5
【旅団】枯れ山梔子に雪は舞う

#キマイラフューチャー #【Q】 #旅団

タグの編集

 現在は作者のみ編集可能です。
 🔒公式タグは編集できません。

🔒
#キマイラフューチャー
🔒
#【Q】
🔒
#旅団


0




 

 葛籠雄九雀という猟兵の屋敷は、無駄に広い。
 元々廃棄予定だった、森の中のよくわからない屋敷を引き取って住んでいるためなのだが、彼一人で使うには、大いに無駄であった。住み始めてしばらく経っているが、未だに九雀が使っていない部屋が、むやみやたらとある。収集物の倉庫としては扱っているが、それは本来の使い方ではない。一応掃除や点検はしているが、用途を定められて作られた『道具』である以上、使わなくては朽ちていくばかりだろうと彼は思っていた――そこで九雀は、庭にあったガゼボの掃除が終わったのを機に、顔見知りの猟兵たちにその場所を開放することにしたのである。
 かくして、彼の屋敷には、何人かの猟兵が出入りするようになったのであった。

 ●

 さて、そんな日々が何度か続いた、或る夜更けの話だった。
 転送してほしい場所があるのだけれどね。そう切り出してきた猟兵に、葛籠雄九雀は内容を聞く前から、二つ返事で承諾した。何か理由があったわけではない――正しく言うのであれば、『理由がない』のが理由であった。要するに、承諾する理由も特になかったが、それよりも『断る理由』がなかったので、承知したのである。九雀はそういう男だった。
 とは言え、それなら今すぐにでもと準備が出来るほどその時の九雀は暇ではなかったし、第一、既にその日は暗くなっていた。何をするにしても、日中の方が良いに決まっている。この世界の大部分と言うのは、太陽の下で活動をしているのだから。

 そういうわけで――彼がその猟兵と共にその場へと赴いたのは、それから更に何日か過ぎた頃のことであった。


 


桐谷羊治
===========================

【これは旅団シナリオです。旅団「廃墟寸前の古い屋敷」の団員だけが採用される、EXPとWPが貰えない超ショートシナリオです】

===========================

 なんだかポンコツなヒーローマスクのグリモア猟兵にてこんにちは、桐谷羊治です。
 番外編な旅団シナリオです。

 参加者様は既に決まっておりますので、その方以外は参加できません。ご了承ください。
67




第1章 冒険 『ライブ!ライブ!ライブ!』

POW   :    肉体美、パワフルさを駆使したパフォーマンス!

SPD   :    器用さ、テクニカルさを駆使したパフォーマンス!

WIZ   :    知的さ、インテリジェンスを駆使したパフォーマンス!

👑1
🔵​🔵​🔴​

種別『冒険』のルール
「POW・SPD・WIZ」の能力値別に書かれた「この章でできる行動の例」を参考にしつつ、300文字以内の「プレイング」を作成してください。料金は★0.5個で、プレイングが採用されなかったら全額返金されます。
 プレイングが採用されたら、その結果は400文字程度のリプレイと「成功度」で表現されます。成功度は結果に応じて変化します。

 大成功🔵🔵🔵
 成功🔵🔵🔴
 苦戦🔵🔴🔴
 失敗🔴🔴🔴
 大失敗[評価なし]

👑の数だけ🔵をゲットしたら、次章に進めます。
 ただし、先に👑の数だけ🔴をゲットしてしまったら、残念ながらシナリオはこの章で「強制終了」です。

※自分とお友達で、それぞれ「お互いに協力する」みたいな事をプレイングに書いておくと、全員まとめてひとつのリプレイにして貰える場合があります。

アンテロ・ヴィルスカ
グリモアを一括管理しようなどと言い出す輩がいなくてラッキーだ、私用に使えないなんて勿体無い

行き先はいつかの研究者の元
あの日、あの中で最も壮絶な数時間を送った彼は元気にしているかな?
娘らは流石にもうあの場にはいないだろうか

土産には新の干菓子と梔子を
一服のお供に彼の近況を訊ねてみる

俺が知る限り唯一、オブリビオンの苗床になって生き残ったヒト
縋るでもなく、神を引き摺り出すなんて大事を成し遂げたヒト

未だ俺は彼の中にヒトらしい、見ていて白けるような悪心を見い出せていない
彼の悲劇に微塵も同情などないのに

…それでいて彼には幸あれと不意に思う
妙に居心地の悪い、本心だ

そんな惑乱擬きに効く薬はある?なんてね、冗談さ



 
 ああ――暑いな。
「暑いであるなあ」
 口に出してぼやいたのは、横を歩いていた仮面だった。自分の言葉を代弁するようにそう言った仮面の男は、ネイビーのシャツの襟元を何度か引っ張る。涼を求めて服の中に空気を入れているのだろう――よく晴れた夏の日に、太陽が熱く燃えて工場の敷地を焼いている。
「……ここはこんなに、暑かったかな」
 なんとなく、呟く。以前来た時は梅雨だったからだろうか。雨が降っていて、湿度が不快ではあったけれど、ここまで気温は高くなかった。
 白い工場を照らす朝の陽は、眼球の奥が痛くなるほど眩い。
 九雀が、少しばかり憂鬱を滲ませた口調で言う。
「ここから昼になれば、もっと暑くなると言うのであるからな。やっておれん。屋敷が恋しくなるであるよ」
「あそこは涼しいからね。特に、あの庭」
「常に暗いのが少々難点ではあるがな」
 森がよく育っているのでなあ、と言いながら、仮面が青々と繁った山梔子の葉を――おそらく――見遣る。あの日はあれ程甘く香っていたというのに、花は、既にどれも枯れ落ちて久しいようであった。誰も手入れをしていないのだろう、きっと。敷地を歩く男の手には、少々時季外れの山梔子が一枝と、あの日配ったものとはまた違う、新しい和三盆の干菓子がある。
 この山梔子は、どれくらいで枯れるのだろう。そんなことを考えながら、男は言う。
「しかし――グリモアを一括管理しようなどと言い出す輩がいなくてラッキーだ、私用に使えないなんて勿体無い」
 こうやって、行きたいところにすぐ行ける。その、なんと魅力的なことか。ふふ、と笑えば、九雀が「そうであるなあ」と明るい声で言った。笑っているように聞こえるが、本当に笑っているのかどうか、それはわからない。何しろ彼は表情がまったく変わらないのだ。
「一括管理となれば、グリモア猟兵であることを隠す者も出そうである」
「君はどう?」
「オレであるか? オレは勿論、」
 仮面がそこで言葉を一つ区切ったので、「勿論?」と促せば、九雀が、いつの間に取り出したものか、その骨ばった褐色の手のひらに、僅かに光る、蜂の入った大きめの琥珀――ここへ来る際見せてもらった、彼のグリモアだった――を乗せていた。九雀はそれを、まるで手品でも見せるように、ひらりと手首を捻りながら握る。
 ……再び開かれた手の中には、何もなかった。
「勿論、隠す方であるよ。誰ぞに管理されるのは御免であるからな」
「なんだ、君も案外悪い奴だねえ」
「うむ、悪い奴なのであるよ。案外な」
 適当にそんな会話をしながら、工場をただ歩く。何があったというわけではない、ただ、面会の時間まで、少し暇があったのだ。だから組織に頼んで車を出してもらい、この場所を見に来たという、それだけである。扉には組織が巡らせたと思しき封鎖のテープが貼られていた。ならば、娘らは流石にもうこの場にはいないだろうか。
(もう――ひと月は経ったのか)
 あの晴れ間から、それだけ経った今日――アンテロ・ヴィルスカは、あの予知を案内した仮面のグリモア猟兵、葛籠雄九雀と共に、例の工場を訪れていた。
 尤も、例の工場と言っても、扉に巡らされたテープが示す通り、既に『跡地』なのだが。当の会社は、彼らが用いたあらゆる手で『問題部分』――要するに事件に関わっていた部分全て――を解体され、現在は比較的『善良な』組織傘下の企業として動いている、とのことだった。幹部連中は皆、記憶を抹消した上で、円満に放逐したとのことである。
 だから今のここは、死んだ繭だ。あるいは、割れた卵の殻。
「……やはり、ここには誰もいないんだろうね」
「アンテロちゃんたちのおかげで、全員無事に保護されたであるからな」
「それは本当に無事なのかな」
「さてな」
 オレにはわからぬよ、と九雀が肩を竦めた。あそこに居た少女たちは皆、元は要らないと言われて売られたのだとアンテロは知っていた。事の顛末を自分たち猟兵から聞いたはずの九雀もまた、それを知っていたのに違いなかった。もしかすると、そんな娘らを守っていたのは、この繭であったのかもしれない。だが繭は壊れた――壊された。壊されなければならなかった。それは必定だった。
 その結果がどうなっていたとして、それは単なる道理である。それを嘆くのならば、道理に抗わねばならない。であれば、別段そんな気のないアンテロの問いには何の意味もなく、また、何の感情もなかった。事実確認のようなものだった。九雀が、「まあ」と続ける。
「一応、再びこのようなことが起こらぬよう、定期的に職員ちゃんたちが見ておるようであるからな。前ほど酷くはあるまいよ。少なくとも死にはすまい」
「ああ、彼らが見ているんだね」
「うむ。何しろ、薬の情報が流出しているらしいのでな」
「おや、それはまた」
「面倒であろう?」
「……先に言われてしまったね」
「何、オレもそう思っていただけである」
 言って、九雀がポケットからスマートフォンを取り出す。
「なんだ、クジャク君はスマートフォンを持っているのか」
 因みにアンテロは、スマートフォンを持っていない。一度勧められて持ち帰った際に、着信音で眠りの淵から叩き起こされたことによる。
「職員ちゃんに無理矢理渡されてなあ……」
 オレの屋敷には電気が通っておらぬから、要らんと言ったのであるが。その言葉に、そう言えば彼の屋敷に電気の照明が灯っているのを見たことがないなとアンテロは思った。ガゼボの灯りもランプである。九雀がスマートフォンを、ポケットへ元通り仕舞った。
「ふむ、そろそろ時間であるが、行くであるかな?」
「そうだね――」
 アンテロは、何となく、真っ白な工場をもう一度だけ仰ぎ見る。死んだ繭。あの日、自分たちが殺した繭。
 あの男が、神を羽化させた繭。
 この場所に意味はある。だが、価値はない。アンテロが真に訪ねたかったヒトは、もうここにはいない。
 会いたかったのは、いつかの研究者。
 あの日、あの中で最も壮絶な数時間を送った男。
 彼はこの再会を喜ぶのかな。それとも、迷惑だと思う? どちらでも、アンテロには然程関係ないけれど。彼がもう一度会ってみたいと思ったから、会いに来ただけだ。
「――真澄君は、元気にしているかな?」
 ふと口に出せば、さてな、とまた仮面が言った。
 そうして二人で戻った往路の車は、冷房が効いて快適だった。

 ●

 ここでお待ちください、と、職員が言って出て行くのを見送って、それから、アンテロは黙って壁の時計を見た。最初予定されていた時刻より、二時間は遅い。追加の手続きをしていたとのことだから、必要な時間だったのだろうが。警察の尋問室にも似た、簡素で無機質な部屋には、まだ自分たちしかいない。
 最初はガラス越しにと言われていた男との面会が、直前で直接のものに変更されたのは、アンテロが猟兵であるからであった。どうも、何かあったらしい――詳しくは知らないが。ここへ転送してくれた九雀も、迎えの職員から話を聞いて首を傾げていた。いずれにせよ、『たとえ何かが起こったとしても、猟兵ならばどうにかできるだろう』――その楽観的とも呼べる過剰な信頼が、アンテロを真澄と引き合わせることを可能としたのである。
 それを幸運と取るべきかどうか。未だ判断はつきかねる。
「どうする? オブリビオンを二人で斃せと言われたら」
 アンテロは揶揄うような口調で、一つ席を空けて座る九雀に訊いた。『どうにかできる』というのは、つまりそういうことであると彼は理解していた――だから質問したのだった。
「困るであるな」
 猫背の仮面が、足を組む。
「実のところオレは今日、武器を一切持って来ておらぬのだ。仕事ではなかったであるし、持って来いとも言われなかったものであるからな。服も靴も、およそ戦い向きではない」
 どうにかさせるつもりなら先に言って欲しかったものであるぞ、と言う男の足を見れば、確かにいつも彼が巻いている武器ベルトがない。
「武器がなくても使えるユーベルコードはないのかい?」
「ない……こともないが。アンテロちゃんの盾になるくらいしか出来んである。後は、そうであるな……ああ、空中を跳べる」
「それだけか。……中々骨が折れそうだな」
「転移も時間がかかる故、戦闘では使えんであるしなあ。やれ、無茶を言う」
 呆れたように仮面の額部分を指で抑えた九雀に、ふと、もしかすると猟兵でない彼らには、自分たちというのは万能の存在のように見えるのだろうか、などと思う。理解の及ばないところにいると言うのは、オブリビオンも猟兵も、同じなのかもしれないと。
 真澄は、あの日、神でも見るようにアンテロたちを見た。
 そこでノックの音がして、目線をそちらへ向ける。入ってきたのは当然の如く、見覚えのある男だ。あんな大それたことをしたとは思えないほど柔和な顔立ち、白髪交じりの黒髪。困惑したような表情を浮かべているのは、突然の面会だからだろうか。
「……やあ、真澄君」
 彼こそ――あの日の発端となった、真澄正、その人であった。
 職員に連れられた男は、以前見た時より、顔色が随分と良い。真澄が、アンテロを視界に収めたらしく、その顔を驚きに変える。
「あ……あなたは」
「覚えているかい? 思ったよりも元気そうだね」
「存外、好待遇でして」
「へえ。良かったじゃないか」
「良かった……のでしょうか」
「――ミスター・ヴィルスカ」
 立ち尽くす真澄と言葉を交わすアンテロに、職員が呼びかける。
「それでは、事前にお伝えした通り、会話の録音と、室内の録画はさせていただきます。よろしいですね?」
「ああ、勿論。元より聞かれて困る話をしたいわけではないしね」
 言うなれば、世間話をしに来ただけだよ――言えば、職員は何も答えず、一つお辞儀をして去っていった。残されたのは、老いの入り口に立つくたびれた男と自分、それから、静かに二人を見る仮面だけである。
「どうぞ、座って」
 促す自分に抗わず、真澄が対面の椅子に座る。アンテロと九雀の姿を交互に見るその顔は、どこか怯えているようにも見えた。尋問されるとでも思っているのだろうか。
 何度か視線を彷徨わせ――結局男は、アンテロの方を向いて、口を開いた。
「ヴィルスカ……さん」
「何かな、真澄君」
「お話は、何でしょうか」
 何、と言われると難しい。
「そうだね……まずは近況を聞かせてもらおうかな」
「近況ですか」
「そう――ああ、これはお土産だ」
 竹の籠に入った干菓子に、山梔子を添えて差し出す。目に見えて狼狽える真澄が、「私物の持ち込みは、許されるのでしょうか」と、部屋の隅の監視カメラへ顔を向ける。
「検査した職員たちは、構わないと言っていたよ」
「……そう、ですか。それでは……」
 ありがとうございます、と、男が菓子と花を己の方へ引き寄せた。それから山梔子の枝に触れると、その白い花を見て、懐かしそうな目をした。
「この季節に、山梔子が咲いているのは珍しいですね。普通は殆ど枯れている」
「そう言えば、工場の山梔子も枯れていたね」
「行ってきたのですか?」
「行った。何もなかったよ」
 そうですか、と真澄がまた呟く。
「あそこの花は、誰かが世話をしてくれているのでしょうか」
「誰もしていないだろうね。工場がなくなったら、あの花たちも、捨てられるだろう」
「そう、でしょうね」
 可哀想なことをした。真澄の声に滲むのは、悔恨だろうか。
「それで、真澄君」
「はい」
「君は記憶を失っていないのだね」
「……失っていませんね。後始末がまだ、終わっていないので」
「後始末というのは、流出した薬の件?」
 問えば、真澄が跳ねるように顔を上げて、アンテロを見た。その茶味がかった黒い目が、畏怖に見える感情で、何度か瞬く。
「既にご存知なのですね」
「俺も今日聞いたところだよ」
 彼からね、と九雀を見れば、「確かに、オレが教えたであるよ」と仮面が言った。
「すみません、ヴィルスカさん」
「何だい?」
「先程から気になっておりましたが、そちらの方は……」
 首を傾げる真澄に、九雀が「そう言えば名乗っておらなんだな」と、手を打つ。
「ああ、君たちは会ったことがないのか」
「うむ。オレはアンテロちゃんたちの報告と、職員ちゃんたちの話でしかこの男を知らぬ」
「私は、一切」
 となると、真澄はずっと、見知らぬ男が目の前にいる状態で自分と会話をしていたということになる。怯えていたように見えたのはそのせいか、とアンテロは思った。というよりあれはおそらく、警戒していたのだ。
「それは……悪いことをしたね」
「では名乗ろう。オレは葛籠雄九雀、葛籠に雄、九つに雀であるよ」
「鳥の孔雀ではないのですね」
「うむ、違う。ただまあ、特に深い意味があるわけでもないであるからな。さして気にせずともよい……ただ、九という数字がオレは好き……否、ううむ、好きというわけでもないのであるが。重要なのである」
「重要、ですか」
「うむ――最早それくらいしか、オレには残っておらんからなあ」
 穏やかに語られながら、重要なことがすべて欠落している仮面の言葉に、当然真澄が首を傾げる。
「彼は記憶喪失なんだよ、真澄君」
「記憶喪失?」
「左様。おかげで数字の一つでも、重要とわかるだけマシでな」
 ハハハ、と軽く笑う仮面の男に、真澄が痛ましげな目をするのがわかった。
「まあ、それは別によい。オレが何故ここに居るのかと言えば、オレがアンテロちゃんたちを正ちゃんの元へ案内した張本人なのであるぞ」
「――あ、」
 あなたが。男の表情が、また変わる。歓喜、感謝、あるいは寂寥、慚愧。はたまた、更に別の何かだろうか。アンテロが見極めるには、些か難しい感情の遷移と混合であった。であるから、男は黙って真澄と九雀の会話を聞く。
「あなたが……ヴィルスカさんたち、を」
「見つけ出したのはアンテロちゃんたち自身であるがな。オレは正ちゃんが神を呼ぶところを『見』て、アンテロちゃんたちを送り出しただけに過ぎん。その後に何が起こっていたとしても、それはオレの手柄ではない」
「……私は、感謝を告げるべきなのでしょうね」
「さあ? 好きにすればよい。オレはオレのためにやるべきことをやった、それだけであるからな」
「……」
 真澄が無言で、山梔子の枝を、ゆっくりとよじるように回した。一枝なのに、閉鎖された空間で、花は甘い香りをさせている。
「ありがとうございます」
 言葉は簡潔だった。
「……それで、流出した薬の件を既にご存知ということは、雪村のこともご存知ということでしょうか」
「名前だけはね。君の友人だったかな?」
 アンテロは直接知らないが、あの場に居た猟兵の一人が出会っていたはずだ。話を聞く限り、穏やかそうな真澄とは反対に、やや攻撃的な印象を受ける男だった。
「彼がやったのかい?」
「ええ、どうやら事件が起こった際に、資料をどこかへ送りつけていたらしいのです」
「あの最中に? 邪魔が入ったから、せめて売って利益にしようと思ったのかな」
「最初は私もそう思ったのですが……どうも違うようでして。彼が金銭を受け取った形跡はどこにもありませんでした。宛先も抹消されていた。彼はあれを、ただ、他人に渡しただけなのです。何の見返りもなく……」
「雪村君は、何と?」
「それが……もう彼には記憶がないので、聞き出しようがありませんでした。流出が発覚した時には手遅れで」
「ああ……組織お得意のあれか」
「そのようですね。私以外は皆、記憶を失いましたよ。彼らはもう、こんなこととは、一切関係がない」
 きっとそれでいいんです、と真澄が呟くように言った。こんなこと、忘れる方が、幸いだ。心胆から絞り出したようなその言葉に、アンテロは疑問を述べる。
「それなら、何故君は未だ此処に居る?」
 男が、顔を上げた。
「私が、」そこで一度、言葉を区切る。「私が、すべて悪いからです」
「君が?」
「はい。私がやったのですから。私は……生きて責任を取らねばならんでしょう。ここは、技術者が不足していたそうですし……それだけです」
 ――自分の部下たちを庇ったのだろうとは、すぐ察しがついた。
 おそらく、そこには、雪村なる男も入っていたのに違いなかった。あるいはもしかすると、彼の妻子を殺した、あの幹部たちでさえ。
「大した自己犠牲だ」
「何。一度死んだ身と思えば、何でも出来るものですよ」
「……」
 男が自嘲するように笑ったので、アンテロはじっとその顔を見る。自分の眼差しに、真澄が俯くように目を伏せて続けた。
「……私だけ、勝ち逃げは――彼らに申し訳が立たんと思ったんです」
「勝ち逃げ、かい」
「ええ――私は、あなたたちのおかげで、神の死という悲願を得ました。私の切望の通りに。けれど……彼らは『そう』でない」
「だから、彼らの『それ』を、自分が引き取ると?」
「はい」
 アンテロは、ただ黙って真澄の表情を観察する。――やはり、『違う』。
「君の言葉には嘘があるね」
「嘘、ですか?」
「そう――君は、『あれを無かったことにしたくなかった』んだろう?」
 それだけじゃないのかい。言えば、男が、虚を衝かれた顔をした。
 暫しの沈黙があって、真澄がまた、ふとその目を山梔子へ落とす。かつて彼が育てていた花。手入れをするものがいなくなって、枯れゆくばかりの。山梔子の花言葉を、アンテロは何となく思い出す。真澄が、ふ、と、口元を緩めた。浮かんでいるのは、諦めたような、微笑みだった。
「どうにも、あなた方にはかないませんね」
 これでも嘘は上手い方だと思っていたのですが。
「猟兵と言うのは、他人の嘘を暴くのも仕事なのですか?」
「場合によっては、多分ね」
「大変ですね」
 真実が痛みを伴う時もあるでしょうに、と言いながら、真澄がアンテロを、彼の瞳を――じっと見た。
「私が――この事件を、忘れてしまったら」
 真澄の声音は、あの日の、希望を語った時のものと同じだ。
「妻と、名もついていなかったあの子が……『どうして死ななければならなかったのか』を、覚えている人間が、いなくなってしまうでしょう」
 それは、嫌だったんです。
「名前や経緯ならば、ここの職員は把握しているだろう?」
 答えの分かり切った問いを、アンテロはわざと投げる。真澄が、「その質問をするのなら、理解しておられるでしょうに」と苦笑した。
「それは単なる記録ですよ。彼女たちではない。彼女たちを失った私の過ごした――二十年でもない」
 彼女たちのことを、あの二十年前から、今に至るまでを。私は忘れたくなかったんです。
 ――これを聞いている職員は、何を考えるのだろう。そんなことを思う。
 真澄が、騙るのをやめて、語っているのを聞いて――彼らは、この男を詰るだろうか。
 真澄正という男に触れて。
 忘れたら、と、真澄が、拳を強く握るのがわかった。
「すべて忘れて、何もかも、苦しみさえ『無かったこと』にしてしまえば、私は、楽になるでしょう。ですが、それだけだ。それだけのことにしか、ならない。真実を捨てて、欺瞞の上に建てられた墓に手を合わせるなんて……私には、そちらの方が耐えられなかった」
 それに。真澄が言う。
「雪村や、部下たちの……憎しみを、恋を、悲しみを……知っているのは、正しく理解していたのは、本当の意味で彼らを覚えていてやれるのは、最早私だけなんです。私たちは、皆同じだった。それなのに私まで彼らのことを忘れてしまったら、そんなもの……それこそ、申し訳が立たんですよ」
「彼らのために、君が全部覚えておくのか」
「いけませんか?」
「いや? いいじゃないか――だって、君がそうしたいんだろう?」
 真澄はアンテロが知る限り唯一、オブリビオンの苗床になって生き残ったヒトだ。
 縋るでもなく、神を引き摺り出すなんて大事を成し遂げたヒト。
 恋し、憎んで、死に臨みながら――それでも、己の悲願を遂げたヒトだった。
 未だアンテロは彼の中にヒトらしい、見ていて白けるような悪心を見出せていない。
(彼の悲劇に、微塵も同情などないのに)
「雪村君の後始末をするのも、同じ理由?」
「ええ。彼が、雪村という男が、確かにやったことならば。私がやったも同じだ」
「同じ、かい」
「はい――だから、私は、この記憶と共に生きるんです。妻と娘のことも、実験で殺した人たちのことも、買った少女たちのことも、雪村たちのことも、――それから、あなたたちのことも。あの工場で育てた花のことでさえ、私は、忘れたくない」
 そんなことをしたら、今度こそ私は空っぽになってしまうから。
 真澄の言葉は、今や驚くほどに真っ直ぐだった。
「……不思議だね」
「な、何がでしょう?」
「俺は、君に同情していないはずなのだけれど」
「悪人ですからね」
「確かに、やったことを考えれば、君は悪と言っていいんだろう」
「ええ、間違いありません」
「でもね……」
 アンテロは、ため息を吐くようにしてから椅子の背に体重を預けて、続ける。
「……それでいて君には幸あれと不意に思う」
 妙に居心地の悪い、本心だ。
 彼が真実、行いに見合った悪人であれば、アンテロは、真澄への関心を、とっくに失っていただろう。自分に誰かを裁くような趣味はないし、それをする意味もないと思っている。もっと言えば、興味のない存在に、ただ事件の関係者だからというだけで、わざわざ己の時間を割いてやるほどアンテロは優しくなかった。
 ましてや、知人とは言え、他人にグリモアの力を借りてまで会いに来るなど。
 真澄が、ぽかんとした、間の抜けた顔をしている。それが面白くて、男は笑う。
「そんな惑乱擬きに効く薬はある?」
 言って、真澄が何かを返すより先に、「なんてね、」とアンテロは肩を竦めた。
「冗談さ」

 ●

 吐き出した紫煙が気怠く上へと伸びていくのを、アンテロは何となく見送る。
「アンテロちゃんは煙草を吸うのであるな」
「ああ……時々ね」
 アンテロと九雀が居るのは、組織のすぐ横にあった、小さな喫茶店だった。面会が終わり、真澄と別れたけれども何となく手持ち無沙汰で――九雀が、「少し調べたい」と言ってどこかへ行ってしまったのもあり、暑い中歩き回るのも億劫で、手近にあったこの場所へ落ち着いたのである。尤も、仮面はアンテロの頼んだ珈琲が来るのと殆ど同時に帰ってきたから、わざわざ入らなくても良かったのかもしれないけれど。
 既に昼も過ぎた店内は、自分たち以外に客がいない。アルミと思しき灰皿は、喫茶店のオレンジ色をした照明を安っぽく反射していたし、普段吸わない煙草は、既に古びて香りが失せていた。こうしているとあの商店街を思い出すな、とアンテロは少し思う。テーブルに置かれた珈琲の匂いが、薄い煙草の匂いと混じっていた。
 当然ながら、真澄は此処に居ない。面会の時間は終わっていたし、組織のビルの傍らにあるとは言え、この場所は既に、組織ではなかったから。彼はあの場所を、もう出られない。
 天井のシーリングファンが、ゆるやかに冷房をかき混ぜている。
「元気そうだったね」
「そうであるなぁ」
 ボックス席の正面に座る九雀は、レモネードを飲んでいる。炭酸は入っていないらしい。ストローの動きに合わせて、氷がグラスにぶつかって、軽い音を立てていた。
「彼には今後、幸せが訪れると思う?」
 悪人と、真澄は己を称した。灰を、銀色の皿へと指で叩いて落とす。
「訪れるであるよ」
 無表情な仮面が、グラスの中身を、己の下に差し込んだストローで肉体に飲ませながら即答する。不思議な光景だとアンテロは何となく思った。
「何故そう思うんだい」
「何故――と問われれば難しいのであるがな」
 九雀の模様は、少しも変わらない。
「そうであればよいと、アンテロちゃんは願うのであろう?」
 真澄正という男に、幸あれと。
「ならば、いつか幸いがあるのである。きっとな」
「……そうかな」
 そうであれば、良いと思う。もしかするとこれは……祈りにも、似ているのだろうか。
 だからやはり――不思議なものだとアンテロは思うのだ。
「まあ、オレの考えは殆ど外れるのであるがな!」
 ハハハと面会中と同じように軽く笑う仮面の言葉に、「まったく、台無しだね」とアンテロも少し笑う。九雀のレモネードは、半分以上減っていた。アンテロはと言えば、珈琲に手をつける気もあまり起きなくて、放っておいてしまっている。
「そう、伝えようと思っていたのを忘れておった」
 融けた氷が、少し崩れる音がした。
「今日の面会の件について先程聞いて来たのであるがな」
「ああ、それを調べていたのか。どうだった?」
「単純であるよ。あの事件で、アンテロちゃんが、ユーベルコードによる尋問をしていたであろう。あれをさせようとしていた者がおったようであるな」
 そう言えば、事件を探るために、そんなこともしていた。
「やれと言われてやるものでもないのだけれどね」
「当然であるな」
「というか、彼のあの調子なら、聞かれずとも喋ってくれるだろうに」
「信用できんのであろう。正ちゃんには薬が効かぬと聞いたである」
「へえ」初耳だ。「神を降ろした後遺症かな」
「どうなのであろうな? そのあたりはよく知らぬ。ただまあ、それ故に、猟兵のユーベルコードであればと思った者がいたようであるよ。尤も、事情を聞いて回ってみれば、結局、アンテロちゃんが正ちゃんと話をしておる間にその者の思惑が露呈して、有耶無耶になったようであるが。査問でも開かれそうな雰囲気であったのでな、オレは逃げて来た」
「くだらないねぇ」
「くだらんであるよなぁ」
 今朝の、グリモアを一括管理する、という話題を何となく思い出す。他者の力を管理して行使しようと思っても、往々にして上手くいかないものだ。
 だから――真澄を雇った企業だって、終焉を迎えたのだろう。
「でも結果的に、直接会えたのだから。逆に良かったと考えておくよ」
「そう思ってもらえるなら、オレも幸いである」
 からん、と、随分丸くなった氷がグラスの底で音を鳴らして、「む、なくなったようであるな」と九雀が言った。
「さてアンテロちゃん、そろそろ戻るとするであるか?」
「そうだね」
 小旅行は、これにて終いとしよう。未だ紫煙の上る煙草を、灰皿に押し付けて消す。
「帰ろうか」
 そう言って立ち上がり、会計を済ませて喫茶店の外へ出れば――梅雨明けの空は、雲一つない快晴だった。

 

成功 🔵​🔵​🔴​



最終結果:成功

完成日:2020年02月21日


挿絵イラスト