は視線を巡らせ、被っていた帽子を頭に乗せた。そうして教室の扉に歩いていった彼女は誰もいない廊下に出る。
 春休みであるというのなら、誰かを見つけることは出来ないだろう。
「さて、ここから脱出しないといけないんだけど……」
 フリルは軽く首を傾げ、校内を歩いていった。吉祥寺キャンパスの様子が見事に再現されている世界はとても懐かしい。
 きっと、望めば春休みが明け、あの頃のままの学園生活が送れるのだろう。
 ずっとずっと変わらない学園での日常。
 それもまた、フリルが歩むかもしれなかったもしもの世界だ。心の奥底で望んだ場所なのかもしれないが、このまま居続けることはしたくなかった。
「確か、ユリウスさんがこの世界を肯定しろと言っていたわね」
 否定の匣には肯定を。
 そのように告げられていたことを思い返したフリルは、少しばかり考え込む。
「でも、ごめんなさい」
 頭を振ったフリルは、その通りにするつもりはなかった。ユリウスの助言に逆らうつもりではないのだが、今の心境がそれを拒んでいるのだ。学園生活に戻りたいと考えたこともまた、自分の意志ではあった。
 しかし、違う考えが自分の中にあることにも気付いている。
 フリルは窓辺から吹き込んできた風を感じた。
 帽子が揺れたことで僅かにずれてしまった帽子を直す。このまま耳を晒していてもいいが、それはこの世界を悪い意味で肯定してしまうことにもなるだろう。
「それをするわけにはいかないのよ。だって、アリスの私だってちゃんといる。それはアヒルさんとの出会いを否定することになるから――」
 フリルは今を認めている。
 記憶が思い出せなくとも、過去を知らずとも構わなかった。
 アヒルさんと共に歩んできた日々こそが現実であると分かっているからだ。きっと、こうすることはあべこべになる。
 これはまさに不思議の国に迷い込んだアリスらしいみちゆきだ。
「だから、私は私の取った選択を否定する匣を私の取った選択が正しかったと認めることで脱出するわよ」
 ただ肯定の仕方が違うだけ。
 おそらく此処にもまだ残っているはず。
 望んだ世界が匣というものならば、私の――フリルがいたアサイラムが。
「そこから脱出しましょう」
 ねぇ、アヒルさん。
 フリルが呼び掛けると、いつの間にか隣にはガジェットの相棒が控えていた。匣に否定もしない、けれども肯定もしない。
 そうすることでフリルは均衡をはかり、自ら脱出することを決めた。
「黒薔薇の花弁を散らせなかった分の働きはお願いね」
 銀狼の私。
 フリルは静かに呟き、歩を進めた。学園を後にしていく彼女の決意は固い。

 さよなら、私の学園。
 そして――これから歩む先に、風と帽子の導きを。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

レザリア・アドニス
白い匣に触れて一歩踏み出せば、世界が変わる
いつも薄暗いのじゃなくて、日差しの満ちた豊やかで美しい世界
日差しを浴びたら色が褪せる
灰色から白色に、黒から白に
優しい春風に撫でられて福寿草が零れ落ち、代わりに待雪草が咲き始める
『悲しい思い出』から『希望』へ
そう、これは私の『本来であるべき』姿
ここは私の『本来でいるべき』世界
私を追い出した家族はもういない
誰もが笑顔でいて、誰もが幸せでいる
そして誰もが、私を必要として
これ以上幸せな世界なんて、あるのでしょうか

笑って笑って、涙が出るほど笑う
雪のように降る満天の白い羽根の中で
ああ……やっぱり、これは私の『色』じゃない
全てを覆う一面の白絨毯に、逞しく咲いてくる黄色の福寿草を摘んで、黒に戻り始めた髪につける
所謂憧れとは、実現できないと分かっていても、欲しいものですから
そして、やっぱり実現できないとは分かっているものですから
いい夢でした
では、現実に戻るわ

憐れむなんてしないの
貴女自身の全ての行いは、この結果に導いたから
夢に溺れても、何時か必ず目覚める日が来るから



●否定の白
 其処には美しい憧れがある。
 白い匣の中は肯定の意志が広がる場所。憧憬と理想で満たされているという不思議な世界を思うと、妙に心が揺れた。
 手を伸ばして匣に触れてみると、レザリアが見ている世界が一気に変容する。
「…………」
 レザリアは一歩、そっと踏み出してみた。
 影になっていた場所からひといきに明るい場所に出たからか、何だかとても眩しい。レザリアが歩いていく世界には薄暗さなど何処にもなく、目映い陽射しが満ちていた。
 草木が活き活きと葉を広げ、様々な花が咲き誇っている。
 何処も彼処も豊かで、美しいとしか表せない世界だった。
「……光が、こんなにたくさん」
 レザリアが陽射しに腕を伸ばすと更なる変化が訪れる。
 全身に陽を浴びていくと纏っている色が徐々に褪せていった。灰色から白色に、黒から白へと変わる翼と髪。
 優しく包み込むようにしてレザリアを撫でていく春風は心地良い。
 髪に咲く福寿草が零れ落ち、その代わりに待雪草が可憐に咲きはじめた。
 花が宿す言の葉はそれぞれ『悲しい思い出』と『希望』。
 変化したというよりも、元に戻ったと表す方が相応しい。即ち、レザリアが望んだのはあるべき姿に戻ること。
「そう、これは私の――」
 本来の姿。
 そして、此処はレザリアにとっての『本来でいるべき』世界。
 心が軽くて穏やかだ。翼を広げて、明るい空の彼方まで羽ばたいていけそうなほどに気持ちが良くて、素晴らしい場所だ。
 此処でなら自由に生きられる。レザリアを追い出した家族はもういない。
 誰も責め立てたりはしない。必要以上のことを望んだりもしなければ、強要や実験を行うことだってない。
「素敵ね。誰もが笑顔でいて、誰もが幸せでいられる場所……」
 レザリアの瞳は光を映しており、静かに輝いていた。
 何処かから小鳥の囀りが聞こえている。青い空には真っ白な雲が浮かび、太陽は燦々と光を降らせている。
 不意に違う場所からレザリアを呼ぶ声が響いてきた。
 はやくおいで。
 こっちに来て。
 みんなが君を待っているから。
 レザリアはその呼び声を聞いているだけで幸福を抱いた。どれもが優しくて、慈しみが宿った声色だからだ。
「誰もが、私を必要としていて……」
 きっとあの声の元に行けば、とても楽しいことが待っているのだろう。
 遊ぼうと誘われたならばついていきたい。
 食事を一緒に、と言われたならばとびきり美味しいものを食べに行けるはず。木陰でのんびりする時間を過ごせるのかもしれない。
「これ以上幸せな世界なんて、あるのでしょうか」
 気付けばレザリアはちいさく微笑んでいた。
 次第にその表情は年相応の明るいものになっていく。草原を駆けて、森を抜けて、空を自由に舞って幸福を謳歌する。
 笑って笑って、涙が出るほど笑える世界。
 悲しい涙や苦しい思いは一欠片もない。
 黒も灰色も汚くなどなくて、どれもが綺麗だと語れる場所。
 雪のように降り続ける満天の白い羽根の中で、レザリアはそっと腰を下ろした。拾い上げた翼は何処までも純白だった。
 けれど、とレザリアは首を横に振る。
「ああ……やっぱり、これは私の『色』じゃない」
 全てを覆う一面の白絨毯を見下ろす。その片隅に逞しく咲いているのは黄色の福寿草だった。それを摘んだレザリアは、いつしか黒に戻り始めた髪に飾る。
 髪の色が戻ったのはおそらく、レザリアが今という時を僅かに否定したからだ。
 此処には望む儘のものがある。
 全てがレザリアを肯定してくれる憧れの世界は色彩に満ちていた。
「ずっとこの場所で過ごせたら本当に素敵だと思うの。けれども所謂、これはただの憧れでしかないから。いつか、虚しくなってしまう」
 憧れは実現できない。それを分かっていても欲しいと願ってしまうもの。
 何もかもを捨ててこの世界に逃避することもできる。だが、心の片隅には妙な思いが燻り続けるはず。
「……いい夢でした」
 これは自分にとっての本当ではない。レザリアは匣内が夢だと断言した。
 即ち、肯定の世界を否定したということ。
 途端に色鮮やかな景色は黒と灰色に染まっていった。後は見慣れた闇の世界に変わるだけだと悟ったレザリアは匣の出口を目指して歩き出す。
「では、現実に戻るわ」
 背を向けた世界にはもう興味がない。ただ、良い夢と憧れを見せて貰えたという思いだけがレザリアの裡に残っていた。
 匣を作りあげ、結果的に己を壊していくだけのヴァンパイア。
 黒薔薇の聖女を思うレザリアは緩く頭を振った。
「憐れみは抱かないわ」
 そうすることが冒涜になってしまうとレザリアは知っている。可哀想だと告げるだけで心が晴れるはずなどない。
 それゆえにレザリアは己の意志を貫き通すと決めていた。
「貴女自身の全ての行いが、この結果を導いたから」
 たとえ夢に溺れたとしても、何時か必ず目覚める日が来る。
 それが今なのだと示したレザリアは顔をあげる。其処に宿る黒と灰色は不思議と艶めいており、凛とした雰囲気が感じられた。
 そして、時は動き出す。
 黒薔薇の聖女の終幕という、そのときが――。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

朧・ユェー
【月光】◎ 🎶

彼女の想いや決意は彼女だけのモノ
愛する事も諦める事も彼女の意思
それは誰かが決めらるものじゃない
だからこそ少しでも心に響き触れる事が出来るなら

ふふっ、歌ですかぁ。歌う事などほぼ無いのですが今回だけは
ヴァイオリンを片手に歌う

ヴィランと小さなヒーロー

あぁ、私は悪者
誰かが言う
近づけば傷つき、不幸になると

あぁ、私は悪役
悪を演じる
他は傷つけず、幸せになれるはず
幸せは他人の者
私は悪者、愛はいらない
孤独で一人死んで逝く
そう、それが美しい悪の姿

娘の歌に微笑んで
先程は暗い曲が明るくなっていく

あぁ、私は幸人
彼女は言う
どんな悪役も幸せになれると
知らず愛は近くにある
小さな私のヒーロー

ねぇ、貴女は悪役?
本当は普通の子
誰よりも愛を知り
誰よりも愛されてる人

僕はこの子に教えられた
悪役だけではどうにもならないと
愛すると言うことは本当はどうな事なのかと

嘘喰
貴女の歌…嘘の歌、建前だけの歌は食べてしまいましょう
残った歌が貴女の本音の歌

貴女の大切な歌


ルーシー・ブルーベル
【月光】◎🎶

諦めて、諦められなくて、もがいて
なんて一生懸命なひとなんだろう
だからこそ
ただ悪役で終わって欲しくないと思う

うつくしいパパのヴァイオリンと歌声
対して…うう
ルーシー、実はちょっと歌ヘタなのよね
でも今日は堂々と歌う
パンドラさんの初舞台だというなら
役者不足なれどがんばりましょう

己は悪だとあなたは言う
独りであれば誰も傷つけないと
ねえパパ
そんな優しい悪役がどこにいるというの?
ひとは一色ではなく移ろうもの

知っているのは
時々意地悪で怖がりだけど
誰よりあたたかくて愛情深い

美しくなくていい
パパはわたしのヒーロー
誰よりも幸せになってほしい人なのに!

ううー…
今音ヘンだった気がする!
けど、調子はずれの歌声でも
ヘタでもこれが『わたし』
愛している人と、歌を音楽を、時を共有すること
それこそが幸福だもの!

ね、お話の最後を怖くて見れないのは
本当は悪役じゃない、
パンドラさんご自身の幸せを諦めてないからじゃないかな

何にもあなたはしらないよ
傍であなたを見ている人の想いさえ
だからまだ、
希望の登場はこれからだよ


宵雛花・十雉
【天竺葵】🎶◎

パンドラさん
今の君は歌うことを楽しんでる?
それが君の歌いたかった歌なのかな?

もっと君の心からの歌を聴きたい
だからまずはオレの歌、聴いてください

ライブっていうほど大袈裟なものじゃないし
オレは特別上手に歌えるわけじゃないけど
伝えたいことが山ほどあるのは本当で
想いはたくさん込めるから

---

貴女は確かに悪と呼ばれたのかもしれないし
貴女自身も自分を悪だと思っているのかもしれない
けど例え悪なんだとしても
傷付いて苦しんでる人を放っておけないよ

大切な人がいるって
叶えたい夢があるってきっと素敵なことだ
もしも貴女が今まで自分の気持ちを闇に隠してきたなら
少しだけ勇気が要るかもしれないけれど
これからは心のままに欲しがって
声を上げてみてもいいんじゃないかな

オレたちはそれぞれ孤独の闇を抜けてここまで来た
今度は貴女が闇から抜け出す番だ
見失ってしまった光を
どうか思い出して

---

これがオレの歌に込めた想い
独りで頑張り続けた貴女に、届くといいな

ね、歌うって楽しいね


唄夜舞・なつめ
【天竺葵】🎶◎

── 『終焉らない輪舞曲を』

……フゥン、
それがお前の欲しかった
歌声ってヤツかァ?
中々いい声してンじゃねぇの
誰もを魅了しそうな、
拍手喝采モンと言っても
過言じゃねぇな。

…でもよ、アレだな。
ソレ、まるで
お前の声じゃねーみてーだな。
どういう方法で
手に入れたかしらねーけど
いくら歌が上手かろうが
想いがねェと誰にも響かねーよ。

俺が知ってる
歌が大好きなヤツはなァ
歌に下手も何もねーって言ってた。
ソイツにはソイツにしか出せねー
《音》なンだから、自信もって
想いを目一杯込めて歌えば
きっと──伝わるってよ。

だからよォ、コイツの
初ライブ聴いてやってくれよ。
お前に伝えたいことが
山ほどあっから
歌にして伝えてくれるってよォ。
ったく、妬ける話だなァ?
大人しく聴いてろよォ…?

そォらときじ。
あとはお前に任せたぞ
お前の思い、伝えてやンな。
たとえ下手でも想いを込めりゃ
きっと伝わっからよ。
アイツの動きは
俺の歌で止めててやる
──ぶちかましてやれ。


橙樹・千織


人である私からしてみれば
貴女方がしてきた事は決して許せぬ所行

けれど…

とある方の願いを叶えるため
僭越ながら
迷子の貴女へ落とし物を届けに参りました
貴女を想い、心配している
優しき人からのね

今、詩紡ぎ届けましょう
暗き路に落としていた花弁を
もう一度
花として咲かせるために

愛しき家族と過ごした日々
その手で選んだ選択肢
想い描き、願った夢
己に誓った想いの花は
ひとひらたりとも欠けてはならぬ
貴女の軌跡

二度と、落とさぬよう
なくさぬように
心に咲かせて抱きしめていて
何よりも大切で
唯一無二の
貴女の証を

貴女を誘う道導は
互いを想い、紡ぐ詩
ほら、もうすぐ夜明けが訪れる

匣に籠もるのはもう終り
貴女を想い、幸せを願う者が傍にいるでしょう
もう此処から歩んでゆけるでしょう
最後の頁を己の手で書き換えてみなさいな

無邪気に歌う黒薔薇と
合わせ歌う白き鳥
共に夢の匣から飛び出して
影多き路を駆け抜けて
向かうは澄み渡る青空の下
ふたり幸せを探しにゆけますように

詩い、紡ぐ言の葉が
どうか思い出させてくれますように

貴女が黒薔薇を渡したいのは誰?


兎乃・零時
💎🌈

🎶

理想の世界
人によっちゃ行きたいよな

ただ、だ
意志の無い化け物なんてパンドラも成りたくねぇだろ

リル達も色々やってるみたいだし!
俺様達も出来る事を全力でやろう、心結!
羽根とかは…あ、パル!拾ってくれてるじゃん!
これは匣の中に入れるとして!

歌や詩でしか相手に影響を及ぼせないんだっけ

魔術の詠唱は、力ある言葉
それらの羅列は世界に為したい形を成す為の力であり、創り手の想いが籠ってる
魔導書に綴られた言葉は、ある意味では歌の様に伝える事が出来る

なら、詠唱も歌に通ずるはず!
やろうぜ、心結!

真の姿へ
『共振』の陣刻まれた簪で髪纏め

言の葉に想いと魔力
あらん限りを込め
歌うように紡ぐ


目を逸らさず先を向け
他ではなく、己が手で勝ち取る為に

忘れるな
己が傍に居る者を
見失うな
己が大事なその人を

何の為に願ったかを
誰が為に願ったかを

忘れたって失わない
培った想いは其処に在る
確かにお前の此処に在る

進め!進め!あらん限り!
我らが我らである為に!

其れは不屈、不倒、不諦の詩
リルやパンドラ
そして皆が望む先進む為
背中押す加護の術


音海・心結
💎🌈

🎶

皆がパンドラを救おうと頑張っていますね
放っておくなんてできません
パンドラを救うためにも
これ以上、悲しみを増やさない為にも

お花なら拾ってありますよ
綺麗なものだったので、つい
パルもいい子ですね
流石、零時の……

歌や詩に乗せて
みゆたちの想いを伝えればいいみたいですね
不安は少しありますが
――やり遂げて見せます
みゆは歌は好きですからっ

UCで魔術の空間を作り上げる
ふたりの舞台を、ふたりの力で、ふたりの為に


ねぇ 君の心の音が聞こえてくるよ
寂しそうな雨 まだ 降り続いてるの

傘を差しだす手に 拒む君
見てるだけで痛々しく 僕は泣いたよ
その顔を見て 君は驚き 涙が止まったから
僕は… ちょっとだけ嬉しかった

名を知らぬ君 笑えていますか?
あの時の僕 泣いてくれてありがとう
今になっても 答えは 分からない

君にまた逢えたら
今度は うまく笑えるかな
共に笑顔で 明日を迎える為に
僕は独りよがりだとしても 想い続ける


……戻ってきてください
貴方が其方に行くことで
悲しむ人がいることを知ってください



●黒き薔薇の舞台
 舞台は整えられ、何処からか美しい演奏が響いてくる。
 此処は黒薔薇の聖女が願い、望んだ歌の世界。
 ユェーとルーシーは一歩を踏み出し、舞台から見える景色を眺めた。周囲には顔のない人々が集まり、舞台で紡がれる歌を心待ちにしている。
「ここが舞台ですか」
「なんだか、ふしぎな場所ね」
 二人が様子を確かめていると、同様に舞台に訪れたなつめと十雉も辺りを見渡した。
「なァんか妙に視線を感じるな」
「客席の影の人達のものだろうね。見て、なつめ」
 舞台の外には黒耀の都が見えた。
 其処は嘗てパンドラが治めていたという都市なのだろう。此処で始まるのは詩と歌が巡る戦いだ。状況を判断した十雉となつめはそのまま後方に下がっていき、舞台の出番をユェー達に譲った。
 その後に匣に触れ、ひとりで舞台に訪れたのは千織だった。
「既に歌が巡っていたようね」
 舞台の様子を感じ取った千織もまた、先ずは中央に立つ者達を見届けようと決める。急いては事を仕損じるというように慌てて挑む必要はない。
 そして、舞台には別の人影もあった。零時と心結のふたりだ。
「これって一人ずつ歌った方がいいのか?」
「演目にも順番がありますからね。今は待ちましょう、零時」
 心結はこくりと頷き、なつめ達がそうしたように舞台袖に引っ込んだ。不思議な戦場だと感じながら、零時も彼女の後を追う。
 そして――此処から、新たな舞台の幕が上がっていった。

●悪と英雄の曲
 仲間達に向け、どうも、と告げたユェーはパンドラに音楽を披露する準備を整える。
「彼女の想いや決意は、彼女だけのモノです」
 愛することも諦めることも彼女だけの意思。それは誰かが勝手に決められるものではないとユェーは理解していた。
 しかし、だからこそ少しでも心に思いを響かせて、触れることが出来たら。
 ユェーが思いを馳せる中、ルーシーもパンドラへの感情を抱いていた。
「諦めて、諦められなくて、もがいて……なんて、」
 一生懸命なひとなんだろう。
 ルーシーが感じたのは、パンドラの不器用さの中に見える素直さだった。今はただ、悪役で終わって欲しくないルーシーは思っている。
 そうしているとパンドラが此方に気付いた。
「この舞台に上がったなら歌って貰わないとね! さぁ、何を歌うの?」
 彼女は愉しげに笑っている。
 理想の世界が実現できたということを喜ばしく感じているらしく、敵意よりも興味の方が強いようだ。
「ふふっ、歌ですかぁ。歌うことなどほぼ無いのですが……今回だけは特別です」
 応えたユェーはヴァイオリンを片手に構える。
 其処から歌い上げていくのはヴィランと小さなヒーローの曲だ。

 あぁ、私は悪者。
 誰かが言う。近づけば傷つき、不幸になると。

「へぇ、なかなかのメロディね」
 歌いはじめたユェーの声を聞き、パンドラは感心している。ユェーは視線を返してから更なる音を紡いでゆく。

 あぁ、私は悪役。
 悪を演じればいい。そうすれば他は傷つけず、幸せになれるはず。
 幸せは他人のもの。
 私は悪者、愛はいらない。ただ孤独で、一人死んで逝くだけでいい。
 そう、それこそが美しい悪の姿。

「…………」
「如何ですか?」
 しかし、パンドラは途中から黙り込んでしまった。ユェーがどうだったかと問いかけても彼女は何も答えない。もしかすれば歌に共感を得てしまったのかもしれない。
 たとえ僅かでも、心に響いてしまったゆえに答えられないのだろう。そして、パンドラは心境を誤魔化すようにルーシーに視線を向けた。
「それで、そっちの子は?」
「パパのヴァイオリンと歌、うつくしい……って、ルーシーも?」
「当たり前じゃない。観客になりたいならすぐに舞台を下りて」
「……うう」
 パンドラから睨まれてしまったルーシーはちいさく俯いた。どうかしたの、とパンドラが怪訝な顔をする中で少女はぽつりと呟く。
「ルーシー、実はちょっと歌ヘタなのよね」
「なぁんだ、そんなこと? あたしだって下手っぴだったんだから。だけどこの世界では何でも叶うの!」
「そうね、だったら今日は堂々と歌うわ」
 それに今回がパンドラの初舞台だというのなら、恥ずかしがらずにめいっぱい歌うのがルーシーとしての礼儀だ。
 息を吸い込んだルーシーは覚悟を決める。見守ってくれるユェーに軽く目を向けた後、少女は歌声を響かせはじめた。

 己は悪だとあなたは言う。
 独りであれば、誰も傷つけないと。

「ねえ、パパ」
「はい?」
 ルーシーはユェーが奏でた音の返歌として思いを詩にしていった。此方に目を向け続けてくれている彼に、そしてパンドラにも響かせるようにルーシーは歌を唄い続ける。

 そんな優しい悪役がどこにいるというの?
 ひとは一色ではなく、移ろうもの。
 悪と正義。ただそれだけであらわせるものではないはずだから。

 ルーシーが知っているのは、ときどき意地悪で怖がりだけれど――誰よりあたたかくて愛情深いひとのこと。
 そう思いながら歌い上げていく娘の声は柔らかくて愛らしい。ユェーは暗かった自分の歌が明るい曲になっていくようだと感じていた。
 更に歌おうと心に決めたユェーはルーシーと声を合わせていく。

 あぁ、私は幸せ者。
 彼女は言う、どんな悪役も幸せになれると。
 知らず、気付かぬ間に愛は近くまで歩み寄ってきてくれていた。
 ちいさな、ちいさな私のヒーロー。

「――ねぇ、貴女は悪役?」
 ユェーはパンドラに向き直り、問いかけてみる。
 貴女は本当は普通の少女ではないのか。誰よりも愛を知り、誰よりも愛されている人。そういって歌を続けてゆくユェーは思いの限りを歌声とヴァイオリンの演奏に込めた。
「悪役、なら……役をといてもいいかもしれないわ」
 ルーシーも言葉を続け、歌は美しくなくてもいいのだと話す。私のヒーローだと歌ってくれたように、ルーシーにとってもユェーがヒーローだ。
「誰よりも幸せになってほしい人だから!」
「えぇ、ルーシーちゃんもですよ」
 声を重ねた二人は自分達が紡げる限りの声を歌にした。そして、ルーシーとユェーの歌は見事な終わりを迎えた。
「ううー……今、音がヘンだった気がする!」
「大丈夫ですよ、ルーシーちゃん。歌は心ですから」
「ありがとう、パパ」
 調子はずれの歌声でも、下手だと言われるものでも――これが『わたし』。ルーシーは自分の思いをパンドラに伝えた。
「つまり、その歌であんた達が言いたいのって……」
「愛している人と、歌を。音楽を。時を共有すること。それこそが幸福だもの!」
「僕はこの子に教えられた。悪役だけではどうにもならないと。愛すると言うことが本当はどういったことなのかを学びました」
「……そう」
 二人の声を聞き、パンドラは一歩だけ後ろに下がった。
 その様子に好機を感じたユェーは、嘘喰のユーベルコードを発動させていく。
「貴女の歌――嘘の歌、建前だけの歌は食べてしまいましょう」
 残った歌が貴女の本音の歌だと示すため、ユェーはパンドラに死の紋様を付与しようとした。だが、はっとしたパンドラが翼を広げて敵意を返す。
「無駄よ、ここでは歌しか通じないから!」

 幸せを知るための秘訣は、不幸をひとつまみ入れること。
 そうじゃなければ幸福には気付けない。そうでしょう、ねぇ。

 だが、ユェーはそれ以上の追撃を行わない。本当の目的は攻撃そのものではなく、黒薔薇の聖女が抱く思いをあらわにしたかっただけからだ。
「貴女の大切な歌を教えてください」
「いやよ、歌ってあげない」
 ユェーとパンドラの視線が交錯する中、ルーシーはそっと声を掛けた。
「ね、お話の最後を怖くて見られないのは……本当は悪役じゃない、パンドラさんご自身の幸せを諦めてないからじゃないかな」
「……何の話よ」
 ルーシーの言葉に対してパンドラはとぼけてみせた。されど、彼女が敢えてそのような反応を返していることはルーシーにも分かる。
「何にもあなたはしらないよ」
 傍であなたを見ている人の想いさえ。
 他者から向けられる思いも、知ろうとしていない。だから、まだ――。
「希望の登場はこれからだよ」
 ユェーの隣にしかと立ったルーシーはそうっと身を引く。
 本当の希望が現れる兆しはあるのだとして、少女は穏やかに微笑んだ。

●大切な夢の歌
 少女と青年の歌が幕引きを迎えた後。
 舞台の中央に歩んできたのは十雉となつめだ。にっと笑ったなつめはまず、挨拶代わりに輪舞曲を披露していく。
「――終焉らない輪舞曲を」
 唄声が止むまで動かず、聴き惚れたい。そういった感情を与えるための輪舞曲を紡いだなつめはパンドラを真っ直ぐに見据えた。
 此処は舞台。こちらが披露するならば、パンドラは真正面から聞いてくれるだろう。
 その点においては対等なのだと感じたなつめは次に十雉に目を向けた。すると十雉は穏やかな声で問いを投げかける。
「パンドラさん、今の君は歌うことを楽しんでる?」
「なあに? 当たり前じゃない!」
 十雉達に向け、パンドラは「ルルリ、ララ」と美しいハミングを響かせた。なつめは彼女の声を聞き、ふっと笑ってみせる。
「……フゥン、それがお前の欲しかった歌声ってヤツかァ?」
「それが君の歌いたかった歌なのかな?」
「は? あたしの歌に文句があるの? こんなに綺麗に歌えて、これほど美しい声だっていうのに!」
 十雉達に問われたパンドラは憤りを見せた。理想の舞台に立ち、憧れた声を持てた現状を否定されたように感じたのだろう。
 十雉は怯まず、そうではないのだと示した。
「違うんだ、文句なんてないよ。もっと君の心からの歌を聴きたい」
「そうそう、中々いい声してンじゃねぇの。誰もを魅了しそうな、拍手喝采モンと言っても過言じゃねぇな」
「そうでしょ? ふふ、わかればいいのよ」
 なつめが声を褒め称えたことでパンドラの機嫌が直ってくる。しかし、なつめはただ彼女の機嫌を取りたいがためにこういったのではない。
「……でもよ、アレだな」
「まだ何かあるの?」
「ソレ、まるでお前の声じゃねーみてーだな」
「――!」
 なつめがあっけらかんと言い放ったことに対してパンドラは息を呑む。その様子を見遣ったなつめは図星だったのだろうと感じ取り、更に言葉を続けた。
「どういう方法で手に入れたかしらねーけど」
「いいじゃない、これが理想の世界なんだから! あたしの世界ではこれが正解なの。黙ってて!」
「いくら歌が上手かろうが、想いがねェと誰にも響かねーよ」
 声を荒らげたパンドラに向け、なつめは首を横に振ってみせる。何も彼女を貶したいのではない。思ったままのことを告げた彼は黒薔薇の聖女を真正面から見つめた。
「俺が知ってる、歌が大好きなヤツはなァ。歌に下手も何もねーって言ってた。ソイツにはソイツにしか出せねー音なンだから、自信もってけってな」
 想いをめいっぱい込めて歌えばいい。
 そうすれば、きっと――伝わる。
 歌の上手さや声に拘るパンドラに、違う面から物事を見て欲しいと伝えたなつめ。そして、彼は十雉の肩に触れる。
「なつめ?」
「だからよォ、コイツの初ライブ聴いてやってくれよ。お前に伝えたいことが山ほどあっから、歌にして伝えてくれるってよォ」
「うん……だから、まずはオレの歌を、聴いてください。ライブっていうほど大袈裟なものじゃないけどね」
 なつめが後押しをしてくれているのだと気付き、十雉は静かに微笑む。
 十雉の思いがパンドラに向けられているのだと感じたなつめは、少しばかりの嫉妬心を言葉にしていく。
「ったく、妬ける話だなァ? だからさ大人しく聴いてろよォ……?」
「ふん、心配しなくても聞いてあげる。せっかくの舞台なんだもの!」
 歌を奏でるなら受け止めるだけ。
 パンドラの眼差しを受け止めた十雉は一歩、前に踏み出した。
「オレだって特別上手に歌えるわけじゃないけど、なつめの言う通り。伝えたいことが山ほどあるのは本当で、想いはたくさん込めるから」
 十雉は息を吸い込む。
 彼がはじまりのリズムを取っていることを確かめ、なつめはその後ろに陣取った。
「そォらときじ。あとはお前に任せたぞ」
「大丈夫だよ、なつめ」
「お前の思い、伝えてやンな。たとえ下手でも想いを込めりゃ。きっと伝わっからよ」
「うん、わかった」
「アイツの動きは止めててなくても平気そうだからな。――ぶちかましてやれ」
 なつめの声を受け、十雉はパンドラを瞳に映す。
「貴女は確かに悪と呼ばれたのかもしれないし、貴女自身も自分を悪だと思っているのかもしれない。けど例え悪なんだとしても……」
 傷付いて、苦しんでる人を放ってはおけなかった。悪も正義も関係がない。
 だから此処で歌うのだとして、十雉は声を響かせていく。

 ――大切な人がいるって。
 叶えたい夢があるって、きっと素敵なことだ。

「ふーん、確かに上手くはないけど悪くないわ」
 紡がれていく十雉の声に耳を傾け、パンドラはちいさく頷いた。なつめも十雉の歌声を聞きながら、黒薔薇の聖女の様子を注意深く見遣る。
 十雉は更に歌を続けていき、思いの丈を言の葉に乗せた。
 もしも貴女が今まで自分の気持ちを闇に隠してきたなら。少しだけ、ほんの少しだけ勇気が要るかもしれないけれど――。
 これからは心のままに、欲しがって、願えばいい。
 声を上げてみてもいい。
 虚飾の悪としてではなく、貴女自身の本当の思いを。
「オレたちはそれぞれ孤独の闇を抜けてここまで来た。越えて来れたんだ。だから今度は貴女が闇から抜け出す番だ」
 あの闇はきっと、黒薔薇の聖女が宿す心の色だ。
 確かに黒も美しい色であり、咲き誇る薔薇も素晴らしい。けれどもそれは今、パンドラという少女を閉じ込めている檻のようだ。
 黒薔薇の聖女ではなく、ただのパンドラとして。
「見失ってしまった光を、どうか思い出して」
「どうだ、これがオレのときじの想いだ」
「……!」
 十雉となつめからの呼び掛けにパンドラが言葉を失った。目を見開いた彼女は何かを感じているようだが、思いは声にされていない。
 それでも十雉は語り掛け続ける。
「オレの歌に込めた想い。独りで頑張り続けた貴女に、届いてる?」
「違う、ちがうの……」
「ン? なンだ、どうした?」
 十雉が語った独りという言葉に対してパンドラが反応を見せた。なつめが首を傾げていると、彼女は声を上げた。
「あたし、独りなんかじゃなかったわ」
「へェ……?」
「ノアがいてくれた。あたしのたったひとりの家族が。それだけじゃなくて、あの子が――ユリウスが歌ってくれて……ユリウス?」
 パンドラは頭を押さえ、鳥籠の中に視線を向ける。
 どうやら記憶が戻りかけているようだ。きっとそれは十雉の歌の影響に違いないと考え、なつめは口元を緩めた。
「ゆっくりでいい、思い出していけ」
「ね、歌うって楽しいんだ。貴女も歌が好きなら、思い出せるよ」
 この変化は好ましいもののはず。
 なつめと十雉は頷きを交わし、舞台の袖に身を引いた。こうして歌と想いを重ねていけば闇の中にも一筋の光が射す。
 そう信じた猟兵達によって、歌のバトンは引き継がれていく。

●道導の唄
「ユリウス……歌って、くれた。……ユリウス」
 パンドラは鳥籠の中に閉じ込めた白い鳥を見つめ、痛む頭を押さえていた。完全に記憶が戻ったわけではないらしいが、兆候は出ている。
 千織は舞台の中央に向かって進み、パンドラに凛とした声で言い放った。
「人である私からしてみれば貴女方がしてきた事は決して許せぬ所行」
「……そう」
 顔を上げたパンドラは千織に視線を返す。分からない記憶をどうにかするよりも、この舞台の続行を選んだようだ。
 ヴァンパイアとしての彼女の眼差しと千織の目線が交差した。
「けれど……」
 千織は、今は自分の思いなどは捨てると語る。本来ならば悪として断罪してしまうべき所業を行っている相手だが、千織は此度の事情を知っていた。
「とある方の願いを叶えるため、僭越ながら迷子の貴女へ落とし物を届けに参りました」
「迷子? 落とし物? 人違いじゃないかしら」
 自分は迷子ではないと話したパンドラは怪訝な顔をしている。すると千織は貴女で間違いないのだと返した。
「貴女を想い、心配している優しき人からのね」
 今、詩を紡ぎ届ける。
 暗き路に落としていた花弁を、もう一度。
 聖女と呼ばれし少女が愛しいと想っていたものを、花として咲かせるために。
 郷に入れば郷に従えとも言うように今はこの場の流れに乗ることが賢明だ。千織は舞台上に相応しい行動をしようと決め、歌を紡いでゆく。
「参ります」
「あんたがどんな歌を唄うのか、聞いていてあげる」
 パンドラが耳を澄ませている様子を見つめる千織は、そっと花唇をひらいた。歌い上げていくのは自分が感じた黒薔薇の聖女についてのこと。

 愛しき家族と過ごした日々。
 その手で選んだ選択肢。想い描き、願った夢は。
 己に誓った想いの花は、ひとひらたりとも欠けてはならぬ。

「なかなか良い声じゃない。ノアの舞台で映えそうね」
 パンドラは両腕を組み、不敵に笑っている。彼女の語るノアの舞台というものは既になく、葬られてしまったことも忘れているらしい。しかし、そのことに疑問を持っていないパンドラはもっと歌って、と千織に告げた。
 千織はリズムを取りながら、更なる歌声を響かせる。

 貴女の軌跡。
 二度と、落とさぬよう、なくさぬように。
 心に咲かせて抱きしめていて。
 何よりも大切で、唯一無二の貴女の証を。

 貴女を誘う道導は、互いを想い、紡ぐ詩。
 ほら、もうすぐ夜明けが訪れる。

「――匣に籠もるのはもう終わり。貴女を想い、幸せを願う者が傍にいるでしょう」
「何のこと?」
 千織は歌と共に己の思いを言葉にしていった。パンドラは不思議そうにしていたが、千織は鳥籠を指差す。
「もう此処から歩んでゆけるでしょう。最後の頁を己の手で書き換えてみなさいな」
「何よ! あたしの何が分かるっていうの?」
 千織の言葉に対してパンドラが怒りを見せはじめた。この匣が理想の世界であると信じきっている彼女にとって、今は何も書き換える必要がないからだ。
 そうして、パンドラは対抗する歌を放っていく。

 否定しないで。あたしを認めて。
 どうして、どうしてなの。誰も彼もがあたしを責める。
 なぜ、なぜなの。幸せはここにあるのに。ここにしかないのに!

 パンドラの歌には悲痛な思いが込められていた。それこそが彼女自身の叫びのようにも思えたが、理想の匣の中では酷く美しい音に変わっている。
 そのことがまた皮肉めいてもいた。
「…………」
 神妙な表情を浮かべた千織は想いを伝えるために、更なる続きを紡ぐ。

 無邪気に歌う黒薔薇と、合わせ歌う白き鳥。
 共に夢の匣から飛び出して。
 影多き路を駆け抜けて、向かうは澄み渡る青空の下。
 ふたり幸せを探しにゆけますように。

 こうして詩い、紡ぐ言の葉がどうか思い出させてくれますように。
 多くの願いを込めて一曲を歌い上げた千織は、最後に問いかけようと決める。パンドラ、とその名を呼んだ千織は真っ直ぐな眼差しを向けた。
「貴女が黒薔薇を渡したいのは誰?」
 黒耀の都では、黒薔薇が親愛の証だったという。パンドラは胸を押さえ、一度だけ鳥籠の中を見下ろした。
「それは――………」
 黒薔薇の聖女はそれ以上、何も語ることはなかった。
 それでも心は揺れ動いている。そのように察した千織は敢えて一歩引いた。まだ舞台に上がる者がいる。彼らに後を託すのも選択のひとつだとして、千織は願いを抱いた。
 舞台の演目は此処からもまた、巡りゆく。

●不諦の詩と想いの歌声
 一方、舞台袖にて。
 零時は出番となる自分の順番を待ちながら考えを巡らせていた。
「理想の世界か、人によっちゃ行きたいよな」
「はい。それにしても、皆がパンドラを救おうと頑張っていますね」
 心結は舞台で巡る歌を耳にしながら、其処に込められた思いを感じ取っている。放っておくなんてできません、と語った心結。その思いに同意を示した零時は大きく頷いた。
「ただ、だ。意志の無い化け物なんてパンドラも成りたくねぇだろ」
「その通りなのです」
「俺様達も出来る事を全力でやろう、心結!」
「パンドラを救うためにも、これ以上、悲しみを増やさない為にも頑張りましょう」
 少年と少女は意気込みを抱いている。
 その際、零時がふと思い出したのはユリウスという白い鳥から聞いていた情報だ。
「おう! そういや羽根とかは……」
「お花ならみゆも拾ってありますよ。綺麗なものだったので、つい」
 心結はそっと黒薔薇を取り出した。
 すると零時の傍についていた紙兎のパルも両手を差し出す。
「あ、パル! 拾ってくれてるじゃん!」
「パルもいい子ですね。流石、零時の……」
「それじゃこれはこの辺に置いていくか。ここも匣の中だもんな」
「うまく巡るといいのですが……」
 パンドラの記憶の欠片でもある羽根と花。それらを舞台袖に置いた零時と心結は、猟兵が響かせる歌に耳を澄ませた。
 記憶のひとひらがどのように繋がっていくかは、舞台が進んでからになるだろう。
 そんな中、零時が軽く首を傾げた。
「ここって歌や詩でしか相手に影響を及ぼせないんだっけ」
「歌や詩に乗せて、みゆたちの想いを伝えればいいみたいですね。何か気になることがあるのですか?」
「んー……魔術の詠唱は、力ある言葉だろ?」
「ええと、はい」
 不思議そうにしている心結に向けて零時は語る。
 魔術詠唱。それらの羅列は世界に為したい形を成す為の力であり、創り手の想いが籠っているものだ。魔導書に綴られた言葉は、ある意味では歌のように伝えられている。
 それならば――。
「詠唱も歌に通ずるはず! やろうぜ、心結!」
 心結はきょとんとしていたが、零時があまりにも力強く言うので頷いてしまった。それほどに彼の言葉には勢いがあったのだ。
「不安は少しありますが、やり遂げて見せます」
「よし、俺達の出番だ」
「参りましょう。みゆは歌は好きですから、気持ちを乗せるのですっ」
 自分で歌い上げる声が力になる。そう信じた心結は零時と共に舞台に踏み出し、心を決めた。
 いざ、ふたりの舞台を。
 ふたりの力で、ふたりの為に。紡ぎあげてみせると誓って。
「聞け、パンドラ!」
 まず進み出たのは零時だった。
 共振の陣が刻まれた簪で髪を纏めた零時は、己の言の葉に想いと魔力を込めていく。この場所では歌こそが力になる。
 それゆえにあらん限りのメロディを響かせ、歌として想いを紡ぐ心算だ。対するパンドラは双眸を細め、少年の出方を窺っている。

 目を逸らさず先を向け。
 他ではなく、己が手で勝ち取る為に。

「ふふ、随分と勇ましい歌声ね。舞台に上がれる度胸は認めてあげる」
 パンドラからの評価めいた言葉を聞きながらも、零時は歌うことを止めない。伝われ、思い出せ、感じろ、と思いを込めた少年の声が舞台上に響き渡っていく。

 忘れるな、己が傍に居る者を。
 見失うな、己が大事なその人を。
 何の為に願ったかを、誰が為に願ったかを。
 忘れたって失わない。
 培った想いは其処に在る。確かにお前の此処に在る。

 進め! 進め! あらん限り!
 我らが我らである為に!

「お前はお前だろ! どうして他の幸せばかり願うんだ!」
 零時は思いの丈を声にした。
 紡ぎあげたそれは不屈と不倒、不諦の詩。この場に立ち、游いできた者達に伝えたい何よりの思いが宿されている。
 皆が望む先へ進む為に、背中を押すための歌だ。
 零時の声は力強く、とても頼もしく思えた。じっとその声を聞き続けていた心結は両手を胸の前で重ねている。
 するとパンドラがくすくすと笑い、零時の歌に対しての詩を奏でていった。

 あたしをあたしとするもの、そんなものどうだっていい。
 逃げることだって大事。だって現実はとてもつらいものだから。
 理想は夢の彼方。憧れには手が届かない。
 しっている。しっているわ。ここにあるのは、からっぽなものだけど。
 空の匣にこそ、たくさんのものを詰め込める。そうでしょう?
 そうだといって、ねぇ――。

 パンドラは高らかに、それでいて悲しい歌を唄っていた。
「……そんなの、辛いだけなのです」
 美しくも悲痛な歌声に対して心結は首を振る。他者の幸せを願いながら愛を求め、現実から逃げ続けているパンドラ。たとえ彼女自身がこれで満足だと語ろうとも、このままであっていいはずがない。
 心結はパンドラが心の奥底で涙を流しているのだと感じていた。
 其処から心結の歌がはじまる。

 ねぇ、君の心の音が聞こえてくるよ。
 寂しそうな雨。まだ降り続いてるの。

 傘を差しだす手に、拒む君。見てるだけで痛々しくて、僕は泣いたよ。
 その顔を見て君は驚き、涙が止まったから。僕はちょっとだけ嬉しかった。

「――名を知らぬ君、笑えていますか?」
 心結は言の葉に思いを宿し、パンドラに問いかけるように歌い上げていった。歌詞は抽象的なものであっても音にすればきっと伝わる。
 誰かのために唄う歌には、ただの言葉以上の力が宿ると信じて。

 あの時の僕、泣いてくれてありがとう。
 今になっても答えは分からない。

 君にまた逢えたら、今度はうまく笑えるかな。
 共に笑顔で明日を迎える為に。
 僕は独りよがりだとしても、想い続ける。

「素敵な歌ね」
 心結が歌い終わると、パンドラは素直な感想を零した。
 心結が乗せた思いが伝わっているのだと察した零時は得意気にパンドラを見つめた。
「どうだ、心結はすげーだろ!」
「ふふり。零時だって、とってもいい声と歌だったのです」
 想い合うふたりは互いの歌声を称賛する。どちらも他者を思い、懸命に綴った歌だったからだ。パンドラは心結に返す歌は紡がず、代わりに拍手を送った。
「良い歌だったのは認めるわ。だから、ねぇ。あたしの匣の世界にずっといて!」
 しかし、告げられたのは匣に留まって欲しいという誘いだった。
 何かを大切に想う心は伝わったが、パンドラは未だこの匣が理想そのものだと思っているらしい。零時は頷かず、それは出来ないと示した。
「舞台はいつか終わるんだぜ、パンドラ」
「どうしてよ。みんなみんな、ここにいればいいのに……!」
「……戻ってきてください」
 心結は真剣な面持ちでパンドラに呼び掛ける。
 この匣に宿っているのは美しい憧れと幸福な楽園のように見えて、その実は違う。この先に待っているのは地獄のような結末でしかない。
 孤独で寂しい、己すら忘れてしまう末路。そんな未来は引き寄せたくはない。
「貴方が其方に行くことで悲しむ人がいることを知ってください」
 心結が告げたとき、鳥籠の中から声が響いた。
『――パンドラ!』
「ユリウス? ユリウスなの? あたし、どうして忘れて……」
 はっとした黒薔薇の聖女の元へ、先程に心結と零時が置いていた花と羽根が舞い降りてきた。彼女の元に戻ったそれらはゆっくりと消えていく。
 きっとこれは良き兆しだ。
 零時と心結は自分達の行動と歌が功を奏しているのだと知り、しかと頷きあった。
 そして、匣を巡る黒薔薇の舞台は終幕へと進んでいく。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

夏目・晴夜

長生きして、皺を刻んで、年老いて
いずれ唯一と結ばれて、子を成して
やがて寿命が尽きて最期の時を迎えようとも、
この血と意志は受け継がれていくから微塵も怖くはない
普通に老いて、家族を持って、それでもなお戦える
そんな屈強な肉体を持つ、狡猾で幸せな老爺になる
心から憧れてきた、都合の良い未来の世界

要らない

ああ、何故忘れていたのでしょうか
こんな未来はハレルヤには不要だと!

ハレルヤは見たもの全ての心に残るような惨憺たる死を迎えるべきだ
誰もが敗北を悟る程の強大な存在を利用して
私の死を目にした者の心の深くに消えない傷跡を残す
誰も忘れられない、誰にも忘れさせはしない
そうして死してなお在り続ける

死を恐れても何も変わらない
ならばせめて最期の時まで、揺らぎなく
大切な人たちが私との縁をいつまでも誇れるように
いつまでも覚えていてもらえるように

UCは使わずに、羽根を一枚舞い落として
思い出させてくれた事、感謝しますよ
後はパンドラさんの心が救われれば全て良しですね
悪だの正義だの関係ない
救われて欲しいと望まれているのですから



●名もなき平穏
「こっちよ、お爺さま」
「爺ちゃん! ハレルヤ爺ちゃん、はやくー!」
 不意に声が聞こえた。
 知っているようで知らない。けれども愛おしい、誰かが自分を呼ぶ声がする。
 朧げな景色の向こう側にはちいさな子供達がいた。木漏れ日が揺れる森の中、小鳥達の声や草木が奏でる穏やかな音が静かに響いている。
 ここは何処だろうか。
 あの子達は――そうだ、孫だ。
 晴夜と同じ髪の色をした子と、伴侶を思わせる瞳の色を持つ幼子達。隔世遺伝でもしたのか、自分達に似ている容姿の孫を見ていると心が安らいでいく。
 今は娘や息子たちも独り立ちしているが、時折こうして孫を連れて遊びにきてくれる。今日は森を散歩すると決めたのだと思い出し、晴夜は歩き出した。
「ねぇ爺ちゃん、今日も剣の修行をするんだよね」
「わたくし、今日こそお爺さまに勝ってみますから!」
 逆光になっている森の先では孫達が大きく手を振っている。いま行きますよ、と優しく告げた晴夜は随分と年を重ねているが、腰は曲がっていない。
 先を行く孫達は、えだまめJr.、だいず、くろまめ、とうふと名付けられた子犬達と戯れていた。その後を追う晴夜はふとした疑問を抱く。
(おかしいですね。確か少し前に何か別のことをしていたような……)
 晴夜は首を傾げつつも、尻尾を揺らしながら孫と子犬達のもとへ歩いていった。
 次の瞬間、視界が暗転する。
 いつの間にか閉じていた瞼をひらいたとき、天井が見えた。此処はベッドの上だ。身体を動かすことが出来ないのは自分が弱っているからだろう。
「父さん!」
「お父さん……」
「爺ちゃん! いやだ、いかないで爺ちゃん!」
「お爺さま……っ!」
 再び自分を呼ぶ誰かの声がした。
 子供と孫がベッドを取り囲んでいるのが分かる。自分の寿命が迫り、命の灯が消えかかっているのが分かった。
 けれども後悔はない。唯一と結ばれて子を成した。
 皺を刻んで、年老いて、長生きをした。
 血は脈々と受け継がれ、こうして見送ってくれる子達がいる。孫達も剣術を学び、己の意志を継いでくれた。
 唯一の愛したひととも充分な時を過ごした。ときには狡猾に、ときには自由気ままに。思う通りに生きてきた。
 これほどに幸福なことが他にあるだろうか。
「――私は幸せでしたよ」
 そういって晴夜は息を引き取る。家族に見送られながら、満足な死を。
 そんな世界があればいいと思った。
 心から憧れてきた、都合の良い終わり。こんな未来を辿るための匣世界が此処だ。はっとした晴夜は今見ていた光景が、これから巡るものなのだと知った。
 予め決められた幸福が此処に存在している。
 結ばれる相手も、生まれる子も、意志を継ぐ孫も。此処に居れば手に入るだろう。
 ただし、幻でしかないものが。

 ――要らない。

 美しい憧れと肯定の匣に広がる世界を理解したとき、晴夜は頭を振っていた。
 尾が逆立つほどに感情が揺らぎ、幸福な世界を否定する。自分がこの場所を肯定しなかったのと同時に、胸の裡から少女の声が聞こえた気がした。
 そんなの、あなたらしくない。
 暗い夜を晴らすのは、こんな偽物の中ではないはず。
 赤い頭巾を被った少女の姿が一瞬だけ胸裏に過る。響いた思いを受けた晴夜の中に怨念じみた感情が戻った。
「ああ、何故忘れていたのでしょうか」
 たった一瞬であっても憧れに逃避してしまっていた。あの幸福な結末を理想だと願い、そう在りたいと考えてしまった。
 しかし、違う。憧れと現実は全く別のものだ。それゆえに――。
「こんな未来はハレルヤには不要だと!」
 長生きはできない。
 いずれは死を迎えることが分かっている。そして、それは穏やかなものであってはいけない。幸せそうな最期だったと言われるよりも更に心に残る終わりがいい。
 たとえば、見たもの全ての心に刻まれるような惨憺たる死。
 そういった末路を迎えるべきだ。
 誰もが敗北を悟る程の強大な存在を利用して、己の死を目にした者の心の深くに消えない傷跡を残すほどの終わり。
「誰も忘れられない、誰にも忘れさせはしない。そうして死してなお在り続ける。それこそが、私が肯定したい終幕ですから!」
 死は定め。
 ならば恐れても何も変わらない。
 晴夜はあたたかな陽が差し込む森に背を向けた。平和の象徴でもある世界に目もくれず、晴夜は暗い闇が支配する現実への道を歩む。
「せめて最期の時まで、揺らぎなく」
 大切な人たちが己との縁をいつまでも誇れるように。
 いつまでも覚えていてもらえるように。
 そうなるためには戦い続けなくてはいけない。どんな険しい道であっても、どれほど危険な戦いであっても。
 勇往邁進、勇猛果敢に。そんな言葉では足りないほどにもっと、もっと。
 既に外へ続く出口は見えている。
 あと数歩を踏み出せば、この匣から出られるだろう。しかし、そのとき。背後から晴夜を呼ぶ声が響いてきた。
「お父さん……もう行くの?」
「お爺さま、わたくし達を置いていくのですか?」
「オレ達と一緒にいようよ、爺ちゃん」
 愛娘と孫達が晴夜に語りかけているようだ。晴夜は僅かな間だけ立ち止まりはしたが、振り返ることはしなかった。
 彼らに思うことは何もない。
 それでも礼儀として別れの言葉だけは告げたいと思えた。
「……さようなら、名も知らぬ皆さん」
 家族になるかもしれなかった存在に背を向けたまま、晴夜は進んでいく。
 晴夜は去り際に一枚の羽根を匣の中に舞い落とした。この世界を創り上げたのは自分ではあるが、形作ってくれたのは黒薔薇の聖女パンドラだ。
「思い出させてくれた事、感謝しますよ」
 後は彼女の心が救われればいい。匣の中にあるのは幻でしかないとはいえ、あのような幸福な結末を見せて貰えたことは感謝に値する。
「パンドラさん。あなたは――」
 悪か、正義か。
 そんなことは関係ない。晴夜が知っているのはたったひとつの大切なこと。
「救われて欲しいと望まれているのですから」

 何を以て救済とされるのかは未だ誰も知り得ぬ事柄。
 されど、終わりを見届けるのが今の自分が出来ること。晴夜は黒薔薇の城へ戻り、結末を迎えゆく舞台を見据えた。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

荻原・志桜

見渡せば自分の工房に立っていて
そこにいるはずのない恩師の姿
まやかしだと解っていても心は揺らいでしまう

いとしいひとも、大切な友人たちも、憧れたひとも
みんなが傍にいてくれる、夢みたいな世界

欲しくて、焦がれて
離さないように抱きしめたい
数え切れないぐらい、こんな日々があればいいなって願ったよ

ふとしたとき、昊くんを探すことがあるの
初めて出会った公園に行ったとき
教わった魔法を使ったとき
魔導書に書かれた手書きの文字を見るたび
先生と過ごした思い出の日々が浮かんでくる

だけど約束したもんね。意地悪だったけど
先生が頑張れ、負けるなって応援してくれたの
どんなに望んだ世界でも現実から目を逸らさないよ
昊くんがいない世界はやっぱり寂しいし
どうしようもなくて泣いちゃうこともある
面影を探さなくなる日はきっとこない

泣いたときは寄り添ってくれるひとがいる
寂しい気持ちを否定せずに受け入れてくれるひとがいる
いつでも見守ってくれる存在を蔑ろになんてしない
わたしの居場所はここじゃない
昊くんがいないあの世界に、あのひとの隣にあるの



●砂糖のように甘い夢
「どうしたんだ、そんな呆けた顔して」
「――え?」
 耳に届いたのは聞き馴染みのある声。
 紫苑の色を宿す瞳に自分が映っていることに気付き、志桜は驚きの声を落とした。本を片手に近付いてきた彼は通り抜け様に軽く頭をはたいてくる。
「ぼんやりしてたら転ぶぞ」
「そら、くん……」
 頭にちいさな痛みを感じたがそれどころではなかった。此処は志桜の工房内で、師匠である昊が当たり前のように居る。
 まるでこの工房で生活しているかのような振る舞いをする彼に対して、志桜は戸惑いを覚えていた。振り返った昊は怪訝そうにしている。
「もうすぐ友達が来るとか言ってなかったか?」
「あ、そっか……。お茶の用意をしようとしてたんだっけ」
「もうすぐ時間だろ」
「いけない、急いで準備しなきゃ」
「ついでに俺の分も淹れておいてくれ」
 はっとした志桜はぱたぱたとキッチンに駆けていく。ちゃっかり注文を入れた昊は弟子の後ろ姿を見送った。
 此処にいるはずのない恩師が当然のようにいて馴染んでいる。
 どうして。きっとまやかしだ。
 解っていても心は揺らいでいき、身体が勝手にお茶の準備をはじめていた。カップとソーサーを棚から出していると昊がキッチンに顔を出した。
「言い忘れてた。研究で疲れたから砂糖多めで」
「う、うんっ」
「今日は妙に落ち着きがないな。あいつの心配でもしてるのか?」
 昊が隣に立っていることで志桜の気持ちが揺れ動く。あいつというのは本来の同居人のことだろう。昊の口振りからすると今はこの工房に三人で暮らしており、同居人は仕事に出掛けているということが分かった。
「違うよ、大丈夫」
 志桜は首を横に振り、そうじゃないの、と昊に告げる。
 不思議なのは師匠がまだ生きているという現状。つまり、この世界では彼が死を迎えなかったということだ。
 いとしいひとも、大切な友人たちも、憧れたひとも。
 みんなが傍にいてくれる、夢みたいな世界が此処にある。
 もしも、こうだったらどれだけ良かったか。この場所にいれば、思い描いた通りの生活を送ることができる。
 欲しくて、焦がれて。夢を見て、強く願って。
「……昊くん」
 離さないように抱きしめたい。こんな風に、と思ったときには志桜の身体は自然と動いていた。隣にいる昊の腕に抱きついて、その温もりを確かめる。
「だからどうした」
 呆れたような声が返ってきたが、振り払われたりはしない。
 本当はくっつくなと怒られて引き剥がされるはずだというのに。幸福な楽園の中に存在する彼はそんなことをしない。
 熱でもあるのか、といって掌を額に当ててくれた。
 傍にいることを許してくれる。口は悪くても、弟子として自分を認めてくれている。
「数え切れないぐらい、こんな日々があればいいなって願ったよ」
「……そうか」
 湯を沸かしているポットから湯気が上がりはじめていた。
 熱に浮かされたような気分がしているが、志桜は自分を見失ってはいない。
「ふとしたとき、昊くんを探すことがあるの」
 たとえば、あの公園。
 初めて出会った場所を通り掛かったとき、ベンチに昊が座っていないかどうか。
 桜の樹の下を歩いているとき、木陰で彼が休んでいないか。
 教わった魔法を使ったときに遠回しに褒めてくれる声が聞こえたりしないか。
 受け継いだ魔導書に書かれた手書きの文字を見るたびに、彼と過ごした時間と日々が胸裏に蘇ってくる。
 先生と生徒。師匠と弟子として過ごした思い出の日々が浮かぶ。
「今だって師弟だろうが」
「そうだよ、そうなんだよ。だけどね……」
 約束をした。
 とても意地悪だったけれど、大好きだった先生と。まやかしでも幻でもない本当の彼と紡いだ未来への道標がある。
「先生が頑張れ、負けるなって応援してくれたの」
 用意された幸福に逃げるのは、彼との約束を破ってしまうことになる。
 だから、この場所がどんなに望んだ世界でも――現実から目を逸らさない。けれども、記憶や自我を削ってまでこの匣を用意してくれた人にも少しだけ報いたかった。
「昊くん! 一緒にお茶を飲もう」
「別に良いが……砂糖は?」
「ここにあるよ。昊くんが要らないってくらい入れてあげる!」
「やめろ、多めとは言ったがそこまでじゃねぇ!」
「にひひ。冗談ですー」
 ポットを手にした志桜は、ほんの少しだけ師匠との時間を過ごすことを決めた。これが自分なりの憧れを認める方法であり、匣の主への感謝の証でもある。
「ねぇ、昊くん」
「改まって何だよ」
「先生がいない世界はやっぱり寂しいし、どうしようもなくて泣いちゃうこともあるよ」
「相変わらず泣き虫だな。出会ったときと変わらねぇ」
 工房のティーテーブルを囲んで、ほんのりと甘い紅茶を飲むひととき。それは泣きたいほどに欲しかった時間だ。
 けれども自分が思い描く世界であるからか、今の昊はかなり優しい。理想的すぎるね、と小さく語った志桜の瞳には涙の欠片が浮かんでいた。
 きっと、彼の面影を探さなくなる日はこない。
 それでも――。
 悲しくて泣いたときは寄り添ってくれるひとがいる。寂しい気持ちを否定せずに受け入れてくれるひとがいる。
 いつでも見守ってくれる存在を蔑ろになんてしたくなかった。此処にあのひとは帰ってこなくて、自分が戻る場所も此処ではない。
 一杯の紅茶をゆっくりと味わった志桜は師匠の顔を真っ直ぐに見つめた。
「ごめんね、わたしの居場所はここじゃないの」
「……ああ」
 昊は紅茶のカップをテーブルに置き、ご馳走様、と一言だけ呟く。それが終わりの合図だと悟った志桜は目を閉じた。
 次に瞼をひらいたときには元の世界に戻っているだろう。甘くて優しい夢の名残を感じながら、志桜は決意の言葉を紡いだ。
「わたしは帰るよ」
 昊くんがいない、あの世界に。
 今のたったひとつの居場所は、あのひとの隣にあるから。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

蘭・七結


絡め取られた先は、翡翠の匣の奥底
眸を開くと柔い温度に満ちた景色が観える
慣れ親しんだ暗闇の世界が嘘のようだわ

包み込むような真白の光に
はらはらと溢れ落つ紅色の梅花
此処は、故郷――サムライエンパイアの街

鬼を忌んだはずの住人たちは、其処に無く
各々が朗らかに笑って、わたしを迎え入れてくれる

わたしの“姉”は、彼女の姿のまま
鏡写しの“あの子”も、其処に居て
父も母も、美しい景色の中に佇んでいる

――ラン、
何処にいってしまったのかしら


つま先を向けた方角には、彼の神社
……嗚呼、屹度。此処には
金糸雀の彩を持つ厄祓いの神性が
本来の『あなた』が居るのでしょう

巡りを経ても尚、後悔の残滓が宿る
郷愁の情だって拭い切れていない
これは、幾度も脳裏に過ぎった“もしも”の世界

温かくて、優しくて
言葉に成らない想いが溢れるよう
ただいま、と
そう言えたのなら、どれほどに幸せでしょう

……ええ、とてもしあわせね
わたしが無くしてしまった道の先も
今までに編み上げた本当の世界も

蝶と共に暗い世界へと浮上しましょう
愛しい彩たちが待つ、わたしの世界へ



●幾度も夢みた居場所
 後悔や郷愁を齎すもの。
 七結が絡め取られ、陥ったのは翡翠の匣の中。
 自分が不思議な世界に落ちていく感覚を抱きながら七結は双眸を細めた。眩い光が満ちていったことで瞼は次第に閉じられる。
 奥底についたのだと察した七結はゆっくりと眸をひらいた。
 柔い温度。穏やかな心地。
 平穏に満ちた景色が見えたことで、七結の心がふわりと和んだ。慣れ親しんだ暗闇の世界が嘘のような光景は、何だか不思議と懐かしい。
 片目を眇めた七結は一歩を踏み出してみた。
 包み込むような真白の光は快い。光で満たされていた景色は次第に形を成していき、はらはらと溢れ落ちる紅色の花弁が見えはじめた。
 咲き誇る梅花だと気が付いた七結は木の近くまで進んでみる。
「此処は――」
 そして、この場所が何処であるのかを知った。故郷である倭国、サムライエンパイアの街並みが見える。
 活気に満ちた街は和やかな雰囲気だ。
(……如何して、)
 七結は奇妙な感覚をおぼえた。この街の人々は笑顔だ。此処にこうして自分が立っているというのに、住人の様子がおかしい。
 片手を上げて挨拶をしてくれる者や、にこやかに微笑んでいる者ばかり。
「あら、いらっしゃい」
「今日は良い野菜が採れたよ。持っていくかい?」
「わあっ、なゆ姉ちゃんだ。こんにちはー!」
 鬼を忌み嫌ったはずの住人など何処にもいない。各々が朗らかに笑って、鬼としての七結を迎え入れてくれる場所になっていた。
 この状況をおかしいと感じる方がおかしいのかもしれない。そんな錯覚を感じるほどにこの街は穏やかで優しいものだった。
「――なゆちゃん」
「……なゆ、なゆ」
 不意に聞き覚えのある声が響いてくる。
 振り返ればあたたかな笑みを向けてくれる人達がいた。街の人々の心も良きものだと思えたが、それ以上に愛おしい者が見える。
 七結の“姉”は、彼女の姿のままでいた。
 鏡写しの“あの子”も、其処に居て穏やかな表情をしている。
 そして、父も母も――梅の花が舞う美しい景色の中に佇んでいた。
 すぐにでも其方に駆けて行きたくなった。不可思議な世界であっても、これこそが願ったままの場所だ。しかし、七結は此処にいないものを探していた。
「――ラン、」
 その名を呼んだらすぐに姿を見せてくれるはずの蝶々が見当たらない。七結は姉達のもとには行かず、長閑で平和な街の中に進んだ。
 誰もが笑っている。皆、恐れや畏怖など抱かずに暮らしている。
 こんな世界があったら良かった、と七結は思う。そして此処にあの子――彼の神が共にいてくれたら、と。
「何処にいってしまったのかしら、ラン」
 街を巡る七結がつま先を向けた方角には、彼の神社があった。
 自分が願ったからだろうか。
 先程は続いていなかった道の先にあの場所が現れている。呼ばれるように其方に歩を進めれば懐かしい空気を感じた。
「……嗚呼、屹度。この神社には、」
 声を紡いだ七結の言葉が途中で途切れる。
 金糸雀の彩が眸に映った。厄祓いの神性が――本来の『あなた』が居たからだ。ランがいなくなった理由も理解できた。
 共に匣に落ちた蝶々もまた、もしもの世界を想像していたのだろう。
「――おいで」
 七結の耳を擽るような柔い声が届いた。
 これでいいと思っていた。そうするしかないと認めた過去に、後悔がなかったといえば嘘になってしまう。
 善き巡りを経ても尚、心には残滓が宿っていた。
 今も共に在ることには間違いないが、かたちが違う。郷愁の情だって拭い切れていないことは七結自身も心の奥底で解っていた。
 これは、幾度も脳裏に過ぎった“もしも”の世界。
 七結と眞白の神、槐が願った場所。
 気付けば七結は彼のひとの元へ進んでいた。広げられた両腕に縋るように身を預ければ、心地よい熱が伝わってくる。
「…………」
「七結」
 ただ名前を呼ばれるだけで幸福だった。
 温かくて、優しくて。言葉に成らない想いが溢れるようで、心が跳ねる。熱を宿した鼓動を刻む自分を包み込んでくれる彼のひとは何処までも優しい。
 この社に、この世界に。あなたの元に戻れたから。
 ――ただいま。
 そう言えたのなら、もっともっと。どれほどに幸せだっただろうか。この世界に留まることを選択したならば、何の悲しみも苦労もない日々が送れる。
 優しい人々と平和がある。
 家族がいて、あなたがいて。ずうと、傍にいられる。在るが儘の心を持て余すこともなく幸福だけが満ちていく。
 槐は七結を抱き締め、こうなれればしあわせだったね、と呟いた。
「……ええ、とてもしあわせね」
 七結はその胸元に顔を埋めながら、今という時を認める。否定してはいけない。これもまた己の裡に残る望みであり、願いなのだから。
 温もりを確かめるように七結はふたたび瞼を閉じた。
 この熱も、その声も、今は感じられず聞けないもの。けれどもそれが哀しいと感じることもまた、今の自分が得た心のひとつ。
「わたしが無くしてしまった道の先も、今までに編み上げた本当の世界も、」
 どちらも愛おしい。
 それゆえに、すべてを認めて進みたい。
 槐にも後悔があり、郷里への想いがあったのだろう。しかし共に在る彼の神も七結と同じ心境を抱いているようだ。
「行こうか、七結」
「……ええ」
 声を聞いた七結が顔を上げたとき、指さきには蝶々が止まっていた。彼の神の姿はなかったが、今はこの姿こそが本当のもの。
 背後では賑わう街の雰囲気と、姉とあの子、父と母の声がしていた。
 されど此処の人々は本物ではない。優しい世界に背を向け、七結は天を振り仰いだ。愛しき蝶と共に、暗い世界へ戻ると決めたゆえにもう振り返りはしない。
「進みましょう、先に」
 愛しい彩たちが待つ、わたしの世界へ――。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

華匣・咲樂
🐧花鳥


きゅ?なんだか不思議な世界に来てしまいましたわね…エルピス
きゅうう、ごめんなさい
匣を見るとつい触りたく…あら!みて!
わたくし……ひとの姿をしていますわ!

軽い足取りでくるり、桜小路をまわってみせる
空が近く、花に手が届くよう!
見てくださいまし、エルピス!わたしの手、小さな羽根ではないわ!
あなたの目線がこんなに近くて、しあわせ

そう、わたくしは子ペンギンの姿で生まれたけれど……本当はこうして……ひととしてあなたのそばに居れたらって思っていたのです
密やかな後悔が、降り積もるように咲いていく
こうなればよかった、でもこうならなかったの

エルピスったら、そんな顔をしないでちょうだい
しってるわ、わかっているのよ?
子ぺんぎんの姿のわたくしだってあなたは大切に守ってくれるって

今だけ、いまだけよ
わたくしの望みを誰かが叶えてくれたのね
何時もあなたと居られてしあわせよ──だから、感謝しなきゃ
手をとって踊ってもいいかしら?
大好きなんて言えないけれど

少しだけ
いまだけ
匣のなかにしまって、否定し続けた
望みを認めるわ


エルピス・ラペルト
🕊花鳥


お嬢!得体の知れねぇやべぇもんには触るなって言ってるだろっ……!
ま、まぁ……俺が守るから問題な……え?
俺の、俺の、可愛い子ぺんちゃんが!!
……び、美少女になってやがる!?

一体全体これはどう言うことだ?!

ちまっこい子ペンギンからの変化に戸惑うも、どんな姿でもお嬢はお嬢だ
かわいいのは変わらないぜ…そんな顔、するなよ

ひとでも、子ペンギンでも、例えば猿だったとしても其れは変わらねぇ
可愛いからな!!守るって決めてんだ!

いいぜ、踊ろうかお嬢様
桜の舞踏会だ
私でよろしければお相手いたしますよ

しかし、慣れ親しんだ魔力を感じるな……兄貴、か?
逢いたいと思ってた
嵐に巻き込まれた俺を庇って、穹で生き別れた俺と生き写しの片割れだ
また一目、逢えたら幸せだって
兄貴がいるなら伝えたいな
俺は元気にしてるし穹は心配するなって
俺がお嬢をみつけたみたいに、お前も守りたいやつ見つけて守れってな!
兄貴は素直じゃねぇが、単純ではあるから
大丈夫だ
忘れねぇよ

俺は認めるよ
こうならなかった願望も
こころから生まれて咲いた一輪だからな



●匣から絆ぐ物語
「きゅ?」
 辺りを見渡してみると、先程とは違う景色が広がっていた。きょとんとした華匣・咲樂(花時・f37010)は首を傾げる。
 目映い光に満ちた場所では同行者の姿が見えず、影だけが揺れ動いていた。
 また、周囲にはひらひらと桜が舞っている。
「なんだか不思議な世界に来てしまいましたわね、エルピス」
「お嬢! 得体の知れねぇやべぇもんには触るなって言ってるだろっ……!」
 咲樂に呼ばれたエルピス・ラペルト(スワンソングは歌わない・f37011)はそれで位置を察知したらしく、慌てて駆け寄ってくる。
 彼が怒っていることを知り、咲樂は身を縮こまらせた。
「きゅうう、ごめんなさい。匣を見るとつい触りたくて……」
 あまりに綺麗だったから、と語った咲樂は自分の羽を見下ろそうとする。しかし先程まで抱えていた匣はなくなっており、かわりに人間の指先があった。
「あら! みて!」
「ま、まぁ……俺が守るから問題な……え?」
「わたくし、ひとの姿をしていますわ!」
 咲樂は両腕を広げてその場でくるくると回ってみせる。眩しかった光がおさまっていったことでエルピスもやっと咲樂の今の姿を知った。
「俺の、俺の、可愛い子ぺんちゃんが!!」
「素敵! 身長がこんなに大きいわ!」
 子ペンギンだった自分が少女になっていることで咲樂はとても嬉しがっている。すんなりと受け入れた彼女に対し、エルピスは驚きを隠しきれないでいた。
「……び、美少女になってやがる!? 一体全体、これはどういうことだ!?」
「ふふ!」
 楽しげな咲樂は軽い足取りで桜小路をまわった。
 いつもより空が近くて、花に手が届きそうなほど。指先を擽るようにして舞ってきた花弁を掴むことだって出来る。
「見てくださいまし、エルピス! わたしの手、小さな羽根ではないわ!」
「あ、ああ……そうみたいだな」
 エルピスは戸惑いながらも状況を受け入れつつあった。
 ちまっこい子ペンギンだったお嬢が人間になっている。ありえない変化だが、彼女はとても幸せそうだ。どんな姿でもお嬢はお嬢なのだと自分に言い聞かせたエルピスは咲樂の元に近付いていった。
 花のように微笑む咲樂はエルピスを見つめ、双眸を細める。
「あなたの目線がこんなに近くて、しあわせ」
「お嬢が嬉しいならそれでいい。この……匣の中? も危険なものはなさそうだからな」
 エルピスは最初こそ警戒していたが、今は安堵していた。自分達が匣に吸い込まれるように落ちてきたことは理解しており、敵の罠である可能性も考慮していた。されど、この匣の中は何処までも平和だ。
 理想が叶ったみたい、と咲樂は語る。
「ここは憧れていた世界なのね。そう、わたくしは子ペンギンの姿で生まれたけれど……本当はこうして……ひととしてあなたのそばに居られたらって思っていたのです」
 密やかな後悔。それらが降り積もるように咲いていく。
 こうなればよかった。
 けれども、こうはならなかった事柄。
 咲樂は微笑みながらも哀しい思いを抱いていた。エルピスは揺れ動く彼女の心に気付いているらしく、その頭をそっと撫でる。
「お嬢がかわいいのは変わらないぜ……。そんな顔、するなよ」
 柔らかな髪の感触もまたいとおしい。エルピスは咲樂の両肩に手を置き、悲しむ必要など少しもないと語っていく。
「いいか。ひとでも、子ペンギンでも、たとえ猿だったとしても其れは変わらねぇ」
「エルピス……?」
「お嬢は可愛いからな!! 守るって決めてんだ!」
 力説したエルピスは咲樂を励ますつもりだったのだろう。
 だが、咲樂にとってその顔は先程の自分よりも悲痛なものに見えた。特に今は目線が近いからこそ彼の表情がよくわかる。
「エルピスったら、そんな顔をしないでちょうだい」
「へ? 俺、どんな顔を……」
 思わず視線を逸したエルピスは表情を引き締めるために唇を噛む。そんな様子もよく見える今をいとおしく感じた咲樂は彼の顔を覗き込んだ。
「しってるわ、わかっているのよ?」
 どんな姿の自分であっても、エルピスは大切に守ってくれる。
 ペンギンだから可愛いと言ってくれるのではない。人間になれたからといって大きく変わることがあるわけではない。
 本質は同じ。けれども、もしもこうだったら、という世界を夢みることがある。
「今だけ、いまだけよ」
「お嬢……」
 咲樂はエルピスの胸元に額を預けた。
 いつもであれば腕に抱かれるだけだが、今はこうして自分から彼に寄り添える。
「わたくしの望みを誰かが叶えてくれたのね。ううん、それもあるけれど。わたくしが叶える側として呼ばれたのかもしれないわ」
「何を……?」
「わからないわ、わからないけれど。エルピス、あなたも導かれたのよ」
 咲樂は不思議な予感を覚えていた。
 うまく言葉には出来なかったが、匣に呼ばれた気がしたのだ。ふわりと咲った咲樂はエルピスの顔を見上げる。
「何時もあなたと居られてしあわせよ。だから、感謝しなきゃ」
「こちらこそ感謝してるぜ、お嬢」
 思いを言葉にした二人の周囲に桜の花弁が降り注ぐ。何処かから美しい歌声と音楽が響いてきたことで、咲樂はあることを思いついた。
「ねぇ、手をとって踊ってもいいかしら?」
「いいぜ、踊ろうかお嬢様。私でよろしければお相手いたしますよ」
 桜の舞踏会だと言って辺りを見渡したエルピスは、咲樂の手をしっかりと握る。
 歌声は響き渡っていく。
 知らない誰かの。或いは知っている誰かが、懸命に歌う声。
 旋律を耳にしながら、咲樂はエルピスを見つめる。先程はひとりでくるりと舞っていたけれど、今はふたりで。
 大好き、なんて言えないけれど――。
 少しだけ。
 ほんの少し、いまだけは。
 願えなかった想いを。叶えられない気持ちを。
 匣のなかにしまって否定し続けた望みを認めていたい。そう願う咲樂の指先はエルピスのしなやかな指先に絡められている。
 優しい泡沫のような、あの歌が終わりを迎えるまで踊ろう。
 音色に合わせて踊る二人は幸福を感じていた。その最中、エルピスは先程から感じる気配にも意識を向けている。
(慣れ親しんだこの魔力……兄貴、か?)
 此処に導かれたのは何か意味があるのかもしれない。エルピスはずっと逢いたいと思っていた兄を思い浮かべた。
 あの日、嵐に巻き込まれた自分を庇って行方不明になった兄。
 穹で生き別れた、生き写しの片割れ。彼にまた一目だけでも逢えたら幸せだ。もしも兄が近くにいるなら伝えたい。
(――兄貴。俺は元気にしてるし穹は心配するな)
 念じた思いは通じるだろうか。
 エルピスは咲樂を見つめつつ、遠くて近い感慨に思いを馳せた。
「俺がお嬢をみつけたみたいに、お前も守りたいやつを見つけて――守れ」
「どうかしましたの?」
 無意識に思いが言葉として零れていたらしく、咲樂が不思議そうに見上げてきた。エルピスは頭を振って答える。
「いいや、何でもねぇ……ってことはないが。お嬢のことを思うと幸せだな、と」
「まぁ、エルピスったら」
「それに兄貴のことを考えてたんだ」
「エルピスのお兄様って……」
「兄貴は素直じゃねぇが、単純ではあるから大丈夫だ。……うん、忘れねぇよ」
「そうですわね。あなたのお兄様なら、きっと――」
 咲樂はエルピスもまた、自分と同じように由縁を感じたのだと察した。此処に訪れた意味は何となく理解できている。
 縁を繋ぎ、叶えられなかった理想を受け継ぐため。
 ふたりとも言葉にはしないが分かっている。この匣を創った主が思い描いていた世界を認め、繋げてゆくのが役目なのかもしれない。
「俺は認めるよ」
 こうならなかった願いも、こう在りたいと望んだことも。
 こころから生まれて咲いた一輪だから。
 誰の胸の中にも花は咲く。諦めぬ限りは美しく、気高く。遥かな穹に向かって。

 やがて、肯定と否定の匣はすべてひらかれた。
 誰もが憧れや理想、後悔を抱いて楽園を夢みる。されど此処に訪れた誰もが現実に戻りたいと願い、与えられた幸福を匣に沈めた。
 あとに残るは黒耀の愛と正義が宿る、悪の匣のみ。
 舞台の終幕は確実に訪れる。
 そして――いま此処に、ちいさな希望が芽吹きはじめていた。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​


●パンドラ・カナン・ルー
 思い出した。
 忘れていたことを、思い出したの。

 あたしが歌を嫌いになった理由は、歌のせいですべてを失ったから。
 他の領主から友好の証として貰ってきた奴隷、ユリウスの歌はとても綺麗だった。
 最初はただの綺麗な飾り物として置いておくつもりだったけれど、いつの間にか彼のことが大好きになっていた。
 だって、ユリウスはいつまでたってもあたしに服従しなかった。つまり、それはあたしを怖がらなかったということ。
 本当のあたしを解ってくれて――ううん、見抜かれていたのかもしれない。けれどあたしはそうして貰えることが心地よかった。
 大好き、なんて言えなかったけれど。
 主と下僕という形でもいい。ユリウスが歌って、あたしが聴く。
 そんな日々がひっそりと続けばいいと願っていた。

 あたしの心はユリウスが占めていた。
 どんなに辛いことや嫌なことがあっても、ユリウスに話すと笑い飛ばしてくれた。それがとても嬉しくて、もっと好きになった。
 でも、彼の心にはあたしなんていなかったみたい。
 後からオークションで競り落としたあの黒い人魚。ノアがエスメラルダと名付けた人魚のところにユリウスは足繁く通っていた。
 一度、二人が一緒に歌っているところを見たわ。あたしの前では絶対にしない顔でユリウスが歌っていた。
 きっとユリウスはエスメラルダが好きなんだわ。
 だって、あのあと暫くしてから。黒い人魚から、ユリウスに似た真っ白な人魚が生まれたんだもの。あんな赤子、産まれてすぐに殺してやりたかった。
 けれどもノアが歌姫として育てると言って聞かなかった。
 ノアもエスメラルダに惹かれていたのね。きっと、歌が上手いからだわ。
 あたしも歌姫になりたかった。
 ノアの舞台で歌えるほどだったら、ユリウスもあたしを好きになってくれたかしら。ノアだって、エスメラルダに執着しなかったかしら。
 歌は好き。
 だけど、嫌い。
 だって、だって。エスメラルダはあたしの記憶を奪った。ある日、あの子の歌声が響き渡ったと思ったら、ユリウスのことを忘れていたの。
 あのときのあたしは何を忘れたのかすら忘れさせられてしまった。だけど、奪われたってことだけは分かったわ。
 大切な何かを、あの黒い人魚が忘却させたことだけは間違いない。
 あたしからノアを奪っておいて。これ以上、どうして――。
 気付けば、あたしはエスメラルダを殺していた。いちばん大切なものを奪った者をどうして生かしておけるのか。
 許せない。赦せない。許せなかった。
 密かに憧れていた以上の気持ちがあたしを支配したわ。
 黒き歌姫がいなくなってしまっても、その白い人魚が代わりになってくれるでしょう。ノアにはそう言って聞かせた。
 ああ、やっぱり産まれたばかりの白い人魚も殺してしまえばよかったんだわ。
 あたしがエスメラルダを殺してから十数年後。
 白い人魚は滅びの歌を唄った。あたし達の愛しき都、黒耀のカナン・ルーは歌によって滅び、水底に沈んだ。
 あたしの一度目の死も其処で訪れたわ。
 唯一の家族だったノア――弟も、歌によって奪われた。

 嫌いよ。大嫌い。
 思い出したの。そう、思い出したわ。
 だけど、こんなこと思い出さなければよかった。だって、今此処にあの人魚が居るんだもの。あたしを悪へと駆り立てるほどの激情なんて知らない方がよかった。
 殺したくて堪らない。
 憎い、憎いわ。あたしの敵であり、仇。あたしからすべてを奪った子供。
 白い人魚――リル・ルリ!


●ユリウス・ラペルト
 ――パンドラ!
 パンドラ、聞いてくれ、パンドラ!
 違うんだ。お前はすべてを知らない。真実はそんなものじゃない!

 クソッ、届かねえ。俺の声は一瞬しか響かなかったのか。
 昔はよく聴いてくれたじゃねぇか。俺の歌が好きで、俺が語る物語を紡ぐ声が良いと何度も言ってくれた。
 この偽物の声でも、あんたの歌が一番好きよ、って。
 そうだ。
 本当は、俺の喉はお前に会う前から抉られて潰されてるんだ。響かせていた声は魔法で作った偽物だ。
 それなのにパンドラは褒めてくれた。
 偽物だと知らなかっただけかもしれないが、それでも。
 魔法の声は、それを素直に受け入れた者にはよりいっそう美しく響く。俺はヴァンパイアが真の意味で歌に心を傾けてくれるなんて思っていなかった。
 だから、元の飼い主には適当に歌っていた。それで充分だったんだ。
 しかしどうだ。友好の証として奴隷の俺を連れ帰った女ヴァンパイアは、俺の歌を聞いて甚く感動した。素敵、もっと歌って、とねだったときのお前の瞳は純粋だったよ。
 小さな身体に、誇りと強がりだけを詰め込んで虚勢を張っている女。
 お前を見て、最初は笑っちまったさ。
 嘲りに近かった。しかし、それは次第に変わっていった。
 お前は自分を悪だと認め、吸血鬼として求められるがままの振る舞いをした。でも違うだろ。そうじゃない。
 本当のパンドラは、歌が好きなただの少女だった。知ってる。知ってたぜ。
 気が付けば、俺はパンドラと過ごす日々の中で笑っていた。面白い女だった。微笑ましくて、妙に愛おしいところもあった。
 ドジで弱くて、領主の器なんかじゃねぇくせに椅子に座っている。
 たった一人の弟に嫌われたくなくて、必死こいて空回りばかりして。その度に俺に泣きついてくる。ちんちくりんの、泣き顔。鼻を摘んで怒らせるのが楽しかった。
 だけど、あのときの俺は吸血鬼を憎んでいた。
 お前が吸血鬼でなければ。
 ずっと思っていたよ。俺が壁を作ってたんだ。

 だから、エスメラルダに聞きたかった。
 俺達は奴隷という点では同じだった。しかし、エスメラルダはいつしかノアというヴァンパイアと通じ合った。
 パンドラは全く気付いていなかったようだが、二人の間に愛情が生まれていたらしい。
 俺は何度もエスメラルダに会いに行った。どうしてヴァンパイアを愛せるのか、エスメラルダを見て知りたかったからだ。
 今思えば、そのときにはもう――俺は、パンドラを愛しかけていたのかもな。
 何も思っていない相手のために、あれだけ頑張れるはずがねぇ。
 俺がエスメラルダに会いに行っていた理由は、忘歌を彼女に歌わせるためだ。
 あのとき、俺は自分の死期を悟っていた。
 魔法で隠してはいたが、俺の身体はボロボロだった。無理矢理に魔力を紡いでいた自分が死の手前にいることくらい解っていたさ。
 俺が先に死んだらパンドラは酷く悲しむだろう。
 なんせ、そのときには匣を作るなんていう魔法を覚えていやがった。俺と同じで、魔力を使えば使うほどにパンドラも壊れていくという、馬鹿げたおまけ付きの芸当。
 しかもそれは、俺が以前に零した『青空が見たい』という話を叶えたい思いから出来上がった魔法だ。
 自分を壊しながら、誰かの、それも俺なんかの願いを叶えるだと?
 そんなこと、させてたまるかよ。
 だから俺はエスメラルダに願った。黒の忘歌によってパンドラに俺を忘れさせてから逝くつもりだった。
 だが、俺の目論見は最悪な状況を招いちまった。
 パンドラは俺を忘れた。だが、心に残ったものが激しい怒りとなってエスメラルダへの殺意となった。生まれていた人魚の子供を俺との子だと勘違いして――。

 違うんだ、パンドラ。
 エスメラルダの子には魔法を掛けたんだ。黒を至上とする黒耀の都市に祀り上げあげられないように、俺が白の魔法を授けた。
 お前は知らないかもしれないが、あの子はノアとエスメラルダの子なんだ。
 なぁ、パンドラ。
 其処にいるのはお前の家族だ。唯一の、たったひとりの家族。
 …………聞いてくれよ、パンドラ。
 ああ、やっぱり俺の言葉は響かない。今のこいつが俺に心を向けていないからだ。
 俺が過去に選んだ別れの方法は間違っていた。それにパンドラは俺を忘れても、死んだ白い鳥――俺の魂を鳥籠の中に閉じ込めた。
 守りたかった相手の一番傍にいるってのに、何も出来ない。声すら届かない。きっと、これは罰なんだろうな。
 だから頼んだぜ、お前達。
 悪も正義も関係ないと言ってくれて、俺の大事な女を救おうとしてくれた猟兵達。
 そして、滅んだ黒耀の都の生き残り。

 最後に残った希望の子、リル・ルリ。
 ――リルルリ・カナン・ルー。
 
朱赫七・カムイ
⛩迎櫻


戦の場であれど舞台は楽しきものがいい
歌が好きなら尚更だ
傷つけ奪うでなく歌で希望を絆ぐ

ホムラもやる気だ
同志の歌う舞台祝で彩ってみせよう
噫、歌おう
言っておくが私は上手くない
神斬も歌ったこと無かったからね

下手でもいい
心のままに想いを込めて

祝縁ノ廻

思へどもなほぞあやしき逢ふことの
なかりし昔いかでへつらむ

詩を廻らせよう
心に響く歌が
届くまで奏でられ続くよう
何度でも巡らせよう
落とした記憶があるべき心にもどるよう

大切な何かをわすれおとして
彷徨う静寂に
呑まれ孤独に喘ぐ匣の中
ひとは誰しもが誰かの悪
悪はそなただけではない
己を犠牲に他の倖を願うそなたを
私は正義と讃えよう
例え世界の悪でもその想いは尊く

倖は籠の中の
そなたの加護のなかでみているよ
ユリウス、白い鳥
ずっとパンドラを案じていた唯一

愛を塞がないで手を伸ばしてごらん
…伝えなければ伝わらない
見なければ見えない
ちゃんと向き合って

破滅の禍を終わらせよう
優しき心に報い廻りの果てにすくいを結ぶ
そなたが倖せであることが
罰なのだ…そう思えば少しは受け入れられるかな?


誘名・櫻宵
🌸迎櫻


パンドラの匣世界…平和で平凡な倖を望んだ少女の──精一杯の虚勢にみえるわね
平和と幸いを望んでいるのに全てが歪んで伝わるなんて…皮肉なものね

そうよ、リル
楽しみましょう
嬉しむの
歌は傷つけるためにあるのではない
この舞台を悲劇では終わらせない
大好きの黒薔薇を、捧げましょ

座長の腕の見せ所よ!
義父上だって見ててくれるわ

カムイ…私達も力を尽くすわよ
やればできるわ
唄うように謳う詩
凛とリルを支えて舞いましょう

─護華
守りの桜を咲かせましょ
心の花が散らぬよう
愛の護りをここに

ふわり黒の帳彩る桜倖を
血を糧に咲く薄紅は
悲哀糧に咲く希望

己を欺くのはおやめなさい
幸福になるのが義務ならば
あなたも幸福でなければ

幸せにお成りなさい
あいをあなたへ
あなたが皆の倖を望むよう
家族はあなたの倖を望んでいる

あなたのそばに愛はある
ずっとずっと、白耀はみていた
尊き黒耀の咲く様を
あなたの落とし物は初恋かしら
愛するユリウスは、そこに居るわよ

櫻沫の舞台は、哀しみでは終わらない
悪のまま終わるなんて冗談じゃない!
なんたってリルの家族だもの!


リル・ルリ
🐟迎櫻

黒薔薇人魚

パンドラにも歌を楽しんでほしい
彼女はユリウスの歌が好きだから

紋章は要らない
黒薔薇は咲き誇る
大好きに捧げる黒耀を正しく
櫻、カムイ…皆
どうか力を

とうさんが書いた物語を歌う
僕らで完成させる
鎖された続き

『櫻沫の匣舟』…舞台『黒薔薇の聖女』の開幕だ

愛歌いこい咲かす―開演時間だ
有頂天外の喝采を!

自分を忘れて
誰を忘れても
愛する気持ちは忘れない

過去を孵す

歌う『黒の歌』

偽を解こう
白の魔法は黒にとけ
白耀の歌はこの時の為にある

奪って傷つけて
ごめん

在るべき記憶をあるべき場所へ
忘失の思い結び
哀を愛と紲ぐ

不滅の黒耀を咲かせ
偽りの種より芽吹く真なる倖
思い出せ
野を駆けた日々
託された願いと歌を

偽るな
お前が望む真は何処だ
虚勢の何もかも砕き
今此処に示して歌う
歌を重ね
君の倖を掬う

ヨルが踊りホムラが歌う
カムイの加護が次へと絆ぎ
櫻の愛が守ってくれる

ユリウスの願いも込めて
終幕はハッピーエンドでなきゃ
匣底の希望すくい
手をとろう

黒薔薇は君に

僕の家族
悪がとか関係ない
家族が破滅なんて嫌

本当の君の歌を歌って

あいをあなたへ



●『黒薔薇の聖女』
.........................................
《壱頁》

 むかし、むかし。
 黒薔薇の咲く、人里離れた黒い森の奥深く。
 そこには美しい黒を纏う家族が住んでおりました。

 劇作家の父に、聡明な聖女である母。快活な姉に、引っ込み思案な弟。
 争うことに疲れた彼らは、故郷である黒耀の都より逃れて、人知れず深い森のなかで身を寄せあい慎ましく暮らしていました。

 人からも、同族からも身を隠してひっそりと暮らす日々。
 森の外へ出ることは出来ません。
 なぜなら、ひとに見つかってしまうからです。

 まだ幼い姉弟のため、優しい劇作家の父が人形劇をみせてくれます。
 弟は父の開いてくれる小さな劇をみるのが大好きでした。優しく穏やかな母は二人のために、美味しい美味しい黒薔薇のジャムのタルトを焼いてくれます。
 姉は、口いっぱいにタルトを頬張り幸せだと笑うのです。

 たとえ友達がいなくたって、自由に外で遊べなくたって。寄り添い、助け合い暮らす。
 あたたかな家族がいれば、それでよかったのです。

《七頁》

 黒薔薇の一家の暮らす森の近くには、人間が暮らす小さな村がありました。
 ――けして、近寄ってはいけないよ。
 姉弟に父は言い聞かせます。
 ――私達は、別れて暮らす他ないのよ。
 姉弟に母は優しく諭します。

 それでも、黒翼の姉は人の村に興味を持っていたのです。
 どうして、わかれて暮らさなければいけないのだろう?
 遊び相手がいたら、もっともっと楽しいのに。
 何も悪いことはしていないのに、どうして隠れていなければならないのだろう?

 黒薔薇の蕾が膨らんでいくように、綻ぶ好奇心。疑問と、ねがい。
 真っ暗の空を見上げて、姉はため息をつくばかり。
 そうして、月日は流れてゆきました。

 ある日。
 いつものように姉弟は森へ遊びにでかけます。
 母に、黒薔薇のタルトに使う黒スグリをつんでくるよう頼まれたのです。
 ひとつ、ふたつ、みっつ。
 黒スグリを摘み集めていると、程遠くない場所から笑い声がきこえてきました。

 どうやら、森に入り遊んでいる人間の子ども達のようです。
 姉は、嬉しそうに笑うと弟を誘います。

『あの子たちと一緒に遊びましょう!』、と――。

《九頁》

 黒い森の奥深くには、ふたつの亡骸が転がっていました。
 ――吸血鬼を殺せ。逃がすな!
 あの恐ろしい声が姉弟の頭の中にまだ響いています。
 動かなくなった父と母は、二人を見つからない場所に隠してくれました。しかし、そのかわりに両親は人間に討たれてしまいました。
 ――吸血鬼は悪だ。殺せ!
 子ども達も危うく攫われるところだった、と人間達は言っていました。
 彼らが去った後、家に戻った姉はひどく後悔しました。

 あたしが、あの子たちと一緒に遊ぼうと言ったから。
 家族以外を、求めてしまったからいけないの。
 弟は何も言わず、両親の亡骸を見下ろしていました。

《十頁》

 姉弟は更に深い森の奥で、二人きりでひっそりと助け合ってくらしていました。
 しかし、姉はあれから一度も笑うことはありませんでした。

 やがて、姉弟のもとにヴァンパイアの使者が現れます。
 使者曰く、二人は黒耀の都の統治者の血を引くものだということでした。
 母は次の『黒薔薇の聖女』だった。彼女が亡き今、その子どもである姉こそが領主としての聖女になるべきものだと言われたのです。
 父と母を殺した人間の村は既に滅ぼし、仇は討たれたそうです。むしろ人間達が両親をみつけたから、同族も子ども達を見つけたようです。
 ――今こそ、新たな黒薔薇の聖女が必要だ。
 手を伸ばした使者からは濃い血の匂いがしました。村人が皆殺しにされたことは本当のようです。弟が戸惑っていると、姉はそっと使者の手を取りました。

 わかったわ。あたしは今から、黒薔薇の聖女よ。

 少女は久しぶりに微笑みました。すべてを諦めたような、哀しい笑みです。
 やっぱりヴァンパイアは悪なのね。
 それならば求められる通りに演じましょう。ヴァンパイアとして、黒薔薇の聖女として、悪逆の限りを尽くしてやりましょう。

 そして――少女は、『黒薔薇の聖女』となりました。

.........................................

●白から黒へ
 匣に授けられた白い羽と黒い羽根。
 それによってパンドラは失っていた過去の記憶を取り戻した。
 愛した天使のこと。己が抱いていた諦めと憧れ、激情と失望。思い出した今、湧き上がった憤りは、黒耀の都を滅びに導いた人魚に向けられていた。
 しかし、パンドラはまだ知らない。
 真実を。
 本当のことを。
 そして、黒耀の都市でどれほど愛が巡っていたかを。

「他の子達は許してあげる。けれど、あんただけは絶対に許さない」
 ――リル・ルリ。
 黒耀の舞台に立つパンドラ・カナン・ルーはリルを睨みつけていた。目の前に弟の仇であり、恋敵と思っていた人魚の息子がいる。
 そのことがパンドラの心を曇らせ、憤りを満ちさせているようだ。
 幸いにも此処は彼女が作り出した世界。
 歌で奪われたならば、歌で奪い返す。そういった気概がパンドラにあるらしく、舞台に訪れたカムイと櫻宵、リルには敵意が向けられていた。
「パンドラ、君にも歌を楽しんでほしい」
 彼女はずっと、ユリウスの歌が好きだったから。そのことを知ったリルは真っ直ぐな眼差しを向け、舞台上のパンドラを見つめた。
 パンドラはリルにとって最後に残った家族だ。
 血の繋がりがあることを彼女はまだ知らない。ノアに寵愛された歌姫であり、黒耀の都を滅ぼした憎き人魚だと思っているようだ。
 それも間違いではないが、それだけではないのだと伝えたかった。
 されど、今のパンドラは聞く耳を持たないだろう。
 それならば彼女が望む通りに歌で伝えれば良い。カムイと櫻宵は頷きを重ね、リルの言葉に同意を示す。
「そうよ、リル。楽しみましょう」
 戦の場であれど、ひとたび舞台に立ったならば楽しきものがいい。パンドラが歌が好きだというなら尚更だ。
「傷つけ、奪うのではなく歌で希望を絆ぐよ」
「ええ。それにしても、紋章の力で創ったパンドラの匣世界……平和で平凡な倖を望んだ少女の――精一杯の虚勢にみえるわね」
 櫻宵は周囲を見渡し、ちいさく呟いた。
 平和と幸いを望んでいるのに全てが歪んで伝わる。皮肉なものだと櫻宵が口にすると、カムイも僅かに目を伏せた。
 すると其処へ、ちゅちゅん、というホムラの鳴き声が響く。ヨルもきゅきゅっと声をあげ、気合を示した。
「ホムラもヨルもやる気だね。同志の歌う舞台祝で彩ってみせよう」
「嬉しむの。歌は傷つけるためにあるのではないから。たとえ猟兵とオブリビオンの間柄だとしても、この舞台を悲劇では終わらせないわ」
 大好きの黒薔薇を捧げましょう。
 そういって舞台に踏み出した櫻宵に続き、カムイも心を決める。
「カムイ、私達も力を尽くすわよ」
「噫、歌おう」
「やればできるわ」
 唄うように謳う詩で、凛とリルを支えて舞う。櫻宵が覚悟している反面、カムイは歌が上手くはない。神斬も歌ったこと無かったうえ、これまでは聴くだけだった。
 しかし、下手でもいいことは理解している。
 歌は心。
 心のままに想いを込めて紡ぐことが大切だ。
 パンドラは己の理想の世界を創り上げ、そのことを忘れてしまっている。
「リル、座長の腕の見せ所よ! 義父上だって見ていてくれるわ」
「……うん」
 櫻宵がノアのことを語ったことで、リルはそっと頷いた。きっとパンドラはリルがノアの意志を受け継いだことすら知らない。
 彼女の時間はあの日、カナン・ルーが水底に沈んだときから止まっている。
 黒薔薇の紋章を作り上げたのは、黒耀の都を再び創りたいと思ったからだろうか。
「紋章は要らないよ」
「なあに? あんたはあたしのやり方を否定しに来たのかしら。大きなお世話よ!」
 パンドラはリルを睨み続け、せっかく紋章の力を得たのに、と語った。対するリルは首を横に振り、そうではないと示す。
「紋章なんてなくても、黒薔薇は咲き誇るんだ」
 大好きに捧げる黒耀。
 その色を正しきものに戻すために。
「櫻、カムイ……ヨルにホムラ。ユリウス。皆も……」

 ――どうか、力を。

 祈ったリルが両手を胸の前に重ねた瞬間、白い羽根が広がるようにして魔力の奔流が生まれ、すぐに弾けた。次の瞬間、舞台上には黒薔薇の人魚が現れていた。
 はっとしたパンドラは黒い人魚となったリルを見つめる。
「それって、ユリウスの魔法……」
「ユリウスが僕に掛けてくれた魔法を解いたんだ」
「じゃあ、その姿――」
「そうだよ。これが僕の本当の姿だ」
 エスメラルダにそっくりな黒鱗としなやかな尾鰭。
 翼の色を思わせる紅き珊瑚の角。ノアに似た黒い髪は咲き誇る黒薔薇めいた色を宿している。そして、パンドラとも似ている琥珀色の瞳。
 リルの傍には二羽の黒い蝶々がついていた。その手にはノアが愛用していた手帳が大切そうに握られている。
「あんた、もしかして……」
 ユリウスの子じゃ、ない。パンドラは言葉を飲み込んだようだ。だが、リルがどんな姿であろうともカナン・ルーを滅ぼしたことは間違いない。
 憎悪を思い出したパンドラは唇を噛み締めてから舞台に踏み出す。そして、リルを排除するための詩を紡ぎはじめた。
「嫌い。嫌いよ。大嫌い! あんたなんか、産まれなければよかったの!
 みんな、みんな、あたしの思い通りにならない。
 あたしが愛したものはみんな消えていく。それなのに、あんたは――!」
 パンドラが歌う詩は激情そのものだ。
 美しくないとは自分でも分かっているのだろうが、今のパンドラは自分を制御できていない。その詩に乗せられた憎悪は力となり、リルの前に衝撃となって迫った。
 だが、即座にカムイと櫻宵がリルを守る形で布陣する。
 産まれなければよかった、と紡がれた詩にはリルを亡き者にするほどの力が込められていた。されど、そうなることはふたりとも望んでいない。
 ――祝縁ノ廻。
「思へどもなほぞあやしき逢ふことのなかりし昔いかでへつらむ」
 カムイが廻らせるのは古の詩。
 心に響く歌が届くまで、奏でられ続くように。何度でも、幾度も巡らせよう。
 落とした記憶があるべき心にもどるよう。
 カムイは謳う。リルに向けられた殺意の歌を跳ね除けながら、更に声を響かせた。

 大切な何かをわすれおとして。
 彷徨う静寂に呑まれ、孤独に喘ぐ匣の中。
 ひとは誰しもが誰かの悪。正義と悪は表裏一体。

「悪はそなただけではないよ」
「そんなの、知ってるわ。ヴァンパイアはみんな悪、悪。悪だもの……!」
 カムイの声と言葉を聞いたパンドラは解っていると話した。そうではない、と告げたカムイは思いの真意を伝えていく。
「己を犠牲に他の倖を願うそなたを、私は正義と讃えよう」
 たとえ、世界の悪でも。
 その想いは尊く感じられるのだ、と。
 其処へ、櫻宵が歌を重ねてゆく。
「リルは私達の大事な子よ。だから、守りの桜を咲かせましょ」
 心の花が散らぬように。
 愛の護りを此処に。櫻宵が声を響かせれば、舞台上に桜の花が舞った。パンドラはその光景を呆気に取られて見ている。
「あれって桜……? ノアが見たいって、本物を眺めたいって言ってた、花……」
 ふわりと揺らぎ、黒の帳を彩る桜倖。
 血を糧に咲く薄紅は、悲哀を糧に咲く希望の証。
 櫻宵は己の桜にパンドラが見惚れていることを確かめながら、言の葉に思いを込めた。
「己を欺くのはおやめなさい」
 幸福になるのが義務ならば、あなたも幸福でなければならない。
 自分だけを幸福から弾いていることを、パンドラは自覚していないのかもしれない。

 幸せにお成りなさい。
 あいをあなたへ。あなたが皆の倖を望むように。
 家族はあなたの倖を望んでいる。

 櫻宵が歌い上げた思いは舞台上に優しく巡り、あたたかな雰囲気を広げていく。櫻宵もまた、自分など滅びるべきだと思っていた過去がある。
 母の愛を受け、伴侶と愛しき者の想いを受け止めて今に至った。
 パンドラが自ら崩れ落ちていく様など見ていられず、止めたいと願っている。櫻宵とカムイの詩は舞台を飾る双璧の防御となった。
 リルは二人の詩に耳を澄ませ、穏やかに微笑む。
 舞台はもう整っている。パンドラからどれほどの憎悪を向けられようとも、固く結ばれた悪い因果を解くと決めた。
「……とうさん」
 以前、託された歌がある。
 リルの父であり、パンドラの弟でもあるノアが書いた物語を歌うのは、今。
 黒薔薇の聖女へ贈られるはずだった歌は未完成だった。しかし、息子へと託された歌は此処で新たに謳われていく。
「僕らで完成させるよ、鎖された続きを」
 櫻沫の匣舟。
 名を継いだ劇団の舞台は此処から始まる。
 舞台『黒薔薇の聖女』の開幕。
「愛歌い、こい咲かす――開演時間だ。有頂天外の喝采を!」
「ノア……? ノアの開幕の合図じゃない」
 凛と響かせたリルの声を受け、パンドラの唇がわなわなと震えた。鳥籠を握っている手も震えるほどに強い力が込められている。
 リルは彼女と同じ色を宿す瞳を向け、歌を紡ぎ出した。

 自分を忘れて、誰を忘れても。
 愛する気持ちは忘れない。

「過去を孵すよ、パンドラ」
 歌うは『黒の歌』。
 凛と厳かに響く、闇を諌めて希望を導くのは玻璃の歌声。
 偽を解いて、真を顕に。
 白の魔法は黒にとけて、白耀の歌はこの時の為に謳われる。パンドラが思い出したのは全てではない。足りなかった分を還すために、この歌は在る。
「奪って傷つけて、ごめん」
 謝るだけではきっと足りない。だから救う。悪に堕とされた心を、天へ。
 在るべき記憶をあるべき場所へ。
 忘失の思いを結び、哀を愛と紲ぐための歌。それこそがリルが完成させた歌だ。

 不滅の黒耀を咲かせ、偽りの種より芽吹く真なる倖。
 思い出せ。
 野を駆けた日々を。
 思い出せ。
 託された願いと歌と、望まれた未来を。

 パンドラは最初、忘歌でユリウスの名前を忘れた。
 それでも愛しい誰かがいたということだけは覚えていた。それから、名前も忘れてしまった誰かのために匣を作り続けることで、自ら己を削り始めた。
 おとして、こぼれて、その果てに――ユリウスへの気持ちを、なくした。
 そうでなければ、あんなに必死にパンドラへ語りかけているユリウスの声が聞こえない理由がつかない。
 このままパンドラを討つことは簡単だ。
 白い肯定の匣に、翡翠の否定の匣。そして、黒耀の匣。
 誰もが匣の中にある理想や憧れを認め、或いは否定することで打ち破った。今は匣自体がパンドラの命そのものだ。
 放っておけばパンドラの力は尽き、悪は倒された、という結末だけが残るだろう。しかし、誰も無慈悲にオブリビオンを斃すことは選択していない。
「ねぇ、パンドラ」
 リルはそっと彼女に呼び掛けた。
 怯んだ様子のパンドラは一歩、後ろに下がる。匣がなくなり、体力と命が削られていることが自分でも分かっているらしい。
 リルに続き、カムイと櫻宵がパンドラに声を掛けていく。
「そなたがおとしたものは、もう還っているよ」
「あなたのそばに愛はあるわ」
「落としもの? 愛? 確かに、そうよ……。あたし、あたしは……」
「ずっとずっと、白耀はみていた。尊き黒耀の咲く様……あなたを。ねぇ、あなたの落とし物は初恋かしら」
「倖は籠の中の、そなたの加護のなかでみているよ」
「愛するユリウスは、そこに居るわよ」
 ユリウス、白い鳥。
 ずっとパンドラを案じていた唯一だとカムイが語ると、パンドラは頷いた。
「しってる、しってるわ」
 俯いたパンドラは鳥籠を見下ろしていた。ユリウス、と呼んだ時に彼のことはすべて思い出していた。この白い鳥は彼の魂であり、紛れもなくパンドラが囚えたものだ。
 当時は記憶を失っていたというのに、彼女はユリウスを逃すまいとした。カムイはそのことこそが愛だと感じ取り、静かに呼び掛ける。
「愛を塞がないで手を伸ばしてごらん」
「ユリウス……」
「ちゃんと、伝えなければ伝わらないよ」
「そうよ、思っているだけじゃ駄目なの」
「見なければ見えないんだ。今こそ向き合って、そなた達の――」
 櫻宵とカムイが語りかけていく中、パンドラは顔を上げた。その瞳には悲しみが宿っており、今にも泣き出しそうだ。
 鳥籠の取手を握るパンドラは叫ぶ。
「ユリウスは死んだの! 魂だけ囚えても、あのユリウスはかえってこないの! ユリウスはもう歌ってくれない。喋ってもくれない! きっと、あたしが嫌いになったから! あたしがみっともなくて、悪にもなりきれなくて、黒薔薇の聖女らしくないから――!!」
 愛する人を忘れさせられた。
 死に際に見送ることも出来なかった。
 思い出せなくて、ぽっかりと胸に穴が空いたようで。
 いつしか、匣はユリウスに向ける想いも奪い去った。想いが消えたのではなく、パンドラが自ら諦めたからでもあるのだろう。
 そうして、パンドラは語る。
「あたしね、夢を視たの。幸せな世界の夢よ。そこにはあたしとエスメラルダがいて、とても仲良しなの。その世界では弟じゃなくて兄がいて、可愛い妹だっていたわ」
 みんな、幸せそうだった。
 苦しいことがあっても助け合っていた。そんな家族が欲しかった。
 弟は男の子だから、小さい頃に着飾らせようとすると嫌がった。だから妹や、女の子のお友達がいれば良いと願っていた。
 だけど、それはただの夢。叶うはずのないこと。
 だって――あたしは悪いヴァンパイアとして生まれたから。
 そういってパンドラは夢の話を終えた。
「わかっているわ。あたし、もうすぐ死ぬのよね。匣を作りすぎて弱って、あんた達に止めを刺されるんだわ。しっているもの」
 未だ憎悪が残る、鋭い眼差しがリル達に向けられている。
 そして、パンドラは声を振り絞って歌いはじめた。

 物語の結末はいつも同じ。
 悪役が倒されて、めでたしめでたし。そうなるべきだと定められている。
 あたしは黒薔薇の聖女。
 憎まれるべき悪。斃されるべき吸血鬼。

 物語の結末はいつも同じ。
 悪役は殺されて、めでたしめでたし。あたしだってそうなるべきなのよ。
 あたしは黒薔薇の聖女。
 さぁ悪を斃して。それが、あたしの終幕。

「ふふ、あははっ! あたしが死んだらユリウスの魂も解放される。ノアの仇を打とうとしても邪魔されるんだわ。あんた達はそれで満足でしょう?」
 もう何もかもどうでもいい。
 誰も匣の世界を望んでくれない。全てが終わりだから。
 だから斃しなさい、とパンドラは笑った。反対に鳥籠の中の白い鳥、ユリウスは哀しげな瞳をしている。
 すると、それまで黙って聞いていたリルが口をひらいた。
「偽るな」
「!? な、何よ……」
 言葉を発したのはリルだというのに、まるでノアが怒ったときのようだとパンドラは感じたらしい。リルはゆっくりと息を吸い込み、歌を奏ではじめた。

 お前が望む真は何処だ。
 虚勢の何もかも砕き、今此処に示して歌う。
 歌を重ね、君の倖を掬う。

 リルが歌を紡ぐ中でヨルが踊り、ホムラが歌っていく。カムイの加護が次へと絆ぎ、櫻宵が示す愛が皆を守り続ける。
 黒薔薇の聖女としてのパンドラの力は失われていっていた。
「ユリウス、今だよ」
 双眸を細め、鳥籠に目を向けたリルは真っ直ぐに呼び掛けた。ユリウスの願いも込めて、終幕はハッピーエンドでなければいけない。
 今こそ、匣底の希望すくって手をとるべきだから。

 思い出せ、尊き黒耀を。
 水葬忘歌。泡沫の調。硝子の記憶を爪弾いて、綴る聖女の誉歌。
 在るべき場所へ、在るべき姿へ。今、こころが花開く。

 リルが歌った黒の歌が、パンドラの匣の中で力を得た。
 そして――。

●物語の続き
 こころと共にひらいたのは鳥籠の鍵。
 在るべき姿へ、と願ったことで白い鳥だったものが天使の姿に戻っていく。同時にパンドラが忘れていたユリウスへの気持ちが蘇っていた。
「ユリ、ウス……?」
「パンドラ」
 力なく膝をつき座り込んだパンドラへ、人の姿になったユリウスが手を伸ばした。目立った外傷はなくとも彼女は限界を越えた力を使ってしまっている。それゆえに彼女の命が長くないことは誰の目にも明らかだった。
 ユリウスは倒れ込みそうになったパンドラの背を支え、屈み込む。
「悪かった、パンドラ」
 謝罪の言葉と一緒にユリウスはパンドラを抱き締めた。彼の翼にあったはずの風切り羽は切り落とされており、喉にも抉られた跡が見える。魔法で偽っていない、ありのままの彼が其処にいる。今しがた紡いだ声も魔法で響かせているものなのだろう。
「……ひどい。酷いわ、ユリウス」
「ああ。全部、俺が間違ってた」
「駄目じゃない、あんたはあたしの下僕でしょ。あんただけは忠実でいてくれなきゃ、あんたが……ユリウスだけは、あたしの味方で、いてほしくて……」
「変わらねぇな、お前は」
 パンドラの瞳からは大粒の涙が零れ落ちている。
 ユリウス、ユリウス、と何度も彼の名を呼んで泣きじゃくる彼女はただの少女のように見えた。少しだけ時間をくれ、と視線で告げたユリウスに対して、リル達は頷く。
「本当の俺はこんなに汚いんだ」
 騙していて悪い、とユリウスは謝り、汚れた翼や喉の傷を見せた。
 するとパンドラは涙を拭い、きょとんとする。
「それがどうしたの? ユリウスはユリウスでしょ?」
「……!」
 パンドラからの返答を予測していなかったのか、ユリウスは驚いた。参ったな、と呟いた彼は乱れたパンドラの髪を指先で梳いてやる。
 心地よさそうに口元を緩めたパンドラは、弱々しい声で語った。
「綺麗だとか、汚いかなんてどうだっていいわ。だってあたし、こんなにも嬉しいんだもの。最期にあんたに会えただけで、その声を聞けただけで……もう、いいの」
 パンドラの身体は見た目以上に疲弊している。
 リル達の歌声が力となり、ユリウスを生前の姿で顕現させたことは死にゆく者への慈悲だと思っているのだろう。ふふ、と笑ったパンドラはユリウスに身体を預ける。
「パンドラ、お前ってやつは――」
「黒薔薇の聖女の、物語の最後のページみたいに……あたしは無惨に死ぬだけなの」
 だから、さよなら。
 パンドラは瞼を閉じようとした。だが、ユリウスは額を指で弾いた。デコピンだ。その後に彼女の鼻を摘んだユリウスは溜息をつく。
「痛っ! 痛いわよ! 何するのよ!」
 思わず目をあけたパンドラに向け、リルがそっと游いでいく。ユリウスは力なく笑い、リルと一緒に伝えたい事があるのだと話した。
「まったく……何度もねだられて『黒薔薇の聖女』の物語を読んでやったが……」
「パンドラ。君は最後の頁だけ、知らないんだね」
 黒薔薇の聖女の物語。
 それはノアが姉のパンドラのために書いたものでもある。パンドラは最後のページだけは怖くて読むのを止めていた。
「だって、絶対にあたしが倒されて終わりでしょう? 悪だもの。悪の限りを尽くしたから、パパとママみたいに人間に殺されて――」
「読んでないから勝手に想像してるんだろ」
「ち、違うもの。ちらっと見たら黒薔薇の聖女は倒されたって……!」
「ちょっとだけ読んでるんじゃねぇか」
「だって、だって……」
 子供のように慌てるパンドラに対し、ユリウスは呆れたように笑う。その表情はとても穏やかに見えた。
「俺がちゃんと読んでやるよ、最後まで」
「僕の父さんが、パンドラ……パンドラ姉さんのために書いた物語だよ」
 聴いて。
 リルは黒の歌を唄い、ユリウスが声を紡ぐ。
 その物語の結末は――。

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『黒薔薇の聖女』《最後の頁》

 黒耀の都のため、黒薔薇の聖女は力を尽くしました。
 けれども聖女は新しい光をみつけていました。吸血鬼らしく在ることよりも、大切な者のために、青い空を探したいと願ったのです。

 弟はそれを認め、姉が聖女の座から解放されて欲しいと望みます。
 白と黒の翼が交わったとき、どうなるかを知りたかったのです。

 やがて、悪逆の限りを尽くした聖女を斃すために人々が立ち上がりました。
 館は攻め入られ、たくさんの血が流れます。
 誰だか分からなくなった程に壊された亡骸が、黒薔薇の聖女だと誰かが言いました。
 こうして、黒薔薇の聖女は倒されたのです。

 そして――黒耀の都市を背にして、ひとりの少女が歩いていきます。
 少女は自由でした。
 ここから、どんな場所にだって歩いていけるのだから。

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●水葬から災匣へ
「……この、終わりって」
「ノアが書いたんだぜ。領主なんてやめて、俺と一緒に旅に出ろってさ」
「父さんも不器用だったからね。こうやって伝えようとしてたんだよ、きっと」
 驚くパンドラに向け、ユリウスとリルは語る。
 この物語を書き終えたとき、ノアはエスメラルダに愛情を抱いていた。もとから姉が領主になど向いていないことを知っていたノアは、敢えて人間達に領主の館へ攻め入らせ、黒薔薇の聖女を消してしまおうと考えたようだ。
 無論、姉を殺すという意味ではない。
 わざと誰だかわからない亡骸を用意して、黒薔薇の聖女が死んだと誤認させる。あとはパンドラとユリウスを逃し、ノアが新たな領主として住民を制圧する――という筋書きを思い描いていたらしい。
 そして、それをパンドラに伝える為の方法が物語だったようだ。
「ノアの目論見が叶う前に、俺が死んじまったけどな」
 ユリウスは僅かに俯いた。
 ノアにパンドラを託されていたようなものだが、運命がそれを許さなかった。
「……それでも、綺麗な物語だよ」
 まるで舞台劇の終幕のようだとリルは話す。
 作りかけだった黒の歌もまた、ノアが姉への思いを描いているものだった。リルはそれを知り、ずっとパンドラに伝えたいと願っていた。
 黒薔薇の聖女を諫める歌は、このためのものだった。
「そう、だったの……。ノア――」
 ユリウスに抱かれたままのパンドラは弟の名を呼び、リルを見つめる。途中で気が付いていた通り、今はリルこそが唯一残ったパンドラの家族だ。
 彼女にとって、家族は大切な意味を持つもの。
「リル……あんたは、あたしを斃しに来たんじゃないの?」
「違うよ」
「あたし、リルを憎まなくていいの? 憎んじゃいけなかった、の?」
「僕の仇はパンドラ姉さんで、パンドラ姉さんの仇も僕になるね。でもね、それ以前に僕達は家族だから――」
 斃すのは『黒薔薇の聖女』だけ。
 パンドラ・カナン・ルーとしての魂は解放したい。愛する人の魂と、一緒に。
 それがリルの願いであり、望んだ結末だ。
 リルの眼差しを受けたパンドラの瞳から、再び涙が零れ落ちる。
「でも……でも、あたし……地獄行きだわ」
「そんなの解ってただろ」
「知ってた、けれど……あたし、罪を償えるかしら」
 ユリウスが指先で涙を拭ってやった。それでもパンドラは泣き続ける。地獄に行くことが怖いのではなく、許されて逝くことで贖罪が出来ないと感じたからだ。
 其処へ、事態を見守っていたカムイと櫻宵が訪れる。
「破滅の禍を終わらせよう」
 優しき心に報い廻りの果てにすくいを結ぶ。それカムイ達の目的だった。櫻宵もそのように語り、パンドラに微笑みかけた。
「櫻沫の舞台は、哀しみでは終わらないのよ」
「そなたが倖せであることが罰なのだ。そう思えば少しは受け入れられるかな?」
「悪のまま終わるなんて冗談じゃない! なんたってリルの家族だもの!」
「そうだよ、パンドラ姉さんは僕の家族だ」
 悪が、正義が、なんてことは関係ない。家族が破滅するなんて結末は嫌だから、リルも櫻宵も、カムイも力を尽くした。
 そして、ユリウスの言葉を聞いた猟兵達も。
「リル……。それに、あんた達も、みんな……あたしの、最期のために……」
 オブリビオンとしての黒薔薇の聖女の存在は滅される。しかし、猟兵達の想いを受けた結末は救いに繋がっていく。
 匣を否定して、肯定することで乗り越えた者達。
 黒の匣の舞台に立ち、歌で思いを伝えた者達。
 白い羽や黒い翼、黒薔薇の欠片を匣に残して、記憶を蘇らせた者。
 誰が欠けても、この美しい結末を導くことはできなかった。ひとつずつがパンドラの狂気を浄化していき、ユリウスを思い出させるまでに至った。もちろん、悪逆を尽くしたことへの思いもパンドラ達はしかと受け止めている。
「ありがとな、皆」
 ユリウスはパンドラの分も込めて、猟兵達に礼を告げた。
 徐々にパンドラとユリウスの身体が薄れている。おそらく彼女は肉体としての死を迎えているのだろう。
 歌で真の姿に戻ったユリウスも、匣の魔力が消えれば魂に戻る。
「ユリウス……」
「心配するな、地獄にだってついていってやる」
「でも、あたしなんかに――」
「あのな、俺がなんとも想ってないやつについていくお人好しに見えるか?」
 パンドラを抱きかかえたユリウスは不敵に笑ってみせた。お互いに好きだとも愛しているとも言わない二人だが、それで思いは通じ合った。
「そうね、あんたはそういうやつだもの。だけど、それでも十分にお人好しよ」
「なに、地獄にだって空くらいあるだろ。一緒に探そうぜ」
 額をこつりと合わせ、パンドラはユリウスと笑いあう。そんな二人に游ぎ寄っていったリルはヨルが持ってくれていた薔薇を受け取り、彼女達に差し出す。
「パンドラ、ユリウス。この黒薔薇は、君達に――」
 黒耀の都では、この花は大好きな相手に贈るもの。黒薔薇の聖女だった少女と、従者であったユリウスには意味が解るはずだ。
「有り難く受け取っておくぜ」
「リル……あんた、良い甥っ子ね」
「ふふ。父さんの息子だからね、当然だよ!」
 胸を張ったリルはパンドラの胸元に黒薔薇を捧げた。黒耀の都市とグランギニョールの舞台となっていた周囲の景色もゆっくりと消えていく。
 リルにとっての最後の家族が逝くことで、匣の世界は完全に消失する。
「ねぇ、パンドラ」
「何かしら、リル」
「さいごに本当の君の歌を歌って」
「いいわよ、ふふん」
 リルから願われたパンドラは、ユリウスの腕の中で胸を張った。それは先程のリルとよく似た姿であり、血の繋がりを感じさせるものだった。
 そして、パンドラは歌う。

 さんさん、お日様わらってる。
 るんるん、黒薔薇にっこにこ。翼をはたり、はためかせ。
 さあさあ、遊びにいっちゃおー。
 あなたが目指した、青い空へ。いっしょに。どこまでも、いっしょに。

 その歌は創られたものではなかった。
 調子外れで下手っぴな歌声はパンドラ本来のもの。そうして、その声が少しずつ小さくなっていったとき、ユリウス達の声が響いた。
「やっぱり下手だな」
「何よユリウス、へたっぴでもいいじゃない」
「駄目だとは言ってないだろ。その下手さこそ俺が好きなパンドラの――……」
 声は最後まで紡がれなかった。
 パンドラとユリウスは同時に消滅していき、その姿はもう何処にもなかったからだ。ただ、想いと魂は受け継がれていくのかもしれない。
 新たな希望となった者の元へ、きっと。
 気付けば猟兵達は黒耀の城の中に戻っていた。
 紋章の祭壇は壊され、オブリビオンとしての黒薔薇の聖女は倒された。これでこの場の危機は去り、全てが終わった。
 リルは涙を堪え、傍に付いていてくれた櫻宵にそっと身を預ける。
「櫻、カムイ……。僕、やったよ。大事な家族をしっかり見送れたかな」
「よく頑張ったね、リル」
「ええ、大丈夫。私達がちゃんと見守っていたわ」
 パンドラが消え去る前にその手から落ちたちいさな匣を抱き、リルは顔をあげる。その傍では二羽の蝶が魂を見送るように羽撃いていた。
 静かな黒の城に贈るのは、葬送の歌。

 ――あいをあなたへ。
 災匣《パンドラ》の底には、最初から希望が宿っていたのだから――。


●『黒薔薇の聖女』《終幕》

 少女のとなりには白い天使がついていました。
 悪の聖女から、ただの少女になった娘は天使と一緒に旅立っていきます。

 憧れを抱いた遥かな空へ、辿り着くために。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​



最終結果:成功

完成日:2022年04月22日
宿敵 『『黒薔薇の聖女』パンドラ』 を撃破!


挿絵イラスト