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ディア・マイ・ディア(作者 いのと
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 おわあ、おわあ。
 どこかで赤ちゃんがないている。
 お父さんはどんな人かな。お母さんは。
 絶対うちの家族よりマシだ。
 あたしはブランコから立てずにいる。腫れたほおが痛い。
 夕陽は今暮れる。あの赤が全部灼いてくんないかな。公園のへっぽこな街灯がついた。
 スマホはあいつらからの通知でいっぱいだ。
 …家族を。
 家族を、選べたらいいのに。
 例えば。ひとつの顔を思い浮かべる。友達。あのこがあたしの、家族だったら。
「選べば良いじゃないか」
 あたしは顔を上げる。
 ブランコからちょっと離れた、真正面。
 俳優かモデルみたいな金髪の外人の男の人が立っていた。
 は?
「通りすがりさ」
 声も顔もいい。持ってる人は持ってるってやつだ。今最高に機嫌が悪いあたしにはご機嫌とりの薄っぺらい笑みにしか見えないけど。
 不快だ。
 スカしたおっさん。
「まあ君から見れば確かにおっさんだ。聞かなかったことにしよう」
 眉間が引きつる。
 不快だ。
「なにそれ。あたしそんなの言ってないけど」
 不快だ不快だ不快だ!
 知ったような顔すんな。
 ふ。鼻で笑いやがる。彼は立てた人差し指、爪で自分の唇を軽く叩いた。「随分と大きな独り言だ」
 あたしは思わず口に手を当てた。舌打ちする。
 男は気を悪くした様子はちっともない。
「選べばいいじゃないか」
「ふざけんな」
「私は選んだことがある」
 ――…。
 いいな、と思った。一瞬だけ。
「ロリコン」「期待に応えられず申し訳ないが幼女ではなかったな」「よりキモいじゃん」「弟子だよ」「へ〜え、それが?」
 喋りながらあたりを伺う。ひとけはないけど誰かの家がある。明かりだってついてる。
 叫べば、いけるか?
「当てはあるのかな」
 男は動こうとしない。
「ある」
 ない。
 くらやみを虫が煩く飛んでいる。「少なくとも知らないおっさんの誘いを断れる程度にはね」街灯の逆光で男は暗く沈んで見える。「ああ、誤解だ」両手を胸元まで上げるだけで小洒落た仕草になっていてムカつく。
「安心したまえ。女子高生を攫う趣味はないよ」
 くすくす笑いに熱が顔を焼く。バカにしやがって。あたしは立ち上がった。
「じゃあどんな趣味があんのよ」
 怒りは恐怖の裏っかえし。
 怒鳴るつもりの声は全然出てなかった。
 拳がぶるぶる震えてしまうのは怒りもだけど、一番は恐怖。膝も震えている。大人の男ひとりがどれだけ怖いか、あたしはよく知っている。こわい。

 握り締めたスマホが鳴る。着信。鳴らすようにしているのはたったひとり。あのこ。

「何れもしない」

 あの、男が。

 目の前に立っていた。

 喉がひきつる。だって距離、結構あった。こんなすぐ目の前に来るなんてあり得ない。「お手を失礼」指先があたしの空いている手をすくう。いやみも含みもない。ただ指の冷たさにぞっとする。
 ぞっとする。
 はずなのに。

「選ぶのが君ならば」
 さえざえ青い瞳が、うつくしい。
 暗闇にくり抜かれた青空。

 かがやかしい。

「決めるのも君だ」
 あんなにも薄っぺらく見えたはずの笑みに脳味噌がチリチリ言う。

「家族も友人も、すべて君が決めるといい」
 気づくと離れていて。

「それを永遠にするのも」
 男は、笑っている。

 人差し指の一振りにすら引き込まれた。
 あいつの人形みたいに、指示する先を見れば。
 さっき触れられた手に、紙がいちまい。

 男は消えていた。

 静かだ。赤ちゃんの声もしない。
 あたしは紙を見る。
 おまじない、だと思う。
 キモい。でも手放せない。あの青が頭の中で狂った太陽みたいに輝いている。
 おまじない。
 おまじないか。
 片手のスマホ。さっきまでの着信。大事な友達。
 試してもいいかもしれない。
 きっと何も起こらない。嗤ってやればいい。
 …でも、もしも。
 もしも何か起きるなら。
 ディア・マイ・ディア。
 首筋がうずく。何かがそこにいるみたいに。

 あたしは、自分が笑っていることに気づいた。

●血より濃い赤を込めて
「血縁に依らない関係を結んだことはあるか?」
 グリモア・ベースできみへ語りかけてきたイージー・ブロークンハート(硝子剣士・f24563)は死相思わす蒼白の面だった。「恋人でも友人でも家族でもいい」

「オレにも剣の師匠がいるんだけど――普通だよな?人と繋がるのは悪いことじゃない。救いですらある。そうだよな?」
 何かが手元からこぼれていくような必死さ。

「単刀直入に言う。緊急事態だ。舞台はUDCアース。感染するUDCにまつわるガチでヤバい案件だ。対応を依頼したい」
 普段なら手遊びに人の良い笑みを浮かべている男は今、真顔で木箱に座り膝の上で手を組んでいる。
「血縁に依らない家族、友人、恋人、義姉妹、義兄弟、師弟の契りなるオマジナイがある、という…そーいう噂のおまじないをダシにUDCが増殖しようとしている」
 目の下にははっきりと隈が出ていた。
「おまじないとはお呪い。…つまり、呪術、儀式だ」
 男はそこでかぶりをふる。「…願いは悪いことじゃないんだ。だから、タチが悪い」
 かたく組んだ手は震えている。
「今から送る先は噂を撒いてる奴に直で接触した一般人のとこだ。女子高生だよ」
 きみたちは気づく。
「噂が広まった今、おそらく転送と同時にUDCが大量発生する。まずこれを撃退してくれ」
 どこでもいそうな男の、恐怖と、嫌悪と。

「くっそしんどいと思う――だが、いいか、撃退するしかないんだ」

 悲痛に。

「厄介なことに噂というのは変化する。あちこち正誤入り混じりの“お呪い”だらけ」
 葉を隠すなら森の中。
 呪術を隠すなら…おまじないの中。
「撃退したら第一発見者の情報から本物を辿ってくれ。本物の呪術には条件が要るはずだ。例えば場所とか」
 くらい瞳が君たちを映している。「あんたたちなら絶対間に合う」

「アタリがついたんなら、きっとそこに奴がいる。この事件の中心の」
 男はそこで大きくためらった。

「UDC、が」
 言い切る。

 いいか。

「相手は、UDCだ。“アンディファインド・クリーチャー”(定義できぬばけもの)だ」
 剣士は片手を掲げる。
「こんな事件に巻き込んですまん。だけど、あんたたちの力が必要だ」
 砕かれた硝子のようなグリモアが展開される。

「奴さんも、待ってる、んだと、思う」
 まばゆい光がきみたちの視界を焼く。

「“ディア・マイ・ディア”」
 唇だけを動かした囁きは。
 笑みは。
 イージーではない誰かのようだった。
 ぱん。彼が自らの顔を引っ叩く。「…クソッ、見ただけだぞ、オレは」文句を言いながら転送を続行する。

「“認めるな。惑わされるな”」
 砕け散った硝子の光。

「“赦すな”」


いのと
 こんにちは、あるいははじめまして。
 いのと、と申します。
 今回は関係についての非常にハードなシナリオです。
 かなり重たく、苦しい展開が予想されます。ご注意下さい。
 また噂という性質上、一般人が数多く登場し巻き込まれる可能性が非常に高いです。こちらも併せて御留意下さい。

 大事な関係はありますか。
 参加時にお教えいただけると助かります。

 受付期間に関してはマスターページをご覧ください。

 第一章:集団戦「楽園をつくるの」
 第二章:お呪いを手繰れ。
 第三章:ボス戦「やあ、猟兵」

 ディア・マイ・ディア。
 それを愛だと、呼びますか。
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第1章 集団戦 『楽園の『僕』』

POW ●かあさまのいうとおり
【手にした鳥籠の中にある『かあさま』の口】から【楽園の素晴らしさを説く言葉】を放ち、【それを聞いた対象を洗脳する事】により対象の動きを一時的に封じる。
SPD ●とおさまがしたように
【相手の首を狙って振るったナイフ】が命中した対象を切断する。
WIZ ●僕をおいていかないで
【『楽園』に消えた両親を探し求める声】を聞いて共感した対象全ての戦闘力を増強する。
👑11 🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵

種別『集団戦』のルール
 記載された敵が「沢山」出現します(厳密に何体いるかは、書く場合も書かない場合もあります)。多くの場合、敵は、あなたが行動に使用したのと「同じ能力値」の戦闘方法で反撃してきます。
 それらを踏まえつつ、300文字以内の「プレイング」を作成してください。料金は★0.5個で、プレイングが採用されなかったら全額返金されます。

 大成功🔵🔵🔵
 成功🔵🔵🔴
 苦戦🔵🔴🔴
 失敗🔴🔴🔴
 大失敗[評価なし]

👑の数だけ🔵をゲットしたら、次章に進めます。
 ただし、先に👑の数だけ🔴をゲットしてしまったら、残念ながらシナリオはこの章で「強制終了」です。

※自分とお友達で、それぞれ「お互いに協力する」みたいな事をプレイングに書いておくと、全員まとめてひとつのリプレイにして貰える場合があります。


●“see no evil”――“見よ、わたしはあなたがたと同じものである。”

「信じてるの?」「まっさかあ」
「ただ」「ただ?」「その」「うん」

「そうだったら、嬉しいなって思っただけ」

 きみたちの耳にそんな言葉が聞こえた。
 視界が晴れれば目の前に二人の女子高生。
 ふたりは身構え「やば」慌ててきみたちから逃げようとした。
 ふたりの少し向こうに外への出口が見えた。あるべき自動ドアはない。幕が見える。剥き出しのコンクリート、壁や床にチョークで書き込まれた建築用語からなる指示、窓の外にも大きな布が張られているらしく外は見えない。
 おそらくは取り壊し中のビルだ。
 室内には熱がこもっている。散々っぱら日を浴びた建物特有の蒸し暑さ。時刻は夕方と見ていい――ふたりが逃げたのはきみたちをこのビルに関わる大人とみたか、あるいは不法侵入の後ろめたさからとっさに、だろう。
 きみたちは追う。追おうとする。
「やめて!」
 駆け出した前に、割り込むように、ぬるり現れた、少女。
 剥き出しのコンクリート上に不釣り合いな裸足。
 UDCアースをメインで活動をしている猟兵なら何らかのファイルでみたことがあるだろう、新興宗教の中心であった、少女。
 ある日突然、信者と共に文字通り“消滅”したはずの存在。
 きみたちの何名かは気付くかもしれない。
 先刻の女子高生たちの残した小さな図には――そう、件の教団の紋に酷似したものが刻まれている。
 噂と共にこれが広がったのか!
「どうして邪魔をするの?」
 失われたはずの教団の徴が語られたがゆえにこの噂を、媒介に。
 噂にされた、儀式を媒介に――増殖する『それ』よりさきに、こちらが過去より蘇ったか!
「すきなひとといたいという誓いは、あなたがただってするじゃない」
 ここに事実は逆転する。
 中心の少女が現れるというのなら――ぱた、ぱた、ぱた、天井からこぼれるように黒い蝶が降り落ちて集まってくる。

 転送と同時に現れる、UDC。
 人影が増える。
 そいつは。
 嗚呼。
 そいつらは。

「あなたたちではときにほどかれるそれを――ぼくたちはほんとうにえいえんにしているだけ」
 どこにでもいそうな、にんげんのかたちをしていた。
 唯一、うなじから天へ、だらりと伸びた赤い紐のようなものが伸びている。そいつは天井までたわみながら伸びていて…何故だろう。天井のもっと向こうまで伸びているように思われた。

 男も女も子供も老人もいた。会社員も無法者も傭兵も主婦も学生もいた。
 だれもかれも街中で見かけるひとびとと変わらぬ格好で、手にはまばらな武器。
 バール、ナイフ、包丁、ナックル。猟兵相手にはあまりに心細かろうそれを人形のような顔のまま握っている。

「とおさまだったらきっとおっしゃっるの――あのかたを助けておあげなさい」

 少女もまた、片手にナイフを握っていた。
「だからあのかたのいうとおり、一度、おかえししておみせするね」
 ひとびとのうなじの綱、のようなものが切れ――消える。
 ざ、と。
 同時に人々の瞳に光がともった。
「ぼくはらくえんのしもべ――とおさまのいうとおり、かあさまのいうとおり、楽園をつくるの」

 彼らはそれぞれに瞬きをし。きみたちの姿を認めて生唾を飲み。
 そして手に手に持った武器を構える。

「ほんとうにだいじなひとをえらんで、つながっていられれる」

 素人そのものの構え。

「“時よ止まれ、おまえはうつくしい”
 ――こうふくの最上でみんなとまったら、そこは、楽園でしょう?」

 きみたちの攻撃はたやすく通るだろう。

「ぼくはあと一歩間に合わなかったから、せめてみんなだけは楽園に連れて行ってあげるの」

 Un Defined Creature。
 ――定義できぬばけもの?

 きみたちの前に立つだれもかれも――恐怖と共に、覚悟に満ちた顔をしている。
 ああ。
 ひとびとが口を開く。
「邪魔しないでくれないか、猟兵」
「ごめんね…だけど、お願い」
 口を開き、まっとうに語る。
「わたしたちは」「おれたちは」「ぼくたちは」
「あの子の気持ちがよく分かる」 

 きみは、笑う誰かの唇を見た気がした。
 青い瞳を錯覚する。
 さえざえ、うつくしい。

「しあわせを、邪魔しないで」

 これを、討てと?
 最悪だ。

●エネミー●

・楽園の僕x1名
・宗教団体■■■■所属者x多数

●舞台●

■■市■■町■■ ■番地■号 ■■ビル(解体中)

■マスターからのご案内■

 こんにちは、地獄です。
 あなたがたの力をもってすれば彼らの討伐は非常にたやすいでしょう。
 え?コードを使いたくない?“おや”、“なぜ?”
 それも良いでしょう。コードを使用するよりは苦戦するかもしれませんが、彼らとあなたがたの差は歴然です。
 ご安心ください。彼らは過去(オブリビオン)です。
 UDCに見えない?
 ご安心ください。UDCです。
 彼らを討伐すれば黒い蝶となって散り消えるでしょう。
 討ち倒さねば何がなんでもあなたがたを邪魔すべくやってきます。
 また、彼らは噂を知る女子高生ふたりに危害は加えません。積極的に関わらずともシナリオ進行に問題はなく、逃走されるということもありません。
 戦闘に専念していただいて大丈夫です。

 だいじな関係はありますか?
 血縁であってもなくても。
 覚えていてもいなくてもかまいません。
 ご明記いただくと、あなたがたは向こうにそれを見るかもしれません。
 もちろん、無くても参加には問題ありません。
 
 ディア・マイ・ディア。
 ご健闘を。
シキ・ジルモント
発動するユーベルコードは回避の為
これがUDCだと?
戦う力の無い者を一方的に…気分の良いものでは無い

攻撃を受けたら咄嗟に反撃、銃口を向け引き金を引く
一人討ち倒したらそのまま二人三人と
これは仕事だと自分に言い聞かせ、躊躇いを捻じ伏せ戦闘を続行
直接攻撃のコードは使えないまま

血縁に依らない大切な関係
師弟関係、だろうか
思い浮かぶのは銃の扱いを教えてくれた、このハンドガンの前の持ち主
人当たりの良い優男、柔らかく笑う顔をよく覚えている
一人放浪していた子供の俺を拾ってくれた人
…俺を庇って死んでしまった人

その人を見たら
目を奪われ手が止まってしまうかもしれない
もっと一緒にいたいと願い叶わなかった、もういない筈の…


●“何事も熟慮もって行いなさい。さすればおまえは、みずからが行ったことを悔やまずに済むだろう”

 一人撃てば、あとは同じだった。

 最初の一人は、さて、どう撃ったのだったか。
 シキ・ジルモント(人狼のガンナー・f09107)は思い出そうとするが――思い出せない。 

 シキの頭目掛けて薪割り斧を潜るように避けて振りかぶった男の腕の間に潜り込み下から男の顎にハンドガンを突きつけて発砲――…

 なにせ、反射だった。
 敵に大きな隙が出来たのならそれに乗じて処理する。
 いつも通りの冷静な性が、戦場で磨かれて染み付いた技術で、ただ、そうしていた。

 …――そのままその男を突き飛ばして後ろにいた子供を巻き込み倒したところで右斜め前方向から荒い吐息が聞こえるおそらく女性見れば予想通り痩せ細った女が包丁を握ってシキの脇腹目掛けて突進してくるところであり素早く両腕で銃を構え直して胸を目掛けて撃つが尚も突進してくるので眉間を目掛けてもう一発を発砲したところで左後方小さな悲鳴に重たい足音おそらく少年武器が重いと予想し前に一歩出て今先ほど撃ちくずれる女の体を軽く体当たりするようにしてどかせば背後で金属がコンクリートを叩く音がする武器が重いのですぐに追撃はないだろう前進――…

 これは仕事だ。

 少年がいた。少女がいた。男がいて、女がいた。老いたるがいて、幼きがいた。

 これは任務だ。

 垢で薄黒く汚れた体、傷に巻いて新しいものが手に入らないが故に変えられないままの包帯、繊維が半ば腐りかけた左右大きさも種類も違う靴、何かの見当もつかない汚れや染みだらけの衣服は誰一人サイズなんか合っちゃいない。

 シキが鏖してゆくものたちはお世辞にも富めるものとは言えない様相だった。

 これは任務だ。これは仕事だ。
 これはすべきことだ。これはせねばならないことだ。

 誰もが眉を潜めるような汚らしいありさまを、人狼の優れた嗅覚を刺すような据えたにんげんの汚濁と脂の臭いを、シキは少しも厭うことができない――できるはずも、ない。
 よく、よく、よく覚えがあるのだ。

 鏖殺せねばならない。速やかに駆逐せねばならない。
 これは敵の尖兵である。これは打ち倒すべきものである。

――前進しようとしてさらに右荒い息おそらく子供靴音が軽い軽すぎる武器の類を持っていない可能性なるほど自分を足止めしようという意図素早く右足を蹴り出して少女の頭部を掴んで発砲――

 別にみんなそうしたくてそうしてる姿でないこともシキにはわかっている。そうなってしまうのだ。貧しいからそうなってしまう。腐りかけの魚の内臓をゴミの中からようやくひと握り掴んで腹を壊すかもしれないと思いながら口にするような、洗剤混じりのごみを美味いと感じ、のたうちまわって胃酸と血を混ぜたもののとともに、吐き戻すような、貧困。

 裏切りがなければ。あの出会いがなければ。
 自分はまだ、そのなかにいたかもしれない場所。

 どの顔もシキは知らない。親ではない、妹ではない、友ではない、あの街にいた皆ではない。
 だが、重ねずにはいられない。

 これの

「猟兵、帰って」「なあ死んでくれ」「来ないで」「諦めて、死んで」
「猟兵」「猟兵」「なあ、猟兵」

 これの、どこが。

 シキの狼耳は、人狼の感覚は、彼らの何倍も優れている。
 それをもってすれば回避など容易く、シキはここまで傷一つ負っていない。

 これは任務だこれは仕事だこれは任務だこれは仕事だこれは任務でこれは仕事でこれはすべきことでこれはせねばならないことだこれはやるべきことだこれはやらねばならないことだこれは駆逐するべき敵だこれは鏖殺せねばならない敵だあってはならないもので倒すべきもので一匹たりとも残してはならないものでこれはいてはならないものでこれはこれはこれはこれはこれは。

 これのどこが、UDCだ。

――ここで先ほどの少年がシキに追いつく。
 振り返る。
 目が合う。
 武器と呼ぶにはあまりにもどうしようもない錆切った廃材を持った少年。
 視線はあからさまにシキが今撃った少女を見ている。

 引けた腰に、かつての自分を見る。

 嗚呼。最悪だ、オブリビオン。
 教えてやりたいぐらいだ。
 顔を上げろ。見るのは銃口じゃない。
 シキが自身の師に、何度もそう言われたように。

 少女の『遺体』をぶん投げた。
 叩きつける、少年が武器を投げて受け止めてひっくりかえり、続けて発砲、しようとしたところを、少年少女の関係者だろうか、何事かをめちゃくちゃに喚く女が来るのでこちらを優先して処理する。顔がにているな、と、思った。嗚呼なるほど親子か、兄妹か――

 駆逐しろ。鏖殺しろ。全ての生命活動を停止させろ。

 シキは自身にそう命令を下す。下し続ける。
 荒れ狂う胸の奥の躊躇(ざつおん)を叩き捻り伏せ擦り潰し、ただ、駆逐を遂行する。

 あらゆる亡骸はやがて黒い蝶へと変わって飛び消える。
 ほおに触れた返り血も盾にした体もみんな消えていく。

 …こんな状況なら。

 シキの首から下げたペンダントが揺れる。

 心は吹き荒れるあらゆる躊躇と感情を命令で叩き潰し黙らせているせいで。
 身体は知識と優れた感覚と反射で処理し続けてるせいで。

 ぽっかりと余った思考でそれを考えていた。
 先ほどの少年に、未熟な自分を重ねたのもあるだろう。

 こんな状況なら、あんたはどうするだろうか。どう言うだろうか。
 こんな風に使われるあんたのハンドガンは、シロガネはどう見えるだろうか。

 人当たりの良い優男。
 いつだって柔らかく笑う。
 放浪していた子供をためらいもなく拾って、どこか楽しそうに面倒をみた男。
 あきもせず子供に戦う術を教えてくれた男。

 そしてそいつを庇って死んだ、お人好しの男。

――少年の悲鳴が聞こえた。シキを見て、消えた少女を見て、崩れ落ちた女を見て言葉にならないほどの悲鳴を上げながら錆びた武器を掴む、立ち上がる。シキは素早く銃を構え――
 
 びちゃ、という奇妙な水音が聞こえた。
 シキの意識は一瞬、少年から逸れる。
 人狼の耳は音源を的確に拾う。
 少年の後ろ、あの、あかい紐のようなものが見えた。

 そこにあらたな、人が立っている。

「な」
 嗚呼。
 シキ・ジルモント。

 “『彼』をお人好しだというが――自身もまた、お人好しではないだろうか"
 “攻撃のコードを使えなかった、故に”

 忘れえぬ姿だ。
 もう少し一緒に居たかった。学びたいと思った男だ。
 そしてもう居ない男だ。

 少年が何事かを叫びながらシキに向かってやってくる。

 対処しろ、対処せねばならない。対処しろ、対処しろ、対処しろ!

 いやだ。

 だって、そこに

 あの、ひとが――。
 
“こんなことも起こる”

 叫ぶ少年の錆びた鉄骨がシキの頭を殴り飛ばす。
 もろに受け、転がる。
 痛みと共に冷静さが戻ってくる。

 再び少年へ向けて発砲、処理!

 顔を上げる。

 黒い蝶が飛び去り――親愛なる、そのひとはどこにもいなかった。

 …シキはそれに、本当に心の底からほっとする。
 そして自分を嗤いたくなるほどひどく残念な心持ちも、また。 
大成功 🔵🔵🔵

浅沼・灯人
――OK、仕事の時間だ


そうだな、まず名前を教えてくれ
いや、言いたくないならいいんだ。それでいい
どちらであれ答えを聞いたなら鉄塊剣で寸断しよう
痛いか?そうか、ごめんな
泣いたやつは灼焼ですぐさま焼き殺してやる

どうして?
そらまあ、お前がもう過去になり果てたからさ
前は俺も躊躇ってたけどよ、今はもう違うんだ
人の形をしてようが、お前らはオブリビオンだ
誰に見えようが、お前らは未来に生きられない
老若男女等しく殺してやるからとりあえず名前言え
でないと覚えてられねぇだろ

人殺し?
はは、結構結構
俺はとっくに人殺しだよ
勝手にお前らを殺して、勝手にお前らが生きてたことを背負うだけのな
覚えていられる間は、俺がお前らの墓標だ


●“あなたがたの名は、わたしの選んだものたちへの呪いのことばとして残るだろう”

「――OK、仕事の時間だ」

 浅沼・灯人(ささくれ・f00902)はありふれた人々にしか見えない彼らを前にそう宣言した。
 緊張はない。嫌悪もない。哀れみもない。なにもない。無防備ですらある。
 信号かバスでも待っているのだと言われれば肯けそうな、いつも通りの彼がそこに居り

 無造作に握られた鉄塊剣だけが、どこからかこぼれる夕陽の赤を受けて非日常をたたえていた。

 ごりごりごり、とその剣を怠惰に、半ば引きずるようにしながら灯人はかれらに近づいていく。
 
 異常なのは彼と対峙するひとびとの方だった。日常の延長から掻き集めたありあわせ、普段武器とは絶対に呼ばれぬものたちを手に手に構え、緊張と恐怖と決意が混ざり合った眼差しを灯人の一挙一動に集中させていた。
 近寄る灯人をあからさまに警戒しながら囲って叩くのだろう弧を描くように散開する。

「そうだな…」
 ほとんど睨みつけるような視線をただ受け止めながら灯人は首を廻らせ彼らを満遍なく一瞥する。「なあ、おい」
 男がいて女がいて子供がいて老人がいて少年がいて少女がいて「誰か」学生がいて教師がいてパートだかアルバイターだかがいて「いや、まあ誰でもいいんだけどよ」主婦がいて主夫もいて会社員がいて営業がいてアパレルだかデザインだかの店員だかなんだかがいて「誰かでもいいんだけどよ」ああ。
 灯人は右手の鉄塊剣を構えるそぶりもないまま、首を少しだけ傾げた。

「まず名前を教えてくれ」

 どいつもこいつも知らない顔で。
 どいつもこいつもどこかで見たような顔だ。

「…はい?」
 灯人の発言が思っても見なかったものなのだろう、出刃包丁を握った女がぽかんと口を開けた。
「教えてどうする」バールを構えた男が女の前に出て「調べでもするのか」じりじりと距離を詰めてくる。
「いや」灯人はかぶりを振った。「別に」バールを構えた男をきっかけにじわじわと狭まる輪を認識しながら、灯人はまだ、鉄塊剣を構えない。
「ただ俺が聞いておきたかっただけなんだ」
 灯人は目を合わせる。誰も彼も怯みこそすれ逸らさない。「安心しろ、俺の担当はこーいう事だからな。名前ひとつ聞いたって俺にはあんたがどこに住んでたかだってわからねえよ」
 灯人はそこで言葉を締めて、バールを握っている男へ顎をしゃくる。

「誰が教えるか」

「そうか」

 灯人はあっさりと返した。

「どうでもいいってか?」これに拍子抜けしたらしい男は周りに目配せをしながら詰め寄る。
「いや」灯人は再びかぶりを振る。「どうでも良くはねえけどよ」

 そして鉄塊剣から手を離し

「別にいい。言いたくないんならいいんだ。それでいい」

 握り直す。

 刹那

「じゃあな」

 無造作に男へ鉄塊剣を振り下ろした。

 男は超重量を頭の上からもろに叩き落とされ派手に割れる。肉と骨と血と脳漿だかが混ざった液体が飛び散って割れた頭蓋やら背骨やら肋骨が白い彼岸花みたいに飛び出した。バールが握られた千切れた男の腕ごと吹っ飛んで回転しながら高く跳び――
 …かあん――と天井を打った音は、ひとびとの悲鳴で聞き取れなかった。
 灯人はベルトの切れたボディ・バッグを拾った。付けられている赤いタグ。へえ、呼吸器官にアレルギーが。

「『新田良治』」
 呟いて、投げ捨てる。

「あ、あわ、りょう、りょ、りょう、りょう」灯人が顔を上げれば男が潰れるのを眼前で見てしまった女と目があった。「あ」「ん」腰が抜けて立てないらしく「あ、あ、あ、ああああ…!」床に尻をついたまま灯人から少しでも離れようと後退る。
「あんたは?」鉄塊剣を引き抜く。「名前、言えるか」粘着質の音がなったのはほんの数秒で視界の端で黒い蝶が飛んでいく。「お、お、」女を逃がそうとしたのか後ろから叫び声を上げながら走ってきた主婦らしい女を鉄塊剣で叩き飛ばす。「おお?」灯人は再び女を見る。染めたことのなさそうな黒髪は色気のない邪魔だから束ねたのがありありわかるひっつめ。がちがちと歯を鳴らしながらそれでも出刃包丁を握って離さない。「お、おか、おか、おか、おか」恐怖に引きつった顔。

「岡島、君江、です」
「そうか」

 新たにひとつ、ハンバーグには到底できない荒いミンチを作る。

「え、あ、ぶ、う、げ、げげ…」先程叩き飛ばした主婦に巻き込まれて胸がひしゃげた子供がころがっている。「痛いか?」素直に首を振る。「そうか」鉄塊剣を振りかぶる「ごめんな」みやざわともか。
 漢字は、わからなかった。

 宮沢恭子、宮沢美香、鹿島美千代、佐々木亮介佐々木裕子、弥栄恵一藤岡萌子平井康弘…。

「いやい、いやい、いやいよお…」腹部を押さえてうずくまる男に近づく「ああ、痛いか」「いやいいやいいやいいやいいひゃい、いひいいひいいいい」「そうか」頭をめがけて「ごめんな」坂井幹雄。

「やめていやいやいやいやだやだやだ」「嘘だ待って待って殺さないで死んでお願い今すぐ死んで来ないでやめてやめてやめてやめて」
 灯人が今先ほど潰した少女の腕を握ったまま金槌と釘抜きを握ってがくがくにふるえるのは有名なキャラクターのコラボTシャツをお揃いで着ている女子高生ふたり組。いや、三人だったから三人組か?間宮千花。
 灯人は目を細める。
「そうか」
 ふたりの瞳から流れる、涙。
「泣くか」
 鉄塊剣から手を離した。
「まあ、泣くよな」
「へ」「ぶえ」この挙動にふたりは一瞬呆気に取られ、すぐさま構えた「ど、どういうつも」

「悪いな」
 開いた灯人の唇、歯より奥が、あかるく光った。
 イグニッション。
 灼いて、焼き払う。
 鈴木愛海、高岡麻由子。

「なんでだよ、どうしてだよ!?」
 眼鏡をかけた学ランの少年が叫ぶ。唇から胃液を垂らしながら。「なんで?」彼がむしゃぶりつこうとしたのを避けて腹をぶん殴った拳をほどきながら灯人は答える。

「そらまあ、お前らがもう過去に成り果てたからさ」

 再び持ち上げられた鉄塊剣は一度と休められることなく振るわれ続けている。少年と同じ学ランの少年を叩き潰す「トモ!」「トモってのか、こいつ」今蝶になって飛んで行った。「うるせえ!お前がトモを呼ぶんじゃねえよ!鬼!悪魔!ひとでなしッ!!」「おお、正解」大した感動も苦痛もない顔で灯人は自身の額、ツノを叩く。「ひとでなしだ」綾瀬敬。
 
 涙は竜の炎の高温で流す目玉や脳髄ごと蒸発させる。飛び散った炎や熱が工事現場の塗料に引火してさらに炎を練り広げる。

「前は俺も躊躇ってたけどよ、今はもう違うんだ」

 炎の明るさに塗りつぶされて、灯人の姿は暗く沈んでいる。
 
「人の形をしてようが、お前らはオブリビオンだ」

 温度が高すぎて人体は弾ける暇もない。黒い蝶すら飲み込まれて影もない。存在を語るのは微かに漂う髪の毛や脂や衣類などが溶け混ざった悪臭だけ。それもすぐ吹き込んだ外気によって消える。
 なにもない。

「誰に見えようが、お前らは未来に生きられない」

 なにものこらない。

 いつも行くドラッグストアに立ってそうな女もバイト先ですぐなんかの記念日だとかこつけてシフトの入れ替えを頼んでくる男に似た男も洗濯物を干すときに見かけるガキどもにそっくりの子供たちも時々道路ですれ違う老人を思い出す男も最寄駅のバス停で時々バスを待ってる女子高生にうり二つの女もひねりつぶせそうだと思った小さな手をしたあの子を思わす子供も

「言えよ」

 なべて、分け隔てなく

「老若男女等しく殺してやるからとりあえず名前言え」

 浅沼灯人は、そいつらを殺めていく。

「でないと覚えてられねぇだろ」

 ――石倉康太石倉雄介石倉歩美三芳邦義三芳国枝副島孝義副島隆文副島孝昌副島孝子宇佐美春子太田清飯島和也高橋八重秋岡涼子布川誠二棚丘真知子橋本みなこ豊田春美山野辺恭次戸田圭介矢島光雄湯島昭隆水越孝太郎佐々仁志藤井ひろ子茅沼昭一稲垣彩芽土屋正之石井茜多田真希子板橋智世上川祐介野口由紀上川キヨ西村葵木崎あかり粟島郁恵柿崎浩輔相模涼子赤羽杏香相沢瑞穂弥栄礼一富岡由美江朝熊智代岩崎幸作戸塚哲坂井藍子岬和恵……――

「ひとごろし」
 軽い一言が灯人へ投げられた。
 あまりにあっけらかんとした調子だった。
 灯人は振り返る。右腕の潰れた女が壁に背を預けて座っていた。男もののSらしい肩の合わない工事現場ジャケット。足から下が潰れて、そばに杭打ちの木槌が転がっていた。普段はセットしてるだろう黒髪がぼさぼさに乱れて赤いインカラーのが炎でより赤く光っていた。
 「はは」灯人は笑う。女も笑っていた。耳をざらざらに彩るピアスに誰かがかぶって「結構結構」いやあいつはもっと倍じゃ足りないぐらいいい女だから全然違うけれどでも、だけど

「俺はとっくに人殺しだよ」

 灯人の鳩尾のあたりに何か細い釘みたいなものが軽く刺されたような気持ちがする、気がする。

「勝手にお前らを殺して、勝手にお前らが生きてたことを背負うだけの、な」

 ひとごろしという罵倒に苦痛を感じたわけではない。
 別にどうとも思わない、事実だ。
 女もそれを分かっているらしく笑みはすこしも変わらなかった。
 代わりに

「おまえ自分の顔見たほうがいいよ」
 ぺち。
 女は潰れた腕で無理くりにみずからの顔を叩いた。まともな手をしていないから叩きつけたというのに近い。べったりと赤く汚れる。「あ?」灯人は自身の顔を左手で軽く叩く。「泣きでもしてるか?」拭う。「違う」掌を見る。煤汚れが付いていた。
「…汚れてんのはしょうがねえだろうがよ」女の方へ足を向けて近づく。
「ちげえよバーカ、ごまかしてんな」一歩、二歩三歩四歩。
 
「おまえは?名前」
 女はすこしも怯まずにそう尋ねた。「俺?」五歩六歩「さんざっぱらあたしたちの名前訊ねといて名乗らねーのはねーだろ」七歩「あー…、まーそれもそうだ」…時間稼ぎではなく罠もないのは明らかだった。女が左腕を動かさないのは腹を抑えているためだ。真っ赤に濡れて普通の腹部とはかけ離れた歪な曲線。

「浅沼、灯人」

 鉄塊剣の間合いに、入った。

「フーン」女は右手をだらりと揺らした。もしきちんと動いたなら耳でもほったのかもしれない。「そんだけ?」「そんだけ」
「お前は?」
 灯人は鉄塊剣を持ち上げる。女はまだへらへら笑っている。「名前覚えてどーすんの?ヌく?」「するかアホ」灯人はため息をつく。

 女を見る。
 脂汗を垂らしながら、死を目前にしながら、冗談交えてなお笑い一度も目を逸らさない。

「覚えていられる間は、俺がお前らの墓標だ」
 
「いらね」
 べっ、と女が舌を出した。
 彼岸花のような赤だった。「このあたしを有象無象と一緒くたに抱き込むな。それで癒されんのはてめーだけだよ」

「バイバイ、かわいい甘ちゃん」
 
 ぐちゃっ。
 もはや何度目かもわからない、感覚。

 鉄塊剣から手を離し、寄ればジャケットの袖、上腕部に刺繍があった。

「…皐月、薫」

 鉄塊剣からあらゆる赤が剥がれて、蝶と変わって飛び去ってゆく。

 あるじの手を離れしばしたたずむ汚れない鉄塊剣は、沈黙する墓石そのものだった。
大成功 🔵🔵🔵

ヤムゥ・キィム
ウ…ホントにオブリビオンなノ?普通の人にしか見えなイ、どうしよウ

ほんとうにだいじなひとトって言ってたノ、ちょっと羨ましくなっちゃっタ
ヤムゥが探してる運命のあのヒトとも一緒にいられるってコト?もう探すヒツヨー無イ?オマエが…出してくれるからッテ?

でも、それってほんとにあのヒト本人って言えるのカナ
それに止まった時間の中でなんてヤダ!
“今”しか無いなら思い出だってできないジャン!

ヤムゥは欲張りだから愛するヒトの過ぎゆく時間だって愛したいンダ、シワダッテ白髪ダッテなんだって見たいモン!
やっと目が覚めタ、やっぱりヤムゥはオマエを止めなきゃいけなイ

ユーベルコード発動、山猿ノ慈恋魔(トレード・オフ)!


●“知らざる者は幸いである”

 草刈り鎌が空を凪いだ。

 たたっ。
 足袋靴の底が床を叩く音だけが軽快に跳ねる。 
 たっ。
 彼女はそのまま跳び上がり崩れかけた天井、剥き出しの鉄骨へ両手をかけ、ぐるり、下から上へ身体を1回転――しなやかな動きに付いて踊る赤茶の髪は荒い風に揺れる満開のノウゼンカズラそっくりだ――

 たっ。

「ウー…」
 ――ヤムゥ・キィム(猪突猛進恋狂い・f01105)は鉄骨の上に座り込んで唸る。苦悩に唸ってしまう。

「っ降りてこい、猟兵っ!」今先ほど草刈り鎌を振るった農家らしい陽に焼けた青年が叫ぶ。背は高いけれどヤムゥのように跳び上がったりもできない。「ウウ…ウ〜〜〜…」鉄骨の上に蹲み込んだままヤムゥは言葉にならない気持ちのまま唸り「だッてェ…」ゆらゆらと揺れる。

「…ホントにオブリビオンなノ?」

 ヤムゥにとってオブリブオンとは「ばけもの」だ。
 巨大な顎を持って陸すら食うもの、雪崩のように山を焼きながら里ひとつ飲み込まんと襲いかかってくるもの、巨大な車輪に浮かぶ生首、おんなの上半身をした巨大な蜘蛛…。

 世界と相入れない脅威。

 意思を持った災害。

 それが、オブリブオン。

 ……そのはず、だったのに。

「普通の人にしか見えなイ…どうしよウ」
 
 ヤムゥをどう引きずり落とすかをがやがや相談している姿は種族こそ違えど里のみんなとそう変わらない。…ヤムゥの里の場合は戦えずに逃げた猟兵じゃなくて工房の大将の大事な大事な大きい鑿を盗んだ悪戯猿を木の上に追い詰めたのだったけれど。
 うーうー唸るうちに下の人々のうち誰かが折れた短めの鉄骨見つけてきて、今みんなの上着をまとめて紐にしてそれにくくりつけている。

 …わかル。
 即席の投石機、ネ。布デ包んデ投げル。当たらナくてイイ。それデ、追い立てるんだよネ。ヤムゥたちモ、あの時はソウしタ。

 わかることが、くるしい。

 ヤムゥの里の場合はここほどは狭くなかったからみんな総勢で捕まえる網を持ってきて囲んだけれど、今、後ろは壁で、前にみんな押し寄せているから逃げ場がない。
 それでも避けるのはたやすい。大きく飛べば逃げるのも楽勝だ。
 だが追いかけっこはヤムゥが何かを決めない限りずっと続く。時間を稼いだって向こうが諦めないのはもう充分知っている。
 だから、それはだめだ。
 逃げるとか、戦わないとか、それでは、だめなのだ。
 だが結論が出ない。
 どうしても、戦える気がしない。

 さっきの草刈り鎌の男のそばに麦わら帽子に農業用の割烹着を着た若い女が立っている。麦わら帽子に虫や汗だれを防ぐ鼻から下を覆うマスク――目が合った。「ウ」
 女は覆うマスクを下ろして

「こんちは、猟兵さん」

 にこ、と朗らかに笑って声をかけてきた。

「コ、こんにちハ…」
 思わず返す。返してしまう。
 そうするともう本当にただの人にしか見えなくなってヤムゥの息が詰まってしまう。
「まっててくれてんの?」
 女の年は幾つだろう?たぶんヤムゥとそう変わらない。
「べ、別ニ…」「そう?」女はカラカラ笑った。

「じゃあためらってくれてんだ、ありがとね」
 何がありがとうなのだろう。

 返す言葉が浮かばないヤムゥの唇がへの字よりもくしゃくしゃに歪む。「ウチのダンナがもうちょっと手早ければなあ〜」鍬を肩に掛け持って女はそういう。「おい聞こえてっぞチエ」草刈り鎌の男が作業しながら叫んだ。「うっさいな手ェ動かしなよ」投石機の三つ目ができた。

「…チエ、の…ダンナ、ナノ?」
 ヤムゥはおずおずと声を掛けた。「こいつ?」女は、チエは親指で草刈り鎌の男を指す。「そだよ」誇らしげに。「オオクボケータ」んであたしはミカミチエね、という。

 ……。
 ヤムゥは、膝の上で手を握る。

「『ほんとうにだいじなひと』?」

「うん」
 チエが麦わら帽子を脱ぐ。

 残酷の名残がそこにあった。チエ以外の誰かが無理矢理掴み上げて引っこ抜いたような跡。それから水だれに似た火傷。

「こんなことする地獄から出ようって言って、
 
 あたしを選んで、あたしが選んだ、あたしのダンナ」

 にっ。
 歯を見せて笑った。


「いーでしょ」

 ……。

「ン」
 少し歪に、ヤムゥも笑い返した。
「…ちょっと羨ましくなっちゃっタ」「…そか」 
 チエは麦わら帽子をかぶる。「びっくりさしてごめんね」ヤムゥは静かに首を振る。「あんがと」チエの顔を見れずに爪先を見てしまう。

「ね、猟兵さん」
 帽子の位置を直しながらチエがまっすぐヤムゥを見てくる。

「こっち来ない?」
 
「フヘ?」
 素っ頓狂な声がヤムゥの口から飛び出した。
「チエ、お前なあ」ケータが見かねたようにチエへ声をかける。「うっせ黙ってなよ、時間稼いでもらってるとでも思いな」
「…その、余計なお節介なんだけど」
 チエは麦わら帽子の端をいじる。「詳しい事情知んないし」チエにとっても咄嗟に出た言葉だったらしい。合わせた目を逸らした。

「過去は永遠だからさ、ずっと待てるよ」

 ……。

「ずーっと今のまんま、かわいくって素直で素敵なあんたのままで待てる」

 ……。

「痛いのも怖いのも探しても出てこないのもない」

 …………。

「そも、その、何も知らないのにこんなこと言うのも変だけどさ、死んでるかもしんない」
 
 ……………。

「あんたせっかくそんなかわいくて明るくてめっちゃいい子なのにさ、もったいないよ」

 チエが帽子を外す。

「死んでるなら、過去なら、きっと『出せる』よ、『繋がって』、『出会える』」

 つばに顔を隠すことなく、傷も隠すことなく、ヤムゥを見つめる。

「おいでよ」

 手を、差し伸べる。

 まめと傷だらけの手だった。

 手首には横に線がたくさん入っていた。

 ヤムゥはその手をまじまじと見て
「もう探すヒツヨー無イ?」
 チエを見つめ返した。「うん」「オマエが…出してくれるからッテ?」チエは苦笑する。「まあ、あたしじゃないんだけど」
 ヤムゥはその瞳を見る。

 信じ切っている瞳だった。
 揺らがない幸福の瞳だった。

 自分の選択に間違いはなく。
 今の誘いもまるで善意からだと告げていた。

 ……。
 …ヤムゥには、チエが悪い女だとは思えない。

 思えない、けれど。
 

「……でも、それってほんとにあのヒト本人って言えるのカナ」

 同じものを信じられはしなかった。


 チエの手が、おりる。

「それニ」ヤムゥは立ち上がる。
「それに、チエ」
 ずうっと同じ姿勢で蹲っていたから少し膝が痛かった。
 そうだそのせいだ。この痛みは。

「止まった時間の中でなんてヤダ!」

 断絶を、告げる。

「“今”しか無いなら思い出だってできないジャン!」

 チエの凍りついた顔が妙にはっきりと見えた。

「ヤムゥは」ヤムゥはかぶりを振る。
 迸る気持ちがヤムゥの中で煌々と燃えていた。

「ヤムゥは、欲張りだかラ」

 肺も通り過ぎて心臓から、

「愛するヒトの過ぎゆく時間だって愛したいンダ」

 想いを、

「シワダッテ白髪ダッテなんだって見たいモン!」
 
 叫ばせる。

「バカ」「ごめんチエ」「あんたは何にも知らないからそういうことが言えるんだ」「でもヤムゥはそう思ウ」「辛い辛いくるしい悲しいどうしようもないどうにもならない何にもできない明日しかないことがないからそう言うんだ!」「そんナの、
来て見ナイとわかんないジャン」
「バカ!!!!」
 チエに麦わら帽子が被せられる。「チエ」ケータ。「相手は猟兵だ」

 ヤムゥにはそれがやっぱり、すこうし、うらやましい。

 それから

「行くぞお前ら!」
 ケータの声に怒号が続く。
 作られた簡易的な投石機、なるべくだろう用意された武器。

「…やっと目が覚めタ」

 それからチエとケータがおばあちゃんおじいちゃんになったのが見てみたかった。

 それで、それでだ。
 
 胸の奥から欲が沸く。愛したい。あんな風な愛もいいナ。

「やっぱりヤムゥはオマエを止めなきゃいけなイ」

 同じようにしわしわのおばあちゃんおじいちゃんにばったヤムゥとあのヒトで会っうのだ。

 それでヤムゥだって言ってやる。
 いーでしョ。
 きっとチエはいいねえと言ってくれるに違いなかった。十分にも満たない会話でなんとなく確信していた。

「ユーベルコード発動」

 愛したい。本当はそんなふうに。
 半分しか叶わないと分かっていても。
 ああよかったと満ち足りた想いを得たい。
 
 めりめりと己の身が呪縛へ浸されるのを感じながらそれでもヤムゥは止まらない。
 狂ったように進むしかない。

 どんなに呪いを背負おうと――
 思いはごうごうと狂い踊って、ヤムゥの身体能力を一気に引き上げる。

 トレード・オフ
「山猿ノ慈恋魔」

 ヤムゥ・キィムは

 過去の海で誰かと笑って誰かをまつ、そんな安らぎと引き換えに
 
 闘争と狂走とまだ見ぬひとに出会うための、まっさらな明日を手にするべく走り出る。


 首を折る感覚は、いままで里で扱ったどんな鉄よりあっけなかった。
大成功 🔵🔵🔵