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ディア・マイ・ディア

#UDCアース #感染型UDC #シナリオ50♡

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 おわあ、おわあ。
 どこかで赤ちゃんがないている。
 お父さんはどんな人かな。お母さんは。
 絶対うちの家族よりマシだ。
 あたしはブランコから立てずにいる。腫れたほおが痛い。
 夕陽は今暮れる。あの赤が全部灼いてくんないかな。公園のへっぽこな街灯がついた。
 スマホはあいつらからの通知でいっぱいだ。
 …家族を。
 家族を、選べたらいいのに。
 例えば。ひとつの顔を思い浮かべる。友達。あのこがあたしの、家族だったら。
「選べば良いじゃないか」
 あたしは顔を上げる。
 ブランコからちょっと離れた、真正面。
 俳優かモデルみたいな金髪の外人の男の人が立っていた。
 は?
「通りすがりさ」
 声も顔もいい。持ってる人は持ってるってやつだ。今最高に機嫌が悪いあたしにはご機嫌とりの薄っぺらい笑みにしか見えないけど。
 不快だ。
 スカしたおっさん。
「まあ君から見れば確かにおっさんだ。聞かなかったことにしよう」
 眉間が引きつる。
 不快だ。
「なにそれ。あたしそんなの言ってないけど」
 不快だ不快だ不快だ!
 知ったような顔すんな。
 ふ。鼻で笑いやがる。彼は立てた人差し指、爪で自分の唇を軽く叩いた。「随分と大きな独り言だ」
 あたしは思わず口に手を当てた。舌打ちする。
 男は気を悪くした様子はちっともない。
「選べばいいじゃないか」
「ふざけんな」
「私は選んだことがある」
 ――…。
 いいな、と思った。一瞬だけ。
「ロリコン」「期待に応えられず申し訳ないが幼女ではなかったな」「よりキモいじゃん」「弟子だよ」「へ〜え、それが?」
 喋りながらあたりを伺う。ひとけはないけど誰かの家がある。明かりだってついてる。
 叫べば、いけるか?
「当てはあるのかな」
 男は動こうとしない。
「ある」
 ない。
 くらやみを虫が煩く飛んでいる。「少なくとも知らないおっさんの誘いを断れる程度にはね」街灯の逆光で男は暗く沈んで見える。「ああ、誤解だ」両手を胸元まで上げるだけで小洒落た仕草になっていてムカつく。
「安心したまえ。女子高生を攫う趣味はないよ」
 くすくす笑いに熱が顔を焼く。バカにしやがって。あたしは立ち上がった。
「じゃあどんな趣味があんのよ」
 怒りは恐怖の裏っかえし。
 怒鳴るつもりの声は全然出てなかった。
 拳がぶるぶる震えてしまうのは怒りもだけど、一番は恐怖。膝も震えている。大人の男ひとりがどれだけ怖いか、あたしはよく知っている。こわい。

 握り締めたスマホが鳴る。着信。鳴らすようにしているのはたったひとり。あのこ。

「何れもしない」

 あの、男が。

 目の前に立っていた。

 喉がひきつる。だって距離、結構あった。こんなすぐ目の前に来るなんてあり得ない。「お手を失礼」指先があたしの空いている手をすくう。いやみも含みもない。ただ指の冷たさにぞっとする。
 ぞっとする。
 はずなのに。

「選ぶのが君ならば」
 さえざえ青い瞳が、うつくしい。
 暗闇にくり抜かれた青空。

 かがやかしい。

「決めるのも君だ」
 あんなにも薄っぺらく見えたはずの笑みに脳味噌がチリチリ言う。

「家族も友人も、すべて君が決めるといい」
 気づくと離れていて。

「それを永遠にするのも」
 男は、笑っている。

 人差し指の一振りにすら引き込まれた。
 あいつの人形みたいに、指示する先を見れば。
 さっき触れられた手に、紙がいちまい。

 男は消えていた。

 静かだ。赤ちゃんの声もしない。
 あたしは紙を見る。
 おまじない、だと思う。
 キモい。でも手放せない。あの青が頭の中で狂った太陽みたいに輝いている。
 おまじない。
 おまじないか。
 片手のスマホ。さっきまでの着信。大事な友達。
 試してもいいかもしれない。
 きっと何も起こらない。嗤ってやればいい。
 …でも、もしも。
 もしも何か起きるなら。
 ディア・マイ・ディア。
 首筋がうずく。何かがそこにいるみたいに。

 あたしは、自分が笑っていることに気づいた。

●血より濃い赤を込めて
「血縁に依らない関係を結んだことはあるか?」
 グリモア・ベースできみへ語りかけてきたイージー・ブロークンハート(硝子剣士・f24563)は死相思わす蒼白の面だった。「恋人でも友人でも家族でもいい」

「オレにも剣の師匠がいるんだけど――普通だよな?人と繋がるのは悪いことじゃない。救いですらある。そうだよな?」
 何かが手元からこぼれていくような必死さ。

「単刀直入に言う。緊急事態だ。舞台はUDCアース。感染するUDCにまつわるガチでヤバい案件だ。対応を依頼したい」
 普段なら手遊びに人の良い笑みを浮かべている男は今、真顔で木箱に座り膝の上で手を組んでいる。
「血縁に依らない家族、友人、恋人、義姉妹、義兄弟、師弟の契りなるオマジナイがある、という…そーいう噂のおまじないをダシにUDCが増殖しようとしている」
 目の下にははっきりと隈が出ていた。
「おまじないとはお呪い。…つまり、呪術、儀式だ」
 男はそこでかぶりをふる。「…願いは悪いことじゃないんだ。だから、タチが悪い」
 かたく組んだ手は震えている。
「今から送る先は噂を撒いてる奴に直で接触した一般人のとこだ。女子高生だよ」
 きみたちは気づく。
「噂が広まった今、おそらく転送と同時にUDCが大量発生する。まずこれを撃退してくれ」
 どこでもいそうな男の、恐怖と、嫌悪と。

「くっそしんどいと思う――だが、いいか、撃退するしかないんだ」

 悲痛に。

「厄介なことに噂というのは変化する。あちこち正誤入り混じりの“お呪い”だらけ」
 葉を隠すなら森の中。
 呪術を隠すなら…おまじないの中。
「撃退したら第一発見者の情報から本物を辿ってくれ。本物の呪術には条件が要るはずだ。例えば場所とか」
 くらい瞳が君たちを映している。「あんたたちなら絶対間に合う」

「アタリがついたんなら、きっとそこに奴がいる。この事件の中心の」
 男はそこで大きくためらった。

「UDC、が」
 言い切る。

 いいか。

「相手は、UDCだ。“アンディファインド・クリーチャー”(定義できぬばけもの)だ」
 剣士は片手を掲げる。
「こんな事件に巻き込んですまん。だけど、あんたたちの力が必要だ」
 砕かれた硝子のようなグリモアが展開される。

「奴さんも、待ってる、んだと、思う」
 まばゆい光がきみたちの視界を焼く。

「“ディア・マイ・ディア”」
 唇だけを動かした囁きは。
 笑みは。
 イージーではない誰かのようだった。
 ぱん。彼が自らの顔を引っ叩く。「…クソッ、見ただけだぞ、オレは」文句を言いながら転送を続行する。

「“認めるな。惑わされるな”」
 砕け散った硝子の光。

「“赦すな”」


いのと
 こんにちは、あるいははじめまして。
 いのと、と申します。
 今回は関係についての非常にハードなシナリオです。
 かなり重たく、苦しい展開が予想されます。ご注意下さい。
 また噂という性質上、一般人が数多く登場し巻き込まれる可能性が非常に高いです。こちらも併せて御留意下さい。

 大事な関係はありますか。
 参加時にお教えいただけると助かります。

 受付期間に関してはマスターページをご覧ください。

 第一章:集団戦「楽園をつくるの」
 第二章:お呪いを手繰れ。
 第三章:ボス戦「やあ、猟兵」

 ディア・マイ・ディア。
 それを愛だと、呼びますか。
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第1章 集団戦 『楽園の『僕』』

POW   :    かあさまのいうとおり
【手にした鳥籠の中にある『かあさま』の口】から【楽園の素晴らしさを説く言葉】を放ち、【それを聞いた対象を洗脳する事】により対象の動きを一時的に封じる。
SPD   :    とおさまがしたように
【相手の首を狙って振るったナイフ】が命中した対象を切断する。
WIZ   :    僕をおいていかないで
【『楽園』に消えた両親を探し求める声】を聞いて共感した対象全ての戦闘力を増強する。
👑11
🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

種別『集団戦』のルール
 記載された敵が「沢山」出現します(厳密に何体いるかは、書く場合も書かない場合もあります)。多くの場合、敵は、あなたが行動に使用したのと「同じ能力値」の戦闘方法で反撃してきます。
 それらを踏まえつつ、300文字以内の「プレイング」を作成してください。料金は★0.5個で、プレイングが採用されなかったら全額返金されます。

 大成功🔵🔵🔵
 成功🔵🔵🔴
 苦戦🔵🔴🔴
 失敗🔴🔴🔴
 大失敗[評価なし]

👑の数だけ🔵をゲットしたら、次章に進めます。
 ただし、先に👑の数だけ🔴をゲットしてしまったら、残念ながらシナリオはこの章で「強制終了」です。

※自分とお友達で、それぞれ「お互いに協力する」みたいな事をプレイングに書いておくと、全員まとめてひとつのリプレイにして貰える場合があります。


●“see no evil”――“見よ、わたしはあなたがたと同じものである。”

「信じてるの?」「まっさかあ」
「ただ」「ただ?」「その」「うん」

「そうだったら、嬉しいなって思っただけ」

 きみたちの耳にそんな言葉が聞こえた。
 視界が晴れれば目の前に二人の女子高生。
 ふたりは身構え「やば」慌ててきみたちから逃げようとした。
 ふたりの少し向こうに外への出口が見えた。あるべき自動ドアはない。幕が見える。剥き出しのコンクリート、壁や床にチョークで書き込まれた建築用語からなる指示、窓の外にも大きな布が張られているらしく外は見えない。
 おそらくは取り壊し中のビルだ。
 室内には熱がこもっている。散々っぱら日を浴びた建物特有の蒸し暑さ。時刻は夕方と見ていい――ふたりが逃げたのはきみたちをこのビルに関わる大人とみたか、あるいは不法侵入の後ろめたさからとっさに、だろう。
 きみたちは追う。追おうとする。
「やめて!」
 駆け出した前に、割り込むように、ぬるり現れた、少女。
 剥き出しのコンクリート上に不釣り合いな裸足。
 UDCアースをメインで活動をしている猟兵なら何らかのファイルでみたことがあるだろう、新興宗教の中心であった、少女。
 ある日突然、信者と共に文字通り“消滅”したはずの存在。
 きみたちの何名かは気付くかもしれない。
 先刻の女子高生たちの残した小さな図には――そう、件の教団の紋に酷似したものが刻まれている。
 噂と共にこれが広がったのか!
「どうして邪魔をするの?」
 失われたはずの教団の徴が語られたがゆえにこの噂を、媒介に。
 噂にされた、儀式を媒介に――増殖する『それ』よりさきに、こちらが過去より蘇ったか!
「すきなひとといたいという誓いは、あなたがただってするじゃない」
 ここに事実は逆転する。
 中心の少女が現れるというのなら――ぱた、ぱた、ぱた、天井からこぼれるように黒い蝶が降り落ちて集まってくる。

 転送と同時に現れる、UDC。
 人影が増える。
 そいつは。
 嗚呼。
 そいつらは。

「あなたたちではときにほどかれるそれを――ぼくたちはほんとうにえいえんにしているだけ」
 どこにでもいそうな、にんげんのかたちをしていた。
 唯一、うなじから天へ、だらりと伸びた赤い紐のようなものが伸びている。そいつは天井までたわみながら伸びていて…何故だろう。天井のもっと向こうまで伸びているように思われた。

 男も女も子供も老人もいた。会社員も無法者も傭兵も主婦も学生もいた。
 だれもかれも街中で見かけるひとびとと変わらぬ格好で、手にはまばらな武器。
 バール、ナイフ、包丁、ナックル。猟兵相手にはあまりに心細かろうそれを人形のような顔のまま握っている。

「とおさまだったらきっとおっしゃっるの――あのかたを助けておあげなさい」

 少女もまた、片手にナイフを握っていた。
「だからあのかたのいうとおり、一度、おかえししておみせするね」
 ひとびとのうなじの綱、のようなものが切れ――消える。
 ざ、と。
 同時に人々の瞳に光がともった。
「ぼくはらくえんのしもべ――とおさまのいうとおり、かあさまのいうとおり、楽園をつくるの」

 彼らはそれぞれに瞬きをし。きみたちの姿を認めて生唾を飲み。
 そして手に手に持った武器を構える。

「ほんとうにだいじなひとをえらんで、つながっていられれる」

 素人そのものの構え。

「“時よ止まれ、おまえはうつくしい”
 ――こうふくの最上でみんなとまったら、そこは、楽園でしょう?」

 きみたちの攻撃はたやすく通るだろう。

「ぼくはあと一歩間に合わなかったから、せめてみんなだけは楽園に連れて行ってあげるの」

 Un Defined Creature。
 ――定義できぬばけもの?

 きみたちの前に立つだれもかれも――恐怖と共に、覚悟に満ちた顔をしている。
 ああ。
 ひとびとが口を開く。
「邪魔しないでくれないか、猟兵」
「ごめんね…だけど、お願い」
 口を開き、まっとうに語る。
「わたしたちは」「おれたちは」「ぼくたちは」
「あの子の気持ちがよく分かる」 

 きみは、笑う誰かの唇を見た気がした。
 青い瞳を錯覚する。
 さえざえ、うつくしい。

「しあわせを、邪魔しないで」

 これを、討てと?
 最悪だ。

●エネミー●

・楽園の僕x1名
・宗教団体■■■■所属者x多数

●舞台●

■■市■■町■■ ■番地■号 ■■ビル(解体中)

■マスターからのご案内■

 こんにちは、地獄です。
 あなたがたの力をもってすれば彼らの討伐は非常にたやすいでしょう。
 え?コードを使いたくない?“おや”、“なぜ?”
 それも良いでしょう。コードを使用するよりは苦戦するかもしれませんが、彼らとあなたがたの差は歴然です。
 ご安心ください。彼らは過去(オブリビオン)です。
 UDCに見えない?
 ご安心ください。UDCです。
 彼らを討伐すれば黒い蝶となって散り消えるでしょう。
 討ち倒さねば何がなんでもあなたがたを邪魔すべくやってきます。
 また、彼らは噂を知る女子高生ふたりに危害は加えません。積極的に関わらずともシナリオ進行に問題はなく、逃走されるということもありません。
 戦闘に専念していただいて大丈夫です。

 だいじな関係はありますか?
 血縁であってもなくても。
 覚えていてもいなくてもかまいません。
 ご明記いただくと、あなたがたは向こうにそれを見るかもしれません。
 もちろん、無くても参加には問題ありません。
 
 ディア・マイ・ディア。
 ご健闘を。
シキ・ジルモント
発動するユーベルコードは回避の為
これがUDCだと?
戦う力の無い者を一方的に…気分の良いものでは無い

攻撃を受けたら咄嗟に反撃、銃口を向け引き金を引く
一人討ち倒したらそのまま二人三人と
これは仕事だと自分に言い聞かせ、躊躇いを捻じ伏せ戦闘を続行
直接攻撃のコードは使えないまま

血縁に依らない大切な関係
師弟関係、だろうか
思い浮かぶのは銃の扱いを教えてくれた、このハンドガンの前の持ち主
人当たりの良い優男、柔らかく笑う顔をよく覚えている
一人放浪していた子供の俺を拾ってくれた人
…俺を庇って死んでしまった人

その人を見たら
目を奪われ手が止まってしまうかもしれない
もっと一緒にいたいと願い叶わなかった、もういない筈の…



●“何事も熟慮もって行いなさい。さすればおまえは、みずからが行ったことを悔やまずに済むだろう”

 一人撃てば、あとは同じだった。

 最初の一人は、さて、どう撃ったのだったか。
 シキ・ジルモント(人狼のガンナー・f09107)は思い出そうとするが――思い出せない。 

 シキの頭目掛けて薪割り斧を潜るように避けて振りかぶった男の腕の間に潜り込み下から男の顎にハンドガンを突きつけて発砲――…

 なにせ、反射だった。
 敵に大きな隙が出来たのならそれに乗じて処理する。
 いつも通りの冷静な性が、戦場で磨かれて染み付いた技術で、ただ、そうしていた。

 …――そのままその男を突き飛ばして後ろにいた子供を巻き込み倒したところで右斜め前方向から荒い吐息が聞こえるおそらく女性見れば予想通り痩せ細った女が包丁を握ってシキの脇腹目掛けて突進してくるところであり素早く両腕で銃を構え直して胸を目掛けて撃つが尚も突進してくるので眉間を目掛けてもう一発を発砲したところで左後方小さな悲鳴に重たい足音おそらく少年武器が重いと予想し前に一歩出て今先ほど撃ちくずれる女の体を軽く体当たりするようにしてどかせば背後で金属がコンクリートを叩く音がする武器が重いのですぐに追撃はないだろう前進――…

 これは仕事だ。

 少年がいた。少女がいた。男がいて、女がいた。老いたるがいて、幼きがいた。

 これは任務だ。

 垢で薄黒く汚れた体、傷に巻いて新しいものが手に入らないが故に変えられないままの包帯、繊維が半ば腐りかけた左右大きさも種類も違う靴、何かの見当もつかない汚れや染みだらけの衣服は誰一人サイズなんか合っちゃいない。

 シキが鏖してゆくものたちはお世辞にも富めるものとは言えない様相だった。

 これは任務だ。これは仕事だ。
 これはすべきことだ。これはせねばならないことだ。

 誰もが眉を潜めるような汚らしいありさまを、人狼の優れた嗅覚を刺すような据えたにんげんの汚濁と脂の臭いを、シキは少しも厭うことができない――できるはずも、ない。
 よく、よく、よく覚えがあるのだ。

 鏖殺せねばならない。速やかに駆逐せねばならない。
 これは敵の尖兵である。これは打ち倒すべきものである。

――前進しようとしてさらに右荒い息おそらく子供靴音が軽い軽すぎる武器の類を持っていない可能性なるほど自分を足止めしようという意図素早く右足を蹴り出して少女の頭部を掴んで発砲――

 別にみんなそうしたくてそうしてる姿でないこともシキにはわかっている。そうなってしまうのだ。貧しいからそうなってしまう。腐りかけの魚の内臓をゴミの中からようやくひと握り掴んで腹を壊すかもしれないと思いながら口にするような、洗剤混じりのごみを美味いと感じ、のたうちまわって胃酸と血を混ぜたもののとともに、吐き戻すような、貧困。

 裏切りがなければ。あの出会いがなければ。
 自分はまだ、そのなかにいたかもしれない場所。

 どの顔もシキは知らない。親ではない、妹ではない、友ではない、あの街にいた皆ではない。
 だが、重ねずにはいられない。

 これの

「猟兵、帰って」「なあ死んでくれ」「来ないで」「諦めて、死んで」
「猟兵」「猟兵」「なあ、猟兵」

 これの、どこが。

 シキの狼耳は、人狼の感覚は、彼らの何倍も優れている。
 それをもってすれば回避など容易く、シキはここまで傷一つ負っていない。

 これは任務だこれは仕事だこれは任務だこれは仕事だこれは任務でこれは仕事でこれはすべきことでこれはせねばならないことだこれはやるべきことだこれはやらねばならないことだこれは駆逐するべき敵だこれは鏖殺せねばならない敵だあってはならないもので倒すべきもので一匹たりとも残してはならないものでこれはいてはならないものでこれはこれはこれはこれはこれは。

 これのどこが、UDCだ。

――ここで先ほどの少年がシキに追いつく。
 振り返る。
 目が合う。
 武器と呼ぶにはあまりにもどうしようもない錆切った廃材を持った少年。
 視線はあからさまにシキが今撃った少女を見ている。

 引けた腰に、かつての自分を見る。

 嗚呼。最悪だ、オブリビオン。
 教えてやりたいぐらいだ。
 顔を上げろ。見るのは銃口じゃない。
 シキが自身の師に、何度もそう言われたように。

 少女の『遺体』をぶん投げた。
 叩きつける、少年が武器を投げて受け止めてひっくりかえり、続けて発砲、しようとしたところを、少年少女の関係者だろうか、何事かをめちゃくちゃに喚く女が来るのでこちらを優先して処理する。顔がにているな、と、思った。嗚呼なるほど親子か、兄妹か――

 駆逐しろ。鏖殺しろ。全ての生命活動を停止させろ。

 シキは自身にそう命令を下す。下し続ける。
 荒れ狂う胸の奥の躊躇(ざつおん)を叩き捻り伏せ擦り潰し、ただ、駆逐を遂行する。

 あらゆる亡骸はやがて黒い蝶へと変わって飛び消える。
 ほおに触れた返り血も盾にした体もみんな消えていく。

 …こんな状況なら。

 シキの首から下げたペンダントが揺れる。

 心は吹き荒れるあらゆる躊躇と感情を命令で叩き潰し黙らせているせいで。
 身体は知識と優れた感覚と反射で処理し続けてるせいで。

 ぽっかりと余った思考でそれを考えていた。
 先ほどの少年に、未熟な自分を重ねたのもあるだろう。

 こんな状況なら、あんたはどうするだろうか。どう言うだろうか。
 こんな風に使われるあんたのハンドガンは、シロガネはどう見えるだろうか。

 人当たりの良い優男。
 いつだって柔らかく笑う。
 放浪していた子供をためらいもなく拾って、どこか楽しそうに面倒をみた男。
 あきもせず子供に戦う術を教えてくれた男。

 そしてそいつを庇って死んだ、お人好しの男。

――少年の悲鳴が聞こえた。シキを見て、消えた少女を見て、崩れ落ちた女を見て言葉にならないほどの悲鳴を上げながら錆びた武器を掴む、立ち上がる。シキは素早く銃を構え――
 
 びちゃ、という奇妙な水音が聞こえた。
 シキの意識は一瞬、少年から逸れる。
 人狼の耳は音源を的確に拾う。
 少年の後ろ、あの、あかい紐のようなものが見えた。

 そこにあらたな、人が立っている。

「な」
 嗚呼。
 シキ・ジルモント。

 “『彼』をお人好しだというが――自身もまた、お人好しではないだろうか"
 “攻撃のコードを使えなかった、故に”

 忘れえぬ姿だ。
 もう少し一緒に居たかった。学びたいと思った男だ。
 そしてもう居ない男だ。

 少年が何事かを叫びながらシキに向かってやってくる。

 対処しろ、対処せねばならない。対処しろ、対処しろ、対処しろ!

 いやだ。

 だって、そこに

 あの、ひとが――。
 
“こんなことも起こる”

 叫ぶ少年の錆びた鉄骨がシキの頭を殴り飛ばす。
 もろに受け、転がる。
 痛みと共に冷静さが戻ってくる。

 再び少年へ向けて発砲、処理!

 顔を上げる。

 黒い蝶が飛び去り――親愛なる、そのひとはどこにもいなかった。

 …シキはそれに、本当に心の底からほっとする。
 そして自分を嗤いたくなるほどひどく残念な心持ちも、また。 

大成功 🔵​🔵​🔵​

浅沼・灯人
――OK、仕事の時間だ


そうだな、まず名前を教えてくれ
いや、言いたくないならいいんだ。それでいい
どちらであれ答えを聞いたなら鉄塊剣で寸断しよう
痛いか?そうか、ごめんな
泣いたやつは灼焼ですぐさま焼き殺してやる

どうして?
そらまあ、お前がもう過去になり果てたからさ
前は俺も躊躇ってたけどよ、今はもう違うんだ
人の形をしてようが、お前らはオブリビオンだ
誰に見えようが、お前らは未来に生きられない
老若男女等しく殺してやるからとりあえず名前言え
でないと覚えてられねぇだろ

人殺し?
はは、結構結構
俺はとっくに人殺しだよ
勝手にお前らを殺して、勝手にお前らが生きてたことを背負うだけのな
覚えていられる間は、俺がお前らの墓標だ



●“あなたがたの名は、わたしの選んだものたちへの呪いのことばとして残るだろう”

「――OK、仕事の時間だ」

 浅沼・灯人(ささくれ・f00902)はありふれた人々にしか見えない彼らを前にそう宣言した。
 緊張はない。嫌悪もない。哀れみもない。なにもない。無防備ですらある。
 信号かバスでも待っているのだと言われれば肯けそうな、いつも通りの彼がそこに居り

 無造作に握られた鉄塊剣だけが、どこからかこぼれる夕陽の赤を受けて非日常をたたえていた。

 ごりごりごり、とその剣を怠惰に、半ば引きずるようにしながら灯人はかれらに近づいていく。
 
 異常なのは彼と対峙するひとびとの方だった。日常の延長から掻き集めたありあわせ、普段武器とは絶対に呼ばれぬものたちを手に手に構え、緊張と恐怖と決意が混ざり合った眼差しを灯人の一挙一動に集中させていた。
 近寄る灯人をあからさまに警戒しながら囲って叩くのだろう弧を描くように散開する。

「そうだな…」
 ほとんど睨みつけるような視線をただ受け止めながら灯人は首を廻らせ彼らを満遍なく一瞥する。「なあ、おい」
 男がいて女がいて子供がいて老人がいて少年がいて少女がいて「誰か」学生がいて教師がいてパートだかアルバイターだかがいて「いや、まあ誰でもいいんだけどよ」主婦がいて主夫もいて会社員がいて営業がいてアパレルだかデザインだかの店員だかなんだかがいて「誰かでもいいんだけどよ」ああ。
 灯人は右手の鉄塊剣を構えるそぶりもないまま、首を少しだけ傾げた。

「まず名前を教えてくれ」

 どいつもこいつも知らない顔で。
 どいつもこいつもどこかで見たような顔だ。

「…はい?」
 灯人の発言が思っても見なかったものなのだろう、出刃包丁を握った女がぽかんと口を開けた。
「教えてどうする」バールを構えた男が女の前に出て「調べでもするのか」じりじりと距離を詰めてくる。
「いや」灯人はかぶりを振った。「別に」バールを構えた男をきっかけにじわじわと狭まる輪を認識しながら、灯人はまだ、鉄塊剣を構えない。
「ただ俺が聞いておきたかっただけなんだ」
 灯人は目を合わせる。誰も彼も怯みこそすれ逸らさない。「安心しろ、俺の担当はこーいう事だからな。名前ひとつ聞いたって俺にはあんたがどこに住んでたかだってわからねえよ」
 灯人はそこで言葉を締めて、バールを握っている男へ顎をしゃくる。

「誰が教えるか」

「そうか」

 灯人はあっさりと返した。

「どうでもいいってか?」これに拍子抜けしたらしい男は周りに目配せをしながら詰め寄る。
「いや」灯人は再びかぶりを振る。「どうでも良くはねえけどよ」

 そして鉄塊剣から手を離し

「別にいい。言いたくないんならいいんだ。それでいい」

 握り直す。

 刹那

「じゃあな」

 無造作に男へ鉄塊剣を振り下ろした。

 男は超重量を頭の上からもろに叩き落とされ派手に割れる。肉と骨と血と脳漿だかが混ざった液体が飛び散って割れた頭蓋やら背骨やら肋骨が白い彼岸花みたいに飛び出した。バールが握られた千切れた男の腕ごと吹っ飛んで回転しながら高く跳び――
 …かあん――と天井を打った音は、ひとびとの悲鳴で聞き取れなかった。
 灯人はベルトの切れたボディ・バッグを拾った。付けられている赤いタグ。へえ、呼吸器官にアレルギーが。

「『新田良治』」
 呟いて、投げ捨てる。

「あ、あわ、りょう、りょ、りょう、りょう」灯人が顔を上げれば男が潰れるのを眼前で見てしまった女と目があった。「あ」「ん」腰が抜けて立てないらしく「あ、あ、あ、ああああ…!」床に尻をついたまま灯人から少しでも離れようと後退る。
「あんたは?」鉄塊剣を引き抜く。「名前、言えるか」粘着質の音がなったのはほんの数秒で視界の端で黒い蝶が飛んでいく。「お、お、」女を逃がそうとしたのか後ろから叫び声を上げながら走ってきた主婦らしい女を鉄塊剣で叩き飛ばす。「おお?」灯人は再び女を見る。染めたことのなさそうな黒髪は色気のない邪魔だから束ねたのがありありわかるひっつめ。がちがちと歯を鳴らしながらそれでも出刃包丁を握って離さない。「お、おか、おか、おか、おか」恐怖に引きつった顔。

「岡島、君江、です」
「そうか」

 新たにひとつ、ハンバーグには到底できない荒いミンチを作る。

「え、あ、ぶ、う、げ、げげ…」先程叩き飛ばした主婦に巻き込まれて胸がひしゃげた子供がころがっている。「痛いか?」素直に首を振る。「そうか」鉄塊剣を振りかぶる「ごめんな」みやざわともか。
 漢字は、わからなかった。

 宮沢恭子、宮沢美香、鹿島美千代、佐々木亮介佐々木裕子、弥栄恵一藤岡萌子平井康弘…。

「いやい、いやい、いやいよお…」腹部を押さえてうずくまる男に近づく「ああ、痛いか」「いやいいやいいやいいやいいひゃい、いひいいひいいいい」「そうか」頭をめがけて「ごめんな」坂井幹雄。

「やめていやいやいやいやだやだやだ」「嘘だ待って待って殺さないで死んでお願い今すぐ死んで来ないでやめてやめてやめてやめて」
 灯人が今先ほど潰した少女の腕を握ったまま金槌と釘抜きを握ってがくがくにふるえるのは有名なキャラクターのコラボTシャツをお揃いで着ている女子高生ふたり組。いや、三人だったから三人組か?間宮千花。
 灯人は目を細める。
「そうか」
 ふたりの瞳から流れる、涙。
「泣くか」
 鉄塊剣から手を離した。
「まあ、泣くよな」
「へ」「ぶえ」この挙動にふたりは一瞬呆気に取られ、すぐさま構えた「ど、どういうつも」

「悪いな」
 開いた灯人の唇、歯より奥が、あかるく光った。
 イグニッション。
 灼いて、焼き払う。
 鈴木愛海、高岡麻由子。

「なんでだよ、どうしてだよ!?」
 眼鏡をかけた学ランの少年が叫ぶ。唇から胃液を垂らしながら。「なんで?」彼がむしゃぶりつこうとしたのを避けて腹をぶん殴った拳をほどきながら灯人は答える。

「そらまあ、お前らがもう過去に成り果てたからさ」

 再び持ち上げられた鉄塊剣は一度と休められることなく振るわれ続けている。少年と同じ学ランの少年を叩き潰す「トモ!」「トモってのか、こいつ」今蝶になって飛んで行った。「うるせえ!お前がトモを呼ぶんじゃねえよ!鬼!悪魔!ひとでなしッ!!」「おお、正解」大した感動も苦痛もない顔で灯人は自身の額、ツノを叩く。「ひとでなしだ」綾瀬敬。
 
 涙は竜の炎の高温で流す目玉や脳髄ごと蒸発させる。飛び散った炎や熱が工事現場の塗料に引火してさらに炎を練り広げる。

「前は俺も躊躇ってたけどよ、今はもう違うんだ」

 炎の明るさに塗りつぶされて、灯人の姿は暗く沈んでいる。
 
「人の形をしてようが、お前らはオブリビオンだ」

 温度が高すぎて人体は弾ける暇もない。黒い蝶すら飲み込まれて影もない。存在を語るのは微かに漂う髪の毛や脂や衣類などが溶け混ざった悪臭だけ。それもすぐ吹き込んだ外気によって消える。
 なにもない。

「誰に見えようが、お前らは未来に生きられない」

 なにものこらない。

 いつも行くドラッグストアに立ってそうな女もバイト先ですぐなんかの記念日だとかこつけてシフトの入れ替えを頼んでくる男に似た男も洗濯物を干すときに見かけるガキどもにそっくりの子供たちも時々道路ですれ違う老人を思い出す男も最寄駅のバス停で時々バスを待ってる女子高生にうり二つの女もひねりつぶせそうだと思った小さな手をしたあの子を思わす子供も

「言えよ」

 なべて、分け隔てなく

「老若男女等しく殺してやるからとりあえず名前言え」

 浅沼灯人は、そいつらを殺めていく。

「でないと覚えてられねぇだろ」

 ――石倉康太石倉雄介石倉歩美三芳邦義三芳国枝副島孝義副島隆文副島孝昌副島孝子宇佐美春子太田清飯島和也高橋八重秋岡涼子布川誠二棚丘真知子橋本みなこ豊田春美山野辺恭次戸田圭介矢島光雄湯島昭隆水越孝太郎佐々仁志藤井ひろ子茅沼昭一稲垣彩芽土屋正之石井茜多田真希子板橋智世上川祐介野口由紀上川キヨ西村葵木崎あかり粟島郁恵柿崎浩輔相模涼子赤羽杏香相沢瑞穂弥栄礼一富岡由美江朝熊智代岩崎幸作戸塚哲坂井藍子岬和恵……――

「ひとごろし」
 軽い一言が灯人へ投げられた。
 あまりにあっけらかんとした調子だった。
 灯人は振り返る。右腕の潰れた女が壁に背を預けて座っていた。男もののSらしい肩の合わない工事現場ジャケット。足から下が潰れて、そばに杭打ちの木槌が転がっていた。普段はセットしてるだろう黒髪がぼさぼさに乱れて赤いインカラーのが炎でより赤く光っていた。
 「はは」灯人は笑う。女も笑っていた。耳をざらざらに彩るピアスに誰かがかぶって「結構結構」いやあいつはもっと倍じゃ足りないぐらいいい女だから全然違うけれどでも、だけど

「俺はとっくに人殺しだよ」

 灯人の鳩尾のあたりに何か細い釘みたいなものが軽く刺されたような気持ちがする、気がする。

「勝手にお前らを殺して、勝手にお前らが生きてたことを背負うだけの、な」

 ひとごろしという罵倒に苦痛を感じたわけではない。
 別にどうとも思わない、事実だ。
 女もそれを分かっているらしく笑みはすこしも変わらなかった。
 代わりに

「おまえ自分の顔見たほうがいいよ」
 ぺち。
 女は潰れた腕で無理くりにみずからの顔を叩いた。まともな手をしていないから叩きつけたというのに近い。べったりと赤く汚れる。「あ?」灯人は自身の顔を左手で軽く叩く。「泣きでもしてるか?」拭う。「違う」掌を見る。煤汚れが付いていた。
「…汚れてんのはしょうがねえだろうがよ」女の方へ足を向けて近づく。
「ちげえよバーカ、ごまかしてんな」一歩、二歩三歩四歩。
 
「おまえは?名前」
 女はすこしも怯まずにそう尋ねた。「俺?」五歩六歩「さんざっぱらあたしたちの名前訊ねといて名乗らねーのはねーだろ」七歩「あー…、まーそれもそうだ」…時間稼ぎではなく罠もないのは明らかだった。女が左腕を動かさないのは腹を抑えているためだ。真っ赤に濡れて普通の腹部とはかけ離れた歪な曲線。

「浅沼、灯人」

 鉄塊剣の間合いに、入った。

「フーン」女は右手をだらりと揺らした。もしきちんと動いたなら耳でもほったのかもしれない。「そんだけ?」「そんだけ」
「お前は?」
 灯人は鉄塊剣を持ち上げる。女はまだへらへら笑っている。「名前覚えてどーすんの?ヌく?」「するかアホ」灯人はため息をつく。

 女を見る。
 脂汗を垂らしながら、死を目前にしながら、冗談交えてなお笑い一度も目を逸らさない。

「覚えていられる間は、俺がお前らの墓標だ」
 
「いらね」
 べっ、と女が舌を出した。
 彼岸花のような赤だった。「このあたしを有象無象と一緒くたに抱き込むな。それで癒されんのはてめーだけだよ」

「バイバイ、かわいい甘ちゃん」
 
 ぐちゃっ。
 もはや何度目かもわからない、感覚。

 鉄塊剣から手を離し、寄ればジャケットの袖、上腕部に刺繍があった。

「…皐月、薫」

 鉄塊剣からあらゆる赤が剥がれて、蝶と変わって飛び去ってゆく。

 あるじの手を離れしばしたたずむ汚れない鉄塊剣は、沈黙する墓石そのものだった。

大成功 🔵​🔵​🔵​

ヤムゥ・キィム
ウ…ホントにオブリビオンなノ?普通の人にしか見えなイ、どうしよウ

ほんとうにだいじなひとトって言ってたノ、ちょっと羨ましくなっちゃっタ
ヤムゥが探してる運命のあのヒトとも一緒にいられるってコト?もう探すヒツヨー無イ?オマエが…出してくれるからッテ?

でも、それってほんとにあのヒト本人って言えるのカナ
それに止まった時間の中でなんてヤダ!
“今”しか無いなら思い出だってできないジャン!

ヤムゥは欲張りだから愛するヒトの過ぎゆく時間だって愛したいンダ、シワダッテ白髪ダッテなんだって見たいモン!
やっと目が覚めタ、やっぱりヤムゥはオマエを止めなきゃいけなイ

ユーベルコード発動、山猿ノ慈恋魔(トレード・オフ)!



●“知らざる者は幸いである”

 草刈り鎌が空を凪いだ。

 たたっ。
 足袋靴の底が床を叩く音だけが軽快に跳ねる。 
 たっ。
 彼女はそのまま跳び上がり崩れかけた天井、剥き出しの鉄骨へ両手をかけ、ぐるり、下から上へ身体を1回転――しなやかな動きに付いて踊る赤茶の髪は荒い風に揺れる満開のノウゼンカズラそっくりだ――

 たっ。

「ウー…」
 ――ヤムゥ・キィム(猪突猛進恋狂い・f01105)は鉄骨の上に座り込んで唸る。苦悩に唸ってしまう。

「っ降りてこい、猟兵っ!」今先ほど草刈り鎌を振るった農家らしい陽に焼けた青年が叫ぶ。背は高いけれどヤムゥのように跳び上がったりもできない。「ウウ…ウ〜〜〜…」鉄骨の上に蹲み込んだままヤムゥは言葉にならない気持ちのまま唸り「だッてェ…」ゆらゆらと揺れる。

「…ホントにオブリビオンなノ?」

 ヤムゥにとってオブリブオンとは「ばけもの」だ。
 巨大な顎を持って陸すら食うもの、雪崩のように山を焼きながら里ひとつ飲み込まんと襲いかかってくるもの、巨大な車輪に浮かぶ生首、おんなの上半身をした巨大な蜘蛛…。

 世界と相入れない脅威。

 意思を持った災害。

 それが、オブリブオン。

 ……そのはず、だったのに。

「普通の人にしか見えなイ…どうしよウ」
 
 ヤムゥをどう引きずり落とすかをがやがや相談している姿は種族こそ違えど里のみんなとそう変わらない。…ヤムゥの里の場合は戦えずに逃げた猟兵じゃなくて工房の大将の大事な大事な大きい鑿を盗んだ悪戯猿を木の上に追い詰めたのだったけれど。
 うーうー唸るうちに下の人々のうち誰かが折れた短めの鉄骨見つけてきて、今みんなの上着をまとめて紐にしてそれにくくりつけている。

 …わかル。
 即席の投石機、ネ。布デ包んデ投げル。当たらナくてイイ。それデ、追い立てるんだよネ。ヤムゥたちモ、あの時はソウしタ。

 わかることが、くるしい。

 ヤムゥの里の場合はここほどは狭くなかったからみんな総勢で捕まえる網を持ってきて囲んだけれど、今、後ろは壁で、前にみんな押し寄せているから逃げ場がない。
 それでも避けるのはたやすい。大きく飛べば逃げるのも楽勝だ。
 だが追いかけっこはヤムゥが何かを決めない限りずっと続く。時間を稼いだって向こうが諦めないのはもう充分知っている。
 だから、それはだめだ。
 逃げるとか、戦わないとか、それでは、だめなのだ。
 だが結論が出ない。
 どうしても、戦える気がしない。

 さっきの草刈り鎌の男のそばに麦わら帽子に農業用の割烹着を着た若い女が立っている。麦わら帽子に虫や汗だれを防ぐ鼻から下を覆うマスク――目が合った。「ウ」
 女は覆うマスクを下ろして

「こんちは、猟兵さん」

 にこ、と朗らかに笑って声をかけてきた。

「コ、こんにちハ…」
 思わず返す。返してしまう。
 そうするともう本当にただの人にしか見えなくなってヤムゥの息が詰まってしまう。
「まっててくれてんの?」
 女の年は幾つだろう?たぶんヤムゥとそう変わらない。
「べ、別ニ…」「そう?」女はカラカラ笑った。

「じゃあためらってくれてんだ、ありがとね」
 何がありがとうなのだろう。

 返す言葉が浮かばないヤムゥの唇がへの字よりもくしゃくしゃに歪む。「ウチのダンナがもうちょっと手早ければなあ〜」鍬を肩に掛け持って女はそういう。「おい聞こえてっぞチエ」草刈り鎌の男が作業しながら叫んだ。「うっさいな手ェ動かしなよ」投石機の三つ目ができた。

「…チエ、の…ダンナ、ナノ?」
 ヤムゥはおずおずと声を掛けた。「こいつ?」女は、チエは親指で草刈り鎌の男を指す。「そだよ」誇らしげに。「オオクボケータ」んであたしはミカミチエね、という。

 ……。
 ヤムゥは、膝の上で手を握る。

「『ほんとうにだいじなひと』?」

「うん」
 チエが麦わら帽子を脱ぐ。

 残酷の名残がそこにあった。チエ以外の誰かが無理矢理掴み上げて引っこ抜いたような跡。それから水だれに似た火傷。

「こんなことする地獄から出ようって言って、
 
 あたしを選んで、あたしが選んだ、あたしのダンナ」

 にっ。
 歯を見せて笑った。


「いーでしょ」

 ……。

「ン」
 少し歪に、ヤムゥも笑い返した。
「…ちょっと羨ましくなっちゃっタ」「…そか」 
 チエは麦わら帽子をかぶる。「びっくりさしてごめんね」ヤムゥは静かに首を振る。「あんがと」チエの顔を見れずに爪先を見てしまう。

「ね、猟兵さん」
 帽子の位置を直しながらチエがまっすぐヤムゥを見てくる。

「こっち来ない?」
 
「フヘ?」
 素っ頓狂な声がヤムゥの口から飛び出した。
「チエ、お前なあ」ケータが見かねたようにチエへ声をかける。「うっせ黙ってなよ、時間稼いでもらってるとでも思いな」
「…その、余計なお節介なんだけど」
 チエは麦わら帽子の端をいじる。「詳しい事情知んないし」チエにとっても咄嗟に出た言葉だったらしい。合わせた目を逸らした。

「過去は永遠だからさ、ずっと待てるよ」

 ……。

「ずーっと今のまんま、かわいくって素直で素敵なあんたのままで待てる」

 ……。

「痛いのも怖いのも探しても出てこないのもない」

 …………。

「そも、その、何も知らないのにこんなこと言うのも変だけどさ、死んでるかもしんない」
 
 ……………。

「あんたせっかくそんなかわいくて明るくてめっちゃいい子なのにさ、もったいないよ」

 チエが帽子を外す。

「死んでるなら、過去なら、きっと『出せる』よ、『繋がって』、『出会える』」

 つばに顔を隠すことなく、傷も隠すことなく、ヤムゥを見つめる。

「おいでよ」

 手を、差し伸べる。

 まめと傷だらけの手だった。

 手首には横に線がたくさん入っていた。

 ヤムゥはその手をまじまじと見て
「もう探すヒツヨー無イ?」
 チエを見つめ返した。「うん」「オマエが…出してくれるからッテ?」チエは苦笑する。「まあ、あたしじゃないんだけど」
 ヤムゥはその瞳を見る。

 信じ切っている瞳だった。
 揺らがない幸福の瞳だった。

 自分の選択に間違いはなく。
 今の誘いもまるで善意からだと告げていた。

 ……。
 …ヤムゥには、チエが悪い女だとは思えない。

 思えない、けれど。
 

「……でも、それってほんとにあのヒト本人って言えるのカナ」

 同じものを信じられはしなかった。


 チエの手が、おりる。

「それニ」ヤムゥは立ち上がる。
「それに、チエ」
 ずうっと同じ姿勢で蹲っていたから少し膝が痛かった。
 そうだそのせいだ。この痛みは。

「止まった時間の中でなんてヤダ!」

 断絶を、告げる。

「“今”しか無いなら思い出だってできないジャン!」

 チエの凍りついた顔が妙にはっきりと見えた。

「ヤムゥは」ヤムゥはかぶりを振る。
 迸る気持ちがヤムゥの中で煌々と燃えていた。

「ヤムゥは、欲張りだかラ」

 肺も通り過ぎて心臓から、

「愛するヒトの過ぎゆく時間だって愛したいンダ」

 想いを、

「シワダッテ白髪ダッテなんだって見たいモン!」
 
 叫ばせる。

「バカ」「ごめんチエ」「あんたは何にも知らないからそういうことが言えるんだ」「でもヤムゥはそう思ウ」「辛い辛いくるしい悲しいどうしようもないどうにもならない何にもできない明日しかないことがないからそう言うんだ!」「そんナの、
来て見ナイとわかんないジャン」
「バカ!!!!」
 チエに麦わら帽子が被せられる。「チエ」ケータ。「相手は猟兵だ」

 ヤムゥにはそれがやっぱり、すこうし、うらやましい。

 それから

「行くぞお前ら!」
 ケータの声に怒号が続く。
 作られた簡易的な投石機、なるべくだろう用意された武器。

「…やっと目が覚めタ」

 それからチエとケータがおばあちゃんおじいちゃんになったのが見てみたかった。

 それで、それでだ。
 
 胸の奥から欲が沸く。愛したい。あんな風な愛もいいナ。

「やっぱりヤムゥはオマエを止めなきゃいけなイ」

 同じようにしわしわのおばあちゃんおじいちゃんにばったヤムゥとあのヒトで会っうのだ。

 それでヤムゥだって言ってやる。
 いーでしョ。
 きっとチエはいいねえと言ってくれるに違いなかった。十分にも満たない会話でなんとなく確信していた。

「ユーベルコード発動」

 愛したい。本当はそんなふうに。
 半分しか叶わないと分かっていても。
 ああよかったと満ち足りた想いを得たい。
 
 めりめりと己の身が呪縛へ浸されるのを感じながらそれでもヤムゥは止まらない。
 狂ったように進むしかない。

 どんなに呪いを背負おうと――
 思いはごうごうと狂い踊って、ヤムゥの身体能力を一気に引き上げる。

 トレード・オフ
「山猿ノ慈恋魔」

 ヤムゥ・キィムは

 過去の海で誰かと笑って誰かをまつ、そんな安らぎと引き換えに
 
 闘争と狂走とまだ見ぬひとに出会うための、まっさらな明日を手にするべく走り出る。


 首を折る感覚は、いままで里で扱ったどんな鉄よりあっけなかった。

大成功 🔵​🔵​🔵​

スキアファール・イリャルギ
楽園なんて、幸福なんて、縁遠いもの
だって私は泥梨の影法師
泥梨へ堕ち続けるしかないんだ
救いたる蜘蛛の糸は永遠に垂れてこない

あぁ、でも

父さん、母さん
怪奇になっても愛してくれたあなたたちを
桃原先生
赤の他人なのに命を救ってくれたあなたを
コローロ
私の歌を好きだと、傍に居てくれるきみを

好きとか愛とか定義がよくわからなくても――大切だと、思ってる


違う
あなたは此処に居るわけない
きみは傍に居てくれてる
そこにいるのは偽物だってわかってんだよ
惑わされるなよ

ねぇ、なんで
ばけものとののしるの
ばけものをみるめでおれをみるの

あなたじゃない
きみじゃない
ちがう
ちがうちがうちがうちがう!!!

わたし、は
しあわせになんて、なれないよ



●“わたしはあなたの救いを待ち望む”

 天国にはいけないだろう。
 スキアファール・イリャルギ(抹月批風・f23882)は自身のことをそう評価する。

 楽園なんてほど遠い。
 幸福なんておこがましい。
 輝かしいものはみな縁遠い。

 だって、罪深い罪深い、存在するだけでひとを狂わせる、怪奇だから。

 今だって、ほうらほら。
 スキアファールはコードを展開している。

 昏沈の景。崩れ爛れた糜爛の姿。
 それは自身を真の姿で覆うもの。

 いびつでゆがんでまがっておれてちぢんでのびてひろがってひろがってひろがる――影。

 そこに無数の白い歯がぞろ並んだ口がざわざわと舞わせ。
 まぶたのない見開かれたまなこがぎょろぎょろと浮かべおどらせ。

 あっちの口で今おんなの腰から下、今顴骨を噛み砕き終わったのでそのまま腹から上を食っていて肋骨のぱきぱき折れるさまを感じて人間の肋骨を噛み砕きそっちの口で少年の腕に噛み付いてそのまま腕、二の腕、肩から入ってほうら首と反対側の肩まで噛み砕いていくのを感じていてにんげんにまだ食いつけない口たちがそれぞれ歯をこすり合わせて鳴らしたりにんげんめがけて何の意味もない狂った声をかけてみたりしてすぐそこいらの目はへたり込んで動けない老婆の上にすずなりぶとうの実みたいに降りしきりそれこそ葡萄酒のような真っ赤な液体を広げてあるいは口が頭をくわえたにんげんの下肢を二つの目玉ですりつぶして臓物を浴びてみたりなどして勢いよく半分に噛みちぎってちぎれ飛んでしまった男の上半身を別の口が慌ててぱっくりと飲み込んでみたりなどして。

 途切れずあがる悲鳴を。とめどなき苦痛の叫びを。半ば狂気に等しい恐怖の叫びを。
 只広げている。
 そしてその悲鳴を、苦痛を、恐怖を、嘆きを、何もかもの影への感情を。 
 いろとりどりに。
 浴びて浴びて浴びて浴びて浴びてむしゃむしゃとくらって浴びれば浴びるほど広がって広がればひろがるほどまたくらってばくばくと喰らっていのちを吸い上げて大きくなってとめどなく広がり広がり広がり広がり――…広がっている。
 
 此れを一体如何して人間と謂えましょうや?
 これこそなるは泥梨の影法師でありましょう。

 ですので。

 天国など楽園など――一体如何してこの身に有り得ましょうや?

 ……ただ。
 スキアファール・イリャルギは。
 ひとを大事だと思うことがあった。
 ひとを大事だと思うことができるようになった。

 ひとつ。父さん、母さん。
 ――怪奇となっても、自分のことを子供だと思い、限りない愛情を注いでくれるひとたち。
 ひとつ。桃原先生。
 ――赤の他人だというのに必死になって自分の命を救ってくれ、こちらに何かがあれば嘆き、傷付けば我がことのように痛み、面白いことを、楽しいことを、教えてくれようとするひと。
 ひとつ。コローロ。
 ――ただ自分のための歌を、好きだと言って愛してくれたきみ。朽ちてもまた出会い、かけらになってもまだ自分のことを忘れずそばにいてくれる、ひかりの子。
 
 それは、にとって、ある種自身を人間であると語れる、人間であると定義する証明のひとつだ。
 『怪奇』である自分を、限りなく『人間』だと思うことができる、受け入れることができるようにしてくれるもの。

 好きであるとか愛だとかの感情の一切の定義はわからないけれど。
『マイ・ディア』――『親愛なるあなた』。
 かけがえないと、わかっている。

――おいていかないでえ。

 少女の嘆く声がする。
 彼女のソプラノは、どこか少年のような響きですらある。
 虐殺は凄惨を極め災禍に等しい様相だ。誰かの一撃がとうとう少女に届いたのだろう。

 おいていかないで?
 おいて行きますとも。天国などこの身にない。

 だってこの身は泥梨の影法師。

 只一身に全ての感情を浴びながら、とめどなく拡散する中心で。
 あまりに多すぎる情報だ。あまりにあふれすぎる感情だ。
 その膨大なさなかでおのれを保つために――自身(にんげん)を手放し影になり果てないために。
 真境名・左右はただすべてを受け止めて、おのれのことを思考する。

 泥梨へ堕ち続けるしかないんだ。
 救いたる蜘蛛の糸は永遠に垂れてこない。

 ほらごらん、音がするだろう――ざぶ、血の池みたいな、みずの、音が。

「せんせ、せんせい、無理です!」
 声がした。少年の声だった。知らない声だったが――せんせい、という言葉が引っ掛かった。
 スキアファールはモザイクのように様々浮かぶ惨劇の光景から一つを選ぶ。

「こんなのむりです、あんまりです、いくら僕らが猟兵を殺さなければいけないからって」
 少年がいた。白い包帯で顔までぐるぐる巻きだ。「これは無理です、こんなのは、無謀です――こんな、」

「こんな、ばけもの」
 病を患っているのだろう。布の隙間からぼたぼたと何かの液が垂れている。
 何か、鳩尾をぎゅうとつねられているような痛みが蠢く。
 そうだ、諦めて。諦めてください、せんせい。自分はそう思ったのだ。
「いやいや、私は此れでも医者だから」
 困り眉の瓶底眼鏡の白衣の男が笑う。「目があって口があってほら何か言ってるなら、生き物だよ、だったら私の領域だ」

 影の中、無数の情報、無数の感情にさらされ受け止め続けるスキアファールの精神が
 ――いや、左右の精神が、現実を誤認する。
 少年のそばには夫婦と思しき男と女が倒れている。「せんせい、やめてください」少年が叫んでいる。「ぼくが先に行きます」包帯が少し解けてただれた顔が見えている。「両親の敵を討たせてください」「いや、いや、いや」白衣の男が笑いながらかぶりを振る。「きみは後ろの彼女を守りたまえ」少年の背後には少女がいて。

「医者(わたし)は患者(きみ)をみすみす死なせはしないよ」

「違う」
 左右は声に出す。
 そうだ違う。あそこにいるのは彼のせんせいではない。「あなたは此処にいるわけない」
 わかってる、わかっているのに内臓がゆっくりと引っ張りちぎられるような痛みを感じる。

 鞄から何かの瓶を取り出して投げつけられる。
 口も目も口と目の形をしているだけであってこれはばけものなのだ。そんなもの効くわけない。
「いやあ、ダメか」
 だめですよ、決まってるじゃないですか。
 口のひとつが医者に食らいつく。「せんせえ!!」少年の悲鳴。
 首を折るつもりだったのに力が込められず投げ飛ばすにとどまる。

「ばけもの!」
 少年の後ろの少女が眼にいっぱいのなみだをたたえて叫ぶ。

「違う」
 左右はもう一度呟く。「きみは傍に居てくれてる」そうだ、かけらのひかり。かけがえのないひかり。だいいち、左右は彼女の顔だって知らない。スキアファールだって知らない。左右は彼女をきちんと見れなかったし、スキアファールで出会った頃はもうすっかり影だったから。

 だけどああ、綺麗な髪、大きな瞳、頬はうっすら赤みがあって。

「そこにいるのは偽物だってわかってんだよ」でも目の前の包帯の彼にとっては白衣の男はせんせいで「あなたじゃない」そこに倒れているのは両親で「あなたたちじゃない」後ろに庇っているのはかけがえのないひかりで「きみじゃない」
「惑わされるなよ」スキアファールは自身に強く言い聞かせる。
 彼らから視線を外すこともできたはずなのに、でも、それができない。

 口をのばす眼をのばす影をのばす。「この、ばけもの!」少年が叫ぶ。
 少年のひと吠えで影はより濃くなり新たな口が開く。
「やめろばけもの!」
 白衣の男が吠える、割れた眼鏡が刺さった目から血涙を流しながら「わたしが先だ!殺しかけた男が此処にいるぞ!」少年の危険を察して叫んでいる。

 ねえ、どうして?
 幼い左右が首を傾げる。

「ばけもの、ばけもの、ば、ばけもの――!!」
 少女がくりかえし叫ぶ。 
「なあおい化け物こっちだ、こっちにきなさい!!!」

 ねぇ、なんで。
 なんでばけものとののしるの。

 ちがう。叫びたい。
 今まで散々自身を怪奇だと言っていたのに――そう叫びたくてたまらない、いや。
「ちがうッ!!」
 叫んでいる。スキアファールの叫びにつられて全ての口が叫ぶ。
「ちがうちがうちがうッ!!!!」
 もう動かず蝶へ変わり始めた両親のむくろに、右足がおかしい方向にねじれている医者に。
 少年に――その後ろの、少女に。
「ちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうッッ!!!!」
 殺到する。

 殺す、食らう、などという表現では足りない――徹底的な「それ」が行われる。

「わたし、――わたし、は」
 影の中で、左右はうめく。
 小さなひかりが、そっとかれの頬を撫ぜた。「ううん」首をふる。

「わたし、は」
 
 か細い、声だった。

「しあわせになんて、なれないよ」
 
 影はいよいよもって黒々と、只ばけものとしてそこに在った。

大成功 🔵​🔵​🔵​

人形・宙魂
ああ、そんな……どうして、邪魔をするの?

刀が重い。

人の群れの中に見つけた
母さんと父さん。殺された筈の両親を見つけてしまった

違う、アレはオブリビオン。ああ、声を掛けないで。なんで
お願いだから。優しい声を、掛けないで

…チガウ、幸せなんかくれない。
UDCが、私から、私達から、幸せを奪ったのに!
羅刹紋が浮かぶ。意識が朦朧とし、咄嗟の一撃
重い刀を怪力で振るい、目の前の存在を叩き捨てる

あ、ああああ!!
腕に巻いていた鬼縛鎖が外れ『鬼重・畜生道』
周囲の敵に呪詛の叫びを浴びせ、潰す

…注射器を突き刺し、精神安定剤で落ち着きを取り戻す

アレが過去で、UDCが、私の家族を操ったのなら。
………赦さない。
刀は、軽くなった



●“ 破壊そして破滅、餓えとつるぎ。誰があなたを慰めるだろうか。”

 人形・宙魂(ふわふわ・f20950)はそうして前にも後ろにも進めない。

「お願い」

 重い。「う」
 肩で息をして、ぜえぜえとみっともない呼吸をして人々の眼をまっすぐ見てしまって彼らの言葉を聞いてしまって胸の内を悲痛の嵐が叩いている。

「お願いよ、猟兵」「止めないでくれ」「帰って」「来ないで」

 刀が重い。「ううう…」
 必死に鞘に収めたままの刀で振り下ろされたバールをいなしナイフを弾き引きずり倒すべくつかみかかってきた男を叩き伏せて走って刀が重くてよろけるように避けて時々転がってまた立ち上がって。

「邪魔しないでください」「見逃して」「忘れてよ」「見なかったことにして」

 刀が重くて、使えない。

「うううう…ああ」
 悲痛の嵐の風が一筋言葉になって宙魂の唇からさらりとこぼれる。
「ああ、そんな……」
 動くたびに鬼縛鎖がちゃりちゃりときれいな音を立てる。 
「どうして」
 人喰羅刹紋がじんわりと熱を持っている気がする。

「どうして、邪魔をするの?」

 自分の後ろうなじのあたりから誰かが耳にあまくつややかに吹き込むのだ、かわいいかわいいかわいい子…御覧、御覧、無垢できれいで随分おいしそうなにんげんどもじゃあないか、背なんか向けずに御覧よ、御覧…。
 刀が重い。どんな重さであろうと宙魂の爪のいちまいかのように軽々扱えるはずなのに。
 体が重い。吐きだす息すらしんしん重くなっていく気がする。

「お願い」
 宙魂は嘆願する。

 誰に?それすら泥に沈んだようにはっきりしない。それでも呟く。お願い。お願いだから。敵に?自身の体に?紋に?それとも、刀に?

「やだ」

 ブレザーの女子高生が―もちろんこの事件の中心の彼女ではなく―かぶりを振る。

「邪魔をしているのはそっちだって」
 明るい茶髪にいくつもピアスを開けて。背伸びで飾った爪。高校生にしてはしっかりとした化粧。
「しあわせになるための一歩なんだよ」

「いえ」
 宙魂はかぶりを振る。自分の頭も重くてうまく否定できない。「違う、あなたたちは、オブリビオンで」あなたたちのやることは間違いで。あなたたちはオブリビオンで。
「それが何?」
 うわごとのように繰り返し唱えた言葉をピアスの女子高生は否定する。「それであたしらを否定してるつも、つもり?」引けた腰に不釣り合いな金属バッドを構えて殴りかかってくる。「だ、だったらちゃんと戦いなよお!」

「どうせみんないつか過去になるんじゃんッ!!」
 宙魂は動こうとして―

「あの時がいちばんしあわせだったってみんな思うじゃん!」

 幸福で平和な。
 宙魂の体がひとなみのかわいい重さしかなくて。角もなくて。

―ああ、刀が重くて。

 とっさに刀を立てるように持って身をかがめその一撃を受ける。「け、剣もぬかないくせに」隙だらけで間違いだらけの二撃目も刀でうける。「だ、だって、刀、が」「ひ、引っ叩くとかなんかあんじゃん」三撃目。「あんたたち猟兵ならできることはいっぱいあるじゃん!」四撃目。「わ、わたし、私は」必死な攻撃は、しかし一つだって宙魂には当たらず。

「しなきゃいけないのにしたくないけどしなきゃいけないだけでしょ?」

 間近で見つめ合う。

「ねえ、あなた、あなたさ、あなたならわかるんじゃないかなあ」

 ――…。

「何が悪いの?何がいけないの?どうしてあんな目に合わなきゃならなかったのどうしてこんなに生きることが優しくないのどうして存在すらいけないの」
 
 瞬きをして、それから彼女はいたいたしく笑った。「思ったこと、あるでしょ?」

「そういうのをぜえんぶ、チャラにしてくれるんだ」

 ばた、ぼたぼたぼたっ、びちゃっ。

 何が水の入ったビニール袋でも叩きつけたような音がする。

「見て」
 女子高生が宙魂の前から退く。
「あ」思わず宙魂は声を出してしまう。ぼんやりと立っていた彼らが「うそ」宙魂を見つけて「ちがう」ほんとうにほんとうにほんとうに嬉しそうに、顔をくしゃりと歪めたような不器用な、しかし喜びの顔をする。「違う」


 彼らもまた困惑の顔で武器を取って「ちがう」

 駆け寄りたいほど恋しい。
 駆け寄れないほどに重い。

 そのまま、下ろしてしまう。
 床に捨ててしまう。

 母さん。父さん。
 殺められ無残な肉塊になったはずのひと。

「ちがう」

 ああ。そう、そうだ。

「“思い返すのと、どう違う?――より鮮明ですらないかな”」

 写真や記憶よりずっと鮮明に柔らかくそこに実在している。青い瞳を見開いて宙魂はかれらに見入ってしまう。

「違う。アレはオブリビオン」
 そう、そう、笑うと首を傾げる癖があって。髪がふわりと揺れる。

 母さん。父さん。
 呼びたいほどにいとおしい。

 うれしそうに近づいてくる。

「“過去とは現在の源であり未来の始点である”」

「やめて」

 嬉しそうに微笑んで。「ああ、やめて」宙魂の姿をまじまじ見て「お願い」角にちょっとこころを痛める顔をして。「なんで」

 動けない。重い。刀が重い。体が重い。

 それでも少し背が伸びて「どうして」セーラー服を着た宙魂のすがたをなによりの幸いというように。「お願い」口元を手で覆って。「お願いだから」そっと手を外して。「声を掛けないで」

 何かひどい重みがかかって立っているのもしんどくて、気づけば身体が震えている。後退したいのに刀が、体が、ほんとうに重くて。

 唇を開いて。
「やめて」
 何も言わないで。

 わたしのせいであなたたちは死んだのに。

「優しい声を、かけないで」

 このいのちひとつが、おもい。

「“なら耳を塞げばいい”」
「だって、体が」
「“目を背け、喋らず口を噤めば良いのに”」
「だって」

「“それはきみの望んだ重みだろう?”」

「私…?」

 にこ、とブレザーの女子高生が笑う。
 照れ臭そうに。「ね」
 理解者を得られたという顔で、くるりと宙魂の後ろに立って背に両手をついて

「あの時がいちばんしあわせだったでしょ」
 待つ彼らに向かって、宙魂を

「…チガウ」
 宙魂の声から乾いた音が出た。
「しあわせなんかくれない」
 くれたのは惨劇と重みと角が語る業と血塗れの道だ。
「UDCが、ばけものが、邪神なんか信じるあなたたちが!」
 病弱さを称えたうつくしい肌に紋がはしる。うっすら浮かんだのは一瞬。肉と骨よ音を立てよと言わんばかりに濃度を増して

「私から――私達から、幸せを奪ったのに!」

 そうとも。

 人喰い鬼が笑っている。
 ぐわりと宙魂を万力のような力で抱き込んでくらやみに隠し込んで。ああ。

 少女の意識からすべてを断つ。

 ほんのりと色づいた爪のうつくしいほっそりした宙魂の指が刀の柄を握る。

 みいんなあっちが悪いのさ。みいんなあっちの身勝手わがままおまえはなあんにも悪くない。
 
 あれほど重かった、刀を。

 うつくしいおべっかにままごと用意して。都合のいいようおまえを取り込もうって魂胆だ。

 やすやす抜きざま

 殺めてしまお。

 あんなにもいとおしい両親を粉々に叩き潰す。

 みいんな殺めてしまおうねえ。

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 ちいさく怯えたような喋り方が嘘のような少女ならぬ大咆哮が喉奥から吠えられる。
 
 腕に巻かれた鎖がほろり緩んで外れ。
 
 鬼重・畜生道。

 鬼が、顔を出す。

「あああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
 
 殺めてしまお。殺めてやろう。

 其は災厄。
 声すらあやうき、生き物の敵。
 きっと救いなんてりかいできないけもののように、叫び叫び叫び叫んで叫んで――

――殺意と呪詛の大音波が人間をおもちゃの風船みたいに弾き潰していく。

 と。
 その叫びが突如止んだ。
 宙魂の手が注射器を取り出し自らの首に突き立てていた。「は、はあ、はぁっ…」叫んだからだけではない荒い息を何度か繰り返し「うるさい」自身の意識を暗闇へ抱き込んでいた手を追い払う。
「あれが、過去で」やや荒い手付きで注射用パッドを傷口に当て「UDCが、私の家族を操ったの、なら」注射器をしまい。

「……赦さない」

 まっすぐに、立つ。
 おとなしい少女とは思えぬ熱をひとみにたぎらせる。
 右手には抜かれた刀。

 もう、ちっとも重くなんてなかった。

大成功 🔵​🔵​🔵​

檪・朱希
【紫蝶】
アド◎
目の前に人々と、黒い蝶が見える。
罪悪感はあるけど、進まなきゃ。
雪と燿が、カイムを雇ってくれたんだね。よろしく。

UCを発動しようとする……待って。
なんでここに……私を、最初に助けてくれた、研究員の男の人が。
あの人は、無惨に殺されてしまった。目の前で、私の一番嫌いな『音』で……!
殺さなきゃ。UDCだから。でも、また殺してしまうの……殺せる、の?

嫌だ……でも、ごめんなさい、ごめんなさいっ!
助けてくれたのに、こんな事しか……!
今度こそUC発動。
雪、燿、カイム、お願い、手を出さないで。
【霞】で……男の人を突き刺す。
あぁ、何か言っているけど、何で、聞こえないんだろう……
……先に進まないと。


カイム・クローバー
【紫蝶】
依頼は二つ。イージーの依頼とーー彼女の二人の守護霊、雪と燿に頼まれた、朱希の護衛。


二丁銃を引き抜いて、『彼ら』を撃つ。それが何であれ、手加減せずに。……痛みを避ける為に額のヘッドショット。俺に出来るのはそれぐらいだ。
様子の妙な朱希は庇う。同時に俺は朱希に聞かなきゃならねぇ。
………殺せるのか?

……ああ、手は出さねぇさ。『今』に決着を着けるなら、きっと朱希自身で着けなきゃならねぇだろ。
呼び出した雪と燿は朱希の為なら、『彼ら』をきっと殺す事に躊躇いはないだろうが。彼らが殺すより、俺が先に殺して二人に手を汚させない。
ーー支えてやりな。きっと必要だ。
血に濡れた手じゃねぇ、今のお前らの手でな。



●“背きし罪はあなたのうちに見出される”

「じゃ、仕事といこうか」
 カイム・クローバー(UDCの便利屋・f08018)はいつも通りに二丁拳銃を抜いた。
「俺は二人の依頼通り、イージーの依頼を遂行しながら朱希を守るわけだが――」
 そして肩越しに軽く後ろを振りかえる。
 一人の少女を…正確には、彼女を守るべく前に立つふたりの守護霊を。

 ・・・・・
「あんたらは自分の身は自分で守ってくれよな?」

 ウィンク。

「え?」「は?待てよそれってどういう――」

 若い女の額に穴が開く。

 みすぼらしい子供の額に穴が開く。
 年老いた男の額に穴が開く。太った女の額に穴が開く。
 背の高い男の額に穴が開いて質素なワンピースの少女の額に穴が開いて髪を染めて結んだ女の額に穴が開いてくたびれたスーツの男の額に穴が開いて医者らしい壮年の男の額に穴開いて派手なパーカーを着た男の額に穴が開いて学生らしいセーラー服の少女二人の額に穴が開いて穴が開いて穴が開いて穴が開いて穴が開いて穴が開いて穴が開いて穴が開いて開いて開いて開いて開いて開いて血と脳漿と血と脳症と血と脳漿と砕けた頭蓋骨の音に血と脳漿と脳味噌と髄液と血液と――

 蒼いコートに銀の髪を翻して、カイムは休むことなく連射を続ける。
 リズミカルに続く発砲音が何か狂った楽器のようだ。

 その周囲で、人々が一斉に開かれたシャンパンみたいに吹き出しながら後ろへときりきり舞いして倒れていく。

「うおわっ」火色の瞳した少年の霊が若干本気の悲鳴を上げながら跳んできた弾へ、よく見ればうっすらと霊化した鎖が巻きついた銃を抜き発砲――おおよそひとに見えて人ならぬ芸当で撃ち落とす。「人選間違ったんじゃねえか俺たち!?」
「いや」氷色の瞳した少年の霊がべつの跳弾を霊刀で切り捨てながら橙の少年に応える。「乱暴だけど、依頼通りだ」それから少し忌々しそうに付け加える。「それ以上ですらあるよ」
「は!?」また別の弾を撃ち落とす。「これのどこが!?」「馬鹿」「なんで今俺ディスられた!?」

「…雪と燿がカイムを雇ってくれたんだよね」
 自身の守護霊のやり取りに檪・朱希(旋律の歌い手・f23468)はほんの少し表情を緩めた。
 その手のなかでは杖の8、タロットカードが淡く輝いている。「ありがと」
 朱希の表情はどこか苦しげであり肌の色もどことなく普段より青白い。額にはうっすら汗すら浮いている。
「大丈夫?」青の少年霊――雪が朱希をかすかに振り返る。「…うん」朱希は少しゆっくりと、しかし、うなずく。彼女の耳は優れており、音を拾いすぎる。ヘッドフォンで軽減しているとはいえ、音とはつまり空気の振動だ。あくまでも軽減でしかない。肌を震わす音、人々の悲鳴、恐怖、怒声――そういったものがあちこちから響くこの状況は、彼女にとってややもすれば激しい苦痛を受けかねないもの、だったのだが。
「たぶん雇ってくれてなきゃもっと苦戦してたよ」

 カイムは弾丸が放つ。放ち続ける。
 オルトロスの片方から音がする――カチン。弾倉が底をついた音。
 腕を交差させる、一瞬でリロード。
 再び連射、連射連射連射――連射連射連射連射!

「えーっわかってねえの俺だけ!?」燿が唇を尖らせながら度々跳んでくる弾を撃ち落とす。
「二人とも何であいつの仕事に納得顔してんの!?俺全然わかんねえけど!?」
 直前にカイムが言っていた通り、朱希の方に弾は飛んでこない。
 が、雪と燿の方には跳んでくる。
 隙なくではないがランダムであり、気が抜けない。
 カイムが撃ってくるということがわかるから対応できているようなものだ。
「馬鹿」雪がとことん冷えた目で燿を見る。
「だからなんで俺だけディスられてるんだよ!」銃を連射しながら燿が雪へ言い返す。
「あっわかった八つ当たりか!雪お前俺に八つ当たりしてるだろ!?」
「どうしてそれがわかってカイムのやってることがわからないんだこのド馬鹿」
 言い捨てながら雪は朱希のそばから再び前へ、跳弾を落とす援護に向かう。
 悲鳴、苦痛、恐怖が満ち溢れる戦場。
 だがこのほぼいつもと変わらぬ守護霊のやり取りが朱希のこころを少しだけ明るくする。自然と唇がほころぶ。
「燿は霊だよね」
 雪の代わりに――ではないが、守られている立場として、邪魔をしない程度に朱希は燿に教えることにする。「おー、そうだな」燿が軽く返事をする。
「じゃあなんで今跳弾を撃ち落としてるの?」
「えっ」戸惑った燿の手が一瞬遅れる、がこれを雪がカバーする。解説を朱希に任せたため、燿への文句はない。
「そりゃ致命傷にはならないけど、朱希に当たるかもしんないから」すっかり撃つことをやめながら燿は素直に応える。
「じゃあ」その素直さにまた少し胸を明るくしながら朱黄色は重ねて問うた。
「もし弾が来なかったらどうしてた?」
「いやそりゃ朱希のそばに雪と代わる代わるしながら敵を…」
 朱希の質問の意図がつかめないまま燿はさも当然と自身の回答を口に「あ」目をまん丸に見開いた。
「…やっられた」
 口を開いてゲーと舌を出す燿のやり方が額に皺寄せる雪とは逆で、朱希は堪えきれずに軽く吹き出した。「あいつほんとキザ、かっこつけ野郎」燿は顔を前へ向ける。「燿」雪が窘める。
「そして僕らは彼に守られているってわけ」
 悔しそうに雪はそういった。

 ・・・・ ・・・・・・・・
 百発百中、外し弾は一切無い。
 雪と燿が弾く分も含めてだ。
 自分がいるのだ――便利屋は霊とはいえ依頼主に手を汚させるような仕事はしない。
 あまねく殺すだけでいいのなら、『彼ら』ぐらい、自分一人で充分どころかお釣りが余裕で出る。
 護衛対象も、依頼主すら庇い切る!
 カイムは確信する。本物だ。
 人間という意味では無い。戦闘力の無さがだ。銃どころか戦闘にすら不慣れな、ああ、本当に不慣れな一般人たち、の、UDC。
 カイムを中心に人々がきりもみ倒れていく。ワンテンポ遅れて次から次へと――撃たれた順に。
 彼らにはなす術ない。一撃どころか一歩前に出てカイムたちに近づくことすらかなわない。
 上から見れば、低速度撮影で撮られた花が開花していくさまに似ている。
 12時と6時から時計回りに翻る青と銀を中心にして真っ赤な花びらが一瞬広がって、散って、そして黒と変わり蝶になって羽ばたいていくのだ。
 花が開き終えたら次は前方。続いて後方。右舷前方と左舷後方、左舷前方と右舷後方。
 赤が咲き、枯れて黒、そして消えて、なにも残らない。
 あるいはドミノ(おもちゃ)か。
 心からの皮肉をカイムは浮かべる。
 限りなくにんげんそっくりのUDC。噴き出す血の色も脳味噌混じりの匂いも脳を撃ち抜かれて倒れるさまも、まったくにんげんと遜色ない。
 カイムの顔にはいつものハイテンションも、余裕たっぷりの笑みもない。
 何も感じていないかのような無表情。
 いや。
 黒い蝶映す紫の瞳は語っていた。
 ひたり満ちた、冴えた怒りを。
 クソッタレ。
 邪神がやる手にしては陰湿すぎる。あるいは手応えがなさ過ぎる。
 これを先兵だというならあまりに弱過ぎるし、猟兵に対する精神的ダメージを狙っているのならこれではあまりにも人が良過ぎる。
 裏がある。
 掴めぬ意図が余計に煩わしい。
 いいぜ、踊ってやる。
 だが便利屋のダンスは高くつくぜ。
 まず、てめえのツラを見るその時は特別綺麗に踊ってもらおうか。

“覚えておこう”

 ――今。
 
 振り返る。今確かに聞いた。
 声ならぬ声だったが確かに。隣にいるかのようにはっきりと。
 振り返りざま声の方に銃を向け引き金を――引かない。

「…待って」
 朱希が震える声を絞り出す。明らかに動揺していた。「なんで、どうして…?」びりゃりという重たい水音を聞いて振り返ったのだ。十歩とない近さで『彼』がいた。
 カイムに事情はわからない。
 しかし今撃てば朱希の精神を非常に揺るがしてしまうことは想像にたやすい。

 『彼』の首のうしろから天井へぶうらりと赤くやや太い紐のようなものがぬめり照りながら伸びていた。「彼は教団の関係者じゃない」「朱希、落ち着いて」「相手はUDCだ」「UDCなんかになってるはずない…!」朱希は何度も首を振る。

 紐が切れる。「こんの…!」燿が銃を構える。「やめて」燿は朱希の懇願に構えたまま引き金を引けない。「だけど朱希」
「だって、だって彼は」朱希は何度も何度も首を振る。耳の奥に『あの音』がきこえる気がする。しゃきん、しゃきん――しゃきん、しゃきん、しゃきん――…。

「あの人は無残に、無残に殺されてしまったんだよ…私の目の前で…私の嫌いな『音』で」

 二枚の刃をねじでとめて、ひらいて、とじて、刃が擦れて鳴る音――鋏の音、しゃきん、しゃきん、しゃきん――…。「だってそれをもう一回、もう一回だなんて…ッ!」

 朱希は凍りつきそうなほどに精密な照準の合わされた音を聴く。

 ふりかえればカイム・クローバーと眼が合う。「できないならどいてくれるか?」冴えた笑み。

「UDCの駆逐は俺が受けた依頼でもある」

「UDC」
 『定義できぬばけもの』。
「じゃあ、殺さなきゃ、なんだ」
「朱希」雪の声に朱希は視線を引き戻す。
 赤い紐の切れた彼が朱希を見ていた。
「よかった」
 ああ、そうだ彼は、こんな声をしていた。
 そして腰を折り、地面に落ちていた誰かの武器だったろう包丁を拾う。「ひさしぶりだね」本心からのことばだ。震える手で構えて――朱希にむける。「いやだ…」朱希のくちびるから本心がこぼれおちる。
「大丈夫だよ、大丈夫だ…」
 朱希を最初に助けてくれたひと。頼りなさそうで野暮ったいのに、いったいどこにそんな勇気があったのか。
 そのひとの死因は間違いなくこの事件には無関係の筈だ。いったいどうしてここにいるのか、いったいどうしてあちら側に立っているのか!
「………殺せるのか?」
 カイムから最終通告が投げられる。「うう」

「…わたしがここにいるから、なの?」

 ――答えは、ない。

「…雪、燿、カイム」
 それで充分だった。「手を出さないで」
 それから朱希は刀を抜く。霞。

「朱希」前に出ようとした雪、その刀へカイムが銃を放ち止める。
「……ああ、手は出さねぇさ。出させない」「なんで…っ!」雪が歯噛みする。

「『今』に決着を着けるなら、きっと朱希自身で着けなきゃならねぇだろ」

 朱希は思う。
 いったいあのひととはどんな会話をしたんだっけ。
 何気ない言葉をかけてきて、朱希からひとことでも返せば嬉しそうな顔をした。
 かける。駆け寄る。そうしたかったように。
 振りかぶることはしなかった。
 斬り捨てることは彼の最後に重なってしまってあまりにも辛かった。
 だから飛び込んだ。
 彼は両腕を広げていた。抱きしめようとするみたいに。

 刀を引き抜けば。

 暖かい液体がかかる。

 霊刀はただしく男の心臓をひと突きした。「大丈夫」ああ。かれが何か言っている。「“そう、大丈夫だとも”」でもどうしてだろう、何も聞こえない。
 手元であんなにも重たかったかれの体がみるみる黒ずんで蝶になって、消えていく。
「っ朱希!」さけぶような燿のこえがなんだかおかしかった。
 大丈夫だよ。そう、そう言わなくちゃ。

「…は」
 朱希はわらう。
「あは、」
 血で真っ赤に染まったなかで。
 それが黒ずみ蝶となってたちのぼるなかで。
「…いこう」
 雪と燿へわらう。大丈夫だとあらわそうとして。
 さなぎの背に入った罅のような笑みだった。

「先に進まないと」
 そこから今にも、くらやみが蝶の形で飛び出してきそうな。

「――支えてやりな」
 カイムは雪と燿に朱希を託す。「きっと必要だ」
 むしろ、彼らふたりの護衛は、このためですらあった。

「血に濡れた手じゃねぇ、『今の』お前らの手でな」
 雪と燿が顔を見合わせ再びカイムを見る。顎をしゃくって行けと促した。

 結局彼らの真意がどうあれどこにあれ――朱希のそばにいつだっているのは彼らふたりなのだ。

「サボんのかよ」燿が唇を尖らせる。「おいおい主人も支えられないのか?」真っ向真実を叩きつけて三人に背を向ける。
「じゃあ何をするんだ?待機か?」雪が背中に叩きつけてくる皮肉を「そう言いたいところだが」カイムは笑う。

「なにせ今日の依頼は護衛だからな」

 こちらへ大股でずかずかと近づいてくる白衣の男がいる。
 UDCではない。メガネの向こうの目つきは悪く、黒い目はある種の殺意に近い熱を放っていた。「あ」「げ」雪と燿の顔色が変わる。「え…」朱希がまばたきする。「あれも…?」「だった方がまだ良かったかもしれないぜ?」あれは相当おかんむりだ。茶化してカイムはくつくつと笑う。
 カイムは彼を硝子剣士のところで見かけてはいた。
 この上ない怒りを漂わせてまっすぐやってくるが、目的はおそらく今回は自分ではなく後ろの朱希たちだ。面識があるらしい。
 あるいは患者か。仕事熱心なことだ。

「感謝しろよ?――本来クレームからの庇護(カバー)は別料金だ」

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

セプリオギナ・ユーラス
どうして?
“どうして”だと?

それは、それが赦されざる行為だからに他ならない
生きているものはみないつか死ぬ
関係性は変化し、いつかはほどける
その“当然”を受け入れられないものがいることは認めるが──それだけだ

「俺は貴様らを肯定しない」

(人に永遠は必要ない
それは人を人でなくするのだから)

故に俺は
壊そう、殺そう
その楽園とやらを
人の形を模したばけものどもも、すべてを

知れ
幸福の頂点を定義する愚者
停止は死に他ならない
未来を諦めるものに、真の幸福なぞありはしない
その定義こそが偽だ

人の群れにかつて救えなかったものを見る
……だが、何も恐れることはないだろう
ただもう一度、同じように
生きるもののために切り捨てるだけだ



●“ 『わたしは望もう。清く成れ』――そう仰られると、たちまちにその病は去った。”

 人間は、生きているほうがおかしい。
 奇跡と言っても過言ではない。

 ・・・・・・・・・・・
 何度めかの二度目の散布でけぶっていたあたりが晴れる。

「貴様らは癌だ」
 セプリオギナ・ユーラスはガスマスクを外し明確な殺意をもって彼らに宣告した。
 セプリオギナの足元に転がっていた日焼けの色濃い老人の痙攣が収まって、胃液を吐き出して動かなくなった。
 老人だけではない。男も女も子供も、老いも若きも稚きもひとしく転がっている。

 人間はきちんと息ができている方がおかしい。

 一拍のち、いっせいに黒い蝶が飛び立つ。

 人間はほんのちょっぴりの異物が含まれている空気を吸い込むだけで死ぬ。

 …異物と言ってもそう大仰なものではない。
 セプリオギナの足元で子供ひとりが収まりそうな大きさの正六面体が噴霧機を収納する。
 治療にも使われる薬品の濃度を少しばかり変えてやったものを霧状に散布しただけだ。
 もう一度水だけの霧散布であっさり床に落ちて無効化できる程度の薬品。
 それだけで人間は簡単に死ぬ。

「生命(げんざい)を食い散らかして増殖する癌だ」
 声は低く静かであったが、眼鏡の向こう、なべてを睨めつける瞳は黒々と怒りに燃えていた。
 マスクを外したセプリオギナを見て“間に合った”ものたちが恐る恐る口と鼻に当てていた厚手のハンカチやタオル、衣類をおそるおそる外す。
 そこへ突撃した。
 医療鋸はすでに抜いている。彼に続いて大小様々な賽子が――そいつはまるきりそういうしかない。『スタッフ』のセプリオギナを想起させるが、彼と違いそれらはマットな白で塗られていたり金属の光沢を帯びていたりと様々だ。――その後に続く。
 呼吸を優先し体勢が崩れていたかれらは対応に遅れる。セプリオギナの最初に狙いは決まっていた。釘バッドの男。口元を覆うため両腕を上げていた彼の腹にセプリオギナは思い切り、今先ほどまで舞っていた薬品をたっぷりと含んだ水を蹴り上げて――そして下がる。男は咄嗟にそのまま武器を振り下ろさず顔を抑えようとする。――男めがけてセプリオギナの背後、賽子が展開する。
 飛び出すのは針や武器の類ではない。強いて言うならコードに繋がれたパッドのようなものだ。「あ?え?」てっきり暴行がくると身構えていた男は顔に疑問を浮かべる。
 賽子はこう言う。

『チャージが完了しました。人体から離れてください』

 人間はきちんと動いている方がおかしい。
 自身が動かなかった際に脈動させるだけの電圧を

 ばちっ、空気と肉の――焦げた匂い。

 ちょっとぶつけるで簡単に麻痺する。

 セプリオギナは医療鋸、刃の付いていない方を男に向けて振り抜く。
 狙うは頭――の下、首。

 人間は普通に生活できている方がおかしい。
 首、手首、足首。
 血管も神経も集中している場所が多すぎる。

 ごきっ。
 生死を確認する必要はない。ひっくり返った男に賽子の一つが向かうのだけを視界の端で見届けて、次。
 
 人間は血液がきちんと流れている方がおかしい。

「離して!離してやめ、やめてこないで!!」
 複数体の賽子に拘束されている少女がもがいている。「いやだいやだいやだいやだ!!!」抑制帯はその程度でのびこそすれ千切れたりなどするはずもない。もちろん圧迫による鬱血なども起こさない。もがく彼女に新たな賽子が近づく。細い針、液体。
 「やだやだやだやだ」先程隣で消えた女を思い出したのだろう女の悲鳴が一層甲高くなる。「おがああざぁあああああああんん!!」
 差し込んで、流し込む「ああああああああああ、ああああああ…」
 声がどんどん小さくなって目を見開いたまま体がゆっくり弛緩していく。
「やめろ!!!!!!」
 絶叫しながら刈り上げの男がやってくる。「やめてくれ!!!!」男はおろかにもセプリオギナを見ていない。母を呼んだ少女を見ている。
「どうして!?どうしてなんだ!!!」
 唾を飛ばして涙すら浮かべる。

「あんた医者だろう、なあ、あんた医者だろう!?!?」
「“どうして?”――どうしてだと?」
 セプリオギナは何もしない。
「言っただろう。『貴様らは癌だ』と」
 男の真っ正面に立ちまっすぐ見据える。

「貴様らの願望が、赦されざる行為だからに他ならない」
 しなくていい。

 男の背に賽子がとりつく。展開されたアームで首を抑えて――少女に注入されたのと、同じものを。
 男が膝をつく向こうで少女が蝶に変わる。

「生きているものはみないつか死ぬ」
 人間は生きている方がおかしい。

 男に注入が終わり空になった薬瓶が賽子から落ちる。本来はそのまま内蔵できるのだが背中に取り付いて首に注入するなどという『用途』は想定外なのだ、ホルダーから外れて転がり落ちる。

「永遠など存在し得ない」
 コンクリートの床をガラスがたたく、つめたい音がする。
 これもまた特別な薬剤ではない。
 手術にも用いられる弛緩剤を規定よりもはるか多量、流し込んだだけだ。

 人間は、健康体で生きているほうがおかしい。

「関係性は変化し、いつかはほどける」
 あれだけ叫んでいた男の口から、声はもうしない。
 呼吸音すら聞こえない。
「その“当然”を受け入れられないものがいることは認めるが」
 例えば8mlを100mlに。張り巡らせた神経の取り扱いを少しばかり雑にするだけで。
 それだけで、人間は呼吸できなくなって死ぬ。

 男が前に倒れるのと同時に賽子が退こうとして――失敗する。
 バランスを崩して床に叩きつけられて、賽子は動かなくなった。壊れてしまったのだ。

 人間は、生きているほうがおかしい。

 セプリオギナは賽子を一瞥する。
 壊れてしまうことは想定内だが、これは少々問題だ。発注の際に注文をつけたほうが良いだろう。これでは困るのだ。これでは

 人間は

「――それだけだ」

 これでは、実際の治療で患者が暴れた際に壊れる可能性がある。

 人間は、普段は治療や検査に使われていて、一撃で簡単に壊れるような機械にすら、簡単に殺すことができるのだ。こんなふうに。

 人間は死ぬ。簡単に死ぬ。あっけなく死ぬ。いともたやすく死ぬ。
 
 薬の文量を変えてやれば死ぬ。身体の対抗など追いつかずあるいは簡単に狂わされて回復はできない。自身にながれる電流がいつもより少し強いだけで重大な被害を被る。伝導率の高さと耐電性の低さゆえに麻痺を解消し切ることは能わず。背中の髄が少し切れれば人形のようになり。緻密さゆえに繋ぐことは困難であり。重要な血管や臓器が集中しているところに攻撃が当たれば体表までの切断はもちろん体内での破裂でも死に。流れ続けるが故に殆どに置いて完璧な対処など間に合わず。体を支えている関節をちょっとひねれば簡単にひっくりかえって動けずその柔軟性と使用頻度の高さ故に完全な回復はほとんど望めない。
 
 人間に永遠は必要だろうか?

 せんせ。セプリオギナはかつて伸ばされた手を思う。無数の顔を思う。
 その中のひとつ。涙や鼻水でぼろぼろに濡れた顔を思っていた。
 よだれを垂らして暴れ回り掻きむしる指の剥がれた爪から滲む赤。

 いたいよ、いたいよいたいよくるしいよ、ずっと、ずっとずぅっとこうなんだよ、ずうっと、ずうっとずうぅっと。

 つらいよう。

 …あるいは。

 安らかに眠っている女。
 もう一生目覚めることはなく、家族だけがどんどん病み苦しんでいく。額縁の中の幸福な写真。寄り添う幸福な面影は誰ひとりとして欠けがないのにその場の誰にもなかった。
 安らかに眠っているものにさえだ。
 先生、俯いたまま上げられぬ声。

 注射器の針先を突きつけた肌の柔らかさ。黄ばみすら見える、白。

 人に、永遠は必要ない。
 
 呼吸のたえる、しじまよ。

「俺は貴様らを肯定しない」

 それは人を人でなくするのだから。

 故に殺さねばならない。故に壊さねばならない。
 
 仲間が多く倒れ消えた中に少女のかたちをしたものが信じられない瞳でこちらを見ている。
 楽園のしもべと自らを謳うもの。
「知れ!」
 セプリオギナは彼女を怒鳴りつける。
 少女の肩が大きく震える。
「幸福の頂点を定義する愚者め」

 死の真ん中で、セプリオギナは吠える。
 足元、今まだ蝶とならない男の髪を掴んで顔を上げさせ、まざまざと見せつける。

「これが死だ――これこそが死だ!」
 逃走を促す信者に引かれがら彼女は耐えきれなくなったのかセプリオギナの方へ一歩でた。
「それは、あなたが蒔いた死でしょう、僕たちの楽園を邪魔して蒔いた死でしょう!?」
 彼女の抱える鳥籠からわんわんと言葉が溢れ出ている。「なぜそんなものを死だといい見せるの!」
「それは、その残酷は、その残虐は、あなたがやったことで――ぼくのやったことじゃない!」

 楽園、幸福の園。

「いいや、お前のやったことだ」
 あなたがのぞみあなたが願い、あなたが選ばれた天の国。
「周りを見てみろ、俺の足元を見てみろ、貴様の足元を見てみろ」
 セプリオギナはごうごうと溢れる怒りの結晶を、研ぎ澄まして突きつける。

「皆死んだぞ」
 男が蝶と変わり飛んでいく。

 ・ ・・・・・・ ・・・・・・・・・・
「皆、幸福のために、救いのために死んだぞ」

 セプリオギナの言わんとすることに気づいた彼女の顔色が真っ白に変わる。

「幸福の最上で停止する、だったか――どうだ?」

 少女の姿をした過去の――彼女の言を信じるなら、彼女とてそのはずだった。
 楽園の最中、真にたどりつけず過去になったもの。
 鳥籠の中が吠えている。まだ叫んでいる。まだ喚いている。

 ・・・ ・・・      ・・    ・・ ・・・
「みんな、楽園で死んだのではなく――その途中で死んだ」

 あらゆる暴虐と残酷と苦痛が振りまかれる渦中。

「停止は死に他ならない」

 すべての面が真っ黒になって、

「あらゆる傷は癒えず」「どこにもない、もうどこにもゆけない」

 何度ふっても結果の変わらない賽子のような。

「未来を諦めるものに、真の幸福なぞありはしない」

 隔絶されて揺るがぬ事実を、突きつける。
 
「貴様の言――その定義こそが偽だ」

 人々がいちど、途切れる。
 来る。確信があった。
 セプリオギナは身構える。賽子どももまだ多くが無事だ。まだいける。まだまだ戦える。
 おそらくもう間もなくあの水音がやって来る。
 そして見知った患者どもが現れるに違いなかった。顔ぶれこそ違えど。
 誰も彼も、救えなかった患者たち。
 骨がすかすかになる奇病の女、出血が止まらず少し暴れるだけで想像を絶する苦痛にのたうちながらそれでも生きた男、食道と声帯を切り離して食事を失う代わりに、姉との会話だけをのぞんだ子供――いくらでもいる。
 ……おそらく何か、敵の策中にあるのであろうと予想はつく。
『感染型』UDCであるというのも気になる。噂を媒介にするという。確かにその点はあるだろうが、本当にそれだけだろうか。何か患者の小さな腫瘍か異常を見逃していた時と同じような、喉の内側を何かに撫でられるような嫌な気分がずっとしている。
 ――まあ、これは別の猟兵の仕事だろう。
 思考から削ぎ落とす。
 なぜなら、セプリオギナ・ユーラスは猟兵であるが、それ以前に医者だった。
 ゆえに患者は最後まで受け持つ。結果が変わらなかろうと何度でも担当する。

 くるがいい。何度でも来い。何度でも絶対に殺してやる。

 人の形を模したばけものどもも。
 すべてを――。

 ――…普段なら、そこでそのまままっすぐ敵へと向かってしまっただろう。

「は?」
 知った顔を見つけた。
 黒の中の赤。一般的よりもやや貧弱な体躯。視界の妨げになっていないのかと思われる少し長い前髪。拙いなりにいつも考え込むように結ばれた唇。ヘッドホン。
 どうしてここにいる、とは思った。
 しかしそんなものは『患者』の選択だ。『医者』は常に処方しかできない。
 だから彼女がそこにいることは問題ではなかった。

 問題は

「ふざけるな」
 黒々とした一言が意図せず落ちた。
 ・・・・・・
 彼女は生者で、

 蝶の飛ぶ隙間からすら見えた――あれは

 ・・   ・・ ・ ・・ ・・・・・ 
『処置』の『必要』な『患者』の顔だった。

 あれだけ解いてあれだけ結論を出したのにか。

「ふざけるなよ」
 蒼と橙とを連れていて――もう一色。「どいつもこいつも」

「いらん命か?投げたいのか?そういう趣味か?」
 言いながら。
 セプリオギナは素早く医療鋸を素早く収めてその反対側の手に掴んだ薬品投与用のバッグを開く。「死線を紐なしのバンジージャンプと勘違いしていないか貴様らは」
 襲いかかってきたものを蹴り飛ばし踵を返す。機械に任せて。「何か?全員灸で砂風呂でも希望しているのか?」どこか滑稽さも含めた皮肉をぶつくさとあふれさせながら。

「まったく」

 そこにいる、生きている、まだ手の届く――患者(かのじょ)へ向かってセプリオギナは大股で乱暴に歩き出す。
 
「手のかかる患者だ」
 セプリオギナの表情は依然、怒りに歪み切っていた。
 しかし。
 過たず、今彼が一番診るべきものを見ていた。

大成功 🔵​🔵​🔵​

九十九折・在か
お前はお前の楽園の為に
私は私の楽園の為に
楽園バトルしようぜ!!

●縁
母親
茶髪のショートボブ
深緑の眼
両脚が義足
一人称:私
語尾:~だ、だろ、か?

●感情
弱いのに抗うUDC達への哀れみ
自身より強い母が戯言を吐く姿への苛立ち
久しぶりに母の姿を見れた喜び

●戦闘
警戒:POW
屈しないという【覚悟】を抱きつつ
UCで声を掻き消し抵抗
集団敵は得物等で淡々と屠る

もう死んじゃった私には
沢山の敵と戦えて、沢山の世界に行ける今が楽園なんだ
だからそっちは行けない

それに
ママは自分が一番エラくて強いからって
私がワガママ言うと、大人の癖に全力で喧嘩するくらい強いんだ
そんな人が誰かのルールに従って楽園に行くわけねぇだろバーーカ!!!



● “この私が仰ぎ見る。ほかならぬ私のこのまなこで、見る。”

「アーハン?」
 九十九折・在か(デッドガールのゴッドハンド・f24757)はとりあえずうなずいてみた。
「えーと…?」
 在かを囲み動かない――戦い慣れていないせいでどう動いたら良いのか分からない、動けない彼らは各々構えを鈍らせた。
 それぐらいあっけらかんとしていた。
 朗々と楽園について語る声がしている。喚いて喚いて叫んで喋って喋って喋って喋って喋り尽くせぬ言葉を尽くしている。
「うんうん、そー」在かはうなずく。なんどもなんども頷いてみる。
「うん、そう、そう。うん、えーと、あれだ」それっぽく顎に手など当てて考えてみる。
「そうだよな〜」苦悩ではない。目の前に壊れた人形があって、手元には人形の腕があって、これが右腕だったか左腕がだったか…そんな調子だ。
「うん」
 いや彼女は彼女にしてはまあ真剣に考えているのだ。

「なるほ」
「いやなにが?」
 在りのそばに立っていた学生らしいジャージを羽織った少女がとうとう突っ込んだ。

「オッケー理解した。全部理解(わか)っちまったってやつだ…完全(パーフェクト)に超(マジ)インテリジェンス」
「いやもうなんも喋ってないけど」
 あきれ返る少女に在かは
「いやいや理解した心で理解(わかっ)たって」
 もっともらしい顔で何度もまだうなずく。「愛イコール理解」「牢獄でパパ助けるやつ読んだっしょ」「文庫めっちゃ見づれぇのね」「まとめんの助かるけどフツーの漫画と同じサイズで出してくれって感じだよね〜」「それね〜」

 ちいさく名前が呼ばれた。

 在かのではない。在かと会話していた少女は背後、教師らしい女を肩越しに見て。
 
「そんで?」
 鉄パイプを握りなおす。「なにがわかったん?」
 在かは耳の上をバリバリとかいて、止める。

「お前らの語る楽園はお前らにとってほんとーに楽園なんだろうなってーのが、分かったよ」

 在かの、生きている人間のより何倍も何倍も白く青ざめかすれた肌、傷みながらもくるくるとはねた髪、前髪半分がピン留めされて剥き出しになった額、引きつりも露わな頬の上で。残る半分垂れた前髪その奥で。

「お前らがそれを譲らないのも譲る気ないのも…譲っちゃいけないのも」

 ひとみが鮮やかなウィキッド・グリーンに輝いている。

「私が譲れって言って脅しまくるのもなんかちげーのも、ね」
 
 腕を大きくひと回し。衰えた関節がパキパキと鳴る。その音が在かは好きだ。これから暴れるぞうって気分になる。やりすぎると外れちゃって困るんだけど。
「偉いよな〜お前らみんなさぁ〜なんかそういうの見つけてさ〜、ちゃんとがんばるっていうん?」
 大げさに終点のバス停を振り回せばそれだけで彼らはかすかに後ずさる。わかる。彼らは弱い。哀れなほどに。
「私だってママ達ぶっとばすのすげー大変だったからちょっとわかるよ」
 そんなに弱っちいのに彼らは決めたのだ。
「だからさ」
 よって彼らのそれは讃えこそすれ、より強いものが笑って否定しちゃならないものだ。
 じゃあどうするか?
 バス停を――終点を突きつける。
「来いよUDC!武器持って総出でかかって来い!」
 歯を剥き出して笑え。
 目をかっ開いて吠えろ。
「お前はお前の楽園のために――私は私の楽園の為に!」
 跳ぶ。

 終点の文字は、奇しくも

「楽園バトルしようぜ!!!」
 極楽。

 もしも。
 もしもあっちもこっちもあっちとこっちでそれぞれ楽園なら。
 そういうときはどうするか?
 こないだ読んだマンガの主人公が言っていた。
 邪魔すんなら死ね。
 あっちもこっちもあっちとこっちにとって正しかったのなら、もう、それしかないだろう。
 お前が負けたらお前の楽園は俺の以下だ。あの主人公だって今ここにいたらそう言うだろう。
 そう言われればみんな必死に戦うしか無くなるし、必死に戦ってダメなら諦めもきっと、つく。
 ……。
 ……つく、はず、だよね?
 少なくとも笑って戦えるはずだ。
 たぶん。
 
 在かなりに考えた、結論だった。

「先手ェ〜ッ」前一歩高く跳躍。思いっきり腰を捻り、ぺきき、鳴る骨と引きつる筋と肌の音を聴きながら。
「必勝ォッ!」
 終点を横払い大振り。
 ジャージの少女の首と肩を有り得ない方向にねじ曲げた。
「お前ら勝ったらお前らオウジャね!!!」ジャージの少女のちぎれた腕を掴んで名を呼んだ女教師っぽいのの顔面に叩きつけて目潰し。「んで私が勝ったら私がオウジャで」跳んだまま女の肩に着地して極楽の歪んだパイプの切っ先を女の脳味噌にぶっ刺す。「お前らの楽園はそこでオシマイだかんな!!」看板部分を掴んで引き抜きがてらバク転、終点を持ち直し看板部分で後ろにいたサングラスの女の顔面をペシャンコにしてよろめいた身体を回し蹴りでぶっ飛ばしてこんどこそ地面に着地する。どぅるるるるる、唸る音に目をやる。エンジン。チェーンソー!「おおーー!!いいなあいっかつい!」男が在か目がけて精一杯声を張り上げながら振り下ろしてきたのを横に転がって避ける。ジャケットが軽く焦げた程度。「いーなーそんなん持ってんのかよ!」地面に手をついて男の顎を蹴り上げる。「おっさん農家!?」意識が朦朧としたらしく一瞬動かなくなった男の手を下ろしたかかとで砕いて。「かーしてっ!」奪い取る。すごい、漫画で見た通りだ。エンジン吹かすフックがついてる!引っ張って、どぅるるるるる!
 
 よわい。
 わかってたけどみんな弱い。

 女の子の腹にぶっ込んで腸とか血とか胃とかを斬りながら上がる血飛沫に思う。やっぱり漫画みたいにいかない。チェンソー意外とダメだった。三人目でとうとうダメになったそいつを女の子に突っ込んんだまま放って次に向かう。
 ダッフルコート着た女の子が泣きながら灯油かぶって自分に火をつけて突撃してきたのを終点でぶっ叩いて叩き落として黙らせる。

 胸にじわじわ哀れみが滲み出る。
 みんな弱い――弱いのに、それでも抗ってくる。譲れないんだ。
 声が楽園を説いている。すばらしいんだって言っている。
 そこに行ったら肌がくすんでだめになっちゃうのも指がしわしわのくちゃくちゃで爪が外れやすくなってしまうことに悩まなくてもいいんだろうか。
 でも。
 在かは息を吸う。死んで朽ちかけでそれでも今動いている肺を大きく膨らませる。
 
 在る息よ。
 この咆哮にて、耐えよ。

「――グルルゥアア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙゙!!!!!」
 ひとびとは悲鳴をあげる隙もない。上げられたとて掻き消されていただろう、それほどのさけび。
 倒れていく。死んでいく、死んでいく――。

 在かの視界の端に赤い紐のようなものが揺れた。新手が出てくる時の合図だ。真っ先に倒してやろうと思って――その赤い紐に繋がっている、女が。
 茶色のショートボブ。
 在かの手の指と爪は自分似だと誇らしげに言った、その女の、たしかに指の長さやしなやかさが在かに似ているといえなくもない手が(でもわからない。在かの手はだいぶ朽ちてきているから)ぎこちない人形じみた動きで動いたと思ったら、紐を掴んで、ぶっちぎる。

 輝いている。
 前髪の奥で。
 在かと同じ、いや、少し深いウィキッド・グリーン。

「よぉ」

 女の顔に笑みが在る。

「まま」

 彼女と対になるかのように、在かの笑みが、消し飛ぶ。

 女が笑っている。

 あの暴力的にしなやかで美しい両の義足で威風堂々の仁王立ち。
 在かにとっては、指よりもよっぽど似ていると思える、牙にも見える鬼歯を剥き出しにした、笑いでもって立っていて――

「ひ・さ・し・ぶ・り・だ・なァァアアア!!!!」
 ――在かは咄嗟に体を捻った。
 もはや本能だった。

 空気をくり抜くような、ボッ、っという音が耳に届いて背中に一筋ひやいものがはしる。義足の蹴りが空気をぶちぬく音だ。「ママ」女を呼ぶ。ママは言った。一撃来たら前を見ろよ。昔の在かはついママの攻撃した方を見てしまっていた。一撃来たら前を見ろよ。いいか。身体は死んでも覚えていた。だから前を見る。敵を見る。いいか。一撃来たら前を見ろよ。見た。一撃来たから前を見た。ちゃあんと。

 彼女の二発目の蹴りが、在かの頭目掛けて繰り出されていた。

 一撃来たら前を見ろよ――人間、脚は二本あるだろ?

 上半身を大きくそらして避ける。在かの頭があったところに空気をえぐる蹴りが飛んでいた。
「ママじゃん!!!」
「おうママだ」
 脚越しにくる笑みが視線が変わらない。「こいつで殺せたらどうしようかと思った」彼女が蹴り終わった足を引く。そのしぐさで足が床に描く曲線がいつもうつくしくてきれいだった。

「〜〜っママだママじゃんママ何しに来たの!?」
 変わらない。変わらない。

「私をぶっ倒しても調子乗らずにちゃ〜〜んとやってるようで安心した」ママは笑い「ぞ!」かかと落としがくる。ママの攻撃は全部正面で受けると死ぬ。いや在かは死んでるけど。
「しへへ」在かはちょっと照れ臭くって笑いが出る。
 かと言って全部逃げれば追い立てられる。気付いたらママの掌の上でダンサブルにダンシングをキメることになる。だから集中して。避けても逃げてはいけない。
「お外で遊びまわってる子供の前にママが来る理由なんてひとつだろ?」
 かかと落としを前進で避けてママの背まで転がり抜けて終点で殴りかかる。
「おやつは食べ過ぎてないよ!」バック・キックで受け止められる。
 見極める必要がある。
 どれを受けて、何を避けるか。
「おいおい、叱られる心当たりあるのか?」ローキック。これはその場でジャンプして避ける。「ないない!」受けたら脚がやられるから。万が一受けたら崩れ落ちた所を鳩尾ストンプだ。間違いない。
 ママがニイと笑う「叱りに来たんじゃない」
 ――繰り出してくるのはマシンガンばりの、ハイ・キック猛連発!
 在かは爪先だけをなるべく軽く受け流しながら大きく後ろに飛び、砂埃をあげながらママには絶対に背を向けずに着地する。
 とびあがりたいほど嬉しい。
 蹴りを素早く中断したママは凛と立ち、今までの勢いでわずかに乱れた髪をさらりとかきあげて手櫛でとく。その癖も本当にそのままだ。

 在かにとって最高にうつくしい暴力と風格を持つ王者がいる。

 退かず、褪せず、朽ちず、衰えぬ。

 会えて、すごくうれしい。

 ママは何を言い出すだろう?どんな暴虐かあるいは褒め言葉かちょっとした教訓か――きれいな薄い唇。在かは少しだけ楽しみで。

「子供(ガキ)を迎えに来たんだ」

 ――喜びに、水をさされた気分だった。

「あ?」かすれきった声が出る。案の定ママは顔を顰めた。苛立つと真っ直ぐな鼻筋と小さな額にシワが寄って怒ったドーベルマンみたいになるのもそのまんまだ。「返事」在かに服従を要求する強い語調もそのままだ。

「やだ」
 そのままなのに。

 朽ちかけて穴あきの胃袋に唐辛子山ほどぶっ込まれたような、焦げ臭い痛みが腹に膨れる。
「髪の毛もバッサバサに傷んで肌も指もボロボロで目はしなびかけ。臭わないのが奇跡だな」ママが鼻を鳴らす。「潮時だ」

「ここまでだって言ってるのが聞こえないのか?」

 胃袋の穴から唐辛子が溢れて指先からつま先まで落ちてみたいに――ちりちりする。「聴こえてんよ」歯を噛み締める。力が強すぎて歯がぎち、ぎち、と短く鳴っている。

「でも、嫌だ」
 身体を低く低く屈める。力を込める。
 ママのシワが消える。怒りが加速したんだ。わかる。在かの知る彼女と、こんなにも一致しているのに。

「私をぶちのめして飛び出したんだ。
 ――力ずくで連れてかれる覚悟はあるな?」

 本気で怒るとそこだけ見えない炎がたったようになるのもそのままなのに。

「在るッ!」
 在かは吠える。

「お前をぜっっっっっっっってーーーーーーにッぶちのめす覚悟がね!!」

 とびこむ。

「私には」怒りの淵からかなしみの波打ち際から喘ぐように絞り出す。
「もう死んじゃった私には」
 バス停を、終点を、極楽を握りしめる。
「沢山の敵と戦えて、沢山の世界に行ける今が」
 ぶちのめして、そう、物理で説得して出てきたけれど、会えればやっぱり嬉しかった。何気ない挨拶が嬉しかった。
 かつての在り処が、まだそこにあったことが、いとおしかった。

「今が、楽園なんだッ!」
 そんな自分を振り払う。
 
「だからそっちは行けない」

 もう、ゆかない――『行け』ない。

 ぎっ。ママの唇から音が聞こえた気がした。ああ、ママもその噛み締める癖あったんだ。
 ママの炎が揺らいだ気がした。
 気圧されたんじゃない。
 炎にガソリンが注がれたゆらぎだ。

「あああああああぁぁああああああありぃいいいいいいいいいいいいいいいいいかああああああああああああ!!!!!!!」

 怒声、吠える。
 在かより少し深いウィキッド・グリーンを爛々輝かせて、ママが、
 ……いや。

「それに、それになァ!」
 在かも負けじと、そうこいつにだけは、響く楽園の言葉になんか屈するものかと、おのれを燃やすような覚悟で吠え返す。

「やっぱお前ママじゃねーーーよ!!!!!!!」
 ほんとうに?

 どこかの在かが聴いてくる。ほんとだよ。言い返す――言い返す。
「ママは自分が一番エラくて強いからってッ!!!!」
 ロケットみたいな飛び蹴りをあえて終点で受けて頭突きをかます。
「ママは私がワガママ言うと、大人の癖に全力で喧嘩するくらい強いんだッッッ」
 額が割れるような痛み、音。

「絶対絶対ぜええええええええええっっっったいお前の倍の倍の倍の倍の倍の倍強かった!!!!」
 それにすら負けじと言い返す。

 そうだ。
 ママは強かった。
 だからきっと迎えになんかも来ない。
 ママは強くて強くて強かったから。

 リベンジはするかもしんないけど勝った時一回ぐらいはオウジャだって認めて尊重のかけらぐらいはしてくれるから。たぶん。
 迎えに来るなんて出てった方の意思を無視するような勝手なことしないはずだ。たぶん。

 たとえ在かが、ちょっと会いたかったと思ってても。

「そんな人が誰かのルールに従って楽園に行くわけねぇだろバーーカ!!」

 笑え。
 いつかのママみたいに笑え。
 鬼歯剥き出して笑ってやれ。
 この程度で揺らがないと教えてやれ。

「ヴァーーーーーーーーーッカバカバカバカバカ偽物アンポンタン!!!!」
 そしてぶちのめせ。
 圧倒的に蹂躙しろ。

 ママが、在かにとってどんなに強いか――この自分の何倍も何倍も強くてお前なんか足元に及ばないほどなのだと偽物に教えてやるのだ。

「覚悟しろ」

 少女の緑は、若葉のようにみずみずしいかがやかしさ満ちていた。

大成功 🔵​🔵​🔵​

蔵方・ラック
言ってることや見た目がまっとうでも
この場では意味がないでありますね

今生きてるものを生かす
過去から来たものは消す、そんだけであります
あなた方はどちらなのでありますか?
腕を伸ばし、内蔵銃を突きつけて問う

過去から来たものでなくて、自分たちの邪魔もしないと言うのであれば
UCで動きを止めるに留める
そうでないならば、仕方がない
内蔵銃を熱線のものに切り替えて撃ち込んでいく
出来れば親玉っぽいのから狙いたいでありますね!

養親や、猟兵になってから出会った人たちの面影を見るかもしれないが
別人なのは分かりきっているので
ちょっと似てたなぁと思うだけ

こういう仕事は、ま、平気でありますけど特に楽しくもないでありますねぇ


リッター・ハイドン
何でも歓迎

グリモア猟兵のお兄さん、本当に、必死な顔だった。

今度は、おれが助ける番だ。

これは……普通の……人……?

いや。あいつ等は人間じゃないんだ。

どっちにしたって、武器を持って向かって来る相手に、容赦はしない。

……いや。ちがう。
出来る程。おれは強くない。

人も、ひとのようなものも。もう、散々相手にしてきた。
人の、おそろしいところも。みにくいところも。散々見てきた。
ひとがひとをころす。
ときには、血が繋がっていたって。

道を開けろ。
たんたんと。引き金を引く。

怖くないわけがない。こわいからこそ、引き金を引くのだ。

……おれは?
ひとをころし。
お前を守れなかった兄ちゃんは。
ただしいのか?

いや、俺が決めるんだ。



●“なんぴとたりとも二つの主人に仕えることは叶わない――どちらかだ。片方を愛しみ、片方を憎む”

「よろしいですか」
 蔵方・ラック(欠落の半人半機・f03721)は銃を突きつけて宣言する。
 彼らは、取り囲んで黙って聞くことしかできなかった。
 ……ひとつには、ラックのその銃口の先には少女がいることがある。
 楽園の、僕。
 ぴたりと突きつけられるそれから彼女は目を逸らしもしない。

 もうひとつには。

「動くなよ」
 リッター・ハイドン(シムーン・f29219)が機関銃をこれみよがしに見せつける。

「どうなるかはもう言わなくても分かる筈だ」
 少年二人と彼らを取り囲む人々の輪の間には――何人もの男や女が足を撃ち抜かれ無様に転がっている。銃を鳴らせば、それだけで人々は2歩、3歩と下がる。
 下手に近づけばリッターの射線が通るのはもちろんだが、ラックの非殺傷の銃による発光もある。身動きと記憶を消去され抜けたところを撃たれる。
 二人の少年は、変形義足の機動と制圧射撃と、連携、集中突破でもって――誰よりも早くこの舞台の中心にたどり着いていた。

「二つに一つでありますよ」
 ラックの声は明るく場違いなほどに透き通っている。

 すべては、ただ。

「今生きてるものは生かす――過去から来たものは消す」

 場違いなほど明るい声が、かえって一切の緊張なく。
 彼は決めたら引金を『引く』のだと伝えていた。

「あなた方はどちらなのでありますか?」
 
 この質問を彼らに問うために。

 それだけのために、二人はここまで乱暴に抜けてきていた。

 しもべが、口を開いた。

「――同じことなのよ」
 
 これにラックは額へ皺を寄せる。
「いや質問にはイエスかノーで答えて欲しいでありますよ」博士だっていつもラックにそう言う。

「ぼくときみは、同じなの」
 彼女は真っ直ぐ、ラックを見ている。

「同じ?」ラックはさらに唇をとんがらせる。

 ラックは左足を軽く引き、砂利をリッターの足に当てる。どうするであります?
 踵が1度鳴る音が帰ってくる。了解。

 …ラックとリッター、二人の共通の目的はあくまでもひとつだ。
 この少女以外のものたちがUDCであるかどうか確かめること。
 答えが人ならば記憶を消去し処置――ばけものだと言うのなら『処分』。
 そこにこのUDCの回答は関係なく、なんなら彼女を倒した後に周りに尋ねればいい話だった。
 彼女に銃を突きつけて声を出して問うたのは、その方が周りが集中してくれるからで、一定の人間は我が身可愛さに他人を差し出したりもするからだ。

「きみはそうやって、そちら側に飛び出して――可能性を探しているのでしょう?」

 ざ、と何か。
 ラックの内側がさざなむ。鳥肌が立つといった現象ではない。
 自分を構成する細胞が、一気に泡立ったような。
「何を言ってるでありますか」
 言い返す。その籠の中と同じ狂人の妄言だ。耳を貸す必要はない。

「きみはそうして飛び出してそこで生きてそうして可能性を探していて、ぼくはあの海をたゆたう子供たちだから絶対にきみのことを忘れたりしないしきみがいない喪失すら永遠だから寂しく思うけれどこうして会えて嬉しくもあるのよ」
 そう。
 その籠の中の――邪なる神を盲信する、女と同じなのだ。
「自分とは初対面でありますよ」
 足元が何か揺れるような気がする。
 蔵方・ラックはただの少年だ。そう教わっているしそう思っている。博士だってそう言うみんなだってそう扱ってくれるしデータだってそうだ。「ダイナミック人違いの可能性が大であります」だから、だから相手がちがう。向こうが何か間違っている。

「いいえ」
 UDCに偶然保護されてた孤児で日本人だ。
 それだけだ。それだけの筈だ。

「ぼくは、きみを間違えない」

 こんなところで、こんな真っ直ぐに見られる謂れはない。

「きみが、どんな姿に、なっていても――かみさまを信じたぼくたちだけは、間違えない」

 そのはずだ。

「ねえ」

 気づけば口の中がカラカラで、少女の唇から目が離せない。
 できない筈だ、と何かが叫んでいる。

“――その名をみだりに唱えてはならない”

 その先は、その音は、にんげんには、出せない、音の

“唱えるので、あれば――”

 どす、と。
 脇腹に衝撃が走った。「んごっ」ラックは思わず横目で振り返る。
 リッターと目があった。半眼の睨み気味だった。ちゃ、とわざとらしくならされた音で指示される。銃。
 ……。
 それに――それだけのやりとりに。
 そんなちっぽけな、ささやかなやりとりに――にんげんの感覚を、思い出す。

 そうとも。

「――自分は」
 声が、出せる。
 肺に、息が入る。

 ラックはそれで――さらに、自らを取り戻す。

 そうだ自分は声が出せる、声がちゃんと出せる声帯があって声がちゃんと響く口があってきちんと唇がついていて顔があって頭があって胸があって首があって気管があって肺があって腕がある。お気に入りのかっこいい義肢はもうちょっと背が伸びて筋肉がついたらさらに改造してもらおうと思っているのだ。
 だから違う。
 ぜんぜん違う。
 細胞が叫んでいる。胸のそこが吠えている。
 ちがう――もう、ちがうのだ。

 過去を、殺せ。

「――自分はッ!!UDC所属のエージェント、蔵方・ラックであります!!」

 おのれを、吠える。

「残念ながらまっっっっっったくの人違いでありますよ!!」
 彼女のことなんか知らない。彼女の言うたゆたう記憶なんか知らない。彼女が何を呟こうとしたかなんてわからない。「あとやっぱ人の話はちゃんと聞くべきでありますよ!自分の言いたいことだけ言うとかどーかと思うであります!」
 下がりかけていた銃を上げる。

 ・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「そして、あなた方はみんなUDCと言うことでありますね!!」

 なにが、そして、なのだろう?
 自分をにんげんだと吠えたのなら、同じと言われて彼らをUDCなどと叫ぶはずがなかったのに。
 そんな一瞬の奇妙さを、しかしここでは誰も考えず――流れ、とび、消える。

 ふたつにひとつ。
 今ならば生かし。
 過去ならば――処分だ。

 ラックがしもべ目掛け発砲するその瞬間。
 伏していた一人が起き上がり――ラックの腕に飛びかかる。
 見当外れの方向に飛んだ熱線が、別の女の脳みそを綺麗に焼き切った。
 そこからは、雪崩のようだった。
 殺到する。到達する。襲いかかってくる。
「んあああ数!!!数!!」垂直に飛び上がり回し蹴りをして二名の首を飛ばす。足を掴もうと伸ばされた腕に素直に掴まれてやってもう反対の足を組み替え切り落とす。「これはあれでありますよもっかい一点集中とっぱー!!」「んなこと言われても!」殴りかかられてきたのを銃で受け振り払い打ち抜きながらリッターが言い返す。ラックは割れたビール瓶で突撃してきたエプロン姿の女の首をハンマーに変形した足で蹴り飛ばし宙でひと回転、金槌を持った別の女子高生を素早く鎌形に変形した左足でかかと落としのように足を下ろして両断し、リッターの隣へ着地する――頃には。
「ごっめん、見失ったであります」
「仕方ない。これは不可抗力だ」
 少女の姿は、彼方に消えていた。
「……こういう仕事は、ま、平気ではありますけど」
 ラックはその場で軽く2、3度ジャンプをして具合を確認する。
 違和感はすでに遠い。
 大丈夫だ。全く問題ない。
「――特に楽しくもないでありますねぇ」
「そうだな」
 リッターは頷く。
「そちらさん大丈夫でありますか?」ラックはなんとはなしにリッターを横目で見る。だってほら、自分より年下っぽいし。さっきどつかれたけど。
「ああ」リッターはリロードしながら応える。
「人も、ひとのようなものも、もう。たくさん相手にしてきた」
 あれがUDCで倒すべきものであるなら。
 今まで相手にしてきたものよりも、簡単だ。
 簡単だ、とリッターは己に言い聞かせる。
「よっしゃ」ラックは明るく頷いた。「じゃあこのまま連戦続行であります!」にかっとリッターへ笑い「きつくなったら言うでありますよ!」敵の真ん中へ、飛び込んでいく。

 そうだ。リッターはその背を見送りながら引き金に指をかける。
 人も、ひとのようなものも、もう。たくさん相手にしてきた。
 ラックに当てないように気をつけながら、掃射を続ける。

 人の、恐ろしいところも。みにくいところも、たくさん見てきた。
 ひとがひとを殺す。
 ときには、血が繋がっていたって、だ。

 アポカリプスヘルにはそういうものがごまんと溢れている。
 だから。
 ・・・・・
 だから怖い。
 怖くないわけがない。

 にんげんの怖さをリッターはよく知っている。
 彼らがほとんどにんげんと変わらないけれど、UDCだというのなら、駆逐するべきだった。
 すべからく。

 容赦しない?
 いや、違う。

「容赦ができるほど」
 変形と熱線銃を駆使して踊るように暴れるラックを見ながら、リッターは呟く。
「おれは、強くない」
 ブレイク・ダンスさながらのバック・スピンで女の足と男の胴と老婆の脇腹から肩をラックが派手に切り崩していく、彼らの頭目掛けて連射する。果物が弾けるみたいに吹き飛んで血がしぶいて、蝶に変わって飛んでいく。

 人とほとんど同じUDC?

 引き金を引くことはほとんど反射に近い。
 気をつけるラックの姿だけきちんと認識しておけば大丈夫だ。
 集中する精神がささやく。

 一体どこからどこがにんげんでUDCだというのだろう。
 UDCだから。リッターはそれに返す。
 UDCだから倒さなければならない。
 過去は世界を滅ぼしてしまうというから――それは、よくわかる。過去(つみ)はいつだってうしろにいて、油断すると足首を掴むのだ。
 そしてもうひとつ。
 グリモア・ベース。送り出される前に見た。
 あのグリモア猟兵のお兄さん、本当に、必死な顔だったんだ。
 今度はおれが助ける番だと思ったんだ。

 しかし、そう――これは、正しいことなんだろうか?

 過去は世界を滅ぼしてしまうというから。
 ひとびとを殺してしまうというから。
 戦わなくてはならなくて。駆逐しなくてはならなくて。

 過去を殺せ。

 小さな少女がこっちを見ている。汚れたワンピースに、小さな果物ナイフ。
 引き金を引く。あどけない姿にも。平等に。

 引き金を引く感触は、反射は、すべき行動は、今、ゾンビや拠点同士の抗争の戦争と変わらない。
 ただここに、UDCだから、という価値が今付属しているだけのこと。

 では、過去。
 妹を殺して、ひとびとを殺した、兄ちゃんは――

 引き金を引く。
 怖いからこそ、引き金を引く。

――ただしい、のだろうか?
 
 少女がきちんと足を残してばらばらにちぎれたのを――冷えた息を吐きながら確認して

「そりゃ自分で決めることでありますよ」
 
 背後に大きな破砕音がした。
「ラック」
「イェイ」
 今まさに足元から黒い蝶を羽ばたかせながら、荒野で一際輝く果実の髪色したラックが立っていてダブルピースで笑んだ。
「え・ん・ご・しゃ・げ・き、っでありますよ!」
 あれこの場合は支援攻撃でありますかね?と彼は首を傾げる。リッターが思った以上に少女にとらわれて、どうも背中がお留守になっていたらしい。「…ありがと」埃を払いながら礼を述べる。「いえいえ!自分があの子見失った分はこれでチャラで頼むであります!」戦場とは思えない朗らかな笑みだった。
「うん」リッターは頷く。
「これで見失ったのはチャラでありますね!」ラックが顔を輝かせる。
「いやそっちじゃなくて」それは不可抗力だって言ったのに。彼の明るい調子に思わずリッターの頬が緩む。
「さっきの」
「ああ!」
 ラックはポンと手を叩いた。
「なんか正しいのか、って言ってたのが聞こえたので!」
 うん。リッターはもう一度頷く。「その」慣れない。ちょっと言いづらくて口をもごつかせた。ラックはそんなリッターの仕草を少しも不審に思わず次の言葉を待っていた。たまには最後まで人の話を聞けという博士の発言が妙に身に染みて。
 ――ああもう。リッターは思い切る。こういう時はちゃんというものだと自分の銃の先生の彼女ならきっと言うに違いないし。

「ありがとう」
「どういたしまして!」
 ラックは満面の笑みで返す。

 成否の彼岸。
 存在の定義。

「それは、おれが決めることだ」
 リッターは再び銃を構える。

 ラックはもういちど、大きく頷いた。
「でありますよ!」
 みずからのためにも。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

ヤナエ・シルヴァチカ
アドリブ歓迎

消えた新興宗教か。
奇妙な縁だ。私の街や友、家族も、ある日初めから無かったかの様に消えた。
UDC、人の理の外から蹂躙してくる災害。交渉の余地もない相手。
見逃したら更に被害が広がるのは明白だ。
抗い難いその災禍を知っている。
だから、倒す。

彼らに恨みはないけど、素人だろうが覚悟ある人間は引かない。
人。いやUDCか。…だから嫌いなんだ。
銃を構えUC発動。
まだ進むんだ。周りは燃やさないように。
恨み言でも今際の言葉でも聞くよ。
その言葉は人しか拾えないから。

楽園。狂おしい響きだ。
今は信じられる程余裕が無くなったけど。
瑞々しい少女の頃の感情は身に合わなくなったけど。
幻に見たら、ただ。謝らせて。


風見・ケイ
相手はUDCだ。市民ではない。
私は躊躇いなく、引き金を引く。
そもそも、螢のように武器を撃ち落とすことも、荊のように素手で容易く鎮圧することもできないから。

――なんて理屈を並べてみたけど、ダメだな。
私は腹が立っている。久しぶりだ。いつもは螢が代わりに怒ってくれるから。

母は、宗教団体の甘言に惑わされ『儀式』のために首を吊った。あの日もこんなビルの中だった。
邪神の言葉も、彼らの瞳も、よく似ている。

楽園?
繋がり?
私の繋がりを断ってきたのはいつもUDCじゃないか。
先輩のことだって――ああ、もういい。

ライターの火に右手を翳す。熱さも感じない腕。
結んで開いて解き放てば、ふたりよがりな連中を焼却する炎となる。



●“その眼は激しく燃ゆる炎のようであった”

 脚が。
 
 右足、左足、二本の脚が一対で、それがたくさん、ぶらさがっている。

 真っ先に思い出したのは中学生の社会科の授業で訪れた精肉工場の冷蔵庫だった。
 重たい肉は微動だにしないから吊るされているというよりは、さがっているとか、置いておかれているとか…そう、印象的には工場で下がっている分厚いビニールのカーテンに近い。あるいはひっかけられて下がっている傘。
 つまり、モノだ。
 色は白だが、紙のそれとは異なる。一切の赤みも青みもぬけ、ゴムのような黄色味を帯びている。
 足のうちどれかから(そしていくつかから)液体が滴っていたらしくてうっすらと生臭かった。首から上は鬱血しているものもあればそう変わらないものも舌を出しているものも、そうでないものもあった。縄を引っ掻いて爪を剥がしたらしいものもあったし、祈るみたいに手を組むものもあった。目玉を剥いているものも、目を閉じているものもあった。

 あの時。
 あの時、あの脚の中から『あの女』を見つけて、自分は何を思ったんだったか。
 
 風見・ケイ(星屑の夢・f14457)はふとそんなことを考えた。
 
 状況が悪い。廃ビルに狂信者ども。
 ケイの母が『教団』の甘言に乗って首を吊ったあの日を、この環境はどうしたって想起させる。

 崩しかけの壁に身を隠しつつ向こうを伺えば、こちらを目指して走ってくる男がいる。女がいる、老婆がいる、老人がいる、青年がいて、学生がいて、お粗末な武器を持って、やってきている。
 どれもこれも一般人に見えた。コンビニに出かける際に、馴染みのバーに向かう途中に、調査任務の途中に出会う、あるいは元同僚や知人たちと大差ない、どこにでも見かける人々に見えた。

 ……。
 それが、何か?

 狙い、構え。
 躊躇いなく、発砲する。
 命中。男の胸が血をしぶく。

 それは引き金を引かない理由にはならない。

 男が怯んだところを続けて、二発、三発、崩れ落ちた彼に近寄った女も撃つ。

 壁を遮蔽物にこちらへこようとする一般人の足を、腕を、腹を、胸を、そして頭を着実に打ち抜いて仕留め続ける。
 足元には淡々と薬莢が増えていく。発砲を続けリロードまでがワンセットの作業だと言わんばかりに。室内では風が通らないがゆえに硝煙の匂いだけが濃くなっていく。
 相手は市民ではなく、UDCだ。

 躊躇いはない。忌避感もない。
 どころか。

「ダメだな」
 
 ひとりごちる。苦い笑みを口元に浮かべて。

「さあ、聞こうか」
 その後ろでヤナエ・シルヴァチカ(forget-me-not・f28944)は静かな声を出した。
 気怠げな中に真剣の混ざる、冴えた音だった。

 ヤナエの目の前には、死にかけの女と、男が転がっていた。
 男は気絶している。女は腹部と胸部に銃創。「えう、う…」口と鼻から出血は夥しいがすぐ死ぬほどではない。ヤナエも知っているアパレルブランドの夏服は女を何度かひっくり返して検分したせいで銃創からの血ですっかりお粗末なありさまだ。
「こっちを見るんだ」
 ヤナエは女のそばに転がした男の髪を掴んでむかせる。女に顔がわかるように。

「お前のそばにいた男だ――彼に見覚えはないかな?」
 女は血塗れの顔を歪める。「君の教団が巻き込んだ人?」
「な゛ぁ、に゛…?」虚偽のない困惑だった。
 ヤナエの意図を、女は明らかに意味を理解してなかった。
「だろうね」
 こめかみにChesed、ハンドガンを突きつけて
「それでいい――そして最悪だ」
 発砲。慈悲を。

「件の団体『以外』の人間型UDCが大多数混在してる」

 蝶と変わった女を尻目にヤナエはケイと並び銃を構えた。

「やっぱり、ですか」ケイはヤナエが参戦したことで軽く息をつく。「やっぱり、だね」
「ま、チェック入れたのは数組だから――不確実かもって言われちゃぐうの音も出ないけどね」
 ヤナエはテンポ良く引き金を引き続けつつもだらしなく笑った。
「それ以外の証拠もありますよ」
 発砲。
「えっほんと?」ヤナエは思わず隣を見た。「ええ」ケイは前を見たまま応える。
「先程別の猟兵の戦闘を見かけましたが――なんていうかな」
 ケイはヤナエに胸を撃たれて喘ぐ老人の眼球を続けてショット。弾切れ。「取り囲むやつらの佇まいが明らかに異なりました」すかさず身をかがめ、空薬莢を抜き「貧民街、みたいな」次をリロード。
 そのままケイが身を乗り出すと撃ち続けていたヤナエが下がる。「いつのまに」グリップのスイッチを押して弾倉を排出。「つい今先ほど」「そりゃ朗報だね」リロード。
「件の少女の団体は慈善事業なんかしてなかったはずだ」
 構え――再び発砲。「もちろん、そっち方面への布教もね」
 ケイはちらりと隣のヤナエを見た。「お詳しいですね」
「たまたまだよ」ヤナエは涼やかな顔のままだ。

「『消えた』新興宗教ってのに興味があってね」

 硝煙はだいぶ濃く、軽く鼻を刺激するほどになっていたそれを払うかのようにふっと軽く息を吹く。

 そう。
 まるで煙でも払ったように。
 まるで煙でも払ったように、だ。
 ヤナエの故郷はあっさり消えた。

 両親も友達も。
 両親も、友達も、いつもの道もお隣さんも向かいの若夫婦も戻ってきたばかりの娘が継いだ馴染みの店もどこか偉ぶっていて入りづらかった店も好きな本が入荷する予定だった老婆がいつもカウンターに座る本屋も触らせてくれないかぎ尻尾の猫も誰にでもすぐ飛びつくちいさな犬もそれを追いかけてくる飼い主もいつも誰かにぶつかりそうになりながら大荷物でせかせか歩く中年の男もヤナエを慕っていた少女も少女に気があるらしくいつも来る少年も気に入りの場所も今年は新しい芽が出ていたヒヤシンスも見上げた家も毎週決まった曜日に出されるコーヒーとパンの露店も落とした小銭が挟まってそのままの側溝脇の指が届かないちいさな溝と石畳の隙間もそこにしぶとく生え出していたシロツメクサもよくその先を思い描いた道も。

 まるで煙でも払ったように。
 はじめから、なかったように――消えた。
 …UDCの災禍のひとつ。
 記録にも残っている。A4の薄いファイルひとつに収まってしまうような事件として。

 だが、あれはヤナエにとっては死んで起き上がって尚足らぬ、喪失だった。
 あんなにも抗い難い災厄だったというのに。

 『あれ』はいったいどういった本質のものだったのか。
 『あのとき』いったいどうすれば良かったのか。
 『これから』いったいどうすれば良いのか。

 その解を求めての、足掛かりの一つとして知りはしていた情報のひとつ、だったのだが。

「まさかこんなところで行き合うとは思わなかった」
 ヤナエは、べ、と小さく舌を出す。
 かったるげな表情は変わらず、それがやけにちぐはぐな態度だった。「奇妙な縁だよね」
「…ちなみに今回の女自体は?」
「教団員だね、件の模様の入ったペンダントを所持してた」
 ケイのみならずヤナエまでも攻撃に回ったからだろう。
 一度人々の殺到が止む。
 ヤナエやケイと同じように遮蔽物に身を隠し――声がする。
 
 頼むよ、頼むよ、猟兵。
 お願い、お願いだよ、引いてくれ。諦めてくれ。

「誰が」ケイの唇が思わず声を吐き出す。
「それは、同感だな」ヤナエが飄々と返す。

「見逃したら更に被害が広がるのは明白だ」

 そんなんじゃない。

 ヤナエの言葉にケイは反論したくなるのを堪える。
 そして認識する――やっぱり自分は、腹を立てている。
 …本当であれば『風見・ケイ』はこの場でもっと迅速に敵を駆逐できる。
 今ここで動く主人格の慧(かのじょ)ではなく――例えば螢ならば武器を撃ち落とし戦意を挫いていただろし、あるいは荊ならば銃など使わず身ひとつで飛び込み素手で鎮圧できていただろう。
 それでもここに慧がいて、銃を握っているのは。
 まぶたを閉じ、軽く天を仰いで息を吐く。

 もう一度、呼びかけが行われる。
 頼む、どうか、おねがい。

 ただ、幸せになりたいだけ。
 こんなところじゃない――楽園に。

 ヤナエも、ケイも。
 答えるほどのやさしさも、ゆるしも、持ってなどいなかった。

 しばし、糸を張ったような沈黙があり。
「動く」
 ヤナエの呟きとほぼ同時に――

 せえーのっ!
 
 ――間の抜けたような声が上がった。
 二人は撃つべく同時に遮蔽物より体を出し――

「これだから――覚悟のある人間は」
 ヤナエが荒く毒づいた。


 遮蔽物から転がり出すように出てきたのは、数人の男だった。

 ケイはすかさず連続で発砲する。ヤナエも続く。
 彼らの先頭の男は、非常に割腹の良い男だった。
 彼と、彼の後ろにまた二人別の男が並んで、その後ろにさらに人が続いている。

「人。いやUDCか」

 肉壁だ。

「…だから嫌いなんだ」

 同胞を銃のための盾にして、
 倒れたのならその体が死体となって消えるまで前進して
 消えたのなら次のものを盾にして

 誰か一人でも届かんと――文字通り一丸となってこようという、そういう『群れ』だった。

 絵面としては、滑稽だろう。
 人間の取る手としては、最悪だろう。

「そこまでして――楽園を夢見てるのか」

 血を吐くようにヤナエはこぼしながら銃を持ち替える。ショットガンへ。
 
「ええ、そうですよ」
 ケイの胸底で、あの日に置いてきた感情がちりりと熱をもって煙を焚き始める。
 舌先にありもしない苦味を覚える。
 仲間を肉壁にして進んでくる奴らの、瞳を見る。

「そういう奴らなんです」

 ああ、よく、似ている。
 いや。

“あながたは――それを見る”。

 ケイの脳裏に――あの脚たちが、ぶらりと揺れた気がした。
 ヤナエの脳裏で――故郷の消えた、空虚に響く風がなる。
 
「これ、さぁ」
 ヤナエがショットガンを発砲する。
 一人めの肉壁の男の首と右腕が思い切り飛んで、右舷の男の脇腹が吹っ飛んで、しかしそれでもやってくる。

「『感染型』UDCの、事件、だったよね」

 二発目。団体が停止、次の肉壁が前に出てくる。
 ああ、顔が、そいつの顔が、ヤナエの故郷の、あの、馴染みの店の、店主の顔に見える。
 頭を吹き飛ばす。
「ええ、そして」
 飛び散る脳髄を受けてもこっちを見てくる男はあのビルの中で、ケイの母と首を吊っていた男に似ている。

「噂の要素でもって大量発生しているUDCは、噂の式に織り込まれたモチーフから現れたものだろう――というところでしたね」

 ケイはそれの右目を撃ち抜く。
 首をありえない方向に曲げた男を肉壁の一つに、奴らはまた一歩前進してくる。
 
 ケイの手が震えている。
 恐怖ではない――怒りだ。

「彼らはどこから来たと思います?」

「UDCなら、骸の海だろうね」

 また一発――ヤナエはショットガンを撃つ。

「もしかしてだけどさあ、私たちは違うけど同じようなものを見ているんじゃないかな」
「おそらく、そうです」
 足首までしかなかった水が、胸元まで――首まで、口元まで上がっていたかのような圧迫感。

「誰から何が――どこへどう感染してるんだろうね」
「考えたくもありませんね、今は」

 三発目の衝撃で、彼らが停止する。

「作戦変更だ」ヤナエは心底忌々しげに呟く。「本当はもうちょっと情報を引き出したかったんだけどな」
「ええ」ケイもまた、銃をしまい、ライターを取り出す。

「灼こう」

 猟兵。
 肉壁の向こうから、少女の声がする。

 お願いだ、お願い、猟兵。
 どうか、どうか。
 わたしは、ぼくたちは、おれたちは。
 ただ――――…つながっていたいだけ。
 幸せな、楽園にいたいと願った、だけ。

「楽園?」ケイの声に怒気が弾ける。「繋がり?」
 久しぶりの怒りに唇が歪む。
「私の繋がりを断ってきたのはいつもUDCじゃないか」
 いつも螢が担ってくれるそれをたっぷりと味わう。
 カチン、ケイの手の中で鈍い音がする。「勝手だ、あなたたちは勝手だ、いつだって勝手だ」
 ライター。灯した小さな火に右手をかざす――熱の感じない腕。
 そうだ。あなたたちはいつもそうだ。腕はまだいい。だけど。
 せんぱい。
 先輩の、ことだって。
「ああ――もういい」
 炎を、握る。

「楽園、ね。狂おしい響きだ」
 ヤナエもまた唸るように笑う。「素敵な夢なんだろうね、それは」
「だけど、私はまだ進むんだ」

「「だから」」

「「断る」」

 ヤナエのショットガンから、弾丸が放たれる。
 弾丸は彼らのうちの誰かに当たり――燃え上がる。
 肉壁を買って出た誰かは崩れ、蝶とかわる。
 『燃料』がなくなれば、炎は通常消えるだろう。
 しかし、それは彼女のユーベル・コード。

 煙躁(ダムラング)。
 炎は絶えることはなく、そのまま柱のように立ち続ける。
 異常に気付いた誰かが、一度撤退しようと身を翻る。

「逃さないよ」ヤナエは静かに吐き出す。炎は揺らぎ揺らいで揺らがせる。
 霞のように、彼らの認識をぼやかし――転倒させる、身動きを戸惑わせる。
 広がったおしまい。
 黄昏のように。

「もう、なにも渡すもんか」
 ケイが右手を開けば、結んだ拳を開いて、解き放てば。
 小さな焔は大きなうねりとなって前方を、敵を。
 自分たちだけでも楽園に行こうと画策した二人よがりどもを。
 ああ、怒っていたな、と思う。確かに怒っていた。怒っている。
 二人よがりどもに?
 それだけでは、多分、ない。


 包み――焼き払う。
 
 かくしてすべては灰に返っていく。
 熱に踊り苦悶にうねり、抗おうとして、勝てない。

 その踊りを見ながら、ヤナエは耳をすます。
 苦悶を探した。悲痛を探した。恨みを探した。
 わからないわけじゃない――故郷に。あの日々に、帰れるとしたら。
 それはたしかに希望だろう。
 楽園が信じられるわけではない。
 おそらく隣のケイだってそうだろう。
 そんな瑞々しい少女の感情はもう身に合わない。

 前にしか進めないのだ――味わった喪失と苦痛を抱えるしかない。

「ごめんね」

 夕暮れより明るい、鮮やかな黄昏だった。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

辻森・朝霏
血縁に依らない関係、ね……
ねえ?
ひそり、“彼”へと語りかける
……ええ。“おもしろそう”ね

猟兵の動きや空気を読んで、
邪魔せぬように目立たぬ位置へ
終始“言わざる”を貫くわ

地獄のような光景には
無難に表情曇らせたりして
コードは多くが使わぬならば
私も控えて戦闘を
ナイフの師匠は彼だもの
そこまで苦戦はしないはず

人を唆す悪魔って、あなたみたい
でも、賭けに乗る神さまも神サマよね
勝つ自信があったのかしら
もし、僅かにでも愉しんでのことなら――

こうふくの最上でとまったら
それはしあわせなのでしょう
でもヒトって愚かだから
何れ満足できなくなる
最上にするなら、死ぬしかないの

それとも最初から、そういう意味かしら
彼と交わす内緒話



●“ひとはその隣人を欺き、真の実なるを語らない”

 苦悩、を。

 目の前の、惨憺たる猟兵たちと限りなく人に似た過去どものとの戦闘に
 もはや一方的な蹂躙に等しい絶叫が響く中多くの猟兵が苦悩しながら行う光景に

 辻森・朝霏は。

 辛苦を、苦痛を
 心痛を悲痛を悲哀を哀惜を哀悼を
 追悼を思案を思慮を憂慮を煩慮を煩悶を懊悩を悩乱を
 
 抱いて、いる

 『ふり』を、

 している。

 眉ひとつでうごかすだけ。首をすこうし傾けるだけ。
 それで十分だ。

 よく櫛削られた金髪は朝霏の動きにさらさら揺れる。

 猟兵の多くは悲劇に心を痛め、苦悩している。
 程度の違いこそあれど――辛苦を負う人間の表情は皆同じ。

 だから同じように憂いを表せば。

 誰も、誰も。

――血縁に依らない関係、ね。

 夕暮れがにじみ夜の足音がする憂いた夕藍落ちる顔のその奥に。
 だあれも、その憂いの仮面の奥に笑う赤い唇があるなどとは気づかない。

 もちろん実際に微笑んでいるわけではない。
 朝霏の唇はきちんと真っ直ぐに結ばれている。そんな初歩の初歩みたいなヘマは、しない。
 自分がどう見られるかどう見えるかをきちんとわかっている。
 いや、わかっているのではない。
 自分の容姿から生まれから育ちから立場から、『外見』を作り上げたものだ。
 だからどう振るまうべきかもわかっていて、その通りに振るまえる。
 美しいかんばせの奥を誰も知らない。
 ましてや

――ねえ?

 暗闇のおくで、笑む朝霏はそっと声かける。
 返答は、くつくつと笑い声。
 小ぶりでシックなアンティークのソファに『彼』が座っている。
 声に朝霏は笑みをさらに深める。ええ。頷く。
――ええ、『おもしろそう』ね。
 
 ましてや彼女の内側に、もう一人いることなんて、いったい誰が知るだろう。

 きちんと憂いが表せたのなら、あとは、ひとつ。
 余計なことを語らないこと――口をつぐむことだ。

――そう。口をつぐむの。
 
 なぜなら。
『See No Evil.』
 朝霏はその言葉をなぞる。聞いた。確かに聞いた。
ありふれた、誰だって知っている言葉。
 『そう』言われるのなら、先んじて沈黙するべきだろう。
 でも日本なら英語では知られていないのかもしれない。
 まるで紳士の戒律。一体なんのメッセージだと言うのか。
 
 憂いの奥の暗闇で、いっぱいの大窓、映る朝霏の視界に広がる光景の前で。
 『彼』はすらりと細身の長い足を組み変える。

――本当の『忠告』なのかもしれないね。

 ふふ、ふ。暗闇の中の朝霏は口元に手を当てて笑う。
 女学校で躾ではない。とうとう吹き出した思いを封じようという、悪戯っぽい仕草。

――オブリビオンなのに?

 ふふ、ふ。彼も同じように笑う。
 二人、まるきりいたずらめいて残酷に満ちた甘い笑い。

 朝霏と『彼』は、ある可能性に思い当たっていた。
 人差し指をたて『彼』は自身の唇にあてる。

――まだ確定ではないからね。

 可能性に気づいているのは、おそらくこの場で朝霏と彼だけだ。
 もしこれを誰かに告げたのなら、或いは何か状況のひとつも変わるのかもしれない。
 だが

――では、やっぱり私はこれを『言わざる』を貫かなくてはね? 

 しかし他の猟兵に言うつもりは『まだ』、さらさらなかった。

 胸の内では口元綻ばせ眼を細め。緩やかな会話に興じ。
 残酷を秘するいたずらを味わいながら。
 憂いた顔のまま、ナイフを振るう。
 朝霏のあゆみに制服のスカート、プリーツが広がり、翻る。
 
 朝霏は全部わかって計算ずくでどう振る舞うかもわかっていて、その通りに振る舞っている。
 ほんの少しの乱れもない。
 だから。
 誰も、誰も、誰も。
 だあれも、そのナイフが少女が振るうものにしてはやけに的確に命を殺めていることに気づかない。

 ぱち、ぱち、ぱち。
 暗闇で『彼』の拍手が響く。

 見覚えのある制服を着た少女が小さい女の子の手を握ったまま眼を見開いてこちらを見てくる。
 それはそうだろう。
 突然手を握っていた子が崩れ落ちたら誰だって振り返るだろう。
 その子の首がありえないところからぐらりと開いていたら誰だって動けなくなって相手をまじまじと見てしまうだろう。

 朝霏の制服には一滴の血もついていない。
 腕の一振りに合わせて舞う金髪が夕日にきらきら光る。
 そしてそれより強く、ナイフがひかる――『彼』が朝霏に教えた通りの動き。

 この制服を見たのは、先月の他校合同弁論大会だったかしら。
 それともこの間の、吹奏楽合同演奏会?
 
 そんな他愛無いことを考えながらでも、いのちひとつ、簡単に切り落とせる、動き。

 はずみ、床に転がる体ひとつ、目の前に転がって蝶と飛ぶ。

 位置は常に他の猟兵から距離を空けて。顔は常に悲痛や苦悩で僅かに彩らせて。
 朝霏は視界、人びとの向こうに隠れた小さな影を認める。
 追いはしない。
 何より忘れてはならないのは、心がけだから。
 目立たないように。欲張ってそんなはしたないまねはしないこと。

 だから維持する余裕で、暗闇のおくで。
 朝霏は再び『彼』に語りかける。

――人を唆す悪魔って、あなたみたい。

 彼はうすい笑みのまま小洒落た仕草で小首を傾げる。
 朝霏の言わんとすることを理解しながらあえてとぼけてみせる。

――でも、賭けに乗る神さまも神サマよね。
 
 こんなささやかな『玩具』でいったい何ができると思ったのか。

――勝つ自信があったのかしら。

 『彼』は薄い笑みを浮かべてイエスもノーの答えない。
 『彼』もまた朝霏に対してクイズのように『言わざる』を貫いているようだった。
 朝霏は形だけ少しむくれてみせる。もう。
 その実、どんな回答が見えるのかを楽しみにしながら。
 
 こんなちっぽけな『人形』たちでいったい何をするつもりだったのか。
 それとも今回の事件もただの遊戯に過ぎないのだろうか。
 はたまたこんなことの中に目的が別にあるのだろうか?

――もし、僅かにでも、愉しんでのことなら――

 死の吹き荒れる中を。悲鳴の庭を。苦痛の園を。
 朝霏は、悲痛の仮面つけ心だけは伸びやかに散歩する。

―――こうふくの最上でとまったら、それはしあわせなのでしょう。
 
 あちこちから血の匂いがして。肉の焦げる匂いがして。
 おおよそ人間が立てない音がして。重たいものが次々転がる音がして。
 平和とはかけ離れた絵。

――でもヒトって愚かだから。

 楽しい。

――何れ満足できなくなる。

 できれば、もう少し、と朝霏だって思う。
 それをするかどうかは別として。

――こうふくを最上にするなら、

 楽しい。楽しい。
 常日頃語られる楽園とかけ離れた園の中。

――死ぬしかないの。

 ねえ。『彼』に問う。
 『彼』は笑んでいる。ずっとずっと笑んでいる。

――どう思う?

 いったいここまでのことが、なんのための行為なのか。

――それとも最初から、『そういう』意味かしら?

 とても、楽しい。
 わくわく、する。

大成功 🔵​🔵​🔵​

ロニ・グィー
アドリブ・連携・絡みも歓迎!

●かちかちと音がする
うーん……
思ってた以上に、響かない
退屈だ
眠い

キミたちは魂っていう乗り物をなくした傀なんだね
もう何にも創れない、もうどこにも行けない
生きてさえいたなら、君たちがどんなに悪い子でも……
もっと楽しめるのに、心躍ったろうに
そう思えば……少し残念かな?

かちかちと音が鳴っている
ボクの退屈を紛らわそうとして、影を伝って部屋のそこらじゅうに潜んでる[餓鬼球]くんたちがかちかちと歯を鳴らしてる
じゃあそうしようか

食べていいよ
先制攻撃だ!
この上説法なんて聴かされたら本当に寝ちゃうからね!
UCでドーンッ!

おやすみ
百年たったら、帰っておいで!
そのときは寝ないで聞いてあげる


朱酉・逢真
心情)こんにちは、地獄。居心地がいいねえ。みィんな《過去》かい。そいつァ重畳、ひと安心さ。過去の"いのち"を奪う技を使うことにためらいなんざねェとも。朱酉・逢真は《猟兵》だからなァ。ひ、ひ。《大事》な関係なんざたったひとつで、その関係の名を《怨敵》というのさ。居ても殺す。
行動)難しいことなんざなァんにもないさ。起きろパズ坊。お前のかわいいたっくさんのちびたちを、腐れ風に乗せて送りこみな。俺を誰だと思っていやがる。《病毒(*おれ)》以上の人殺しなんざ、“いのち"の中にゃアいやしねえ。滅びは俺の仕事だよゥ。…ああ、女子高生ふたりは襲うなよ。滅ぼすためにァ発生源を聞きださにゃアならんからなァ。



●“うちに響くは暴力と破壊の音。私の前には常に病と傷がある ”

 楽園について語る声がする。

 とうとうと延々と長々と病めることも傷つくことも狂うことも違うことも誤ることも損なわれることもない永遠と無限について語っている。不変たる最上のこうふく。高らかな声で伸びやかに歌うように叫ぶように吠えるように乱れるように喋り続けている、その、隙間に。

 かちかちかち…。
 かりかりかり…。

 音がする。

「んー…」
 ピンク髪に眼帯の少年が唇をとんがらせ、右目をなんどもなんどもこする。左目は眼帯をしている。かちかちかち「だめだ…」かりかりかり間隔はどんどん短くなってほとんど閉じるばかりになる。「むり…」…かちかちかち…「眠い…」…かりかりかり…。

「そんなにかィ」
 隣に立つのは黒髪の男だ。
 不健康な白さの肌。黒いスラックスに下駄を突っ掛け肩には紫苑に鬼百合の羽織り。
 赤い目を細めて愉快げに歪めた唇からひ、ひ、ひと笑った。
「えー…」眠い眠いといいながら少年は男の笑い声を拾った。「ならない?」「そン前に聞く気がねェのさ」「ええー…そーゆーもん…?」

 かちかち。
 どこからが音がなる度少年がはっとまぶたを持ち上げるもすぐにまた降りていく。
「そんなになってまで聴くほどの話かねェ」
 男はそんな少年のさまを愉快そうにながめている。
「いや…もうちょっとさ、なんかこう…くると思ってたんだよ」
 少年は閉じたまぶたを開けようと格闘しつつ両手で宙に何かしがの縦曲線を描く。「やっぱりほら…楽園て言われたら…ホラ…」その間にもささやかにかちかち、と音が鳴っている。

「ボクたち神としてはちょっとなに喋るのかなって思うじゃない…」

 少年の名はロニ・グィー(神のバーバリアン・f19016)。

「思った以上に、響かない」

 かつて万全であったもの。
 今はその、何割かの権現。

「俺ァ楽園より地獄派でねェ」

 ひょうひょう答える男の名は朱酉・逢真(朱ノ鳥・f16930)。
 分たれたる大極の陰。
 凶ツ星。
 あらゆる厭いを司りあらゆる禍の真中に座るもの。

 かちかちかち。かりかりかり。
 …段々と大きくなる音がある。

「なるー…」眠気に口元をもごつかせつつ「じゃあボクとはあんまり相性良くない系?」ひょろ、と「とりあえず慈悲で距離あけとくね」逢真から一歩離れる。
「そいつァお気遣いどうもどうも」
 逢真は愉快そうに本当に愉快そうに笑うだけだ。

 かちかちかち。かりかりかり。
「まあ今日ばっかりはそこまで気にしないでくれ」
 なにか小さい石を細かく軽くぶつけ合うような音だ。
 喋る声の隙間に聞こえる程度だった音は今やぢいぢいと聞こえるほどに膨れ上がっている。

「なんせここは」
 楽園を叫んでいる声がする。
 楽園を否という声がある。

「今この上なく地獄だ」
 阿鼻叫喚。

「居心地のいいのなンの、具合のいいのなンの…まったくまったく重畳さァ」

 ばら撒かれる肉、溢れ吹き乱れる血、踊り散る骨、叫び。

 殺めることに躊躇う魂がある。
 殺められることを厭う咆哮がある。

 それでも振りまかねばならない死があり、そうして詰まれる行為があり。
 そうして積まれる業がある。

「楽しそー」「ひひひ」
 逢真の笑いに合わせて長いおさげが蠍の尻尾に似てくねる。声を引っ込めて尚喉奥を鳴らす、笑い。

「それで?」逢真は笑いを笑みにまで抑えてロニを見た。「んうー?」

 かちかちかち。かりかりかり。
 音はいったいどこからするのだろう。

「どうだぃ?楽園を説くお言葉とやらは」

 かちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかち。

「キミがくらってない時点でそんなん明らかじゃない」

 かりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかり。

「0点」

 笑いも嗤いも好意も嫌悪も好奇も憎悪も快も不快もない。
 なにもないのっぺりとした無表情で、ロニは審判を下す。

 かちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかち。

「退屈だ」

 冷徹ですらない。残酷ですらある。

「左様で」
 くっくっく。
 逢真のひそやかな笑いは、笑いだというのにまったく情らしい情のない、どこにでもある暗がりに聴く似ていた。
 
 音がしている。

「じゃまァ、もういいかね?」
 逢真はやや猫背気味だった背を軽く伸ばす。
「うん」ロニは無垢な少年そのままに首を縦に振った。

 かちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかち。

 部屋そこらじゅうの暗闇から。

「付き合ってくれてありがとね」

 かりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかり。

 そこな場所問わず落ちる影から。

「どういたしまして」

 闇から闇、影から影へと伝わって、増えて踊って待っている。「じゃ、そうしようか」ロニは逢真以外の何かに向かって肯く。

「おまたせ、餓鬼球くん」ロニは甘やかに声をかける。

「起きなパズ坊」逢真がからりと下駄を鳴らす。

 音が、止んだ。
 
「キミたちの音の方がよっぽど聴きがいがあったよ」
 ひかりが残虐に笑い

「お前のかわいいたっくさんのちびたちを、腐れ風に乗せて送りこみな」
 くらやみが輝かしく笑った。

 嗚呼。

「食べていいよ」

 影から無数の牙の口もてる球が溢れ。
 かちかちかち!牙噛み合わせ。

「行ってこい」

 闇から喰うもの問わぬ蝗が、風と共に前見ることも叶わぬほど噴き出でる。
 かりかりかり――歯を鳴らし。

 かくて神よりの残虐は振る舞われる。



 掌ほどから子供の頭ほどまで大小様々な球が無数に宙を飛び回る。
 彼らに一切の障害物は意味をなさない。人間のあたまも腹もうでも手首も足も床も柱も落ちてきた石も彼らが通れば彼らのかたちの穴が開く。

 その隙間をぬって、あかるい、春の花色した髪のこどもがかけていく。

“其れが故、その日が来る。”

 大人と子供のあいだ。
 ロニは柔らかな肢体をいきいき、ふるまい、伸ばして――

 かれが拳をひと振りすれば痛みに呻くものたちが一斉にぺしゃんこになって赤い大輪の花が咲いたようになる。血と肉と骨の間に間に彼らを偲ばす衣類の切れっ端が色とりどり見えて、花弁の中のめしべかおしべのようだ。

 つまんないなあ。

 焦げたカラメルが駄目になっていく時のような匂いが鼻の奥に匂う気がした。
 相手が弱いことにではない。暴力はたのしい。圧倒的な力で蹂躙することはたのしい。
 でも、これは。
 
 ――殺す。

「ねえ」
 ロニは足を止めて問うた。
「楽園はどうだった?」
 ぼたぼたと涙をこぼし鼻水まで垂らし今し方右腕が吹き飛んで転がって血をしぶいているのにそれでも武器を拾って―それがチャチなナイフなのだ―左手で握って睨みつけてくる、ロニの外見と同じか少し下くらいの、少年。
「なに…?」
 かれを選んだ理由なんかない。「おいしいものは食べた?」誰でもよかったし誰でも同じだったろう。「たのしいことはした?」だってみんな同じ強い願いの光を宿しているから。「気持ちいいことはあった?」宙から降りてかれと同じ地平に立って真っ直ぐ訊ねる。
「なに?」少年の動揺の顔!素敵なことはあった?「なんだよ?」いいことは?わくわくするようなことは?「なんなんだよ」面白くてげらげら笑っちゃうようなことは?「聞いてどうするんだよ」身悶えするほどのよろこびは?だれかを思い切り抱きしめたくてしょうがないようなことは?「なんだよ!」思わず叫んでガッツポーズしちゃうようなことは?「なんなんだよ!?」飛び出してって踊り回りたくなるようなことは?

 ああしあわせだって、明日を想うようなことは?

「――…」

「ないんでしょ」
 ロニは告げる。笑みも何もない無表情で。
「なんにもない。なんにもなかった」
「ッあったッ!」
 少年が叫ぶ。「あった!もうこれで大丈夫だって」諾々と真っ赤にシャツを染めながら叫ぶ。「もうこれでいいんだってもう心配ないんだって」

「ようやくかみさまが助けてくれたって、思ったんだッ!」
 ――。

「そしてなにもない」
 少年が詰まる。
「その一瞬のやすらぎ」ロニは近づく。「――…いや、やすらぎですらないよね」

「やすらぎをねがう気持ちで、そこで、おしまい」
 少年の、見開いた目から涙が、とまる。

 つまらない理由。

「キミたちは魂っていう乗り物をなくした傀なんだね」

 あと少しの距離を上げて立ち止まる。

「ちがう」
「もう何にも創れない」「違う」
「もうどこにも行けない」「違うッ!」
 希望だけを抱いてとまったものたち。
「どうちがうの?――楽園にいるんでしょ?」

「何もない、楽園に」

 少年がなにごとかをめちゃくちゃに叫びながらロニへ切り掛かってくる。

 恐れない勇敢よ。
 理屈はわからない。しかし確信していた――全ては虚無だ。お人形。
 なまなましい、まがいもの。
「あーあ」ロニは心の底からため息をつく。
 あえて少年の目の前であえて紙一重で、避ける。
「生きてさえいたのなら、君たちがどんなに悪い子でも……」
 最小の動きで右腕の血すら完璧に避けて見せる。
「もっと楽しめるのに」
 不屈の魂はどんなにまぶしかったろう。
「心躍ったろうに」
 交わす言葉はどんな響きで帰ってきたろう。
「そう思えば」
 ロニは軽く右腕を引く。
 かれはそこでこの鏖殺のなか初めて表情らしい表情を見せた。
 
「……少し、残念かな?」
 彼にしては妙におとなびて痛みを伴う、苦笑いだった。

「おやすみ」
 輝きの一撃の向こうから少年へロニは満面に微笑んでやる。

「百年経ったら帰っておいで!」

 サービス半分。

「そのときは寝ないで聞いてあげる」

 慈しみ、半分。

 神威は放たれる。
 少年の身体はちりも残らない。
 舞い上がった光の中に黒い蝶が一匹、いたような気がした。



「おー」
 少々離れた神撃に目を細めながら逢真は本気だか冗談だかわからない調子で「やっぱ距離置いといてもらって正解だったかも知れんなァ」嘯いた。

 飛び回るロニとは対照的に逢真はゆっくりと歩いている。
 熱風が前髪を揺らした。

 その周りで、悲鳴がする。ああとかぎゃあとかあああとかどれもこれも意味をなさない音だ。苦痛に悶えて耐えきれずちぎれた腹の底からくり抜かれた肺のうちから破られた喉の中から出せる限りにただただ出されるだけの音だ。
 逢真の周囲から向こう、熱風が吹いている。激しい風ではない。蒸した夜に蠢くような、風というより空気の動きというような、静かでいて不気味な、ぬらり、とした風だ。

 ロニから逃げることに気を取られていた男が風に気付いて振り返り――

 ひ、ひひ、と逢真は笑う。

「しんどい、つらい?大変な事件、ひひ」

――顔に無数の水泡が浮かぶ。
 熟して熟して朽ちかけのような苺くらいだったそれが林檎ほどになり弾ける。血ではない汁をぼたぼた垂らしながら顔面を覆い悶え苦しんで地面を転がるその上を風がもうひと撫ですれば首も手も足首も見る間に同じような水泡ができて弾けとろけむせるような饐えた匂いを撒き散らし異臭に振り返った老人の目が突然膨れてはじけ飛ぶ。
 男の悲鳴に気付いた女がやってきてさらに風がひと撫ですれば女は突然むせて止まらぬ咳と変わり喀血を始めすぐに口から血と肉の塊を吐き出してそのまま胸がとけていく。呼吸が途切れ途切れびょうびょうと鳴り――止まった。

「俺を誰だと思っていやがる」
 逢真のあゆみは緩やかだが止まらない。

 風が撫でる。
 女の足の皮膚が腐りとろけて筋肉が剥き出しになって耐えきれずぶちぶちときれていく。

 言葉のない、音でしかない声が逢真の周りで響いている。
 嘆き。苦しみに呻き。呪い。厭い。
 逢真はそれを心の底から涼しげに――笑みにはロニと会話していた時よりも快さすら滲ませて、聴いている。

「《病毒(*おれ)》以上の人殺しなんざ、“いのち"の中にゃアいやしねえ。
 ――こんな戦い、この上ない大天命だ」

 いつもの笑みのままただただ歩む。

「しかもみィんな《過去》とくらそいつァ重畳、ひと安心ってもんだ」

 風が撫ぜる。

「過去の"いのち"を奪う技を使うことにためらいなんざちぃとも湧きゃあしねェとも」

 熱波が子供の半分衣類と肌を焼き切って腐らせていく。

「皆々平等、滅ぼしてやるよゥ、《過去》ども。ひ、ひ、ひ」

 風が撫ぜる。

「朱酉・逢真は《猟兵》だからなァ。ひ、ひ」

 女の肉がとろけて溢れ始めて骨が砕ける。
 まだほんの少しだがひとより膨らんだ腹が内の水に耐えきれず破裂して、嗚呼。

「なんせ滅びは俺の仕事だよゥ」

 ぶうん、ぶうんと風に乗って蝗が飛ぶ。

「安心しろ、ちゃあんと滅ぼしてやるから」

 男の脇腹を失って折れた体からはみ出す腸に老婆の半分に割れて残った目玉とこぼれた脳に悶えて転がる溶けた少女だった肉に足が崩れて呻くばかりで立てぬおんなに逃げ切ってまだ無事な少年の首筋に喀血にむせぶいもうとの口の中に飛び込んでいもうとを後ろに庇う兄の右頬に

 蝗が、かぶりつく。

「滅ぼして滅ぼして滅ぼし尽くしてやろうなァ」

 病ごと肉を食い骨を平らげ血を舐め尽くして飛び回る。
 病に悶え苦しみ喘いでそれでも争う最後の芽を食っていく。
 砂嵐のような蝗が死の語り部の顔して暴食を謳歌する。

「ああ、女子高生ふたりは襲うなよ。滅ぼすためにァ発生源を聞きださにゃアならんからなァ」
 
 床でぐずぐずに膨れて崩れて食われてようやくくたばって蝶と消える。
 蝶となっても蝗がばりばりと薄い飴細工でも頬張るように噛み砕いていく。

 この光景を逢真は実に実に実に実に――慈愛でもって、見つめている。

 それから顔を上げ、病に怯む《過去》どもの顔を見て、逢真にしては本当にめずらしく――少し唇を尖らせた。「なンでえ」
「俺の《大事》な関係のやつはやっぱり出してくンねぇのかい」
 足を止めて軽く首を傾げる。
「神様差別だぜ、シケてんなァ」
 返事はない。そも今彼の声が聞き取れ言葉がわかる中に返事ができるものはいない。

「《大事》な《大事》な《怨敵》だぜ、真似っこ人形でも出してくれたっていいだろうがよゥ――丹念に殺してやる」
 いないはずだが、それでも逢真は語りかける。
 うめき以外の、返事は無い。
 それでも逢真には確信が、ひとつ――『“こっちを見ている”』
 ……。
 逢真は笑った。「おしゃまさんかい、恥ずかしがりさんかい、それとも洒落者かい」
 一際強く、風吹かせ、蝗躍らせる。
 より死を濃く濃く振りまいて、存在をふるいにかける。
 
「硝子の兄ちゃんの時からこっち、随分声かけてきてくれてんだ」

 声がしていた。依頼を聞いている時からずっと。
 明確な声では無い。あくまで何か、そう区切られた文章のように。
 その声と今、同じ声がした、気がした。

「わざわざ俺の思考に合わせておしゃべりしてごまかさなくてもいいだろうに、よぅ」

 濃く酷く撒いた死で丁寧に一人ずつじわじわと殺めながらどこからだったのかを探るが
 ――返事は無い。
 そして気配《 “ ” 》も消えた。「恥ずかしがり屋さんかね」笑う。
「まあ使える媒介がもうないんかね」

 逢真はかろんと再び下駄を鳴らそうとして――「ン」柔らかいものを踏んだので、足元に視線を落とした。彼が撒いた病とは少し感覚が違ったのだ。

 赤くて細く、柔らかい。
 紐のようなもの。
 興味が湧いたので拾い上げる。
 何のことはない、にんげんなら誰だって臍に一度はついていたものだ。
 しかし妙に見覚えがあってがして逢真は首を傾げる。
 死に近い自分にとって、これはたしかに見ないものではないが、しかしそう見るものでもない。
 この強烈な既視感はなんだろう――想う指先ではらはらと崩れていく。
 ひらめく。

「ははあ――なるほど?」
 しかし、そうであれば奇妙なものだが――まあ。

 ひひ。
 逢真は幾度めかもわからない、密かな笑い声を立てた。

「いい趣味だなあ、本当によゥ」



「いい趣味してるよね、本当に」
 時同じく、ロニもまた同じ言葉を呟いていた。「かみさまに聖書なんていい根性してるよね」
 ロニもまた返事をしていた。「だいたいなんかない文もアレンジも多いしさ」
 ばらばらに散ったパーツの残りが黒い蝶へ変わって飛んでいく。
「それって当て付け?みんなに言ってんの?キミの神様からの挑戦状?」
 ほとんどが赤に染まった中で宙に浮かびながら文句を言う。
「それとも」
 消える。
 何もかも消える。

「キミがかみさま気取りなのかな」

―控えめだが、それでいてあかるい笑いを聞いた気がした。
 一切の悪意ない、面白がるような。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

多々羅・赤銅
●梅蝶

気っっっ
乗らねえ〜〜
弱い奴もガキも斬る趣味無え〜〜

攻撃をかわす事は易い
楽園とやらを尊ぶ声もやり辛え
大事な奴なんざいっぱいいるよ
昨日飲み交わした兄ちゃん
レジのおばちゃん
挨拶してくれるちびっこ!
代わりはいるとかそうゆう話じゃねんだよ全員唯一無二オーライ?
楽園とやらに行って、視野狭めんの勿体ねんだよねこちとら!

え〜ねえ皆〜
大事な人、私じゃダメーー!?

殺気で黙らす
お前ら斬っても斬れ味覚えてすらおけねえの
寂しいじゃ



ジェイクス

何し

待て
待てつってんだろ余裕ゼロ男ァ!!!(頭突

あーー呪われたみてえな殺し方
私の方が上手に人殺せるわ

聞こえてる?
見えてるな
ちょっとそこで頭冷やしてな
私達が
何とかしてやっから


ジェイクス・ライアー
●梅蝶
そこに見たのは
青い青い 青

一瞬、竦む心地がした
けれど

息を細く吐く
それはもう 呪い足り得ぬ
彼岸の狭間で出会った師を想う
よく見ろ 貴方に似た者など居はしない

瞬きひとつ
瞼を意識的にゆっくりと持ち上げ
感情を遮断するスイッチ

喧騒が嘘のように
溺れそうな謐けさ

地を蹴る
ぴんと張った鋼糸をふるい
誰かが救おうとした命を摘み取る
それが敵であるならば

脳を揺らし、昏倒した首を折る
それが敵であるならば


ぐわん と
額の衝撃に明滅する視界

溺れてもがく謐けさに気付く者はどれだけか
酸素が 鼓動が、どぅっと鼓膜を走る

ぎらりと目が合う背の鬼
そこに見たのは
赤い赤い 赤

なに
なんだお前

「…侮るなよ」

隣に並ぶ 対等だからこそ



●“ああ。隣人に怒りを混ぜ、飲ませ――酔わせ、あげく、その真なるを見ようとするものよ ”

 嗚呼。

「“時よ止まれ、おまえはうつくしい”」

 見た。

 見たのだ。
 鳥籠を抱えた少女。
 そこに見た。一瞬見た。確かに見た。

 青い青い 青 。

――眼、だ。

 心臓をえぐられるとしたきっとこんな心地だろう。

 青(ひとみ)。
 知っている、大事な、忘れえぬ、青。

 一瞬、身の、竦む。
 掴まれた自身の心臓が、誰かの手の上で跳ねているような。
 あらゆる血が逆さに流れるような、錯覚。

 顔見せだ、と冷静な思考がつぶやく。これは猟兵への顔見せだ。

 ありえない。違う。思考が叫ぶ。
 そんなはずはない。あってはならない。
 『彼』とはいつかの依頼、彼岸で会ったのだ。言葉も交わした。助けてももらった。
 あそこにいたのはかわらぬ『彼』だった。だからいるはずもない。
 もう、呪い足り得ぬ。

「――こうふくの最上でみんなとまったら、そこは、楽園でしょう?」

 ……少女の青は、一瞬の瞬きで消えた。

 正直にいえば、安堵した。
 そら、見たことか。錯覚だ。錯覚だったのだ。硝子剣士の眼は茶色だったのに抱いたのと同じ錯覚。青などと錯覚したあの感覚だったのだ。

 しかし、しかしだ――冷静な思考が囁く。
 
『“錯覚で、なかったら?”』

 耳元で 『彼』 の 声がした 気が した。

 して しまった。

『“もし錯覚で無かったとしたら”』 

 血液が加速する。呼吸が止まり。心臓の位置がわからない。

『“ 【彼】 は ”』

 ありえない。
 いるはずがない。そんなはずがない。

『“最初から、場に居ることになる”

 “他の猟兵に呼応するかのように現れた【過去】(オブリビオン)ではないということになる”

 “錯覚でないとしたら、【彼】は【彼】こそが”

 “――この、事件の” 』

 いるはずがない。

『奴さんも、待っているんだと、思う』

 そんなはずがない。
 そうとも、違うとも。そんなはずはない。確かに会ったのだ。確かに彼岸で会ったのだ会話した彼だったそもそも自分が彼を見間違えるはずもなく声だってそうで瞳だってそうでこんなところでこんな少女にこんな形で瞳を見て青を見て青を聞いて声を認識して違ういや違う声は違う声は少女のものだだからきっと否定できるに違いなく

 ジェイクス・ライアー(驟雨・f00584)は細く長く息を吐いた。
 瞬き、ひとつ。
 眼球。その上に覆い被さる瞼を意識する。
 眼ではなく、その膜に集中する。
 ゆっくりとおろす。思考を、困惑を、感情を。

 一度全てを暗闇へ。

“そうとも――See No Evil”

 ちがう。
 声は聞こえていない。
 遮断する。
 あらゆる喧騒は遠のく。

“悪しきをみてはならない。”

 嗚呼。

 どこかで――青、が、輝いて。
 
 溺れそうな謐けさで満たす。

 貴方はいない。
 きっと貴方はそこにいない。
 絶対に居ない。
 
 地を、蹴った。
 
 青。
 青、青、青青青青

――あの、青。

 わかっている。わかっている。
 あってはならない――あってはありえない。



「あ゛ーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!」
 多々羅・赤銅(ヒヒイロカネ・f01007)が派手な唸りを上げた。
「気゛ぃ゛ッ゛の゛ら゛ね゛ぇ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」
 右から襲ってきたブレザーの少女の突きを軽く避けてバック・ステップ「弱い奴も」
 子供が振りかざしてきた金属バッドを今度はサイド・ステップでかわし「ガキも」
 赤銅は大勢を崩した二人に対し――

「斬る趣味ね〜〜〜〜〜〜〜〜っんだってば!」
 距離をとる。

 赤銅の手は刀の柄を握るどころか頭に指かかっていない。
「でも」子供が涙目で赤銅を見上げる。「だって」顔面を蒼白にしながらブレザーの
少女が再び包丁を構える。

 声が響いている。
 わんわんと楽園を解いている。

「つらかったんだ」最上の幸福。「ひどいことしかなかったの」もう辛いことも悲しいこともなくて。「もうどうしようもなくて」みんな一緒で。「もうどうにもならなくて」

 本当に大事な人と永遠にいられる。

「あ゛〜〜〜も゛〜〜〜〜!!!」
 尚も追ってくる二人を右に左にかわす。「や゛り゛づれ゛ぇ゛〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」
「わかってよ」攻撃の手を出さない赤銅を何と解釈したのか
「いやわかるよ?わからいわけねーんだよ」彼女にかかる人数が増える。

「私にだって大事なやつはいっぱい居る」

 貧弱な武器の児戯より頼りない震えた攻撃。
 赤銅には目を瞑ったってかわせるだろう。
 それでも、嗚呼、『見ざる』おえない。
 攻撃の手は止めどなく――入れ替わり、立ち替わり。
「昨日飲み交わした兄ちゃん」後ろから金髪にピアスをした若い男が果物ナイフを突きつけてきて「レジのおばちゃん」腹のでた女が大きめの石を投げてきて「いつも挨拶してくれるちびっこ!」膝にが振り回すのは身に合わないバールだ。
「お、多くない!?」先に赤銅にかわされてすっ転んだブレザーの少女が叫ぶ。「あと雑!!クッソガバじゃん」スカートの埃を払って、仲間から渡された出刃包丁を握っている。
「誰でもいいってこと!?」
 諦めないのだ。
「い〜〜〜〜〜〜わけね〜〜〜〜〜〜じゃん!!!」
 赤銅は左から掬うように殴り抜けてきた釘バッドを「代わりはいるとか誰でもいいとか」
 ポケットに手を突っ込んだまま少しだけ体を前に傾げて「そうゆう話じゃねえんだよ」
 避ける。
「みんな全員唯一無二!!!」
 親指を立ててブレザーの少女に宣言する。
「オーライ?」
「じゃあいいじゃん!あんたもくればいいじゃん!」
「あ〜〜も〜〜〜だ〜〜〜〜〜〜っからさ〜〜〜〜〜〜!!」
 赤銅を足目掛けて飛び込んできた子供をジャンプひとつ――回避とついでに移動を狙い。
「楽園とやらに行って視野狭めんのも勿体ねんだよこちとら」
 そのまま宙で体を捻って彼らを見る。
 ひとりひとりの顔が見える。
「え〜〜〜〜〜〜」
 斬らねばならない、はずの顔。
 誰も彼もすぐそこにいそうですぐそこにいて呼吸をして焦っていて感情があって
 そして今赤銅の命を求めているとはいえ
 
「ねえ」
 赤銅に向かって手を、伸ばしていて。
 
――嗚呼。

 赤銅はあえて、彼らが自身の間合いの外になる位置に立つ。

「みんな〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!大事な人、私じゃダメーーーーーーー!!!!??」

 否。

「あ、そ」

 ――しからば、殺す。



 そうだ、否だ。
 ジェイクスは改めて確認する。
 不在(あらざる)。

 手応えがひとつ。
 リングが重みで、ぴん、と揺れる。
 
“我々の任務において最も求められるのは迅速さと謐けさだ”

 ささやいているのはきっと、いつかの教えだ。
『彼』が『今』ささやいているのではない。

 成人女性がふと不思議そうに自分の首を触った。

“我々は時に人間の集団、或いはそれに限りなく近いものを相手にすることがある。
 ――その場合騒がれ逃走や周知されることを避けるのが絶対条件だ”

 彼女の心を代弁するならこんなところだ。汗で湿った喉に、一筋髪でもついたかな。

“つまり、まず断つは命ではなく、意識である”

 軽く引く。
 それだけで女性の意識はぷっつりと断たれたことが眼球でわかる。

“隊列で立ったままを維持させることができれば最善だ”

 ほら、青ではない。
 意識の昏倒したそのままの首を――折る。

 次。青ではない。首を折る。次。青ではない。首を折る。次も青ではない次も次も次も次も次も次も次も次、次次次次次次――。

 いない。いない。いるはずも――ない。
 『彼』はいない。どこにもいない。

 そうだ。そうとも。
 見ろ。
 よく見ろ。
 あり得ない、そんなことあるはずない。
 ジェイクスは否定する。
 あらゆる疑念を並べて否定する。し続ける。

 彼らは先ほどから微動だにしていないようだった。
 或いは、彼らを牽制し、無意味な苦痛、消失、或いは死から救おうとしているのかもしれない。
 しかし、それがジェイクスに一体どんな意味になろうか。
 手折る。手折る。

 ただひたすらに、青の最中。

――貴方に似た者などどこにも居はしない。



「マジで気が乗らねえんだよ」

 距離を保ったまま、動かない彼らをみながら――赤銅はまだ刀に手をかけない。

「どいつもこいつもちんまい武器でびくびくした腰つきでさ」
 瞳だけで、ややすがめ気味に、さげた首、彼らを下から見上げるように、睨め付けている。
「笑っちゃうほどかあいいわけ」
 口調はいつも通りのまま。
「あんまりみんな性根も行動も行為も武器もみぃ〜〜〜〜んな可愛くって」
 だが。
 唇だけは、

「かわいくってかわいくって、さぁ」

 もう

「お前ら斬っても斬れ味すら覚えてらんねえの」

 笑んでいない。

「いちいち名前聞くほどの律儀さもねーし、それで名前聞いて覚えてやれるほどの記憶力もアテも、私にゃねーわけだよ」
 淡々と。
 猛然と。猛烈と。苛烈に。華然に。
 殺気だけをただ、放つ。

「ねえ」
「そんなん、さあ」

 放たれる殺気に誰もが口をつぐむ。
 動けない。進めない。
 ありようだけで空すら切り。
 動こうとした無謀な誰かの頬を一筋、浅く切る。

「寂しいじゃ――」

 ん、と続けようとして――赤銅は剣気を緩めた。
 彼女は見た。
 勘違いかと思ったが「あ」やはりあった。見知った顔があった。「おジェイ!」呼びかける。返事がない。普段ならすぐ青筋を立ててすっ飛んでくるのに。民衆の前だからかと勘ぐったが――様子がおかしい。一瞬見えた顔は見えなくなる。どこに?すぐ気づく。瞬の歩みにて移動している。

「ジェイクス」
 返事は、ない。

 代わりに首がひとつ飛んだ。
 赤銅が今――誰かが敵将を落とすまで、牽制していた誰かの、首。

「待て」

 次が飛ぶ。

 血飛沫に振り返ったものが喉が潰れそうな悲鳴をあげながら真っ赤に染まる、その首も飛ぶ「待て」彼のやり口にしてはあり得ない。きざったいぐらいもっとスマートで鮮やかでそもそもこんな声ひとつに応えないのがそもそもおかしいのであり「待て待て」剣気を引っ込め駆け出す。速い!「待て待て待て」とぶ、飛んでってしまう。誰かが大将首を落とすのをこのまま牽制して待っておくつもりだったのに「待て待て」彼は止まらない。“見ていない”そう見ていない。見えていない。何が起きてどう見ているのか。見失っている。「待てちょっと待て!!!!」

 悪魔(UDC)でも、見たみたいに。「ンの馬ッ鹿」

「待てっつってんだろうが――」
 赤銅はジェイクス、と今は呼んでやるのもかわいそうな男が腕を軽く上げたのを目に――横あいから胸倉を掴む。襟ごとネクタイを。
 目を合わせるのは一瞬。顎を思い切り引き
 そして足を思い切り踏み込み

「この余裕ゼロ男ァ!!!!!!!!」
 頭突きを、かます。


 頭が割れるような衝撃が、ジェイクスに走った。
 否――若干、割れている。
 ぬらりと額をなめて目先に転がった、赤。
 赤だ。
 ジェイクスは赤を認識する。
 血と、その向こう。
 赤い、瞳。
 そう。赤だ――青でなく。
 赤というのは少々違う。続いて浮かぶ。自分が知っている赤い瞳とはもっと『あか』い。
 これではまるで赤銅(あかがね)色だ――しゃくどう、というワードが脳に浮かんで、リンクする。
 
 ピントが合う。
 眼が、合う。

「…赤、銅」
 青く死んでいた心臓に――火がはいる。

「よう」
 顔を真っ赤に濡らして。
 薄紅の髪が、夕日に赤々、火にかけて打った銅のように赤く燃え輝く、女が笑っている。「聞こえてる?」
 肩の向こうでは惨劇の赤。
「なに」
 どぅっ、と。
「なんだ」
 自身の心臓のはげしい鼓動が。肺どころか喉と肩を使って酸素を求める呼吸音が。
 鼓膜に、流れ込む。
「おし、見えてるな」赤銅は突き飛ばすようにジェイクスの胸倉を離した。

「理屈と都合は後――ちょっとそこで頭冷やしてな」
 理屈と、都合。
 その言葉にジェイクスは気づく。自身がどういう状態だったのかを初めて捉えた。
 青。溺れそうな静けさ?――いや、まさに溺れていたのだと。
 溺れるものの謐けさは一体いかばかりなりや?
 それに気づけるものは一体如何程か。

 そして目の前のこの女は。

「なんだ、お前」
 それに気づいて今、手を差し込んで引っ張り上げたのだと。
「多々羅赤銅様だ」
 赤銅は、ぎらりと肩越しに眼を合わせる。
 額を赤に濡らしたまま、唇は豪なる笑みを浮かべ。

 嗚呼。

「そこでいい子にしてな、おジェイくん」

 赤だ。
 あかい。

「私達が、なんとかしてやっから」

 赤い、赤い赤い――赤。

 ――私『たち』。
 よく知る赤い瞳がジェイクスによぎる。
 赤。

“ See No Evil ”――“礼に非るを見ざるべし”
 つまるところ、“悪しものを見てはならない”“正しきを見よ”、と。
 紳士の戒律かと問うたらもっと古めかしい、論語だと『彼』は言った。
 教養を磨きたまえ。

「…誰がおジェイくんだ」
 ジェイクスは掴まれたことで乱れた襟とネクタイを正し、ズボンの埃を軽く払う。

「侮るなよ」
 そして隣に並ぶ。
 青のように追うのではない――赤。
 
 対等だからこそ。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

松本・るり遥
【弱虫】

両親、
あの頃と同じ声と姿
やめろ、違う、その人達は
俺を留まらせようとしない

弱い、誰かの大切だった人達
迫り上がる吐瀉を無理やり呑む
これをーー『優しくない』俺には殺させたくなくて、イヤホンを外して食いしばる
これを殺せってふざけるなよ
じゃあ何が出来る俺に
それでも何か出来る筈の力を得ちまってる俺に!!!


なんだあの人混み
スフィさん?
なんだあれ
まるで敵の数は減らない
まるで何も出来てない

なんて
ーーあんなに優しい人が、誰の事も救えないなんて事あり得てたまるか!!

独白を吠ゆ
そんな有様で、そんな顔で笑うあなたなら、あんたなら
その人達が戦わなきゃいけない今を捻じ曲げられる
俺達きっと願ってる事大差無い!!!


ダンド・スフィダンテ
【弱虫】

俺様、そも一般人への攻撃はしないし、出来ないな

困った。
とりあえず集めて時間稼ぐか
多少怪我をしても即死は無さそうな武器ばかりだしな

よいせ、無手のまま前へと進み出て、聖印を頭上へと大きく開く
半径が男三人を越す光は、果たして何処まで届くだろうか

『友よ、聞かせてくれないか』

『楽園の話を、愛する者の事を、信じる願いを』
全てを聴くとも
さぁ、話をしよう

……さて、集めてどうしたものか
ん?
この声は、ルリハル殿?
俺様にどうにかしろと?

はは、なるほど、分かった

『お還り、友よ。その願いも想いも、そのままに。
それは我らと争う理由には、成り得ない』

願うは和解

休むと良い
穏やかに、幸福に

俺様は、その想い全てを愛すとも



●“誰かがあなたの右の頰を打つなら、左の頰も差し出しなさい”

「と」

 手を口に当てた。

 右手じゃ足りなくて左手も重ねた。

 出かけた声を、抑えるためだった。
 父さん、母さん――と、呼びそうに、なった。

 松本・るり遥(乾青・f00727)はそのまま彼らに背を向けて――走る。

 逃げた。

 ちがうかもしれない、と心のどこかで思っていた。
 彼らは父母じゃないかもしれない。
 その疑念をそのままにしたくて、直視したくなかった。
 できなかった。
 会話できて。
 会話し続けられる思考があって。フライパンが揺すれる手を持ってて。
 植物に水をやるためにサンダルをつっかけて歩き回る足があってパジャマをどう着てもすぐ出てしまっている腹があってズボンの上に肉がのる分厚い腰があって毎年だするり遥のためのささやかな五月人形を天袋にしまうのを支える腕があって昔るり遥をのせたちゃんとした肩があって自分もこんなふうになるんだろうかと思った禿げかけた父の頭いやいや遺伝はこっちかもしれないと思った少しパーマの入った癖っ毛の入った母の髪つむじがあって、あって、あってあってあって。
 るり遥、と。ふざけてるり、とか呼んでくる、声が。喉仏のある父の、母の細いけど皮のたるみの見える母の、喉、とか。

 変わり果てる前の、かれら。
 そんなもの、見て。

 会話なんか、して、しまったら。
 それこそもどることができなくなってしまいそうだった。

 顔が上げられない。

 走る。
 顔も上げずに走る。
 右足出して左足出して右足出して左足出して走れ、走れ走れ走れ走れ――!

 キャップの鍔を引っ張って顔を隠す。
 この光景の中、逃げる少年なんか珍しくもない。誰もるり遥を見ない、どころか
「こっち!」
 手を引っ張られた「わっ」顔を上げればクラスにもいそうな崩したお団子の、学生服にジャージを着た子で「な、な」なんでとかどうしてと言いかけたるり遥を引っ張る。
「あっちですごくやばい人が動いてるの」
「いや」だって俺、猟兵。言いかけているのに聞きもしないで。いるいる、いるよクラスにこんなやつ。「こっち、こっちなら大丈夫だから!」柱の影に押し込む。「じゃ」ふざけた敬礼をして、去ろうとする。「じゃって」「うち、あっちでマナちゃんらが投げるの作ってるから、そっち行ってくるから」「おい」ばか、おまえ、死んじゃうぞ。ばかお前死んじゃうぞ、もっとやばいUDCならともかくお前らどっからどう見ても普通の、普通の学生じゃんか、勝てないよ猟兵の攻撃で助かるわけないよ――…!

「――なんで!」
 叫ぶ。

「うちらの仲じゃん」
 ピースサイン、ひとつ。

「初対面!」言い返す。
「初対面だけど――でもここに今いるってことは、うちら、一緒っしょ?」
 袖口から見えた、手首の包帯。

「ほっとけないよ」
 口が、乾く。

 るり遥は、ひとり、とりのこされる。
 立ち上がった炎が、猟兵の炎だって、わかってるのに――

 弱い。
 弱い、ひとたち。
 あの子はなんて名前だったんだろう。マナちゃんらってどんな子だったんだろう。
 やさしいひとたち。
 みんな、だれかの、たいせつだった、ひと、たち。

――恐ろしく、みえた。

 立ち尽くして、息が詰まって、ぐっとのどから奥の胃から込み上げてくる――耐えきれなくて上がってしまったキャップの鍔を今ひとたび引っ張ってそのまま、

「な、ん、なん、なん」

 もう

「なんなんだよ、なん、なんなんだよお……!」

 立てない。

「ふ、ざ、ふざ、ふざけんなよお…」
 膝をつく。
 顔が、上げられない。
 まだ込み上げてくる。抑えても飲み込んでもせり上がってくる。
「これを殺せってふざけんなよ、どうなってんだよ、どういう、どう…」
 世界への不満。叫べ叫べと魂が唸る。
 るり遥だって叫びたい。そうすれば、一心。

 他の猟兵の力になる。

――他の、猟兵の力になって、なんになるんだ。

 それで死ぬのか。
 それで――『殺させる』のか。

 『優しくない』俺が、そんなことを、するのか。
 させるのか。
 
 したくも、ない。

 咆哮を噛み殺す。絶対に叫ぶものかと食いしばる。
 るり遥はイヤホンを乱暴に自身の耳から引っこ抜いた。コードをくちゃくちゃに丸めて拳に握り込む。今すぐこれを叩きつけたかった。それもまた、どうにもならないことだと分かっているから、しない冷静さが残っていて、自分の勝手さに笑いたくなって、さらに強く歯を食いしばる。
「じゃあ何ができる」
 イヤホンを握り込んだ拳、指は爪を立ててぐちゃぐちゃに握り込む。
「じゃあ何ができる俺に」
 できる。いろんなことができた。しようと思えばいろんな手助けができるはずだった。
 いろんなことができるのに全部できそうになかった。

 その下のだれかの、猟兵の、
 あるいは、あの、嗚呼、オブリビオンと、過去と、UDCと――るり遥は、彼らを、呼べない。
 彼らのみんな、苦しい顔を、させるのか。「うぐ、ぐ、ぐうう」唸る。「ううううう」唸る。
「くそ」毒づく。
 
 どうして、どうして、一体、なぜ。
「ちくしょ、ちっくしょう、こん、こんちくしょう…!」

 なにかしてやりたいのに、

 なにも、したく、なかった。



 なにもしたくなかった。
 というか。

「俺様、そも一般人への攻撃はしないし、出来ないんだよなあ」

 ダンド・スフィダンテ(挑む七面鳥・f14230)は柔らかい困った笑顔のままだった。
 地面に座り込んだまま両手を掲げて無抵抗を示す、ハンズ・アップ。

「ミューズなら、なおさらだ」

「みゅ、みゅー…?」たった今ダンドを角材で殴った女性が狼狽える。
「ミューズ。女神。女性は誰だって俺様にとって女神だ」
 満面の笑みで彼女を見上げて告げる。くちゃくちゃのコートの女性は眼鏡の奥の目を白黒させた。
「大丈夫か?」「え?」
「素手で触ってたけど、ささくれとかトゲとか刺さってないか?」「あ、え、あ、えっと」
 ダンドはポケットを探る。もちろん片手はハンズ・アップのまま。あったあった。ハンカチを引っ張り出す。
「はい」「う、え?ええ?」
「持つところを、それでせめてカバーしないと」ワゴンセールで安かったやつだ。柄が可愛かったので買ったやつで、同居人が見たら顔を顰める柄の。

「一度目は大丈夫でも、何度かするうちに手を怪我するかもしれない」
 女性が困り顔をする。
「それはあの、わか、わかってるんですか?」

「おう、わかっている」
 とって。と、ハンカチを揺らす。しかしいつまでも女性がどうもしないのに、はたと気づく。
「そうか、罠かもしれないと思うよな」自分にはそのつもりがないけれど。一度ハンカチをひろげて見せる。「ここに置いておくな」そろそろ近づいて置き、また下がる。「できれば使ってくれ」そしてまたハンズ・アップの態勢に戻る。
 女性がますます困惑する。
「こ、これから何度も殴られるんですよ」
「うん」
「も、もっと危ない武器を持ってる人もいますよ」皆は今遠巻きにこちらを見ている。
「まあ、即死するのはないと見た」
「て、抵抗は?」
 彼女の両手が震える。大きく。がたがたと。
 彼女の息がどんどん上がっていて、顔色がみるみる蒼白になっていく。なだめてやりたいぐらいだった。
「まあ、次は腕でガードくらいはするけど」
 まずストレートに一撃は受けないと信頼してもらえないだろ?付け加えつつ、ダンドは困り笑いを崩さない。

「反撃はしない――俺様は、貴殿らに、それは、できない」

 ダンドとハンカチを何度も見比べて、眉を思い切り逆ハの字に曲げて、口元まで歪ませて。「な」「ん?」「なん」「んん?すまないミューズ、もうすこし大きい声で」

「なん、で…どおしてえ…?」
 へたりこんで、座ってしまった。
「うん」頷く。「そう、だな」
 少し、口の中が切れた。
 腫れた顔を同居人は嫌がるかもしれない。美味しいものでも作って機嫌を取ろう。
 なんで、どうして。
 それがどこにかかるのかにもよるが――どう問われようと、答えはシンプルだ。
 大変な案件だと聞いた。猟兵の救いを願い投げられたいのりがあった。たくさんの猟兵が向かうようだった。一般人が巻き込まれたと聞いた。今苦痛と悲痛にまみれてここに皆が相対していた。

 どうにかしてやりたかった、から。
 なんて、これは。

「そうだな」
 弱虫の、理屈だろうか?

――とりあえず時間を稼ぐか。
 
 ハンズ・アップの両掌を天へ向ける。
 浮かび上がる聖印。
 輝きは夕日の刺すような残り火と違い、浮かぶように明るい。
 人を集め、時間を稼ぐ。
 効果のない、範囲だけが最大出力のもの。
 半径が男三人を越す光は、果たして何処まで届くだろうか。
 なるべく多くに届いてほしかった。
 できれば心緩めるためが嬉しいが、この際警戒でも構わない。
 そうして多くが集まってくれれば。
 殺そうと心を削るものも、殺されると心を狂わすものも、殺してしまったと心を痛めるものも。
 その分、減ってくれるはずだった。
 
 なあ。
 まずは眼前の彼女に、声をかける。

「友よ、聞かせてくれないか」
 彼女が蒼白の顔をあげる。「なん、ですか」

「楽園の話を」

 微笑む。

「愛する者の事を――信じる願いを」

 叶わなくて、打ち砕かれて、それでも諦め切れなくて、最後の手段をえらばせた、それを。

「聴くよ――すべて聴く。全てを、聴くとも」

 多分きっとそれは彼がかつて抱えていた人々も抱えていたものだ。
 そして、受け止めて、理解する。

「さぁ、話をしよう」

 それしか、今はできそうになかった。



「…んあ」
 るり遥は顔を上げた。自身の影が濃くなったからだ。
 それも炎のような不確実な明かりではなく、維持された光によってのものだと。
 そちらに歩もうと思ったのにはいくつかある。
 邪神由来のものには見えなかった。人の群れがあるのに、悲鳴がなかった。
 ただ少し警戒したのも確かだ――奇妙な緊張感が漂っていた。時々ぼそぼそと声を交わし合っている。
 すみません、とか、ごめんなさい、とか言って割り込めば、人々は普通に通してくれて、それがまた、るり遥の胃をぐるりとかき混ぜる。
 人の輪を真ん中ぐらい進んだころだ。
 き、と耳まで鳴らすような血の凍りが、唸る。
「スフィさん…!」
 ダンドが立っていた。
 大柄なのに威圧感がなくて。
 団地ですれ違う時の挨拶で交わすようないつもの笑みが、今日は少し困り顔になっていて。
 顔や肩、或いは体は所々に、負傷や汚れが、見てとれた。
「なに、あの人なにしてんの」
「なんか、攻撃しないって言って、あそこでただあれピカーって光らせてる」
 思わず洩らした言葉に答える声があった。
「ほんと?」水滴の輪のように別の声が問う。
「ほらあそこの人が角材で殴ってもダメで」「なんか優しい言葉かけてるけど本気かな」声が響き合う。
「でもあれ猟兵でしょ?」ざわめく。
「殺さなきゃいけないんだよ」「でも抵抗しなくて」「抵抗しないの?」「いや避けたりはしてるよ、たまに」「してんじゃん」「さっき投げられた石避けてた」「受けたりもしてる」「やりづらいよな」「やりづらい」「なんかさ、善人だよって顔しちゃってさ」「善人だったりして」「おい」

 交わされる会話は、まるで雑踏の中に不審者が出たときに聞くようなのと変わりなくて。

――なんだ、あれ、何だ、これ。

 あの人は。
 イヤホンを握り込んだままの指先が、痛い。

 また一つ、石が投げられる。

「お、いっ」るり遥の喉から引き攣った声が「まっ」飛び出していく。
 だって割と大きくて。
 ダンドはチラと自身の後ろを一瞥して――避けなかった。

 こめかみに当たって、眉あたりが切れたらしい、流血。
 袖口で拭って、困ったように笑う。

「ほんとだ」誰かがいう。また雑踏の中のように声が響く。
「避けなかった」そうだ。るり遥は知っている。そりゃそうなのだ。
「避けないね…」彼はそういう人だ。
「なんで?」それもわかる。
「どうして?」うしろにも結構人だかりができている。下手に避けたらあっちに飛んで、そしたらいらない悲しみが、できる、から。
「なにが目的なの?」敵である自分が傷つくほうがまだいいから。
「集まってるところをドーンとかしないのかな」できるよ、あのひとはそれをできる能力がある。
「ちょっとやめてよ」そうだ。でもしない。
「いやでもさ、ほんとかもしれない」そうだ。
「なにが?」本当だ。
「その、攻撃しない、抵抗しない、って」そうだよ、そういうひとなんだ。
「えっ」「じゃあどうするの、殺すの」「無抵抗の人を?」そうだ。ほんとは猟兵がそれをしなきゃいけないんだけど「やだよ」そうだ、嫌だから。「やだ」

「でもさ」「うん」「いやだけどさ」まるで敵の数は減らない。
「でも早くやったほうがいい」増えるばかりで。
「なにもしてこないうちにさ」まるでなにもできてない。
「まだ何にもできそうにないうちにだ」まるでなににもなってない。

「どうして?」
 まるでなにも成していない。
 
「だって、味方来るかもしれないじゃん」
 いるわけないじゃないか、味方なんて。
 だって猟兵は『殺せ』って言われてここにいるんだ。
 だから殺せないあの人の味方なんて、ここにいるわけないじゃないか。

「――なんて」
 るり遥の唇が勝手に言葉を吐き出す。
「どうしたの?」誰かがるり遥に問う。
「――ない、なんて」
 なんて、なんて。

「こんなに優しい人が、誰の事も救えないなんて事あり得てたまるか!!」

 こ こ に い る 、 る り 遥 以 外 に は !

 陣中にて、独白を吠ゆ。

「スフィさん!」

 叫べ、叫べ。
 届け、届け。
「抑えろ、こいつ猟兵だ!」右から手が伸びてくる。「やっぱ仲間がいた!」左からも腕が伸びてくる。「抑えて!!」後ろからも両腕がきてるり遥を羽交い締めにしようと伸びてくる。「くちをふさげ!誰か!」

 それでも叫ぶ。
 今まで胃で、体で、とぐろをまいて煮詰められてきた苦痛が、悲痛が、不満が、不服が――どうして、が込み上げて。「あ、お」口元まで昇りつめて、履いてしまう。
 それでも。
 吐瀉物でぐちゃぐちゃに口元や衣類を汚して、理不尽なほどの人々に押さえつけられても。
 それでも。

「願って!」
 それでもできるから叫ぶ。それでもできるから叫ぶ――それしかできないから、叫ぶ!

「るり遥殿!?」

「そんな有様で」右腕を掴まれても前を目指す。
「そんな顔で笑うあなたなら!」左手首を捻られても前へ。
「あんたならッ!」左足を踏まれて。右足を抑えられても前へ。

「その人達が戦わなきゃいけない今を――捻じ曲げられるッ」

 るり遥はちっぽけだ。わかっている。
 勇気はない。度胸もない。優しさだって、たかが知れている。
 だから身勝手に。わがままに。「頼むよ」

「俺達きっと願ってる事大差無い!!!」
 託すのだ。

「――はは」困った笑みを、照れ臭い苦笑に塗り替える。

「俺様にどうにかしろと?」
 なんて、大役。

「なるほど、分かった」
 身に余る光栄だ。

 聖印がより輝く――願うは無力化。

「お還り、友よ」
 呼ぶ。
 これまで語ってくれた者達へ。
「その願いも想いも、そのままに」
 これまで石を投げ、或いは暴力を振るった者へ。
「それは」
 ここまでただ見守り戸惑っていた者たちへ。

「我らと争う理由には、成り得ない」

 願う。

「休むと良い」
 きっとみんなそれが欲しかったのだ。
 それがなくて――皆、思い、描いて、目指したのだろう。

 一人、また一人膝を崩す。
 倒れていく。ゆっくりとまどろむような、光の中に。

 …辿り着いて欲しい、と思う。

「穏やかに、幸福に」

 邪神の眠る、疑念と疑惑と思想の罠と利用の園にではなく。
 
「俺様は、その想い全てを愛すとも」

 ほんとうの、楽園に。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

ユキ・パンザマスト
【くれいろ】
関係
先導と殿の遠く近い星

(狂乱ではなく憎悪と憤怒)
…ありふれぬ蒼白の顔にもなりましょう
宗教感染
お呪い
ああ嫌だ!

視線
それでも
早業の呪詛、蔓延る枝根で【彼誰不知】
その性質なら縁は充分
悪感情の叩きつけ
白の似姿をも見間違えない
お前達も同じなら最期に人違いはしないでしょう?
本当の大事を選んだなら!
(blink
幻痛で我に返る)
見せたくなかった
居て、よかった

幸せは日々の瞬間だ
変わりも終わりもなければ始まりもない楽園など
不幸でしかねえ
ほどかれたとて大した事かよ
結び直せて
忘れたとて思い出せるんだ

堂々廻りで足踏みしてろって?
お前達は今を生く者の邪魔だ!
不幸に呪われる只人等
これ以上居ちゃならねえんすよ!


セラ・ネヴィーリオ
【くれいろ】

大事な関係
一番近くて遠い星同士
先導の僕と櫂手繰るきみ

(イージーさんのあんな顔、初めて見た)
急ごう
隣を見れば怒りの瞳
叫びに同意
僕も不幸を広げたくないや

彼らの"幸せ"を踏み越える《覚悟》に意識が眩み
お願い、【残月】さん
眼前に喚んだ霊に託す
奪う覚悟で、目を閉じずに
きみの似姿を映そうと迷わない
(だって永遠、望まないでしょ)
そっちにいる筈がないよね

(noiseが幻痛に同期)
ユキさんの吐露を聞き
うん、再会は 永遠のその先に

それにきみたちの永遠は安らぎの前借りでさ
巣食う術式は将来誰かを不幸にする
それにあの子たちの状況も変わるかもだし
「だから、彼女たちの幸せの道を一つに絞らないで」
今を、生きさせて



●“ 待ち望んでいた夕暮れは、わたしにとって”

「急ご」
 思えば、あの時から、少し様子がおかしかった。
 セラ・ネヴィーリオ(セントエルモの火・f02012)はそう振り返る。
 その時のセラはどちらかと言うと依頼者の方が気にかかっていた。
 蒼白の顔色に見たことのない表情。
 いったいなにをどれだけ見て――どこまでの思いで猟兵に託すのか。
 一刻も早く少しでも力になりたくて彼女をせかした。
「ええ」
 返事は低く小さくて。
 繋いだ手、彼女の爪先がほんの少しかするように立てられた。
 もう少し、気にかけておけばよかったかもしれない。

「お前たちはいつだってそうです」

 今、隣の彼女――ユキ・パンザマスト(八百繚乱・f02035)の瞳は、金どころか夕陽を受けてまだら刀に血飛沫の色だ。

「いかれ宗教、見境いなしの淫ら感染、空虚発狂お構いなしのお呪い――」

 呪詛に限りなく近い憎悪が憤怒の色纏ってユキの舌先を踊らせる。
「……こりゃ剣士さんもありふれぬ蒼白の顔にもなりましょうね」
 合わない歯の音は恐怖でも狂気でもない厭忌だ。

「――ああ嫌だ!!!」

 吠える。

 ああ、嫌だ。

 セラもそう思う。
 ユキはああ吠えるけれど悪い人たちには見えなかった。
 どういう仕組みだろうか。セラは静かに思う。
 彼らは――魂がないのか、あるのかと言われれば『難しい』としか言えない。
 ないわけではない。あると言うにはあまりに未熟だ。
 まるで今生まれたばっかりのようで、それでいてみな、成熟した思考を持つ人間に見えた。

 ただ――目の前の彼らは自身の信仰を奉じている目をしていた。
 そう。
 『信じている』目だ。
 楽園を――『知って』いる目ではなく。

 これがどんなに残酷なことだろう。
 これがどんなに過酷なことだろう。

 対峙する猟兵にとって、は、もちろん――彼らにとっても。
 
 ここに救いはないのだ。
 救いのかたちをした、救いのうわべりをかぶった、虚無しかない。

 なにもない。
 それは、彼らの言うとおり、永遠だ。

「願ってもない千客万来――大歓迎ですよ!」

 ユキの情に、憎悪に嫌悪に激憤にぱりぱりとホログラムが電磁鳴らす。「恐れず怖れずなべて喜びいらっしゃい」椿の枝葉が伸びる。ぱきぱき「躊躇はいりません」ぱきぱき「お前たちの神様のためなんでしょう」ユキの肌、頬が、指が手の甲が、足が鳴る。「お前たちのこうふくのためなんでしょう」

 根が張っている。
 枝が芽吹いている。
 枝の先にはあるじの情でぷっくりと硬い、蕾がごまんと下がっている。

「鵺(ユキ)とお前たちがほんとうに同じか――見せてやりましょう!」

 少年少女、こどもたったふたりを囲むことに少し躊躇っていた彼らはユキの変質にどよめく。

 えいえんに。
 えいえんに、なんにもかなわない。

「うん」
 セラは肯く。

 楽園の夢は楽園の夢でしかなく。
 これで幸せが手に入ったと思った瞬間でしかなく。
 これで大丈夫と思った安心の先の本当に願った瞬間(ひ)は絶対に来ず。
 これで、きっと、今度こそ、利用され続ける――こんなふうに。
 定点の過去、先に進まぬ彼らにはその経験すら積まれない。

 これをいったいどんな悲しみと例えようや。
 これを殺さねばならない悲痛はどんな言葉なら伝わろうや?

 セラは軽く息を吐き、少しだけ足を広げて立つ。
 重心を据えまっすぐ立てる。
 武道家の霊より習った、イメージ。
 そうして、据えるのだ。

 有り余る。
 余りすぎる。

 誰に、負わせるにしても。
 誰もが、負うにしても。

 きっとその先は、変わり『果て』るしかないのだろうから。

「――僕も不幸を広げたくないや!」

 そうして、据えるのだ。
 覚悟を。
 ユキみたいに。
 全力を、尽くそう――

 彼らの"幸せ"踏み越えて失わせてでも、失わない。

――全力を、尽くそう。

 ユキはセラの視線を少しだけ感じる。振り返れない。見れない。ちょっぴりの、これは恐れ。

 とうに離れた手の、からりとしたささやかな空(ひえ)を少しだけ意識して――その恐れをその空(から)に投げ込んで忘れ。

 加速する。
 憎悪と嫌悪と激憤で胸を、満たせ――。

 同時ユキの蕾が一斉に咲く。鮮烈の赤に白を混ぜたような甘やかな紅。
 それらが――咲いて咲いて咲きながらふき散る。

 薄紅の嵐に誰もが一度、抵抗する。
 あるものは顔を逸らす。あるものは腕で庇う。
 あるものは背を向けてあるものは傍の小さな子の顔を守る。

 花嵐に、セラはユキを見失う。
 でも、そんなことで不安になったりはしない。

 彼女も、彼女なりの戦いを始めたのだ。

 ならば。

「お願い【斬月】さん」
 セラはよぶ。
 花吹雪の中にたなびく、長い金髪がいく筋もゆっくりとたなびく、霊。
 武器である銀剣を抜いていないのは、彼女なりの優しさなのだろう。
 良いの。問われる。良いよ。答える。
 決めたんだ。告げる。

 もう、戦いたくないなんて――言わない。

 そう。

 花吹雪の中、彼女を中心に金の短剣が浮かび上がる。
 500を超えた剣は、それだけで太陽か導きでも降りてきたみたいだ。
 セラはその剣をまじまじと見つめ――それから花嵐の向こう、戸惑う人たちを見る。
 無力にしか、見えない彼ら。
 今から。
 今更、息が詰まる。心臓が少し早鐘を打って、血液が熱を持って、耳が痛くなってじんわりと汗をかいて――口の中に唾液が溜まる。
 怖いかもしれない。
 でも、決めたから。生唾を飲み込む。
 じゃあ、と彼女は言いかけて、セラを見つめて――言うのをやめる。
 どうしたの?セラが尋ねると彼女はかぶりを振った。
 今、あなたがしようとしていることを、しなさいと言おうと思っただけよ。
 
 セラは片手をあげる。
 今からのこれは、自分の意思でやるのだという、そういう証明が必要だった。
 他ならぬ、自分に向かって。
 指揮の手を――振り、下ろす!

 踊る花びらのなかを、金の単剣がそそがれる。
 
 短剣がふる。しわくちゃのシャツをきた男の右目から脳みそを貫いて金の短剣が振る。痩せた子供の首を貫いて床に縫いとめて金の短剣が稲妻みたいにふる老婆の右足に刺さって蹲った背に三本ほどが続いて刺さって金の短剣が神様のように降る女を大きな子供の人形を抱えた手ごと胸を貫いて金の短剣が降る何かの怒りみたいにそれに気づいた少年が抜こうとした手に追い討ちが刺さって金の短剣が降る涙みたいに振り返った額に突き刺って逃げる老人の右耳に短剣が刺さってすっ転んだところにまた剣、剣、剣――。 

 セラは、目を逸らさない。
 たとえあの嵐の中に、ユキを思わせる少女がいても。彼女ではないから。
 絶対に、間違わないから。
 
 だって、永遠、のぞまないでしょう?
 
 ゆうひの中で笑うと、なんだか寂しそうに見える、あなた。



 金の短剣が、降る、降る、降る――。
 外からの夕暮れをうつすそれは木漏れ日にも似ている。
 何人かが仲間の死体をかぶって、それが蝶になって消える前の時間かせぎをしようとして

「逃しゃあしませんよ」

 彼らの足に『根』が刺さる。
 そうして吹き荒れる花びらが降り終わる頃、凄惨が、上塗りされる。

「呪詛には――呪詛をお返しいたします」

 花は、ただのカモフラージュだ。
 ユキの本来の狙いは、根――ユキから伸びて、彼らに刺さり、食い込んだもの。

「逃しません。あなた方は逃しません。あなたがただけは逃しませんあなたがただけを逃すことだけはしません」
 唇から低く低く呪詛が漏れる。

 タオルを額に巻いた男が叫ぶ。重たげな牛刀。

 そして

 ・・・・ ・・・・・・・・
 そのまま、自身の首を落とす。

 短剣の雨を生き延びた少女が傍の青年の首を必死の形相で締め殺す手を青年が何度もナイフで刺す後ろで眼鏡の女が涙目で太った男の頭に金槌を何度も何度も何度も何度も何度も打ち下ろしている。

 まるで彼誰不知の刻。夕暮れも消えかけた縁に沈んだ戦場の光景。
 そうともこれこそがユキのコード。
 誰彼不知。
 根を通し――流し込む、憎悪、嫌悪、憤怒。

 殺めた後、泣きながら死んでいく。
 
 自傷させ、また、付近にいたものを猟兵だと錯覚、錯視し、攻撃させる。
 
 ……イメージとしてはハッキングに近い。
 もちろん制限はある。
 同じプログラム言語でなければシステムがはしらないように――この場合は、縁が、要るのだ。

 ユキの本質は、根源は贄だ。
 さらにいうのならば、たいらげて変質したばけものといっていい。
 つまりある種――禍つなるか、過去の海に連なるそれに、触れたといっていい。
 だから、かつて自らの意思とは言え贄になった彼らに、残酷なれど有効だと思った。

 それが、手段の採用理由。
 だが、この効果の酷さは、どうだ。

 舞っているのがもう、花びらだか血だか肉片だかわからない。

 自傷させ攻撃させる程度のものが。
 ここまでの効果に、なるのは。

 へ。掠れた笑いが口から出る。

 嗚呼。
 この溢れんばかりの憎悪は。払っても払いきれぬ嫌悪は。

「あ、ああ、ああああああ、うあ、ああああ!!!!!!」

 叫んでいる。
 誰かが叫んでいる。

「おや、おや、おやおやおやおやあ」

 パーカーにホット・パンツ。じゃらじゃら下げたチェーン。たくさん着いたピアス。つばの内側に派手な差し色のあるキャップ。
 そんな、背中にギターを背負った、パンク・ファッションの少女が、明るい色のジーンズに、白いTシャツを着た少年の首を絞めている。
 彼女の手首から溢れる血が、少年のTシャツを真っ赤に染めている。
 少年もまた、その細い指で包丁を握って、少女の胸を刺している。

「どうしました?お前達も同じなら最期に人違いはしないでしょう?」

 折れ。
 胸の奥のくろぐろとしたものがあの少年少女に叫んでいる。
 喉を折れ。胸を突け。

 あるのだろうか。
 あったのだろうか。
 ありは、したのだろうか。

「本当の大事を選んだなら!」

 たとえば――その。
 永遠に、ずっと一緒にいる、だなんて。
 望むわけじゃない。願うわけじゃない。呪うぐらいだ。
 それでも。
 ひとりにしない、させない、の、もう一つの回答が、どこかに。

 この、あふれる憎悪は。えづきそうなほどの嫌悪は。
 羨ましさや、妬ましさでは、ないだろうか?

 ちりん、と。

「――ッ」

 鐘が鳴った気がした。

 ユキは思わず顔をあげる――我に、かえる。

 鐘?そんなもの視界のどこにもない。
 違う。
 ユキの手はすぐ自身の小指に届いた。
 瞬きのような、絡んだ糸がぴんと貼られたような、痛み。

「ユキさん!」
 振り返る。



 見つけた。
 花嵐の中で、見失いかけたものを、見つけた。

「せら」
 乾いて乾いてからからの声が、ユキから聞こえた。
 花びらの雨が止む。
 コードを切ったのだ。いや――きれた、ように見えた。
 花絨毯に彩りの赤、かろうじて生き残ったもののうめきが、響く、その真ん中。
 ぽつねんと立つユキに、セラは駆け寄る。

「よかった」

 隣に。

「そこにいたんだね」

 傍に、戻る。

 止まない嵐の中で、悲鳴(ノイズ)みたいに小指のあかしが痛んだ。だから探した。

 よかった、いて。

 ――小さな不安は黙殺して。
 繋いだ約束は、確かにあるのだと安堵にかえる。
 とけちゃったのかと思った、冗談ひとつ付け加える。
 あ。声をあげてセラはユキへ手を伸ばす。椿を思い切り咲かせていたからユキの髪が乱れて大変なことになっていた。サイドが前まで来ている。ちょっとごめんね。返事も聞かずに手を伸ばして直せば、ぼうとした金の瞳があって、それはいつものユキの瞳で、でもいつものユキよりもちょっとよりどころなげで――微笑んで、小首を傾げる。
 だいじょうぶ。
 そう、背中を押すみたいに。
「セラ」
「うん」
 髪を直す手を、止めた。

「見せたく、なかった」

 露のような、ささやかなことば。

 血まだらは中心たる彼女から輪をかいて広がり、椿模様。

 ユキはぎこちない手を動かして、セラの手に触れる。
 いる。
 ある。
 今、ここに。

「居て、よかった」
 
 なんだか。
 セラには、ようやくユキの顔が見えた気がした。

「うん」

 肯く。

「僕も」
 こんどは、言えた。

 がしゃ、と崩れる音がする。
 金の短剣を突き刺されても。仲間を殺めた身であっても、立ち上がる――ものがいる。者たちがいる。
「ねえ」セラは彼らに呼びかける。
「気づいてる?」これが一体何になるだろう。けれどやさしさが口をつく。

「再会は、永遠の先にしかないんだよ」
 
 明日にしか。

「それ、は」ぜえ、ぜ、と、白いシャツの胸元を真っ赤に血で汚して

「しあわせなにんげん、の、言うこと、だ」
 首に赤く手のあざを咲かせた少年が、呟く。
 折れた包丁を捨てて、おちているギターケースからギターを取って、握る。

「きみ、は、きみたちは、しあわせで、居られるから、そんなこと言えるんだよ」

 むせながら吐き捨て、乱れたままの前髪の――誰も気付いて直してやらなかった、気づいて直してやる手はこの場でもう動かない――隙間から、睨みあげてくる。

「毎日毎日ずっと一緒だったこともずっと一緒にいることも忘れられてなくなるんだ」

 黒い蝶が飛んでいく。少女だったものが消えていく。
 ひとり、またひとり、少年につられるように、立ち上がる。

「ぼくも彼女もめちゃくちゃ頑張ってどうにかしようとしたって何もどうしようもできなくて大事に大事に愛しんで喜んでくれて詰みあげたものは全部崩れて無くなっちゃうんだ」

 少年には小さいエレキギターはガーリー・パンクなステッカーがベタベタと乱雑ながらこだわりをこめて貼ってあって、いくつか、明らかに趣味が違うシンプルなデザインのキャラクターのステッカーが浮いている。

「わかるか――一生懸命、何度、どんなふうにレコードをとっても、がりがりに削れて、割れて、砕けちゃうんだ」

 かれは、それを、ユキとセラに向けて構える。
 あれだけの惨状を見ても、あれだけの禍況を見ても、

「何度重ねた誓いも約束もどんなにかけがえなくて何度だって繋いだって砂の城みたいに崩れる、なくなる、別れてしまう、そういうのが、きみたちに、わかるのか」

 まだ、退かない。

「今日を逃したら、あしたになったらどうにもならなくなる」

「今日のままを願うのが、そんなに悪いことなのか」

 ――…。

「まあ、わからなくもありゃしませんよ」

 ユキは頷く。再び華を咲かせ始める。
「幸せは日々の瞬間だ」
 明日の朝には、散る花より儚い。散った花びらは風に弄ばれてゆくえもわからなくなる。
 くちゃくちゃの、ゴミになってしまう。

 ユキの脳みそは十四年分。
 忘れてしまうのかもしれない。忘れているのかもしれない。
 だけど、だけどねえ。根を張る。枝を伸ばす。

「変わりも終わりもなければ――」

 確かにユキは始まった。自身の喪失から始まった。
 確かにセラは始まった。他者の喪失から始まった。
 それが苦痛でなかった、わけではない――けれど。

「――始まりも、ない楽園など」

 そこから始まって、今、ここに来ている。

「不幸でしかねえ」

 妙な話だ。
 誰もがあんなことがなければと思う。誰もがあれをなくせたらと願う。
 でも、ここに立つ今は、そこから、来ている。

「ほどかれたとて大した事かよ」

 ユキは目の前の彼と彼女の事情は知らない。
 でも、彼らが諦めてしまったということは、わかる。

「結び直せて――忘れたとて思い出せるんだ」

 来なさい。
 突っ込むのではなく、今度は、招く。
 流し込んで狂わせたのは自分だ。
 ならばその武器は、自分に向けられるべきだった。

「…僕も、ユキさんに賛成」
 セラがそこへ割り込む。

「それに、きみたちのその永遠は、安らぎの前借りなんだよ」

 彼らはきっと、願ったんだろう。
「巣食う術式は将来誰かを不幸にする」
 あしたさえ、来なければ。

「あしたが来なかったら、あした来るはずの好転もないんだよ」

 あしたになったら。
 明日になったら――確かに、最悪の今日になるのかもしれない。

「あの彼女たちだって、何か変わるかも、しれないじゃない」

 けれど

「どうしてそう言えるんだよ」
 少年の後ろに立ち上がったものたちがゆっくりと集まってくる。
「え?」セラは目をぱちくりする。

「きみは、そう思わなかったの?」

 ここに。
 隣に。

「いっしょだから、大丈夫だ、って」

 そばに、いるから。

「――ほざいてろ!」
 少年が叫んだ。

「何度だって転んで立ち上がって泥まみれの傷だらけの血まみれになっちまえ!」

 勢いよくギターを横なぎに振る。

「来もしない明日と願いと喜びを夢見てつまんない努力だって気づかずにぐるぐるぐるぐるぐる回って――何度だって打ち砕かれちまえ!」

 それが、合図だった。

「――ぼくだって、それを何度も願ったんだ!」

 最後の突撃とばかり、なだれ込んで来る。

「お前達は今を生く者の邪魔だ!」
 一瞬言葉に詰まったセラの隣からユキが吠える。
 セラが抱えるようで吐けない怒りを、彼女が吐く。

 再び、怒りを。

「不幸に呪われる只人等――これ以上居ちゃならねえんすよ!」

 エレキギターが、折れる。
 弾けた弦が宙を叩く。
 少女が蝶と消えたのに残ったギターは。

 少年が蝶と消えるのに、連れ添うように、消えていった。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

ロク・ザイオン
★レグルス

(己に血の縁などはない
だからあらゆる過去が)
おれに、武器を向けたな。
(誰かに面影の似た、やせっぽちの少女ですら)
震えて、怖いのか。
…何故だい。

譲れない、足掻く願いがあるのなら
キミたちの幸せの為に、こころのために、戦えばいい。
牙をおれに突き立てて、殺してみろ。
おれはキミたちを、
そういういのちだったとして、
明日を、楽園を求めるもの同士
幸せを奪い合う「縄張り争い」だったとして、
殺そう。

お前たちにこころがなくて
全てを病に明け渡した病葉なら
おれはただ、それを灼く。
…痛みは、きっと、すぐ、終わる。


ジャック。
付き合わせて、ごめんね。

――おれは、傲慢か?
――こんなことを、決めてよかったのか?


ジャガーノート・ジャック
★レグルス

(血に依らぬ縁
「姫と紡ぎ、今はこの手にない縁」
「相棒と今も紡ぎ続けてる縁」
「姿なき友と紡いだ縁」
他にも多くのものがある)

――其方は任せた
本機はUDC本体を担う。

(この縁が切れない侭ならば良いと
切れなければ良かったと思った事はどれ程あったろう
お前の言う永遠を羨まないと言えば嘘になる)

――ああ
けど"そうなはならない"
"ならなかったんだ"

(行動予測。その口が理想を説く前に電脳空間から具象化した音響爆弾を起爆
紡がれる言葉を爆音で撃ち消した後、敵を撃つ)
【爆撃×狙撃/成功上昇:洗脳無効】

生きると言う事は変わりゆく事
お前達のそれは"停滞"だ

生きるものとして
その在り方と
相容れる事はない。
(ザザッ)



●“あなたがたはやがて、おのれの裁く裁きで裁かれ、おのれの量る秤で量られる”

 震えた、痩せっぽちの少女だった。
 がちがち、と歯を鳴らしながら彼らに向けて、サバイバルナイフを構えていた。
 乾き傷みきった枝毛だらけの髪の毛が跳ね回って小さな頭を一回り大きく見せていた。
 体は青あざと切り傷と湿布やらガーゼや包帯だらけだった。
 猟兵に依るものではない。彼女は、現れた時からそうだった。
 ナイフの持ち方は腰も入らず持つ位置もおかしい。
 それでもやめない。
 
 ――瞳が爛々と、きみたちを睨め付けていた。

「なあ」
 ざり、と砂(ノイズ)を引き摺り込みながら巻き込まれるワイヤーロープの声音。
 ロク・ザイオン(変遷の灯・f01377)は彼らから目を離さずに隣へ呼びかけた。
「『なんだ』」
 ざ、ざ、と空より電磁の粒(ノイズ)を巻き込みながら昇る電子の合成声音。
 ジャガーノート・ジャック(JOKER・f02381)が応じた。

 ぼさぼさ髪の少女は、二人から目を離さない。
 素人の、隙だらけなりに見つめ続ける。
 彼女の後ろの、子供たちも。
 格好もバラバラ、汚れや負傷もバラバラ、傷のあるものもいれば、いないものもいる。
 年頃はおそらく一番上でも成人の少し前だ。未成熟の顔立ち、体つき。
 どういう子供たちなのだろう。ロクは彼らに思いを馳せる。
 そういう子供たちなのだろう。ジャックは彼らへ思想する。

 ジャックは密かに分析する。こども。――やりづらい、相手だ。
 ……自分にではない。隣のロク・ザイオンにとって。
 こども。――できれば相手にしたくない、ものだ。ロクは二度静かに呼吸する。
 だが、しかし、であれば、であるから、こそ。

「頼んだ」
 ロクが一歩前にでる。
 一瞬、こどもたちの意識がそちらに寄る。
 なんて可愛い、ちっぽけなこどもたち。

「『了解』(コピー)」
 ジャックが飛び出す。
 こどもたちの方にではない。
「『――では其方は任せた』」
 その奥、その向こう。
「『本機はUDC本体を担う』」
 先へ逃走した、楽園の僕だといった少女に向かって。

 本当に、きっと本当の戦争なんて知らない、可愛いちっぽけなこどもたち。
 これだけでロクより脅威に見えるだろうジャックに素早い追跡を許してしまう!

「あいつ、ッ」子供たちのうちの誰かが声を荒げる。「待て黒ロボット!」幼い声がする「ちっくしょ早い」あれは少年「いい、おまえたちは追わなくていい」少女。「あっちに任せろ!」ざわめき、違うひとむれの動き。混乱は驚くべきことにそう長く続かず。
「そうよ」「僕たちの敵は」
 子供たちはまるで

「目の前にまだ、いるのだから」
 ひとつの命のように鎮まった。

「おれに、武器を向けたな」
 ロクは歩を進める。
 ごく自然に。
 しかし静かな、ささやかな威圧を込めて。
 
「震えて、怖いのか」

 その意味を問う歩みで。

 じり。傷んだ髪の少女が近くロクを警戒し間合いを維持しようとする。
「こわ、くは…ない」
 途切れ途切れの、たどたどしい喋り方。震え噛み合わなくなりそうになる歯を押さえながらもあるだろう。しかし、ロクは自身の経験から彼女の事情をなんとなく理解する――印象的には。しゃべることに、慣れてきたばかりに、近い。
「そうか」
 嘘だ。わかる。でも否定しない。
 かけたいのは揺さぶりではない。たといこの場でそれが必要であろうとも。
 何歩だろう。少女が後ろをチラと見て下がらなくなったので、ロクもそこで足を止めた。

 殺し合いのはじめられる間合い。

「なあ」
 
 武器に手はかけないままで。

「…何故だい」

 問うた。

「なに、が、だ」
 ぼさぼさ髪が切り返す。後ろの子供たちは息をつめて会話の行き先を見守っている。遠距離らしいものを持っている者はいない。それだけ、それだけ、今は心に留める。
「キミたちが、いや、キミ。キミがそこにいる、理由だ」
 ロクはさらに返す。少女は少し迷ったようだった。
 後ろを見ようと動こうとして、ロクを警戒して目を動かすだけにとどまる。
 口元がもごついて。

「ゆずりさまといたい」
 はっきりとそう告げた。

 ――声音の響きは、ロクにも理解できる音を含んでいた。
「ユズリ、というのは」詰まった息で返す。「おじょう、さまだ」
「ゆずりさまは、わた」少女はそこで一時しゃべるのを切り、ロクを睨み直す。

「ゆずりさまは、『おれ』を救って、くれたんだ」
 威嚇の、ためだろう。威嚇のためだ。ロクとは違う。
 だけれど。
「安心して寝ることを教えて、くれて、光が優しいことを教えてくれて、傷は普通じゃないって、手を繋ぐことを教えてくれて」
 言葉遣いをあえて荒くして。
「大切だって、だ、大事なんだって、いのちなんだって、考えていいんだって、ふくろじゃないんだって、にくの犬じゃない、わた、お、『おれ』は、あいつらのいう飲みおわるまでのビールの缶じゃないんだって、使って使って中身がないなら外見もぜんぶつかっておしまいじゃなくて」
 内臓の内側を、素手で撫でられているような感触がロクの内側でうねる。

「ソンザイなんだって、ソンザイになっていいって、なれって」

「おやめ、サエ」

 子供たちが、割れた。
 目の前の少女よりさらに小さい、少女が立っている。
 サエと呼ばれた目の前の少女とは対照的な様相だった。
 櫛が通り、丁寧に手入れされて輝く肩までの黒髪。頭には透彫のカチューシャ。
 膝丈のスカートにフリルのシャツ、グレーのジャケット。制服ではない。
 裕福さの匂いのする格好をした、少女だった。
 右頬が、歪に腫れて膨らんでいることを除けば、綺麗だと思っただろう。
「ゆず」「お黙り。お前は喋らなくていい」「でも、こい、つ」「お前『が』しゃべらなくていい」ざわざわする。「その猟兵とそんなことを話しても無意味だわ」血液と心臓が脳味噌まで登ってきたようだ。「それに、わたしがお前になにを教えたかなんてバラされ続けるのはちょっと恥ずかしいの」少女、サエと呼ばれたぼさぼさ髪の言葉にユズリさまと呼ばれた少女の言葉に子供たちの間で笑いが起きる。意地悪ではない。からかう調子の。

「そいつとは――わたしが話す」
 サエの後ろまで、進みでて。
 違う。彼女は違う。ロクにとって大事な面影の彼女ではない。
 だが想起させる。そして馳せてしまう。

「猟兵」

 睨むのではない、

「おまえ、そんなことを聞いて、どうするの」

 見据えるまなこが、ロクをつらぬく。



 血縁に依らない、大事な関係はあるか?
 イエス。あるとも。
 ジャックのほとんどはむしろそちらで作られたと言っていい。
 小さな姫。つむぎ、奪われ、それでも取り返したいと願うほどの縁。
 相棒。どうあっても、なにを選択しても、互いを見限ることなく、その時が来れば互いが互いの断頭台となる覚悟すら秘めて紡ぎつづける、縁。
 
 他にももっと、もっとたくさんの、たくさんの繋がりで今ここにいるジャガーノート・ジャックはできている。
 切れたことを今でも悔やむ別れもあって、もっとちがう形を願った出会いもあって、別れたはずなのにどうにも眩い気持ちのする離別もあってもこの出会いで良かったとそう考えられた縁もある。

「――コーイチ行ったぞ!」
 ジャックの疾走に背後の少年が叫ぶ。
 後ろから違法改造したらしいエアガンでジャックの移動を牽制しようとしてきたゴーグルの少年。
「あいさまっかせろ!」ジャックの数メートル先に立っている少年が叫ぶ。
「くっらえ!」
 ぶちまけられる小麦粉だ。
 視界はいっとき曇る。目眩しか。
 そんなのこの機体になんの意味もない。
 それとも――
「おっしゃ"かかった"ぞ!」
 それともを思った瞬間にコーイチと呼ばれた、ジャックの前にいる少年が誇らしげに吠えた。
「ケイちゃんかませ!」
 ぱちっ、と小さく弾ける音がした。
 成程。
 粉塵爆発。
 少年二人の歓声を聞きながら、ジャックは思う。
 ……きっと二人はこれを考えるのがとても楽しかっただろう。
 フォーメーションを組んで。戦略ゲームの延長で。普段できない手法を試して。敵は強大で。
 わずかな羨みがにじむ。ジャックにも、そんなふうに盛り上がりたい友達がいた。
 このUDCどもはそんなものばかり見せてくる。

 このままずっといれたら良い。この縁がずっと切れないままならいい。
 切れなければ良かった。
 そんなふうに思った事はどれ程あったろう。
 どれも届かぬ星のようにまばやかだ。

 嘘になる。
 わんわんと響く永遠をうたう声。ことば。
 最上で止まったら、そこを永遠にできたら。
 羨まないと言えば嘘になる。
 そうであれたならと、考えてしまう。
 でも。

「『無意味だ』」
 ジャックは彼とはそうはならなかった――なれなかった。

「『教えよう』」
 銃器、展開。
 両手に各一丁。
 コーイチとケイとやらをそれぞれ見たとわかるよう一瞥する。
「『真の威嚇――制圧射撃とは、こうするのだ』」
 本来なら実弾もできた。撃ち殺してしまうこともできた。
 そうするべきだった。彼らを殺すのは任務だ。
 ジャガーノート・ジャックはそれができるほどには任務に忠実な兵士であったし、それに嫌悪と抵抗を覚えてる精神がありこそすれ、そこでためらい引金にかけた指が鈍るほどの未熟さは持ち合わせていなかった。
 ――それでもゴム弾のタイプを選択したのは。
 ひとつには、ロクの頼みがあった。
 自分がやる。
 もうひとつには、やっぱり、羨みが、できればそのままにして砕かないで、いて、やりたいと思う気持ちがあった。

 そうなれなかったからこそ。
 腕をあるいは足を負傷して動けなくなった少年を尻目に、後方に、ジャックはさらに、前へ征く。

「わかるわ」
 素足の少女が立っている。
 この事件の中心のUDCが立っている。
「きみはおいていった側、ぼくは、置いていかれた側」
 鳥籠を抱え。小さなナイフを握って。

「あなただって、楽園をねがっている」
「『…ああ』」

 偽りを、吐かなかったのは。
 相棒の影響だろうな、とジャックは思った。



 聞いてどうする。

 問われればきちんと答えるべきだという誠実を、ロクは学んでいた。

「お前たちの、こころが知りたかった」
 もしもこの問いに虚さが少しでもあるなら、彼らは哀れな人形だ。彼らはありうべき自身の存在を甘言に乗り向こうにうばわれてしまった悼むべきひとたちとなる。

 ……全てを病に明け渡した病葉ということになる。

「もしも、こころがないなら、おれはただ、それを灼く、つもりだった」

 痛みは、きっと、すぐ、終わるだろう。
 一瞬で炎に焼べ、帰してやるのがせめてもの弔いだった。

「あったのなら?」
 ユズリが問う。
 この居心地の悪さはなんだ。
 ただ会話がしたいだけなのに、裁かれるような高圧は。

 もしもかれらに、かれらなりの譲れない、足掻く願いがあるのなら。あったのなら。

「キミたちは、キミたちの、幸せの為に、こころのために、戦えばいい、と考えていた」
 じっとりと手が妙な汗をかくのを自覚しながらロクは言葉を選ぶ。
「おれはキミたちを」
 幾対ものひとみ。サエとユズリもその中のひとつとひとつだ。
「そういういのちだったとして」
 なのにサエと、ユズリのそのかたちが。
「明日を、楽園を求めるもの同士」
 おまえは、なにかをまちがえたのだと糾弾している気がした。
「幸せを奪い合う『縄張り争い』だったとして、殺すつもりだったよ」
 ユズリはその宣言に眉ひとつ動かさない。
「……で、わたしのサエの話を聞いて、結論はでたのかしら?」
「でた」
「どうだった?」
 
「戦いをしよう」
 片手を拳に握り――それだけで少し武器を身構えるおろかで戦に稚いこどもたち――立てた親指をロクは自身の胸に当てる。
「おれに牙を突き立てて、おれを殺してみろ」

 意思のある、ひとたち。

「おれの叫びはキミたちにも届く。明日をもとめるおれのさけびは、キミたちにだって届くだろう。キミたちにも力を与える。でも、それでもって」
 たくさん考えたのだ。
 最悪の事件。
 にんげんなら、人間として、どうすれば、最善となるのか、と。

 明日を、楽園を求めるもの同士。
 幸せを奪い合う「縄張り争い」だったとして、殺し合おう。
 それが、きっと。

「おまえ」
 冴え冴えとしたユズリの瞳は瞬きもしない。
「それで、対等に扱ったというつもりなの」
 ぐっと、息が詰まる。
「それで満足するのは、おまえだけよ」
 小さな姿がひどく大きく見える。
 わすれえぬおもかげ。
「おまえ、自分の力をわかっているの――わかっているのよね?」
 ちいさかったあのひとも、こころから怒れば苛烈で。「心が無いなら灼けると言ったのよ」
 一体なにがこんなにも恐れに近いものを錯覚させるのだろう。「一方的に虐殺できると言ったのよ」黒いお髪。唇の赤。稚さと艶のアンバランスさ。「わたしが言わせた、ええ、それもあるわね」時折かけられる平等性。
「でもその言葉が出るほどの、自覚がそこにあるのよ」
 ひとみのなかの。

「おまえ」
 黒々と渦巻く、くらやみの、におい。

「同じだなんて――それでわたしたちを強く、引き上げられる身でよく、のうのう言えたものね」
 おれは。ロクは言葉を返そうとした。
 思わず瞳から目を逸らせば、サエと目が合う。咎めるひとみ。
「そうして戦って戦って殺し合って全力を尽くして死んだらまだいい、とか、自分が恨まれるぐらいならいい、だなんて」一歩。ユズリが前に出る。「考えてや、しないでしょうね」また一歩。
「なぜ、会話などしようと思ったの」
 ユズリもまた、ロクの間合いに入った。「わかることが、一体なにになるというの」
 そのままサエの一歩後ろに並んで。
「ようく知ってるわよ。おまえは今、高慢な憐憫のひとみをしている」
 
「そんなおまえのお膳立てた満足の舞台」
 ぱちり、と音がする。
「まっぴら、ごめんだわ」
 ユズリのポケットから取り出された、二つ折りの果物ナイフ。「ゆ」「サエ、振り返らない」「で、も」
「おまえは好きになさい。わたしたちは、御許につながっている」
 その言葉は、彼女らが命を捨てる時にも、捧げる時にもかわしたのだろう。

「なぜ」
 闘うのではなかったのか。殺すのではなかったのか。
 ユズリがなにをしようとしているのかを知ってロクは動揺する。
「キミたちはおれを殺せと命じられて、自分の、幸せとか、楽園のために、闘うんだろう」
「そうよ」
 大人びた絶望にあってしかし何かを信ずるが故のかがやきがある。「おまえのやり方と一緒よ」
「おまえがここでわたしたちを足止めしてあいつをいかせたように、わたしも今ここでおまえを足止めし続けるだけ」

 ロクによく見えるように。

「同じなんて片腹痛い――おまえが求めるのは残酷で悲痛と苦痛のこの世界のある明日。
 わたしが求めるのは、もうそんなのいっさいない、つながりに満ちた、ありふれたちいさい幸せよ」

「よくごらん、猟兵」

 一対のまなこがどんな昏い太陽より眩しくロクを見ている。
「さあ。わたしたちは病んでいるのかしら?病み始めているのかしら?」
 ひとつの唇がどんな月より壮絶に赤く光っている。

「おまえが『そう』なら」

 自身ののどに突きつける。

「わたしの回答は『こう』」
 
 血飛沫。

 そのあとのことは、明確に思い出せない。
 ちがう。記憶しているのだが処理しきれない、音声付きの映像に近い。
 一度、音声が吹き飛んだのもあるのかもしれない。

 吠えた。
 来い、なんでしぬんだ、死なずに来い――来い!
 きた命もいた。ユズリと同じ事をした者もいた。

 サエは、確か。
 いちど、ふりかえって。
 倒れたユズリを見て。
 みずからの首を、切っていた。

 嗚呼。

 おれは。



「『ああ』」
 嗚呼、そうとも。

 ジャックの回答に楽園の僕はうん、と肯く。
「うそ、つかないのね」
 多くの取り巻きが消えほとんど別の手段で兵士を用意しながら移動し続けた小さな王。
「『まあな』」
 ジャックは油断なく彼女を伺う。ひとつ明らかになっていないことがある。追加の兵だ。あちこちの水音、猟兵ごとに狙い澄ましたかのような相手の用意。

「でも、きみはぼくの前に立つのね」
 ちいさなしもべはただじっとジャックを見つめている。
 
「『ああ』」

「どうして?」
 予測完了。
 これは誘い(ブラフ)だ。
 ならば逆に乗れ。

「『素晴らしい世界、いつまでも共に在れる楽園』」

 自分のうちを吐露する

 相棒に友達を紹介できたならどんなに楽しかっただろう。
 ばかをやる仲間と一緒にふざけた島に遊びに行ったりとことんゲームしたら腹を抱えて笑い転げられたに違いなかった。情けないまねなんかきっと見せなかっただろう。

 ほしいと思う。手に入るのなら。

「『――けど』」

 けれど


「『"そうはならない"』」

 
 しもべの抱えた鳥籠。
 その中の首が口をひらく。これが最適なコードだと判断して。
 それはそうだろう。
 この自分がここまで喋ったのだ。そうでなければ割りに合わない。

 言葉が放たれる――それより先に。
 ユーベル・コード、発動。

  Did not become so
「『"そうはならなかったんだ"』」

 そうならない、なれない果てにもうたくさんのものを得て――ここまできて。

 叫ばれる、心が疼くだろう理想論と楽園論とみちびきを具現化した音声爆弾で吹き飛ばす。

 もう。

 振り返る道も戻る道も、とまる道も選べない。
 もう星に手を伸ばす側では無くなってしまった。
 もう星に祈る側でもなくなってしまった。
 ……そもどちらもガラじゃないというのは、ほら、まあ、差し置いて。

 託される。願われる。

 銃器、展開。

 自らで得ようとする、星(レグルス)になったのだ。

 発砲。

「『生きるということは変わりゆくこと』」
 絞り出す。
 変わりたくなくても変わりたくても、望んだ形でも――望まない、形であっても。
 これだけは、変わらないでいてくれと願っても。
 相棒は、どうだろうか。
 晒されてめまぐるしく変わり続ける彼女は。
「『お前達のそれは"停滞"だ』」
 それで済むなら本当は幸せなんじゃないだろうか。弱い部分が膝を抱えていう。
 馬鹿野郎。
 こんなつまんない理想いうのもなんだけど、さあ。

 ここまできてここまで受け取ってここまで変えて変わってきた、自分とか、さあ、
「『生きる、ものとして』」
 みんなとかに――それ、言えんのかよ。

「『その在り方と――相容れる事はない』」


 血飛沫が、飛んだ。




「『――完了したか』」
 立ち尽くすロクのそばにジャックが寄る。

「ジャック」
「『ん』」
 蝶はすべて飛び立って、なにも残らない。
 せめて何か残っていたのなら、違ったのだろうか。

――おれは、傲慢か?
 まだ足元がぐらぐらと揺れている。
 脳味噌まで揺れて、内臓が悉くうねっている。
――こんなことを、決めてよかったのか?

「付き合わせて、ごめんね」

 顔が上げられない。

「『いや』」
 ……ジャックは考える。
 ロクは、なにをどこまで考えて、彼らの対話を望んだのか。
 自分は彼女ほど優しくはない。彼女の望みがどこまでだったのかを完全に理解はできない。
 見当違いの可能性すらある。
 だが、相棒として――少しでも想像ができるなら。

「『ロク』」「ん」
 あえて、いつもの調子を貫いて。

「『有り得たかもしれない』」
 少しでも想像ができるなら、言葉をかけてやることは、できる。

 ロクは顔をあげてジャックを見た。
 ジャックはロクの方を見ない。

「『でも――"そうはならなかった。そうは、ならなかったんだ"』」
 時折入れる引用を、いつものように入れる。

 奇しくもそれは先程楽園のしもべに突き付けたのと同じ言葉で。

 夕日の明かりに縁取られた鋼の目から頬にかけてのラインが、言われもえぬほろ苦い優しさの曲線を描いていた。

「『"だから、この話はここで、おしまいだ"』」 

 そんなことばかりの、楽園には程遠い世界。

 夕日が屋内に黒く影を落としている。
 焼け落ちて昇れなかった蝶に、似ていた。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

鳴宮・匡
――大切なひとが、いた
亡くしたそのひとの元へ還りたくて
いつか死ぬためだけに自分の命を定義した

だけど、生きていく中で沢山の人に出会って
その中で、大切にしたいひとができて

苦しくても、痛くても
ひとはいつだって前を向けるもので
それが生きているってことだって、わかったんだ

歪めて留められた永遠は
きっと死んでいるのと何も変わらない

それでも、永遠を願うその思いは
とても純粋なものだったんだろう
それが歪められてしまうのは
きっと悲しいことだから

一射の元に頭を砕き
目に映る限りを討伐する
手向けの花、葬送の焔の代わりだ

この目に何が映ったとしても
この心が乱されることはない

もう、そう決めたから
痛みも苦しみも呑んで、前へ征くよ



●“あなたは再び私を見る。”

『常に凪いで、ありなさい』

――大切な、人がいた。

「……こういうことを言うのもなんだけど」
 ぼたぼたっ、と口から血を流す楽園のしもべが顔を上げれば、男がひとり、立っている。
 男はその小さな少女の形をした、この嵐の中心を見つめる。
 彼にはそれが小さいこどもに見えた。
 他の猟兵による者だろう喋らなくなった鳥籠の中身を、それでも大事そうに鳥籠ごと抱えて。
 ちゃちなナイフを、十字架みたいに握り込んで。

 男――鳴宮・匡(凪の海・f01612)には、ほんとうにかけがえのない人がいた。
 くらやみに輝くような白い手。頭を撫でる緩やかな動き。

「実は」匡は少女から目を離さず、空いた左手でほんの少しだけ顎をかいた。「ちょっとこういう言い方をすると誤解を招きそう、なんだけどさ」そのてをおずおずとおろす。
 穏やかで静かな無表情には目立った感情らしいものはない。
 声もなんの調子もない。歪な無感情ではなく、仮面のような無常ではなく。
 ただ、日常の延長のような、凪。
「期待とか、……心配、みたいなものを、していたんだよな」

――亡くしたそのひとの元へ還りたくて、

『常に凪いで、ありなさい』

――自分のいのちを、定義した。

 凪の海。戦場を絶えず揺らがずただなべて歩む男。
 痛みがないのだろう。感情がないのだろう。
 魂すら、凪いだ海の彼方に沈んでいるような、男。
 そんなに遠くに沈んでは、もはやないのも同然だろう。
 『ひとでなし』。

――いつか死ぬためだけに。

 それぐらいかけがえのない人。
 追いかける人。思う人。
 あまりに思い、心と、記憶とともに沈めていた、ひと。

「向かい合えない――撃てないんじゃないか、なんてさ」
 さげた銃からにはまだ硝煙が強く匂う。「ありふれた心配なんだけど」

『感情で引金を引いてはならない』
 いろんなことを教えてくれた人だ。
 感情を捨てろという意味と思いきや、全くちがう意図だったのに気づいたのはずいぶん後になってだ。
 ……いや。自分はできないと思い込んで、知らないふりをしていたという方が正しい。
 気づくのに、ずいぶん、本当に、長く、遠くかかってしまった。
 しかも恥ずかしいことに、まだ、完全じゃない。
 まだ、途中でしかなくて。

――どうして、そんなことに、自分がわざと自分からも離してしまい込んで隠し通して隠し続けられたことに向かい合おうと思ったのか?

「いや、うん、本当に余計な心配とか、期待だった」
 きっと彼と親しい誰かがいたなら、教えてくれるかもしれない。珍しい仕草だ。わかるよ。
 ちょっとばかり、恥ずかしそうにしているのだ、と。

 生きて。
 駄々っ子のように還ろうとして。死にたくても生きて。
 出会ったのだ。
 たくさんの人に。
 いいやつも悪いやつも楽しいやつも可愛いやつも時折どうしようもないやつもどうにも、ほうっておけないやつにも。

 それで。

 大切にしたい、人まで、できて。

 そしたら、凪いでいることが、惜しくなってきた。
 苦しくても辛くても血にまた塗れて罪ばかり背負ってもそれでも。

 少女は手を口に当てその指の隙間から血をこぼしながらも匡を見上げる。

「うてた?」
「うん」

 生きたくなった。

 自分だってどこまでの深さにあるのかもわからない、深い深いどこかにある、心と記憶と魂と大事な記憶が全部全部、欲しくなった。

「なんだろう――俺は、わからないでも、ないんだよ」

 とおさまがしたようにとナイフを振り回して。
 かあさまの言う通りと言葉と理論と思いを並べて。
 置いていかないで、と幼い声で叫ぶ、彼女に。

 同じような欠落を、或いは弱みを、願いを、抱えたものをひきいて、中心に立った、白く小さな裸足。
 楽園のしもべとまで自身をのたまい、屍を積み上げただろう、手。

 ただ凪いで凪いで引金を引いた指と、どう違うだろうか?

「…きみも、こちらに、くる?」
 匡はほんの少しだけ唇の端を緩める。
 完全な微笑みにも満たないただの動き。

「もう、そこへはいけない」

 首を振る。

「ひとはいつだって前を向けるものだって」

 足掻いて転がって痺れて挫けて動けなくなって。
 泥に塗れて傷だらけになって痛みに咽いで。
 それでも。
 前を向いて。

「それが生きているってことだって、わかったんだ」
 
 永遠が欲しかった。
 もう一度が欲しかった。あの頃が欲しかった。あのひとのてが、こえが。

「楽園は、いらないの?」

 らくえんが、欲しかった。

 でも、

「うん」
 頷く。

 鳴宮・匡は歩いて歩いて凪の海を小さな舟で一人漕いで漕いでみんなを乗せたり下ろしたりして、
 ――そんなところまで、たどり着いてしまった。

 いや。

 そんなところまで、

 これた。

 正確には――匡はかぶりをふる。
「正確には、あのひとそのものじゃなかったから、まあ、まだ、俺が本当にそれと対峙した時、どうなるのか――わからないけれど。でも出されたのは間違いなく俺が望んだのに、限りなく近い光景だったよ」

 何か仕組みがあるんだよな?
 問うて――ぷっくりと少女の瞳に涙が膨らんだ。

「ぼくは、見たの」掠れた声。
「みんなから引っ張り出されたこうふく」
 喋るたびに溢れる血は少女の指も胸も真っ赤に染めている。
「みんな、だいじなひとが、いて、いたかったのよ」
 どうして?問われる。
 地獄の真ん中であまりにも純粋な声が問う。

「どうして、いたく、ないの?」

 いたくない、わけじゃない。
 いたくない、わけがない。

 ただ。
 歪めて留められた永遠は――きっと死んでいるのとなにも変わらない。

「引っ張り出されたこうふくは、抱えた痛みの、悲しみの、ひっくり返しなのよ」
 うん。
 匡は頷く。
「置いていかれるのは、つらいじゃない」
 うん。
 何度でも、肯く。
 ここに来てよかったと、少しだけ思った。

 きっと、誰かはこの話に激怒するだろう。
 そんな小さな願いで、この有様をみろと吠えるに違いなかった。
 そんな願いで、どうして。
 
 けれど、それでも。

 永遠を願う、その願いは――とても純粋なものだったのだ。

 じぶんのいたみから、おなじ痛みを抱える誰かを救おうとする祈りだった。

 ……そして。

 歪められてしまったこれは――とても、悲しいことだった。

「どうしてみんな、おいて、ゆけるの?」

 膨らんだ涙が落ちる。

「ゆけるんじゃない」
 
 凪いで、あろう。
 感情で鈍るのでなく。感情で引くのでなく。

 この目に何が映ったとしても。
 この心が乱されることはない。

「もう、そう決めたから」
 
 痛みも苦しみも呑んで、

「前へ征くんだよ」
 
 一射。
 頭蓋を的確に、砕いた。
 最後の薬莢が、床を叩いた。

 小さな、子供のあいずのように。

大成功 🔵​🔵​🔵​




第2章 冒険 『危険な流行』

POW   :    儀式等を行おうとしている人々を力尽くで止める

SPD   :    過去に儀式等が行われた場所へと赴き情報を調べる

WIZ   :    聞き込みやインターネット検索により流行の発生源を探る

👑11
🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​

種別『冒険』のルール
「POW・SPD・WIZ」の能力値別に書かれた「この章でできる行動の例」を参考にしつつ、300文字以内の「プレイング」を作成してください。料金は★0.5個で、プレイングが採用されなかったら全額返金されます。
 プレイングが採用されたら、その結果は400文字程度のリプレイと「成功度」で表現されます。成功度は結果に応じて変化します。

 大成功🔵🔵🔵
 成功🔵🔵🔴
 苦戦🔵🔴🔴
 失敗🔴🔴🔴
 大失敗[評価なし]

👑の数だけ🔵をゲットしたら、次章に進めます。
 ただし、先に👑の数だけ🔴をゲットしてしまったら、残念ながらシナリオはこの章で「強制終了」です。

※自分とお友達で、それぞれ「お互いに協力する」みたいな事をプレイングに書いておくと、全員まとめてひとつのリプレイにして貰える場合があります。


●“Hear no evil,”―― “ 聴け。満ちるものたちよ”

 すべての影は消え失せ。
 きみたちは立ち尽くすふたりの少女を見る。

「…あした、ね」

 赤みのつよい茶髪の少女が後ろに庇っていた黒髪の少女の手を握り、揺らす。

「今日の先の、あしたのさきの、そのさきのあした」
 手を、離す。
 彼女は驚くほどなんの抵抗もしなかった。
 きみたちの連絡を受け駆けつけたUDC職員に誘われていく。
 ……彼女たちを待つのは記憶処理だ。
 彼女たちの記憶は消されて代替される。

 なかったことになる。

 選んでいいと肯定されたことも。
 冗談みたいな儀式を知ったことも。
 そこに微かな希望を見出したことも。
 友達がそれに賛同してくれたことも。
 それが凄惨な光景を生み出したことも。

「それでも、あしたは――いいことがあんのかな?」
 それでも足掻いたきみたちの姿と――記憶も。

「どうしてあんたたちは、そうして戦って、戦うの?」

 彼女はただ問いだけを投げて、去っていった。

 そして、きみたちは情報を得る。

 少女が得たというカードを手に入れる。
 記されているのは場所、条件、呪文、手法――つまり、簡易呪術の類だ。
 きみたちは驚くかもしれない。
 情報はあまりにも“曖昧”だ。これではおまじないが“歪む”のも“当然”であると言える“だろう”。
 そしてきみたちはこれにちょっとした疑問も感じるだろう。
 “あえて、不明確にしている”、ような。
 
 “さあ猟兵”
 おまじないを辿れ。
 少女に“渡した”それは、もちろんおまじないなどでは“ない”。
 ある術式を歪め拡散し広げる“他に”。
 高級紙のカードをリボンさながらに彩るダークブルー。“礼を尽くした”万年筆の筆跡。
 
 “解けるだろう?”
 きみたちへの――“ちょっとした遊び心のあるクイズ”であり“課題”であり“招待状”だ。

 きみたちは廃ビルを後にする。
 夕日は落ちて夜――“今宵は新月”。
 世界は今、影と、くらやみのものどものものだ。

 条件を満たす場所や状況を手当たり次第でも良し、
 聴き回るも良し、さまざまな手段で検索するも良いだろう。

 呪術を紐解くことに心を砕くのも良い。
 一体何がどう感染しているのかを探るのも良い。
 噂を封じることに走るのも良いだろう。

 そして――このカードの贈り主の元にまで辿り着かねばならない。

 “しかし――気をつけた方が良い”。
 歪であろうと呪術は呪術――

 広い通りに出れば電飾、電装、イルミネーション。
 その影が、何か肉のように蠢いたように、見えた。

 ――何かしら、物理なり、呪術なりの対策を講じておく方が良いだろう。

 きみの首筋が、ふと、疼いた気がした。

“おわあ。おわあ。
 ここの主人は、病気です。”

■マスターから“の”お知らセ“ ” ■

 こんにちは。“縺薙s縺ォ縺。縺ッ縲”、微弱縺ェ地獄縺ァす。

 物語は一転“ ”、探索パートとなります。
 噂の拡散、分析、感染とは。
 お好きなアプローチで大丈夫です。
 都市の闇に影に潜むものを暴く密かな戦いを始めましょう。
 断章で記載されているように、妨害などが入る可能性があります。
 物理なり精神なり呪術なりのできる“ ”対策を 講じて おく コとをお勧め し ます。
 ま た、追加で調べてみたいコとや気ニなる要素があれば一言付け加えていただければ幸いです。
 
“ところで”
“これがなんの事件の依頼であったか”をあなたハ“覚えている”諢滓沒蝙偽DCでしょ縺ョ莠倶サカ縺ォ髢「繧上▲縺滓凾轤ケ縺ァ蜷帙′縺セ縺輔°諢滓う沒縺玲─譟薙&縺か?

帙k蛛エ縺ォ縺ェ繧峨↑縺?↑縺ゥ諤昴o縺ェ縺?□繧阪≧?

■プレイングの受付■

・断章公開後〜12月8日(水)8:00まで。

一旦プレイングをお預かりし、書けるだけの採用となります
一章で採用となった方を優先しますが、
余裕があれば採用させていただきたい所存です。

“ディア”、“マイ・ディア”。

ご “ 健闘を ”。
九十九折・在か
☆行動
カードを渡してきたヤツが出た公園へ

向かいながら
戦闘終了時に眺めた猟兵達の様子を思い出す
ケロッとした者
ドンヨリした者
皆、自身と同様に見知った姿のナニカを見たのだろうか

……そういえば昔
『人へのノロイは穴たくさん』
みて―な事ママが言ってた気がする

私バカだからよく分かんねーけどさ
さっき戦ったヤツ等がノロイなら

のろわれてたり
しないよな

☆対策
最近入学したアルダワ学園で学んだ解呪呪文で【浄化】を試みる
物理的妨害には物理的対処
暴力には暴力をぶつけんだよ!!

人型存在が接近した際は警戒、威嚇、距離を取る
私は敵を殴りに来たけど
お前は敵?殴っても死なない?

アレンジ
アドリブ
コラボ
大歓迎



●“『――手順は以下の通り』”

「ねえ私これこーゆーのあんま使い慣れてねんだけど大丈夫聴こえてるーー!?!?」

 きぃ。

「あ!大丈夫!?!?大丈夫!?!?しへへ!よかったあ」

 ブランコが泣いている。

「あんね、ひとついーい?」

 夜に沈んだ公園で、九十九折・在か(デッドガールのゴッドハンド・f24757)を恋うブランコがひとつ泣いている。

「なんかイミとか良くわかんねえし、ちっちぇーことなんだけど、ちょっち気になったから報告すんね」

 在かはUDC(コープ)から貸し出された連絡用端末を使うのと喋るのに夢中でブランコのことは見もしない。
 在かは今、公園に来ている。
 住宅街の端っこの、ありふれた小さな公園だ。

「たぶん、大事だと思うからなんか他のみんなにも教えたげて」

 あの女子高生が男からカードを受け取ったという、公園。

「あんね」

 在かは唇を開き――

 きぃ、きぃ。

「――ごめん」

 ――やめる。

 鋭く警戒の眼差しを滑らせる。

「邪魔入ったっぽい」
 通話も切らずにポケットへつっこんだ。

 ……街灯の下に、女子高生がひとり、立っていた。
 片手に、バールを持って。

 きぃ、きぃ。

「お前、どっち?」

 ……とりあえず問うたのは、そいつが在かが見た奴らと大きく異なる点があったからだった。

「私は敵を殴りに来たけど――お前は敵?」

 現れる際に水音がしなかった。
 赤い紐もなかった。
 ……気づかなかったはありえない。公園の外の方から近づいてくるのを在かはあえて見逃していたのだから。
 
 返事はない。

 一般人ではない。引きずるような足音に、不規則で苦しげ、喘ぐような呼吸音はどう考えても異常だ。無造作に片手で握っているバールの異質さは言わずもがな。
 くにゃくにゃとしたアンバランスな動き、所在なさげに揺れる上半身。
 彼女の立っている位置が悪く、俯いた顔には影が落ちて鼻先と唇しか見えない。

 きぃ、きぃ。
 ブランコが泣いている。
 ちょっと派手に飛び降りられたせいで跳ねるブランコの音に時々軋みが混ざる。
 ぎ、きぃ――…。

「殴っても死なない?」
 
 女子高生は答えない。
 
 答えぬまま――ぶらりと上半身を折った、かと思うと引っ張られた人形のように起こす。

 おこして

 ぎゃた、と。
 剥いた目を左右でぐりぐりと蠢かせ口から涎を垂らしながら笑い出す。ぎゃた、ぎゃた、ぎゃたぎゃたぎゃたぎゃたぎゃた――ぎゃたぎゃたぎゃたぎゃたぎゃた!!

 在かは考える。難しいことは得意じゃないのに。
 ゾンビ?無い。肌も目もきれいだ。ヤク?だとしてもこんな笑い方しない。
 操られてる?だったら本体はどこだ。見ているのか。

「じゃあ、殴って確かめるしかねえなァ!!!!!!」
 先手、必勝。
 猛進――前にでる。


――公園に行く道すがら、在かはずっと考えていた。
 何ってもちろん猟兵たちのことだ。
 疲れてやつれて――削れてる者もいれば、なんのこともないという顔をしているものもいた。
 あれはいったいどういう差なのだろう?
 みんな在かのように何か見知った姿をしたナニカを見たのだろうか?
 見たヤツが疲れてて見なかったヤツが元気?
 ……いやいや在かみたいな例もあるからそれはちょっとどうだろう。


 バールの一撃を避けることは容易かった。
 弱い。
 在かは確信する。あいつらと同じだ。
 むしろもっと弱い。
 まるで人間の体をわかってない、みたいな。


――……いやいや在かみたいな例もあるからそれはちょっとどうだろう。
 効くやつと効かない奴を、見たやつと見てないやつって分けるのはちょっとオーザッパな気がする。
 でも。
 在かはちょっとだけ思う。
 たどり着いた小さな公園。
 まばらな街灯に照らされて、あるいは木の陰で沈んだ――こどもの国。
 亡骸みたいに静まり返っている。
 砂場に半ば沈んだクジラ型のカップには掠れて読めない名前。

――あれがノロイだってんなら刺さるヤツはいっぱいいるかもしんない。

 在かだって『あれ』を、あんなトチ狂ったことを言いだす前はママだと思った。
 らくえん。
 在かは飛び出した側だけど、そーいうのがほしい人だってやっぱりいただろう。
 だったらそれを出してきて殺せってのは、やっぱり、ちょっと、いやかなりひでーんじゃないかなと思う。あんな弱くなかったら、それこそ在かの場合はもっとママに近かったら、もっとマジでやばかっただろう。

――そーいえば。

 在かは誰かが作ってそのまんまの山にクジラでトンネルを開けかけて諦めた。
 砂が爪の間に潜り込んでじゃりじゃり言うのが今日はちょっと嫌だった。


 柔らかい。
 それが在かの肌を逆撫でた。
 女子高生に叩き込んだ蹴り、突っ込んだつま先のぺぎ、という音に、その先の感触に、肌が妙な拒否感を覚える。
 そんなのあの乱戦でいっぱい戦って味わった感触だからそのまま突っ込めばいけると言うことはわかるのだけれど。


――そーいえば、『人へのノロイは穴たくさん』みてーなことを、昔ママが言ってた気がする。

 小さい水飲み場にはちゃんと手を洗う蛇口があって、出てきた水がまた冷たくてまたちょっと気分が下がる。でもちゃんと洗う。手はちゃんと洗えよ。ママはそう言った。それをちょっと、今日はちゃんと守りたい気分だった。あのママもどきを振り払うためにも。

――なんだっけな。


 どうする。
 在かはわずか考えた。こいつをどうする。殺すか、倒すか、それ以外か。

 ・・
 ぶく。

 そいつが現れたのはその時だ。
 少女の額に、親指の先程の小さな肉塊が膨れた。たんこぶのもっと小さくてまんまるいやつだ。あ、漫画で見た。と思った。こないだ読んだシリーズものの漫画に出て来たみたいに何かが飛び出してくるのだと身構えた。肉片とか。

 肉片は、

 ちいさな、ぷっくりとした、

 ・・・・・・・・・・
 手のかたちをしていた。

 ・・・
 まるで。

     ・・・
 向こうに何かが、いて、苦しくて暴れて手を伸ばすみたいに。


 ヤバイ。


――なんだっけな。『人のノロイでお前ボコボコ』…じゃなくて…。

 あれは何だっけ。
 手を振って水滴を落とし残った湿気をズボンの裾で拭いて在かはブランコへ腰を下ろす。
 思い出せない言葉の形に動くママの唇が頭の中でぐるぐる、ぐるぐる、渦を巻いている――。


 よくわからないけどヤバイと思ったら対策はひとつだ。

 ガッコ―在かはこれでもきちんと魔法学校に所属している。ヒケンシャケンヨーというなんかちょっとほかと違う肩書きがついているが立派な生徒だ―の先生の授業を友達はそうわかりやすく教えてくれた。
 ヤバイと思ったら無力化する。
 そんなもんブン殴って黙らしゃいいじゃんね。在かがそう言うと友達は首を横に振った。
 マホウとかジュジュツだとそうはいかないんだよ。
 殴って黙らせる、その方が大変なこともあるんだ、とかなんとか。

 お呪い、魔法、呪術――『感染型』。

 在かは口から解呪呪文を叩き飛ばす。
 次はどうするんだっけ。これはどういう意味なんだっけ。エンチャント。そう、確かこれは解呪だけど自分に解呪をくっつけるやつだ。
 だから唱えて終わりじゃない。その先がいる。

 在かは手を伸ばす。
 女子高生は肋骨何本かやられてるはずまのにめちゃくちゃに振り回してくるバールが在かの脇腹に思いっきり入る。ぐじゅ、肋骨は大丈夫だけど内臓がひしゃげる音がする。
 構うか。
 手を伸ばす。女子高生の額を、手の出て来たあたりを掴む。掴んでいる。感覚がある。額の向こうには頭蓋しかないのに逃げるはずの何かを掴んだ感覚があった。どうしてみんなバールなんだよさっきの乱戦の子もバールだったしその制服カードもらった子と同じ学校のっぽいしなんだなんなんだあそこで全部倒したのになんで今こういう人型が来るんだアレで全部じゃなかったのか。

 何か、妙なチグハグさが、えもしれぬ嫌悪に拍車をかけていた。


――ばし、と。


 在かの、手の、向こうで。
 解呪の、向こうで。

 何かが弾ける、手応えが、あった。

 
 女子高生が倒れる。崩れ落ちる。
 糸でも切れるみたいに。
 
「……もしもし」
 在かはポケットから端末を取り出して耳に当てる。「あ逆?」しへ、と笑ってなおす。
「あんね」息が上がっている。「救急車おねがい」

 女子高生は倒れてうめいている。
 う、とか、げ、とか、いたい、とか。
 狂ったような、笑い声じゃなくて。

 嫌悪感が消えない。
 呪い。今在かが唱えたのは解呪の呪文だ。
 なのにあの手応えはなんだったんだろう。

 今。
 在かは考える。

 今、自分は――

「あとね――さっきの続き、なんだけど」

 家々には灯りがついている。

「この公園の周囲でね、あかちゃんなんてひとりもいねーんだって」

 ――今、自分は、何を、祓った?

 そうだ。
 思い出した。
 記憶の中のママの唇から音が聞こえだす。むつかしい言葉だったのでむつかしいなりの返事をすると、適当な返事するな、とママは言った。いいか。じゃあわかりやすく言ってやる。バカでもいいからバカなりに考える時は考えろ。

『気をつけろ』

――私、バカだからよくわかんねーけど。

『人を呪うとお前も呪われるんだ』

  もし。もしも。

――もしも、さっき戦ったヤツらがノロイなら

 在かの唇が自然と再び解呪呪文を紡ぐ。
  
 そこに手を伸ばしたのは、単純なイメージだった。
 あの偽ママから下がったあかい紐。掴んで、引きちぎった動き。
 引きちぎる前は歪で、引きちぎった瞬間滑らかになった動き。

――私

 自らの頸。
 術式を備えた手を、伸ばす。

――のろわれてたり
  
 解呪、施行。
 
――しねえよな

 ――…。
 ……手応えが、あった。

 さっきの女子高生のよりも小さい、ぷちりとした感触だった。

 さっきより小さいけれど――さっきと同じだ。
 そう。
 解呪、と、言うよりは。


 にくのある、いきもの を つぶした、ような。


 そんな、手応えだった。

成功 🔵​🔵​🔴​

夷洞・みさき
呪術的視点で考察。

【SPD】
儀式のあった場所ではなく、あったと噂された館の様な場所を探す。

存在した場合は、
自身で儀式を行うのは危険と想定。
UCで実館を上書き、
氷白館内で館の住人達による儀式の再現を依頼。
役者間の関係は館主の任意。館主とみさきは基本見物。
彼等がどうなろうと、一晩の吹雪で元に戻るのだから。

このUCのオリジナル同様、
呪詛とは積み重なる物。疑似で紛いで曖昧でも
繰り返せば真に迫る。
有らぬ過去が真実と誤認されるが如く。
自身が感染源となっていたとしても、それが咎人への道なら歓迎である。

さぁ、征こうか。
親愛なる、僕の愛する同胞達。


ところで遅れて来た僕は、誰からカードをもらったんだろう。



●“『行うところを、参加者以外に見られてはならない』”

――ねえ知ってる?あの噂。
――あれ?いまどきおまじないってなんなの、って感じしない?
――するする、めっちゃする!

 かりかり……。

――でさー、ちょっとこの間さあ、検索、かけてみたんだけど。
――わりとガチじゃん。笑う。
――ほらあ、誰かがテキトーに言ったかもしんないじゃん!裏はとるよね。
――そいで?
――びっくり!
――出てきたの?
――出てきた出てきた!
――へー。
――いや聞いてよお!ヤバイのこっからだってえ。

「これは、聞いた話なんだけれど」
 薄暗い室内で淡々と作業が進んでいる。

――なに。元々昔っからあったやつだったってオチ?
――そー思うじゃん?だか、あとでもっかい見よって思ってさあ、アドレス取っといたらさあ

「呪術というのは本来繊細なものだそうだよ?」

 小さなソファに座って、夷洞・みさき(海に沈んだ六つと一人・f04147)はゆうらりと尾を揺らした。
 周囲をふわりゆうわりと、六つの魂が深海魚のように宙を遊泳する。
 指示通りだ。


――ヤバイの!次はもう出てこなかったの!
――発言消したんじゃね?
――アカごと?ほらスクショ。
――…うっわ。
 
 大して時間のかからない、単純な作業だ。
 人を集めて図式を用意して――そして後は唱えるらしい。
 単純だ。お手軽だ。

「本当のおまじない、つまり、呪術はね、もっと緻密なんだってさ」
 そして、曖昧だ。

 たとえば式を描くのに用意する筆記具も白とだけだ。
 インクなのかマーカーなのか絵の具がいいのかチョークなのかさえわからない。
 呪術とは本来素材にまで指定がくる。
 例えば月夜に拾われた骨貝を子供の骨を砕いたもの。

 魂たちはのびのびと夜を泳ぎ、打ち寄せるはずの過去からの匂いを探っている。
 いったいどこに。いったい何が仕込まれているのか。
 怨敵を探すように。
「……まあ全部受け売りなんだけど、ね」
 みさきはつけくわえて笑んだ。
 今この場でみさきに必要なのは語ることだった。語り続けることだった。
 そうして興味を惹き続けるのだ。
「でも、信じてもらって構わない筋の情報だよ」
 一つだけ。
 魂がひとつだけみさきの耳の傍に寄り添っている。
「そうして咎を重ねた者を追って暴いて仕留めてきた同胞からだから、さ」

――それで、さあ、駅の北口のパチンコ屋さあ、右曲がってまっすぐ行くと商店街あるじゃんかあ。
――ふっるいやつね、商店街つかシャッター街じゃんね、あんなん。
――あそこ抜けると、ほらあ、蔦びっしりのやばい家あるっしょ!
――昔一回不審者入っててケーサツきたやつ?

「呪術、おまじないっていうのはね、願いを種火に思いを昇華し世界の道理を歪めて我が意とする。
 ――要するに世界に対するわがままなんだ」

――あそこが、このおまじないにぴったりなんじゃないかって

「魔法とおまじないは何が違うと思う?」
 さらり、白とも見える青髪を揺らしてみさきは問う。

――うっわ、やる気?

「悪意だ」
 ふうわりと、彼女の周りをみんなが泳ぐ。

――うわヤバ〜!誰々?誰とやんの?
――やんないよ!

「魔法はね、理論と理屈で周りにいうことを聞いてくれって頼むもの、らしいよ」
 みさきは今空にはない月と同じ色の瞳を細める。
「そこにくると、呪術――おまじないは、ね」
 そして、指の間に水掻きの手を広げ、花とも扇とも見えるそれで口元を隠した。
「この供物を捧げてここまでする熱意があるから、いうことを聞いてくれって縋り付くのさ」
 漂う潮の匂いに、腐臭のような陰が漂う。

――やんない、けど、さあ。

「つまりおまじないっていうのは、善意からなんて来ちゃいないんだよ」

――誰か、やってるかもしんないよね。

 向かい。
 氷と見紛うほどの白磁の彼女の瞳が爛々と輝いたのを、みさきは見逃さなかった。

「見たいよね?」
 頷きが、ひとつ。

 交渉、成立。

 かくして準備は整った。

 予知と状況と情景と現状を全て聞き、硝子剣士から件のカードのコピーを受け取ったみさきがまず考えたのは――多分呪術的アプローチをする手が必要だろうな、ということだった。
 陰惨と凄惨の禍渦にたたき込まれた猟兵たちは、おそらく余裕がない者がほとんどだ。
 そして舞台がUDCアースとくれば、その手の話に強い者はそういない。
 あそこでは魔術も呪術も大っぴらに息をしていない。化学と融合して独特の進化を遂げたものか、それこそ噂かおまじないのように変遷を辿ったものか、あるいは理論のないもっと『力ずく』の呪だ。自分の体に埋め込んで力に変えるとか、無理矢理喰らって力に変えるとか、変質させるとか。

 あの世界では、魔法だ魔術だ呪術だは、世界の影だか隅っこだかで絶え絶えのはずだ。
 ならば自分の出番だろう。
 みさきは生死と呪詛の波打ち際に立つものなのだから。

 加えて、もう一つ。
 ある可能性――そう、可能性だ。
 猟兵も全員、何かに感染している可能性がある、という情報が回ってきている。 
 いったいどこで、どのタイミングで、どうやって。
 全てはまだ不明だ。理論も、何に感染しているのかもわからない。

 関われば感染するのなら、ここから加わる自分は、今最も感染度が低い可能性がある。
 であれば、発生源として疑われる呪術に、一番関われる。

 それで自分が感染源になるなら、それはそれ――みさきとて望むところだ。
 それが咎人への足掛かりとなるなら喜んで。

 ならばまずは呪の再現を。

 カードにあった条件に合致する場所を調べれば誂えたようにぴったりの場所が見つかった。
 儀式が「あった」場所ではだめだ。感染が疑われる。異常の精査に欠ける。あくまで「あったのでは」と噂されるような場所を。
 それでも万全の警戒には足らない。
 更なる警戒を。
 最悪を想定して自身では行わず――そして現実に干渉しない場所を。

 よって。
 ユーベル・コード。
 虚構境界を構築せよ。
 氷白館よ。事件を。
 何がどう起こるのかをみさきはまだ知らないが故に、少々『それっぽい』話でもって、凄惨な話を好む館の主人の好奇心を刺激して、儀式の再現を依頼した。
 
 みさきの同胞の一つに曰く――『多すぎる』のだという。
 何がだい?と問えば。余計な注文が、と付け加わる。
 注文の多い料理店?と笑えば。そうかもしれない、と疑問が混ざる。

 おまじないとは、お呪いだ。

 魔法陣として描くべき図形一つとってもお手本がこんな小さなカードでは、正確さにかける。おまけに先に起きた冒頭はこの図形に別の図形が織り込まれていたことが起因しているとあっては、どこまでの式なのかもわからない。
 図形をかく道具一つとっても白という指定だけでは呪力の増幅にかける。
 成否を分けるはずの点の一つである儀式の時刻に至ってはほとんどなく――ただ、見えぬこと、暗いこと。
 そのくせ呪文の指定は細かく。
 奇妙な注文がつく。
 たとえば。
 同胞がコピーの上に尾を引いた。

 『見られてはならない』
 ――この形式で行う呪術であれば、このような注文をつける必要はない。

 変なところを曖昧にして、奇妙な注文をつけている。
 まるで、まるでだ。

「まるで、成否なんかしなくてもいいみたいに、か」
 それから隣の同胞を見る。「本当に見ても大丈夫なのかい?」答えは是。
 観客の有無はこの儀式の本来の形に則るのなら――差し障らない。
 
 全てをカード通りにはしなかった。
 同胞の指示をまぜ、余計な点を剥ぐ。より儀式の純度と高めた。
 おまじないを、成功するべき『呪術』へと至らしめた。
 成否が不明などということはない域へ。
 おまじないを手繰れというのなら、嗚呼、手繰ろうとも。
 明らかにしよう。

 館の主人に差し出された住民は2名。
 関係を主人に問えば、先の乱戦のきっかけになった女子高生二人と同じだという。
 それはそれは。

――つまり、これから起こる全ては、彼女たちが完全に成功したらどうなったかが明らかになるわけだ。

 円の中心に立つ二人。
 呪文が――唱え終わる。

 みさきは眼を細める。氷白館の主人が身を乗り出す。

 さあ、来れ惨禍。
 罪よ――咎よ。
 それをもって、舞台の奥にいる咎人への足掛かりとしよう!

 ぞ、

 と、空気が震えた。

 くるりくるりと宙を泳ぎ警戒し続けていた同胞たちが一斉に動きを止める。

 来る。

 人間2体が、吹き飛んだ。

「は?」
 みさきの口から、思わずそんな声が漏れた「なんだって?」

 一人の右腕が吹き飛んでもう一人はそのまま吹き飛んで天井に叩きつけられてぐちゃぐちゃに折れて床に落ちた。ごちゃ、などというあまり耳にしない軟いものと硬いものが混ざったまま落ちる音だった。赤が滴る間もなく残った一人の腰が捻り潰されて喉奥から悲鳴がほとばしりでた。あまりに一瞬すぎて、気を失う暇もなかったのだ。
 ――そのまま、握りつぶされた腰が、引きちぎられる。
 悲鳴が、絶えた。

 わずか、数十秒のできごと。

 何が起きたのか?

 触腕だ。
 邪神の、あるいはそれに連なる、おぞましいしもべの、腕が現れたのだ。

 式の――お呪いに描かれた、円の、陣の、中心、から。

 ぎぎ、ぎ、と床が軋む。

 穴が空いたから手を伸ばした。
 触れられたから、さらに来ようとしている。
 それは、そういう動きだった。

 ぎ、ぎ、ぎ、ぎ――。

 腕はさらに伸びる。めちゃくちゃに振り回して暴れる。
 最寄りの天井を掴んで力任せに叩き破り、返りしなに床を叩いて破ろうとする。
 窓が叩き破られ、光が差し込む。そんなもの、そいつにとって何も意味はない。
 
 腕が、動きを止めた。
 気づかれた。みさきは直感する。
 自身と、館の主人にだ。
 棒状の風船に入れる空気を、加減を変えて膨らませた時のような腫瘍が、触腕に現れる。

 行う舞台が現実でない偽とて、存在する腕は現実だ。

 腫瘍が、弾ける。
 中から飛び出すのはさらに細かい触腕だ。

 みさきはとっさに召喚を解除する。

 名残の雪だけが、ひら、はら――舞って、消えた。

「いやいや――いやいやいや…なんだって?」
 
 呪詛とは、積み重なるものだ。
 擬似でも曖昧でも、繰り返せば真に迫る。
 ならばあの曖昧な術ならば、どうなるだろうか?
 コピー用紙を見る。
 カードの中の文言を。
 術式の終わった後は――この陣をどうするか?

 ・・・・・・
 書いていない。

 ゆらり、と同胞がまた一人宙に円を描く。
 わかっているよ。みさきは答える。
 これはあくまで同胞のアドバイスによって再現された最悪の最悪――あのカードが例えば呪術に優れたものによって精査された場合のケースだ。

 不完全な術は何をもたらすだろう。
 例えば、不可視――実態をともなわぬ、存在としてそこに残るだろう。
 その式がそのまま、放置されればどうなる?
 例えば、増殖――先ほどのように自身を変質させて広がっていることもありうる。
 
 そして、どうだ。
 何かの偶然、さまざまな条件がたまたま重なり、現れるようなことに、なれば、どうなる?

――感染。

 これは、感染型UDCの事件だ、とあのグリモア猟兵は語っていた。
 そうだ。これは感染型UDCの事件だと言って差し支えないだろう。
 世界への、侵食、感染。
 もはや、災害だろう。

 空気が、ふるえる。

「わかっているよ、同胞達」
 みさき静かに言葉をえらぶ。「もはや一刻の猶予もないんだろう――まず至急皆へ連絡しておかないとね」
 ゆらり、動くみさきに魂たちが続く。
「この呪術の危険性と現状――それから」
 一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ――。
 そのぼうとした輝きを、鱗が照らし返す。

          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「このおまじないが、僕らが感染を疑われてる感染型UDCとは何の繋がりもない
 ――ということをね」

 暗闇の中一人立つみさきは、まるで7人目の亡霊だ。

          “ ディア・マイ・ディア”
「さあ、征こうか――親愛なる僕の愛する同胞達」


 みさきは、自身の唇を押さえた。
 今。

 自分の声に、何かが居はしなかったか?

 おわあ。
 どこかで、赤ん坊の声が、聞こえた。

成功 🔵​🔵​🔴​

多々羅・赤銅
【明々】

灯人〜〜!ともひとともひと元気〜〜!?
じゃ
なーい

ああ私が分かって、私の使い方がわかるなら上等
ーー灯人の首筋に触れる。ここ、ぞわぞわ、するでしょ
痛みがお前を連れ戻す。殺めるばかりの地獄でない事。一方的な殺戮はただでさえ心をおかしくするから。聖者の血が、蝕むそれらを清め治す
おっけ、ざっと毒抜き完了
動ける?

街のあちこちおかしい感じすんよね、広がってる。結局は脚での調査が一番間違いねえよ
霧吹きに私の血ぃ薄めて入れてさあ ぷしぷしして回ったらそこら呪いに効くと思う?私は思う。わはは、傷口から直にぶっかけ回るよか良いっしょ!
よっしゃ血飛沫ブチ撒き探検隊いくぞ〜〜通報されたら一緒に逃げてね♡


浅沼・灯人
【明々】
ああ、気持ち悪ぃ
鼻の奥に血の臭いがこびりついてらぁ
服にはどうだ?汚れてたら着替えねぇと
変な声も聞こえんだ、さっきの奴等が喚いてるか?

はは、違うな
狂ってんのは最初からか

――
よぉ赤銅、ちっと頼む
殺さねぇ程度に斬って、死なねぇように治してくれ
クソ痛ぇのは気合いでどうにか耐える
……助かった、動ける

とりあえず書かれてた場所へ探りに行くわ
俺ぁ呪われるのは慣れてるけどよ、別に呪いに強くねぇし
下手に手法を試すよかそっちのが良さそうだ
手掛かりが拾えたならいい方だ

っはは!見た目ただの不審者じゃねぇかよ!
だが効くかもしれねぇ、試しにやってみっか?
あとよ、状態酷そうな奴は浄めてやってくれや



●“『互いに、繋がっていたいと思う相手で行わねばならない』”

――ああ、気持ち悪ぃ。

 浅沼・灯人(ささくれ・f00902)は左手で鼻をつまみぐにぐにとねじって離す。
 呼吸すれば苦しい。
 鼻糞でも詰まったか。
 いいや、違う。
 べっとりとまとわりつくような血のにおいや濁った体液の何とも言えない生臭さ。それらを脂や肉や内臓の中身をいっぺんに焦がした煤がまとめ上げて塊になって、鼻の奥にこびりついていやがる。
 いっそ一度かんだらすっきりでもするか。もう武器を握っていないくせに重たいままの右手でポケットのティッシュを探ろうとして――親指の腹が冷たくて、

 返り血。

 思わず離す。咄嗟に見る。
 親指ならまだいいが服にはどうだ?返り血はついてるか?
 汚れてたんなら着替えねぇと――。

 ……ポケットの金具だ。

 ――長く、長く息を吐く。

 返り血などついているはずもない。
 ましてや鼻奥に血や脂や煤が固まっているわけがない。
 すべては黒い蝶となって飛び去ってしまったのだ。疾患の記されたヘルプマークはもちろん、骨の一欠片、血の一滴すら。
 何一つ残っているはずがないのに。
 はずがないのに、全身ズブ濡れの血と肉と脂びたしになっているような気がする。
 ひどい倦怠感だ。足が重くてまだるっこしくてしょうがない。
 廃ビルから出た路地の向こうが眩く輝いている。本当に?
 ありゃ俺がつけた火じゃねぇか?いやんなわけないか。
 おわあ。
「あー…」
 なんだったっけ?
 灯■は、左手で頭をかく。自分が曖昧だ。あー。■人はもう一度声を出す。
 そう、調べることが、あるのだ、ええと、おわあ、ああ、おわあ、そう、おぎゃあ、ああ、おぎやあ あ、あ。

「…『あなたがたの名は』」

 ここの主人は病気です。

 そう、そう、声がしていた。

「『わたしの選んだものたちへの――呪いの、言葉として』」

 そういう声がした。いやそんなこと言ってたやつあの中にいたか?
 いやでも聞いたぞ。確かに聞いた。
 それとも何か?さっきの奴等が喚いてんのか?まだあの炎の中で?あの浅い血の池の中で?ずいぶん元気だなおい。
 笑う。狂ったか、俺は。
 一度考えてすぐ笑いが突き上げてきた。はは。
 狂ったか、だって?馬鹿馬鹿しい。 
 狂ってんのは、最初から

「『残る』」

――いらね。

 息が切れた。

 灯人の、■人の、灯■の、■沼・■■

――■■・■■?

 だれだ、そい

「と〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜も〜〜〜〜〜〜〜〜〜ひ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」

 多々羅・赤銅(ヒヒイロカネ・f01007)は見知った背にもはやタックルで飛びついた。
 何せ日常的に見ていたのに見なくなって久々にみるなじみの顔、いや今は後ろ姿だけど。
 後ろ姿だろうが棒立ちだろうがそも服を着てようが着てなかろうが。

 その男を、多々羅・赤銅は絶対に見間違わない。

「とっ」
 赤銅は首に両腕を回し両足を曲げて宙に浮かせて安心と信頼の筋力に体重を預ける。

「灯人〜〜〜〜〜!!!」
 そのまま相手が棒立ちで支えてくれるのをいいことに飛びついた勢いで半回転し「ともひとともひとともひと〜〜〜」足を下ろしながら前に回って
 相手の視界を独占――

「元気〜〜〜〜〜〜!?」

 真っ暗な眼。
 熱のないかんばせ。
 感情も意思も思考もまっさらにどこかに消え失せかけの。

 どこか。
 昏い海にでも溺れてゆく人間の、顔。

 ――こいつもか。

「じゃ」

 赤銅は着地し、首に回した腕を離し――「なーい」
 
「ね!」
 両手で包むように彼の頬を引っ叩く。

「――」
 ■は瞬きを二度する。「ヘイ」女が笑っている。
 炎にあぶられた赤、いや、あんなに赤くない。
 赤いけれど、ほら、やっぱりそうだ。

「聞こえてるな、灯人」
 嗚呼。
 浅沼・灯人は引き上がる――嗚呼。
 認識する。目の前の女を認識して目の前の女の唇を認識して目の前の女の声を耳に満たす。
 離れてもどうしようもなく自分に灼きついた女。
「おぉ」そして答える己を認識する。大丈夫だ。答えられる。
「聞こえてる」まだ帰らない、いつかのいつものように。
 赤じゃない。赤よりも、もっと。

「赤銅」
 明々。
 もっと、目が眩むほどに艶やかな、薄紅。

「ちっと頼む」灯人は手を伸ばす。赤銅の垂れた前髪の毛先を自らの手の甲と、指先だけでほんの少し、触れ戯れる。何かがじくじくと自身を蝕んでいる。自分ではもうどうにもできないほどにだ。確信があった。これを、これを振り払うには。
「いーよ」赤銅は何をとも聞きもせず応える。「どおしてほしい?」

「殺さねぇ程度に斬って、死なねぇように治してくれ」
 絶つしかない。

「痛くしかできねーよ?」赤銅は笑いながら灯人の頬から手を離し、彼の首の後ろで手を組む。「いい。クソ痛ぇのは気合でどうにか耐える」
 赤銅は組んだ手を離し左手だけ残し指先でそこに触れる。「おっけー」
「――ここ」
 灯人の頸、小さな窪み。「ぞわぞわ、するでしょ」下から彼の瞳を覗き込む。
 あるのは髄。その少し上には小脳。
 そして髄の上、小脳の奥――…「ん」灯人は小さな返事を返す。本来であれば必要のない答えではあったが、つなぐためには必要な応え。

――脳幹。

 ちき、と赤銅は自らの日本刀を抜く。左手の指はそれぞれ腹でまだ弄ぶように灯人の頸を軽く叩いている。
「痛みがお前を連れ戻す」抜いた日本刀を自身の指と彼の頸との間に差し込む。
「殺めるばかりの地獄でない事だ」囁く。
 苛むこと。苛まれること。その天秤が振れてこそ人間は立っていられる。
 やさしーからなー。道理を宣告する聖者でなくただの多々羅・赤銅として思う。なまじちょっと器用でちょっと真面目だから逃げもせずに堂々と受け止めたんだろう。あの惨禍のさきがけを。
「一方的な殺戮はただでさえ心をおかしくする、から」
 だからおまえにとりつくそれはおまえの業であれどもお前の宿星でないのだと暗に込める。
 日本刀の背を下に刃を上に。灯人の頸を、髄を切れるように。
 その刃、彼の首の隣に、赤銅は自らの左手首を乗せる。
「聖者の血が、蝕むそれらを清め治そう」
 赤銅は目を細める。
 これから一度生死の淵に叩き落とされるというのにこちらを真っ直ぐ見る男の顔を正しく捉える。
 その向こうに、過去の海の――潮の匂いを錯覚する。

 やらねーよ。

――男の首を、己の手首ごと、斬る。

 聖者の血は清める。つなぐ。
 そして――祓う。
「うっしざっと毒抜き完了」赤銅は灯人から離れ日本刀から血を払って鞘へと収めた。「動ける?」
「助かった」灯人は素直に礼を述べる。何か、ちぎれるような圧力が消えていた。「動ける」
「いーってことよ」赤銅はそう言いながら、自らの手首を治さない。
 引っかかる。潮の臭い。
 業の地獄以外の、何かがあったのだ。
「やべえもっと少なめにしときゃ良かった」赤銅は心の底から素直に感想を述べた。
 いったい何があったのか。見ればよかった。
 とはいえ持っていかれるのはまったくもってごめんだ。
 ………もっていかれる?
「いや少なめにしてたら俺もっとやべぇから」
 自分の意思とはいえたった今一度死の淵より落ちた灯人としては勘弁願いたい話だ。脳幹は感覚呼吸に意識をつなぐ、まさに幹だ。痛いなんてもんじゃなかった。
 彼の首から噴いた血は赤銅の日本刀と手首で庇われて一切付着していない。
 ……路地裏に溢れた分は、まあ、時間がなんとかしてくれるだろう。
「え」そこで灯人は気づく。
「いや待て少なめでいいならなんでお前まだ手首治さねえんだよ」
 手首からはまだ血がだくだくと流れていた。 
「いやこれはこれで使おうと思って」赤銅は霧吹きの首を投げる。「持ってて」「あぁ?」
 赤銅は自らの血を霧吹きのボトルに入れる。
「この後どうするか決まってる?」
「いや」灯人はかぶりを振る。そも、思考すらまともに回らなかったのだ。
「とりあえず条件満たせそうな場所、探り入れるかってとこだな」
「おー、じゃあ一緒に行こ」赤銅は無事な右手をこまねいて霧吹きの首を要求する。
「街のあちこちおかしい感じすんよね、広がってる」
 そうだ。くらやみの中から。人々の隙間から。変質の匂いがする。
 どこからか水が落ちてきて足首か腿か脛まできているような、異様なにおいを感じる。
「潰しもかねて、結局は脚での調査が一番間違いねえよ」
「まあそら尤もだが」灯人は肩を回し首を回す。
 今先程の、あれほどまでの傷がなかったかのように回復している。
 
「…もしかして」灯人は投げ返す。

「潰しってそれ、『対策』か?」
「だいせーかい」
 赤銅はニヤッと笑って霧吹きを閉めた。
「この私の血ぃもうちょい薄めてさあ ぷしぷしして回ったらそこら呪いに効くと思わん?」
 唇をとがらせて音を立ててみせる。シュッ。「私は思う」

「――ははっ!」
 灯人は腹の底からの笑い声を上げた。「見た目ただの不審者じゃねぇかよ!」
 わはは!赤銅も明るく笑う。「傷口から直にぶっかけ回るよか良いっしょ!」「違ぇねぇわ!」
「だが効くかもしれねぇ」
 現に灯人はこうして何かから引き剥がされたのだ。「ものは試しってな」「そーそ、やってみねえとわかんねえってね!」
 好都合にも路地裏。――少し歩けば今日は営業を終了した花屋の脇に蛇口などがぽつねんとある。
 そこで霧吹きに水を加えながら、灯人はふと思う。
「ああ、そうだ、赤銅」「なーにー?」
 薄まる赤。
 水を加えられ、うねる、血。「もし途中で状態悪そうな奴いたら、清めてやってくれねえ?」
 あれはなんだったのだろう。と灯人は思う。「ん、いーよー」水を加え終わった霧吹きが締められる。 

「ちなみに、参考までに聞きてーんだけど」
 赤銅もまた同じことを考えていた。
 灯人から臭った潮騒。あれはなんだったのか?
 先の乱戦の中のべつの友人もまた、溺れるかのようだった。
 あれはとは同じか?違うのか?

「さっきまで、どんな感じがしてた?」

 問いに灯人は腕を組んで考える。
 先程までの思考――あれは。
 あれは、例えるなら。「感覚だぞ?」「なーんも情報ねえ今それが大事なんじゃん」
 自身の名前も、わからなくなっていくような。

「――自分が食われてく感じ?」
 たとえば水に、引きずり込まれるような。
 或いは水に、溺れていくような。

 ふうん。
 赤銅は静かに応える。

「よっしゃ血飛沫ブチ撒き探検隊いくぞ〜〜!」
 赤銅は右手を掲げて朗らかに宣言する。まさかその手に握られた霧吹きに血が入っているなど誰も予想しないに違いなかった。
「通報されたら一緒に逃げてね♡」
 振り返り、灯人にウィンクを折る。
「おう、最悪背負って走ってやらぁ」「ヒュー!」

 残念ながら。
 通報される暇はなかった。
 聖者の血。

 清めるもの。
 そのひとふきによって、こちら側へと感染――侵食していた邪神の歪な腕が現れ、二人は戦闘を余儀なくされることとなったのだから。
 

成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​

シキ・ジルモント
俺を庇って斃れたあの人の遺志を継いで戦うと誓った
それが戦う理由…しかし本当にそうだろうか
彼に教わったそれに繋がりを求め、縋っているだけではないか

…思考を断ち切り意識を仕事へ向ける
交戦中に見たあの人の事も考えないように

カードに書かれた条件の『場所』に注目、それに当てはまる場所を調べ、呪術の元凶を『追跡』する
呪いを試みる者や、呪いの形跡があるかもしれない
新たに手掛かりが見つかればそれを辿る事を繰り返して情報を集めたい
件の新興宗教も手掛かりとして、紋を覚えておく
彼等もかつては、人の繋がりを求めて集ったのだろうか

調査中、首筋の疼きに嫌な考えが浮かぶ
…“彼等”のように、そこから赤い紐が伸びてはいないかと


蔵方・ラック
はーーーー 全ッ然わからんのであります
分析は他の人とかUDCの職員さんに頼んで
自分はとにかく足で、情報集めるしかないでありますかねぇ

思いつくのは、契約、噂、新しい家族、に纏わりそうな場所
市役所区役所、教会、寺社仏閣、小学校、女子校、病院、児童養護施設……とか?
儀式を行ってる人がいたら止めて
例のカードを持ってたら回収
噂の出処を尋ねて
とにかく情報量を増やして感染経路を探っていく
妨害があるならUCで対処

あぁ何だかいつも以上にじっとしていられない
ざわめく首筋の刻印にがりりと爪を立て
あの強烈な違和感を思い出す
感染型の、UDC
自分にもあの時何か伝染ったとか?
なーんて……まさかであります、よね



●“『必ず二人以上で実践すること』”

「っは〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!」
 繁華街の中のビルのうちの一本の屋上。
 蔵方・ラック(欠落の半人半機・f03721)は大の字に伸びた。
 適当なベンチと簡素なテーブルがあるのだが、そこまで行く気も起きなかった。
「全ッッッ然わからんのであります」
 月も星も見えぬ夜空を仰ぐ。 
 ところがどうにもその暗いだけの空が夜の海のように見えてしまって「うぐぐう」起き上がる。
 と、ちょうど、冷えたスポーツドリンクのペットボトルが飛んできた。

「おつかれさん」
 シキ・ジルモント(人狼のガンナー・f09107)はラックがスポーツドリンクをしっかり受取り、勢いよく口をつけるのを見届けて、自身は缶コーヒーのタブを開けた。

「いやもう働いたでありますよ!!」半分を一気に飲み干したところでラックは素直にそう言った。「自分は今日めちゃくちゃ働いてるであります!」何せラックたちはあの乱戦から休息らしい休息をとる暇もなく調査に飛び出したのだ。「俺もだ」シキも頷く。
「それだけの事件だと、俺も思う」
 ビルの屋上から見下ろす街は街灯やネオン、電飾ばかりが眩しく、その分影が濃く見えた。
 まるで何か、暗い水にでも浸っているようだ。
「シキは何か解ったでありますか?」
 行儀悪くペットボトルに上唇をつけてメガホンのようにしながらラックは尋ねてみる。
 シキはラックを一瞥する。「……正直」「しょーじき?」
「全てが断片的すぎてまだ如何とも、だ」
「自分もでありますよ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」
 ラックはもはや悲鳴のように叫びながらペットボトルを咥えたまま再び仰向けに寝転がる。「わけわからんの意味プップクプーであります!!」残ったスポーツドリンクでうがいでもするかのようにブクブクと鳴らす。ブクブクブク。
「……むせるぞ」
 念のため、と思いシキは言い添えたが遅かった。「ぼへっ」むせた。ラックが派手に咳をする。
 ……普段は休憩室も兼ねていらしい証券会社のビルであるこの屋上は、営業時間外ということもあり、この時間では当然他に人影もない。セキュリティはすでに解除ずみ。騒いでも誰かが来ると言うこともなかった。
 広さとしてはほどほどだ。ペントハウスの中には自販機もある。ドリンクはそこで買ったものだ。
 シキはむせているラックにもう一本何か買ってやるかを考え、彼の咳がすぐ引っ込んだのでやめた。そのまま缶コーヒーをさらに一口飲む。

「……何もかもが断片かつ強烈な話ばかりで煙に巻かれている気はするが、じっとしていられないのも確かだ」
 素直な感想を述べる。
 味がやけに泥臭く思われるのは、缶コーヒーのせいであって、先ほどのせいじゃないと、少し言い訳をしながら。

「……で、ありますね」
 ラックもまた先ほどの調子が嘘のように静かに返す。
 なんだかいつも以上にじっとしていられないのだ。
 うなじを撫でる。
 正確にはそこにある刻印を。魔術回路を埋め込んだ後だというその、普段はほとんど気にもしない痕を、指でたどる。
 ざわざわと、その位置にまだ蜘蛛か蟻か百足といった虫か何かが這っているような気がして、爪を立てる。
 あの強烈な、違和感。
 
 シキはラックの仕草に気づいて同じように首筋に触れた。
 何もない。
 何もない、ように、思われる。

 ――だが、ある可能性があるという。

「赤い紐が伸びてたりはしないか?」
 尋ねてみる。「へ?」ラックは顔をあげてシキをみる。「俺の首から」
「まっさか!」ラックは強く返した。
「だろうな」シキは苦笑して頷く。
 あの彼らは動き出す際には赤い紐が切れてからだったのだ。「あんたにも見えない」屋上に足を伸ばしべた座り込んだままの彼にも教えてやる。「安心しろ」
「…はい」ラックは静かに頷く。
 先ほどの剣幕から明らかに精彩を欠いた佇まいだ。「気になるか?」「まあ」
「感染の方は、彼に任せるしかないさ」
 シキはここにくる前に協力したある猟兵の顔を思い浮かべながら言った。

 本当だろうか?――猟兵全員が感染しているかも知れない、などと。

 そうではない、とラックは言いそうになった。
 でも『何が』『そうではない』のか、自分は何にこんなにも引っかかっているのだろうか。
 自分はUDCのエージェントで、これは任務で、だから動いているのに――それ以上に、何か、使命感か、ともかく、徹底的にどうにかしなければならないという焦りがある。
 ……どうにも言語化できない。
 してはいけない、気もする。
「とんでもない剣幕でありましたもんね」だからそのままシキの言葉に乗った。「ああ」シキはうなずき、空になったコーヒーの缶をゴミ箱へ捨て

「で?」
 そしてそのまま、今ひとつ調子を取り戻せずにいるラックのために、話題を変えることにした。

「ほへ?」ラックは瞬きをする。空になったペットボトルをよこせという仕草に応えてキャップを閉めて投げる。「なんでありますか?」「走り回ったんだろう」シキはこれを受け取り、同じようにゴミ箱へ捨てる。

「そっちの収穫は?」
 勿論、そろそろ情報共有をしておきたいという気持ちもあったのだが――しかしこの話題の振りは、どこか落ち込んだ少年にてきめんの効果を見せた。

「ばっちりでありますよ!!!」
 ラックは勢いよく立ち上がり満面の笑みを見せた。
 そのまま小走りにシキの方にやってきて、テーブルの上に収穫物を広げる。

「じゃ〜〜〜〜〜ん!!!」

     ・・・
 3、4枚のカードだ。

 あの女子高生から受け取ったものではない。
 もう少し簡素な紙であったり、カードではなく便箋のようなものもあるが――しかし。

「筆跡は一致しているように、見えるな」
 テーブルに合わせておかれたベンチに座り、カードのコピーと比較しながらシキはうなずく。
 一致しないものに関してはネットで見てプリントしたであるとか、誰かから見せてもらったのを写したものであるらしい。「おそらく『原本』は同じ人物による手のものだと見ていいな」手持ちのライトで透かしてみるが仕掛けなどは特にない。
「UDC(コープ)の方に伝達は?」
 ラックは胸を張って大きく叩く。「無論勿論完了ドンドコドンであります!!!」
 すっかり調子を取り戻したラックにシキは少しだけ口の端を緩める。「さすがだ」
「でしょう!」ラックはそのまま調子よくシキの向かいのベンチに座る。「ただですね」「ん?」

 ・・・・・・・・・
「入手経路が分からんのであります」

 シキはカードを調べる手を止めた。「どういう意味だ?」
 ラックは両手を頭の後ろで組む。「そのまんまの意味でありますよ」
 
 ラックがそれを入手したのは――ほとんど偶然だ。
 契約、噂、新しい家族、に纏わりそうな思いつく限りの場所をひたすら駆けずり回ったのだ。
 『繋がりに関する事件』というのが引っかかっていた。
 市役所区役所、教会、寺社仏閣、小学校、女子校、病院、児童養護施設――そもスタートが夕刻からほぼ夜への差し掛かりだ。時間外になりやすそうなところを優先に片っ端から回った。
 悩むものにはやや強引に聞まわり、あるいは中には今まさに儀式を実行しているところもあり―さらにはその間、すでに回ってきた情報の通り不可視から受肉して襲ってきた触腕もあり、その妨害とも戦いながら――その彼らから時には記憶消去銃も使用しつつ、強制没収した最たる収穫だったのだが。

 いったいこれをどこから、と問えば。

「ううーん、あのグリモア猟兵さんが言ってた通り、という話でもあります」

 曰く、荷物に紛れていた。

「『今から送る先は、噂を撒いてる奴に直で接触した一般人』――か」
「ええ」

 曰く、借りた本に挟まっていた。曰く、たまたま席においてあった。
 曰く、曰く曰く曰く――。

「俺たちが事件の案内の際に聞いた、金髪の男とやらには会ってない、と」
 シキは言葉を継ぎながらホルスターに収められた銃に手をかける。「で、ありますね」

「……しっかしそれにつけても妙に律儀な犯人でありますねえ」
 ラックはカードの一枚をつまんで自分の前に掲げる。「自分が走り回ってこの枚数ってことは、んー…10枚くらい書いたんですかねえ」
 カードの表を見、ひっくり返してうらを見る。やはり、特に何かがあるわけでもない。
 こんな小さいカードでは触腕も儀式も何もないだろう。
「ネットで広めた後に蒔くとして、それに一体何の意味があると思います?なんでこんなことをしたんでしょうねえ」
 唇をとんがらせて心底理解できない顔でラックはぼやき続ける。
「……何も思い浮かばないわけじゃない」
 シキは銃を抜き、弾を確認する。
「だが、この理由が正しいとして、どんな意味がある?」
 それはラックに言っている、というよりは、ただ思考の呟きだった。
「おん?」現にその言葉を、ラックはしっかりと聞き取ることができなかった。「なんでありますか?」

「ラック」
 シキは顔をあげて、少年の目を真っ直ぐ見る。「……はい?」

「あんたは、戦う理由はなんだ?」
 その質問に、ラックの内が騒ぐ。
 ただの質問のはずなのに、その問いに、楽園のしもべを思う。
 ――これは、繋がりに関する事件。
 過去を、殺せ。
 浮かぶ言葉を、振り払う。

「……自分は、UDCエージェントの、蔵方・ラックだから、でありますよ」
 
 少年の真っ直ぐな目に、シキは目を細める。
「そうか」
 少し、彼が羨ましくなる。
「いまの質問、なんでありますか?」
「カードをそのまましっかり持っていてくれないか?」
 ラックの言葉に答えず、シキはそう頼む。
 
 シキの猟兵である理由は、戦う理由は『継承』だ。
 シキを庇い斃れた『あの人』の遺志を継いで戦うと誓った、そこに起因する。
 だが、そこに迷いが生まれている。
 本当にそうだろうか?
 あの乱戦、あの一瞬。
 自分は、嬉しくはなかったか。
 彼に教わったそれに繋がりを求め――縋っているだけではないか?
 生きる理由を失った部分を、継承という形でただ茫洋と――戦っているだけではないだろうか?

 わからない。
 自分は、きちんと遺志を継げているのだろうか。
 考えることをやめて、償いのようにあの人の代わりになろうとしているのではないか?
 わからない。

――『見よ、私とあなたは、同じものである』

 彼等もかつては、人の繋がりを求めて集ったのだろうか。

 ……ラックは。
 ラックはシキから答えがないことにもう一度質問しようと考えたが、シキの様子に尋ねるのをやめた。
 何か、自分も掘り返してはいけないことを考えてしまいそうだった。
 蔵方・ラックだから。
 だからいつも通りそれに関わるのだ。
 それでいいはずだ。

 だから言われたままにカードを両手で持つ。「ああ、顔の前は駄目だ。危ない」
 ラックもそこまで言われればわかる。手に握られた銃。
「……コード、でありますか?」
「ああ。追跡できるコードがあってな」
 ほへえ。ラックは相槌を打つ。便利だなあ。
「そういえば自分の話ばかりで自分はシキの報告を聞いてないであります!」
「今気づいたのか」
 シキは苦笑する。彼のどこまでも明るい朗らかさと元気さは、少し鬱屈した気分が晴れていくような心持ちがした。「基本的には、あんたと同じだ」「ほほう」「場所に焦点を当て――元凶を手繰る」
 
「だが、面白い結果が出た」
「えっ!」ラックは目を輝かせる。「聞かせて欲しいでありますよ!」

「聞かせる以上の報告をしよう――そのまま首を横に向けて、カードを見ていてくれ」

 言われるがままに、ラックは顔の横、持ったカードを横から眺める。

「俺のコードには自身の追跡を強化するものがあってな」
「はあ。それと銃弾で」
 ラックの顔色が変わる。「いやいやいやいや、いやいやいやいやそんなまさか!銃の弾に追跡を付与するとかそう言うなんかそれはすごい力技ではありますがそもそもここは屋上でありまして他にビルもあるのに発砲したら弾丸が」

 発砲音。

「やはりな」
 シキは苦い顔をしてカードを睨む。
「匂いをたどっても切れる。同じようにたどっても全て途中で途切れていった」
 カードに向かって銃弾を放てば、起こる現象はたった一つだ。
 コードによる効果は「追跡」。
 カードが手ずからのものであるという揺るぎない繋がりでもって追跡する、弾になる。
 カードを吹き飛ばしそのまま進む。
 緩やかか急か――追跡する線を描くだろう。
 
 では。

「どう思う?」
 今までラックに尋ねられてばかりだったシキはそう問うた。
「どうって」
 ラックは瞬きをする。

 弾丸はカードを貫いた。

 カードが犯人の手ずからのものである、その痕跡を繋がりに――追跡しに、放たれて

「犯人さん、いったいどこにいるんでありますか?」

 消えたのだ。

成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​

ユキ・パンザマスト
【くれいろ】
(刻印共の狂喜
不快、厭な予感
項を血が滲む程に掻く)

賛成です
人の縁に纏わるなら、人から
当ては足で作りましょう

(くつ、くつ)
確信が持てました
待ちなさい、セラ
どのみち、私達は侵されているのです
毒を食らわば皿まで
とっかかりにしてしまえば良い
ハッキング、失せ物探し、情報収集

つられたか、恥知らず
妨害に呪詛耐性【帰巣放送】
地を這う鉄塔の陰影
差し向けた輩がいるなら帰れ
居ないなら、還れ
(妨害が人なら郷愁を誘い
帰路へ)

(取り返しのつかぬ者など己で充分
なのに彼まで、近しい皆まで
…灯を、小指を意識しろ
良くない心とて只人の証
厭わずとも飲まれるな)

行きましょ
わたしは平気です

(いつものよう
笑えたことに安堵した)


セラ・ネヴィーリオ
【くれいろ】

「助けられる子、まだいると思う」
写身の男の子の言葉が耳に残ってる
だからこそ他の子は助けたい
繁華街で聞き込みとか、どう?

何か首がもやもやする…
(ユキさん、そんな風に笑うっけか)
何気なく押した『こはく』のアイコン
浮かぶホロは歪んで…もしかしてウイルス!?

攻撃されてたかも!慌てて人気のない裏通へ
とっかかり?…妨害にハッキング!
納得しつつ彼女の状態の心配も
ユキさんのハックに無事を願う《祈り/かばう/呪詛耐性》で反動対策
無防備装って《誘惑/おびき寄せ》

撃退後はハックに重ねて【幻灯】
…もう戻れない人たちが出ないように
どんな言葉にも向き合うから
大元へ導いておくれ
行こう

(僕が付いているよ)



●“『奇妙な予兆を感じても、そちらを見てはならない』”

 たすけて。
 
 うすらとした魂から響いて聞こえたのは――悲鳴だった。
 セラ・ネヴィーリオ(セントエルモの火・f02012)の耳は確かにそれを聞いた。
 まじりのない、かぎりのない、悲鳴だった。
 そして。
 彼の命をとめた時、確かに聞こえた囁きがあった。

「たすけられる子、まだ、いると思う」
 人格ではない――たましいの叫び。

 墓守のセラに聞こえるということは、かれらは眠っていたはずの魂たちであったということを意味する。

 ……気になることはまだある。
 存在の薄さだ。
 まるで何か混ざりものがあるような薄さ。
 耳でとらえ目で定めるセラでも何か霞をみるような心地だった、あれ。

 むぅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。
 ミルクティーで膨らませた頬袋でタピオカをころがしながらセラは眉間に皺を寄せる。
 あれはどういう意味なんだろうか、とずっと考えている。

 廃ビルの乱戦を終えたセラたちは今繁華街まで出てきていた。
 夕日も沈んで夜に差し掛かった時間は人通りも多く、情報収集にはもってこいだと思ったのだ。
 人の縁に関わるのなら足から、は隣の彼女の言だ。
 スマホ片手にめぼしい場所を周り――ちょっと休憩。
 露天のタピオカジュースを買って、店舗前のベンチでひとやすみ。そんなところだ。
 家路へ向かう人々を眺め、その魂のあかりをまぶたを閉じて感知し、先ほどの彼らと比べる。
 やっぱり、違う。
 ……未熟な魂だったのならわかる。まだ人格になりきれぬ柔らかい魂。
 でもあれはそうでもなかった。

 ちらり、とセラは隣を見る。
 隣には先ほどの乱戦から一緒に来てくれた少女が座っている。
 その顔色を、魂を、ひっそりと伺ってみる。
 ……気にかかるのは彼女もだ。
 何か、折れかけた枝が風に揺れるような不安定さがある。
 何か、何か、取りこぼしそうになっていやしないだろうか。
 カップを持つ手の、小指をかすか動かしてみる。約束のこゆび。

 うなじから首筋を撫でる。
 なんともなしはっきりしないし、妙に座りが悪い。
 ひどくて、辛くて、かなしい戦いだったと思う。
 それにしては、妙にあっさりした幕引きだったと思う。
 もちろんそれ以上に何かあるのはごめんだし、少なくない人が傷ついていたけれど、それでも何か非情さにかける。

 むんぐぐむぅう〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。
 さらにミルクティーを吸い込んで器用にもタピオカを二、三粒奥歯で挟んでむにむに軽く噛む。
 明らかに人格があり、存在があった魂だ。なのにあの薄さは何だったんだろう。
 思わず顎に力が入ってタピオカを思いっきり噛んでしまう。つぶのいくつかが小さいか成分が薄かったらしい。はっきりしない。そうちょうどこんな感じ――……。

 ユキ・パンザマスト(八百繚乱・f02035)は舌先で静かにタピオカを転がしていた。
 あれで、全てだったろうか?
 あれで、終わりと言えるのだろうか?

 ……。
 ……そも、あれは始まりだったのだろうか?

 刻印どもが狂喜している。
 たんまり嗅いだ血肉のかおり、たっぷり喰らった情動のしたたり。
 身に滲む不快さ――這い回る厭な予感。
 形としては儀式が始まる前にとめた、という形になるはずなのに、このすわりの悪さは何だろう。
 生贄と贄。
 あれが儀式だというのなら、贄が女子高生たちで仕手が彼らだったのだろうか。
 それはおかしい。
 儀式は少人数、実行するもの以外の立ち合いを拒んでいる。
 おまじないがお呪いだというのなら何かしらの成果があって然るべきで、
 これは感染型UDCの事件で、
 さっきスマホにUDC(コープ)から来た他の猟兵の情報がいうには、あのおまじないは確かに感染型UDCで、でもそれは邪神の触腕がどうのこうので――
 ユキたちのまえに現れたあれは、あの少女のUDCが召喚したのだろうか。
 そんなふうには、見えなかった。
 それに、他にも戦っていた猟兵がいうには、そんなコードを持っているふうにも視えなかったというのだ。
 すわりが悪い。

     ・・・
 じゃあ、だれが?

 頸にゆびを伸ばし、爪を立てる。
 頸というのも嫌だ。
 そこには神経が集まっていて、潜り込んで上がれば脳幹がある。
 血が滲むほどに。

       ・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・
――ユキたちはそもそも、はじまりに行ったのでしょうか?
 
 何かを、見逃している気がしてならない。
 考える。考える。
 硝子剣士から聞いた話を思い返す。
 予知の内容。件の女子高生が遭遇したという金髪の男。
 やっぱりもう少しそっちを当たるべきなんでしょうか。

 唇を開く。

 隣のセラを呼ぶつもりだった。
 そろそろ行きましょう、とか何とか。

 ・・・
 おわあ。

「――『待ち』」

 あれ

「『望んでいた』」

 ・・・
 おわあ。
 
 赤子だ。
 赤子の声がする。

「『夕暮れ、は』」

 セラ。
 驚いている顔が見える。
 
 せら。
 よびたいのに。

「『わたし』」

 これはなんだ。

 ・・・・
 おぎやあ。

 ゆきは

「『に』」

 これを、どこで、

「『とって』」

 き「『待ち、の』」い「『ぞ』」――…

「ユキさんっ!!!!」

 セラはスマホを投げ出すように両手でユキの顔をつつんだ。
 とっさのことで力が手に入りすぎ若干彼女の頬を潰してしまう。

 ・・・
 だめだ。

 ジューズがひっくりかえって倒れて中身をぶちまける。
 理屈のない確信があった。

 ・・・
 いやだ。

 ・・・・・
 いかないで。

 ・・・・・
 とらないで。

 ・・・・ ・・・・
 だめだよ、ユキさん。

 ・・・・・・・・・ ・・・
「まぶたを閉じないで。そっちを見ちゃだめだ」

 ・・・・・
 どっちだ?

 ・・・・
「僕を見て」 

 赤い瞳に、大きく、ユキが映っている。

 ――続きかけた言葉は、それ以上、出なかった、代わりに。

「せ、ら」

 呼べた。
 
 先ほどの乱戦のように思わずつぶやいてしまうのでない。
 ちゃんと呼びたくて、呼べる名を、呼べた。

「ユキさん」
 セラは肩の力を抜く。
 まるまるとした金の瞳めいいっぱいに安堵する。
「よかったあ〜〜〜〜〜〜〜〜っ」思わず崩れるようになって額に額をつける。
「今の」ふんわりとくすぐる柔らかいセラの前髪に、ユキの現実感が戻ってくる。
「セラ、今の、ユキは」 
「なんかよくわかんないけどやばかった」
 そのまま額をぐりぐりと動かす。
「なんかよくわかんないけどわーって、突然ユキさんがわーって減っちゃってた」
「わー、ですか……」
 ……正直、ユキには今のセラの言葉や感覚がよくわからない。
 得ないが、今の、まざまざと感じた、奪われるそれ。
 侵食――感染型UDC。

 額をつけたまま、セラは瞳をあげてユキの目を覗く。
 鼻先のつきそうな距離。

「ユキさん一体何考えてたの?」

 ・・・ ・・・・・・
 これは、繋がりの事件。
 
 確か――さっきUDC(コープ)が繋いでくれた他の猟兵からの情報には――報告が二つあった。
 
 なんか乗っ取られて?る?っぽい?一般人に遭遇した。
 これが一つ目。
 おまじないは感染型UDCである。不鮮明なUDCをこちら側に招き入れて放置するものである。
 これが二つ目。
 
 これは、感染型UDCの事件。

 二つの感染型UDCが動いている、という話になる。
 二つ目の方は明らかだ。
 おまじないが媒体で効果もはっきりしている。

「事件のことと――黒幕のことを考えてました」

 では――ひとつ目のこれはなんだ?
 どこから始まって、一体、なんなんだ?
 
 猟兵すら侵食する?
 危険度でいえば、おまじないと同等かそれ以上だ。

 わからないのなら――例えば、初めから?

 くつ、くつ。と笑う。

「確信が持てました」
 低く、静かな声で嘲笑う。
――ユキさん、そんなふうに笑うっけか。
 セラの心がざわりと渦巻く。
 何か、落ちようとしていや、しないだろうか。

「……事件のこと、ってさっきのUDC(コープ)さんからのメール?」
 二の句が告げられず沈黙する、そこへ――かわいーという声にはっとなってセラはあわてて両手を離す。
 派手に倒してぶちまけてしまったタピオカジュースにあちゃあ、顔を顰めて店員さんに謝れば、片手を軽く振られる。増量中で何かの節に落としてしまう人も多いらしい。
「ええ、そうです」
 だんだんと感覚を取り戻して来たユキも一緒に店員さんのところまで行き、からのカップとストローをもらって、自分のタピオカミルクティーを半分に分けた。
「どーぞ」
 そうするユキは、いつものユキに、セラには見える。
「ありがとう」
 どうともいえず、とりあえずストローに唇をつけたところで、さっきかわいーと言ってきた通りすがりのお姉さんたちがまだセラとユキを見ていることに気付いて先ほどのことの唐突なぶり返しに襲われる。
「ええええーとどんなんだっけ」
 慌てたゆびでインターネットを閉じてメールを開こうとし――別のアプリをタップする。
 シマエナガのアイコン。
 他ならぬユキに贈ってもらった一輪の花水木のホロを投射するアプリだ。
「あばばごめん、ちょっとま」
 
 ホロが、歪む。

「おわーーーーー!!!!!!ユキさんがくれたやつーーーー!!!!」
 セラとしては踏んだり蹴ったりである。中ば涙目になって叫ぶ。「なんでえ!?」
「セラ、何調べてたんですか」
「噂とおまじないのこと!ちょうどSNSでそれっぽい噂が――てことは」

 ウイルス。
 二人視線を合わせて同じ単語を浮かべていた。

「あるいは歪んだおまじない」
 ユキが歪めた唇の隙間に八重歯をのぞかせてつぶやく。
「もらった情報が確かなんならおまじないは召喚なんですもんね」
 うーわー!セラの声はもはや悲鳴だ。
「ちょちょちょっと待ってねとりあえず電源切らないと」
「待ちなさい、セラ」
 つるり、ユキはセラの手から彼のスマホを取り上げる。「ふえ?」
「どのみち、私達は侵されているのです」
 素早く立ち上がる。

「毒を喰らわば皿まで」
 ウィンクを、ひとつ。
 ――やられっぱなしは、それこそ気に『食わ』ない!

「ユキさんかっこいい……!」
 ウイルスが来たらまず電源を切ってしまう身としては後光がさして見えた。
「とはいえ何かがにょろーんとしたら周りにご迷惑掛かります故移動しましょ!」「あいさー!」
 ああーお客様ーという悲鳴をそのまま路地裏へ駆け込む。
 走りながらもユキは素早く百舌をセラのスマホに流し込む。

 そのままハッキングし、探り、たどり、たどり――たどれ!

 結論からいえば、ユキの読みの方が正しかった。
 検索していたおまじないから――歪んだ発動式になったものを開いてしまったのだ。
 人の息は感じられない。
 おそらく、しばらく前にサンプルか、罠のひとつとして込められていたのだろう。
 猟兵のようなエネルギーを持つ存在が触れたときに、発動するように。
 ず、とスマホが震える。
 潮の匂いだ。
 海の、匂いだ。
 ざざ――というノイズが、さざなみのように聞こえる。
 セラもそれを耳にする。
 遠い彼方のように小さい声がする、気がする。
 おわあ。おわあ。
「セラ」「うん、聞こえるね」
 セラはその隣でゆびを組む。
 いのれ、いのれ――彼女を、守れ。

 またあの泣き声を聞くわけにはいかない、ユキは神経をはりめぐらせる。
 ――そのままコードを展開。
 周囲にホロ鉄塔を構成する。
 地を這う鉄塔の陰影。
 流れるパンザマスト。

 返れ、帰れ――穴が開いたからとて手をだすな。

 ここは貴様の在るべき場所ではない!

 セラはただユキに集中する。攻撃が来たら庇えるように。
 何かあればサポートができるように。
 
 ああしてまた、うばわれてしまわないように。

 おわあ――声は、胸のうちから聞こえるような気がする。
 感染型UDC。
 赤子の、かたちか。
 セラは身を持って思い知る――感染の思い当たる節はないけれど。
 だからこそ、全員に、可能性がある。
 それも、かなり高く!

 おわあ、という声が小さくなっていく。
 おそらくは呪詛、あるいは精神への侵食で押し返しているのだ。
 おわあ、とかかる、圧力が緩む。
 ここにいる。確かにいる。
 あれ、と思う。
 例えば、感染という形で感染型UDCとセラは繋がっている。
 へその緒から、精神を。
 そのセラが手に入らないとしたら、その赤子はどうするだろう。
 セラから繋がりを辿って過去をめぐるか――あるいはセラに似たものの繋がりを求めるのではないか?
 赤子はUDCだ。
 繋がる先があるなら、過去の海だろう。
 
 写し身の彼ら。

 感染型、UDC。
 セラはその意味を――朧げに、理解しつつあった。

――差し向けた輩がいるなら帰れ。

 電磁の海に、うねる、腕。
 強く強く押し返す。

 潮の匂い。
 海の匂い。
 過去の匂い。
 ばけもののにおい。

 ・・・・
 やらない、とユキは熱を込める。
 全員感染しているかもしれない――その事実が密かな怒りに火をつけていた。

 取り返しのつかぬ者など己で充分なのだ。
 なのに彼まで、近しい皆まで――。

 ・・・
 いいや。

 かぶりを振る。
 己で充分、とも言わない。

 灯を、小指を意識する。
 ひとつの約束。
 良くない心とて只人の証なのだ。
 厭わずとも――飲まれてはならない。

           ・・・・・・
 己で充分と言ったら、自分に繋がるこの約束はどうなる。

 響く泣き声をかき消すようなパンザマスト。
 歪んだホロが、いよいよ膨らみ奇妙な肉のような形になってくる。
 電脳からこちら、迫ってくる――
「ユキさん、貸して」
 脂汗がじんわりと浮かんだユキに、セラは声をかける。

「僕がいるよ」
 ユキの手が、一瞬だけ、緩む。

 あとはセラが手を伸ばす。
 お取り、囮。
 誘惑――実体を持ち、歪んだホロにとって柔らかい少年の肉はどんな芳しさだろう。
 そちらを向き――

 藪椿。

 削り取り。
 食う。

「僕たちについてるのは」
 セラは言う。
 元の姿を取り戻した花水木から、白い炎が飛び立っていく。
「大枠の話だけど――精神から乗っ取っていく、UDCなんだと思う」
 静かになったスマホ。
「っすね」
 ユキは頷きながら、意見をまとめてUDC(コープ)への情報を送る。
「……そんな感じ、でした」
 あとは向こうで他の猟兵に伝達してくれるだろう。
「そこから取り込んでUDCに変えちゃうやつ、とかだと思うんだよね」
 あの、波に攫われてゆくような、喪失。
「ええ、ベースはそうだと思います」「やっぱり?」「はい」
「それだけだったら、あの、写身みたいなこ達があそこで『出て』まではこれないもんね」
 セラは大きく溜息をついて――ユキを盗みみる。
「…それで、あのー、ユキさん」
「はい」
 ユキは真っ直ぐ見つめる。
「本気?」
 互い向かい合い手を繋ぎ。
「本気ですが?」
 うう〜〜〜〜〜〜、とセラは唸る。

「感染型なら感染源があるということ――ユキたちの中にいるのにセラのそれが効いたのなら」
「いやでもまず僕だけで試してみるとか、さあ」
 いつになく、彼らしくなくあわてるのをユキはまじまじと見て――そして微笑む
 小首を傾げる。

「行きましょ?」

 微笑むことのできる自分に安堵する。

「わたしは、大丈夫です」

 たすけて、という、囁きを、セラは思い出す。 
 たとえば現在(セラ)に繋がれない感染型UDCが、セラの過去をも汚染するとしたら。
 今なら、まだ。

「うん」
 セラの返事に、ユキは微笑みを満面に輝かせまぶたを閉じる。

「――…もう戻れない人たちが出ないように、どんな言葉にも向き合うよ」
 
 火を放つ。
 互いの頸に――その奥に、巣食う、UDCに。
 これは賭けだ。
 火に萎縮すれば、逃げたいと思うだろう――それをもって、手繰る。
 怪我はしない。火はあくまでも癒しの火だ。
 分かっていても――彼女にそれを付けることに、セラのこころが騒ぐ。
 
「大元へ導いておくれ」
 呼びかけながら、セラはまぶたを閉じているユキを見つめる。
 
 セラの思いつきに、行きましょ、と言ってくれる彼女。
 僕だって、と思う。
 ユキさんはいつも僕についてきてくれるけど、ねえ、ユキさん。

 ユキさんにだって、僕が付いているよ。

 繁華街のざわめきが、さざなみのように聞こえる。
 同じさざなみでも、二人がたつのは、こちらがわなのだ。
 炎が上がる。
 やがて――――……。

成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​

ジェラルディーノ・マゼラーティ
ヴラディラウスくん(f13849)と

あまり楽しいものではないけど
人の可能性を信じてるからね

持ち前のコミュ力で聞き込みを
魔術的なものなら専門だけど
どうかなァ。UDCアースだしなァ
とか言いながら
スマホはしれっと使いこなしてる

あ、おまじないいる?いらない?
じゃあ身代わり人形的なお守りをと
ちょちょいっと作って彼女に渡す
その辺で買った細いリボン
ヤバくなったら教えておくれ
今回はUDC案件だからね。念のため

あとええと、
なんだったっけ。読んだ気がする
黒猫でも探せばいい?

何が立ち塞がろうとも
それでも、と突き進む猟兵達は
やはりとても素晴らしいものだ
まさに竹のようだ、なんて
天を見上げてみたりして

凍つる冬のような君と


ヴラディラウス・アルデバラン
ジェラルド(f21988)と

例の体質も効かぬのではと
ふと思い、彼を見遣るも
返る言葉にそうだったと
常と変わらぬ笑みを見る

鷹や鷲は目立つだろうか
鴉を使い情報収集
無論攻撃等はさせず
深追いも固く禁じた上で

提案には否と返す
彼の言う“おまじない”の
効力は承知しているものの
仮に無効化されてしまえば
危険の程の体感も、対策等の判断も出来まい
頼りなげに揺れるそれを
邪魔にならぬ様手首に巻く
白が黒へと変わるなら、
己の持つ精神力や
魔術を扱う者としての耐性のみでは
危うかったという事らしいが

訳の分からぬ事を言う
彼をあしらい急かしつつも
確かに骨のある者ばかりと
妙に納得し空を仰ぐ
撓りはすれど決して折れぬ
此度もそうだと良いのだが



●“『なるべく外からの光の入らない場所にて行うこと。時刻もまた然り』”

「……持ち前のコミュニケーション能力とやらで聞き込みをするのではなかったのか?」
 ヴラディラウス・アルデバラン(冬来たる・f13849)は隣の席へと声をかける。

「んん?」
 ジェラルディーノ・マゼラーティ(穿つ黒・f21988)は読んでいた本から顔をあげもせず応えた。

「いやァ、うん。そうそう、そうだよ。そのつもりだ」
「では手にあるのは」
「本」
 詩集だね。と彼はそれを軽く掲げ持つ。本をたどる目は止めず、無論席から立ち上がる気配は一向にない。
 
 ……二人は今、カフェのテラス席にかけていた。
 陽はくれて夜の入り、まだまだ人通りは多く、多くの人たちが二人のそばをやや急足で歩いていく。
 確かに一度、彼の言う通り、二人は歩いていた。ジェラルディーノは自身の言っていた通り聞き込みを。ヴラディラウスはまた違う手段での情報収集を。
 だが歩いている途中で突然ジェラルディーノがカフェに入ろうと言い出し、表通りにあるテラス席で注文をしたかと思えば――本を買ってくる、である。
 おまけに小さな薄い本を買って帰ってきたと思えばひたすらにそれを読み込んでいた。
「次回の『脚本』(コード)にでも必要か?」
「いや気になってスマホで検索したら出てきたものだから」
 ヴラディラウスの粉雪のような声がやや鋭い雹まじりになってきたのに対し、ジェラルディーノはどこまでもマイペースのまま応える。
「すまほ」
「ヴラディラウスくんも使ってみるといいよ」ジェラルディーノはページをめくる。
 彼はメインの詩集の部分はとうに読み終わってしまっており、今は巻末についている人物総論に目を通していた。「いやあ、便利だよ。人の可能性って感じがするね」また一枚ページを捲る。「もう少しここの席が明るかったら電子書籍で買ってみちゃうとこなんだけど、流石に文学作品となると読むなら紙だね」
 ヴラディラウスは相槌を打つ代わりにエスプレッソに再び口をつける。UDCアースの優秀なところの一つは、こうして自分が居心地の良さそうなそれらしい店を選べば、一定のレベルの珈琲がさらりと出てくるところだ。
 ぱたん。ジェラルディーノは本を閉じる。
「ふーむ、こっちはちょっと読みが外れたな」
 読みながら少しずつ舐めるようにしていたカプチーノに本格的に口をつけた。
「それは独り言か?それとも私への説明か?」
 ヴラディラウスの声音の、流れこそ余裕に満ちて緩やかであれど雪と雹が4対6の割合になったのに気づいたジェラルディーノはここでようやく隣を見た。
 澄み渡りさえざえとした冷気すら感じさせるような雪と氷ににた美貌の横顔。
 そこにある考えを読み抜けないほど、ジェラルディーノは抜けてはいなかった。
「ヴラディラウスくん」
 そして――
「何だ?」
 彼はにこ、と微笑む。

「ご心配ありがとう」

 確かにあまり楽しいものではないけれど、と彼は続ける。
「僕は人の可能性を信じているからね」
 ――そこでかける言葉を間違えるほど、若くもなかった。

「そうか」
 ヴラディラウスはそれにただその一言だけで応える。
 それで十分だった。
 例の体質も効かぬのではないかとよぎった危惧は――嗚呼、そうだった、彼自身の性質の前に危惧でしかないのだ。

「聖書なんか引用してくるから、てっきりキリスト教関連の作家を引用しているのかと思ったのさ」
 ジェラルディーノは続いて彼女の先ほどの言葉に応える。
 ヴラディラウスは彼を横目で見、再び雑踏へと視線を戻す。
 いや、雑踏を見るにしてはやや位置が高い。

「……他の猟兵の報告にあったあれか」
「うん、その通りだ」
 独り言ではなく、ヴラディラウスへの説明を始める。

「『その眼は激しく燃ゆる炎のようであった』『あなたは再び私を見る』『うちに響くは暴力と破壊の音。私の前には常に病と傷がある』『あなたがたの名は、わたしの選んだものたちへの呪いのことばとして残るだろう』『あなたは再び私を見る』など、など、など――」

 クレリックは不遜にも、唇についたカプチーノの泡を舌先で舐める。 

「猟兵が先の戦闘の中で聞こえたというこれらは――全て聖書だね」
 独特のアレンジや意訳が多分に含まれているから、調べてもおそらく出てこないだろう。
 スマホを叩き、まあ、例外もありそうではあるけれど、と付け加える。
「創世記からエズラ、福音書から黙示録はもちろん、少々マイナーな説まで、見境なしだ」
 ふむ、とヴラディラウスは相槌を打つ。
「……お前が今先ほど読んでいたのは『おわあ、おわあ』と言う、あれか」
「さすが、察しがいいね」
 ジェラルディーノはテーブルに頬杖をつき、もう片手でカプチーノをもう一口。
「そう――ここで作者がキリスト教大好きだったらまた解釈も違ったんだけど、残念ながらミリとも関わりがなかった」
 そうするとそれはそれで意味が変わって来るんだよねえ、とぼやく。
「……具体的には、その聖書の引用とやらに、どんな意味が?」
 ヴラディラウスは雪像と見紛うような白い指先で自身の口元を叩き、ジェラルディーノに指摘をする「おや!これは失敬」紙ナプキンで拭う。

 ・・・・・
「意味がない、って意味がある」

 ダンピールが鋭く目を細めたのと対になるように、老紳士は笑みで鷹の目を細める。
「聖書とは、まあ、大義的に救いを説くものだ」
「戦禍のなかで解くそれは――ずいぶん空虚に聞こえるだろうな」
 まるで雑踏に消える雪のように。
「それが狙いなのか、あるいはそれが祈りなのかは別として、ね」
 早足に進む人々を見ていたヴラディラウスは再び隣を見た。
「雑踏で詩を謳うようなものさ」
 ジェラルディーノはまだ、あゆみゆく人々を見ている。

「届くものには届くかもしれない――わからないものには、ちんぷんかんぷんな言葉だろう」
 
 ……ヴラディラウスは腕を組む。
「誰かへのメッセージだと?」
「それもおそらく至極、個人的で――伝わらなくてもいいって思ってる類のね」
 僕らには知るよしもないかもしれないね。
 ジェラルディーノはやけに楽しそうに呟く。
「ずいぶん遠回しな手紙だ」
「『ディア・マイ・ディア』」
 銀の髪を揺らし、黒衣の彼はくつくつと笑う。「おそらく、そういう話なんだろう」
「……ずいぶんとUDCの味方をする」
「そんなふうに聞こえた?」
 とぼけたジェラルディーノのいい口に、ヴラディラウスはしかしそれ以上深掘りしない。
 本当に必要であり急を要するのであればすぐに話す男だと、彼女は隣の男を理解していた。
「ヴラディラウスくんおまじないいる?」
 そして何より人類の味方であり、猟兵の味方である男だ。
「いらん」 
 ジェラルディーノは唇をすぼめるが、ヴラディラウスはそれを無視する。
 彼の言うおまじないの効力がわからないわけではない。信頼がないわけでもない。
 むしろ逆だ。
 おまじないなどと茶化すが、その効果は高く評価し、揺るぎない信頼すらある。
 ……だからこそだ。
 仮に無効化されてしまえばそれは大きな枷となりうる。
 片腕を取られた。
「じゃあ、これで我慢しようかな」
 ちょちょいっと。
 軽い調子とともに、手渡しされたのは小さなリボン飾りだ。
 若干の非難を込めたヴラディラウスの視線に、ジェラルディーノは両手をあげる。
「身代わりになるお守りだよ」
 愛嬌たっぷりの微笑みにウィンクをする。「ブードゥー人形みたいなもんさ」
 ヴラディウスは飾りをひと眺めすると、それを手首へとつけた。
「やばくなったら教えておくれね」「目安は?」「リボンが白から黒へと変わる」「条件は?」「きみの精神力や魔術耐性でどうにもなくなったら」「覚えておこう」
「今回はUDC案件だからねぇ」
 念のため、ね――後押しする。
 
 ヴラディウスも、ジェラルディーノも――一つの危惧を抱いていた。
 声が響くという。
 精神を乗っ取られる可能性があるという。
 ある猟兵が遭遇した者は、精神が異常な状態であったという。

 ・・・・ ・・・・・・・・・・・・・
 誰もまだ、声の主に遭遇していないのに、だ。

 今はいいだろう。
 今はまだ。

 しかし――黒幕と対峙する時は、果たして。

「どう思う?」
「医者の彼がしてったあれかい?」
 ジェラルディーノは通りを眺める。
「ま、あんな結果が出ちゃ、まあ、そういうことだろうねえ」
「……感染経路をお前はどう思う」「ノーコメント」
 老たる知恵者はヴラディウスにそう告げて、椅子に背を預ける。

 ジェラルディーノの予想に反し――ここでヴラディウスはうっすらと笑った。

「だろうな」「おや意外」
 氷雪の麗人は、笑みをそのままに、老神父を流し見る。

「私たちにまで影響があるというのなら、問題は『どうやって』の段階では――もう、ないのだろう?」
 
 お前のその余裕が理由だ、と言い添える。
 ジェラルディーノはそれに、笑みを返した。
「その通り」 
 カプチーノに口をつけようとして――すっかりそれが空になっている。
 ヴラディウスのエスプレッソは言わずもがな。

「予想がどこまであっているかわからないけれど――僕も、そう考えている」
 ことん。

「詩の方はどうだった?」
 足を組み替えながらヴラディウスは男に問う。
「キリスト教が関係していれば意味も変わると言うことだったが――では、関わらないとしてお前はあれにどういう意味があったと考えている?」
 ジェラルディーノは持っていた本を隣へ差し出す。
「読む?」
「いや、いい」
「どうして?割と中々に、知らない世界との出会いだよ」
「お前の答えの、予想がついている」
 えー。ジェラルディーノは唇を茶目っけたっぷりに窄める。
「ならヴラディウスくんのしている予想を聞かせてくれないかい?」
 僕ばかり話すのはずるいだろう。ヴラディウスの真似とばかり、腕を組んでみせる。
「答え合わせか?」
 カップを伺おうとする店員を片手で制すヴラディウスの唇もまた、ほんの少しの遊び心に曲線を描いていた。
「まっさか。答えを本当に知るのは――黒幕の彼一人だろうよ」
「神より他に知る者なく?」
「そんなとこ」

 まあ、彼が神かどうかは、別だけれどねえ――。

 仰ぐ天には星ひとつ見つからず。
「おそらくは聖書と同じだ」
 緩やかに舞う雪の声が響く。

 ・・・・・・・・ ・・
「意味があるようで、ない」
 
 ふふ、とジェラルディーノの唇から漏れた笑いが、彼女の言葉に如実な同意を示す。

「おそらくはメッセージなのだろう。伝わっても、伝わらなくても、どちらでも良い」
「まあ、熱心じゃないけど知ってた程度の関わりらしいよ」
 ヴラディラウスの理論を後押しするように補足が入る。「のち仏教なんかもモチーフに出してるから――まあ、救いというのに当時惹かれてたのかもね」
 ありがちな話だ、と彼女はその補足を軽く流す。
 すでに言うべき持論は出し、意見が一致した。それ以上はこの場で特に展開できるはずもなかった。
 全ては神より他に知る者なく。
「詩の作者なんだけどねえ、なんでも、日本においては近代詩の父だそうだよ」
「ほお」
 なんの気もない回答にジェラルディーノはどこまでも愉快そうに続ける。
「出てきた当時、一体これはなんなんだろうと人々は首をかしげたそうだ」
 そう言う意味も、あるんだろうねえ。
 街の明かりに照らされた雲が、煙のように緩やかにたなびいてゆく。
 
「まあしかし、そうだねえ、やり口に賛成かと言われれば、僕は――」
 ばさ、と二人の頭上、街路樹の枝が大きく揺れる。

 一羽の鴉がヴラディウスの側に降りてきていた。
「攻撃は無論だが、深追いはしていないな?」
 くわあ、と彼女の従僕はひとなきする。「よろしい」

「黒猫を探してたのかい?」ジェラルディーノはヴラディウスの方へ身を乗り出す。
「訳のわからぬことを言う」
 いつもどこか煙にまくような言い方をする男だが、全く今日はいつにも増して。
「詩だよ、今話題にしてた」
 悩ましいよるの――とそらんじかけ、ええと、なんだっけ、読んだ気がする、と彼が本を開くのに今一度ヴラディウスはかすかに笑い。
「速やかに報告しろ」
 制圧者の顔で持ってしもべに命じる。「援護の足りぬのはどの方向だ」
  
 ここに二つの感染がある。

 猟兵たちに対するものと、世界へのそれだ。

 猟兵たちはまだ良いだろう。
 優先するべきは遥に力の弱いものだ。
 ヴラディウスはそう考えているし――
 
 ――ジェラルディーノもまた、そう考えていた。
 何が立ち塞がろうとも、それでも、と進む彼らは力強い。
 とてもとても、素晴らしいものだ。
 開いたページにあったのは目的の詩ではなかった。
 真っ直ぐなるもの地面に、とはじまる。
 真っ直ぐなるもの。鋭き青きもの。
 凍れる冬に、つらぬきてある、ようなもの。
 白亜の麗人を見つめる。
 
「まさに竹のようだねえ」「ん?」「いや、猟兵がね」

 確かに、とヴラディウスは思う。
 確かに気骨のあるものたちばかりだ。
 ――撓りはすれど決して折れぬような。

 ジェラルディーノがするように、ヴラディウスも天を見上げる。

 誰がどれほど動き、何を今明らかにしているだろうか。
 此度もそう。
 誰一人とて撓めど折れず――さらにと進んでいける、そうであれば、良いのだが。

 ふたり、轟々と深い闇に、ちいさな星を見る。

成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​

辻森・朝霏
私達は知っている
最も簡単な嘘のつき方を

それは真実の織物の中に
嘘の糸を織り交ぜる事
嘘を隠すなら真実の中
じゃあ、
真実を隠すなら――?

まあ嘘だらけも手ではあるけど

都市伝説、事件事故
己等の管理サイトを開き
一ユーザーを装い情報収集
足は過去の現場や怪しい場所へ
カードやインクすらもヒントだったりして

思い当たった可能性は確かなものとなるかしら
戯れ好きな神サマと、悪魔と哀れな人間の戯曲
その一編
彼女が召喚されたのは偶然?
かの台詞を紡ぐ事さえ黒幕の計算通りなら?
物語が、まだ終わっていないとしたら?

嬰児殺しは裁かれるのか、救われるのか
盲目なのは一体誰?

ねえ、
もしかして
私達の存在って
黒幕にとって運命の皮肉だったりしてね



●“『儀式を行った他者を詮索してはならない』”

――私たちは知っている。

 スワイプを一度。

――最も簡単な嘘のつきかたを。

 辻森・朝霏(あさやけ・f19712)はその建物を見上げ、DMを返す。
 1階の店舗が数ヶ月前に抜けたという廃ビルだ。指定の場所は2階になる。
『ついたみたい、写真のとおりね。ありがとう』
『いえいえ〜〜〜!合ってるといいね〜〜〜!!』

――それは真実の織物の中に、嘘の糸を織り交ぜること。

 例えば。
 自分がこっそり運営している都市伝説や事件事故を取り扱うサイトで1ユーザーのふりをして。
 こんな嘘をつく。

 おまじないをやってみたけれど、失敗したみたい。
 どうしてかしら?

 実際におまじないを行ったのは朝霏ではなく、何なら失敗したのは朝霏たち猟兵が来たせいだ。
 だが、それでも十分信用性は高い。

――嘘を隠すなら真実の中。
 
 朝霏の運営するサイトは、元々そういった人を惹きつけてやまない少しくらい匂いのする、情報交換の場だ。
 未解決事件、殺人事件の真相を探るもの、何かしらの組織の陰謀、抗争。
 そして――都市伝説。
 ご丁寧にも式を書かせるこのおまじないは、最近とりあげられていたようだった。

 これで、まず――数人が釣れた。 
 そこからさらに精査して、絞る。

 それから続けてあの女子高生たちが行ったおまじないの式、その画像を一部写真に収めたものを使う。

――じゃあ、真実を隠すなら?

 何か似たようなものを、みたことある?
 あるよ、あるある。
 
 私じゃないんだけど、と付け加えて伝わった住所。

――まあ、嘘だらけでも手ではあるけど。
 
 他の猟兵に渡された符を、見よう見真似、言われた通りの手順で唱えながら何枚か放てば、ぱち!と音がして目の前の空き家に雷のようなものが走り――静かになる。
 本当に、おまじないと呪術ってそっくりなのね。

 見咎められないようにだけ気をつけて、ゆっくりと建物に入る。
 危険はないのはわかっていた。
 UDCに属するものは今の符の効果によって祓われたのだろうし。
 UDC以外の人間はおそらくいたとしてももういないだろうから。
 スマホのライトをつけて、懐中電灯がわりに――入る。

 確かに、あった。

 カードの原本は別の猟兵に渡されてしまい手元にあるのはコピーだが、それでも判別するのには問題ない。
 おまじないの式は、書かれたものとほとんど一致する。
 そして他の猟兵から流れてきたとおりの結果が――程度は違えど、発生していた。

 朝霏はその式に目を細める。

 サイトには、こうあった。

 それ――新興宗教■■■■って、全員消えたとこに残ってたのと、似てますね。
 にてる?
 まあ、にてるだけかもしれません。結構違う気がする。

 やはり、そうだ。
 これが嘘だ。
 これこそが嘘だ。
 このおまじないこそが嘘だ。
 
 朝霏はカードを丁寧に読む。
 つまり嘘以外が全て真実だ。

――ね。

 朝霏は微笑んで『彼』に問うてみる。
 
――どう思う?

 『彼』は楽しそうにカードを覗き込んで、朝霏と目を合わせる。
 薄い唇が空にない月のような弧を描いている。

――予想通り、というところだろうね。

 彼女たちが気づいているひとつのこと。
 欲望を抱えた彼女と、彼女の内の彼というこの二人だからこそ気づいたこと。
 心の中にひとりではない者だからこそ視えたもの。

 ……ここの住所教えてきた者に、問うてみた。

 あなたは、この話、だれから聞いたの?
 え?ええ?
 わかるってことは、だれからかこの噂、聞いたんでしょう?
 ……そんなん、友達の友達だよ友達の友達、SNSのフォロワー。

 そしてもう一つ。
 朝霏は、この住所を教えてもらう際UDC(コープ)に寄って、他の猟兵が倒したという感染者に接触をしてきたのだ。
 そして、意識をぼんやりさせていた彼女に尋ねてきた。

「ねえ、あなた――友達に、金髪の男のことを、聴かなかった?」

 おわあと泣く巨大な赤ん坊。
 その前に立つ――金髪に、蒼い目の男。
 
 あれは、狂った者の目ではない。

――戯れ好きな神サマと、悪魔と、哀れな人間の戯曲。

 朝霏がそう口ずさめば、彼は面白そうに笑って続ける。

――『時よ止まれ――おまえはうつくしい』

 ある理想に取り憑かれた男の物語。

――その一遍。

 あれは。
 あの、あの混戦の際に幻覚した、あの男の目は。

 彼には悪いけれど――朝霏にとっては、笑ってしまうほどの――何か、誠実な、目的のある、まっとうな人間の、眼差しだった。

――彼女が召喚されたのは偶然?
――必然だろうね。計算しているはずだ。
――どうやって?
――さあ。でも、方法はたくさんあるし、わかる人にはわかるように組んでいると思うな。

 消えた宗教団体。
 確かに――そこにたどり着くには色々なアプローチがあるだろう。
 幼いこどもが中心である団体など、センセーショナル極まりない。

――あの台詞を口ずさむことさえ計算通り?
――計算すらいらないんじゃないかな。
――どうして?

  朝霏のうちの――朝霏が知る限りだれよりも柔らかく微笑むくせにだれよりも残酷に澄み渡る『彼』は微笑んでいる。

――聞いてばかりはだめだよ。

 まあ。朝霏はいたずらに口を少し尖らせてみる。
 まるで『先生』みたいね。

――じゃあ、あれはやっぱり『一章』でしかないのね。

 くすくす笑う。
 やっぱり、まだ、このことをだれにもいうつもりはなかった。

――どう思う?
 
 『彼』に問う。
 なにがだい?よかった。『彼』はまだ話してくれるらしい。

――嬰児殺しは裁かれるのか、救われるのか。どちらだと、思う?

 彼は笑って、これには応えない。
 実は朝霏も、答えを求めていない。
 そう、これは言うなれば――ディア・マイ・ディア。
 親愛なる同類、悪友、先輩、先生――そういったものに、戯れる、それだ。

――盲目なのは、一体誰かしら?

 もう一度だけ式を見て背を向ける。
 添えられた余計なもの。
 See No Evil,Hear No Evil,――それから、儀式へのたくさんの余計な注文。
 視えている真意を伝えて何になろうか。
 伝えない方が面白いだろう。

――ねえ。

 『彼』を呼ぶ。

――もしかして、私達の存在って。
 
 暗い室内。夜の窓が鏡になって朝霏の姿をぼうと写している。

――黒幕にとって運命の皮肉だったりしてね。

 朝霏の金髪が明るく輝き――雫を垂らす下弦の月のようだった。

成功 🔵​🔵​🔴​

鳴宮・匡
正直、あまり自分の感覚をアテにしていない
あの子の言葉に、触れすぎたと思う

だって、思ってしまうんだ
歪んで留められた永遠を忌避したくせに
もしそれで、生きる尺度の違う筈の大切なひとと
ずっと一緒にいられるとしたら――

――なんて、そんなことを

【無貌の輩】を呼び出す
俺と同じ“眼”を持ち、因果すら見通す影たちを
この町の至る処へと差し向ける
俺の代わりに、見て、聴いて
視えたものを、必要な誰かに伝えてやってくれ

勿論、立ち尽くしてたって仕方がない
同じように、手掛かりを探すよ
もし俺の頭が狂っているとして
“そういうもの”とわかるだけで収穫だ
他の猟兵に注意喚起も出来る

――歩みは止めないって決めたんだ
できることは全てやるさ



●“『親愛なるものへ宛てよ』”

 自分は、狂っているかもしれない。

 息を吐く。一定の調子で、長く、長く。
 吐いたら、吸う。一定の調子で、長く、長く。

 なるべく――静かに。

 自分は、狂っているかもしれない。

 鳴宮・匡(凪の海・f01612)にとって影のようにあることは苦痛でもなんでもない。

 自分は、狂っているかもしれない。
 前提を繰り返し折り返し混ぜ返し、彼はなるべく暗い道を歩く。

 調べるべきことは多くあった。
 確認するべきこともまた。
 
 しかし――正直、彼は今自身の感覚を一切当てにしていなかった。
 
 それほどまでに、楽園のしもべの言葉に、触れすぎた。
 揺れすぎてしまったと、思う。

――……思ってしまう、んだよな。

 歪んで留められた永遠を、自分は忌避した。
 前に征くしかないと告げた。
 そのはずだ。

 そのはずなのに、思ってしまうのだ。

 もしも。
 もしもそれで、生きる尺度の違うはずの、大切な人と。
 ずっと一緒に、いられるとしたら――…。  

 ……。
 もしも立ち塞がったのが、あるいは彼女なら、違ったのだろうか。

 一度、波立った海を、凪へと戻す必要があった。

 自分は、狂っているかもしれない。
 繰り返す。

――まあ、確かに、そう、そういう感覚があったら、とは、思ったが。

 余計なことを考えてしまう感覚。
 必要ではないのに思いを馳せる機能。
 感情のようなものと理論が平行に走る自分が、少々奇妙である、気もする。

 匡は自身の唇の端を触ってみる。
 ……自分が苦笑しているような気がしたのだ。

――このタイミングの、こういう形では足手まといでしかないな。

 触ってみても。
 よく、わからなかった。

 少なくとも、何か大っぴらに動いていると言うことはなかった。

 ………。

 ……この自身の思考に対する考察も、やっぱり『ひとでなし』そのままのような気もする。
 などと思ったところでやめる。ここまでの自分の思考に対する考察の分析をメモにして脳のどこかに貼って、今の感情と思考と感覚にまつわる一論考を、今はここでおしまいにする。全てが無事解決して余裕があったら見返してみよう。

――さて、どこから手をつけるか。

 ある猟兵が提案していたように。
 自分たちが対峙したあのUDCたちから、感染させられていた場合。
 楽園の僕と一番会話し、とどめを刺したのは匡だ。
 その場合、俺が強力な感染源になっている可能性もある。

――他者に最も関わらずに済んで調査できるような案件は、と。

 ………。

 ……実はこちらの方は可能性は低いと、匡は少しだけ、考えている。

 UDC(コープ)が仲介してくれる他の猟兵からの情報はこまめに確認するようにしている。
 色々な情報が流れている。

 おまじないを呪術として純化して施工された場合の事象。
 失敗している場合に考えられる汚染。
 他にもカードが存在する、しかし例の男から直接支給されたわけではない、インターネットに流れているものとおまじないとして流通するものが異なる点、今関わった猟兵に行われているある検査、など、など、など――。

 匡が自身を強力な感染源となっている可能性が低い、と考えた理由もきちんと回ってきている。

 『先の乱戦に参加していない猟兵も感染の可能性あり』

――あのUDCたちが感染源だと言うのなら、これは矛盾だ。
 
 しかし可能性を無闇に切り捨てるのは好ましくない。
 だから、やはり匡はなるべく一人で行動した方が良いだろう。

 他の猟兵と行動し、得た情報を共有する――その点は。

――【無貌の輩】に任せる。

 彼らは、自我というには幼く薄いそれしか持たない。
 しかし、それは逆に言って素直に言うことを聞くということだ。
 知覚技能は匡と同程度。問題を視、定め、見切り、あるいは情報を聞くこともできる。そして戦闘でもそれなりに役に立つことができるだろう。
 彼らは匡と同じ、魔眼に等しいほどの死を捉える眼を持っている。相手がいつ実体化するかわからない不可視の敵ならばこれほど役に立つものもあるまい。

 感染、あるいは噂によって敵がある程度拡大しているというのなら、必要なのは手だろう。
 百に等しい影たちは、万善とはいかないまでも、次善ぐらいにはなるはずだ。

――歩みは止めないって決めたんだ。

 例えそれが、狂気の千鳥足であったとしても。
 瞬きをして、カードのコピーを見つめる。
 因果で言うのならば、やはりこの式が一番多いのだろう。
 しかし、それは感染と関係はない、と言う。
 ならば一体なぜこれが組み込まれているのか。
 単純なめくらましにしては手が混んでいる。

――できることは、全てやるさ。
 
 自分でもこのおまじないを試してみるか、と提案を立ててみる。

 『大事な者を選ぶこと』

 ………。

 大事なもの、と言う言葉に、嗚呼、すっかり永遠という可能性にとりつかれかけた頭が――ひとつの顔を否応なしに浮かべてくる。

 もしも。

 余計な思考がまた囁く。

 この余計な囁きを、疎うべきか喜ぶべきかわからない。
 どちらでも――あるのかもしれない。

 余計な思考を余計なまま走らせてみる。
 狂っているサンプルが取れる機会というのはなかなかない。
 あるいは感情が、心が、こういうものであるのかもしれないと思いながら。
 
 もしも、永遠があったのなら。
 ずっと、一緒にいられるとしたら。

 そんなものはないと嘯いてみる。

 そうだったらいいと思考が回る試行はもうやったのだから。
 あるいは弟分なら、そうはならなかったと漫画を引用するのかもしれないと思ってみる。
 問いが反転する。

 じゃあ――じゃあ、だ。

 もしも。

 もしも永遠が自分になく。
 もしも相手が自分よりも、長く、生きるのなら。
 
 自分はどうしたいだろう――どうするだろう。

 ディア・マイ・ディア――親愛なる、あなたへ、宛てるのなら。

 そうだな。

 なるべく障害を、排除してやりたい、だろうか?
 疑問系なのはこれが試行の思考だからだ。
 この先起こるかもしれない悪いことを――できれば全てを教えたいけれど、せめてなるべく最良で解決する手がかりは与えたい。
 そのやり方が、たとえひとでなしでも構わないだろう。

 彼女の未来が、少しでも良いものであったらと――。

――…………。
 
 鳴宮・匡はふと、足を停める。

 未来が、少しでも良いものであったら?

――……………。 

 凪の海らしからぬ理論でなく経験からくる感覚でない、いつもと違う余計な思考の頭だからこその、感覚がめぐる。

 何か。

 思う。

 何か。

 何か、今、自分は。

 とても大事なことを、考えたような、気がした。

成功 🔵​🔵​🔴​

人形・宙魂
【POW】
…首のうずきが気持ち悪い。
一応、護符を自分に貼ります。
感染型UDC、これに対処するのは初めてだけれど、
私も、感染してるかもしれないから、
予防と、万が一

空中浮遊、いつでも戦えるよう弾揺を手に、ビルや家屋へ飛び移ります。一般の方に見られてないよね…?
…暗くてよかった。

着地する度に、屋上に護符を貼って浄化します。
有耶無耶で曖昧な、何処でまた儀式が起こるか分からないから、
とにかく護符を貼って儀式場を減らします

浄化した場所は、腕の重鬼乙女を通じて第六感で感知できますから、異常が起これば気付ける筈…

後は、呪詛を追って大本に辿りつくしかない
…戦うしかないの。私には、もうこれしか残ってないから。



●“『行った場所へ近づくことは避けること』”

 予防と万が一。
 そのつもりだった。

 ぱちり。
 弾けた音に、人形・宙魂(ふわふわ・f20950)はもはや一刻の猶予もないと気づいた。

 きっかけは――ふたつ。

 ひとつ。UDC(コープ)から借り受けた端末に入ってきた情報。

 よくわかんねえけど、もしかしたらみんなもなんか、おかしいかもしんない。
 ――提示された、感染の可能性。

 ふたつ。首の疼きが気持ち悪かった。

 どうしてそこで薬を使わず護符を取ったのかといえば――単純に先の乱戦で一度自身に注射を打ったために、戦闘の感触がぶり返しそうで抵抗があったのもあったが。

『感染型UDC』と『お呪い』

 その二つが強く結びついたせいもあった。
 感染型UDCに対処したことはない。
 これが初めてだ。
 
 首裏。
 貼った護符は効果を発揮する。

 奇妙な感覚だった。

 護符によって自分の中の何かが焚ける――灼けていくのだが、その奥にさらに何か、繋がっている、ような。

 これは繋がりに関わる事件だ、と、グリモア猟兵は皆に語っていた。

「つながり、なんて」

 宙魂は非常階段をゆっくりと登りながら呟く。
 屋上まで登りきる。一息「ごめんなさい」断ってから鍵ごと扉を横凪に切り、静かにまちを見下ろす。
 道にはたくさんの人が歩いている。
 たくさんの明かりがある。
 以前……そう、普通の学生だった頃読んだ小説に、街の明かりやイルミネーションをきらめく宝石と例えていたけれど――あの時こんな夜景を見たら、そんなふうに感じたのだろうか、と思いをはせる。

「つながり、なんて――そんなもの」

 屋上のフェンスに手をかける。
 それらの光は、今の宙魂の眼にはもっと違うものに見えた。
 暖かなひかりだ。
 あそこにはきっと、たくさんの人が住んでいる。
 たくさんの生活があっていろんな人がいろんなふうに、生きているのだろう。
 宙魂のかえって来ないいつかも、あのなかの一つだったのだ。

「そんなもの――わたしは、もう、なくしちゃったのに」

 フェンスの上に、鬼の心臓の力でもって浮かび上がって両足を置く。
 フェンスを潰してしまわないように――しかし、その上には立てるように。

 飛ぶ。

 今宵は新月。
 ビルや家屋へ飛び移る小さな影は、街々の明かりに塗り潰されて誰にもわからない。
――……暗くて、よかった。
 そも、誰も上など見上げないのだ。
 見るのは足元か、あるいは目の前――家路だけだ。
 それでいい、とも、宙魂は思う。
 
 浮き上がり、着地する。
 その度に符を貼り、浄化を張る。
 ぱち、ぱち――といくつか手応えが返ってくる。
 残ったものはそのまま結界としての役割も果たす。
 余裕があれば、この後下り、触腕退治に向かうこともできるだろう。

 くらやみに一人、飛ぶ彼女を。
 ただ駆け抜ける宙魂の小さな背を。
 大きな傷を抱え、自分の重さとのしかかる業を。

 彼女以外の――誰も、知らない。

『どうしてあんたたちは、そうして戦って、戦うの?』

 連れられていった彼女の問いが蘇る。

――どうして。

 手だけは素早く符を飛ばし、またとび、降り、またとびながら。
 ふわりふうわりと、どこか、ビルから身投げしたした少女の亡霊のように。

「たたかうの」
 つぶやく。
 言い訳のように、呪いのように。

「……戦うしか、ないの」

 おまじないの、ように。

「戦うしかないの」

 繰り返す。

「戦うしかないの。――私には、もうこれしか残ってないから」

 まだ。
 心の端で思う。
 まだ、繋がっているのだろうか――と、思う。

 失ったとしても。
 相手が死んでいても。
 繋がりと言うのはあるのだろうか。

 でも、あったとして。
 あったとして、それがもう、過去ならば。
 過去の海にしかないのならば。
 ――敵になるしか、ないのではないだろうか?

 ・・・
 おわあ。

「……」
 宙魂は爪先をおろす。
 その屋根の色が、我が家を思い出させた。

 たとえば。
 たとえば、だ。
 直感でしかない。
 そんなことがありうるだろうかとすら、思う。

 自分が感染したことによって、自分につながる過去の誰かもまた、UDCに感染していく、などと言うのは。

『どうしてあんたたちは、そうやって戦っているの?』

――あの時、刀が、軽くなったのは。
 
 天を仰ぐ。月はない。
 街の明かりに照らされて、ぼうと浮かぶちぎれた細い雲は。
 暗い海の波のように、見えた。

 それしかない、ではない――戦う理由が、うっすらと見えてきたような、気がした。

成功 🔵​🔵​🔴​

リリィ・カスタード
ヤムちゃん(f01105)の助っ人に来たよ~。
行動は一緒でも別でも可!
ん~、ヤムちゃん疲れてる?
難しいことわかんないけど、ヤムちゃんの悲しい顔は見たくないから犯人を突き止めるよ!

行動/WIZ
とりあえずスマホを使って情報収集してみよっかな。
機械は苦手だけどSNSは使い慣れてるんだ~。
それに噂話は大好き…大切な人とのおまじない、なんてワクワクしちゃう♪
おっと、今回はおまじないを止める側だったね。わかってるわかってる。

対策
戦闘になった時のためにユーベルコードを準備しておくね。
それと【時間稼ぎ】なんかも役に立ったりするかなぁ…?
少しでも他の猟兵のサポートができれば十分だしね♪

アドリブ・絡み等歓迎


ヤムゥ・キィム
チエの首の感触が忘れられナイ
UDC?違ウ、チエは確かにそこにいタ

涙で苦しイ、猟兵の仕事がこんなにも辛いだなんテ思ってなかっタ
これからもきっと選択がまってル、猟兵としてヤムゥとして
あの人もそうだったはずダ

ヤムゥには守りたいものも進まなきゃいけない道もあル
呪いだってなんだって受けてやル、元になったモノを探して止めなキャ!
それに、受けた呪いの分だけきっとチエを忘れなイ
泣き虫はもうやめダ

リリリ(f01018)とセンジュニキ(f06262)も任務に来タ
ヤムゥは頭よくないケド鼻は自慢、ニキと一緒に匂いで探ス
ちょっと疲れるケド、集中すればきっとうまくイク

別行動可
絡みアドリブ全て大歓迎


五百森・千珠
★行動
大切な人に会いたい、という気持ちはわからなくもない。
既に居ない陰陽師に想いを馳せていた日々は遠い昔である。

此度タチの悪いUDCが出たと聞いて援助のために合流する。
グールドライバーなのでUDCを食べて空腹を補おうとするが、出会うことが無ければ呪いの出所を探して儀式の邪魔を試みる。
「吾...、じゃなかった。僕は君達を止めにきた。」

★対策
「しかし呪いなら祓えるものであろう」
「祝詞で無理ならこの爪で割くのみだ!」
【恫喝】し呪いの物理的排除を試みる。

「この名が奴との縁そのものだ。不本意だが。」
陰陽師から貰った名前で精神的な対策もしたい。

★追加
カードに残された香り等から犯人への手掛かりをみつけたい。



“『最大でも4名ほどが好ましい』”

 こきっ、というあの感触が、まだ手に染み付いているような気がする。

「ヤムちゃん、だいじょうぶ?」

 ヤムゥ・キィム(猪突猛進恋狂い・f01105)は思わず顔を上げた。
 目の前の友達の、心配そうな顔に、『あの』瞬間の顔を思い出して――息が詰まってしまう。
「っなン、デモ、ないっ!」
 努めて元気いっぱいな声を出し、確認もせず自身の目元を拭う。
 力いっぱい。
「あぁ〜〜〜〜っ!!」
 リリィ・カスタード(だんぴーる🦇・f01018)はそれに声を荒げる。
「そんな力いっぱいだめだめだめだめ〜〜〜〜っ!!!女の子のお肌は敏感なんだよっ!!」
 ポケットからタオル生地のハンカチを出し「ほらぁ、顔かして!」ヤムゥを引き寄せる。
「いーい?」
 リリィは氷がたっぷり入ったコップの冷たい水で惜しげもなくハンカチを濡らし、
「あたし、ヤムちゃんの悲しい顔してるのが見たくないから犯人探ししてるけど!」
 額をくっつけかねない距離で顔を覗き込む。
「ヤムちゃんが泣いてるの隠すともっともっとおこおこのおこおこなんだからね!」
 そのまま眼を隠そうとするヤムゥの手を右手でひっぺがし、左手でヤムゥの目に当てる。
 ……こうして唇をつんと尖らせた時のリリィは彼女のいうことを聞くまで全く話を聞いてくれないのを、ヤムゥはようくわかっているので、降参するしかない。
「だってェ〜〜〜」
「もう!これでここ戻ってくるの何回目!?無理はぜえ〜〜〜〜ったいだめだめなんだからね!?」
「リリィ怒ってル〜〜〜〜」
「お〜こ〜る〜〜〜!!」
 ぷえー、などという情けない悲鳴がヤムゥの口から出る。

「ヤムゥ、無理は良くないよ」
 口をもごもごと動かしながら五百森・千珠(おにこさま・f06262)もそっと言い添える。

「辛かったら辛いって言って、いいと思うし、そうしておかないと、多分もっと頑張るべき時に、頑張れないと思う」
「ウ〜〜〜〜〜…」
 ヤムゥはリリィに顔を拭われながら唸る。
 目には何度も涙をこぼし、何度も立ちあがろうと拭ったもの独特の腫れがあった。

 ダンピールの少女と羅刹の少年。
 危険なUDCがいるから助けて欲しい、と、いうヤムゥが呼び寄せた二人だ。

 この三人は今、事件のあった廃ビルから少し離れたチェーン店のカフェに陣取っている。
 本当は大通りに面したファミレスが良かったのだが――なにぶん、日暮れ後の夕飯時に差し掛かる時刻である。お席お取りできませんでした〜というのがリリィの報告だ。まあここならパスタもサンドイッチも可愛い新作パフェもあるから勘弁して!とのことだ。
 ……最後のパフェは絶対自分のためのような気がする、というのは千珠の邪推である。

「……不本意ながら神社の稚児であることがこんな形で役立つとは思わなかったよ」
 心底不服そうに千珠はぼやく。
 その口の中にあるのは、今先ほど発見したUDC――つまり、すでに猟兵間で共有されている
誰かが『おまじない』によって召喚がされた、不可視化したUDC――を、祝詞でもって具現化し、爪で持って裂き、捕食したものだった。
 ……この状況下においてまず世界への感染の対策としてはこの上なく適選であると言っていいのだが、望んでやっているわけではないわけで……本人としては非常に複雑である。
 もちろん不可視ではまず発見がどうにもならない。
 不可視を可視が如く存在を認識するのが集中力を上げるヤムゥのコードなのだが――厄介なことに、使い過ぎれば昏倒する。

 そうして駆逐しては、スマホによって情報収集をしつつ、二人がすぐ席につけるようカフェに居座っているリリィの元へ戻り、駆逐しては戻り……というわけである。
 
 三人はこうして、対策をとりながら情報収集をする、という行動をとっていた。

「ねえ、ヤムちゃん」
 リリィは濡らしたタオルハンカチを半分に折り、ヤムゥの両目を覆って押さえながら言う。
「その、起きた戦闘?に現れたのはさ、UDC、だったんでしょ?」
 言いづらいことを、唇を尖らすのでなく、すぼめながら言う。
 違和感だった――恋に焦がれるヤムゥに対して、現れた敵はあまりにおあつらえ向きすぎる。
「違ゥ」
 ヤムゥは受け取ったタオルハンカチで両目を覆いながらこぼす。
「チエは確かにそこにいタ」
 ………。
 リリィは目を伏せる。
 オオクボケータ、ミカミチエ。
 ヤムゥから聞いた際、リリィはUDC(コープ)にあえて調査を依頼していた。
 確かに彼らはいる。故人ではあったが。
 ……確かに彼らはいたのだ。
 だが、ヤムゥ自身とは何も関わりがない。  
 あえていうならヤムゥと同じ、恋する相手と結ばれることに、こがれていた、という点か。
――そっこがわかんないのよね……。
 頭から煙が出そうなほどに難しい――だからリリィはこれを考えることをやめる。

 それよりも、目の前の友達だ。

「……猟兵の仕事がこんなにも辛いだなんテ思ってなかっタ」
 吐き出すように、ヤムゥがつぶやく。
 涙で、苦しい。
「どうすれば良かッタのか、全然、わかンなくテ……」
 手を伸ばして背を撫でてやれば、押し殺した嗚咽が聞こえてくる。
「……ヤムちゃんは、優しいなあ」
 絶対許してやんないんだから、とリリィは密かに決意する。

「大切な人に会いたい、という気持ちは、わからなくもないよ」
 千珠はようやくからになった口をすすぎがてら飲んでいたオレンジジュースのストローから唇を離す。「一緒にいたい、っていうのも」

「……センジュニキ、も?」
 タオルハンカチを目元から離し、まだ真っ赤に充血した目でヤムゥは問う。
「うん」千珠は素直に首を縦に振る。
 ストローをつまみ、ゆっくりとジュースの中の氷を揺らす。
 千珠だってそんな経験はある。

「それから、その人のことを思って、動けなくなっちゃうのもね」

 昔々の、話ではあるが――そんな日々は確かにあった。
 既にいない陰陽師に思いを馳せて、馳せて。
 馳せて馳せて馳せて馳せて、振り払っても振り払おうと想っても想ったとしても――それでも想ってしまう、そんな日々は。

 へえ、とリリィは関心の相槌を打つ。
「じゃ、そーいうとこからどうやって脱出したの?」
「……脱出なんて、しなかったと思う」
 千珠はオレンジジュースのコップを持っていたが故に冷えてしまった指先を、握っては開く。
「ただ、決めたんだ」
 温まって、血が巡っていると思えるように。
 それから手元から目を離し――千珠はヤムゥを見る。

「ヤムゥは――ええと、言いづらいけど、その時、どう決めたの?」

 ――……。

「僕は君の選択をちゃんと聞いたわけじゃないけど、その――今からその選択を、変える?」

 ヤムゥはハンカチを置く。

「変えなイ」
 答えは、すんなりとでた。

 うん、と千珠は頷く。

「これからもきっと選択がまってル」
 これはなんて難しい、大変なことだろう、とヤムゥは思う。
 あるいは傲慢なのかもしれない。
「猟兵としてヤムゥとして」
 うん、と千珠が頷く。
「でも、ヤダ!って言わない、選択を、したイと、思ウ」

――あの人もそうだったはずダ。

 怖くて大変でどうしようもなくて――きっと、それでも里のために出てくれたのかもしれない。
 あの人だったら、きっと後悔なんかしてないだろう。
 ヤムゥだって、結局、そうだ。

――ヤムゥには守りたいものも進まなきゃいけない道もあル。
 
 会いたい人がいるから。笑っていたい友達がいて、場所があるから。
 ……手はまだ、あの感覚を覚えている。
 覚えている、けれど。

――受けた呪いの分だけきっとチエを忘れなイ。
 
 それは、ヤムゥと一緒に、チエとケータもしわしわのおばあちゃんと、おじいちゃんになるんだと言ったら――あんまりにも都合の良い、考え方だろうか。

 ヤムゥはそれを言わないし、千珠はただ微笑んでいる。

――泣き虫はもうやめダ。

「ヤムゥ――もう、すっゴイスッゴイ、がんばル!」

 勢いよく立ち上がった。
「リリリ、ハンカチありがト!」勢いよくリリィの目の前にハンカチを出す。
「センジュニキも、ほんとに、ありがト!」「いいえ」「じゃ、続キ、行」

 そしてそのまま出ようと――

「あ〜〜あ〜〜〜あ〜〜〜〜!!!待って待ってヤムちゃん!」

 ――手首をリリィが掴んだ。「も〜猪突猛進!そういうとこが大好きなんだけど〜〜」
 リリィはそのままヤムゥを引っ張り引っ張り席に戻すと、素早くパフェのトッピングに刺さっていた縞模様のスティック・クッキーを引き抜いてヤムゥに突きつける。
「はいこのカフェに戻ってくる時は〜〜〜〜!?」
 マイク、ということらしい。
「ジョ、ジョーホーキョーユーとカクニン…」
「だい・せい・か〜〜〜〜〜〜〜〜い!!!」
 はいどうぞ、と唇にクッキーを突っ込まれるので素直に食べる。さくさく。
「もー!飛び出しちゃだめだよ〜〜!」リリィはカラカラ笑う。
 千珠はもちろん立ち上がらず、カフェのメニューを覗き込んでいる。

「で、他の猟兵とか現状はどうなってるんだい?」
 メニューを覗き込んだまま、千珠はリリィへ続きを促す。

――……巻き込ンじゃッタ、カモしれないけド。

 二人を呼んでよかったとヤムゥはしみじみする。
 
「おっけーおっけー、リリィちゃんにおまかせ〜〜〜〜〜!」
 
――まず、大きな進展の一つとしては。
 他の猟兵によってこの町一帯に符が貼られ一種の結界を構成しており、おまじないから始まっているUDCたちは、少しずつこの狭まった空間に集められ駆逐されつつあるようだ、ということだ。

「うん、それは喜ばしいな」
 千珠は頷く。
「食べてる感じ、散ってるのはみんな同じで新種が出て来てるわけでもないから」
 これはそのまま駆逐できるだろう、と締める。
「UDC、どんな感じ?」「量は本当にいっぱいだけどみんな同じだから飽きそう」「わあ〜〜〜〜」

「もう一つはね、ちょっとヤバい話」
 スマホを口元に宛て、リリィはふふふと意味深に笑う。「……なんでそんなに楽しそうなんだい」

「なんとしっかりSNSでも密かに普及してま〜〜〜〜〜す!」

 ぱんぱかぱーん!と音がなりそうなほどの朗らかな宣言だった。
「……それは」千珠が絶句する。「駆逐しようがないってこと?」

 ヤムゥは自分の分として出されたパフェを――そう、決心したらお腹が空いたのだ――黙々とたべながらふと気になって尋ねる。
「リリリ、機械モウ、苦手ジャ、ナイ?」
「ううん〜〜〜全然苦手〜〜〜〜」
 ウィンクとピースサインをしながらリリィはどこまでも得意げだ。「……いやだからなんでそんなに楽しそうなんだい?」

「でもSNSは使い慣れてるよ」
 リリィはニコニコと微笑みUDC(コープ)から支給された端末をひっくり返して、今日作ったどうでもいいアカウントでの情報収集状況を見せる。「今も昔もいつだって、噂話はみんな大好きだよね」嘯き、ロマンチックならなおさら!と続ける。
「だからまあ、ちょっと予想がつくこともあるんだ〜」
 スマホを再び自分に向け、操作する。

「大切な人との繋がり…って結構、デリケートで、ロマンチックで、大切じゃない?」
 小悪魔のように愛らしく、それでいて蠱惑的な声音で囁く。

 千珠は相変わらずどこか得心いっていない顔のままで、ヤムゥは何度も首を縦に振った。

「だからね、噂は広まってるけど、思ったほど広まってないの」

 ヤムゥの上にクエスチョンマークが飛び出た。

「さっき千珠が言った『駆逐できないってこと』の答えになるんだけど」

 目を細める。 

「UDC(コープ)さんに聞いたら――情報規制とか、別の噂で上書きするとか――そういうのでなんとかなりそうなレベルらしーの」

 ――………。
「それは、どういう意味なんだい?」
「そ〜ね〜」リリィは自分の指先で髪の毛をくるくると巻く。

「噂の元がもう噂を広めてないってこ〜と❤️」

 パフェで残しておいたさくらんぼを口に放り込み、ヘタだけ出したヤムゥが首を傾げる。

「……噂ガ、広まってレバ――アアいう、チエみたいナのが、まタ、出せるのに?」

 それは考えたくないことだが、それはありうることだ。
 ヘタを引き抜き、口の中でさくらんぼを転がしながら考える。
「そのと〜り」
 テーブルに頬杖をついてリリィは二人を見つめる。「どう思う?」

「――だからか」
 千珠が自身の唇から手を離した。「センジュニキ、ひらめいタ?」「うん」
「他の猟兵からの連絡にもあって――僕も同じ結果が出るから、ずっと悩んでいたことがあって」
 
 ・・
「追跡が途切れるんだ」

「……アー」ヤムゥが声を出す。「カードの匂イ」うん。千珠は短く肯定する。
「たどっても途切れちゃってただろう」

 グラスの氷が、崩れて、音を立てる。

「黒幕がここにいないとしたら、どうだい?」

 からん。

「……それ、どうやって敵のとこに行くの?」

成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​

ジェイクス・ライアー
この筆跡を私は知っている
均整の取れた美しい流線の中で、癖のあるその一文字を
私の名を綴った その指先を

どこかで
赤ん坊の声が聞こえた

深呼吸
瞬きを、ひとつ
遮断した音を取り込んで
見ないフリをした視界に目を凝らして

耳を駆け抜ける人の営みの音
為すべきを為さんと散る同志の背を視ろ

解いてごらんと広げる手は
記憶の彼そのものだ
〝けれど〟

悪意で弄ぶ、これの何が彼なものか
正義に生き、仲間を愛し、何より生を尊んだ
貴方を穢す存在を赦してなるものか

こんな事で揺らいでどうする
二度も三度も変わらない
在らざる過去の遺物と成り果てたのなら
何度でも 何十度でも
その喉を刺し貫いて見せよう


「――疾う疾う、如律令」
赤子は おねんねの時間だ



●“『多数でなく、想う相手を選ぶこと』”

 バス歌手の歌うシューベルトに似た、穏やかでいて流暢なブラック・ブルーの美しい筆跡には、目を凝らすと無邪気な少年の笑みのような、小さな跳ね癖が隠れている。

 ジェイクス・ライアー(驟雨・f00584)の白く細いながら男性性の匂うしっかりした指は、カードの筆跡をたどり――そこで止まる。
 止まってしまう。

 たぶん、他の誰も気づかないようなささやかな癖だ。

――私は。

 指先でなく、指の腹で、ジェイクスは文字を、その癖を押さえた。

――私は、この筆跡を知っている。

 たどるべき文字はまだ続いている。
 しかしどうにも離れがたく、その小さな癖を押さえたままでいた。無茶を言って丸め込み回収したカード。インクを暖めるように。

 あるいは。

――私の名を綴った、その指先を。

 ぬくもりを、手繰るように。

 久々に戻った自宅、私室にはジェイクスの他に誰もいない。
 ほとんどの猟兵は街へ残り、調査へと走り回っているが、彼はここへ戻ってきた。
 ……いや。

 戻ることを、選んだ。

 部屋の灯りは今デスクのランプと部屋の入り口脇にあるルームランプのみがついている。すぐに出るつもりであるのもあったし、ないとは思うが自分が出た後同居人が帰ってきた際に自室で何を調べていたのかを気付かれたくもなかった。
 調べる?
 ジェイクスは自身の思考をかすかに嗤い、眼を伏せる。
 長いまつげはランプの光で瞳へ薄く影を落とす。

 違うな。調べに来たのではない。

 ランプのあかりをしっとりと鈍らせ照り返すデスクの上には、資料が一部、開かれている。
 今の今まで広げるどころかファイルから出したこともなかった資料だ。長年棚の中で眠っていたせいで昨日印刷されたような真新しさがある。

 UDC(コープ)に所属する、ある部隊が壊滅した際の資料だ。
 報告者以外の全員が死亡。
 勿論――『彼』も、だ。

 報告者:ジェイクス・ライアー。

――こんなものは、ただの『確認』だ。
 
 深呼吸を、ひとつ。

 最も素早く行える鎮静手段のひとつは呼吸だ。
 彼はそう教えた。自分が常に非ると感じたのならまず呼吸してみたまえ。深呼吸がいい。精神論かと尋ねれば否とあった。
 彼は立てた人差し指の腹をジェイクスに見せたままその側面で自らのこめかみを叩いて言うのだ。此処も酸素を食う。
 輝かしい日々だったと思う。決して易しくはなかったが。尽きぬ憧憬と敬愛があり、そんな相手から個人としての尊重と確かにあれは親――…

――……、…。

 ジェイクスは想起をそこでやめる。
 あの日に戻りたいかと言われれば、どうだ。
 呪いたりえぬが、祝いたりうるのではないか?

 いや。
 たとえ、そうであろうとも。
 
 瞬きを、ひとつ。

 落ちれば浸りたくなるような幸福の日々から――もう、覚めている。

 遮り断っていた音を確かに聞いた。
 見ない振りをしていた視界に目を凝らした。
 
 ・・・
 おわあ、となく声があり。

 為すべきを為さんとくらやみの夜に散る猟兵たちの背を視たのだ。
 
――であれば、ひとり、逸らすわけには行かなかった。

 さあ。
 ジェイクス・ライアー。
 どうだった。
 お前が過去に遭遇したあの事件は。

 狂乱し同士討ちに走る者がいて。
 平時と変わらぬそのままでいながら突如あちら側としか思えぬ凶行に至る者がいた。
 
 ・・・ ・・・
 おわあ、おわあ。

 あの時も――今回も。
 どこかで。
 赤ん坊の声がしてはいなかったか。

 あの時の事件と、今のそれが繋がっているとしたら、どうだ。

 カードから指を離す。

 時に解かねば怪物のいる迷宮に叩き込むような『課題』の出し方は。
 そのくせ向こうで解いてご覧と広げる手は。

 間違いなく――記憶の『彼』、そのものだ。

 “けれど”

 そうとも、けれど、だ。

 感染型、UDC。

 今回の件とあの事件と比較するに――おそらくは、人間に取り憑き、精神を破壊か吸収か捕食か、いずれかを行うだろうもの。
 そのまま乗っ取ってオブリビオンと変える、もの。

 ジェイクスはカードに今度は五指をつき、そのままくしゃりと握り込む。

 悪意で弄ぶ、これのどこが彼だというのか。

 侮辱も甚だしい。

 誰よりも純然たる正義に生きて、仲間には驚くほど愛情深くて、誰よりも紳士で、何より生を尊んだ人だ。
 こんな、遊び半分にも似たふざけた手口で多数の人間の尊厳を踏み躙った上でけむに巻き、いたずらに自分は駒を進めるようなこの手口が――彼の仕業であるべきではなかった。

――赦してなるものか。

 ジェイクスはデスクの上の資料を揃えてファイルに閉じ本棚に戻してと椅子にかけていたジャケットを羽織る。
 ランプを消せば部屋は半分くらやみに沈む。カーテンの隙間から部屋へ差し込むのは朔の夜独特の、辛うじて部屋より少し明るいだけという薄闇だ。

――貴方を穢す存在を赦してなるものか。

 まだ不明点はある。
 狂乱するものと平常を保ちながら異常に走ったものの違いはなんとなし想像はつく。
 初期かつ耐性がなく拒否反応が起きたものと速やかに進行したものではないか――これは予想に過ぎない。
 だが猟兵ごとに現れた【過去】(オブリビオン)たちだ。これは理屈がわからない。

 とはいえ――為すべきことはわかる。
 先生の背ばかり追っていたあの頃では、もう、ないのだ。

――こんなことで揺らいでなるものか。

『いいかね、少年』

 ジェイクスは一頻り自身の装備を確認する。相手を思えば抜かりがあってはいけない。

『鏡を見たまえ』

――二度も三度も変わらない。

『己を知ることは時に恐ろしく、認め難い事もあるだろう』

 弾はどうだ。リングの銅線は。ワイヤー。仕込み刃。ベルトのバックルのナイフ。手榴弾となるスマートな金の小型のライター。

 男の全身は武器庫であり――…


『しかしそこから人は変われる』

 それから髪を整え、タイを直す。

『いくらでも――蝶のように』

 身嗜みを、そして振る舞いを。
 最後にもう一度鏡を覗く。よろしい。

『在りたいと願う姿で在れ。在ろうとしたまえ』
  
 …――男は、紳士であった。

『礼儀作法は絶対に忘れてはならない』

――貴方が在らざる過去の遺物と成り果てたのなら

 傘を取る。

――何度でも 何十度でも、前に立ち塞がろう。

『それは敬意だからだ』

――何度でも、その喉を刺し貫いて見せよう。

『それが君を創る』

 部屋の入り口脇に置かれたフロアランプを消し――ほんとうに暗闇へ沈んだ部屋を後にする。

『真の気高さを、持ち給え』



 ……外気は冷たく、街は未だまどろみから程遠い。上に広がるのがくろぐろとした底無し闇であることを忘れたように人々は騒いでいる。
 さて、どこから征くか。ジェイクスは目をすがめる。青い瞳は夜にあってなお冴え冴えとしていた。時刻を守ることもまた紳士の礼儀(マナー)だろう。

『奴さんも待っているんだと、思う』
 聞いた言葉が不意に蘇る。

 ジェイクスは握りつぶしポケットに入れていたカードを再び拡げた。

 たとえばこれが、本当に招待状である可能性は、ないか?

 ……人を訪ねるのなら人に尋ねた方がよい、とあの馬鹿は言いそうではあるが、そんなものはそんなことが出鱈目に出来る体力のある阿呆に限るのだ。
 くつ、と唇が歪んだところで

 おわあ。
 どこかで、赤ん坊の声を聴く。

 見渡す。
 子供ならまだしも、こんな繁華街でそんなものがいる筈も無い。

 おわあ、おわあ。

 青猫、と看板の出されたバー、外から上がれるテラス席にやたらと図体ばかりが大きい男がいる。ひとりではない。見知らぬ赤ら顔何名かと同席している。背中は少し丸まって、そこにゆたかな金髪がゆるやかな川になって流れている。鮮やかな金髪は夜だというのに店々の照明を受けて真昼のひまわりのような鮮やかさだ。

 階段を上がり、席へ向かう。

 ――ふと、よぎるものがある。
 自分が初めてこの男を拾ったあの日はいったいどんな酔狂だったか。
 一泊させてやったら叩き出すつもりだったのは記憶しているのだが。
 どちらからどんな声をかけたのだったか?

 「もあ?」男と同席していた酔っ払いの一人、深いブルーに染めたボブカットの女が酔っ払い独特のうっそりとした仕草で目を挙げる。

 赤子の声は、その男のほうから聞こえる。
 抗っているのだろう、ゆっくりと聖印が浮かぼうとしている。

 こちらを見ていた、蒼を思う。
 どうぞご高覧あれ。

 小さな符を指に挟み、男の首へとそいつを貼り付ける。素早くしかしてさりげなく、万全の仕草で。

「――疾う疾う、如律令」
 唇の中だけで転がす。

 赤子は、おねんねの時間だ。
 夜は大人のものなのだから。

 ――手応えがあった。

「うごっ」男が悲鳴をあげる。全く品のない。人前でなかったら睨みのひとつでもやったところだ。
 ぶわははははは!と大きな――大きな笑い声がする。彼と同席していた丸腹が大きな笑い声を上げていた。編み込みをしている女が何事か言いながら丸腹をどつきアンダーリムの眼鏡の男が首をこっくりこっくり縦に振る。テーブルにはだいぶ空のグラスや汚れた皿があった。

 長い金髪が男の動きに合わせて緩やかに揺れる。うつくしさではなかなかのものだと思うのに彼のそれは仕草のせいかいつだって大型犬の尻尾のようだ。
 何か思うことがあったらしい、彼は躊躇いがちに自分の頸に手をやり――ジェイクスの手に彼の指先が触れた。
 ぴた、と男の動きが急に止まる。

 このテーブルで彼の次に目立つ青ボブの女がジェイクスと彼を代わる代わる見る。
 酔っ払い独特の眠たげなまばたきをして、にやりと青い猫のように笑った。「よかったね」

 他人からすればきっと、一人でのんでいた男に友人が来たか――いや、男が悲鳴をあげたのだからそうは見えないだろう。

「お迎え来たじゃん」
 そう、きっと――そういう風に見える。

 丸まっていた背中をしゃんと伸ばし思わずといった風に振り返った男と目が合う。

 そう。
 ジェイクスはたしかに思う。
 この赤だ。
 
「ごきげんよう?」

成功 🔵​🔵​🔴​

ダンド・スフィダンテ
様々な者から話を聞ければ良いなと思う。
呪いの大元を、出来れば場所ごと探りたい。
あと、聞こえてきたここの主人の病気、とはなんの事なのか、も。

それから、ユーベルコードを持続させながら多くの一般人や仲間に解呪を。

大丈夫、きっと大丈夫だからな。
ゆっくり息を吸って、吐いて。

ん?ああ、
ノイズ

ああ
辿れ、この感覚を
覚えろ、辿れ。
ギリギリまで侵食されて初めて、気が付く事もあるだろう。

このUCが、自分で消すにも時間がかかる物でよかった。
聖印を見て、息を吐く。

強い呪いだ。油断してると被われる。

…… ……この力は、救いになり得るだろうか。
病気を、治せる可能性もあるのではないか?
少なくとも、俺様の状態を治せたのなら。



●“『相手の手を離さないこと』”

「そ〜〜れぁね〜え〜、朔太郎だぁねぇ〜〜〜」

 ダークブルーに髪を染めたボブカットの女はそう言って真っ赤に染まった顔でケラケラ笑った。「サクタロウ?」「ジャペンのポエマーよお〜〜」ダンドの正面で女はテーブルの上に崩れてグラスに氷を足す。
 
 バー『青猫』のテラス席。
 ダンド・スフィダンテ(挑む七面鳥・f14230)はそこに数名の男女と席を共にしていた。
 飲んでいるのはもっぱら彼らで、ダンドは一切酒を口にしていない。弱いから、と嘘をついてまでだ。
 
「猫の鳴き声は?」
 ダンドへ右に座る長髪にアンダーリムのメガネの男がきく。
「にゃーん」とりあえず素直に答えてみる。
「かわいー!」
 青ボブの隣、パスタをフォークでぐるぐるまわし続けている編み込みの女が合いの手を入れる。
「そそそ、そおいう常識があった時にね、おわあっちゅう描写が来てその時代の人間にウケた訳だ」
 ダンドの右に座るのは腹の出たジーンズにジャケットの男で、茹でたタコのように赤い。「あったらしーおもしろーいって」ねー、編み込みが青ボブに振る。
「古典か?」ダンドは目をしばたく。そういうのはさっぱり分からない。
「…とまではいかない」青ボブがうなずいた。
「まあ外人さんが言うんあらぁ、ちょっとご教養がおありなんじゃな〜〜い〜〜〜ってかぁんじ〜〜?」
 けたけた笑う女の目はまだ真っ赤だ。

 ダンドはあれからおまじないを手がかりに片っ端から場所を回った。

 まず一番先に見つけたかったのはこの事件を聞いて真っ先に飛び込んでいった同居人なのだが、あの混戦のさなかはもちろんあとになっても見つけることはできなかった。
 居なくなるのは時々あることではあるが、事件が事件だ。彼が気がかりで事件に関わった身としては心配で心配でしょうがない、が見つけられる自信はあんまりない。見つけてもらう側のような気がする。いつだって。

 となれば事件に集中するしかない。

 呪いの大元をできれば場所ごと探りたかった。
 強い警戒があった。妙な声を聞いた。
 思い返せば――あれは硝子剣士の向こうにも、見はしなかったか?

 条件が揃えば現れるかきっかけもあるかもしれない、故に儀式をしているものがもしいれば…と、思い巡り引き当てたのが彼らだった。
 儀式をしていたグループだ。
 事情は全て聞いた。誰も彼も大の大人だが、手を出すのはやむなしと思えてしまう部分もあった。
 本当はすぐ離れたかったが止めた後も奇妙な危うさがあって、引きずられるように付き合った。
 いや、あえて付き合ったのもある。
『おわあ。おわあ。ここの主人は病気です』
 知っているかと問うたら、知っていると答えたのだ。
 
「じゃあ、『ここの主人は病気』、というのは?」
「諸説ありますねえ〜〜〜なんてったって、ポエム!解釈の世界なんでぇ〜〜〜!!」
 編み込みが残っている唐揚げをとっていく。「えぇ〜〜??」
「なやましい夜に真っ黒な猫が2匹にゃーと鳴いてそう言ったのよ」
 グラスで氷をからから鳴らしながら青ボブは笑っている。
「赤ん坊がいる家の上でね」
 酔っ払いでなく理智の目だ。
 ――なにか。
 何か、奇妙な示唆があるようなのは気のせいか。

 ででん!と腹の出た男が言う。
「ハイお題どう考える!!」
 出版社に勤めていると言っていた彼は酒が入ると勢いの出るタイプなのだろう。止めた時より随分と威勢があった。
「病気とは何でしょうかッ!」
「……そうだなあ…」
 ダンドは下唇を突き出して考える
 おそらくあの一文に呪術は関係ない。そのような文章もワードも無かった。
 では自分らを蝕んだ、あれに関わっている?
 それにしては、妙にささやかだ。元々知識のある人間かこうしてたまたま知るぐらいでしか考え得ないような、この微かさは何だろう。解釈の猶予が広すぎる、詩とは。
「いや、病気は、病気だろう」
 考えあぐねて素直に絞り出した。
「グッド」アンダーリムが両手の親指を立てる。「嫌いじゃないその率直さ」えぇー…。ダンドの落胆が口から出る「はずれか?」

「答えなんてないのよ」

 青ボブが答える。

「それで済むなら書いてないの」

 あっ!!と大声をあげたのは丸腹だ。「でもでもねえ、色々言われてんのよ!」空のジョッキを倒しそうになりながら唾を飛ばして言う。「気落ちしないで!」
「赤子のいる家となやましい夜、から色々あったよね」
 アンダーリムが何度も首を縦に振る。
「赤子をこれからどうしようって心配で異常なほど悩むとか」丸腹が次のグラスをあおる。「なやましい夜に赤子が泣いてるってとこから、道ならぬ〜〜っ恋とか!」編み込みがフォークを加えて遠い目をする。「いやいや猫の台詞で終わって赤子の声がないからきっと赤子を殺したんだよ」「キミそーいうネタほんと好きだね」
「私は、愛だと思うな」
 青ボブがつぶやいた。「愛?」
「でた!!!いつものロマンチック!」
 編み込みが丸腹にぶつけるように酒を渡すと静かになった。おそらくそこまでが彼らのいつものやりとりなのだろう。
「家の外、なやましい夜の真ん中にいる黒猫にゃあね、人間の愛はわかんないのよ、だから病気だと言うわけ」
 家の中の人間。なやましい夜の中の人外。
 あれ、と思う。
 何か――なにか。
 人々の喧騒が遠い。まるで潮騒のようだ。
 いや、これは。

「どったの〜?」編み込みが首を傾げる。まずい。

 ノイズだ。

「いや」
 軽く俯き瞼を下ろす前のさりげなく手で目元を覆う。「ちょっと自分なりに考えてみたくて」
 それっぽく言うと彼らは待つ意味だろう、黙ってしまった。余った意識がちょっと笑う。
     ・・・・・・・
 これは、無事だった時の言い訳が大変そうだ。

 瞬きを、ひとつ。
 眼球ではなくその上に覆い被さる膜を意識する。下ろす。
 手は対策だ。他の猟兵からの連絡で、瞼を閉じたはずなのに体が勝手に開けているという可能性もあった。

 ああ。
 手繰れというなら辿ってやろう。
 覚えろ、辿れ。
 耳奥で何かがばりばりと食われているような気がする。赤子の声が聞こえる気がする。

 ギリギリまで侵食されて初めて、気が付く事もあるだろう。

 おわあ、おわあ、赤子の声は意外と猫のようだ。おわあ、おわあ。こんなやり方をしていることを知ったら、彼は怒るだろうか?おわあ、おわあ、おぎやあ、おぎやあ赤子の声にかぶさるように――ノイズが一層ひどくなる。

“ディア・マイ・ディア”

 ・・
 そう。

 その声の、響きは。
 硝子剣士のものじゃなかった。その笑みは違った。

 彼にしては随分と――……

 瞼を、下ろした。
 下ろした――その筈だ。

 下ろした、はずなのに。

 どうして目の前の視界が開けていて

 男が一人、立っているのだろうか?

――彼にしては随分と、老熟した笑みだった。

 ここはどこだろう。
 確認したくとも目の前の男を見ることしかできない。

 老齢に差し掛かった男だ。
 深い深い静かなバーガンティのスーツを着ている。三揃いのスーツに派手さはないがだからこそ揺るがぬ清さと品が漂う。ズボンはきちんとプレスされ余計な皺ひとつない。袖からは襟元と同じの赤いボタンのついたシャツの袖と差し色だろう青の腕時計とがバランスよく覗く。

 オーダーメイドの高いやつだ。ダンドにもわかる。一度同居人に引っ張られて仕立て屋に連れ込まれたから。
 そして自分で選んで決めたやつだ。これもわかる。同居人が選んだのを着せられた自分はよくわからなくて鏡の前で立ち姿だ振る舞いだを散々っぱら注意されたから。

 髭はとことん形を整えられているが、たぶんダンドが真似しても似合わないだろう。目の前の彼であろうと年齢をあと五年若くしても老いていても浮いてしまった可能性がある。今の自分と魅力とを正しく把握しているからこそのものだった。

 口元の笑みに、見覚えがあった。
 
 口元に、目尻に、眉尻に、額に刻まれたうっすらとした皺が彼の性格を物語っている。
 くたびれたのでない、ここまでの人生と経験と判断のささやかな語り手。
 喋る前からどんな口調かふんわりと想像がついてしまう。

 確かにそれを一瞬見た。

 セットされた髪は少し垂れる前髪がややラフのように見えて、その実フォーマルでも通用する上に威圧感を与えないさりげなさがあった。プラチナ・ブロンドのやや褪せかけた色味がともすれば渋くなるスーツの色を明るく見せている。

 そして。

 蒼だ。
 鮮やかな青だ。
 冬の晴天を切り抜いたような蒼い目だ。
 すこし、深いなと思った。
 自分が思う青(ひとみ)より深い。自分があの混戦のあと探した青はもっと明るくて触れたくなるほどうっすらとして澄みやかだ。

 あるいは――海か?

 ・・・
 おわあ。

 おわあ、おわあ。おぎやあ、おぎやあ。
 海という言葉に赤子の声がいっそう響く。

 この人だ、と直感する。
 この事件の黒幕。

 目があっている。

 彼はそのあおいひとみを、緩やかに笑みへ細める。

『See No Evil 』“忠告”が蘇る。
 見ざる。そう言われても目を逸らすことができない。

 男の唇が開く。

『Hear No Evil』
 聞かざる。そう言われても耳を塞ぐために手を動かすことができない。
 
“君は――随分な大胆さを持っているようだ”

 これだ。
 ずっとあった違和感。
 時折混ざっていた、違和感。

 柔らかな声が耳朶のうちにはっきりと響いてくる。ハイ・バリトンはチェロのような柔和さと丸みがあるが、腹の底にしっとりと響き年齢によるものだろう掠れになんとも言い難い艶がある。

 彼我の距離は5歩あるかないか。
 まずいと分かっているのに微動だにできない。

“相手の力量を予測し自身の命と情報とを秤に乗せ、ぎりぎりまで迫る胆力は――なかなかだと言える”
 ただの評価がここまで甘く響くか。
“無謀ではなく、経験に裏付けされた踏み込みだな、見事なものだ”
 動けない。動かない――動けない。

 支配、されている。

 ざざ、とノイズが――さざなみが聞こえる。
 まさか、ここは。

“しかしこの迂闊さは――どうしたことかね”
 涼やかに男が小首を傾げて尋ねてくる。
 声の調子には形は親しげでこそあれ、甘い悪意とどこまでも相手に対する敬意が混在して底知れない。

“君たちと同じように我々もコードを持っているという点を、失念していたのかな?”

 わかっている。

“それとも”

 見ざる、聞かざるというのなら。

 最後のひとつは。

 しかし、それでも。
 それでも、答え。
 応えねば。

 唇を、開こうとする。
 語れ、たとえ禁じらるるとしても。
 そして時間を稼げ、僅かでいい。

 ダンドは意識する。己の体を意識する。
 奪われそうになる魂を焚べるように全力を尽くす。

 おわあ。赤子の声が喚き出す。
 おわあ。唇がある。

 彼の後ろ。
 くらやみに
 巨大な、巨大な、

 臍の緒が水面に繋がった赤ん坊。

 己の魂を意識する。己の力を意識する。

――おわあ、おわあ。ノイズよりも大きく――

 発動しろ。聖印よ輝け。

――おわあ、おわあ、おぎやあ。大波のように荒々しく――

 発動しろ。試させてくれ。
 この力が救いになりうるかどうか。

 あるかもしれないじゃないか、可能性が。
 あるかもしれない。
 自分が自分や周りにしたように。
 俺様を一度治癒できたのならあるかも知れないじゃないか。
 嗚呼、発動にかかる時間がこんなにも焦れったかったことはない!

――おわあ、おわあ、おぎやあ、おぎやあ。あまりのうるささに、意識が飛びそうなほど――

 数秒が数時間かと錯覚する。
 聖印が形を成し始める。

 お願いだ、時間をあと数秒くれ。
 頼む。
 試させてくれ。


 『彼』は笑んでいる。
 深々と。明々と。美しく。
 どこまでも紳士的に。


――ここの主人は、病気です――


 治せる 可能性が ある か どう


「――疾う疾う、如律令」


 弾けた。


「うごっ!!」衝撃に口から反射で声が飛び出て体が大きく震えた。

 ぶわははははは!と大きな――大きな笑い声がする。丸腹が大きな笑い声を上げていた。「寝てたんじゃん寝てたんじゃん!!難しかったかにゃーーん!!」「うるせえよお前酔っ払ってるんじゃねえぞああん!?真剣に考えてくれてたじゃん彼!!」編み込みが鬼のような形相で丸腹の腹を叩く。「うん、深い想像は沈黙を伴い時に睡眠に似ている…」アンダーリムが首をこっくり動かす。

 ダンドは、雑踏に帰ってきていた。

 どっと汗が噴き出す。

 深い海から引き上げられたように空気が胸に入ってくる。肩でする呼吸は我ながら溺れていたかのようだ。
 何度もまばたきをする。景色は入れ替わったりしない。潮騒は聞こえない。

――強い呪いだ。
 確信する。油断していると食われる。

 たとえ一度、沈静化しても、だ。

 ・・・
 繋がりは、そう容易く断てないのだ。

 どちらだったのだろう。思う。できたのか。できなかったのか。

 額の手を離し、自らの頸に手を向けて――自分よりはるかに冷たい指があった。
 誰だ、と思うのがひとつ。
 まさか、と思うのがひとつ。
 青ボブの女がダンドと彼の後ろにいるだろう人物とを代わる代わる見る。
 それから、得心いったように酔っ払い独特の眠たげなまばたきをして、にやりと笑った。
「よかったね」

「お迎え来たじゃん」

 思わず背を伸ばして振り仰ぐ。

 ようやく発動した聖印を後ろに、見慣れた、久しぶりの、夕食を作るときにも、できた料理の皿を並べるときにも、洗濯をして掃除をして買い物をして出かけて帰ってきて寝起きに寝る前に帰ってきたメールの一行に歯を磨くときにも――見たかった、顔があった。

 その男と、目が合う。

 そう。
 ダンドは確かに思う。
 この青だ。

成功 🔵​🔵​🔴​

風見・ケイ
感染型UDC――噂を知った人間を餌に増殖する呪い
それにとって現代社会は『楽園』だろう

オカルトに特別詳しくもないし、『星屑』は至って物理的だ
呪いを紐解くなんて真似はできそうもない
詳しそうな友人もいるけど――感染型UDC
なるべく、必要以上に、他者と関わらない方がいい
もしかしたら、既に私も
……だから、いつもと同じです
曖昧な情報、歪んだ事実、それらを補正し、真実を形作る

――ハズレか(気怠そうに呟く赤い瞳の女)
生首抱えたガキも金髪の変態もいない
慧がSNSやネットの他、『噂』にならん程度に昔の伝手を当たったんだが、まあ次だ
つーことで、実動部隊は俺だ
なぜなら……視えた、17秒後、4時の方向から
こういうことだ



●“『結ばれた繋がりは切れない』”

 感染型UDC。
 噂を知った人間を餌に増殖する呪い。
 それにとって現代社会は『楽園』に違いなかった。
 
 ちょっとした一言がちょっとしたきっかけで数分の間に何万人に共有され。
 慌てて消したとしてもどこかの誰かに保存されて、あるいはデータに交渉されてひょっこり掘り出されてしまうような世界だ。
 一度知ったものをひとは忘れることができない。
 知らないふりをして誤魔化せばこびりつき。
 厳重に蓋をしたってふとした時に火花みたいに飛び散って――時に引火して炎にすらなる。

 風見・ケイ(星屑の夢・f14457)は自身でも理解している通り、オカルトには別段詳しくない。
 …『星屑』も与うるのは至極物理特化だ。

――呪いを紐解くなんて真似はできそうもないな。
 
 路地裏、薄汚れたビルのそばに立って一服しながらSNSを手繰る。
 ざっと得て濾してみたが、おそらくもう尻尾は掴めない。

――それに。

 アプリを閉じる。
 次に開くのはメールだ。
 いくつかの名前が送信元に並んでいるのを見ていると、少し、懐かしい気持ちがしてむず痒い。
 内容はケイが尋ねた件に対する回答。
 さらにうち何通かには、調査依頼を受けようか、という旨がある。
 少しだけ、考えた。

 ……手段がないわけではない。
 興味を持ちそうだし、なんなら詳しそうな友人にも心あたりがある。
 しかし――感染型UDC。

――なるべく、必要以上に、他者と関わらない方がいい。

 なんでもない調子を装いメールの返信の最後に断りを添える。
 いえ。結構です。明らかなブラフだとわかりました。
 送信、完了。
 吸い終えた煙草を携帯灰皿に捨て――まぶたを閉じる。

「――ハズレか」

 けだるそうに呟く、持ち上げたまぶたの瞳は赤。

「生首抱えたガキも金髪の変態もいない。いない、いない、と…」
 続いてもう2通、同じ送信もとからの違うメールに再度目を通す。
 情報は共有されているが、螢としても確認しておきたかった。
「それでこっちが、ばあ」
  
 一通目。
 慧の予感を裏付けるように、先ほど、UDC(コープ)を通し他の猟兵からの協力要請があった。

 ある検査に協力してほしい。

――もしかしたら、既に、私も。

 地図アプリに来た連絡には目的地とルートの記載がある。
 ルートは大通りを外れた細い路地ばかりの迂回路だ。

――それどころか、私たち全員が。

 ……CC欄に連ねられた名前が、これを送った猟兵も同じことを考えていると指している。

――そう考えれば納得がいく。

 あの混戦の際に、慧の知る『彼ら』が現れた理由の一つだ。
 見せてあげる、と言ったUDCの少女が呼んだのは自身の教団員たちだった。
 そして、混戦開始後だ。
 それぞれの猟兵の前にあつらえたようなUDCたちが現れたのは。
 その際、必ずしもそばにあの少女のUDCはいなかった。
 噂を行ったあの女子高生たちからの感染もおそらくシロだ。
 真っ先に逃走を図った彼女たちと自分たちは分断されてしまった。
 感染と言えるほどの接触たりえない。
 その程度で感染が広まるのなら――あの場にもっと多く、先に別の猟兵が接触したという『UDCに感染したと思しき完全な一般人』が、殺到してきて更なる惨禍になっていたはずだ。
 ……猟兵への動揺を誘うのなら最初から用意した方が良いはずだ。
 なのに戦闘が始まり、少ししてからああやって現れてきた。
 
 どこで感染したのかはわからない。
 少なくともおまじないではないだろう。
 あの混戦の際、猟兵はそれを行うことはもちろん、触れることもなかったのだ。
 しかし、既に何かに感染していたというなら、ありえる話だ。
 
 その上にもう一つ。
 これは予想だ。

 これは、繋がりの事件。
 先の混戦で交わした会話を思い出す。

 あれらは、どこから出てきたと思う?
 UDCなら、骸の海だ。
 そして骸の海とは――過去だ。過ぎた時間だ。
 例えば繋がりからそちらにも感染するUDCだったとしても――普通なら、そのままでは出てこないだろう。UDCに作り替えて、いつか先でにじみだしてくるだろう。それだけのはずだ。
 だが、取ってつけたように出てきた。

 ……あれが、ユーベル・コードによるものだとしたら、どうだ。

 精神を侵食するUDC。世界を侵食するUDC。
 その裏で――例えば。
 誰かをあやつることができ。
 誰かを何かを召喚できるコードで――干渉していたとしたら、どうだ?

 ……。
 情報が足りず――時間も足りない。

――……だから、いつもと同じです。
 
 曖昧な情報を正確に澄ませ。
 歪んだ事実から真実を引き抜け。

 そうして少しでもいい、まず、真実をつくれ。
 
 そう。
 いつもと同じだ。
 そんな危機はありふれて慣れっこだ。
 
 だから、螢(じぶん)が動く。
 
 なぜなら。

 螢はゆるりと携帯灰皿をポケットに仕舞う。
 少し多めの吸殻の重さを認識する。
 ほんの少しだが、理解するには十分な重みだった。

 煙に練られ、混ぜられ――うねった、怒りの残滓を嗅ぎ取るには。

 まずは地図に指定されたUDC(コープ)のポイントへ動こう。
 少しだけ強く靴を鳴らし、もう一通のメールを確認する。
 
――おまじないにより、もう一つの感染型UDCの潜伏の可能性あり。
 各位、警戒せよ。

「視えた」
 携帯灰皿をしまった流れで素早く拳銃を抜く。
 硝煙の匂いは消え銃身はすっかり冷めたようだが――混戦を物語る煤は、こびりついている。

――17秒後、4時の方向から。

 撃つ。
 放たれた弾丸は炎を纏った誘導弾と変わり、今まさに実体化したばかりの触腕を焼き払う。

「こういうことだ」
 時間がないのなら、十数秒でもいい、先を見続けろ。
 奪われているというのならば奪われきる前に奪おうとする腕を打ち抜け。

「慧が言ったのを――聞いてなかったみたいだな」
 5時、6時、12時、10時。
 連射を続け――ことごとくの腕を焼き払いながら。
 螢はゆっくりと、しかし着実に目的地へ移動する。

「『何も、渡すもんか』」
 怒りの代弁者は、轟々と赤い瞳で告げる。

成功 🔵​🔵​🔴​

ジャガーノート・ジャック
★レグルス

(ザザッ)
「惑わされるな」、か。

(「認めるな」「赦すな」とも言っていた
予知の一端を受け彼が言った言葉達。そして)

"Dear, my dear".

(彼の身体に誰かが憑いて呟いたような言葉
"親愛なる君へ"

「ミーム汚染」。
相棒と行動を共にしつつ
今回の"まじない"が言語を介するものである可能性を
これまでの情報を振り返りながら探る
言葉を探る事で呪いに晒される危険性があるが
"EXP-ansion"の機能拡張で呪詛に耐性を付け対抗【狂気耐性】)

時に言葉は人を呪う

親愛なる誰かの言葉すら
時として呪いとなる

あの"過去"達もそうだったのかも知れない
――君も そして 僕もきっと

――惑わされるなよ
君も 僕も


ロク・ザイオン
★レグルス

(自ら死を選ぶのだから
森に於いてあれらは病葉に決まっていた)

(子どもたちが何処の何で誰だったのか
過去の邪神と教団絡みなら組織に記録が残ってはいないか
相棒から得た情報を頼り彼らがいた場を目指し
周辺を調べよう)

(呪詛の気配は【野生の勘】で極力避ける
今追いかけているものはこの呪いには関わりないのかも知れない
あるのかも知れない
何もかも呪いのせいに出来るのかも知れない)
(あれらは病葉に決まっていた)

(――そうじゃ、ないだろう)
(あの眼差しが、声が、言葉が、己を攻め立てる)

おれはおれの目で、知りたいんだ。
あの子どもたちの「存在」を。

ふたりなら、ひとりより、道にも惑いにくいだろ。



●“『同じ場所で行わないこと』”

「『【――惑わされるな】、か』」

 ジャガーノート・ジャック(AVATAR・f02381)は小さくそうつぶやいた。
「ん」
 ロク・ザイオン(変遷の灯・f01377)は振り向く。「なんだ、ジャック」

「『いや――どこが始まりなのかを考えていた』」

 二人は今、高級住宅街の中にある家屋の敷地内に立っていた。
 門構えからしていかめしいこの屋敷は戦前からあるのだという。
 曰く付きの物件だ。ぐるりと囲む塀に沿って常緑樹や落葉樹が豊かに植えられ、小さな池もある。
 曰く付きの屋敷だ。
 幾度となく売りに出され、立地条件と面積、それから歴史ある建物が様々な買い手に気に入られ――そして次々と手放していく。
 屋敷は今ちょうど買い手がついたところで、インターネットの広告には売約済と出ていた。
 家も庭も美しいのもそのせいだろう。
 ……場所も時刻もあって、この場全体が冥々と横たわる墓地を想起させる。
 はじまり、とロクはジャックの言葉を復唱し、言わんとするところを掴もうとする。
「この事件のか」「『ああ』」

「……この屋敷は、そこに繋がっていると思うか?」
 ロクは重ねて問う。
「『さあな』」
 ジャックは率直な感想を述べた。

「『だが、少なくとも、ユズリという少女に繋がっている可能性は間違いなくあるだろうな』」
 
 二人が取りかかったのは邪神と宗教団体の調査だった。
 おまじないの性質と本質――その見極めだ。
 件の少女が率いていた宗教団体の消失が報告された際に、多くの資料が回収されていた。
 そのうち――奇跡の一つとして取り上げていた資料の中に、それがあったのだ。
 古ぼけた家族写真。

――ジャック。この場所を調べたい。

 家の庭。赤く色づいた紅葉の下。
 形式のにおいしかない画像の、その一家のうち、真っ直ぐこちらを見る娘と思しき少女。
 おまえ、と、ロクの耳に声が響いてきそうだった。

――いいだろう。

 ジャックは少し考えてから提案を受けた。

――本機も確認したいことがある。

 写真はとある一家の死亡記録に添付されていた。
 子供だけが消え、両親から家政婦の類いに至るまでは全て到底人の腕には適わない手段で殺されていたのだという。
 無垢な子供が召されたのだ。
 楽園に。
 罪あるものは並べて殺されたのだ。
 御使いに。
 ……というのが、教団の言い分である。

 移動中もジャックの予測をとるような情報がまばらに流れてきた。

 曰く。何かに感染している。曰く。精神を蝕むものである。
 曰く。猟兵全員に何かしがの感染が予測される。
 曰く。赤子のかたちをしている。
 曰く。曰く。曰く。曰く。曰く。曰く――――…。

 あのおまじないはこちらを侵食する感染の本体ではない。
 他の猟兵も何人か上げ始めている情報だが、ジャックもまたそう考えていた。
 では何が、どうやって?

「『どうだ、ロク?』」
 ジャックの問いにロクは静かに頭を横に振る。

「ここには――病葉はない、と思う」

 そしてそれはどうも――間違いないらしい。

 すん、とロクは鼻で空気のにおいを嗅ぐ。
 カルキの濃い水、鉢の中に満たされた魚の泳ぐ水の匂い。雑草を刈り枝が多く切られた後独特の青臭さ。
 それから。
 
「でも、調べた通りのものは、まだ、ありそうだ」

 暗い、黴の匂い。
 
 ……自ら死を選ぶのだから、森に於いてあれらは病葉に決まっていた。

 ジャックを先導しながらロクはそう思う。そう思う。そう、考える。
 建物を回り込み、古い蔵――どうも中身は前の持ち主の趣味で別のものに改造されているようだ。目的はそれではない――の傍に止まる。
「ここだ」
 蔵と塀との間――人が二人寝転べるかどうかの小さなスペース。
 草の背が妙に低く、石灰が多く撒かれていることを除けば、なんともない空間。
 土と、腐った黴の匂う場所。
「『ふむ』」
 ロクの指摘を受けてジャックは視界を切り替える。「――『ああ』」
 視える。
 ジャックは続けて小さなポインターを軽く投げ置く。ポインターが線で繋がる。
 ジャックに見えるものがロクにも伝わるように示されたのは。

「『ビンゴだ』」
 長方形。
 
 ロクはアウトドア・ナイフをぬき、鞘に入ったまま示されたそこへ深く突き立て、線をなぞる。
 管理者はここまで手を入れたりはしていないらしい。
 硬い土の中に、さらに硬いものがぶつかる。
 ロクの嗅いだ通りの――濁った水と、土と黴の匂いのが溢れてくる。

 地下への、入り口だ。

「こういう、貝殻みたいなのを撒くところは、大体、鉄とか、銅とか埋まってる」
「『土に含まれる栄養素のバランスか、覚えておこう』」「ん」
 うなずきながらナイフの鞘の土を払い、腰に収める。「いい畑が、作れる」「『今なら稲だな』」「?ジャック、稲は、今じゃないぞ」「『……冗談だ』」
 
 長いこと使われていなかったのが明らかな地面だった。
 薄暗い階段も壁も大きさもまちまちな石畳だ。
 上の土から染みたのだろう水がまだらになって垂れ、上から落ちてしまったのだろう虫の死体が水を吸って膨らんで死んでいる。
 ロクはじっと勘を研ぎ澄ませる。
 動くものはいない。生きているものもいない。黴と、土と、水と、水だ。
 それだけだ。ただそれだけだ。
 少しずつ、心臓の鳴動が深く、重く、早くなりつつあることをロクは感覚する。
――出てくるのは、この呪いには関わりないのかも知れない。
 ……そういう意味では、ジャックには、少し申し訳ないと思う。
――でも、あるのかも知れない。

  宗教団体の資料はこう続く。
  屋敷の主人は経営者で、非常に厳しい男であり差別主義であったという。

――何もかも呪いのせいに出来るのかも知れない。

 主従を明確にする厳格な男。それに従う妻。
 子供たちは虐待に近い環境で育ったようである。
 家族写真には、ユズリと共にいたサエは映っていなかった。記録にもない。

 我々が彼女を奇跡のひとつとして語るのは――。

――でも、もしも、あったら。
 そしたら、言えるだろう。
 あれらは病葉に決まっていた。そう言える。

 先をゆく黒猫のデバイス、そのライトが行き止まりを照らす。
 錆び切った、銅の扉。
『さあ』
 ジャックと目配せをして――ロクはそれを開く。

――そうじゃ、ないだろう。

 躾部屋、なのだろう。
 定義としては。
 ふるめかしい器具が、余計に過去を物語る。正面の椅子、右側面のテーブル。並んだ器具。
 椅子の裏、空っぽの浴槽の意味は、考えたくもない。
 入り口は今までの道より少し狭まっている。防音だろうか。壁は幾重にか厚みを持たせてありそうだ。
 箱だ。
 そして――左側にあった。

 我々が彼女を奇跡のひとつとして語るその証拠は――

『わたしたちは病んでいるのかしら?病み始めているのかしら?』

 真っ黒な、式だ。

――地下室に残された血の式以外に、彼女の遺体がどこにもなかったからです。――

 高さはロクの頭ほどまでしかない。
 少女が、手を伸ばせる高さ。

――また地下室には正体不明の血痕が一種類少しだけ、残されており。
 おそらく気高い彼女が地下室の誰かしがを、異常な教育をする両親から哀れに思い――……。
 
「『ロク』」
 ジャックはロクを呼ぶ。
 暗い瞳ではあるが、ぎこちなく、ロクは振り返る。

  ・・・・・・・・・・・・ ・・・・
「『なんのためにここに来たか、言えるか?』」 
 一瞬――質問の意味が取れず、ロクは瞬きをする。
 それから、いつの間にか止まりかけていた呼吸をする。
 深く。
 
「じけん、の、のろい、の――分析のためだ」
 
 ジャックは頷く。「『そうだ』」静かに。
 静かに見えるロクのバイタルが狂っているのを、ジャックのセンサーは察知している。
「『それからもう一つ』」
 引き剥がさなければならない。
 彼女は今、事件の本筋とまた異なる点で、取り乱している。

 他の猟兵の報告を聞くに、おそらく――それが、まずい。

「なんだ?」
 ロクから絶対に視線を外さないようにしながら、ジャックは問う。
 ロクに詳細を伝えていなかった――確かめたいことを、確かめるために。

「『あなたがたはやがて、おのれの裁く裁きで裁かれ、おのれの量る秤で量られる』」

  ・・・・・
「『聞き覚えは?』」

 瞬きを、一度。

 ・・
「ある」 
 ロクは、断言する。
 感染型UDC。猟兵を侵食しているというそれの本体はおまじないではないだろう。
 ジャックの予測はこう続く。

  ・・・・ ・・・・
「『どこでか、わかるか?』」

 ロクは目を細め、ジャックから視線を外して考え、苦々しく呟いた。
   ・・・・・
「――わからない」

  ・・・
「『本機もだ』」

 ロクの顔色が変わる。「どういうことだ?」
 感染型UDC。猟兵を侵食しているというそれの本体はおまじないではないだろう。
 ばちばちと展開しているEXP-ansionが何かしがの処理をしているその分析結果を、ジャックはあえて覗かないようにする。
「『おまじないが我々を侵食しているというのは、出発前に確認したと思う』」
 おまじないが本体でないならどこから?
 ジャックの結論はこうだ。

 "Dear, my dear".

――彼の身体に誰かが憑いて呟いたような言葉。
 
 "親愛なる君へ"

「『ミーム汚染』」
 転送前から、感染している。

「『meme(ミーム)、利己的な遺伝子、或いは模倣子という言語から発生した用語だ』」
 普段はロクが問い返して行う説明を、ジャックは素早く始める。
「『模倣、つまり無自覚に言葉や画像に対する認識が変わってしまうというという現象であり』」
 思考を情報で押し流せ。
「『ある現象を知っているが故に違うものに見えてしまうといった意図しない認識の書き換えが起こっている状態を意味する』」
 「……えと」予想通り、ロクが少し戸惑っている。「つまり?」いいぞ。

 時に言葉は人を呪う。
 祝いすら呪いとなるだろう。

「『本機らは何かを知ったことで感染したと考えている』」
 書き換えろ。
 繋ぎ止めろ。

「『本機はそれがおまじないだと思っていた。彼の予知の通りに』」
 ジャックは一歩進み、ロクの隣に立ってそれを見る。
 あの宗教団体の文書を信じるなら、あまりにも悲痛なそれを。

 今ひとたびは、悲痛な、それでなく。

「『本機が照合するに――効力はうしなわれているが』」
 さらに進み、触れる。
 劣化したそれはところどころはげ、失われている。

「『おそらく、効果を持った式の類であると提示する』」
 式をかいた、材料ではなく。

「『しかし今のこれからは、精神干渉は感じない』」
 式そのものに、集中を向けろ。

「『――そちらは、どうだ、ロク』」

 存在として。現象として。

 彼の言葉を、引用するべきなのだろう。

 親愛なるきみへ。
 取り憑かれたような彼の、あの続き。
 一体彼は、予知を受けどんな意図で言ったのだろうか。
 それとも、あの言葉は。
 
 どうであれ、それは確かに囚われる猟兵にとって必要なものだ。 

 認めるな。

「『惑わされるな』」

 赦すな。

「――おれも、感じない」
 ロクはゆっくりと呟いた。

「確かに、何かだったとは、思う」
 手を伸ばす。触れる。
 ロクの手袋の先に、ほんの少し付く、黒い、汚れ。
「『そうか』」
 ロクは懐からカードのコピーを取り出し、比べる。
 ……これは、触腕を召喚するのだという。
 犠牲になったのだろうか。彼女らは――…。
「ん」
 ロクは顔をあげる。「『ん?』」ジャックも思わず覗き込む。
 顔を上げては紙を見、紙を見てはまた顔をあげる。
「ジャック」「『なんだ』」
「キミは、確か、これをでーたにしたって、言ってた」
「『ああ――ちょっと待て』」
 ジャックは視界にカードのデータを展開する。
 拡大と縮小し、目の前の図式と画像とを並べ――「『どういうことだ』」つぶやく。
「『基本は確かに同じだが』」「ああ」

  ・・・・・
「『一致しない』」

 ・・・ ・・・・・・・・・・・・・       
 これは、招待状だと誰かが言っていた。
 おまじないを、手繰れ。

「『ひとまず戻ろう、ロク』」
 素早くデータをUDC(コープ)へ転送しながらジャックは提案する。
「ああ」二人は踵を返し、再び出口へ向かう。
 ロクは振り返る。
 黒ずんだ、嘆き。
 彼女たちは実在した。

 ピロン、とUDC(コープ)からの通知がポップアップする。
 ジャックは視界にその通知を出し、確認する。
 予想通りの内容であり、もっとも来て欲しくはない通知だった。
 
 時よ、とまれ?
 時間はいつだって待ってくれない。
 
「『ロク。――どうやら本機らにも来たようだ』」
 検査、依頼。

 これは、繋がりの事件。
 大事な関係はあるか?
 ある。たくさんあるとも。
 出してきたのが、今の繋がりの類似だったなら――自分は、どうなっていただろうか。
 例えばあの姫だったら。

 
「『時に言葉は人を呪う』」
 あらわれた――自分たちとよく似た彼ら。彼女ら。
 あれらが弱くてまだよかったとどこかで安堵している、自分がいはしないか?
 現在の類似だったなら。
 苦戦するほどの強さだったのなら。

 引き金をひけただろうか。
 引けたとして、その時に、何か言われれば。

「『親愛なる誰かの言葉すら――時として呪いとなる』」

 彼女はなんと言って彼女を連れて行ったのだろうか。
 彼はなんと言って彼と友人になったのだろうか。 
 
「『あの"過去"達もそうだったのかも知れない』」
 
 親愛なるきみへ。
 交わしたからこそ、そうするしかなかったのかもしれない。

「『――君も そして 僕もきっと』」

 親愛なるきみへ。
 交わさなかったからこそ、こうなるしかなかったのだ。
 だから。

「『――惑わされるなよ』」

 きみも。
 僕も。

 多分、世界はそういう呪いで溢れているのかもしれない。
 そういう、祝いとも、呪いとも言えない――繋がりで。
 ジャックはそのまま先へ進む。
 
 ロクは先に進むジャックの背を見つめる。
 もう一度式を見つめ――それから前を向く。
 
「ふたりなら、ひとりより、道にも惑いにくいだろ」

成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​

スキアファール・イリャルギ
……新月の日は苦手だ
怪奇が煩い

重い躰を引き摺りUCで複数変換、広範囲展開し呪詛を探る
大丈夫なんて言ったらまたひかりのきみは怒るだろうから
何か起こった時はきみの破魔の力を頼りに……少し、甘えてもいいかな……

謎解きは不得意
もう敢えて突っ込んでいくしかない
"わたし"を拡げ、感染させて――

……『感染型』、か
確か、"見""聞き"し"言った"者の感情を糧とする――

予知で見ただけでも?
話を聴いただけでも?

……まさか
最初からこれも仕組んでたのか?
猟兵である以上"no Evil"なんて無理難題じゃないか

何なんだよおまえ
釈迦のつもりか
これは何なんだ
親愛か
救いか

私は……堕ちた儘でいい
血の池で悶え苦しめばいいんだ……



“『儀式を行ったことは、秘匿するべし』”

 つみとがのしるし天にあらはれ――と言うあれは、確か、病院で聞いたような気がする。

 いや、あれはきっと病院ではなく、実験場だったのだろうけれど。
 病室の、隣か隣かそのまた隣か……あるいはどこか廊下の奥かもしれない、ともかく同じ階に収容されている誰かが、断続的に叫んでいたのだ。

 ああやかましい――まだ詩程度だからいいものの。

 いつもの実験のために自分の病室に訪れたものたちの一人が忌々しそうに呟いていたので、はあ、あれは詩なのかと思った。
 細い細い窓からは月の光が差し込んで――おさなごころにも、ああ、あれを叫んでいる人はきっと月の光にたまらなくなって叫んだのだろう、そう考えたものだ。

 つみとがのしるし天にあらはれ。

 月はよるを煌々照らす。
 太陽の時刻には隠れているものが動く夜を照らし――闇夜の中に薄く影を縁取る。
 どう隠れようと、潜もうと、お前はそこにいることを、おまえがそこにあることを、私は知っている、というような、優しく、冷たい、月明かり。

――……だから、だろうか。
 

 重い。
 体が重い。
 いまだにずっしりと、体が濡れそぼっているかのようだ。
 スキアファール・イリャルギ(抹月批風・f23882)は溺れるもののように天を仰ぐ。
 ないと分かっていても、月を探す。

 明るい表通りから伸びてくるあかりがやかましく、視界に入れたくはなかった。
 あの電飾を、あかりを、叩き割りたいと黒泡の蟲のような苛立ちが蠢いていた。

――……新月の日は、苦手だ。

 きっと本能(かいき)も分かっているのだろう。
 この、新月の夜だけは。

――怪奇が煩い。

 ほんとうのくらやみを、もたらすことだってできるのだと。

 ない。
 月(ひかり)はない。
 どこにも、な――……。

 スキアファールの視界、夜天、月というにはほのかな光だが、近くに、そう、ほぼ目と鼻の先に、ちいさなひかりが飛び込んできた。
 まるで月の代わりにならんとするような、いや。
 苦笑する。
 スキアファールを気遣って、月の代わりを務めようとする、してくれる、それは、文字通り、彼の心の拠り所であり、こころの守り手である――ひかりだ。
 彼を思い、彼のために、残ってくれている、彼女。
 スキアファールは指を伸ばす。
 伸ばせば指の届く、彼だけの月。
「……ごめ」

 指をすり抜けてひかりが眼球に向かって落ちてきた。

「わっ」スキアファールは思わず目を閉じる。
 ……痛みは当然なく、熱もない。
 何もないまま数秒まち、恐る恐る目を開ければ、小さなひかりの彼女はくるくるとスキアファールの目の前で飛び回っていた。
「……ごめんは、だめ?」
 彼女の意図を考えて問えば、ひかりはぴたりと動きを止めた。
 スキアファールの苦笑いがさらに綻ぶ。
「きみは、そういうことは……結構、はっきり言うんだね」
 ひかりが大きく円を描く。肯定のように。
 かなわないなあ。
 雑踏のうるささが、電飾の喧しさが、気づけば少しだけ遠のいている。
「ええと……じゃあ、私はなんてきみに言えばいい?」
 不安だらけの迷子のようなか細い声が出る。
 スキアファールが指を伸ばせば、ひかりはそこに止まってくれた。
 そこにいるということ。いてくれるということ。
「……ありが、とう?」
 ひかりはふはりと飛び、スキアファールの鼻先で弾けた。
 待っていたとばかり、指先で軽く叩くように。
「ありがとう」
 左右はもう一度繰り返す。
 ほころんだ苦笑いは、泣き笑いのようだ。

 大きく呼吸をする。ここは海ではない。ましてや水中でもない。
 自分は確かにここにいて――そして、嗚呼。
 回ってきている情報がほんとうなら、ただごとではないことが進行している。
 ……正直、疲労がひどい。肉体的にも、精神的にもだ。
 そして新月。タイミングが悪い。
 気を緩めればばけものとして精神をつれていかれそうですらある。

 しかし。
 それでも。

「よし」

 決意を持って、真境名・左右はスキアファール・イリャルギの貌をする。
 いまだ激しい疲労を抱えながらも――狂気に飲まれた化け物でない、意思を持った人間として、怪奇の手段を選ぶ。
 
 ひかりの彼女が一度、スキアファールの周りを大きく飛んだ。
「うん」うなずく。
「……大丈夫なんて、言ったら、ひかりのきみは怒るだろうから、言わないよ」
 再びスキアファールの指先に着地し、腕から肩へと滑る彼女を彼は眼で追い、やんわりと微笑む。「その代わり」

 影がざわめく。影が濡れる。影が緩み、影が溶ける。
「何か起こった時は、きみの破魔の力を頼りに……少し、甘えてもいいかな…」

 彼女は再びスキアファールの正前に佇む。

 迷うものを照らす、小さな月。

「ありがとう」
 充分すぎるほど、充分な、答えだった。

 謎解きは不得意だ。
 呪術に噂に猟兵への侵食。
 多すぎる情報に感染というタイムリミット。

――なら、もう敢えて突っ込んでいくしかない。
 
 影が溶ける。影がうねる。影が広がる。
 都市にまで感染を広げている、というのなら。

――伝染(うつ)れ 伝染(うつ)せ。
 
 感染していない部分をこちらがもっていってしまうのが手っ取り早い。
 無機物を全て――自身と五感を共有する、影と成せ。

 うつれ、うつせ、うつれ、うつせ、うつれ。
 
 コンクリートの隙間の影、それより伝染(うつ)せ、その道をわたしのゆびとせよ。
 電飾の輝き、それにより落とす影、それより伝染(うつ)れ、そのビル一本、わたしの血管とせよ。
 
 わたしを広げ。広げ。広がれ。広がれ。
 わたしを感染させ、感染させ、感染させ、うつせ、うつせ、うつせ。
 影より――全ての命なきものは、わたしとなれ。

 何百対では足りぬ靴がスキアファールを踏んでいく。
 何百本と数える気にもならない指がスキアファールに触れている。
 いくつもの目玉がスキアファールを見ている。

 擬態はやめない。欲しいのは狂気ではない。
 さぐれ、さぐれ。
 手繰れ、手繰れ。

 吐きそうだ。狂いそうだ。
 しかし尚やめぬ。

 感染すことのできるものが――無機物でまだ良かったと、思う。
 これがもし、生き物であったな

――……『感染型』。

 ひらめきだった。

 スキアファールはコードを解除する。
 侵食していた全てから文字通り――手を引く。
 スキアファールは影から広がり全てを影と変えていくそういう『感染型』だ。

 声を聞いたのだ、という話が猟兵たちの情報ベースに上がっていた。
 潮騒の音があったのだという声があった。
 スキアファールにはわかる。
 たった今まで感染する『病』となっていた身だからこそわかる。

       ・・・・・・・
 そんなもの、面倒極まりないのだ。

 感染を広げるなら、気づかれないに越したことはないのだ。
 たった今、誰にも気づかれないよう、物質の擬態をしたまま影を広げていたように。
 ……しかし、向こうはそれをしてこなかった。
 『語り』のように混ざり込み『存在』を『仄めか』していた。
 本当の病なら隠れていた方が良いのに、あえて出てきていた、のではなく。
 
 そうしなくてはならなかったとしたら、どうだ。

――“見”“聞き”し“言った”者の、感情を――糧としていたら、どうだ。
 
 おぞましい確信が背筋をのぼりくる。
 どこでだ。
 どこで感染が始まっていた?

――例えばそれは、予知を聞いただけでも?

 ・・・
 おわあ。

 赤子の声が、ほうら、響いてくる。

――例えばそれは、話を聞いただけでも?

 ・・・
 おわあ。

――まさか。

 予感が確信に塗り替えられていく。

――最初からこれも仕込んでいたのか?

 おわあ。おわあ。おわあおわあおわあ。
 鼓膜に轟々と響く。
 どこから聞こえている。

――猟兵である以上『No Evil』なんて、無理難題じゃないか。

 おぎやあ、おぎやあ。おぎゃあ、おぎゃあ。
 潮騒が聞こえる。
 自らの、内側から。
 なぜ聞こえる。

 先に回ってきていた猟兵からの情報で、治療は一度、受けたのに。

“きみは随分と――礼儀正しいようだ”

 肌が、泡立つ。
 声がする。

“そして随分と生真面目だ”

 赤子の声の中に響いてくるそれを、必死に耳で追う。
 音の源を探す――どこだ、どこからだ。
 
 ・・
 ない。

 ・・・ ・・・
 感染型、UDC。

「何なんだよ、おまえ」
 必死に吐き出す。
「釈迦のつもりか」
 どちらだ?
 今、眼を閉じた方がいいのか、このまま開けていた方がいいのか。
 視界に異常はない。
 異常はない、ように見える。

 ・・・・・・・
「これは何なんだ」
 俯いたまま、足先の床をじっと睨む。

“真面目かと思いきや、意外にもズルをする性質なのかな?”

 緩やかな声が言う。
 疑問の形をとっているが答えを望まない音だった。“聞いて答えるならカードなど贈らない”

「何様のつもだって、聞いているんだよ、わたしは――!」
 
 迫る胃液を追い返しながら必死に叫ぶ。
「親愛か?」
 赤子の声はいよいよ大きく。
「救いか?」
 うるさい、うるさい、うるさい。
「そんなもの誰がくれと言ったッ!?」
 喉からの声はもはや悲鳴のようだ。
「余計なお節介なんだよ!」
 叫んでいるのがスキアファールなのか左右なのかわからない。「いったいなんで今現れた!?ええ!?このままの方が都合が良いだろうに!」水の中でもがくように叫ぶ。
 何を怒鳴っているのかわからなくなってくる。
「……わたしは、堕ちた儘でいい…」
 意識が、ちぎれそうだ。
「……血の池で、悶え苦しめばいいんだ……」

 ば、と。

“――きみは一つ、勘違いをしている”

 ひかりが、あのこが、

“そんな大層な話ではない。きみだってどこかで聞いたのではないかな”

 スキアファールの視界に飛び込んでくる。

“これは――『繋がり』の、事件だ”

 騒がしい雑踏が、耳に戻ってくる。
 人々のざわめき。やかましい電飾。
 精神力が尽きたらしい。スキアファールは路地裏で転がっていた。
 あのこが、心配そうに、左右を覗き込むように、輝いている。
 投げ出していたスキアファール手の中で。

 ふと思い出す。
 つみとがのしるし天にあらはれ。
 あの叫びは――あの詩は、確か最後にこうあるのだ。

 おかせる罪のしるしよもに現はれぬ。

成功 🔵​🔵​🔴​

カイム・クローバー
【紫蝶】
笑えねぇな。既に感染してるってのか?余りにも脆弱なUDCの群れ。媒介だとしたら。…時間はそう多くねぇか。

調べるのは【消滅した】っていう新興宗教団体のアジト。中心の少女が言っていた『あの方』ってのがどうにも気に掛かる。
場所?俺を誰だと思ってる?『UDCの便利屋』だぜ?
廃ビルを出て直ぐ。置いてある誰のか分からねぇ大型バイクをUCで鍵を作成して、朱希を後ろに乗せるぜ。
ヘルメットは朱希用だ。飛ばしていくぜ。【運転】【操縦】でフルスロットル。対策はしてねぇが、亡霊が追い付ける速度じゃないと思うぜ。それでも邪魔するなら撃ち抜くだけだ。
……聞こえるのは風の音だけ。少しは朱希の精神も落ち着くと良いが。


檪・朱希
【紫蝶】
ありがとう、雪、燿、カイム……もう、大丈夫。
蝶の傷跡が紫に……無理はしないけど、私は、前に、進みたい。
それに、前みたいに暴走させない。

カイム、行くところ、分かるの?
乗り方を教わって、一緒にバイクに乗ってその場所に向かう。

悲しい。苦しい。幸せになりたい……
何度も思った。でも、猟兵になってから、小さな小さな事だけど……嬉しかったことや楽しかったことも、ある。
……風の『音』が心地よい。

辿り着いたら、何か、誰かいるか……頼まれた通り、無理はせず周囲の音を聞いてみる。

私の"蝶"が、UDCの感染に触発されるなら、具現化する燿、"蝶"の力を制御する雪で抑えてもらう。
大丈夫、皆が居るから。



●“『図形の大きさに気をつけよ――中に全員が入れるものに』”

「毎回思うがあの先生はどうしてああも過激なのかね」

 2台のバイクが、夜の街を稲妻のように走る。
 バイクがギリギリで通れる裏路地を、或いは国道を縫うように、素早く夜を裂いていく。

「患者が心配ってのはわかるが、ありゃ患者を殺しかねない顔だ」
 ――そのうちの一台、先行しているバイクを駆るカイム・クローバー(UDCの便利屋・f08018)はそう話題を振った。
 首の後ろで一つに括り垂らした、長い銀髪が風に靡く。

「すごく、真面目なんだと、思う」
 もう一台、カイムよりはやや不安定かつやや肩に力の入った様子檪・朱希(旋律の歌い手・f23468)はヘルメットをしているのでやや大きい声を意識して出し、律儀に答えた。

「それに、いつになく必死な形相だった」
「既に感染してるってあれか?」
 あまりにも脆弱なUDCの群れ。あれが媒介であるなら。
 そしてもう一つあった連絡。
 明らかに人間らしい意識もなく襲いかかってきたという一般人。

――なら、時間はそう多くはねぇか。

 カイムは素早くそう判断する。
 猟兵の方が一般人よりは明らかに精神的にも防衛術的にも強靭ではある、があの戦闘を終えた中にはかなり疲弊していたものもいた。となると――そううかうかもしていられない。
「もう少し飛ばすぞ!ついてこれるな!」
「えっ」カイムからの声に朱希は顔色を変える。「待って!まだ慣れない」何せ今日、先ほどカイムに習ったばかりのバイクだ。

「大丈夫だ。今日日ならって初めて乗ってるにしちゃ、なかなかだぜ?」
 カイムは朱希の隣まで一度減速してウィンクする。

「それに、逆にポリ公に捕まるとちと面倒だからな」
 カイムのノーヘル運転はもちろんだが――日本では15歳はバイクの運転の教習を受けることまではできても免許を獲得できるのは16歳からだ。彼女を免許なしで載せてその上年齢制限を破っているとあればカイムの免許も危ない。いくらでもごまかし偽造できるとはいえ、その分の時間のロスが痛い。

 否応を聞かずカイムはアクセルを踏む。

「カイム!」朱希も必死にアクセルを踏み込みながら叫ぶ。「行くとこ、わかるの!?」
「俺をだれだと思ってる?」
 男は振り返らず片手を軽く上げる。
「『UDCの便利屋』Black Jackのカイム・クローバーだ」
 翻る黒のコートに揺れる銀髪が、ひと知れぬ都市の守護者のようですら、あった。



 2台のバイクはやがてある廃ビルの前で停まる。
 朱希はヘルメットを脱ぎ「ぷは」大きく息をする。夜気が胸に心地良かった。
 あの乱戦があったビルからここまで離れて、ようやく落ち着いて呼吸ができたような心持ちさえする。耳を澄まして自身の心音を聴く――大丈夫。落ち着いてる。
 あたりは静まりかえっていた。住宅もあるが、なんとなし人気がない。
 避けられている場所なのかな。
 朱希は考えながら、きちんとセンタースタンドをたて、バイクが倒れないことを確認して、それから心の中でバイクの持ち主に手を合わせた。ごめんなさい。
 ……2台とも盗品だ。いらなくなったら、UDC(コープ)に連絡して元の持ち主に帰るよう取り計らってもらおう。こんなに手入れされてきちんと鍵までかけていたのだから、きっと大事だったに違いない。
「……ここが、調べたいって言ってた?」
 朱希はカイムにやや小走りで駆け寄る。
 古いビルだ。入り口はガラスではなく観音びらきの扉が重々しい。
 白く塗りつぶされた看板は汚れ、2階の窓や扉に貼られた貸し出し中のチラシは左角が剥がれてそりかえっている。チラシの貸し出し業者名の記されたプリントは黄色がすっかり飛んで、黒いふちだけが残っている。
 長いこと新しいテナントが入らなかった証拠だ。
 まあ、買い手がつくわけもないだろう。

「ああ」
 カイムは短く返事をしながらコードを発動する。
 創作の真理(クラフト・マスター)――このビルの、入り口の鍵だ。作りは雑だが、要するに鍵で使えればそれでいいのだ。どうと言うことはない。

 観音びらきの扉を開けば、どっと黴臭さと埃。それから、封を切られなかった箱独特の、こもった空虚の匂いが外へ流れ出た。

「あの楽園のしもべがかつて居た――消滅した、っていう新興宗教団体のアジトだ」

 朱希は少しだけ息を呑む。
『おっまえカイム!本気で朱希をそこに連れてくってのか!』
 戸惑う彼女に合わせたように、やや怒気を込めた少年の声が響き――橙の蝶が現れる。霊だ。「燿」朱希は橙の彼の語気を嗜めるように呼ぶが、効果はない。
「俺はきちんとクライアント様に提案したぜ?」カイムは肩をすくめる。
『護衛の続行をな!』燿が噛み付く。
『調べるなら他にもあっただろう』
 続けて青の蝶が現れて揺れる。「雪」朱希は小さく蝶の名前を呼ぶ。
『朱希の負担も考えろ』
 冷たく言い放つもう一人の霊、雪の口調はともすると燿よりも鋭い。『よりにもよってさっきの続きか?』
 が、カイムはこれも、どこ吹く風だ。
「お前らよっぽどあの医者先生のお説教が響いたらしいな」
 にやりと笑いながら指摘すれば『んなっ』『…この!』ふたりの霊は熱り立つ。

「二人とも」
 はっきりとした声で、朱希がカイムと霊達の間に入る。「心配してくれてありがとう」
 先ほど、主治医が駆けつけて治療を受けたあとにも告げたことを、改めて言う。
「もう、大丈夫だから」
 首元を触る。そこにある蝶の傷跡は、今や紫だ。
「無理はしない」ふたりの霊でなく、自身に言い聞かせるように宣言する。

「けど……私は、前に、進みたい」
 おそらく。
「前みたいに暴走させない」
 おそらく、そうなのだ。
「約束する」
『約束って言ったって』
 雪が苛立たしげに言い募る。
「大丈夫」
『何が大丈夫なんだ』
 諦めてしまうこと。踏み出すことを、進むことをやめてしまうこと。

「みんながいる」
 信じれなくなってしまうこと。

 悲劇が起こるなら――始まるのなら、きっとそのときなのだ。 

 ――……。

『……わかった』
 低くだが、確かにそう応えたのは燿だった。

『おい』雪が明らかに咎める。

『だって朱希もうぜったいもうこれ言うこと聞かない顔じゃん』
 諦めたように橙の蝶は朱希とカイムの周りを、楕円を描いて飛ぶ。
『……』
『結局前回の乱戦俺たち結構カイムにお世話になっちゃったし?』
 続いて高度を上げてカイムの周りを飛ぶ。
「医者先生からすれば俺もお叱りの対象だったがな?」
 話題となったカイムはぬけぬけと言う。『ありゃあの先生がどスパルタなだけだろ』
「雪」
『……朱希の精神に、何かありそうだったら、今度は絶対止める』
 燿よりも低く、そして静かな声だった。
『お前も絶対止めろ、便利屋』
「ご意向のままに。依頼人どの」
 それが青い蝶の、最大の譲歩だった。



「……カイムはどうして、ここに来ようと思ったの?」
 階段を踏むたび、進たびに埃が大きく立ち上る。
「あの中心の少女が言っていた『あの方』ってのがどうにも気にかかってな」
 スマホでUDC(コープ)からの連絡が来ていないかを確認しながらカイムは答える。

「ところが、だ。コープに問い合わせても調べても、あの少女が『あの方』と呼びそうなトップが出てこねえ」
 また大きく、綿埃が宙を舞う。
 
『とおさまだったらきっとおっしゃっるの――あのかたを助けておあげなさい』

「その資料、私も見ていい?」
 ああ。返事と共にカイムはスマホを操作する。「俺が個人的に探ったデータは送れないが――まあ、これでも十分わかるだろう」
 UDC(コープ)から朱希に貸し出されている端末にデータが飛んでくるのを朱希は覗き込む。
 
――集団消滅事件。
 20■■年■■月■■日――家族が帰ってこないという報告から判明した。
 住所:■■区■■町■■ー■■、■■ビル。
 宗教団体■■■■、本部。
 教義は主に楽園を求め行くためとし活動していたもので――……。

「それで、現場検証?」
「まあな」

――再三の連絡にも関わらず無応答、同じような問い合わせが多数発生した。
 UDC(コープ)はUDC絡みの案件の可能性もあるとし、調査部隊■■数名の派遣を依頼――

「礼拝堂だ」

 重々しい扉には、忘れ難い、あの式に織り込まれていた宗教団体の象徴が刻まれている。
 カイムが取っ手に手をかければ――鍵は、空いている。
 目配せをひとつ。
 朱希は耳をすませ――首を左右に振る。
 鋭い聴覚にはなんの音も届かなかった。
 中には、誰もいない。
 カイムは一息に扉を開く。

「ハッ」笑う。

 黴の生えて、傷んだにおい。
 業者もおそらくきみ悪がり、このビルの中に手をつけなかったのだろう、それが幸いした。
 ある程度の時間の経過が見えるとはいえ、ほとんどその日のままのようだった。

「なるほどな」

 部屋の中央にはつい先ほど見た円の、もっと大きく精密なものが描かれている。

 壁にかけられた幾枚もの絵には、カイムも知り、またUDC(コープ)にもデータとして残るほどの邪神、或いはそれに類するものが褪せて尚、おどろおどろしい。

 そしてああ、円の周りには――分かる。
 血が流れたあとだ。
 
――突入時は何かしがの儀式の実行から数日経過していたと見られる――

 夥しい血だ。
 血痕からして、おそらくばらばらになった肉片が転がっていることもあったのだろう。

――室内には夥しい血液と人間の一部が散乱していた。
  生存者なし。
  ビルはほぼ密室状態であり、儀式の際に何かが起こり、全員が消滅したと見られる。――

「回ってきた情報通りではある、か?」

 カイムは円の周りをゆっくりと歩く。

 曰く――おまじないの術式は、召喚式である。
 邪神のすぐそばに開き、触腕を招きこむのだという。
 本来の術式より離れていようと、不可視の侵食を起こさせる。
 召喚された触腕は命あるものに襲いかかってくる。
 
 いや。
 カイムは踵を鳴らし、真っ直ぐ立って式を見下ろす。

 ・・・ ・・・・・・
「やはり、報告書の通り――違うな?」

 円の内側に――血がついた痕跡がない。

「カイム」
 朱希がカイムへと駆け寄る。「『蝶』に何かが?」「ううん」首を振る。

 ・・・ ・・・・・・・・・・
「むしろ、何もなさすぎるくらい」

 嗚呼。     ・・・・
 カイムは笑う。「だろうな」

――追伸――

「あの――これ、これを読んだから、ここに来たの?」
 朱希は借用しているスマホをカイムへと向ける。
「ああ」
 それから、自らのスマホで残された式の写真を撮る。

「ビンゴだ」
 残念ながら魔術のエキスパート、ではないが、その類のツテはある。

――この術式は『門』である可能性が高い――

「行くぞ朱希」
 カイムは踵を返す。「欲しい情報は手に入った」
 おまじない。
 そこに込められた式を。乱闘を通して得たある宗教団体の模様を読み解き。
 
――こちらから、あちらへの一方通行――

 報告書はそこで終わる。
 後にあるのは部隊の責任者兼報告者のサインだ。
 執筆者は別の件で殉職しており、一切の個人情報を手繰ることはできない。

 朱希もそれに続こうとして、一度、かつて惨禍の中心だったろう名残を見つめ――やがて同じように部屋を後にした。

 夜を再び、バイクが駆ける。

 朱希はバイクに慣れてきたこともあり、肩の力を抜いて運転することができた。
 そうすると――ずいぶんと感覚に余裕が出てくる。
 みるのは前だけで、聞こえてくるのは風の『音』だけだ。
 不安や困惑が流れて、飲み込まれ、消えるような気がする。

 悲しい。苦しい。
 ……しあわせに、なりたい。
 何度も思った。
 苦しいことも辛いことも次から次へとキリがなく、時には思いもよらない恐ろしい目に遭う。
 生きているのをやめた方が。
 全く考えたことがないかといえば、それは嘘になる。
 だけど、と思い直す。
 カイムのようにヘルメットを取りたい気分だったけれど、我慢しておく。
 でも。
 ハンドルをしっかりと握る。
――猟兵になってから、小さな小さな事だけど……嬉しかったことや楽しかったことも、ある。
 今だって、風が気持ちいい。
「ヘイ」
 先行していたカイムが再び並走にまで速度を落としていた。
「バイク、いいだろ?」
「うん」
 少年のような笑みに素直に頷く。
「夜の高速なんかを走るのも楽しいぜ、今度行くといい」「免許」「おっと」
「でも、うん」
 風の中で、朱希はようやく、自然に微笑む。

「ちょっと、欲しくなった」

「面倒なポリさえいなけりゃもっと飛ばすんだがな」「危ないよ」
  
 テールランプが二つ、次の目的地めがけて線を引いていく。

――気分転換になったようで何よりだ。

 再び速度を出し、朱希の前を走りながらカイムは安堵する。
 怒り狂っていた医者はもちろんだが――自分もまた朱希の精神状態が心配ではあった。
 すっかり落ち着いて取り戻したと言っていい。
 
 ……カイムが朱希に渡さなかった情報の一つは、こうだ。

 コープからの報告書には、追伸の後、部隊の責任者兼報告者のサインがある。
 パソコンで作られた書類の、そこだけは当時の流儀で直筆のサインとなっている。
 執筆者は殉職しており、一切の個人情報を手繰ることはできない。

 そこにあるサインと、カードの筆跡が一致するか?
 
 一致した。

 きっとそこで待っているだろう、と硝子剣士は言った。
 UDCが。

 UDC――Un Defind Creature。
 だがこの世界においてその三文字が意味する略称はもう一つある。

 …――Under Difence Corp。

 コープ、と呼ばれる、猟兵支援組織である。 
 コープ自体が白か黒かと言われれば、おそらく白だろう。
 結社自体が敵に回るのならばもっと悪どいやり方がある。
 だがここで元職員が引き当てられる、その意味は何だ?
 この情報はどこまで流すか?

――『門』の式が出てきた、というのは間違いなく全員に流すべき情報だ。

 アクセルをさらに踏む。
 朱希もきちんとついてきている。
 
――だが、カードの筆者と一致するという話は、ある者を除き、伏せるべきだろう。

 おまじないを手繰れ、とあった。確かに手繰って、ここまでの情報が出てきた。
 ずいぶんと用意周到だ。あるいは持ちうるあらゆる情報をぶちまけてきているとも取れる。

 カイムはこうして宗教団体から『門』まで情報を引き当てたが――おそらく違うルートでも同じような情報に行きつけはしたのだろう。

 カードは、文字通り招待状だったのだ。
 

――やれやれ。底の知れない黒幕さんだ。
 
 待ってろ。と告げて――カイムたちはさらに、先を目指す。

成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​

セプリオギナ・ユーラス
違和感。

ざらりと残る不快を紐解く
何かがおかしい

…感染──感染型UDC、感染者と言ったか?

【感染】だと
何故 この俺が その言葉を切り捨てた?
忘れられようはずもない、その言葉を?
莫迦な

歯噛みする
…ああ、そうだ。一滴の毒は井戸の水を汚染する
今必要なのは医師の思考ではない

“感染を広める”には?
発見を遅らせ、油断させ、防疫を怠らせること。真偽の定かでない情報を流すことだ。症状を緩和すると嘯く中に症状を悪化させ、感染を拡大させるものを仕込む

もし、それが既に行われているならば──?

舌打ちを堪える
いや、それでも確認は必要だ
どうせ選べるのは対症療法でしかない

方針:手近な猟兵をとっ捕まえてでも事態の改善を計る



●“『これを広めたいと話すのならば、なるべく少人数で』”

 逆エビ固めが決まった。
 逆エビ固めとはボストン・クラブともいいプロレス技の一種である。
 
「待って待ってマジで待って待ってやばい骨がやばいむりむりむりむりむり」
 イージー・ブロークンハートの無様な悲鳴が響き渡る。

「黙れ」
 セプリオギナ・ユーラス(賽は投げられた・f25430)は冷徹に言い放った。

「こちらを見るな呼吸をするな今すぐ意識を遮断して回答しろ」
「無茶苦茶言わんで!?!?」
 彼はうつ伏せになったイージーの背に座り両足を腕に挟み込んでイージーの背中と腰を極めていた。硝子剣士の背骨がひどい音を立てている。
「いやいやいやいや無理無理無理無理どうしてどういうことなのおかしいでしょ開幕これはおかしいでしょいや帰還要請これはオッケー帰還させたこれもオッケーそれで瞬間プロレスはないでしょガチでヤバイのは案件であってオレの背骨違うでしょあだだだだだだだだだ骨骨骨骨!!!!!!!」
 セプリオギナはイージーの悲鳴をスルーしながら周囲に展開した医療用・通信用の正六面体端末からの報告を受け取り分析し続ける。
 奇しくも場所はグリモア・ベースの端。
「骨が痛むわけないだろうが」ある報告に返信を送りついでに硝子剣士に言葉を返す。「痛んでいるのは貴様の神経と筋肉だ」「そういう訂正いらねえから!!いやこれ骨逝くって骨逝くって!!」「逝くか阿呆。医者の方こそ貴様ら患者に骨を折る側だ」「そういう洒落も求めてねえし!!」
 なかなかの大騒ぎであり珍騒動だがいったいどういう巡り合わせか関わるものは彼らのほかに誰もいない。「骨で済めば安いものだ」「どうなら安く済まないんだよ!!!」

 ・・・・・・・・・・
「貴様が感染源の場合だ」

 イージーの口から音が絶える。
 セプリオギナは、それを見逃さなかった。

 ・・・・・・・
「自覚があるのか?」

 是も非も、回答はなかった。
 セプリオギナはイージーの足を離す。ぱたりと力なく落ちる足は見もせず――振り返る。
 この事件に猟兵を巻き込んだグリモア猟兵を見つめる。
 床の上にうつ伏せになって、俯き、振り返りもしないその頸を。

「事件に関わった猟兵全員、片っ端からある検査をした」
 セプリオギナは淡々と事実を告げる。

「どう出たと思う?」
 返事はない。
 セプリオギナは腰をあげ、彼の前へと回り込む。

 ・・ ・・・・・・
「全員、感染していた」

「…なんに」
「貴様がそれを言うか」
 セプリオギナは正面から見下ろす。

 ・・・
「『UDC』――Un Defind Creature」

 そう。
 彼は最初にこう言った。

 ・・・・・ ・・・
「定義できぬ、化け物にだ」

 『感染するUDCにまつわるガチでヤバい案件だ』

 【感染】

「もっとわかりやすく言ってやろう」

――いったい。
 セプリオギナの中で激しい違和感と焼き払いたくなるような苦痛、煮えたぎりきった怒りが渦巻いている。

     ・・・・・・
「全員、『感染型UDC』に寄生されていた」

――いったい、どうして。

 今すぐ吼えたくなるような不快感を歯噛みする。

「貴様のいう通り確かにあれを定義することは難しいだろうな」

――いったいどうして、よりにもよって。

「ある種の呪術・霊的存在を持ちながら寄生する人間に寄り添うかのように肉を成す。――ある患者の報告には、あちこちへと移動することも可能そうだとな」

 ・・・
 自分への怒りのあまり喉を掻っ捌いてしまいたくなるような不快感だ。

「脳幹を中心に寄生しその人間を乗っ取る――ある患者は精神を喰われるような感覚があったそうだ」

――この俺が、何故、その言葉を切り捨てたのだ!

 感染。

 そいつはセプリオギナの宿敵だ。
 過去の海に眠るだろうかつてあったそれだけでなく現在にも未来にも溢れる怨敵だ。
 セプリオギナはその恐ろしさを憎悪を持ってよく知っている。
 そのみにくさを嫌悪を持って良く味わっている。

 たった一滴、毒を垂らした井戸がもう使えなくなるような、壊滅性。

 その危険性を――故郷ひとつを引き換えに良く知っているというのに!
 
 感染。
 何故この俺がその言葉を切り捨てた?
 忘れられようはずもない、その言葉を、何故?
 莫迦な。ありえない。
 忘れていられるはずがないのだ――ましてや、切り捨てようもない!

 ・・・・・
 本来ならば。

 ・・ ・・・・・・・・
 何故、浮かばなかった?

「――それが」
 イージー・ブロークンハートはうつ伏せから起き上がり、その場で胡座をかく。
「それが、オレと、どう関わり合いがあるわけ?」
 顔はまだ、上げない。
 セプリオギナは目を細める。
「感染とはなにを持ってして起こるか知っているか?」
「知らんよ」
 かちりかちりと音を立て、正六面体を少しずつ集合させる。

「病原体への接触だ」

 一歩、セプリオギナは前にでる。

「その病原体が、噂じゃないの?」
「おそらく違う」

 ――確かに『感染型UDC』を病と捉えるなら、それがストレートだろう。
 噂を撒いた男がいたのだから。
 ならば噂を塞げば良い。誰だってそう思うだろう。
 だから――必要なのは論理と人命の物理的側面である医者の思考ではない。

「噂だったのなら、儀式を行った方の女子高生ともう一人、相手の少女も感染しているはずだ」

 ここに毒が――ひとつの病があって、“感染を広める”には?
 簡単だ。
 発見を遅らせ、油断させ、防疫を怠らせること。
 真偽の定かでない情報を流すこと。
 似非医療の手口だ。
 症状を緩和すると嘯く中に症状を悪化させ、感染を拡大させるものを仕込む――。

「俺たちと同じものに感染しているのは噂を流している男に接触した女子高生と、別の一人のみだったぞ」
 
 例えば。
 目的は、噂の拡散ではなく。
 噂を拡散させるような、人対人の接触を行わせるのだとしたら、どうだ。

 噂を、媒介として広まる、UDC。
 ひととひと――繋がりの、事件。

「俺たち全員必ず接触する男がいる」

 さらに一歩。

 ・・・
「お前だ」
 
 剣士は、顔をまだ上げない。

「…別に抱きついたりとかしてないぜ」「ほざけ」
 セプリオギナはいまだに緩やかな拒否を見せる男と目線が合うだろう高さにしゃがむ。
「じゃあオレが感染源だとしてどこまでやったら感染すんの?」
 口調だけがありふれた明るさだ。
「知らん」
「知らんのかい」
 しかし顔を俯かせているために、顔はわからない。

「だが、仮定はある――自覚がないとは言わせんぞ」

「なんで」
「ヤバイ事件だのなんだの言うのならどうしてこんなところにいる?」
 どう考えても人手の必要な事件だ。
 なのにこの男は――こんなプロレス騒動を起こしても誰も来ないような場所で待っていたのだ。

「『オレは見ただけだ』と言っていたな?おそらくそれだ――お前は何を見た?」
 イージーの額を掴む。「ちょ、待っ」「待つか」狼狽える瞳を真正面にねめつける。
「感染の最も唾棄すべき点は時間が経てば経つほど向こうに有利だという点だ」
「待って――マジで待って」
「貴様が症状を吐くのが先だ」
 確かめねばならないことがあるのだ。
 骨では済まないかどうか。「その後なら待ってやる」
「いや、待ってよ、マジで待って」
 蒼白の顔色で目を白黒させながらイージーはセプリオギナの手首を力なく掴む。

「それ以上――話さ、認識、させ」
 イージーの喉から響いた、うぷ、という音は、セプリオギナにとって非常に馴染みのある音だった。

 ……すばやくビニール袋を当てがってやったのは優しさでもなんでもない。吐瀉物とは往々にして離散を避けるべき感染源だ。
 一度、二度――吐きたいだけ吐かせる。両膝も両肘も地面につき、おえ、げええ、という音声とと共にビニール袋を満たしたのはもっぱら胃液や唾液だった。血もない。特筆すべき異臭もない。そしてセプリオギナが特に危惧していた、赤い紐――臍の緒のようなものもなかった。単純な精神汚染に対する拒否反応なのだろう。

 自分を失う。
 このUDCによる症状はおそらくそれだ。
 臍の緒を通じて母親の栄養を得る赤子。
 そして、例えばだ。
 たとえば、そいつ本人から望んだ栄養を取れなければどうなるだろう。
 赤い紐――臍の緒。
 オブリビオン。溢れた過去。
 繋がりの、事件。
 
 ざばりというあれは、自分の中にいるUDCが自分の繋がりを通して過去から排出させたとしていたら、どうだ。
 
 認識。
 やはりか、という思いが半分。
 ふざけるな、という思いが半分だ。
 セプリオギナは患者がひとしきり吐き終えた頃を見計らい、ハーフサイズの経口補水液のペットボトルを差し出す。彼は素直にそれを手に取って
「いや待ってよ」
 セプリオギナのことを信じられないものを見る目で見た。

「ああ待つ。飲むのは少しずつでいい。失った水分を補え」
「いやそっちじゃなくて」吐瀉物の入ったビニール袋を医療用端末の正六面体に内臓された隔離ダストボックスにぶち込みつつセプリオギナはこともなげに返事をする。「どうかしたか」
「いやどうかしてるに決まってるでしょ」
 奇妙な返事にセプリオギナは患者を流し見てから近づく。胸元のポケットからペンライトを取り出し患者の瞼を引っ張った。眼球を覗き込む「異常なし」「オレじゃなくて!」
「いちいちうるさい患者だ。待てと言ったから待ってやったのにその言い草か」
「いやオレのこと患者っていうのはおかしいだろ!」
 見開いた目がセプリオギナをありえないと糾弾していた。
 彼はそれに対し――ごねる患者にいつもするように鼻を鳴らした。

「そこまで症状が進行すると誰が感染しているのか分かるのか?」

「医者なら治療して来いよ」
「もちろん再度治療するつもりだ」
 バッグから取り出した符を

「確認が済んだらな」
 ――イージーの頸に思い切り叩きつけた。

 げっ、という悲鳴が患者の口から飛び出す。
 今までと同じ手応えがあった。
 だが、手応えがあっただけだ。
 セプリオギナは舌打ちする。「良かったな」「なに!?」

「骨で済んだ」

 本日二度めの逆エビ固めが決まった。

「今までの症例からして一時的解呪は可能だというのは間違いない」
 イージーから再び上がる悲鳴を総スルーしながらセプリオギナはUDC(コープ)と他の猟兵たちへのメッセージを端末用正六面体から飛ばす。
「但し、一時的だ。――一定時間の後に再発する。これがどういう意味か分かるか」「ざっばり」

「感染の中心、つまり、UDCの本体がいる」
 関節からの悲鳴もスルーする。

「結局俺たちが感染しているのは分体というわけだ。竹の根のようなものがある」「何故竹」「詩だそうだ」「なんだそれ」「俺も知らん」「『ここの主人は病気です、ならそれが洒落てる』などと抜かした患者がいたから倣っただけだ」
 どいつもこいつも。と文句を呟く。歌を教えてきたアポカリプス・アリスといいどうしてこうもお節介が多いのか。一体その予備知識が何になるというのだ。
「貴様が本体を移されたかと思ったが――俺の方に影響はなかったあたり、違ったようだ」
「だから感染したまんま来てたわけね」もはや声帯ギリギリの声を絞り出しながらイージーは返事をする。
「感染源を移す――向こうがその手は打って来なかったのが気がかりではある」
 エンターを押し報告を転送し終える。
「思いつかなかったとか」
「ここまで大掛かりに仕掛けておいてか?ある程度の病原虫が体を移動する苦痛が知りたいならナノマシン新薬のサンプルを提供するが」力を込める。「知りたくないです!!!」
 イエエエエという最早悲鳴に聞こえない悲鳴がイージーの唇から出る。
「ところでオレなんでどうして2回目のプロレス技かけられてんのなにしたのどうしてなの」
 セプリオギナはひどくまじめくさった顔で応えた。

「もう少し明確に予知を話せグリモア猟兵」
「 ご め ん ね !!!!」
「ごめんで済むか、どれだけの猟兵が危険に晒されたと思っている」

 ひとまず納得の返事が得られたところでセプリオギナは離れる。
「いやだってヤバイと思ったんだよ、予知越しに目が合っただけなのにさあ…声聞いとるのもそんなの話すのもちょっとなあと思ってさあ…」
 ひらたく伸びたイージーがぶつくさ言うのを見下ろす。
「『見ざる言わざる聞かざる』というわけか?」
 え、とイージーが顔を上げる。「え、何それ」「何だ」

「いや、オレが知ってるやつは4つだからさ」

成功 🔵​🔵​🔴​

ロニ・グィー
アドリブ・連携・絡み歓迎!

なるほど!謎は全て融けた!お爺ちゃんはいつもひとり!
いやこの場合は刑事ドラマ寄りの方がいいかな?
―――なるほど、ピースはもう揃ったみたいだね
(ほうぼうてくてく歩きまわった結果として)ボクは全然分からなかったけど!
これがみんなの力だよ!
それじゃ…ピースが揃ったのなら今緞帳を上げ!解答編を始めよう!

●UC発動・解答編?を開く
時間と空間と出来事をピースごとに分割・整理して視聴者にも分かりやすく解説する場を構築するよ

●UC空間解除後の残余の効果で呪いをシャットダウン!
はいはい分かってるよ!うるさいなー
でもこれくらいはいいでしょ?

さあ、もう種は割れた。枯れ尾花を見せてごらん!



●“『以上が手法である』”

「ぱんぱかぱーん!」

 ロニ・グィー(神のバーバリアン・f19016)は大きく両腕を広げた。

「きょうもかちかちかち愚かな良い子のみんなも今日もぶらぶらどうしようもないわるいこのみんなもどっちつかずで中途半端なかわいいかわいいどこに行くかも決まらない彷徨えるきみも元気〜〜〜!?」

 ……ロニはいったいどこに居るのだろう?

 暗い場所だ。
 仰げば月も星もない天、足元には水が薄く貼られ――突き当たりがない。
 暗いくせに――ただ限りなく広い。
 ざざ、という、音が聴こえる。
 ノイズだろうか?

「ここまで全部知ろうとしたキミもとりあえず自分の行動だけ認識してたキミも横から覗いてたキミにもわっっっっかりやすい解答編★だよーん!!」

 いったい彼は誰に向かって語っているのだろう?
 バラエティ番組のキャスターか動画配信者のような朗らかかさがただただ鮮烈だ。
 ロニの周りには一定の間隔をもって黄金に輝く石版のようなものが浮いている。
 それらが幕のように彼を取り囲んでいる。

「みんながあっちこっち頑張ってくれたお陰で『だいたい』ぜえんぶ明らかになってるってやつだね!」
 ポケットから球を出してその上に腰掛ける。「え?わかんない?分かりづらい?」誰かからの言葉にロニは何度も何度も頷く。「いやーわかるわかる、それボクにもわかるよ〜」
 ボクだって全然わかんなかったもん、と愛らしく付け加える。
 ……彼の場合はほうぼうあちこちを気ままのてくてく歩き回っていたからである。
「ぜんぶばらばらだったもんねえ」

 歩き回ってピースを回収していたからである。

「しかし今っ、謎は全て解けた!――お爺ちゃんはいつもひとり!」
 ポーズまで決めて、それからすぐ腕組みして考える。「……いや、この場合は刑事ものドラマの方が良かったかな…?」
 それからそちらを振り返る。

「海上も海辺にカウントして――犯人がいるってんならそっちのがセオリーだよね?」

 返事はない。
 ただ。
 さざなむ。
 ノイズではない。
 潮騒だ。

 ぶー!ロニは唇を鳴らす。「レスポンスがほーしーいーなー!!」

 あったのは。
 先を促すような、仕草がひとつ返されただけだった。
「まーねーお芝居のマナーはご静粛にだけどお」
 ロニはぶつくさと口をもごつかせたが「まっいいや」すぐに頭の後ろで腕を組んだ。
「冗長ほど時間の無駄はないもんね」
 ロニを囲うように舞っていた金の板が横一列に並ぶ。
 さながらスクリーンか。
 あるいは。

 緞帳か。

「じゃあ、わかりやすく話そうか」

 ……さあ。
 そしてロニはかつての神へと還る。
 コードによってただ今、ひとたび、彼は全能をとりもどす。

 それでもありし日の姿にまで遡らないのは――結局ここにいるのはロニ・グィーで、ひとりの猟兵だからだ。

 敬意って、そういうことでしょう?

「シンプルに行こうね――みんなの心情とかそーいうプライベートなのは今はカットカット」
 両手でそれぞれハサミを作ってちゃきちゃきと鳴らしてみせる。「そういうのは個々でやって」

 全能とはいえあくまで仮初だ。
 失ったものは戻らない。
 歪でしかない。

 この発動をやめた時、彼の記憶の他に――この回答は、言葉は、無かったことになる。

 だがそれでも紐解く。
 それでも展開する。

 どうして?と問うた声があった。
 なぜ、と足掻いた足があった。
 それはね、とロニは応えたかった。

 一瞬でも消えるとしても無くなるとしても。
 それでも、一度。

「これは噂を媒介に感染するUDCの事件だ」

 ここまでの人数が動き力を尽くし、懸命になった努力は結ばれねばならない。

 ここまでやった大仕掛けは、誰かが語ってやらねばなるまい。

「繋がることができるという話に、何の関係もない邪神召喚の術式をくっつけた噂を媒介に」

 罪とは、それで初めて成立する。

「ひとびとの接触によって感染するUDCを拡散させた事件だ」

 蓋を開ければシンプルだよね、とロニは微笑む。「実際もっとなんか別の噂でも良かったんじゃないの?」
 暗闇は応えない。
 ただ、座っていた足を組み替える動きがあった。
「UDCの性質としては、人間を乗っ取る、ってタイプのものだね」
 ロニの指の一振りで金の板が一枚消失する。粒子になったそれがロニを吊る糸のようなものを構成して――彼は笑いながらそれに身を委ねる遊びをする。
「足りなきゃそいつの過去からつながる相手を探して侵食し、引っ張ってくるんだ」
 でも、と糸を振り払う「きっと、限界があるんだよね?」
 返事は相変わらずないが、ロニは満面の笑みで後ろ手を組む。
「神様に対等なほどの存在とか、もう手出しできないほどのものになってたり、生きてる人間はダメだったりする」
 甘えたような声で語り、「――違う?」小首を傾げる。
「できなきゃ中途半端な魂っぽいのなんか出てこないもんね?」
 あっ。
 ロニは派手な声をあげて両手で口を抑える。それから上目遣いで楽しげに笑う。「その子は赤ちゃんだからまだ未熟なのかな?」うふふ。笑い続ける。「そんな状態でよく来たね」
 後手のまま大きくターンして腕を広げる。回る。くるくる回る。

「接触、というけど……感染経路は『繋がり』だ」
 周りながら両手の人差し指でロニは自分両下瞼を引っ張る。
「キミを『視』る『聴』く『語』る、存在を知ることで感染がスタートする」
 それに対しては小さく笑いがかえってきた。
「そういうことにしておこうよ」
 旧来の友のように微笑みかけてロニは指を離す。

「硝子剣士のおにーさんが予知を通してキミを見聞きしたのがスタートだ」

 またひとつ板が消えて、ロニの右手にハンドパペットを形作る。
「グリモア猟兵はおしゃべりが仕事だからね。――これで猟兵みんな認識してアウト」
 パペットをぱくぱくと動かせばふわふわと金の煙が巻き起こる。
「他はあの女の子のUDCと、キミが初めて直接接触した女子高生だね。……そこから学校のクラスメイトが1名かな?」
 左手にもパペットが現れる。「そのまま乗っ取りが完成すればよかったのに、チュートハンパで猟兵がいるところに行くなんて残念だったね」
 あのこのは浄化されちゃったみたいだよ、と付け加えて、ロニはハンドパペットでばいばいと手を振り合う。

「これがこの事件の軸の『感染型UDC』の運び」

 ハンドパペットもまた粒子となって消える。

「でもま、噂の方のおまじないもまあ、感染型だよね?」

 またひとつ、金の板が粒子になって踊る。
 ぬるり、触手のような歪な流線形を形作り、ロニはそこに飛び乗る。「インターネットとかカードとか色々頑張ったねえ」ポールダンサーのように身を捻る。「あれ、そうでもないのかな?」噂って勝手に広まるもんね、と笑う。

「邪神の一部召喚、向こうから一部が出せる一方通行の門だ」

 右手をくねらせてくつくつ笑う。

「本当に成功すればこわーいオバケがおまじないを使った人をぱっくり!」
 そのまま流線形を頂上まで登る。
「中途半端の場合は不可視の一部が街に解き放たれて脈打つって算段だ」
 滑り台のようにつるりと滑り降り、途中で飛び降りる。
 はっ。
「元は件の女の子UDCの教団で使ったやつなんだよね。輪の中があっち側にぽろんちょって落ちるやつ」
 本来なら完全な着地も可能だろうに、ロニはあえて不完全の身で着地する。「それをいじったのが広まったからああして教団の子がいっぱい出てきて、ブラフはさらにってやつだ」と、とと。

 それから。
 足を揃えてまっすぐ立つ。

「それをすべてキミがやった」
 真正面の男を見据える。

「以上がこの事件のギミックのすべてだよ」

 両腕を広げる。

「――フーダニット・ハウダニット、ともにQED」
 
 左足を前に、右手を胸に。
 神は仰々しい礼をする。
 そして。

「さあミスター」
 解法を解く。

「解答が終われば、ね――知ってる?緞帳が開くんだよ」

 たったひとりの観客に向かい微笑む。
 ここで語った全てはなかったことになり。
 知っているという記憶だけがふたりに残る。

「ホワイダニットの時間だ――退屈な話はやだよ?」
 舞台を引き渡す。

 金の板が粒子と消え失せた、その向こうで。
 上がった緞帳の奥で。

「悪役は倒されるのがおきまりで」

 門が開く。

「その時は全員集合がお約束だよ」

 宙に幾つもの門が開く。

 図形はそう――噂に描かれた、おまじないを元にまるきり反転させた性質のものだ。
 招待状の、誘いのとおり。

「覚悟は、いいよね?」
 ロニは笑う。
 一度迎えた審判の日(かつてのあのひ)のように笑う。

 彼も笑った。
 笑って――拍手をする。
 語り終えた、役者(ロニ)を讃える、拍手だった。
 そしてそこでちょうどコードが終わりゆく。
 賞賛の拍手もまた、彼らの記憶以外にどこにも残りはしなかった。
 沈黙によって守られる――小さな、完全犯罪。

 そして男はロニの向こう。
 現れた猟兵ひとりひとりの顔を目を細めて見つめ

「やぁ、猟兵」

 声を、かけた。

成功 🔵​🔵​🔴​




第3章 ボス戦 『欺き導く者』

POW   :    精神介入
対象への質問と共に、【任意の場所】から【洗脳された一般人達】を召喚する。満足な答えを得るまで、洗脳された一般人達は対象を【助けを求める声、猟兵を責める声、縋る腕】で攻撃する。
SPD   :    詭弁
【扇動、鼓舞、挑発のいずれか】を披露した指定の全対象に【レベル×2倍の能力強化を行い、強い敵対】感情を与える。対象の心を強く震わせる程、効果時間は伸びる。
WIZ   :    謀略
自身の【目を見た者に限り、自身の視覚】を代償に、【半径10メートル以内にいる猟兵同士】を戦わせる。それは代償に比例した戦闘力を持ち、【どちらかが倒れるま】で戦う。
👑11
🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​🔴​

種別『ボス戦』のルール
 記載された敵が「1体」出現します。多くの場合、敵は、あなたが行動に使用したのと「同じ能力値」の戦闘方法で反撃してきます。
 それらを踏まえつつ、300文字以内の「プレイング」を作成してください。料金は★0.5個で、プレイングが採用されなかったら全額返金されます。
 プレイングが採用されたら、その結果は400文字程度のリプレイと「成功度」で表現されます。成功度は結果に応じて変化します。

 大成功🔵🔵🔵
 成功🔵🔵🔴
 苦戦🔵🔴🔴
 失敗🔴🔴🔴
 大失敗[評価なし]

👑の数だけ🔵をゲットしたら、次章に進めます。
 ただし、先に👑の数だけ🔴をゲットしてしまったら、残念ながらシナリオはこの章で「強制終了」です。

※このボスの宿敵主はジェイクス・ライアーです。ボスは殺してもシナリオ終了後に蘇る可能性がありますが、宿敵主がボス戦に参加したかつシナリオが成功すると、とどめを刺す事ができます。
※自分とお友達で、それぞれ「お互いに協力する」みたいな事をプレイングに書いておくと、全員まとめてひとつのリプレイにして貰える場合があります。


●Dear, My Dear.

 老年に差しかかった男が立っている。

 衣服、髪、容姿、仕草のどれをとっても文句のつけようのない気品に満ちた男だった。
 そこまでの品位がありながらどこか気さくさも漂わせ、きみたちの到着に目を細めている。

 暗い海の上は時々さざなむだけだ。果ては見えず、空(くう)と海(む)を分ける一線だけがただ、ある。
 あらゆる手でもってたどり着いたきみたちはそこに降り立つ。

「――やぁ、猟兵(イェーガー)たち」
 
 男は優雅にそう挨拶をした。

「血縁に寄らぬ関係を結んだことはあるかな?」
 
 生者と変わらぬ警戒もなく緊張もない朗らかさすら漂わせて。「恋人でも友人でも家族でも構わない」皆の顔を見て目を細める。

 彼はきみたちの方へ一歩、足を出す。

「たとえば私にも生徒、弟子のようなものがいるが――これはそう取り立てて珍しいことではない。
 人と繋がりを持つというのは決して悪い事ではない。寧ろ歓迎されるべき喜びであり、時に救いにすらなり得る。……そうは思わないかね?」

 待ちこがれたものを呼ぶ響き。
 さらに一歩。足を前に出し、立つ。

「過去の海は、どうして現在に手を伸ばすと思うね」

 笑みがある。

「君たちと繋がっているからだ」

 青い目が君たちを見ている。

「『我々』は、いつだってもう手の届かない君たちが懐かしく――恋しいのだよ」

「海は陸を恋うのだ。時に飲み込むほど」

「ようこそ、マイ・ディア」

「これは、そういう事件だ」

 きみは
 きみたちは戦わねばならない。
 彼を倒さねばならない。
 彼は本体だ。彼“が”本体だ。

 きみたちの侵食された過去の繋がりを完全にオブリビオンに変えないために。
 きみたち自身を過去のものに支配されない為に。
 きみたちによって、今のものたちを過去に引きずり込ませないために。

 男は足元の水面を軽く蹴った。通常の重力ではあり得ない浮き方をした水滴を掴み――つまり、海より一本の傘を取り出して右に握り、左手で中折れ帽を取り出して被る。
 そしてハットのつばを左手で押さえたまま、小洒落たタップ・ダンサーのように、しかしどこまでも優雅に片足を引いた。
 それだけできみたちにはわかることだろう。
 彼は、たまたま猟兵にならなかっただけの――君たちと対等に戦えるほどの傑物であると!
「……いつも見て協力する側だった背と向かい合うというのはなかなか嬉しいものがあるな」
 少しだけ、照れ臭そうに笑った。
「加減などしてくれるなよ?」
 悪戯っぽく囁く。

 ……心してかからねばならない。
 彼はこうして過去の側に立ち、コードすら得たのだから――一筋縄ではいかないだろう。

 See No Evil,――見ざる、その眼に注意せよ。
 Hear No Evil,――聞かざる、耳を貸してはならない。
 Speak No Evil,――言わざる、自ら語るに気をつけよ。

 もしいずれか、過つのならば。

 Do No Evil,
 ――きみは悪しきを成すだろう。

 男の一切にそつはなく、

「来たまえ」

 男の一切が紳士たるものであり

「私は、きみたちを待っていた」

 男の一切が――戦士として、在った。 

■状況■

・欺き導く者x1名

 油断なさらず――男の全身は武器庫である。

 また、ご注意下さい。
 あなた方の選択いかんによってはここに一般人が加わる可能性があります。

 あるいは、あなたの隣人が。

■舞台■

 過去の海:凪の浅瀬

 生きれば帰れるでしょう。
 死ねば、言わずもがな。

 一章のように過去が引きずり出されることはありませんが、おまじないのような手腕が襲いかかってくる可能性があります。

■受付期間■

 お手数ですがマスターページをご覧ください。
 1章採用した方を優先、かけるだけとなります。
九十九折・在か
*ロニの扉から

☆戦闘
到着直後に散弾銃『嘶』を片手で発砲しながら接近
『終点』で殴打せんと振り回す

うるせーーーーーーー!!!!!!!
しらねーーーーーーー!!!!!!!

ワケ分かんねーけどオッサンが敵なんだろ!
ならブッ飛ばして帰るだけだ!
……あ
“のろい”を解く時に医者のセンセから卍固めされた恨みもつけとこ
死ぬほど大変だったんだからな!!

初撃を終えたらUC発動
能力を高めて殴る撃つの大暴れ

海だか膿だか知らねーけど
森が全部吸い取ってやるぜ!しへへ!

アドリブ
コラボ
大歓迎


眼なんて小さい物を見る暇はない
声は銃声やら雄叫びやらで掻き消す
でももし
質問が聞こえてしまったら答えてしまう
だってオウジャはカンダイだから



●いいか吼えるならとママは言った。私は、わたしは。

「うぅうううううううううぅぅうううううううるうぅううううううせええええええええええええええええええええッッッ!!!!!!!!!!!!!!」
 
 九十九折・在かの、喉から。
 肺から臓腑から脳髄から魂から――叫びがほとばしる。
 絶えぬ意思がほとばしる。

 ママは言った。在かに言った。
 在かより少し深いウィキッド・グリーンの眼で在かをちゃあんと真っ直ぐしっかり映して。
 いいか、吼えるなら、と。
 言った。

「しいいいいいいいいらあああああああああああああああああああああああねえええええええええええええええええええええッッッ!!!」

 ここ一番で吼えろ。

 在かは吠えながら真正面、引き金を引く。
散弾銃が名前の通り在かに連なるような嘶きをあげて無数の弾を吐き散らかす。
 戦の始まりを告げる喇叭のひびきのように。
 過去の海は不変であるが故か、水面のさざめきを見せながらも硬質だ。
 水平二連の玉は弾けて雨を降らせ、数秒の過去となって海を叩き、生者は通り抜けられぬ水面へ沈んでゆく。無数の兵の踏鳴にも似た泡立ち。

 吼えろ。
 私がお前の敵だと吼えろ。
 私こそが王者だと吼えろ。
 私こそがお前の敵だと吼えろ。

 誰より早く何より素早く。
 開かれた扉よりいの1番に飛び出し――どんな獣より早く、猛々しく。
 銃を折ってリロード。
 スーツの紳士を確かに視界へ捉え、発報。補充。発報。次。
 嘶きのマーチ。

 代わりに、吼えろ。
 私がお前の相手だと吼えろ。
 私がお前を倒すと。 
 
 吼えろ。
 喉ブッ割いてでも吼えろ。

 お前の存在を――

「ブッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッ倒すッッッ!!!」

――叩き込んでやれ。

 全体重を乗せ飛び込むように――そいつの脳天を叩き割らんと終点を振り下ろす!

「どうにも大仰でいけない」

 紙一重。
 かわされた。
 男の――緩やかな微笑みが在かの目の前に見えた。
 振り下ろした終点は、男の左側に刺さっていた。
 在かが握るパイプの先に軽く肘をつき頬杖すらついて、余裕綽々の爽やかな笑みを浮かべている。

「素敵な激情だが、いささか表に出しすぎるきらいがある」

 ざ。
 背筋を駆け上った予感。
 すかさず在かは一歩後退し
 
「足を掬われるぞ」
 ――その前髪を刃が掠める。

 左足膝蹴りからの爪先。
 靴先から飛び出している――刃!
 速さも威力も――在かのママほどではない、が注視は離せない。

 ママは在かに言った。
 前をみろ。一撃来たなら前をみろ。
 眼なんて、見る暇はない!
 男はすかさず左足を終点に掛け乗り上げ――残る右から再び頭を狙った回し蹴り!
 ヂッ!
 前髪がまた数本飛んでいく。さっきから何してくれんだ私の大事な前髪に!在かは閉じた口、奥歯を一度だけ噛み締めて口を開く。
「ワッッッッッッッッッッッッケわかんねーけど」
 男の攻撃を素早く身をかがめて蹴りを避け、終点を引っこ抜くように持ち上げて男を振り払う。
「オッサンが敵なんだろ!?」
 振り落とされるとは思えないサマー・ソルトで優雅に着地するそいつ目掛けて
「ならッッッッッッッッッッ!!!!!!!」
 在かは第二撃を今度は横凪にぶんまわす。
 が、上半身を逸らすだけの動きで避けられて「おンわッ!!!!」そのまま再び顎めがけて繰り出された爪先を避ける。
 再び、後退。
「ずりーぞオッサン!!!ホイホイホイホイ避けやがって!!!!!」
 在かは吠えて再びそいつへ飛び込む。「色々ゴタクわけわっかんねーけどオッサンが敵ならブッ倒して帰ンだよ!!」終点を叩きつけようとする。かわされる。
「だから当たれ!!!!!!」
「困った子だ」
 いくら吠えようと男は少しも反応せず、ただただ微笑んでいるだけだ。
「そういう趣味はない」
 ついでに言うなら帽子を押さえる余裕すらあるようで在かは非常にムカつく。
「じゃあそういう趣味になれ!!!」
 再び――迫る!
 縦「ならない」横「ンでだよ!!!」袈裟の振り下ろし「なんでと言われても」振り上げ

「こっちは“のろい”を解く時に医者のセンセから卍固めされたンだかんな!!!」
 叩きつけ。
 ……在かに全く非がなかったかといえばノーだが。それとこれとは別である。おそらく。
「冤罪ではないかね?」おかしそうに男の唇が笑っている。
「オッサンがこんなめんどくせーことしたからだろーが!!!!」
 隙があらば蹴りで応戦してくると言うのなら、蹴る隙を与えないまでだ。
「びっくりして骨抜けかけたら丁寧に直してもらえたぶんの恨みもつけるから殴られとけ!」
 縦から横振り抜きひっくり返しパイプの打ちつけ足をかけられて跳ばれたのならもう一度返した看板部分で「死ぬほど大変だったんだかんな!!!」叩け!!
 在かとてここまで少なくない人を見てきたからわかる。
 少し強化されてるかもしれないが、彼女からすれば、彼は『かなりオッサン』の部類に入る。
 在かの知り合いたちのうちでも、この男の肉体の年齢はそれなりに上だ。
 体力の勝負で言うのなら在かに分がある。
 押せば通らぬこともない。
「それは恨みかね?」「恨み!」
 在かは吠える。吠え続ける。
 男の瞳に気をつけろ。
 男の言葉に気をつけろ。
 ここへ開かれる前に、聞いたことば。
 無論勿論大正論の当たり前だ。
 オウジャは頂点にあるものだ。自ら以外のその他を見下ろしあるいは相対するものだ。
 故に小さな瞳をいちいち認識などしない。
「君は、よく声が通るな」
 
 しへ。
 在かの笑いに剥き出した歯の隙間から風が鳴る。

「なら、もーっと聴かせたげんね」

 息を吸う。
 胸を肺を、血管から心臓すらめいいっぱいに開くかのように吸い込んで

「鼓膜ブチ破らねーように気ィ張ってよ」
 溜めた吐息のささやき。

 ぐ、と在かの喉奥から漏れた低いうなりに、男は目を細める。

「――グウゥウウウウウウウウウウウルゥァアアアアアアアアアア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙゙ッッッ!!!!!!!!」
 
 息という息を尽くす叫び。

 それは命を奪う咆哮。
 妹が化け物に変えられた不遇に抗議したせいで化け物に変えらるも口を噤まず、吠え彷徨う姉(エウリュアレー)に似た、誇りの叫び。
 王者の前に頭をあげるものを一切許さぬ咆哮。

 ……点を狙った音声は一定の音量を超えると響でなく、大砲のように一直線に通るのだという。
 大砲たる大咆に男は咄嗟に右へとんだ。直撃すれば生気を奪われるのは無論、少なからず立ち続けることが難しいだろうという、廃ビルの一方的な戦闘において在かのとったコードをの記憶に基づいた判断だった。
「視ておいてよかった」
 帽子のつばに指をやりながら思わずこぼした一言は、男にとってただの呟きだった。

「何を?」
 在かにとっては、自分のコードに対する浅慮の感想だった。

 ウィキッド・グリーンの瞳を爛々と。
 輝かせて在かは男を見下ろし、にっこりと、そう、彼女にしては本当に本当にほんとうにほんとうにほんとうにほんとうに――純真無垢な、あどけない少女のように笑って首を傾げた。

 彼女は、朽ちて乾いた大樹、その頂点に立っていた。

 家ひとつ分はゆうに有るそれは、いや、大樹も含めた彼女の下、絶息が通ったあとには、森があった。
 朽ちた、森だ。
 森とは元来、生と死を内包してなお巡る命に溢れているものだ。
 が、在かの叫びに応え現れた森は彼女が足場にしている樹のみならず全てが枯れ朽ちていた。
 色褪せ立ちながら腐った後に乾き切った木々の今にも崩れ落ちんばかりの、かたちが在りながら、息(生気)も絶えた亡骸。
 墓標というには荒々しすぎ、命を見るにはあまりにも掠れている。
 だが。
 この森は亡骸でありながら、過去(うみ)のものではなかった。
 これは在かのものだ。これが在かの従僕で、これが在かの国だ。
「私考えたんだけどさー」
 踏むどころか風の一陣にすら崩れてしまいかねない危うさを漂わせながら、決して過去(うみ)にない、朽ちたるが故の誇りに満ちた国。

「先手が必勝ってんならさ」

 大樹の上の少女の眼によく似た誇りに。

「じゃあッ」
 在かはためらいもなく、飛び降りる。
 跳躍により朽ちた巨木が男に向かって倒れ込む。巨木の影になって在かの姿は見えない。
 ならばと男の反応は早かった。目を少しだけ細め。
 もった杖から剣を引き抜き、降り注ぐ万枝を朽ちたとはいえ男一人なら潰せるであろう幹を的確に、斬り

 そして、切り開いたむこうに在かが笑っている。

「次手は――最強だよなァ!?」

 飛び降りながら再び振りかぶり体重はもちろん速度すら乗せた一撃を。
 初手、先手を超える一撃を。
 一度目が避けられたのならその次も避けられたのならその次の次の次の次の次。
 叩き抜く。

 流石に男にはこれを避ける間がなかった。
 刃を返そうにもたった二拍――致命的に遅れた!
 在かの一撃が、男へ、もろに入る!
 男の体は先ほど在かが広げた森の方へと吹き飛ぶ。受け身は取ったのだろうが一撃の重さと男の重みに耐えきれぬ木が折れて、ど、どん――朽ちた木々の、掠れて葉脈だけになった枯葉が舞う。
「立てよオッサン!私の恨みはこんなもんじゃねーんだかんな!」
 絶息を乗せ、朗々と吼える。

「――きみのママは、“そうあれ”ときみに教えたのかね?」

 朽木の埃の向こうから、ひた、と声がかかった。

「あ?」
 明々とした在かの表情がまっさらな真顔に変わる。

「雪が嬉しい子犬のようだ」

 倒れた木々、森の向こう、暗闇の間から声がする。

「そう吼えろと?」

 不意に。
 何か、指先、のようなものが――後ろから在かの袖を掴んだ気がした。

「それが――きみのオウジャとやらなのかね?」

 ありか。誰かの声を空耳する。ママじゃない。ママたちでもない。
 もっと弱い。この袖を引こうとしている指先は。後ろ(おいてきたあっち)から呼びかけようとしてくる声は。

 からっぽの胃の腑の中でからっぽの風が。
 あるいは心臓の中か脳か脊髄のどこかの雷を連れてくる黒い雲が。
 低く、鳴った。

 在かに応える義理はなかった。なんなら聞いてやる理由もなかった。
 コードだ。どこかで思った。男がコードを使おうとしているんだ。
 在かはここまで聞いてきた情報の通り、瞳は見ず、男の言葉も聞いているようで聞いていなかった。

 だが――ママと、オウジャと。
 そのふたつを出されたのなら。

 嘶の叫びが森を散り散りに砕く。
 轟音と共に哀れな木々と枝、草や葉、あるいは『だったもの』たちが舞うなかで――在かはそれを声の聞こえた方、男がいるであろう方向へ撃った。
 男に攻撃するためではない。
 オウジャはそんなチンケなことはしない。
 視界をぶち抜いて、ここにいると見せてやるためだ。
 逃げもかくれもしない。
 今だけは、してはならない。

 男と目があった気がした。

 在処かは唇を開く。
 今だけは目を合わせねばならなかった。
 今だけは答えなければならなかった。

――だって

 鮮やかなウィキッド・グリーン。
 魔女の色。
 邪悪なほどに見事な緑(ウィキッド・ウィキッド・グリーン)を輝かせて。
 未来を希み願い朽ちるほどの戦いで抗い、戦い尽くして朽ちてでも自らを遺した(勝利した)誇らしき森を率いて、彷徨う彼女(エウリュアレー)たる在かは
  

「                         」


 息も絶え尽くすほどの回答を――魂のありかを、叫ぶ。

――だって、オウジャは、カンダイだから。

 袖を引こうとしていた指はない。
 在かを呼ぼうとしていた声も現れていない。
 在かを責めようとしていた言葉もない。在かに何故を問おうとしていた声もない。
 なぜ、ママをぶっ飛ばして出てきたの?
 そんな問いも、ない。

 答えはさっきのが全てで。
 なんて叫んだのか、あまりにも力一杯で、自分の鼓膜もちぎれそうで、おぼろだけれど。
 しかし確かに何かを叫んだ。

 私には、今が、楽園だから。

 素早く再び嘶を発砲し男への目眩しを起こすついでに自身も目を離して全速力で距離を詰める。

「丁寧に答えたんだから今度こそブッッッッッッッ飛ばされろよオッサン!!」
 握り込んだ終点を振りかぶり真正面から宣言する。

「海だか膿だか知らねーけど、森がぜえんぶ吸い取ってやるぜ」

 しへへ、と。
 横暴に豪快に明々と純粋にいつもの通りに、在かは笑った。
 現在を恋うのだと言った過去を取って現在に巻き込み――未来を告げるように。

大成功 🔵​🔵​🔵​

蔵方・ラック
自分は知らない。こんな場所は知らない。しかしこの奇妙な懐かしさは何だ。知らなくていい。何度も此処を訪っているという確信めいた何かは。考えるな。自分は何を知っている?寄生だなんて『あるいは何を』なんてことを『知らないのか?』

してくれたんだ
ああ

―ほどけちゃったじゃないか


項から触腕が生じた姿で静かに立ち
遠距離からあらゆる手段で間断ない猛攻をかける
力を削ぐなら狙うのは手足か顔か

仮に隣人等を手にかけそうになれば
気合等で己の意識を完全に落とす
此処が今生の終わりだとしても
このどうしようもない繋がりに終わりまで抗おう

何故なら今の自分は猟兵だ
自分は、自分《ラック》、だ
それ以外の何者でもない――のでありますよ、



●“ ”と■■は言った。彼はうんと頷いた。

――しらない。

 蔵方・ラック(欠落の半人半機・f03721)は動けなかった。
 
 かつん。
 彼の義足の踵が海を鳴らす。
 広い舞台にひとり降り立つ音は、つめたい拒否の響きとして彼の鼓膜を揺らす。
 底抜けあるいは青天井知らずに突き抜けてあかるい感情があるはずの顔は、元々欠けていた哀はもちろん何もかもが抜け落ちたようなまっさらな表情をしていた。
 半開きの口に、瞳は見開いて、ただ、ただ、海を眺める。

――じぶんは、しらないで、あります。

 砂浜はなく。島影はなく。水平線に終わりもなく。
 すでに戦闘が始まっている。銃声がいくつも響き、猟兵の誰かのコードだろう朽ちた森が花のように広がっているが――それはあくまで部分的で、どこまで行っても何もないのだ。
 知っている。
 首をぐるりと反対側にめぐらせば、ほうら、その通りの光景がある。
 知らないのに。

 知ら ない。
 知らない。
 そうだ。
 浮かんだ拒否をラックは肯定する。そうだ。知らない。

 知らない。自分は何も知らない。こんな場所は知らない。

 海はさざなむくせに音のひとつも立たない。
 沈黙にえづきそうなほど感じるこの安らぎは。疲れきってベッドに潜り込んだ時頬に当たるシーツの柔らかさに覚えるのとは全く違うのに。ああ吐きそうだ。吐いてしまいそうだ。泥のように真っ黒な渦が胸の奥を圧迫する。 来てしまった。 来てしまったと思う。どうしてだろう。敵が招くここに来ることこそが目的だったのにいますぐ離れたくてしょうがない。
 奇妙なほどの懐かしさはなんだ。博士のラボの真ん中の台に立って行儀が悪いと叱られる時に浮かぶのとはまったく違うのに。 知らない。 自分はただの一般家庭の健康優良男子で。 そうだ知らない。 
 自分は知らないのだ。絶対に知らない。
 
 “自分は”知らない――こんな場所絶対に知らないのに。
 そうだ知らない。しらないんだ。こんな光景は知らない。 知らない。知らない。 そうだ。知らない。

 そうとも知らない。 

  自 分
“蔵方・ラック”は知らないんだ。
  き み

『ぼくときみは、同じなの』

 ちがう。

 知っているはずがない。知りようもない。

『きみはそうやって、そちら側に飛び出して』

 足元が硬いことが奇妙でならない。
 この下の柔らかく喩えようもなく平等で対等な誰とだって何とだって混ざり合うような安寧のうねりからの拒否を知らない。ここはいつだって自分をただただ受け入れてくれた。ここに帰ってくることはいつだって重たい痛みを伴らに深い諦念と安らぎをもたらした。ああようやく帰ってきた。緩やかに溶け込み揺蕩う一部になりながら。もう今度こそ。いつだってそう思ったものだ。いつだって。

『可能性を探しているのでしょう?』

 いつだって――いつだって?
 いつだっていうんだ。
 でも自分は知らない。
 じゃあ誰が知っているのだろう?
 いったいだれが。

『ぼくはあの海をたゆたう子供たちだから』
 硬質な海の下。
 鏡のような冷たさの向こう。

 いま、

『絶対にきみのことを忘れたりしないし』
 対の瞳がこちらを見ている気がする。
『きみがいない喪失すら永遠だから寂しく思うけれどこうして会えて嬉しくもあるのよ』
 いない。そんなものはいない。
 この海のもとでは、“みんな”揺蕩うひとしずくだから、それは全くもって気のせいなのだ。
 みんなって誰だ?


 口内はからからに乾いていて、動かすだけで破れ血が出てしまいそうなのに、動かす。
 そちらにはだれもいないはずなのに言わずにはいられない。


「自分とは初対面でありますよ」


 ここにひとりたちくすのは。
 ここにいるのは。
 動けないでいるのは。

『いいえ』
 嗚呼――過去が囁いている。

『ぼくは、きみを間違えない』


 ラック たったひとり だけなのに。


 知らない、のに。
  知らない。知らない。そうだ。知らない。
 知らない知らない知らない。 そうだ、きみは知らない。
 知らない知らない知らない知らない知らない。 うんそうだ、それでいいんだ。知らない。蔵方・ラックは絶対に知らないんだ。そうだ知らない。知らない知らない知らない知らない。
 知らない知らない知らない知らない知らない知らない。 知らないのに幾度も此処を訪れているこの確信はなんだろう。 いいや知らない。きみは知らない。そんな確信はない。きミにはない。
 知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない。 知らない。キミはしらないそれは僕のものだ蔵方・ラックは知らなくていい。 
 知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らないけど、此処だ。
 知らないのに確信がある。感じるな。それは蔵方・ラックの記憶じゃないんだ。 
 楽園のしもべの告げた揺蕩いの淵。知らない場所なのに確信している。知らないけど。 そうだしらないんだ。キミは知らないんだ。 そうだ知らない。自分は何も知らない。 知らなくていい。分からなくていい。 知らないけれどあの子の言っていたことが理解できる。 するな。 理解できてしまう。 考えるな。
 この海はこんなにも硬い。 考えてはいけない。 考えなくても感覚でわかる。 過去だから。 過去じゃない。 積み上がるばかりの不変だからだ。そりゃあ此処にたゆたっていたら忘れることはないだろう。手の届かない過去だから。 きみの過去じゃない。 時折さざなむ動きをしながら一切の干渉を拒んでいるからたとえば抜けてしまったら穴もそのままなのだろう。

 かけて(ラック)。ひび割れて(クラック)。壊れて(クラッシュ)。
 欠けたもの(フレイク)はどこへゆくのだろう。
 こんな海から飛び抜けて(スマッシュ)。

 過去に行く場所があるとすれば――ひとつだ。
 現在。

――あれ。

 知らず頸に手が伸びていた。
 魔術回路を埋め込んだんだ。博士は言った。
 指の腹で撫でるように触れてようやくわかる、それ。

 ひび割れ(クラック)を、埋めた、ような。

 破片(ラック)?

 ・・・
【おわあ】

 今まで。
 今まで何も違和感を感じなかったはずの刻印のちいさなでっぱりが、ひどく、おそろしい違和感を放つ。

/ 知らない。知らない。知らないのだ。/

 “ ”(隙間/ラック)だらけでも成立していた精神(文章)に“ / ”(区切り/スラッシュ)が入る。割れる(クラック)し始める。

 あのあわれなしもべはなにを知っていたのだろう。/ 知らない知らない知らない知らない。何も知らない。キミは知らない。知っているのは過去だけだ。 /自分には知る由もないなにを知っていたのだろう。

【おわあ、おわあ】

 それは明らかな乖離(クラッシュ)。
 平然と繋がれていたはずのものが最も容易く分断されていく。

 銃弾が水面をはじく音が――意識と感覚を分断する。

 振り返る。生き物としての、反射のようなものだった。
 体がひどく動かしにくい。破片のパズルを埋めたみたいに全ての関節も筋肉もぎこちない。

「やあ」
 帽子をかぶった男がすぐ隣に片膝をついていた。

 仕込み杖だったのだろう。柄がやたらと小洒落た一本の杖を握って。

 隙のない仕草でたち上がると杖を握るのとは反対の手でぱっぱと自らの肩や袖を払う。
 それをぼんやり見つめる――誰だっけ、知らない。
「おやおや」
 男は前方を見つめたまま流し目でこちらを見てきた。
「しかし、そうだね」
 男はくちびるの動きだけで肯定する。

【おぎやあ】

 赤ん坊が泣いている。

 ・ ・・
 僕はキミは知らない。

「ああ」

 過去が、やってくる。

   ・・・
「私もきみは知らない」

 それはだれのことだ。

 ここにいるのはラックひとりで

【おわあおわあおわあおわあおわあおわあおわあおわあおわあおわあ】

 ああ違う。いるんだったここにもう一人。寄生型オブリビオンが。うなじの赤い紐。
 そいつがいるのだ。
 青い瞳は片方だけ。

 ・・
 そこに。

    ・・・
「けれどきみは知っている」

 響く――つながり。
 知っている。/資料で/知識で。

 / [ 寄生型 ] /

/ そうだ/そうだ/
/そういうものがあるのかと思った/そういう手があるのかと思った/
/寄生され支配されて動かされる女子高生の例が報告書にあった/寄生されても大人しくしていれば生きることもできるだろう/
/寄生/寄生/され/ていれば/知らないはずのことを知っているのもおかしいことではないのであってたとえば女子高生が猟兵を選んで襲いかかってきたとか/

【おわあ おわあ おぎやあ おぎやあ】

 この泣き声は喜びの声なのだとわかる/のも知らないはずのことを知るのも/寄生のせい/なので/そういえばいたな羊水に浸る赤子が/そういえば嬉しいはともかくなつかしいがわかるなんてどうしてだろう自分/ラック/はみよりがなくてひきとられたということしかしらない/はずなのに/「寄生されてるからだろう」/そうだ寄生型のせい/だから。知らないのだ。/そうだ自分は知らない / 奇生だなんて本当に知らなくていいことだ知らないままでいいこと知らないままでなくてはいけないこと/

――知らないままでなくてはいけないこと?

「そも、何も知らない、というのはあり得ない」

なんだか、まるでそれは知らない設定みたいだ。
 
「誰しも――知らないということを、知っている」

 知らないことを知らない。

 ――ああ。
/ ――嗚呼。/

  ラック
『 自 分 』は
  
【ここの主人は】

あるいは何を、知らないのか?

「なんてことを」

 気づくと唇が動いている。勝手に。
 ……勝手に?
 今更?一体何が勝手なのだ?
 唇に触れる。気のせいだったと気づく。閉じられたままだった。え?
 じゃあ、いま。
 声はいったいどこから出た?
 いや、どこでもいい。首に刻印がはまっているんだもの。そこに穴があったって不思議じゃない。そこから音が出たって不思議じゃない。
 声、と描写するには歪すぎる音だ。
 水分過多の粘膜上皮、発達しすぎた喉筋に喉頭蓋、左右で全く大きさの異なる声帯襞――見様見真似のスケッチにも似た、歪な組織。
 
 歪なのはしょうがない。


「して」

だって

【病気です】

「くれたんだ」

 じぶん(化生)が寄生して溶け込んで、動かしているんだから。

「――ほどけちゃったじゃないか」

 ずるり、と。
 少年の項から――それは腕を伸ばす。

 かくして思考は改丁(スラッシュ / )により
 思考と思考の分断(クラック)を経て
 別思考へと変貌(クラッシュ)する。

      ・・
 一体、誰がそれを蔵方・ラックだと呼べるだろう。

「これは、これは」
 現に目の前の男は珍しく少し目を丸く開けて。

「――U」
 その唇がアルファベットの21番の音を出しきるより速く――それらが動いた。

 ここに至るまでの噂の調査で猟兵たちをたびたび襲った触腕どもによく似て異なるそれら。
 細いうなじからあふれながら、途中で少年の腕を二つ束ねても足りないほどにも膨れ、あるいは彼の義足のように鋭く変形し もしくははめぎめぎめぎと音を立てて牙の並んだ口を開き、おおよそ非・生物的な素早さと質量で男めがけて連撃を繰り出す。
 あんなにも生気があふれていた『蔵方・ラック』の体はだらりと両腕を垂らしていた。
 触腕の動きにつられて頭が時折小さくぐらぐらと揺れる。
 少年の首からそれらが幾筋も幾筋もくねり伸びてうねる様は、一瞥すれば今まさに芽吹いたばかりの冬虫夏草を彷彿とさせるかもしれない。
 男の顔にうっすらと焦りが浮かぶ。
 もしもこれをだれかがみていたのなら――ばけものによる蹂躙、のように見えるだろうか。

「なぜ怒る?」
 もちろん激しい怒りを感じ取ることはできるだろう。

 足を掴んで壊死させろ。機動力を落とせ。腕をへし折って引き千切れ。
 無駄な足掻きなどさせてやるものか。
 そして何よりも頭だ。その目だ、その口だ、その耳だ。
 それらは腕を伸ばす、伸ばす、伸ばす。
 跳ね上がった戦闘力による暴力は開けてはいけない蓋を開けてしまった災厄のよう?
 腕のひとつはとうとう男の左足を捕まえる。
 ぐるりと脛を覆い握り込むようにしながら――ねじり潰す。
 男の口元は、だが――それを前にしてもうっすらと笑んでいた。

 『それ』の内に溢れるのは、怒りよりも。

「それでは無理だな」
 男は繊維を引きちぎる音を立てながら素早くそれの腕から足を引き抜き――

「生憎と」
 
 少年の体のそばまで差し迫り。
 それの目を、覗いてくる。
 青だ。
 それは悟る。
 男は気づいている。

 『それ』が抱く、暴れ出さずにはいられない――嗚呼、そう、これをそうといえばいいのだろうか?

 ・・・
 おそれ。

 ・・・
「UDCの相手には少々だが覚えがある」

 男のささやきが眩いほどの明白をつきつける。

 ・・・       過去
 ちゃぶ、と少年の足元の水が鳴る。
 どうしようもない繋がりが、それを迎えにきていた。

 ――反射的に腕の一つで男の顔を殴り飛ばしていた。

 殺せ。全系統が叫ぶ。
 殺せ、殺せ、過去を殺せ。
 それにとって男は過去の象徴であり、同じ胎盤から下がるような繋がりを持っていた。

 避けられるはずの大振りのそれを男は避けなかった。
 避けられないのだ。『それ』には判っていた。

 ・・・・
 同じUDCだから、コードぐらいは、わかるのだ。

 怒り。それの攻撃には怒りも確かにあるだろう。
 しかし何よりも深くあったのは、激しい嫌悪と、焦燥。

 それらの動きは。
 深い海に溺れゆくもののに似ていた。

 だれが、と言おうとした。
 だれが、と言おうとしたのはだれだろう。
 
 続けて動かそうとした腕の一つが――動かない。

 ・・ ・・ 
「過去は過去だ」

 男の涼やかな声が囁く。

   "S e e N o Ev i l "
「知らないなどと、目を逸らしたところで――それは結局『在る』のだ」
 
 体が、勝手に動く。
 勝手に、動かされる。

「『過去』が、殺せるはずもないだろう」

 見る。

 朽ちた森の、向こうに。
 見知った顔が、立っている。
 廃ビルの蹂躙の際にたまたま一緒になった顔だ。彼の口元を覆うマスクが外れていた。
 かっこいーでありますね、と言ったら、何やらもぞもぞ言っていたのは記憶に新しい。
 彼から自分は見えるだろうか、とそれは思った。
 銃を構えていた。
 銃口がこちらを向いていた。

 彼は――その引き金を引くだろうか。
 引くかもしれない。明らかに歪な姿だから。
 引き金を引くのは、彼が決めることだ。
 ニンゲンを乗っ取ったクリーチャー。そう見えてもしょうがない。
 体が勝手に動く。触腕がそちらに伸びる。
 嗚呼。嗚呼。
 無理だった。だめだった。
 過去は追いついてきて――ただのエネルギーになりきることはできなかった。
 ねじ切れそうな諦念がひたひたと濡らしてくる。
 過去は過去らしく――ばけものは、ばけもの ら し

 それは、見る。

 ラック、と、その焼け爛れた口から呼ばれた気がした。

――は。
 開いた唇から、熱を持った息が出る。

 ・・
 それと、その躰に残っているほとんどを失ったかけらの魂が、同時に震える。

 過去を殺せ――過去を殺せ。
 過去を殺せ、過去を、過去を、過去を。
 過去を殺すことを、望んだ理由はなんだった。
 
 過去は、ばけものだったとして。
 過去に、あきらめて全てを手放した、残りの破片だったとして。

 
 じゃあ。
 そこからはじめた、いま。

 ・・
 いま。

 ・・・・・・・・・・・・・・・ ・・
 一分一秒すらが過去になっていく、いま。

 『それ』と魂とも呼べない破片。
 大きな衝撃で結びつきも解けてしまうような――それでも、二つで一つの形をした。

 ここにいる、おのれ『ら』は――なんだ?

 かれが呼んだ――いや、それはもしかしたらそれらの錯覚なのかもしれない。
 錯覚なのかもしれないけれど。
 それは、名前だ。
 誰の?

「は」

 息を、震わせろ。
 見様見真似で十分だ。
   ・
 それらは息をする。
「じ」
 ・・
 それはいつかのように、声帯を震わせようとする。だがその場の“まにあわせ”で創造はしない。
 だっていまそれに応えたいと思ったのは『それ』だけではないから。
 勘違いかもしれない。この肉体は『彼』の遺産だ。この魂のかけらは、人間の魂の皮は、肉体と同じく『彼』そのものではない。おそらく異なるだろう。だけれど。

「ぶん、は」

 ・・
 それはいつかのように、しゃべろうとした。殺してあげた方がいい。そんなこと思いもするようなことになる前の、喋りあえたあの時のように。慰めたんだか慰められたんだか不安を共有したんだかは思い出せない。本当に魂のかけらのかけらの、砕いた粉のようなものだから。あんまりにもかけらすぎてそれがいつだかすらもう欠け落ちて抜けて何も思い出せない。けれど、感覚のかけらが、ちいさく光っていたから。

「自分は――」

 過去。
 取り返しのつかない過去。殺そうとしても殺しきれない過去。見えないふりをしても在る過去。
「あ」
 ・・
 でも。
「ああ」
 ・・
 いま。
「ああああ」
 ここにいる、じぶんは。

 腕が、動いた。
 うなじから出ている枝ではなくて――ああ、かれの、かれらの右腕が動かせた。
 男にとって、その右腕は器のパーツという認識でしかなかったのだ。
 それにとってだってそうだった。

 でも、ああ――実感する。

 自分が無茶して帰ると顔を顰めて注意してくる博士。
 今回の任務でたまたま一緒だっただけの自分をそれでも信頼して背を預けて預けた彼。

 過去は確かにそこにある。
 
 欠落しているだろう。
 足だけではない。
 過去も、感情も、魂も、人間性も。
 存在としての過去も。

 しかし――かけていようがなんだろうが、今、生きて重ねた繋がりがあそこにある。
 だから。
 嗚呼。嗚呼――実感がある。

 これは、ぼくらのうでだ。
 紛れもない、『自分』の腕だ。

 素早く銃を抜いた。威力を最大にチューニングして、

「あああああああああああああああああああ――ッ!!!!!」
 あの彼に向かってのびた自らの枝を焼き切って落とす。

 ばらばらと破片が飛び散る。痛みがうなじから脳を突き上げて視界をまっさらにする。「おげぇっ」明滅しているのが視界なのだか痛みなのだかわからない。もうとっくに限界を超えていた。体の方の脳味噌がこの情報過多にいつ意識を失ってもおかしくない。意識を失ったとして何をきちんと覚えていられるかもわからないほどに。
 それでも自らを維持して、振り返る。
 男を見る。
   ・
「――今は、猟兵だッッッッッ!!!!!!!!」

 吼える。

「自分は」

 叫ぶ。
 どうしようもない繋がりに抗う。
 たとい此処が、今生の終わりだとしても。
 
  ラック
「 自 分 だッッッッ!!!!!!」

 過去を殺すのではない。
 過去を超える――宣言をする。
 宣戦布告をする。
 だって今はもう猟兵だ。
 そうとも。猟兵は過去と戦うのだ。

「もう、それ以外の何者でもない――」

 残りの枝で体を支えて、ああ、『お気に入りの』義脚で海を蹴る。
 跳ぶ。
 できる限り高く跳ぶ。

「――のでッ」

 宙で体を一捻りして。

「ありますよーーーーーーーーーーーッッ!!!!!」

 海すら叩き割らんとするかのような、踵落としが降りとされた。

成功 🔵​🔵​🔴​

リッター・ハイドン
何でも歓迎!

やっぱり、まだまだこの世界の勝手が分からないや……
一寸出遅れたけど、間に合ったか?

なんだ。たった、ひとり?
これならおれでも……

――何故?
なぜおれは、彼に銃を向ける?
彼が、おれに何をした?

悪。

そうだ、これは、ただしい。
あいつは、世界の敵だ。悪なんだ。
この世界に、あいつはいちゃ駄目なんだ。

悪?

――おれは、何だ?

おれは。妹を救えず。何人もころした。

おれは、また殺すのか?

違う。おれは、助けたい、だけだ。
妹の分まで。新しい仲間を。世界を。
おれは。俺にできることをして。
強くなって。

生きたい、だけだ。

おれは、生きて、いいのか?

煩い。

黙れ。

だまれ。



●“ ”と彼女/彼は言った。うん、と自分は頷いた。

 リッター・ハイドン(シムーン・f29219)が降りたのは朽ちた森の真ん中だった。

 送り込まれる戦場の状況は聞いていた。過去の海の淵。
 ただ水面のみが広がっているだけの場所だと。
 だが、この状況はどうだ。もう戦闘は開始されていることを如実に告げていた。

――ちょっと出遅れたけど、間に合ったか?

 応えるように森のどこかが、ど、どん、と震え、朽ちた葉の破片がポロポロと降ってくる。
――よし。戦闘は、継続中。
 ならば、自分にもできることはあるだろう。リッターは隙なく銃を構える。
 息をつめ、耳をすまし、展開されているのはどちらの方向か、戦況はどれほどかの把握を開始する。
――やれる。
 幸いなことに、命という命が全力を尽くして尽きたような森は彼にとって馴染み深いものだった。加え広範囲または高威力を誇る彼の武器に対し、味方を巻き込む心配があまりないこの遮蔽環境は好都合だ。
 神経を張り巡らせ腰をややかがめ、物陰に身を隠しながら、音の方向へと向かう。
 振動と破壊音は少しずつ移動しているようだった。激しい音がいくたびも、ど、どん――どどん、と続き、巨木が次々倒れていくのが見える。
――巨木が次々と倒れる?
 リッターはそこで気づいた。
 ブーツの爪先で転がっていた枝を軽く蹴る。

 ・・・・・・・・・・
 宙で僅かに枝が揺れた。

 ・・・・
 やっぱり。

 確信と共に前に跳ぶ。
 
 ど――どん!
 すぐそばの木の根本で爆発が起き――いまの爆発で折れた木がリッターの方へと倒れかかってくる!

 か細いワイヤーを利用した爆弾のトラップだ。
 ……猪突猛進な誰かが通った際に発動し、吹き飛ばす、或いは巨木を倒し行動範囲や動きを制限しようというものだろう。
 通常ならば巻き込まれてしまう仕掛けだが、リッターには枝で引っ掛けて爆発させたおかげで若干の猶予があった。
 それが、紙一重の回避を可能にする。無事と負傷の境目は拳ひとつ分の隙間だった。
 銃は構えたまま、頭のすれすれに大木の幹を感じつつ、木屑や埃に塗れながら前転で転がり

「筋がいい」

 目の前に、少しだけ埃で汚れた革靴の先を見た。
 普通の革靴とは明らかに異なるのはその靴先から刃の破片のようなものが見えることだ。
「ッ」
 咄嗟に顔を上げず――そのまま足だけで蹴るように後ろへ飛びながら構えていた銃を、声の方へ突きつける!

「よく気付けたものだ」
 そうして見た相手は、銃を突きつけられているというのに涼やかに笑む紳士だった。
 瞳はかぶった帽子で見えない。

「理由を聞いても?」
 雑談のように尋ねてくる。

――視線に気をつけろ。耳を貸すな。正しく答えろ。

 ここにくるまでに受けたむちゃくちゃな注文が頭を過ぎる。

「……時々響く破壊音が一定で連続的だった」
 マスクの下、自分の口内が乾いていくのを感じながらリッターは正しく応える。
「もっと純粋な戦闘だったらもっとめちゃくちゃだ」
 銃口がぶれないように構えた腕に力を込めて固定する。「猟兵は怪力な人も多いから、引っ掴んだり吹き飛ばしたり、銃声が響きまくってたり、もっと不規則だと思う」
 そして帽子のつば、男の目を警戒しながら彼の向こうへ視線を配る。
「枯れた木が倒れるのだって、普通倒れる時は一度から二度だ。あんなうまいことパタパタ崩れない。しかもでかいのばかり。……だったらおれはトラップを警戒する」
 リッターは喋りながらゆっくりと膝をたてる。
「ではなぜそこにトラップがあると?」
 男はただゆったりと立っている。攻撃の素振りはない。
「ワイヤー、高い位置に張りすぎだ」
 リッターは銃を維持したまま立ち上がり、男を油断なく観察する。柄の洒落た杖は先が剣になっている。高級そうなスーツ。帽子。銃器の類は見あたらない。スーツの下にホルスターがある可能性はあったが、取り出して構えるまでに時間がかかるだろう。何せ杖持ちだ。
「くぐってもよかったろうに」
「下にも張ってあったのに?」
 男は非常に愉快そうに笑う。「素晴らしい」手元だけの小さい拍手を贈られた。
「急拵えを見つけて何が素晴らしいだ」
 そっけなく言い返し、リッターは頭の中でカウントを始める。один、два、три……姉貴分である『彼女』の店に通って練習するせいで数字のカウントもついそちら寄りになる。
「惜しむらくは動きがややぎこちないことか」
 男は語りながら自身の杖を確認し――
「動くな」
 リッターはすかさず牽制する。
「状況が飲み込めていないほどバカじゃないだろ、あんた」
 リッターの背後は倒木が塞いでいる。逃げることは難しいが想定が正しければ奇襲の可能性はない。想定が正しければ。
 ……そうとも、想定が正しければ、だ。
「勿論」
――でも、そんなことがあるのか?
 カウントを続ける胸に疑念が蠢く。そんな馬鹿な。
「君こそ」男は至って普通に話しかけてくる。「自分の動きが思考とお手本にそれぞれ引っ張られていることは把握できているかね?」
「間に合わせで人のアラ探しもできるのか」
「アラ探しというほどの事では無い」
 ……まるで『彼女』の店の射撃場で行き合った猟兵と会話しているようだ、とリッターは思う。
「生徒を思い出してつい、というやつだ。君のほうがやや素直だな」
 どこか遠くを見る瞳はあの場で見た人たちと変わらない。誰かを思い出している顔だ。
 そこで頭の中の定めていたカウントが終わる。
――なんだ。
 リッターはかすかに悩む。
――たった、ひとり?
 想定が正しかったのかと思うのと同時にやはり疑念が拭えない。
 共有した情報の中には邪神なるものどもの触腕の存在が仄めかされていた。しかし待ってもそれを使役して来ようとはしない。使えないのか?

――これなら

「ずいぶんと感傷的な発言だ」
 リッターは引き金にかけた指へゆっくりと力を込める。
「戦場で言うことじゃない」
「ああ」

――おれでも

「引き金の躊躇いの礼だ」

 心臓が跳ねた。

「――なんの、ことだ」
 絞り出す。
「違ったかね?」
 男は口元を柔らかく歪めた。
「仲間がいるかどうか、人質をとられているかどうかのカウントにしては冗長だ」
 男が、穏やかに静かに笑っている。「カウントを否定するつもりはないがもう少し短くても良いな」

「おれは」
「君は戦場向きではないな」
 リッターは言おうとした否定を封じられる。
 男はぱっと両腕を広げてみせた。「まずは手を上げろくらい言いたまえ」
 その手から、ああ、武器すら滑り落としてみせる。

「きみの目の前にいるのは『何』かね?」
 男の足元、乾いた枝に折れた刃の刺さる、音。

「――てきだ」
 リッターは引き攣る唇で唱える。
 銃を抱えるように構えて固定する。
「あんたは、敵だ」
「そうとも」
 男は広げた両腕を、ハンズ・アップの形に緩やかに上げてみせる。
「都市の一角ごと多くの一般人を巻き込み、過去を引き入れたオブリビオンだ」
 引いていた顎をすこし上げ――つばの下の蒼が。
 リッターは彼の青い目をまじまじと見つめる。
 見てはならない。

 ならないのに、

 ・・・・・・
 何も起きない。

「どうして?」
 リッターは思わず問う。
 男のすべてに対する『何故』だった。
「既に答えた」
 唇の端をほんのすこうし上げた微笑みのままで男が問う。

「君こそ何故?」

――何故。

 問い。

――何故?

 答えねばならない。
 わかりきった答えがあるのに喉奥につっかえて吐き出すことができない。
 なぜ銃口を向けるのか。なぜ引かないのか。

 敵だ。
 オブリビオン。現在を侵すもの。届かない彼岸。巻き戻せない向こう側。
 猟兵の敵だ。
 ひいてはリッターの敵だ。
 敵なら倒すべきなのだ。
 引き金がここにあって一見すると無防備な体があって撃たない理由はないはずなのだ。
 男の言うことも尤もだとリッターも理解している。手も上げさせず武器も捨てさせず形ばかり銃を構えて撃たなかった。馬鹿らしい。体格差があり、相手の攻撃手段がほぼ不可避のものであるならばむしろ速攻で銃を撃つべきですらあったのだ。
 わかる。わかっている。
 さまざまな現実(れい)を見て思い知らされてきたこと。

 なのに撃てなかった。
 撃てない。どうしてか。
 操られているのではない。
 
 カードが読めない、とリッターは思う。
 自分の手元には1枚のカードがあって、場に出すしかないのに出してはいけない気がする。
 倒すべき敵なのに――敵だと向こうのカードは出されているのに。
 変なイカサマをされているようで、出すことにためらいがある。
 
 いったい。
 ひとつの疑問が渦を巻いている。廃ビルの時と同じ疑問が。
 状況は語っている。カードを切るべきだと。引き金を引くべきだと。

 いったいどこからが人間でどこからがUDCなのだろうか。

「撃てないか」
 指摘で体はさらに強ばる。
 男はそれでもリッターの語る『なぜ』を待っている。

――なぜ、おれは彼に銃を向ける?
 
 リッターは答えられない。
 理由はたくさんあったはずだった。
 これは今回の事件の親玉だ。中心人物できっかけだ。
 彼を撃てば任務は終了する。
 事件解決という視点で見れば、それは全く正しいことなのに。
 なのにそれを答えられない。
 
 答えられないのに

 ・・・・・・
 何も起きない。

――彼が、おれに何をした?

 男は待っている。
 発動できるはずのコードを発動する様子などかけらも感じられずただただ待っている。
 リッターは自らの息が止まっていることに気づいた。
 男の青い瞳が、ほんのすこし眇められた。
  
「優しい子だな」

 静かで、ささやかな囁きだった。
 悍ましいものでない、脅威でない、なにか――見た目通りの年齢の、どこにでもいそうな囁き。
「――」
 引き金からリッターの指先が外れる。

 ・・・・・・・
 男が背を向けた。
 
「は?」
 リッターの口から出た声は、乾いた息に近かった。

「猟兵でない者に用はない」

 男はつま先の軽いひと蹴りで足元の剣を弾きしなやかに柄を掴む。
――リッターの心臓がこおる。「に」
「逃げるのか」
 妙にうわずった声になる。
 あえて音を立てて銃を構える。

「おれだって、猟兵だ」

 男は振り返らず帽子のつばに指をかけ、帽子を少し直す。

「引き金を引けなかったのにかね?」

 こおった心臓が炙られるように跳ね始める。
「……もういちど、言ってみろ」

「君は引き金を引けなかった」

 肩越しの横顔、視線のみが振り返る。蒼。
「先ほども、そして今も」
 言葉が、心臓で毒液のように脈を打つ。

 男はすぐに前を向く。「ふむ」
 リッターもつられ男と同じ朽ちた森、先程幹が倒れたおかげで少しだけ天がひらけたそこを仰ぐ。
 新たに開かれた門、降りてくる人影があった。

「次にかかるか」
 降りてくるのは義足の両足のうるさいほど眩しいオレンジ。
 廃ビルの際に、妙に調子がおかしかった。

――『次』

 リッターは止まっていた息を継ぐ。
 男はリッターを振り返らずに歩いて行ってしまう。
 止めなければ。
 引き金を引く方が早いのにどうしてかまだ引けず――思わず口元を覆うマスクに手をかけた。

 かっこいーでありますね、とあの彼は言った。
 リッターにとってはその感想がとても新鮮だった。思ってもみなかったのだ。
 大事なものではあるのだ。呼吸の確保のために口元を覆う類のマスクは必需品に近い。リッターの出身であるアポカリプス・ヘルでは砂嵐などしょっちゅうだし、空気が汚染され呼吸のままならない地区もある。あるのとないのでは生存率が違う。
 ……デザインをこだわらなかったかといえばノーだが、でも褒められるなんて思いもしなかったのだ。
 そのうえリッターにとってはマスクが口元を覆ってくれていることが輪をかけて重要だった。
 マスクがないと、どうしても剥き出しになって――直視してしまうのだ。
 自らの、罪のあかしを。
 
 それでもリッターはマスクを乱暴に外す。

 鼻下から唇そして顎に渡って広がる傷。
 年に似合わぬ毒液による爛れと引き攣れの濫嵐。
 指先、爪がうっかり引っ掻いてしまって、淡い痛みが――この傷に関わる全てをフラッシュ・バックさせる。

「――」
 それでも形もわからないような唇を動かして口をめいいっぱいに開いて、喉と肺全部で外気をとりこんで――
 
 罰だ!リッターの傷の中で人々の声(かこ)がする。
 罰だお前が悪いんだお前が悪いんだ!
 お前が飲み水に毒なんぞを入れたからみんな死んだ!
 償え!お前も同じように毒を飲め!――償え!償え!償え償え償え償え! 
 肌の溶ける匂いすら蘇っているような気すらしてくる。 
 悪いんだ、お前が悪い、お前が悪いおまえが悪いから。

 同じように毒に溶けて死ね。

 ……過去が、リッター・ハイドンへ追いついていく。
 あるいは。

 そうだ。おれは毒を入れた。リッターは何度でも答える。
 明確な殺意を持って毒を入れた。

 おまえらが、いもうとをころしたから。
 たったすこし水を分けてくれりゃよかったのに。

 あえて振り返り――降りていくのかもしれない。

 おまえらは、ひとのだいじなもんをふみにじったんだ。
 じゃあおれがふみにじってやったっていいよな。

 だいじなもんをふみにじるようなやつは――嗚呼、お前らのいう通りなんだろう。
 ぶちころされたって、文句がいえねえよな――

 外れた指先が吸い付くように引き金へ戻った。

――じゃあ


「やめろッッッッッッッッッッッッッッッ!!!!!!!!!」 

 吠える。

 悪だ。 
 過去と現在が絡まって、抱え続けた疑問と憎悪が引きずりあって。
 『なぜ』に無理矢理の回答を出す。

――おまえみたいに、なにかをめちゃくちゃにしようとする奴も、ぶち殺されたって文句が言えねえよなあ!

 引いた引き金は戻せない。ましてや機関銃なら尚更だ。
 放った弾丸は轟々、空や木々をばらばらに打ち砕く暴力、轟嵐もかくやで男へ殺到する。

「行かせるか死ね!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 リッターはあの彼の事情をよく知らない。
 たまたま廃ビルで一緒になっただけの猟兵。都合よく組んだだけ。
 彼が糸を引いていた少女のオブリビオンとの会話だけで――あのひたすら明るい彼が呆然と自らを凍りつかせた。何か異常があったのだということはわかる。
 であれば、この男が向かえばどうなるだろう。

 男が振り返る。

 リッターは目を見開き食いしばった歯を剥き出しに睨みつけて、撃ち続ける。
 今の少年を、リッター・ハイドンだと言える者はどれほど言えるだろうか。

「いじらしい背伸びだ」
 うるせえ。

 過去がリッターの脳みその奥でちかちかと火花を散らしている。
『猟兵でない者』?男の語っていた詭弁が、マスクを失い剥き出しの傷を灼く。
 傭兵にならなきゃやってられなかった。銃を抱えて戦場に混ざってなきゃやってられなかった。人間も人間のようなものもさんざん撃って撃って撃って撃って撃って生き汚くてもやらなければやっていられなかったのだ。
 だって――…。

 男は振り返りざまに持っていた剣で銃弾の嵐の中を一閃二閃ひらめかす。火花を散らせるデタラメさにリッターは舌打ちをする。「つまんねえ真似しやがって」一弾倉が回転し切る。「一倉何発だと思ってんだよ」

「じゃあ」
 だが

「ぶっ倒れるまでやってろ」
 リッターは引き金の指を緩めない。

 その奥で『なぜ』がまだ燻っている。
 彼が自分になにをした?

 悪。
 悪だから。燻る憎悪が答える。
 悪だ。こいつは悪だ。
 こいつは世界の敵なんだ。
 こいつは世界にいちゃいけないんだ。

 だからこうして撃ち続けるのは間違いじゃなくて。
 
 尽きるはずの銃弾は少年の殺意と憎悪で補填され尽きることがない。
 ゲイルスコグル、槍と謳われるヴァルキュルリアの名前に負けず一直線に吐き続ける。
 ぎ、ぃんッ!
 杖の剣が折れるのと――リッターのコードを悟った男が素早く横へ、木の影へと飛び込んだのは同時のことだった。

 逃がすか。

 リッターは一度銃を下ろし素早く追撃にかかる――視界の端できらめく銀、その僅かな光にほんの刹那目を取られる。
 あの折れた剣の刃の部分だ、恐らく飛ぶ時に軽く蹴り上げたのだろう。
 くるくる回る光になぜを浮かべて、すぐに悟る。

 一度、何もないはずの宙で奇妙に揺れた。

「急拵えで何発仕掛けたんだよ」
 ど、どん!
 リッターの右側上空。
 折れた刃がワイヤーを切って、仕掛けられたトラップが爆発する。
 リッターに直接の被害はない――巨木が倒れ込んでくること以外は。
 最初のようにかわすことは難しい。
 ならば。
 リッターは素早く銃口を上に向ける。「だ」ストックをもはや自らの肩に叩き込むように押さえつけ
「だ、あ、ああああああああああアアアアアアッ!!!!」
 移動せず一直線に叩き込み――幹の一部を撃ちくだく!
 朽ちた巨木は一部を砕かれたことでバラバラに吹き飛ぶ。
 銃身からの熱がひしとリッターを炙る。だがそれでも打ち続けるのをやめない。
 そのまま、男ではなく手頃な大きさと方角のひとつに当たりをつけて、撃ち
 
「てめえで用意した罠なんだ――反撃ぐらい躱せるよなァ!!!!!!!?」
 おもちゃのようにはじき飛ばす!
 
――どん!
 リッターの射撃で飛ばされた倒木の一部がさらに別の木をへし折る。
 それがまた別のトラップを誘発し、朽ちた森の中で大倒壊が始まる。
 何もかも朽ちて息の根も絶えた森の中で、男のスーツはよく目立った。
 そちらへ、そちらへと銃口を向けながら――リッターのなかの、煮えたぎり狂いきらない小さな部分が問うてくる。

 悪?
 悪って、なんだ?
 あいつが悪いやつで、あいつがいちゃいけないやつで、あいつが殺されてもしょうがないやつなら。

 いまのおれはどうなんだろう?

 おれは。
 おれは妹と生きるために殺した。何人も殺した。
 おれは妹を救えず。それでも何人も殺した。
 
 それは、いろんな人を巻き込んだあいつとどう違うんだろう。
 
 殺意を吼えながらひたすらに銃を撃つリッターの周りで。
 枯れた木々が、割れた石が、粉々の葉がリッターの射撃でいくつもいくつも舞い上がる。
 銃口もまた銃弾を咆え続けている。
 小さな嵐がさけんでいるようだ。
 
――おれは、またころすのか?

 問いがある。

――そうだ。

 うなずきがある。

――あいつが悪いやつだから。

 男が銃弾と共に叩き込まれた木々を葉と共に蹴り込んでくる。
 それで一瞬視界が曇る。
 銃でばらばらにするけれど、それで視界が晴れる頃には見失っている。
   
――それは、ただしい、のだろうか?
 
 廃ビルの問いがまた追いかけてくる。

 引き金を引け、引き金を引け引き金を引け!
 自分の一番凶暴な部分が叫んでいる。
 何でもかんでも倒し尽くしてしまわなければ納得がいかない部分が。

――ちがう。

 今度は、回答がある。殺したいんじゃない、と。

――おれは、助けたい、だけだ。
  妹の、分まで。

 視界が開ける。
 あの男を視界に捉えた。
 流石に距離がある。
 銃を構え、狙いを定め。

 その傍に、

――新しい仲間を。世界を。

 あの彼がいた。
 目が、あった。

 理性を投げ捨てて戦っているせいで、よく状況が飲み込めないけれど――目があったことだけは、わかった。
 そして。
 自分が間に合わなかったことも。
 あの彼が――男の支配に飲み込まれかけていることも。

 何かが彼から伸びてくる。
 そりゃあそうだろう。マスクを外して、こんな顔で。
 思考も何だか鈍っていて、銃口も向いていて。

 そりゃあ、リッターはさぞかし倒すべき敵だろう。

 いま。
 かれが支配されていて。
 自分の敵に回っているなら。
 この指は引くべきだろうか?

 引き金を引け!引き金を引け!引き金を引け!
 精神がまざまざと叫んでいる。

――おれは。俺は。

 問題はサ。いつかそう言われた。
 問題はサ。 
 アンタがどっち側に居て。
 どンなカードが配られて。どのカードを切って。
 そン時のセカイの分水嶺が、偶々ドコにあったか?――てェだけのもンだ。

『そりゃ、自分で決めることでありますよ』

――俺にできることをして。強く、なって。
 
 彼のなまえを呼んだ。
 声に出ないのは、ちょっと自信がなかったからだ。
 でも、届いたのだと、目だけでわかった。
 
 引き金の指が震える。
 引き金を引けと叫ぶ声はなおも大きい。
 
――生きたい、だけだ。

 それでも、指をはずす。
 引き金を引け引き金を引けと声は一層強くなる。

 煩い。

 自らの狂気に向かって怒鳴る。
 
 あれは仲間なのか?リッターの狂気がなおもささやく。
 昨日今日どころか数時間程度の付き合いじゃないか。

 黙れ。

 攻撃されても?
 
 だまれ。
 
 あのかれの腕が伸びる。

――おれは、生きて、いいのか?

 妹を助けられなくて。復讐に走って。それでも猟兵になって。
 今こうして衝動の中にいて。仲間にすら銃を向けるような。
 そんな、おれは。


 リッターに向けていたはずの彼からの攻撃は

 
 こなかった。


 だから、リッターは、選択する。

 原罪に引き摺られた銃口で――しかし、今、この瞬間を生きるため(carpe diem)に。

 かれの踵落としに合わせて、あの男を牽制するための一掃射を。

成功 🔵​🔵​🔴​

シキ・ジルモント
過去との繋がり…
嬉しい?違う、そんな事は―

相手の言葉が酷く気に障る
あれは敵だ、継いだからには戦わなければ
俺のせいであの人は、だから代わりに戦おうと
親愛なる…

触腕は目に入らず本体へ攻撃を仕掛ける
…周りが見えていない?
そうだ、見るのは銃口ではなく、聞くのは敵の戯言ではなく
戦う理由への迷いが俺を化け物にするとしても、あの人を巻き添えにできない
今引鉄を引かせているのは子供のような思慕かもしれないが
元凶を倒すという点において一切の迷いは無い

真の姿を解放(月光に似た淡い光を纏い、犬歯が牙のように変化し瞳が輝く)
触腕を足場に跳躍、邪魔の無い上空から本体へ射線を通す
出来る筈だ
そうなるように戦い続けてきただろう



●忘るることなかれ

「猟兵であれば、見るのではないかね」

 男はフィンガー・スナップのひとつで、凍てつく海より数多の触腕を現しながら語りかける。

「その果てに思いはしないか」

 シキ・ジルモント(人狼のガンナー・f09107)の耳には触腕の叩き起こす水の起こりよりの中にあってなお、はっきりと聞こえた。

「いつか、別れた者にも会えるのではないかと」

 シロガネに充填した弾丸の数を意識する。
 これで触腕を相手どることは難しい。狙うべきは本体ただひとつと標的を絞りながら。
 耳は音から、脳は言葉から――差し出される全てから逃れられない。

「いつか」

 シキの首元のアミュレットが僅かに音を立てた気がした。

「共に再び並べるのでは」

 男は軽く両腕を広げ、右手、握っていた仕込み杖だったらしい剣を手放す。
 杖はするりと溢れていき――現在の人間であれば不可侵の水面に滑るように落ちていく。
 男の表情。唯一見える口元が柔らかく微笑む。

「教えよう」

 その柔らかな緩みに、嗚呼、シキはあの人を幻視する。

 ・・・・・
「その通りだ」

 男の周囲より触腕の多くがシキめがけて殺到してくる。

「過去を断つことはできない――我々は繋がり続けている」

 振り下ろされた一本めをすばやく潜り、低空を横なぎに払い込んでくる腕を飛び乗るように超えて前進を続ける中でも、声はまだはっきりと聞こえてくる。
 目線をやや上げてみれば男はゆっくりと右手の人差し指に金の指輪をはめるところだった。きらりと光ったのは石ではなく金属だ。何かしらの刻まれたシグネット・リングだろう。

「たとえ死別(わかれ)があろうとも」

 そのまま体をすばやく起こし、シキは男に向かって発砲する。
 男はすばやく手を横に切った。指揮杖のない指揮者のように。
 すかさず飛び出した触腕のひとつが銃弾を受けて弾ける。
「君たちも過去であれば、戦う必要すらなくなるのだがね」
 触腕の血煙の向こうで男は微笑んでいる。
「たわ言を」
 相手の言葉、声ひとつひとつがシキの臓腑を脳髄をゆっくりと熱で炙ってくる。

「楽園の僕の場でもたらされた再会は、嬉しくはなかったかね?」
 コンマ数秒だ。

 それでもその発言に、身動きが取れなかった。「うれ、しい?」
 男は微笑んでいる。
「違う」
 吐き出される息が、痛い。
「そんな事、は」
 
 ちか。
 空気の中が光った。
 シキは咄嗟に横へ転がった。
「おや、見えたか」愉快そうな声がかかる。
「玩具みたいな武器だな」シキの足元の一部が焦げている。「…鞭」鞭の届く距離というには異常過ぎはするが。「先ほど嵌めた指輪か?」見えたものを指摘すれば、男は面白がるように、右手を掲げて見せた。「ご名答」
「シグネットから発射される電磁を対象に振り当てる。コツはいるが、慣れれば便利なものだ」
 男が再び右手を軽く横へ薙ぐ。再び空に走る焦げくさい臭い――シキは後ろへ下がる!
 ぱしん!
「威力は低いが速度と予測の付かなさは優秀なのだが、君にはやや不利かもしれないな」
 薄く笑う唇が、意地も悪く歪む。
「油断大敵」
 ――背面から触腕による叩きつけをもろに食う!「が、っ…!」
 宙に放り出されてすばやく体を捻り、銃を握っていなかった左手と両足で這いつくばるように着地する。

――戦わなければ。

 シキはシロガネを握り込む。手袋越しにしっかりとそのグリップを感覚する。
 何が不利だ。武器も環境条件も相手の有利でしかない。

「君はなぜ猟兵となり、戦うのかね?」

 鞭による一閃がシキの鼻先をかすめる。
 細く鋭い閃光が触腕の間からひらめくたびにシキの肺腑に痛みが走る。

「甘酸っぱい思慕か」体を起こした右足のつま先に二閃。

 あれは敵だ、とあれが敵だ、とシキは自分に重ねて告げる。
 懐かしい面影を思ってはいけない。
 あれも自分のような誰かに慕われる師なのだと思ってはいけない。

「盲目の怠惰か」

――違う。

 怠惰なんかではない。

――継いだからには、戦わなければ。
 
 体を起こした左足側から斜め右上に向かっての逆袈裟を体全体を捻って避ける。

――俺の、俺のせいであの人は。
  
 かわして飛び込んだ先を触腕の一本が叩きつけるように塞ぎ、すんでのところで足を出して蹴り上げて登る。
 首を少しだけ動かして男の方を見る。

「どうしようもない罪悪か」
 
 どうだろうか。
 迷いが、生じる。
 思い浮かべる顔はひとつだ。

 親愛なる(マイ・ディア)――…。

「暗愚のような義務感などとはいうまいね?」

――……。

 このまま、負けて仕舞えばどうなるだろう。
 珍しい、弱音のような思考だった。
 廃ビルの乱闘。数多の言葉。
 自身も過去になるのだろうか。
 そしたら、逢うことも叶うのだろうか。会話することも叶うのだろうか。
 銃口を向けるのではなく。銃口を向けられるのではなく。
 いつかの日のように。いつかの日の先でできなかったように。
 いつかの、つづきを。

 銃を構える。
 男をしっかりと狙い――射程にとらえ、その射線にまた一本触腕が飛び込んできて歯がみをし

――…周りが見えていない?

 触腕どもは、自然と見えていない自分に、そこで初めてシキは気づいた。

 顔を上げろ。見るのは銃口じゃない。
 ああ、親愛なる――あの人の叱咤が蘇る。
 
――そう。

 彼は胸のうちだけで苦笑する。
 過去とのつながり。嬉しいのだろう。
 過去がいうのだからあるのだろう。
 現在(シキ)からの一方的ではない、過去(あの人)からの何かが。

――そうだ、見るのは銃口ではなく。

 であるならば、負けてはいけないのだろう。

――聞くのは敵の戯言ではなく。

 それは、シキの知るあの人も過去に成り果ててしまうということだ。
 それだけは――どんなに敗北が甘美であろうと、己に赦すわけにはいかなかった。

 シキはシロガネの銃口を天に向け、銃身を額に当てる。
 息を、静かに浅く、長く。
 自分の中に収まっているけものの、鎖と枷をひとつ、外す。

 シキ・ジルモントはそうして戦場の真ん中、一人から一匹へと――いや、一人と一匹の間のものへと成る。
 犬歯は凶つさを表すように牙が如く伸びて、その身はうっすらと月光に似た淡い祝福に浸したような輝きを放つ。
 青瞳の輝きは――満月の明るい夜光のようだ。

『君はなぜ猟兵となり、戦うのかね?』

――……。
 
 たとえ。
 たとえ戦う理由への迷いが自身を化け物にするとて。
 あの人を巻き添えにすることだけは、絶対にできない。
 
 さあ――任務を果たそう。
 敵を、撃つのだ。

 出来るか?
 疑問が浮かぶ。
 その疑問は、あの人の声をしていた。
 出来る筈だ。
 答える。
 その回答は、あの頃のシキの声をしていた。

「そうなるように、戦い続けてきただろう」

 様子の変わったシキをめがけて触腕どもが一斉に叩きつけてくる。
 突き込んできた一腕を軽く跳躍して足場に上がり、後方から叩き込んできたのを僅か右足に体をずらし、すれすれを通り抜けたところに足をかけ更に上へ、おろしきった触腕の背に飛び乗って、叩き潰そうと振り上げる勢いを利用して、跳躍――!

 そして男の遥か上――触腕も邪魔のできな奇跡のような一瞬の射線を、得る。
 ひきがねに指をかけ、男を睨む。
 彼はいまシキのいる位置に目が追いついたようだった。
 こちらから見えないということはあちらからも見えないのだ。当然ながら。あのややこしい鞭もここまでは範囲外だろう。
 射線を意識しろ、という教えがまたひとつ、シキに蘇る。

――ああ、こんなにも鮮やかだ。

 いま。
 いま、自らに引き金を引かせているのは――あの男のいうように子供のような思慕なのかもしれない。シキはふと思う。
 罪悪は?怠惰や義務もあるのだろうか?そこはわからない。ないといいが。

 だが。
 理由はどうであれ――元凶を倒すという一点に於いて一才の迷いはなかった。
 
 あの人も。
 きっと理由はどうであれ、同じことをするだろう。
 多分、今の自分と同じ姿勢で。

 そうなるように。
 そうなるように、シキ・ジルモントは戦い続けてきたのだから。

 弾丸はまっすぐに射線を通る。
 天から降りる奇跡/軌跡は、天の梯子にも、似て。

成功 🔵​🔵​🔴​

人形・宙魂
貴方は…貴方がどんな人だったとしても、
私は守りたいから、皆を、貴方を
今の貴方を、私は…

呪詛、護符と霊力の網で人除けの結界を張って一般人を遠ざける
声は遮れない。だから
真の姿、三本角の鬼へ変わり

私は貴方を赦さない。だから
『鬼重・修羅道』
落ち着き、鬼の様に酷薄に、守る為に、微笑んで魂虚と魂揺を構える

存分に、戦いましょう。
一方的に告げて。空中浮遊、重力操作で男へ落ちる。重力塊を纏った魂虚で斬り結ぶ

今は貴方と繋がってる。それで良い
怪力、重力操作で無理矢理男へ足を振り上げ、逆さまに空へ飛ぶ
念動力、逆さまになった時に落した魂揺から重力塊を放出。男を拘束。

お腹が空くのだもの。
重量攻撃。魂虚で、空から叩き斬る



●蜘蛛の糸、於いてはタイトロープ

 投げかけられた一問が、心臓の中でゴム毬みたいに跳ね回っていた。

――きみは、叶うのならば。

 血管全てが脈動して、耳に詰まったように音が聞こえづらい。
 手のひらがじっとりと汗ばんでいるのに指先が冷たいと思ったら、爪が白くなるほど刀を握りこみすぎていたのだと彼女は気づいた。

――戦うことも、鬼であることもやめてしまいたいのではないかね?

 人形・宙魂(ふわふわ・f20950)は、青白い顔のまま、小さく短い息をした。
「……いい」
 男はそのかすかな言葉に小首を傾げた。「いい、とは?」
 うそよ、と叫んでいる誰かを認識しないようにする。
 精神介入――男のコードによって人形の繋がりから引き寄せられ呼び寄せられた人々。
 学校に行く途中で。猟兵としての仕事から住処へ帰る際に何度かすれ違ったことのある顔がいくつもあることを、意識から逸らす。投げられる言葉も、掴まれている腕も、肩からも、意識を逸らし続ける。

――うそよ、そんなはずない、そんなことない。やめて、戦わないで、もうやめよう、やめようよ、もう――

「私と……貴方たちは、繋がっている」
 血管のあちこちで、思考のどこかで渦巻く思いの声を、かけられる言葉に伸びてくる手に重ねながら、それでも宙魂は、今度こそ逃げない。
 引きそうになってしまう足を、しかし、引かない。
 戦うしかない、自分にはそれしかないと思っていた人形の胸に――小さな火があった。
 細い蝋燭に灯されたような小さな意思。
 後ろからの声に、たやすく揺らぎかけるほど小さく――しかし。
 後ろに声があるからこそ、灯った火。
「あ、貴方は……」
 何か――今まで聞いてきた情報で、言葉にしきれない奇妙な感覚はある。
 現にいま、身動きが取れず格好の的であるはずの人形を、どうしてか男は待っている。
 人形の、回答を。
 どうして待っているのか、人形はその理由がわからない。かれのコードは誤魔化しを許さない代わり、正しい回答は絶対的な解除をもたらす。かれにとって不利以外の何者でもない、はずなのに。
 まるでそれが目的であるかのように――人形を待っている。
「貴方が、どんな人、だったとしても」
 男のつま先を見据える。目を見ることはできない。
 
「私は」
 途切れ途切れを継いで吐き出すようだった人形の言葉は、これ以上なくしん、とした落ち着きをはらんでいた。
 いつの間にか指に篭っていた力は抜け、自然なかたちで刀を握っている。
 刀は、重くなんかない。

「私は守りたいから」
 
 責める声が響いている、咎める手があって、引き止める腕がある。
 ……もしも、人形がこのまま動けなかったとしても、誰も責めないだろう。手を出せなかったといえば、仕方のないことだ。
 しかし。
 
「誰を?」

「皆を」
 火は、すでに灯っている。

 今の回答はコードを解除することはできない。
 人形はまだ、男の投げた最初の質問に応えていない――答えられる、気もしなかった。
 ゆえに人々は返還されることはない。非難の言葉は未だ耳朶をうち、抗議の手指は体を捉える。
 しかし、それでも。

「そして」
 人形は思わず顔をあげる。

「貴方を」

 男は一瞬、あっけに取られたようだった。
 
 ほんのすこしだけ開かれた瞳の青、男が使うべきはずのコードは人形を侵しはしなかった。
 誰かの師だった人。誰かを弟子としてとって、大事に育てただろう人。
 人形にもそんな人がいたら何か違っていただろうか。
 儀式の生け贄になって、生き延びて、重さを得て、鬼となって――そんな中、自分に力のなんたるかを教えてくれる、しるべとなる人。
 あの、廃ビルで見た両親のように――かれもまたオブリビオンになったというのなら。
 それは元々あったかれのあり方を歪められてしまったものである可能性も、あった。

「――今の貴方を、私は……」
 分厚く貼られた氷が叩き破られたときのような振動が起こった。人々はいっとき手を止め、思わず動きを止める。
 少女の身から霊力がほとばしる。
 溢れた力に空気がつられる。か、か、か――空気が、震える。嗤いのように震えている。
 何もなかったはずの空に響き、うねるのは、呪詛だ。
 か、か、か、カ――禍が人形を中心とした渦を成す。
 変化は、少女の額にあった。
 人々が身動きが取れず、また今放たれた霊障によりよろめいた一瞬の間に人形はすばやく重鬼乙女より符を散らす。
 投げられた護符は正しく陣を成し結界を形成する。弾かれた人々はそれ以上中に入ることは能わず――ただ、この瞬にてここまでをなした少女を見ることしかできない。

 自らが貼った結界の中、もうどこにも逃げられぬ結界の中、あんなにもかぼそく引っ込み思案だったはずの人形・宙魂という少女は――まるで別人のように真っ直ぐに立っていた。
 いや、ほとんど別人と言ってもいいのかもしれない。 
 三つ角を額に――そして頬に、首に、手に、おそらく全身を彩るのは人喰鬼が羅刹紋。赤く濃く、狂う炎、或いは乱れた大輪の花弁、千切れて踊る肉にも似て、うすら白い肌を痛々しく、どこか淫らな艶すら漂わせて彩っている。
 かんばせに怯えや戸惑いは影もなく、然、落ち着き払い――

「私は貴方を赦さない」
――敵を、ひたと見つめている。

 鬼重・修羅道。
 自身の重力を支配する力を掲げ。
 かかるはずの重力負荷すらものともせぬ身となり。
 武器にすら其を纏わすことすら叶う。
 それは鬼を擬する技、修羅の成すことだろう。
 
 此れ在るは三本角が鬼。
 人形・宙魂の、真なる容(すがた)。

「だから」
 鬼は情無く、ひたと酷薄に――あでやかに、柔らかに、淑やかに、澄み渡り、澄み切って、冴え渡り、冴え切って、微笑む。

 ちき、ちり。
 右手握るは、魂虚。
 彼女を鬼と現した――邪教の呪物。血と共に先祖より受け継がれた呪い。
 普段は両腕で抱えるように持つ刀は今や自身の腕の先のように軽やかだ。
 続き――左手。サムライ・エンパイア、永海・銀翔作 不確重刃『魂揺』。
 己が血に向き合うために打たれた祝いの一刀。

 その胸に過去なるものへの復讐心はあるだろうか?
 あるだろう。
 その胸に戦いへの喜びは在るだろうか?
 在るだろう。
 
 しかし、それ以上に、この鬼は。

「存分に、戦いましょう」

 守る為に、其処に立っていた。

 言葉を、重ねさせてはいけない。
 男のコードを一度受けた身より見るに、男は任意の場所から場所へ、問いに答えられなければ、繋がりより侵食・感染、喚び出すようだった。
 ならば男の応えを聞くより早く、一方的につげ、ど、と地面を蹴る。
 前ではない。重力操作――空中浮遊。

 人形は、上へと舞い上がる。
「なんともまあ」
 男はその異業に驚きもしない。
 反応を期待しない言葉だった。人形もまた言葉を返すつもりもなかった。
 一瞬で天に昇り、そして、再び、自らへ重さを取り戻し男へと落下。
 瞬きより早く距離を詰める。男の手に今武器はない。好機は今だった。
 あらゆる重さをのせた一撃を――
「随分なお転婆だ」
 刹那、宙魂の視界が塞がれる。
 顔めがけて帽子を投げられたのだ、とは、魂揺で其れを真っ二つに切った後だった。
 かっ。見えたのは男の右のつま先が軽やかに海を蹴る仕草。
 不変のはずの海が、波を立て、男の脛の前に男の拳ほどの水を浮かべる。
 男はそのままダンスでも踊るかのように左膝と左手を海に突き――右手で浮かんだ水を掴み
 ――其処から小型のサーベルを引き抜く。
 人形が放った致死のはずの一撃はそれで受け止められる。
 音はしない。火花も散らない。全ては魂揺に纏わせた重力塊が飲み込んでしまうからだ。
「おやおや」
 刀と剣を経た向こう側で、男が余裕たっぷりに微笑む。
「お転婆に加え、なかなかの健啖家か」
 重力塊は勿論、男が今し方抜いたサーベルの刃もまた飲み込んでいる。柄からちょうど半分、魂揺を受け止めた位置で刃は呑まれ、支えを失った刃が、動かぬ海へ、落ち、
 男はそれを再び左のつま先で蹴り上げる。
 人形は丁度重力と合わせ自重ごと叩き降りた形だ。跳ねた刃は細い首元へ鋭く、煌めきらめきながら昇り――人形はそれを右の魂虚を海へ突き刺すように振り下ろして弾く。
「さすがの反応速度だ」愉快と男が笑いながら、欠けた刃ままの刃で切りかかってくるのを、人形は魂揺でふたたび受ける。半分の刃が今度は四分の位置で欠け、折れる。
 男の切り掛かりは的確だった。刃は四分の一へ欠けた――しかし、「だが、いささか刀頼りになってはいないかね」問いというよりは指摘だった。男の握る小型のサーベル、残った刃は魂揺の鍔より柄の内、縁を捉え、刃の進行を留めていた。
「いい」
 唇の先で囁く。
 一番初めと同じ答えを、今、再び。
「今は、貴方と繋がっている――それで良い」
 自信がないのではない。最低限の会話のための、最低限のことばだった。
 引っ込み思案と目される彼女は、元来、無口なのだ。
「繋がっているのなら、私も辿ることができる」
 意思が、魂揺の刃に重さをかさねる。
「つながって、いるのなら」
 怪力。
 突き刺すようにさした魂虚と、男と今切り結ぶ魂揺を支点に、怪力――逆立ちのように天へ蹴りあげ、そのまま、再び重力操作――天へ、落下する!
「そのまま離れることもできる」
 魂揺からは、指を離して。
 上へ落ちながら念動力で操作する。刃に纏った重力塊をそのまま、放出する。
 纏わせればブラックホールのようになれど、放てば塊だ。
 だが、それでいい。落ちた重力は、そのまま男を拘束する。海を鳴らし、武器を取り出すことを、動きとともに封じる。
「そうだな」
 静かな言葉で、男は応えた。
「繋がっているからこそ、できることがあった」
 逆さまのまま、人形は魂虚を構える。
 再び男と目が合う。それでも身を操られるような様子はない。
 人形は、魂虚を構える。

 人喰い鬼が囁いている。

――さあ、愛し子我が血我が肉我が身、食らってしまおう。食べてしまおう。ごっそりと、奪って喰らって糧としてしまおう――

 健啖家だなんて、そんなものじゃない。
 ただただ、お腹が空くのだもの。
 人形は、男にそう胸の中だけで反論する。

 業のあかしを、呪いを振りかぶる。

 ああ、それでも鬼は。
 此度だけは。
 ただ食うためでなく。
 ただ復讐を果たすためでなく。
 ただ血に業に、悦ぶためでなく。
 ただ善くあろうとあがくためだけでなく。

 胸に宿した火の通りに。

 みずからの、ほんとうに決めたことのために。
 その刃を、振り抜いた。
 天を地に、海(過去)を天に。
 今までを超えるかのように、大刀、一閃が裂く。

成功 🔵​🔵​🔴​

スキアファール・イリャルギ
他の猟兵さんたちを、イージーさんをも利用したあなただって、ズルいだろう
……そう言い返すのが精一杯だ
ボロボロだ
怪奇のせいかあの赤子のせいか
もうわからないな

……ひかりのきみが作った"色"の防壁が温かい
"色"の弾丸やナイフは彼を捉えているだろうか
きみは躰にピタリとくっついて離れない
彼に怒ってる
彼を怖がってる

……ねぇ、コローロ
潮の匂いは懐かしい?

きみを引き留めてしまった
きみを海から引きずり出してしまった私は……
赦されない罪人かな
ズルい、かな

きっと一発が限界だ
彼の不意を打つように
"色"の弾丸に紛れて
霊障を、放つ

お願い
きみはここ(陸)にいて
まだ海に還らないで
この繋がりを失いたくない……

――あいしてる。



●つみとがのしるし、いずこにあらわれる

 また一つ、黒色の壁に火花が散る。
 弾けた色はいっとき七色を閃かせ、白く変色して落ち消える。
「が、げぇ…っ」
 スキアファール・イリャルギ(抹月批風・f23882)は両膝をつき、胃液と血液が混ざったものを吐き出す。
 一体何箇所撃たれたろう?腕、足、腿、肩……特にひどいのは二つだ。
 まず腹部、丁度臍の左側。そして胸だ。
 何度も解剖された経験から、腹部は小腸、胸は肺の端をうがっているのだろうと感覚する。貫通した感覚はなかった。
 ――故に弾丸を警戒して影の指の一つで抉ってみたが――結果はこの通り。何もなかった。
 いや、何もなくはなかった。
「さすがの強靭さ、と称えるべきかね」
 男の声が再びかかる。「だが、残念ながら警戒が少々遅かったようだ」肺が、臓が、ふつふつと……普通なら、煮えるように熱いと例えるのだろうが、スキアファールはこの感覚を知っている。
 内臓や肺に穴の開いていく感覚。
 煮える、確かに近いだろう。
 煮えるのではなく、溶けている。
「あなた、暗殺者か何かですか……」
 男に打ち込まれたのは、毒物だ。
 握っていた銃の種類まではわからない。スキアファールも見たことないある軍用拳銃と似ているが、いくばくか銃身が短く形もちがった。改造なのかもしれない。
「ただの調査員さ」
 スキアファールは脂汗の浮かぶ顔で男の声がした方を見やるが、姿を捉えることはできない。
「それはそれは……」
 スキアファールの周りには今、防壁が張られていた。
 その向こうにはスキアファールの反撃を受け、男が海を利用して即席で作り上げた遮蔽物が点在している。
 間に合わせだろう足元(海)と同じ色(黒)をしたタイル地の壁は、崩れた診療所や家屋を思わせた。「随分な……調査員さんですね」おそらくは男の記憶から作っているものなのだろう。戦場の臭い。
「相手が邪神ではね」男が何のこともないとばかり言う。声がしたのはスキアファールの右。ある障壁は2つ、どちらだ。息を詰め、意識を集中する。「解決はいつも猟兵(君たち)の仕事だった」
「それが今や邪神側で、猟兵に銃を向けている、と」どちらかを判断するためにさらに語りかける。綱渡りだ。質問のコードをぶつけられれば状況はより不利になる。
「きみのお供のオブリビオンが猟兵(きみ)側に立っているようにね」 
 男はスキアファールの想像通り丁寧に応え……それから、くつ、と嗤った。

「――“それ”は、どうやって手懐けたのかね?」

 スキアファールの体温が一気に上がる。

「コローロは“それ”なんかじゃないッ!!」
 血反吐と共に叫ぶ。
 男が指摘した“それ”、否、彼女――かれの肩に止まる小さなひかりが同時にあかを帯びて輝き「手懐けたなんて馬鹿にするな」宙に紅い光でできたナイフを浮かべ
「コローロはッ!コローロはなァッ
!」
 スキアファールに呼応してそれらを見境なく、放つ。
 反動でスキアファールの視界もまた真っ赤に染まり、再び派手な咳と共にうつ伏せて血を吐いた。
 物体でない威力の光刃は的確に空を裂き、静寂。
「コローロは、なんだね?」
 そして男ののうのうとした返事が返ってくる。
 正面。
 黒いスキアファールの防壁と防壁の間、そして遮蔽物の向こう。
 あの男が立っている。
 銃を構えて。
「自分でないものの考えをその者の前で言えるほど君は理解しているわけだ」
 ――。
 撃たれるはずのスキアファールに、攻撃は届かない。
 その代わり再びかれの前に躍り出た黒の防壁がそいつを弾き、光を散らして防ぐ。
 いつかの無色ではなく七色を練り込んだ黒は攻撃を受け言っとき七色の弾痕でひび割れ、続いて弾けた弾丸でさらに細かい水滴模様を刻むが、再び黒を取り戻す。
「コローロ!」呼び掛ければ光はしろの弾丸を作りだして打ち込むが……数瞬、遅い。
 弾丸の先に男はおらず、泡のように弾けて消える。
「元・オウガのお友達とは、いささかこちらに分が悪くはないかね?」 
 男のとぼけた言葉がかかってくる。
 そうとも、防壁を張っているのも、攻撃しているのもスキアファールではない。
 かれの大事な『ひかり』――かつてはオブリビオンとしてアリス・ラビリンスの災厄の一つだった、コローロ・ポルティだったもの。その断片。
 色を失った彼女が残した、極彩色を秘めた小さなひかり。
「やっぱり意外とズルをする性質なのかな?」
 からかう声音、言葉は都市で聞いた言葉がまぼろしでなかった証だ、
 今、こうしてここで命を紙一重で繋いでいるのはすべて彼女のおかげだ。
 ……スキアファールのできることといえば。
「他の猟兵さんたちを、イージーさんを利用したあなただって、ズルいだろう」
 胸を押さえ腹を押さえ、喘ぎながら都市の会話の分もまとめて言い返す。
 こうして、言い返すことぐらいが精一杯だ。
 男の銃弾は確実にスキアファールを蝕んでいた。懐かしい猛痛は思考すらちかちかと揺らす。
 あるいは怪奇のせいかもしれないし、赤子のせいでもあるのだろう。
 どこが原因なのかはもうわからない。
 満身創痍のまま何とか踏ん張ろうと意識を保つものの、ふらつく意識では結局支えきれず、結局たった今自身を守ってくれた防壁に額をつく形になり、そのままゆっくり背中を丸めていく。「くそ、ボロボロだ……」愚痴と血を混ぜて吐く。柔らかい夜の防壁は心なし、暖かく思えた。
 それでも最後の意地で、崩れはしないと自らを止めた。
 どうすればいい、どうしたらいい。
 スキアファールは考える。動くことはできない自身。自由に動き撹乱のできる向こう。
 撃たれてからでは反応が遅すぎる。できれば先手を打ちたいが動けない、強力なコードを使うか?相打ち覚悟で?それはできない、ここでだけでは――……。 

「帰ってはどうだね」
 男が問いにスキアファールの思考が引き戻される。応えなければ、と思ったところでこれがコードではなかったことに気づく。
 見てはならない、聞いてはならない、言ってはならない。
 男が使用してくるコードのうち二つが言葉に関わるものと言うのはつまり、このような撹乱の意図もあったのか。
「見ず、聞かず、語らずに在れば、愛しい愛しい彼女ともうしばらく一緒に居れるだろう」
 それは。
 それは猟兵として許されざる在り方だ。
 しかし。
「きみにはこちらの意図が理解できると思うのだが」
 小さく鉄の音がする。いくつかの戦場で見たことがある、リロードの音だ。
 記憶と重ねる。ジャッ。あれは弾倉を引き抜いている音。
 時間稼ぎだ。わかっている。 
 しかし、男の言葉は鬱々とした闇夜の星と同じ明るさでスキアファールの胸にちらついた。
 
「繋がりを求めて――陸を恋うて訪れる波、それがオブリビオンだ」 

――つみとがのしるし、天にあらはれ。
 都市を彷徨った際に思い出したあの一説が再び浮かぶ。
――ふりつむゆきの、うへにあらはれ。

「恋うものに手を伸ばし、繋ぎ、引き留めようとしている」

――木々の梢に、かがやき、いでて。

 彼女は、あの男に怒っているのだろう。
 こうして陸に押し寄せようと現れているために。

「君と」

――まふゆをこえて、ひかるがに。

 彼女は、あの男を恐れているのだろう。
 ささやきは、こんなにも魅力的だ。

「彼女と」
 
 ひかりは、コローロはこの海が視界に入ったその時からスキアファールの躰にぴったりとくっついて離れない。あわいまたたきは、震えにも似ている。

――おかせるつみのしるし、よもにあらわれぬ。
 
「さて――どう違うね?」

 かちん。
 装填が終わる。
 男の言葉はそれ以上続かない。
 誰かが喋らなければおそらくそれ以上何も起こらず変わらない沈黙が、ただ、スキアファールを刺す。
「……ねぇ、コローロ」
 スキアファールが自身の胸を押さえていた右手はどっぷりと赤いのに、そんな指を伸ばしても彼女はそこに留まってくれる。
「潮の匂いは、懐かしい?」
 スキアファールにはわからない匂いだ。「さざなみは、どんな音がするのかな」
 足元、不可侵の水面、その下。
 そこはどんな匂いがするのだろう。そこはどんな音がするのだろう。
 オウガとして倒された彼女が帰るはずだった場所。
「わたしは」
 そこに漂っていた時はどんな心地がしたのだろう。
 それとも、なにもなかったのだろうか。
「きみを引き留めてしまった」
 オウガとしての『コローロ・ポルティ』が色を、感触を、こころを求める暴走から解き放たれた際に、本来なら残るはずではなかった小さな光に問いかける。
 過去の海へ還ること。
 それは。
「きみを、海から引きずり出してしまった私は……」
 それは、無上の安寧では、なかっただろうか。
 かけらでも自分の元にあることは。
 するり指先に感じる彼女を、スキアファールはそのまま自身の正面に運ぶ。
 黒い壁に額をつけたまま背中を丸めて、まるで入ることが禁じられた教会に額をつけて祈る信徒のように。
 ……言わざる(speak no evil)と、黙っていることは容易い。虚言だ(speak No evil)と振り払うことも容易い。
 スキアファールはひきつってしまう唇の端を無理矢理引っ張って、引き留めて、開く。
 だが、嬉しいことばかり味わって、劣等感から願望だけ抱いてかけられなかった声が生む後悔を――…

「赦されない、罪人、なのかな」
 問う。自らの後悔を。疑念を。つみのありかを。
 自らのねがいは安らかに下されるまぶたを切り開いて、眼球を取り出すような残酷では、なかっただろうかと。

「ズルい、かな」
…―左右はもう、知っている。

 ちいさいひかりがまたたく。
 ふわりと浮かんで「コローロ」思わず呼びかける。

 嗚呼。
 彼女は、そのまま海にこぼれて溶けることもできただろうに。
 スキアファールの肩へと降りる。

「――」
 ご、と言いかけた言葉を飲み込む。
 なんというかは、教わった。

「ありがとう」
 手の甲で目元を拭う。「甘えて、助けてもらってばっかりだな」ひとりごちると、彼女はわざとらしくスキアファールの前を横切った。「うん」うっすらと微笑む。「だから、もう少し助けて、くれないかな」
 かつん。
 わざとらしい靴音がする。
 正面だったはずの位置は今、おそらく左だ。
 スキアファールは顔をあげる。
「きっと一発が限界だ」
 ほとんど吐息で、囁く。「尽くそう」スキアファールの上、彼女が強い輝きを放ちながら、色の弾丸を用意する。12時に赤をはじまりとし、円の七色を幾重にも、びっしりと、光輪もかくや、かがやける銃弾たち。
 傷口から手を離し、肺に、臓に、血が満ちていくのもためらわずに真っ直ぐにたつ。

「――私は、堕ちたままで良い」

 告げる。

「血の池で悶え苦しめばいい――甘えて、わがままで、ズルかもしれない」

 まぶたを閉じて、聴覚を全方位に向けて張り詰めるのと同時に、自らの影をひたと意識する。
 この身を――うつれ、うつれ、うつせ、うつせ。

「だけど」
 まぶたを開く。

「繋がりを、辿るんじゃない」

 全弾、

「彼女は、そばに居てくれてる」

 発射。

 虹色の光線が尾を引きながら、スキアファールを中心に放たれる。
 これでもかというひかりは強く、視界は動かぬ海となにものでもない空しかないとは思えないあらゆる色の彩りに輝く。
 視界は全く使いものにならない。それでいい。
 銃弾があらゆる障害物を打ち崩していく。

「おねがい」
 左右はつぶやく。
 彼女に向かって。
「そばにいて」
 いつかの言えなかった言葉を。
 ズルいかと問うて、肯定された後に言うなんて、本当にズルだろう、自分でも思うけれど。

「きみはここ(陸)にいて」
 願う。
「まだ、海に還らないで」
 恋いて、乞う。

 嗚呼。

 ここならば、届くだろうか。

「この繋がりを、失いたくない……」
 このひとつのひかりを、残してこの下に眠る、あなたに。
 
 親愛なる、あなた。

「あいしている」

 ……光が強ければ強いほど、影もまた濃くなる。
 放った光弾は濃い影を落とす。
「なるほど」
 あるひとつの障害物の陰で、光弾をやり過ごしていた男は「影を侵すだけではなかったか」そこでようやくスキアファールの企みに気づいた。「油断したな」
 スキアファールは、たった一度にかけた。
 ありったけの光が産む影の中に、ありったけ、自らを写した影人間を潜ませた。
「流石に、影全てにデコイと本体を仕込まれたことはなかったな」
 面白そうに、男はクスクスと笑っている。
 男の影から別の影人間が男の足を、腕を掴み、もはやかれは身動きも取れない。
「私と、コローロと、あなたは違う」
 嗚呼、影人間はつげる。
 奇妙なことに。
 男はそこで、さっぱりと微笑んだ。「ああ」

「そうだな」
 
 かくして、かれを移した影人間(シャドウ・ピープル)は、与えられた攻撃を、呪詛として、男へ移し返す。

――みよや、ねむれる くらき土壌のいきものは

 咳とともに唇から血をこぼした男に、左右はふと、自分を重ねて、不意に思う。
 求めた繋がりを、かれは手放したことは、あるのだろうか。
 ……かれは。
 過去であるという、かれは。
 その、過去の、ここまでくる中で。
 誰かに。
 それを、言えたのだろうか?
 
――懺悔の家をぞ、建てそめし

成功 🔵​🔵​🔴​

ロニ・グィー
アドリブ・連携・絡み歓迎!

恋しくて
愛しくて
あとちょっと憎たらしくて?
んもー
そーいうとこだよ!

繋がってはいても、続き物じゃない
読み切りであっても、連載でも、シリーズでもない
ボクがキミたちが好きじゃない理由だよ
何度会ってもあの子らは同じことしか言わないし、ボクのことも覚えちゃいない
何度キミに会ったとしても同じだろうね
それじゃつまらないよね

だからせめて
今のこのキミたちが楽しめるように、救われるように、全力で遊んであげてる!
感謝してよね?

●UC対策
前述のノリで解答する!
ダメなら?球体くんたち!てきとうに押さえといて!潰さないようにね!
後は簡単!
【第六感】に任せて彼の攻撃をかいくぐり…UCでドーンッ!!



●ひとさじの慈愛

「んも〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
 長く長く大きな息を込めた唸りがロニ・グィー(神のバーバリアン・f19016)の口から出た。
 呆れ果てた調子もあからさまに半目に唇を突き出して男を見る。
「実は結構どうしようもない人?」
 男はロニの物言いに少しも気分を害した様子などなく「質問かね?」ややもすると面白がってすらいる調子で応える。「それとも審判かな」
「んも〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっ!!!!!!」
 頬を大きく膨らませて貯めた空気ごと声に変えてロニは再度文句を露にする。「わかってるくせに〜〜〜〜〜〜〜〜!!」両手をパーカーのポケットに突っ込んで突っ張り、縦にぴんと伸ばす。「ほんとに大人?」ロニの難癖に男は少しも崩さぬ笑みのまま「神に比べれば誰しも子供だろうな」いつの間にか右手に持っていた黒い手袋を一枚とる。「もぉおお〜〜〜!!!」
「『つまんない話はやだよ』って言ったのに〜〜〜!!」
 ロニはそのまま寝転がって駄々を捏ねかねない調子で叫ぶ。「ちゃんと面白い話してよ〜〜〜!!」
「世界のどこにもなかったことを言われても」
 男は悪戯っぽく目をすがめ、左手、右手と順に手袋をはめる。
「どーしようもないなあ、ほんと」
「どうしようもないからからこそ」
 男のつま先が、床を叩き。
「ここに在るのだよ」
 男の右手が、ロニの胸元へと突き出される。
 形は握り込んだ拳でなく、手刀。
「んもー」
 ロニは何度目かもわからない抗議を唸る。
 後ろに一歩、軽くサイドステップを踏んで差し込まれるはずだったそれをかわす。
 ――男と、目が合う。
 小さなウインク、男が片目を閉じる――ロニは自身への干渉を一度疑い

「神は、過去を厭うのかね?」
 悪戯っぽい、問い。

――どうして?
 ロニの耳に、声が問う。男の声ではない。

 閉じた片目はブラフだったと。
 合わせて、男の指の背から添いその先に突き出す、ささやかな光に。
 ロニは、気づく。

――かみさま。

 知らない声では、きっとないのだろう。
 右足首をまず、誰かが掴む。

――神様、神様、神様、神様、ああ神様、神様、神様、神様、神様神様神様かみさまかみさまかみさまかみさまかみさまかみさまかみさまかみさま

 ひとつではない。二つ、三つ、四つ五つ六つ七つ八つ。
 数えきれない、声がする。
 左足首を、しなやかな指が掴む。小さな指がスニーカーの市革に指をかけてひどく筋張った手がロニのポケットに突っ込んだままだった左手、その手首を掴んでいる。

――偉大なるかた、天なる方、万なる方、我々がお名前を口にするのも烏滸がましいほどの。私たちの、わたしたちの。私たちのひかり、私たちのとばり、私たちの救い、私たちのさばき、私たちの祈りの先に在らせられるかた――

 覚えてはいない、声だろうか?

――どうして?――

「……ほんと、そーいうとこ」

 稚きものより残酷に、老たるよりも冷徹に。
 欠けたるかつての神(全能)は、心底つまらなそうに唇を窄める。

Please [ Speak No Evil ]
 問いは投げられた。

But Now, Not speak.
 正しき答えは無く――ゆえに。

 現れる。
 
――どうして私はこんな目に遭わなければならないの?どうしてあの人はあんな目に遭わなければ行けなかったの?神様はどうして世界を平等に作ってはくれなかったの?かみさまはどうして正しいものを正しく救ってくれないのかみさまはどうして良い人を守ってくれないのかみさまはどうして私を子供を母を娘を息子を父を祖父を姉を兄を弟を妹をあの人をぼくを私を彼を彼女を守ってはくれなかったの救ってはくれなかったの助けてはくれないのどうして何もしてくれないの何も何も何もかみさま、かみさま、かみさま、かみさま、かみさま、かみさま――…。

 ロニの背後、男の干渉に依って現在より、感染型UDCの影響により過去を、繋がりを辿り――かつてのロニを知るものや彼に関わったことのある者たち。

――かみさまは、私たちを見てはいないの?

 これが、たった刹那の出来事。

 ぢんッ!
 小さく高く鋭く、しかし重たい金属の音がなり、男の指より少し先で火花が散る。
 ロニの胸元、男の指先――否、手袋の背、ダーツから手刀の形に沿って指の背をなぞるように出された金属性の針を弾いて、淡やかに虹のひかりを滲ませる鉄球が回転している。

「全身おもちゃ箱みたい」
 ロニは珍しく不機嫌な顔であごで針の先を示す。「どーせそれ濡れてるのもなんかすごいのでしょ?」「勿論」悪びれもせずに男は答える。

――全てをご覧になってくれているのではないの?

 冷たい腕が後ろからロニの腰に回される。ひどく熱い大きな手がロニの肩を掴む。
 爪を剥がされて赤い血でびしょびしょに濡れた凍えるような指先がロニのパーカーの裾を掴んで、溢れた雫がうみをぴたりと小さく濡らして過去になっていく音がする。
 男がすばやく手を引き、上段、ロニの頭めがけて左足で蹴りを繰り出してくる。

「鉄球くんたち!」
 ロニもまたポケットに突っ込んでいたまだ無事だった右手を抜き、つかもうとしていた腕を振り払い、ポケットの中、或いは足元の影から無数の鉄球を放る。
 投げる先は、背後。

――かみさまは、なんのために

 ・・・
「みんなを適当に抑えといて!」

 ただの人間達を、そのまま戦闘へ巻き込まぬように。

――私たちを生かしているの?

 ロニの脚は多くの手に掴まれたままだが「よっと」逆にその支えを利用して前に倒れるように腰を勢いよく落とす。
 男の蹴りがロニの頭のあったところを通過する。
 同時にいくつかの鉄球が派手な音を立てて、ロニを抑えていたものたちを吹き飛ばす。「こら!潰さないようにね!」
 飛ばされた数名と、それをいま目撃したものたちから、どうして、と問うてくる。

――かみさまは、どうしてあんなことをしたの?

 ロニはこの言葉には答えず、「おっと」開放されたての左腕と右手を地面について、自由になった両足で地面を蹴って、前転、その途中で止まる。

――かみさまは、わたしたちを、愛してはくれないの?

「いいかい?」

 いっとき、逆さまに、男を天に向かって見下ろす。

「過去を、厭うんじゃない」

 金の瞳、可愛らしい顔立ちにしかし今は一切のあどけなさなく。
「繋がっていても、続き物じゃない」
 一切の怒り無く。
「読み切りであっても――連載でも、シリーズでもない」
 悲しみ無く。悼み無く。

   オブリビオン
「それがキミたちだ」
 
 ただ、男を写して――ほんのすこし、目を細める。
 
       オブリビオン
「それが、ボクがキミたちが好きじゃない理由だよ」

 過去から、天へ――ロニは脚を伸ばす、目には目を、歯には歯を。
 頭をめがけた攻撃には、頭をめがけた攻撃を。
 下から上へ、蹴りを!
 倒立するように築き上げた蹴りを、男はロニがしたように一歩軽く下がって寸前で避ける。
 ロニはここでほんのすこしだけ、口の端をすこしだけあげるように、歪めた。
「付き合ってほしいんなら何度だって付き合ってあげるよ?」
 空を切った脚をそのまま利用して――踵落とし。
 今度は空を切らない。男がすんでのところで腕をあげ、肩に落ちるはずだった一撃を交差した前腕でうける。
「それはそれは――この上無く慈悲深い」
「そりゃボクは神様だもん!」受けられた勢い、その反動でロニは男の反対側へと足をおろし「おいせっと」再び両手で勢いづけてくるり降りたつ。「ドーンと崇めちゃっていいからね!」眼帯で片目隠れているせいで本人にしかわからないウィンクを返す。

「……何度会ってもあの子らは同じことしか言わない」
 神を願う、小さな楽園の僕。
 あるときは幸福を願い死へと誘う眠りを運ぶ、小さな裸足だった。「ボクのことも、覚えちゃいない」
 両手をはたいてありもしない埃を払う。
「何度キミに会っても同じだろうね」
 真っ直ぐに男を見つめる。
「キミがオブリビオンとして刻まれたのなら、もう、それはどーしようもない」
 男はただその回答を聞き届ける。
  Speak No Evil
 神のかたる偽らざるを。

「何度あったって、次に会うキミはボクと『初めまして』だ」
 一の運命も、万の機構と成り果てる。

 ロニは見かけ通りの子供らしさを残しながら、どうしようもない大人のように首をすくめる。「こんなにおしゃべりしてるのにね」

「それじゃつまらない」
 必要と偶然と筋書きに揃えられて語られる機構(システム)の歯車の――ただの一輪と成り果てる。

「ただそれだけだよ」

 ロニの後ろ、鉄球の下の人々が、回答を受けて返還されていく。
 彼らに記憶は残っているだろうか?
 おそらく、ないだろう。
 ここまで知り尽くしたロニには、その確信があった。
 だからこそ。

「キミたちのことが、どーしようもなく哀れで、つまんなくて、もったいないだけ」
 残るのは、男と、ロニだけだ。

「そうかね」
 ロニの答えを聞き終わった男は、ただ静かに、それだけ告げた。
「そうだよ」ロニもさっぱりと頷く。
「ほんとキミたちってばどーしようもないよね」
「全くだ」
「キミもほんとどーしようもないと思うよ」
「私限定かね?」男は首をすくめた。「手厳しいな」「そりゃそうだよ」

    ・・・・・・・・・・・・
「キミ、結局全部話してないでしょ?」

 男は微笑んで――イエスともノーとも答えない。

「んもー、自分は正しいことをしゃべれとか何とか注文つけといてほんとそれどうかと思うな〜〜〜〜!!」 
 ロニはぐるぐると肩を回す。「も〜〜しょーがないなー」
 それから手のひらを握り、開き、また握る。
「まさか一回避けられて踵落とし一回くらっただけで逃げたりしないよね?」
 ロニはニヤリ、と悪餓鬼そのものの笑みで男を見据える。「勿論」
「“悪役は倒されるのがおきまりで――その時は全員集合がお約束"だ」
 嗚呼、男は茶目っ気を滲ませて記憶にしかない言葉を誦じてみせる。
「そのとーり」ロニはそれを肯定する。

「だからせめて――今のこのキミたちが楽しめるように、救われるように、全力で遊んであげる!」
 欠けたる神は輝かしく満面の笑みを向ける。
 無垢で、無邪気で、傲慢で、容赦もなく、澄みわたった声で。
 幾多の鉄球(さばき)を宙に浮かべて。
「感謝してよね?」
 この上ない撃破宣告を放ち、今度はロニのスニーカーが過去を打つ。
 海の形した過去は、変わることがない表れだ。
 いくら鏡のようにそこにあっても、変わらない以上そこには海へ由来する過去の他に――何も映らない(See No Evil)。
 拳を振りかぶる一瞬、ロニはその水面を視界の端に改めて捉えていた。
 海にはロニはうつらない。現在だからだ。
 そして

「だからできればキミもちゃんと教えてよね」
 男もまた――はっきりとは、映っていないことを、改めて、確認する。
 
「恋しくて、愛しくて――あとちょっと憎らしくて?」
 男へ、囁く。
 わずかに差した動揺の色を、ロニは見逃さない。
 すこしばかりかけて、すこしばかり稚くなった神(ロニ)は、十全でなく、万能でなく、唯一で無くなった代わり、いろんなことに触れて、いろんなことに混ざるようになったかれは、
「んもー」
 何度目か、もう、本当に何度目かにならない嘆息を吐いた。

「ほんっと――そーいうとこだよ!」
 神撃は正しく、輝かしく撃ち込まれた。
 

成功 🔵​🔵​🔴​

夷洞・みさき
問いに答える。
血縁の無い深い関係は幼き頃から今までも繋がりは途切れていない。
問いに否定。
波打ち際で、岩礁で、呼びかけ、手を伸ばしているのは己自身。

今を害する咎人を、僕達はどこにいても罰を与えよう。
そうやって生きて、滅びたのだから。
僕達には過去も今も関係ない。
そう、咎人に対してならね。

さぁ、同胞達(マイ・ディア)、ここに咎人が現れた。

呼ばれた海に相乗りしてUCを使用。
目を見ると危険らしいので、目を見ない様に注意しつつ、
代償対策に【真の姿】となり視覚を増やす。
増えた視覚で船員の補佐。

実は伸ばす手は無くてね。
君の言葉を借りるなら
伸ばされた手は既に掴んで繋がっているのさ。
ずっと前からね。

アレアド絡歓迎



●打ち寄せる渚、波の間に間に。

「つながりが途切れたことなど、ひとときとて無いよ」

 夷洞・みさき(海に沈んだ六つと一人・f04147)は、その鰭でゆっくりと、こおれる水面を撫でる。冷たくはない。暖かくもない。記録と、記憶の集積の塊。
 問いに対して、答える。「だからこそ君たちはそこにいて、僕たちはここにいるんだ」
 目を凝らせば、その硝子室の水面の向こう側に幾多の影を見る。
 これまで討ってきた数多の姿。その影。
「だからね」
 誰も彼も――再び此方岸を望む貌。
「失ったと思って、呼びかけているのは君たちの側だけなのさ」
 波打ち際で、岩礁で――そこに居ると言うのに、盲目的に手を伸ばし続ける。
「呼びかけるだけならいいけどね」
 ゆうらり、ゆらり。みさきの周りを同胞は揺らぎ、泳ぐ。「手を出そうと言うのはいただけない」
 みさきは軽く肩ほどの高さへ右手を掲げる。

「今を害すると言うのなら其は咎人だ」
 掲げた右手が、うっすらと透け始める。

「成程」男は得心いったとばかりに目を細め
「私は、咎人か」
 眩いものを見るように、みさきを見やる。

 ・・
「ああ」
 肯く。

 ・・・・・・・・・・
「君がどちらであろうと、ね」
 それは男の業に対する宣告。
 許されざる選択の意味を突きつける言葉。
 右手に続き――みさきの左手も消え始める。

「今を害する咎人が居るのなら、僕らはどこにでも現れて罰を与えるだけだ」

 みさきの変化に併せて、海が、不動のはずの波が、震え始める。

「ご同輩、にあたるのかね?」男は自身の側であるはずの過去がみさきに同調しているこの光景を前であろうと、ひとかけらの動揺も見せない。「いいや、ちょっとばかり違う」「どう?」
 みさきの胸元、さげた六枚綴の木簡がカラカラと鳴る。

「僕達(ぼうれい)には――過去も今も、関係ないのさ」

 七咎潰しの大車輪が回る。

「特に、相手が咎人ならね」 
 波が、泡立つ。
「掲げる紋章に、見覚えがないなんて言わないでおくれね?」
 水面より男の前に突き出すように現れたのは、古びてロープの切れたバウスプリット。二枚のジブ・セイルは薄汚れて――続く船首像には、あるべき首がない。
 出てくるのはそれでは終わらない。舳先、甲板――…。
「随分とまあ」男は肩をすくめる。
 船だ。
 ガレオン船。
 フォアマストに黒々と刻まれるは、咎人殺しの紋章。

「随分贅沢で、うってつけの船が巡り来たものだ――『涸れた海』号」
 男は船の名を口にしながら素早く身を引き、フィンガー・スナップひとつで無数の触腕どもを呼び出してそれに乗る。
 
 そうとも、『涸れた海』号。
 過去の海に潮騒立てて現れることのできる船。

         ・・
 咎人を追葬する、骸海遊覧船。

 骸の海より抜錨して現れる、逆刻の亡霊船。

 ・・・           ・・・
 かつて海を駆け、そして朽ち、なおも在る――咎人を追うがための船。

「さぁ――同胞達(マイ・ディア)」
 その甲板で、みさきはささやく。
 輝ける六つの潮騒が、同胞達が、みさきの体から離れる。
 補って、繕ったみさきの体を自由にして。
 ある一魂は鯨。ある一魂は鮫に。ある一魂は紫と青ひらめく尾をもつ熱帯魚に。またある一魂は――…。
 今までの光だけでない、形を取り戻して。
  
「ここに咎人が現れた」

 ともに――海に沈んだ六つとひとり、真の姿をあらわにする。

 十二対の肋骨から下はなく、だらり髄を垂らして浮かぶみさきは、ああ、青白い肌もあって、どうにも亡霊ような貌でありながら。
 
「僕らの、成すべきことをするとしよう」
 するべきことに魂を尽くす、生者の眸をしている。

 七つでひとつ、ひとつでななつの、七人みさき。

 一本の触腕が振り上げられ、甲板に叩きつけられる。またある一本は船の背後から伸びてスパンカーに絡み付く。
 過去が、現れた現在(かこ)を沈めにかからんと腕を伸ばしていた。
「――第一大砲隊、まずは右舷の一体を落とすんだ」
 美しい銀の身に紅い背鰭を揺蕩わす竜宮之遣い(どうほう)と共有する視覚で同じく咎人殺したる乗組員たちに指示を出す。
「動かなくていい。推進力はくれてやろう」
 また一本、新たな触腕がメイン・マストを叩き折ろうとするのを、乗組員の一人が手にした拷問具――巨大な鉄杭を打ち込んで縫いとめる。
「此方が逃げられないと言うことは――相手だってここから動けないと言うことだから」
 だよね、と
 みさきは顔をあげて触腕の一本、男の目を、いくつもの目で直視する。
「ここまで来るつもりかね」
 男は軽く腕を組んでからかう笑みを浮かべている。
「行くさ。君がどこに居ようとも」
 それに。みさきは乗組員たちへかるく顎をやって指示を出す。
「そも、出はグリード・オーシャンだ」捕まえた触腕どもに鉤つきの縄をかけあるいは爪をかけ、攻略を始める。「懐かしいぐらいなんだ、こんな相手」
「ならば、お手並み拝見と洒落込もうか」男は触腕のひとつに軽く腰掛ける。

「――なぜだい」
 不意に、みさきはそれを問うた。「何がかね」
 奇妙な会話だった。かたや乗組員達を、かたや触腕どもを、互いに指揮しながら、全く平静そのもので、咎人と咎人殺しが喋っている。
「ここに、招いたことさ」
「有利以外の理由があるとでも」
「あるんじゃないのかい」
 男はいつの間にか組んだ手を解いて、右手をポケットに入れている。
「僕らが来たときにこいつらを全部出しておくとかも、できたのに――君はしなかった」
 指摘する。「あの、カードの式だってそうだ」
 都市への感染。思ったよりも、陰惨で醜悪な事件だった。
 しかし。

 ・・・・・・・・・  ・・・・・・ ・
「もっと陰惨なことが――できただろう、君」

            ・・        ・・・・・・・
 術式を深く知って考えた最悪(こと)よりも、酷くはなかった。

 初めは考えていないのかと思ったが、違う。
 こうして向かえば見える様もある。

「悪目立ちは避けたいところだったのだよ」
 なんてことのないふうに咎人は語る。
 いつの間にやらネクタイからピンを抜いて弄びながら。
 ネクタイピンから視線を外し、男はみさきと目を合わす。
「温情でもかけたいような質問だぞ、咎人殺し」
「ないね」
 みさきは言い切る。「それはない」重ねる。

「咎は咎で、罪は罪だ」

「そうだろうとも」
 男の手が、素早くネクタイピンを放る。

 それはきらめきながら甲板に落ちて――電磁網!
 浮いていたみさきは無事であり、幾人かの同胞が一気に倒れ――。

「であれば、お喋りはもう、いらないだろう」
 男が、みさきの目の前まで一気に降りてきた。

 にっこりと笑って左の掌立ててみさきへ見せる。人差し指と中指で挟んだ、ネクタイピンのもう半分を。スイッチ。「実は出身はUDCでね」茶目っ気たっぷりに男は語る。「懐かしいぐらいなんだ、一対多数というのは」

「……降りて来てよかったのかい?」
 みさきは肩をすくめ、からかうように言葉をかける。同胞達を導き、ぐるり、ぐるり、二人の周りに円を描かせる。これと乗組員たちで触腕は封じた。
 あとは
「拮抗状態はつまらん」
 こともなく男は笑う。それから茶目っ気を込めて付け足してくる。「そも、招いた主人(ホスト)が逃げて続けでは、失礼極まりなかろう」
「まあ、そうだね」

 どうやら、正面切って決着をつけねばならないようだった。
 ……。

「僕はご覧の通り伸ばす腕が無くてね」
 みさきは軽い調子で語りかける。「だからこそ知っていることがあるよ、君」
 互い、間合いを図りながら、
「どんなことを?」
 ゆっくりと殺気を澄ましながら。
「君の言葉を借りるなら」
 海霞の向こうのように掴みどころのない男に――みさきは素直に教えてやることにする。

「伸ばされた手は既に掴んで繋がっているんだ」

 陸を恋うたという、哀れな男に。

「ずっと前から、ね」
 
 咎は、咎として――あるから、こそ。

 海上の第一幕から、船上の第二幕へ。
 戦いが、切って落とされた。

成功 🔵​🔵​🔴​

風見・ケイ
ただでさえ、星ひとつを抱えているというのに
これ以上、何かを住まわせるわけにはいきませんね

視ざる、聴かざる、云わざる――それでも、何も問題はありません
この右手に在るのは、すべてを吸い込む宇宙《そら》の穴
この向こうがどうなっているのかは、私も知らないんです

対象は、目の前にいるであろう紳士、その武器、猟兵に感染したモノ――UDC《敵》だ
……『私』のままだと、まだ上手く使えないから
この男そのものを吸い込むことはできないだろうけど
高校生に手を出す相手に、中学生では会いたくないからさ
それでも、動きを阻害し、猟兵を治癒することはできるでしょう

眠れぬ夜の鼓動が響き渡る
……心臓を撃つよりマシかと思ったんだけどな


ヤナエ・シルヴァチカ
POW
忘れないで、
懇願と叱責
あの街と皆の声

首筋と頭は幾分スッキリしてる
また新顔になってた呪術担当の子のお陰
参るよ
誰一人忘れられないんだもの

死んだ体の全身が
君達が恋しい愛しいと叫んで私を生かす
そうして君達との溝に絶望して焦がれるのに
また大事なものを得て
皆の届かなかったものを謳歌する
不誠実だよね

でも
これは本当
私は、皆が好き
死に場所はそこに決めてるんだ
UDCになんてしないでくれよ

一般人は【体勢を崩す】無力化し手は出さない
多少の傷は受けて進む
生きながら死に
死にながら生きる
これだけだ、これからも
【錯視】
手練に何処まで通じるか
だが恐れず踏み込もう

死なないよ
君達が私を生かしてくれるもの

ねえ、マイディア



●おとなの道理・こどもの倫理

 答えられない、ではなく。
 答えたくない、答えを口にしたくない、質問というものも時に、ある。
 
 子供だったら、答えが自身のうちにあるとき、答えてしまうのかもしれない。
 そこにいくと大人は卑怯だ。
 
 答えない、という選択を――いともあっさり、とることができる。

 忘れないで。忘れないで。忘れないで。忘れないで。どうして。忘れないで。おいていかないで。なぜ。忘れないで。どうして。忘れないで。答えて。忘れないで。おいていかないで。忘れないで。どうして。忘れないで。なんで。どうして。

 呼んでいる。
 みんなが呼んで、呼んで、呼んで、呼んで、呼び続けている。

 ――はは。

 乾いた笑いが、ヤナエ・シルヴァチカ(forget-me-not・f28944)の唇から息と共に吐き出される。

 答えたくない、答えられない質問。
 ヤナエにとって男からの質問が、まさにそれだった。

「参ったね」
 愚痴をこぼす。

 見知った顔だ。見知った顔だ。覚えている顔だ。忘れられない顔だ。
 忘れられなくなって初めてはっきりとした顔だ。
 忘れられなくなって改めて刻み込んだ顔だ。
 忘れようもない顔だ。

「誰ひとり、忘れられない顔だ」
 知らない顔なんか、ひとつもない。

 みんながヤナエを呼んで、手を伸ばして、呼んで、すがりつこうと追って、呼んで、なじって、願って、叫んで――…

 懇願と叱責でぐちゃぐちゃになりながら、ヤナエを求めている。

「面倒だろう」
 男が笑っている。

 おいすがろうとする手を掻い潜り、駆け寄ってきた足には足払いを。
 時に胴へ拳を叩き込み、時に首を打ち――気を失わせる。

「特に、君のような手合いには」
 ヤナエはそうして一般人を次から次へと無力化していく。

「まあ」またひとり。「ハードだよ」腹へ膝蹴りを入れて沈黙させる。
「答えるのはどうだね?」
 男はポケットからシガレット・ケースを出して、煙草を一本とって咥える。
「解答さえ偽りがなければ、いつでも有効だぞ」
 シガレットケースをしまい、次にライターを取り出している。
 彼は先程から一歩も動いていない。
 ちえ、彼、余裕だな。ヤナエは唇を窄める。「弱点のご教授をどーも」
 ヤナエはまたひとり、首へ軽く絞め技をかけて意識を落とす。
「でも」
 嗚呼。
「それは、ノーだ」
 顔を見てしまう。
 UDC(コープ)でよくヤナエに対応してくれた呪術担当だった子。先週やばい呪物に触って死んだ子。右耳の、あの、アニメの槍を模したインダストリアル・ピアスが鈍く光っている。
 ――……。
「君の後釜の彼氏」囁く。教えてやる。「すごく仕事ちゃんとやる子だよ」その彼の対応のおかげで、ヤナエはこうしてここまで追いつけた。首筋と意識はすごくはっきりしている。「君が残したマニュアルのおかげだって言ってた」そんで君が隠してたポテトチップスをこないだ見つけて泣きながら食べてた。
 手を離し、身を翻して次にヤナエを掴もうとしていた男には下からアッパーの掌底で意識を飛ばす。邪神案件でヤナエの事務所を訪れて、その時付き合っていた彼女が関わってしまった案件の依頼相談をしてきた男。丸刈りで、自分を大事にしてくれるいい彼女なんスと笑っていた男。彼女、今でも二ヶ月に1度くらいは君の墓行ってるみたいだよ。

「ではそのホルスターから銃を抜いては?」
 男がくわえ煙草の煙と共に微笑んで、この距離では普通判断がつかないだろうことを指摘する。
「早いぞ、その方が」

 嗚呼。
 苦しい。
 こちらに手を伸ばす、誰も彼も、うしなわれた、誰も、彼もが。

「それは、もっとノーだ」

 苦しいほど、愛おしい。
 男は笑みを深める。

「廃ビルの彼らには、あそこまで躊躇がなかったのに?」
 男の問いが、重ねられる。
 ヤナエはいつものぼんやりとした表情で――こちらへくる皆を見つめる。
 みんなの顔が見える。
 忘れられない顔が、みんな見える。
 すがりつこうとするものを無理やり振り払えば多少なりとも傷を負う。
 相手のことばかり考えれば、余計にそうなる。
 それでも銃は抜かない。

「そうさ」
 素直に――答える。
 
 こいしいあなた。
 こいし、いとし――尽きぬ果てなきかなたの、あなたたち。
 死んだ体の、冷えた体の、固まってしまった細胞の全てが、叫んでいる。
 いまだにこんなにも、あなたたちを憶えている。
 死んでしまったら、あなたたちも死んでしまうから生きてしまう。
 死んで生きて死んで生きて死んで生きてどんどん重ねる時間は積み重なって帰れないその差に絶望するのに。
 それでも死んでもなお――生かされるもの。
 生きてしまうもの。
「ディア・マイ――」
 口ずさむ。 
 あなたたちが、わたしは、こんなにいとおしい。
 だからUDCになんかならないで。
 だから。
 
 ・・・ ・・・・・・ ・・・・・
 だから、こんな囮にも、耐えられる。

 へっ。唇を歪める。
 頼んだよ。


 子供は大人の鏡写しだが――あくまでも写しで、割とその根っこは危ういほど純粋な子供が多い。
 ここにくると大人は割とずるいものだ。すれて、かぶれて、適当で。
 抱え込む大事なものを選ぶことを覚えて、選べないものを捨てることを覚えられる。
 うそをついて、できることを避けて。
 でも結局、割と――いちまい、硝子を割ってみると、純粋な子どもを抱いているひとも多い。

 風見・ケイ(星屑の夢・f14457)は静かに長く――息をする。

 ――そういう意味では、まあ、私も彼女もどっちもどっちだな。

 男と対峙し囮となっているヤナエを確認しながら、ゆっくりと回り込みながら彼女をそう評価する。
 Speak No Evil――男のコードを受けて喚ばれた、ヤナエの大事なひとたち。
 随分な数だ。何割かの人種と雰囲気が類似しているあたり、どこかの村だか街のひとなのかもしれない。
 ここに向かう際、たまたま顔を合わせて囮になると言い出したのはヤナエだ。
 多分、かなり気を引けるよ。適当な調子でそんなことを言っていたが、まさかこういう理由だとは思いもしなかった。

 ――私は、ああは思えないな。

 ケイはそんなことを思う。
 廃ビルでも嗅いだ匂いを、あらためて。
 自分はあんな純粋な親愛は持ち合わせていない。
 忘れられないひとは数えるほどだし、ほんとうに大事なひとは片手の指でだって足りる。 
 ただでさえ、星ひとつを抱えているというのに――これ以上、何かを厄介なものを住まわせるわけにはいかないし、それを広げるのもまっぴらごめんだ。
 それだけ。
 ……それを別段欠点とは思わないし、あれを特段羨ましいとも思わない。
 ただ、ああ、やっぱりお互い似てるけど違うなところもあるなと、そう思うだけ。
 そう。
 にてるけど、だ。

 ……ケイにとってヤナエの申し出はわたりに船だった。
 確実に何らかのダメージを与えられる代わり、男のコードを考えるとケイ自身万が一それを喰らうことがあってはならない、究極的手段。
 どうにか男の不意をつく必要があったのだ。

 もちろん、ひとりでもやれなくはないが、不安要素が――もうひとつ。

 う、るるるるる――る、るるるる――。
 とおく、ちかく、ケイの裡。

 きこえる。
 うたっている。
 あるいは、ほえている?
 さあ、どれだろう。

 ケイの血液がつられるように不規則に脈打って、心音が乱れて、一瞬息が詰まる。
 脂汗がじわりとにじむ。
 思わず左手で右の手首をにぎって――それから、右手をゆっくりと握り、開く。
 
 どれかはわからない。
 わかるべきではない。
 それは彼女に住まうもののうた。
 決して人間には理解できないひかりにもにた音階、またたきのリズム。
 星屑と呼ばれる――邪神のそれだ。

 ケイがこれから使用しようとしている右手。
 そこにある宙へと至る虚無。望むだけを喰らい、あるいは吐き出し、祝福すら与える。
 その、主人。

 海由来じゃないから平気かと思ったんだけど。ひきつる苦笑を浮かべる。
 対抗してるとか?ありうる。あの男、何かの脚を呼び出してたし。
 適当な理由を考えてそんなところだと結論づけておく。考えたいのはそんなことじゃない。
 
 ・・・・
 場が悪い。
 これがケイの懸念だ。不安定さは、そのまま隙へと直結する。
 視ざる、聴かざる、云わざる――それでも、何も問題はない、十把一絡げに蹂躙するほどのそれ。
 邪神由来の強大な力を、仲間に向けるようなことがあっては絶対にならない。
 
 ……おそらく、真の姿になってしまえばもっと楽なのだろう。
 あのひのわたしに、かえったのなら。

 ――でもま、高校生に手を出した男に中学生の姿で会いたくないからさ。
 
 だからちょっとばかり、無理をすることにする、その意地は。
 そいつはちょうど、あそこで意地でも答えないヤナエと――形は違えど、にたようなものなのだった。 
 
 ケイの鼻が、煙の匂いを拾う。
 抵抗なく能力を使うには男との距離はまだやや広い。
 おそらくヤナエの方の乱闘で流れてしまっているのだろう。
 ああいいな、煙草。ちょっと嗅いだことのない知らない匂いだ。
 無性に吸いたくなる。吸おう。これが終わったら。

「それで――君の方は銃を抜かなくていいのかね?」
 男の声がかかった。
 ケイは咄嗟に右手を構える。
 煙を吐きながら男はくわえ煙草で振り返り「それが君の武器か」目を細める。
「特別ですよ」 
「光栄だ。――なかなか、物騒だな?」面白がる顔。
「負担もひどいのではないかね?」
 問い。
「だとして」
 警戒して反射的に答え、コードではなかったことに気づく。
「あなたに関係がありますか?」
 ……厄介な男だ。
「ないな」男は笑いながら右手をジャケットのポケットへ入れる。
「でしょう」ケイは肩をすくめる。
「君は喫煙者かね?」
「答える義理が?」「ないな」返すような即答。
 左手で唇から煙草を離し、細く長く煙を吐く。「だが」
「あちらの彼女同様、特に指摘がなければ不快そうな様子も無かったのでね。そうかもしれないと思っただけだよ」
 漂う煙の匂い。

 ・・・・・・・・
「その警戒の薄さに」

 ・・・・・・・・・・・
 右手にライターを握って。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・
 左手には火のついた煙草があるのに。

 ――。
 ケイは咄嗟にコードを発動させようとする。
 右手。そのいびつな顎門を開こうとして、

「っ――」

 ・・・・ ・・・・・・・
 予想通り、予想以上の激痛に息がたったコンマ1秒以下止まり、間が空いて。
 
 男には、それで十分だったらしい。
 左の指で煙草を投げ、右手でジッポーをの石をはじく。ジッポーに火は灯らない。

 代わり、ジッポーから上がった小さな火花で、
 ・・ ・・・
 煙が、はぜる。

 いま投げられた煙草の煙を導火線に、男から後方、ケイのところまで広がっていた煙草の煙が、一斉に弾けた。
 種類としては――催涙弾、のようなものなのだろう。いささか過激ではあるが。
 攻撃をひととき、封じるのには、それで十分だった。
 煙を軽く嗅いでいただけの鼻の奥にすら、微かだが届く。
「随分なものが、お好き、ですね…」
 むせながらケイは男を睨む。
「勘弁してくれたまえ」男は飄々と笑って首をすくめた。「カモフラージュ用なんだ。不味い」
 それから素早くナイフを抜き――

 後方で空気が弾けた。
 
 それは、うっすらながらヤナエ側にも届いた。
 男がまいていた仕掛けが、ヤナエをとどめていた一般人たちも、ヤナエにも届いた。
 
 けれどヤナエは、生ける死体(デッドマン)だから。
 生者ほどには、影響がなくて。
 苦痛は苦痛だけど、大したこともなくて。
 ゆえに、走る。
 恐れずに踏み込む。

 踏み込みながら、

 ・・・・・・・・・・・・・
 その場で生きることもやめる。
 
 自分を掴んで引き止めていた右手を振り払う。
 自分を止めようと投げられた言葉を振り切る。

 ごめんね。ヤナエは胸中で呟く。
 それでも私は生きて、君たちの得なかったものを謳歌する。
 愛していると言いながら、いますぐ死なない不誠実。
 いつかはてる時は――あの湖。君たちのところ。
 死に場所はそこに決めてる。

 男は問うた。

 忘れられたらと、思ったことはないかね?

 ない。そんなこと一度もない。自信を持って答えられる。
 でも、答えられない。
 答えてしまったら――そのことを考えざるをえなくなる。意識し続けることになる。
 それは、ヤナエが今、生きて得ている大事なものに、不誠実だ。 

 死体(デッドマン)がまるで生きているかのような錯視。
 生者がもう死に絶えている(ビー・デッドマン)かのような錯視。

 払えるだけの生命力を払って、ただ。
 ばけものになりきったかのように。

 跳ぶ。

 どっちだ、とケイは一瞬迷った。
 向かってくる攻撃を受け止めるか、それともこのまま門扉を開くか。
 向ける対象はこの男、その武器、そして猟兵に感染したUDC、だが。
 男が、軽く身を捻りケイに背を向けた。
 言葉もない、一瞬だ。
 肩越し、ヤナエが見えた。
 
 なにかを投げ打って、走るひと。

 嗚呼。

 ケイは苦笑する。
 眠れない夜に、強いアルコールを味わったときの灼けるような喉の熱をまざまざと思い出す。
 あらゆる痛みを飲み込んで、右手をあげる。
 不安定な状況で、使おうとするだけで――心臓を内側からぎゅうと抑え、握られているかのような、痛み。
 ……心臓を撃つよりはマシだと、思ったんだけどな。
 こいつはなかなかどっこいどっこいだ。
 結局、私たちは、どうしてもそうしてしまう。

 あるときは体の一部を。あるときは命の一部を。
 過去(きのう)に、投げ打つように。
 未来(あす)に、捧げるように。

 大人の道理で、子供の倫理。
 つまりは、ただ、わがままで。

成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​

セプリオギナ・ユーラス
行動)『見てはいけない』──だったか。
視界を閉ざすだけなら簡単だ
どれだけの猟兵を巻き込めるかは分からんが、体勢を整えるまでの時間(1分と半……否。数秒も惜しい、使えるだけ)
その時間を稼ぐだけのことはしよう
気付けが必要な莫迦がいるなら処置をしてやる(ただし物理)

心情)
俺の記憶には自身の血縁とやらがいない
故に殊更『血縁に寄らぬ関係』とやらにこだわる姿はやや滑稽に映るな

ひとは──その多くは、何を発端としようと他者と繋がりたがるものだ
それは、否定しない

だが、それだけだ。
現在を侵食するオブリビオン〈過去なる病巣〉は切除せねばならない
ああ、全くもって唾棄すべき事態だ
感染を止め、治療を行なうには──


檪・朱希
【紫蝶】
あの人が元凶……油断、出来ない。
目を瞑り、敵が動く音だけを集中して「情報収集」して、霊刀で斬りかかる。
でも、"蝶"が嫌な『音』だけ拾う。嫌な『音』が木霊する。皆が苦しむ『音』が。

ここが、骸の海だから……?

思わず目を開いて、青く、美しい目を見てしまう。
駄目……私の力で、カイムを、皆を傷つけさせたくないのに!
体が、言葉が言う事を聞かない。UCを詠唱してしまう。
黒紫が、このまま、皆を壊すなんて……
もう、やめ──!!

──忘れないで。と、見た事ない白い蝶が舞う。橙と青の蝶も。
私には「覚悟」がある。決めたんだ、この力と共存すると!
カイムのUCを受けて、自分のUCを敵に。
私の蝶で、あなたを導く……!


カイム・クローバー
【紫蝶】
洗脳された一般人と朱希に囲まれてる。一般人はどうやらオブリビオンじゃない上に朱希の力はどうやら暴走しかかっているらしい。
絶望的な状況だって?…冗談だろ?このぐらい、何時もの事さ。(肩竦め)

朱希に向き直るぜ。容赦なく襲い掛かってくるようだが…表情を見りゃ分かる。苦しんでるってのが。
覚悟を決めた。力の危険性を認識し、それに流されまいと必死だった矢先にコレだ。──分かるぜ。
だからこそ悔しいし怖いモンだ。──心配するな。俺が必ず解放してやる。
こんな状況なのに思わず笑っちまう。青の蝶、雪が『俺』という最高の買い物をした事に。
魔剣を顕現し、UCを【範囲攻撃】。一般人と朱希への洗脳を焼き尽くす。



●幸禍同根にて、彼岸。

 遠いはずのかなたが、轟々と響いていた。
 不可侵の断絶が広がっていようとも、そこに在ることは変わらない。
 現象の音でなく――存在の証、日に落ちる影。
 ゆえに、それは、どんなふうに耳を塞いでいたとしても、聞こえるものには、聞こえた。
 檪・朱希(旋律の歌い手・f23468)の、刀の柄を握る手が――ふるえる。
 耳をすましてはいけない。反射的に悟っていた。
 どの音がなんの響きを持っているのか、考えてはいけない。
 足元に広がるのは、現在今この瞬間に至るまでの過去の蓄積の全て、その一部。
 訪れた現在に存在を主張するような過去(もの)が一体なんで在るのかなど、考えなくてもわかることだった。
 ……過去のすべてがあるのなら。
 集中すれば聞こえるのだろうか、と朱希の脳裏によぎる。
 あの、白い蝶のこと。
 かこのすべてを、聞き分ける、ことが――。

「碌でもないことを考えるな」
 チョップが後頭部を襲った「いたっ」思わず悲鳴が口から出て、彼女は思わず振り返る。
「せ、先生……」
「なんだ」
 セプリオギナ・ユーラス(賽は投げられた・f25430)は彼にとって今この状況で優先度が最も高い患者、朱希を睨み下ろす。「違うのか」
 ……朱希はセプリオギナの患者である。加えてセプリオギナがドクター・ストップをかけたはずの事件に乗り込み、あまつさえそこで尋常でない体調不良を起こした大問題の患者だった。
 本来であればこの事件に最後まで関わることすら即却下し絶対安静を言い渡し病室に叩き込んでやりたいぐらいではあったのだが。
「おいおい、医者先生」
 青いコートを揺らし、カイム・クローバー(UDCの便利屋・f08018)が二人の間に割って入った。
「患者に八つ当たりかい?」
 カイムはさりげなく朱希を背後に庇いながら「白衣が泣くぜ」セプリオギナにウィンクをして見せる。
「誰が患者に八つ当たりだこの安本丹のチンドン屋」セプリオギナはすかさず一歩間に出てカイムを、朱希にしたのとは倍ほどの厳しさをたたえた眼光で睨みつける。
「アンポンタンのチンドン屋?」対するカイムはどこ吹く風だ。
 セプリオギナの罵倒をものともせずに「U・D・C・の・便・利・屋、カイム・クローバーだぜ、先生」茶目っ気たっぷりに胸元まで右手をあげて意見する生徒よろしく揺らしてみせる。
「依頼人の体調のことも考えられないような男は便利屋どころか反魂丹の紛い物の旅芸人扱いで十分だ」
「なるほどアンポンタンのチンドン屋ってのはそういう意味か」カイムは口笛を吹く。
「あんたと話すと勉強になるな、先生。まがいモン扱いには文句があるが、パフォーマーってのは悪くない」
 きりも意味もないやりとりにセプリオギナは痺れを切らし、舌打ちをしてカイムから視線を外した。肩越しに患者をじろと見やる。「朱希」「は、はいっ!」殺気立った声をかけられ朱希は思わず敬語で答えて背筋を伸ばす。
「よく考えて行動しろ」
 ……言葉は短く、いつにも増して鋭い。
「莫迦をやらかすなら叩きのめしてでも止める。わかったか」
 えも言われぬ剣幕に「う、うん」朱希はおずおずとではあるが頷かざるを得ない。
「医者が患者を叩きのめしちゃ本末転倒じゃないか?」
 カイムがすかさず茶々を入れる。「黙れ」かくありなん。

「ご、ごめん…ありがとう、カイム」
 セプリオギナが飛ばした探索用端末が帰ってくるだろう方向へ視線を向けたタイミングで、朱希はカイムへひそひそと声をかける。「なあに、これも護衛のうちってな」さしたることとない風にカイムは答える。「護衛対象の行動を阻害して守りましたなんてのはそれこそ三流の仕事だ」
 それに、とカイムは目を細める。
「ありゃ医者先生も悪い」「……そう、かな?」朱希は思わずそっとセプリオギナを伺う。
 
「まあ医者先生には医者先生なりの事情があるんだろうが――それにしたって殺気立ちすぎだ」

 セプリオギナのただでさえ鋭い眼光はうねる暗がりのようであり、滲み出る殺気を隠そうともしていない。
 致し方ないことではあるのだ。この場にいる誰もが知らないことではあるのだが。
 セプリオギナはいま、彼が最も憎むべき『病』――『感染』などという方法でUDCをばらまいた男のもとにたどり着くのだから。

「まあ、患者第一でキレ散らかしきってないあたりさすが医者先生ってとこではあるがな」
 カイムの褒めているのか貶しているのかわからない評価に、朱希は思わず苦笑する。
「……先生は、いい先生だよ」「ああ」カイムは素直に頷く。「俺もそこは概ね賛成だ」それから少しだけにやりと口端を悪戯に歪める。「すぐキレなきゃ、な」 
「誰がすぐキレなきゃ、だ?」
 セプリオギナが食ってかかる。端末はまだ戻らない。
「人を怒らせるようなことばかりして医者を手間取らせる迷惑な健常者はどこのどいつだ、カイム・クローバー」
「いやあ知らないね」カイムは両腕を頭の後ろで組み、意地悪な笑みのままセプリオギナからあえて目を逸らす。「先生を怒らせるやつなんて相当性根が曲がってるんだろうさ」「貴様覚えていろ、傷口を焼かれるような軟膏を処方してやる」「オーケー、怪我するなってことだな?熱〜〜いご心配をしっかり受け止めてせいぜい慎重に動くとするさ」
 ――ここまででもう、朱希は耐えきれなかった。「ふ」思わず「ふふっ」笑い声が漏れてしまう。「あ、ご、ごめん」抑えようと手を当てても肩が震えてしまうのをなんとか堪えようとするも「そ、その、笑うつもりは、なくて、ふふっ」息の隙間から笑いがこぼれる。
 不満もあらわな顔でセプリオギナは口をへの字に曲げ、対するカイムはセプリオギナへどうだと言わんばかりの顔で軽く両腕を広げて見せる。
「どうもアンポンタンのチンドン屋は患者のメンタル回復に一役買えたようだぜ、先生?」
「ほざいてろ」にべもない。朱希はとうとう声をあげて笑い出してしまう。
「緊張は解れたかい、お姫様」目にうっすら浮かんだ笑い涙を拭う朱希にカイムは明るく声をかける。
「どうせ奴は来るんだ。余計な力なんか抜いといた方が――」
 カイムの言葉が、途中で途切れる。「朱希、下がれ」代わり、剣のように研ぎ澄まされた。
「噂すりゃなんとやらだ」

 朱希の後ろ。

「探されているようだったから来てみたが」
 その男は、セプリオギナが放った端末を興味深げに手袋をはめた左手に弄びながら、ゆっくりと歩いてきていた。
「どうも、楽しい談話中だったようだ」
 男はゆるやかな笑みを浮かべたままかぶりを振って、端末を軽く宙へ放り――左手を指揮者の真似事のように緩やかに、しかし指揮者よりは小さく、動かす。
 一拍、端末は宙にとどまり、男の仕草に合わせて細切れにきれる。
「お邪魔だったかね?」
「いいや、ちょうど体がほぐれたところさ」
 カイムが背に負った大剣を抜く。
「むしろ貴様を探すという無駄な時間を食ったぐらいだ」
 セプリオギナがホルスターの手術刀へ手をかける。
「それは失礼」
 男は二人の殺気に少しも反応せず笑みのまま軽く腕を広げる。「お待たせした分、丁重にもてなすとしよう、賓客達(イェーガー)」
 朱希も慌てて刀を抜き、瞼を閉じる。みてはならない、みてはならないのだ――

「お嬢さん」
 みてはならないと、視界を遮断したせいで――音が、聞いてしまう。
 男の言葉を聞いてしまう。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「聞くべき過去がここにあるのではないかね?」 

 問い。

「――――…」
 
 答え、られない。
 
 朱希の瞼の向こう。
 柔和だった男の笑みが。
「Speak No Evil」
 深く、歪む。

 コード、発動。

 あらわれる。
 あらわれる。

「貴様ッ!!」セプリオギナが怒鳴る。
「何か?」男は涼しげな顔でセプリオギナへ視線をやる。「彼女が正しく答えればいいだけの話だ」
 朱希の繋がりを辿って。
 現実(かなた)より、過去(こなた)へ人々が現れる。
 なるほど。軽い男の呟き。「君は今は随分平和なところで、落ち着いて暮らしているんだな?」なんてことのない言葉が――この場では大災害に等しい意味を持つ。
 現れるのはなんてことのない人たち。ようやくまともに、普通の暮らしにゆっくりと慣れてきた朱希が――買い物に、診療所に、ちょっとした散歩に、少し勇気を出してみた遠出、そんな生活の中ですれ違う、どこにでもいるような人たちだ。
 そう。

 ・・・・・・ ・・・・・・・
 UDCではない、ただのひとたち。 

 それらはちょうど、三人を分断する形で現れる。
「では」
 男は向かい合う朱希に手のひらを見せるように立てた左手を軽く肩の位置まで掲げ、くるり、天へ向けるように――回す。
「よいダンスを」
 ひとびとが、動く。
 蘭々と正気とは思えぬ光を宿して――ある一部は朱希と男を囲んだまま、残りをセプリオギナとカイムへ、差し向ける。
 カイムは笑みを皮肉で飾る。「これがもてなしなんてタカが知れるな」「前座さ」
「廃ビルにカードに、前座だらけであくびが出るぜ」大剣を鞘へ収め、軽く短いジャンプを2、3度して拳を構える。「いいな朱希、すぐ行く!」
「これだから病は」低く重い声を吐き出しながらセプリオギナは新たな端末を召喚する。とはいえ朱希やカイムもいるのだ。薬剤の散布はできない。「いいだろう、軽度の患者からまとめて治療してやる」
 朱希のもとには、やってこない。
「う――あ」
 刀を構えながら、朱希は聴覚を澄ます。
「答えても構わないぞ?」男の言葉が聞こえる。
 そうだ、答えた方がいい。そしたらカイムも先生も助けられる。音が聞こえる。
 でも答えられない。答えた瞬間にきっと朱希は意識して、聞いてしまう。今もうっすら遠くに聞こえている。音がする。聞いちゃいけない。
 今は、いまは聞いちゃいけない音が。あしもとのした、みなものなかにたゆたい、そこでとどまっているかこのねを。きっと本来は聞くべきおと。
 ここに聞くべき過去があるのではないかね?ある、でも今は聞かない。音が聞こえる。
 聞くおとは今の音だけだ。男の位置を探るために。音が聞こえる。蝶が嫌な音ばかり拾ってくる。男は動いていない。立ってこちらをみている。近づいてこない。何か武器も構えていない。音が聞こえる。これは現在(いま)のおとだ。操られるひとびとが苦しんでいる。今すぐこれをどうにかしなきゃいけないと。
 音が聞こえる。
 前に出なきゃ、これはチャンスだ。
 現在(おと)がきこえる。過去(おと)がきこえる。
 苦痛(おと)が、こだましている。悲痛(おと)が重なりあっている。
 鋏みたいに。
 悲痛と苦痛の重なり、それが、一瞬。
 朱希の精神に、ある音を届ける。
 男の姿を探すために張り詰めた神経が。
 拾ったおとから、像をくみあげてしまう。
 そう――ちょうど、鋏の二枚の刃を止める、螺子のように。

 おと、おと――おと、が。

 あの鋏の音ではない。
 伸ばした鋼をボルトで止めて、ゆらり、ゆらると重ねる音ではない。
 
 もっと

 ほのおだ。
 嘆きがある。苦痛がある。
 べったりとよごれた、真っ白な手が、顔を覆っている。
 白い姿が、黒ずんでいく。あの廃ビルで見た、ひとたちみたいに。
 
 ふかい(とおい)、ふかい(とおい)、

 黒ずんで、ひら、ひら。
 
 過去(因縁)のおと。

 飛んで、とんで

 朱希はその蝶のはばたきを追おうとして――

 ・・・・・・・ ・・・・・
「聞きたいものは、聞けたかね?」
――男の言葉に瞼を開いてしまう。
「――あ」
 スーツが見えた。
 あの男が、目の前に立っていた。
 朱希の足は一歩も動いていなかった。びっしょりとかいた冷や汗を拭いもできず、顔をあげてしまう。
 見てしまう。・・・
「どうして?」訊いてしまう。
「ヘッドホンをして神経質そうな少女。護衛まで連れているとなれば容易い話だ」
 細めた青、男の視線には、わずかな憐れみがあった。
 朱希は――気づく。
 きこえない。
 いつもはとてもとてもたくさんのおとがきこえるのに。
 後ろでは戦闘が起きて。あんなにたくさんの感情が聞こえていたはずなのに。
 いまは、自分の鼓動も聞こえない。
 男の言葉は聞こえるのに、そこになんの音も読み取れない。
 こだまもない、しじま。
 そう。
「来るべきではなかったな」
 切り離されている。
 
「See No Evil」
 朱希になにも聞こえない理由を、男が囁いた。
 
 ボディーブローを叩き込んだ勢いを殺さず、まま背後へもう一発、バック・ボディーブロー!警棒で殴りかかろうとしていたらしい警官が卒倒する。
 カイムの口から細く鋭く息が吐かれる。
「こんな状況じゃなきゃ縛りプレイも悪かないんだがな」皮肉な笑いで額の汗を軽く拭う。
「こんな時まで抜かすな阿呆が」カイムの一発目のブローでうめいていた男をスタンガンで気絶させながらセプリオギナが相槌を打つ。「結構律儀だよな、先生」「医者が律儀でなくてどうする」はは!カイムは笑う「違い――ないっ!」回し蹴りで大柄な男を沈め「悪いな!」駆け寄ろうとした女の腹に膝蹴りを入れる。そして
「朱希!」
 カイムは何度目かになるかもわからない護衛対象の名を呼ぶ。
 ……何度前かと同様、返事は、なく。
 セプリオギナが噛み締めた歯を鳴らす。
「やはり一度荒療治で範囲制圧するべきか」傍らに戻って来た端末の一体の蓋を開く。「範囲制圧なんておおよそ医者のいうセリフじゃないな」「医者でもない貴様が医者の台詞を断じるな」
 
 リ、リ――…。
 涼やかな音が、不意に響いた。
 次から次へと襲いかかって来ていたひとびとが、円形に二人を取り囲む形をとったまま、いっとき、動きを止めている。
 それは、過去の結晶の上を霊刀がかすめるて鳴らす、過去の響きだ。
 重々しい空気に、黒い蝶が舞っている。はた、はた、はた。一匹、二匹、三匹――。
 カイムは笑みを崩さず、その合間から漏らす。
「前座、ね」
 朱希があらわれる。
 黒い蝶をドレスのように纏って。
 背中に美しい、黒い羽を備えて。
「待たせた客の持ち込みでもてなし料理を作るなんて、ここはいつからホームパーティー会場になったのやら」
「無駄口を叩くな、便利屋」セプリオギナが噛み潰した苦虫が舌のうえで居座ったような顔をする。「医者の言いつけを破るとどうなるか、よくよく覚えておけ」乱暴に開けた端末の蓋を閉じる。そのまなこはカイムではなく朱希だけを捉えている。

「だから絶対安静だと言っただろうが、じゃじゃ馬め」

 彼女の眸は、紫。

 あらゆる表情を剥ぎ取った顔。唇は無気力に開いて。
 だらしなくたらした右手に握った霊刀が、水面を撫でている。
 力のない首が、一歩、また一歩と歩くのを受けて揺れる。
「半暴走状態、か」セプリオギナが代わり、腰のポーチからアンプルと注射器を取り出す。「最悪だ」
 蝶がおどっている。はら、はら、はた、はた。
「最悪?」
 カイムは笑いながら首を傾げる。背から大剣を抜いて。
「これが最悪な状況?冗談だろ」茶目っ気たっぷりに肩をすくめる。「このぐらい――」

 朱希が、動いた。
 普段の彼女からは思いもつかない素早さで全身、刀を構え――

「何時もの事さ!」
 ぎん!
 カイムが朱希の一撃を受け止める。

 少女の細腕とは思えない圧。カイムはそれを易々と受け止めて直
「なるほど、刀も割とメインでいけるんじゃないか?」快活に「なあ」かけられた力に大剣の重量を乗せて、振り払い「朱希!」抜ける!
 
「これがいつも?」セプリオギナがこの隙にすかさず朱希の後ろへ回り込む。
「どうやら貴様が本当に三流である可能性を検討した方がいいようだ!」
 はっ!カイムは笑いとばす。「ぜひ最後までショーを見てから決めてもらいたいね!」朱希に向かって大剣を振り下ろし、後退させることでセプリオギナの方へ、彼女を追いやる。
 朱希の背後に周りざま、セプリオギナはひとつ、確認をしている。
 あの男の位置と状態だ。
 見てはならない――翻して、条件は視ることだ。
 肩越し、ひとの群れの向こう、かすか一瞥した男はややうなだれた首、両目を閉じていた。腹の前で軽く腕を組み、立ち姿は自然体だ。
 感染、侵食。事件の始まり、グリモア猟兵が語る時点で言葉や表情も軽微ではあるが支配できたを考えれば、この男は視界を代償にすればするほど対象を強く支配できると見ていい。
 となれば、今の朱希を止める確実な方法はひとつだ。
 接続を切る――薬物による昏睡ではおそらく足りないだろう。握ったアンプルと注射器をしまう。
「俺は言ったぞ」
 呟きながらカバーをしたままの医療鋸を手に取る。刃を守るために、分厚く重たい素材で補強されたカバー。
「馬鹿をするのなら、叩きのめしてでも止める」
 膝をついて倒れるほどの衝撃などという、馬鹿らしい処方。
 ……もうひとつ。
 もうひとつ、可能性がないわけではない。
 こんな馬鹿な処方よりも安全な手段が。
 しかしそれを数えるつもりはない。
 医者として、それを可能性に組み込むことは自分の技術では何もできないと両手を上げるようなものだ。

 カイムの押しやりによってがら空きになった朱希の背、首めがけてカバーで鈍器と化した医療鋸を振りかぶる。
 とった。
 しかしセプリオギナの確信より速く、朱希が動く。
 熟練の老兵か、ばねじかけのような反射。
 カイムの掬い上げるような一撃で振り上げてしまった刀、両手。
 体をセプリオギナのほうへ捻りながら、袈裟に振り下ろして迫るはずのセプリオギナの一撃を叩き落とす。
 苛立ちの舌打ちは、セプリオギナの口から出ない。
 一度が駄目なら二度だ。二度がだめなら三度だ。三度がだめなら四度。
 幾度でも。

 もうひとつの手段。
 それは医者が手を尽くして尽くして尽くして尽くした先に唱えるべき呪文だ。
 あらゆる手を尽くして尽くして尽くして投げ打って投げ切ってやり尽くしたとて、
 それがなければどうしようもない、なにもかもの大前提だ。

 ゆえに、処方として数える必要はなかった。
 
 患者の意思に賭ける。
 患者が自らを、自らで治したいと思い、抗い――抗い切る、などというのは。
 
 セプリオギナは息をただ、軽く吐く。
 だから彼は自身に打てる手を打つ。
 多すぎる治療対象に――特級の重症患者。
 この唾棄すべき状況に打つ手
 その全身が一度、ゆらり、ゆらめいて。
 コード。発動。

「1分だ、カイム」
 溢れるのは悪夢のような霧。
 其は漆黒の幕となって全ての視界を封鎖する。
 其は全ての害意を無効化する。あらゆるコードも暗闇の中に飲み込むだろう。
 たった一分だが、其は盤面を逆転しうる。
 但し。
 使い過ぎれば、彼の命はそこで尽きてしまうだろう。
 だが、それがなんだと言うのだろう?
 非常に癪ではあるが

「状況を――制圧する」

 “これぐらい、いつものことだ”――という、やつだ。


 おとがきこえないせかい、を、朱希は初めて体験していた。
 何もかもが遠い。自分の体のことなのに、自分の視界のはずなのに。
 自分のからだが、自分の意思で動かないのもあるのかもしれない。
 全部、ただのつくりものみたいだ。
 こんな状況でなかったら、安らぎを感じたりもするのかもしれない。
 カイムが叫んでいる言葉も、セプリオギナの、きっとしているだろう舌打ちもきこえない。
 何度もぶつかる武器の音もきこえない。はじかれるたびはねる霊刀のひかりが、花火みたいだ。
 何度も何度も彼らの名前をさけんで、呼びかけて、やめてと叫ぶ、いまここにいる自分の声もきこえない。
 操り手は朱希のからだを朱希よりもずっと良く動かしている。
 まさか自分が霊刀一本で、朱希を傷つけないように動きを制限しているとはいえ、あのふたりとわたりあえることがあるだなんて、思ってもみなかった。
『優秀だな、彼らは』
 あの男の声がした。思わず振り返るが、誰もいない。
『おや』男の声がまたする。
 ああ。思考の音だ。朱希は悟る。『なるほど』男もまた気づいたらしい。自分の聴覚は、たましいひとつでもちゃんと働くらしい。
 ごめん、ごめんなさい、と朱希は視界の向こうの彼らに謝る。
 先生とカイムなら。朱希は手を強く握る。
 ふふ、と、声が笑った。
『何もできない、どうにもならない、叫んでも届かない、その通り』
 朱希をからかう声。
 その声が
 ・・・
『それで?』
 ひえる。
 ・・・・・・・・ ・
『それで終わりかね、君』 
 にぎった拳が、ひらく。
『なら』
 たましいだけの朱希は息を飲む。 
 じぶんが唇を開いたのだ。
 ――やめて。

『もう少し面白い使い方をさせてもらおうか』
 
 やめて。
 唇が歌う。コードを引き摺り出される。詠唱を始める。
 舞う黒い蝶々が、ゆらり、紫の輝きを帯び始める。
 やめて。
 やめて、やめて、やめてやめてやめてやめて、嫌だ、嫌だ、いや、嫌だいやだ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ、それだけは嫌だ、それだけはやめて、やめてください、お願い、お願いします。それだけは。それだけはだめ、それだけはしないで、それだけはしないでください、だめなんです、それだけは、それ、それだけは。

 力が増幅していく。
 ただ、ただ、壊すためだけの力が渦巻いていく。

『駄々をこねるのなら赤子にもできるぞ』

 いやだ。
 黒紫が、このまま、このまま、みんなを、壊してしまうなんて。
 もう、やめ――…!

『随分な他人事だな』
 
 ――ひとごと。

『動かすのは、私かもしれないが』

 
『行うのは、君だ』

 わたし。

 朱希のたましいが冷えていく。
 私がするの。今から。私が。私が。みんなを。
 ――。
 

 いくたびかの剣戟。
 再び刃の向こうにみる朱希の顔は、本当に虚ろだ。
 セプリオギナのコードのおかげで周囲のひとびとは無効化できた。
 しかし彼女はそうはいかない――操り人形のように、支配されているのだ。
 ただの作業に悪意はなく。ただの人形に意思はなく。ただのひとがたに感情はなく。
 ……それでも、カイムには解った。
 彼女が、苦しんでいるのが。
「辛いよな」
 ささやく。
「――わかるぜ」
 同情ではなく、理解を込めて。内なる邪神を持つ、神殺しは苦笑する。「よーく、な」
 朱希の中途半端に開いていただけの唇が音をつむぎはじめる。
 単調な詞。本来の彼女の唱えるそれとは程遠い、引きずり出されている旋律。
 今までとは比べ物にならない破壊のためだけの力が、場へ迅速に満ちていく。
 いつかの共闘で見た横顔。
 危険性を理解し、流されまいと必死だった。
「ようやく向き合い始めた先に、コレだ」
 ひとの輪が狭まり始めているのを視界の端で確認する。
 このままなら、彼女の力はカイムとセプリオギナはもちろん、彼らだって巻き込むだろう。容赦なく。
「だからこそ怖いし」すぐ視線を目の前の彼女に戻し「悔しいよな?」変わらず、呼びかける。
「心配するな」
 あと少しだ。ひとびとと、彼女を引きつけ続ける。
 もう少し。
 笑えてくる。ああ。なんておあつらえ向きだ。
 青い蝶、『雪』は確かに、最高の買い物を証明したと見せてやろう。

「いいか、朱希――俺が必ず解放してやる」
 
 だから、とカイムは朱希へ言葉を続ける。
 続けながら、刃を受けた大剣に――黒銀の炎を纏わせる。
 見な。朱希にも見せるつもりでそれを輝かせる。
 どんなに強大だろうと。
 自分に使えないと、悲しいものだと。恐ろしいものだと。
 敵わないかもしれないと思うようなものだろうと。
 たったひとつがさえ、持っていれば、そいつはただの力に過ぎない。
 自分と同じそのたった一つを、彼女が持っていることを、カイムは知っている。
 だから
「だから、あんたはあんたの戦いをするんだ」

「覚悟、決めたんだろ?」
 ウィンクをひとつ。

「――show must go on!」

 神殺しの魔剣より――カイムと朱希を中心に、ひとびと全てを飲む、黒銀の炎が上がる。

「嫌だッ!!!」
 世界に吹き込んできた黒銀の炎が白を焼いていく。
 炎によって吹き込んできた熱い、乱暴な、でも、どこか優しい追い風に――朱希は呼吸を取り戻す。
 吼える。
 朱希は吼えて――拒否ではなく、抵抗ではなく。
 拒絶する。
 そうだ。これは私。私の一部だ。
 だって、そう。
 カイムのいう通り。

「私は――覚悟したんだッ!!!」

 はた、と精神世界の、真っ白な底に、しろが、はためく。
 忘れないで。橙と青が続いていく。

「決めたんだッ!」

 いつか、どこかで泣いていたあなた。
 深い、悲しみ。

「私は、この力と」
 晴れていく。白い世界が黒と銀で割れて、砕けて、音が戻ってくる。
「っ、このこ、たちと」
 悲しい音をたくさん聞くのだろう。辛い音も聞いて。どうしようもない苦しみを味わうひも、くるのだろう。
 でも、それでも。

「共存してくって!!」

 それでも、と。「出ていって」
 
「音を、返して!」

 決めたのだ。
 黒い羽に、明るい色がさしてゆく――…。

 ほおを叩かれた。「わっ」朱希は思わず身をすくませた。
 まず朱希に真っ先に見えたのは、セプリオギナだった。
「せ、先生……?」「脈拍瞳孔ともに異常無し」倒れた朱希を、覗き込んでいる。「ここがどこで自分が誰かはわかるか」「は、はい…」
 セプリオギナの肩の向こうにカイムが見える。
 目が合うといつもの、あの洒落たウィンクが飛んでくる。
「ほらな先生、大丈夫だったろ?」「ふざけるな絶対に苦痛で炙られるような軟膏を処方してやる」「……そりゃ薬なのか?」
 三人の周りにはひとびとが倒れている。
 誰も彼もカイムのコードにより、一時的に洗脳を解除されて気絶している。
「カイム」
 朱希は彼に言うべきことがたくさんあった。どれを言うべきかはわからなかったから、とりあえず身を起こしながら、名前をよんで――
「見えたかい?」
 悪戯っぽい一言が、ああ、彼女がすべき返事をきちんと教えてくれた。「うん」頷く。
「二人とも、ありがとう」
「なあに、報酬ははずんでもらうさ」「帰ったら一通り検査だ」「はい」

 ……三人、立ってその男の方を見る。
 取り巻きをやられ、朱希をも取り戻されたはずの男は何の動揺もなく、ここに現れたのと動揺の笑みで、微笑み――軽い拍手を贈る。

「なかなか興味深いものを見せてもらったな」
「客を散々っぱら待たせた上に料理も間に合せで芸まで客にさせて、ずいぶんなパーティ下手だな、あんた」
 カイムが改めて剣を構える。「失敬、そちら側の時はパーティーといえば潜入任務でしか経験しかなくてね」飄々と男が返す。
「こんなものが見たかったのか、貴様は」
 セプリオギナは男を睨みつける。
「『血縁に依らぬ関係』とやらに拘って――ここまでのことをして実に滑稽だ」
「どうとでも」
 男は微笑みの貌のまま、尋ねる。
「十分にデータは取れたかね、先生」
「ああ」セプリオギナは肯定する。「吐き気がしそうな程にな」「それは良かった」
 男の言葉はどこまでも一定であり、どこの何が本当なのか全く想像がつかない。
 はん。セプリオギナは鼻を鳴らす。構わない。
 どんな意図があろう――何故悪意を刈り取る霧にこの男は呑まれなかったのか?
 どんな願いがあろうが――何故害意あるコードを無効化するそれが、この男を通らなかったのか?
 疑問はあれど、彼の罪は変わらない。

「あとは貴様だけだぞ、過去なる病巣」
 呼びかける。
「ああ、本当にお待たせした」
 男が一歩、前にでる。

「では、真打がお相手しよう」

成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​

鳴宮・匡
いくら恋うたところで、
海に溶けたものが陸の上で形を結ぶことはない
陸の上から手を伸ばしたって、海に溶けたものを掬い上げることはできない

分かたれたものは二度とひとつにはならないんだ
だから俺たちは生きていて
これからも歩いていくんだって

――俺は、もう知ってるから
今更、どんな言葉にも惑わされたりしない

全てを研ぎ澄ませて“視る”こと
教えられた生きる為の術を忘れたことはない

忘れたくないから今も銃を握っていて
忘れないために今日も生きていて

今は、その道の先に“自分”が欲しくて
誰かと歩む、未来が欲しくて

今、やっと“生きてほしい”って願いを
叶えられてる、気がする

明日も、その先も
そういう自分でいたいから

前へ、往くんだ



●水面の轍、船の跡

 常に、と。
 鳴宮・匡(凪の海・f01612)は、久々にそのことばをはっきりと認識し返す。

 いつかは幾度となく反復し続けた言葉を。
 いつからか反復するまでもない彼自身になった言葉を。

――常に凪いで、ありなさい。

 改めて――胸のうちだけで、唱えてみる。

 一息。
 影から身を出し、移動。
 アサルトライフル独特の激しい連射がぶちまけられるのをくぐり抜けて、今度は倒木に身を隠す。
 止んだ隙に素早く今度は身を出す。男の姿を捉えて、射――
 男が傘を開く。上にではなく、匡に向かってだ。
 放った弾丸が傘にいくつも跳ね――カチリ。
 素早く身を引いた匡の右肩の傍らで銃弾が炸裂する。散弾が。

 便利だな、あれ。匡は相手の武器を分析する。見た目はちょっと立派な傘だ。
 右の一捻りでアサルトライフル。左の捻りでショットガン。
 ついでに開けばご覧のとおり、壁になるのだ。
 そんな無茶苦茶な武器、聞いたこともない。アサルトライフルもショットガンも発射する仕組みも経口も全く異なるのだ。どうして同じ銃から――いや銃ですらない、形は傘だ――傘からでてくるのか。戦場が戦場で相手が相手なら作家を問うてみたいぐらいだった。
 弱点があるとすれば。匡は立てた右足、膝に上半身を寄せるように身をかがめる。
 からん。乾いた空洞独特の音がこおれる水面を叩く音がする。やはりだ。これで4つ目。
 弱点があるとすれば、装填数。
 いかにも高級そうな傘は柄のデザインも凝っていた。どう装填するのかはわからないが小さい弾倉を頻繁に交換していくのだろう。ほぼ1射ごとに交換していくのだろう。
 どこの部隊だろうな。UDC(コープ)に関わるどこかの部隊らしいというのは聞いた。ここまで特殊な武器を使う部隊であれば記憶とはいかないまでも読んだ記録の一つにあってもよさそうなものだ。

「傘のギミックまではご理解いただけたかな、『凪の海』」
 ――……。
「久しぶりにそいつで呼ばれたな」匡はすぐに走り出せるよう左足の踵をあげる。
「ほう」男の声には純粋に驚きがあった。「それはなかなか興味深い話だな――君も随分変わったということか」
 楽しそうに、男が話しかけてくる。
「名前で呼んだほうが良かったかね?」相手の靴音に迷いはない。匡へ真っ直ぐ近づいてくる。
「かつての君への敬意のつもりだったのだが」此方の位置を探るものではない。

「どこかで会ったかな」匡は銃身を身に当てる。
「さっきから考えているんだが、残念なことに全く思い出せない」
 耳をすませ。感覚を研ぎ澄ませ。
 見なくとも――視ることはできる。
「そも覚えるようなタチだったかね」揶揄の含み。
 かつん、と何かがかする音がする。音の軽さからつま先や踵ではなさそうだ。おそらく傘を回したのだろう。午後の雨をまつ子供がステッキがわりにするように。
 楽しんでいる。
 匡は思考のホワイトボードにメモを貼り付ける。貼り付けながら左手で銃身を握る。左肘は開けすぎないように。基礎の基礎。
「君はおおよそチームを『群』や一つの動物、隣や背後の同行者よりも、前方の敵と死線ばかり眺めていたように記憶しているな」
「……耳が痛いな」
 靴音が止まる。最後に撃った際の見え方から距離と男の身長と一歩の大体を検討をつけ、歩数のカウントから移動した距離を計算、単純計算でおおよその位置を弾き出す。
 おかしい。
 思考が異常のシグナルを出す。弾き出された彼我の距離(計算結果)はショットガンにしてもアサルトライフルの距離にしても中途半端だ。
「その君が――二つ名で呼ばれたのが久々、か」
 聞こえる、くつくつと、こぼす笑い。
 笑いの隙間に作業音がする。かち、カチリ――弾倉をはずす?
 ぱきん。かち。
――まさか!
 敵前に出るとわかっていて飛び出す。
 瞬時の判断だ。

 匡が隠れていた場所が――まるまる吹き飛んだ。

 とびちる木片の中、匡は顔をあげる。

「やあ」
 男が微笑んでいる。
 傘を閉じ、柄より少し奥の軸部分を折り、空薬莢を捨て――新たな弾を詰めながら。
 先程の細かい音の意味を知る。ショットガン、アサルトライフル。いずれかの弾倉を外し、これをしていたのだ。
「ショットガン、アサルトまでは君のことだ、容易に見抜いたことだろうが、まあ」
 男は茶目っ気たっぷりにウィンクをして――かちん。
 中折れを閉じる。

「マグナムまでは思い至らなかったろう?」
 銃口。
  
 横では間に合わない。やや斜めにずれるようにして――さらに前!
 男の横を、すり抜けるように。

 ひどい、背後の空気と空間がえぐれるような音がする。

「本当に――自分がなんでお前のことを覚えていないのか理解ができないな」
 前転で転がりながらアサルトライフルから手を離しベルトで固定しなが胸元の銃を抜く。
「君の部隊とは役割が違った」男が転がる匡のほうを見もせず飄々と再び傘を折る。空薬莢排出。「それに」補充しない。弾倉と思われる細い金色をした飾りを傘の一部へ差し込む。

 互い。

「«狂戦士»と組む際にこれが要ると思うかね?」

 一拍後には、振り返りざまに銃を向け合っている。

「不要だな」素直な感想。
「だろう?」素直な返答。

 どちらだ。カンマ以下で匡は考える。ショットガンかアサルトライフル。散弾か、連射か。
 どのみち――広範囲だ。
 ならば!
 引き金を引きながら、横へ飛ぶ。
「お見事」男は引き金を引くより前に――傘を開く。それをクルクルと回すだけで弾丸は再度あっけなく弾かれてしまう。全く冗談のような武器!
 銃弾はいずれも来なかった。傘の操作と発射は同時にはできないと考えていい。匡は思考にまたひとつメモを貼る。代わり傘を開いたまま撃てるものであることは先程見て、理解している。なぜ毎度傘を閉じるか?それはもちろん、彼の目によるコードを使うためだろう。
 あるいは目によるコードを警戒させて相手を逃げ隠れさせるためか。
 いずれにせよ、匡は詰めた距離を再度広げ、再び大きめの岩、遮蔽物の一つに身を隠すことを余儀なくされる。

「君は、変わらないように見えるがね」
 男が匡へ声をかける。
 追ってこない。先程と同じだ。
 彼我に距離があり、相手は匡の出方を伺っている。こちらの行動に対応、そして攻撃、追い詰めていく。
 簡易な基礎。一番難しい行為。
 らちが開かない。どうするべきか。

「『凪の海』」

 男が動く様子はない。

「――表面的には人当たりの良い一般的な日本人青年。対象者に対し常に機械的だが冷静かつ的確、柔軟性を持って目的達成のために行動できる人物。情動的な要素をおおよそ持ち合わせず、«狂戦士»の中で一気に実力者として台頭した男」

 ――――……。
 この、男は。
 匡は分析として走らせている思考の傍ら、浮かんだ要素を今戦闘へ向けられている思考のホワイト・ボードとは別の板に貼り付ける。
「……随分と、詳しいな」
「それほどの有名人だろう、君は」
 この男は――あのひとのことを、知っているだろうか。
 年齢は、匡はもちろんあのひとよりもかなり上だ。匡のこともここまで把握している。
 こうして過去の側に立つ前には、UDC(コープ)の関連部署に所属する男だったというのも、聞いている。狂戦士とは役割が違い、かつここまで戦闘ができるなら隠密をメインとする実働部隊だったろう。ならば使用する道具に弾数が少ないことも頷ける。人々が生活する都市でバカスカ弾を撃つのは危険しかない。
「そんな個人情報を並べて、なにを期待しているんだ?」
「強いて言うなら、その反応だろうな」
 か、か、か、閉じた傘をダンサーのようにくるくると回して海を引っ掛ける、紳士というには少し子供じみた、仕草。「その反応?」「君がどんなふうに変わったのかと気になったものでね」「随分と気に入られてるんだな」
 匡は返答をかえしながら考える。どうする。ハンドガンからアサルトライフルへ切り替えるか。
 考えながら男の言葉に心を配る。
 問いあらば正しく答えろ。かけてくる言葉に気を配れ。

 そう。
 つねに
 
「君を気に入っている、というと少し違うな」
「どう?」
「君が気にかかると言う方が正しい」
 か。
 一音を最後に、傘の音が止まる。

「君も師を亡くした弟子だろう」

 ――――――……………。

「ああ――そういえば」

 つねに。
 つねに、ないで

「君は彼女を殺した側の人間だったかな?」


 ありなさい。

 ――――。

 こういうとき。

「動揺をさそっているなら、随分と、薄っぺらい言葉だ」

 こういうとき、こころは、動くものなのだろうか。
 ゆらぎはしない。

「問うたのは君だろう?」男はなんのこともなしに言う。「動揺を誘うつもりではないのだがね」

 体温に変化はなく。呼吸器官。脈。血流に特に変化はなく。
 思考もまた、変わらない。


「いくら」

 けれど――言葉が、出る。

「いくら恋うたところで」

 声の調子は震えもなく、渇き、音程は上がりも下がりもしない平穏。

「海に溶けたものが陸の上で形を結ぶことはない」

 声を荒げることはなく、

「陸の上から手を伸ばしたって」

 言葉使いも、変わらない。
 それでも、言葉が出る。
 この男は、あのひとを知っているだろうか。
 その思考が浮かんでいた際に手元にあったもう一つのメモを、思考のうちから取り上げる。

「海に溶けたものを、掬いあげることはできない」

 それを、丁寧に、今戦闘用に開かれているホワイト・ボードとは別の板に、丁寧に貼り付ける。
 オブリビオンは――過去の海を通して、他のオブリビオンのことを知っている場合があるという。
 足元。こおれる、現在には決して手の届かない過去の海。

 この男が、あのひとを知った理由の可能性。
 ひとつは、男がUDC(コープ)に所属する際の共闘。

 もう、ひとつは。

 ここで吐かれた言葉は、そのなかにも、届くだろうか。
 
「分たれたものは、二度とひとつにはならないんだ」
 
 ゆっくりと踵をあげる。
 アサルトライフルをさげるベルトを締め、固定する。

「だから俺たちは生きていて」
 
 もしも、そこに。

「これからも歩いていくんだって」 

 あなたが。

「俺は――もう知ってるから」


 今から動く手は――おおよそ無謀だ。
 命をかけているようなものだと言っていい。
 
 いつかの匡なら絶対にしない選択。
 生きてほしい。
 何よりの願いにさからうようなものだろう。
 教えられ、いっときとて忘れたことのない“生きるための術”からすら逸れるかもしれない。
 忘れたくないから銃を握って。忘れたくないから今日も生きているほどの、それから。

 今は
 
 そのみちのさきに、“自分”がほしいから

「だから」
 
 今は、そのみちのさきに――誰かと歩く、未来がほしいから。

「俺は今更、もう、どんな言葉にも惑わされたりしない」

 生きてほしい。

 ああ。
 今なら、あの言葉に――ほんとうの意味で、うなずける、気がしていた。
 生きるよ。
 
 明日も、その先も。
 そういう自分でいたいから。

 銃を構える。
 異邦人の名を冠する、それを。
 人ならぬ身でも“ひと”と歩む道を開く為に。

 遮蔽物より身を出して、刹那、前進――鳴宮・匡は作戦戦闘を展開する。

 生きるために。
 生きるために。
 
 前へ、往く。

成功 🔵​🔵​🔴​

ロク・ザイオン
★レグルス

過去は今に手を伸ばさずにはいられない
お前が『そう』なら
おれは、

――ああァァアアア!!!

(ジャックが宙に浮かせ動きを封じた人々を
おれは見ない
今度は聞かない
言葉もなく【恐怖】だけを押し付け
問い罵る声を封じよう
どうか竦んで、そこで、諦めてくれないか
キミたちを今に帰すまで)
(その姿はきっと、悪だろうけれど)

(閃煌の熱で水煙を巻き上げ目眩まし
無重力を利用し【ダッシュ、ジャンプ】で男に肉薄
援護射撃と連携し【早業】で仕留める)

お前を認めない
惑わされない
赦さない
今ここにいるお前は、過去でもなくなった病葉だ

隔てられるのがお互いの幸福だった
…おれを拒んだあの子は、間違えていなかった


ジャガーノート・ジャック
★レグルス

(「我々はいつだってもう手の届かない君たちが懐かしく、恋しい」なんて
――噫 全くその通りだ。
もう手が届かないと知って尚手を伸ばす。
片鱗だけでも届けと。

されど)

ロク。
「認めるな」「惑わされるな」「赦すな」。

(どれ一つとて許容してはならない。)

ミッションを開始する。
オーヴァ。(ザザッ)

(【月面力場】稼働、重力を制御下に。たかだか人間の重さ程度ならば千人超でも宙に浮かせる事で自由を奪える。(操縦)
狙撃で伊達男の動きを封じつつ、相棒の肉薄のチャンスを作る。(スナイパー×援護射撃))

過去と今が交わる事はない。
(どれ程焦がれようと相容れない。ハル。僕と君も、もう。)

――そうはならない。(ザザッ)



●『認めるな、惑わされるな』『赦すな』

 あるところに、神話が一つある。
 あるところに、星座が一つある。
 獅子にまつわる神話だ。獅子の名を与えられた星座だ。
 
 あるところに恐ろしい人喰い獅子が出て、英雄に倒された。
 それだけの神話。それだけの話。

 物語は語らない。
 どうして獅子が人食いになったのか。

 英雄が獅子の元を訪れた時も獅子はその口を真っ赤に染めていたのだという。

 物語は語らない。
 腹がみちれば無闇やたらに獲物など襲わないはずの獅子が、どうして口も染まるほど、いつだって人ばかり襲い続けたのか。

 英雄は獅子の首を三日三晩締め続けて、ようやく生き絶えたのだという。

 物語は語らない。
 怪力の英雄に首を絞められたと言うのに、それでも獅子が、三日三晩生き続けた理由を。
 
 黙して語られないものがたり。
 語るほどでもない理由だと結論づけられているものがたり。

 物語は語らない。
 その英雄がもつ数多の神話のうち、その獅子が英雄と同じく天に飾られるのか。

 だからそこに、一説を添えよう。

 獅子は、探していたとしたら、どうだろう?
 人喰いと、狂っても、探し続けていたとしたらどうだろう。
 たったひとりを。
 だから、天に飾られた。
 いつか、どこか。
 たとえおおきく、変わっていても。
 
 では。
 たとえばそんな物語があったとして。
 なぜ、それが伏せられたのか?
 それは、無論――――……。

――問いが、一つ。

 輝いている。
 燦々と冥々と明々と朗々と黒々と。
 くらくまばゆく、輝く問いがある。

「もう手の届かないと知って尚、恋い、手を伸ばすものは――あるかね?」

 レグルスの名をかかげるふたり、それには答えなかった。
 たとえ不利になるとしても問い詰められても絶対に答えたくなかった。

 ああ、嗚呼――臆!

 あるとも。

 でも。
 でも。
 
 でも――それをお前に、語ってやる必要があるだろうか?

 それこそは手を伸ばしても得られない星(しんぞう)の話を。
 二人の鼓動を鳴らすに至る――心臓の半分(大事な過去)を。

 どうして、打ち明けてやるだろうか?

 囲まれている。包囲されている。
 たくさんの、ひと、ひと、ひと、ひと――。
 問いに答えなかった罰。

 どれも、これも、だれも、かれも。
 ふたりが生きて、どこかで関わったひとたち。

 手を伸ばしてくる。恋うてくる。問うて来る。詰ってくる。

「過去は、今に――手を伸ばさずには、いられない、か」
 ロク・ザイオン(変遷の灯・f01377)は呟く。
 すがる腕をかわす。掴もうとする手を払いながら。
「“ロク”」
 ジャガーノート・ジャック(AVATAR・f02381)はそのロクの呟きを嗜める。
 こちらも同じく人々の手をかわしながら、制圧用の非殺のゴム弾、時にはスタンガンに切り替えて人々を鎮静していく。
「ああ」ジャックのいわんとすることを察し、ロクは頷く。ジャックもまた頷きを返す。

「“『認めるな』、『惑わされるな』――そして『赦すな』だ”」
 
 言葉をかけるのも、問うて来るのも、目を見て来るのも。
 それは全て『関わること』だ。

「わかってる」

 手を、伸ばしてくる。
 過去が、そうならば。
 こちらは。
「“良し(グッド)”」
 ジャックは銃につけた装置を素早く切り替える。

「“――それでは、作戦を開始しよう”」
 オーヴァ。唱えて、ジャックは思考を切り替える。
 オーヴァ。ロクも短く返し、息をする。

 たがい答えなかったがゆえにどうしても考えてしまうひとつのことから意識を断ち切る。
 後ろ。
 振り返って何があり、どんな罪がどれほど積み重なっていようとも。
 全ては――今から始まって、ゆくのだから。

 ジャックは素早く銃口を向ける。
 人々にではない。
 いくら手を伸ばしても、届かない断絶。
 うつくしい、過去の水面へ。

 MOON FORCE
「“【月面力場】稼働”」

 引き金を、引く。

――“反重力プログラム(コード:アンチ・グラビティ)作動”

 一瞬、ひかりが水面へと落ちる。
 それこそ水面に落ちた、花火のように弾けて。
 走っていく。滑っていく。
 大きな光の――名残りの尾を引きながら人々の足を、水面の上を滑っていく・

――“重力、制圧完了(オールクリア)”

 電子音声が告げる。
 ジャックは広げられた選択肢の中から、ひとつを選ぶ。
 繋がりがあるというのなら。
 嗚呼。
 絶ってやろうじゃないか。

――“重量、消失に成功”
 
 浮かび上がる。
 ジャックが選んだものだけが、「重力の制御を奪われて、存在の有無など問わないかのように、易々と持ち上げられる。
 ひとびとの顔が一時、一斉に驚愕に変わる。
 繋がりを失った、怯え。

 嗚呼。
 そうだろう。そうだろうとも。
 過去であろうと、現在であろうと。

 喪失がもたらす痛みは、恐怖は、おそらく――変わらないのだろう。

 ただひとり。
 あの伊達男が唇だけを小さく丸くして、面白がる顔をしている。
 やはりというべきか、さすがというべきなのかはわからない。
 厄介なのは確かであり、ジャックはすかさず銃口を向ける。

――浮いていく。
 みんな、浮かび上がって離れていく。
 ジャックが成すそれを、ロクは目をすがめてコンマ一秒だけ見つめた。 

 過去が、今を求めるのだという。
 手を伸ばして。声をかけて。嗚呼、浮いてもなお、罵倒して、叫んで、こちらを求めて。
 なら、現在はどうすればいいか。

 廃ビルで鈍く光った、二つ折りナイフを思う。
 小さい唇。
 お前が、そうなら。

「お前が“そう”なら」

 なぞる。
 突きつけられた断絶をなぞって

「おれは」

 開いた喉で。吸い込んだ息で。
 なぜを問おうとした、くちびるで

「――アアアアアアあぁアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ」

――ほとばしるさけびを、あたえる。

 ただでさえ掠れた声た。ひどい声と笑われた声だ。
 初めて聞くもののうち顔を顰めるものもいる。自分の耳に触るものもいる。
 それほどの声で――ひとのことばを叫ぶのを、やめる。

 もう見ない。
 もう聞かない。

 ほんとうは、わかりあいたくても。

 誰もを傷つけず、敵を討つ――ただそれだけの、のぞみを果たすために。
 恐ろしい獅子のように。
 恐怖だけを、押し付けて。
 警咆する。支配する。
 勘違いされていい。憎まれていい。恐れられたって、いい。
 その目を見ない。視線が刺さるような気がする。その声を聞かない。沈黙がかなしい。
 きっと、この姿は悪にみられるのだろう。
 でも

――おれを拒んだ、あの子は、間違ってなかったな。
 ロクは沈黙にかけらだけ、思う。

 いい。
 それでもいい。
 ばけものでもいい。
 竦んで、そこで、諦めてくれるならずっといい。
 きちんと今に返せるのなら。
 
――これでおれは目的を果たせて、あのひとたちも、無事でいられる。

 隔てられるのが、お互いの幸福だった。
 こんなに、苦しくても。

 空気がはぜる、はぜていく。
 ロクはすばやく目を動かす。

 いた。

――どんな運動神経でどんな訓練を受ければこうなる!?

 浮いている男を目掛けてジャックは射撃を続けている。
 ところが先ほどから、一発も当たらない。
 男の重力は奪っている。足場もない。
 だというのに、あの男はまるで自由に宙を飛ぶ。
「何十年ぶりかな、この訓練は」
 逆さまになりながら男は実に楽しそうに笑う。訓練扱いか。ジャックは舌打ちしたくなるのを堪える。「息が自由なだけいい」飄々と男はいい、ジャックがさらに放った一発を頭を軽く動かすだけで避ける。「いや、あったのだよ。笑ってくれ。私の若い頃だが…宇宙を想定する訓練が、水中でね」ウィンクなど飛ばしてくる。
「“それはそれは”」さらに一発を撃ちながらジャックはアンダーで別の操作を開始する。「“非常にカビくさい話だ”」「違いない」
 反重力プログラム展開。広範囲はそのまま、チューニング。対象変更。問題なし。クリア。

 宙で自由だというのなら。

――“準備完了。実行しますか?”

 男が軽く片眉を動かした。
 ロクが男目掛けて駆け抜けていた。
 ロクは懐から剣鉈を取り出す。サムライエンパイアの刀匠がロクのために打上げた業物は、ロクの望み通り赫々と灼けあがり、過去の水面すら切り上げて、水煙とする。目眩し。
 けぶる水に、ジャックも一瞬だけ、男を捕らえられなくなる。
 だがいい。
 ロクは無重力に足をかけた。駆けて――そのまま飛ぶ。
 一瞬の早技。
 それに合わせて。

 エンターキーを、叩き押す。
 
 倍の重力で――叩きつける!

 叩き落とされる男にかかる力と飛び上がり突撃したロクの力がそれぞれかかり、的確に貫く。

 ――…そうなる、はずだった。
 ・・・
 しかし。
 ・・・・・・・・・
 そうはならなかった。

 ガン!
 ひどい音を立てて、男は着地したのみだ。
 代わりに――ぎっ。ロクの喉から重たい悲鳴がこぼれて、男が着地するのと同時に、後ろに叩きつけられる。ジャックの周囲に浮かぶ何人かもまた突如落ちる。
 そうして、男が自由だった理由が見えた。

 糸、だ。

 男がはめている手袋、両手の十指からそれぞれ糸が伸びている。
 鋼糸だとアイカメラが分析する。それを、人々や、あるいは一部の波に引っ掛けていた。
 これを必要に応じて引っ張って操作する、というわけだ。
 今、ロクにも同じものが絡んで、食い込んでいる。男に叩き込むべく刃を構えたままの姿勢を縮めるような、無理矢理縛りつけられた体勢で、受け身も取れなかった。ロクの体は激しい衝撃に苦痛を叫んでいた。
「ばれてしまったか」
 男は悪びれる様子もなく右手を振って糸を調節して見せる。「しかし先ほどの話は本当だぞ?」
「君が飛び込んできてくれて助かった」わずかに視線を下にずらし、男は背後のロクに呼びかける。「少々支えに不安があったのでね」ロクから返すのは、苦痛まじりの激しい殺意の威嚇だ。
 ジャックはすかさずロク目掛けて発砲する。少しでも糸を切るべく「おっと」その弾丸が宙で真っ二つに割れて狙いもしない方向に飛んでいく。
「手の中が見えたのに対策もせずに発砲するものじゃない」
 銃の――先が。
 引き上げられる。
 ジャックは咄嗟にセンサーを切り替える。察知する情報を切り替える。
 走っている。鋼線が複雑な模様を描いて、宙に、浮かんで動けない人々に、波の端に――幾何学模様を描いて、

 今。
 ジャックの周りにすら。
 咄嗟に飛ぼうと――

「逃げるな」
 男が左手の人差し指と中指を揃えて振る。――左足が動かない!
「なんだ、老兵の話は飽きたか」
 引かれる。縛られる。絡められる。
 くそ、ジャックの向こうの彼はモニターを叩く。こっちは兵器なんだぞ!?
 ロクは歯を剥き出しに唸る。口の端から唾液がこぼれるのも構わず、糸をちぎろうと抗う。「無茶をするな」男が右手を振る。さらに糸が食い込んで、左手、手首は骨にこすっている。「――ッ」音にならない悲鳴を叫ぶ。「時には拷問にすら使う手段だ。そのまま縦に下ろして肉を剥いだりする」声に眉も顰めず冴えた目の男はロクへ淡々と言い「どうするか対策の見当もついていないのだろう?」背を向けながら右手を手首から軽く振る。
「せめて大人しくして隙でも伺ったらどうだね、若人(ニュー・ビー)、新兵(ニュー・フェイス)たち」
「“新兵(ニュー・フェイス)か”」
 ロクに代わり、ジャックが皮肉に応じる。
「“ではその若い新兵を捕らえた老兵は、本機らに何を聞かせてくれるんだ?”」
 ジャックはまだ引きずり倒されたわけではない。銃も没収されていない。
 立ち、射撃の姿勢のままこうして自由を奪われただけだ。
 ならば、まだ目がある。
 ……悔しいことに、男の言う通り、話に付き合って隙を伺わねばならなかった。
「なに」
 男はにっこりと微笑む。
 この、月齢(ムーンフェイス)のようにあれこれ手を変えてくる厄介な敵に。
「先ほどの質問の続きだ」
 両の手を後ろでに組んで、ゆっくりとジャックへ向き直る。
「“先程”」あの質問か。
 ジャックのうちを苛立ちが走る。
 この男は、どうしてそんなことを聞きたがるのだろう。
「あの廃ビルからここに至るまで――大事な顔は、あったかね」
「“さて、どうだろうな”」
 まるで、何かを示したがるようだ。

「このコードには、一つ、条件がある」「“対象者が――問いに答えられないことか”」
 ふふ、と男は笑う。「それは発動条件だ」「“それ以外に何か?”」「在る」
「何せまだ未成熟のコードでね」
 ぎち、と糸が鳴る。
 ・・・・・・・・
「召喚できないものもあるのだ」
 ――……。
 廃ビルの乱闘を思い出す。
 自分たちの願望の、鏡映しのような、彼ら。
「“聞くな、という割に語るな”」
「Hear No Evil?」男は笑っている。
「自分に都合の悪いことを聞かないというのはやめなさい、という訳もあるのだよ」
「“――知っている”」
 ジャックの向こうの彼の胸によぎる。行くはずだった修学旅行、京都。日光の定番。
 カビが生えて色褪せた教訓の三猿を、変な顔と笑った記憶。


「神と対になるような強力な存在」


「もう一つ」

 ・・・・・・・ ・・・・・・・
「私と同じように、なりはてたもの」

 ――――。

「さあ、もう一度聞こうか」
 男が水面の上に足をつく。
 かつ。
 かかとで水面を叩いて、鳴らし、示す。

 ・・・・・・・・・・・・・ ・・ ・・・・・・・・  ・・・・
「もう手が届かないと知って尚、恋い、手を伸ばすものは――あるかね?」

 その下に蠢く、過去(オブリビオン)を。

 ・・・・・ ・・・
「“だとしたら、なんだ”」

 いっとき、ふたりは星を思う。

 あなたは。きみは。

 そこに、いるのか?

 ・・・・・・・・・・・・・
「過去と今が交わることはない”」
 
 絶とうとする。
 思い描いた繋がりを。大事な星を。
 その可能性を。

 男が笑っている。
 動きの止まってしまったジャックを、ロクを前に――何もせず。

 ・・・ ・・・・
「本当に、そうかな?」 

 両腕を広げる。

   ・・・・・・・・・・・  ・ ・・・・・
「現に私はかつての過去にあり――今、ここに居る」

 記憶のかんばせが。

 ・・・ ・・・・・・ 
「過去は、手を伸ばすぞ」

 髪が揺れて。
 微笑む。
 悪戯っぽく。優しく。

 ・・・・ ・・・
「今を恋い、求めて」

 時間が立つせいで、忘れ難いはずなのに、どんどん遠くなっていく――あの、星が。

「“――だとしてもだ!”」
 ジャックが、叫ぶ。
 ロールプレイの仮面が、割れそうなほどに。
 
 どれほど焦がれても。どれほど祈っても。どれほど願っても。どれほど恋うても。どれほど乞うても。どれほど望んでも。どれほど、どれほど、どれほど、どれほど。

 片鱗だけでも。
 影だけでも。

「“だとしても”」

 どれほど、想っても。
 ハル。
 僕と、君は。
 
 もう。

                ・・・・・・
「“どれ程焦がれようとも、最早――相容れない!”」

 絶叫。

「“これで満足か!?”」ジャックは無理矢理に出力をあげる。「“それが聞きたかったのか!?”」絡んだ糸が間接に食い込んでぎちぎちと音を立てていく。無理矢理に引っ張るせいで、ロクの腕や足に血が滲んでいく。

「“現実(こちら)を馬鹿にするのも――いい加減にしろッ!!!”」
 ほんとうは、かなうなら会いたい。
 ほんとうは、かなうなら話をしたい。

「“そんなものが、叶うなら”」

 がきり、ジャックの尾が嫌な音を立てる。
 ばきり、片耳がちぎれて飛んでいった。
 だが止まらない。
 前へ、前へ。 

 ほんとうは、かなうなら。
 オブリビオンで、あったとしても。

 ・・・・ ・・・・・・・・・ 
 それでも、許容してはならない。

 英雄に、首を絞められたとしても。
 それでも

「“こんなことには――なってねぇんだよッ!!!”」

 いたい。
 いたい。
 すごく痛くて。とても、苦しい。
 何かを、諦めてしまいたくなるような熱が、この身を、それでいいのかと焼いている。
 よくない。
 それで、いいわけがない。

 だが。
 それでも

「“だから――…ッ”」

 それでも、三日三晩。
 生き延びた、獅子のように。

 ・・・  ・・・・  
「“そうは――ならない”」
 
 鋼糸を、ちぎる。
 断ち切っていく。

 糸が切れたせいで、解こうとかけていた力が一気に自由になって、ロクは思わず膝をつく。
 嗚呼。
 自由な身の――なんて、さみしい。
  
 ロクは顔を上げる。相棒はもう銃を男に向かって構えている。
 だいじな、レグルスの相棒。
 ロクの生(いき)を繋ぐ、心臓の半分(いまのよすが)をつくるひとつ。

 たちあがる。
 
 こぼれる血も、中途半端に切れた腕の肉が揺れるのも、いまは、しらない。

「お前を――認めない」

 はしる。

「惑わされない」

 あの剣士はそう依頼していた。
 彼らしからぬ口調で。
 それがどんな意味を持つか。
 うっすら嗅ぎとれた、彼のものじゃない感情のにおいの示そうとする意味を、無視する。

「赦さない」

 刃を、構える。

「今ここにいるお前は、過去でもなくなった病葉だ」

 過去じゃない。
 今のために。

「――そうだ」

 ロクは、跳ぶ。
 
「あり得た、かも、しれない」
 ナイフを振りかぶる。
「でも」
 こんなことを断じるのは、傲慢なのかもしれない。
 身勝手なのかもしれない。
 けれど。

「そうは、ならない」

 あの、夕暮れのあか。

  ・・・ ・・・・・・・・
「「“そうは、ならなかったんだ”」」
  
 弾丸と、刃が――ひかる。
 星のように。

成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​

松本・るり遥
俺の中の『優しくない』人格ーー時雨が、蹴り付けてくるのがわかる。出せと。罵倒が響いて止まぬ
でも、でもだめだ、俺だって逃げたいけど
感染。
明け渡した瞬間その隙間。滑り込まれて戻って来れなさそうなノックが混じってる。

あなたは、
何を
したいんですか

寂しいん、ですか

敵対感情が湧き上がって泣きそうだ吐きそうだ
【ナンセンス】、この人を攻撃したいと思うその理由が見つからないのに、無理矢理編まれた感情を吐いて貴方を睨み続ける
俺のビビり喉のくせに、なんて言葉を向けるんだ
敬意を持って、寄り添ってくれているだけの人に

言葉の応酬
『優しすぎると馬鹿を見るんですよ』
せめて
当たり前の人間たちに拠り所をくれた、貴方に敬意の言葉を



●やさしすぎると馬鹿を見るんだ、と。

 ガン!

 両手をそれぞれポケットに突っ込んだまま、体重を乗せて――鍵の傍らを、思い切り。このとびらの向こう側のやつの動きは、そんなイメージ。

 緊張で――のどが開き切って張り付いて、息が腹の底にひっこんで、かたまって動かない。
 浮かぶ手汗が気持ち悪くてズボンでいいから拭いたくなって、しかしそんな真似をすればこの人に自分が緊張してるのをあからさまに伝えることになると気づいて――松本・るり遥(乾青・f00727)は両手をそれぞれパーカーの中に突っ込んだ。

――るーりー。

 声がする。派手な蹴りが続いている。一度、二度、三度。

 彼の意識の中、ドアを鳴らしてるり遥をよぶ、あいつと同じように。

 るり遥の向かいには、あの元凶が立っている。
 金曜の洋画でしか見ないようないかにもな紳士の姿をした、あの男。
「ごきげんよう」
 声をかけられる。声まで洋画みたいな人だ。
 るり遥は笑いそうになる膝を意識して張り詰めさせる。

――るーりーはーるーくーん。

 あいつがるり遥を呼んでいる。あいつがるり遥を招んでいる。あいつのるり遥への呼びかけにはいつになく苛立ちがありありとけばだっていて、なんどもなんども、扉を蹴り続けている。
 前になんかの漫画で読んだ。安っぽいアパートのドアは鍵がドアの支えで、鍵のとこさえどうにかなれば簡単に開くんだって。だから鍵のあるそばを蹴るんだ。チェーンかけてるやつなんか一人暮らしの女くらいだから。だから蹴破ろうと思うなら、まずそこを何度か蹴る。
 それに、そこを蹴ると大きな音がするんだ。板の真ん中だから。
 そうして、威圧する。
 主張する。

 るり遥の中の『優しくない』人格。時雨。
 あいつが、るり遥を呼びながらドアを蹴り付けている。

 るり遥の中のその扉はまごうことない玄関の扉だ。
 いや、あの団地じゃない、実家。裏っ側の勝手口。
――おい、なあ。聞いてるか?きーいーてーまーすーかー!
 昭和何十年だか忘れたけど昭和何十年かの建物で、ドアはほんと簡単だ。今のるり遥には信じられないことにU字鍵すらない。入るとすぐ横に流しがある。水曜日は鍵が開いている。酒屋さんが醤油かビール置きに、あと薬屋さんが置き薬の補充にくるから。だから水曜日はうっかり家の鍵を忘れても縁側で時間を潰す必要もない。まあたまに金曜に変わってて、締め出されたことも何度かあるけど。
 あの。流しのある台所のそばの、あの扉の、かたちをしている、から、時雨の蹴りは、本当に大きく響く。

 それでも。
 それでもだ。

 それでもるり遥は、あいつに替わらずに、そいつと向かいあう。
 向かいあい続ける。
 近づきもしないが、
「……ども」
 逃げもせず。
 立ち続ける。
 貯金箱を叩き割ると広がるちまちました小銭みたいな気概。
 ……キャップのつばを上げてあの男の顔を見るほどの勇猛は、持ち合わせていなかった。

――おい、るり、るり遥。返事しろ。出せよ、おい出せよ、なあ出せよ臆病もの!
 時雨という名前のくせにゲリラ豪雨か小嵐みたいな激しさが扉を叩いてる。とうとう堪忍袋の緒が切れたらしい。いやとっくにキレてるって知ってたけど

 男は、近づいてこようとしない。
 何を見ているのかはるり遥にはわからない。るり遥から見えるのは、男の革靴のつま先だけだから。
 元々は丁寧に手入れされていたのがうかがえる、少し汚れたつま先。
 
――るり出せ、今すぐ出せ、るり遥。俺を出せ。そのクソ野郎の相手を俺に渡せ、てめえじゃ役者不足だ。てめえじゃ勇気が足りねえ、根性が足りねえ、知恵も足りねえ、何より弱い、弱い、めちゃくちゃに弱いなよっちい挫けたへっぴり腰でちょっと曲げたら折れちまいそうなつっぱった脚でもう動けねえつま先でどこへ行く気だ?何をする気だ?喋れんのか?しゃべれねえよな?池の鯉が餌まつみてえにあけちまってた喉で何を叫ぶんだ?どんな言葉を選ぶんだ?何か考えんのか?考える頭もあんのか?ねえよな?恐怖でいっぱいだ。自分の思考で窒息寸前だ。どれにするんだ?どれからするんだ?どれにしたいんだ?命乞いか、謝ってみるか、罵ってみるか、前二つはともかく、臆病者、おまえに罵る語彙あんのか、逃げることもできねえかわいいかわいいかわいいハムスターみてえなビビりのるり遥くんよお!

 罵倒が響いて、止まぬ。
 あいつのいうことが窓にぶち込まれた弾丸みたいな響きをるり遥にもたらす。
 いや、わかっている。るり遥より時雨のが適任だろうとるり遥だってわかっている。
 だけど。

――だめだ。
 
 ああ!?時雨は怒声や罵声より咆哮といった方が正しい叫びを上げて、どん!一際激しく扉を蹴りつける。

――でも、でもだめだ、だめなんだよ、時雨。
 
 自分の中にいるもうひとりだというのに、全くどういう感性なのかだかわからない語彙の群が、獰猛なピラニアか何かのようにるり遥の周りを泳いでいる。

――そうだよ、逃げたい。俺だって、逃げたい。

 ・・・
 かたん。

 蹴りに紛れるように、るり遥の扉に、別の音が響いている。
 荒々しい響きではない。小さな、しかし、確実な、粘着性を持ったノック。
 いや、ノックというほどの知性も感じない。
 小さい手が――扉が行き止まりでないとわかっているような。

 変わった方がよくても、今だけは選べない。

 かたん。時雨が蹴りつけるより、もっと下。
 かたん。
 蹴りにほとんど掻き消えるような、静かな音が。
――逃げたいけど、今、俺が、逃げたら。
 かたん。
 そのくせ、ドアノブの横の蹴りなど全く意に解さないように、一定のリズムで。
 かたん。
――扉を、あけたら。
 ちいさいてが、ドアノブにすら届かない低い背の、小さな手が、開けるために、手を軽く振り上げて、当てているだけの、ような。
            ・・
 かたん、かた、かたん、加担。
 ・・・
 感染型UDC。
 
 明け渡した瞬間その隙間。
 滑り込まれて戻って来れなさそうな、ノックが、混ざっているのだ。
 
――それに。

「決まったかね、少年」
 声が、かかる。
 るり遥は思わず飛び上がってしまいそうで――いや恐怖なんか感じなかったら実際突然のことに飛び上がってしまっていたに違いなかった――思わず目をあげる。
 それでも見えたのは男の胸元ぐらいまでで、帽子のつばを上げてその人の顔を見る勇気は、この後に及んで一つもない。
 男はおそらく腕時計を見ているのだろう。胸元よりやや下に挙げられた右手首。腕時計の文字盤を、左手の人差し指で軽く叩いてみせた。
「交代しないということは、君が私の相手をすると見ていいかね」
「なん」ああ本当にみっともない。返事すら喉につっかえてこのざまだ。「で」
「何人かの猟兵のバックアップをしたことがあってね」男は左手を腕時計から放し、ズボンのポケットに軽く左手の親指を引っ掛ける。「覚えておくといい。多重人格者には自身と会話する独特な間がある」ご丁寧に教えてくれるけどそれコンマ何秒の話だよ。言われたこともねえよそんなこと。男の右手は軽く体の横へ垂らされている。何かを取り出すようなそぶりは、ない。「戦場では相手が自分であろうともおしゃべりは禁物だ」
 がん!
 一際激しく扉が鳴る。猛獣が檻を揺らすみたいに。
――るり遥、おいるり、るり遥、るり遥、るり遥、よこせ、今すぐ主導権を俺によこせ調子こきやがって、俺だ俺だ俺が、俺がやる俺がそのふざけた野郎を――

「あ」
 るり遥はひりついた喉を動かす。繊維の引き攣り。掠れきって小さい。半音高くなってないのが奇跡だ。

「あなたは」

 吐き出す。
 命乞いでも謝罪でも罵倒でもない。

「何を」

 絞り出す。
 詰問でも反論でも非難でもない。

「したいんですか」

 問い。

 るり遥は思わず顔を上げてしまう。
 男の顔を、そこで初めて見て。
 
 あ、

 と

 気づく。 
 
 普段なら、うわ、外人ってやっぱ日本人とは顔が違うんだな、で済ませてしまうような一瞥の中で。
 目元の、うっすらと入っている皺――笑い皺を、見つけてしまう。
 わかる、そういうの。見たことがある。父親にもあった。
 推してるバンドの新譜出て、漫画の新刊を諦めてでも買って。たまらなくて聴きながら帰宅した時に。
 イヤホンをしたまま玄関から入って、晩酌をしていた父が、るり遥かにイヤホンをしたままは危ないのだと咎めて。普段なら顔を顰めたるり遥だったけれど、あの時は新譜が本当に良くて。
 なんだ。嬉しそうだな。
 多分、父親からすれば、その時のるり遥の返事は本当にいつもと違ったのだろう。
 ん。まあね。多分相槌を打つならそんなところだ。
 そうか。
 その時の、目元。

 息子の喜びを、喜ぶような、眇め。
 そういう、ささやかな一筋。

「あなたは!」

 思わず叫ぶ。
 目を見るなとか質問がどうとか受けていた忠告が全部吹っ飛んでいた。
 叫ぶべき、ほんとうの意味で問いただすべきことが今頭の中にあるような、衝動。

「あなたは」
 けれどそれは確信ではなくて――勇気のないるり遥は、結局声が小さくなってしまう。
 小さくなってしまうけれど。

「寂しいん、ですか」

 問いをやめられるほど、意気地なしでは、なかった。

 根暗で勇気も根性も大きな優しさもない少年の――それでも、猟兵の力を惜しむこともできない情動の、問いだった。

 ……男は、るり遥の大声に特段驚いた顔をしなかった。
 るり遥の問いに怒りもしなかった。呆れもしなかった。そんなふうに見えた。
 ただ、片眉をほんの少し歪めて。

「そういうものは――前に、置いてきたよ」

 困った子に言うような。
 どうして。次の問いが浮かぶ。海は陸を恋うのだといった。
 寂しいのなら寂しかったからと答えるはずの問いに、男はどうしてか置いてきた、などと。
「あんた、何を」
 問いたい、と思った。聴きたい。あんた、あんた、もしかして。

「“猟兵”」

 体がざわめく。細胞に至るまでのるり遥の全てがざわめく。
 聴きたいと思ったからこそきいてしまう。
 全てが扇動される。
 男のコードに、支配される。

「“いつまでもそうして突っ立って――戦わんのなら君は今ここで死ぬだけだが、いいかね?”」

 味わったことのない敵対感情が、歯を鳴らす。
 泣きそうだ。吐きそうだ。
 開けなかった扉の向こうから、その人は大量の水(情)を流し込んでるり遥に編み込ませていく。
 いやだ。
 戦いたくない。
 流し込まれた感情の重みで窒息しそうだ。

「待っててやったのに随分な言い草だな」
 言葉が勝手に滑り出てくる。
 情動が思考をぶった切って勝手に言葉を選んでいく。

 るり遥!時雨が一層叫んでいる。
 この人を、攻撃したくない。
 だって、このひとを攻撃したいと思う――理由が、見つからない。

「やられるか」

 ナンセンスだ。
 なんて茶番。

「諦めきれずにのこのこ出てきた老害――どうしようもなく救いようもない手を離すことのできない有害野郎!」
 俺のビビり喉の癖に、なんて言葉を向けるんだ。自分であって自分でないものの言葉に叫び出したい気持ちでいっぱいなのにそれを出すことも叶わない――くるしい。

 おそらくそれは、真逆なのに。
 吐かれた言葉は視界、男の元に届き続ける。

 ならばせめて。
 狂おしい情の中に沿いながら、選ぶ。

「『優しすぎると、馬鹿を見るんですよ』」

 当たり前の人間たちに拠り所をくれた、貴方に。
 敬意の、言葉を。

 男は笑っている。

「君がそれを言うかね」

成功 🔵​🔵​🔴​

五百森・千珠
可能ならヤムゥ(f01105)リリィ(f01018)二人の傍に。

◆見てはいけない、直感的にそう思った。
飄々とした相手に恐怖を感じつつ、目を合わせないように、相手の足元を見ながら攻撃手段を探る

「言いくるめられて、こっちが足止めされても困る」
「直接動きを止められないかな」

本体に何とか組み付き、隙を作ろうとする。
攻撃手段は爪で掻いたり、嚙みついたり。
他の猟兵が攻撃しやすいようにサポートに努める
【恫喝】「人の縁を利用しておいて、赦されると思うなよ…!」

◆他の猟兵同士が争っているようなら、止めに入る。
「え、ちょっとどうしちゃったわけ」

(シナリオマスター様のやりやすいよう、改変・アレンジなど歓迎致します)


リリィ・カスタード
可能ならヤムちゃん(f01105)と千珠っち(f06262)と出陣!
あたしも繋がりが欲しいよ!色んな人と出会って、お喋りして、い~っぱいお友達を作るの!
それってチョーわくわくして素敵じゃない?
でもおじさんの言葉は何だかキラキラしてない、悲しく聞こえるのは気のせい?
おじさんの言う『繋がり』が、ヤムちゃんの涙の原因なら……あたしは戦わなくっちゃね。

単純にブン殴っちゃダメな敵は苦手!なるべく後方支援に回るよ~。
洗脳された人や猟兵がいたらユーベルコードで隔離できるかも?蔦にはトゲトゲがあるけど…まぁそこは我慢して!
仲間のみんなが戦いやすいように支援できたらいいな。

アドリブ・絡み等歓迎


ヤムゥ・キィム
リリリ(f01018)とニキ(f06262)とお喋りして、ふ、ふたりだけ見てたらいいカナ…?!アレ?でももう遅イ?!

欲しいもの全部飲み込んだって悲しいダケ、初めての任務で戦った蜘蛛のおねーさんが苦しんでタ。皆が皆同じ考えじゃないコト、ヤムゥは知ってるケド、スーツおじサンはそれでホントに幸せなのカ?
爺ちゃまが教えてくれたコト、まずは足るを知るコトから始まル…ヤムゥが持ってるもの一つずつなぞりながら「自分」を守ル、「皆」を守ル!

スーツおじサンからもらわなくったっテ過去は、今はヤムゥといつも一緒ダ、置いてったりしなイ
爺ちゃまごめんねでもこれが欲張りな山猿の「足る」なノ!

(アドリブ絡み改変大大歓迎!)



●そんなにむずかしいことを、どうか言わないで。

「ムェ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」
 ヤムゥ・キィム(猪突猛進恋狂い・f01105)の口から勢いよくトンチンカンな悲鳴が漏れる。
「はっはっはっはっは」男が快活に笑っている。
 そうして朗々と笑いながら――ヤムゥの振りかぶるレンチの腹を軽々と暗器――右手にはめた小さなベルト飾り、に似たナックルダスター――で弾く。
「目を瞑って戦うのは初めてかね?」「うン!」思わず素直に答える。「筋は悪くはないな」
「多くの人が――誰だって初めてだと思うけどね!」
 男の問いにすかさず答えながら五百森・千珠(おにこさま・f06262)はすかさず伸ばした爪で、ヤムゥと挟み撃ちになる形で男に斬りかかろうとする。「ほう」男がとぼけた笑いをこぼしながら「最近の戦場はそんなものか」それを一歩右に飛んで避け「どんな戦場にいたんだ!」さらに「失敬」「んキュ!」軽くヤムゥを突き飛ばして千珠のほうへと向ける。「うわっ!」爪先を引っ掛けてはいけないと千珠は指先を引き、ついでにヤムゥが振りかぶってしまったレンチを避けようとして――二人まとめて、転倒する。
 男はそんな二人を笑いながら見て、さらに後退する――足元に薔薇の蔦が飛び出した!
「ああ〜〜〜ッ!」
 リリィ・カスタード(だんぴーる🦇・f01018)は悲鳴をあげる。「んもう、おじさんウロチョロしないでよ!」「はっはっはっはっは、無理だな」
「――ごご、ゴゴメン千珠ニキ!」
 ヤムゥは男の視線の対策につけていた面とゴーグルとを同時に顔から引き上げて千珠を除きこむ。「大丈夫だよ」後頭部をさすりながら千珠はゆっくりと起き上がる。
「それよりも、だ」
 なまじ顔を向けることができず、千珠は男に背を向けたまま問う。
「どう言うことだい?」
「どういうこと、とは?」
 男は足を揃えて両手を軽く後ろで組んでにこにこと微笑んでいる。
「君は、過去なんだろう」
「そうだとも」
 いともあっさりと返答がある。
「僕らを求めて、こんな事件を起こした」「その通り」
「人の縁を弄ぶ、こんな馬鹿げた事件をだ」「耳に痛いな」なんの痛みもない響き。

「だのに――そんなふざけた態度で戦ってくるのか!」
 千珠は振り返って怒鳴る。「猟兵をなんだと思ってる!」
 男が、笑いを引っ込めた。

「戦う気がないのは、そちらのお嬢さんがではないのかね?」
 問い。

「う、あ」ヤムゥは一時、息が詰まる。
「ヤムゥ!」千珠がすかさず叫ぶ。
 ・・・
「答えて!」続けて怒鳴る。「誰かを巻き込むことになる!」
「っ――ナイ!」
 解答。偽り無し――コード無効。
 ほら。男は声も出さずに小さく軽く両腕を広げてみせる。

 ・・・
「だっテッ!」
 ヤムゥの言葉は、そこで止まらない。

 ああ、ネットが欲しいな、とヤムゥは思う。
 声に出した言葉でしゃべるとき、どうしても故郷のくせが混ざって、うまく出づらいのだ。
 誤解を生むことも、時にないわけではない。
 だからつい、多くしゃべる癖がついていた。
 その癖のまま、彼女はしゃべる。

「ダッて、おじさんかわいそウ!」

「おじさんかわいそう」心底心外、と言う調子で復唱した男は千珠を見る。
「僕に説明を求めないでよ」なんで僕を見るのさ。唇を突き出して主張する。
「おじさんかわいそう、だそうなんだが」続いて男はナックルダスターをはめていない左手に人差し指で自身の胸元をちょんとついてリリィの方を見る。
「ヤムゥちゃんの言うことは時々リリィもわかんないかな〜〜」リリィも額に右手の人差し指、左手は腰に添えてウィンクを男へ返す。
 ………。

「もう少し説明を求めてもいいかね?」「ウゥ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ」ヤムゥは座り込んだまま両手を額に当てて唸る。必死に言葉を探す。
「長くッテもイイ?」
「いいとも」男は快く頷き、リリィがこっそり伸ばしたバラを生え出しの弦の状態で軽くひと蹴りして鎮圧する。
「なによぉ〜〜〜!!レディの話聞く時にふらふらしちゃいけないから固定してあげようとしたんでしょお〜〜〜!!!」リリィが両手の拳をあげて文句を主張する。「素直に隙を突こうとしたと言ってくれて構わないんだが」
「リリィ、ゴメンネ、ちょっと、待ッテ」ヤムゥが下がり眉で自身の両手の人差し指を突きあう。
「……ヤムゥちゃんが言うなら待ったげるけどぉ〜〜〜」リリィは口を窄めて宙に座る。
 ……この事件に、リリィと千珠を巻き込んだのは、ヤムゥだ。
 その彼女が敵を前になやんでいるとなれば、前提が少々おかしくなる。
 千珠としては許し難いと思うが、リリィ同様、悩んでいたヤムゥを思えば話しをこじらせてしまいかねない。
 ゆえに千珠は黙って、男には背を向けたまま――男がいつ動いてもいいよう、正座に引いた足、踵を少しだけ当てて、ヤムゥの言葉ではなく、彼の言動へ耳をすまし、警戒する。

「ダッテ、おじさん、全部欲しイんでしょう?」
 ヤムゥが必死に思い出すのは、一番最初の任務だ。
「むずいかしイ、言い方だったケド、そゆコト、だよネ?」
 愛して愛されたかっただけの、蜘蛛の女性。
 ほんとうの愛を、しりたかったひと。
「欲しいものゼーンブ飲み込んだって、悲しイダケ、だッタ!」
 ヤムゥは思わず立ち上がってしまう。「ちょっ」彼女の突然の行動に、千珠も立ち上がりかけて、リリィはすかさず薔薇を忍ばせる――万が一、男に操られたとしても隔離できるように。

「スーツおじサン、それでホントに幸せなのカ!?」
 ……。
 男は、あっけに取られているようだった。「分かってル!?」ヤムゥはつい熱くなって一歩距離を詰めてしまう。「山の爺ちゃま言ってたヨ!足るを知ル!ちゃんと知ってル!?」さらに一歩前に出る。「スーツおじサン、そレ、不幸の一歩かもしれないヨ!?」
 
 ――男は、左手の指先を額に当て、両目を閉じて少し考え込みはじめた。
「……少し待ってもらっても?」「ン!」ヤムゥが明るく頷く。
 男はヤムゥの言葉と意図を――どうも、しっかりと理解しているように見受けられた。
 その上で――ヤムゥの言葉と行動は、少々どころでなく、想定の範疇外だったらしい。
 どうしようか、と悩んでいるようだ。

 その姿は――なんというか、随分と、人間らしい。
 千珠はふいに思う。もしかして。
 今、自分はとても貴重なものを見ているのではないか。
 たとえばそれは、
「――なんなんだ」
 つい千珠が口にした言葉は、思いもせぬ強い詰問の形をしていた。
 かたちは先程の苛立ちに似ていて。
 もっと、鋭い。
 男は考えるポーズはそのままに目だけを開き、上げてくる。「何がかね?」「なんなんだ、君は」「オブリビオンさ」間髪入れぬ即答。「そうだ」千珠は頷く。
「君はオブリビオンだ。過去だ。加えて酌量の余地なんてない、とんでもないことをしたものだ」
「そうとも」面白がる調子だ。「こんな短時間に二度も受けるとは思わなかったが」
「そうだ」千珠はもう一度頷く。
「なのに、なんなんだ」
 最初に憶えていた畏怖は、どういうわけか今、千珠の胸にはどこにもなく。
「ヤムゥにあわせて手加減したり、言葉を受け取って考えてみたり」
 代わりに、なにか言葉にならない靄が、燻っていた。
「過去が悩んではいけない?」
「いけないとは、言わないさ」
 それは迷うのだ。誰だって迷う。
 だけどその悩み方は。

    ・・・・・・・・・・・・・・・
「でも、どう言ったらいいかなんて考えるのは、過去のする事じゃない」

 そいつはまるで。

「過去とて、予想外はあるさ」
 男は瞼を閉じる。
 どうにも、それを攻撃しようという気が――ヤムゥの手前であることも除いて、千珠にはどうにも湧かない。

「なるほど、なるほど……戦闘を放棄するほど、ね」
 笑んだ男の口元が、やがて小さく綻んで、軽く肩を震わせる。
 ――わらって、いるようだった。
 なんで?ヤムゥは額にしわを寄せる。そんなにおかしいことを、言っただろうか。

「おじさん観念した方がいいよ〜〜〜!」リリィがケラケラと笑う。「ヤムゥちゃん、いっつもそうなんだよね〜〜〜」少女らしい明るさで彼女は友を肯定する。「可愛いでしょ!」「それは肯定しようか」男の口元が、笑っている。

「君は目の前のオブリビオンの幸せの心配をしている、と」
「ン!」ヤムゥは首を力一杯縦に振る。
「事件の元凶を、心の底から」
「ウン!」もう一度首を力一杯縦に振る。「ヤムゥも大事な幸せ、探してル、から」
「これから戦うことになるのに」「ん!」
 男が目を開く。
 青。
「レディ」
 声も微笑みも柔らかく、右手はいっとき武器を外して胸元にあて。
 軽くかがめた紳士の礼で、ヤムゥと目を合わせる。
 男を警戒していたはずの千珠は、どうしてか、男の目による支配を、今この一瞬だけは警戒しなくていいと、その時理解していた。
 それは、それほどの礼だった。

「ご心配をどうも」
 初めて、こんな丁寧なレディ扱いを受けた。
 ヤムゥは目をなんどもしばたく。
「お気持ちは嬉しく――しかし」
 一転。
「不要だ」
 青は優しいまま――突き放すつめたさをたたえて転調する。

 ・・ ・・・・・・・ ・・・・・・・・・・
「私は、私の足るを知り、そのために動いている」
 胸に当てていた手を外し、そこに再び、一見するとそれとわからないようなあのナックルダスターをはめる。
 ・・・・・・ ・・・・・・・・・ ・・・
「知らないのは、君の方ではないかね、レディ」
 その一撃が、冗談まじりのさっきですらどんなに重かったかを、ヤムゥも、千珠も知っている。
「何もかも欲しくて来たのだろう」瞳からやさしさも失せる。「違うかね?」
 沈黙するヤムゥを後ろに、千珠はすかさず爪を伸ばして構える。
「つまらない欲は身を滅ぼすぞ」
 おじさん。ヤムゥの口からこぼれる。
 ああ。千珠が応える。
「そうとも、つまらない欲は身を滅ぼすんだ――君がこうして、猟兵を招いたみたいに」
 にっこりと男が微笑む。
 嗚呼。
 込められた敵対。
 Hear No Evil――聞き届けて、しまう。
「残念だったね、ヤムちゃん」
 リリィも宙へ浮かび上がる。「あたしも、おじさんの言葉はなーんかキラキラしてなくて、悲しく聞こえたけどさ」こっそり、教える。
 リリィは、これでもダンピールだ。
 はざまのものなのだ。
 もちろん、好きなように、自由に楽しくキラキラ生きたいように、生きてきたリリィではあるけれど。
 だからこそ。
 ヤムゥよりもいろんなものが見える、時もあるから。

「でも、ダメな時もやっぱりあるよ」
 ウィンクする。

 そりゃあ世界も大事だけれど、なにより友達のために来た彼女は――友達がもっとこっぴどく傷つく前に、そうやってとばりを下す。

 涙の原因になるような繋がりを、断つ。
 
 リリィは声を張り上げる。「おじさーん!」「何かね」
「そろそろ、本気できてくれるってこと〜〜〜!?」
「そうとも」
 男の笑みは、もう、彼方のように遠い。「だって」
「――ウン」ヤムゥは仮面を下ろす。
 それから、息を吸う。
「オジサン」
 ひとつ、ひとつ。
 ヤムゥはなぞる。
 だいじなものをなぞる。
 守りたいひとたちを思う。
「オジサンは――山の爺ちゃまとおなじコト、言ウけど」
 足るを、知れ。山の爺ちゃまは何かにつけて言う。欲張りなヤムゥ。足るを知れ。
 その度にヤムゥは、なんだが、むず痒い思いになった。何かを詰めて。我慢するような、息苦しい。
 ヤムゥ。
 足るを知れ。
 お前の手には、限界があるのだ。
 ごめんね。
 山の爺ちゃまに謝る。
 ヤムゥ、飛び出したら何か変わるかもって思ったけど、どんどん強欲になってる気もする。

 でも。
 
「ヤムゥだって――『足ル』を、知ってル」

 我慢するよりずっといい。

「ヤムゥの過去は、今のヤムゥと、一緒」
 蜘蛛の女性(ひと)へぶちまけた気持ちも、愛を求める気持ちを、聞いてあげたことも。
 あの、首を折ってしまった感覚も。
「置いてったりしなイ」
 ありありと覚えていて、忘れられない。
 
 欲張りな想いは、ヤムゥの身体に力を満たしていく。
 欲張りな想いは、我が儘の無理で体に悲鳴を上げさせる。
 それでも。

「だかラ、何もかもあげなイ」

 息を吸う。
 ほんとは。

「わかってくれてもダメなら」

 敵対なんか、しないほうが一番いい。
 いいけれど。
 
「ブッ飛ばしちゃうンだかラ!」
 

成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​

ジェラルディーノ・マゼラーティ
ヴラディラウスくん(f13849)と

やあ、親愛なるきみ
やっと逢えたねえ、なんて
ひらり手を振ったりして

そして、逢ったことで納得する
散りばめられた謎
意味があるようでない言葉たち

ああ、ほら、やっぱり
意地悪だねえなんて笑う
そうするしかなかったんだろうけど
伝わっても伝わらなくても良い、なんて
元の性格が垣間見える気がするよ
ああ、訂正
今も、かな

紳士対決かい?
それともイケオジ対決?なんて言いながらも
躊躇うことなく銃を向ける
嘗ての彼は、僕たちと同じ側だったのだろう
けれど過去は、過去だから

牽制しつつ露払いしつつ
おまじないも加えつつ

質問とは何だろうね
僕も何か質問してみようかな

――さあ
ディア・マイ・ディア
過去へお帰り


ヴラディラウス・アルデバラン
ジェラルド(f21988)と

対峙すれば成程と
目的も性質も明らかとなろう
とはいえ一切の躊躇いも無いのは
此度の相棒と同様に

使い慣れた剣を携え
我が冬にて切り拓く
邪魔立てする者が過去であれば
容赦無く斬り捨てる

慈悲の心は無いでもない
骸の海には沈んでおらず
洗脳も解ける見込みのある
現在や未来ある者ならば
遠くへ投げるくらいはしようか
それでも尚、刃向けるなら
辛苦の無い死こそ慈悲となろうが

詭弁も挑発にも乗らず
けれど戦士で在るならば
彼が強者で在るならば
多少は愉快な気分にもなろう
強者と渡り合うは愉しいもの
熱くなればなる程に
思考も刃も冴え渡り

過去になど飲み込ませはせぬ
海から手を伸ばすならば
全て凍らせ永遠(とわ)の眠りへ



●時よ止まれ、お前は美しい、と。男は言った。

「やあ、親愛なるきみ」
 いつも通りの笑みでいつも通りの誰にでも平等な態度で。
 ジェラルディーノ・マゼラーティ(穿つ黒・f21988)は片手をひらりと振る。

「や〜〜〜〜っと逢えたねえ」

「ああ、尊敬すべき猟兵(イェーガー)」
 おそらくいつも通りの笑みでいつも通りの誰にでも平等だろう態度で。「やっと逢えたな」
 その男もまた、ジェラルディーノへ挨拶をする。「随分手間をかけさせた」ひらりと手を振る気安さはないが、胸に手を当てた軽い会釈。
「なあに、きみがかけた手間を考えたら当然ってやつさ」
 ジェラルディーノはのんびりと答える。
「自筆のカード頑張ったねえ、本チャン以外にも10枚くらい書いたんでしょ?」
「地道な作業の指摘は止してくれ」男は苦笑する。「少々恥ずかしい」
「じゃあいつから準備してたの?」ジェラルディーノはニヤニヤ笑いながら男に半歩寄る。
「聞きたがりだな、君は」男は苦笑のまま心底、と言う様子で、やや顔をうつ伏せ、その前で軽く手を振ってみせる。振り払うように。
「秘密だ。祭りごとの裏話など明かされるべきじゃない」
「そうかなあ」
 ジェラルディーノは腕を組んで思案してから、半歩後ろを振り返る。
「きみだって気になるよね?」
 
「気にならないわけではないが」
 ヴラディラウス・アルデバラン(冬来たる・f13849)はゆっくりと答える。
「重ねられた努力を暴くのは無礼だとは、思うがな」
 答えながらこの奇妙なやりとりを見つめて、茶化すでも非難するでもなく――加わる。
「あらま」ジェラルディーノはお調子者気取りたっぷりに肩をすくめる。「ヴラディラウスくん、僕の味方じゃないの?」「味方だとも」ヴラディラウスは頷く。
「ただ、彼の言うことも最もだと言うだけだ」
「助太刀ありがとう、ミス」男が軽い会釈をする。
「彼は随分と聞き上手だから困っていたところだ」
「そうだろうな」ヴラディラウスは何のこともないように相槌を打つ。
「彼は適当なことも茶化しもはぐらかしもする。7割ぐらいは流して付き合わん方がいいぞ」
「ちょっと」ジェラルディーノがすかさず割り込んでくる。「ヴラディラウスくん?僕そんなことないでしょ?」「さて、どうだったか」「ひどいなあ」そういうジェラルディーノの顔は笑っていて、男もくすくすと笑いをこぼしている。
 
 ………。

 過去の海のうえでなく。
 猟兵と過去でなく。
 どこかの街角で出会った知人のような対等さと、親しみと、気安さで交わされる会話。
 中身はない代わり、何の裏もない会話。
 世間話とはそう言うものだ。
 必要なのはただ、会話。
 
 相手の言葉、仕草、視線のやり方、相槌、呼吸。
 そこから思考を、相手が自分に対してどんな人間であるのかを、ただ読む。
 それだけのこと。
 そして

 ・・・・・・・・・・・・・・・
 互いにそれを望んでいたがゆえに

「さて」
 男は笑いながら自身のジャケットに両手をかけて、かるく襟を直す。
「少々名残惜しいが――もう、そろそろだろう」
「もうかい?」
 ジェラルディーノは男の顔を覗き込む。「もうちょっとおしゃべりしていようよ」
「そうしたいのは山々だがね」
 男はどこまでも親しげに微笑みかえす。
 事実、込められた親愛に嘘はないのだろう。

「そうも言っていられなかろう、猟兵」

 ・・・・・・・・・・・・・・
 互いにもう十分だと理解し合うのもまた、同時だった。

「得心行ったんだろう?」
 男の問い。

 すばやくヴラディラウスがジェラルディーノを見るが、彼はかぶりを軽く降ってそれを応えの代わりにする。何の心配もないよ。

 ジェラルディーノに向けて投げられた問いに、コードがないのは。
 彼なりの敬意、なのだろう。

 ――――…。

「ああ」
 頷く。
 嘘をついても簡単に読まれてしまうだろうからジェラルディーノは素直に頷く。
「得心いったよ」
 黒い、ストラのような帯が僅かに揺れる。「だいたい全部ね」
 男は心底とばかり顔を顰める。「それは非常に恥ずかしいな」
「何、君と僕たちの仲じゃない」
「どんな仲かな」
 かん、と男がつま先で海を蹴った。
「昔はホラ、君が言ってた通り、猟兵とそれを支える側さ」
 水が蹴り上がる。形をなす。
「今は?」
 男がそれを手に取る。

「望んで殺し合いを挑む側と、受ける側の仲」

「それはいい」

 ヴラディラウスの一撃がまず受け止められる。

 男が手に取ったのは彼の背よりはやや短い、槍だ。柄から穂まで分かれることなく一直線。一部の教会の儀式用に見て取れるようなもので――いくつかの飾りが施されている。
 その長い柄の一部で、ヴラディラウスの剣の、刃でなく束をみごとに捉えていた。
「いやはや、鋭いな」
「捌いた奴に言われてもな」冴えた美貌、白い髪を揺らしてヴラディラウスは答える。
 男はそのまま槍を軽く半回転させ、ヴラディウスの剣を弾き、続けて、回転。
「紳士対決は無しかい?」
 火花が散る。「うわーお」二丁連続で発砲したジェラルディーノは素直な喝采を口にする。「銃を槍で弾くなんて、ダーク・セイヴァー出身?」「そのうち行ってみたいものだ」「かわいそうだけど、どだい許すわけにはいかないね」さらに連射。「それは残念」男は偶然ではないことを証明するようにさらに弾く。
 男はそのまま槍を半回転させ、穂先でなく石突の方を短く持ち替え、再び斬りかかったヴラディラウスの剣の腹を叩いて攻撃をずらし、下げる形になった穂先側を海に突き立てて――棒高跳びよろしく自身の体を引き上げ、槍の長さを利用して――
「ジェラルディーノ!」ヴラディラウスが男の名を呼ぶ。
「トリッキーなことするなあ」ジェラルディーノの苦笑。
 ジェラルディーノの後ろまで一直線に間を詰めてくる!
「こんなアクティブな同年代久々に見た」素直な感想。「あれ同年代だよね?いやもう少し下か」
「イケオジ対決をご希望かい?」
「久々にやったとも」男も素直な言葉をのべながら槍を横手へ薙ぎ
「対決ね。やはり全盛期とまでは、動けないな」ジェラルディーノが構えようとした銃、うちアダムをははじき、斜線を妨害してくる。
「それだけ動けりゃ割と十分じゃないかな」ジェラルディーノはまだ自由の効くイヴで男の足を狙う。「でも気持ちはわかる」よく見れば右、負傷している。
「意外と動けない――よね!」
 半歩前進、それだけで男はジェラルディーノの射線を掠めるだけにとどめる。
 対するジェラルディーノは男が踏み込みながら彼の胴めがけた右から左への叩きこみ――そう、突きを繰り出すには今の一射で距離が詰まりすぎていた――を僅かに身をかがめ、妨害されたアダム側、すなわち右腕で受け止め、防ぐ。「おっも!」
「何を抜かすやら」
 どちらにもへ向けた至極最もな感想言葉と共に、無防備な背めがけてヴラディラウスは斬りかかる。が、男はジェラルディーノのに防がれた攻撃の反動を利用するかのように槍を翻し、今度は腹ではなく、槍を横にして刃そのものを受け止めようとして「ぬかったか、男」
 ヴラディラウスは笑ってやる。
「我が一撃、それしきの玩具で受け止められるとでも?」
 ――剣刃一閃。その刃は全きを断つ。
 す、とかすかに刃が槍へ食い込む。
 男はかすかに笑う「思わんな」猟兵の技をよく知るものの顔。そのまま槍をすばやく斜めに、傾け、ヴラディラウスの剣戟の勢いを利用して刃を滑らせながら――自身は槍をダンサーよろしく下へ掻い潜り前進――ヴラディラウスの横をすり抜ける!

 再び、彼我の距離があく。
 互い、向かい合って対峙する。

「面白い」
 素直な感想と共にヴラディラウスは剣を振る。
 なかなかに手応えのある強者だった。
「あらヴラディラウスくん気に入った?」
 くるり、アダムとイヴを手元で回転させ、動作に問題がないことを確認しながらジェラルディーノが茶化す。「ああ」「あら妬けちゃう。ねえ僕は?」「無論認めているとも」「やったね」二人の戯れに男がくすくすと笑う。
 ――……。
「コードは使わんのか?」
 ヴラディラウスは問う。
「野暮ではないかね?」
 問いが返る。
「確かにな」麗人は頷く。「つまらん技を混ぜられると濁る」「だろう?勿体無い」
「それから」男は少々戯けて、片手、手のひらを見せるような形で胸まであげる。
「君たちに有効な質問があるとも思えない」
 可愛らしい降参のポーズ。
 ……とりあえずヴラディラウスはジェラルディーノを見る。
「とんでもない人間扱いをされているようだ」
「嬉しいぐらい買い被られちゃってるねえ」

 ジェラルディーノもまた戯けてアダムの銃口をあごに添えて小首を傾げ
「ああもう、ほんと、やっぱりねえ」目を細めた。

「君、ほんとに意地悪だねえ」

 戯れこそすれ、躊躇いなどなく。

「そうするしかなかったんだろうけれど」

 ジェラルディーノはこおれる水面の上に立つ、その男をただ見つめる。

「伝わっても伝わらなくても良いと思ってるんだろ、あれ」

 指摘に、男は悪戯っぽい笑みで槍に軽く頭を預けるように首をかしげた。「文学作品の妙は余白だと思わないかね」 
 ジェラルディーノはため息をついて
 
「どっちでも良いなら書いちゃダメだよ」

 予備動作なしに、撃った。

 礼儀こそあれ、手加減などなく。

 一発は弾かれた。
 一発は
「油断大敵ってね」ジェラルディーノは軽く銃を揺らし硝煙を払う。
 男の肩を穿っていた。
「……なんだ、今のは」
 男は撃たれた右肩の傷を抑えた手を離す。
 傷はない。
「なにって」ジェラルディーノは肩をすくめる。

 ・・・・・・・・・・・
「君の脚本にケチをつけたのさ」

 親愛なる脚本家のゴッド・ブレス・ユー。

「あんまりにも君があんまりだから」
「酷い言われようだ」
 だってねえ。と隣へ振る。「そう思うでしょ?」
「透けるよねえ、元の性格が」
「お前とそっくりだ」ヴラディラウスが視線は前、男を見たまま添えるようにこぼす。「あれえ?」ジェラルディーノは思わずヴラディラウスの方を見る。「どのあたりがだい?」
「一切の躊躇い無いあたりだな」
「……ヴラディラウスくん。僕、そんなに?」
「時折な」
 ヴラディラウスの言葉にジェラルディーノは「……そんなかな、僕」軽く思いを馳せるように腕を組んだ。
 そんなジェラルディーノをよそに、ヴラディラウスは目の前の男のことを、少しだけ深く考えてやる。
 ここまでのことを組み上げ、猟兵二人に対しここまで立ち回るだけのことをしてみせる、その人格と武を称えて、ほんの少しだけ。

「――お前は、それでよかったのか?」
 
 そして、冬のなかの晴天のような問いを、男へ投げる。
 氷のような女。冬将軍とて――慈悲がないわけでは、ないのだ。

「答えならば、隣の彼が言った」
 男の応えもまた、雪の原の足跡のように確かだった。

「それ、言っちゃうのかい」ジェラルディーノが添える。本当にそれで良いのかと重ねる。
「ああ」男は頷く。

「そうするしかなかったし」
 あとは再び振る雪に埋もれる跡。
「私はそうなる中で、できるだけのことをし、そうなるだけのことをした、と思っている」
 あとは溶けて消えて、なくなるだけの跡。

 確かにそれを、わかっているものの言葉だった。

 ――……。
「そうか」
 ヴラディラウスは、ただ――頷く。
 男の本心がどこで、どうあろうとも。
 出された言葉がそうならば。
「ならばいい」
 
 ヴラディラウスは、さげた剣の鋒を、あげる。
 ・・・ ・・・・・ ・・ 
「ならば、永遠に眠れ、過去」
 このさきはもう、それを止めるつもりはなかった。
「過去になど飲み込ませはせぬ」

 あちらは海(かこ)。こちらは陸(いま)
 断じる。

「海から手を伸ばすならば――全て凍らせ永遠(とわ)の眠りとしてやろう」
「うん」ジェラルディーノもまた、頷く。
 銃を構える。
「ディア・マイ・ディア」
 柔らかく語る。
 かつて人だったろう男に。
 今は人でなくあろうとする男に。

「おやすみ、だ」

 今でも、歪ながら人の傍にあろうとする男に。

「冬はね、凍らせて、春に溶けるんだ」
 
「そうすれば、その想いも、いつかは届く日が来るだろう?」

 ジェラルディーノの問いに。
 男は笑って答えなかった。

成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​

辻森・朝霏
さあ、センセイ
答え合わせを、しましょうか

私だけの先生と、今回限りの先生と
ひとつ、ひとつ、なぞるように

目立たぬ事は忘れずに
耳にも口にも気を付けて

嗚呼、けれど
金の髪に、紳士な身なり
ナイフ使いに、全身武器庫
彼が歳を取ったなら
あんな風になるのかしらなんて
どうしても
惹かれてしまう

残念
ふたりきりで出逢えたのなら
さんにんきりで、踊れたのに

赤子は嫌い。要らないの
五月蝿い音は獣みたい
けれど邪魔者のお陰で
此度人間は悪魔と成った
物語が始まる前の彼は
酷く退屈なひとだったのかも
善良も
悪辣も
まるごと愛する彼はわらう

眸の色も
心根も
正反対な彼と共に
最終章を愉しみましょう

ラブレターは
私宛ではないけれど

ねえ?
ディア・マイ・ディア



●緋色の教壇

「――おや」
 朽ちた森のうち、未だ木々が無事な領域。
 枯れ木どもの葉や枝で奇妙な模様を描く広間(ホール)。
 半分に折れた巨木の枝やねじり切れた病木、或いは細い倒木のが時の止まった舞踏会の形をしている。
 男はその端に優と立ち、ポケットからハンカチを取り出して口元に溢れた血を拭う。
「まさか君にお招きをいただくとはな」
 続き暗闇の影にいるはずの彼女のほうへ迷いもせず、視線を向けた。「光栄なことだ」
 それが――辻森・朝霏(あさやけ・f19712)は楽しくてしょうがない。
 一体どこからどうやって、どうして?見当のつかないことが面白い。
「こちらこそ」
 彼女にしては珍しく、素直に、かれの正面、円のちょうど真向かいから踏み出して――円の端に立つ。
「此度のお誘いに、心からお礼を」
 いつも教師に礼を述べる時と変わらぬ清純な笑みを浮かべ、
「ごきげんよう」
 左足を引き、スカートの裾をそれぞれの手でつまみあげ学校で習う通りの令嬢のような礼をする。
「ごきげんよう」
 男もまた胸に手を当て軽く、しかし優雅に礼を返す。
「まさかこのようなものが見れるなんて、思いもしませんでした」朝霏の素直な感想。
「それはそれは」なんのてらいもない男の返事。「少しでも有益であったのならこれ以上はないな」
 互いに自然体でゆっくりと近づいていく。
 場所が場所であれば、至極平穏でありふれたその会話は

「さあ、『センセイ』」
 場所が場所ゆえに

「答え合わせを――しましょうか」
 生臭い赤を求める、銀の刃と共に振われる。

 きん!
 朝霏の一撃を弾いた音は楽器のように軽やかだ。

「まさかもう一度そう呼ばれるとは思いもしなかったな」
 男はにっこりと笑いながら軽く右手の人差し指に引っ掛けたナイフをみせる。
「あら、どうして?」
 朝霏の耳元で『彼』がひそやかに笑う声がする。ノン。
 もう少し引きつけるべきだったね――彼女にいつも寄り添う、彼女だけの先生は、そう指摘する。
「そのための事件だったのではなくて?」
 否(ノン)と眼前の男も――今回限りの『先生』も生徒(朝霏)の質問にたった一言で回答する。
 こちらの先生は少々意地悪だ。回答の正誤だけで解説がない。

――まあ
「あの素敵な口上は嘘と言うこと?」
 ひとつ、ひとつ――なぞるように。
 好奇心旺盛な生徒そのもののように、問いを重ねる。
――それをたぐるのも、楽しいのだけれど。
 ……『男の目を見てはならない。男の言葉を聞いてはならない。男の質問には正しく答えねばならない。』
 一見するとそれは全くの無理難題のかたちをしている。
 しかし――あくまでもコードの条件だと考えれば、対策を打つことができる。
 簡単な手だ。
 『こちらからの質問』。

 そう。
 美しいダンスを踊るのならば、耳にも口にも気をつけて。

「それも否、だ」
 三度目の攻撃が弾かれる。
 これにより相手が発する言葉を制限できる。
 相手から質問を受ける確率を下げることができるのだ。
「まあ」朝霏は唇をほんのすこし窄める「ノーばかり」
「では」
 続けてあるナンバーを口にする。
「覚えがありますか?」
 その四桁は、UDC(コープ)の報告書の管理ナンバーだ。末尾には或るUDC関係者の署名がある。何度も報告書の最後に添えられている署名だ。
 朝霏が口にしたナンバーの事件以降、一度も報告書の末に出てくることはない署名。
 その署名は、あの廃ビルで対したしもべに関する事件の報告書の末にもある。
「懐かしい番号だ」
 男もまたにこりと微笑む。是。
「しかし――そちらの番号を言われるとは、少し意外ではあるな」
「そのための彼女だったのでは?」朝霏の問い。半歩踏み込み、突き。
「どの彼女かな」男の笑い。半歩引き、掬い上げるように刃の前を掬い上げられては「主語はきちんと」指摘の横薙ぎ。
「もちろん」朝霏は体全体を軽く捻り体を引く。
「可愛い可愛い楽園のしもべさん――彼女を使ったこと」そのまま一回転、横薙ぎを返す。
「イエスでありノーだ」
 男は悪戯っぽい笑みのまま軽く両手をあげて半歩下がり、朝霏の一撃を避ける。
「想定はしていたが、期待はしていなかった」
 上げた右手人差し指のナイフが朝霞の額めがけて斜めに突き込まれる。
 いなかった、という過去形は、朝霏の問いが解であることを指している。繋がりを辿る悪魔でなく、生徒の答えを促す問い。
「転移の術の暗示ができればよかった?」朝霏の問い。今度は前に一歩、飛び込むように。そのまま再度、胸元へナイフを構えて。
「その通り」男の回答。男の左手が朝霏の右手首を掴み、朝霏の上へと捻りあげる。抗ってはいけない。『彼』が囁く。付き合って見せてあげようじゃないか。ええ。朝霏は応え、ひねられる腕に合わせて、腕を折られないよう体ごとくるりと一回転し――
「満点におまけの付く回答だ」
 ぱちぱち。男のささやかな拍手が贈られる。
 ――その間に男は、朝霏から二歩の距離に離れている。
「そこまで理解しているのなら、これ以上の質疑応答は蛇足に過ぎないな」
 男は両の手のひらを天に向けて肩ほどの高さへあげてみせる。
 
 ……朝霏が男へ告げたその番号。
 報告書の事件は――或る集団錯乱事件だ。
 曰く、どこかの団体だかなんだかが、仲間内で殺し合ったという事件の、調査。

「だからこそ」
 スカートが朝霏の動きより半拍遅れてふわり、落ちる。

 その事件の調査以降、男の署名は報告書の末尾を飾ることはなくなる。
 別な事件の、被害者として上がるのみで。

「ご褒美の解説がいただきたいです」
 朝霏はにこりと微笑む。
「正確な情報に基づく自由な想像の余地こそ、学び修めた者の自由だと思うがね」
 男もまたにこりと微笑んだ。
――慣れたものだ。朝霏の思考の後ろ、『彼』が楽しそうに分析している。
 おそらくいたのだろうね。素直にすぐ問うような生徒が。
 教えるのも慣れてらっしゃる、というわけね。朝霏は『彼』の言葉に楽しく相槌を打つ。

「作者の意図を答えなさい、は文章題の定番でしょう?」
 『彼(センセイ)』の補足を参考にして朝霏は戯れにごねてみる。

 この事件の――『誰が』『どのように』はすでに開かれている。
 カードは解かれた。
 犯人が何者かを示す可能性のための宗教団体。
 廃ビルの事件を介した、どんな事件が起こるのかという暗示。
 自身のいる場所へいたる場所への招待状。

 ……さて。
 そうするとひとつの疑問が残る。

 術式にはほとんど関与のない、余計な文が多すぎたこと。
 調査すれば出てくる情報が多すぎた。

 あのカードの嘘――ここへ至るおまじないの反転だったという、それ以外の部分。
 多すぎる料理店の注文は人間を平らげるためだった。
 では、あれは?

「残念ながらこれは現代文の授業ではないな」
 戯れには戯れで返ってくる。
「もちろん」朝霏は吹き出しそうになった自らの唇に手を添えてこらえる。「文章題のつもりではありません」「ではなんの授業かな」茶目っ気ををたっぷりと含んだ問い。
 ・・
「心理の授業です」
 朝霏は手を添えたまま、男をまっすぐに捉える。
「出題者にはそこまでの意図はなかったんだがね」
 男は薄い笑みのまま応えを返す。
「満点におまけがつく回答だったのでしょう?」
「なるほど」
 男は「では、簡単にひとつだけ」教師らしく自らの後ろで腕を組む「ありがとうございます」
 
「ただの気がかりだ」
 朝霏の背後に立っている。

――なるほど。
 朝霏の奥で、彼が咲う。
 
 そして、そう。

 的確に朝霏の髄を打つはずだった一撃を、朝霏は翻して受け止める。

「お見事」
 受け止められたというのに、男はにっこりと笑っている。

 朝霏の唇もまた

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ようやくナイフを握ってくれましたね」

 にっこりと咲(わら)う。

「おや」男は悪びれもしない。「気づかれていたか」
「自他の動きの反動のみでのナイフでここまであしらわれ続けたなんて、驚きです」
「気づかないとすら考えていた」「きっと気づかないとそのまま体力を消費させられていたのでしょうね?」「その通り」
 朝霏は今まで男がしてきたように、ナイフにかかる男の腕の重み、動作の反動を流すようにしてその刃を弾く。「非常に有意義な経験になりました」

「残念でしたね」
 綻ぶ唇のまま囁く。「いえ――こう伝えるべきかしら」

 ・・・・・・・・・   ・・・・
「ご期待に添えて光栄です、センセイ」

 捉えた。

「では」
 男は指にかけたナイフをくるりと回して、逆手から順手へ握り直す。 
「優秀な生徒にはご褒美の追加授業(ハイ・クラス)を」

 空気が、弾ける。

 弾けるように錯覚するそれは――恐るべき速さで繰り出されたナイフ同士が交わされ打ち合ったその反応に過ぎない。
 朝霏の額を狙う一撃が回避で前髪をふわりとなびかせる。男の左胸めがけた一撃がわずかにそらされネクタイを軽く引っ掻く。
 先ほどまでリードとフォローが一方的だったダンスは、今や立場は交互に変わる。
 ほぼ対等。
 次に攻撃がくる位置を、どんなふうに攻撃がくるかを。
 朝霏の、ひとを悦んで喰むあぎとの思考(アミューズ・グール)で、完全に捉えている。
 
――本当に、残念。

 ターンは最小限よりもさらにアンダーに。
 足(フット)は軽くインサイド・エッジ。
 恐るべき瞬間の判断が求められる攻防の中で、朝霏は心からため息をつく。
 ああ、非常に口惜しい。

 金の髪に、紳士な身なり。
 茶目っ気と余裕。それから悪戯心。
 ナイフ使いで、全身武器庫。
 思考の背、『彼』を肩越しに伺う。この『彼』が、と考えずにはおれないのだ。
――この『彼が』 
 『彼』と目があった。

 『彼』が意地悪に目を細める。おや、いいのかい。

『よそ見かい』
「よそ見かね」

――『彼』が歳を取ったら、こんなふうになるのかしら、なんて。

 男のナイフがもはや捉えるのも難しい速度(カウント・アップ)をもって迫る。
 首から胸へ、縦の振り下ろし!
 考えずにはおれない――どうしても、惹かれてしまう。
 『彼』が笑う。本当にそう思う?少しだけ。軽くこたえる。 
 オーバー・スウェイ。朝霏はかすかに上半身を捻る。
――もしも、こんな事件ではなくて、ふたりきりで出会えたのなら。
 彼女の傍にもう一人いる誰かに、軽く体を預けるような、ムーブ。
――さんにんきりで、踊れたのに。 
 朝霏は咄嗟にナイフを逆手へ握り直す。
 それはまるで先ほどの男の一手をなぞるように。
 握り直した逆手のナイフ、刃を少し上げて。スーツではダメだ。おそらく何かの強化繊維である可能性が高い。だからそれ以外の場所を的確に。
 狙いは澄ませて、刃を――

 おわあ。
 嗚呼。祓っても祓いきれない病気が騒ぐ。
 赤子は嫌い。朝霏はまゆを少しだけ動かして、自らの中に現れたそれを認識する。
 これだけ『感染源』に感染するこの男に関わっていたのだ、当然の反応だった。
 五月蝿い音は獣みたい。
 おわあ。朝霏の動きが、わずかにしびれるように遅れ、
 同意見だ。
『彼』が頷く。
 獣みたい、どころか、獣だろうさ。心底つまらなそうな声で。
 まだ、ね。
 
――朝霏のナイフは男のカフス・ボタンを刃で掬うように弾き。
 腕時計のベルトを撫でて、手首へ――

 『彼』はそちらを一瞥もせず。
 逆手に握ったナイフを赤子の脳天へ投げ

 邪魔、しないでくれるか。 

――差し込む!

 朝霏のうちと、外に、赤が、散る。
 
「退けたか」
 手首にナイフをしたから突き立てられることで動きを止められた男は「なるほど」朝霏に何が起きたのかを一瞬で理解したようだった。「そういう事例の可能性もあったか」
 朝霏は微笑むだけで応えない。
 五月蝿い赤子(じゃまもの)は消えた。そして次現れるまでには全て終わっているだろう。
 嗚呼、でも感謝してもいいのかもしれない。
 朝霏は少し思う。
「初見でなかなかの対応だ」男は躊躇うことなくナイフから手首を引き抜く。
 腱を絶った感覚はなかった。差し込みに合わせて差し込まれる位置を選んだのだろう。「いえ、ナイフ(こちら)ではなく」

「そちら側のご気分は、いかがですか?」

 あれのおかげで――此度人間(このおとこ)は悪魔と成ったのだから。

 この物語が始まる前の彼は、どんな人間だったのだろうか?
 たぐった事件報告資料(かこ)からはただ仕事hへの誠実さと真摯さが見えるばかりだ。
 その時に出会ったとしても、酷く退屈な人間だったかもしれない。
 少なくともひとびとをおもちゃのように引き摺り出して殺させるような人間ではなかっただろう。

「実に興味深いよ」
 男は袖口を赤く染めながらも涼やかに笑う。
 誰かのために戦う猟兵(もの)たちの善良さも。
 こうして楽しい殺め合いを楽しむために現れる悪辣さも。
 まるごと愛するものの笑み。

――さて。
 『彼』が呼びかけてくる。続けようじゃないか。
 ええ。
 朝霏は応える。
 それから少し考えて、付け足した。先ほどのだけれど。
『彼』はいつの間にか軽く組んでいた手を解く。どれだい?
 あなたが、この人みたいになるのか、ほんとうにそう思っているのか、ということ。
 ああ。彼はそのまま両手を椅子の肘掛けに預ける。あれがどうかしたかい?
 思わないわ。
 おや、どうして?
 朝霏は笑う。
 まず、眸の色が違うもの。
 彼は赫い瞳を三日月に細める。
 それだけ?
 いいえ。

「では」
 朝霏はナイフを順手に握りなおす。
「もう少しお付き合いいただけますか?」
「勉強熱心だ」「いいえ」

 それから、小根も。

 珍しく、彼が小さくだが、軽く声を上げて笑い

 ・・・・・
 違いないね、兄妹。

 肯定する。
 ポンと、いかにも大したことではないというふうにソファからたちあがる。

「ダンスです」
 全ての回答が済んだのなら、授業ごっこは終わりだ。

 ラブレターは私宛ではないけれど…ねえ。
 『彼』を誘う。意識の奥から近づいてくる靴音が、応えの証だ。
 
 ・・・
 ふたり、男をとらえる。

「いいとも」
 男が応える。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 その本質は間違いながらもどうしようもなく最善を尽くそうとした人間である、男が。

 溢れた赤は、朝霏にとって悦びの色をしている。

 最終章、愉しみましょう?

 ラブレターは、私宛ではないけれど。
 私宛ではないからこそ。

 呼びかけるのは、ただひとり。

 ディア・マイ・ディア。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

ジェイクス・ライアー
【アンカー】

殺すべきだ
UDCそれ以外であり得ない

解っている
姿を見れば気づく
刻まれた年月が、相応しい装いを変えた

見ないフリをして
全てを閉ざそうとして
瞼の裏で鬼が溺れる姿を嗤う

「策は」

己では欠く

達人の境地
死すら感じ取れぬ一閃
そこに及ぶとすれば

-

潜む。気配を、存在を、海の底に沈めるほど

分析と思考
条件と枷
数多の経験を手繰り

起死回生のトリックプレー

真打は己だと
狂気すらも錯覚させよう

白刃を曳き星影を切る
手加減?まさか
けれど燻る欲望には呑まれまい

思考は青く、赤を待て
朔夜に[彗星]の閃光が煌く

-

keep looking,don't settle
血を吐き泥を飲み、それでも―

そう教えてくれたのは貴方だったはずだ!


多々羅・赤銅
【アンカー】

目と目で青を掠めて、赤が恋しい
ともひとぉ、どーしたの熱烈ラブコール、私も気が変わって
お前と殺し合いたくなったとこ!

(ノリ気じゃないのに体が動く、夢中で殺したい、違う違う待てよ
今じゃロマンスが足りないじゃん!)

他人。金色。ごちゃごちゃ言ってる。吹っ飛ばされてーー頭が冴える
随分と我儘言ってた?
救う?
まじかぁ

乗った。

死んだフリしろっつった!?オッケー!(死)

剣戟と殺意の嵐に身を潜め
待つ、時を
起きる、静かに
刃一枚よりも、己を削ぎ落として

成すべきは
刹那に殺め、死より疾く疾く血を注ぐ
切断と祈酒
さっき灯人にやったのと同じ!

見て
聞いて
言うさ
何とかしてやるって

隙まで滑り込め、切先
刹那を、寄越せ


浅沼・灯人
【アンカー】
なんだろうな、この感覚
そうだそうだ
お前を殺したくて仕方なかった、あの時と似てるわ
なんでだろうな、急にそんな気分になったわ

斬り合い打ち合い、暫し
その最中に強烈な一撃、思考が冴える
あ?……なんだ、ダンドか
え、あいつ救うの?救えんのか?
……しゃーねぇなあ、ならいっちょ作戦に乗ってやらぁ

ジェイクスと赤銅が動きやすくなるよう、俺はダンドと共に前へ
お前と戦り合うの初めてだな
加減できなくても倒れないでくれよ、なぁ!

相手の強さを信頼して斬りかかる
この戦い、どちらが倒れても成立しない
だが本気でやらないと疑われる
物音を立てろ、派手に戦え
奴の注意を奪うために、目の前の味方(てき)に集中しろ!


ダンド・スフィダンテ
【アンカー】

助けたいんだ
閉ざされれば、声は届かず

落ちる瞼は拒絶の意思だ
けれど、肯定
「ある!」
説く

貴殿なら、に否定はあれど
視線の先に、二人
一答
「それなら」

割り入る
「まぁ待て!!止めるんだ!」
それらしい言葉で眩まし、掴み、流し、他には聞こえぬ声で囁く

救っては、くれないか?

崩れぬ闘争に応え、作戦を伝え
女神に乞う
「頼む、殺さないで」
どうか、殺して

そうして掴んで投げ飛ばす!
10mの外へ飛ぶ、赤

「一端死んでおいてくれ!!」
……あっ!投げ方間違えた!?

聖印を、彼へと向ける。
蒼の目はやはり深い。
さぁ、聞
エラー
トライ
武器を
手に

「さーて!やるかトモヒト殿!!」
なに、この身は太陽だ。
いくらでも燃えてやろうとも。



●メーデー・メーデー・メーデー、錨を下ろせ

 過去の上に築かれた、朽ちた森のなか。
 青。
 ふたりはそれを見た。

 見るなと言われたってそりゃあ見るだろう。

 もしもその一瞬を2人に問えたのなら両方がそう答える。

 そりゃ見るだろ。
 これから殺す男なんだから。ひとりは続ける。
 憶えるにゃどうしたって生きてる顔が要るだろうがよ。どんなやつかとか見たって俺には理解できねえけど、だからこそ顔ぐらいは留めねえとだろ。
 平時と変わらない、あっさり乾いた無表情をして。

 だから見た。
 そして――引きずり落とされた。
 帰ってきたとはいえ彼のたましいの足元はふらついていた。だから認識すれば簡単に落とされる。
 引き摺り込まれるのでない、攫われるのでない。
 海に引きずり落とされて。
 なんだろうな、この感覚。馴染みがある。と彼は思考する。
 心地よい海の冷たさに、一切を吐き出してしまった呼気に、重力のない水に、体が一瞬どこにあるのかわからなくなってぜえんぶどうでもよくなって――水面から顔を出して引き摺り出される、ただただかえってひとのねつの恋しくなる、あの――。
 
 ……それが、浅沼・灯人(ささくれ・f00902)に起こった、たった一瞬こと。

 そりゃ見るだろ。
 これから殺り合う男なんだから。ひとりは続ける。
 やっぱ見とかねーとな。ほらあ、どんだけ本気とかなんのつもりかとかどーんなもんかとか見ねえとわっかんねーもん。
 一瞬なら問題ないっしょ、とカラカラ笑って。

 だから見た。

 まず――刺し込まれる。
 んだっけな、この感覚。すげえ身に覚えしかない。と彼女は思考する。
 中指を一本、差し込まれて。
 第二関節あたりを軽く曲げて回し、あわだつ窪みを撫ぜられた後、薬指が入ってくるような、甘い。
 目と目でかすめただけの青。
 引きずり出される。
 招いて引っ掴んで引きずり倒して絡めて攫って狂わせたくなるほどの、あの――。
  
 ……それが、多々羅・赤銅(ヒヒイロカネ・f01007)に起こった、たった一瞬のこと。

――あの、窒息にも似た――苦しいほど身悶えしたくなるような、願望(ねつ)。

 互い、見たはずの青はもうなかった。
 互い、その熱を向けたいのは青ではなかった。

 重たく鋭く――熱く、鋼が鳴った。
 
 ああこれだ、と無骨な鋼の塊と折り重ねて伸ばした刃紋が踊る刀の向こうに、見合って、互い、思う。

 ひとでなしほどにうねる情を向けたいのは、
 この――銅が欲にくらむとうるむような赤をにじませる、眼だ。

 あー、と灯人の口から低音が低く、どこかだらしなく漏れる。
「あー…そうだそうだ」先に鈍器を振り下ろした灯人の声は「これだわ」どこか痴れた音をしている。
「どれだよ?」
 刀と自身よりよりはるかに重いだろう重量を大業物で受け止めた赤銅は、喉の奥からくつくつと怠惰な甘さを込めて笑う。
 「ともひとぉ」同じかそれ以上の色情に熟れた痴れ声で囁く。
「どーしたん、熱烈ラブコールじゃん」交差する刃がぎちぎちと鳴る。
「……なんでだろうな」半歩、灯人は踏み込み剣に自らの体重を乗せる。「お前を殺したくて仕方なかった、あの時と似てる」寝台で覆うさまに似て。
「似てるだけ?」かかる重量、刃が少しずつ押されるのも構わず赤銅は眼をすがめて灯人を見る。 
 正しくは、灯人の眼を
「いや」
 その奥の、ちらつく色(あか)を。
「本気」
 赤銅は、悦びに、眼を細める。
「んだよ」返らぬこたえに灯人は唇を窄める。「やらねえの?」
 うひひ。赤銅はあけっぴろげにはしたない笑いをこぼした。
「いーや!」刀を斜めに傾がせ、動きようもないはずの重みを滑り抜け――烬。
 半歩、踏み込んで

「私も気が変わって――今お前と殺し合いしたくなったとこ!」
 嗚呼。あの夜救うために頸を切ったのとは違う、素っ首斬り落とすための刃を。
振り抜く。
 嗚呼。
 今度は――重く深く強く、鉄塊剣が、響く。

 嗚呼。
 ジェイクス・ライアー(驟雨・f00584)は脳味噌に氷を一つすべりこまされた冷たさを錯覚する。
 始まった赤銅と灯人の戦闘から眼をそむけ、樹に自らの背を預ける。
 そしてもう一度だけ、2人の戦闘のさらに奥。
 あの男が――自らこそが原因だと言い放っていた彼の様子を伺う。
 少なくない負傷。しっかりと立ってまぶたを閉じている男は、動く様子がない。
 だが、これ以上はまだ近づかない。彼の射程内に入ってしまう。彼の指にはめられたリングがワイヤーは使えないと見ていいだろう。少なくともすぐには。
 冷静に彼を分析しながら、一方でジェイクスの脳には窒息するほどの思惟/情で満ち満ちている。
 
 ……可能性を、考えなかったわけではない。

 今回の事件が、彼自身の手によるものではないと思っていた。
 そうであってはならない、赦されざる、過去に成り果てたUDCとしての所業だと。
 ジェイクスが敬愛する彼を過去により写しとられたものであって。
 彼自身ではないと考えていた。
 
 だが、どうだ。 
 ここに至るまで、何人もの猟兵を見かけた。負傷を見かけた。戦闘の後を見かけた。猟兵相手に尽くされていく手段の全てを、細かくではないが読みながら来た。
 知っている手管ばかりだった。知らない道具も多く見かけた。

 解っている。
 解っていた。
 姿を見れば気づく――だが、改めて見て、突きつけられるこの事実は、どうだ。
 間違えるはずもない。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ジェイクスが彼を殺めた時の姿と異なる。

 刻まれた年月が、重ねられた経験が、彼に相応しいあるべき装いを変えさせたのだ。

 ・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・
 本当にあの時過去になったのなら、それはあり得ないことだ。

 考えなかったわけではない可能性が、現実味を帯びている。
 まだ、成り果ててはいないかもしれない、など。
 ジェイクスは思わず瞼を下ろす。握り込んでしまった右手を額に当てて、考え込む。
 成り果てていない可能性?
 だが、それで?
 それでどうしろと言うのか。
 彼はまだUDCに成り果てていないのかもしれない?
 だがそれは時間の問題だ。
 ならば――殺すべきだ。
 猟兵でなかった彼がああしてコードを使用できているのもその証拠だ。
 彼はもう、UDC、それ以外では、あり得ない。
 何度でも。
 今度こそ。
 殺そうと――決意しただろう、ジェイクス・ライ――

「あ゛〜〜〜っっっっっっ!!」
 ジェイクスは思わず眼を開けた。

 こんな朽ちた森の中で、やかましい大声が「クソッ」ジェイクスの向こうに珍しく毒づいて。「あいや間に合った!?間に合ったか!?」
 陽などない灰色の天の中で燦然と輝く金髪が揺れて。
 あらゆる時を無視する灰色の海の上で馬鹿みたいに息を切らせて。
「ジェイクスど」
 ダンド・スフィダンテ(挑む七面鳥・f14230)が立ってい――

「 こ の ど 阿 呆 」
 ジェイクスは迷わず右手で胸ぐらを掴んで引き寄せると同時に頭突きをした。

 あだっ、とダンドからでるはずの悲鳴はジェイクスが左手で口にハンカチを詰め込まれたせいで音の一つも出ない。

「 こ こ が  ど こ で  相 手 が 何 だ か  わ か っ て  い る の か 貴 様 は」
 ジェイクスは流れるようにダンドを回し、後ろからチョーク・スリーパーで首を絞めながら怒気は激しく声は最小限に非難する。
 腕を三度程たたかれたところでジェイクスが技を解いてやれば「俺様今追いついたのに」ダンドはぐるりと身をかえしジェイクスと向き合う。「いきなり首はなくない!?」語調は激しいがジェイクスの指摘を受けてダンドの声も最小限だ。
「煩い」ダンドから眼を離し、樹から姿を少しでも出さないように注意しながら「敵の射程内がどこにあるのかもわからん状況で大声を出そうというお前が悪い」至極もっともな意見を叩きつける。「だけどだってでもでもでもだってだってだな」「なんだ言ってみろ」「ああ言う」

「間に合わなかったかと思ったんだ」
 ジェイクスは思わずダンドを見た。
 ああ。
「間に合わなかった、かと?」
 ダンドは安堵する。こっちを見てくれた。
「ああ」
 なら、まだ分がある。
「ジェイクス殿、聞いてくれ」
 半歩、近づいて真摯に眼を合わせる。
 ジェイクスの青はいつものように透き通っているようでいて、混迷が渦巻いてる。よかった。決めたわけじゃないのだ。
「聞いている」
 ならまだ、まだ。

 ・・・・・・
「助けたいんだ」

 ・・・
 まさか。

 ジェイクスは思わず瞼を下ろす。
 それだけでは足らず、思わず右手で目元を覆う。
 その先を、聞きたくない。
 自らを閉ざそう。
 けれど、ああ――……。

 明らかな拒絶だ。ダンドにもわかる。
 でも、それでも。
「まだ間に合うかもしれない」
 だって、言いかけて。

――けれど、ああ。
 ジェイクスの唇が苦く嘲笑う。
 こんな時に、思い出す。瞼の裏で、溺れるガキと笑う。
『Hear No Evil――他人の否を聞いてはならない』
 つまり?問うとジェイクスは問うた。
 教会の教えとしてのその文言は、彼が語ったのと違い、性的なことを禁ずるだけの文句だったからだ。
 彼はそうしてジェイクスがすぐ問うと少しばかりの非難を込めて眉を軽く寄せたのだ。
 だがその日はどういうわけか、彼はそのまますぐに応えた。

『相手の欠点や悪しざまなことではないなら』

『遍く』

 ・・・
「誰をだ?」

『聴きなさい』

 ・・・・・・
「あのひとをだ」

 ――……。

『Speak No Evil』
 無理だ、と言いかけた言葉を、ジェイクスは飲み込む。
『他人の欠点だと、悪しと思う旨を言ってはならない。情報は常に、様々な意味を含む』
 嗚呼。
「根拠はあるのか」「ある」「なんだ」
「あのひとと――赤子は別なんだ」多分だけど、と言う言葉を飲み込む。
 だが、おそらく間違いはないだろうとダンドはうっすら確信している。
 あの夜に、この海で見たあのひとの後ろにいた、赤子。
 ダンドへ近づいてこなかったのは――ここまで、来られなかったのだとしたら?
 繋がり。
 
 ・・・・・・      ・・ 
 感染型UDC――――その、本体の感染者。

 ジェイクスはゆっくりと息を吐く。
 そうとも、呼吸だ。脳とて酸素を食う。

 無駄だと言うのは、たやすい。
 だが、しかし。

『そして――See No Evil』

 手を退けて、瞼を開けば。

『悪い事ばかりでなく、正しいことを見なさい』

 戯言ではなく、ただ真剣に。
 無闇ではなく、意思を持った光をたたえて。
 ジェイクスと、あのひとのことを思う、ダンドの眼が。

 真摯の赤が、そこにある。

 ああ馬鹿だと、この男を笑ってやることも容易い。
 だが――そうとも、だが、だ。

『そして』
       ・・・・・
 叶うのなら、自分だって。

『Do No Evil――ほんとうに正しいと、思うことをしなさい』

 ジェイクスはダンドをただじっと見つめる。
 いつだってそう、間違いだと思うことを成そうとしない――できない男。
 ひとりではダメだと笑って、いつだって誰かを巻き込んで手を伸ばす男。
 嘘のつけない――本当に馬鹿で、愚直で、誠実な男。 
 おそらく、あの戒律が本当に必要ない男。

「策は」

 ・・
 問う。

「ある」

 ダンドはすばやく視線を滑らせ、まにあわなかった方――赤銅と灯人を伺う。
 互角の花火はまだ狂ったように咲いては散っている。
 まにあわなかったけれど「2人――巻き込めるのなら、多分」遅きに失してはいない。
 ジェイクスはその要望を――不思議と屈辱とは思わなかった。

「わかった」
 悪くない。
 たまには――悪くない。
 ほんとうに、正しいと思えることのために、成すのなら。

「要点を教えろ」

 たまには、この馬鹿(ダンド)のように。
 ひととのつながりで、手繰って見せよう。

 ■

 あーと赤銅は胸の内でうなる。
 命のやりとりはたまらない。いろんなところを理解し合っている同士なら尚のことたまらない。
 すぐそこに死があって互いの命(せい)をかけてしかばね積み重ねて罪重ねて作り上げてきた技も力も全てもを惜しみなくただ愛互い向かい合って注いでかわす刃は柔らかい愛撫よりも尽くされる言葉よりも一瞬よりも短い刹那のやりとりで焼けるように灼けるほど使い尽くされていく熱が体を焼いていって反動で感覚はどんどん冴えていってどんなひとつも見逃さずに済んで求めてだからこそどんなものよりも濃厚で何もかもを相手のことだけを考えていて眼も神経も思考もぜえんぶ互いに互いでこの上なく独占していてどこに何を掛けてどうもらってやろうか引っ張って絡めてまぐわうようにひりついて愛でて愛でて愛でて愛でて愛で尽くしていてたまらない。たまらないのになんだろう物足りない無我で夢中に相手を求める相思にして相死相愛の時間でもうたまらないたまらないはずなのに全然いや全然じゃないけどちょっと良くないとんでもなくブッ飛んでいいほど心地いい、はずなのに

 ――嗚呼、物足りない。

 こんなに思考がいっぱいなのにそのきっかけがわからない。
 こんなに贅沢な瞬間なのに、どうしてこんなところでやらかしているのかわからない。

(あ)
 赤銅は足元の運び、朽ち葉を蹴り上げ目眩しにしてやった際に、つま先で気づく。
(待った)
 ここは、過去の海の上。
(こんな場所でやり合ってんのか私ら)
 いく度目かの一閃が鉄塊剣に受けとめられて、弾かれる。
 その音に――呼び起こされる。
 
(まったまった待て待て待て、そっか――わっかった)

 灯人へ猥雑な挑発を投げようとした唇が、開いたまま言葉を出せない。
(今じゃない)
 なんなら息も止まっている。
(今じゃ全然ロマンスも足んない)
 まるで、溺れているように。
(つーか、そもそもやる気ない、私)
 知っている。
 これは知っている。
 溺れているような。その認識が――赤銅の耳に音を届ける。
 ざざ、ざあ。
 過去の海のさざなみ。
 
 攻撃が弾かれ思考がそれて、動き損なった赤銅に――灯人の追撃が迫っている。
 普段やる気のなさそうな無表情が、蘭々と眼を輝かせて、歪に浮かべている笑みだって愛おしい。
 嗚呼待って。
 超可愛いのに待って。
 これは、こんなのは――

「んだ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッッッ!!!!!!」

 でかい塊がふたりきりの間に落ちてきた。

 そいつはなんだかばかでかい上に馬鹿でかい棒っきれを振り回して
「その勝負ッ」灯人の横暴な一撃を七割ぐらい受け止めて「待――おうわっ!?」
 いや受け止めきれんのかい、とか言うツッコミが思わず赤銅の思考に浮かんで、元々反応に遅れていたせいで残り三割の衝撃で吹っ飛び「げッ」派手に背中を倒木に打ちつける。
「あ?」
 予想だにしない乱入者に灯人は顔を顰める――せっかくの一生に一度のどうしようもない人でなしの最悪で最高の愉しみを邪魔したそいつは鉄塊剣を受け止めて、こともあろうに反撃してこな――

「『見ろ』」
 言葉が、届く。

 灯人の、思考が晴れる。
 言われた通りに、見て――認識する。
 そりゃ反撃してこないわ、と納得する。
 なんだ、ダンドか。
 そりゃこの中に飛び込んできたら赤銅巻き込む可能性あっから槍ぶん回してせめてこねえわな。

 赤銅の鈍った頭にも言葉は届いた。
 でかい塊は他人としてピントが合う――冴える。
 あのすげー目立つ金髪。ダンド。イコールで結ばれる。
 随分と我儘言ってた?自己の思考を認識する。
 だが、体はまだ勝手に動く。
 ばきばきに鳴る背骨と肋骨を無視して刀を握って立ち上がる。

 ……かくしてダンドのコードは揃う。
 視認されること。(See)言葉を聞かれること。(Hear)
 それこそが、ダンドのコードの条件だ。
 それだけで

 ・・・・・・
「救いたいんだ」

 ――彼の語る(Speak)は抗い難き言葉(The Order)となる。

 え?あいつ救うの?灯人は思う。相変わらず突拍子もない。救えんのか?とも思う。
 しかし、この上なく、らしい。
 嗚呼しかし、灯人の体もまた赤銅と同じく――意思に背き、動く。
 腕が勝手に鉄塊剣を引いて
「できんのか?」
 再び横凪の大振り。
「なに!」槍を頭上から側面、斜めに構え、鉄塊剣より長いリーチを利用して、受け止めるでなく――振り抜かれるより早く、弾く!

 ・・・・・・・
「灯人殿と同じだ」
 嗚呼、なんて単純な作戦。
 ダンドは脂汗を浮かべながら、ふざけたウィンクをする。無茶な余裕。

「まじかぁ」
 その背後から赤銅が斬りかかる――それもダンドは槍をひっくり返すようにして受け止める。「まじだぞ」「知ってるよ」

 ・・ ・・・・・
「頼む、殺さないで」

 そして――どうか、殺して。

 赤銅は、花々、今度こそ自分の意思で
「乗った」
 笑う。

 ダンドはそのまま刀を払い開いた赤銅の体に手を伸ばす。
「すまん」一言謝り――剛腕に任せて、ダンドは赤銅を投げ飛ばす!「一旦死んでおいてくれ!」
 オッケー、と赤銅は返す間もなかったので、ウィンクだけしておく。
 10メートル。
 吹き飛ばされて――赤銅は地面に叩きつけられると同時に

「あっ」

 折れた低木に、刺さった。

――男は、片目を開いた。

 右目だ。女の方がやられた、と彼は認識する。
 視覚とともに思考に滑り込み――支配する。
 それが男が仮で得ているコードだ。
 そうとも――『仮』だ。
 
 問いによる思考より、関係から繋がりをたどり召喚する。
 言葉による思考の単純化でもって相手を強化し、支配する。
 認識から視界をへて “ ” という形で感染者に言葉を囁くことは、その一環だ。

 いずれも、あの認識で感染する赤子が、赤子でなくなった際に現実へ攻め入るための技能。
 彼はそれを、感染源としての権限――まだ思考のできない赤子の代理で使用している。
 
 支配した彼らに飛び込んできた乱入者に、男は苦笑を隠せない。
 やれやれ、きたか。左目の映像から意識を離さぬまま、ゆっくりと歩き出す。諦めの悪い彼氏だ。皮肉まじりの評価を添える。
――大方、あの彼氏は救う手があるのだろうと考えているな。
 誰を?
――笑ってしまう話だが、この私をだ。
 殺さないでくれ。女の視界から見えた男の唇はそう読めた。
 視界が片方だけであろうとも――たといその片目で別の映像を見ていようとも――男の足取りは迷いがない。さまざまな攻撃で受けた傷も歩くたびに激しく痛むが、なんのこともない。
 それだけのことをしたし、それだけのことをしている。
 さて、あの彼氏が私を救うと考えているとして――それは可能なのか?
 どうだろう。
 可能でありそうでもあり、不可能であるようにも思われる。
 男が本当に過去のものでないかと言えば、男自身にも判断は非常に難しい。
 現在は常に過去へと滴っている。こぼれた砂が救えないように、彼をかたどるオブリビオンが自身の前に現れてもおかしくはない、とは思うほどには――過去の傍らにいた。

 ・・・・・・ ・・・・・・ 
 感染型UDC――母胎なる幼体のかたわらに。

 過去の海からこうして希望する武器を引き出せるほどにも近しい存在にもなっている。
 あの彼氏がなにでどういう策を組んでいるかはさておき。
 少なくとも――あれは囮だろう。
 動くものがいるとすれば、誰か。
 あの、視界が切れる直前に胸あたりに枝の見えた彼女はどうだろう?
 けがの度合いにもよるが、警戒しておいていい。他の猟兵の可能性もある。
 あとは

――ひとり、浮かぶ。

 男は懐かしい顔を思い浮かべる。ここまで一度も遭遇しなかった顔を。
 しかしもし何か――どこかでこの事件を知っていたのなら絶対に関わってくるであろう、生徒。
 ひとりだろうか。その可能性が高い。元々徒党を組んで動きたがる性質ではなかった。
 男の率いるあのチームで、ようやく少しずつ、と思った矢先に、あの決別の事件だ。
 意固地になって一人狼にでもなっている可能性が高い。
 どのみち――この場にいる『オブリビオン』であれば、するべきことは一つだった。

 激しい剣戟が聞こえる。
 重ねられる剛が空気を揺らしている。
 場が開ける。先ほどからの戦闘で――森はすっかり、開け始めている。
 男は、被支配者の視界でなく、自身の目で、彼らを認識して、そして――…。

「やあ」
 ダンドが振り回した槍を灯人が避けて大きく後退し、膝をついたタイミングだった。
 ちょうど灯人の後ろ、6メートルほど。
 いくつかスーツに血の滲みが見えるが――あのひとは、ダンドが遭遇したあの夜と変わらぬ態度でそこに悠々と立っていた。
 ダンドは咄嗟に目を見かけて、危うく口元に注視する。
「調子はどうだね?」
 問い。コード。
「おかげさまで――ちょうど温まってきたところだとも」
 回答。コード無効。「それはいい」全く本気のような相槌。
「面白い説を一つ話そうか」
 くすくすと男が笑った。ひどく純粋な笑い。「人間の視界についてある説がある」
「錯視を知っているかね」
 男は灯人をけしかけてはこない。
「ええと、なんか渦とか絵が動いて見えるとかいう」「そうだ」
 ……逆に、いつ動くかわからないがゆえにダンドも踏み出すことができない。
 ゆえに男の言葉に付き合うしかない。
「あれは眼球が急速に動くからだというのだが……こういう話をする者がいる」
 背を、嫌な予感がなぜた。

「ミスター、『聞」
 ダンドは灯人の一撃を受ける覚悟で聖印を発動し彼に向け

 エラー。

 ・・・・
 動かない。

「眼球で視界全体をすでに捉えており――我々が認識する視界とは焦点に過ぎない。
 絵が動くのは、焦点をどこに絞っていいかわからないからだ、とね」

 トライすら、叶わない。

 男の目を見た。

「そうだ」
 蒼は――やはり深い。
 男は笑っている。

「焦点の制御など、無駄だ」
 
 嗚呼。
 ダンドの手が武器を握り込む。
「温まってきたのなら本当に都合がいい」
 男は本当に軽く言う。

「猟兵どうしの闘争を――それぞれの視界から観るというのは、なかなかに面白くてね」
 
 ・・
 よし。ダンドも獰猛に笑む。
 相手が盤に乗ってきた。
「いやあ……本気のお前とやり合うのは初めてだな」
 自由な口で、灯人は嘯く。まだその思考まで男の配下にあると見せるために。
 本陣は、ジェイクスと赤銅だ。
 灯人の動きには少し余裕があった。ダンドのコードである程度上書きの影響だろう。
 だからこそ、万が一にも悟られてはいけない。
 引きずる鉄塊剣城の切先が、ザリザリと海を撫で――はたと気づく。
「はっはっは、そうだな!」ダンドもまた軽口を叩いて、大ぶりに槍を振り回し、どん、と海に突き立てて鳴らす。「せいぜい、力一杯くるがいいさ!」
「そのせいぜいなんだが」灯人はぼそぼそと独り言のように呟く。「うん」ダンドは瞬きをする。小首をかしげるほどの自由はなかった。「追加していいか」「何?」「あとでな」
 ぱちり。ダンドは許される範囲での反応をする。したかったウィンクはゆっくりとした瞬き。
「さーて!やるかトモヒト殿!」
 しからば。
 目を焼くのは、太陽の仕事なれば。
「おお」灯人は頷く。
「簡単に倒れないでくれよ――なぁッ!!!!!」
 挑発のように符牒を込めて、鉄塊、振り下ろされる!

 いざ。
  
 ……赤銅と灯人とはまた違う――豪、剛、業の合が響いているのを、ジェイクスはしっかりと認識する。
 時々折れた枝が吹き飛んで、朽葉がいくつも木々の間を躍り散っていく。
 ジェイクスはその中を潜む。
 気配を――存在を。海の底に沈めるほどに。
 合わせて、分析と思考する。

Q:先ほどあのひとがわざわざダンドと灯人のもとへ出て行ったのはなぜか?
A:炙り出しだ。彼は、二人が囮だと想定している。
Q:第三者の見当はついているか?
A:おそらくイエス。
Q:彼は私たちが彼を救うために動いていることを考えているか?
A:おそらく、イエス。ダンドはたびたびそれを口にした。ここにくる前の接触でも試行した。
Q:手段の想定はついているか?
A:おそらく、ノー。例えば護符などで一時解除できる旨は知っていると見ていい。
Q:視界を代償に支配する能力は彼にどんな影響をもたらすか?
A:赤銅が消えたあと躊躇いなく戦場に向かいダンドにも驚かなかった。
  よって支配とともに視界を共有している可能性が高い。

 あのひとがどんなひとだったかを知るのは、ジェイクスのみだ。
 数多の経験(かこ)を手繰り、思考を、能力の条件と枷を、残りの装備を、想定する。

 そうして捉えた懐かしい背に――目を、細めてしまわずには、いられない。
 息を吸う。
 ゆっくりと――真っ直ぐに。
 一歩、二歩。
 そういえば、最初に直すべく指摘されたのは姿勢で、次は歩き方だった。
 合わせて、マナーを。
 あのひとの射程に入ったというのに、彼は振り返らない。  
『礼儀作法は絶対に忘れてはいけない』
 ジェイクスは帽子を取り、胸に当てる。
『それが君を創る』

「ごきげんよう――おひさぶりです、先生」

『真の気高さを持ち給え』

 ダンドと灯人の激闘に背を向け、あのひとが――振り返る。

「やあ」

 目は、合わない。
 閉じた瞼が、胸に苦しい。

 ・・・・・・・・ ・・・・・
「実に久しぶりだな、ジェイクス」

 ――――……。
「わ」息がつかえる。「かる、のですか」
 郷愁にも似た苦しさが、あの、なによりの幸いであった頃の自分に戻らせるような気がする。
 だが、それはもう呪い足り得ない。
 今や遠くでまたたく、祝いだ。
「無論だとも」彼はなんてことないように軽く肩をすくめる。「年月は声をかすれ、深めさせこそすれ根底は変わらん」
 ひとをふたり操り、撃の音を響かせているというのに、彼の態度はジェイクスの知るあの頃と全く変わらない穏やかさで不動と在る。「瞼を閉じたままの無礼を許せ。どうにも今、目が離せなくてな」ジェイクスは帽子をかぶる。「ええ、無論です」

 柔和さではない、本当に個人的な興味の形の笑みを浮かべた唇

「――Speak No Evil」
 が、歪み、命令(コード)を告げる。

 ・・・・・・
「君ひとりかね、ジェイクス?」
 課題(Q):正しきを答えよ。
 ・・ ・・
「ええ、勿論」
 回答(A):偽りはない。――コード無効。

 ジェイクスはくるり手元の傘を持ち直し、先を彼へ向ける。

「あなたの喉を差し貫くのは、私の仕事だ」
 
 偽り?
 いいや、これは嘘ではない。
 それより他に、手があるのだと知っているから、取らずにいられるだけで。

「他の誰にも、譲るつもりはない」
 飾る必要のない、まごうことなき本心。
 狂気のような、殺意(ねがい)を吐く。

 傘の柄、散弾銃の引き金を――

 ちん!
 ――おもちゃのような音に、ジェイクスは引き金を引く指を咄嗟に外していた。
 刹那の技だ。
 彼の武器である、あのナイフが銃口に突き刺さっている。

 目を瞑り、違う映像を見ながら――これか!

「そうか」
 さらに一瞬。
「では、やってみたまえ」
 先生は銃口前に来ていた。ナイフを軽く引き抜きながら、その膝で傘を蹴り上げる。
 引き金から指を外したとはいえ構えていた銃を撥ね上げられたようなものだ。ジェイクスの胴が空く。
「ハンディキャップは十分だぞ、ジェイクス」
 右手。逆手に握られたナイフが下から上へ、的確にジェイクスの胸に目掛けて突き込み、繰り出されるのを、咄嗟に傘を手放しながら膝蹴りで迎え討つ。弾いた一撃はジェイクスのベストの胸元を浅く割いて引かれる。
「ええ、何度でも!」
 下がる彼めがけ逃すまいと蹴りを出す――すでに革靴の先、仕込み刃は飛び出している。
 蹴りは同じく蹴りで迎え討たれる。刃は届かず重く、痺れるような一撃。衰えを知らぬ技ではあるが、その奥の骨の、ややの細さが響く。
 互いに一度引き、距離。
 ・・ ・・・・・
「今度は何分かけるつもりかね?」
 あのひとは足を引いて揃え、自身の右手首の時計を叩いて見せる。袖口は赤く染まっていて、時折血が溢れるのにも構わずに。作業の遅刻を叱咤のする時の動き。
 ・・・・・・・
「何分かけてでも」
 そのたびに返した言葉を、ジェイクスは今一度返す。
「本当にそればかりだな」
 呆れたように彼は両手を軽く広げる、左手の先でナイフを「幾つまでそう言うつもりだ?」いや、ナイフではない、それは
「なじみの冗句にも限界があるぞ」
 今し方彼が叩いていた、腕時計――それを、このたった一言の間に外していて、ジェイクス目掛けて放ってくる。
 どんな意味を持つかは知らない。
 しかし、ただの時計ではないことは明らかだった。
 ジェイクスはリングのスイッチを入れる。右手を振って鋼糸を操り、それが何かしがの反応を起こす前に宙で絡めとり、引き裂こうと力を入れた瞬間に――爆発する。
「爆弾ですか」「時限機能付きだ」傘や靴を教えてくれたのと変わらない口調。「少々惜しいことをした」
 ジェイクスはそのままワイヤーを操ってあの人めがけ周囲の木々を斬り倒す!
「ふむ」あの人は平然と唸る。「ワイヤーは上達したようだ」見えているかのように。
「無論、ワイヤーだけではありませんが?」
「勿論、ワイヤーだけでなくては困る」
 頼りは耳だけであるはずだ。それなのにあのひとは平然と木々を掻い潜る。 
 だがそれでいい。足に、腕に、絡み付け――縛れ、動きを封じろ!
「ジェイクス」
 あのひとがため息をつく。
「この状況でワイヤーを張ると言うのは、実際、あまり褒められた手ではない」
 彼が、宙へ足を掛ける。「考えての手なら、乗ろうか」
 ジェイクスが張ったワイヤーを、足がかりにして、軽く、軽く。
 手には、先ほどジェイクスが手放した傘を掴んで。
「文字通り」
 ジェイクスが張ったワイヤーを足場に立ち。
 あの人がこちらに銃口を向ける。
 ジェイクスはリングのスイッチを入れる。足場があるのなら、崩すまでだ――高速回転し、ワイヤーを巻き始める!「ご教授は有り難く」
「ああ」あのひとは小洒落たタップ、ダンサーがするように傘を肩に担ぎ、ぽんと軽く飛んでしまう。「ワイヤーの問題点は、繋がっていると言うことでね」そしてまた別のワイヤーへ足をかける。
 ジェイクスのリングが今高速回転することで真っ直ぐに伸びた筋へ。
「手繰ることができるのだ。高から低へ――使用者の元へ」
 そのまま反動を利用して宙を滑り降りてくる。ジェイクス目掛けて。
「成程」ならば、ジェイクスもまた宙へと踊るだけだ。
  一足で宙へ。UDCアースのものではない、魔法生物の羽と鉱石を埋め込んだ靴。
 先ほどは届かなかった蹴りを、今度こそ――
 体のひとひねり。
「なるほど」
 それだけであの人はそれを避け、ついでに手持ちの傘で追撃を封じるべく、はたき落としてくる。「機会があれば理屈を聞きたいものだ」
 互いに、着地する。
「さて、次は何でくるね」
 踵を揃え、立つあの人の姿は、つい数刻まえに声をかけた時から時間が動いていないかのようだ。
「何も」ジェイクスは素直に返す。「ほう」あの人は片眉を軽くあげる。「バングル、ネクタイピン、ジッポー、シグネット」いくつかの名前をパラパラとあげ、小首を傾げる。「タネ切れには早すぎると思うが」
「道具は、所詮道具です」
 スーツの埃を払いながら、ジェイクスはナイフを抜く。
 倒された木々で周囲を囲った。こちらとあちら、繋がっていたはずの空間を分断する。
 視覚と聴覚で分断されているはずの彼の感覚を、さらに空間で引きずり分ける。
「よろしい」
 あの人が――満足げに微笑む。「戦況の組み方も上達したな」
「お褒めの言葉には、まだ早い」息を軽く整える。
「ここまでは軽い現状報告です、先生」
「前座にしては長かったな」あの人が人差し指に引っ掛けたナイフをくるくる回す。
「測りましょうか、何分かかるか」
「結構だ。時計も無い」
 ジェイクスはナイフを握る。まずは逆手。
 あの頃習った通りの型ではなく――そして相手は目を閉じているがゆえに、指摘はない。
 白刃を一度横薙ぎに振り、構える。
 手加減?まさか。するはずもない。
 するべきはただ一瞬の隙を作るための尽力だ。
 ナイフの光は、あの時と変わらない。
 昏く暗い欲望――あの人を殺めるのなら、自分なのだという願望は確かにそこにあったが、しかし。
 飲まれることは、ないと確信していた。

「では」

 いざ。


 うわ、すっごいやべえおっさん。
 赤銅は息を潜めながら素直な感想を胸に浮かべる。
 ダンドと灯人の戦闘支配を維持しながら――つまりそれは目では別の映像を見ながら――ジェイクスとあそこまでやり合う男。
 道具でのやりとりの方がまだ余裕があっただろう。
 ナイフとナイフが響き合い刺し向け合う戦闘は、先ほどの倍ほどになっている。
 業と業、剣戟と殺意の嵐の只中で、赤銅を息をひそめている。
 実際、ジェイクスはあの木々を使った追い込みでかなり上手くやっていた。
 これなら赤銅が今いる位置から、速攻で駆けつけることができる。
 流れる血もそのままに、ただ、時を待っている。
 必要なのは、たった一瞬の隙だ。
 聖者がゆえに自らの傷を最低限、動けるように治癒しながら――生きながら死に続けていくような苦痛を味わいながら、ただ、ただ。
 待っている。待っている。


 踏み込み下から上、横からの撫で上げの一撃――閃と言うにはあまりに暴力的な業!
 フリとは言え灯人の全力に、ダンドの息は上がり始めている。
 特に、妨害のためか、ただでさえ大振りで激しい灯人の攻撃は祭りもかくやの勢いだ。
 だが、そのおかげか――じわじわと、引いていくのがダンドにもわかっている。
 武器の握り込みに自由が効いている。攻撃の引き、溜め――調整ができる。
 とはいえ、決して加減するわけにはいかないのだが。
 そしてそれは、灯人も同じだった。
 否。一度引き摺り込まれかけ、今再び支配下に置かれた身としては、不幸中の幸いと言いたくはないが――ありありと感じ取れていた。
 だから、ダンドとは逆に、そろそろだと、判断していた。
「おうダンド、さっきのなんだがよ」
 鉄塊剣を突き立てダンドの槍を防いだせいで火花が飛んで響く轟音の中に告げる。
「どれだ?」「奴さん、多分俺たちの目を見てるんだよな」「おお、そうだな」
 殴り、或いは突き、振り抜き、振り下ろし、振り上げ――おおよそ会話の調子とは似ても似つかない攻防を繰り返しながら、灯人はその思いつきをつぶやく。
「あのおっさんに一泡食わせる方法があるんだわ」
「まじか」「まじだ」
「なになに?」

「あのおっさん曰く――眼球で視界全体をすでに捉えてる、んだよな、俺たちは」
 灯人の一言で、ダンドは何が起きるのかを察した。
「えっ」顔色が青ざめる。「ちょっまっ、それ、まっ」 

      ・・・・・・・・・    
 灯人は――鉄塊剣から手を離す。

 それは強力な支配下に於いては、本来不可能な行動だ。
 だが、ジェイクスとの攻防、分断に置いて、今支配の手はかなり緩んできていた。
 幾多ものコマンドだった指令が、単純なものに書き変わっているようなものだ。
 行動や手法を指定していたものが、「相手を、打ち倒せ」になる。
 そんなふうに。
「じゃ」
 だから相手に手をかける、これも、まあ行動としてはあり得なくない選択だ。
 ゆえに、通る。
「頼むわ」
 ちょうど先ほど、ダンドが赤銅にしたように、灯人はその怪力で、ダンドを投げる。
 方向は、決まっている。
 
 ……浅沼・灯人には――ひとつ、素手で放てるコードがあった。

 当然だがダンドは赤銅ほどは飛ばない。飛ばす必要もない。
 ただ、そっちの方を視界全体で捉えればいいのだ。
 灯人は右手の人差し指と親指のみを立てて、あとは握り込む。
 子供が遊びでする、銃の形だ。
 コードの名は、黙斂。
――奴の注意を奪うために、目の前の味方(てき)に集中しろ!
 あとは、ほんの少し指先をずらすだけ。
 下手に弾道を操作すれば、それこそダンドを狙いかねない。
「誤爆したら――すまねえな!」
 最大威力の、不可視の砲撃を放つ。
  

 その瞬間は、突然だった。


 あのひとの眸が――ジェイクスを映した。
 幾年ぶりの、蒼。

 奇しくも、ナイフはちょうど交差した瞬間で。
 ほんの、ほんの、刹那。
 その顔を語るなら――呆気に取られた、という。
 彼がそんな顔をした『なぜ』を、ナイフを握らぬ左手をジェイクスへ伸ばしてきた『なぜ』を邪推させる理由が。

 彼らのやや頭上。

 森の一部がごっそりと不可視の弾丸に吹き飛んだ。
 まず一度。はげしい振動に二人はそのまま動けず――は、とから笑いがでる。
 サイズを最大限に設定された砲撃。
「あの馬鹿ども」くたばってはいないだろうな。
 二度目の砲撃は二人の右側を、ごっそりとけずる。

 動けるのは、ジェイクスだけだった。

 嗚呼。

「先生」

 呼ぶ。
 彼らが稼いだ隙を――

 ジェイクスはナイフを握ったまま、両手を伸ばす。
 あのひとは目的を、首を狙うのだと、読んで防ぐべく手をあげた。

 かつてそうした。それこそがするべきことだった。
 今もそうしただろう。いつかあの日のままであったのなら。

 しかし。

 年月を重ねたのは、あなただけでは、ない。

 ジェイクスは一切の攻撃はせずに、スーツの襟を掴む。
 引き寄せる。
 不思議と、くちびるが笑みの形になる。
 皮肉ではない、純粋な笑みに。

「私が真打だと――思いましたか?」
 起死回生の、トリックプレー。
 当初の予定と合わない部分は、ご愛嬌、としておこう。
 
――鋒、滑り込みこじ開ける。

 あのひとの、きょとん、とした顔を、初めて見た。

 は、と笑った。「なんだ」
 
「ひとりではなかったのか」

 嘘吐き(ライアー)め、と。
 どこかの夕方、どこか気安さを込めた揶揄われた声音に笑みだった。
 ただ――今回は込められた安堵だけが違った。

「よくやった」
 跳ね起きて、飛び出す。
 多々良・赤銅は散々待たされたその刹那を、正しく果たした。
 良い/唯々諾々と、自らの傷も塞がずに。

 真打。
 死すら感じ取れぬ一閃。
 達人の境地、或いは聖者の偉業。 
 尾を引く閃光は曇天。終わりでしかなかった朔夜を翻す彗星のように煌めき。

 誤ることなく、ジェイクスに引きつけられていた男の首を、髄、その奥に小脳が息づく位置を――断つ。
 
 刹那に殺め。
 刹那を殺め。
 死の腕が追いつくより疾く疾く(とくとく)と、赤銅は聖者の血を注ぐ。
「おーら、おっさ――」
 
 おわあ。

 その血の中で、息をする声がある。

 おわあ。
「おーっと」
 赤銅は余裕のかけらを引っ張って笑う。
 ジェイクスは意識を失い、自身に寄りかかり目覚めない男をささえながら、見る。

 動かないはずの海が震え、嗚呼、過去(UDC)が、逆説で現在から過去(海)へ溢れ出づる。
 
 男(現在)を隠れ蓑に、海から陸へあふれていた其れ(過去)が――死と聖者の血で、現/洗われたもの。
 男の首から垂れる血が、脈打って、海へつながっている。
 
 おわあ、おわあ――おぎゃあ、おぎやあ。
 不可侵だった波は鳴き声に応え、どこか危うい柔らかさを持ち始める。
 海全体から、声が響き、大合唱している。
 あの人の足元で、血溜まりはうずを巻いて、いる。 
 男の死と、再生を阻むかのように。

 或いは。
 ジェイクスはふと思う。
 彼は望んでいるのだろうか。過去と成り果てることを。
 或いは。
 彼は望んでいたのではないか。

 過去として本当に処理されてしまうことを。

 何もわからないが――何か、それを置くと、何かの筋が真っ当に通るように思われた。

「ふざけるな」
 ジェイクス・ライアーはそこで、はじめて――その人に、怒りを覚えた。
「ジェーイクス?」赤銅が彼を覗き込む。
 赤銅の視線を無視してジェイクスは呼吸のみで目も覚さないその人の首、頸の傷の血塊を掴む。

 おわあ。
 おわあ。
 呪いが歌っている。呪いが祈られている。
 成り果てろ、過去。
 
 重ねた罪に、負った業に、どうしようもないありように――諦めることは、ジェイクスにとっても容易かった。
 だが、そうはしなかった。できなかった。

 血を吐き泥を飲み、それでも。
 それでも、ここまで生きたのは。

 ぬめり脈打つ、繋がり。
 引きちぎる。
「くれてやるものか!」
 吠える。
 掴んだ血塊を水面に叩きつければ、足元の血に、赤子の顔が浮かぶ。
 ぶくぶくと、膨らんでいくそれを――ジェイクスは怒りに任せて踏み潰す。「絶対に――絶対にくれてやるものか!」
 先生、と彼を揺らす。目が覚める気配はない。
 名前を叫ぶように呼び捨てる。考えもしなかったことだったのに、すんなりと口に出た。
 それでも目覚めない。ジェイクス。赤銅が嗜めてきて、ジェイクスは普段はちゃらんぽらんなくせにこんな時は尤もらしい顔をこの女と食ってかかりそうになって「尤もらしいつーか尤もなことな」彼女が「安静にしてやらにゃ」男の脈を確認するさまに、はっと我に返る。確かに生きていると保証する。向こうに渡ったわけじゃないのだと。
 ジェイクスは振り返る。
 赤子の声は、やんでいる。
 過去の息吹はどこにもなく。
 しかし確かに足元、かさが増すばかりで永遠に交わらぬ水面に、確かに蠢いている。
「そこで見ていろ、過去ども」
 布告する。

「どんな過去に絡められたとしても、現在は窒息しないところを――見せてやる」
 返事はない。
 ただ、目覚めぬ男の静かな息。
 ピュウ、と赤銅が口笛を吹いた。
「なんだ」思わず睨む。「なーんでもね」
「赤銅、手伝え」「おん、良いぜ」
 内容も聞かない上にあまりに軽い、二つ返事が返ってくる。

「見て、聞いて、言うさ――私も手伝って、なんとかしてやるって」
 重ねて告げられる言葉も、本当に彼女の頭のように軽い、とジェイクスはひどく失礼なことを思うが、言わない。
 ダンドと灯人が寄ってくる。
 彼らに聞いても、おそらくほとんど二つ返事なのだろう。
 それが、馬鹿らしいことだが、何より信頼してもいいのだと、彼はもう、しっかり、理解している。





「――つまりそういう事件ってことか?」
 灯人はベランダで煙草を吸っていた。
 左手にはスマホを持ち、耳に当てている。スピーカーモードの方が楽だが――背面、窓の向こう、失血疲労他で未だ寝ている赤銅を確認する――いまは避けたい。
『ああ』
 神妙な声で返事をした通話相手はダンドだ。
『Dear My Dear』
 あからさまに皺をよせた。「当分聞きたくねえな」灯人は煙草の灰を灰皿へ落とす。

「けど、信じられねえ気もするがな――本当に、ただそれだけ、だなんてな」

『……あくまで仮説だぞ?俺様も全部わかってるわけじゃないし』
「おう。そりゃ全部は起こした本人以外わからねえって大前提はわかってる」
 灯人はガシガシと頭を乱暴にかく。「想像でいーんだよ、想像で」
「想像だけど、誰かと確認したいから連絡してきたんだろ?」
 目の前に通話相手がいるかのように顎をしゃくる。
『都合のいい妄想な気もして』申し訳なさそうな声が細々漏れてくる。
「だがこーしてわいわいやって少なくとも俺とお前は意見が一致してるぜ」
『……』「ジェイクスとは?」灯人は溜息をついた。「まだ話してねぇのかよ」ううん、という子供のようなぐずりが聞こえる。「へーへー、付き合ってやるよ」

「じゃあ最後の確認だ」
『……今回は、ひどい事件だった』
「そうだな」
 何名かの猟兵はひどく憂鬱な顔をしていた。
『記録がたくさん残る』
 灯人は視線を少しだけ動かす。窓の向こう、あの扉の向こうに乱雑に置いてある、彼だけの石碑。「……、おう」
「めんどくせえ書類をUDC(コープ)から提出希望受けてたしな」
 かいたことねーけどと騒いでいるアンデットの少女がいた。拒否してみようかなあと笑う神父がいて私達は冷静に書くべきだと嗜めていた女がいた。
『手口も込み入ってた』「なんかすげえキレてる医者いたな」

    ・・・・・・・・・
『そして被害はほとんどない』

 灯人は唇の端を引き攣らせる。「そこが信じられねーんだよな」



「いや信じてお願い」
 ダンドは慌てて言い募る。
『信じるもクソもコープからの報告書にあるんだろ?』
 カチカチと向こうで何度か鳴ったのはライターだろう。短い毒づきが聞こえた。
 しばらく沈黙があった。

『本当に本当のマジなんだよな?』
「ああ」

 ダンドの目の前、テーブルの上にはUDC(コープ)からの書類がある。
 一つはダンドが今回の事件をデータに残したいとコープから提出を求められている書類。
 もう一つは、UDC(コープ)からの報告書だ。

『あれだけの規模で?』「あれだけの規模で」
 貴殿報告書見てないの?ダンドが恐る恐る尋ねるとあっさり軽くおうと返ってくる。
 ずらりと並んだ被害項目、あるいは対処項目を確認しながら通話を続ける。

「ネットに流された噂は猟兵からの報告で無事情報処理が行われて無効化」
『……まあ、噂はそれっぽい別の流しゃなんとかなる、のか』不承不承の相槌だ。
 ある猟兵曰く、人って恋バナの方が好きだしね、とか何とか。
「おまじないの痕跡も消去済み」
『……あれだけ情報が絞られてりゃしらみ潰しに場所探んのもラクか』
「らしい、探偵さんたちの太鼓判付きだ」
『つってヘタすりゃ触……あー…そも完全に行えねーとあのヌルヌルはでねーんだったか』
「そう」
 呪術に詳しい猟兵が肯定していた。あのレベルで再現できたらよっぽどのマニアかこれが違う物だと知っている者くらいだろう。
 広まったおまじないの侵食もあらゆる手段で浄化されている。
 ダンドはちらりと時計を見る。

「だから、侵蝕による被害も確認できる限りでは、ほとんどない」
 あっても記憶処理他でなんとかなる程度だという。

『じゃアレは?猟兵襲ったやつ。とりつかれてたヤベー女子高生いたんだろ?』
「肋骨の骨折だけで済んでる」『重症じゃねーか』
「……命、精神共に別状はないそうだぞ。後遺症もなし。まあ、これは対処した側もうまくやったのもあると思う」
 ダンドはページを捲る。「記憶処理を加えて少し検査入院すればトラウマもなく学校に戻れるそうだ」

『負傷したのは俺らのほかは予知したあいつぐらいってか?』
「怪我一つないしUDCじゃなくて猟兵にやられたらしいぞ?」『なんでだよ』
 それはダンドもそう思うが、その件は深く聞かないでおいた。
 というか深く聞く間もなかったのだ。
『重症の猟兵は他にいないのか?』「いない」
 まったく無傷でないものはいるだろう。
 しかし、再び立ち上がれないほどの傷の者はいないという。心身ともに。
『建物の被害』「取り壊し予定の廃ビルとあの渚では、被害のヒの字もない」
 ダンドは時計をもう一度見る。
 ジェイクスが部屋を訪れる予兆はない。
 ダンドは席から立ち上がり、スマートフォンをスピーカーモードに切り替えてゆっくりと歩く。

「だから――この事件は、形だけ見るとほとんどこちら側の大勝利なんだ」

 認識による感染を行なうUDCの存在――性質、対処法。
 門の術式の存在――性質、対処法。
 多くの情報を得て。
 一般への被害は、ほとんどゼロ。

「もちろん罪がないとは言えない。言ってはいけない」
『たりめーだ』
「でも」

 喫煙ではない、長い、長い溜息が電話の向こうで吐かれる。

『奴さん安定してんだっけ?』
「…峠は越えたそうだ」見えないにも拘らずついダンドは頷く。「まだ目は覚ましていないけれど」『でなきゃ割に合わねえよなあ、あんだけ出血させといてよ。まだ調子わりーんだぞあいつ』「ミューズ・タタラには後で何か奢らないとな」ダンドは軽く笑った。

『……言うと思うか?』
 寂かに灯人がつぶやいた。
「言わないと思う」
 静かにダンドも返す。
「たぶんだけど、どんなことも黙って受け入れるつもりだと思う」
『詳しいな』灯人が揶揄う。「感覚だ」肩をすくめる。「ハズレならいいけど」
 そもそも、と。彼は続ける。

 ジェイクスが来る様子は、まだ、ない。

「弟子が自分をUDCごと自分を殺すことを想定していた、んだろう」

 ダンドは語りかける。
「そこまでが計画だったと、思う」
 けれど男の計画は狂ったのだ。
 さまざまな――繋がりに引っ張られて。

『んじゃもっかい総評だ』
 先刻聞いた答えを灯人はあえて促す。
 息を吸う。
 ダンドの部屋の扉は薄い。ノックの音がいつも嬉しい知らせのように響くぐらいには。
 だから電話という形式で――呼びかける。
 
「ある感染型UDCに感染した男が
 ――自身を冒すUDCの情報とこちら側を冒すUDCの計画を、
 UDCが本成長する前に乗っ取り、
 最小の被害で出来る限りの情報を伝達するべく起こした事件」

 ダンドの部屋の扉の向こう、立っているだろう男に向けて。

『“欺き導く者”ってか』
「ああ」
 
 しばし、黙る。
 ノックの音は、ない。

『異議なし』
「ありがとう、灯人殿」
『どーいたしまして。じゃ赤銅起きたから切るわ』「ああ、また」

 ダンドはドアを開く。
 予想した通りの男が立っている。
 薄いブロンド。蒼い瞳。揃いのスーツ。蝶の意匠。
 ジャケットは脱いでいるあたり、腹がすいたので何か作れと言いにきたところ、だったのだろう。

「ジェイクス殿」「なんだ」「例え話なんだけど」「言ってみろ」

「意図せぬ罪にとことんまで落ちぶれてしまったある人が、
 ――できる限りの贖罪にならんとしながら罪を負った後、罪と心中しようとしたらどうする?」

 ふん、とジェイクスは鼻を鳴らす。

「血を吐き、泥を飲み――それでも星を仰げと言う」
 迷いなく告げる。
「私は師にそう救われた」

 ……ダンドのスマートフォンが、再び鳴る。
 灯人だろうか。彼はジェイクスに一言断ると手に取って――その表示が、待ち続けた番号であると知る。
 一言二言、会話する中で、ダンドはジェイクスにわかりやすく伝わるよう、いくつかの単語を復唱する。意識が回復して。記憶の状態も、意思疎通も問題ないと。

 そして――通話を切り

「えっと、じゃあ、それ、ご本人にそう言いに行っちゃう?」
 なぜかダンドが恥ずかしそうにしながら、そんな提案をしたのだった。

 とりあえずジェイクスは空腹もあってむしゃくしゃした気持ちをローキックという形でダンドにぶつけた。

 


 んひひひひ。
 赤銅が奇妙な笑い声を上げたので灯人はレバニラ炒めの手を止めて台所から居間を覗く。
「どした?」「へへへへ」だらしなく仰向けに転がる彼女は顔の上にUDCからの報告書類のある部分を掲げ持って笑っている。
「いやーあれかも、これすげーあれかも」
 今回の事件のおまじないにおいていわゆる『どうでも良い部分』とされた文章の欄である。「ンだよ」「ラブレター?」「あ゛?」

『互いに、繋がっていたいと思う相手で行わねばならない』『必ず二人以上で実践すること』
『相手の手を離さないこと』『これを広めたいと話すのならば、なるべく少人数で』『結ばれた繋がりは切れない』『親愛なるものへ宛てよ』
 ――等々。

「いや、これってさーもっちろん儀式を広めねーってための部分もあると思うんだけど」
 赤銅は両足を天井へガニ股に伸ばし開いたり閉じたりなどしながらやたらとニヤニヤしている。
 ……灯人にすすんで見せにいかないあたり、ほぼ独り言だ。
 灯人もその様子を察し、レバニラを炒めながら聞いているせいで赤銅の声は途切れ途切れにしか聞こえない。

「なーんか『この人だと思ったなら手を離さずに、人の大事な人は詮索しすぎずに、話すのならそんなにべらべら話すな』みてーなさあ」
 ぴー。炊飯器が炊けたと主張する。
 ウヒヒヒヒ。赤銅は耐えきれず奇妙な笑い声をあげる。

「愛する人を見つけて幸せになれよ、みてーなさー、ねー〜〜〜〜〜?」

「おら飯にするぞ」
「あーい」
 書類は乱雑に投げられ、彼女のひらめきは誰にも告げられずにそのまま皿のレバニラと一緒に消えてしまった。



 ある病院の、ある病室の前に二人の男が立っている。
 タイプは違うがかなり整った容姿をした二人だが、すれ違った患者や見舞客のひそひそ話に全く反応を示さない。
 この二人にしてはちょっと珍しいことで、目の前の扉はそれほどの問題として立ち塞がっているのだった。
 見舞いだというのに急いだらしく花も持っていない。長い金髪の方がしょげているのでおおかたスーツを着ているもう一人が急かしたのだろう。


 ……さて。
 それはいつのことだっただろう。


 やがてスーツを着た方がノックをする。沈黙。
 病室は小部屋であり、目的の病人のみしかいない。
 長い金髪のポニーテールが何か言う。隣の男は目にも止まらぬ速さでローキックをポニーテールに食らわせた。ポニーテールが軽く身を縮こませて苦痛に悶えている。


 ……いつのことだっただろうとごまかす形を取ることで他の時間の記憶に触れて懐かしさを呼び起こしたいだけで――ジェイクスは、いつのことだったかなど覚えている。忘れるはずもない。


 スーツの男がノックをする。
 沈黙――と思いきやスーツの男だけが小さく肩を震わせた。
 蹴られた勢いはどこへやら、ポニーテールが素早く扉に手をかけて、開く。
 まずポニーテールが、続いてスーツの男が入っていく。


 ……彼に、そのひとは言ったのだ。
 薄い笑みに、今だからこそわかる、驚くほどの愛をたたえて。


 入り口側からはスーツの男の背しか見えない。
 しかし指摘があったのだろう。
 スーツの男が身を軽く返し、扉を閉める。


『keep looking,don't settle』
 君の全ては何一つ無駄でなく、ゆえに。

――探し続けなさい。立ち止まることなく。 

 あなたは、生きるべきなのだと。
 

 外。
 蒼い空はかしいで夕暮れ。
 草々がたっぷりと大きく膨らんだ蕾をたくさんつけていた。
 きっともうすぐ、満開に咲くのだろう。


( Dear My Dear, Be Happy please――完)

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​



最終結果:成功

完成日:2021年09月09日
宿敵 『欺き導く者』 を撃破!


挿絵イラスト