20
はないちもんめでさようなら

#サクラミラージュ #受付:9/7(火)8:31〜 #〆切:~9/10(金)22:00ごろ



 気に入りの紅よりもなお赤く、唇は濡れる。
 流行りの頬紅はとっくに崩れた。汗が伝うたびに、露わになった娘の顔を月光が灼く。絶叫の形をしたまま時間を止めた喉を貫きながら、ただ一人の歌声が暗い洋館を照らした。
「まけーて、くやしい、はないちもんめ」
 袴が濡れる。数えるのをやめるほどの紅を浴びる娘は、そのたびに血色を取り戻すようだった。
「勝ーってうれしい」
 血塗れの爪を愛しげになぞり――。
 愛しい誰かに告げるが如く、血の海を踏む娘の軽い足取りは、階段の奥に消えた。
「はないちもんめ」


 ――そういう情報があったため、全ての来賓は洋館に近付かぬようにとお触れを出された。めでたしめでたし。
「というわけには行かないのだよなァ」
 いかにも難しげな顔をして、ニルズヘッグ・ニヴルヘイム(伐竜・f01811)は指で顎をなぞった。
 近隣一帯の住人を招いての盛大なパーティー――という名目で、人々を集め惨殺しようとした存在が察知された。
 影朧が絡む事件である。それも既に幾人もの他者を害しているとくれば、放置しておくわけにもいくまい。此度の大規模殺戮がたまたま予知に触れたことで、それ以上の被害を防げる機を得たのなら、逃す道理はない――といったところだ。
 そこで、猟兵たちが替え玉になる。あちらの罠にかかったそぶりで死んだふりをして、反撃の機を窺う作戦だ。
「とはいえ、この洋館自体が曰く付きというか、この家に住んでいる奴らが曰く付きというか」
 その邸宅は、地元の名士の住処だった。
 先代は長く生きた。親族から死を願われるほどの長寿を全うし、形式上はしめやかに葬儀が行われた後に、生前より水面下で勃発していた遺産争いはいよいよもって表面化した。
 長男一家の住まう邸宅には、連日のように親族が訪れた。一同が会した場では夜な夜な怒声が飛び交ったという。ときに去り際にまで続いたらしい罵声の応酬と、朝方になって逃げるように洋館を後にする親族たちの姿は、近所に住むならば誰でも見聞きしたことがあったと口を揃えるほどだ。
 その決着は、先代の死から数ヶ月後に、あっさりとついた。
 長男一家を毒物で謀殺したのである。
 会合の食事に毒を混ぜ込み、長男とその妻はあっという間に息を失った。
「ここからが問題だ。件の夫婦には双子の娘がいた」
 彼女らは生まれつき不均衡だったという。姉は心身ともにひどく薄弱だった。歩くことすら儘ならず、いつまでも子供のようで、いつもベッドの上で虚空に微笑みかけているような娘だと人々は語る。
 かたや妹は頑健で、溌剌としていた。外向的で体を動かすことを好み、外に行っては姉に土産を買っていたらしい。虚弱な姉を任されていることに対する不平や不満は一つもない様子で、寧ろ率先して姉の面倒を見ていた。
 二人も当然、毒殺の対象となった。しかし姉は妹からしか食事を受け取らない。そこで親族たちは、妹を労るようなそぶりで部屋の前に食事を置いた。偶然にも彼女らはそれを食べる前に事態に気付き、無事に生き残ることが出来た――。
「――まァ、そんなわけはないのだがな」
 影朧は二人いる。
 自らの姉に図らずも毒を食べさせて殺し、また己も毒を食して死んだ妹と、妹にそれと知らず毒を食わされ死んだ姉だ。
「とはいえ今回は渡せる情報が少ない。館に行く道すがら、聞き込みでも行ってくれ。勿論、館について暫くは、快く迎えてくれるはずだ。恐らくは食事に毒が盛られるはずだから、うっかり先に食ったりしないようにな」
 屋敷の中を調べるのも良い。だがくれぐれも不審な動きを察知されないように努めて欲しいと、竜は尾を揺らす。
「――転生をさせるにしろ、そうでないにしろ、それ相応の情報は必要であろう」
 含みのある言い方に、ただの勘だが――などと付け足してから、彼は一つ息を吐く。
 指折り渡した話題を数えて、ふと思い出したように、猟兵たちへ顔を戻した。
「毒殺の件は――件の双子が死んでいること以外は――近隣の連中なら誰でも知っている噂だ。だが表向きは揉み消されての事故死ということになっているから、あまりおおっぴらに尋ねても答えてはくれないかも分からんな」
 ではくれぐれもよろしく頼む、と快活に笑う。その掌で、グリモアが禍々しい光を放った。


しばざめ
 しばざめです。
 ミステリーを読むのが好きです。

 今回は(今回も)心情をたっぷり教えて頂ければ幸いです。
 今回のシナリオは、必ずしもハッピーエンドだと感じられる結末にはならない可能性があります。ご承知おきください。
 また、このシナリオはさもえどMSの『かごめかごめでまたあした』との合わせシナリオとなっております。どちらにも参加して頂いても大丈夫です。

 一章では、影朧について思い思いの方法で探って頂ければと存じます。ここで得た情報は、猟兵たちに共有されます(断章でお知らせします。書かれている情報は知っている前提で行動して頂いて大丈夫です)。
 ここでの情報収集の度合いによって、説得や戦闘の難易度などが変化する可能性があります。

 二章以降の詳細は、随時追加する断章にてお知らせします。プレイングの受付についても同様です。
 今回のシナリオより、無理のない範囲での採用・執筆とさせて頂ければと存じます。採用の確約は出来ませんことをご了承ください。
 それでは、お目に留まりましたら、どうぞよろしくお願い致します。
188




第1章 日常 『真実の探求:影朧の軌跡』

POW   :    影朧を知る人を探しに行く。

SPD   :    新聞や書籍に影朧の情報が無いか調べる。

WIZ   :    影朧が執着するものについて調べる。

👑11
🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​


 降り立った先は、それなりに栄えた田舎である。
 古びた舗装は罅割れて、ところどころ草が侵食していた。路肩の小さな草むらは絶えず揺れている。野生の動物か、或いは虫か何かであることは容易に想像が付くことだおる。歩くには不便で、車の類いを使うには狭い路面は、虫や動物とて好んではいないものだ。
 一面の田園の中に、ぽつりぽつりと整備された施設が見えた。広大な土地を駐車場として利用しているらしいショッピングモールは、外からの人間を招くには足りないが、地元の人間を満足させるには充分な大きさらしい。
 盛夏の頃とあって人の姿もまばらだが、日陰には幾人かの中年女性が立っていた。何やら話し込んでいた彼女らは、猟兵たちの姿を見留めるなり、一斉に口を噤む。
 僅かばかり――。
 というには少し長い間を作る間、彼女たちは何がしかの感情を抑えつけたような目で、突然現れた見慣れない顔を見詰めた。
「あら、どうも」
 不意にとってつけたような笑顔を刷いて、彼女たちはぱらぱらと頭を下げるだろう。超弩級の――お気をつけて――などと各々が親切そうな他人行儀の声を上げている。
 その場から去ろうとすれば、後方から再び声が聞こえてくる。先までの夢中のお喋りとは違う、何か恐ろしいものを語るような――或いは、何かひどく面白いものを見たような口調は耳に届くだろう。だが、その内容が上手く聞き取れるほどの大きさではない。
 超弩級戦力とはいえ、見慣れぬ顔が全て括られる『余所者』扱いからは抜け出せないものと、大抵の者は悟ったかもしれない。
 密やかな話し声に、そっと割り込んで話を聞くのも良いだろう。「北区の宇都宮さん」――事件の舞台となった屋敷の中を探るのも方策の一つだ。
 話し相手と話題に飢えた人々は、すれ違うたびに猟兵たちを見詰めてくる。町の全ての目で以て、超弩級を監視するように。
 ――古びて傾いたバス停が、明日の朝までこの町から出る方法がないことを、声のないまま語っていた。


「お姉ちゃん、あのね、新しい人が来るみたい」
 人懐こく話しかければ、誰もが話をしてくれた。
 どうせ、誰も彼も話したくてたまらない。最初のうちこそ子供に聞かせるものじゃないと笑っても、少し甘えて食い下がれば簡単に口を割ってくれる。事件が凄惨であればあるほど、人々はそれを話題に上げたくて仕方がなくなる。
 無知で、純真で、真面目で、人懐こい。
 そういうものを情報で汚すことに人々は歓喜を覚える。
 ずっとそういう顔をしてきたから、そのくらいのことは分かっている。そうして得てきたものを、ずっと姉に語っている。
 世界と隔絶された姉は、他者と繋がるための窓口を、妹以外に持たなかった。だから自分が集めうる全てを彼女に提供している。今回も、いつもと同じだ。
 姉は、いつもと少し違う顔をした。
 その横顔が何を思っているのかは分からない。不公平ね――呟いた声が何を思ってのことなのかも、知らない。
 知らなくて良い。
 姉は姉である。いつも己の及びも付かぬことを考えているから、己如きが理解して良いものではない。
 だから――。
 己がすべきはただ、彼女の手であり、足であり続けることだけだ。
「全部、平等にするんだよ」
 ベッドから足を下ろした姉へ、丁寧に畳まれた着替えを差し向けて、妹はひどく嬉しそうに笑った。
ルーシー・ブルーベル
【苺夜】○

一族が大きくなると何処も面倒事があるものね
遺産だの当主の座だの
……そうね
その人は何が幸せか解らなくなっているのでしょう、ね

洋館の中を調べましょうか
先ずは何処から入るかね
【小さなお友だち】
ネズミさんお館をぐるりと見て
鍵の壊れた窓か勝手口か
忍び込めそうな所はある?


まあ!ロイさんは最強なのね
ごきげんよ……あっ
待ってその子はご飯じゃないわ!?

中では抜き足差し足
ふふ、苺
こわくない?手、つなぐ?

ルーシーはご姉妹のパパかママのお部屋かキッチンが気になるの
ご両親ならご姉妹の事について
キッチンなら毒について何か解るかも

ではご両親の部屋へ
ロイさん、ネズミさん
先を確認しながら誘導して下さる?
行きましょう


歌獣・苺
【苺夜】〇

どうして人って幸せを独り占めしたがるのかな
分け合った方がきっと幸せなのに

うん、いこっか!
あ!この前のネズミさんだ…!
ふふ、今回もよろしくね!
それじゃあ私は
【呂色の輪舞曲】
大きな姿のロイねぇを呼び出せば
怖いもの無し!
なんたってオネエは最強らしい…!

『またアンタは…って、あら。苺がアタシに食事を用意するなんて珍しいわね。』

言って大口開ける先は
ネズミのぬいぐるみ

へ?わー!その子は食べちゃダメー!あとでにぼしあげるから!!

中に入ればそろりと歩いて
お化けが出ないか不安でいると
手繋ぎのお誘い
ぎゅっと握れば怖いものなんてなくなって。

んー、それじゃあ
ご両親のお部屋に行こうよ!
『姉妹』の手掛りを求めて




 見上げる広大な屋敷は、余所者を拒む古城のようにも見えた。
「一族が大きくなると、何処も面倒事があるものね」
 やけに冷たく感じる扉に触れて、独りごちるルーシー・ブルーベル(ミオソティス・f11656)の声は、あどけない外見に不釣り合いな重みを孕んでいた。
 血脈が栄えるほど、人はそれに縋ろうとするものらしい。仮初の栄華にしがみ付き、その頂点を極めようと血すら流す。遺産も、当主の座も、それそのものが価値を持っているわけではないのに――。
「どうして人って幸せを独り占めしたがるのかな」
 瞬いた歌獣・苺(苺一会・f16654)は、心底から不思議そうに声を上げた。
 幸いは、一人で抱えていれば死んでいくものでもある。誰かが傍にいて、互いに息を吹き込んで、初めて生きていける繊細なものだ。奪い合えば容易に悲しみを呼ぶことも、彼女はよく知っている。
「分け合った方がきっと幸せなのに」
「……そうね」
 青い隻眼がふと伏せられた。己の中にあるものを見詰めるような、或いは何かを映すような――揺れる彩りで、小さく声を零す。
「その人は何が幸せか解らなくなっているのでしょう、ね」
 少しの沈黙が落ちる。
 二人の視線は、自然と洋館を見上げていた。正面から入ることも可能だろうが、それでは顔を覚えられてしまうだろう。行動はしにくくなるとみて、彼女たちはふたり、別の侵入経路を探すこととした。
 しゃがみ込んだルーシーに釣られて、苺もまた腰を低く落とす。何かを掬うように、弧線を描いたちいさな掌が、青い燐光を僅かに孕んだ。
「あ! この前のネズミさんだ……!」
 ――ルーシーの手の中には、ごくちいさな鼠の縫いぐるみがあった。
 苺を見るなり、ちゅう――と鳴いたのは挨拶らしい。応じるように笑んだ苺の唇が、楽しげに声を紡ぐ。
「ふふ、今回もよろしくね!」
 ひときわ大きく鳴いたそれは、次に主の顔を見上げた。
「ネズミさん。お館をぐるりと見て」
 これほど古い屋敷だ、どこかしらにガタが来ているなんていうのはよくある話だろう。ことに最近は遺産相続の話で揉めたり、人死にが出たりと、屋敷の住人自体が落ち着いていない。
 ならば――どこか一箇所くらいは、ふたりが入り込めるような場所もあるはずだ。
「忍び込めそうな所はある?」
 ぴょこんと掌から飛び降りた縫いぐるみをにこにこ見詰めながら、はたと苺もやるべきことを思い出す。
「それじゃあ私は――」
 一つ旋律を口ずさめば、不意に現れるのは巨大な影。
 木々の映す影を割り、呂色のしなやかな獣が音もなく地を踏んだ。喋る猫である。
 美しい毛並みの猫の眼差しを見上げ、二人はすっかり眸を輝かせた。彼――否、彼女と言うべきか――がいれば、怖いものはないのだ。
「なんたってオネエは最強らしい……!」
「まあ! ロイさんは最強なのね」
 伝聞である。
 調子よく見上げてくる主と視線を合わせるなり、美貌の呂猫はふすりと鼻を鳴らした。木漏れ日を浴びて艶やかに煌めく毛並みは、今日も拘りの手入れで美しい。
『またアンタは……って、あら』
 ――小言を言おうとしたらしい視線が、地に落ちた。
 きゅうっと瞳孔が狭まる。立った尻尾がゆっくりと揺れる仕草が何を意味しているのか、ルーシーは苺を見るけれど、生憎と彼女の方にも心当たりはない。
『苺がアタシに食事を用意するなんて珍しいわね』
「へ?」
 ぱちり。
 二人が瞬いている間に、開いた真っ赤な口が向かうのは、ルーシーの足許にいた鼠の縫いぐるみだった。
 この世のものとは思えぬちいさな鳴き声よりも先、一斉に止めに掛かったのは二人の方だ。
「わー! その子は食べちゃダメー!」
「待ってその子はご飯じゃないわ!?」
 ルーシーが前脚を抱き締めるように走り出す。苺は震える鼠の前に立ちはだかって、ぴょんぴょん跳ねて腕を大きく横に振る。
 ――結局、後でたくさん煮干しを渡す契約を結んで、鼠は難を逃れた。
 先導に従えば容易に見付かった窓は、鍵が完全に壊れている。外側から音も立てずに開いたそれを、細心の注意を払って潜り抜け、ふたりはそっと息を殺した。
 軋む廊下の足音を殺す。蜘蛛の巣の張った長い廊下の照明はついていない。静けさが耳に痛かった。昼間だというのに色濃く影が落ちていて、先が見づらいのも相まって、いたく不気味だ。
 ――おばけ、出ないかな。
 思わず過った不安に、苺の体が強ばる。意識してしまえば急に何もかもが恐ろしくなった。落ちた影が動いているように感じる。どこからか視線を覚えるような気すら――。
「ふふ、苺、こわくない? 手、つなぐ?」
 やわらかく笑うルーシーの声がした。
 差し出された手は、苺の欲しているものをずっと知っていたようだった。幾度も頷いて、獣の手を重ね合わせれば、伝わってくる温もりが体中を巡る。
 体はもう、震えなかった。
「ルーシーは、ご姉妹のパパかママのお部屋か、キッチンが気になるの」
 ――両親ならば、姉妹のことを知っているはずで。
 ――キッチンには、毒の手掛かりが残っているかもしれない。
 零された理由に、苺が頷いた。ちらりと合う視線から、判断を委ねる意思を汲み取って、苺は少しだけ歩調を緩める。
「んー、それじゃあ、ご両親のお部屋に行こうよ!」
 今はまず、姉妹の人となりが知りたい。
 頷いたルーシーが声を潜める。前を行く獣たちは大きさこそ全く違えど、一つも音を立てはしなかった。
「ロイさん、ネズミさん、先を確認しながら誘導して下さる?」
『任せなさいな』
 ちゅう、と鳴いた縫いぐるみと、歩調を合わせてゆっくりと歩く猫に連れられて、辿り着いた先の扉を開く。
 ほとんど使われていないらしいそこには、うっすらと埃が積もっていた。極力音を立てぬように、緩慢な動作で行われる捜査は、思うより時間と神経を要した。
「ルーシー」
 不意に呼ぶ声がして、机の抽斗を開いていたルーシーが振り返る。
 本棚の前で蜘蛛の巣と格闘していた苺が、一冊の本を手にして立っていた。表紙には手書きの文字が書いてある。
「これは――」
 日記。
 直感は互いに同じだった。目を合わせて、ページを捲る。つらつらと書かれているのは、どうやら姉妹のことらしい。
 ――二人には可哀想なことをしている。私たちがああいう風に生んでしまったのだと思うと申し訳なくなる。
 ――もう少し構ってやれれば良いのだが、如何せん父の介護もある。二人とも、もう少し楽にしてやれれば良いのだが。
 ――本当に良い子だが、やはり依存しているように見える。子供だからだろうか。姉離れが出来ない子を利用しているようで、心が痛む。
 散見される記述を拾い上げて、ルーシーと苺の視線がぶつかった。どちらともなく頷いて、日記をそっと懐にしまい込む。
 足音を殺して閉める扉の先には、静寂を湛える暗がりが、ぽっかりと口を開けていた。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

ラピス・プレオネクシア
面倒だー……
人を殺そうとするようなモノはもはや子供扱いすべきではない……ただの殺人者だというのがワタシの信条だがー……
この世界では、影朧は救えるなら救うのが流儀だったなー……

転生させようにもまず、奴らにとっての無念は何なのか……それを探る必要があるなー……
【偽昇華】。ここらの中年女性で、しばらく出歩いていないのをチョイスして変身

今宇都宮さんの話してたかしら? 怖いわよねぇあのお宅!
なんでも娘さんも死んじゃったとかで!
あのお宅の家族仲ってどうだったのかしら? 親族とは悪かったみたいだけど、お家の中でもギスギスしてそうよねお金持ちって!

と、まぁ。無念の在処を探すべく、まず家族仲を調べようかー……




「面倒だー……」
 長閑な田園を見渡して、開口一番の呟きがそれだった。
 瞼が半分ほど落ちた青い眸の先には、ぽつんと佇むショッピングモールがある。車が行き来しているのは、生来忍びであるが故に見得た光景かもしれなかった。
 ラピス・プレオネクシア(貪欲・f34096)からしてみれば、どうあれ殺人者は殺人者である。
 子供だろうが大人だろうが、男だろうが女だろうが、凶器を手にした時点で無辜ではない。同情の余地もない殺人鬼と何ら変わりのない所業を、年齢や性別を以て正当に評されないのは、些か信条に反する部分だった。
 ――とはいえ、郷に入っては郷に従うのも流儀である。
 転生をこそ良しとする世界なのだから、それを促すように立ち回ることも必要だ。好きに生きるというのは、全てを台無しにしてまで己の我を通すことではない。
 さて――。
 まずは情報を探らねばなるまい。彼女らの無念を晴らそうというのなら、その中核になる何かを知る必要があるはずだ。
 さりとて闇雲な情報収集が功を奏するとも思わない。当たるかどうかは兎も角として、まずは焦点を絞るべきだ。
 気配を殺し、全ての家の表札を見て回る。その間にも、無益な井戸端会議から漏れ聞こえる声は逃さない。布石を打つにも、相応に蓄積が必要なのだ。
 噂話に花を咲かせる女性たちの仲間に、一人腰を痛めたという者がいるらしい。三村と呼ばれる彼女の家の表札を確認する。丁度窓際にいる女性がそうだろう。その容姿を記憶して、ラピスは足早に踵を返した。
 ――偽昇華。
 先に見た女の姿と寸分違うまい。そのまま素知らぬ顔で来た道を引き返せば、今しがた出掛けたばかりの姿に見えるだろう。
 案の定というべきか――。
 井戸端会議にいそしむ彼女たちは、めざとくラピスの姿を見留めるなり、すぐに頓狂な声を上げた。
「三村さんじゃないの。腰は大丈夫?」
「ええ、まあ。出歩くくらいはね。それより――」
 本題はここからだ。
「今、宇都宮さんの話してたかしら? 怖いわよねぇあのお宅!」
 わざとらしい声を上げて、話題の中心であろう名を上げる。怖いもの見たさか、或いはただ単に他者の薄暗い話を好んでいるだけか――彼女らは神妙な顔をして、じっと変化した女の声に注目した。
 ここで声を潜める。
 いかにも、誰にも聞かれてはいけないかのような仕草だ。
「なんでも娘さんも死んじゃったとかで!」
 ――目を見開いたところを見るに、誰もその話を知らないらしい。成程、双子は上手く誤魔化しているようだ。
 衝撃的な情報に、動揺と不安を湛えているような女たちの目の奥底が、いっせいに煌めいた。ラピスはその高揚を決して見逃さない。
「今日、何かやるって言ってなかった?」
「そうそう、行かないでって言われたわよね」
「でも言われてみれば、準備してる様子ってなかったような――」
 ――あれやこれや、芋づる式に話が飛び出してくる。
 この調子なら、ただでさえ軽い口を更に割りやすく出来ただろう。事件に飢えた彼女たちの、体面上は『嫌な話』として語られるそれらに、女の皮を被った娘が一石を投じる。
「あのお宅の家族仲ってどうだったのかしら?」
 こんなことを訊いて――。
 この三村とかいう女の評判がどうなるのかは、ラピスの知ったことではない。嘘を吐いたことにはならないだろうことだけを保証している。
 どうせ、双子が影朧であることは明らかになるのだ。
「親族とは悪かったみたいだけど、お家の中でもギスギスしてそうよね、お金持ちって!」
 その言葉を契機に、押さえつけていたものを解放するかの如く、女たちは一斉に喋り出す。
「ご両親と妹さんは仲が良さそうだったけど、お姉さんはどうだったんだか」
「妹さんは良い子だけど、嫌なこともあるんじゃないの? 一つくらい。ずっとお姉さんにかかりきりじゃない」
「でも妹さんは随分お姉さんのことを好きみたいよね」
「お姉さんは妹さんしか近付けなかったって言うでしょ? そのせいじゃない?」
 ――成程。
 外からの視点では、家庭の火種に見えるのは姉の方か。
 ゆるりと眇められたラピスの眸に気付かぬまま、井戸端会議は続く。下らぬ会話の大半を聞き流しながら、娘は一人、密やかに溜息を吐いた。
 やはり面倒な仕事だ。

大成功 🔵​🔵​🔵​

シャト・フランチェスカ
名士の豪邸ならば
使用人の一人や二人居てもおかしくないだろう
「元」使用人と言うべきかな
最早、仕えるものなど無いのだし
或いはもっと昔に出入りしていた人間でもいい
忠誠心は時と共に薄れ
かの宇都宮家に雇われた自負は
擽るのにお誂え向きだもの

さあ、《シェリ》
肚の中に秘密を抱えたそのヒトを
誰がいちばんに見つけるかな

最も気になるのは実のところ
彼女たちの名前だ
作家の性かもしれないけれど
姉、妹、では
感情移入など出来ないよ

先代はさぞ難しい人だったでしょう
そこでの仕事が務まるなんて
とても手際が良くて
心配りができるんだね

羨ましいなあ――

どうか話を聞かせてよ
超弩級、が何だって言うの?
こんな落ち零れに
きみの輝かしい日々を、さ




 まるで小説に出て来そうな話だ。
 他人事めいて目を眇め、シャト・フランチェスカ(殲絲挽稿・f24181)は草木の香りが満ちた道を見渡した。
 照りつける日差しは、日傘で何とか出来る範疇を大いに超えている。早いうちに涼しいところに行きたい。このままでは、影朧より先にシャトの方が力尽きてしまうだろう。
 そう時間を掛ける気もなかった。指先から滴るように零れ落ちる影が、生ける枯骨をかたどっていく。生まれたそれらに語りかけてみせながら、シャトの眼差しはどこか遠くを見詰めた。
「さあ、シェリ」
 ――肚の中に秘密を抱えたそのヒトを、誰がいちばんに見つけるかな。
 眇めた眸の向こう、一斉に飛び立ったそれらが見出すのは、この町の薄暗さを知っている者だ。
 名士の豪邸とあらば、使用人を雇っていたに違いない。最後まで働いていた彼らがいるならばそれが一番だが、嘗ての――と枕詞がつけば、話を聞ける誰ぞもいるだろう。
 競うように飛んでいった枯骨のひとつが囁くままに、シャトはゆっくりと歩みを進めた。日陰を選んで道を辿れば、すぐに行き当たった女がいる。
「こんにちは」
 振り返った顔は、随分と化粧が濃い。
 この長閑な田園にも、丸い見目から感ぜられる歳にも不釣り合いだ。見るからに派手な衣服といい、随分と羽振りの良い生活をしているか――或いは、していた頃を忘れられないとみえる。
 それと悟られぬように上から下までを観察して、シャトはゆるゆると声を掛けた。
「こんにちは。『北区の宇都宮さん』について、訊きたいのだけど」
 そこからは早かった。
 訊くより先に勝手に話し出した彼女によれば、案の定、嘗て宇都宮家で家政婦を務めていたことがあるらしい。道すがら零れるのは、己がいかに有能な娘であったかと、それに対して周囲がどれほど無能であったかの愚痴ばかりだ。
 淹れる茶をいつも褒められていたこと。後輩の失敗の責を自ら被ったこと。それでも反省せぬ彼女を叱咤したこと。話の大半を聞き流しながら、シャトの脳裏は分析を始める。作家の癖とでもいうべきだろうか、『登場人物』の性格を掴んでおかねば、筆を滑らせることは叶わない。
 ようやく喫茶店に辿り着いた頃、家政婦だった女は上気した頬で笑った。
「あたくしが結婚するときに、それはそれは祝福してくださって。体を休めた方が良いということで、ご祝儀を頂いて、辞めましたのよ」
 ――体よく追い払われたとは思ってもみないらしい。
 珈琲はすぐに届いた。その色を見詰めながら、話題を切り出す隙をようやく掴んで、シャトは目を伏せる。
 まず訊きたいのは、双子の名前だ。
 物語を綴る者として、求めるのは感情移入のしやすさである。姉と妹では、紐解くには他人行儀すぎるのだ。
「先代はさぞ難しい人だったでしょう。そこでの仕事が務まるなんて、とても手際が良くて心配りができるんだね」
 羨ましいなあ――。
 気のない表情は、零した声の裏側に隠した。そのままゆっくりと目を上げて、彼女は小首を傾ぐ。
「どうか話を聞かせてよ」
「そんな。超弩級だなんて呼ばれるお方に、聞かせるような話ではありませんわ」
 散々話してきただろうに。
 思わず口を衝きそうになった言葉は、珈琲と共に呑み込んだ。やたらと苦くて眉間に皺が寄りそうになる。
「それが何だって言うの? こんな落ち零れに」
 ――教えておくれ。
「きみの輝かしい日々を、さ」
 その女曰く――。
 姉妹の名は、鼎と希というそうだ。
 見る限り、二人の仲は良好だったという。姉に拒まれ近寄れぬ両親たちは、鼎との窓口として、妹である希に頼っていたらしい。
 妹の方は模範的な子供と言って差し支えなさそうだ。誰にも優しく、涙はおろか、声を荒げることすら一度も見せたことがないと女は言った。
「あたくしがいた頃はまだ十にもならないくらいでしたかしら。正直な話、少し不気味でしたわ。そんな年頃の娘が、姉の世話にかかりきりなのに、不満の一つも言わないのですもの――」
 声を潜めた女が、珈琲を一口に飲み込む。相槌を打ちながら、シャトの眸は思索に沈んだ。
 さて――妹は、一体何を考えているのだか。

大成功 🔵​🔵​🔵​

朱赫七・カムイ
⛩神櫻

ひとは噂が好きなのだね
生命が奪われているのに何処か、楽しげだ
ひとの心とは斯様なものなのか
…私は厄災だ
そうかな…それでも私は識らねばならぬ
人の齎す呪の行方をね
禍津神なのだから

カラス、偵察はどうだった?
お前は厄に聡い…私よりずっと
サヨが望む人物に出会える様幸運を巡らせよう
長男一家を毒殺した犯人は、もう捕まっているのかい?
また双子が狙われかねないだろう
心配だな…
なんて聴いてみる

姉が大好きで、打算も何も無く
純粋に姉の為を思っての行動では…ないのだろうか
そうあって欲しいと望む私の心はきっと
真実を覗く眼を曇らせるのやもしれない

それだけではないと信じたい
いいや
きみは美しい
眼を背けず見つめられるのだから


誘名・櫻宵
🌸神櫻

そうね
他人の不幸は蜜の味とも言うだけある
娯楽なの
純真なカムイにひとの汚い所なんて本当は見せたく無いのだけど
…あなた程優しい厄災も居ないわ

立派な家なら女給として働いていた者も居るはず
居なくても運良く近しいものに出会えればいいわ

蜜華

とろり見つめ誘う
館に纏わる一族の話
先代はかなりやり手だったようね
怨みや腹立たしいことがなかった?
あなた達は彼ら一族に対してどう思っていたのかと
双子の…特に妹のお話も

妹は姉の足に目になる事に
己が無くては姉が生きられない事に
多少なりとも優越感を感じていたのやもと思ってしまう

美味しい立場よ
姉を独占できて自分の評判も上がる

ふふ
あなたの美徳よ
私はカムイのように
美しくは無い




「ひとは噂が好きなのだね」
 くすくす、ひそひそ。
 向けられる好奇と新奇の眼差しを一瞥して、朱赫七・カムイ(厄する約倖・f30062)は小さく声を零した。
 何か飢えているような顔で以て、皆が闖入者を見詰めている。押さえつけるような声の群れは、ひどく楽しそうな色を隠せていない。
 ――命が奪われているというのに。
 ひととの交わりが、未だ薄い神である。まるで仄暗い厄を大事に抱え込むような、心の深淵にも似た感覚を肌に受けて、彼ははたりと瞬いた。
「そうね。他人の不幸は蜜の味とも言うだけある」
 対する誘名・櫻宵(爛漫咲櫻・f02768)の声に揺らぎはない。
 ひとの欲に塗れた世界を、或いはそれを向けられることを――櫻龍はよくよく経験している。美しさばかりを喧伝して回る心の裏側の、何と悍ましいことだろう。それを隠しているような顔をしているところが、余計に浅ましくも見える。
「純真なカムイに、ひとの汚い所なんて、本当は見せたく無いのだけど」
「……私は厄災だ」
 ゆるゆると笑う巫女の顔から視線を逸らして、カムイの唇が振り絞るように動いた。自嘲とも自虐ともつかぬそれを真っ直ぐに受け止めた櫻宵は、やはり桜の如く艶やかにわらう。
「……あなた程優しい厄災も居ないわ」
 ――それに簡単に頷けるほどの自覚すら、カムイにはなかった。
 さりとて立ち止まっているわけにもゆくまい。何においてもそうだ。未熟だというのならば、その分だけ前に進まねばならない。
「それでも私は識らねばならぬ」
 禍津神なのだから――。
 人の心が抱く、その深淵の呪というものを。
 見上げた空を一羽の黒が遮った。みるみるうちに近付いてくる彼を腕に留めて、赤き桜神は瞬きと共に問う。
「カラス、偵察はどうだった?」
 ――かの厄神の分霊たるカラスは、カムイよりもずっと厄に敏い。
 その導きに従えば、並ぶ巫女の求むる誰ぞを手繰り寄せることも容易だろう。己が約の権能も共に巡らせて、二人は飛び立った鳥を追いかける。
 女給がいるはず――まずそう言ったのは、櫻宵だった。
 彼の生家の位は高い。未だ記憶に残る情景を引っ張り出せば、まず行き当たったのは、最も近くで一族を見詰める他人の存在だ。そうして同じ場所で働いていた者たちには、大抵、相応の絆が芽生えるものでもある。
 首尾良く一団を見つけ出し、カラスが一声囀った。確信を以て歩みを進めた櫻宵が、袖で唇を隠すまま、嫋やかにわらってみせる。
「もし」
 ――振り返った眸の群れは、容易に蜜華に囚われた。
 他愛のない世間話はそこそこに切り上げる。『宇都宮さん』の名前を出せれば良いだけだ。元より客を相手に言葉を扱っていた櫻宵にとって、その程度はどうということでもない。
 その後方で、少しばかり面白くない顔をしてしまったカムイを、カラスの声が咎めた。
「あの家、先代はかなりやり手だったようね」
 ゆるゆると問うた声に、めいめい頷く人々に、ようやく神も歩み寄る。本題に入ったのならば、ここからは彼も情報収集を開始出来る。
「怨みや腹立たしいことがなかった?」
「あの方は何でもしましたから、恨まれてはいたでしょうが――」
「ふふ。あなた達の話よ」
 ころころと転がした笑声に――。
 三人の元女給は一斉に顔を見合わせた。暫しの沈黙の後、こそりと消え入りそうな声で、二人に向けて語り出す。
 ――先代は、成功のためならば何でもしたこと。
 ――女給が一人辞めさせられたと聞けば、どこぞに売り飛ばされたのだろうと話が上がっていたこと。
「皆、顔色を窺っておりました」
 疲れたような声音は、真実を語っているのだろう。この件に関して、これ以上の情報は見込めまいと、今度はカムイが穏やかな声を上げる。
「ところで、長男一家を毒殺した犯人は、もう捕まっているのかい? また双子が狙われかねないだろう」
 顔を彩る心配の色は、嘘偽りとまではいかぬまでも、少しばかりの芝居を孕んだ。
 何しろ双子が死んでいることを知っている。
「この付近にお住まいだったご親族は、皆亡くなったといいます」
「まあ。どうして?」
「さあ――」
 きょとりと瞬く櫻宵に、女給だった女達は曖昧に首を傾げた。立て続けに亡くなってこそいるが、その理由などは憶測の域をすぎないのだと語る。
「そうでなくても、逮捕はされなかったでしょうね。事故だと報されていますから」
 信じてる人は少ないでしょうがねえ――年嵩の女が誰にともなく呟けば、めいめいが小さく頷いた。
 相応の力を持った一族というのは、田舎では権力を持つものだ。それこそ、事件を事故にするくらいの。
 一つ息を吐いて、櫻龍が同情的な相槌を打つ。話題の切り替えには、それで充分だ。
「そういえば、双子の――特に妹の方は、どんな方なのかしら」
「良い子ですよ。いつもお姉様の面倒をみてらして」
 ――次の話に関しては、三人の口は軽かった。
 誰にでも優しく、純真で、人懐こい。片割れである姉への愛情を隠すことはせず、いつでも姉の話をしているような娘だという。
 それ故にか、率先して姉の面倒を見たがったという。使用人たちが彼女に近付こうとしたときだけは、少しばかり不機嫌な顔で言うのだ。
「それはあたしのお仕事ですよ、って」
 ――三人に礼を言って、屋敷に向かう最中、櫻宵がほつりと呟いた。
「優越感を感じていたのやも」
 姉の手足となり、目となることで。
 妹が姉に執着していることは、ああして軽く話を聞くだけでも明白だった。その行き着く先がどこなのかまでは分からずとも、櫻宵はその献身の奥に歪みがあることを感じ取っていた。
 一番考えやすいのは、不均等ゆえの感情だ。
「美味しい立場よ。姉を独占できて、自分の評判も上がる」
 巫女の声に、カムイはふと、思索に沈む薄紅の眸を揺らす。
 妹は――。
 姉がただ大好きなだけで、何の打算もなく、自分と不均衡に生まれた姉を思うが故に執着したのではないか。
 愛しい姉がベッドの上にしかいられないことを、ただ嘆いていただけではないのか。
 証拠があっての確信ではない。ただの希望的観測だ。そうあってほしい。そこにあったのは、穢れじみた呪ではないのだと――思っていたい。
 その祈りが、真実を映す鏡を曇らせるのだとしても、カムイは。
「――それだけではないと信じたい」
「ふふ。それがあなたの美徳よ」
 ひとの善性をひたむきに見詰めようとする。それはもう、櫻宵がとっくになくしてしまった感情だ。柔らかくて、暖かい、それこそがひとを救うことも多くある。
「私はカムイのように、美しくは無い」
「いいや」
 ――きみは美しい。
 真っ直ぐに眸を見詰めるまま、やわらかな神は静かに告げるのだ。
 ひとの心も、現実も、その薄暗く凝った闇さえも。
「眼を背けず見つめられるのだから」

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

比良坂・彷

同じ顔の双子
世話する側は相手に依存してるだけ
平等(おなじ)がいいのは顔も同じ相手と揃なら己に中身があると安心できるから
片割れの手足となり片割れの充足が己の幸い
誰の話って?
多分俺の話だよ、知らねェけど

個人的には仇討ちを手伝ってやりてぇぐらいだが生憎仕事だ

妹がよく寄った土産屋に立ち寄る
柔和で初心な學徒のそぶり人当たりよく
「宇都宮さんの所に呼ばれてまして。先のご当主様によくしていただきました。ご姉妹がお好きなものなんてご存じないです?」

相手が同情的なら悲しみ、露悪的な噂話が零れたら好奇心まみれの若者面で「二人の仲」について聞き出す

双子は仲直りしねぇとさ
極楽浄土にゃいけねぇよ、俺らみたいに迷っちまう




 同じ顔に、同じ姿。
 それが喜ばしいことなのか、それとももっと悍ましいものなのかは、当人らの受け取るところに拠るだろうが――。
 何にせよ、そのことが歪みを生むのは間違いなかろう。
 生まれが不均衡だというなら尚のことだ。世話をされる側とする側の、どちらが真に相手に寄り掛かっているのか――それと裏腹、周囲がどんな目で二人を見るか。内情との矛盾と乖離が、更に二人を互いの鎖に閉じ込める。
 平等(おなじ)であれば安堵出来る。空っぽの自分に中身がある気になるからだ。片割れの目の奥に、一体何を映していたのだろう。少なくとも、笑う自分の顔など見えてはいまい。
 手足であることも、相手のためにと身を削ることも、何のことはない――全て、自分の幸いがためだ。
 比良坂・彷(冥酊・f32708)の話である。
 ――知らねェけど。
 雑貨屋の前で眉を顰めて、彼は一つ、深々と息を吐いた。
 私情を言うなら、寧ろ双子の側に与したい。仇討ちが目的であるというのなら清々しい気分で手伝えるだろうが、生憎と今日の彷は猟兵である。
 彼は、利敵行為に走る愚を犯す男ではないのだ。
 扉に手をかけて、瞬きを二つ。それだけで、すっかり柔和で初心な學徒の完成だ。演ずることに何らの躊躇いもない。元よりこの身は全て虚構である。
「こんにちは」
 人当たりの良い微笑みを浮かべるまま、店内に踏み入って真っ直ぐに店主を見詰めた。老齢に差し掛かりつつある男は少しばかり瞠目し、またしげしげと遠慮なく彷の姿を見詰めた後、老眼鏡を持ち上げる。
「珍しいねえ、外の人かい」
「宇都宮さんの所に呼ばれてまして」
 ――名を出されれば、そっと目が眇められるのも見逃さない。
 やはりあの家は、良くも悪くも関心の渦の中央にあるとみえる。労るような、窺うような、曖昧な色をした初老の小さな眸に向けて、彷は一歩距離を詰めた。
「先のご当主様によくしていただきましたので」
「ああ――大変なときに来ちまったね。いや今が一番良いのかなあ」
 色々あったからね。
 声に乗るのは、好奇というよりは同情の色である。高齢の男性ともなれば、馴染みの娘を見る目は孫に近いのだろう。痛ましげな表情に合わせて、彷の方も好青年の表情を悲しそうに歪めて見せた。
「慰めになるようなものを買っていってあげたくて。ご姉妹がお好きなものなんてご存じないです?」
 ――言えば、店主はにこりと笑って立ち上がる。
「妹さん――希ちゃんは赤が好きでね。よく揃いの髪留めなんかを買ってくよ。忙しいんだろうね、最近はあんまり見ないけどね。お姉さんには青が良いんだと」
「仲の良い姉妹なんですね」
「そうだね。見てる限りは本当に仲が良さそうだよ。ただ――」
 揃いの簪を取り出して、男は僅かに口籠もった。
 それを見逃す彷ではない。若者らしい好奇心を装って、じっと目を見詰めれば、決して目を合わせぬままに店主が声を潜める。
「ちょっとねえ、希ちゃん、変わってるんだよ」
「へえ。それは、どんな風に?」
 まるで何か、言ってはいけないことを告げるように――。
 彼は訥々と語り出す。後押しに勢いづいて、少しずつ流暢になっていく口調は、誰ぞに話を聞いて欲しくて堪らなかったとでもいうようだ。
「お姉さんに買ってくときにね、必ず包んでくれって言うんだよ。よそへの贈り物みたいに、丁寧にさ。誕生日でもないのに、普段遣いの雑貨でそんなに丁寧にやってくれなんて人、他に見ないからね。お陰で包むのは上手くなったけどねえ、ちょっと不思議だよね」
「それは――確かに、不思議ですね。それだけ大事にしているんでしょうけれど」
「そうだねえ」
 疲れたように視線を落として、窪んだ小さな眼が、孫を心配する祖父の如きそれに戻った。
「希ちゃん、どうしてるんだろうねえ」
 言われるがままに簪を手にして、彷は店を出た。気を付けるんだよ、と最後まで彼を心配する老人に頭を下げた後は、もう振り返らなかった。
 ひとそろいの赤と青に、歪みが映るのだとしても――。
「双子は仲直りしねぇとさ」
 極楽浄土に渡れない。まるでどこかの、よく知る片割れたちの如く。

大成功 🔵​🔵​🔵​

榎本・英


事件の香りがするね。
私は探偵では無いが、興味深い案件だ。

ナツ。
すまないのだが、私の代わりに、やってもらいたい事がある。
人間では忍び込めない所。
そこへ忍び込んで欲しい。
何を見たのか、何を聞いたのか、私に見せて呉れ。

ナツと五感を共有する。
私は作家の情報収集として、その辺の一般人に声をかけよう。

嗚呼。失礼。
作家である事は伝えよう。
次回作の舞台に此処を選び、気になる噂を集めている事。
噂の内容次第では、それを元に本を書く事。
君達を登場させると云う事も伝えよう。

ナツには草むらに隠れながら、行動をしてもらおうか。
気になる事を見かけてもナツ一人では難しい。
深追いはしないようにさせようとも。




 これほどまでに濃厚な事件の香りというものに、創作物以外で触れる日が来るとは。
 それもひどく劇的な代物とくれば、作家の性を燻るには充分すぎた。榎本・英(優誉・f22898)が眼鏡の奥に隠した眸が、好奇と興味に揺れる。
 生きた人間の情念とは時に恐ろしいまでに創作を凌駕するが、此度の案件からもまた、隠した深淵の悍ましい粘つきを随所に感じ取れる。彼は作家であって決して探偵ではないが、関われるというのならば諸手を挙げるところだ。
「ナツ」
 ――呼べば懐から返答がある。
 にい。
 鳴いた猫と目が合った。額の十字を指先で撫で、ちいさな温もりをそっと抱え上げる。
 腕を頭より上まで持ち上げれば、見下ろす大きな双眸に、英は首を傾いで告げた。
「すまないのだが、私の代わりに、やってもらいたい事がある」
 情報はそこかしこに落ちていよう。だが人の体は、調査に行くには大きすぎる。小さな壁の隙間には入り込めないし、何とか侵入出来たとしても、気配と足音で気付かれてしまうだろう。
 そういう場所に行くのなら、もっと小さな生き物でなくては。
「何を見たのか、何を聞いたのか、私に見せて呉れ」
 にゃあ――。
 ぱっと主の手から飛び降りた猫が、走り去っていく。その背中を見詰めながらも、英の眸の半分は、かの使い魔が行く先をも留めていた。
 五感の共有があれば、言葉を操るには至らぬ使い魔を放っても、その経験が彼に全て返ってくる。己を二人に増やしたようなものだ。
 感覚に慣れた頃を見計らって、英もまた、ゆっくりと歩き出した。
 向かう先は決まっている。
 ――そこの日陰で話し込む、女性たちの背中だ。
「嗚呼。失礼、婦人方」
「あらまあ、あなたが超弩級の?」
「その内の一人、と云うのなら、その通りだよ」
 振り返った眸は好奇に満ち溢れていた。隠し得ぬ感情が足許を掬う感覚がある。
 成程、話はもう知れ渡っている――ということか。田舎の噂の広まり方には目を見張るものがある。
 それはそれで、都合は良いが。
「生業が作家でね。次回作の舞台を此処にしたいと思っているんだ」
 此度の主目的は題材の収集だということにしておこう。
 眼差しに籠る訝しげな色は、その素性を聞いて一気に霧散した。幾分の躊躇はあるものの、口は幾分軽くなったろう。彼女らとて話し相手に飢えているのだろうから、話したくて堪らないはずだ。見慣れぬ顔というのがそれを妨げているのならば、更なる後押しで塗り替えてしまえば良い。
「内容次第だが、それを元に本を書こう。その暁には、提供者として君達を登場させたくもあるのだが」
 ――その言葉を皮切りにして、女は我先にと喋り出した。けれど結局、収束する先は一つだ。
「それらしい話って言えば、やっぱり宇都宮さんちの」
「呪われてるって話?」
「ほう。呪われているのかい? その家は」
 初耳である。
 眉を持ち上げた英の反応に手応えを得たか、彼女たちはわざとらしく声を潜めながらも、喜色に満ちる眸で彼を見た。まるで禁忌を口にするかの如く、年嵩の女が続ける。
「まあねえ、あまり宜しいお家じゃないですからね」
 女たち曰く――。
 かの家の先代というのは、特別凄まじい人間だったらしい。儲けのためなら何に手を染めることも厭わぬ貪欲さが成功を招く秘訣だったという。功名と同じだけの悪名を轟かせていながら、恨みを晴らされずに永らえてきたのは、ひとえに塩梅が上手かったからとみえた。
 要は、良くは思わぬが恩はある人間が多かったということである。
 禍根の芽を潰すことにも余念はなく、他者を手先として人殺しすらも厭わなかったと語られるほどの印象だそうだ。
「体の悪い人が多いのも、その呪いなんじゃないかって、ね」
「ご長男は丈夫な人だったけど――娘さんがねえ」
「成程――」
 随分と業の深いことだ。
 情報を書き付けながら目を眇めた英の眸は、もう一つの景色を追っている。
 草むらから見えるナツの低い視界、佇む豪奢な洋館の中に消えていく、双子の片割れと思しき少女の影をひとつ――。 

大成功 🔵​🔵​🔵​

イーヴォ・レフラ

十雉(f23050)と。

子供が犠牲になるのは稀にある事だけど、
出来れば避けたいって思うよな。
ああ、折角の事件だし頼りにしてるぜ探偵さん。

男が二人いて情報収集といったら、
女性を狙ってナンパだな。
狙うなら若い女性より噂好きそうなご婦人かな、
興味津々にこちらを見るご婦人がいたら声を掛けよう。
暑いし時間があれば一緒にお茶でも飲みながら話せないだろうか?
個室のあるオススメの店があれば教えてもらえると更に嬉しいな。

個室なら話も聞きやすそうだしな。
聞くのは「北区の宇都宮さん」の双子の話だな。
他で話を聞いている猟兵も多そうだし、
町の中で噂話が再燃している可能性もある
UCで情報収集もしておこう。


宵雛花・十雉

イーヴォ(f23028)と

お金の為に人を殺すなんて…
この仕事をしてるとよく見聞きする話だけど、未だに信じられないよ
しかも大人達のいざこざで子供まで犠牲になって…悲しいな
でも、もしもご両親に遺されていたら
姉妹は辛い思いをしていたかな
自分たちを責めたかもしれないし
…それでも、今の状況が正しいなんて思えないけど

行こう、イーヴォ
事件を解決しなきゃ
頼りにしてるよ、情報屋さん

ショッピングモールの周辺で
話に付き合ってくれそうな有閑マダムを狙って

こんにちは
先程ここへ来たばかりで
この辺りのことよく知らないんです
よければ教えて貰えませんか?
話の流れで「北区の宇都宮さん」や
双子の姉の妹それぞれの話も聞いていくよ




 金とは魔性の代物らしい。
 人を狂わせる欲望の中心には、いつも紙切れの束がある。宵雛花・十雉(奇々傀々・f23050)の生業は、そういうものに纏わる業を紐解くものだが、それでも未だ信じられることではない。
 大人たちの利権争いに巻き込まれ、子供までもが犠牲になったというのなら、なおのことだ。それほどまでに大切なものだろうか――心に抱く愛情をこそ尊ぶ十雉には、命より重いとすらされるそれの価値を、正確に測ることは難しかった。
 さりとて両親を殺された後で生き残って、双子に明るい未来があるとも思えない。かたや体の不自由な姉と、その面倒を見る妹。親族に引き取られるにしろ、使用人たちと暮らしていくにしろ、以前のような生活を続けることは不可能だろう。そうなれば或いは、両親を見殺しにしたと己を責めることすらあったかもしれない。
 隣で飴を咥えるイーヴォ・レフラ(エレミータ・f23028)の方も、その思いの大半は同様である。
 稼業柄、汚泥めいた情報を仕入れることも多い。隣で思い悩む彼ほどの重みを以て事実を受け止めているわけではないが、その素性がどうあれ、子供が巻き込まれる事件に眉一つ動かさぬほど非情ではない。
 ――とはいえど、今の状況は明らかに歪んでいる。これ以上手を汚させる前になんとかせねばなるまいと、奮起した十雉の眸がイーヴォを見詰めた。
「行こう、イーヴォ。事件を解決しなきゃ」
「ああ」
 かりりと音を立てて、男は不敵な笑みを浮かべて咥えた飴玉を囓った。これから暫くは頭脳労働だ、糖分を入れておかねば分かるものも分からなくなる。
「折角の事件だし、頼りにしてるぜ、探偵さん」
 ――まるで探偵小説のような台詞に、ぱっと笑顔を浮かべた十雉が頷く。差し出した手で拳を握れば、イーヴォの方も同じように拳を固めた。
「こっちこそ。頼りにしてるよ、情報屋さん」
 二つを軽く打ち合わせ、二人は歩き出す。
 男二人で情報を集めるというのなら、一番効率が良いやり方が一つある――。
「ナンパだな」
 ぱちぱちと瞬いた十雉は、些か気恥ずかしそうな顔をして頷いた。以前の仮面を被っていたならいざ知らず、それを剥がした彼はどちらかといえば内気な方だ。堂々と声を掛けるのは難しい。
 とはいえイーヴォがいるのならば何とでもなろうと、さしたる抵抗はせずに、その作戦に乗った。
 ――目指す先はショッピングモールである。
 若い女性もちらほら見えるが、忙しなく右に左に移動する彼女たちは、声を掛けたところでそう長く応対はしてくれないだろう。
 ならば狙うのは――。
「こんにちは」
 日陰のベンチに座っていた女性に、まずは十雉が人当たり良く声を掛ける。小さな目を瞬かせた老女は、皺に埋もれた眸をまるまると見開いて、二人をじっと眺めた。
「超弩級――ってお方?」
 そのゆったりとした口調からも、時間を持て余していることはよく分かる。訳もなくにこにこと笑った彼女に、そうなんです――と一つ頷いて、橙灯の眼差しが困ったように弧を描いた。
「先程ここへ来たばかりで、この辺りのことよく知らないんです。よければ教えて貰えませんか?」
「ああ、ご苦労様ねえ。どうぞ、どこでお話しするのが良いかしら?」
「そうだな。暑いし、一緒にお茶でも飲みながら話せないだろうか? 時間があればだが」
 差し伸べられた浅黒い手を、老女はひどく上機嫌に取った。ゆっくりと立ち上がる背に手を添える十雉に淑やかな礼をして、彼女は立てかけてあった杖を手にする。
「ええ、ええ。時間は大丈夫よ」
「良かった。個室のあるオススメの店があれば、教えてもらえると更に嬉しいな」
 ――道すがら、彼女は色々な話をした。
 夫が亡くなって以来、話し相手が少なくなっていたこと。息子夫婦も都会に出てしまい、寂しいままに過ごしていたこと。
「良かったわ、お話ししてくれる人がいて。今日は楽しくなりそうねえ」
 そう言いながら、彼女は二人を個室の喫茶に案内した。
 イーヴォと十雉が並ぶ向かい側、ソファの真ん中に腰掛けた老女に問えば、彼女は少しだけ困ったような顔をしてから、知ってることだけで良いなら――と声を潜めた。
「宇都宮さんちの双子ちゃんはねえ、見てて可哀想なのよねえ。妹の希ちゃんは凄く良い子だけど、良い子だからこそ、ねえ――」
「何かあるんですか?」
「いいえ! いっつも笑顔で挨拶してくれるし、可愛い子よ。鼎ちゃん――ああ、お姉ちゃんね。鼎ちゃんの面倒もよく見てるみたいだし。でもねえ、苦労してるんじゃないかってねえ」
 どうやら孫か何かでも見ているような感覚でいるようだ。消沈した彼女が顔を上げるのを見計らって、次はイーヴォが口を開く。
「では、お姉さんの方は?」
「ううん、鼎ちゃんのことは、よく知らないのよ」
 ――曰く、姉はほとんど外に出ないらしい。
「体が弱いって話は、聞いてるかしら。それがねえ、酷いみたいでね。ベッドから立ち上がるのも大変なんですって。鼎ちゃんがちょっとでも動けた日は、希ちゃん、嬉しそうでねえ。まあ、次の日にはもう動けなくなっちゃって、寝込んじゃうみたいなんだけど」
 会ったことはないと前置いたうえで、老女は妹から聞いた話を語った。
 姉は頭脳明晰で、感覚が過敏であること。妹はそういう姉を尊敬していて、自分が姉に出来ることは何でもしたいと語っていたこと。姉の言うことはいつでも当たっているから、自分は姉のやりたいことを、姉の代わりに叶えたいと常々漏らしていたこと――。
「そういう風に生まれたかったわけじゃないんでしょうに。可哀想にねえ」
 しきりに同情の台詞を漏らしながら、老女は二人に買ったばかりの麩菓子の袋を渡して去って行った。にこにこと手を振る彼女を見送って、手の中の袋を見詰めていた十雉は、ふと顔を上げて隣を見る。
 上空を見上げたイーヴォの方は、伸ばした手に収まるドローンの画面を覗いた。再生される記録を見詰める横顔に、橙の眸がぱたりと瞬く。
「偵察の方は、どうだった?」
「結構集まった」
 会心の笑みを浮かべて、男はちらと十雉を見遣る。
「猟兵がこぞって訊いてるからとはいえ、予想以上だな」
 ――誰ぞが零した、双子の死亡の噂が想像以上のスピードで広がっている。猟兵らの存在と、新たな火種が絡まって、人々の口に上るのは二人の話題ばかりだ。
 事の真偽はこれから判別していくとして――。
 少なくとも、親族が全員死亡していることは確からしい。ついでに、今まで雇用されていた使用人たちの姿が見えないということも。
「あの双子、普通の娘じゃないのかもな」
 眇めた眸で零すイーヴォを見詰めて――。
 十雉もまた、小さく溜息を漏らした。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

雛菊・璃奈
○◇

ミラ、アイ、クリュウの三匹の仔竜を連れて参加…。
屋敷内の探索を主に行うよ…。

予め【影竜進化】でミラ達を影を自在に操る影竜へ進化させ、自身の影に潜航…。
影の中から密に周囲の様子を観察させ、屋敷に入ったら自身も一人の頃合いを計り、ミラ達の力で影の異空間に潜航し、影の中から探知術式【呪詛、情報収集、高速詠唱】を発動…。

屋敷の探知に引っかかった箇所や怪しい場所、長男一家の殺害現場や姉妹の部屋等を目標に、屋敷の中を影に潜航して存在を気取られない状態で移動…。

後は安全第一で各部屋の中を探知術式で手がかりになる様な情報や物品等が無いか探索するよ…。

遺産争いの果てに親戚に毒殺されるなんて…。
悲しいね…。




 ――影がさざめく。
「ようこそいらっしゃいました。どうぞ、お好きにお寛ぎくださいね」
 にこやかな娘が一人、エントランスホールの上方から笑いかけている。挨拶もそこそこに、忙しなく雛菊・璃奈(魔剣の巫女・f04218)の前から消えていく彼女が、双子の一方だろう。事前情報によれば恐らく妹の方か――そのくらいのことは、確定した情報の少ないうちにも分かった。
 使用人の姿は見えない。この調子ならば、ここを離れたところで気付かれることもそうないだろう。じっとその背を見送って、他者の気配のないことを念入りに確認してから、璃奈は己の影に声を落とす。
「ミラ、アイ、クリュウ」
 きゅう。
 小さな鳴き声は影の裡から聞こえてくる。三匹の仔竜たちは、先んじて家族の影へと潜航し、周囲の情報収集を始めている。
 璃奈が派手に動けない分、三匹ぶんの目と耳は重要な情報だった。人間よりも鋭敏なその感覚が、何者の気配をも捉えていないことを確認して、彼女はゆっくりと合図を送った。
 ――その姿が、影の裡へと掻き消える。
 影竜へと進化した仔竜たちの能力は、自らの体を隠すことだけではない。作り上げられた異空間の中に潜んだならば、次は璃奈がその力を発揮する番だ。
 探知のための術式は既に練り上げている。あとはひときわ呪詛の濃い方へ向かって、隠れたその身を動かしていけばいいだけ。導かれるように、術式の揺らぎが訴える最も悍ましい場所へと、その身は姿を現した。
 豪奢な部屋だった。とても一人では手が回らないだろう広さの屋敷に似つかわしくない、丁寧に掃除をされた形跡がある。
 何より、そこには人の気配が残っていた。今も誰かがここで寝起きをして、生活を続けている。ならば――。
「二人の部屋……?」
 誰にともなく問いかけた声には、影の中の三匹が応じた。
 しかし――。
 探知術式を再び扱う前に、彼女の目に映った微かな違和感が、脳裏に小さな棘を残す。その理由を探らんと、まずは抽斗に術式を向けようとしたときだった。
 ――綺麗すぎる。
 目に入った机には、一つの埃も見て取れない。机上だけではなく、取っ手や横板までも、全てが異様なまでに美しく磨かれていた。
 まるで今まで誰も使っていなかったかのようなそれに対して、置かれた物品や細かな傷が、生活感を浮き彫りにしている。執念めいたものすら感じるちぐはぐな光景は、心の奥底を不気味に撫でていくには充分だった。
 その中に入っていた一冊のノートを拾い上げる。ページを捲って、璃奈は僅かに息を呑んだ。
 整然とした字で並んだそれは、どうやら妹の日記のようだ。ことさら慎重に紙をつまんだ指先は、擦れる音すら立てぬように、ゆっくりとページを捲っていく
 ――今日もお姉ちゃんは悲しそうな顔をしている。あたしはお姉ちゃんに笑ってほしいだけなのに。
 ――お姉ちゃんは、あたしの考えつかないことばかりを考えつく。やっぱりお姉ちゃんは凄い人だ。あたしは愚かだけれど、お姉ちゃんの手足になれるのは良かった。
 ――ああ、面倒。人に良い顔をするのは嫌いだ。だけどお姉ちゃんに色々なことを教えるためには、そうするしかないのだもの。
 それから随分とページが飛んだ。ここまでだろうかとノートを閉じかけて、璃奈の眸は一つの記述を捉える。
 そこだけは、ひどく文字が震えていた。
 ――お姉ちゃんを殺してしまった。お姉ちゃんを苦しめてしまった。ごめんなさい。ごめんなさい。謝っても足りない。ごめんなさい。あたしが罪を償うにはこうするしか。
 その先は、ただの線の連なりにすぎなかった。それ以上の判読を諦めて、ノートを元の位置に戻した璃奈は、大きく息を吐く。
 垣間見た内容に、何らかの大きな歪みを感じずにはいられない。それでも最期に妹が感じたのが、姉を殺す罪悪感だけだったことが、ひどく悲しいことに感ぜられてならない。
「悲しいね……」
 呟いた言葉を拾い上げて、影の中の竜たちもまた、少しだけ消沈した声を上げた。

大成功 🔵​🔵​🔵​

シキ・ジルモント
○◇
この様子では得られる物はなさそうだ
一度、その場を離れる

どこか人目につかない場所へ向かい、見られていない事を確認して狼の姿に変身する
その状態で再び先の、噂話を拾えそうな場所へ戻る
近くの物陰にでも伏せて、『聞き耳』を立てて話を盗み聞きさせてもらうとしよう

見知らぬ人物が近くに居れば声を潜めるだろうが、今の姿なら警戒はされにくい
たとえ見つかったとしても、野良犬一匹見つけた所で深く気に留める事もないだろうからな
余所者に話しにくい事も漏らしてくれるかもしれないと期待する
…野良犬扱いは不本意だが仕方がない

しかし、姉妹が人を殺す理由はなんだ?
彼女たちの情報を得る事で、解決の…転生の糸口が掴めればいいのだが




 小さな声を聞き取る鋭敏な耳は、その裡にある感情すらも聞き分けていた。
 好奇の眼差しも、どこか恐れるような――忌避するような声も、シキ・ジルモント(人狼のガンナー・f09107)の記憶を嫌な温度で揺さぶってくる。ここにいても埒が明かないだろうと、歩き出した足許に纏わり付くように、囁く声がどこまでも追ってくるような気がした。
 ――嫌なことを思い出したばかりで、この姿を取るのには些かならぬ躊躇いはあるが。
 これもまた、此度の仕事のための最善手である。加えて未だ日は高いのだから、恐れるようなこともそう多くはない。
 人の気配もにおいもないことを確認して、シキは徐に草むらへと分け入った。噎せ返るような夏の緑の香りと、飛び上がる虫たちが体にぶつかる感触との最中で、その体は人に悟られぬそれへ変化する。
 草むらより慎重な足取りで現れたのは、一匹の狼である。
 ただし、その体高はしなやかなる肉食獣というには些か小さい。そこらをうろつく野犬と言っても差し支えはないだろう。獣の体であっても、中身は歴とした成人男性である。そういう扱いは不本意だが、それを呑み込むのもまた、傭兵としてやっていくには必要なことだった。
 じりじりと焼かれたアスファルトが肉球を焼く。日陰を選んで再び噂話を続ける女たちへと近付けば、彼はそっと地面に伏せた。
「――また宇都宮さんのところ? あの件、まだ続いてるのかしら」
 密やかな声にぴくりと耳を揺らし、シキが顔だけを上げる。
 かの姉妹について、引っかかり自体は大いにある。だが何よりも強く疑問を抱いたのは、年若い娘である二人が、何故人殺しに手を染めたのかの理由だ。
 影朧へと留め置いた未練がそうさせるのか、或いは生前より何か歯車の狂いを見せていたのか。人の噂などそうあてになるものではないが、中には一片の真実が必ず紛れ込んでいる。事実はどうあれ、火のない所に煙は立たないものだ。
 その断片でも、掴むことが出来れば解決の――ひいては彼女たちの転生の――糸口となり得るやもしれない。
 先までシキを警戒していた婦人たちのお喋りは止まない。余所者がいなければ口の軽さは折り紙付きというところか。どうあれ、彼にとっては都合が良かった。
「残ったご親族もすっかり寄りつかなくなっちゃったわよね」
「それはそうよ。ご長男のところがああなってから、あの家に触ろうとするご親族はみんな亡くなってたじゃない」
「結局、あの双子でしょう? 継いだの」
「怖いわねえ――呪われてるんじゃないの、本当に」
 ――成程。
 最も分かりやすい動機は復讐だ。自分たちを手に掛けた親族を殺害し、恨みを晴らさんとしていたのか。とはいえ、家に手を出す親族がいなくなったというのなら、それ以上事件を起こす必要性もないはずだ。
 或いは彼女たちも遺産に狙いがあったのか。そうとなれば両親が亡くなったのは好都合だろうが――自分たちも死んでしまっている以上、それも考えにくい。
 未練と一絡げに言っても、それにどういう感情が付随しているのかは千差万別だ。或いは常人には計り知れないような深淵を裡に飼っていたとしてもおかしくはない。まして不均衡だったというなら、互いに幾らか思うところはあっただろう。
 結局――。
 シキがその場に伏せって聞いた話によれば、宇都宮家の姉妹の歪みは、その関係性に表れていたようだ。
 誰に対しても人懐こい妹とは裏腹に、姉は他人を拒みがちな性格だった。外に出ることすら儘ならぬ生活に鬱屈しているようで、大抵は彼女を良く語る両親も時折、弱り果てたような顔をしていることがあったらしい。
 そういう姉が、妹だけはよく近付けたという。自然、面倒を見るのは妹になっていったが、彼女はそれを自ら希望していたようだった。
「ご両親、言ってたものね」
「ああ。姉離れが出来なくてしょうがないって?」
 ――そうして噂話を終えて、ようやく家に帰る婦人たちは、シキを見るなり猫なで声を上げた。
「あらワンちゃん。どこかの放し飼い?」
「ちゃんと伏せちゃって、お利口さんねえ。暑いから日陰にいるんだよ」
 人間のかたちでいたならば――。
 きっとひどく眉間に皺を寄せていただろう自信があった。

大成功 🔵​🔵​🔵​

プリムララ・ネムレイス
旅というものは時として深い霧にも似た謎の中へと誘われる瞬間がある
この言葉を残したのは誰だったかしら
たしか二世紀前の劇作家パメルドア・ウィドーの小説『轍』の冒頭の一節(架空です)
そんな濃い霧を丸々残したままだなんて余りお行儀が良く無いと思うの
ミステリーは得意ではないのだけれども
私なりに頑張ってみなくちゃね

手紙を一通認めたいの
漸く医師になれたのだから今度こそ父に代わって宇都宮さんのお脚を診て差し上げたいと思って
白い便箋を一通
売っては頂けないでしょうか
ごめんなさい最近の事は分からないの
詳しくお聞きしても?

《昏き花園からの呼び聲》貴方へと届いて
私が気になるのは二人の絆
答えて
貴方の瞳にはどう映ったの?




 ――旅というものは、時として深い霧にも似た謎の中へと誘われる瞬間がある。
 脳裏へかろやかに諳んずる一文を、プリムララ・ネムレイス(夜明け色の旅路と詰め込んだ鞄・f33811)はまさしく今、味わおうとしていた。
 劇作家パルメドア・ウィドーには、小説家としての才覚もあったらしい。『轍』と題されたそれの表紙を捲った刹那、最初に目に飛び込んだのがこの一説だ。
 二世紀あまりの時を経ても、物事の本質は変わらぬものである。
 さて、此度旅するプリムララが誘われた霧は、随分と濃いようにみえる。前の一つも見えないさなかを進んで、振り返った先にどう歩いたかも分からぬ轍が残るなどというのは、些か行儀が悪い。
 人は霧があれば払いたがるものだ。その先の光景が、どれほど腹の底に重苦しく溜まる後悔に変わるのだとしても。
 さりとて少女は少女、まして自由すらも身に得て日は浅い。ミステリの犯人捜しは得意ではないが、やれる限りで霧を晴らす手伝いくらいはしてみせよう。
 古びた文具屋の扉を押し開けば、紙と鉛筆の香りが鼻腔をくすぐった。扉に付けられたベルが鳴る音に、暇そうにしていた青年が顔を上げる。
 どうやら、この店の主――の息子か何かとみえる。新聞を畳んでしげしげと彼女を見詰めた彼もまた、外の婦人たちと同じように、宿す好奇を隠そうともしなかった。
「失礼します。手紙を一通認めたいの」
「ああ、こんにちは――外の人ですか?」
 どうしてまた。
 問われるより先に、プリムララは声を上げた。
「漸く医師になれたのだから、今度こそ父に代わって、宇都宮さんのお脚を診て差し上げたいと思って。白い便箋を一通、売っては頂けないでしょうか」
「ああ、そうでしたか。でもその、今はやめておいた方が良いと思いますよ」
 つらつらと並べたのはあらかじめ用意した台本だ。すっかりと納得したらしい青年が、しかし僅かに口籠もるように引き留めるのを、彼女が見逃すことはない。
「ごめんなさい、最近の事は分からないの。詳しくお聞きしても?」
 一歩を踏み込めば――。
 紅をひらめかせた眸が妖しく光を孕む。真っ直ぐに見詰めた青年の眼差しは、絡め取られて逃れられまい。
 ――さあ。
「答えて」
 双子の姉妹たちは。
 彼女たちの、霧の中に隠された絆は――。
「貴方の瞳にはどう映ったの?」
 言葉に詰まって、彼は肩を揺らした。揺れる眸は、しかしプリムララの視線から逃れることは出来ない。
 結局、彼はおずおずと、何かを恐れるように口を開いた。
「親父には、内緒にしといて欲しいんですけど」
 前置きの後に青年が語ったのは、こうだ。
 妹しか表に出て来ない関係上、その子細は彼女の話に頼っている。それでも妹が懸命に姉の面倒を見ていることも、姉を本当に愛していることも伝わっていた。大抵の人間はそういう妹に好感を抱いていたし、青年としても概ねそうだったという。
 だが――。
「時々、怖いんですよ。あの子がね」
 姉の話をするときには、ひどく彼女に心酔しているような顔を見せることがある。
 そのたびに怖気が走ったという。何か得体の知れない、常軌を逸した感情で以て、彼女は姉を見ていたのではないか。とりわけ彼女を気に入っている父親にその話をすれば、一蹴されるどころかこちらが悪者に仕立て上げられてしまう。
 そんなことで親子仲を悪くするつもりもなかった青年は、ずっとそれを黙っていた。
「でもね、あれは絶対に、双子のお姉さんに向けるような顔じゃなかったですよ」
 ――まるで、姉こそが絶対の神であるかのように。
「鉛筆を買ってくのにすら、物凄く悩んでいくんです。そこで。それも一時間だとかですよ、たかだか鉛筆一本に。聞いたら、お姉さんが使うから良いものを選びたいんだって言うんですけどね」
 幾ら何でもおかしいと思います、俺は。
 声を潜めて語り追えた後に、青年は深く溜息を吐いて、居心地が悪そうに笑った。そそくさと用意した白い便箋に、筆記用具を一本つけて、笑う。
「初めて会う方に、お聞き苦しい話をしちゃいましたから、お詫びです。治療、頑張ってくださいね」
「ええ。ありがとうございます」
 にこやかに笑ったプリムララは、扉を閉めて空を見る。
 掛かった霧の分厚さは、果たして何によるものだろうか――。

大成功 🔵​🔵​🔵​

大町・詩乃
『お屋敷』『事件』『ミステリー』…💡(ピコンと第六感で何か閃く)。
お屋敷には家政婦さんが付きものです!
(市原悦子さん似の)詮索好きでお喋りな元家政婦さんとかいないかなあ~。

それはミステリーでは無くサスペンスだが、うっかり勘違いしたまま調査開始。

モールにいる人達に笑顔で挨拶しつつUC使用。
「あのお屋敷って大きいですね~」から話を切り出し、友好的な雰囲気のままに元家政婦さんについて教えて貰う。

元家政婦さんには菓子折り(詩乃の神社近辺の人気和菓子)を持参し、UCを使いつつ、双子の娘さんの幼少時からの話を聞きます。
特に、先代及び長男夫婦との関係や、彼女達が普段と違う一面を見せた時の事を知りたいです。



 長閑な田園地帯、平和な田舎町にある大きな屋敷で事件が起きた。闇の中に隠されそうな真相を暴く華麗なるミステリ――。
 大町・詩乃(阿斯訶備媛・f17458)の脳裏に、突然の閃きが走る。これはテレビで見たことがあるやつだ――と。
 屋敷といえば家政婦。どこぞの敏腕家政婦――を演じていた役者――似の人が、一人や二人いたかも分からない。
「詮索好きでお喋りな元家政婦さんとかいないかなあ~」
 厳密には、詩乃の脳裏に去来する例のドラマはミステリではなくサスペンスだが、とまれ元家政婦を探すための捜査は始まった。
 人のことは人に訊くのが一番である。この辺りで一番に人が集まっているのは、ショッピングモールだろうと当たりをつけて、彼女は駐車場に踏み入った。帝都のそれと比べてしまえば雲泥の差だが、そこらで立ち話をする主婦や車の中で煙草を吹かす男性や、話を聞けそうな相手は多く揃っていそうだ。
 さて最も話しかけやすそうな相手は――。
 くるりと周囲を見渡した詩乃は、子供をあやす母親に向かって歩き出した。誰かを待っているのだろう、ベンチに腰掛けた彼女は、飽きてぐずりだす赤子に手を焼いているようだった。
「こんにちは」
 小さく笑いかければ、今にも泣きそうだった子供がじっと詩乃の顔を見た。
 頭を下げる母親の隣に座り、彼女は子供に手を伸ばした。新しい刺激が嬉しいのか、見る間に笑顔になった赤子に笑顔を零しながら、今度は女性の顔を見る。
「あのお屋敷って、大きいですね~」
「ああ、宇都宮さんのところっていったら、この辺りで一番ですからね」
「あれだけ大きいと、家政婦さんなんかも多いんでしょうか?」
「そうですねえ。私の叔母も勤めてましたよ。辞めちゃいましたけど」
「そうなんですか?」
 良ければ教えてもらえないでしょうか――。
 微笑みの効果と超弩級の看板を背負えば、すんなりと話が進んだ。
 教えられたとおりの道を辿り、表札を確認する。扉を叩けば、ややあって小走りの足音が近づいてきた。
 扉が開いた先に、中年の女性が立っている。
「すみません。春野様のお宅でしょうか」
「ええ、そうです――連絡のあった?」
 人当たりの良さそうな彼女に案内されるまま、詩乃は応接間と思しき部屋に腰掛けた。広い家ですね、と言えば、田舎の持ち家はどこもこんなものですよ、と女が笑う。
 挨拶もそこそこに、出された麦茶に礼儀としての口をつけて、彼女はそっと持参した菓子を差し出した。
「つまらないものですが」
「そんな、気を遣っていただいて」
 詩乃が祀られる神社の付近では有名な、人気の土産菓子である。
 口では遠慮するようなことを言いながら、満更でもなさそうに受け取った彼女の口は、すっかりと軽くなった。
「あの子たちも可哀想な子たちでねえ。子供が出来たら、余計そう思うようになってしまって」
 ――しみじみと語り出したのは、かの家に纏わる人々の噂である。
「先代はねえ。ご親族のことはそれなりに大切にする人でしたけどね。使用人の入れ替わりは激しくて」
 彼女の勤めた期間は、平均からみれば短いのだろうという。
 それでも、あの家では古株だった。激務と先代の機嫌を損ねてはならない緊張感の中で、それなりに仕事を任されるようになった頃、舞い込んだ縁談を期に暇をもらった。
「ご夫妻は良い人たちでしたよ。いつも子供さんのことを心配してらして」
「そうだったんですね。娘さんたちの仲は?」
「良かったと思いますよ。妹さんはよく面倒を見てましたもの。ああ、でも――」
 ふと、女は視線を床に落として間を置いた。
「時々ねえ、お姉さん、妹さんを怖がってたようなそぶりは見せてました」
「怖がって――?」
「ええ。妹さんはお姉さんが大好きなんですけどね。それが少し、行き過ぎてるところがあるというか」
 両親たちよりも近く接することすらあった彼女たちは、ずっと姉の話を聞かされていた。
 いつからなのかは分からない。最初のうちは義務感や使命感に似た空気を纏っていた彼女が、いつの間にか姉の話ばかりをするようになっていたという。
 その内容も少しずつ、姉を讃えるものへと変遷していった。
 崇敬のような、陶酔のような、或いは――。
 神に等しいものへの、信仰のような。
「私たちでも、ちょっと怖いくらいでしたもの」
 首を横に振った女の声に、蝉の声が重なっていた。

大成功 🔵​🔵​🔵​

蘭・七結
【月暈】

姉妹と聞けば――
ちょっぴり、思うものがあるわ
あなたにも御兄弟はいらっしゃる?

寄り添うようで不均衡なふたり
姉も、妹も
胸中に如何なるものを懐いたのかしら
憶測したとて、知り得ぬことだけれど

異国住まいの、歳の離れた兄妹
そのような体裁は如何かしら?
では、そのように

御夫人方にお話をお伺いしましょう
御機嫌よう、というのかしら
海を越えて帝都にやってきたの
“兄様”であるあなたへと視線を送りましょう

嗚呼、つい。ごめんなさい
『北区の宇都宮さん』のお話が気に留まっているの
特に、姉妹について気になっているわ
宜しければ、お聞かせ願えるかしら

好奇心旺盛な異国の少女を偽って
あなたの様子に合わせましょう
兄様、如何かしら


朧・ユェー
【月暈】

えぇ、僕も兄と弟が居ますよ
確かに思うことはあるね

寄り添う姉妹
血が繋がっていても個々は違うからねぇ
秘密はきっとあるはずだよ

おや?僕が君の兄に…それは光栄だね
腕を出して彼女エスコート
行こうか、可愛い僕の妹さん

えぇ、御夫人の噂話は蜜の味
きっと美味しい話が聴けるでしょうね
彼女の挨拶と同じ様に挨拶をし

駄目じゃないか、御夫人達の話の邪魔をしては
すみません、妹は好奇心が多くて
でも僕も皆さんとお話をしたい気持ちです
もし宜しければお聴きしても?
と紳士的に微笑んで

話ながらも【ベラーターノ瞳】で予測予知し嘘を見抜き真実を聴きだす




 秘密の隠された大きな屋敷と、渦巻く事件と、密やかな姉妹の話。
 そう聞けば、牡丹一輪、久遠の色も揺れようというものだ。眸に結わいた紅を瞬かせて、蘭・七結(まなくれなゐ・f00421)はちいさく口許を押さえた。
「あなたにも御兄弟はいらっしゃる?」
「えぇ」
 隣へ問えば、穏やかに細められた月がある。
「僕も兄と弟が居ますよ」
 朧・ユェー(零月ノ鬼・f06712)にもまた想う家族がいる。姉妹を取り囲む環境を考えれば、幾分思うところはあれど、それはそれ。
 揃って生まれ、寄り添って歩く影。混ざり合うそれがどんな形に見えるのかを、七結は知りたかった。
「胸中に如何なるものを懐いたのかしら」
「――血が繋がっていても個々は違うからねぇ」
 混じり合った影の中身が同じだとは、ユェーには思えない。
 果たしてそれを暴くのが良いことかどうかは別として、二人の間に横たわる秘密がひとつもないなどということは、考えにくかった。
 さて情報収集を――と考えたところで、はたりと紫の眼がユェーを見上げる。
「異国住まいの、歳の離れた兄妹。そのような体裁は如何かしら?」
「おや?僕が君の兄に……それは光栄だね。なら、こうしよう」
 差し出された腕はエスコートのため。意図を理解して、すぐにしなやかな指を絡ませた七結に向けて、金蜜の眼差しが微笑んだ。
「行こうか、可愛い僕の妹さん」
「ええ。では、そのように」
 ――話を聞くならば。
 選ぶべきは婦人たちだろう。話題に飢えた彼女たちにとって、きっと異国からの兄妹は良い刺激になろう。
 日陰で花を咲かせる四人を見付け、七結はとりわけかろやかな調子で地を踏んだ。合わせるように歩むユェーの腕に聢と指を絡ませたまま、艶やかな桃灰の髪をふわりと揺らす。
「御機嫌よう、というのかしら」
「ああ、こんにちは――?」
 噂話が止めば、周囲には静謐が満ちた。好奇を隠さず、しげしげと浮世離れした二人の養子を見詰めている彼女たちに、七結がちいさく微笑みかける。
「海を越えて帝都にやってきたの。ねえ、“兄様”」
 ちらと『妹』の視線が動けば、それに合わせて女性たちの眼差しも『兄』へと向かう。
 少しばかり咎めるような表情を作ったユェーの語気は、上品な中に僅かな諫める色を帯びた。
「急に引くから何かと思ったら。駄目じゃないか、御夫人達の話の邪魔をしては」
「嗚呼、つい。ごめんなさい」
 頭を下げた七結の所作も美しい。暫し見蕩れるようにしていた彼女たちが、それを誤魔化すように、口々に曖昧な笑声を放つ。
「気にしなくて良いのよ」
「日本語、お上手ねえ」
 どうしたのかしら、ご案内しようかしら――と問われたのなら、無邪気な『妹』の色を孕んだ眼差しが、好奇の色で煌めく。
 オカルトに興味があること。そういう話を蒐集していること。ほとんど口からでまかせだったが、その場のえにしを繋ぐには充分な言い訳だ。
「『北区の宇都宮さん』のお話が気に留まっているの。特に、姉妹について気になっているわ」
 宜しければ、お聞かせ願えるかしら――。
 問うた彼女の言葉に怯む間に、ユェーが一歩前に出る。にこやかな眉尻を少しばかり困ったように下げて、彼は穏やかに声を上げるのだ。
「すみません、妹は好奇心が多くて」
 ――一歩を引き下がらせるようでいて。
 次の一手で逃げ場をなくす。無理強いをしないことこそが、口を開かせる一番簡単な方策だ。
「でも僕も皆さんとお話をしたい気持ちです。もし宜しければお聴きしても?」
 話し始めた彼女たちに曰く――。
「先代が業の深い人だったのよ」
「まあ。そんなにも?」
 聞けば貪欲な男だったのだという。誰彼から死を願われるのには相応の理由があった。儲けのためならば何でもしたし、利益が出るならば何をも厭わなかった。
 金を渡し、或いは受け取り、妾を持ち、或いは人すら殺し――しかしどれも、直接己の手を汚すようなことはしない狡猾な男だったそうだ。
 恨みは募り、しかし表立って復讐をするには『面倒を見てもらった』者が多すぎた。いつしか一族は呪われていると噂が立ち、時を経て真実へとすり替わっていったようだ。
「ご親族みんな、体が弱くてね。まともに働けないような人もいたくらいで」
「ご長男夫妻は元気だと思ってたら、まさか子供さんにねえ」
 誰もが遺産を欲しがったのもそのためだという。
 成程、病弱な身では採算が取れるはずもない。生命を維持するための金を稼ぐ力がないのだ。先代の支援で生きていたというのなら、長男夫妻に遺産を渡すわけにはいかなかったろう。
 食い入るように話を聞いている七結の眸を見詰め、一人がはたと声を漏らす。
「そういえば、あの人は随分ゲンを担いでたのに、二人とも――」
「ちょっと」
 咎める声に失言を悟ったようで、彼女は己の口を手で塞いだ。けれど言葉尻を逃そうはずもない。
「二人とも、どうしたの?」
 ――暫しの間があった。
 目配せで話し合いを続けていたらしい彼女たちは、一つ大きく息を吐くと、ここだけの話にしてね――などと前置いた。
 双子は凶事の前兆であるというのを、信じていた一族だったという。
 『間引き』はよくある話だったということすらも、住民たちは知っている。だから今度もどちらかは消えているのだろうと思ったのだが、結局はどちらも大きく育ったということだ。
「今回のことは、間引きをしなかったからだって言ってるような人までいたもの」
「それは、ご親族の方が?」
「ええ。私たちにはあんまり――関係のあることじゃなかったしねえ」
 確かに――。
 所詮は地元の名士である。間接的な影響しか受けないであろう市民の関心は、彼らの栄華や没落そのものにはないだろう。
「妹さんは元気だけどねえ」
「やっぱり、呪いってあるんじゃないかしらね」
 そう言って――。
 彼女たちは、その話を切り上げた。
 丁重に礼を言ってから、そっと彼女たちから離れた二人は、さやりと声を交し合う。
「兄様」
「まだ兄様ですか?」
「この町にいるのだもの」
 ちいさく笑った七結の眸は、もう気取った色をしてはいなかった。
 代わり、ちらりとその金蜜を見遣る。
「如何かしら」
 ――ユェーのベラーターノ瞳は、全ての事象を分析する。それがただの、真偽不明の噂話であってもだ。
 彼は既に、ことの真偽の全てを解している。結果、そこに残っているのは悍ましい真実だけだ。
 先代の重ねてきた悪行も、間引きも――それ故に生まれた呪いも、全てが本物だ。
 それが無辜の娘たちに還り、果てにこのような事件が起きたということまでもが事実であるというのが、人の業の恐ろしさを示していると言えまいか。
 だが、その話をするには、ここでは人目に付きすぎる。穏やかに笑ったユェーは、返答の代わりに手を差し伸べてみせたのだった。
「少しお茶でも飲みましょうか」

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

ティオレンシア・シーディア
○◇

財産目当ての殺し、かぁ。地方の小金持ちとは言え――むしろ「だからこそ」かしらぁ?――まぁ、それなりによくある話ではあるわねぇ。
…無関係な手合いからすれば、所詮は「いわくつきの噂の種」よねぇ。…気分いいかどうかは別として。

ある程度の概要は「ここだけの話」で浚えるでしょうけれど…もう一段深い情報が欲しいとこねぇ。新聞とか雑誌の記者さん当たってみようかしらぁ?
事故にしろ事件にしろ、これだけ噂になるくらいだし取材してるとこのひとつ二つはあるはず。多少顔が効こうが地方の名士の親族程度なら「超弩級」って看板のほうが効くんじゃないかしらぁ?
権力とか立場ってのは、使えるときには適切に使っておかないとねぇ?




 金というのはいつでも要らぬ小競り合いを生む。
 所詮は地元の名士だ。大企業の社長というわけでもなし、及ぶ権力などたかが知れている。それでも――否、そうであるからこそか。人はこぞって、その財産を手にしたがる物だ。
 大海を見ねば、井の中で胸を張る蛙とて、王に違いはないものだ。
 よくある話として処理されるであろうそれを聞いて、ティオレンシア・シーディア(イエロー・パロット・f04145)がまず思い浮かべたのが、地元の新聞記者だった。
 事が起ころうが起こるまいが、対岸の火事でいる間は、所詮は曰く付きの噂話である。真偽も定かでないオカルティックな噂に尾鰭が付いて、原型が徐々に淘汰されていく。概要を得るにはそれだけでも充分だろうが――。
 もう一歩、踏み込んだ情報が欲しいと思うのも事実だ。
「その点、記者さんといえば、ちゃんと裏取りもしてるものでしょぉ?」
 ――アポイントメントもなしに訪れた理由を訊かれたから、素直に応じただけだ。
 背負っているのは超弩級の看板である。権力も立場も、そこにあるだけではただの宝の持ち腐れだ。賢く扱ってこそ本領を発揮することを、ティオレンシアはよく知っている。
 地元の名士と、世界的に期待されている稀代のエースたち。どちらの味方になるのが良いかなど明白だろうに、この記者と来れば、全く口を割ろうとはしなかった。
「守秘義務がありますから――」
 渋る仕草がひどく頑ななものだから、ティオレンシアは思わず一つ息を吐く。
 ――だというのなら、仕方がない。
「じゃあ、ねぇ。取引でもしましょうよぉ」
 ゆっくりと足を組んでみせて、彼女はひらりと手を振った。ここまで固辞する理由はただ一つ――まだ諦め切れていないからだ。
「そこまでして隠したい、折角の特ダネなんでしょぉ? 私たちが、もう一回『本物の』特ダネにしてあげるわぁ」
「――それは」
「分かるでしょぉ?」
 この事件を明るみにする。超弩級の看板を以て、白日の下に晒された遺産相続争いの果てのスキャンダルとあらば、何を書いたとて握り潰されることはないだろう。
 結局――。
 彼は、観念したように口を開いた。
「あの家のご長男夫妻が亡くなって以来、不審死が続いていることはご存知ですか」
 まずは親族から始まった。長男夫妻が亡くなって以来、どこかいそいそとした空気で、近隣に住まう親族たちが慌ただしく出入りしていたという。
 彼らが死んだという噂は瞬く間に広がった。当然片っ端から出向いたが、どこも物々しい雰囲気が漂うばかりで、大した情報は得られなかった。不審死が連続するうちに、他の親族たちはすっかり怖じ気づいて手を引いたらしく、次第に屋敷を出入りする顔はほとんどなくなってしまった。
 ――その折である。
 使用人たちがいなくなったという話が、街中に出回った。普通に生活を続けている様子の妹にそれとなく訊けば、まるでごく当然のことを話すように、皆辞めてしまいましたと言う。
 確かに曰く付きの家に留まり続けるのは恐ろしかろう。だが何かが引っかかる。誰にも悟られぬよう調査を続けていくうちに、暇を出された者とすっかり消えてしまった者とがいることに気が付いた。
 消えたのは独身で、家族とも疎遠な者ばかりだ。
「――皆さん、亡くなっていました」
 ひどく言いにくそうに告げた記者の目が、右に左に泳いでいる。ティオレンシアの細い眼差しはゆったりと弧を描く。
「へえ――それで、犯人にも目星は付いてるってことかしらぁ?」
 敢えて問う必要などなかったかもしれない。
 消えていく使用人。暇を出されて追い払われた者。死した両親と、死んでいく親族。たった二人、何事もなかったかのように曰く付きの家に住み続ける双子。
 石のように硬く口を閉ざした記者を見詰めながら、ティオレンシアは小さく息を吐いた。
 全く――。
 ――業の深いことだ。

大成功 🔵​🔵​🔵​

鷲生・嵯泉
悪逆を為すに、過去の残滓も生きる人も変わりは無い、か
遺された2人――不憫ではあるやもしれんが、放置は出来ん

しかし……病勝ちで歩くも儘ならぬ姉に健やかで快活な妹とはな
本来が“同じ”である筈の双子なればこそ、其の差は浮き彫りになるもの
幾ら妹が心を籠め尽くそうとも――否、無心に尽くせば尽くす程
何故に己は、と姉の心には澱が澱むだろう事は想像に難くない
況してや、其の手で殺したも同然となれば妹の献身は度を越してゆき
知らずとはいえ妹に手を掛けられたと成った姉の、恨みも深さを増すだろう

だが――そう単純な話とも思えん

名士であるなら使用人の1人もいた筈
探し、其々の性格と相手への接し方を詳しく訊くとしよう




 悪を呼ぶのは、心根の方であるということか。
 無道を前にすれば、付随する生や死は些末に過ぎぬ。げに恐ろしきは人の心と言ったのは誰だったか――それも世界の真理の一面であることを、鷲生・嵯泉(烈志・f05845)はよく知っている。
 その果てに遺された――否、留まったと称すべきか――ただ二人の姉妹を不憫に思う心地がないではない。だが放置をすれば人を手に掛けるというのなら、それこそ放っておくわけにはいかなかった。
 ――嵯泉が目を付けたのは、屋敷の付近をあてどなく彷徨っていた青年である。
 どこか抜け殻めいた彼は、超弩級の看板を聞くや大慌てで姿勢を正した。聞けば元はここの使用人だったと素直に口にしたものだから、手頃な喫茶店で珈琲を奢る代わり、話を聞かせるようにと取引を持ちかけた。
 それで今は――。
 二つ返事で頷いた彼と、向かい合って座っているという塩梅である。
「急に声を掛けて悪かった」
「いいえ。その、話は聞いてましたので、母から――」
 気弱そうな青年は、嵯泉と積極的に視線を合わせようとはしなかった。届いた珈琲に視線を落とす彼をじっと見詰めて、悟られぬように息を吐く。
 全く、田舎の噂の回り方には目を見張るものがある。
 ――特に何を問うまでもなく、青年は吐き出すようにして、声を零した。
「この前、急に暇を出されてしまったんです」
 長男夫妻が、謀殺された日のことだったという。
 突然、彼の家の戸口に妹が立った。暫く慌ただしくなりそうですから、皆様お屋敷にはいらっしゃらなくて結構です――と告げるだけ告げて、頭を下げて帰って行った。
「それきりですよ」
 突然職を失い、どうすれば良いのか途方に暮れて、毎日のようにあの周辺を歩いていたのだという。どうにかして妹に会えれば事情を聞くつもりだったが、一度も出会うことはなかった。
 冷えた珈琲を一口飲み込んで、嵯泉は一つ、静かに相槌を零した。青年はそこで我に返ったような顔をして、人の好い笑みで誤魔化しを打つ。
「すみません、お聞き苦しい話を。ええと、それで――何の話だったでしょう」
「其の双子の事だ。聞く所に拠ると、性格が随分と違う様だな」
「ああ、そうですね」
 片や日がな一日ベッドで過ごす病弱な姉と、片や快活で健やかな妹。不平等の体現のような娘たちは、互いに抱く感情すらも不均衡に見えたという。
「妹さんは、お姉さんのこと以外だったら普通の子でしたよ。ちょっと良い子すぎて怖いときもありましたけれど――先代も可愛がってる様子でした。具体的に何を話してたかは、知らないですが」
 よく呼び出しては、何やら耳打ちをしていたという。
 祖父と孫とみるならば、些か異様な雰囲気もあったようだった。先代の悪行を以て、孫にまで手を出そうとしているのだと噂する者さえいたが、彼はそうは思わなかったらしい。
「教えてるとか、吹き込んでるとか、そういう感じでしたよ」
「良からぬ事を――か」
「――まあ。そう見えましたね」
 妹が殊に姉への執着を加速させたのは、そういう仕草を散見するようになってからだという。
「お姉さんは、よく知らないんです。人を拒んで――ああいや、あれは妹さんが近付けなかったんだな」
 姉を、何もかもから遠ざけようとするようなそぶりすらあった。不用意に触れようものならば、見たこともない目で睨まれることもあったという。
 話を聞きながら、嵯泉は一つ、柘榴の隻眼を瞬かせた。
 ――双子とは、一つを別って生まれる者だ。
 本質を同様としているはずの妹が、姉の前で軽やかに駆けてみせること。己のことすら儘ならぬ横で、軽々と日常の雑事を熟し、あまつさえ心配すらしてみせる。
 無心の献身は時に毒だ。姉の心が蟠っていくのも、妹への悪感情が募るのも、必然と言えよう。
 挙げ句に尽くし続けた姉を己が手で殺したのだ。妹の執心に拍車が掛かっていようことは容易に察せられる。そうして尽くされ続ければ――。
 姉がそれを恨むことも、想像は付く。
 だが――。
 それだけであろうか。事態がそう単純な恨みつらみに帰結するとは思えなかった。
「災難だったな」
 誰に告げるとも知れぬ声と共に、嵯泉は揺らぐ黒い水面を飲み干した。
 ――蝉が鳴いている。

大成功 🔵​🔵​🔵​

丸越・梓

マスタリング歓迎



──金というものは、いつ如何なる時、どんな世界でも人を狂わせるものだな。
刑事という立場柄人並み以上には解っているつもりではあったが、何度聞いても胸が重くなる
それが殺人事件に発展してしまったのなら尚の事

然しその心を表に出さず
感情に囚われること無く冷静に任務にあたる
影朧姉妹のことは勿論、その親族や殺された長男夫婦、先代自身やその関係者について情報収集を
──というところで、一人ぼっちで歩いている幼い子が視界に映る
あまりに危ういので思わず声をかけてみれば迷子らしい
泣きべそをかきはじめたその子の涙をそっと拭い
大丈夫だと微笑って
やがて親は見つかり安堵の後
世間話から発展させ情報収集を試みる




 月といい金といい、金色の円盤はいつでも人を狂わせるものらしい。
 丸越・梓(零の魔王・f31127)の本業は刑事だ。人間の心裡にはひどく薄暗いものがあって、暴れ出したそれは時に人を悍ましい怪物へ変える。そのことを何よりも間近で見てきた。
 ――さりとて、『よくあること』と一蹴するには、いつだって重すぎる。
 人の中にある恐ろしい悪意が引き起こす悪辣な事件の裏では、必ず誰かが泣いている。殺人事件ともなれば尚のことだ。まして此度は無辜の娘たちまでもが惨殺されたのみならず、未練を抱えたままこの世に留め置かれているとまで言うではないか。
 胸裡に走る疼痛は、押さえようもなかった。けれど丸まりそうな背を伸ばして、私情を切り捨てることも刑事の役だ。真実を見詰める眼を曇らせるわけには行かない。そうすることで、苦しみを味わう人が増えてしまうことだってある。
 まずは情報収集をせねばなるまいか――。
 確認した時計の時刻は未だ昼下がりを指している。人出の減る時間ではないだろう。手近に話を聞けそうな人影を探す梓の耳に、ふと声が届いた。
 ――幼い少女である。
 被った麦わら帽子を両手で掴み、真っ赤に染まった頬の上には潤んだ大きな眸が見えた。誰かを探しているのだろうか、右に左に揺れる覚束ない足取りに、たまらず梓は駆け寄っていた。
「こんにちは。どうしたんだ?」
 びくりと動きを止めた少女の前にしゃがみこむ。目線を合わせて穏やかに微笑んでやれば、少しだけ肩の力が抜けたらしい彼女は、じっと黒い眸を見詰めた。
 よく躾けられた娘なのだろう。知らない人に着いて行ってはいけないとも、いわれているに違いないけれど。
「大丈夫だ、怖いことはしないよ。お兄さんはお巡りさんなんだ」
「おまわりさん?」
 その言葉の効果は絶大だ。警察手帳など見せたところで子供に分かりはしないが、信頼しうる存在としての称号は誰もが知っている。事実、目元を真っ赤に染めたその子は、糸が切れたように泣きべそをかき始めた。
 その涙を慎重に拭ってやる。しゃくり上げていたのが落ち着けば、ようやく彼女は涙声を上げる。
「ママがいなくなっちゃったの」
「そうか。じゃあ、お巡りさんと一緒に探そう」
「うん」
 すんなりと頷いた彼女の手を引いて、大人の足で暫く歩けば、周囲を見渡している女性にはすぐに行き当たった。娘を抱き上げて、ぱちりと瞬いた彼女の目の色を見る――どうやら既に超弩級の話は出回りきったらしい。
 警察手帳の出番は、結局訪れなかった。
「もう。美智代ったら、どこに行ったのかと思えば!」
「ご無事で何よりでした」
「ご迷惑をおかけしてすみません」
「いいえ。この暑さですから、早くに見付かって良かったです」
 安堵と共に吐き出したのは事実である。あまり長いこと歩き回っていれば熱中症になっていただろう。
 暫しの他愛ない世間話を孕んで、梓は徐に本題を切り出した。
「――そういえば、あの家では惨い事件があったとか」
 ああ――溜息交じりの声を上げて、女は頬に空いた手をやった。
「あれはねえ、酷い事件でしたよ。向かわれるんでしたら、刑事さんもお気をつけてくださいね」
「ありがとうございます。良ければ詳しくお伺いしても?」
 語られるのは曰く付きの話題ばかりである。長男一家の毒殺。揉み消された事件。先代の悪行――。
 そこまでを語って、彼女はふと声色を潜めるようなそれに変えた。
「あそこのお姉さんが、ちょっと変わってるというか」
「――変わってる?」
 曰く。
 外に出られない体であるというのに、あらゆる物事を知っているのだという。明日の天気も、他愛ない噂話も、まるで『その場で見聞きしたかのように』ぴたりと当てるそうなのだと、彼女はいった。
「希ちゃん――ああ、妹さんですけどね。最近は会わないけど、よく言ってたんですよ。お姉ちゃんは何でも知ってて、かみさまみたい――って」
 梓の脳裏に描かれた、年頃の少女のふくふくとした笑みが、今は何故か、空恐ろしいもののように感ぜられた。

大成功 🔵​🔵​🔵​

毒藥・牡丹
【理ない】○

に、兄様と一緒に依頼だなんて……
こ、ここはあたしがしっかりしないと……!

お土産をよく買っていたなら、やっぱり商店でしょうか……
あっ、そ、そうですね。私も同じことを考えてました
兄様、では、まずは私が行ってまいります!

あ、あの…!
近頃までこのあたりでよく買い物をしていた女性を知りませんか?
ええと……活発で人懐っこい感じの……
へ!?い、いや別に何かあったとかじゃなくて………
ええとだから、──あっ、兄様……

う、それは……
……やっぱり少し、思うところはあります
私たちとは全く違う関係ですけど、姉妹と聞くと──
ああでも!あの女を姉だなんてそれは!全く思ってませんけど!!


千桜・ルカ
【理ない】○

私も學徒兵の端くれだからね
ここは――おや、随分とやる気だね?
では牡丹に任せようかな

そういえば
妹さんはお姉さんへのお土産をよく買っていたという話だったね
商店で聞き込みをしてみるかい?

牡丹が困っていたら助け舟を出そうか
ああ、以前その女性からここの商品が評判だと伺いましたから
同じものを購入しようかと思いまして
へぇ、そのときどんな話をしましたか?
それとなく色々と聞き出そうか

ふふ、よく頑張って偉かったね牡丹
…陰謀渦巻く名家に姉妹か
お前がやる気を出しているのは思うところがあるからかい?
…なんてね
転生前のことはあの子からしか聴いていないから
(最も、隠されていることも多いのだろうけれども…)




 未練と因縁を断ち切られ、桜に乗って魂が巡って久しい。
 末席とはいえ學徒兵としての自覚は十全だ。千桜・ルカ(紫雨・f30828)には情報を収集する心得もある。降り立った真夏の蒸し暑い空気を吸い込んで、薄紅を纏う紫紺の眸を一つ瞬かせた。
 ――他方、その隣できりりと眉尻を持ち上げた毒藥・牡丹(不知芦・f31267)が、深呼吸をしている。
 彼のことを厭うているわけではない。張り切っている理由もそれだけではない。だが、彼女から見たルカというのは、足取りがどこか浮世に馴染まぬ人だった。
 ここは自分がしっかりしなくては。
 ぱちりと頬を叩いて気合いを入れる仕草を見下ろした兄が、ちいさく笑う声がした。
「――おや、随分とやる気だね?」
「えっ。いえ、その、まあ」
 よもや浮世離れした兄様に一抹の不安があるとは言えまい。
 言葉尻を濁す妹に小首を傾いで、ルカはまあ良いかと瞬いた。理由が何であれ、やる気があるのは良いことだ。
 さて、まずは目的地をどこにするか――口に出したわけでもなく、互いの思いは同じだった。
 双子の妹は姉に随分と入れ込んでいたようだ。出掛けるたびに土産を買っていたというのなら――。
「商店で聞き込みをしてみるかい?」
「あっ、そ、そうですね。私も同じことを考えてました」
 牡丹が口を開こうとしたところで、先んじてルカの眼差しが優しく問うたものだから、ひどく動揺したような顔をしてしまった。
 前を歩こうとする兄に早足で追いついて、追い越さんと試みる。男性の中では背の低い部類であろう彼の足取りは、しかし牡丹が追い抜くには些か早かった。
 結局――。
 商店を前にゆるゆると立ち止まった彼より勢い余って前に出るまで、仲良く並んで歩く兄妹から抜け出すことは叶わなかった。
「兄様、では、まずは私が行ってまいります!」
「分かった。では牡丹に任せようかな」
 ほのぼのと見送る兄を置いて、肩に力を入れた牡丹ががらりと扉を引いた。
「あ、あの……!」
「おや、こんにちは。例の超弩級さんかい」
 小太りの女性の語り口は気風が良い。既に出回っていたらしい噂に出鼻を挫かれた少女が、しどろもどろに視線を泳がせる。
 否――。
 ここで口を閉ざすわけにはいかないのだ。
「近頃までこのあたりでよく買い物をしていた女性を知りませんか? ええと……活発で人懐っこい感じの……」
「ああ。希ちゃん?」
「は、はい。その人です」
 多分。
 付け足すわけにも行かず、牡丹はそこで口籠もった。彼女の様子を不審がるわけでもなく、店主の女は気さくに続ける。
「そういえば最近見ないけど――お友達? 何かあったのかい?」
「へ!? い、いや別に、そういうわけじゃなくて……」
「そうなのかい? じゃあどうして?」
 ――言い訳が思いつかない。
 役に立たぬ考えがぐるぐると脳裏を回っている。パニックに陥って頭を抱える牡丹の肩を、ふいに叩く手があった。
「ああ、すみません、妹は人見知りで。以前その女性からここの商品が評判だと伺いましたから、同じものを購入しようかと思いまして」
「──あっ、兄様……」
 いつの間にか中に入ってきていたルカが、ごく自然に一歩を踏み出した。小首を傾いで店主と目を合わせれば、合点がいったらしい彼女はにこりと笑ってみせる。
「そうだったのかい。最近は出歩いてるところも見ないけどね、最後に買ってったのはこれだったかな」
「へぇ、そのときどんな話をしましたか?」
 持ち上げられた手鏡を見詰めながら問えば、女は少しばかり上を見た。
 思案の仕草はすぐに終わって、ルカへ手鏡が差し出される。
「特に変わりはなかったかな。いつもの調子だよ。あんたたちもされてるだろう? お姉ちゃんがいかに凄いのかって話」
「お姉さんが大好きですものね」
 平然と――。
 嘯く兄に、慌てる牡丹を手だけで制す。二、三度頷いた仕草に笑いかけて、ルカは再び店主の話に耳を傾けた。
「あたしとしては、そろそろ引っ越した方が良いんじゃないかと思うんだけどねえ」
「本人たちに思い入れがあるなら、良い気がしますが」
「駄目だよ、あんなところにいたらお姉さんも余計に悪くなりそうで。そうでなくてもお姉さん、妙な噂も立っちゃったしねえ」
「妙な噂――ですか?」
 曰く。
 姉は先天的に、鋭敏な五感を持っているのだという。
「それは妹さんが言ってたことだけどね」
 殊に聴力には目を見張るものがあるそうだ。恐ろしいことに、屋敷内のことはおろか、外のことまでもちらほらと口にすることがあったらしい。それを以て外の情報を知っていたのだと、ごく一部では噂になっていたようだった。
 それを――妹は、かみさまのようだとひどく喜んでいたのだといった。
「ああいうの、なんて言うんだっけね。超能力の一個に、そんなのがあった気がするんだけど」
 手鏡を買って、店の外に出る。妹の手にそれを持たせてやりながら、ルカはそっと、黒い髪を撫でやった。
「ふふ、よく頑張って偉かったね牡丹」
「うう……」
 ――対する牡丹の表情は複雑だ。
 しっかりしなくてはいけないと思っていたのに、結局は何も出来ずに助けられてしまった。情けないやら恥ずかしいやら、或いは安心したやらで、紙袋に顔を埋めてしまう。
 その様子を見守りながら、兄が一つ、小さく息を吐いた。
 名家には陰謀がつきものだが――。
 そこに姉妹が関わっているというのは、些かならず、隣の妹に重なる部分がある。
「お前がやる気を出しているのは思うところがあるからかい?」
 ぎくりと肩を揺らして、牡丹顔を上げた。ちいさな頷きの後に、ごく細い声が零れる。
「……やっぱり少し、思うところはあります」
 姉がいる。
 仲良く寄り添う姉妹とは、ほとんど真逆の関係だった。ずっと競い合わされて、追わされ続けて、追い抜けねば叱咤されて――苦しめられてきた存在だ。
 それでもあの家でなければ、ややもすれば別の関係を繋げていたかもしれないと、思わないわけではなくて――。
「ああでも! あの女を姉だなんてそれは! 全く思ってませんけど!!」
「ふふ。分かっているよ」
 つんと顔を背けた牡丹に向けて、ルカは笑った。
 ――本当は、全てを分かっているわけではないのだけれど。
 巡った命は記憶を取り落とす。それはルカとて例外ではなかった。朧な記憶は彼女たちが妹だと告げるけれど、その子細は全て、牡丹の姉に当たる桜の鬼から聞いた知識しかない。
 そうして――。
 その中には、きっと隠されていることもあるのだろう。知らなくて良いと、或いは、知らないで欲しいと。
 果たしてかの双子の心には、一つの隔たりもなかったのか――。
 見上げた空を、ゆっくりと雲が流れていった。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

雨絡・環
まあまあ、
財産というモノは斯様に人々の心を狂わすもの
一度死してしまえばなァんも意味を成しませぬのにねえ

降り立ちましたら、
ご婦人方の集いにお声がけ致しましょう

ごめんくださいまし
初めて此方に参ったのですけれど
良い所ですねえ
わたくしが居た所なんてもう、とても田舎で
こうして同性のお方とお話出来るのが嬉しくて

お話出来て嬉しいと近づいて
此処の良き所のお話なぞ伺いましょう
素敵、と相槌幾度
顰め面の方には気付かぬ風で微笑んで

暫くした頃、
そう言えば向こうにお館が建っているのを見ましたの
随分と立派で
噂話?まあ、気になるわ
如何様な?

わたくし、『余所者』ですもの
裡に秘めた噂話を無責任に明かすにはうってつけでしょう?




 冥土の淵まで持ってはいけぬというに、人は物質にばかり拘るものだ。
 殊に金とは恐ろしいものである。雨絡・環(からからからり・f28317)より見れば、ただのコインと紙束だというのに、人間はそんなもののために同族までをも殺すという。
 しずしずと歩き出した背中を、太陽が焼く。人の身には負担となろうそれの中を、環は涼やかに裂いていく。揺れる黒い着物の袖を、興味深そうに見詰めるそのひとたちと目を合わせて、ふいに笑って見せた。
「ごめんくださいまし」
 集まっていた女性たちが、ぎくりと動きを止めるように見えた。けれどもそれには知らぬ顔をして、彼女はゆっくりと距離を詰めていく。
「初めて此方に参ったのですけれど、良い所ですねえ」
「何にもない田舎ですけどもねえ。都会の方?」
「いいえ」
 超弩級と聞けば、やはり帝都から来たように思えるのか。
 静かに首を横に振り、口許に袖を当てたままで、環はおかしげに笑った。
「わたくしが居た所なんてもう、とても田舎で。こうして同性のお方とお話出来るのが嬉しくて」
 そう言われて、悪い気のする者は少ないだろう。まして相手がにこやかで親しげに振る舞うならば、尚のこと。
 それでも数人が顔を顰めた。この地のことを問いながら、自然と輪に溶け込んだように見えて、環は自分と決して会話をしようとしない者たちをひとつふたつ数えている。
「まあねえ、お米は美味しいですけれどね」
「素敵」
 ――言いながら素知らぬ顔で微笑んでやれば、視線を外された。
 いそいそと彼女たちが距離を置く間に、環の方はそろそろかと頃合いを探る。何も世間話のために目を合わせたわけではないのである。
「そう言えば、向こうにお館が建っているのを見ましたの。随分と立派で」
「ああ――あそこは気を付けた方が良いですよ。あまり、良い噂がないから」
「噂話?」
 些か大仰な仕草になってしまったろうか。興味津々とばかりに顔を寄せてみせれば、少しばかり体勢を引いた相手は、銀月の眸に囚われた。
「まあ、気になるわ。如何様な?」
 ――余所者であるからこそ。
 無責任な噂話を囁けるだろう。どうせ明日にはここを去る。煮詰められた薄暗い輪の中で、秘めた粘つく部分を晒したところで、関係はない。
 ややあって、女たちはそっと口を開いた。秘められた悪意の尾鰭で人々の合間を泳ぐ形ない魚が、生き生きと滑り出る。
「あそこの双子さんはねえ、可哀想なんですよ――」
 妹ばかりが健常で、姉はひどく体が弱い。
 『姉の面倒を見る良い子』の妹を見る目の数々はしかし、彼女が胎の中で姉の健康を全て持っていったのだという感情を秘めていた。『憐れな姉』と『献身的な妹』の組み合わせは、いっそ模範的すぎたのだ。
「それで妹さんは、希ちゃんって言うんですけどね。あの子はねえ、随分と――何というか――人に共感する子というかね」
「まあ。共感力――と言うのかしら。良いことだと思うけれど」
「そうですねえ。でも、何というか、ちょっと異常だったというか」
 まるで心が読めるかのように、ぴたりと言いたいことを当てることがままあったのだという。
「本人は遊びのつもりなんでしょうけどね、やっぱり少しは怖かったですよ」
 誰とかさんのこと、本当は嫌いなんでしょう。無理にお付き合いをしない方が良いと思いますよ。あの人も、あなたのことが苦手みたいですから。
 ここだけの話です――そう言って妹が人差し指を立てたとき、背筋が薄ら寒くなったのだという。
「その後で、結局その人とのお付き合いはなくなりましたけどね。仲良くやってたっていうか、皆にびっくりされましたもの。あの子だけです、そんなことを言ってきたのは」
 事実――。
 彼女自身が、内心で厭われていることに気付くことすら出来ていなかったというのに。
 それほどまでに他者の裡が見えていたというのなら――或いは、その外面すらも完璧に繕われた仮面であるといえまいか。
「それは恐ろしいお話だこと」
 小さな相槌が、伸びていくくろぐろとした影に呑まれて、消えた。 

大成功 🔵​🔵​🔵​

鳴宮・匡
一先ず、辿り着いた時点で【無貌の輩】を一帯に散らしておく
他の猟兵たちがいない場所を重点的に探らせる

あとは――興味深そうにこちらを気にしている誰かしらに声をかけるよ
当たり障りない世間話から、「屋敷」の話を振ってみて
詳しい話が聞ければ御の字、無理なら無理でも構わない
「屋敷を嗅ぎまわっている誰かがいる」って印象を与えられればいい
何人かに対してそれを繰り返せば十分だろう

事件を探ってるよそ者なんていい“噂話”のネタだ
話も盛り上がるだろうさ
生憎、“俺たち”には聞こえてるんだけど

……それにしても、毒殺ね
規律とか、法とか
綺麗事を押し付けて“正しく在れ”なんて言うくせ
こういう時は簡単に道を踏み外せるものなんだな




「仕事だから、遊ぶのは程々にな」
 待っていましたとばかりに散っていく小さな影に、兄さながらの声を掛ける。それが自分の裡より生まれているだけに、何とも複雑な心持ちだ。
 鳴宮・匡(凪の海・f01612)と同じ『目』を持つ彼らである。くまなく探索をするにはうってつけだ。他の猟兵たちの目が届かぬところ――例えば誰ぞの家であるとか、現場であるとか――自由気ままに、彼らの思うそういう場所に行っては、見聞きしたことを教えてくれるだろう。
 さりとて『本体』の方が座して待つつもりもない。超弩級の看板を背負う、一見してごく普通の青年に興味を持つ者はちらほらといた。例えば――。
 恐らくは夏休みなのだろう、学生などだ。
「こんにちは。暑いな」
「えっ!? あ、はい、そうすね」
 ――当たり障りない好青年の笑顔は、今でも完璧に貼り付けられる。
 そうする必要がない場所があるというだけである。たむろしていた男子学生たちは、しげしげと匡を見遣った後に、少しばかりの興奮を表情に混ぜ込んだ。
 まあ――。
 ヒーローのようなものに憧れるのは男の性だと、誰ぞが言っていたし、そういうものなのだろう。
「あの屋敷って、何かあったところ?」
「あー。あそこはちょっと色々事件があってっすね」
「お化け屋敷みたいなもんっすよ。なあ」
 曰く入っていった人が戻ってこないだの、親族は皆死んでしまっただの、使用人に何らかの実験を行っているだの――。
 半ば都市伝説のような噂の全てを労せず記憶する。それ自体は大した情報にはなるまいが、構わない。
 これは布石だ。
 彼らは、きっと超弩級との会話を嬉々として触れ回るだろう。屋敷を嗅ぎ回っている余所者の存在は、すぐに村中の話題になるはずだ。まして他の猟兵たちもこぞってあの屋敷について問うて回っているのだろうから、話題に飢えた人々が食い付くのは目に見えている。
 或いは子連れの母親に、或いはベンチで休む老人に、或いは道を行く男性に――。
 幾度か繰り返せば、匡の存在は村中に知れ渡った。風に紛れる囁く声も、そこら中で拡散していく噂話も、全て鋭い聴覚が聞き留めているとも知らずに。
 ――またあの屋敷で何かあったのか。
 ――やっぱ呪いとかあるんだって。下手に近付いたら殺される。
 ――先代が亡くなって収まるかと思ったのにねえ。
 ――親族だからって可哀想に。
 ――希ちゃんと鼎ちゃんは大丈夫かなあ。
 ――あの二人だってどうだか分かったもんじゃあない。大体、あの二人だけ無事なんておかしいじゃないか。
 ――ちょっと変わってるものねえ、あの二人。
 ――この話も鼎ちゃんにバレたりしてるのかしら。不気味よね。
 ――先代はどうしてあの子を生かしておいたんだろうな。
 ――祟りだよ。早く何とかならないもんかなあ。気味が悪くって仕方ない。
 ――希ちゃんだって、最近はちょっと変だったしな。
 ――お姉さん好きが異常なのよ、あの子は。
 好き勝手な噂話の全てを耳に留める。断片的なそれらも、恐らくは他の猟兵たちの話と擦り合わせれば、それなりの情報になるだろう。
 思わず深く吐いた溜息が、耳を掠めて風に流されていく。研ぎ澄ませた聴覚に飛び込む声は、薄暗い忌避とは裏腹に、粘ついた喜びすらも孕んでいる。
 他人事のフィルタを挟んでしまえば、人死にもただの娯楽だ。
「……それにしても、毒殺ね」
 正しく在れと無理に背筋を伸ばされて、それこそが在るべき姿だと叱咤される。ひとらしさを殊更に強調し、そうでなければ生きている価値すらないとばかりに指を差す。
 手を汚さずに、清く、正しく、物欲を持たず在りなさい。人間であるならば、尊厳を守りなさいと、誰しもが繰り返すのを知っている。
 噂話を繰り返す人々とて、匡からみれば話に上がる彼らとさしたる違いはない。他者の存在のことは、無責任に法と倫理でがんじがらめにしておきながら――。
「こういう時は簡単に道を踏み外せるものなんだな」
 零した声を拾い上げて、戻ってきた一つの影が肩によじ登ってくる。その感覚に身を任せるまま進めた足が、屋敷の前で止まった。
 ――蝉の亡骸が、その足許に沈黙していた。

大成功 🔵​🔵​🔵​




第2章 冒険 『桜の樹の下には』

POW   :    犯した罪を告白する

SPD   :    抱えている悩みを告白する

WIZ   :    悲しい過去を告白する

イラスト:菱伊

👑11
🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​


 お爺さまは、よくあたしを呼んでは頭を撫でた。
 のぞみはかなえるものだから、お前は姉のものなのだと囁きかける。うんざりするほど耳元で繰り返されるその声を聞きながら、あたしは全ての準備を整えるのだ。
 どのくらい毒を入れれば人が死ぬのか、どのくらい苦しむのか、逆に――殺さないためにはどうすれば良いのか。あたしは沢山の使用人を犠牲にして知ってきた。お姉ちゃんに触れようとした奴も触れた奴も、本当は皆殺してしまいたかったけれど、それは止められてしまった。
 どいつもこいつも煩くて敵わない。お姉ちゃんを憐憫しながら、あたしを可愛がりながら、どれもこれも心の底ではあたしたちを不気味がって侮蔑している。あたしたちを『可哀想な姉妹』にしておけば、自分はいいひとのままでいられると思っているのだ。
 そのくせ、あたしが何を考えているのかなど誰も知らない。
 良い子でいるのは大変だった。それでもお姉ちゃんが喜んでくれるなら、どうだって良かった。お爺さまはにこにこ頷いておけば大人しかったから、あまり問題にはならなかった。泣いて悔やむ父さんと母さんには申し訳なかったけれど、あたしが寄り添ってやれば笑ったから、それで良かったのだ。
 お爺さまが亡くなったときは清々したのに、その後のことは思い出したくもなかった。
 あの人が何を考えていたのか知っている。あたしのことをいつだって馬鹿にして、使い潰しの道具にしたがった。あたしはあの人の道具になることだけは絶対に嫌だったけれど、その相手がお姉ちゃんなら、喜んで受け入れる。あの人は勘違いしていたのだ。お姉ちゃんが自分のものだから、あたしもそうなのだと。
 違う。
 あたしは最初から最後まで、お姉ちゃんの手で、足で、目で、臓器だ。
 お姉ちゃんの体を守り、お姉ちゃんの心を保つために生まれてきた。二つに分かれたあたしたちは、本当は一つで正しい人間だったのだ。だからあたしは、脳であるお姉ちゃんのために忠実に働いて、その命を守る――器のようなもの。
 だから、お姉ちゃんが毒を飲むと言ったとき、それを拒まなかった。
 けれど目の前で悶え苦しむお姉ちゃんを見てしまって、それがあまりにも悲しかった。生まれてからずっと苦しんできたお姉ちゃん。最期の最期まで苦しんで死ぬなんて、そんなのは許せなかった。
 それで――。
 包丁でお姉ちゃんの胸を突いた。見開かれた目が魂を失って崩れ落ちるのを見て、あたしは自分のしたことを自覚した。強烈な衝動に駆られて、脳をそっくり落としたような頭痛が襲って、叫んだ。
 そこで悟ったのだ。
 生きた者が死んだ者に出来る『償い』は、死ぬことだけだ。
 自ら毒を呷った。お姉ちゃんが苦しみ抜いたそれを最期まで味わって、地獄のような苦しみの中で無様に死に果てることが、あたしからお姉ちゃんに出来る唯一の償いだった。
 もう一度命を得たとき、あたしにはまだやることがあるのだと思った。
 お姉ちゃんを殺そうとして、或いは馬鹿にして来た奴らに、『償い』をさせなくてはならない。
 親族はみんな殺してしまった。呪いで病弱な身が聞いて呆れる。あれほど生きることに縋った相手は、他にはいなかった。最期の最期まで意地汚い奴らは、死んでようやく静かになったのだ。それは、罪の完全なる清算に思えた。
 ――だから。
 ――お姉ちゃんの邪魔をする人たちには、全員、あたしが『償わせ』なくては。


二章では毒を盛られた皿が配膳されます。
和風料理ですので食べる順番はお好きにどうぞ! 大体のものはありますので、指定があればどうぞ。
毒性は強いですが、猟兵にとっては多少体が痺れる程度です。三章に移行するまでには効果も切れるでしょう。
毒を飲んだ皆様には強い後悔が湧き上がります。その内容は『死者への懺悔』です。嘗て喪った誰かに対して、或いは自分が見殺しにしたり、助けられなかった誰かに対する感情をありったけぶつけて頂ければと存じます。
死んだ(或いは動けなくなった)ふりをして、双子への反撃の機会を窺ってください。

※プレイングは『8/23(月)8:31〜8/26(木)22:00ごろ』までの受付です。
シキ・ジルモント

毒とわかってはいるが、怪しまれないよう食事を進めよう
適当な所で死んだふりをして相手の出方を待つ

…なんだ?
体の痺れだけではない不快感が、いや、これは
思い出すのは病で亡くした幼い妹
同時に妹を亡くした時に感じた強い後悔や苦しさが、蘇るように湧いて来る

救えなかったのだから俺も一緒に逝ってやればよかったと、あの時と同じ考えが浮かぶ
一人にするくらいなら、一人にされるくらいなら
それ以外にどう償えば良いのか、あの希死念慮を振り払って生き延びた今も答えは見つかっていない
あいつは俺を恨んでいるだろうか
そうだとしたら、いつか許してくれるだろうか

…思考に沈み込むあまり、演技をしなくてもしばらくは本当に動けそうにない




 それが毒であることは、鋭敏な鼻を使うまでもなく分かっている。
 並ぶ料理の内から魚の煮付けを取ったのは、腥さを隠すための味付けが、生命を脅かすにおいを嗅ぎ分けてしまうのを防ぐためだった。感覚に迫る死を自ら呷るならば、そうだと分からぬようにしてある方が良い。
 何らの躊躇もなく箸を運びながら、シキ・ジルモント(人狼のガンナー・f09107)は毒が回る頃合いを図った。幾ら即効性とはいえ、体に染み込むのには相応に時間が要る。すぐに倒れたのでは演技も何もあったものではあるまい。
 煮付けを咀嚼しながら、さて野菜炒めに手を出したときである。
 体の内側から、煮えるような不快感が迫り上がってきた。それを合図として派手に転べば、突然に動かなくなった体に狼狽する男を装って――。
 ――否。
 自分の横で割れる皿の音を、どこか遠くに聞いた。世界から薄膜一枚を隔てられたような感覚が、奥底に渦巻いて足を掴む。体の――。
 違う。
 胸の裡で心臓を叩かれるような心地がした。駆け巡る思いの一つが、ひとりでに浮き上がって脳裏を締め付ける。次いで耳朶に蘇ったのは、己を呼ぶか細い声だった。
 ――末期の妹は、まるで枯れ枝のようだった。
 数多の世界を渡るようになってからは、死した妹と同じ年頃の子供をよく見かける。誰もが血色の良い肌をふくふくと膨らませて、柔らかな足で駆けてゆく。
 冷えた病床で襤褸を被り、独り兄の帰りを待ち続けた彼女の細い手足には、それすらも遠い夢だった。
 動かなくなった体が冷えていくのを、茫然と抱え込んでいた日の痛烈な感情が、不意にシキの心に強く杭を打ち込んだ。息が上手く出来ないくせに、未だ未練がましく酸素を求める肺に、自己嫌悪のひどい痛みが差し込む。
 止まってしまえばよかったのだ。
 何よりも大切だった。唯一の肉親だった。生きて笑っていて欲しかった。この手でずっと頭を撫でてやりたかった。
 何もしてやれなかったのは、シキだ。
 昏い黄泉路で泣いているかもしれないと思うだけで、喉の奥から嗚咽が漏れる。その手を引いてやればよかった。独りで遺されるくらいならば。独りで逝かせるくらいならば。その先に救いがなかったのだとしても、生きているときからずっと痛苦しか背負わせられなかった彼女も、せめて道往きくらいは笑っていられただろう。
 この命を差し出すほかに、何が償いになるのだろう。
 死へと痛烈に傾いていた心を振り払い、逃げるように生へ向けて走り抜けた。そうして少しずつ鮮明な痛みを疼痛に変えて生きながらえた今も、見失ってしまった手へ懺悔を捧げるための答えは出ないままだ。
 恨んでいるだろうか――。
 不甲斐ない兄を。救うことも傍にいることも、共に逝くことすらも出来ずに、未だここで息をしている兄を。昏い道に泣きながら、罵っているのだろうか。
 そうなのだとしたら。
 いつか――その罪を許して、笑ってくれるのだろうか。
 割れた皿の破片を茫洋と見詰める。床に倒れ伏した体が重い。浅く息をしたまま動かぬ体は、演技などではなかった。

大成功 🔵​🔵​🔵​

榎本・英
○◇

ナツ。有り難う
君のお陰でなんとかなったよ

次は私が頑張る番だとも。
君は隠れていて呉れ。

毒だったかな。
実に美味しそうな料理ではあるが、嗚呼。
舌が痺れて行くようだ。

湧き上がる後悔と懺悔。
母親に対しての思いだ。
あの時に私が一緒に行っていれば。
あの時に私がもっと言葉を尽くし
手を伸ばしていれば。

後悔をしても仕方がない。
それは理解をしているのだ。

けれども身体の奥底からどうしようもない気持ちが溢れて
嗚呼。仕様がない。

謝罪の言葉を述べることは出来ない。
謝罪で済むものだと思っていないからね。

せめて此処で私は――…。

と、苦しむふりをしてその場に倒れよう。
後悔はあるとも
しかし、母はそれを望まない
反撃の機を伺うよ。




「ナツ。有り難う」
 懐に戻ってきた仔猫を捕まえて、榎本・英(優誉・f22898)は誇らしげな頭を撫でた。
「君のお陰でなんとかなったよ」
 しっかりと追跡してくれたのだから、相応に褒め称えねばなるまい。だが今はそれどころではなかった。
 巻き込んで毒を食べさせてしまうわけにはいかない。まして影朧の前に立ちはだからせるようなことになってしまえば、どうなるかは分かりきっていた。
 ――此度の相手は、『彼女』のようには行かない。
「君は隠れていて呉れ」
 逃がした後に、英は品定めを始めた。どれに毒が混ざっているのかはとんと見当が付かないが、ともあれ端から少しずつ拝借すれば、どれかは当たろう。
 佃煮やタクワンや、そういう腹に溜まりすぎぬものを食べながら、煮っ転がしを囓ったときだった。
 舌に痺れるような痛みが走る。これだ――直感して、英は痛みを携えたそれを一息に呑み込んだ。途端、込み上げる思いが胸奥を刺す。
 ――母さん。
 ようやっとそう呼べたのも、ようやく視線が交わったのも、とっくに手遅れになってからだった。
 それにどこかで甘んじていたのはどちらだったのだろう。心の奥底には諦められぬ当たり前ばかりが未練がましく渦巻いていたけれど、同じだけ諦めてもいた。
 しがみ付いてでも共に水底へ逝けなかったのも。
 それより先に、沈もうとする彼女を止められなかったことも。
 驚愕を堪えて手を伸ばすことすら出来ず、後悔へと変えてしまったのは、そういうことなのだろう。
 幾度繰り返したとて、何の解決にもならぬことは知っている。だが生きている以上は引きずり続けるしかない十字架の重みの前には、理解など儚い夢想に過ぎない。
 溢れ出る感情の名はよく知っていた。咀嚼し続け、反芻し続け、擦り切れて何の味もしなくなったようなそれだ。溢れた鉄錆によく似ている。英の心の裡にはずっと、あの日の光景が焦げ付いて、絶え間なく錆びた紅色を流し続けている。
 謝罪など追いつきもしない。そんなもので足りるような、取り返しの付くような話ではないのだ。それこそ――命を犠牲にでもしなくては。
 ならば。
 ならばせめて、英は――。
 込み上げる思いの全ては真実だった。だが眼鏡の奥の眼差しは、真っ直ぐにじっと娘を見詰めている。倒れ込んだそこからは、彼女の表情までは見て取れない。
 ――振り下ろした得物は左胸に届かなかった。
 たったそれだけの、取り返しもつかなくなって初めて知る、ひとひらの愛だった。
 二度目に贈った最期にも、母は英の手を離して、彼はその手を掴めなかった。それでも一度目と違ったのは――。
 視線が交わったこと。母の思いを知ったこと。母の心の中に己がいて――笑顔で背を押されたこと。
 だから、後悔に懺悔はしない。蹲ることもしない。子供を水面に遺した彼女は、笑っていたから。
 ――今はただ、誰かがそうするように丸くなったふりをして、機に目を光らせるだけだ。
 握り締めた糸切り鋏が、手の中で鈍く光を反射していた。

大成功 🔵​🔵​🔵​

大町・詩乃
〇◇
お二人の気持ちのすれ違いっぷりがスゴイです💦
二人できちんと話し合えば…でも鼎さんが真実を拒絶するかも。
どうすれば良いのでしょう?
と悩み、解決策が出ないまま料理を頂く。
綺麗で美味しそう♪どなたが作ったのでしょう?

途中の鯛の天ぷらで毒が…

『死者への懺悔』
かつて私は明確に求められた願いしか見ない神でした。
それ故に、病弱なのに我慢して働いている一人の巫女の異常に気づかず、助けられなかった。
巫女の双子の姉が、私を社から連れ出し人の営みを見せてくれたのは、その後の事。
彼女は生涯その事を責めたりしなかったけれど、私がもっと早く自分から動いていれば…

だからお節介と言われても二人の事は何とかしたいのです。




 言葉足らずというべきか、内情がそうさせたというべきか。
 互いの感情に迫れば迫るほど、そのすれ違いが浮き彫りになっている。互いがそれで一定の納得を得てしまっているところが、事態を拗らせているように見えてならない。
 大町・詩乃(阿斯訶備媛・f17458)の視線は料理に迷うようでいて、実際にはもっと深遠な、見えないものを探している。即ち、かの二人が如何にして和解するか――というのも正確には少し違うが――の解決策だ。
 真っ向切って話し合えば、もう少し事態は好転するのだろうか。さりとて鼎がそれを拒めば悪化に傾きかねないし、互いが互いの言葉を正しく受け止められるかどうかも未知数だ。
 悩めど悩めど答えは出ない。さりとて箸を迷わせ続けておくわけにもいかず、詩乃はまず野菜料理に手を伸ばした。
 どれも惚れ惚れするような配膳だ。使用人がいないというなら、これは果たして誰が作ったものなのだろう。首を傾ぎながら口に入れれば、小気味よい歯ごたえが戻ってくる。
 そうして幾つかを摘まんでいるうちに、不意に呑み込むのを躊躇する断片が飛び込んできた。
 鯛の天ぷらである。
 ほぐれた先にある白身は美しい。どこからどう見ても、丁寧に調理が施された高級魚だが、それが毒なのだと勘が訴えた。分かっていれば呑み込むのはたやすく、襲い来るであろう不快感に身構える詩乃の胸裡で、不意に突き刺すような痛みが弾けた。
 ――人は数多を願うものだ。
 他者に打ち明けられるものも、奥底に秘めて蓋をするものもある。神であればこそ、彼女はそれをよく知っていた。
 けれど、神の前であれば――。
 心の底からの願いを打ち明ける。叶えて欲しいものを吐露して、必死に祈る。だから詩乃はそれだけを見た。己に祈られるものを拾い上げているだけでも、十全に役は果たせていると感じていたのだ。
 ――倒れた巫女の蒼白な顔を、まざまざと思い出す。
 生まれつき病弱だったのだと後から聞いた。先頃は体調を崩していることも多く、その日も幾分の気分の悪さを零していたものの、いつものことだと笑ってお勤めに向かったのだといった。
 結局――。
 助かることのなかった彼女の片割れが、詩乃の手を引いて人の世界を見せてくれたのは、その後のことである。
 人のような名を呼び、生涯の友人とまでなってくれた彼女が、責めるような態度を取ったことは一度もなかった。人を知れば知るほど抱く自責と罪悪感が、心の澱と変わって薄暗い思いを運ぶ。けれど姉である彼女が態度にせぬ以上、詩乃から切り込むことは余計に出来なかった。
 調子の悪そうな顔をしていた彼女を、止めていれば良かった。今日は良いからお休みください――ただその一言だけで良かったのだと、今になれば分かる。それすらも出来なかったから、横たえた後悔と自責の念が、足を絡め取ろうとする。
 けれど――。
 だから。
 重ねているだけだと言われても、例え要らぬお節介なのだとしても、放っておけない。ここで屈するわけには行かないのだ。
 じっとこちらを見詰める娘に悟られぬよう、詩乃は強く、拳を握った。

大成功 🔵​🔵​🔵​

イーヴォ・レフラ

十雉(f23050)と。

十雉、無理しないようにな。と言いたいところだが今回は無理にでも食べないとだしな。
毒入りってだけで食欲って減るんだな。

記憶の一番初め。
機械に繋がれて脳を部品として情報解析をさせられていた頃。
使えなくなった者から廃棄されていくそんな所。
名前も知らない血も繋がらない兄弟たち。
兄弟たちが少しでも長く生きる為に俺は壊れる訳にはいかなかったが
その日は唐突に訪れた。
頭の中を駆け巡る処理しきれない様々な情報と、
溢れた情報を受け止めて壊れていく兄弟たちの悲鳴。
ごめん、ごめんなさい。
壊したくはなかった、もっと長く生きて欲しかった。
今も生き長らえてる俺は兄弟たちの分も生きないといけないな。


宵雛花・十雉

イーヴォ(f23028)と

イーヴォの方こそ
本当なら苦しい思いなんてして欲しくないけど…
やる時はやらなくちゃね
頂きます

懺悔なんていくらしたって足りない
それだけオレはたくさんのものを奪ってしまった

いくら謝ったって許されたって
強くなったって何も変わらないんだ
結局はただの自己満足
そうでしょ、お父さん

ずっとお父さんみたいになりたいって思ってた
でもなれなかった
強くなっても弱いまま

生きることが贖罪になるのか
それとも死ぬことがそうなのか
分からない

分かるのは今のオレが生きても死んでもいないこと
どちらにもなれて、どちらにもなりきれない半端者

でもそんな奴にも居場所ができたんだ
だからもう少し足掻いてもいいかな?




 絢爛の一言に尽きる。
 広がった食卓に、イーヴォ・レフラ(エレミータ・f23028)が小さく息を吐く。これで何の憂いもなく食べられるのであれば、しっかりと口をつけもしたのだろうが、生憎と毒が混ざっていることは分かりきっている。
 そう思えば食欲もなくなろうものだ。招かれた席で怪しまれぬように、口から離した飴が今は恋しい。
「十雉、無理しないようにな。と言いたいところだが――」
 結局は食べねばならないことに変わりはない。苦虫を噛み潰したような顔をしたイーヴォに、宵雛花・十雉(奇々傀々・f23050)がゆるゆると笑って見せた。
「イーヴォの方こそ」
 十雉とて、苦しい思いなどして欲しいとは思っていない。自分自身のことであれば何とか呑み込めるそれも、こと親しい誰かが浴びるとなれば話は別だ。
 それでもやらねばならないときに、駄々を捏ねるほど子供ではなかった。
「頂きます」
 意を決するようにぱちんと手を閉じれば、倣うようにイーヴォも同じ仕草をしてみせた。二人で一息に食べた里芋の煮っ転がしから、痺れるような不快感が迫り上がってくる。
 ――心の奥から波濤の如く押し寄せるのは、鉄錆のようなにおいを孕む鮮明な記憶だった。

 古傷を無理矢理に開かれるような心地がする。椅子に寄りかかるイーヴォが見詰めていたのは、覆われたような視界に広がるいつかの部屋だった。
 辿れるうちで最初の景色だ。繋がれた管の感触すらも思い出せる。無数の機械に囲まれて、その音だけを聞きながら、彼は流し込まれる情報を一つ一つ分解していた。
 その頃、イーヴォは彼を囲む機械と何ら変わりがなかった。
 脳という部品だ。存在意義はそれだけで、価値がなくなれば『廃棄』されていくだけである。
 それでも、彼には理由があった。
 名も知らず、血も繋がらない。ただ互いの存在だけが知覚出来る彼らを、心の裡で兄弟と呼んでいた。勝手な愛着だったのかもしれないし、互いにそう思っていたのかもしれない。ただ、己が壊れれば彼らの命がない事実を、イーヴォは使命感へと変えた。
 少しでも長く生きていて欲しい。人らしい生もなく、ただ消費されていく使い捨ての部品に過ぎなくとも。ほんの少しでも永らえてくれたなら、それで良かった。
 それなのに――。
 濁流の如く押し寄せた情報を、処理することが出来なかった。容量を超えて溢れ出ていくそれらが向かう先は、あれほど心を寄せた兄弟たちだ。能力を遥かに上回るそれらを一気にぶつけられ、悲鳴を上げた彼らはじきに沈黙した。
 少しずつ小さくなっていく声をまざまざと耳朶に感じる。壊したくなかった。長く生かしてやりたかった。ただそれだけを願っていたのに、叶わなかった。
 その懺悔を抱えたまま、天井を見詰める眸が、そっと伏せられる。

 仰向けに転がった十雉の視界には、天井を見詰める緑の髪が見えている。
 父の最期の視界は、ともすればこれによく似ていたのかもしれない。茫洋とした思考を塗り潰すように、慙愧が心を駆け巡っている。
 ――幾ら懺悔したところで足りやしない。
 奪ったものは沢山ある。たった一人、父という存在が喪われただけで、思い出までもが色をなくしてしまう。
 謝っても足りない。許されても足りない。強くなりたいと思って、強くなったように見せかけて、弱さを見せる強さを見付けても――。
 そんなことは、ただの自己満足に過ぎないのだ。
 強く優しい人になりたかった。奪ってしまったものを、少しでも取り戻したかった。
 なれるはずもなかった。
 父の強さとは、こんな風に弱々しいものではなかったのだ。家族を守り、愛し、こんな己の代わりに消えていった。その穴を埋めることも、命を絶つことも出来ず、十雉は息をしている。
 贖罪とは、果たして何を以て果たされるのだろう。
 生き続ければ浄罪は成されるのか。それとも、魂を天に還して初めて成し得るのか。分からぬままに呼吸を紡いできた彼に、自覚しうるのはただ一つだ。
 生きることも死ぬことも、選べてなどいないこと。どちらにでも行けるのに、その狭間で迷い続けている半端者でしかないこと。
 いつか、それを自己嫌悪の温床としてきた。それでも今は、この手で掴みたいものがある。相棒と呼んでくれる人がいる。弱さを受け入れて笑ってくれる人たちがいる。こうして共に戦う人がいる。
 だから――もう少しだけ。
 足掻くことを、許して欲しい。

 ゆっくりと、天を向いていたイーヴォが下を向く。噛み合った互いの視線にちいさく笑って、二人はそっと、心の中で拳をぶつけた。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

比良坂・彷
○△
酢の物は苦手
礼儀作法きちり

死に瀕して朧気だったもんが形なす
血泡吐き彼岸花を握れば赫い

ああやっぱ俺は2回目
見目も性格もほぼ変わんねぇんだもん
ただ『弟』だけがいない

後悔は前の世で弟を自殺に追い込んだ事
希より自他の差がなかった
何しろ俺の精神は虚(から)
相手の気持ちも知識も虚の器に詰め放題
だから共感に長け人に好かれた

瓜二つで最愛の弟と同じになる事で虚から逃れようとした
好みも精神構造も全てを真似た
当然怯えられた
だからやめた

心がなければ体は肉塊死を待つのみ
なら全て託し弟に幸せになってくれと願った

それだけだったのに
死なせた
しかも俺に『死にたくない』って欲望を詰め込んで救って逝った

死ぬべきは俺だったのに…




 酢の物の皿が固まっていて良かった。
 それとなく遠い場所に陣取る。どうぞ――と言われればどうも――と返し笑うくらいの余裕はあって、手に取った胡麻和えを食す箸にも躊躇はない。
 毒があったところで、死なぬと分かっているならば何の意味もなかろう。
 倒れ伏した比良坂・彷(冥酊・f32708)は、それでも食道を焼くような熱を感じていた。思わず咳き込んだ口許を拭えば、唾液と混じって泡を成す鮮血を見た。
 刹那――。
 込み上げる衝動に、咲いた白い彼岸花を握った。ぐしゃりと潰れる音がする。開いた掌に赫く染まったそれが見えて、彷は鋭く息を吸った。
 二回目の命だ。
 正しくそう言うほかにないだろう。巡ったところで何も変わらない。生えた翼も心の裡も、まるで途切れた一度目と地続きにあるようだ。
 一つだけ、違いがあるのだとしたら――。
 『この』彷には、『弟』がいない。
 墜落していく顔を覚えている。見えなくなっていく体も。伸ばした手は届かなかった。たったひとつ求めたものさえ掴めなかった。
 彷の中にある壁は、渦中の妹よりもずっと薄い。自分も他人もなかった――というのは、何のことはない、己がただの虚ろだったからだ。
 他者の思いを詰め込んだ器に、誰かの知識を埋めた。そうして出来上がったのは継ぎ接ぎの『かみさま』めいた自我だった。心が分かるなら、何を求めているかも分かる。求めているものが分かるなら、それを差し出せば良い。
 ただそれだけで、人は彼を愛し、大切にするようになる。
 心の中の虚空を埋めるすべは見付からなかった。どれほどを集めても、どれほどを掴んでも、虚(から)の己の中には何も残らない。
 だからたった一つ、愛を抱いた弟に逃げ込もうとしたのだ。瓜二つの顔に瓜二つの精神を詰め込んで、同じ存在になれば、己にも『自分』が生まれると思った。
 けれども弟はそれに怯えた。鏡合わせの兄が細部に至るまでの全てを真似ることに、言い知れぬ違和を感じたことは分かっている。素直にそれをやめたのは、彼を傷付けたくてやっているわけではなかったからだ。
 それで――。
 自分には、心など持てないのだと知った。
 入るものがなければ、体はただの器で、肉塊だ。後は朽ちて腐るのを待つばかりの有機物である。
 そうなってしまったのなら、全てを弟に託すほかに道はなかった。せめて彼が幸福であれと願いながら、何をも持たぬ己は消えていくだけだ。
 そう――。
 ――思っていたのに。
 果たされることはなかった。弟はこの手をすり抜けて、虚空に消えてしまった。何もなかった兄にたった一つ、『死にたくない』と欲望だけを詰め込んで。
 救われてしまったのだ。
 何もないはずのこの身が得てしまった衝動が、彷を縫い止める。最愛の弟をそうまで追い込んで、たった独り空の果てから墜ちる運命を辿らせてしまった。重すぎる代償の果てに手に入れたものは、もうとっくに手遅れだったのに――。
 ――死ぬべきだったのは。
 最初から虚で、何も持てずに、弟を苦しめた――彷だったのに。

大成功 🔵​🔵​🔵​

雛菊・璃奈
○◇

ん…これが…毒、だね…
(お刺身や旬の焼き魚、煮物、お吸い物等を食べ進め、毒により椅子にもたれるようにガクリと)


故郷が侵攻を受けたあの日、わたしは、姉さんに守られて生き伸びる事ができた…。
あの時のわたしは幼く無力で、姉さんに守られ逃がされるだけしかできなかった…。
姉さんも、お父さんやお母さん達家族も、守る事ができなかった…。

あの日の無力さを、わたしは後悔しなかった事はない…。
それでも、無力なままのわたしが嫌で、もう二度と悲劇を生まない為、わたしは戦う事を決めた…。

だから、わたしはここで止まれない…悲劇を起こさせない為、悲劇を止める為に…!


姉:雛菊・桜花。
「大祓百鬼夜行〜虞来たりなば」で登場




 並んだ料理に手を伸ばすことに、躊躇はしなかった。
 綺麗に飾り付けられたそれらのどれが毒なのかは、成程見ただけでは分からない。とまれ目の前にあった刺身を摘まみ、それから鮎の塩焼きに手を伸ばす。脂の乗ったそれに舌鼓を打ちながら、次は煮物と、お吸い物を――。
「ん……これが……」
 不意に舌先に走った痺れが、本能に訴える。じわりと湧き上がった不快感に指先が痺れた頃、雛菊・璃奈(魔剣の巫女・f04218)はひどく脱力して、椅子の上で動かなくなったふりをした。
 意識ははっきりしているのに、何故だか思考が朦朧とする。過去の霧の中から滲み出る黒いものが、粘ついた手で璃奈を絡め取ろうとしている。
 ――姉さん。
 呼べばおっとりと振り向く顔を、よく覚えている。魔剣の巫女と呼ばれてこそいたけれど、剣を持って戦うにはおよそ向かないようなひとだった。得物を握って振るうより、桜花の名の通り優しく花を愛でて生きる方が、ずっとずっと幸せだっただろうひとだった。
 その隣で笑っていられたら、どれほど幸福だっただろう。優しい姉と、父と母と、皆で過ごす温かな居場所。ゆくゆくはそれを守り抜ける立派な巫女になって、その営みを紡いでゆけたなら、どれほど――。
 それでも、現実はそれを許してはくれなかった。
 彼女の助けになることすら出来ないほど幼い時分だった。焼け焦げる饐えたにおいの中を走り抜けながら、せめて妹ばかりはと敵に立ち塞がって、姉は叫んだのだ。
 走って――。
 その言葉通りに、璃奈は姉に背を向けた。走って走って足が縺れて、少しずつ遠ざかっていく熱気と血のにおいが感じられなくなっても走った。とうとうへたり込んで、ようやく振り返ったときには、もう誰も追ってきてはいなくて――。
 ――父にも母にも姉にも、永劫会えないのだと悟った。
 欲しかった力はここにある。それでも、本当に果たしたかったことを果たすには、もう遅いのだ。一番始めに守りたかったものは消えてしまった。もうこの世界のどこにもない。
 その悔悟だけは、今でも忘れたことはない。
 それでも――璃奈は悟られぬよう拳に力を込める。一番始めに膝をついて、自分が守れなかったものと、自分を守ってくれたものの重みを感じたとき、立ち上がった理由があるのだ。
 無力なままでいるのは、嫌だ。
 せめてもう二度と、あんなことを起こさせないために。同じように消えていく命を増やさぬように。喪ったものの重みと同時に、守られた温もりを忘れぬように――。
 強く握った剣を手放すことはしなかった。歯を食い縛ってでも、それを背負って戦っていくのだと決めた。
 だから。
 こんなところで押し潰されているわけにはいかない。
 今もどこかで積み重なっていく悲劇を、ここで起こされようとしている苦しみを、切り裂くために。
 強く握った拳と、虚ろの仮面を貼り付けた眸の奥に、宿した炎を消させはしない――。

大成功 🔵​🔵​🔵​

シャト・フランチェスカ
昏い場所に居たんだと思う
尤も、「居る」と感じる自我だって無かったのだけど

光と云うには曖昧
吸い寄せられた蛾のように
その座を奪い取った

シャト・メディアノーチェは居なくなった

少女は世界を人並みに嫌っていたみたい
少なくとも、ふたりの親友を持ったのにね
空虚そのものの「僕」なんかよりずっと
有意義に愛を識って生きていけただろうにね

何故羨んでしまったのだろう
不変には苦しみなど伴わない
僕はそのままでよかった
そのままがよかった

僕は僕のエゴでシャトを殺した
なのにずっと生き損ないで
空虚だったことだけ解ってしまって

きっと四人の心が死んだ
少女と友と、この僕と

生は緩やかな自殺
留まろうとする己が嫌い

この毒がもっと甘かったなら




 始まりは、昏い場所だった。
 上とも下ともつかぬその場所に『居た』ことすらも知覚出来ぬまま、ただひとつ、いのちと言うにも淡いものがあった。
 吹けば消えるような曖昧なものの目に映ったのは、光――そう呼ぶのも適切ではないかも知れない――のような、ひどくぼやけたものだった。
 何か、そこに意志が介在したわけではない。
 蛾は真実、心から光を求めて誘蛾灯に群がるのではない。光を目指せと、刷り込まれた本能に命ぜられて飛ぶ。だから、それもそういうものだったのだろう。
 シャト・フランチェスカ(殲絲挽稿・f24181)は、そうしてシャト・メディアノーチェの座を奪い取った。
 痺れるような心地に身を委ねたまま、冷たい床の感触を頬に覚えている。何を食べたのだか、もうよく覚えてはいない。湧き上がる思考を抱えたままで転がった自分は、外から見れば立派に死にかけているのだろうな――とだけを思った。
 シャト・メディアノーチェという少女は、それなりに世界が嫌いだったようだ。
 人並み――という一般化は、それこそ月並みかも知れない。誰しも相応に事情を抱えて、相応に世界が嫌いだ。それすらも、シャト・フランチェスカにとってはおよそ己の外側にあることのように思える。
 少なくとも、彼女にはふたりの親友がいた。どこか歪でも心を交わし合う相手がいて、その生い立ちは人間が辿りうるものだった。
 それならば――。
 シャト・フランチェスカという空虚と比べたらずっと、有意義に生きられたはずだ。人並みに愛を識り、人並みに幸福で、人並みに歩くことくらいは出来たのだろうに。
 それを、羨ましいと思ってしまった。
 不変は変化を望み、変化を識って初めて不変を望む理由を識る。変わることは苦痛だ。変わらずに変わっていくものを羨んでいたときよりずっと苦しくて痛い。心臓だけを針の筵にされるようなそれを味わいながら、シャトは血を流す心で叫んだ。
 ――僕はそのままでよかった。
 そのままがよかった――。
 エゴで一人の『シャト』を殺した。殺してまで奪い取った足で歩いて、ふと後ろを振り返ったとき、その足跡がひどく薄いことに気付いてしまった。
 生き損なったままの空虚だ。
 シャト・フランチェスカに人生などなかった。
 死ななくて済んだはずのものまでもが、共に死んだ。
 少女と、二人の歪な友と、心を抱いた空虚の四つが潰えた。
 生きていたとて何れ灰に変わるのだ。終わりが同じであるならば、生とは生まれた瞬間に呷る遅効性の毒のようなものかも知れない。そうして人は苦しみながら、緩やかな『生』という自死を迎える。
 それなのに。
 分かっているのに。
 毒の不快感に抗って呼吸をしている。冷たい感覚を鋭敏に捉えながら、それにしがみ付こうとしている。絶えず腕に紅を描きながら、それを拠り所に苦痛を和らげてまで、毒が回りきる日を遅らせようとしている。
 せめて――。
 この毒が甘美なシロップだったなら、歓喜とともに飲み乾せたかも知れないのに。

大成功 🔵​🔵​🔵​

プリムララ・ネムレイス
お招き頂き有難う御座います
医師のプリムラと申します
希様と鼎様の事は先代様や私の父からよく伺っています
お困りがあれば仰って下さい
きっとお姉様は案じていらっしゃるでしょうから
働き者で良い子の妹様の事を

見た事も無い異国の料理
火も通さないお魚の切り身が見目麗しく飾られています
毒入りだなんて残念だわ

お母様はたった一人で私を育てて下さいました
森の魔女として留まりながら幼かった私を育てる事はきっと大変な苦労だったでしょう
なのに私は森を抜けました
お父様を見つけるなんて心にもない動機を言い訳にして
私にできる償いはなんでしょう
お母様を独りにしたお父様を本当に見つける事?

いいえ
それはきっと
私が幸せになる事なんです




 恭しいカーテシーは綺麗に決まった。
「お招き頂き有難う御座います。医師のプリムラと申します」
「丁寧に、ありがとうございます」
 にこりと笑う娘の顔をじっと見詰める。プリムララ・ネムレイス(夜明け色の旅路と詰め込んだ鞄・f33811)の眸に窺うような色はなく、代わりに奥底にちらりと揺れる光ばかりがあった。
 人当たりの良さそうな笑みの真意を娘が知ろうはずもない。プリムララにはそれが分かっているから、そっと囁くように声を零すのだ。
「希様と鼎様の事は先代様や私の父からよく伺っています。お困りがあれば仰って下さい」
「そう仰ってくださると、ありがたいです」
「いいえ。きっとお姉様は案じていらっしゃるでしょうから」
 働き者で良い子の妹様の事を――。
 にこやかに告げた刹那、娘の唇が僅かに引きつったのを、プリムララは見逃さない。そのままついと背を向けながら、軽やかな足取りに刺さる視線を感じていた。
 ――『今は』、やるべきことがあるのだから。
 森を出てから初めて見るものばかりだ。異国の香りを孕んだそれは、彼女の生きた場所では一目見ることすら叶わないような、不思議なものだった。
 特にこの、魚の切り身は好奇心をそそる。生魚を食べるという食文化は見たことがない。毒入りでなければ憂いなく味わえたものを――少しばかりの落胆が心をよぎって、自然、唇は困ったように結ばれた。
 口に運べば、独特の舌触りが通り抜けていく。少し置いて走る痺れに打ちひしがれるように、彼女は派手に机に突っ伏して見せた。
 過るのは――。
 森を出た日のこと。それより少し前と、もう少し前のこと。
 ――偉大なるお母様の顔。
 父のことは知らない。ただ一人、母だけがプリムララの傍にいた。忘れ去られたネムレイスの森の魔女。人間がそうしてひとところに留まりながら、右も左も分からぬ子供を育て上げるのには、並ならぬ苦労があっただろう。
 その母から継いだ森を抜け、彼女は旅立った。まだ見ぬ父を見付けて連れ帰るだなどと、心にもない言い訳を動機にすり替えて、名も刻まれぬ母の墓標に別れを告げたのだ。
 置いてきたのは可愛くない人形と、膨大な本と、咲いていた名も知らぬ白花だけ。まるで母を悼むような娘の顔をして、背を向けたらもう一瞥をくれることすらせずに、プリムララは外へと繰り出した。
 恩知らずで親不孝な娘なのだろう。永久に眠っているであろう、もう二度と起き出すことのないだろう母に向けて、彼女が出来る償いに何があるという。言い訳を事実にすることか。母をあの森の孤独な魔女にした、どこかにいるであろう父を見つけ出して、墓前に連れ帰ることだろうか。
 ――いいえ。
 プリムララは密やかに笑む。死体のふりをしろと言われていなければ、笑い声の一つでも漏らしていたかもしれなかった。
 彼女が償いとして、母に捧げることが出来るのは一つだけ。
 この広く自由な外の世界で、彼女が幸福になることだ。
 ――そうでしょう。
 ――私の、大好きなお母様。

大成功 🔵​🔵​🔵​

ラピス・プレオネクシア
毒味は得意だー……だから表面を見て、少し匂いを嗅げばどれが毒かはわかる……なので速やかに毒の部分だけを食うー……擬態も演技もそう変わらないー……

……主君も親も、みな死んだ
忍とは主に仕え、主の影として動き、そして人知れず死ぬ者
主なき影が、一体どうして今も生き永らえている?

……私もあの時に死ねばよかったのだ。守ることはできなくても、助けることができなくても、後を追うことくらいはできたはずだ
そうすれば、空虚なままに己の欲を満たすだけの獣になどならなかった
忍として死ぬことができたはずなのに

……これが毒の効果なのだとすれば、随分と性格が悪い
思い出したくもないことを思い出した
仕事が済んだら酒だー……




 毒味は本職だ。
 嘗ての――と但し書きを付けた方が良いかもしれない。とまれラピス・プレオネクシア(貪欲・f34096)は、毒の何たるかをよく知っている。
 つぶさな観察は要らなかった。それと悟られぬよう表面を視線で撫で、目星を付けた舞茸の天ぷらを速やかに皿に盛る。香りを味わうように鼻を近付ければ、芳醇な香りの奥に功名に隠された、僅かな違和が鼻腔を満たした。
 貪欲に生きるとは決めたが――。
 ――欲を屠るというのは、無駄まで余さず喰らうことではない。
 囓れば案の定舌先に痺れが走った。元よりあらゆる訓練を叩き込まれた身だ。猟兵でなくとも、この程度でどうなる体でもなかったかもしれないところ、この超常の力は更に生命の終わりを遠ざける。
 擬態とは、即ち演技でもある。先に噂好きの女と成り代わったときと同じ、虚ろに天井を見詰めるような顔をして、ラピスは最期のそれに見せかけた息を吐いた。
 無為に高いそれに、不意に低い梁を幻視した。痛烈な孤独感が心臓の奥に杭を打ち込み、身を引き裂かんばかりに暴れ狂う。
 何もかもが無駄になってしまった――。
 最初に、ただ茫然とそう思った。頭に刷り込んだ教えも、食らいつくようにして得た力も、未来を信じて疑わなかったが故に成せたのだと知った。
 主君も親も、生きる意味も、里と共に芥と消えた。
 ラピスの出自は忍である。忍とは、陽を遮り歩く者の影だ。その足取りに従い、命ぜられるままに形を変え、何れ斜陽と共に帳へ融けていく定めの者である。
 あの日、彼女を陽光から遮るものは消え果ててしまった。光に晒された影は須く消えるのみ。
 ならば――何故生きているのだ。
 守らねばならぬと信じたものはいとも容易く指先を滑り抜け、助けねばならぬと使命に刻んだものには声の一つも届かなかった。無力が故に全てを喪った手に刃だけが遺ったのなら、その使い途は一つしかないはずだった。
 首に突き立てれば死ねる。内股を切りつけるだけでも良い。腕を切り落とすことだって出来た。あらゆる技量の全てで、己を殺すこととて簡単だったはずだ。
 それが出来ずに生き存えて、未だそうすることすら出来ずにいるから――。
 ラピスは忍でいられなくなった。
 裡に空いた埋めようのない虚に向けて、叶えた欲望を流し込むだけの、満たされぬ獣に堕ちてしまった。
 積み重ねる業の重さに、自然と瞼が閉じていく。天井が遮られて、あの懐かしい香りが遠のいて、彼女は正体を取り戻す。
 ――随分と性格の悪い毒だ。
 これを用意した者の顔が見てみたい。お陰で思い出したくもないものばかりを見せられた。光景は振り払えども、打ち込まれた杭の鮮明な痛みを咀嚼してしまえば、それを押さえ込むのは容易ではない。
 ――もう、帰ったら酒だ。
 この食卓にない甘美な酒精の味だけを刻みつけるようにして、ラピスは努めて骸に擬態することに決めた。
 瞼を開けることは、出来なかった。

大成功 🔵​🔵​🔵​

蘭・七結
【月暈】

心躍るようだわ、兄様
箸と云う食具に興味があったの
こうして扱えばよいかしら

和食の嗜みは馴染んでいるけれど
演ずることは愉しいわね

兄であるあなたの視線を受け取って
こっそりと含み笑みましょう
毒を扱いには、ちょっぴり慣れているけれど
侵されるのは久方ぶり、かしら

お吸い物をいただきましょう
溢れる笑みごと飲み干すわ

指さきが痺れて
身体の自由が奪われてゆく
伏せた目蓋の向こうに映る景色
遠い遠い彼方の記憶
わたしが忘れている――鏡写しのあなた

“あねさま”が葬ったと云う妹子
ほんとうの“八重”
漆黒に染めた牡丹一華

憎んでいるの
嘆いているの
如何して、こんなにもあなたが遠い

兄さ――ユェーさん
あなたが溺れる懺悔は、何かしら


朧・ユェー
【月暈】

美味しそうな食事ですね
和食を食べるのは憧れでしたので
良かったですね、七結
ふふっ、綺麗に箸を持ってますよ
上手ですね

匂いからして毒が入っているのがわかる
彼女、今は妹に微笑みかけ目線を合わせる
多分、きっと彼女も気づいているはず
毒は僕よりも免疫の強い子だから
死ぬという心配は無いですが
笑みが大丈夫だと応えている

ご飯、味噌汁食べ進め
毒が入った小鉢へと

嗚呼、毒が身体に入ったのがわかる
食べた物が血の味する
あの時の味、村人達の血を身体を食したあの味だ
後悔…そんな事…
このまま死ねば許される?

七結…大丈夫ですか?
妹を気遣うように手を握り
そのまま動かなくなっていく




 絢爛な食卓に悪意が潜んでいようとは、成程、誰も思うまい。
「美味しそうな食事ですね」
 和食を食べるのは憧れでしたので――。
 ちいさく笑って感嘆の声を漏らした朧・ユェー(零月ノ鬼・f06712)は、未だ役になりきっている。何も知らぬまま屋敷を訪れた異国の男の仮面は、じっとこちらを窺う娘――影朧の片割れの視線にも崩れない。
 隣で無邪気に目を輝かせ、並べられた皿を見渡す蘭・七結(まなくれなゐ・f00421)もまた、溢れんばかりの歓喜を以て『兄』を見上げた。
「心躍るようだわ、兄様。箸と云う食具に興味があったの」
「良かったですね、七結」
 ――その紫水晶の奥に見え隠れする、いたく凪いだ色を見分けられぬユェーではない。
 箸をぎこちなく持ち上げて、七結が周囲をくるりと見渡す。正しく見よう見まねで握られた、少し不器用な箸を動かして見せる眸には、今度こそ心底から愉快げな光がちらついた。
 生誕ゆえの異国めいた容姿とは裏腹、和の国に育った娘だ。
 親しんだ香りも嗜みも、今更違おうはずはない。それでもこうして無知な――或いは蒙昧な――年ごろの娘を演ずるのは、普段の己を離れるようで面白い。
「ふふっ、綺麗に箸を持ってますよ。上手ですね」
 ユェーの掌がそっと頭を撫でてやれば、さも嬉しそうにふくふくと笑う。ぱちりと瞬いた視線が絡み合った。
 先に唇を持ち上げたのは、七結の方である。
 意味深な笑みの意味を、受け取る彼の方は理解している。芳醇な香りの奥、隠すように施されたにおいが嗅覚を刺激するのだ。今は妹として振る舞う彼女も、それにはよくよく気付いているものとみえた。
 美しいものこそ毒を持つものだ。艶やかに咲き誇る一華の牡丹は、あかあかしい身に秘めたる毒を操る。自分が振り撒くことには慣れているけれど、こうして喰らうのはひどく久方ぶりだ。
 それでも、かの暗がりに住まう鬼の血を引く身。或いは自ずから毒を宿すからこそ、こと浴びることにはユェーよりも強いやもしれない。
 互いに確認をしたならば、仕組まれた罠を湛えた笑みごと飲み干した。七結はお吸い物を。ユェーは小鉢を。
 同時に力なく倒れたふりをして、しかし演技ではなく、視界が明滅する――。

 強毒だったらしい。
 指さきに痺れが走る。見えぬ力に縛られる不快感もあった。伏せた床の冷たさを頬に感じながら、七結はそっと目を閉じる。
 瞼裏に焼き付いた誰かが、こちらを見詰めている。
 彼方にいるようにも、すぐ近くにいるようにも感ぜられた。見慣れたようで見知らない、無し色の鬼の曖昧な記憶にしか住まわぬ、幼い己と鏡写しの娘――。
 蘭の家に生まれた娘は、皆『上手く』生を得られなかったのだと聞いた。
 一から順に数を当てられて、そのどれも命となれなかった。指折り数えて六番目、異形の屍だったという姉は、生まれられた七番目の片割れ――八番目の娘を屠ったのだという。
 存在も名も葬って成り代わられ、片割れの記憶からも遠ざけられていた、『ほんとう』の八番目。八重と名付けられた、漆黒の牡丹一華――。
 共に生きた彼女のことが、今や何も分からない。その眼差しに込められた思いが何なのかも。
 憎んでいるのか。
 嘆いているのか。
 それとも――もっと別の思いで、己を忘れ、己の名をした女と生きる片割れを見詰めているのか。
 伸ばそうとした手では触れ得ない。胎の中でふたり、繋いでいたはずの指さきを、彼女は伸ばしてくれない。
 どうして。
 ――如何して、あなたがこんなに遠いの。

 天井を見詰める口の中に、俄に鉄の味が込み上げた。
 毒が粘膜を焼いたのか。瞬く間に広がる何より強い刺激に、体中が否応なしに反応するのを感じる。血を喰らい肉を喰らうことを求めるユェーの身は、またぞろあの唾棄すべき衝動を囁く。
 あのときの――。
 血に塗れた己の掌を見て、ユェーはしでかしたことの大きさを知った。
 何の変哲もない小さな村だった。
 誰しもがそれなりに幸福に暮らしていたはずだ。子供たちは笑声を忘れなかったし、挨拶を交す余裕があった。皆が穏やかに暮らし、そういう日常を守るためにめいめい生きていて、ユェーもそのうちの一人でいたはずだった。
 啜った血は甘かった。肉はどんな料理よりも甘美に身を潤した。泣き叫ぶ声も、鉄錆の噎せ返るような香りも、暖かな食卓よりずっと美しく思えた。
 そうして。
 思い出の拠り所の全てを血肉に変えた真ん中で、ユェーは立ち尽くしている。
 手の中の温度は失せていた。黒い髪がどす黒い紅に染まって、いつか笑い合った唇が乾いている。
 後悔など。
 ――後悔などとすら、呼ぶことが出来ようか。
 どうすれば許されるのだろう。いっそこのまま、息を止めてしまえば良いのか――。

「兄さ――ユェーさん」
 あえかな声に正体を取り戻して、ユェーは崩れるように横を見た。
 伏した七結が弱々しく呼んでいる。こちらも震える手を伸ばしながら、絡めた視線は先と同じ、静謐な意志に満ちている。
「七結……大丈夫ですか?」
 手を握りあったのが最後だった。互いを虚ろに見詰めるまま、静かに朽ちる骸を演ずる。
 互いの目に見うつした、抱える懺悔の色を、声なく問うままに。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

ティオレンシア・シーディア


一応の予想はしていたけれど、また見事にアレな案件…
いっそ清々しいくらいに予想の斜め下突き抜けてくれたわねぇ。
というか姉のほう、生前から無自覚かつ制御不能なユーベルコヲド使いだったんじゃないかしらぁ?降魔化身法の変形とかそれっぽいわよねぇ。

…後悔、かぁ。あたし反省はともかく後悔ってほとんどしたことないのよねぇ。どうあがこうがやっちゃった以上その事実は変えられないし、後悔するだけ時間の無駄でしょ?
…あるとしたら。やっぱり猟兵に覚醒した「あの時」よねぇ…正直ほかに心当たりないし。
……けど。「何を」後悔してるんだろ…?覚醒の切欠がそれなんだから、「仕方ない」事で――「現実なんてそんなもの」なのに。




 記者に聞き込む以前から、ある程度の予測はしていた。
 彼の話を元に情報を交換すればするほど、予感が確信――或いは失望か――に変わっていく。今となってはその全容もおおよそ見えた。
 全く見事なまでに救いようのない話である。
 ティオレンシア・シーディア(イエロー・パロット・f04145)が、お吸い物を飲み下して悟られぬよう溜息を吐くのも、致し方のないことだった。この時点で当初の予想を大いに下回る現実が浮き彫りになっている以上、ここから先の真相に挽回の余地はない。
 ――考えてみれば、姉の方は生前より、猟兵に近い何らかの才覚を有していたとしても不思議ではない。
 その鋭敏すぎる聴覚は、生まれつきの異常――或いはこの家系に伝播した呪いによる奇形――と考えるよりも、ユーベルコヲドのせいにしてしまった方が納得がいく。丁度、それに似たような力を扱える者がいることも知っていることであるし――。
 思考を巡らせる間にも、ティオレンシアの仮面は揺らがない。舌に走る違和感が即効性の毒のそれであることを悟れば、速やかに演技に入るくらいは造作もないことだ。
 ゆっくりと崩れ落ちながら――。
 裡に渦巻くものに、自然と手を触れていた。
 後悔など時間の無駄だ。事実を捻じ曲げることなど出来ない。ティオレンシアはそれをよくよく理解しているから、反省こそすれ後悔など碌に抱いた記憶がない。それでも一つ、挙げるとすれば――。
 地獄の如き幻のさなかで再び浴びた、炎の熱を思い出す。
 柔らかな体が、ビニールを無理に引き裂くような音を立てた。大鉈の如き爪に撫でられただけで、脆い体が裂ける。命が零れ落ちるには充分すぎるそれから、紅蓮の熱に炙られる生命の証が流れ出ていた。
 ぴくりとも動かぬ娘の体を前に、地に広がった鮮血よりなお赤い隆々たる体躯が、ティオレンシアを見詰めている。
 目が合う――。
 焼き回しの幻影を脳裏に浴びながら、しかし彼女の心はひどく凪いでいた。抱くべき何かを、知らぬ間に空いた空疎から取りこぼしてしまったようだ。あのとき、どうしてあれほどに激昂したのかが思い出せない。
 狂乱の熱のさなかで、何かを言われたのだけを覚えている。
 殆ど唯一と言って良い後悔の心当たりは、ティオレンシアの心に陽炎の如く揺らめきを与えるだけだった。確かに後悔しているのだろう。こうしてまざまざと思い出すくらいには。
 ――何を?
 猟兵としての力を得る切欠は、間違いなくあの地獄の中で、ゴミ溜めの中の細やかな幸いを喪ったことだった。
 だから仕方がないのだ。
 名前を呼べば振り向く笑顔がないことも。その身を助けてやることも、用心棒らしく身代わりになってやることも出来なかったことも。
 だって。
 ――『現実なんてそんなもの』だ。
 思った途端に力が抜ける。瞼の上にのし掛かる重みを何と呼べば良いのか、分からなかった。頭の中を、いつかに聞いた言葉だけが巡っている。
 それがただ、億劫で、億劫で――。
 彼女は静かに、息を止めるような振りをした。

大成功 🔵​🔵​🔵​

鳴宮・匡
食事を口に運ぶ時も、意識は張り巡らせたまま
もしもの時の為に、ひとつだけ影を残しておくよ

――昔は、いつだって死の隣にあって
いつだって、あのひとのことを考えてた

ずっと、謝っていた
生きていることも
歩いて行けることも
居場所があることも
未来があることも

許されるはずもないのに

歩みを止めない限り、降り積もる
目の前の景色が鮮やかに見えるほど
それを奪ったことの罪深さを思い知る

……でも
どんなに、謝ったところで
俺はもう、自分の手の中にあるものも
これから手に入れたいと思うあらゆるものだって
もう、諦める気はないんだ

今だって、こうして死に近いものに触れて
思い出すのは、あのひとの事じゃなく、て

――きっと、それが一番、罪深い




 猟兵といえど、体はただの人間のそれだ。
 集まっては戻っていこうとする影たちのうち、一つをそっと制する。食卓の影に速やかに隠れたそれを見送って、鳴宮・匡(凪の海・f01612)は僅かに目を眇めた。
 張り巡らせる注意は切らさない。万一にも己が前後不覚に陥ったときには、『彼』が目になってくれるだろう。
 何にも気付いていない顔をしたまま、口に入れた漬物を碌に噛みもせず一息に呑み込んだのは、自死のそれに似た抵抗感ごと毒を呷るためだった。
 戦場にあるときには、死への恐怖など感じたこともなかったのに――。
 ――否。
 あったのだろうか。
 崩れ落ちながら手繰る記憶は、いつまでも鮮明なままで匡に纏わり付く。それなのに、あのひとが隣に置いてくれた日より前のことは、一つも思い出せない。
 今際を錯覚する体の痺れが想起させる、走馬灯に似た明滅もまた、彼の裡に根付いた声ばかりだ。
 全てを取り落としてからずっと、あのひとのことだけを考えていた。
 それだけを考えれば良かった――のかもしれない。抱えるには重すぎる心を手放し、代わりに銃を取った。体よりずっと軽い引鉄を引いて、それよりも軽い命を殺した。そうしていながら、ずっと謝っていた。
 散らしていった彼らにではない。
 ただ一人を喪えば瓦解する虚ろのために、命を擲ったひとに。
 罪悪感の鑢に、心を擦り付けて生きている。血を吐きながらでも歩けてしまうことも、棄てた心を再び抱いて居場所に帰れることも、何もかもを覚える脳裏に新しい思い出を刻むことも。
 ――それをいつか、思い出して笑い合いたいと願ってしまうことも。
 何より大切だったものの代わりに生き残った。告げられた最期の声を義務に代えて歩いた。
 角灯の仄かな光が――褪せた世界に色を灯した。
 鮮やかな色彩を網膜いっぱいに映して、匡は初めて、真に打ちひしがれた。己の奪ったものは、壊れた心が分かったつもりでいたそれより、ずっと重かった。
 生きていたいと思えば思うほど、取り返しのつかぬ罪に項垂れる。膝を折ってしまえばもう二度と立ち上がれないと知っている。今だって、擦り切れるほど繰り返した誘惑が耳元で囁くのだ。
 ――もう、良いだろう。
 閉じた唇の奥で、割れんばかりに歯を食い縛った。込み上げる思いを今度こそなかったことにはしない。
 嫌だ。
 謝ったくらいで済まないことも知っている。それでも、この手にあるものも、これから手に入れたいと思うだろう数多も、諦めたくない。
 のろのろと動かした痺れる指先が、ホルターに触れる感触があった。戦場であれば何の感慨も浮かばぬ、肉薄する死の生々しい感触が、今は胸裡を逆撫でしてならない。
 そこから伸びるあのひとの形見に、手が触れることはなかった。
 強く握り締めた藤色の武器飾りが食い込む。掌に感ずる遠い痛みに、ひどく安堵するような心地がした。手の温もりを、鮮明に蘇る声を、手繰るようにして意識が現実を取り戻す。
 ――テーブルの下で、塗り潰された影の眼差しだけが、重なる罪を見詰めていた。

大成功 🔵​🔵​🔵​

歌獣・苺
【苺夜】○
毒かぁ…
さすがに食べるのには
勇気がいるね
ルーシー、手を繋いでせーので
一緒に食べようか!
実は私も少し怖くて…!

ーーせーの!

ぱくり。口にすれば
毒の苦しさと…後悔の気持ち。

脳裏に浮かぶのは
『彼』を切り落とした日
あの日彼の話を無視して
切り落とさなければ
『しあわせ』な時を
共に歩めていたのでは
あの日切り落とさなければ
今も2人で『笑い合えた』のでは
あの日切り落とさなければ
あの日、あの日、あのひーー
後悔が渦巻く
飲まれてしまいそうになる

ーーでも
あの日貴方を切り落とさなければ
私はきっと『弱い』ままだった。

後悔を振り切って
少女の手を強く握る。
ルーシー、負けないで
私は…そばにいるよ
(ーー彼も、きっと側に。)


ルーシー・ブルーベル
【苺夜】〇

毒を食す怖さもだし
苦かったら…

テーブル下で手を繋いで
いいわ、苺
せーのっ
柑橘香る酢の物をひと口

青い青い部屋が見える
中心で横たわるお父さま
あなたを食べた日だ
どうしたら避けられただろう
ずうっと考えている

あの日
初めて抱きしめられて
あたたかくて大きくて
愛してもらえるんじゃないかって勘違いして、それで
視界が青で満ちた

ずっと後悔してた
ずっと助けたかった
でも
きっとそれも勘違いなんだ

あなたは唯
あの子の所に行きたくて堪らなくて我儘を貫いた
助けたかったなんて
何て傲慢

大丈夫よ、苺
わたしは平気
手を握り返す
あったかい、なあ
彼との約束を思い出して笑む

お父さま
あなたはあなたの我を通した
だったら
わたしだって通してやる




 毒を食らわばなんとやらとは言うものの、いざ目の前にすると手は止まる。
 嘘を吐けない表情が、少しだけ困ったように眉尻を下げた。死ぬことはないと分かっていても、歌獣・苺(苺一会・f16654)の目は彷徨う。
 ――同じように彼女を見る、ルーシー・ブルーベル(ミオソティス・f11656)の隻眼と、不意に視線が絡み合った。
 年端もいかぬ少女である。毒を自ら呷るなんてこと、幾ら静謐の下に隠したって不安だ。それに、もし――。
 ――ピーマンみたいに苦かったらどうしよう。
 ほんの少しだけ、押し隠した隻眼の奥が揺らめいたのを、苺は見逃さない。その耳元に唇を近付け、ひそりと囁いた。
「ルーシー、手を繋いで、せーので一緒に食べようか!」
 実は私も少し怖くて――笑って言いながら伸ばされた指先が、テーブルの下でルーシーの掌に触れる。
 それを握り返して、彼女も安堵の滲む顔で頷いた。
「いいわ、苺」
 ルーシーの目の前には酢の物の小皿。柑橘の匂いが怖さを少しだけ遠ざける。
 苺が手にしたのは甘い羊羹。舌の上で溶けるそれなら、噛み砕くよりも簡単に飲み込める。
 目を合わせた二人は、どちらともなくふたつを口へ近付けた。息を吸って、少しだけ吐いてから――。
「――せーのっ」

 飲み込んだ瞬間、苺の喉を焼いたのは、毒だけではなかった。
 毒よりも苦い後悔の味がする。沢山の悲しいことがあって、沢山の苦しいことがあって、その大半は自分から背負い込んだことだった。大事な妹を守るために。それから――。
 ――二人で笑い合って、一緒に手を繋ぐために。
 躊躇がないわけではなかった。それでも決めたことだからと、惜しむ心に蓋をして、手の中にあったひんやりとした温度を切り落とした。
 そうした方が良かったから。
 そうしなくちゃ、二人で幸せにはなれなかったから。
 ――本当に?
 『しあわせ』も『笑い合う』も、全部苺の勝手だったのではないか。本当はあのまま繋がっていた方が良かったのではないか。だって、手は繋げずとも幸福だったではないか。彼にあのままでも良いと、あのままでも苺は彼だけを愛しているのだと理解してもらえたならば、別離の苦しみも迫り上がる後悔も知らずに済んだのではないか。
 ひとりより、ふたりの方がずっと良い。
 苺はそれを学んできた。ずっとずっと教わってきた。だから一度は離れて、再び衒いなく笑って指を絡ませられる日を夢見た。けれどそれが間違いだったなら。こんなにも苦しい思いをせず、彼にあんな声を出させたりせずにいられたのだとしたら、それは――。
 喉の奥から小さく嗚咽が漏れる。毒に苦しむようなその声が、鼓膜を飲み込むようだった。

 ルーシーの瞼の裏には青だけがある。
 無数の花弁が散っている。元からそうあったというには歪な部屋に、静寂が満ちている。
 ――中央に横たわるひとの生気のない顔から、目が離せない。
 あの日から、ルーシーはずっと考えていた。褒めてほしくて抱き締めてほしくて、当たり前に娘と呼んでほしかったひとの命を喰らってしまったあの日を、どうしたら迎えずに済んだのだろう。
 最初で最後の温もりだった。優しく抱き締めてもらったのは初めてで、暖かくて大きな温度が嬉しかった。ともすれば今までの孤独は全て夢のような幻で、今からはずっとこの腕の温度を享受できるのだと錯覚するほどに、嬉しくて嬉しくて――。
 次の刹那には、もう青しか映らなくなっていた。
 淀む後悔が泣き叫ぶ。助けたかった。こんな結末から、お父さまを遠ざけたかった。喰らってしまいたくなんてなかった。
 けれど。
 ルーシーはもう知っている。
 それだって、所詮はただの錯覚に過ぎないのだ。
 いなくなってしまった『ルーシー』に会いたくて、彼女を抱き締めてあげたくて、彼はとうとう我儘を貫いたまま逝った。必要とされたのも愛されたのもルーシーではない。彼女が彼に与えられる唯一の救いは、同じ場所に送ってやることだけだった。
 それを。
 ――助けたかったと泣く後悔の、どれほど傲慢なことだろう。

 苺の掌に力が籠る。そこにあるちいさな指先の温度を、強く強く感じた。
 そうだ。
 あの日に別れを告げなければ、苺はずっと、『弱い』ままだった。こうして真っ直ぐに立てるのも、きっとあの日があるからだ。
 手を繋ぐ彼女だって、同じような苦しみを味わっている。ならば今は、この後悔に飲まれている場合ではない。
 苺はここにいる。
 ならばきっと――彼だって、ここに。
 苺の温度に応えるように、ルーシーもまた、そっと手を握り返した。暖かな温度が生きていることを報せてくれて、途端に視界から青が遠のいていく。
 ――思い出した約束を重ねて、自然と唇は弧を描いた。
 後悔となど変えてやらない。最期まで我儘を貫いたあなたにルーシーが送る反抗期は、己の我を通すことだ。
 娘は、いつまでも父のものではないのだと、報せるように――。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

朱赫七・カムイ
⛩神櫻


噫、彼女の抱く呪はこれ程に強いのか
之がひとの齎す禍で、人自身が作り出す厄か
…双子も家族も倖を望む心は同じだろうに、こうも歪み堕ちるものか
…妹は今が倖なのだろうか?

きみに毒など食べさせたくないけれど…
サヨの、桜の毒ならば幾らでも喰らうよ
雛のように口開く巫女に苦悩しながら魚をひとつ
きみが眠ってから私も同じ物を喰らい眠ろう

噫、償いか
私(カムイ)にはまだ何もない
だけど『私』にはある
イザナ…君を救えなかったこと
日々弱る君を見ている事しか出来なかった
神の信心では弱る竜神は救えない
何も出来ず失った
君に心のひとつも、何も伝えられず

償いならば、サヨにする
イザナの転生のきみを今度こそ守る
私はきみの神なのだ


誘名・櫻宵
🌸神櫻


姉に依存…いいえ
ひとつになったつもりであるあの娘はもういっそ清々しくて
噫、だからこそのこの結果であるのかと
愛おしいくらい
純粋な神の優しい心が悼む事が嘆かわしくて可愛いらしい
倖とは呪よ
人の抱く最も強い慾
そうして最も多様で理解できないもの

カムイ
知っている?桜にだって毒がある
食べさせてと口を開き白魚を食む

ひとつにというなら
食べてしまえばよいのに
私のように
友も従兄弟も爺やも、巫女も義母も妹も
母すら喰らった私のように

私の中には彼らがおるの
ごめんなさいなんて言えない
謝ったってなにも変わりない
帰って来ない
甘美な血肉が美味であったなんて─桜の樹の下の秘密

噫、不味い
苦くて不味い、死んだ方がましなくらい




 情念とは祝福すべきものでありながら、時に呪いをも孕む。
 目の当たりにしたそれの重さに、朱赫七・カムイ(厄する約倖・f30062)は言葉なく打ちひしがれていた。料理を見定めるように滑る視線も暗澹と沈む。
 ひとの想いが齎す禍と、ひとの欲が作り出す厄は、神によって紡がれるそれを遥かに超えて背筋を逆撫でする。
 幸いを望んだだけだろう。それぞれが求めるものが、噛み合わなかっただけのこと。それだけなのに――。
「……妹は、今が倖なのだろうか?」
 誰にともなく零された声を拾い上げて、誘名・櫻宵(爛漫咲櫻・f02768)がちいさく笑った。
 未だやわく純真な神の、優しい心が悼んでいることが嘆かわしい。けれど同じくらい、可愛らしくてならない。
「倖とは呪よ」
 ひとつになったつもりなのだろう。
 神の如く崇める姉と同じものである気で生きている。その歪みが生んだ取り返しのつかない終わりがこれであるというのなら、櫻宵にしてみればいっそ清々しさすら感じるほどに愛おしい。
 人の抱く最も強く、そして最も多様で、時に誰にも理解出来ない――欲望。
 終止符を打つのが役目なら、まずは互いに喰らわねばならぬものがあるまい。
「カムイ」
 あえかに呼びかける巫女の囁きに、神はそっと顔を上げた。
 ――毒があるのは料理だけではない。このうつくしき薄紅の花弁も、蝕む甘美な痛みを持っている。
「食べさせて」
 ちいさく口を開いて、上目に彼を見詰めて見せた。カムイがたじろいだのは、何も気恥ずかしさなどではない。
 毒など――。
 己の巫女には食べさせたくないのだ。彼の毒を己が呷るのなら兎も角、である。
 それでも、せねばならぬことは分かっていた。眉間の皺もそのまま、ゆっくりとその唇に白身魚を咥えさせる。
 いずれ、櫻が仮初めの眠りに就いた頃――。
 カムイもまた、同じそれを口にして、ゆっくりと目を閉じた。

 食べてしまえば良いのに。
 櫻宵が思ったのは、それだけだ。ひとつになりたいと願い、臓器で手足で感覚器でありたいと願うなら、愛しい片割れを喰らってしまえば良かったのに。
 そうすればひとつになれる。
 ――櫻宵のように。
 愛を喰らい咲く桜は、数多をその身に収めてきた。友も、従兄弟も、爺やも。巫女もそうだったし、義母も――妹も。
 それから。
 ――己を生んだ母でさえ。
 苦しくて辛くてならなかった。愛すれば衝動のままに喰らってしまう。繋いだ手を己の裡に閉じ込めておきたくなる。誰が何と言おうとも、言い訳だと後ろ指を指されたとしても、櫻宵にとってみれば他ならぬ愛の証だった。
 自分の前から喪われていく愛したひとたちは全て、己とひとつになった。この身の中に彼らがいる。
 謝ることすらも出来ない。懺悔で変わることがあるのだとしたら、それは己の気の持ちようだけだ。血肉の汚れを隠す唇のあかさは変わらない。咲き誇る桜の下に埋まっているものも。
 彼らが帰ってくることだって――。
 もう、二度とない。
 だから埋めて、秘密にしよう。あの肉がひどく甘かったこと。この身が限りなく満たされたことも、全て。
 噫――。
 この毒の不味いこと。死んでしまった方がずっとましなくらいの、胸の奥の感情はも。

 償うほどの積み重ねすら、この身には未だない。
 未だ二つの権能を抱える彼の『今生』の中に、死を望むほど懺悔すべきことはない。それでも記憶の海の中から、無理矢理に引っ張り出されるそれが、彼の心を深海へと静めていく。
 ――イザナ。
 たったひとりの友。会うために千年の時を待った彼を、救うことが出来なかったこと。
 少しずつ力を失っていく竜神を救うすべは、神にはなかった。最初のうちこそほんの少しの違和で済んでいたそれが、目に見えて蝕まれていくさまに変わったのはいつからだったろう。神の信心は竜神には届かない。彼の命を永らえるために必要だったのは、この心ではなかった。
 結局――。
 何も出来なかった。ただ約束を交して、桜の許に散った君を看取ることしか。
 心のひとつすら――伝えることは叶わなかった。
 約束を果たしたことが何の償いになろう。もう彼はここにはいないのだ。込み上げてくる苦い感情を、カムイは強く噛み潰す。
 ――償うならば。
 償うならば、今を共に在る愛しい櫻に捧げる。
 巡り巡った命の果てで、こうして手を繋いでいられるのだから。一度は彼が巡り、そして二度目に己が巡った。やり直しの命の果てに叶えられる結末があるとするならば、それは間違いなく、『カムイ』と『櫻宵』のそれだろう。
 今度こそは、何からも守り抜いてみせる。
 イザナの魂を宿した彼を、神の記憶を宿した己が。
 朱赫七・カムイは――。
 ――誘名・櫻宵の神だ。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

鷲生・嵯泉
どうやら実像は周囲の印象とはまるで異なる様だな……
裡に巣喰う昏い澱みの根を思えば――“誰”が“何”を拒んでいたのやら

殺す為の食事にしては凝っている事だ
汁物から、味の薄い物へと常の通りに箸を付けるとしよう

胸郭を満たす、此れは――
独り、死なせてしまった
護ると、傍に在ると誓いながら、果たせなかった
怖かったろう、寂しかったろう、苦しかったろう
恨んでくれてよかったのに、憎んでくれてよかったのに
君は――唯生きて幸せである事を願い
お前は――約定を果たす事だけを望んだ
其れが何故かという事くらい解っている
其れでも叶うなら……共に逝きたかった

ああ、出来はしない事を求めてしまう程に
嘗ても今も、愛おしかったのだよ……




 味噌汁に口をつけて、隻眼を僅かに伏せる。
 柘榴の如き硬質な眸が、来賓をじっと見詰める娘の気配から注意を逸らすことはなかった。勝手に作り出された――或いはそうするように仕向けた――虚像は、暗澹とした実像を闇の中に隠すには充分だったらしい。
 その胸裡に湛える暗渠の澱みは、果たして何を根としていたのか。『誰』が『何』を拒んでいたのか――。
 鷲生・嵯泉(烈志・f05845)の手つきは、耽る思案にも揺らがない。ただ来賓を屠るためだけにあるにしては随分と豪奢な食卓に、親しんだ行儀の通り、味の薄いものから手をつけるだけだ。
 肉豆腐を流し込んだ喉が痺れた。ふらつくふりで頭を押さえながら、ゆっくりと皿を机に置く。その場を離れようとする仕草で立ち上がったまま転ぶのも演技のうちだ。
 けれど――。
 冷たい床の感触が、心の底まで流れ込むようだった。無理矢理にこじ開けられた傷が鮮烈な痛みで引き裂かれる。
 ――ここが灰の中だったのならば、どれほどに幸福だったろう。
 背を預け、共に馳せた友を独り死なせた。何からも護り、何があろうと傍に生きると誓った命を喪った。護るための刃は、その後ろに背負うものを全て亡くした。
 燃えさしの灰が独り遺って、もう聞こえぬ声だけを頼りに立ち上がったとき――。
 斬り捨てるように置き去りにした後悔が、煮え滾るように脳裏を浸している。
 予想せぬ戦禍の只中に独り取り残され、彼女はどれほど苦しんだろう。炎の熱に炙られながら、骸の山と間近に迫る剣戟の音は、どれほど恐ろしかったろう。それでも誰かを救おうとしたに違いのない体が蹂躙されたときの痛みを、誰にも声の届かぬままに死を待つ孤独を、思うだけで肺腑が締め付けられる。
 国の窮地に帰らぬ男を、何故許したのだ。共に護ると誓っておきながらの体たらくを、恨むならば恨んでくれた方がずっと良かった。テメェの面倒なぞ見切れねぇとでも怒鳴って踵を返してくれたならば、名も在り方も喪ってまで現世に縛り付けられることもなかったはずだ。
 それなのに。
 温もりが途切れる最期に、彼女が願ったのは生きて幸いを掴むことで――。
 ――黄泉路に還る身を歪めてまでも、彼は約を果たすことを望んだ。
 分かっている。理解の及ばぬことではない。同じように置いて逝くのならば、嵯泉とて同じ途を選んだはずだ。幸いの在処に感謝をこそすれ、恨みも憎みも出来るはずがない。遺せるものを遺し、果たしたかったものを果たして――それでようやく、穏やかに目を閉じるのだろう。
 それでも。
 それでも――叶ったならば。
 あのときの炎に、この身を焼べてしまいたかった。温もりを喪った体に折り重なって、そのまま息を止めてしまいたかった。
 優しい手に拒まれた最期を今でも夢想する。成せる機はとうに失われたというのに、この身の奥底に疼痛として凝る衝動は、それを理解しようともしない。
 それほどに愛おしかった。
 今とて――愛おしい。
 噛み潰す後悔の味が喉を通り抜けていく。嫌というほど味わった鉄錆と共に、喉の奥がひどく焼ける心地がした。

大成功 🔵​🔵​🔵​

丸越・梓
アドリブマスタリング歓迎


礼を述べ
綺麗に品良く食す

躊躇なく飲み込む
瞳は前髪の向こうに隠し

湧き上がる悔悟
溢れ出す懺悔
胸が酷く苦しいのは毒故か、それとも
かつて俺がいた孤児院の弟妹達
警察官となり
こんな俺についてきてくれた部下達
そして事件の被害者達
皆喪った
護らなくてはならなかったのに護れなかった
手が届かなかった俺は彼らを殺したようなものではないか
数えきれないほど自分を責め憎み続け
彼らに報いる為に
そして今度こそ一人でも多くの人を助けたいと一心不乱に働き続け
それでも迷う
数多の責任を背負い
俺は生きねばならぬ
死ぬことは赦されぬ

それでも
俺は生きていていいのかと

静かに瞳を閉じる


護れなくてすまない
数えきれない程の懺悔




 お招き頂きありがとうございます――静かに頭を下げた男に、娘は微笑みかけていた。
 その表情をつぶさに観察出来るのも、警察官として養ってきた見る目というものであろうか。或いは、丸越・梓(零の魔王・f31127)の丁寧な気質が合致したともいえるのかもしれない。
 料理を選ぶ手つきもきびきびとしたものだ。背筋を伸ばして腰掛けた椅子の上で、毒を混ぜ込んであるとは思えぬ丁重な飾り付けをゆっくりと崩す。
 ほぐした魚の身を、常より少しだけ大きい一口で以て、躊躇なく飲み込んだ。
 喉の奥に募る灼熱の如き不快感に悶えるふりをして、椅子の上に体を折りたたんだ。視界の端に零れる黒髪が、同じ色の眼差しを隠してくれるから――。
 浮かび上がる慙愧の情だけを、見詰めることが出来た。
 その顔を思い出すだけで胸が締め付けられる。息が浅くなるのは毒の効能故か、或いは梓の裡に根付く後悔が、酸素の全てを奪っていくが故だったろうか。
 ――始まりは、ふくふくと笑う子供の顔。
 幸福だったと思う。少なくとも梓はそうだった。親は亡くとも家族はあって、護るべきものの実感もこの手にあった。
 泣き叫び、震え、怯え――何れ断末魔の悲鳴と血飛沫に代わる。夥しい鉄の香りが、孤児院の中に満ちていたのを覚えている。
 流転した運命の先で、何の因果か再び守ることを選んだ。どうしようもない上司だったろうに、迷うことなく足並みを揃えてくれた部下もあった。それで――。
 ――今度こそ。
 そう思ったのが、悪かったのだろうか。
 刑事の仕事は、いつでも手遅れになってから始まる。事件の被害者たちは皆、梓が顔を知るより前に死んでいた。幾度となく繰り返される危険な仕事に、満ちていたはずの活気が一つ二つ欠け、手には生温い血だけが遺った。
 護らなくては――ならなかったのに。
 お為ごかしを吐く気にはならなかった。何を言ってもただの言い訳だ。手を伸ばしたから、努力したから何だという。
 届かなかった。
 死なせてしまった。
 それが、残った結果だ。
 死に触れるたびに、彼らを殺してしまった己の力不足をまざまざと見詰める。そのたびに、ここで生きている意味を考える。
 報いねばならないから――。
 言い聞かせるように立ち上がることを、幾度繰り返しただろう。今度こそ、今度こそ――縋るように繰り返した祈りの幾つが叶ったというのか。脇目も振らずがむしゃらに走り続けて、息が切れた頃に振り返ってみれば、あるのは骸の山とのし掛かる十字架だけだった。
 報いることの出来なかった数多のために、これを背負って生きていかねばならない。
 死などという安易な救いに走ることは赦されない。この苦しみを背負い、同じだけ誰かを救える日を夢見て、生きて、生きて、生きて――。
 ――本当に正しいのだろうか。
 力が足りぬが故に、その命を奪った梓が、のうのうと息をしている。そうしてこれからも取りこぼしていくのだろう。生きている限りは、ずっと。
 祈るように眸を閉じた。巡る思い出の中の顔に、見知らぬ誰かの写真に、梓は懺悔を重ね続ける。
 ――すまない。
 護れなくて。こうして、祈ることしか出来なくて――。

大成功 🔵​🔵​🔵​

雨絡・環
片想いとは色恋だけでは御座いませんねえ

なんと美味しそうなお食事でしょう
頂きます
両手を合わせて
これは苧環蒸しですね
わたくし大好き
躊躇うことなく一匙

霞の向こうに佇むは
嗚呼、おまえさま

左様、わたくしはずうと悔やんでおりまする
あの夜あなたさまのお側を離れたこと

何故、幾本もの矢に貫かれようとも
その後果てようとも
おまえさまを喰らうてしまわなかったのか

或いは何故
おまえさまが手にし
終ぞ振り下ろす事の無かった刀に
この細喉をを晒してしまわなかったのか

然すればこの身はみぃんな
おまえさまのものだったのにい

嗚呼口惜しや口惜しや
けれど悔いてばかりではいられぬの
堕ちて彷徨う今も尚
髪一筋まで恋しおまえさまのものよ

うふ、ふふふ




 恋に片想いは付き物だが、斯様な形もあるものか。
 恐ろしく報われぬ。それでも一途な想いといえはしよう。生の後にまでも引き摺っているのだから、相当だ。
 思考を滔々と重ねて、雨絡・環(からからからり・f28317)の眸は豪勢な食卓をなぞった。殺すために用意されたとは思えぬ手の込みようだ。鼻腔を擽る香りもまた、美味を求むる脳裏に訴えてみせる。
「頂きます」
 しずしずと両手を合わせれば、そっと匙に手をかける。丁度目の前に誂えられたのは、汁の代わりに卵へ埋めた麺――『苧環』蒸しだ。
 その味を思い出すだに、環の口許は自然と綻ぶ。毒があろうと食すが目的とあらば、大好物を前に我慢など必要ない。
 沈めた匙を口に入れれば――。
 焼け落ちるような感覚が喉を通り抜けて、視界が霞んだ。揺らぎの向こうを目がけ進む脳裏、蜃気楼の如き人影が佇んでいる。
 ――おまえさま。
 見紛うはずもない、愛おしい姿だった。あれから幾年を重ねたろう。それでも、声も顔も姿形も、環の心の裡から片時も離れたことがない。
 後悔。
 ――後悔にもなりましょうとも。
 何故この身は、あの夜に限り側を離れてしまったのか。絡新婦とあろうものが、あれほどに容易く、待ち受ける命運の糸に絡め取られてしまったのか。
 それが避け得ぬ定めだったというのなら、何故――。
 何故、その身を喰らってしまわなかったのか。
 矢に穿たれる苦しみなぞ、こうして終わってしまえば廉いものだった。元より浄土になぞ逝けぬ身であらば、一蓮托生の望みよりも先に、現世の願いを叶えるべきだった。
 それすらも叶わぬところまで、全て手繰られた糸の先だったというのなら。
 ――御身の手に在った刃に、この細喉を晒してしまえば良かった。
 そも、環は全てそのつもりだったのだ。無数の矢に晒され、後は首を斬り払われるのみとなったとき、振りかざされた刃に委ねることを覚悟した。だのに彼は動きを止めて、その間に這いずるようにして、環は命を繋ぎ止めてしまった。
 己のものにすること叶わぬというのなら、いっそ――身も心も全て、愛おしいおまえさまのものになってしまいたかった。
 絡め取られる先が彼の糸だったなら、環はきっと、苧環の如き輪転を望まずとも幸福を得ただろう。六道輪廻のどこに堕ちても出会いたかったはずの身が、斯様な未練に縛り付けられることもなかったろうに。
 ――嗚呼、口惜しや。
 手繰り寄せられなかった結末がこんなにも痛い。心の臓の奥を突く、締め付けるような痛みに、しかし環は笑った。
 悔いている時間も惜しい。
 六道輪廻の輪を外れ、未練を抱え堕ちて彷徨い――それでも尚、この身は静かに巣を張り巡らせる。
 心はとうに捧げた。残るは朽ち損ねたこの身ばかりなれど、それすら余さず捧げよう。
 指の一本、髪の一筋、この唇が紡ぐ声の一片までも。
 ――余さず遺さず全て、恋しおまえさまのもの。
 後悔の懺悔が締め付ける臓腑を、食い破るように心が高鳴る。嫋やかな女の唇が、いとしいとしと声なく繰り返す――。

大成功 🔵​🔵​🔵​

毒藥・牡丹
わかる。わかってしまう。
目の前のそれが毒であると
だって、あたしはそれを喰らうのが日常だったから
それを喰らわないと、生きることが赦されなかったから

大丈夫、大丈夫。
きっと今度も大丈夫。
そう祈る日々を思い出す
まだ食べていないのに、箸が震えて仕方がない
やるしかない、今回だって

死ぬほど喰らって何が残った?
死んで、体は毒になって
それから、あたしは
たくさん、人を殺した

違う、違うの
だって、お家のためだとお母様が言った
何も出来ないあたしに出来るのは、毒を呪いとすることだと

ごめんなさい。ごめんなさい。
あたしのせいで
死んで、こんな体になったせいで
みんな死んだのに

あたしはまだ──




 ――これは、毒だ。
 言われていたから知っていたとか、そういうことではない。毒藥・牡丹(不知芦・f31267)の本能が訴えるのだ。食べてはいけない。食べたら死んでしまうかもしれない。
 食べなくてはいけない。
 そうすることが牡丹の宿命だったのだから、目を瞑ることが出来るはずもなかった。今も耳許で声がする。幻聴だと分かっていても、彼女を急かす冷たくて硬い声が、鞭打つように鼓膜を揺さぶる。
 大丈夫――。
 知らず震えだした手を制するように唾を飲む。荒くなる呼吸と忌避を訴える脳を押さえつけるように、気休めの言葉を繰り返す。
 いつだってそうだった。死ぬほど苦しい思いをしても、呼吸が止まるほど吐き戻しても、胃の奥底を劈く不快感にのたうち回っても、結局は目が醒める。だから今回も大丈夫だ。例えどんな苦しみを味わったとしても、明日は来る。ちゃんと息は続く。
 縋るような祈りをもう一度飲み下して、牡丹の箸は湯気を立てる肉じゃがを摘まむ。一息に飲み干したそれに崩れ落ちる体を机の下に丸めて、覚えのある痺れに身を任せる。
 ――大丈夫を繰り返して、結局、大丈夫ではないときが来た。
 死ぬほど喰らって、牡丹は死んだ。目が醒めるときは永劫来ないはずだったのに、現世に留められた魂は、毒の器に変わった体から抜け出すことが出来なかった。
 それから。
 それから――牡丹は。
 違う。
 そうしたかったわけじゃない。望んでこんな体になったわけじゃない。あんな風に苦しめたかったわけじゃない。そうしなくちゃいけなかったから。そうしなくちゃ、生きる意味はおろか、死んだ理由すら与えてもらえなかったから――。
 『よく出来た』姉に一つも勝てずに蹲る愚図が理由を得るためには、そうするしかなかった。
 お家のためになると母が言った。牡丹に服従を叩き込み、とうとうその身を毒に変え、母は初めて小さく笑ってみせたのだ。
 ――ようやく一つ、出来ることが増えた。
 毒を呪いとすること。それで皆を殺すこと。暴力と罵倒の嵐に満ちていた生の中に、死んで初めて凪が生まれた。
 それに――。
 縋るようにして、牡丹は我武者羅に、母の命を聞いた。
 目の当たりにして初めて、どれほど取り返しの付かないことをしたのかを知った。知ったときにはもう遅かった。自分があれほどのたうち回った毒が致死を引き起こすなら、その結末などとっくに分かっていておかしくなかったはずなのに。
 ――だから愚図なんだ。
 死んで、こんな体になって、あんなに苦しめた。懺悔を繰り返しても届きやしないのに、こんなところで怯えて蹲って、震えている。未だにその罪を否定してしまう。あの叫喚を脳裏に描くたびに、誰かのせいにしたくなってしまう。
 ――ごめんなさい。
 紛れもなく牡丹が奪ってしまったのに。上手く死ぬことすら出来ないで、とうとう毒の呪いを撒き散らすばかりになって、あれほどを殺した。動かなくなった屍の上に蹲り、再びの死の気配に怯えて、それでも。
 それでも――牡丹は、まだ。
 嗚咽を押し殺し、震える体を押さえ込む。落涙の静かな音を掻き消すように、階段から足音が聞こえた。

大成功 🔵​🔵​🔵​




第3章 ボス戦 『血まみれ女学生』

POW   :    乙女ノ血爪
【異様なまでに鋭く長く伸びた指の爪】が命中した対象を切断する。
SPD   :    血濡ラレタ哀哭
【悲しみの感情に満ちた叫び】を放ち、自身からレベルm半径内の全員を高威力で無差別攻撃する。
WIZ   :    応報ノ涙
全身を【目から溢れ出す黒い血の涙】で覆い、自身が敵から受けた【肉体的・精神的を問わない痛み】に比例した戦闘力増強と、生命力吸収能力を得る。

イラスト:綿串

👑11
🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​


 お姉ちゃんが立っている。
 あたしの制服を着たお姉ちゃんと、お姉ちゃんの洋服を着たあたし。普段とはまるで逆だ。ちぐはぐな状況は、足に不思議な高揚感を齎した。
 階段を下りて――。
 足を止める。思わず眉間に皺が寄っていくのを感じる。思わず溜息が口を衝いた。
「……なあんだ、死んでくださらなかったのね。あんなに試したのに、あたしが馬鹿なばっかりに、また間違えてしまったのかしら」
 お姉ちゃんは分からなくたって仕方がない。人が死んでいくところだとか、そういうところを見たことはないだろうから。
 でも、あたしには分かる。お姉ちゃんを殺した奴らも、お姉ちゃんに同情ばっかりする奴らも、お姉ちゃんのことを悪く言う奴らも、あたしが殺して来たのだ。それが肉塊なのか、それとも生きている人間なのかくらい、すぐに判別がついた。
 全く興醒めだ。これじゃあ懺悔は届かない。
 それとも、懺悔する必要なんてないのだろうか。生きていることが懺悔になると、生きた人間の傲岸な理論でも振りかざしているのか。
 ――何でも良いか。
「お姉ちゃん。下がっていて。『いつもみたいに』、あたしが全部終わらせてくるから」
 そっと、お姉ちゃんを抱きしめる。生きている音はしないし、肌も冷め切っているけれど、それまでもお揃いなのが嬉しかった。
 あたしたちはふたりでひとつだ。それさえ確かなら、お爺様のお考えも、この家も、未来も過去も、どうでも良い。
 ――この家は呪われているという。
 お姉ちゃんに価値を見出した、お爺様のせいだと聞いた。それもどうでも良かった。
 どうにしたって、あたしの価値は一匁。使い捨ての鋏に劣る、魯鈍で暗愚な、お姉ちゃんの手足。憔悴する両親を支える『いい子』と、誰かの踏み台のための『かわいそうな子』以外の価値など存在しないもの。
 でも。
 だけど――それでも良いと思ったのは――。
「だいすきよ、お姉ちゃん」
 恋人とはこうして愛を囁くのだろう。あたしのそれは一方的だけれど、それを虚しいと思ったことはない。
 お姉ちゃんの前に躍り出て、あたしは笑う。長く伸びた爪、咲き誇る黒百合のむせかえる匂いで、今度こそ殺して差し上げなくては。
「――さあ! もうよろしいわ、お客様方。演技はおやめになって。あたしたちを殺すのでしょう? 武器を取るがよろしいわ!」
 お姉ちゃん。あたしのことが大嫌いなお姉ちゃん。
 あたし、知っているのよ。ずっと伝わって来たのだもの。お姉ちゃんがどれくらいこの家のことも父さんと母さんのことも嫌いで、あたしのことを煩わしく思っていて、妬ましくて羨ましくてならないのかも。
 でも、それは普通のことだ。女は皆、自分の顔を鏡で見ては変えたいと願う。からだを見ては、もう整っていたらと嘆く。自分の臓器が目の前にあって、愛していると頬ずりできる人間なんて、そうそういない。病に罹ればどうして自分に苦痛を与えるのかと怒りもするだろう。
 それでも、顔もからだも内臓も、ずっとあなたの味方をする。あなたの命を永らえようと、あなたを表現しようと、必死に生きて働く。
 あたしは『それ』だ。
 だから今回も同じ。お姉ちゃんが拒むのならば、その一切を殺してしまおう。お姉ちゃんやあたしが、どうして生きているのかなんて――この先この命が輪転するのかだって、どうでもいい話。
 お爺さま。あなたはやっぱり、蒙昧なあたしよりも馬鹿なひとだったわ。
 のぞみはかなえるものであるけれど――。
 ――のぞみがないのなら、かなえることも出来ないのよ。

※『宇都宮・希』との戦いです。
 説得をするかしないか、転生を良しとするか否かは皆さま次第です。多数決で結末が決定しますが、出来る限り折衷案を目指します。
 希そのものはそう強くはありません。心情メインのプレイングでOKです。説得をするかしないかも含め、そこに至る感情を教えてください。

※プレイングの受け付けは【9/7(火)8:31~】です。
雛菊・璃奈
なんだか、凄く腹が立った…。

生前に(彼女達に)起こった事は悲劇だし、周囲の環境も悪かった…。
貴女が感じていた事、思っていた事の一部も、確かに間違いではないと思う…。
でも、それが全てじゃない…。
貴女をどんな風に思っていたのか、貴女は一番近くにいながら、一番理解していない…。
貴女は自分が感じた事だけを基準に、自身の考えをお姉さんの考えだと一方的に捉え、それを押し付けてただけ…。
貴女のお姉さんはもっと対等な姉妹としていたかっただけなのに…

【冥界獄】を展開し、彼女の力を半減させ、UCを封印し、呪力の縛鎖【呪詛、高速詠唱】で捕縛…
お説教と説得、多少お仕置き…

まだ間に合う…お姉さんとの関係も、次の幸せも…




 腹が立つ。
 ふつふつと煮え滾る感情の由来がどこなのか、雛菊・璃奈(魔剣の巫女・f04218)には分からない。どうしようもなくなってしまった悲しみなのか、それともすれ違いに対する苛立ちなのか、こうしてしまった何かへの憤懣なのか。
 一つ、分かることがあるとすれば――。
 ――目の前の彼女に、ぶつけたいことがあるというだけだ。
 開かれた冥界獄は呪いの瘴気を強く纏う。その力は容易に希を縛り、身に宿した影朧の不安定な力をも封じ込む。迸らんとしていた爪は解けるように呪詛へと消え、残るのは生身の娘が一人だけだった。
 その身を呪いが縛り上げる。冷たい鎖に囚われ、目の前の超弩級戦力を見詰める娘の眼差しを、真っ向睨みやった。
 璃奈は――。
 彼女たちの身に起きたことを、否定したりはしない。
 よくある悲劇だと言うにはあまりにも残酷すぎた。環境に強制された歪みが巣くっていたから、こうして取り返しがつかなくなってしまったのだろうことも分かる。
「貴女が感じていた事、思っていた事の一部も、確かに間違いではないと思う……」
 だが。
 そうだとしても。
 希のしていることが姉のためだとは、到底思えないのだ。
「貴女をどんな風に思っていたのか、貴女は一番近くにいながら、一番理解していない……」
 同一化を求めているだけである。己の感じたことが姉のものであるかのように振る舞い、姉の本心を遠ざけた。動けぬ姉にそれを無理矢理に押し付けて、陶酔の儘に爪牙を振るうさまは、正しく獣じみて見えもしただろう。
 鼎は――。
 そうなりたいわけではなかったのに。
「貴女のお姉さんはもっと対等な姉妹としていたかっただけなのに……」
 零れ落ちた言葉は、璃奈が思うよりも力ない響きを帯びた。怒りと共にぶつけた説教のうちに、やるせなさがじわじわと込み上げている。
 どうして――。
 問うたのはきっと、嘗ての彼女たちも同じだったのだろうに。
 縛られた希は、まんじりともせずに璃奈の声を聞いていた。暫しの沈黙を拾い上げるようにして、その唇が乾いた声を上げる。
「――あなたの仰る『対等』って、何ですかしら?」
 諦念のような、冷えたような言葉を紡いで、娘は深く息を吐いた。持ち上げられた眼差しが、目の前に立つ魔剣の巫女を通り越して、飾られた巨大な絵画に向かう。
 この屋敷の真の主であり、今はもう亡い人の面影を忌々しげに見上げて、希は唇を持ち上げた。
 ひどく静かな声だった。
「あたしが少し叩いただけで、お姉ちゃんは死んでしまいますわ。愚かなあたしでは、お姉ちゃんの口について行くことも儘なりません。もしあたしが真にお姉ちゃんを対等に扱ったとして、それはお姉ちゃんにとって対等と感ぜられるもの? あたしがお姉ちゃんの体の力、全てを持って行ってしまったのに」
「分からない……」
 もしもの話に、答えなどない。
 璃奈の言うとおりにしていても、彼女たちはこうなる運命だったのかもしれない。もっとひどいことになったのかもしれない。それでも――。
「でも、それはあなたがそうしなかったから……」
 のぞみのかなう未来があったことも、誰にも否定はし得ないのだ。
「お姉さんが、これを望んでなかったことだけは、確か……」
 ――そして希が、鼎の望まぬ選択肢を取った事実も。
 一度目を伏せてから、璃奈は少しばかりの沈黙を零してみせた。思い返す亡姉の笑みが心に宿る。
 もしもの未来は、璃奈には訪れないけれど――。
 彼女たちは違うのだ。今世ではどうしようもないかもしれないし、取り返しがつかないかもしれないけれど。
「まだ間に合う……お姉さんとの関係も、次の幸せも……」
 真っ直ぐに見詰め合う少女たちの眸には、全く別の意志が宿っていた。そのまま見据え続けた眼差しを、最初に逸らしたのは希の方だ。
「――そんなもの、どうでも良いのですわ」
 振り切るような拒絶の言葉は、しかし、ひどく力ない響きで鼓膜を撫でていった。

大成功 🔵​🔵​🔵​

シキ・ジルモント
○◇
酷い体の重さは、残る後悔の影響か
動かなければこの想いに浸りながら妹の所へ逝けるのかもしれない

…しかし、仕事を受けた以上はそうも行かない
妹への想いより仕事が大切かと言われれば痛い所だが
どう償えば許されるのか、その答えを見つける為には生きて探すしかないと俺は考えている
宇都宮姉妹に彼女達なりの価値観があるように、償い方も一通りではないのだから
叫びを受けて痛むのが心か体か分からないまま、ユーベルコードで反撃する

宇都宮・希は影朧となった想いを吐き出させ転生を願う
しかし同時に、どのような結果でも姉と同じ先に行き着くように、とも思っている
愛しい姉と共に在れるなら、と
…それは俺が望むものなのかもしれないが


榎本・英
○◇

成程。そう云う訳かい。

しかしだね、残念ながら。
私はこの物語に色を添える事は出来そうにない。

なんせ兄弟がいないのだから。
君の話は、あまりしっくりと来ていない。
私にとっては、難解だとも。
そのような感情を持つ者が、数多といる事は理解しているがね。

姉の為に手を汚した妹が世に売れるには、悲劇の結末が必要になるだろう?
生憎だが、そのような話は専門ではない。

説得は他の者に任せよう。
私は彼らの邪魔にならないように、此方から動こう。
火のないところに煙は立たないと云うだろう。

君の頑張りは、様々な人の心を鷲掴みにしたとも言えるが。
やはり私は首を傾げてしまうよ。




「成程。そう云う訳かい」
 事情は理解した。
 榎本・英(優誉・f22898)の声に、それ以上の感情はない。作家として相応に他者を描き出してきた彼ではあるが、彼女の感情の難解さには参った。重要な役どころに入り込めないのでは、説得など夢のまた夢だろう。
 そこで――。
 めいめい立ち上がり始める猟兵たちを見渡して、一人座り込んだままの男に近付いた。
「君、君。少し良いかい」
「――何だ」
 シキ・ジルモント(人狼のガンナー・f09107)の仕草は気怠い。突き放すようなことを告げたいわけではなかったが、今の彼に、己の人当たりを気にする余裕はなかった。
 体は動く。痺れは取れた。それなのに、後悔の棘だけが突き刺さって抜けない。
 このまま立ち上がることもなく、今や顔を見ることすら出来なくなった妹への慙愧と懺悔に浸り続けていれば、彼女の許へ逝くことも叶うのかもしれない――。
 平時であれば馬鹿げた考えだと振り払うはずのそれを、今のシキは持て余した。彼を繋ぎ止めたのは、ここが請け負った仕事の場であるという意識ひとつきりだ。
 そういう意味で、英からの呼びかけは都合が良くもあった。
 ここにいるのは己一人ではない。仕事に穴を開けるわけにはゆかない。考えることがあるのだとして、それは目の前の任務を熟してからだ――。
 忘れ得ぬ妹への感情より、仕事を優先する己への言い訳には、他者の存在がうってつけだった。ゆっくりと体を起こして、深く息を吸って初めて、シキの体が生を取り戻したような心地がする。
「大丈夫かい?」
「ああ――話があるんだろう」
 持ちかけられるであろうそれに、否やを唱えるつもりは最初からなかった。この場においてわざわざ他の猟兵に声を掛ける理由などそう多くはない。シキの金色の双眸を見詰めた紅色が、眼鏡の底で瞬いた。
「嗚呼。残念ながら、私はこの物語に色を添える事は出来そうにない」
 というのもだね。
 くるりとペンを回して、英は目を眇めた。
「私には兄弟がいないものだから」
 親はいた。祖父母もいた。心に抱く人もいる。それでもこの、きょうだいと呼ばれるものたちの業深さというのには、あまり馴染みがない。
 そも家の中に同年代の子供がいるということ自体、想像の出来ることではなかった。まして寝食を共にするという。そこに生まれる感情には、そう強く類推が及ばない。
 きょうだいが欲しいとか――。
 きょうだい仲は美しいとか――。
 人は色々と言うし、そういう物語は幾万と溢れかえる。王道には王道の理由があるのだから、それだけ共感しやすい題材だということは理解していた。
 ただ、まあ――それだけなのである。
「姉の為に手を汚した妹が世に売れるには、悲劇の結末が必要になるだろう? 生憎だが、そのような話は専門ではない」
 悲劇的な脚色には際限がないというのは、世に溢れる話の、必要以上に残酷な結末が物語る。いつの世にもニーズというものがあるのだが、英は今のところ、そういう脚色をする方ではなかった。
 そこで。
「説得を任せたくてね」
「何故、俺に?」
「云いたい事の一つや二つ、ありそうな顔をしていたからさ」
 怪訝そうな顔をしたシキにひらりと手を振りながら、眼鏡の底の赤い眼差しは、真理を見抜く学者のような色で彼を見た。
 身を翻した英の手元から煙が立ち上るのを、金眸が見た。鼻に届くにおいには覚えがある。
 ――煙草だ。
 火のない所に煙は立たぬという。噂の火種は、それが無自覚の代物であっても、どこにでもあるものだ。
 希に纏わり付いたそれが燃え広がって、じき彼女を痛みで焼くだろう。上がる悲鳴までもを武器とするのだから厄介極まりないところではあろうが――。
 耳を劈くそれに顰めたシキの眉根は、果たして体と心のどちらの痛みに反応したものか。
 分からぬままに、それでも彼は銃口を構えた。両手で確と握り引いた引鉄が、精確な一打を娘に繰り出す。たちどころに呻き声へと変わる悲鳴に歩み寄り、人狼は一つ、小さく声を零した。
「――影朧になった理由があるんだろう」
 それを、聞き届けてやりたかった。
 崩れ落ちた希がシキを見上げる。眼差しの向こうはひどく凪いでいた。奥にはただ、黒ぐろとした虚空がぽっかりと穴を空けていた。
「お姉ちゃんが蘇った。だからあたしも蘇った。それだけですわ」
「影朧になったからには、未練があるはずだ」
 姉にしがみ付くものではない。彼女自身の未練が。
 暫し思考するように、空虚を湛えた娘はゆるゆると瞬いた。シキの眸は逸らされない。己が抱えた痛みを、同時に反芻している。
 たっぷりと間が空いて――。
 希は、ようやく思い当たったような声を上げた。
「あたし、お姉ちゃんに謝りたかったんだわ。償いたくて」
「――そうか。ならば、存分に謝った方が良い。今でなくても、次の未来でも良い」
 彼女には、それが許される。
 それが出来ないシキには、どうすれば良いのかの答えが未だ見付からない。償うということはひどく重くて、ともすれば自己満足の沼に囚われて出られなくもなる。
 それでも――。
「償い方の答えを見つける為には、生きて探すしかないと、俺は考えている」
 道は一つではない。一つかもしれないが、それは最期にようやく分かることだ。彼女たちの価値観が間違っているわけではない。彼女たちには、探す時間が与えられなかったというだけだ。
 努めて優しく言葉を重ねながら、シキの心は揺れてもいた。
 希だけを引き留めることも出来よう。しかしそれは本当に幸福なのだろうか。疲れ切った姉がそれを選ぼうとしなかったとき、彼女だけが取り残されて次の生を紡ぐことは、果たして彼女に語るような良いものであるのだろうか。
 願わくば――。
 二人が共に生きることを。そうでないのなら、愛しい姉と共に。
 それを望んでいるのは――本当は、シキの方なのかもしれないが。
 告げられる声を咀嚼して、俯く希をじっと見詰め、英は一つ息を零す。彼女の心の裡にもまた闇があり、それを辿って悲劇が起きた。彼女の努力は報われていたのだろう。少なくとも、生きている間は。
「君の頑張りは、様々な人の心を鷲掴みにしたとも言えるが――」
 さて、それは果たして望んだことなのか。
 或いは――己が望んだと欺瞞する、勘違いに過ぎなかったのか。
 その深淵を探り当てることも儘ならぬままで、英はただ、小さく首を傾げた。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

シャト・フランチェスカ
随分と独善的なんだね
僕は言葉を素直に読み解くのが苦手だ
きみは己を卑下することで
正当化を試みているんだろうね
自分さえ騙してしまえば
あとは怒ればいいだけだもの
敵は「世界」になるんだ

僕に似ているよ、きみは
否、きみたちは

僕のように有りふれたものを
一つ一つ潰していったら
僕は唯一になれるだろうか
なあんて
超弩級戦力が宣ったら厭だろう?
可哀想で在ろう、だなんて贅沢なんだよ

僕やきみのような死にたがりは
確りと死ぬべきだよ
生きたい誰かに席を譲るべきだ
もう二度と間違わないように
これ以上滑稽にならないように

きみは毒殺に失敗した
僕の手番だ
生きたくなるほど痛い毒だよ

少なくともきみは
「自分自身」を殺すことは叶えたのだろうね




「随分と独善的なんだね」
 咲き誇る黒百合の向こう、すっかり隠された姉に目を遣りながら、開口一番に他人事のような感想を零した。
 隠された意図を読み、或いは仕掛けるのが作家の仕事だ。裏を返せば、言葉の表面をなぞって得られるものを、そのまま飲み干すのが苦手だと言うことでもある。シャト・フランチェスカ(殲絲挽稿・f24181)も文筆家の例には漏れず、希と呼ばれた娘の言うことの一つ一つを、手放しに受け取ってはやれなかった。
 或いは――。
 ――ただそれだけが、理由ではなかったのかもしれないが。
「きみは己を卑下することで、正当化を試みているんだろうね」
 物語の表紙を閉じた後、主人公の思いを分析するような語り口で、唇は続ける。握ったペン先は、何かを中空に描き出すように踊った。
 いつだって、自分を騙すのが一番難しい。だからそれさえ乗り越えてたなら、後の些末を燃やして溶かすのは簡単だ。
 怒れば良い。
 自らの裡の敵を騙くらかして、振りかざした得物を世界に向ける。そうすれば、鉄錆の香りが、消えせぬ情動をさえ誤魔化すだろう。ただ一つ、世界に振り下ろすたび、化膿していく傷口さえ見えぬふりをしていれば。
「僕に似ているよ、きみは――否、きみたちは」
「――そうですかしら。少なくともあたしからは、あなたがとても賢明なお方に見えますわ」
「そうかな」
 生きるも死ぬも出来ぬまま、揺蕩う水面の中に要らぬものまで引き込んだ身は、賢いものだろうか。
「僕のように有りふれたものを、一つ一つ潰していったら」
 ――シャトは唯一になれるだろうか。
 終わった物語の続きを無理矢理に歩くような、薄い足跡だけでなく。自我とも呼べず、さりとて手放せもせぬこの胸裡の虚しさだけでなく。
 シャト・フランチェスカは――。
「なあんて」
 笑う。
「超弩級戦力が宣ったら厭だろう?」
 恵まれているのだろうさ。
 少なくとも、非業に死んだ人間たちが求めてやまぬ力を持っている。誰しもが誰しもの求めるものを持っていて、誰しもが誰しもをどこか羨む。この世が相対の産物であるならば、絶対の『哀れ』などどこにも落ちてやしないのだろう。
「可哀想で在ろう、だなんて贅沢なんだよ」
「在りたかったつもりはございません」
 希の眸が、真っ直ぐにシャトを見詰めていた。ひどく醒めた目だった。
 その眸に映る己も、同じような顔をしているのだろうと思った。
「自分よりも可哀想な誰かを求めるのが、人間というものなのですわ」
「幼稚な絶望だね。弱者の方が都合の良いときも多いのに」
「ひどく惨めですけれどね」
 そうだろうさ。
 目を伏せる彼女は惨めだ。この上なく愚かしい喜劇を演じているようにすら見える。状況はひどく悲劇的なのに、踊れば踊るほど足が縺れるのだ。
 だから――。
「僕やきみのような死にたがりは、確りと死ぬべきだよ」
 生きるも死ぬも定められず、現実を揺蕩って生きているふりをする者は、その席を譲るべきだ。この世のどこかで生きたいと泣く誰かに。この命を奪ってでも、この世にしがみ付いていたいと願うような誰かに。
 もう――。
 二度と、間違えることのないように。
 ステップを間違えるなら踊らなければ良い。誤字を生み出し続けるなら書かなければ良い。もう滑稽な悲喜劇を奏で続けることのないように、ここで全て終わるべきだ。
「きみは毒殺に失敗した。僕の手番だ」
 ――渡す花弁は、ひどい苦痛を与えるだろう。
 その嵐の中で初めて知るのだ。己が手を伸ばすものを。死に物狂いで痛みから逃れようとする腕が、本当はどうしたかったのかを。
 結局は滑稽劇だ。
 最期まで。
「少なくともきみは」
 シャトの声が、小さく唇を揺らす。与えられた紅色から身を巡る苦しみに、蹲る娘に届いてはいないのだろうけれど。
「――『自分自身』を殺すことは、叶えたのだろうね」
 何らの感情にも揺れることのないその言葉が、赤く染まる床にこぼれ落ちて、消えた。

大成功 🔵​🔵​🔵​

ルーシー・ブルーベル
【苺夜】○

わたしの価値もとるに足らないものだった
或いは今も
その場が凌げれば良い使い捨ての小さな歯車
他に使い道がないのなら
それで良いとも思っていた
寧ろ誇らしいとすら

でも
本当は違った
心の裡がずっと凍えてた
気付けたのは苺や皆のおかげ

…そうね
わたし達も『分け合う』事が出来ていたなら、どんなにか
ルーシーはもう叶わないけれど
苺なら、きっと

ねえ希さん
ルーシーにはあなたが手足には見えないの
鼎さんが拒むその一切に手を下せと命じたかしら
手足が鼎さんを手にかけた事を嘆くかしら
あなたは、あなたよ

ゆるしの花
敵意だけを取り払いて

改めて問うわ
あなたののぞみを
もし無いと仰るのなら探してみない?
のぞみを見つけて、かなえるために


歌獣・苺
【苺夜】○

…大切な人のために
尽くそうとする気持ち
すっごくよく分かるな。

彼女の行動は
大切な妹の為に何だってしてきた
自分を思い出す

捨てられていた
少女の姉になって
遊んで、譲って
誰にも負けない
沢山の『愛』を注いで

守って、護って、まもって。

なのに私だけが辛くって
痛みも、苦しみも、悲しみも
全部私が背負ってしまったから

大事なこと忘れてたんだ
『分け合う』こと
そうじゃないとどちらかが。
もしくは両方が壊れちゃう
幸せになんてなれやしない
それを、ルーシーや
沢山の仲間が教えてくれた

次、あの子と会う時は
沢山分け合おうと思うの
辛いことも、楽しいことも!

のぞみがないならつくればいい
希望は未来を飾る言葉なの
あなたはどうしたい?




 姉のために全てを擲つと、希は言った。
「……大切な人のために尽くそうとする気持ち、すっごくよく分かるな」
 彼女を通して別のものを重ね見るように、歌獣・苺(苺一会・f16654)が小さく笑う。思い浮かぶのは、嘗てはよく似た色の髪をした、ちいさな少女のことだった。
 ――血の繋がらない、大切な妹。
 彼女は拾い子だったけれど、苺にとってそんなことは関係がなかった。寧ろ血のよすががないからこそ、彼女をいっとう愛していた。両親の手に収まった彼女の目を見詰めたときに、苺は正しく姉になったのだ。
 彼女を連れて一緒に遊んだのは、少しでも笑って欲しかったから。何をするにも先を譲ったのは、存分に楽しんで欲しかったから。
 もう二度と、大好きな子供を自ら授かれぬと知っても、赦したのは――。
 ――妹として、彼女を愛していたから。
「誰にも負けない、沢山の『愛』を注いで」
 身代わりになった。連れ出した。悍ましい怪物だと囁かれる自分に巻き込みたくなくて、手を離した。どこでだって笑っていた。泣くことはしなかった。彼女が泣いても、苺は泣かなかった。
 それなのに――。
 妹は、確かに守り抜けたのに。
「なのに私だけが辛くって」
 痛かった。辛かった。本当は泣きたかったし、叫びたかった。
 それでも全部飲み込むことが――妹から、悲しみも辛さも奪っていたのだと、今更になって気付いた。
「大事なこと忘れてたんだ。『分け合う』こと」
 辛いから、嬉しいことがある。悲しいから、喜べる。どちらかだけを譲って、どちらかだけを奪ったら、どちらかが先に――或いは、どちらも壊れてしまうから。
 必死になりすぎて息が出来なくなった苺の手を引いて、教えてくれた存在がある。それはじっと手を握る少女であって、そしてあの彩りを得た館の人々であって――。
 だから、次は間違えない。今度こそ、確かな幸福の仲で笑い合うために。
「次、あの子と会う時は、沢山分け合おうと思うの。辛いことも、楽しいことも!」
 とびきりの笑顔で手を広げた苺の言葉に、希はどこか茫然と目を見開いていた。理解しがたいものを見たかの如く、その頭から爪先までまじまじと視線を這わせる。
「……そうね」
 暖かなけものの手を握って、ルーシー・ブルーベル(ミオソティス・f11656)がぽつりと声を零した。
 希の気持ちが分かる。苺とは、別の意味で。
 価値のないもの。一匁。己をそう称する彼女と同じくらい――否、もしかするとそれよりも、ルーシーは取るに足らないものだった。今も、そうかもしれないと思うことを否定出来ない。
 誰かにとっては亡娘の代わりで、或いは器。その場凌ぎの『ルーシー・ブルーベル』に収まるのは、きっと彼女でなくたって良かったのだ。
 今でこそ虚しいと思うそれを、ずっと誇りに思っていた。愛されることも使い途もない歯車が、それでもここで回ることが出来たなら、何の意味もない記号としての名前に途方もない意味を抱き締められる気がしたのだ。
 けれど。
 ――そうじゃなかった。
 心のどこかがずっと寒くて、それを抱えて縮こまっていた。温もりに錯覚して、どうしようもない空白を抱いて、その中にまた氷が突き立った。そうやって何もかもを飲み込んでいるうちに、凍えるのにも慣れてしまったから、どこも冷たくないふりが出来ていただけ。聞き分けの良い大人びた子供の顔で、自分の命運も課された事実も受け止めたふりが出来ただけ。
 それに気付かせてもらったのは、ルーシーも同じ。知ったからこそ温められて、けれど望んでしまう。こうして笑い合い、『分け合う』ことが出来ていたなら、あんなことにはならなかったのかもしれないと――取り返しのつかない空想を巡らせてしまう。
「苺なら、きっと」
 ――ルーシーはもう叶わないけれど。
 優しい彼女に傷を刻んでしまうだろう、諦めにも似た事実を飲み込んで、ルーシーは笑った。
「ねえ。希さん」
 少女のそれにしては、ひどく大人びた声を聞き届けて、希はようやくルーシーを見た。
「ルーシーにはあなたが手足には見えないの」
 誰も――彼女に命じてはいないのだろう。
 姉は確かに一族など滅べば良いと思っていたのだろうけれど、そうしろと妹に告げたことはなかったようだった。使用人を手に掛けたのも、こうして殺戮の宴を開こうとしたのも、全ては希の独断だったのだろう。
 それに――。
 ただの手足は、脳を手に掛けたことを後悔したりはしない。
「あなたは、あなたよ」
 咲き誇るのは、瑠璃唐草の一面の青。
 紅色の娘と黒百合を飲み込んで、敵意を払う香りが満ちる。清々しいそれらを吸い込んで、ルーシーと苺の眸は、真っ直ぐに希を見詰めた。
「改めて問うわ。あなたののぞみを」
「あたしの――?」
 長く伸びた爪が解ける。深く考え込むような仕草を見せてのち、彼女はゆっくりと首を横に振った。
「お姉ちゃんのもののままでいること以外に、ありませんわ」
「それなら、探してみない?」
 ――それも想定のうちだ。
 ずっと姉に捧げてきたのならば、すぐには見付からなくても当然だ。分かっているから、今は手を伸ばすだけ。
「のぞみを見つけて、かなえるために」
 ルーシーの声に頷いて、苺もまた手を伸ばす。救いたいと願った気持ちは心の底から込み上げるものだから、楽園へ誘わんとするのもまた、本心からだ。
 ――のぞみがないなら、つくればいい。
 そうすることが出来るのが、人間の強さなのだから。
「あなたはどうしたい?」
「あたしは――」
 引き寄せられるように、希が小さく言葉を紡いだ。鎧う娘の笑みではない、無防備な子供に似た声だった。
「お姉ちゃんと手を繋いで、お買い物がしたかっただけ」
 それが。
 最初に抱いて、叶わないと知った、この心にある唯一ののぞみだった。
「『お姉ちゃん』と『あたし』が、普通に生きていたかっただけ――」

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

ラピス・プレオネクシア
鏡ではない。手足でもない。そう名乗るにはアナタのそれは、自我がありすぎる
姉を愛する心も、害するものを殺そうとする殺意も、アナタが勝手に持ったものだ
そう生きたいと思ったから、そう生きた。自分の欲望に従っただけだろー……

【万象鏡壁:乙女ノ血爪】
真の鏡は何も持たない。己の武器も、己の姿も
すべて誰かから借りねばならない……それが手足というものだー……

アナタは死ぬことができたが、ワタシは死ねなかったー……
自我があるから死ねなかったのか、自我がないから死ねなかったのか……どっちだろうなー……
でも、この場はアナタを殺すー……生きても転生しても、幸せになれないだろー……
ここで死んで終われ。それが慈悲だー……




「鏡ではない」
 厳然とした声音だった。
 紫紺の双眸で紅色の娘を睨み、ラピス・プレオネクシア(貪欲・f34096)の声が冷然と告げる。歩み寄る一歩は確固たるもので、立ちはだかる少女の眼差しを真っ向から否定した。
「手足でもない。そう名乗るにはアナタのそれは、自我がありすぎる」
 ――自我を持たぬということは、そう簡単に成せるものではない。
 かくあれと育てられたラピスであるから、分かる。鏡も影も独断で動いてはならない。主が口にして命じぬ限りは、己の思う『良かれ』など存在しないも同義だ。
 伝えられた信号の通り、伝えられたように動く。それが出来ぬままに鏡だの手足だのと悦に入られたのでは敵わない。己の決断を誰かのせいにしたがるだけの押しつけを、『そうある』ことと同列に語られたくはない。
「姉を愛する心も、害するものを殺そうとする殺意も、アナタが勝手に持ったものだ」
 そこまでを言い切って――。
 途切れるように、紫水晶が力を失う。先までの圧も気概も、全てが失せたような顔で、ラピスはつまらなさそうに息を吐いた。
「そう生きたいと思ったから、そう生きた。自分の欲望に従っただけだろー……」
 振り下ろされる爪に、同じ爪を。
 ラピスの指先から迸る銀閃は、正しく目の前の彼女の鏡写しだった。刹那に崩れ落ちていく爪たちを、再び描き出してぶつけ合う。
 これこそが真に鏡たることだと、その身に刻むように。
 決まった武器などない。己の形すらもない。鏡が映すものを変えるように。遮られた影が容易に形を変じるように。
 何もかも、ラピスのそれは借り物だ。いつかいた誰かの姿形を真似、いつかあった武器を拾い上げ、誰かの扱いを写しているだけ。己一人がこの世にあったのでは、彼女はかたちを保つことすらも出来ないだろう。
 ――それが、手足であるということの重みだ。
「アナタは死ぬことができたが、ワタシは死ねなかったー……」
 何が足りなかったのか。或いは、何を余分に持ちすぎたのか――。
 本当はそういうことではないのかもしれない。何の理由も意味もない、偶然の因果だったのかもしれない。
 それでも、心は理由を欲しがるものだから――。
 死ねた彼女と死ねない己の差は、ただ自我のありように映し出されているように見えた。あれば死ねたのか、或いはなければ死ねたのか――どちらにせよ、考えたところで堂々巡りを繰り返すだけではあれど。
 考え得る全ての思考を打ち切って、娘たちは爪をぶつけ合う。折れるそれから血が零れても、醒めた眼差しを交わし合った彼女たちの間に、慈悲も容赦もなかった。
「ここで死んで終われ」
 ――それが、ラピスの答えだ。
 このまま転生しようと幸福にはなれまい。何もかもを違えた彼女の道往きに幸を願うことなど出来るはずがなかった。
「それが慈悲だー……」
「そうね」
 熟達した動きに、素人が勝るはずもない。胸元から零れる夥しい鮮紅を見下ろして、ふらつく希はそれでもラピスを見た。
 およそ何かに狂っているとは思えぬ、静謐な眼差しだった。
「――あたしも、そうしてもらった方が、きっと良いのですわ」
 のぞみよかなえと人は言う。そうあることが世界の摂理であるように。己ののぞみはかなうが当然とばかりの顔で、名にすら祈りを込めている。
 それでも――。
 ラピスが本望を遂げられなかったように。
 希が消えせぬ病を抱いたように。
「最初から、のぞみなんて、かなわないように出来ているのですもの」
 皮肉に歪めた唇で、荒く息をしながらラピスを見詰める娘の顔は――。
「やっぱり、アナタは手足でも鏡でもないー……」
 ――ひどく自我に満ちているように見えてならなかった。 

大成功 🔵​🔵​🔵​

ティオレンシア・シーディア
○◇

あらま、バレちゃった。これでも○演技はそこそこ得意なんだけどなぁ。…やっぱり経験者には勝てないわねぇ。

「姉のために行動している」という自己欺瞞と正当化、「姉のためになっている」と信じて疑わない傲慢…ものすごぉく典型的な「無敵の殉教者」ねぇ。いやになるほど見覚えあるわぁ。
――あなた、会話ってしたことないでしょ。
あなたが後生大事に抱えてるその指針、たぶん幻想を空想と妄想で固めたポンコツよぉ?

転生?しといたほうがいいんじゃない?
ほかの世界じゃ「死んでも治らない」し「死んだら治らない」のがこの世界なら治るかもしれないんだし。
…我ながら、かなり思考が雑になってるわねぇ。さっきののせいかしらぁ?




 演技は得意だ。
 少なくとも、そこらの人間が直感で見抜けるような芝居を打つことはない。ティオレンシア・シーディア(イエロー・パロット・f04145)の生きた世界では、そのくらい出来ねば話にならなかった。
 さりとて目の前の娘が『そこらの人間』とは一線を画す殺戮者であるというのなら――。
 あっさりと死んだふりが見抜かれたのも、致し方のない話なのかもしれない。
 しかし――。
 希の行動理念たるや、全く感服するほど典型的な代物である。
 見れば見るほど誰かに重なる。目も逸らせぬほど見詰めてきた姿の愚かしさに、溜息が出るくらいだ。
 ――姉のために行動している。
 それが自己欺瞞であることも責任逃れの正当化であることも、外から見ればすぐに分かることだ。そも人間が『誰かのため』などという言葉を使っている時点で、自己中心的な思考を軸に据えている。
 ――姉のためになっている。
 何よりも傲慢なのは、それを信じて疑わぬ姿勢の方だ。多少は疑念が混じって当然であろうが、希の行動には何らの躊躇も見られない。
 無敵の殉教者は愚かだ。愚かであるが故に、何よりも恐ろしい。
 行動原理はけものに似ている。厄介なのは己の欲求を他者のそれに転嫁することだ。それ故に自制も躊躇も働かない。下手に手を出せば未来はないだろう。彼女が手に掛けてきた、数えるにも飽きるような人々のように。
「――あなた、会話ってしたことないでしょ」
 構えた銃口越しに、ティオレンシアは声を投げた。確認というよりは、断定に近い代物だった。
「あなたが後生大事に抱えてるその指針、たぶん幻想を空想と妄想で固めたポンコツよぉ?」
「だったら、何か困ることでもあるのですかしら」
 ティオレンシアの声と似たような調子で、希が返す。
「あたしはあなた方を殺すし、あなた方はあたしたちを殺すのでしょう」
「そうねぇ――」
 殺す。
 ――殺すか。
 どうあれそのプロセスを踏むことに変わりはない。影朧とは慰め癒やされることで転生するが、そのためにはまず、一度命を散らす必要がある。
 故に、問題となるのは転生に対する意志だけだ。
「転生しといたほうがいいんじゃない?」
 死んでも治らぬ病が、世界には数多ある。
 彼女もまたその罹患者と言って差し支えはないだろう。ただ、他の世界の人々と違うところは、それが決して絶望を示すものではないことだ。
 死んで、別の命を生き直すことが出来る。
 そうだとしたら、死んだら治らぬそれを清算し、新たにやり直せるということだ。病のないまま生きられるというのなら、それもまた良いことだろう。
「この世界なら治るかもしれないんだし」
「説得をなさっている――ということでよろしいのかしら。その割に、どうでも良さそうな顔をなさるのね」
 ひどく投げ遣りな口調に、希が一つ息を吐いた。真っ直ぐに見詰める眸はひどく静かで、先までの狂気じみた笑みはどこにもない。
 そうしている限り、彼女はまるで正気の人間に見える。
 或いは――その思い込みを抱えている状態こそが、彼女の正気なのか。
 言葉を返す代わりに、ティオレンシアの握る銃口が咆えた。吐き出された鉄塊が娘の体を貫いて、細い悲鳴に変わる。
 ――思考に霧が掛かっているような感覚だ。
 上手く手繰り寄せられない。普段ならばもう少しまともなことを言ったのかもしれないし、ともすれば烈火の如き怒りを抱いたのかもしれなかったが、今の彼女の中には何も残ってはいなかった。
 あの炎の熱が遠のいてしまったら――。
 空虚だけが残されて、思考に大穴を空けてしまった。埋めるすべも、そこにあったものの名前も知らぬまま、ティオレンシアはもう一度、少女に向けて引鉄を引いた。

大成功 🔵​🔵​🔵​

イーヴォ・レフラ

十雉(f23050)と。

彼女の生は姉の為だけにあるような印象を受けるな。

使用人や色々な人達を殺した罪を転生した後も
生きて償えなんて言えない、
死が償いになるのなら彼女が死ぬ事で償いになるだろうしな。
一生懸命に姉の事を思う彼女を説得する言葉は俺には無いけど。

十雉はどうだろう?

彼女にはひとつ聞きたい事がある。
君は転生して姉とは関わらない別の人生を生きる事と、
ここで姉を思ってもう一度死ぬこと、
どちらが君にとっては幸せと思える?
どちらも死ぬには変わりないから気分の問題かもしれないが。

十雉は優しいな。
だが、話し合いも良いかもな。
君が少しでも幸せと思えるなら全力は尽くしたい。
俺の自己満足かもしれないけどな


宵雛花・十雉

イーヴォ(f23028)と

希さんはお姉さんのことが大好きなんだね
大好きな人に喜んで欲しいって
自分を1人の人として見て欲しいって
そう思ったのかな

罪の償い方なんてオレには分からないけど
これからどうするか
それは彼女達にしか選べないんじゃないかな

だから教えて欲しいんだ
君達はあの世で一緒になりたい?
或いは転生して新しい命として一緒に生きたいかな
それともこれからは2人別々でいたい?

オレは君たちが望む道へ進めるように手伝いたいって思うんだ
自分達で選ばなきゃ贖罪でも何でも意味なんて無いと思うから
だからもう一度姉妹2人で話してみない?

はは、イーヴォらしいね
確かに自己満足なのかも
けどこれがオレ達の選んだ道だから




 まるで姉のためだけに生きているかのようだ。
 それは何も、存在意義というだけの話ではない。希の中にある命の一滴でさえも、鼎のほかに何も写していないような歪さをしていた。
 転生を選びその後の命で生きて償えと軽々に告げるのは簡単なことだったが、同時に無責任でもあった。イーヴォ・レフラ(エレミータ・f23028)はようやく飴玉を転がして、一つ息を吐く。
 彼女が無辜を殺めたのは事実だ。だが死を以て償いと成すとしてきた彼女であればこそ、一度死すればそれで清算されたことにもなろう。その先にどちらを選ぶのだとしても――。
 それは、イーヴォが決めて良いことではない。
 姉のためにと必死になる彼女を、咎める言葉はない。己もまたそうして弟妹たちのためにと必死になったことがある。だから、視線は隣を見た。
「十雉」
 イーヴォの静かな声に、宵雛花・十雉(奇々傀々・f23050)はふいと顔を上げた。
「――どうだろう?」
「罪の償い方なんてオレには分からないけど――」
 問われたことの意味は理解している。だから、返す言葉はそれまでの思考を随分と切り捨てたものになる。
「これからどうするかは、彼女達にしか選べないんじゃないかな」
「そうだな。俺もそう思う」
 ――姉のことを愛する気持ちに、嘘偽りはなかったのだろう。
 少なくとも十雉はそう思う。その中に、彼女が思うよりもずっと自己中心的な思いがあったとして、姉への愛情があったという事実が変わることはない。
 大好きな人に喜んで欲しくて、一人の人間として見て欲しくて、ずっと足掻き続けた結果がこれなのだとしたら――。
 問うべきことは、もう決まっていた。
「君にひとつ、聞きたい事がある」
「何ですかしら。皆様、お話がお好きね」
 一歩を踏み出したのはイーヴォが先だった。悠々と小首を傾いだ娘は、姉の前での狂乱が嘘のように静かだ。まるで話の通じぬ娘だとは思えない。
 そうだとして――。
 彼のすべきことが変わるわけではないのだが。
「転生して姉とは関わらない別の人生を生きる事と、ここで姉を思ってもう一度死ぬこと、どちらが君にとっては幸せと思える?」
 どちらにせよ死ぬ。だが行き先を選べることは、僅かの光明だと思いたかった。
 瞠目して動きを止めた希から返答はない。十雉が前に出て、視線を合わせるように膝を屈めて見せた。
「うん。それはオレも知りたいな」
 ふと――。
 泣いていたきょうだいたちに、こうして問うた記憶が蘇った。
「君達はあの世で一緒になりたい? 或いは転生して新しい命として一緒に生きたいかな。それとも――これからは2人別々でいたい?」
 希の沈黙は長かった。
 じっと彼らの真意を探るようにして、黒い眸が眼差しの奥を見る。揺るがぬ色に降参を告げるように、深々と吐かれた娘の息が掠れた。
「――どうして、そんなことを?」
「オレは、君たちが望む道へ進めるように手伝いたいって思うんだ」
 選ぶのは自分たちだ。
 そうしなくては意味がないだろう。誰かにそうしろと言われた通りにしているのでは、彼女たちは結局、生前から抜け出せてはいないことになる。皮肉にも死によって放たれた呪縛から、道往きを選ぶのは、彼女たちの自由だ。
「だからもう一度、姉妹2人で話してみない?」
「話す――?」
「話し合いも良いかもな」
 ――十雉は優しい。
 屈み込んだ背を見て、イーヴォが僅かに目を細めた。彼には持ち得ない言葉の数々を、穏やかな口調で告げてみせる十雉は、きっと彼とは違う強さを秘めてもいるのだろう。
 だから、するべきはほんの少し、背を押す手伝いをすることだ。
「君が少しでも幸せと思えるなら全力は尽くしたい。俺の自己満足かもしれないけどな」
「はは、イーヴォらしいね」
 言葉通りなのかもしれなかった。思わず笑った声に、何らの気負いも落ち込みも見て取れないから、イーヴォもまたゆるゆると笑みを刷く。
 彼女たちが道を選ぶようにと促すのもまた――彼らが選び取った、確かな道だ。それが自己満足であろうと、そうでなかろうと、そんなことは瑣末な事実に過ぎないのである。
 だから。
「教えてよ。君のこと――君達のこと」
 金色の眸を見据えて、希は僅かに口籠もった。
「話し合いなんて、出来やしないのですわ」
 喉の奥に溜め込んでいたものを、ようやっと吐き出したような声である。ひどく諦観じみて、けれど込み上げるものを押さえ込むような、不安定な息が聞こえた。
「あたしがあたしを制御出来ないことくらい、馬鹿でも知っています。お姉ちゃんが叩けば死んでしまうかもしれないことも。だからあたしはお姉ちゃんに怒ってはなりません。叩くようなことなどあってはなりません」
 二人は違う生き物だから、時に苛立つことがあった。
 それでも、怒りにまかせてしまうわけにはいかなかった。鼎は希に全部をくれたから弱くなってしまったのだと父母は言ったし、祖父は姉を大切にするよう強く言い含めた。何より、希自身が、姉に暴虐を働くことを赦さなかった。
 衝動的な己は怒れば何をしでかすか分からない。だったら怒らないようにするほかない。姉の言うことこそが全てで、姉こそがこの世の至宝だ。だから希は怒らない。泣かない。苛立たない。姉に危害を加えるようなことが、決してないように――。
「今なら、殴ったくらいじゃ死なないだろう」
 率直な言葉に瞬いたのは、希だけではなかった。イーヴォを振り返った十雉もまた、似たような面食らった顔をしてから、俄に破顔した。
「そうだね。前までなら、喧嘩が危なかったのかもしれないけど――今は、大丈夫だよ。叩かないで済む方が良いとは思うけど……」
 きょうだい喧嘩で引っ張ったり叩いたり引っ掻いたり、そのくらいは日常茶飯事だ。沢山のきょうだいたちの仲裁をしてきたし、時に巻き込まれもしたから、十雉は知っている。
 だから――まあ、そういうことが出来なかったのは、きっと大きな歪みなのだろうし。
「喧嘩しちゃっても、沢山喋った方が良いんじゃないかな」
「今までやって来たみたいなものじゃない。隠さない本音を、な」
 飴玉を噛み砕く音に瞬いて、希がふと己の掌を見た。
 それきり佇んだ彼女が何を考えているのかまでは――。
 いかな二人と言えど、分からぬことである。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

毒藥・牡丹
【理ない】○

こんな感覚、もう二度と味わいたくなかったのに
最悪だ 最低だ
苦痛も懇願も怨恨も憤怒も嫉妬も焦燥も憧憬も愛憎も後悔も嫌悪も殺意も
脳に匙を突っ込まれて掻き混ぜられているかのようで
胃袋丸ごと、吐きそうだった

なにが"だいすき"よ
何も見えていないくせに
なにが"愛"よ
全部押し付けのくせに

嗚呼、嗚呼───
けれど、何も違わないから
死んでしまえ、あなたとわたし
それがきっと、善い答え
牡丹が、落ちる

にい……さま………?
嗚呼、嗚呼、にいさま
そんなに血を吐いて、あたしのせいで、
やっぱりあたしはきっと、あなたのそばには──

──え?

ねぇ、にいさま
わたしが、塵に消えてしまわないように
このまま、抱いていてくれませんか


千桜・ルカ
【理ない】○

牡丹、遅れてすまない
彼女の身体を抱きとめて

よくがんばったね
もう大丈夫だ
毒ならばすべて洗い流してしまえばいい
彼女を苦しめるものすべてを浄化するような雨を降らせよう
たとえ毒で血を吐くことになろうと
私はお前を護るよ
だから死ぬなんて言わないでおくれ
私の傍にいてくれると約束しただろう?

確かに牡丹の言う通り
一方的な愛だったのかもしれない
けれど見返りを求めないその想いは
きっと本物だ

あなた達も生まれる家が違ったら…
…なんて
誰と重ねているんでしょうね
あなた達を縛るしがらみから
解放できるように
破魔の雨を降らせて
あなた達の転生を願いたい
私にはその力がありますから

牡丹
お前が望むならいつまでもこうしているよ




 どうして己ばかりこうなるのか。
 走馬灯を感ずるのはこれで二度目だった。碌なものではなかった一度目の人生で抱えたものを、そのままそっくり同じだけ飲み干して、毒藥・牡丹(不知芦・f31267)はまだ蹲っている。
 ひどい頭痛がしていた。喉の奥を破って脳に突き刺された匙が、無遠慮に掻き回される感覚に似る。
 そうされると――。
 今までに抱いたことのある感情が一気に溢れかえる。打ち据えられた体の痛み。母の凍るような声。懇願の喘鳴は己のものだが、いつ叫んだものかは思い出せない。
 俯いて歩く、稽古場に繋がる廊下の木目。まだ着かないで欲しいと願いながら見詰めた、母の部屋に繋がる障子。弦を弾く瞬間の緊張。上手くやれた日の一瞬の高揚。それから――。
 ――一目で敵わぬと思い知らされる、本家の娘の姿。
 喰らわされた毒と、この鉛のような心地ごと、胃袋を吐き出せたらどんなにか良かっただろう。それでも無様に命に縋る滑稽も、もう分からぬようにして欲しい。
「なにが"だいすき"よ」
 何も見てなどいなかったくせに。
「なにが"愛"よ」
 薄っぺらな言葉で押し付けて、苦しめるだけのくせに。
 吐き出す言葉が泣くように揺れる。声にすればするだけ跳ね返ってくると知りながら、牡丹は身を抱えるように伏せった。
「死んでしまえ」
 ――あなたも。
 ――わたしも。
 何の役にも立たない一匁だという。ならば死んでしまえば良かったのだ。余計な毒を世界に振り撒く前に。これ以上、誰かを手に掛けてしまう前に。
 次の命など要らない。滅びて眠りにつけたなら、どんなにか――。
「牡丹」
 不意に名前を呼ばれた。記憶にこびりつくそれとは違う、暖かな声だった。
「遅れてすまない。よくがんばったね」
 悄然と持ち上げられた眸の向こうで、千桜・ルカ(紫雨・f30828)が笑っている。妹の体をやわく抱き締めて、美しい桜の如き相貌が確かに見えた。
「にい……さま……?」
 口を開けば零れる毒は、牡丹の意志では止まらない。満ちた霧は、一介の娘如きが仕込んだそれより遥かに重く身を蝕む。痙攣するように咳き込むと同時、兄の唇から溢れる鮮紅に、妹はようやく我に返ったように瞠目した。
「嗚呼、嗚呼、にいさま」
 反射的に背をさすろうと伸ばした指が止まる。彼を苦しめているのは己だ。あのとき殺してしまった数多の命と同じように、このまま牡丹が触れ続ければ、彼もまた死んでしまう。
 また、殺してしまう。
 身じろいだ理由は、今度は明確な拒絶だった。ルカのくれた言葉でどれほど救われただろう。居場所のあることの安らぎを噛み締めた数だけ、犯す罪の重さを思い知る。
 やはり側にいる資格などない。こんな価値のない、腐った蕾の百合などに――。
「もう大丈夫だ。私はお前を護るよ」
「──え?」
 頬を伝った涙を拭って、しらじらとした指先の男がわらう。
 身を喰らう毒の痛みは分かっている。これが己をじき殺すだろうことも。それでも、この程度のものに易々喰らわれるほど、ルカは柔ではない。
 何より――。
 望まぬ運命を押し付けられて、妹が泣いている。
 彼女が己を毒だというのならば、そうでないことを証明してやれば良い。降り注ぐ慈雨は全てを拭う。彼女を苦しめる何もかも、過去も今も未来も、ルカが洗い流す。
 そうしてようやく零れた透明な涙だけを、何度でも拭おう。牡丹がこれ以上、己を傷付けぬように。もう誰にも痛みを与えられないことを知って、笑えるように。
「私の傍にいてくれると約束しただろう?」
 降りしきる雨に菖蒲色の桜が舞う。甘やかな香りが百合のそれを払うまで、ルカは笑い続けていよう。
 口の端から滴る紅を、青年はゆっくりと手の甲で拭う。無防備に背を晒すルカを前に、希はじっと立ち尽くしていた。
「確かに牡丹の言う通り、一方的な愛だったのかもしれない」
 振り向かぬ兄と、その腕の中で守られる妹を、突き刺さる眼差しはどう見ているのだろうか。
 嫌悪か、憎悪か。或いは羨望か――憧憬か。
 どれでも構わなかった。問題なのはもう、その想いの行き着く先が、この世のどこにもあってはならないことだけだ。
「けれど見返りを求めないその想いは、きっと本物だ」
 腕の中で震える体と、いつか紫陽花の中で刃を交えた顔を重ねる。朧に揺らぐ過去の断片の中で、知らぬことばかりのこの命は、それでもどこかで彼女たちの痛苦を悟っていた。
 もし生きていたとして――。
 男として生を受けたルカが真に理解出来たのかどうかも、分からぬことだけれど。
「あなた達も生まれる家が違ったら……」
「まるで比べる相手がいるようなことを仰るのね」
「ええ。――誰とでしょうね」
 思わず笑った。重ね合わせる感傷までも見抜かれてしまう。それでも、祈らずにはいられないのだ。
「家から解放されるには、家が亡ぶか、自分が消えるかしかない。知っています」
 皮肉にも、二人はどちらも失って初めて、それを成し得た。
 もうどこにもない歪んだしがらみに、死んでもなお囚われている。それを取り払って手を繋ぐためには、もう、再び巡るほかにないのだろう。
 だから――。
「あなた達の転生を願いたい」
 ルカが告げるのは、『そうすべき』でも、『そうあれ』でもない。
「私にはその力がありますから」
 降り注ぐ破魔の雨に、桜の癒やしに、どうかその身を委ねて欲しい。再び巡り会えるように。今度こそ、幸福に笑い合えるように――。
「ねぇ、にいさま」
 不意に腕の中から声がした。見下ろせば、幾分か正体を取り戻した牡丹の顔が、鎧わぬ少女のそれで彼を見上げている。
「このまま、抱いていてくれませんか」
 ――わたしが、塵に消えてしまわないように。
 毒も過去の鎖も、全てを洗い流す雨に溶けてしまわぬように。
「牡丹」
 妹の懇願に頷くより先に、ルカの手は強くその背を抱き締めた。雨に打たれて冷える体温に、己のそれを分け与える。優しく背を撫でてやれば、熱を求めて寒がる体の震えが、少しだけ止まったような気がする。
「お前が望むなら、いつまでもこうしているよ」
 どこにも攫われてしまわぬように。
 もう何も、その身を苦しめることがないように――。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

蘭・七結
【月暈】〇

兄様――ユェーさん、目覚めの時間よ
蝕んだ毒は落ち着いたかしら
毒を食む体験は、何時だって不可思議なものね

双子の妹子、ノゾミさんだったかしら
あなたは……お姉さまが大切なのね
誰よりも、何よりも大切で
彼女の心さえも歪めてしまうほどに

もしも――などと夢想を浮かべはしない
あなたの想いを理解ることなぞ出来ない
ただひとつきりの、あなたの想いだもの

正解であって、間違いであって
そのどちらでも無いのでしょう
あなたを諭すことは、わたしには不可能だわ

影朧と云うかたちへと変じてまで
あなたたちは、こうして共にある
あかい花嵐に魂を乗せて、そうと送りましょう

魂が巡り還ることは無くとも
その魂たちが、安らかに眠らんことを


朧・ユェー
【月暈】

七結……七結ちゃん、おはよう
そこまでの毒じゃなかったので
七結ちゃんは大丈夫ですか?
他から頂く毒はあまり美味しくはありませんね
七結ちゃんからの毒でしたら喜んで喰らうのですけどねぇと

姉妹愛とても美しくて儚いですね
姉を愛する君、きっと誰よりも尊い、僕も兄弟や七結ちゃんが本当の妹だったら
それくらい愛する事が出来るでしょうか?
同じくらい愛してるなら生きた相手に逢いたいですね
次の生でもいいから今度は兄弟じゃ無くても
君はどうですか?冷たい今の姉よりも本当は愛してると言って欲しいのでは?

嘘喰
君の嘘を喰べましょう
本当に望む願いを叶える様に

嗚呼、七結ちゃんは生きてる方がいいですねぇ
だって楽しくないですから




 気付けば痺れは抜けて、明瞭な思考が戻っている。
「兄様――ユェーさん、目覚めの時間よ」
 蘭・七結(まなくれなゐ・f00421)がかるくその手を握れば、朧・ユェー(零月ノ鬼・f06712)もまた、真っ直ぐな金色の眸を瞬かせる。
 互いが唇に浮かべた笑みは、いつものそれと相違なかった。どちらともなく立ち上がれば、衣装についた砂を払うようにしてみせるのも、ごく自然な所作だった。
「七結……七結ちゃん、おはよう」
「ええ、おはよう。蝕んだ毒は落ち着いたかしら」
「そこまでのものじゃなかったので。七結ちゃんは大丈夫ですか?」
「ええ。毒を食む体験は、何時だって不可思議なものね」
 くすりと笑む口許が、爛漫な春を湛える。かろやかな少女の表情からまろばす物騒な台詞も、密やかな毒を撒く牡丹一華の眸にはよく似合った。
 そうですか――ぱたりと瞬いたユェーの方は、顎を一つ撫でて七結を見た。
「他から頂く毒はあまり美味しくはありませんね」
 七結ちゃんからの毒でしたら喜んで喰らうのですけどねぇ――。
 零すような愚痴めいた言葉に、さも嬉しそうに七結がわらう。それが何であれ、近しいひとから示される親愛は、暖かな火を灯すものだった。
 ならば――。
「ノゾミさんだったかしら」
 ――彼女の心に、灯はあったのだろうか。
「あなたは……お姉さまが大切なのね」
「ええ。あなたも――本当のお兄様ではないようですけれど、その方が大事なのではなくて?」
「そうね。でも、心を歪めてしまうほどではないわ」
 本当の兄であっても、きっと愛しただろう。八の名を冠した姉を、ずっと愛してきたように。
 けれど希の抱くそれには敵わない。見ている向きが違うというべきか。抱え込みすぎて歪みが残るような抱き方を、七結はしない。
「あなたの想いを理解ることなぞ出来ない。ただひとつきりの、あなたの想いだもの」
 だから、生半可な理解と同情は捨てる。
 愛とは――。
 さまざまにある。そのひとによって形も在り方も違う。周囲の評価は後付けの基準に過ぎなくて、本当は、当人がそれを良しとするか否かにしか、問題の軸はないのだろう。
 それでも、ひとには余計な知恵がある。二人の形を過剰に賞賛したのも、そうあるよう仕向けたのも、また否定するのも――それがひとである限りは、止めるすべのないものでもあるのかもしれない。
 だから。
「正解であって、間違いであって、そのどちらでも無いのでしょう」
 七結はただ、受け入れる。
 彩を結わいてなお無垢な眼差しは、知にも理解にも遠いが故に透徹だった。見詰め合う娘との間にある確かな断絶を、断絶のまま受け止めることにも、恐れはない。
「あなたを諭すことは、わたしには不可能だわ」
 何も言わない。彼女の思うことが全てだ。七結にとって、その双眸の見る世界以上のことが、分からないのと同じ。
 口を噤んで一歩を引いた七結を一瞥し、金色の眸は緩やかに瞬いた。
「姉妹愛。とても美しくて儚いですね」
 ひたむきな愛は何より尊い。それがどんな形をしていようとも。
 ユェーにそれが出来るだろうか。妹の演技をする隣の少女が、本当に血の繋がった妹であったなら。或いは、己のきょうだいたちに――。
 およそ抱き得ぬ領域かもしれない。少なくとも、彼女たちほど密な距離で生きてはいないから、その感情を理解は出来ても、想像までは及ばない。
「でも、同じくらい愛してるなら、生きた相手に逢いたいですね」
 差し伸べた手は、しかし心底より希を救済するためのそれとはいえなかった。
 これはユェーの一意見だ。たとえきょうだいでなくとも、転生で全てを洗い流されてしまっても、生きて笑うひとに逢いたい。その先でも変わらず隣で笑ってくれることを願い、或いは信じている。
「君はどうですか? 冷たい今の姉よりも、本当は愛してると言って欲しいのでは?」
「――愛していると、面と向かって言える姉妹が、どれほどございます?」
「それでも、君の望みは今とは違うように見えますよ」
 ようやく零れた希の冷えた声音に、纏わり付くのは喰華。嘘偽りのみを喰らうそれは、彼女の身に痛みを与えるわけではない。
 心は――。
 或いは、痛んだのかもしれないが。
 俯いた娘が深く息を吐く。呆れでも憎悪でもない、ただ深い諦めに満ちた、独白だった。
「愛してもらう必要などございませんわ。姉妹仲の悪いふたりなど、この世に幾らでも転がっているでしょう」
 父母も、祖父も、姉がああなったのは希に全てを分け与えたからだと言った。
 言われれば、彼女に抗えるような理由はなかった。衝動的な自分の性質も、明晰な姉に口で敵わぬ愚かな頭も知っていて、姉が自分の力で殴れば死にかねぬことも理解していた。
 だから、姉に逆上することのないように、姉を思考の全ての中心に添えたのだ。己の全てを姉に捧げることは至上の善行なのだと思い込めば、泣くことも、怒ることも、殴ることもしなくて済んだ。
 ――最初の理由は、幼稚な絶望を騙す偽りの希望だった。
「手を繋いで一緒に買い物をして、揃いの簪を買って――たまに喧嘩の出来る姉妹に、なりたかった。それだけですわ」
 目を伏せた希が、ゆっくりと手を広げた。血の涙が零れ落ちれば、冴え冴えと煌めく長い爪が揺らぐ。そのひとひらからユェーを守るようにして、艶やかな紅の嵐が吹きすさんだ。
「影朧と云うかたちへと変じてまで、あなたたちは、こうして共にある」
 その中央に立って――。
 七結は、潰えたのぞみの行く先を見る。静かな黎明に向けて、その魂を攫うやさしい一華が、紅の簪を差した髪を撫でていく。
 魂が巡ることなくとも、還ることなくとも――。
「その魂たちが、安らかに眠らんことを」
 それほどの祈りしか、この心に渡せるものはないけれど。
「嗚呼、七結ちゃんは生きてる方がいいですねぇ」
 いのちの色を指先で摘まみながら、ユェーが笑う声がする。見上げた先の金色が、紫水晶と聢と絡み合った。
「だって、楽しくないですから」
「それはユェーさんも、よ」
 わらいあう二人の間を縫うようにして、紅いろが空を舞った。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

朱赫七・カムイ
⛩神櫻

私はね
二人が本当に望んでいたものは叶えたかったものは同じでは無いかと思うのだよ
名前には願いが込められているのだと思うから、呪だけしか知らぬ哀しみだけで鎖されてほしくないと
…眠りを望む彼女らに望む私は残酷やもしれないが
厄に沈んだまま終わって欲しくないのだ

そなたの路はここで終わる
されど終わりではないんだ
其れは私が転生を経たものだからそう思うのかもしれないけれどね

私のサヨが再び出逢えたのは…運命だと自惚れていい?何方にせよ、私は愛しいきみを捜しに往くのだろうが
サヨを守り言葉と祈りを重ねて斬撃を放つ
真に解放されるべきはこの呪からだ

どうあれ選んだ道は認めるけれど
姉妹に倖であってほしいと私はのぞむよ


誘名・櫻宵
🌸神櫻

本当に不器用な姉妹だわ
2人揃ってのぞみをかなえる、なんて
呪に侵された家にしては面白く、皮肉であるわ

希は自分が無いのね
其れでは希など抱ける訳もなく
姉の一部であるあなたを一度終わらせて、もいちど廻って生きなさいな
あなたは知るべきだわ
姉以外の世界と、のぞみを抱ける己を
姉から離れてみなさい
…縁があれば、私とカムイみたいにまた逢えるやもしれないわ?

桜はもっと美しく、世界はもっと優しいものよ
私は優しい神様に教えてもらったの

呪われた家に縛られるのはもうおしまいよ
姉妹を解放し廻る天へ
桜化の神罰廻らせてカムイの神罰に重ねて放ち、呪詛ごと咲かせるように薙ぎ払う

呪われただけで終わるなんて
そんなのつまらないわ




「私はね」
 散る桜が、窓の外に見える。
 この世界のどこにでも咲いている、永遠の薄紅だ。癒やしを運び、再び魂の巡ることを促すひかり。
「二人が本当に望んでいたものは――」
 それをじっと見詰めたまま、朱赫七・カムイ(厄する約倖・f30062)の眼差しは、いつかを映すように遠くを見ていた。
「叶えたかったものは、同じでは無いかと思うのだよ」
「そうね」
 隣に立った誘名・櫻宵(爛漫咲櫻・f02768)は、服についた砂を払うように、指先を動かして見せた。瞬いた眼差しに艶やかな色を乗せ、口許を隠して希を見詰めるのだ。
「本当に不器用な姉妹だわ」
 ――のぞみをかなえるだなんて。
 業を重ね呪を宿した家にしては面白い言葉遊びで、それ故に皮肉だ。抱いた望みを叶えることで、一族を覆う情念を呪いに変えたのだろうに。挙げ句滅びていくのみだというなら、それほどひとの愚かしさを映した鏡もない。
 櫻宵の微笑にまなざしを遣って、カムイは憂鬱げに息を零した。
 名とは、初めにもらう呪いだ。
 なればこそひとは、そこに願いと祈りを込める。呪われてあれと名付けられた子供などそういない。元より身を縛る呪であればこそ、その哀に囚われるまま、苦痛の海に身を投げて欲しくはない。
 眠りたいと、或いは転生の可否など構わぬと、武器を取る彼女たちに対するには、カムイの願いはひどく残酷な側面すら孕む。それを自覚しながらも、打ち沈んだ桜色の眼差しは、己の祈りを誤魔化さない。
「厄に沈んだまま終わって欲しくないのだ」
「カムイは優しいわね。でも、私も同じ意見よ」
 ――それは、彼ほどうつくしい想いで成される結論ではないけれど。
 わらう櫻宵にひどく安心したように、神もまたやわやわと唇を緩めた。握り締めた朱砂の太刀を構え直す。
 そのまま肉薄した娘の爪と刃が交わった。互いの皮膚をあさく裂いたそれに、しかし血を零したのはカムイだけだ。
 斬り裂くのは――その体ではない。
「そなたの路はここで終わる。されど終わりではないんだ」
「哲学的なことを仰るのね」
「――私は転生を経たものだからね」
「まあ」
 瞠目した希の表情には、純粋な驚愕の他には何も見て取れない。瞬いた眸は先の狂乱を宿さず、ひどく理性的な娘の顔で問うた。
「覚えていらっしゃるのね。以前のこと」
「思い出させてもらったんだ」
 大切なひとに――。
 巡った命の最果てで、再びこの手を握ってくれた。その掌の温もりを分け合えるのは、正しく厄が一度絶ち斬られ、慰みの櫻のもとで輪転したが故のものだ。
 真っ直ぐに斬り結ぶ二人のあわいを見詰め、櫻宵もまた己の刃を抜き放つ。愛呪を宿す桜獄の大蛇が、薄紅の雨の中であまやかな香りを放った。
「あなたには、自分が無いのね」
 ――かなえるのぞみがないと言うけれど。
 そも己を持たぬならば、願う以前の問題だ。彼女に決定的に足りぬのは、ひとりで生きる時間だった。
 ひとりは昏い。昏いが故に、櫻宵はそれを厭うた。それでもかの時間が己の輪郭を明瞭にし、また抱いた願いの矛先を握り締めるひとつになったことは事実だ。
 だから――。
「あなたは知るべきだわ。姉以外の世界と、のぞみを抱ける己を」
 ――終わらせるのは、姉の一部であり続ける、そのこころだ。
「姉から離れてみなさい」
「それだけは嫌」
「早とちりしないの。何も永遠に別れろってことじゃない。……縁があれば、私とカムイみたいにまた逢えるやもしれないわ?」
 一度刃を離したカムイを、薄紅の眼差しがちらと見る。はっきりと交わった視線が僅かな熱を孕むのも致し方のないことだった。
 一度は別離を果たし、結わえた糸を断ち切った。それでもまたこうして結ばれたその色は、互いを心底想うが故に色を変えたのだ。それもまた、こうして巡ることなければ、あるはずのない未来のひとつに過ぎなかったから。
「私とサヨが再び出逢えたのは……運命だと自惚れていい?」
 そうでなくても、きっと探しただろう。幾度巡ろうと、幾度すれ違おうと、きっとカムイの魂は櫻宵を忘れない。顔も名前も、声さえ霞んだとしても、必ずこの手で抱き留めんとするだろう。
 櫻宵もまた、その顔に笑いかける。
「ええ。勿論よ、私の神様」
 互いを結んだ視線は、安堵の裡に解かれた。握った切っ先は真っ直ぐに娘を穿つ。
 カムイのそれが櫻宵を守り、その心を貫いて――。
 櫻宵のそれがカムイの刃と重なって、残された生命の残滓を絶つ。
「桜はもっと美しく、世界はもっと優しいものよ」
 ――真に断ち切らねばならぬのは、呪われし家に授けられてしまった、尽きせぬ血の宿業だ。
「私は、優しい神様に教えてもらったの」
 神罰を孕む剣が、あまやかな薄紅を咲かせて散らす。満ちる香りがその魂を巡らせるだろう。天に戻れば再び還る。そうしてこの世界は巡っているのだから。
 カムイのあたう鋭刃が、厄を絶ちきり約を結ぶ。災はもう、これきりで良い。残る巡り合わせは、ただ倖のみにあるように。
 血と命運に呪われた大蛇の一刀は、それでもかの呪いを貫くように突き出された。ふかぶかと突き刺さる冴えた白刃は、まさしくいつかそうして雁字搦めに縛られた糸を、迷いなく切り裂くのだ。
「呪われただけで終わるなんて――そんなの、つまらないわ」
 それが、櫻宵の答えだ。
 泣き濡れることもあるだろう。何故と問う想いも分かる。屈折して、歪んでしまった心が在処を探して彷徨うのも。それでも。
 ――それでも、そんなものに膝を折ってさめざめ泣いているだけでいるならば、きっと何もを手放すことになってしまうから。
 ふたつの刃が重なって、幾重に重なる黒い糸から、その身を解き放つ。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

鳴宮・匡
銃を片手に希と向き合う
耳を閉ざしてしまえば、叫びは聴こえないけど
せめてそれくらいは聴き遂げるよ

……一緒だな、と思う
たったひとつ自分の世界を、自分の手で壊してしまって
壊れてしまってから、その罪深さを思い知る

――生きる/死ぬことを
そのひとの“せい”にしたのだって、同じ

死ぬことも、生きることも償いなんかじゃないよ
奪ったものは、何にも代えられない
奪うことで消えるのは、誰かの幸せで、未来で、世界で
それを償うことなんて、どんなことをしたってできない

それを知ってるから
生きるべきとも、死ぬべきとも言わない

……でも
これから行く道も、居たい世界も
今度こそ、ひとつくらいは
“姉の為(せい)”じゃなくて、自分で決めなよ




 誰しも、似たような絶望をするのだな――。
 己の世界を作り上げていた唯一を、この手が引き寄せた因果で壊した。瓦解の音をまざまざと焼き付けられ、一人放り出された本当の『世界』を前に、愕然と立ち尽くす。
 そのとき鳴宮・匡(凪の海・f01612)の手にあったのは、犯した罪と銃の重みだけだった。
 いつの間にか擦り切れてしまったそれが、先の毒でまざまざと蘇っている。手にした銃に揺れる藤色を一瞥して、慣れた手つきで引鉄に指をかけた。
 悲鳴も、揺らぎも――。
 耳を鎖せば聞こえないだろう。それくらいは分かっていた。被害を最小限に抑えるならば、そうすれば良いだけだった。
 けれど、そうしなかったのは――。
 せめてを訴える感傷の一部くらいは、認められるようになったからかもしれない。
 戻っていく最後の影が、一度だけ自分を見上げた。ないはずの目が合ったような気がするから、意味もなく曖昧に唇を緩めてみせる。
「死ぬことも、生きることも、償いなんかじゃないよ」
 徐に口を開いた匡の声に、娘はふと顔を上げた。
 零れ落ちる血の涙に照準を合わせたまま、幾度も繰り返した言葉をまた脳裏に描く。目は切らない。今もまだ、先までそこにいたかのように描ける声の輪郭をなぞる。
 ――生きることも、死ぬことも、ひとりでは出来なかった。
 渡された願いに理由を付けて、それを都合良く杖にした。祈りの色を呪いに塗り替えてでも、己の中にある願望から目を背け続けた。
 生きたくて。
 死にたくなくて。
 ただその一心で踏み切れなかった足を、鎖に縛り付けられたかのように演じて己を騙した。そうすれば、命を繋げていることに理由を作れた。
 そうやって――。
 全部、あのひとのせいにしてきた。
「奪ったものは、何にも代えられない。奪うことで消えるのは、誰かの幸せで、未来で、世界で――」
 匡が得たことを自覚出来る、暖かいものの全てだ。
「それを償うことなんて、どんなことをしたってできない」
「あなたもそう?」
「――そうだな」
 出来ないのだろう。
 悪かったとすら思ってやれない、夥しい屍に報いることも。唯一、この歪な心が壊れそうなほどの罪悪を抱くあのひとにも。
 全てを見透かすような眸で、希は首を傾いだ。狂った娘というには、あまりにも静かな問いかけだった。
「償いたいとは思わないものですかしら。どんな手を使ってでも、この世界を壊してでも」
 答えを――。
 すぐに返せなかったのは、それが図星だったからではなくて。
 脳裏に思い描いた全ての声を聴いていたからだった。それが成せるのならば、きっとこの身を擲ったかもしれなかった時分からずっと、己の中に灯されてきた火を辿る。小さかった火勢はみるみるうちに大きさを増して、匡の背をずっと押してくれた。
「今は、そうは思わないな」
 もう一度、綺麗な景色の中で笑う顔を見たいひとがいる。
 だから、生きるべきだとも、死ぬべきだとも、言えなかった。言うような資格はない。握った祈りを呪いに変え果て、挙げ句に大切なひとの屍すらも置き去りにして、尚も歩き続けようとするのだ。何を強制する権利があろう。
 それでも――。
 向けた銃口の意味は、ただ放り出すよりもずっと、重いものだ。
「これから行く道も、居たい世界も」
 ずっと姉にもたれかかっていたのだろう。自ら拾い上げることなど、考えたこともなかっただろう。いつかの匡が、そうしてよすがを失ったように。心までをも捨てて、擦り切れて、再び手にした今もひとと遠い水面ばかりを揺らがせるように。
 それを――変えることが出来たのが、天から受けた奇跡でないことは、知っている。
「“姉の為(せい)”じゃなくて、自分で決めなよ」
 揺れぬ水面に零す静かな声と共に、吐き出した銃弾が、希の身を穿った。

大成功 🔵​🔵​🔵​

比良坂・彷

双子の片割れが神だなんて当たり前
なぁ希
あんたとは気が合いそうだ

誰が否定し哀れもうとも俺は希の生き様を肯定するさ
俺もあんたと鏡映しみてぇな宿世を生きて
弟にどう思われようが妄執の域で愛し総てを注いだんだ
弟の道具で居られんのはこの上ない幸せだし
他所様を愛想笑いで操ってたのも揃いだわ

俺も弟になら何されても良かった
妄愛が過ぎて弟は自殺
姉がいるのだけは羨ましいや

煙草に火をつけ放ると無数の鈴蘭に
「幸福の再来」
純粋だが有毒な希の花
新たな煙草咥え青と赤の簪を握らせる
次の世では仲良く手をつないでふたりして大人になってくれよ
俺はこんな気狂いを背負わせたかねェから今世で弟の事は諦めてんだ
俺の願い来世にもってってくれ




 片割れとは、いつでも神だった。
「なぁ希、あんたとは気が合いそうだ」
 今だってそうだろう。咥えた煙草の先を娘に向けて、比良坂・彷(冥酊・f32708)は皮肉げに笑った。
 まるで己の一度目を見ているようである。同族嫌悪なんぞと人は言うが、彼の心に空いた大穴にはそれすら存在しない。寧ろ、この哀れがられるであろう同族に渡すのは、ただ肯定のみだった。
「俺もあんたと鏡映しみてぇな宿世を生きて、弟にどう思われようが妄執の域で愛し総てを注いだんだ」
 全ては弟のためにあった。ただ性別と生まれの順ばかりを違えた、鼎と希の如く。
 その手足であり、道具であることこそが至上の幸いだ。本性を知らぬ連中にうわべを取り繕うのが上手くて、笑顔を貼り付けるのが得意なところも、大いに理解出来る。そうして愛されるすべを吸収し、裡に渦巻く歪んだものを、片割れに与え続けたのだろう。
 ――彷の如く。
「俺も弟になら何されても良かった」
「ここにはいらっしゃらないようだけれど、弟さんはどうなさったの」
「自殺した」
 徐に取り出した火種で、煙草が烟った。
 端的な言葉に、希が息を呑むのも見えている。舞い散るのは蜜なる毒香――鈴蘭の可憐な花弁だ。
 妄執と偏愛を押し付けた末、弟は死んだ。悲喜劇ならば笑えもしたろうか。現実は取り返しようもなく、笑える話にも、泣ける話にも、なりやしなかった。
「姉がいるのだけは羨ましいや」
 無垢なる希の花を縫い、青年の足取りが緩やかに希へ近付く。目の前に立つ彷を見上げ、漆黒のまなこは何をも映さない。
 姉に狂う娘のそれというには、あまりにも冷ややかで、醒めていた。
 そう――。
 なのだろうさ。
 愛しているだけだ。絶対の信仰は、ただ注がれる愛情のひとつの表現形でしかない。心の奥底に淀んだ大穴を抱えて、盲信のような顔の奥で、ただ膨れ上がった歪な愛だけを撫でている。
 懐から取り出した煙草に火を付ける。今度は、花弁には変わらなかった。
「次の世では、仲良く手をつないでふたりして大人になってくれよ」
「他人事のようなことを仰るのね」
 差し出された彷の手の中にあるものをじっと見詰めて、希はひどく諦めたような声を上げた。
 同調というには冷めていて、憐憫というには情が籠もっていた。命の巡らぬ手を取っても、彼女の爪が彷を引き裂くことはない。
 ただ、そうされる己の掌と彷の目との間を、視線が行き来するばかりだ。
「あなただって、そうしたいのでしょうに」
「お生憎。今世では諦めてんだ」
 ――あんな最期を見てしまった。
 そればかりがひどく焼き付いている。半身に注ぐには過剰すぎた愛を抱えたまま、宙を滑るように墜ちて遠ざかる姿は、思い出すだけでもひどく苦しい。
 そうして、未だ彷はその記憶から逃れられていない。弟を唯一と愛することも、真実彼に与えられた感情がここにあることも、輪転すれども変わりやしないのだ。
「こんな気狂いを背負わせたかねェから」
 二度も。
 無防備に開かれた掌に、土産物屋で買った揃いの簪を握らせる。主人は確か、言っていたはずだ。
 ――紅色は希の。
 ――青色は鼎の。
 間違いなく、そこにあるのは、ただ同一であろうとするだけの感情ではなかった。揃いのかたちでも色だけは違う。空っぽの中に抱えられたそれが、よく似たかたちを背負ってきた彷には、他の誰かより少しだけよく見えた。
 だから。
「俺の願い、来世にもってってくれ」
「酷いことを仰るわ」
 二本の簪を、希はひどく懐かしげな表情で見詰める。唇から零れる言葉は掠れていた。眇められた眼差しが、僅かに震えるのが見える。
「あたしと同じように生きたあなたが気狂いなら、あたしだってそうでしょうに」
 似たような笑みを刷いたまま、しかし、希の手は確と簪を握った。

大成功 🔵​🔵​🔵​

鷲生・嵯泉
……救いたいなぞと驕った事を云う気は無い
お前とて救われたい訳では無かろう
――唯、姉に為に在れれば良いだけなのだろうから

己の存在を度外視し、万難排して其の道行きを只護る
能く知った遣り口だ……身に覚えが有り過ぎる程に
だが其れは本当に「のぞまれた」ものか?
如何な痛苦にも苛まれる事など無い様にと願い
そう在って欲しいと思うのは、他ならぬ自身の「のぞんだ」事の筈

己の為した罪の償いを、他者の命で贖える訳が無い
死すれば贖える訳でも、生きる事が贖罪に成る訳でも無い
――答えなぞ得られないと識る事こそが、償いとなろうよ

お前の手に掛かってやる心算は無い
――刀鬼立断
次の生をと云う気も無い――私が為すのは、断ち斬る事のみ




 この刃が救済にならぬことは、元よりよく知っている。
 戦うことで護ることを成してきたのである。不毛の戦場の中に救いはなく、苦しむ者への介錯が真に痛みを遠ざけるものでないことは、何よりこの手が知っている。
 ――救いなどと、驕った標榜を掲げるつもりは、鷲生・嵯泉(烈志・f05845)にはなかった。
 姉のためにと娘は言う。事実そうであらんとすることこそが、彼女の心にある唯一の支えであり、目標なのだろう。ならば生半可な言葉は届くまいし――。
 ここまでで随分と、彼女の爪も力を失っているとみえる。
 ぶつけられた爪を抜き放つ刃に滑らせる。所詮は素人が慣れぬ武器を振り回しているだけだ。実力が拮抗していれば充分な脅威となろうが、彼我の経験には明らかな差があった。
 それを知りながら尚、己の身を白刃に晒してまでも、姉を護ろうとする姿は――。
「能く知った遣り口だ」
「あなたもそうだと仰りたいの? それとも、あなたのよく知った人が?」
 答えはしない。
 そうしたこともあったし、そうされたこともあった。己が抱くのと同じだけの痛みを相手が感じていると知っていて尚、破滅より遠ざけんとしていることまでも分け合った。その思いばかりは、理解出来ぬことではない。
「だが其れは本当に『のぞまれた』ものか?」
 硬質な問いに、希の動きが止まる。唇が掠れた息を吐いた。
「どういう意味ですかしら」
 一度血を払って――。
 柘榴の隻眼が僅かに眇められる。
「如何な痛苦にも苛まれる事など無い様にと願い、そう在って欲しいと思うのは、他ならぬ自身の『のぞんだ』事の筈」
「――『そうのぞむほかなかった』と言ったら、どうなさるの?」
 見据えた先の漆黒の眸の奥底に、俄に淀むものを見た。その色を見たことがある。
 諦めだ。
 絶望の最良の友が、娘の裡に渦巻いている。だがその中央にあるのは、確かな姉への愛情だろう。何を諦めるにしても、何を飲み干すにしても、己が身を挺することを選ぶほどには――。
「其れでも、『のぞみ』に変わりは無い」
 振り抜く刃に翳された爪が、両断されて中空を舞った。主から離れれば途端に黒く霧と変わるそれには、互いに一瞥もくれない。
「己の為した罪の償いを、他者の命で贖える訳が無い。死すれば贖える訳でも、生きる事が贖罪に成る訳でも無い」
「消去法ばかりなさるお方ね」
「世には明確な答えの在る事の方が少ない」
 ――それを知るには、この娘は幼すぎたのだろうが。
 己の裡に、白と黒しかなかった時分を思い出す。二十にもならぬ子供の視野は、どうあれ一歩を引いて世界を見るにはあまりに狭い。答えを欲しがるそのさまを真っ直ぐに見据えてやれば、気圧されるように揺らいだ眼差しが再び問うた。
「償いなどないと仰るの」
「否」
 償いたいと願う限りは――。
 贖罪は在るものだろう。裏を返せば、その思いを抱えてゆく道程の重みをこそ、そう呼ぶのかもしれない。
 抱えきれぬだけの罪を犯した。同じものを、性懲りもなく今も重ねている。それでも歩むと決めたのは、紛れもなく嵯泉自身だ。
 生きるも死ぬも、他者が定めることではない――それは転生の在り方も同じだ。
「――答えなぞ得られないと識る事こそが、償いとなろうよ」
 嵯泉は、ここでその手に掛かって死ぬつもりはない。
 振り上げた刃に祈りはなかった。次の生へと望みをかけさせるようなことは言わない。ほんの僅かにでもそれを混ぜ込めば、言霊がいずれ因果を導くだろう。それを、己の意志とは言うまい。
 故に――。
 迷いなく身を斬り払う一刀は、全ての柵を断ち切るためばかりに、振り下ろされた。

大成功 🔵​🔵​🔵​

丸越・梓

マスタリング歓迎

_

彼女の『愛』を否定しない
けれどこのまま影に堕とさせたくない
誰かを大切に想う心が、誰かを傷付ける武器になってはいけないと思った故
だから、此処で止める

彼女の──希の心を知りたかった
影朧となってまで果たしたかったその真の目的を
何を、どうしたかったか

そして、俺に手伝えることはあるだろうかと

彼女は自身の価値をどう思っていようとも
彼女もまた、この世で唯一人の存在で
他者との比較など必要ない
貴女は貴女であるだけで、唯一無二なのだと
…然しこれは俺の価値観に過ぎない
攻撃は全て受け止める
けれど刃も銃もいらない
説得を諦めたくない

願うは安息と幸福
闇から連れ戻すように
そっとその手に触れた




 その愛のありさまがどれほど歪んでいたとして、咎めることは出来ないだろう。
 さりとて丸越・梓(零の魔王・f31127)には、『そういうもの』として背を向けることも出来なかった。転生に背を向けるような態度すらも受け入れれば、希も鼎も影へと溶けて堕ちてゆくのだろう。
 そうすれば、今度こそ取り返しがつかなくなる。
 他者へ向ける献身それそのものは、どんな形であれ尊い。だが時に刃にもなる想いが、第三者に振り下ろされるとなれば別だ。
 看過は出来ない。だから――。
 ――必ず、ここで止める。
 それでも梓は銃を手に取らなかった。爪に、叫びに、晒した体と歩みを止めることもない。零れ落ちる鮮紅が、希の背負う黒百合から滴る黒と混じり合うのに、彼女が怯んだような顔をしても。
 梓が希の目の前に立ったとき――。
 振り下ろせば心臓を捉えたかもしれない長爪は、もう戦意を失っていた。黒い双眸を見上げる娘との間に僅かな沈黙を零して、彼は切れた己の唇の端を拭って、小さく笑みを描く。
「貴女は、どうして影朧になってしまったんだろうか」
「どういう意味でしょう」
「――果たしたかったことが、あるんだろう」
 それは未練だ。
 この世に縛り付けられてしまった理由が、必ずあるはずだった。姉以外の全てをどうでも良いと切り捨てながら、彼女はきっと、どこかに己の願いを抱えているはずだ。
 それを聴きたいと思うし――。
「俺に手伝えることはあるだろうか」
 ――叶うなら、助けてやりたいとも思った。
「不思議な方々ね。糾弾して殺せば良いだけでしょうに。極悪人を生かして帰すのは、愚かなことなのでしょう。あたし、自分のしたことを悪いとは思いませんけれど、それが罪であることくらいは分かっていますわ」
 浅く息を吐いた希の声は、全く呆れるようでいて、それほどの力を孕んではいなかった。だから、梓は首を横に振る。
 罪を憎み、人を憎まぬのは、司法の基本だ。
 犯したものは戻らない。それでも、罪を犯したひとの抱えるものが、なべて価値をなくすわけでもない。
 元より人にはたった一つ、誰とも比較の出来ぬ価値がある。それは希とて同じことだ。
 ――彼女自身が、彼女を取り囲む環境が、そうは思っていなくとも。他の誰が、この言葉を否定するのだとしても。
「貴女は貴女であるだけで、唯一無二だ」
 少なくとも梓だけは、その思いを亡くさない。
 己が心臓に手を当てた彼を真似るように、ゆるゆると希の手が動いた。自分の胸に触れて初めて、彼女はその仕草に気付いたような顔をして、ゆっくりと瞬いた。
「あたし――」
 零した声は鎧わぬ娘のそれだった。小さく瞼を震わせて、少女は首を横に振る。
「ほんとうは、普通の女の子と同じように、生きてみたかったの」
 そうするだけのものを、持っていた。けれどそれは姉から奪ったものだから、そうする権利はきっと、最初からなかった。
 楽になっても――。
 きっと、そこには家に閉じ込められる姉の影がつきまとう。自由な少女として振る舞えば振る舞うだけ、伸びた影の如き後ろ暗さが増すのだ。
「そうしなかったのは、あたし。ですから刑事さん、もう良いのですわ。あなたが気にかけねばならないようなことは、ここにはございませんの」
「いいや」
 力のない独白を聞き届け、梓は首を横に振った。
「一つだけ、出来ることがある。俺から貴女に――貴女たちに」
 ただの祈りに過ぎない。現実を変える力があるわけでも、願いを叶える力があるわけでもない。
 それでも――死にゆく者たちに生者が出来る、唯一の手向けがある。
 安息と幸福を。その命のゆきつく先がどこであれ、どうか平穏を。
 俯く少女を、足を絡め取る泥濘から引き上げるようにして――。
 梓の手は確かに、希の掌に触れた。

大成功 🔵​🔵​🔵​

大町・詩乃
この結末を悲しみながらも、思う所を正直に。

のぞみとのろいは紙一重。
全てがどうでもいいと、のぞみはないと言っていましたが、鼎さんの一部である事が希さんののぞみ。
とうの昔に叶えていたから、もうどうでもいいのかな?

「宇都宮家でなければ」「どちらかが男性であれば」「健康状態が逆であれば」「祖父の企みが無ければ」、そんな条件一つ違うだけで別の結果になったでしょう。

それに希さんは使用人を殺し、鼎さんは止めなかった罪も有る。
だから此処で終わらせてあげません。

希さんが自身に掛けたのろいを解き、それぞれに転生して、真っ当な人生をやり直して頂きます。
と、UC発動した雷月で希さんの胸を突いてのろい(のぞみ)を解く。




 不可逆の結末を、笑って受け入れることは難しかった。
 犯した罪は戻らず、姉妹の命も再び器に収まったりはしない。感傷も悲哀もはっきりと抱いて、しかし大町・詩乃(阿斯訶備媛・f17458)は、それに忖度することはしなかった。
 言わなければいけないことは沢山ある。言いたいことも、同じだけ。
「のぞみとのろいは紙一重です」
 かくあれという願いは、かくあるべしという鎖を生む。優しさから生まれた切実な祈りが歪められてしまえば、足を縛る呪詛の泥濘になる。
 言葉も想いも表裏一体だ。
 いつだって込められた通りに伝わるとは限らない。その通りに生きられるとも、限らない。
 彼女たちの名に託されたものもそうだろう。のぞみであり、のろいだった。
「全てがどうでもいいと、のぞみはないと言っていましたが、鼎さんの一部である事も『のぞみ』でしょう」
「そうだったかもしれないですわ」
 ひどく懐かしげに、希の眼差しは遠くを見た。最早戦意のひとつも感ぜられぬ立ち姿が、影法師の如くに揺れる。
 ――仮定は幾らでも出来よう。
 詩乃が思いつくだけでも、列挙すれば片手の指では足りぬ。この家に生まれなければ。同性でなければ。例えば鼎が健康で、希が病床に伏していれば。祖父の企みがなければ。纏わる呪いがなければ、使用人たちがお節介であれば、両親がより彼女たちに干渉する性質であったなら――。
 どれか一つでも満たされていたのなら、最悪の結末は免れたのかもしれない。或いは家の凋落が真実避け得ぬものだったとしても、こうなってしまうことはなかったのかもしれない。
 それに――。
 そうだったとしても。
「あなたは使用人を殺しましたよね」
「ええ」
「鼎さんは止めなかった」
「そうですね」
 握り締めた白刃に、詩乃の一瞥が向いた。僅かに眇められたその目が、仄かに叱るような色を帯びる。
「その罪は、まだ償えていないでしょう」
 ――生きていたときの罪は、死で償われるのだと、希は言った。
 その理論が正しいか否かは別として、少なくとも死ぬことによって、彼女は姉を自ら手に掛けた罪からは逃れ得たのだろう。だとしても、その背が負った十字架は、一つなどではないのだ。
「だから――此処で終わらせてあげません」
 構えた刃に乗せるのは、清澄なる神の力だ。
 既に血を流す希の体を傷付けはしない。貫くのはただ、その心を雁字搦めに縛り上げ、この世にすら押しとどめたしがらみ一つ。
 ――希が、希自身へと掛けた、深い呪縛だ。
「それぞれに転生して、真っ当な人生をやり直して頂きます」
 思い切り突き出した刃が、避けられることはなかった。
 己の体を貫き、しかし痛みの一つも与えぬ詩乃の刀へと、希の眼差しが落ちる。そのまま、同じ年ごろの少女の顔を真っ直ぐに見詰めて、彼女は掠れた声で笑った。
「それが、あなたの思う『償い』?」
「そうですよ」
 生きていたときの罪は、死して清算された。
 ならば死んでから犯した罪は、再び生きて償ってもらう。
 生きることが必ずしも喜びのみを齎すわけではないことを、詩乃は知っている。人は苦しむから神に縋るのだ。神なくして幸福に生きられる者ばかりが地に満ちているならば、詩乃の聞き届ける願いはずっと、穏やかで細やかなものばかりになるだろう。
 そうはならない。
 争い続けることもあろう。人を妬むこともあろう。深い悲しみに突き落とされ、絶望の淵で喘ぐ日もあろう。それでも、そういう人生を、真っ当に生き抜くということこそが――。
 死して後にも跋扈した魂の成せる、償いというものだろう。
「――ほんとうに甘くて、お優しい方ね」
 真っ直ぐな詩乃の眸に向けて、希は皮肉めいた笑みを浮かべた。
 けれどその言葉尻は、どこまでも救われたようなものだった。


「お姉ちゃん、あのね」
「うん」
 引き抜かれた刃の先を見詰めてから、希は鼎に視線を移した。
 ひどく対照的な姿だった。涙の一粒も零さず、血の零れる体で無表情に息を吐く妹。傷一つも与えられないまま、流した涙の形跡もそのままに、ひどく険しい顔をした姉。
 揃いなのは、もう、しがらみも呪いも背負っていないことだけだった。
「あたし、お姉ちゃんと一緒にお買い物がしてみたかった」
 鎧わぬ少女の声で、希が言う。手にしたのは猟兵にもらった簪だった。紅と青の、揃いの形が、掌に確かに握られている。
「おんなじ制服を着てみたかったの。だから、お姉ちゃんがそれを着てくれてること、嬉しいわ。母さんと父さんが生きてるうちに、もう一着、買ってもらえば良かった」
 ――そうしたら、それくらいは叶ったかもしれなかったのに。
 今だって、二人は揃いの服を着られない。姉の服を着た妹と妹の服を着た姉は、交わらぬ命運を指し示しているような気がして――希は小さく溜息を吐いた。
「殴ったらお姉ちゃんが死んじゃうんじゃないかって、ずっと怖かったの。あたし、馬鹿だから、怒ったら何をするか分からないでしょう。でも」
 怒ると、目の前が真っ白になってしまう。気が付いたら手が出ていて、相手が驚いた顔で倒れている。それが余計に苛立つから、手元にあったもので思い切り殴ってしまう。
 何でも使った。本や鞄ならばまだ良い方で、時には皿を投げ付けたこともある。幼い娘の癇癪だと見逃されてきたそれが己の本質だと気付いたとき、不意に世話をしている姉のことが怖くなった。
 いつ殴ってしまうか分からない。自分では制御の出来ない情動を誤魔化すために、全てから目を瞑った。姉の嫌なところも、普通に過ごせぬ不満も、姉が至上の存在だと思えば何ということはなかった。
「皆に言われたわ。お姉ちゃんはこんな風になりたくなかったって。話をしなさいって。だから――ごめんなさい」
 俯いたまま、絞り出すように声を上げる。消滅までそう長く時間があるわけではないと分かっていたけれど、これだけは伝えたかった。
 口を噤んだ妹をじっと見詰めて、鼎はぐっと体を前に出した。己の足で音を立てて歩み寄り、睨むように希の顔を見るや、その手が思い切り振りかぶられる。
 乾いた音が響いて――。
「何よ」
 茫然と目を見開く妹の頬へ、掌を打ち付けた姉は、振り絞るように震えた声を上げた。
「やり返してみなさいよ、馬鹿」
 ――そこからは、ただの幼子の喧嘩だった。
 堰を切ったように泣きながら、希が鼎の髪につかみかかる。負けじと鼎がどこを狙うでもない蹴りを入れれば、力任せにつかまれた髪が幾らか抜けた。
「あんたね! いつまでわたしを見下すの」
 それも気にせぬまま、姉が夢中で叫ぶ声がする。涙も怒声も隠さぬその表情は、名家の娘のそれというにはひどく幼稚に歪んでいた。
「わたしはあんたに言われたら、車いすで一緒に買い物に行ってやったし。一緒に学校に行きたいっていうなら、二人でまとめてお父様にも、お母様にも、お爺様にもいってやったわよ」
「それでどうする気だったの」
 鼎を思い切り突き飛ばした希の手が、その頬を力任せに挟み込む。間近に近付けた額を、倒れた娘のそれに打ち付けるように合わせて、彼女は姉を強く睨んだ。
「お姉ちゃんが学校に行ったら、誰がその世話をするのよ。外に出て倒れたら、誰が介抱するの」
 ――姉が外に出るということは、そういうものなのだ。
 ただ幸せに笑い合える、普通の姉妹ではない。いつだって姉には危険がつきまとい続ける。隣を歩く限り、希には永劫、重圧が絡まり続けるのだ。
 それが――皆が言う、『鼎をよろしく』という言葉にある、本当の意味だ。
「それでお姉ちゃんに何かあったら、悪いのはあたし。皆そう思うの。――あたしも、そう」
「あんたどうして、わたしにそれ言ってくれなかったの」
 言えば考えた。鼎には上手く動かせる体はないが、よく回る頭はある。のし掛かるようにする妹に頭突きを返して、姉もまた押さえたような声で低く呻く。
「殴ったくらいで死ぬんだったらね、わたし、家でなんて暮らせてないの。あんたとこうして、殴り合おうって発想にもなってない」
 そんなに――弱くはなかったのに。
「――何で一人で、考えたりなんかしたのよ」
 愚かだというなら。馬鹿だというなら。それを自覚していたというのなら。
 それこそ誰かの力を借りねばならなかったはずなのに。
「お父様とお母様は、私たちをいずれ置いて逝ってしまうから、二人で支え合えと思って世話を任せたのよ、あんたに」
 今は健康だといっても、いつ『呪い』に巻き込まれるのか分からなかった。ある日突然、身を蝕む病魔に倒れ、それきりになることだってある。
 父母のその考えくらいは、鼎には見えていた。希には――見えていないのだとしても。
「でも、あんたはそれを断ってよかったのよ。そしたら、使用人が変わったでしょ」
「あいつらが何を考えてたか、知らないからそういうことが言えるの」
 吐き捨てるように言って、希が鼎を睨む。
「不気味がって触りたくない顔して、嫌々笑ってる奴らばっかり。そんな奴らにお姉ちゃんを触らせるのも、お姉ちゃんを嫌がられるのも――それでお姉ちゃんが傷付くのも、嫌だったの! だからあたしがやったのよ! 『お姉ちゃんのことが好きすぎるあたし』が、気持ち悪がられるようにしたの!」
 そうだ。ようやく、希は思い出した。最初に姉を自分だけのものにしようとしたのも、心を姉だけに向けようとしたのも、子供じみた理由だったのだ。
 ――お姉ちゃんに傷付いて欲しくなかった。
 それを、姉は分かりもしなかったから。
「お姉ちゃんのそういうところ、昔っから大っ嫌いだった!」
 振り絞るような叫びに、鼎が拳を固めるのが見える。けれどそれが振り下ろされることはないまま、彼女はゆっくりと――深く息を吐く。
「わたしだってね、あんたは理想だったの。学校にも行けて、外にも出れて、愛想よくやって――親代わりみたいなことして、あんたを焚きつけたのもわかってるけど」
 誰のことも信じられない。
 分かってしまうからだ。その心の中にある欲望が。希にどうして欲しいのかが。
 誰にも止められないまま放任される希の危険性を理解していたのも、鼎だけだった。だから親のように振る舞って、彼女を嫌うような言動をしてみせて――けれど、結局は――。
「せめて、わたしの事だけは、信じてくれてよかったじゃない」
 零れた小さな声だけが、本音だった。
「――お姉ちゃん、こんなことになっちゃった。どうしよう、って、言ってくれたらよかったのに」
 誰も助けてくれない。
 鼎だけではなく、希のことも。
「あんたの助けてが誰かに聞こえないなら、わたしも一緒に言ったの」
 ひとりでは届かなくても、ふたりなら届いたかもしれないのに。
 互いにそうとは言い出せないまま、取り返しのつかないところまで来てしまった。零れた沈黙に自嘲を零して、希が涙を乱暴に拭う。
「どっちも馬鹿なこと考えて、お揃いね」
「ええそうよ、結局、わたしたち、最初から最後まで、お揃いだわ」
 大事に握られた簪を――。
 希が差し出した。鼎が応えて、青いそれを握り締める。
「どっちも、馬鹿だったの」
 頭の良いふりをして。
 魯鈍な己を分かっているふりをして。
 一番大切なことは、どちらにも見えていやしなかったのだ。
「ねえ、希。赦してやったりはしない。あんたはわたしと、みんなを殺しちゃったでしょ。だからそれは、わたしは赦せない。この超弩級の皆さんはそうでなくとも、そこだけは」
 例え――滅べと願った家であっても。
 無関係の誰かを巻き込んで、誰しもを絶えさせた。鼎をも殺した。それを、受け入れることは出来ない。
「もし、それを心から申し訳ないって思ってくれるんだったら」
 拒絶の声を見詰めて、希は瞬く。再び零れた一滴を強引に拭い取った彼女に、息も荒いまま、鼎は震える声を零した。
「――“次”、きちんと私に会いに来なさい」
 顔を上げた妹に青い簪を向けて、姉はようやく、少しだけ眉間の皺を緩めてみせたのだ。
「この簪を着けて、待っているから」


「――最期まで、お見苦しいところをお見せいたしましたわ」
 鼻を啜った希が、少しばかり正体を取り戻した声で、呟くように言った。
 閉じた眸の奥底は見えない。それでも顔を真っ直ぐに猟兵たちへ向けてみせて、彼女は深く息を吐く。
「あたしたち、どうなるか分かりません。次の命が、絶対欲しいとも。あたしのやったことが心から悪かったとも――あたし、思えていません。でも」
 もしも――。
「もしも、次があったら」
 消えてしまっても良いと思っている。やったことが全て正しくなかったとは、未だに認められない。それでも。
 運良く桜の慰めに乗れて、この命が輪転したならば、そのときは。
「お揃いの簪をつけて、同じ制服を着て、歩ければ良いと――『のぞみ』ます」
 花弁が散る。そう悪いものではないと言ったひとの声の意味を、ようやく少しだけ、理解出来たような気がする。
「ご迷惑をおかけして、申し訳ございませんでした」
 深々と頭を下げて――。
「――ありがとうございました」
 慰みの雨のあわいに消える。
 この家も、呪いも、娘の姿も――全て。

大成功 🔵​🔵​🔵​



最終結果:成功

完成日:2021年09月13日


タグの編集

 現在は作者のみ編集可能です。
 🔒公式タグは編集できません。

🔒
#サクラミラージュ
#受付:9/7(火)8:31〜
#〆切:~9/10(金)22:00ごろ


30




種別『日常』のルール
「POW・SPD・WIZ」の能力値別に書かれた「この章でできる行動の例」を参考にしつつ、300文字以内の「プレイング」を作成してください。料金は★0.5個で、プレイングが採用されなかったら全額返金されます。
 プレイングが採用されたら、その結果は400文字程度のリプレイと「成功度」で表現されます。成功度は結果に応じて変化します。

 大成功🔵🔵🔵
 成功🔵🔵🔴
 苦戦🔵🔴🔴
 失敗🔴🔴🔴
 大失敗[評価なし]

👑の数だけ🔵をゲットしたら、次章に進めます。
 ただし、先に👑の数だけ🔴をゲットしてしまったら、残念ながらシナリオはこの章で「強制終了」です。

※自分とお友達で、それぞれ「お互いに協力する」みたいな事をプレイングに書いておくと、全員まとめてひとつのリプレイにして貰える場合があります。


種別『冒険』のルール
「POW・SPD・WIZ」の能力値別に書かれた「この章でできる行動の例」を参考にしつつ、300文字以内の「プレイング」を作成してください。料金は★0.5個で、プレイングが採用されなかったら全額返金されます。
 プレイングが採用されたら、その結果は400文字程度のリプレイと「成功度」で表現されます。成功度は結果に応じて変化します。

 大成功🔵🔵🔵
 成功🔵🔵🔴
 苦戦🔵🔴🔴
 失敗🔴🔴🔴
 大失敗[評価なし]

👑の数だけ🔵をゲットしたら、次章に進めます。
 ただし、先に👑の数だけ🔴をゲットしてしまったら、残念ながらシナリオはこの章で「強制終了」です。

※自分とお友達で、それぞれ「お互いに協力する」みたいな事をプレイングに書いておくと、全員まとめてひとつのリプレイにして貰える場合があります。


種別『ボス戦』のルール
 記載された敵が「1体」出現します。多くの場合、敵は、あなたが行動に使用したのと「同じ能力値」の戦闘方法で反撃してきます。
 それらを踏まえつつ、300文字以内の「プレイング」を作成してください。料金は★0.5個で、プレイングが採用されなかったら全額返金されます。
 プレイングが採用されたら、その結果は400文字程度のリプレイと「成功度」で表現されます。成功度は結果に応じて変化します。

 大成功🔵🔵🔵
 成功🔵🔵🔴
 苦戦🔵🔴🔴
 失敗🔴🔴🔴
 大失敗[評価なし]

👑の数だけ🔵をゲットしたら、次章に進めます。
 ただし、先に👑の数だけ🔴をゲットしてしまったら、残念ながらシナリオはこの章で「強制終了」です。

※このボスの宿敵主は💠山田・二十五郎です。ボスは殺してもシナリオ終了後に蘇る可能性がありますが、宿敵主がボス戦に参加したかつシナリオが成功すると、とどめを刺す事ができます。
※自分とお友達で、それぞれ「お互いに協力する」みたいな事をプレイングに書いておくと、全員まとめてひとつのリプレイにして貰える場合があります。


挿絵イラスト