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きみのなまえ

#UDCアース

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#UDCアース


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●君を青に放り込んで
 ――君が、水に落ちる音がした。

「助けて」
 たすけないよ。
「助けて」
 たすけてほしいの?
「たすけないで」
 たすけてあげる。すくってあげる。だから、おいで。さあおいで。
 真っ青で真っ赤なぼくのせかい。
 ここは水族館。泳ぐのはきみ。きみが君を忘れて泳ぐ、君の展覧会。

 ――ああ、『きみのなまえ』は何にしようか。

●迷宮水族館
「水族館、行ったことあるかしら?」
 真っ赤な男――ベルナルド・ベルベットは相変わらずの派手な燕尾を翻し、滑らかな女口調で開口一番そう問うた。きょとんとした表情で首を傾げた猟兵たちに、ベルナルドは機嫌良く笑う。
「夏は海で遊んだコたちも多いでしょう。しっかり遊んで泳いだかしら。今回のオシゴトは、泳げるほうが都合が良いのよ」
 泳げなくてもまあ何とかなるでしょうけど、と言い添えて、話は続く。
「行って貰うのはUDCアースのとある水族館。……とは仮の姿の、邪神教団の拠点の一つよ。どうも閉館したはずの水族館が『開いている』って噂があって、調べてみたら大当たり。予知を頼りにして、アナタたちには拠点を奇襲して欲しいの」
 まことしやかに広まった噂で、それなりの人々がその水族館に消えてしまっているみたい、とベルナルドは言う。奇襲、と呟いた猟兵に、そうよ、と頷いた。
「この水族館、展示しているのは魚じゃないわ。――『見に来たものたち』を、水槽の迷宮に閉じ込めて、展示物にしているの」
 悪趣味でしょう、そう言う口元は笑んだままだ。
「残念ながら、もう囚われた人たちは助けられない。だからアナタたちは、誘い込まれたふりをして、迷宮の奥に辿り着いて頂戴。具体的には、ええ、水槽の中に入るのよ。意識があるうちは息は普通に続くみたいだから、そこは心配しなくていいわ。一応観覧者、ってチケットがあるみたいだから、全員入る必要もないし」
 つまるところ『展示物』と『観覧者』そのふた通りに紛れるといい、と言うことらしい。
「まあ何もせずに奥に行ってしまえば、最後はみんな等しく『展示物』だけど。……けれど、この水族館、とても美しいのよ。皆全てのしがらみや悩みを忘れて、『なまえ』を与えられて。とても美しい顔をしているの。――アタシはアタシを忘れるなんて、お断りだけれど」
 けれど忘れたい人もいるのだろう。忘れて幸せな人もいるのだろう。それはきっと、少なからず。
「……水槽に入るコは、くれぐれも『自分の名前』を忘れないようにね。本当の名前を呼んでくれるひとがいれば、一番安全だろうけれど」
 水槽に入ると、展示物としての『名前』が付けられる。それが自分だと認めてしまえば、もう帰っては来られない。誰かと共に行くならば、水槽の中と外で、息を合わせて進むことになるだろう。
 観るものは魅入られてしまわぬよう、泳ぐものは忘れてしまわぬよう。

 けれど、この迷宮水族館を抜けて、帰って来られたなら。
「最後にクラゲのショウと、『謎解き』があるわ。謎解きはやってもやらなくても、別にどちらでもいいけれど。入場券一枚につき一度だけ、『必ず答えが貰える謎掛け』ができるの。……普段訊けない気になっているコト、誰かに訊いてみたらどうかしら?」
 それじゃあ気をつけて、とベルナルドはウインクひとつで猟兵たちを送り出す。

 ――きみはきみを、わすれないで。


柳コータ
 お目通しありがとうございます。柳コータと申します。
 今回はUDCアースのすこしおかしな水族館へのご案内です。
 しっとりした雰囲気と、心情に寄った描写をしたいと思っておりますので、どうぞ宜しくお願いします。

●大まかな流れ
 ※まずは水槽に入るか入らないかを選んで下さい。
  冒頭に中、とあれば水の中へ、外、とあれば外通路を歩いて進みます。
  展示物を選ばれた方は自分の展示名を『ひらがな』で付けることができます。お任せも可。

 一章…集団戦。水槽の『外』がメインになります。中からの攻撃もできますが、物理的に殴りに行ったりするのは難しいでしょう。魔法的に遠距離攻撃などはできます。(水槽を割ったりは基本的にできません)
 二章…ボス戦。水槽の『中』がメインになります。外からの攻撃もできますが、水槽の中に殴りに行ったりするのは難しいでしょう。魔法的に遠距離攻撃などはできます。(水槽を割ったりは基本的にできません)ただしボスは外へも出て来ますので、上手く外と中で連携すれば効果的でしょう。
 三章…日常。水族館の奥にある大水槽で、クラゲのショーが見られます。水槽に入っていた人は出ることができます。割ってもいいです。出る場面はプレイングにあれば描写、なければ割愛します。
 また、入場券が一度限りの『謎解き』券になっていますので、誰かに問いを掛けてみるのも良いでしょう。しなくても大丈夫です。謎解きは強制返答になってしまいますので、基本的に双方の同意を確認できなければリプレイに反映しません。
 お一人様の場合はクラゲショーをお楽しみ頂くか、この章に限り、お声がけがあればベルナルドも見物したり、お答えもします。基本的に何でも大丈夫ですが、どうしても答えられないものについては採用致しかねる場合があります。ご了承ください。

●水族館
 基本的に一般的な水族館の内装と似た形です。
 お連れ様と参加の場合、中と外で別れる、全員外、全員中、どのパターンでも大丈夫ですが、三章まで基本的に出たり入ったりできません。水槽越しにお喋りはできます。
 若干戦闘に工夫が入りますが、なくても心情で割とカバーできます。心情で埋め尽くして戦闘はお任せというのもできますが、悩み込んだ場合流れる可能性が上がります。

●プレイング受付
 一章は公開次第受付とさせて頂きます。
 二章以降はマスターページでご案内致しますので、そちらでご確認頂ければ幸いです。
 また、再送が発生する可能性がございます。帰って来てしまった場合は、お手数ですがご再送頂ければ幸いです。

 それでは、どうぞ宜しくお願い致します。
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第1章 集団戦 『傍観者達』

POW   :    静観
【自身から溢れ出続ける赤い液体】が命中した対象を高速治療するが、自身は疲労する。更に疲労すれば、複数同時の高速治療も可能。
SPD   :    観戦
【自身の身体の一部】を代償に自身の装備武器の封印を解いて【自身は弱体化。対象の装備武器を殺戮捕食態】に変化させ、殺傷力を増す。
WIZ   :    観賞
【対象の精神に「生きる力」を削ぎ落とす衝動】【を放ち、耐えきった、或いは回避した者に】【強制的に自身の力の一部】を宿し超強化する。強力だが、自身は呪縛、流血、毒のいずれかの代償を受ける。

イラスト:猫背

👑11
🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

種別『集団戦』のルール
 記載された敵が「沢山」出現します(厳密に何体いるかは、書く場合も書かない場合もあります)。多くの場合、敵は、あなたが行動に使用したのと「同じ能力値」の戦闘方法で反撃してきます。
 それらを踏まえつつ、300文字以内の「プレイング」を作成してください。料金は★0.5個で、プレイングが採用されなかったら全額返金されます。

 大成功🔵🔵🔵
 成功🔵🔵🔴
 苦戦🔵🔴🔴
 失敗🔴🔴🔴
 大失敗[評価なし]

👑の数だけ🔵をゲットしたら、次章に進めます。
 ただし、先に👑の数だけ🔴をゲットしてしまったら、残念ながらシナリオはこの章で「強制終了」です。

※自分とお友達で、それぞれ「お互いに協力する」みたいな事をプレイングに書いておくと、全員まとめてひとつのリプレイにして貰える場合があります。


●きみがみるゆめをおしえて
 いらっしゃいませ、迷宮水族館へようこそ。
 流れる歓迎の音声は、こぽり、水の中から響くようだ。見渡す限り、何の変哲も無いカウンターがある。人はいない。けれど前に立ったなら、こう問われるだろう。

『中に行かれますか? 外を行かれますか?』

 答え次第で順路は異なるようだ。中の入場券は水色。外の入場券は藍色。どちらかを受け取ったなら、そのチケットと同じ色の道に進んでゆく。
 ――水色の君は進んだ先で、とんと背中を押されるだろう。
 振り向く間も無くざぶんと落ちる、水の中。君の水槽。金色のプレートにひらがなで綴られたのが、きみのなまえ。
 ――藍色の君は進んだ先で、水槽で美しく眠るものたちを観るだろう。誰かを探すのならば、魅入られないで。決して触れ合えない水槽の向こうのしあわせに、きっと君も気づくだろう。

 眠らず泳いでゆくならば。
 止まらず進んでゆくならば。

 終わりを傍観していた影がゆらり。青く静かな水族館で、君を赤く静かにさせにやって来る。
ディイ・ディー
外へ
藍色のチケットをくしゃりと丸めてポケットに

蒼の世界の中、見遣るのは水槽内の人間
俺様の仕事は邪神をどうにかすることで、救うことじゃねえんだよな……
ご丁寧に綺麗に飾られて、忘れて、これが末路になるなんて俺様もお断りだ

腰に携えた妖刀、鐡の柄に触れて呼びかける
クガネ。起きろ、久々の仕事だ
現れた傍観者に視線を向け妖刀を抜き、一気に肉薄して斬る
衝動が放たれたら敢えて受けとく
悪いが呪術めいた力の類には興味があってな
俺が生きる意志は何者にも穢させねえ!

チッ、面倒くせえから纏めてやっちまうか
『賽の式』――弐!
妖刀に宿る邪神の霊力を冴え渡る氷の力に変え冷気の刃で薙ぐ
傍観者なら大人しくしろ。できねぇなら散っとけ


ソル・アーテル
水族館……海にいるみたいだね。ゲームでのステージなら何度も見たけれど似た光景を見るのは久しぶりかもね。

僕は外を、藍色の道を行くよ。
水に眠る展示物……羨ましいな。
全て忘れて眠れるなんていいね。僕も忘れられるなら過去を忘れたい。
名前を捨てられるなら捨てたいよ。
いいや、僕は忘れられてもう名前すら呼ばれることもなかったはずなんだ。
……僕はあそこでずっと眠っていたかったよ。この水槽の中で眠る人たちみたいに。

敵が現れたら銃を構えるよ
水族館の暗がりを利用して遠くから撃つ【目立たない・スナイパー】

僕を起こして、名前を呼んでくれた人がいる。
だから僕は眠れない。
……いや、今は眠るつもりなんてないよ。


泡沫・うらら
いつだって、征き着く先は一緒なんやね
とぐろを巻いて、深淵の中
深い深い海の底
追い求めた先
其処には、何が見えるんやろか

中と外
進んで中に行くのは気が引けますけど行かんとしゃあないね
水色のチケットを受け取って
ヒトに擬態した脚で、ゆっくりと迷宮を進んで行きましょか

突き落とされた水の中
慣れ親しんだ其に驚くで無く漂い
擬態を解き、顕現した鰭が薄布越しにひら、ひらり
水の中を游ぐ

これが、うちの名前…?
呪いと化した其を手放すのもええかと思たんやけど
あかんね
あの子らの聲が、聴こえる気がして敵わんわ

うちに出来るのはお手伝い位なもん
想いを音に乗せて
水面と硝子を揺らす波はきっと、外へも届く筈

せやからきばってや
外の皆さん



●君を水藍色に染めて
 蒼い世界が息を止めていた。
 いらっしゃいませ、と水底から響くような機械的なアナウンスを気にも止めず、ディイ・ディー(Six Sides・f21861)は迷わず入って来た歩みそのままに、水族館の藍色の順路に足音を響かせる。
 くしゃりと丸めたチケットをポケットに押し込みながら、流し見るように遣った天色の瞳に映るのは、さも幸せそうに眠り泳ぐ水槽の中の『にんげん』。
「俺様の仕事は邪神をどうにかすることで、救うことじゃねえんだよな……」
 この誰かにとっては、この最期が救いだったろうか。だとしてもそれはディイには関係のないことだ。
「ご丁寧に綺麗に飾られて、忘れて。それで満足かよ、誰かさん」
 こんこん、と問うように水槽の硝子を手袋で覆われた指先で叩く。さもそれが最高の選択で、素晴らしいことのように美しく観せる水槽のイカサマ具合と来たら、なんて面白味もないファイナルベットだろう。
「これが末路になるなんて俺様はお断りだ」
 ディイは低く呟いて歩みを進めてゆく。
 ――当然のように水に沈んだ人の身が、全てのモノに当然のものではないと、人の身を騙るダイスは知っている。

「……海にいるみたいだね」
 随分と静かな藍色の道を進みながら、ソル・アーテル(日陰者・f21763)は自身をも青く蒼く染めて見せる水族館の道行きに、落ち着いた声を落とした。
(「ゲームのステージでなら何度も見たけれど、似た光景を見るのは久しぶりかも」)
 ひょろ長い猫背がちな背を少し伸ばして、ソルは蒼く続く水槽たちを見る。被ったままのフードと眼鏡越しに見る水槽には、満足げに眠る誰かが展示されていた。
「……羨ましいな」
 ぽつりと呟いてしまったのは紛れもない本音だった。名前も知らない――忘れてしまった『だれか』に、ソルは真っ黒な瞳を向ける。
「全て忘れて眠れるなんていいね。僕も忘れられるなら、過去を忘れたい」
 けれど、忘れられない。
「名前を捨てられるなら捨てたいよ」
 それでも、捨てられない。
 誰からも忘れられて、自分ですら忘れて、ゆらゆら、水底に沈んで眠る。このひとたちに、自分はきっと少し似ている。似ていた。
(「僕は忘れられて、もう名前すら呼ばれることもなかったはずなんだ」)
 そのはずだった。それなのに今自分はここにいる。これはひとつも、ゲームなんかじゃない。
「……僕はあそこで、ずっと眠っていたかったよ」
 ――この水槽の中で眠る人たちみたいに。
 それでも藍色の道を踏む両脚で、ソルはゆっくり進んでゆく。何処か、深い蒼の向こうから、波の音が聞こえた気がした。

 こぽり、ぷくぷく。
 中と外、どちらへ行くかと問う音声に混じる、耳に馴染んだ水音を聞いて、泡沫・うらら(夢幻トロイカ・f11361)は笑みを深くした。
「……進んで中に行くのは気が引けますけど、行かんとしゃあないね」
 差し出された水色と藍色。そっと水色のチケットを受け取れば、ゆっくりと両脚を進めてゆく。一歩、二歩。そう数えるのを覚えた脚は、擬態に過ぎないかたちだけれど。
 ――だからこそ。
 澄んだ水色の道の先で、とんと軽く背を押されて落ちた水の中に、驚くことはひとつもなかった。慣れ親しんだ水の音、ただのひとならぞっとするのかもしれない冷たさも、両脚に絡みつく薄布も。
(「いつだって、征き着く先は一緒なんやね」)
 そんなことをぼんやり思う。
 深い深い、海の底。とぐろを巻くような、深淵の果て。そこにただ沈んでゆくことは、うららにはできない。
 両の脚の擬態をほどく。一瞬のうちに顕現した鰭が、薄布越しにひら、ひらりと揺れたなら、誰かが沈むだけだった蒼を、瑠璃色の人魚が游いでいた。
 歩むよりもずっと滑らかにすいと游いで、うららは藍に沈む水槽の底へ降りてゆく。そうして分厚い水槽の硝子越しに、金色のプレートを見つけた。水槽に落とされた瞬間から、どうやら『展示物』として扱われるらしい。
 そこに示された名前は――『みつぼし』。
「これが、うちの名前……?」
 どういう意味だろうか、考えようとした瞬間に、ふと『何か』が薄らいだ気がする。それが何か考えようとして、鰭の動きをゆっくりと落とした、丁度その瞬間だった。
 ――聲が、聴こえた気がした。
 何と言ったのか、呼んだのか、呪ったのか、わかりはしないけれど。
「……あかんね」
 呪いと化した其れを手放すのもいいかと思った。けれどそれはどうやら、できない。
 ひらり。うららは游ぐ。海の底よりずっと明るい水底を、眠ることなく游いでゆく。その先に、何があるかは知れなくとも。
「あの子らの聲が、聴こえる気がして敵わんわ」

●藍色の迷い路を曲がって
「クガネ。起きろ、久々の仕事だ」
 ディイは腰に携えた妖刀の柄に指先で触れて、告げた。
 数歩先にゆらりと迫る影がある。ぼたりと藍色の道を赤く汚すのは、影からずるりと這い出たような、奇妙な人影だった。
 ただ見ているだけで、こちらに何をするでもない『傍観者』。けれどもその数は、うぞ、うぞ、と増えてゆく。
 ふうん、と面白がるように見ていたディイだったが、敵の一体にす、と視線を向けると妖刀を抜いた。
 真っ直ぐに駆けて肉薄すれば、踏み込みは二歩。一太刀を浴びせれば、傍観者から衝動が放たれた。それを敢えてディイは受ける。
 生きる力を削ぎ落とす衝動は、鬱陶しいほどの倦怠感に似ていた。膝をつきそうなそれを耐え切ると、それを観賞するように傍観者がぼたぼたと垂れ流し続ける赤いものが、ディイの腕にどろりと染み込む。
「……へえ。呪術めいた力の類には興味があってな。勉強になったぜ」
 次の一歩で不敵に笑って斬り伏せれば、影に溶けるように傍観者はひとつ失せる。ディイは赤黒く染まった腕を呪いごと振り払うように刀を振り下ろした。
「俺が生きる意志は何者にも穢させねえ!」

 ディイの背後で、ぱん、と乾いた銃声が水族館の暗がりに響いたのはそのときだ。不意に弾丸を食らった傍観者がよろける。
「……呪い在れ」
 ソルの声が、暗がりにぽつんと落ちた。それと同時に、爆裂弾――グロブス・フラルゴの銃弾が炸裂し、傍観者からその力を奪い取った銃弾は、命中した時の数倍の威力で爆発する。
 咄嗟にそれに巻き込まれぬよう飛びのいて、ディイは暗がりに隠れたソルに軽く笑った。
「やるじゃねえか。……けど」
「まだ、湧くよ」
 構えたままの銃口の先に、妖刀の切っ先の向こうに、うぞうぞと傍観者たちは猟兵たちの行き先を塞ぐように増えてゆく。
 ディイとソルが構え直したその身を支えるように、歌が響いた。
 ――水槽を、泡に還らぬ人魚が游ぐ。
「うちに出来るのはお手伝いくらいなもんやけど」
 ひらひら鰭が波と揺れ、想いは鼓舞になり、歌に乗って響いてゆく。
「……せやからきばってや、外の皆さん」
 綺麗に微笑んだうららの歌声は水槽の中から絶えず響いて。
 かちり、銃と刀を構える二人も、応える音を返す。
「僕を起こして、名前を呼んでくれた人がいる。だから僕は、眠れない」
 眼鏡をくいと押し上げて、ソルは銃口の狙いを定めた。
「……いや、今は眠るつもりなんてないよ」

 ソルの銃声が合図だ。硝子越しのうららの歌声が、蒼を彩る。
「『賽の式』――弐!」
 ディイの妖刀に霊力が満ちる。冴え渡る氷刃と化したクガネの冷気の刃が、傍観者たちを纏めて薙ぎ払った。
「傍観者なら大人しくしろ。できねぇなら散っとけ」

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

都槻・綾


藍の道を巡る、さかな達の夢
もう帰れぬと知って
或いは知らぬまま
揺蕩う容は何れも穏やか

――藍に、哀に、愛、

悲哀を覚えるのは「観る」側の己
幸福に浸るのは永き睡りに游ぶ「あなた」

帰れぬけれども
母なる水には孵りて還れるのだと、
謳っているかのようで
己が浮かべるあえかな笑みもまた
泡沫めいていたかもしれない

せめて
一つ一つを忘れずにいるべく
名を覚え乍らの旅路の途中

――もう逢魔が時ですか

足を止めたのは
禍々しい気に触れたから

静かに掲げる符
高速詠唱で紡ぐは、鳥葬の調べ
灼熱の羽搏きで血濡れの穢れを浄化
幾多と遭遇したなら
広範囲に届くよう朗と吟いあげる

僅かの朱でも
水が濁ってしまいますでしょう
だから
一滴も遺さず、逝きなさい



●藍宵路
 宵色の瞳が『きみ』を見る。
 手は触れず、爪先も向けず、足音は揺蕩う水色に馴染んで巡る。
(「もう帰れぬと知っていますか、『さかな』達」)
 都槻・綾(夜宵の森・f01786)は水槽の向こうに穏やかに眠る誰かに声も出さずに問いかけた。
 或いは知らぬまま、帰ることすら忘れたものたち。
 見つめる先で応えはなく、答えは亡い。知れたことだ。けれどそれが、やけに哀しい。
(「――藍に」)
 一歩、進む己の足が足音を刻み、影を成す。
(「……哀に」)
 一歩。通り、過ぎる。幸福に沈み浸る、醒めぬ眠りに游ぶ『あなた』を、綾はもう知ることはできない。
(「愛、」)
 うつくしい眠りを、ただこうして観ることしかできぬのは、勝手に落ちる影ほどにどうしようもなく、忘れ難い夢に似ている。
 ゆっくりと観て進みながら、綾は水槽に示された『なまえ』を一つ一つ、唇に乗せる。
「『ゆめ』、『うつつ』、『あこがれ』……『きぼう』」
 心から嬉しそうに笑うひとがいた。子供のように安心しきって眠るひとがいた。帰ることはできずとも、母なる水には孵りて還れるのだと、紡ぐ名前は謳うように眠る。
 その笑みに釣られるように浮かんだ綾の笑みも、泡沫めいて蒼い硝子に映る。――その向こうに、影が揺らいだ。。

「……もう、逢魔が時ですか」
 足を止める。薄暗い迷宮の中ではあるが、その潜む影の気はあまりに禍々しい。
 振り向くと同時に静かに掲げた一枚の符は、綾が微かに紡いだ詠唱で幾羽の鳥と成る。淡い光は藍を羽搏き、瞬きの内に灼熱を纏い、ぼたりと落ちる淀んだ朱を祓い清めて。
「――幾度見ても、夢負わじ」
 うぞりと覗く影たちに、夢に沈んだ者たちに、渡り逝く路の標べとなるように。朗々と吟うその声は、光の羽搏きと共に響き渡る。影が藍に溢れず消えて逝く。藍を、蒼を、濁さぬように。穢さぬように。
「……一滴も遺さず、逝きなさい」
 戻る一羽を指に乗せ、綾は凪ぐように微笑んだ。

大成功 🔵​🔵​🔵​

ヨハン・グレイン
オルハさん/f00497 と


藍色の入場券を手に
……忘れたいこともあるだろう彼女を、中に進ませたくは無いが
一度こう言いだすと聞かないところがあるからな
……名前、呼びますよ。ちゃんと聞いて。忘れてしまわないように。
あなたは俺の隣に戻って来なければだめだ。
――行きましょうか

別れ、通路を進んでいく
都合よく忘れたいものだけ忘れるなんて、出来はしないだろう
全てを忘れたら寄る辺など何もない 誰とも知れない者になってしまう
そうはさせない

水の中の彼女に手を伸ばしかけ
黒い気配に振り返り魔術を発動させる

……人のことばかりだ
偶には自分を考えろ オルハ!
忘れるな それは楽な道じゃない
……忘れるな


オルハ・オランシュ
ヨハン(f05367)と
展示名お任せ

入場券は水色
戦争では陽動なんて危険な役目を負わせちゃったから
ここは任せて!
あ、でもね
もし私が私を忘れそうになったら、名前を呼んでくれる?

水中は苦しいようで苦しくなくて、不思議と――
水槽越しにヨハンが見える
近くて遠い彼のその後ろには、人ならざる者も見えて
咄嗟に魔術を発動
過去には彼をも傷つけてしまった無数の氷刃を必死にコントロールして
影のみを穿つ

つかれちゃったな……でもここは、不思議と――居心地がいいみたい
そっか
ここでならぜんぶ忘れて楽になれるんだ
……ぜんぶ……?


ヨハンとの過去も未来も、手放したくない……
――こんな私でも、忘れちゃいけない……!

※他行動お任せ



●君は水色を掴み取って
「ね、ヨハン。ここは任せて!」
「……はあ」
 二枚差し出された入場券のうち、問答する間もなく残った藍色を見つめて、ヨハン・グレイン(闇揺・f05367)は思わずため息を吐いた。そのため息に怯みもせず、オルハ・オランシュ(アトリア・f00497)は水色の入場券を手に、春色の柔らかな髪と耳を揺らして明るく笑う。
「戦争では、陽動なんて危険な役目を負わせちゃったから」
「危険がない戦争がありますか。……なんて言っても、聞かないんでしょうね」
 普段はじっと人の話に耳を傾けるくせ、一度こうと決めると聞かないところがある。それはヨハンもよく知っていた。
 もう一度溢れそうになったため息を飲み込んで、藍色を手にする。それを見て、オルハは軽い足取りで水色の路へ向かい、ヨハンも藍色の路へ足を進めた。
「……でもね」
 互いの道の角を曲がる、一歩前。ふと振り向いたオルハの声に、ヨハンも止まった。静かな暗がり。水と藍、ふたつ色の一直線上で、視線が重なる。
「もし私が、私を忘れそうになったら。……名前、呼んでくれる?」
「……呼びますよ」
 呆れるでもないヨハンの声が、ただ真っ直ぐにオルハに向かう。真っ直ぐな彼女と共にいて覚えた、視線の合わせ方だ。
「ちゃんと聞いて。忘れてしまわないように」
 ヨハンは覚えさせるように言葉を重ねる。――知っているのだ。彼女に忘れたいことがあること。恐れていることがあること。だから本当は行かせたくない。

「――あなたは俺の隣に戻って来なければだめだ」

 オルハは息を呑んだだろうか。言葉を失ったように丸い目が少年を映して、大きな耳がふるりと揺れる。それで確かに聴こえたと判断して、行きましょうか、とヨハンは踵を返した。
「……ん」
 ほんの小さな声が頷いて、少し。ざぶんと誰かが落ちる、音がした。

●ぜんぶわすれて、みずのなか
(「……落ちたの、かな」)
 こぽり、自分の息が耳元で弾けて消えて、オルハは水底にいることに気づいた。
 全身を包む水の色、ふわりと妙に軽くて重い、自由の効かない浮遊感。苦しいようで苦しくなくて、何も聞こえないようで、聴こえる。
 不思議な感覚に身体を任せながら、少女は水槽越しに進む彼を見つけた。
(「ヨハン」)
 想い重ねた愛しい名前。それを音にせず想うだけで頬が緩む。けれど、いつもは触れられる距離が、水と分厚い硝子に阻まれる。
 それでも手を伸ばしたくて、互いの指先が硝子越しに触れ合い――目が、合った。
「……っ!」
 彼の後ろに蠢く影。人ならざる蠢き。うぞうぞと、滲み出るような傍観の使徒。
「――そのひとに、触らないで……!」
 咄嗟に発動させた魔術は冷え切った硝子を伝い、蒼を吸い込んで氷刃を成す。
 ひとつ。彼に近づいた影を貫いて。ふたつ。もう一度起きようとした蠢きを縫い止める。みっつ――だめ、落ち着いて。彼を傷つけないで。あのときみたいに。
 祈るように両手を握り合わせて、オルハは必死に力をコントロールする。
 無数に生まれた刃は、いつもこの手に握って振るう槍のように、思うままに振るえない。
 いつかは彼を傷つけてしまった氷刃が、また彼に血を流させないように。
「お願いだから……っ」
 傷つくのは、影だけでいい。あのひとを、――大好きなひとを、傷つけたくない。
「ヨハン……!!」
 青い水槽の向こうで、闇に揺らぐ魔術が氷刃を包み導くようにして、影を薙ぎ払った。
(「……よかった」)
 ほうと息を吐けば、彼と一緒に吸った息は全部使い切ってしまったみたいで、泡は生まれなかった。ただ青い蒼い水の中で、少女は漂うようにふわりと力を抜く。
「つかれちゃったな……ね、怪我はない?」
「――」
 君の声がする。なんて言ったのだろう。大丈夫だよ、そんなに心配そうな顔をしないで。
 だいじょうぶ。不思議とここは、居心地が良くて――ああ、そっか。
「……ここでなら、ぜんぶ忘れて、楽になれるんだ」
 ぜんぶ。苦しいことも、悲しいことも、不安なことも――君を、傷つけたことも。
 やっと彼の前に掲示されたプレートに気づいたのはそのときだった。
 示されたなまえは『あなた』。……それが、わたし?

「――ちゃんと聞いてと、言ったでしょう!」
 怒った声が聴こえたのは、ぼんやりとそのなまえを覚えようとしたそのときだった。
「あなたはいつも、人のことばかりだ」
 聞こえた声が、すこしだけ震えていた気がする。
「偶には『自分』を考えろ、オルハ!」
 怒ったこえ。悔しそうなこえ。無意識に伸びた手は、やっぱりその手に届かないのに、その温度をもうすっかり覚えているような気がする。
 オルハ。その、なまえは。――君は。
「忘れるな。それは、楽な道じゃない。……都合よく忘れたいものだけ忘れるなんて、出来はしない。全てを忘れたら、寄る辺など何もない誰とも知れない者になってしまう」
 そうはさせない。
 真っ直ぐに視線がぶつかる。交わる。彼の真っ黒な瞳に映る、じぶんを見る。
「……忘れるな」
 ――心の真ん中に届くその声を、私は。
「……ぜんぶ、わすれたら。ヨハンと出会ったことも、これからも、忘れちゃう」
 ヨハン。そう呼んだ名前で、息を思い出した。こぽり、小さな泡が水を彩る。
「私、ヨハンとの過去も未来も、手放したくない。――こんな私でも、忘れちゃいけない……!」
 だって、君と出会えたから。
 一緒に進んで行くと、決めたから。
 ふわり、オルハは水の中で髪をほどく。広がる春色は、出会った頃より少し伸びた、君と進んだその証。
「……行こう、オルハ」

 ――『あなた』が呼んでくれるから、私は忘れず笑っていられる。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

アレクシス・ミラ

【双星】
アドリブ◎

君が君で居られるように
君の名前を、呼ぶために
その為には僕も迷わずセリオスの元へ行かないと

彼が僕の名を呼んでくれた事に安堵する、けど
手を伸ばすも触れたのは冷たく硬いガラス
声が届く。すぐそこにいるのに
君には触れられない
…それでも、と
額をガラス越しに合わせる
…ああ、勿論
君を見ているよ
一緒に行こう、セリオス

でも、戦闘になれば僕は敵を見ないといけない
…本当は君から目を離したくないけど
君の声が、歌が聞こえるなら
僕は迷わずに戦える
セリオス
ーー僕に力を貸してくれ
【君との約束】を攻撃力に
光属性を剣に纏わせ、衝撃波で先制攻撃
すかさず距離を詰め、剣で斬りつけ二回攻撃
…黙ってそこを退いてもらおう


セリオス・アリス

【双星】
アドリブ◎
名前お任せ

忘れてしまわないように…ね
そんなもん簡単だ
アレスが名前を呼んでくれたなら
それだけで自分を保っていられる
水中で声が出せるなら
応えるようにアイツの名前を呼ぶ

そっとガラス越しに手を触れてみても
そこには冷たい感触
鳥籠の10年には及ばない
それでも、引き寄せられるようにガラスに額をつける
ああ…アレスが惑わされないようになら
今なら…許されるか?
唇をしっかり動かしてアレスに告げる
アレス、俺だけみてろよ

直接手を出せないのはもどかしい
けど、歌えるならアレスに力を届けよう
【赤星の盟約】戦闘中も迷わないように導の歌を
アイツがそこにいて戦ってるのに生きる力を無くすなんざ
あるわけねぇんだよ!



●水の檻
 ――蒼い水底に、黒い鳥が落ちて来る。
 受け止めることもできない硝子の向こうで、アレクシス・ミラ(夜明けの赤星・f14882)は水に揺蕩う艶やかな黒髪の青年を見ていた。
 閉じられていた瞳が開く。青い星を宿したような、その瞳がアレクシスを見つけて、すぐに悪戯に笑う。
 ひとつも迷うことなく、セリオス・アリス(黒歌鳥・f09573)は水槽の中の路を選んだ。
 鳥籠に囚われた十年を忘れたはずがなかろうに。それに比べるべくもないと、彼は水の中で笑う。
「大丈夫だって言っただろ?」
「……心配そうに見えたかい?」
 水槽越しの会話は、いつもすぐ隣で聴こえる声が少しだけ遠い。緩く苦笑してアレクシスが首を傾げれば、セリオスは幼馴染に尚のこと笑って見せた。泡が弾ける。
「ああ、すごく。けど、忘れないなんて、そんなもん簡単だ。――アレスが名前を呼んでくれたなら、それだけで自分を保っていられる」
 だから。そうして見るのは、セリオスの水槽の前に付けられたプレートの名前だ。それには『やくそく』と刻んである。
 それを守るのは、セリオスひとりではない。
 それを誓うのは、アレクシスひとりではできない。
「……君が、君で居られるように」
 手を伸ばす。水槽越しに重ねた手のひらは、ただ硝子の冷たさだけを伝うだけだ。
 すぐそこにいるのに、触れられない。――そのもどかしさは、焦燥で、悔しさで、ほんの少しの恐怖をぽとんと落とす。
「君の名前を呼ぶために。その為に、僕はいる。……セリオス」
「うん。アレクシス。――アレス」
 名前を呼べば、応えるように呼び声が返る。それに自分で思っていたより安堵して、アレクシスは微笑んだ。
 こつんと、硝子越しに額を合わせる。引き寄せられるようにセリオスも髪を揺らして額を重ねれば、近くて遠い、すぐ目の前でその口元が歌うように言葉を紡ぐ。
「アレス。俺だけ見てろよ」
 はっきりとそう唇が動く。眠るものたちに行く路を惑わされないように。それはどこか子供じみたおまじないのようで、瞳を交わして幼馴染たちは笑う。
「ああ、勿論。君を見ているよ。……一緒に行こう、セリオス」

●君は空を飛ぶように蒼を泳いで
 迷宮の水族館をふたり、進む。
 藍の路に足音以外の音はなく、水の路に水音以外の音はない。あるのは、互いの声と、なまえ。
 いっそう暗い影のその先に、蠢くものがあった。
「……セリオス、敵だ」
 戦闘ともなれば、敵を見なければならない。慣れた手つきで剣を抜きながら、アレクシスはセリオスのいる水槽を背に、敵を見据えた。
「許してくれるかい。……本当は、君から目を離したくないけど」
「しょうがねえな、許してやるよ」
 冗談めかしたような声に、アレクシスも少し笑う。そうして、吐息ひとつで騎士の面持ちを取り直した。
「ああ。――僕に力を貸してくれ」

 鈴の音が鳴る。音が導く願いの星は蒼天の先。音色に宿る青星の祈りは、約束と共に願いとなって、赤星に届く。
(「何度でも、誓おう」)
 君との約束を。だからそれは、なまえなんかにしなくても良い。
 剣に宿す力は光。影を明かすように一撃を先制で見舞えば、アレクシスは次の一歩で懐に踏み込んだ。
 背中から、セリオスの歌が響く。――歌声が導になるようだった。切っ先は敵を深く薙ぎ払い、一瞬で影をただの影へと返す。
 惑う気はなく、無くす気もない。それは紛れも無いアレクシスの意志だ。
「――黙ってそこを退いてもらおう。早く彼を返して欲しいんだ」

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

鶴澤・白雪
ライオット(f16281)と

とても綺麗だけど物悲しいわね
所詮は偽物だからかしら?水槽を壊してパンドラの箱を開いたらこの水族館には何が残るのかしらね

あたしは泳げるし水槽に入る
展示名は好きにしてちょうだい

本当の名前を呼んでくれる王子様がいるんだもの
さして興味ないわ

水槽を隔てた距離って嫌なものね
これじゃライオットが危なくても咄嗟に撃ち抜くことができないわ
だからどうか気をつけて

言ってる傍から醜いのが出てきたわね
そんな気持ち悪い姿でうちの王子に近づかないでくれるかしら
UCでライオットが反撃できる隙を作るわ

あら、いつもよりヤンチャなのね
だけどそのくらいでいてくれた方が安心だわ
引き続きあたしもサポートするわ


ライオット・シヴァルレガリア
白雪さん(f09233)と


水族館は美しい場所だと聞いていたけれど
ここはどうにも不気味でいけない
残る物は少なくとも良い物ではないだろうね

白雪さん、ここからは一旦別行動をとろうか
武運を祈っているよ
ガラス越しにでも様子が分かるのは好都合だ

さて、お出ましだね
残念だけれど君たちに負けるつもりはないんだ
名前を忘れてしまった時、あの子にそれを思い出させてあげないといけないから

多勢に無勢はハンデにもならないな
何しろ僕には頼もしい味方がついている

『オーラ防御』『盾受け』で身を守り攻撃の隙を伺うよ
白雪さんの作ってくれた隙を狙ってUCによる攻撃を
行儀が悪くてすまないね
僕も誰かに似てきたかな



●君と冷たい青の世界
「水族館は美しい場所だと聞いていたけれど」
 ここはどうにも不気味でいけない、とライオット・シヴァルレガリア(ファランクス・f16281)は受け取ったばかりの藍色の入場券を手に苦笑を浮かべた。
「とても綺麗だけど、どこか物悲しいわね。……所詮は偽物だからかしら」
 水色の入場券を綺麗に折り畳んでポケットに突っ込みながら、鶴澤・白雪(棘晶インフェルノ・f09233)も不気味なほど静まり返った青暗い水族館のエントランスを見渡す。
「水槽を壊して――パンドラの箱を開いたら。この水族館には何が残るのかしら」
 与えられた幸せな眠り。それをこの中にいる人々が望んだのかどうか、きっとそれすら忘れてしまっているのだろう。
「残るものは少なくとも、良いものではないだろうね」
 だからこそ、それを壊しに行くのだ。ライオットが藍色の順路へ足を向けるのと同時に、白雪も迷わず水色の路へ進み出す。
「武運を祈っているよ、白雪さん。……沈んでしまわないよう、気をつけて」
「あたしは泳げるから大丈夫よ。外だったら沈まず済むだろうけど、ライオットも気をつけて」
 白雪がくすくすと笑うのは、ライオットが泳げないことを知っているからだ。何より、本体を別に持つヤドリガミだと知ってはいても、大事なひとを沈ませる気もなければ、展示物にしたくもない。
(「水槽に入ると名前が付けられるって言っていたかしら」)
 水色の路を曲がった先で、とん、と誰かに背を押されるのを感じて。
(「好きにすればいいわ。……本当の名前を呼んでくれる王子様がいるんだもの」)
 ざぶん、と水の中に落とされる。目を閉じる。息は続く。
 ――そうして蒼に染められた水底で、少女に勝手に付けられた名前は『いけにえ』だった。

●割れないショーケース
 きらきらと光る蒼の中に、宝石の少女が泳ぐ。長い黒髪がふわり、揺らいで。
 それは随分と美しい光景にも思えるけれども、いつか共に見た本物の海の景色には勝らない。
「大丈夫かい、白雪さん。……苦しくは?」
「ないわ、平気よ。でも、水槽を隔てた距離って嫌なものね」
 ぺたりと分厚い硝子に触れて、白雪は眉を顰めた。すぐ向こうにライオットはいる。並んで立っていれば、きっと距離は二歩もない。それなのに。
「……これじゃライオットが危なくても、咄嗟に撃ち抜くことができないわ。だからどうか――」
 気をつけて。そう水の中から白雪の声が響いた、そのときだった。
 ゆらり。白雪が持つ赤や黒とは似ても似つかぬ淀んだ赤黒い『傍観者』が、藍色の陰から姿を見せた。

「やあ、お出ましだね」
 驚くでもなくライオットは振り向いて、手に馴染んだレイピアを抜く。氷の青を宿す切っ先をうぞうぞと集まる影に向けて、光宿す盾はにこりと笑った。
「残念だけれど、君たちに負けるつもりはないんだ。……名前を忘れてしまった時、あの子にそれを思い出させてあげないといけないから」
 光の護りはどろりと落ちる赤を弾く。隙を伺うように位置取りを水槽を背にして定めれば、湧き出る影は増える一方だ。
 けれども。
「……多勢に無勢はハンデにもならないな」
 微笑みさえ浮かべたままのライオットの背後から、業火を纏った礫が降り注ぐ。
 振り向けば、いつもなら見上げるばかりの酸漿色の瞳が、ライオットの見上げた先にあった。
「何しろ僕には、頼もしい味方がついているから」
 水槽越しの肩の上。その身を守るように揺蕩う白雪は、翳した手を指鉄砲にして影を撃ち抜いてゆく。
「そんな気持ち悪い姿で、うちの王子に近づかないでくれるかしら」
「――捕まえた」
 白雪の攻撃で生まれた隙を見逃すことなく、ライオットは惑った影を氷漬けにする。けれどそれはほんの一瞬の足止めだ。懐に飛び込めば、容赦のない回し蹴りを傍観者たちに見舞った。影が一息に溶け崩れる。
「行儀が悪くてすまないね」
「あら、いつもよりヤンチャなのね。だけどそのくらいでいてくれたほうが安心だわ」
「そうかい? ……僕も誰かに似てきたかな」
 くすくすと笑って、ライオットは片手に持ったアイスレイピアを見やる。こういう戦い方は、どちらかと言えば相棒の得意分野だけれど、だからこそ。
「……僕たち、こういう硝子はあまり好きじゃないんだ」
 こん、と叩いた硝子の向こう。揺蕩う少女が展示物などではないと、ライオットは知っている。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

雲烟・叶
水色のチケットを受け取りましょうか。
この名を捨てて他の何かになれるだなんて、微塵も思いませんけれど。
チケットを袖に仕舞って、踏み出す足は迷いなく。

突き落とされればごぽりと溢れる泡と光、冷たい水。
泳ぐことは、まあ普通には。
得意な方々にゃあ当たり前に負けますが、今は迷宮さえ進めりゃあ良いでしょう?

……境界の煙が水に溶けて消えるのだけは、ご遠慮願いてぇもんですがね。
周辺の猟兵共々呪っちまう訳にいかねぇんで。
……嗚呼、大丈夫そうですかねぇ。一応念の為に先に煙に管狐共を宿しておいて正解でした。

さて、と。
管狐たち、行けますかねぇ。
燃やしてしまいなさい。
呪ってしまいなさい。
可能な限り、外の子らに手助けを。



●水雲香路
 青く沈む水族館に、燻る紫煙が薄雲を描く。
 機械的なアナウンスに応えるように水色のチケットを受け取ったのは、漂って行ったその紫煙。――煙がひょこりと耳を出し管狐となって、未だカウンターに辿り着いていない主たる雲烟・叶(呪物・f07442)の元へ水槽へ続く入場券を運んだ。
「ご苦労様です。……この名を捨てて他の何かになれるだなんて、微塵も思いませんけれど」
 チケットを袖に仕舞って、踏み出す足は迷いなく水色の路へ進む。
 ふわり、青年と煙が漂い行けばふとくぐもった機械音声が流れた。
『当館は禁煙となっております』
「……おやまぁ。堅いことは言いっこなしですよ。そちらさんも、どうせすぐ水に落とすんですから」
 ね、と叶は揶揄うように微笑んで、水色の角を曲がる。指先ひとつで呼び寄せた管狐たちが心得たように着物の袷の奥に煙り消えた――その次の緩い一歩で、紫煙と鮮やかな彩りに飾られた薄い背は、水の中へするりと落ちた。

 ごぽり、ゆらゆら。
 溢れる泡と光が白い。水の蒼に染まり込めば、冷たい青は容易く身体を重くして、軽くする。ひらめく袖や裾が白銀の髪と共に靡けば、その先に。展示物として勝手に付けられた名が見えた。示された名は『ざんえ』――残穢。染み込んだ嘆きは幾重。耽美な青年の姿からは想像もつかぬ呪物は名にゆっくり微笑んで、泳ぎ始めた。
(「しかし、境界の煙が水に溶けて消えるのだけは、ご遠慮願いてぇもんですがね」)
 叶が纏う煙は己と世界を隔つためのもの。怨嗟の声と嘆きを招く身に染みた呪いが、周囲に及ばぬようにするもの。普通であれば、煙は水に溶けてしまうものだ。
 確かめるようにすいと腕を泳がせれば、その腕に応えるようにふわりと水中を紫煙が舞った。それは雲のように靡いて、泳ぐ。
「……嗚呼、大丈夫そうですかねぇ」
 息は止まらず、泡と雲がゆらゆら揺れる。念のために先に宿しておいた管狐たちは確かに境界を守ってくれているらしかった。――そしてその仕事は、それだけに非ず。
「さて、と」
 ただ蒼いばかりの水槽の向こう。水色越しに覗いた藍色の路の先に、影が蠢いていた。
(「管狐たち、行けますかねぇ」)
 叶はとんと『中』から硝子をつつく。分厚い硝子は揺れもしないが、それを合図にしたように、行かせた管狐たちが影に纏い付いた。
「燃やしてしまいなさい」
 管狐たちの紫煙は呪炎となり、傍観するだけの影を燃やし尽くす。
「――呪ってしまいなさい」
 百代を越え降り積もる怨嗟が牙を向く。燃やし砕かれ、落ちた影は影に戻る。それを見届けて、叶はまた静かに泳ぎ始めた。
「……あんたは何に呼ばれたんでしょうねぇ」

大成功 🔵​🔵​🔵​

リチュエル・チュレル


タロ(f04263)と

おい、本当に大丈夫か?
オレなら濡れても平気だし…って、そうか
コイツが濡れる方がやべぇのか

ふん、小難しく考えるのはお前の悪い癖だよなぁ、タロ
何もお前をお前たらしめるのは名前だけじゃないだろ
本末転倒? 知るか
お前は唯一の『mon tresor』
それだけ覚えときゃなんとかなる

…うるせぇ、いいだろ
オレがどれだけ展示物を眺めたところで、目移りなんかしねぇってことだ
…うるせぇ、顔がうるせぇ、にやにやしてんじゃねぇ
ガラでもねぇのは自覚してるっつの

――っと、敵さんのお出ましか?
いいタイミングだぜ
今なんかこうものすごく暴れ出したい気分なんだよ
ありったけ乗せた水晶玉の一撃、喰らえってんだ!


タロ・トリオンフィ
※中

リチュ(f04270)と

水の中、…濡れるのはあまり得意ではないけれど
僕が中に行ってみるね

だって、僕の本体は紙製で
そしてリチュの手許にあるし

――それに、リチュの名は大切だから

僕の名は、自分がタロットと名乗っているだけの、器物の「名」
思い入れはリチュが呼んでくれる事くらいだけれど
その声は、我が主人の声は絶対だから
新たに書かれた『ましろ』の文字は響かない

水槽の中から見渡して
泳ぎを知らぬ僕は水底をゆらゆらと歩き
硝子の向こうに主を見る

外はどう?
どんなひとが見えるのかな

――うん
…僕が自ら僕自身を手離す事は無いよ
大切にして貰っているのだから

硝子の向こう、我が主人に迫る黒が見えたなら
『力』のカードで援護を



●めざめのたからもの
「おい、本当に大丈夫か?」
 藍色の入場券を片手に、もう片方の手でローブの袖を引っ張って、リチュエル・チュレル(星詠み人形・f04270)は水色の路へあっさりと踏み出した真白い少年をじっと見る。
 けれどもその視線をきょとんとしたオパールの虹彩で見返したタロ・トリオンフィ(水鏡・f04263)はこくんと頷いた。
「うん。……濡れるのはあまり得意ではないけれど、溺れたりはしないみたいだから」
「だから、オレなら濡れても平気だし」
「でもリチュ、『僕』は濡れると不味いと思うんだ」
「……あ」
 タロの妙な言い回しにリチュは一瞬眉を寄せたが、すぐその意味を理解する。――無意識に視線が『彼』を収めたホルスターに落ちた。タロが微笑う。
「だって『僕』は紙製だし、本体はリチュの手許にあるし。いくら魔導具とは言ってもね」
「……そうか、コイツが濡れるほうがやべぇのか」
 そうだよ、とタロはもう一度頷いて、リチュエルが掴んだ袖をゆっくりと引き取る。そうして、水色の路へ爪先を向け直した。真白い背中が水色に滲む。
「――それに、リチュの名は大切だから」
 大切そうに愛称を口にして、タロの姿が水色の角に消えてゆく。それを黙って見送ってから、リチュエルも己が進むべき藍色の路へ踵を返した。
 角を曲がりながら、髪を掻き上げて息を吐く。ふん、とつい溢れた息は随分不満そうに薄蒼い館内へ溶けた。
「小難しく考えるのはお前の悪い癖だよな、タロ」
 ぼそりと呟きながら、静けさを破るように美しいミレナリィドールはずかずかと足早に進んだ。
 そうして、水槽に落ちて来る『ましろ』と名付けられた少年を見つめて、真新しい金色のプレートを睨みつける。
(「オレのタロットは、そんな名前じゃねぇ」)
 不具合もないのに、頭の裏側が妙に軋んだような気がした。

●君をただ一つ示すもの
 ごぽり、ぶくぶく。
 水槽の中で両足で立った真白い少年は、長い睫毛を揺らして幾度か瞬いた。確かに不思議と、息は止まっていない。身体は軽く、けれども重い。
「……リチュ」
 水槽越しにラピスラズリの瞳が見えた。その名を惑うこともなく呼ぶ。足元に示された名前は中からでもよく見えた。
「少し、困ったことになりそうなんだけれど、どうしよう」
「忘れそうってか? 何もお前をお前たらしめるのは、名前だけじゃないだろ」
「……ええと。それはつまり、名前を忘れてしまっても良いと言うこと?」
「良いとは言ってねぇ。……けど、お前は唯一の『mon tresor』。それだけ覚えときゃなんとかなる」
 ――『私の宝物』。
 そう呼び顕すのは、自分だけだと。誰よりもリチュエルがそう覚えていて、忘れはしない。
 永きの眠りも、何時かの記憶も、景色や、世界が変わっても。
「……リチュ」
 真白いローブを水に揺蕩わせたまま、水の中で立ちすくむタロはゆっくりと微笑んだ。嬉しそうに、ひかるように。
「――うん。僕の名は、ただの器物の『名』だから。思い入れと言えば、リチュが呼んでくれることくらいだけれど。……その声は、我が主人の声は絶対だから」
 忘れないよ。そう笑う。その声に呼ばれることに、意味があるから。だからこそ、ただ刻まれただけの、はりぼての名前は響かない。そんなことははじめからわかりきっていて、だからこそ中へ進む気になったのだ。
「ねえリチュ、外はどうかな。どんなひとがいる?」
「……うるせぇ」
「ふふ。少しくらい見つめても怒られないよ。リチュの『宝物』は、自分で着いて行けるんだし」
「うるせぇ、元より目移りなんかしねぇってことだ。……顔がうるせぇぞ、タロ。にやにやしてんじゃねえ」
 うん、と嬉しそうに頷いて、ゆらゆら、タロは笑ったままゆっくり水の中を進んでゆく。その隣で足音を小さく響かせながら、リチュエルは藍に長い睫毛を伏せた。
「……ガラでもねぇのは自覚してるっつの」
 ぽそりと呟いて、ふと気がついたのはそのときだ。
「……って、だったら何だよ、さっき言ってた困ったことって」
 思わず訝しげな顔になったリチュエルに、それなんだけど、とタロは改めて困ったように首を傾げた。
「思ったより服が重いんだ」
「……」
「それに、僕は泳ぎを知らなかったなって。歩いて行けそうだけれど、重くて慣れるまでゆっくりになりそうだから」
 タロが纏っていたのは、細やかな装飾が見事な真白いローブに、白を基調にしたアンティーク調の洋装の一揃え。いずれも布のたっぷりした作りになったそれは、ふわりと広がり美しいものの、水の中ではさぞ重かろう。
「ああ、でも地面を蹴るんじゃなくて、搔き分ける感じで行けば……リチュ?」
「……あとで引っぺがしてやる」
 舌打ちとため息が混ざったような何とも言えない息を吐いて、リチュエルは水槽の中でゆっくり歩くタロの隣で片手に水晶玉を浮かべた。その向こうに、影が蠢く。
「いいタイミングだぜ、敵さんよ。――今、なんかこうものすごく暴れ出したい気分なんだよ」
 うぞりと這い出した傍観の使徒の頭上高くに、水晶玉が浮かび上がった。くすくす、ぷくぷくと泡と笑う声を水槽から聞けば、カードがふわりと選び抜かれる。
「……大丈夫。僕が自ら僕自身を手離すことは、ないよ」
 大切にして貰っているのだから。そうタロが主人に預けた力は、真白い光で藍路を明かす。
 その先に、リチュエルは指を指し示した。

「ありったけ乗せた水晶玉の一撃、喰らえってんだ!」

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

アルバ・アルフライラ
【外】
ジジ(f00995)と

手には藍色の紙片
水色のそれを持つ従者を引き止め
その肩に、杖を乗せる
お前の名はジャハル・アルムリフ
この私――アルバ・アルフライラの従者
ゆめゆめ忘れるでないぞ
それは己にも言い聞かせるかの如く

展示された『さくひん』に目もくれず
青き箱庭を直進む
…視界の端を、見慣れた黒が過った
光映し、煌く宝石の角
幼き従者に贈った、亡き弟の煌き
息を呑み、水槽を覗こうとして――踏み止まる
師である私が立ち止まるなぞ許されない
従者の為にも、先へ進まなければ

立塞がりし影は青き【女王の臣僕】で閉ざし
この身蝕まれようとも呪詛耐性、激痛耐性で凌ぐ
邪魔立てするか、愚か者共め
――目障りだ
我が前から悉く消え失せよ


ジャハル・アルムリフ
【中】名お任せ

師父(f00123)と
うむ、肝に銘じておこう
唯一にして無二の主よ

ゆったりと泳ぐ水槽越しの視線に
見世物の気分を知りながら
硝子に触れれば映る己が師と重なる

…名前
既に一度は失くしたそれも
同じ頃からの愛称までもが贈り物
もはや何も持たぬ己の証明
…故に、手放すわけには参らぬ

眠るのは彼の日から嫌いになった
だが揺蕩い眠る者らは苛まれる事もないのだろう
未熟さ故に置き去りにしたいと望んだ日はある
微かに髪引く手にはなれど
師が足を止めぬなら、その背を
けして置いてゆかれぬよう
…何時かは並び追えるように

故に
師へと害加える異形には【竜眼】を寄越す
この眼の届く所で気易く触れることは許さぬ
呼ぶ声がある限り



●誓星路
 とん、と杖が鳴った。――鳴らされた。
 声なき呼び声にジャハル・アルムリフ(凶星・f00995)は進み掛けた蒼影に沈む長身を振り向かせる。
 視線の先に、藍色の紙片を持つ主たる師、アルバ・アルフライラ(双星の魔術師・f00123)がいる。自分の片手にある水色の紙片を掌に折り畳んで仕舞えば、従者は応えの声もなく、主の瞳の星が示す目前に立った。
 ――とん、と。星追いの杖が鍛え抜かれた褐色の肩に乗せられた。
「お前の名はジャハル・アルムリフ」
 鶴声の如く、その声は凛と静を打つ。
「この私――アルバ・アルフライラの従者」
 一音、一音。改めて誓いを刻むように。それは、従者にも己にも言い聞かせるように響く。
「……ゆめゆめ忘れるでないぞ」
 最後の言葉を置いて、アルバは杖を持ち上げた。
 元より無口な従者は杖が置かれた肩に己の指で触れて、頷く。
「うむ、肝に命じておこう。唯一にして、無二の主よ」
 玲瓏な声が青に響いて通る。もう一度視線を交わして、蒼黒の主従は互いに踵を返した。

 水色の路の先。水の、潮の匂い。それを吸い込んだ次の呼吸は、水の中に落ちた。
 ざぶん、と沈む。冷たさが包む。揺らぐのは、蒼。
(「……冴えない青だ」)
 導かれるように沈みながら、そう思う。もっと輝く青を知っている。教えられた。
 既に一度は失った『名前』。――何も持たず、何も望めなかった小さきものに与えられた『贈り物』。
 それだけが己の証明だ。
 他愛なく呼ばれる愛称も、分け与えられた輝きも。
(「故に、手放すわけには参らぬ」)
 ゆっくりと長い腕を伸ばす。脚を動かす。泳ぐのは飛ぶのと少し似ているのかもしれないとぼんやりと考えた。
 示された名は、『すくい』。――それはもう、充分に与えられたものだ。だからこそ、忘れない。
 羽ばたく翼の代わりに裾をひらめかせ、空よりも重い青に、迷いなく竜が泳いでゆく。

●君は欠けた星の煌めきを宿す
 青に溶け合う蒼色に満ちた箱庭を、アルバは進む。
 美しくとも展示された『さくひん』には目もくれず、杖を片手に進む歩みに迷いはない。
 その視界の端を、見慣れた黒が過ぎった。羽搏きゆくその姿も目に馴染んだものだ。――けれども不意に、目を奪われた。
「――」
 泳ぎゆく竜と、光を映し煌めく、宝石の角。――それは、幼き従者に贈った、亡き弟の煌めき。失われぬ、一番星の。
 とん、と。手から滑り落ちかけた杖が藍色を叩いて、我に返った。
「……許されるものか」
 呑んだ息を、そのまま吐き出し、踏み出す。
 追憶に沈むように覗き込みそうになった水槽に目をやれば、硝子に映る姿を追うように来る者がいる。
(「師である私が、立ち止まるなぞ許されない」)
 硝子に映る姿がふたつ、重なった。口元に笑みを浮かべて見せれば、夜色の瞳が昔と変わらぬ色で揺蕩っている。
 褐色の長い指が、不思議そうに硝子に触れた。
「師よ。……見世物のような気分だ」
「事実見世物にされているのだから、致し方あるまいよ」
「だが――ああして眠る者らは、苛まれることもないのだろうな」
 ジャハルは水槽越しに見える『だれか』の静かな眠りを見る。
 眠るのは、彼の日から嫌いになった。苛む記憶が、幾度も心を夢の瀬から蝕みに来る。背中を丸めて眠っても、泥錆びた臭いが忘れられない。
(「置き去りにしたいと、望んだ日はある」)
 それは未熟さゆえに、苛むものから逃げる術をそれしか知らなかった頃。唯一口に出せた虚ろな望みは、煌めく星の宿りで生まれ変わった。
 ――おいてゆくの。
(「嗚呼、置いてゆかれぬように」)
 進む背が、青の先へゆく。黎明を揺らし、星を導く。――その背に何時かは、並べるように。
 だからこそ。
「……動くな」
 こぽり、最後の息が泡に帰す。確かに開いた両の眼は、主の行き先に現れた影を縫い止めた。
「来たか、ジジ。丁度愚か者共の相手をするところだ」
「解る。……触れるな、異形。この眼の届くところで気易く触れることは許さぬ」
 その呼び声がある限り、たとえ手が触れられぬ先であったとしても。
「その通りだ。――控えよ」
 ジャハルが動きを止めた影に、アルバの薔薇色の指先ひとつで青き蝶たちが舞い踊り、埋め尽くす。
 目障りだ。そう低く吐き捨てた声は隔てる硝子ほどに温度を持たぬ。崩れる影さえ蝶たちの鮮やかな青で埋め尽くされる。
「貴様らに遣る名など無い。我が前から悉く消え失せよ」

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

杜鬼・クロウ
中【桜鏡】
普段は名呼ばず
濡れるので前髪全下ろし
化粧無

テメェが言うと冗談に聞こえねェよ(鼻鳴らし
外見だけならお前もだろ
麗しの桜鬼の姫サンよ(皮肉

一緒に中へ
展示名は『しおん』だが手違いで俺の名がさくらに
紫苑は…嘗て俺が愛した女が好んだ花だ
花言葉は―
喩えお前が本当の名を忘れたとしても、俺は覚えていてヤるよ
”しおん”(彼女の唇を親指で撫ぞり笑む

ずっとそこにいたンじゃァな
おら(手差し出し
貸し一つな(ニヤリ
最初は誰でもそうだ
水ン中恐れねェのは上々
ゆっくり游ぎ迷宮探索(情報収集・第六感
ァ?ガキに見られンの嫌なンだよ
格好良くねェし

遠距離攻撃は持ち合わせてねェ
癪だが羅刹女に任せるわ
【魔除けの菫】で足止めぐれェは


千桜・エリシャ
中【桜鏡】
囚われた方々は大層美しいとの噂
救えないのなら
お持ち帰りして宿のアクアリウムにお迎えしたいですわ
…なんて、冗談ですわよ?
ふふふふふ

展示名は『さくら』にしようとしたら…
あら、逆でも面白いですわね
今日の私はしおん
思い入れのある花ですの?
まあ…私が名乗ってもいいのかしら
気障ですこと
頼りにしてますわ

常夜蝶を先行させて探索
その…泳ぎはまだ練習中ですの
変でも笑わないでくださいね?
彼に手を引いて貰って
鰭の代わりに着物の裾を揺蕩わせ
桜の人魚に見えるかしら?

それにしてもクロウさん
髪を下ろしていると幼い印象ですのね
その方が親しみやすいのではないかしら、なんて

水槽の外
無粋な輩は鬼火で燃やして差し上げましょう



●花嵐水迷
 華やいだ裾が尾を引き、水色の路を並び渡る。
 足元と同じ色の紙片を口元に寄せて、千桜・エリシャ(春宵・f02565)はふふりと笑った。
「囚われた方々は大層美しいとの噂。……救えないのなら、お持ち帰りして宿のアクアリウムにお迎えしたいですわ」
 なんて、と淑やかに艶やかな笑みを浮かべる少女は隣をちらりと見やる。
「……勿論、冗談ですわよ?」
「テメェが言うと冗談に聞こえねェよ」
 軽く鼻を鳴らして肩を竦めた杜鬼・クロウ(風雲児・f04599)は下ろしている前髪を軽く掻き上げた。彩る化粧も今はない。水に落とされるのを見越しての準備だが、いつもの彼よりは幾分か印象が違って見える。
「外見だけならお前もだろ。麗しの桜鬼の姫サンよ」
 けれども、吊り上がった唇の端から溢れる皮肉は常と変わらない。エリシャも慣れた素振りでその言葉にまぁ、とくすくす笑うばかりだ。
「それにしてもクロウさん、髪を下ろしていると幼い印象ですのね」
「ァ?」
「その方が親しみやすいのではないかしら、なんて」
「ガキに見られンの嫌なンだよ」
 格好良くねェし。そう言うクロウは、思い当たる記憶があるのだろう。僅かに眉を顰めてから、それより、と話を変えるようにエリシャを見た。
「名前、付けられるんだろ。何かあるか」
「あら、そうですわね。クロウさんは何か思いつかれていますの? ご自分のお名前」
「あァ、そうだな。俺が付けられるなら――『しおん』か」
 テメェは、と理由も明かさず問い返せば、エリシャは考え込むでもなく答えた。
「そうですわね、私は『さくら』、かしら」
 そのままじゃねェか、そうくつくつとクロウが笑ったその角で。
 とん、と二人の背は軽く押される。唐突なそれに二人して驚くでもなく、エリシャとクロウは青い水箱へ、ざぶんと落ちた。

●君は別の花の名を冠す
「……あら、まあ」
 水の中で、ゆらりと漂う。泡と、水のゆらぎ。息は聞いていた通り止まらない。普段と違う浮遊感に妙に体の自由が持ってゆかれるような感覚だけがいつもと違っていて、そして。
 互いに付けられたプレートの名は、言っていた通りの『さくら』と『しおん』。――けれど、示されたのはエリシャに『しおん』、クロウに『さくら』。
「どうも、名前が入れ違ったみてェだな」
「ええ、けれど逆でも面白いですわね」
 今日の私は『しおん』。そう口遊むようにエリシャが声にすれば、クロウが揺蕩いながら笑った。
「紫苑は、かつて俺が愛した女が好んだ花だ。……花言葉は――」
 言いかけて、またクロウは喉で笑う。そのまま、不思議そうに見返す桜鬼に手を伸ばした。
「たとえお前が本当の名を忘れたとしても、俺は覚えていてヤるよ」
 骨ばった男の親指が、柔い唇をゆっくりなぞる。透明な紅を引くように、クロウは今日限りの名前を呼ぶ。
「気障ですこと。思い入れのある花ですのに、私が名乗ってもいいのかしら」
 動じもせずに笑み返したエリシャは『さくら』の名を持つ男に首を傾げる。快諾は知れたこと。
 進みましょうか、と放つのは常夜蝶。元は水族館と言えど、迷宮と呼ばれたこの場所を無作為に進むのは随分と無謀ではあるだろう。その羽搏きを見送りながら、ふとエリシャは悠々と泳ぐクロウを見上げた。
「その……泳ぎはまだ練習中ですの。変でも笑わないでくださいね?」
「あ? 最初は誰でもそうだろ。――おら」
 きょとんと首を傾げたクロウは、当然のように手を差し出す。
「むしろ、水ン中恐れねェのは上々だ。……貸し一つな」
「言うと思いましたのよ。……頼りにしてますわ」
 ニヤリとした笑みで手を引くクロウに導かれるようにして、エリシャも泳ぐ。纏う着物が水に揺蕩えば、桜色の鰭を持つ人魚のように、蒼をゆく。

「――クロウさん」
 水槽の外に蠢いた影に気づいたのは、どちらが先だったか。手を引いたまま頷いたクロウも、真っ直ぐ影を睨みつける。
「中からじゃ、俺は足止め程度しかできねェ。任せるぜ、羅刹女」
「ええ、充分ですわ。無粋な輩を燃やすので、借りは返しておきましょう」
 鬼さんこちら。鈴を転がすように誘う声に、影が揺らぐ。クロウの耳元で菫の石が淡く光れば、その声が響く。
「――消えろよ」
「そうですわね、どうか綺麗に」
 そうして、鬼火は影を燃やし尽くした。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

シン・バントライン
アオイ(f04633)と
外へ

手にした券と同じ色の髪を持つ彼女を探す。
途中目に入る、眠る人達の穏やかな表情は美しい。
でも知っている。
絶望を、憎しみを、想いを、愛情を、優しさを…そんな感情を内包した彼女は誰よりも美しい。
髪に咲く「勿忘草」を思う。
彼女を作り上げた全てのものをどうか忘れないで欲しい。

溺れた自分を助けてくれた時、彼女が泡に溶ける小さな海に見えた事がある。
今度こそ彼女が海に還ってしまうのではないかと、水槽を泳ぐ姿を見つめる。

空も海も炎も春も魂も、全てを包み込むその名を呼ぶ。
「アオイ」

UCで死霊を呼び攻撃。もし死霊が消されたら剣で応戦する。
屈しはしない。
「生きる力」は目の前にあるのだから。


アオイ・フジミヤ
シンさん(f04752)と
中へ
名はおまかせ

水の中を進みながら以前シンさんから聞いた「忘れ草」の話を思い出す
その花の香りを嗅げば何もかもを忘れることができる
忘れることで、手放すことで、”幸せ”になれるのかな

故郷で私が“手放した”彼女のことを忘れることができたらそれは幸せなのかな?
桜色の彼女の眼がもう二度と開くことはないと知ったときの絶望を忘れられない

水槽越しに愛しい彼を見つめる
こんな心を伝えたなら、あなたはそれでも私を探して名前を呼んでくれる?
あなたに心を寄せることを許してくれる?

敵を波でUCごと洗い流す
波の勢いで動きとUC発動のタイミングを邪魔するように
何を忘れても彼にだけは手出しさせない



●君は海に還るように
 落ちた蒼い水中をアオイ・フジミヤ(青碧海の欠片・f04633)は軽やかに泳ぐ。
 青い海の欠片が詰め込まれた水槽は、アオイにとっては慣れ親しんだ海の匂いに満ちている。
(「私の名前は――『うみ』……?」)
 たった二文字のその名前は、むしろ馴染み深く響いた。心地よく身を包む蒼。この色に、溶けられたなら。

「アオイ」
「……っ」
 水槽の向こうから呼ぶ声に、心臓がきゅっと音を立てた。必要以上に驚いてしまったのは、視線の先に見つけたシン・バントライン(逆光の愛・f04752)のその瞳が、どこか不安げに揺らいでいたからかもしれない。
「……シン、さん」
 泳ぎ、その側を進みながら、アオイは彼から聞いた『忘れ草』の話を思い出す。
 ――曰く、その花の香りを嗅げば何もかもを忘れることができる、花。
(「忘れることで、手放すことで、”幸せ”になれるのかな」)
 この水槽も。髪に咲く勿忘草の花も。
(「故郷で私が“手放した”……彼女のことを忘れることができたら。それは幸せなのかな?」)
 桜色の彼女の眼が、もう二度と開くことはないと知ったときの絶望を、アオイはまだ忘れられない。
 硝子越しに、手を伸ばす。ぺたりと触れた冷たさは、覚えた体温さえも忘れさせそうだ。
 無意識に祈るように手を組んで、アオイは愛しいひとを見つめる。
 ――もしも、こんな心を伝えたら。
(「あなたはそれでも、私を探して、名前を呼んでくれる?」)
 もう、綺麗な景色だけで、愛しい海と花だけで生きてゆくことなんてできない。何を忘れたとしても。
(「あなたに心を寄せることを許してくれる?」)

●藍愛路
 ただ何も言わず見つめる彼女が、何を自分に問いたいのか。それはたぶん、シンにはわからない。
 けれど、彼女は美しかった。――絶望を、憎しみを、想いを、愛情を、優しさを。全てを包み込む誰より、何よりうつくしいひとを、シンはもう知っている。
「……どうか、忘れないでほしい」
 溢すように、シンは囁いた。彼女を作り上げたひとつひとつを、その全てを、どうか忘れないで欲しい。その髪に咲く勿忘草のことばを、希う。
 ――溺れたシンを彼女が助けてくれたとき。
 彼女が泡に溶ける小さな海に見えたことがある。今も、そうだ。
(「今度こそ、彼女が海に還ってしまいそうで」)
 その心が、知りたい。側にいてほしい。――空も海も炎も春も魂も、全てを包み込むその名を、呼ぶ。
「――アオイ」
 その名前こそが、存在こそが、自分の『生きる力』だと知っている。
「シンさん、後ろに……っ」
「大丈夫。……屈しは、しない」
 僅かに焦って聞こえたアオイの声に背後を見据えれば、シンは湧き出た影を死霊で薙ぎ払う。
 死霊たちを使役するシンを守るように、瑠璃色の海が押し寄せた。水槽の向こうで、アオイは藍より青い瞳を、影たちに向ける。
(「たとえ、何を忘れたって」)
 ――彼にだけは、手出しさせない。
 波が、死霊が影を影に叩き戻す。それをほうと見届けて、硝子越しの二人は黙って触れ合わぬ手を合わせた。

 片側からずつ溢れる想いは、伝わらぬ熱と同じに。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

吉備・狐珀
落浜・語(f03558)殿と
私は中へ、名前はお任せです。

日常を忘れて楽しむ場所ですが忘れたまま眠りにつく場所ではありません。
新たな犠牲者が出る前に元凶を絶ちます。

水色の入場券を受け取り進んだ先で落とされた水の中。
意識はあるけれど頭がぼんやりして。
朦朧とする中で聞こえてくる心地よい声。
傍にいると約束した大切な人、声を聞けば意識ははっきりしてきて。
ガラス越しに触れても全然嬉しくない。
だから前へ進む。邪魔をしないで。

彼を守りたい。(祈り)を込めてUC【稲荷大神秘文】を使用し【属性攻撃】の強化をしつつ、
受ける代償を少しでも軽減できるように(激痛耐性)、(毒耐性)、(呪詛体制)の(オーラ)を纏わせます。


落浜・語
吉備さん(f17210)と一緒に。
俺は外を。

水族館は嫌いじゃないけど、こう言う悪趣味なのはお断りしたいな。
きっちり、片を付けようか。

綺麗だけれど、ねぇ吉備さん。
俺は吉備さんに隣にいてほしい。ガラス越しでなくて、直ぐ触れられるところに。
吉備さんの熱を知ってしまったから、冷たいガラス越しではなくて、いつもみたく頬触って、頭撫でさせて。
吉備さんが居ないことに耐えられない。
吉備さんの傍に居たい。
吉備さんを離したくない。

だから、お前の相手してる暇は無いんだ。帰れ。
『怪談語り』を使用
左目を常磐色に変えつつ奏剣に【力溜め】し、呪詛【属性攻撃】を。
邪魔を、するな…っ!

アドリブ歓迎



●祈り語り
「水族館は嫌いじゃないけど、こう言う悪趣味なのはお断りしたいな」
 落浜・語(ヤドリガミのアマチュア噺家・f03558)が静かな館内で足を止めれば、隣を歩んでいた吉備・狐珀(神様の眷属・f17210)も艶やかな黒髪を揺らして、足を止める。
「そうですね。日常を忘れて楽しむ場所ですが……忘れたまま眠りにつく場所ではありませんから」
 静かに開かれたままの、藍色と水色の路。その双方を見やって、では、と狐珀は語の手にあったチケットの一枚――水色を手に取った。
「私は中へ。……大丈夫です。あなたが外にいてくれるなら」
 新たな犠牲者が出る前に元凶を絶ちましょう。そう微笑んで、狐珀は水色の路の先へ進んでゆく。
 それを心配げに見送って、語もまた藍色の路へ進んだ。
(「吉備さん」)
 心で呼ぶ名は、進んだ先の水槽でゆらゆらと美しい展示物として瞳を開いた。示された名は――『すいこ』。水狐、だろうか。
(「落としておいて、上手く名付けたつもりかね」)
 忌々しい。ほんの一瞬毒づいて、分厚い硝子越しに見失わぬよう、語は瞳を合わせた彼女の名を呼んだ。

●君は硝子の向こうに
(「……頭が、ぼんやりします」)
 水の中、落ちたのは一瞬で、沈んでゆくのはゆっくりと。
 意識はあるけれど、思考はまとまらない。狐珀は開いた瞳を、もう一度閉じそうになった。
「――ねえ、吉備さん」
 朦朧とする中で聞こえてくる心地良い声がある。
 それに導かれるように瞳を向ければ、硝子の向こうに彼が、語が見えた。
「聴こえているかな。……綺麗だけれど、俺は吉備さんに隣にいてほしい。ガラス越しでなくて、直ぐ触れられるところに」
「……私もですよ」
 どちらからともなく、互いに手を伸ばす。
 けれども触れられるのは、互いの体温すら移せない冷たい硝子だけだ。
「硝子越しに触れても、全然嬉しくない……」
「俺もだよ。吉備さんの熱を知ってしまったから。――冷たいガラス越しではなくて、いつもみたく頬触って、頭撫でさせて」
 懇願するように、語は言葉を紡ぐ。狐珀はそれにゆっくり頷いた。
「だからこそ、進みましょう」
 傍にいると約束した、大切な人。その声を聞けば聞くほど、意識ははっきりと色を持つ。

「……まだ、ぼうっとするかい?」
「ええ、少しだけ。……けれど、あなたの声を聞いていたら、落ち着きます」
 水槽の中を進む狐珀が柔く微笑めば、そんなことなら、と歩み進む語も微笑む。
「いくらでも呼ぶよ。聞かせる。――俺は、吉備さんが居ないことに耐えられない。吉備さんの傍に居たい。吉備さんを離したくない」
 だから、と語は鋭い眼差しを奥へ投げた。

「お前の相手してる暇は無いんだ。帰れ」
 蠢く影たちがそこにいる。語りの声で宿すのは、死霊たち。死神たち。一息に増した力を奏剣に込めれば、代償とばかりに左目が常盤色に呪いを得る。
 力を振るう彼を守らんと、狐珀も祈りを捧げるように目を伏せる。紡ぐ祝詞は光となって、語の剣と身体を守る。
「邪魔を、するな……っ!」
「――どうか、彼を守って」
 重なった声は、影を祓い、蒼に広がる。

 ――そうして、猟兵たちが進んだ藍路に、影はひとつも残らなかった。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​




第2章 ボス戦 『『閉鎖機構』ヴァーリ』

POW   :    一緒にいようよ。
戦場全体に、【段々水が注がれていく水槽】で出来た迷路を作り出す。迷路はかなりの硬度を持ち、出口はひとつしかない。
SPD   :    きみが欲しいよ。
【随伴硝子球】から【水槽に引き込む不思議な水】を放ち、【鹵獲】により対象の動きを一時的に封じる。
WIZ   :    さよなら。
自身が【さみしさ】を感じると、レベル×1体の【骨になった魚たち】が召喚される。骨になった魚たちはさみしさを与えた対象を追跡し、攻撃する。

イラスト:なすか

👑11
🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

種別『ボス戦』のルール
 記載された敵が「1体」出現します。多くの場合、敵は、あなたが行動に使用したのと「同じ能力値」の戦闘方法で反撃してきます。
 それらを踏まえつつ、300文字以内の「プレイング」を作成してください。料金は★0.5個で、プレイングが採用されなかったら全額返金されます。
 プレイングが採用されたら、その結果は400文字程度のリプレイと「成功度」で表現されます。成功度は結果に応じて変化します。

 大成功🔵🔵🔵
 成功🔵🔵🔴
 苦戦🔵🔴🔴
 失敗🔴🔴🔴
 大失敗[評価なし]

👑の数だけ🔵をゲットしたら、次章に進めます。
 ただし、先に👑の数だけ🔴をゲットしてしまったら、残念ながらシナリオはこの章で「強制終了」です。

※このボスの宿敵主はエンゲージ・ウェストエンドです。ボスは殺してもシナリオ終了後に蘇る可能性がありますが、宿敵主がボス戦に参加したかつシナリオが成功すると、とどめを刺す事ができます。
※自分とお友達で、それぞれ「お互いに協力する」みたいな事をプレイングに書いておくと、全員まとめてひとつのリプレイにして貰える場合があります。


●さいごにぼくと
「『あそぼうよ』」
 大きな大きな、丸い水槽の中で『ヴァーリ』は呼び掛けた。
 ――瞬間、『中』を泳いで来た猟兵たちは吸い寄せられるような水流に抗いようもなく押し流され、巨大な丸い水槽の中に放り込まれる。深くて広い、海を切り抜いたような蒼の硝子玉。
「『みるひと』はみんないなくなってしまったの? ……だったらきみたちも、おいで」
 ぽつぽつと、けれどよく響く抑揚のない声で、ヴァーリは『外』を来た猟兵たちにも呼び掛けた。
 がしゃん、と鳴った大きな音と同時に歩んで来た藍路は閉ざされ、いつの間にか背後にふわりと浮かんでいたヴァーリが指でつつけば、青色電路のロックが掛かる。
「みるひとがいないと、さみしいでしょう」
 だいじょうぶだよ。ヴァーリはほんの少し瞳を緩めた。

「きみたちのことも、ちゃんと見ていてあげるから。――わすれて、いいよ」
●たゆたうみずと、きみの『   』

 ――私の名前は。
 ――俺の名前は。
 ――あたしの名前は。
 ――僕の名前は。
 ――うちの名前は。

 ぷくぷく、ぱちん、弾けてゆくのは泡と『   』。
 あるかもしれない、ないかもしれない、みずのなかのきみに。
 ねえ、きみは、おぼえている?
リル・ルリ
🐟櫻と人魚
アドリブ歓迎


『なみだ』

僕の名前

櫻宵が傷ついた時以外泣いた事はない
名前なんて座長が適当に付けた記号
過去の檻と同じ
見世物劇場の牢獄
僕の水槽と悲鳴と嘲笑が彩る地獄
忘れたら僕が命奪った人達が本当にいなくなる
忘れてはいけないのに
弾ける泡に辛く悲しい記憶がとけ
元の名ごと忘れかける

歌唱に込める君を求む心と鼓舞
歌う『春の歌』
哀しく苦しくても逃げられない
僕の罪で罰
零れた雫は水に溶け
桜吹雪で水流の渦を作りそのまま外の櫻の方へ追いやる

櫻の事だけは忘れない
薄紅の戀の色
春宵の愛の歌
もし忘れたとしても
何度でも君に戀をする

櫻が呼ぶ
僕は
リル・ルリ
君が幸せを願って呼んでくれた
特別な名前

無くさないよう抱きしめ歌うよ


誘名・櫻宵
🌸櫻と人魚
アドリブ歓迎


水槽の中の人魚はそれは息を呑むほど美しく見蕩れ惚けてしまうわ
かつて彼を水槽に閉じ込めていた座長の気持ちがわかりそうになる
自己嫌悪よ

なみだ
リルは自分の為に泣けない子
泣いてもいいのに
そんな過去忘れて欲しい
けどあなたはそれを許さない
あなたが自分を許せるよう何時だって傍にいるわ

リルの歌に合わせ放つ操華
生命力吸収の呪詛込め追い詰めましょ
中へ送って斬り裂いて外へ出し、釣れた所で衝撃波放ちなぎ払う
リルの一欠片だって渡さない
首を頂戴

藍玉と瑠璃
幸福を齎す宝石の名前
リル・ルリ
あなたの名前は幸せの色彩
例えリルが忘れてもあたしが覚えてる
何度だって呼ぶわ
大好きなあなたを、
幸せを願って
何度もね!



●なみだの揺り籠
「『あそぼうよ』」
 その声と共に押し流された迷宮水路のその先で、月白の尾鰭がふわりと泳ぐ。
 純白の羽織は光のように波と揺蕩い、柔らかく広がる髪が白孔雀の尾羽と共に靡けば、瑠璃色に溶けてゆく。泡沫のヴェールの向こうに覗く、淡色珊瑚。――ゆっくりと開く瞳は、なみだ色。
 美しい人魚に、ヴァーリは首を傾げた。
「『なみだ』。……きみの水槽はここじゃないよ」
「……『なみだ』? 僕の名前?」
 当然のように呼び掛けられた『なまえ』に、リル・ルリ(想愛アクアリウム・f10762)はつい問い返した。
 だってその名前は、おかしい。リルは泣いたことなんて、愛しい櫻が傷ついたとき以外に覚えがない。
(「名前なんて、座長が適当に付けた記号。……あの檻と同じ」)
 ――見世物劇場の牢獄。
 あったのは、水槽と、悲鳴と、嘲笑。
 あの場所は地獄だった。なみだなんて出ないほど、地獄だった。
(「忘れたら、僕が命を奪った人たちが、本当にいなくなってしまう」)
 ああ、でも。
 ヴァーリから視線が外れた、青の向こう。どこか既視感のある分厚い硝子の檻からの景色。
 ぷくぷく、ぱちりと弾けた、泡沫の先。――見つけた、僕の櫻。
 覚えてしまった悲しいことも、つらいことも、もしも忘れてしまえたら。
(「櫻宵、君のためだけに、もっと泣けるかな」)

 水槽を泳ぐ美しい人魚に、目を奪われた。
 息を呑んだ一瞬。目が離せなくなった永久。ただ見蕩れてしまった誘名・櫻宵(屠櫻・f02768)はゆっくりと蒼に滲む淡墨の髪を揺らした。朱を引いた眦を苦笑に緩めて、桜の木龍は息を吐く。
(「嫌ね。……かつて彼を水槽に閉じ込めていた座長の気持ちがわかりそうになっちゃう」)
 そんな過去、忘れて欲しいのに。
(「自己嫌悪だわ。……『なみだ』なんて。あの子は、自分の為に泣けないのに」)
 何もわかっていないのね、と水槽に触れて、思う。
 泣いてもいいのに。忘れてもいいのに。あなたはそれを、許さない。
 ――なみだ色。
 うつくしい瞳が、櫻宵を見たのはそのときだ。
 弾ける泡に、深い哀しみを湛えたその色が、溶けてゆく。――わすれて、ゆく。

●僕が泡になってしまっても
 僕は誰だっけ。誰だったろう。ふわふわ、身体が軽いんだ。気持ちがいい。気分がいい。
 だって世界には、つらいこともかなしいことも、ないんだから。
 ぷくぷくと白く、花びらのように舞ってゆく泡を見ながら、リルはゆっくり沈んでゆく。さかさまの世界。空から落ちるみたいだ。……空ってなんだったっけ。
 ――そのさかさまの世界に見えた、鮮やかな花。
(「……君は」)
 手を伸ばす。向こう側の手も、伸ばされる。ふわり、手に、尾に見えた花飾りは。
 白い指と指が、硝子越しに重なった。その角に咲き誇る花。桜。
(「――櫻、だけは忘れない」)
 もしも忘れてしまっても、何度だって君に戀をする。
 歌おう。春の歌を。君を求める歌を。
 透き通った歌声が響き、柔らかく蕩けて響く。桜吹雪が渦を成した。
(「いくら哀しくて、苦しくても逃げられない。……これは、僕の罪で罰」)
 それでも。

「リル。――リル・ルリ」

 微笑む声が、櫻が呼ぶ。触れ合わない指先が、忘れかけた色彩を教えてくれる。
「あなたの名前は幸せの色彩。藍玉と瑠璃。――例えリルが忘れても、あたしが覚えてる」
「……僕は、リル・ルリ?」
「ええ。何度だって呼ぶわ。大好きなあなたを、幸せを願って、何度もね」
「――僕は、リル・ルリ」
 君が幸せを願って呼んでくれた、特別な名前。それを、なくしたくないと思う。
 こぼれた雫は、蒼に溶けて、真珠になんてならないから。
 瞳が合う。歌が響く――桜吹雪の渦がヴァーリを追いやる。それに重なる櫻宵の詠唱は、千年桜の式神を呼び起こした。主の命のまま霊力を持ってして水槽へ飛び込んだ式神は、リルの歌が作り出した渦に乗って、ヴァーリを水槽の外へ追い出した。
 そこへすかさず櫻宵が衝撃波を叩き込む。ヴァーリが眉を顰めた。
「……なにをするの」
「あたしの台詞ね。悪いけれど、リルの一欠片だって渡さないわ」
 首を頂戴。衝撃波をもうひとつ見舞って、うつくしい桜のように、櫻宵は微笑んだ。
 水槽の中に揺蕩う、あたしの王子様。

「あなたが自分を許せるよう、何時だって傍にいるわ」

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

泡沫・うらら
うちの、名前

問われ、巡る
常に水と共に在ったもの
波に混じって、泡に溶けて消えたもの

新しく手にした其を唇に乗せようとして
震えたのは、春を希う運び

結局手放せなかった、呪いの詞

新しくもろたそれも素敵やねんけど、堪忍な
うちはあんなに輝けへんのよ

冬の空に瞬くのは、うちやなくってあの子の方
臆病な性格は……、ふふ、言い得て妙かもしれんけどね?

さっき同様他の人に気張って貰う形でもええんやけど
今回は外の人らも巻き込まれる可能性があるし
そん時に備えましょかな

狭い狭い水槽の中
其処で暮らすんもええかもしれんけど
本物の海は、綺麗よ

もっと早ぅに出逢おて一緒に泳げてたら……、
あんたの寂しさも、ちょっとは紛らせられたんやろか


雲烟・叶
別に、誰も見なくたって構いやしませんよ
元より奥深く封印された身、他者の視線なんぞなくて結構

『残穢』だなんて生温い名です
残り積み重なった、ええ、元は残穢と呼ぶべきものだったのでしょう
けれどね、今となっては──『雲烟』の名の方が、悍ましき呪いを示す名前なんですよ

長煙管の細工の中に目立たぬように、その名はひっそりと刻まれている
忘れようもない
そして、与えられた『叶』の名も、その意味も、己が呪詛で狂わせ殺したあのひとも
忘れようもない

忘れでもしたら、ねぇ?流石に不義理じゃあありませんか

主人の【呪詛】に呼応した管狐たちが宙を駆け出す
彼らに【生命力吸収、吸血】を与えておきましょうか
……不愉快です、貪り喰い殺せ


ソル・アーテル
君には僕がどう見える?
名前はもう似合わないくらいに真っ黒で穢れてる
人を呪い殺した僕を、人を見殺しにした僕を
それでも見てくれるって言うの?

中に敵がいる時は外から状況を見て敵の位置を割り出すよ
できれば水中の人に気をつけるよう声をかける
外に出てきたら狙撃銃で素早く狙いを付けて銃弾を撃ち込むよ
(視力・スナイパー・クイックドロウ・呪殺弾・生命力吸収)
僕が名前を忘れる、その前に君から全て奪うよ
……僕は奪うことしかできないからね



●誰かの返事が聞こえなくとも
「うちの、名前」
 ぷくぷく、ぱちん。
 その『なまえ』を唇に乗せようとして、泡沫・うらら(夢幻トロイカ・f11361)は蒼に溶ける泡を見た。
 ――常に水と共に在ったもの。
 ――波に混じって、泡に溶けて消えたもの。
 全部忘れて、溶け合わさって、そうしたら。
「……堪忍な」
 唇に乗せようとした新しいおと。けれども結局、震えて泡を作ったのは、春を希う運び。――呪いの詞。
(「手放せへんもんやね」)
 きっとそれは、うららが『うらら』である限り。
「新しくもろたそれも素敵やねんけど。うちはあんなに輝けへんのよ」
 丸い水槽の中、底に落ちかけた瑠璃色人魚は、力を抜いてゆらり、揺蕩う。――水槽の向こうに押し出されたヴァーリが、首を傾げて振り向いた。

「それで、さみしくはないの」
「――なら、君には僕がどう見える?」
 ぽつりと落ちた問いかけには、ソル・アーテル(日陰者・f21763)の問いが重なった。水槽の青い影の先、眼鏡の向こう、銃口を構えた真っ黒な瞳がヴァーリを映す。
「名前はもう似合わないくらいに真っ黒で、穢れてる。――人を呪い殺した僕を、人を見殺しにした僕を、それでも見てくれるって言うの?」
 忘れられない、奪った過去を。
 ヴァーリは少し、困った顔になった。一歩水槽のほうへ引く。
「きみが『観て』きたひとたちは、しあわせそうだったでしょう」
「奪って与えた、形だけの幸せじゃないか」
 ヴァーリが二歩引いて水槽の中に戻ろうとした、その瞬間にソルも引金を引いた。狙撃はヴァーリを掠めるだけに留まったが、水槽に戻るのを待ちかねたようにその四肢に絡みつく水煙があった。

「別に、誰も見なくたって構いやしませんよ」
 元より緩慢な動きを水に任せ、更にゆっくりと手を伸ばしたのは雲烟・叶(呪物・f07442)だった。その動きに呼応するように、彼の周りで揺蕩っていた煙の管狐たちが水中を駆ける。ヴァーリに食らいつく。
「元より奥深く封印された身、他者の視線なんぞなくて結構」
 境界を引き、人の子に害を為さぬよう。器物であること以上に呪物として己をいっとう観て来たのは叶自身だ。
「『残穢』だなんて、生温い名です」
 元は『そう』であったろう。残り積み重なった愛憎、悲嘆、慟哭、狂気――幾重にも積み重なったそれは、雲に烟るように、呪詛を撒き散らして。
「けれどね、今となっては──『雲烟』の名の方が、悍ましき呪いを示す名前なんですよ」
 手招く指先が、骸の海から溢れ出た命を呪う。管狐たちがその命を吸い出すのをゆっくりと笑って叶は見やる。
 ヴァーリはもがいて、今度こそ眉を下げた。さみしそうに。
「――どうして、そんなさみしいことをいうの」
 さみしい。
 さみしい。
 そんなのはいやだ。そのはずなのに。
 ヴァーリの周囲から、骨になった魚たちが水を裂くように泳ぎ出した。
「……おやま、子供の癇癪のようですねぇ」
 くすりと笑って叶は骨魚たちをするりと避ける。泳ぎは得意でも不得手でもないが、動く先さえ決めてあれば、さほど難しいことではない。避けたその先にいるのは、うららだ。
「ご準備は」
「ご覧の通り、ええよ」
 ふわりと白い雲が風に泳ぐように避けた先。ゆっくりと水に揺蕩っていたうららに、骨魚たちは突撃する。――けれども、ただ骨魚たちはただの骨とばかり、水の中に散らばっただけだった。そうして、うららが抱く人形がゆらりと泳ぐ。
「狭い狭い水槽の中、暮らすんもええかもしれんけど。……本物の海は、綺麗よ」
 ごう、とうららのからくり人形から、骨魚たちが泳ぎ帰ってゆく。穿つように。
「冬の空に瞬くのは、うちやなくってあの子のほう。臆病な性格は……。ふふ、言い得て妙かもしれんけどね?」
 自らの放った魚たちに撃たれて、ヴァーリは水槽の硝子に叩き付けられた。
(「もっと早ぅに出逢おて一緒に泳げてたら……あんたの寂しさも、ちょっとは紛らせられたんやろか」)
 けれども、そのもしもはこの水槽であり得なかった。ヴァーリは声もなく、そのまま底へ沈む。影へ落ちる。

「――気をつけて、左から行く」
 水槽の外側。そこから決して照準を外さずにいたソルが、うららに、叶に声を飛ばす。
 得意のゲームで慣らしたお陰で、タイミングはあらかた読めた。
「行動する力。今に至る記憶。自我を成す意思。――君から全て奪い去ろう」
 硝子をすり抜けて外へ出たヴァーリを押し戻すように、ソルの狙撃が決まる。
「僕が名前を忘れる、その前に君から全て奪うよ」
「どうして……きみは、さみしいでしょう」
 ソルは黙って、引き金を引いた。
「……僕は奪うことしかできないからね」
 たまらずヴァーリはもう一度水槽の中へ戻る。そこへ叶の管狐たちが再び纏い付いた。
「忘れようもないことは在るんですよ、確かに」
 たとえば、長煙管の細工の中に目立たぬように、ひっそりと刻まれたその名前。
 たとえば、この『叶』の名を与えた、己の呪詛で狂い殺されて行ったあのひとも。
 ――忘れようもない。
「忘れでもしたら、ねぇ? さすがに不義理じゃありませんか」
 それを突き落とした水底で、手前勝手に洗い流そうとされるのは、酷く。

「……不愉快です。貪り、喰い殺せ」

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

タロ・トリオンフィ
リチュ(f04270)と

丸い水槽でも、やっぱり水の重みにゆっくり沈んで

そういう君の名前は?
……呼ぶひとがいないと、さみしいでしょう

鏡の様に同じような調子で語りかけ
手元には「僕」の星のカードの絵柄のみが浮かぶと
水の流れを躱しながら、底から見上げる

――名前
僕は何て名乗っていたっけ
しょうがないかな
自分で名前を名乗って、まだ一年も経っていないし

ううん、でも
その示された『名』は僕じゃない
だって覚えているから
僕は我が主の、唯一の――

リチュ
ごめん、心配した?
大丈夫だよ
僕は名を忘れても惑わされない

『星』は道しるべ
何処からだって星詠みの手許に帰る

……だから僕は『展示物』にはなれないよ

攻撃の意思を絵筆に乗せて
――


リチュエル・チュレル
タロ(f04263)と

おい、タロ…!
何処に――って、どうせ通路は一本か…
先に行く他はねぇよな

確かにオレのタロットは綺麗だけど
展示物なんぞにされてたまるか
…大丈夫、アイツは此処にいる
失ったりなんかしねぇ

退路なんか今はどうでもいい
巨大な水槽に駆け寄って
白く揺蕩う姿を探さなければ

くそっ、この水槽が邪魔だな
ぶっ壊せねぇのはもどかしいが
オレにはアイツが絶対だと言ったこの声があるから

おい、タロ、ぼんやりすんな!
忘れてんじゃねぇぞ
お前はオレのだろうが…!

テメェなんぞに見てもらわなくても
ソイツはオレが毎日眺めてんだ
余計なお世話だっつの

ガラスに隔てられてようが知ったことか
宝石の花弁をテメェに全部叩き込んでやる!



●ぼくらのたからもの
 身体はやっぱり、沈むしかなかった。
(「それより、リチュは」)
 どこにいるだろう、ここから見えるだろうか。ゆっくりと丸い水槽を沈みながら、タロ・トリオンフィ(水鏡・f04263)はリチュエル・チュレル(星詠み人形・f04270)を探して外を見やる。
 戦う音が、水を伝って来ていた。間違いなく敵は近くにいる。ならきっと、外からその動きを追っているはずの主も、硝子を隔てた近くにいるだろう。
「……『ましろ』。きみも、わすれないの」
 ――ふと。ゆっくり沈む身体と同じように、底へ向かう人影があった。そこにいるのは少年。わすれていいよ、と囁き落とした、その子。
「そういう君の名前は?」
 同じ速度で沈む少年に、真白い笑みをゆっくり向けて。
「……呼ぶひとがいないと、さみしいでしょう」
 沈む速度と、問う速度。同じような調子で語りかければ、水槽を抱く少年は、どこかきょとりとして瞬いた。そうして、ヴァーリ、と呟く。
「そう。僕は……」
 頷いて、名乗ろうとして、浮かばなかった。
「――僕は、何て名乗っていたっけ」
 呆気ないほど、名前が見つからなかった。困ったな。呟いた声が泡になる。
(「しょうがないかな。自分で名前を名乗って、まだ一年も経っていないし」)
 ああ、でも。
 ふわり、広がる真白に『星』が浮かんだ。――十七番目。まるで白いキャンパスにその絵柄が描かれるように絵柄が浮かべば、すいと泳いで、水底から星が瞬く。
(「『星』は道しるべ」)
 沈みながら見上げるその輝きは、必ずきっと『唯一』を見つけてくれる。
「『ましろ』」
「……ううん。その『なまえ』は僕じゃない」
 追ってくる水流を、星の軌跡を辿って躱した。ヴァーリが途端にさみしげな顔になった気がする。ごめんね、そう呟くのはやっぱり『名』は思い出せないからだ。それでも、忘れていても、忘れられない。惑わされない。
(「だって、覚えているから」)
 光れ、ひかれ、ほし。そのしるべをどうか届けて。
「僕は我が主の、唯一の――」

●ほしをきみに、つきをぼくに
「――タロ!」
 ばん、とリチュエルが硝子を叩いた声に、タロは水の中で振り向いた。惚けたオパールの瞳がいつもと違って青い。どこかその名前に驚いたように見えて、リチュエルは我知らず揺れた声でその名を呼んだ。
「おい、タロ! ぼんやりすんな! 忘れてんじゃねぇぞ、お前は――」
 いくら美して、素晴らしいと誰が褒めたって。さほど執着もないのだろうその名が塗り替えられたって。――オレのタロットは、展示物なんかじゃない。
(「失ったりなんかしねぇ」)
 胸の奥がざわつく。嫌な気分だった。水槽が邪魔で、邪魔で、ぶち壊してやりたい。けれどそれは叶わないから。
 ぽてんと底に沈み込んだ真白い少年の星を、リチュエルはいっそ睨みつけて、呼ぶ。絶対だと言った、そのよく通る声が響く。

「お前は、オレのだろうが!」

 タロの目が丸く瞠られる。青に染まった瞳は緩く白に揺蕩い、それは嬉しそうに虹彩を緩ませた。
「そうだよ、リチュ。僕は必ず君の手許に帰る」
 星詠みの君のその手に。
 大丈夫だよ。そう笑って、タロはヴァーリを振り向いた。
「……だから僕は『ましろ』にはなれないよ」
「ぼくがみていても?」
「テメェなんぞに見てもらわなくても、ソイツはオレが毎日眺めてんだ。余計なお世話だっつの」
 ヴァーリの問いにリチュエルが返して、その手には宝石の花弁が浮かぶ。
「わ、リチュ、硝子があるよ」
「知ったことか。理論上、魔力をたっぷり注げば叩き込める。……タロ、描いて通せ」
 頷いたタロの絵筆が硝子に光の星を描く。それは魔力を宿し、方陣となり、リチュエルの宝石の花弁を水槽の中へ迎え入れた。光纏う礫が、ヴァーリに降り注ぐ。
「――オレのタロット、返して貰うぜ」

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

オルハ・オランシュ
ヨハン(f05367)と

私は――わたしは、だいじょうぶ……
忘れかけても、忘れるまでは至らない
さっきの彼の声音が耳から離れないから
早く、隣に戻らなきゃ

誰にも見てもらえないのは寂しいよ
その寂しさは私も知ってる
でも、こんな水の檻に囚われるなんて、誰が望んだの……!
忘れたいことがあっても、忘れたくないこともろとも忘れちゃうのなら
忘れていいはずがないんだよ
――そうだよね、ヨハン

水の中でもどうにか槍は振るえそう
でもさすがに重いや
一振り一振り、慎重に
少しずつでも着実に攻撃を重ねていこう

外に出たヴァーリがヨハンを狙ったら、躊躇わずUCを発動
どれだけ消耗しようとも氷刃をコントロールしてみせる
絶対にやらせない!


ヨハン・グレイン
オルハさん/f00497 と

名前はただの記号に過ぎないだろう
自分を忘れさせて個を失った者を眺めるなんて、なんの面白味も感じないな
悪趣味という言葉すら過ぎたるものだ

彼女への心配は尽きないが……大丈夫だろうと、信じよう
たとえ忘れたい事があっても、忘れて良しとは思わない筈だ

中にいようと関係ない
やる事は変わらない
呪詛を孕む指輪の黒闇を水槽の内側まで侵蝕させる
中にいる者が動きづらいのであれば、敵の動きを止める事に注力しよう
水の中であろうと黒刃を振るのに支障はない

外に逃れてくるのなら、影から蠢く混沌を
沈め――お前にこそ名は必要ない



●在るべき場所
 押し流された水槽の中で、オルハ・オランシュ(アトリア・f00497)は薄らぐ意識をゆっくりと感じた。
 まるで眠りに落ちる前のような、柔らかな感覚。このまま深く、息を吸って、目を閉じたなら。
「私は――」
 そうしたら、きっと。
 『――オルハ!』
 目が、開いた。さっき聞いた、彼の声。その声が、耳から離れない。
「わたしは、だいじょうぶ……」
 早く、隣に戻らなきゃ。ふわり、広がる髪を後ろに流し、手にした槍をぎゅっと握りしめた。戦いの音が、する。水の中のせいで、音はくぐもって響くけれど。その音のほうへ、彼も進むはずだから。

「見つけた」
 ざあ、と水流と宝石の花弁が舞い、過ぎたその先に、ヴァーリはいた。
 いつもよりも重い槍を、オルハは向ける。
「『あなた』……わすれて、いないの?」
 他の猟兵たちの成したものだろう。ヴァーリは随分と負傷しているようだった。それなのに、痛みなどひとつも感じていないように、少年は首を傾げる。
「忘れていないよ。……確かに、誰にも見てもらえないのは寂しいよ。その寂しさは、私も知ってる」
 ――だからこそ、当たり前のように一緒にいて、目が合って、話ができる。そんなひとに巡り会えたのが、奇跡みたいに思えることがある。
「でも、こんな水の檻に囚われるなんて、誰が望んだの……!」
「でも。『あなた』はわすれたかったでしょう。『じぶん』より、だれかのためをえらぶでしょう。それはとても、うつくしいこと」
 だから、あなたのなまえは『あなた』なのだと。
 オルハはゆっくりと首を振った。
「……違うよ。少なくとも今の私には、忘れたくないことがあるもの」
 たとえ、忘れたいことがあっても。
「忘れたくないこともろとも忘れちゃうのなら、忘れていいはずがないんだよ」
 ――そうだよね、ヨハン。
 声にもせずに呼んだ名前に応えるように、暗闇がヴァーリを絡め取ったのはそのときだ。
 息を呑む一瞬。水槽の向こうに大好きなひとを見つける瞬き。槍を構え直した次の呼吸で、水を蹴り、槍を振るう。避けられても良かった。少しずつでも、攻撃が届くなら。
「ヨハン!」
 ――その名前が呼べるなら。私はもう、だいじょうぶ。

●君の隣
 その場所が当たり前になったのはいつだったろう。
 ――いないのが当たり前でなくなったのは、いつだったろう。
(「名前はただの記号に過ぎない」)
 ヨハン・グレイン(闇揺・f05367)はただそう思う。個を表す記号。生き物に拠らず、認知される全てが持ち得る通称。
(「自分を忘れさせて個を失った者を眺めるなんて、なんの面白味も感じないな」)
 悪趣味という言葉すら過ぎたるものだ。
 吐き捨てることもなく、ヨハンは水槽の中をじっと見つめて歩く。探す。腹の底が冷え切ったような感覚が、彼女の名を呼んでから消えない。
(「彼女への心配は尽きないが……大丈夫だと、信じよう」)
 たとえ忘れたい事があっても、忘れて良しとは思わないはずだ。
 ならば、敵のもとへ。それが彼女を探すことにもなる。――そうして歩いた先の水槽の中に見えた、春の色と、水槽の少年。
 呪詛を孕む指輪を翳す。放たれた暗闇は、じわりと底から水槽の中に浸蝕してゆく。
「――ヨハン!」
 呼び声と共に、槍がヴァーリを貫く。水が重いのだろう、いつもの風のような軽快な動きは彼女にない。その隙を突くように、ヴァーリは水槽の外へ逃れた。
「なんだ、こちらに来たのか」
 底冷えする声音で、ヨハンはヴァーリを見やった。ヨハンの影が、蠢く。その闇がヴァーリを呑み込むように捕らえれば、骨の魚たちがヨハンに喰らい付こうとする。けれども。
「絶対にやらせない!」
 水の中から響く強い声と共に、オルハが放った氷刃が魚たちを薙ぎ払った。僅かでも気を抜けば暴走しそうな氷刃を、オルハは必死にコントロールする。
「オルハ」
「だい、じょうぶ……!」
「信じましょう。――お前は、沈め」
 貫く氷刃に、黒闇の混沌を注ぎ込んで、逃れようとするヴァーリを追撃する。

「お前にこそ、名は必要ない」

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

アルバ・アルフライラ
ジジ(f00995)と
ようやっと現れたか、悪戯小僧め
それは私のものだ
貴様に髪一本くれてやるものか
――疾く返してもらうぞ

弾け往く気泡
共に徐々に薄れ往く従者の気
少しでも気を逸らさんと
持参したトランクより【刻薄たる獣】を解放
遠慮は要らぬ、彼の阿呆を喰い殺せ
彼奴の召喚した骨魚なぞ取るに足らず
たとえ四肢が砕けようとも激痛耐性で気絶のみを避け
囚われた従者の救出を急ぐ
その際、ジジの意識を繋ぎ留めんと語気を強め声掛けを

――ジジ、ぼさっとするでない
お前は何者か忘れた訳ではあるまい
我が問いに応えよ!

呪詛を孕む重い一撃
それが童の身に深く刺さる様を確と見届けて
深く深く、吐息を溢す
…やれ、あまり師の肝を冷やしてくれるな


ジャハル・アルムリフ
師父(f00123)と
まるで夏の間に見た金魚鉢だが
誰が大人しく飼われようか

師呼ぶ声を掻き消す泡
…鬱陶しい
音と一緒に記憶の端が弾けるたび
硝子越しの星を映して
何度でも手繰り寄せる

煩い
後悔も、記憶も、名前も
勝手に貴様に赦される謂れなどない

我が主へ触れるな
貴石の罅割れる音
泡の向こうから届く叱責に
嗚呼、これは早く詫びねば
もう何も持たぬものには戻らぬ
…俺は、我が名は

迷宮も、誘いも、全てを壊さんと
硝子に映る己と
その向こうの輝きへ向けて
【竜墜】で少年の身体を叩き付ける
我が星を傷つけた対価は払って貰う

すまぬな、手間取った
だが最初に誓ったろう
師父の従者である限り、違えはしない
…二度と、失くしはしない



●さいごの夢で踊るなら
 ヴァーリは氷刃と黒闇に脚を取られ、水槽の外でぽてんと転がっていた。その頭がゆらりと起き上がる。
「ようやっと現れたか、悪戯小僧め」
 アルバ・アルフライラ(双星の魔術師・f00123)は蒼き影から星持つ瞳を瞬かせて、ヴァーリの足元に立った。
「……きみは」
「貴様が『すくい』と名付けたのは我が従者だ。貴様に髪一本くれてやるものか」
 すくい、と呟いて、ヴァーリは合点が行ったようにぼんやりとした青い水槽の瞳を上げた。
 丸い水槽の真ん中。そこに泡沫と共に落ちて来る、星護る夜帳の竜。ジャハル・アルムリフ(凶星・f00995)。

「それは私のものだ。――疾く返してもらうぞ」

 深く響く声で、アルバは言い放つ。
 その声に息を呑むように黙ったヴァーリだったが、水槽をもう一度見上げて、どこかあどけない言葉を吐いた。
「……だとしても、あのこはとけてしまうよ」
 ぷくぷく、ぱちん。
 金魚鉢のような水槽の真ん中を、竜が游ぎ、泡に紛れてゆく。ジャハルには最早残った息もないはずだのに、白い泡が蒼に溶ける。
 竜がゆらゆら游ぐ、足掻く、その端から弾けてゆくのは。
 薄れてゆくのは、慈しみ育てた、その気配。
「――ジジ!」

●はじまりのなまえ
 泡が弾ける。游げど、進めど、落ちてゆく。――音が、聞こえない。
(「……鬱陶しい」)
 ぱちん、ぷくぷく。
 音と一緒に記憶の端が弾けてゆくようだった。刹那的に眠り落ちたような、気を失ったような。泡と、消えるような。
 硝子の向こう、蒼き夜に光る星を探す。瞳に映す。
「――!」
(「呼んで、いるのか」)
 その呼び声を手繰るように、游ぐ。落ちるばかりの身体を進ませる。自分の名を探すように。
「きみのゆめは、おもいでしょう」
 ふ、と側で声がした。見る先には水槽を抱く少年がいる。
「ここでなら、なにもみずに、ねむれるのに」
「煩い」
 泡を払うように拳を振るう。
「後悔も、記憶も、名前も」
 そのひとつひとつがどれほど重くとも。地に堕ちた拳が、呪詛を纏おうと。
「勝手に貴様に赦される謂れなど、ない」
 弾ける泡を喰らうように、獣がその顎を大きく開いたのは、そのときだった。
 ざぶんと大きな波が泡立つ。驚いたヴァーリが慌ててジャハルの側を離れる。定型なき災厄の獣は、間髪入れずにそれを追った。
 獣が覚えたのは憎悪。喪い、失って、何も持たぬと決めたこの手に拾った、蒼き星を追う星の。
「――ジジ、ぼさっとするでない」
 声が響く。耳に届く。
「お前は何者か、忘れた訳ではあるまい」
 それは刻まれた名前。与えられた煌めき。――ゆめゆめ忘れるなと、そう告げられたのは。
「我が問いに応えよ!」
 強く声が響き、星が散る。きらきらと、見上げたきらめきは、失った角に与えられたその輝きと、似た。
 骨魚の追撃にその身を穿たれ、砕けながらも揺らがず立つ、その星に与えられた名は。

「……俺は、我が名は――ジャハル。ジャハル・アルムリフ」

 落ちる身体が、白夜の如き白亜の翼を広げた。そうして游ぎ、飛ぶ。自分を呼ぶ、主のもとへ。
「我が主へ触れるな」
 拳を握る。満ちるのは生まれ持った竜の力。呪詛に染まるその鱗が、拳を覆い尽くし、竜と化す。――硝子の向こうで、ぼろぼろと砕け崩れる脚を杖を打ち立てることで支えて立つ師がいる。足元に開いたトランクに、スターサファイアの宝石が散らばり落ちているのを視認して、ジャハルは更に強く拳を握った。
 ごうと唸り迫った硝子に映るのは、透明な境界線の向こうの輝き。そしてその投影に重なるのは、己。
「我が星を傷つけた対価は払って貰うぞ」
 拳が、ヴァーリに叩き連れられたその瞬間、ずん、と水槽が揺れた。
 重い一撃。それが敵の身に深く叩き込まれた様を見届けて、アルバはジャハルに知られることなく、深く深く、息を溢し落とした。
 薄れて感じた気配は、確かにそこにある。
「……やれ、あまり師の肝を冷やしてくれるな」
「すまない、師父。手間取った。身体は」
「戯け、これで無事に見えるか。……だが、ジジ。お前がそこにいるのなら、私の勝ちだ」
 不敵な笑みを唇に乗せて、アルバは笑う。
 その笑みに、ジャハルも顰めていた眉を少し緩めた。
「最初に誓ったろう。師父の従者である限り、俺は違えはしない」
 褐色の長い指が自らの肩に触れる。入り口で誓いを刻んだ、その場所に。消えぬなまえに。

「……二度と、失くしはしない」

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

セリオス・アリス

【双星】
アドリブ◎

深い水の中は少し暗くて
閉じ込められた意識も相まって
鳥籠から見た空を思い出す
『 』
同時に脳裏に響く
憎い呼び声
泡と一緒に消してしまえば
楽になれるのか

…なんて、思うわけねぇだろ
ああそうだ、比べるまでもない
ここは、アレスの声が届く
アイツの光が導になる
いつだってアレスは―俺の光だ
だから、大丈夫
大丈夫だ、アレス

挑発的に笑って見せて
歌い魔力を巡らせる
その間は【君との約束】が
アレスの光が守ってくれる
風の魔力を身に纏わせ
水圧を無理やり捩じ伏せて2回攻撃

寂しいだなんだと騒いでも
俺の居場所はこの水の中じゃねぇ
―今は…まだ、
さっさと戻んねぇと心配性がうるさいんでな
全力の風の魔力を剣に
胴を斬りつける


アレクシス・ミラ

【双星】
アドリブ◎

君が迷わず水槽の中を選んだ時は
…ほんの少し不安だった
君がまたいなくなるんじゃないかって

…今だってそうだ
目の前で君が拐われた、あの日みたいに
そこにいるのに、手が届かない

…セリオス
君がいなくなってから、忘れる日などなかった
ずっと、呼びたかった
ーーやっと呼ぶことが出来た
君の名前を、呼ぶ
ーーセリオス!!

…大丈夫と笑う彼を見て
君は君のままなんだと安堵する
ああ、何度だって呼ぶよ

(…君はいつだって、僕を導く光で
さっきも僕を導いてくれた)
今度は僕が、君を導こう
【天星の剣】を水槽の中に顕現させ
敵を、彼の前を切り拓くように一斉に放つ
さみしいからって、欲しがるのかい
…セリオスは、返してもらう



●囚われたままの記憶の小鳥
 青くて丸い硝子の中に、君が沈んでゆく。
「……セリオス」
 アレクシス・ミラ(夜明けの赤星・f14882)がほとんど無意識でぽつりと呼んだ名前に、応えはなかった。まるでいつかみたいだ。そう思えば、容易く思い出してしまうセリオス・アリス(黒歌鳥・f09573)が目の前で拐われた『あの日』。
(「君に言ったらきっと笑い飛ばすだろうけど」)
 ――ほんの少し、不安だった。
 迷わず水槽の中を選んだ君に。怖くなったのはアレクシスのほうだった。
(「そこにいるのに、手が届かない」)
 君がいなくなってから、忘れる日などなかった。
 戦い続けた十年も、探し続けたあの日々も。ずっと。
(「ずっと、呼びたかった」)
 当たり前の距離で、特別な声を聞いて、当たり前の名前を。
「セリオス」
 その名前は、確かに約束のなまえ。やっと呼ぶことができた、誓いの形。けれども大切だったのは『やくそく』だけでは決してなかった。それだけで立ち上がれたりはきっとできなかった。
(「『君』はいつだって、僕を導く光だった」)
 忘れないで欲しい。当然のように浮かべるその笑みが、君の強さでできていたこと。
 忘れないで欲しい。君の歌が、呼び声が、いつでも導いてくれたこと。
 忘れないで欲しい。やっと呼ぶことができた、その名前を。
「――セリオス!!」

●ひかり
 ――深い水の中は、暗い。
 息はできるのに、酷く息がし難い気がするその場所は、閉め鎖された鳥籠から見る空に似ている気がした。
『   』
 脳裏に響いた呼び声は、憎悪と共に昏い感情を起こそうとする。冷たい感触。こびりついた絶叫。
(「泡と一緒に消してしまえば、楽になれるのか」)
「そうだよ」
 水底のほうで声がした。見れば、暗い底で休むかのように膝を抱えて座った水槽を抱く少年がいる。
「きみは『やくそく』のために、ここにいなきゃ。ここで――」

「――セリオス!!」

 呼び声が、ヴァーリの声を打ち消すように響いた。
 セリオスは、青を見上げる。それから、笑った。
「……やっぱり、比べるまでもねぇな」
 視線を巡らす。探して、凝らして、その先に見つかる光。見つけられる場所に必ずある、しるべ星のような。
(「ここは、アレスの声が届く。アイツの光が、導になる」)
 いつだって。
「アレスは――俺の光だ」
 大丈夫だ。そう示すように笑えば、硝子の向こうで安堵したようにアレクシスが微笑むのが見えた。その側へ戻るようにセリオスはふわりと浮き上がり、青を征く。
「セリオス」
「大丈夫だ、アレス。お前が呼ぶなら――そう言ったろ」
 とんと水槽を鳴らして、セリオスは笑う。アレスにも、いつもと同じ笑みが浮かんだ。
「ああ、何度だって呼ぶよ」
 頷いて、セリオスはヴァーリに向き直る。挑発的な笑みと紡ぐ歌は光。纏う魔力は風。水槽に響く歌は空のような青を揺らす。その歌と共に、水槽の中に光の剣がひとつ顕れた。
「……今度は僕が、君を導こう」
 ひとつの光は、路を拓くように広がる。水槽の中に円を描き、セリオスを守るように囲い込んだ光の剣は、歌と共に、その数を増やしてゆく。
「セリオスは、返してもらう」
 君の路を、光で切り拓いて。
「俺の居場所は、この水の中じゃねえ」
 ――今は、まだ。
 そう囁いたのは、アレクシスに聞こえたろうか。膨れた風の魔力は握った剣に、セリオスの周りに広がった光の剣にも満ちて重なる。
 そうして歌の最後の音と共に、ふたり重ねた光の剣が一斉に放たれた。
「さっさと戻んねぇと、心配性がうるさいんでな」

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

千桜・エリシャ
【桜鏡】

握る強さに瞬き
大丈夫ですわ
戦場で遅れをとるつもりはありませんから

手を引かれ泳ぐ
顰め面を横目でチラリ

私は戦えれば
首がもらえれば
それで構いませんの
だって私は鬼ですから
いつだって享楽に溺れ
一時の快楽に身を任せ刹那的に生きてきた
己を忘れるというのなら
それもまた一興――

なんて
あなたは許してくれませんのね
ええ、私はエリシャ
常春の桜鬼
あなたの声で紡がれる己の名が
こんなに心地良く響くだなんて
悪くないですわ

彼の起こした激流に斬撃を載せ勢いを増し
息を合わせ同時攻撃
御首をいただきましょう

それにしても
そんなに熱くなって
らしくもないことを
助けられたことを思い出せば今更恥ずかしく
…ありがとう、ございます
小さく礼を


杜鬼・クロウ
【桜鏡】
ほぼ名呼ばず

…羅刹女、油断すンな
付け入る隙与えたら
呑まれる(握る手強く確実に

水槽の迷路は夜雀で捜索
手引き出口へ

忘れられるなら俺だって忘れたいコトの一つや二つある
だが心に刻んだのは
戒め?
違うな
俺の在り方を消させるか
例え其れが邪の道だろうと

名は体を表す
種族的に重く捉え

…エリシャ!
観られるだけで満足するような安い女じゃねェだろッテメェは
忘れるなんざ俺が許さねェ

何者か忘るるなれば
彼女が今まで紡いだ人との絆も切れて
泡となり
…俺のも
厭だ

アイツが鬼だから
それだけ

手袋代償に【無彩録の奔流】使用
水利用し魔風宿した剣で激流の渦作る
羅刹女と手繋いだまま同時攻撃

ハ、お互い様だ
それでこそお前だわ

礼は聞こえぬフリ




 流された先でも、手は握ったままだった。
「羅刹女、油断すンな」
 強く手を握り直しながら、杜鬼・クロウ(風雲児・f04599)は千桜・エリシャ(春宵・f02565)を確かめるように見た。
「付け入る隙を与えたら、呑まれる」
「あら、大丈夫ですわ。戦場で遅れを取るつもりはありませんから」
 手を握るその力の強さにぱちぱちと瞬きながらも、エリシャは常と変わらず花のように微笑んだ。――対して、ちらりと見る横顔は酷く顰め面に見える。
「怖いお顔」
「うるせェ、元からだ」
 さっきはあんなに笑ってくれたじゃありませんの。――そう言おうとした言葉は、真剣な表情で式神を飛ばす彼にはどうにも言えなかった。
 忘却の泡が、どこかで弾ける音がする。
(「私は戦えれば、首がもらえれば。それで構いませんの」)
 だって私は鬼ですから。
 手を引かれる必要なんて、きっと本当はなかったのかもしれない。いつだって享楽に溺れ、一時の快楽に身を任せ、刹那的に生きてきた。
(「己を忘れるというのなら、それもまた一興」)
 ぷくぷく、ぱちん。
 桜と散り、泡と弾けて消えてゆく。それもまた酷く残酷で、うつくしい。
「――エリシャ!」
 ぐいと手がさらに強く引かれたのは、エリシャが花びらのような泡を目で追いかけたそのときだ。名前が、呼ばれたのは。
「……あら」
「観られるだけで満足するような安い女じゃねェだろ、テメェは!」
 思い出させるように、強く刻むように、クロウは普段ほとんど呼ばぬ名前を口にした。
「忘れるなんざ、俺が許さねェ」
 何者か忘れてしまうのは、きっと全て失うのと同義だ。――名は体を表す。その意味を、名の在り方をクロウが重く受けとめるのは、彼がヤドリガミとしてその身を、心を得たゆえに。
「あなたは、許してくれませんのね」
「忘れられるなら俺だって、忘れたいコトの一つや二つはある」
 それでも、心に刻んだのは、戒めか。
(「違うな」)
 それが自分の在り方だと覚えたからだ。例え其れが邪の道だろうと、消させはしない。
 もしも忘れてしまったなら、彼女が、エリシャが今まで紡いだ誰かとの絆も全て切れてしまう。
(「……俺のも)
 ――厭だ。
 きっとそれは、エリシャが鬼だからだろう。彼女が鬼で、自分が鬼の棲む社に大切に祀られた宝物であったから。
 それだけだ。そのはずだ。
「……ええ、私はエリシャ」
 クロウの呼んだ名前をなぞるようにエリシャも囁いて、微笑む。
 常春の桜鬼。それを忘れてしまったなら、花はきっと咲かぬだろう。

「それにしても、ふふ。……あなたの声で紡がれる己の名が、こんなに心地良く響くだなんて」
「悪いかよ」
「いいえ、悪くないですわ」
 くすくす笑ってから、エリシャはすいと視線をその先へやった。
「……ですから、それを忘れる前に。――御首をいただきましょう」
 ふたつの視線が、狙いを定める。ゆらり、揺蕩う敵はそこにいる。
「――術式解放」
 クロウが詠唱すると同時に、その手から手袋が失われた。その黒を引き受けた黒魔剣は、魔力を孕む風を纏い、激流の渦を作り出す。
「散り際に、手向けの花を」
 エリシャは片手を手を繋いだまま向けた太刀で、クロウの作り出した渦に花の舞い散る斬撃を乗せる。
 息は水を伝い、握った手を伝う。ぴたりと合った攻撃は、過たずヴァーリを直撃した。

「……それにしても、そんなに熱くなってらしくもないことを」
 ぽつりとエリシャが小さく呟いた。
 らしくもない。けれども、繋いだままの手に、呼び声に助けられたのは事実だ。じわりとそれを実感すれば、今更ながらに恥ずかしかった。
「――……ありがとう、ございます」
 小さく伝えた礼にはこだわりもなくお互い様だ、と声が返った。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

都槻・綾

※アドリブ歓迎


――…いいえ、忘れられないのです

閉じた双眸をゆっくり開く
あえかな笑みは儚く
弾けて水に融けいく泡沫のよう

「わすれていい」と許されたのに
私は未だ斯うして
現し世に留まっている

私の名は主のいのちを繋いだしるし
続きを歩く己への戒め

忘れることが出来るのなら
「お前はもう要らない」と手を離された時に砕け散っていたのなら
私は恐らく
今此の時に、此の世に、居なかった

背の傷は欠けた香炉の証
符を掲げる腕に引き攣れて痛み
私を現に縫いつける

「ヴァーリ」とはあなたの真名?
あなたのこころを描くなまえ?
其れとも、記号?

高速詠唱で紡ぐ花筐は
彼方の海へ送る為の餞に

さかな達の水葬を見守り続けたあなたを
軛から解き放てたら



●夢香炉
 どうして、とヴァーリは呟いた。
「どうしてわすれようとしないの。きみたちは、わすれないといきてゆけないでしょう。ねむれないのでしょう」
「――いいえ、忘れられないのです」
 幼い子供に諭し教えるように、都槻・綾(夜宵の森・f01786)は水槽の向こうから答えた。
 閉じた双眸をゆっくりと開く。広がる青は僅かに滲み、やがて澄む。
 浮かぶのは、あえかな笑み。水槽の硝子に映り込んだ綾は、融けゆく泡沫ほどに儚くも見える。
「『わすれていい』と許されたのに、忘れられない。だからこそ、私は未だ斯うして現し世に留まっているのです」
 本当に、忘れることができたなら。綾は綾であったろうか。――あのいのちを繋ぐことが、できたろうか。
(「私の名は主のいのちを繋いだしるし」)
 ――そして、続きを歩く、己への戒め。
「……わすれたかったのではないの?」
「忘れたいと望むこと全てを忘れることが出来るなら、人はひとに非ず、そして私のような付喪の神は、生まれ出づることはなかったのでしょう」
 お前はもう要らない、と。
 あの手を離された時に砕け散っていたのなら。
(「私は恐らく今此の時に、此の世に、いなかった」)
 砕けて散った香炉の片翼が、欠けてしまった証として背中に傷を残している。それは符をこうして掲げる度に引き攣れて、痛みを教えては、綾と現に縫いつける。
「どうして、いたいのをおぼえていようとするの」
「どうしてかは、私にも。けれどその痛みを『心』が覚えているから」
 こころ。あるいは魂と呼ばれるそれは、まるで鎖のようでもある。一度繋いで、感じてしまったなら、きっと忘れることはない。
「……あなたのさみしさも、そうでしょう?」
「ぼくは」
「『ヴァーリ』。――それは、あなたの真名? あなたのこころを描くなまえ? 其れとも、記号?」
「ぼくは――」
 ヴァーリは困惑したように、ふるふると首を振る。頭を抱える。膝を抱えて、水槽にうかぶ。
 さかなにも骨にもなれぬ小さな人影に、綾は詠唱を疾く紡いだ。
 四季彩の花弁が舞い、ヴァーリを迷宮という軛から解き放つように彩り、穿つ。
「さかな達の水葬を見守り続けたあなたを、軛から解き放ちましょう」

大成功 🔵​🔵​🔵​

シン・バントライン
アオイ(f04633)と

彼女が突然目の前から消えると、自分でも驚くほど動揺してしまう。
都の落日も斯くやとばかりに汗が頬を伝う。

そんな時、自分の名を呼ぶ声が聞こえる。

故郷を出た時、もうきっと誰かと寄り添う事は無いだろうと思っていた。
そんな人に出逢う事など叶わないと。
でも違った。

「アオイ」
愛しい名前を呼ぶ。
たとえ離れて居たってどんな時も自分を励ましてくれる愛しい名前。
この名を呼び探せば、どんな戦場からでも帰れない事は無かった。
その瞳を見たいが為に生きている。

死霊を呼び、自分の代わりに彼女を守れと見送る。
骸の海より借り受けた魂は誰よりも速く彼女の元へこの水槽を泳ぐだろう。
敵が外へ来たら剣で応戦。


アオイ・フジミヤ
シンさん(f04752)と

私は、「うみ」じゃない
わすれたい絶望や悲しみは心に潜む
あおに塗りつぶしてうみに沈んでしまいたいと願ったこともあるよ
でもいまは何も忘れたくない

初めて自分から欲しいと思ったの
ずっとずっと傍にいて欲しいと願ったひとがいまここにいる

私の名?私の名はあなたが呼んでくれた名前
絶望も後悔も悲しみも憎しみも
喜びも優しさも愛しさも

シン
あなたは、あなたの名は
私のすべて

私の「海」は、こんな海なんかに負けない
マリモくん、「波」には「波」?
UCの波で水に対抗、SPDの鹵獲やWIZの骨の魚達を流す
流せなくとも水流を作って行動を乱れさせる
外でも彼を守る波を

あなたの腕のぬくもりも笑顔も忘れたりしない



●ふたりのうみ
 ――海が彼女を連れ去ってしまったのだと思った。
「アオイ」
 視界から消えてしまった彼女を、アオイ・フジミヤ(青碧海の欠片・f04633)を探して、シン・バントライン(逆光の愛・f04752)は呼ぶ。
「アオイ……!」
 先程までいたその姿は目の前になく、あるのは海を切り取ったような、巨大な丸い水槽。ひゅ、と浅く息を吸って見渡しても、その姿は見つからない。
「アオイ」
 空気はあるのに、シンの息が止まってしまったような心地だった。我知らず汗が頬を伝う。自分がこんなにも動揺してしまっていることに、シン自身が動揺してしまっていた。

「――シン」

 うみを揺らして、青いその隔てを越えて。呼び声が、聞こえた。
 導かれるように駆ける。まろびそうな足元にも構わず、その声がしたほうへ。その白い指が、海色の髪が、揺蕩うその水槽へ。
(「故郷を出た時、もうきっと誰かと寄り添う事は無いだろうと思っていた」)
 寒く、寒く。凍えて、喪って。ぬくもりなど、もう得ることはないのだろうと――そんな人に出逢う事など叶わないと。
(「それは、違った。……俺はまだ、出会っていなかっただけで」)

「『うみ』――だめだよ」
 ゆらり、声がした。硝子越しにふたりが触れ合おうとした、わずかな一歩にヴァーリは踏み込んだ。その呼びかけに、咄嗟にアオイは泡にならなかった言葉を返す。
「私は、『うみ』じゃない……!」
 わすれたい絶望や悲しみは、確かに心に潜む。
(「あおに塗りつぶしてうみに沈んでしまいたいと願ったこともあるよ。――でも」)
 いまは。
 この名前を呼んで探して、手を伸ばしてくれるひとがいる。何も忘れたくなんか、ない。
(「初めて自分から、欲しいと思ったの。……ずっとずっと傍にいて欲しいと願ったひとが、いまここにいる」)
 私ごと、流してほしい咎がある。
 それはきっと忘れられない。忘れては、きっといけない。
「私の名は、あなたが呼んでくれた名前」
 ――絶望も、後悔も、悲しみも。
 ――憎しみも、喜びも、優しさも。

 愛しさも。

「シン。……あなたは、あなたの名は、私のすべて」
「――アオイ」
 愛しい名前を、シンは呼ぶ。アオイは呼ぶ。瞳を合わせる。
 どんな時も自分を励ましてくれる、愛しい名前。
 その名を呼び探せば、どんな戦場からでも帰れない事は無かった。
(「その瞳を見たいが為に、生きている」)
 こんな、硝子越しではなく。すぐ、そばで。
 わたしのうみ。そうアオイは呼びかける。髪に隠れていたマリモ型のUDCが耳打ちするようにころりと転がれば、そうだね、とアオイは頷いて、ヴァーリを改めて見やった。
「私の『海』は、こんな海なんかに負けない。――波には波を。マリモくん」
 青く微睡む水槽に、宝石のように輝く翡翠と瑠璃色の波が巻き起こる。それはヴァーリを押し流し、骨魚たちを薙ぎ、シンが放った死霊を乗せた。
 誰よりも速く駆けた死霊はさらに放たれた骨魚たちからアオイを守り、その剣を振るう。
「ありがとう、シン」
 春よりも柔らかく微笑んで、アオイは水槽の向こうの彼を呼ぶ。硝子に触れたその手には、まだ触れられないけれど。
「――あなたの腕のぬくもりも、笑顔も。忘れたりしない」

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

ライオット・シヴァルレガリア
白雪さん(f09233)と

水槽の中の彼女は先ほどよりも青に近付いているように見える
いけない、決して自分を見失ってはいけないよ

僕自身がガラスを越えて行けない分、彼女の元へUCの花を贈ろう
これは君がくれた「心の安らぎ」
そして今は僕から君へ

君は『いけにえ』なんかじゃない
僕にとって、そして君を取り巻く優しい人たちにとって、紛れもなく『白雪』さんなんだ

彼女がその名前を思い出せるように告げながら
白く細い手が伸びれば、ガラス越しに掌を合わせよう
迷わずこちらへ戻って来られるよう、光の導になって

彼女が無事に名前を思い出すことができたなら
お帰り、と暖かく迎えるよ


鶴澤・白雪
ライオット(f16281)と

暗い水色に覆われて『白雪』が消えていく

いけにえ、本質を突いた名
正しいわ、だって本来はそれが役目だった

認めてしまえば水底に沈むように心は穏やか、だけど
金色の花を見て心が揺れた

忘れたくないと『 』が叫んだ
こんな青で全部塗り潰さないでと

分からない
でも誰かを探して見つけた蒼に手を伸ばした
その声で呼んで欲しいと確かに願って


呪われた名も彼らが呼べば意味が変わる
優しい声が呼ぶのは紛れもなくあたしだ

花言葉気づいてたのね
ありがとう。ただいま、ライオット

嬉しかった
自分を守らないとって初めて強く思った

白雪として傍にいたいから貴方達の色を借りるわ
蒼を抱いて守るための消えない焔となれ



●世界で一番優しい金色
 息は、できているはずだった。
 それなのに身体が動かなかった。身体が深く暗い青に、沈んでゆくのを、鶴澤・白雪(棘晶インフェルノ・f09233)は朧な意識の中で感じていた。
(「――あお」)
 元から白い宝石の肌は、指先から、脚先から、毛先から暗い青に覆われてゆく。深淵に喰われてゆくように。
(『いけにえ』)
 本質を突いた名だと思った。思ってしまった。
(「正しいわ。だって本来は、それがあたしの役目だった」)
 あの場所で与えられた生まれた意味は、本当にそれだけだった。名前に恥じぬよう、美しい姫のようであれ。この身を象る稀なる宝石の価値が『白雪』の全てだった。
 両親は『贄』足ることを誉れと言った。優しいひとはその価値しか見ていなかった。――誰も『白雪』なんか見ていなかった。
 唯一見てくれた、あの子は。
(『いけにえ』は、あたし)
 ――認めてしまえば、心は凪いだ。ぷくぷくと舞い上がる白い泡が綺麗だった。
 こころが、端から青に染まってゆく。沈んでゆく。このまま、綺麗な海の底で。

 金色の花が、咲いていた。

 揺れたのは水だろうか、心だろうか。――柔らかく咲く、ペチュニアの花。咲いておいでと囁く、大好きな声が聞こえた気がした。

●君の帰る場所であれ
「――白雪さん」
 ライオット・シヴァルレガリア(ファランクス・f16281)が何度か呼んだ名前は、聴こえてはいないようだった。
 丸い水槽の中に見つけた白雪はゆっくりと沈んでゆく。青に染まってゆく。声をその冷たく澱んだ青が妨げている。
(「いけない」)
 その手を引ければ、真っ直ぐ近くで名前を呼べたなら。そうは思うけれど、硝子を越えることはできない。
(「――それなら」)
 硝子に指を触れさせる。まるで氷のように冷たいそれに光を通す。――咲くのは、花。ペチュニアの花。
「これは君がくれた『心の安らぎ』。……今度は、僕から贈ろう」
 白雪が沈む底の底。その身体を受け止めるように、花が水槽の中に咲き誇る。
「君は『いけにえ』なんかじゃない。僕にとって、そして君を取り巻く優しい人たちにとって、紛れもなく『白雪』さんなんだ」
 思い出して欲しい。思い出せるように。
 ――あたたかなおひさまの金色の花中にふわりと浮かんで、白雪がライオットを見た。
 白い手が、こちらへ伸びる。それを受け取るように掌を合わせる。

「……わからないわ」
 ぽつりと、消え入るような声で、白雪は呟いた。
 わからない。けれど。
(「その声で、呼んで欲しい」)
 ――澱んだこんな青で、塗り潰さないで欲しい。
 白雪の声に応えるように、ライオットは微笑んだ。
「約束しただろう。――君が眠る場所は、こんな水槽の中じゃない」
 あたたかな、その導になれるように。
「帰っておいで、白雪さん」
 ――その声に、金色の花と、酸漿色の瞳がきらめいた。
 呪われた名もその声で呼ばれれば、意味が変わる。
 優しい声が呼ぶその名前が。
(「紛れもなくあたしだ」)
 そう覚えているから。
 視線を滑らす。青の先に、水槽を抱く少年がいる。
「……白雪として傍にいたいから」
 その色を借りるわ。声と共に水にも消えぬ紅炎と蒼焔の棘が水槽を駆ける。金色の花びらが共に舞う。
 それがヴァーリを水槽の外へ追いやるのを見届けて、白雪はもう一度ライオットに視線を向けた。浮かぶ微笑みは誰に向けるより柔らかい。
「……花言葉、気づいてたのね」
 嬉しかった。呟く言葉は勝手に唇の端から溢れた。
「自分を守らないとって、初めて強く思った」
「ふふ、それは良かった。――おかえり、白雪さん」
 微笑むあたたかなひかりに、少女はやわく微笑み返す。

「ありがとう。ただいま、ライオット」

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

ディイ・ディー
お生憎様
俺様はその寂しさってやつを真に分かってやれねぇ
理解してやりたいとは思うが……判るだろ、俺達は相容れない

『賽の式』――参!
ヒドリ、やっちまえ
白鴉の霊体のお前なら硝子も擦り抜けられるだろ
骨の魚なんぞ啄んで蹴散らせ
此方に向かって来るなら妖刀の鐡で斬り伏せてやるさ

魚を散らしたら『賽の式』の使役を切り替え
壱の数字を与えた式、蒼炎の鐐に力を注ぐ

俺様は寂しさなぞ感じる間もなく生きてきたからな
お前とは正反対を往ってやる
ちゃんと見ていてやるよ。だが、忘れてはやらない

放つのは防御を棄てて攻撃に転じさせた全力の蒼炎
シロガネ、俺の霊力は幾らでもくれてやる
だから――あの寂しがり屋と最後の最期まで遊んでやろうぜ!



●きみのなまえ
「――さみしいよ」
 水槽から投げ出されて藍色の床に転がったまま、ヴァーリはぽつりと呟いた。
 既に身体は満身創痍。けれども水槽を抱く少年は、痛みを感じ損ねたように、ぼんやりとした無表情で丸い水槽を見上げる。
 その中で游ぐだれもが『名前』を忘れはしなかった。
 藍色の路を進んだだれもが、その迷宮に惑いはしなかった。
 彼らは先に進もうとする。しあわせな小さな水槽で、ずうっといっしょにいられはしないと。
「お生憎様」
 ヴァーリが転がるその足元に、ディイ・ディー(Six Sides・f21861)は立っていた。天色の瞳を水槽の青に透かして、口元にはいつもの勝気な笑みはない。
「俺様はその寂しさってやつを、真に分かってやれねぇ」
「……さよならしか、できないの」
「そうだ。……判るだろ、俺達は相容れない」
 理解してやりたいとは思う。けれどそれはできないのだ。ディイの知る『生きる』中に寂しさは存在しなかった。――そのようなものなぞ、感じる間もなかった。
「だから俺様は、お前とは正反対を往ってやる」
 寂しくもなければ、停滞もしない、忘れもしない。
 賽は投げられた。――ならば、転がり続けてやろう。
「ぼくはどこにもいかない。いけない」
「俺様は行く」
「――どうして!」
 軋む身体を起こして、ヴァーリは喚く。さみしい。かなしい。さよならなんていやだ。――それは、ほんとうは誰に言いたかったことだろう。

「『賽の式』――参!」
 ディイが声と共に耳飾りに封ずる式を顕現させれば、白鴉が蒼を飛ぶ。
「ヒドリ、やっちまえ」
 淡く光る霊体の白鴉は一声応えるように鳴く。その翼は蒼を駆け、ヴァーリが放つ骨魚を蹴散らした。ヴァーリの側の小さな丸い水槽が砕ける。
「いっしょにいようよ」
「いられねぇんだよ」
 ヒドリが舞戻れば、ディイは向かって来たヴァーリを見据え腰の妖刀を抜く。
「『賽の式』――弐!」
 弐の数字を持つ、妖刀に宿るは鐡。斬り伏せたその斬撃は、敵を斬り伏せ、猟兵たちが幾度となく攻撃を通して来た水槽にほんの僅かな傷を作った。
「ちゃんと見ていてやるよ。だが、忘れてはやらない」
 かちんと鍔が鳴り、刀が収まる。その刹那、番号を告げるより早く蒼炎がヴァーリを包み込んだ。
「『賽の式』――壱」
 壱の数字を与えられた式、鐐へ力を注ぐ。防御を棄てたその蒼き炎が、水槽の少年を燃やし尽くす。
「シロガネ、俺の霊力は幾らでもくれてやる」
 だから。
 ディイは笑う。楽しげにその力の全てを惜しげもなく注ぎ込んで、笑う。
「――あの寂しがり屋と、最後の最期まで遊んでやろうぜ!」

 骨魚が蒼炎の中で燃え尽きる。ヴァーリも白く、烟ってゆく。水槽と、藍路を見つめる。誰も忘れず、忘れられなかった水槽のきらめき。迷宮の先。そのなまえ。
「……さよなら」
 どこか満足そうに、少年は笑っていなくなった。

 ――そうして、路は開かれる。

大成功 🔵​🔵​🔵​




第3章 日常 『謎解きゲームの時間』

POW   :    実際に行動してみたり、第六感を駆使する

SPD   :    手掛かりを素早く見つけ出す

WIZ   :    提示された謎の内容を的確に導き出す

👑5
🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

種別『日常』のルール
「POW・SPD・WIZ」の能力値別に書かれた「この章でできる行動の例」を参考にしつつ、300文字以内の「プレイング」を作成してください。料金は★0.5個で、プレイングが採用されなかったら全額返金されます。
 プレイングが採用されたら、その結果は400文字程度のリプレイと「成功度」で表現されます。成功度は結果に応じて変化します。

 大成功🔵🔵🔵
 成功🔵🔵🔴
 苦戦🔵🔴🔴
 失敗🔴🔴🔴
 大失敗[評価なし]

👑の数だけ🔵をゲットしたら、次章に進めます。
 ただし、先に👑の数だけ🔴をゲットしてしまったら、残念ながらシナリオはこの章で「強制終了」です。

※自分とお友達で、それぞれ「お互いに協力する」みたいな事をプレイングに書いておくと、全員まとめてひとつのリプレイにして貰える場合があります。


●きみにききたいことがあったんだ
 蒼き迷宮は開かれた。
 しんと蒼く静まり返っていた水槽たちが、そこで眠りついたひとびとが。
 ――ふわりと白く游ぐのを、きっと君は見るだろう。
 どの水槽を見渡しても、そこに忘れ眠るひとはいない。水槽にいるのは、ふわりと游ぐ、白い海月。
 海月たちはふわふわ、閉じ込められた迷宮を抜け出して、先を目指す。
 その先にあるのは、天井を通し続く、大水槽。
 ふわり、ふわり。
 淡く光る海月たちが、楽しげにその大きな水槽の路を昇ってゆく。
 それらは、路をくれた礼を言うように踊るかもしれず、
 ゆっくりとただ、うつくしく昇ってゆくかもしれない。それは、さいごのクラゲのショータイム。

 丸い水槽の中にいた者たちは気づくだろう。大きな丸い水槽が、ちいさな丸になって、自分を囲っていることに。
 それは丁度、ヴァーリが腰掛けていたような、小さな丸い水槽だ。それぞれの水槽に走るひびはひとつずつ。簡単に割れてしまいそうなそれは、外からでも中からでも割れそうだ。
 ――さあ、出ておいで。
 きみたちの『なまえ』を問う謎は、既に解かれているのだから。
 君の手にかポケットにか、しまってあるチケットは、問えば何かの答えを与えてくれるかもしれない。
アルバ・アルフライラ
ジジ(f00995)と
水槽を泳ぐ海月は天へと昇る魂のよう
美しいと思えど見蕩れる暇はなく
仕込み杖の刃を抜き、水槽へ入った罅へと叩き付ける
溢れる水をこの身に受けようと
弟子をこの手に取り返す迄は目を逸らさず
…大事ないか?
手を握る――冷え切っておるではないか
これは帰り次第湯浴みだな

安堵と共に、興味は自ずと
再び上へと向かう海月達へ
従者の疑問に頭を振って
…さて、それは私の及び知らぬ所だ
だが、そうさな
これは憶測にしか過ぎぬが
己が何者か、思い出せたからこそ
彼奴等は目覚め、水底より旅立つのやも知れぬ

…ジジ?
手を取られ、目を瞬かせる
――全く大袈裟な奴よな
然し…だからこそ愛おしい
魂達の行く末を見守る中
手は…離さぬ侭


ジャハル・アルムリフ
師父(f00123)と
まるで、卵
急ぎ罅へと手を伸ばすも
触れる前に外から断ち割られ

…随分と急ぎだな
いつかの繰り返しのように見上げれば
硝子と青越しでない貴石の光が
久方振りのように眩しく
犬のように頭振って水を飛ばし
なに、歩けば多少は温まろう

上へ上へと昇ってゆく海月たち
あれは何処へ行くのか
あたらしい海へと向かうのだろうか
取り戻せたのだろうか
名前を、個を
許された存在を

…そうだな
眠るのを止めたなら進む他ない
己が何者か解ったなら…次は
師へと手を伸べ
俺は、この道を

変わらず荷は重く、先など見通せぬままなれど
覚束ぬ足取りであったとしても
名前も、居場所も
師がくれたすべてと共に
良き旅を、と白い月たちを見送ろう



●星の欠片を拾い集めて
 ――それはまるで、天へと登る魂のようだった。
 けれども水槽の海月たちに見惚れるより速く、アルバ・アルフライラ(双星の魔術師・f00123)は仕込み杖の刃を抜く。
 見据えるのは、従者たるジャハル・アルムリフ(凶星・f00995)が収められた丸い水槽。そのひびだ。過たず刃がひびに叩きつけられれば、水槽はまるで水風船のように、ぱんと弾けた。
 同時にどうと溢れた水槽の水は当然アルバに被さったが、星宿す瞳は水流の中で瞬き一つ分も目を逸らしたりはしなかった。
「……大事ないか?」
 その煌きは真っ直ぐに、弟子に注がれる。決して見失わぬように。
 薔薇色の指先が隔てのなくなったその先へ伸ばされる。――冷え切ったその手を握って、ようやく強張ったままの口元が、緩んだ。
「冷え切っておるではないか。……これは帰り次第湯浴みだな」
 ほうとようやく深く息を吐いたアルバを、一方でジャハルはどこかきょとんとした表情で見ていた。
「……なに、歩けば多少は温まろう」
 卵のように思えた水槽が触れる間もなく割れてしまえば、身体は自ずと重力を取り戻す。水を含むものだから、尚重い。
 膝をついたまま、ぷるぷると犬のように頭を振って水分を飛ばし、見上げる先に――隔ても揺らぎもない光があった。
 不意に重なったのは、いつかの光景。
(「眩しい」)
 ――その星が、何よりも。

「……白い月のようだ。あの海月たちは何処へ――あたらしい海へ、向かうのだろうか」
 ふわり、ふわりと游ぎゆく海月たちを見上げながらゆっくりとジャハルは立ち上がる。呟く言葉はどこか、そうであれと願うように。
「取り戻せたのだろうか。……名前を、個を――許された、存在を」
 従者の問いに、師は視線を同じ海月たちへ向けながら、静かに頭を振った。
「さて、それは私の及び知らぬところだ」
 だが、とアルバはちいさく笑みを浮かべて、上へ上へと旅立つ真白きものたちを見送る。
「これは憶測にしか過ぎぬが。……己が何者か、思い出せたからこそ。彼奴等は目覚め、水底より旅立つのやも知れぬ」
 己の路を決めるのも、己がなければ出来ぬこと。
「……そうだな」
 眠るのを止めたなら、進む他はない。
「己が何者か解ったなら……次は」
 ジャハルは、先程引いて貰った手をアルバへと伸ばした。相変わらず体温はさほど戻ってはいないけれど、死に眠るほど冷たくはない。――どれほどの悪夢を見たとて、少しずつ、ぬくもりは戻るものだと知っている。光は瞳を開けばあるのだと。
「……ジジ?」
 今度きょとんとするのはアルバの番だった。無骨な手が、それと比べて華奢な輝石の手を取っている。握っている。
 抱えた荷の重さは変わらない。師たるアルバから見れば、覚束ぬ足取りであるのかもしれない。先の見通しなどまるでない。だとしても。
(「名前も、居場所も」)
 師がくれた、そのすべてと共に。ジャハルの知る光が、欠けずに在れるように。
「俺は、この道を」
 ゆくと決めた。決めている。だから海月たちのことは見送るのみだ。良き旅を、と。

「――全く、大袈裟な奴よな」

 ふと、笑う声が聞こえた。混ざるのは溜息と、微笑みと、呆れと、それから。
(「然し……だからこそ、愛おしい」)
 白く光り海月と游ぐ魂たちを、並び見送る影はふたつ。
 それからはふたり、黙って。
 ――手は、どちらも離さなかった。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

雲烟・叶
終わりましたし、……出る前に少しくらい良いですかね
身体から力を抜いて、水に揺蕩うように

あー……綺麗ですねぇ、水底の景色ってのもなかなか得難いものです
……忘れて、名を失って、何もかもをなかったことにして
それで何もかもが本当に元通りになるのなら
誰も彼もが生き返るのなら
…………自分は構いやしねぇんですが、ねぇ……
そうじゃねぇなら、忘れるだけ無駄ってもんです
……俺は、無駄なことはしない主義なんで、ね

……さ、帰りますよお前たち
管狐たちが罅へと群がれば、この水の箱庭は簡単に割れてしまうだろう
けれど、それで良い
忘却の水槽に籠る気もない
チケットに問わずとも覚えています、全て

さようなら、寂しがり屋の無粋さん



●水煙花
 ゆらゆら、視界は青く、丸く揺れる。
 雲烟・叶(呪物・f07442)はひとりきりになった丸い水槽の中で、ゆっくりと身体から力を抜いた。
「終わりましたし。……出る前に少しくらい良いですかね」
 誰に訊くともなく呟いて、息も止まらぬ水の中。のんびりと漂えば、境界を引いて泳がせていた管狐たちもゆるりと水に遊ぶ。
「あー……綺麗ですねぇ。水底の景色ってのも、なかなか得難いものです」
 ゆらゆら。游ぐように、沈むように、ただ揺蕩う。
(「……忘れて、名を失って、何もかもをなかったことにして。それで何もかもが本当に元通りになるのなら」)
 ――誰も彼もが、生き返るのなら。
 散った花が、沈んだ街が、あのひとが。

「自分は構いやしねぇんですが、ねぇ……」

 ほんの小さく、呟いた。あり得もしないもしもだと、嫌と言うほど知っていて、言葉は水にゆっくり沈む。
 叶は怠惰な身体ごとすぐに触れた水槽の底から、指先だけで水槽に走るひびに触れた。
(「そうじゃねぇなら、忘れるだけ無駄ってもんです」)
 降り積もった怨嗟も呪詛も、刻まれて消えぬこの名も。
「……俺は、無駄なことはしない主義なんで、ね」
 しんと通る声が落ちる。簪がわりに髪に挿した本体の模造品たる煙管が、水槽を游いだ。それをひょいと掴み取って、叶は力を抜いていた身体を起こす。
「さ、帰りますよお前たち」
 その声ひとつで心得た管狐たちが、水槽のひびに群がる。そうすれば難なく水槽は割れてしまった。何も忘れさせることもなく、路に惑うこともない。忘却の水槽なぞに籠るつもりもなかった。
 緩慢な動作で立ち上がって、転ぶこともなく叶は歩み出す。美しい海月たちを、横目で見やった。
 チケットに問わずとも、全て覚えている。

「――さようなら、寂しがり屋の無粋さん」

大成功 🔵​🔵​🔵​

都槻・綾
※ベルナルドさんと過ごしたく

ゆるり漂う海月達を眺めるひと時
紅のひとへと向けた眼差しは穏やかに凪いで

ひみつを抱く乗車券は
答えの駅に連れて行ってくれるというから
粋な遊びですねぇ、と
切符を揺らしてみせる

胸に浮かぶ「謎」は
常に自身へ問い掛けているもの

いのちを繋いだ事は
正しかったのか
間違いだったのか
私は現し世に、在っても良いのだろうか
答えなど
「好きにすればいい」と
其れだけのことかもしれないのに

寂しいのでも悲しいのでもない
なまえのない空っぽのこころには
断罪するが如く冷たい雨が降り続いて
まるで
己を水葬するかのよう

やがて浮かべたあえかな笑み

――明日は、晴れるでしょうか、

いつか
此の名も無き想いに
灯りが燈ると良い



●海月燈
 ゆるり、ふわり。
 あの『なまえ』を覚えた『だれか』がどの海月なのかはわからないけれど、都槻・綾(夜宵の森・f01786)は穏やかに漂う海月たちを眺めていた。
「ひみつを抱く乗車券は、示せば答えの駅に連れて行ってくれると言うから――粋な遊びですねぇ」
 その手では、藍色の入場券が海月と同じようにゆらゆら揺れる。
 視線が向けられた先で、ベルナルドはくすりと笑った。
「気に入って貰えたなら何よりよ。……アナタには解きたい『謎』があるのね」
「……かもしれませんね」
 胸に浮かぶ『謎』は、綾が常に自身へ問い掛けているものだ。
 藍色の紙片を、胸に当てる。その心の臓に――その裏側の傷跡に。
(「いのちを繋いだことは、正しかったのか、間違いだったのか」)
 問うても問うても、答えに辿り着かない。
(「私は現し世に、在っても良いのだろうか」)
 器物としても、人身を得た『綾』としても。
 答えなど『好きにすればいい』と、それだけのことかもしれなくとも。

 ふわり、海月が游ぐ。路を見つけて嬉しげに、ゆく。その海月のなまえが何なのか、綾に知る術はないけれど。
(「寂しくはない。悲しいのでもない」)
 ただ、なまえのない空っぽのこころには、ずっと雨が降り続いている。
 断罪するかのように、心を沈めてゆくような。――己を、水葬するかのような。
「沈めても浮かぶのよ」
「え?」
「死にゆくものはみんなそう。魂ぶん、身体が軽くなるなんてハナシもあったかしら。……だとしたら、水槽に沈んでいたコたちは、忘れても忘れられない『なまえ』があったのかもしれないわね」
 自身がわからずとも、そのたましいの何処かに。
 勿論知らないけれどと笑ったベルナルドに、綾もあえかな笑みをゆっくりと浮かべた。
 そうして問う、言葉は。
「――明日は、晴れるでしょうか」
「ええ、晴れるわ。きっと美しい花も咲くわね」
 迷いなく答えが返る。
 綾は旅立つ海月を瞳に映して、見上げた。

(「――いつか。此の名も無き想いに、灯りが燈ると良い」)

大成功 🔵​🔵​🔵​

ソル・アーテル
ふわりと泳ぐ海月でも見てから帰ろうかな。
水族館、よく考えたら初めて来た場所かもね。前に君が誘ってくれたっけ。でも外に行くのは面倒だし、別にいいって思ってた。似たような景色はゲームでもネットの動画でも見れるからって。
どうして断ったんだろ。……本物はこうも違うのに。
ねぇ、君はこの景色を見てなんて言った?
綺麗だね?ゲームの景色みたい?それとも別の言葉?
答えはいくら聞いたって帰ってこないのは知ってる。君はもう居ないから。
眼鏡を通して、この景色を見続ける。僕だけで。1人だけで。



●君はもういない
(「水族館、よく考えたら初めて来た場所かもね」)
 海月でも見てから帰ろうか。そう何ともなしに考えて、ソル・アーテル(日陰者・f21763)はふわりと游ぐ海月をひとり見上げていた。
(「前に君が誘ってくれたっけ」)
 けれどあのときは、外に行くのは面倒だから別に行きたくもなかった。わざわざ出かけなくたって、似たような景色はゲームでもネットでも、たくさん溢れているから。
(「どうして、断ったんだろ」)
 ソルは今更ながら、そう思う。
 ――本物は、こうも違うのに。
(「もしも、君と来ていたら」)
 君はなんて言ったろう。この景色を見て、ソルの隣で。
 綺麗だね、ゲームの景色みたい――それとも、ソルが知らない君の言葉が聞けただろうか。

 けれどいくら考えたところで、答えは帰って来ないのを知っている。
 だって。
(「君はもう、居ないから」)
 いないひとに問うことはできない。答えなんてなおさらのことだ。
 だからソルは、一人でじっとその景色を見る。
 ふわり、漂う海月の一匹が、どこか気がかりそうにソルのそばを游いで行った。
 そこにいるのは、ソルだけだ。他に誰もいない。

 丸い眼鏡を通して、ソルだけで。――ひとりだけで。

大成功 🔵​🔵​🔵​

ディイ・ディー
ベルナルドに声をかける
よ、少し肩貸してくれ
賽の式に力を与えすぎちまった
こういうときは何故か右眼が痛むんだ

片目でぼんやりと海月を眺め、綺麗だよなと思わず零す
ポケットに手を入れれば丸めたチケットに指先が触れて
なあ、ベルナルド
お前はこの世界のこと、どう思ってる?

存在を許されないものがこの世界には多すぎる
理不尽だって、邪悪だって、アイツが抱えてた寂しさだって
全部認められて、其処に在って良い世界の仕組みなら良いのにな

眼の痛みが収まってくればベルナルドに礼を告げて
昇る海月を眺めながら思うのは少し自分らしくない思い

俺もいつか、本当の名前を誰かに呼んで貰えるだろうか
呪われていても良いと認めてくれる誰かに――



●転がる世界を結ぶもの
「――よ、少し肩貸してくれ」
 旧友に声を掛ける程度の気安さで、ディイ・ディー(Six Sides・f21861)は大水槽を見上げていたベルナルドの肩にとんと軽く凭れ掛かった。
「もう借りてるじゃない。構わないけれど」
「嫌なら避けてるだろ」
 くつりと笑ったディイに、ベルナルドも正解、と笑う。厄介な仕事をひとつ終えた猟兵同士、並び立つ理由はそれだけで充分だった。
「賽の式に力を与えすぎちまった。……こういうときは、何故か右眼が痛むんだ」
 疼くように痛む右眼を開かぬようにして、ディイはぼんやりと海月を眺める。
「……綺麗だよな」
 ふわふわと泳ぎゆく海月たちに、思わず溢してしまったのは本音だった。
 その純粋な美しさに、鈍い痛みに、思考はぼんやりと滲んでゆくようだった。虚勢も欺瞞もないただの呟きには、そうね、と頷きが返る。
 ポケットに入れた指先に触れた、くしゃくしゃに丸めたその感触が、質問をし得るチケットだと気づけば、ディイは何ともなしに呼びかけていた。
「なあ、ベルナルド」
「なあに?」
「お前はこの世界のこと、どう思ってる?」
「……世界の、こと?」
 質問を繰り返した声は、僅かに驚いたようだった。ディイは頷く。
「存在を許されないものが、この世界には多すぎる」
 たとえばそれは理不尽。邪悪。
 自分で望んで得たそれではなく、存在に伴ってしまった、世界で淘汰されるべきもの。結果として歪んでしまった、願いの果て。誰かが呪いと呼んだ欲望。
「――アイツが抱えてた寂しさだって。……全部認められて、其処に在って良い世界の仕組みなら良いのにな」
「……許されている、と思うわよ」
 アタシの個人的な意見だけれど、とベルナルドは囁く。
「アタシ、この世界のことはクソみたいだと思うけれど、結構好きね。……アナタが言うみたいに悪に分類された存在――オブリビオンみたいな連中は、恒久的に存在を許されはしないけれど」
 それでも、と海月を見やる。今はもう居ない寂しがりの少年を思い返す。そしてディイを見る。
「アタシたち猟兵が……ディイみたいな猟兵が向き合うあいだは、その存在は許される」
 理不尽として世界に在ったとて。害悪として断罪されるとしても。
「俺たちが戦う限り、向き合う限りは、その存在は許される、って?」
「逆に言えば、だからいるんじゃないかしら、アタシたちって」
 世界を越えて。過去を越えて。――戦い続ける猟兵として。

 ゆっくりと、眼の痛みが収まって来る。肩を借りていたベルナルドに礼を告げて、ディイは改めてひとりで、昇る海月を眺めた。
(「俺もいつか、本当の名前を誰かに呼んで貰えるだろうか」)
 それはらしくもない、けれど小さな賽子を時折満たす思い。
 出会うことが、できるだろうか。
 呪われていても良いと認めてくれる、誰かに――。

大成功 🔵​🔵​🔵​

オルハ・オランシュ
ヨハン(f05367)と

罅を叩いてようやく外へ
長らく水中にいたからか
なんだか身体が重たいし、最初は歩きづらさも感じるけれど
濡れたままの手でもお構いなしにヨハンの手を握って
……名前、呼んでくれてありがとう

ゆっくり奥に進んだなら
大水槽でクラゲのショーが

わぁ……!
ふわふわしてて綺麗だね!
私はやっぱり地上が落ち着くけれど
悠々と揺蕩うクラゲ達が気持ち良さそうで、少し羨ましくもなる

そういえば……、
ポケットに入れていたチケットは濡れてぼろぼろ
でも、使えるかな

聞いていい?ヨハン
『君が忘れたくないもの』はどんなもの?
そっか、君らしい答えだね

私はやっぱり先生と出会った日のことかな
あの日があって今の私がいるから


ヨハン・グレイン
オルハさん/f00497 と

透明な硝子一枚、それだけの隔たりだったというのに
随分遠くに感じていたようだ
手を握り温もりを感じれば、知らずほっと息を吐いた
……礼を言われるようなことは何も
まだ冷たい手を、温度を移すように握りしめたまま

海中の生物は普段なかなか目に出来ませんから
こういう施設があるのも悪くないですね
素直に綺麗と言う彼女に比べ、自分の口から出るのはいつもこんな言葉ばかりだ

問われ、一度彼女を見遣ってから
揺蕩うクラゲに目を戻す

俺は……忘れたいと思うものがありませんから
『何も忘れたくはない』
今俺が持っているものを何か一つでも忘れたら
俺ではなくなると思うんですよ

オルハ。あなたの忘れたくないものは?



●忘れない約束
 槍で少し叩いただけで、丸い水槽は簡単に割れてしまった。
「ひゃ……っ」
 長らく水中にいたせいだろう、オルハ・オランシュ(アトリア・f00497)は水から出ると同時に、酷く身体を重く感じた。
 空気に晒される手も身体も冷たくて、歩き方を忘れたみたいに、よたついてしまう。――それもお構いなしに、オルハは目の前にいてくれたヨハン・グレイン(闇揺・f05367)へ手を伸ばした。
「ヨハン。……ヨハンだ」
 その手を握る。確かめるようにぎゅっとする。いつもの手袋がないのは、こうするのがばれていたからだろうか。それだって嬉しい。
「名前。……呼んでくれて、ありがとう」
 いちばん言いたかった言葉。オルハはふわりと柔く笑って、それを告げる。
「……礼を言われるようなことは、何も」
 ヨハンはいつも通り落ち着いた声で、そう返した。
 言葉通り、彼にとっては当然のことだった。隣にいなければだめだと告げたのは、他でもないヨハンだ。
「オルハ」
 確かめるように名を呼ぶ。握られた手を握り返せば、僅かなぬくもりが手のひらに感じられた。我知らず、ほっと息が漏れる。
 たかだか透明な硝子一枚を、随分遠くに感じていたらしい。
 オルハの手はまだ冷たい。いつもならヨハンのほうが冷たくて、そのぬくもりを分けて貰うのに、今は。
「……着ていてください」
 濡れそぼってより細く見える肩に、自分の外套をそっと被せた。あ、と小さく声を溢したオルハは、けれどこくんと頷く。いつかの氷の森のときのように、大丈夫だとは言わなかった。上着を合わせ、当然のように再び握られた手を、胸に寄せる。
「ありがとう。……君の匂いがする」
 それが一番安心するぬくもりだと、もう覚えてしまったから。

「わぁ……!」
 大水槽のほうへ二人で進めば、オルハはきらきらとした瞳で水槽を見上げた。
「みんな気持ち良さそう。ふわふわしてて綺麗だね!」
「……ええ、まあ。海中の生物は普段なかなか目に出来ませんから。こういう施設があるのも悪くないですね」
 素直なオルハの言葉とは対照的に、ヨハンの口からはいつも通りの冷静極まりない感想しか出て来ない。けれどもオルハは気にした様子もなく、柔い笑みでヨハンを見た。
「ねえヨハン、聞いてもいい?」
 その手にあるのは、濡れてぼろぼろになった水色のチケットだ。けれどきっと、使えるだろう。
「『君が忘れたくないもの』はどんなもの?」
 その問いに、ヨハンは瞬いてオルハを見た。それから、眼鏡の奥の瞳を海月たちの泳ぐ水槽へ戻す。ふわり、ふわり。そこにいるのは、一度は何かを忘れたいと願った者たち。
「俺は……忘れたいと思うものがありませんから」
 だから、とヨハンは繋いだままの手を握り直す。
「『何も忘れたくはない』――それが答えです。……今、俺が持っているものを、何かひとつでも忘れたら、俺ではなくなると思うんですよ」
 今ヨハンが持っているもの。その大半の記憶は、彼女と共にある。
 積み重ねた思い出は、降り積もって、やわく光る春の陽射しのように、あたたかさを闇へと繋ぐ。
「そっか。君らしい答えだね」
「オルハ。あなたの忘れたくないものは?」
 問いを返せば、オルハは悩むことなく答えた。
「私はやっぱり、先生と出会った日のことかな。あの日があって今の私がいるから」
「……そうですか。あなたらしい答えだと思います」
 答えを示しあって、ヨハンとオルハはまた一度、視線を交わす。手を握る。
 ――忘れたいすべても、忘れたくない全ても、全部。
 今に至る、ふたりの路に続くのならば。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

リチュエル・チュレル
タロ(f04263)と

…ふん、アレが己を諦めた連中の末路か
白くてふわふわしてるところはおんなじだが
あぁならなくてよかったな、タロ?

ぼんやりとした様子に呆れつつ
先程までの鬱憤も込めて水槽に水晶玉の重い一撃を

引っぺがしてやるって約束だったからな
濡れるのも構わずローブをぐいぐいと引っ張って

くっ、おま、ホントに重いなコレ…!
水に入る前になんで脱がねぇんだよ!?

念動力も駆使すりゃなんとかなるか
というか最初から念動力でやっちまえば濡れなくて済んだヤツか…


――ほら、お前の入場券
破けてねぇぞ
謎解き、できるんじゃねぇか

ん、オレはいいかな
なんとなく、占い人形的にナシじゃねぇ?
…いつでも聞けるだろ
傍にいるんなら、な


タロ・トリオンフィ
リチュ(f04270)と

底に沈んでいた姿のまま、ふわふわ昇るクラゲを見上げ
もう出られる事に一瞬遅れて気が付いて
丸い水槽の向こうに主の姿を見れば

ほら、大丈夫だったでしょう
――なんて、無駄に得意げに言ってから
出られるよう差し出してくれる手を取ろうとして、ふと見下ろす

ねえリチュ
…少し、困ったことになったんだけど

水をめいっぱい含んだ衣装は
水の中から出た今、完全に重さだけになっていて

…うん、ごめんって


ローブの懐に仕舞われていたチケットはそうして僕の手から離れ

タロットそのものを名乗っているだけの僕に
『リチュなら何て名前を付ける?』なんて
ふと過ぎった問い
けれど、既に何度も答えて貰ってるんだ
僕は我が主の、――



● 『mon tresor』
 ふわり、海月は先へゆく。
 それを水底からぼんやりとタロ・トリオンフィ(水鏡・f04263)は眺めていた。
「……ふん、アレが己を諦めた連中の末路か」
 僅かに不機嫌そうな声音で、リチュエル・チュレル(星詠み人形・f04270)はまだ丸い水槽の中で揺蕩っている真白い少年を見る。
「白くてふわふわしてるところはおんなじだが。……ああならなくてよかったな、タロ?」
「ああ、確かに、こうしていると僕も白くてふわふわしているね」
 なるほど、と緩く笑ったタロに、リチュは途端に呆れた顔になった。
「いや納得するとこじゃねぇよ……。ていうかタロ、お前気づいてるか」
「え?」
「水槽」
「すいそう? 海月?」
「ヒビ」
「ひび……あ」
 はああ、と心底呆れた溜息が先か、念動力でリチュエルの手元から水晶玉が浮かび上がるのが先か。
 タロが水槽からもう出られることに気づいたのは、それまでの鬱憤を晴らすかのように、水晶玉が勢いよく水槽のひび目掛けて叩きつけられたそのあとだった。

「もう出られたんだった。……でも、ほらリチュ、大丈夫だったでしょう?」
 丸い水槽の残骸と化したそこで、タロは目の前の主に得意げに言って見せる。
「何がほらだ、忘れかけてたろうが」
「忘れてないよ、大事なことはちゃんと覚えてた。……ところでリチュ」
「何だ、早く出て……」
「少し、困ったことになったんだけど」
 ――完全なるデジャビュだった。けれども焦りを覚えた先刻とは違う嫌な予感が、リチュエルに巡る。
「……おい」
「……うん」
 割れた水槽に既に水はない。タロもそこにいる。――ぺっしょり。ずっしり。
 ふわふわ、水に揺蕩ってさえ重くあった真白きローブたちは、水をたっぷりしっかりふんだんに吸い込んで、ほとんど重量級の凶器と化していた。

「水に入る前に! なんで……脱がねえ、んだよ!」
 文句を言いながらも、リチュはぐいぐいとタロのローブを引っ張っていた。濡れるのも構わず、ぐいぐい、ぐいぐいと引っ張る。
「――くっ、おま、ホントに重いなコレ……!」
「うん……ごめんって」
「ていうかお前は泳ぎを覚えろ、泳ぎを……ああくそ、念動力も駆使すりゃなんとかなるか?」
 リチュエルは自分の呟きではたとして、両の手に力を集めた。触れるのはローブの裾から、肩、それからすっかり身を任せたままのタロの両の手を取る。
「そうだよ、最初から念動力でやっちまえば良かった……そしたら濡れなくて済んだヤツか」
「ええと……何かごめんね、リチュ?」
「いいから目ぇ閉じろ。……引っぺがしてやるって約束だったからな」
 そうして、水槽越しではなく額が触れ合う。力を繋げるように、星詠みの力が重き真白に行き渡る。淡い光が二人を覆えば、次にタロが目を開いたときには、あれだけ重かった身体は雲のように軽く、二人してそこに立てていた。
 そこに、ふわりと浮かぶのは。
「――ほら、お前の入場券。破けてねぇぞ。謎解き、できるんじゃねぇか」
「リチュはいいの?」
「ん、オレはいいかな。なんとなく、占い人形的にナシじゃねぇ?」
 そうあっさりと答えて、リチュエルは淡い光の中でようやっと気が緩んだように笑んだ。
「……いつでも聞けるだろ。傍にいるんなら、な」
「うん。……そうだね。じゃあ、僕もいいかな」
 主の言葉に嬉しそうに笑み返して、タロもそう言う。――過ぎった問いは、あったけれど。
 たとえば、タロットそのものを名にしている自分に『リチュなら何て名前を付ける?』なんて。
 けれどそれは、既に何度も答えて貰っていることだ。この身は、その手許にあってこそ。
(「僕は、我が主の――」)

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

落浜・語
狐珀(f17210)と一緒に。

狐珀、大丈夫?
よかった。本当に良かった。
そりゃ、心配するよ。狐珀は俺の一番大切な人なんだから。
でも、どういたしまして。

あー……クラゲ…。クラゲは、うん。前に倒したの思い出して、なんか、うん。
狐珀、手繋いでいい?繋いでいてくれるなら、大丈夫。
うん、フワフワしていて、見てる分には、綺麗なんだよな。
クラゲ、綺麗なんだけど…。
まぁ、でも、ずっと綺麗な人が隣にいるから。

問いかけか…。
狐珀、ずっと一緒に居てくれる?
ありがとう、嬉しい。
そっと小指絡めて指切りを。

アドリブ歓迎


吉備・狐珀
落浜・語(f03558)さんと一緒です

水槽のヒビを割って外へ
心配してくれてありがとうございます。
私は大丈夫。
貴方がずっと名前を呼んでくれていたから。

海月のショーを見に来たけれど…、そういえば苦手と仰っていましたね…。大丈夫ですか?
手、ですか?もちろん良いですよ。
水槽の中を漂う海月、綺麗ですね。
…ふふ、そうですね、見る分には、ですね。

綺麗な人が隣にと言われ、顔を赤くして否定し下を向くも、「ずっと一緒に居てくれるか」の問に、相手の顔を見て
「ずっと一緒にいます」と答えて、もう片方の手を小指をたててそっと差し出します。



●小指の約束
 あんなに分厚く、冷たく感じていた水槽は、ぱりん、と簡単に割れてしまった。
 水と一緒に水槽から滑り出た少女に、落浜・語(ヤドリガミのアマチュア噺家・f03558)は濡れるのも構わず真っ先に駆け寄る。
「狐珀、大丈夫?」
「ええ……私は大丈夫」
 吉備・狐珀(ヤドリガミの人形遣い・f17210)は支えるように寄り添ってくれた語に、小さく微笑む。
「心配してくれて、ありがとうございます」
「そりゃ、心配するよ。……狐珀は、俺の一番大切な人なんだから」
 よかった。本当に良かった。そう繰り返して、語は安堵の息を深く吐く。そんな語に、狐珀も瞳をそっと緩めた
「大丈夫だったんですよ、本当に。だって、貴方がずっと名前を呼んでくれていたから」
「そうか。……立てる?」
「はい」
 頷いた狐珀の手を引いて、語はゆっくり歩き出す。すぐ先に、海月が游ぐ大水槽があった。

「あー……クラゲ」
「そういえば、苦手と仰っていましたね。……大丈夫ですか?」
 微妙な顔をした語を狐珀が心配そうに見上げれば、語は俄かに苦笑を浮かべた。前に倒したことがあるのだ、何とも悪趣味な夢を見せる、海月を。
「……狐珀、このまま手、繋いでいい? 繋いでいてくれるなら、俺は大丈夫」
「手、ですか? もちろん、良いですよ」
 握られたままの手を狐珀からもそっと握り返す。そうして笑みを交わせば、ふわりと泳ぐ海月たちがより綺麗に見えるから、不思議だった。
「見てる分には、綺麗なんだよな」
 くすくすとどこか楽しげに笑う狐珀を、語は見る。真っ直ぐに、その曇りのない瞳を。
「――まぁ、でも、ずっと綺麗な人が隣にいるから」
「そんな……ことは、ないです」
 かあ、と狐珀の顔が熱を持つのがわかった。つい、俯いてしまう。水槽で冷え切ったからではない。ただ、このひとの言葉ひとつで。
 狐珀。また名前が呼ばれる。ついこのあいだまで、吉備さん、とそう呼ばれていた気がするのに、その声で呼ばれるのは、とても心地よくて。
 その唇から問われる言の葉は、とても柔らかくて――甘い。
「狐珀、ずっと一緒に居てくれる?」
 問いかけに、顔を上げた。まだ顔は赤いだろうけれど、きちんと答えたかった。
「……ずっと、一緒にいます」
 その言葉を約束するように、小指がどちらからともなく絡まる。結ぶ。
「ありがとう。……嬉しい」
 語が心から溢した言葉に、狐珀も嬉しそうに、甘く微笑んだ。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

アオイ・フジミヤ
シンさん(f04752)と

罅割れた水槽は美しいけれど寒い
あなたの傍へ戻らせて

平気だよ
あなたが呼んでくれたから

あの海月達は何処へ帰るんだろう
淡く光る海月はまるで海の中に蕩ける人魚の泡のように美しくて

あなたがたとえ人魚のように泡となっても
何度でも私が集めて”あなた”に戻すと前に話したね
あれは私の精一杯の想いだった

あなたに尋ねたい
”もしも私が泡になったら、あなたは私を集めてくれる?”

シンさんの問いに答える
あなたは
心臓の鼓動を跳ねさせる花火

あなたは
春の暖かな陽だまり
夏の夜の梔子
秋に咲く彼岸花
冬の六花の雪

あなたは私の月
いつも私の道を照らしてくれる

あなたは……私の唯一の海

手を繋いで一緒に帰ろう、シンさん


シン・バントライン
アオイ(f04633)と

水槽を割ってアオイを抱き締める。
寒かったよなって言い訳はこの震える心を隠すだろうか。

揺蕩う海月はまるで遠くに光る星のようにも崩れ消えゆく泡のようにも見える。

今の自分は夢で、本当は未だにあの闇の国に眠っているのではないかと思う事がある。
喩え全部幻でも彼女の中には残っていたい。
訊いてみよう。
「アオイにとって俺ってどういう存在?」

「アオイが泡になったら…」
勿論何度でも掻き集めて何度でも抱き締めたい。
でも、本当は一緒に泡になってしまいたいのかもしれない。
彼女が愛した海に一緒に還る。
そして海と旅をする。
きっと見たこともない青い海だ。


君の名を夜すがら探す水葬に集めるしずく泡沫の恋



● 君の名を夜すがら探す水葬に
 ひび割れた水槽は、美しい。
 何処かへ帰るかのような海月たちも、まるで海の中に蕩ける人魚の泡のように、白く、美しくて――けれどもここは、酷く寒かった。
(「あなたの傍へ戻らせて」)
 アオイ・フジミヤ(青碧海の欠片・f04633)が心で囁いた、その声が聞こえたかのようなタイミングで――水槽は、外側から割られた。
 抱き締めてしまったのは、ほとんど無意識だった。
「……寒かった、よな」
 水槽から出て来たアオイを、シン・バントライン(逆光の愛・f04752)は強く抱き締める。
 口走ったのは言い訳だったかもしれない。ただ、その存在を確かめたかっただけだ。――引き留めたかっただけだ。そうでもしないと、自分の心が、震えてしょうがない。
「平気だよ。あなたが呼んでくれたから」
 腕の中で顔を上げて、アオイはそっと答える。
「……ね、シンさん。あなたがたとえ人魚のように、泡となっても。何度でも私が集めて”あなた”に戻すと――前に、話したね」
 覚えているかな、そう首を傾げれば、シンは頷いた。アオイは微笑む。
(「あれは私の、精一杯の想いだった」)
 ――だから、あなたに尋ねたい。
「もしも私が泡になったら、あなたは私を集めてくれる?」
「アオイが、泡になったら……」
 その想像に、シンの瞳が僅かに揺れたのを見た。
「勿論、何度でも掻き集めて、何度でも抱き締めたい」
 こうして、腕の中で確かめるように。それでも。
「……本当は一緒に、泡になってしまいたいのかもしれない」
 彼女が愛した海に一緒に還る。そして海と旅をする。それはきっと、見たこともない青い海だ。
 彼女の海で、一緒に。
「アオイにとって、俺ってどういう存在?」
 今度はシンが問う。その視界の向こう側で、揺蕩う海月は遠くに光る星のようにも、崩れ消えゆく泡のようにも見えた。
(「ときどき、思う。今の自分は夢で、本当は未だにあの闇の国に眠っているのではないかと」)
 たとえば、全部が幻で、この手に何も残ってなんていなくて。――それでも。
(「彼女の中には残っていたい」)
 アオイはシンの腕の中で、ゆっくりと答えた。
「あなたは、私の心臓の鼓動を跳ねさせる――花火」
 とくん。音がする。冷え切った身体の奥で、ちゃんと自分がいる音がする。
「春の暖かな陽だまり。夏の夜の梔子。秋に咲く彼岸花。――冬の、六花の雪」
 どの季節にも、どんな景色にも、どこの世界でも。
 アオイは微笑む。僅かなぬくもりを、シンに渡すように。
 寒い場所で、あなたが凍えてしまわぬように。
「あなたは、私の月。……いつも私の道を、照らしてくれる」
 あなたはわたしのすべてだと、そう言うのは簡単だろう。
 けれど、そのひとつひとつが特別で、何よりも。

「あなたは……私の唯一の海」

 うたうように紡ぐ言葉は、どんなふうに届いたろう。
 少なくとも、腕は決して緩まなかった。
「一緒に帰ろう、シンさん」
 手を繋いで、離さないで。――この気持ちが、泡沫の恋にならぬように。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

鶴澤・白雪
ライオット(f16281)と

クラゲって海では会いたくないけどこういう所で見ると綺麗ね
海の月なんて不思議な名前と思ったけど淡く光るのを見てると頷けるわ
海の生き物たちは優しく蒼く光るから好感が持てる気がする

……名前、か
手に取ったのはしまってあったチケット
戯れに問いかけたらライオットはどう答えてくれるのかしら

「あなたは誰ですか?」
なんて、いつか一緒に読んだ絵本と同じ言葉を繰り返すわ

あら、幸福な王子様なら良かったわ
可笑しそうに笑っていると返ってきた質問に此方もきょとんとして

え、あたしも答えるの?
「私は呪いが解けて目を覚ました幸せな娘です」

これ思ったより恥ずかしい…
でも幸せな気持ちだけは届いてほしいわ


ライオット・シヴァルレガリア
白雪さん(f09233)と

この深い海色に揺蕩う青が、人間には月のように見えたのかな
いつだって面白いことを考えるものだね、人間たちは
…それにしても、ゆらゆらと泳ぐ彼らを眺めていると、不思議と心が落ち着いてしまうな
何を考えながら泳いでいるのだろうね、海月たちは

彼女から問いかけがあれば一瞬きょとんとして
けれど悪戯っぽい笑みを浮かべて答えるよ
「私は幸福な王子です」
キザな台詞に聞こえるかもしれないけれど、掛け値無しにそう思えるんだ

「あなたは誰ですか?」
全く同じ質問を彼女にも投げかけてみようかな

返った答えには、思わずにこにことして
きっと悪い魔法使いの呪いを解いたのは他でもない君自身だね



●そのぬくもりに名前を付けて
「クラゲって海では会いたくないけど、こういう所で見ると綺麗ね」
 鶴澤・白雪(棘晶インフェルノ・f09233)は蒼く白くふわりと泳ぐ海月たちを見上げて、瞳を緩めた。
 中にいればただ冷たいばかりだったの水槽も、こうして海月たちの路になっているのを見ると素直に良かったと思える。
「海の月……だったかしら」
「海の月?」
 白雪の隣で優しく海月と白雪を見守っていたライオット・シヴァルレガリア(ファランクス・f16281)が首を傾げる。
「ええ、クラゲはそう書きもするの。不思議な名前と思ったけど、こうして淡く光るのを見てると頷けるわ」
「この深い海色に揺蕩う様子が、人間には月のように見えたのかな」
 そうかもしれないわね、と白雪は緩く笑って、優しく蒼く光る海月を白い指先でそっと追いかけた。
(「海の生き物たちは苦手なのもいるけれど、好感が持てる気がするわ」)
 きっとそれは、蒼くて優しい色を灯すから。
「海の月、か。いつだって面白いことを考えるものだ、人間たちは」
 興味深そうにライオットは呟いて、見るほど不思議と心を落ち着かせる気がする海月たちを、じっと見つめた。海と森を重ねたような花緑青色の瞳に、淡い月が昇る。
「……なら海月たちは、何を考えながら泳いでいるのだろうね」
「海月の気持ちを考えているの、ライオット? ……少なくともこの子たちは、幸せそうに見えるけれど、この子たちにはもう問えそうにないわね」
 気持ちも、名前も。
「……名前、か」
 ふと白雪が手に取ったのは、しまってあった水色のチケットだった。濡れてしまっているけれど、案内人が示した『謎解き』は、きっとできるはずだ。
「――あなたは誰ですか?」
「え?」
 悪戯でも仕掛けるように、白雪はライオットに問いかけた。選んだのは、いつか一緒に読んだ絵本の言葉。
 ライオットは想像通り、きょとんとした表情で白雪を見た。けれども、白雪の悪戯な笑みに釣られるように、ライオットも悪戯に笑う。
(「……そういうことか」)
 聞き覚えのある台詞。それに答える言葉は決まっていた。
「『私は幸福な王子です』」
 王子様みたいだから王子、とそう呼ばれるのに抵抗はない。だってそう呼びかける声には、いつだってどれにだって、とびきりの親しみが込められているのを知っている。だからこそ、掛け値無しに、そう思えるのだと。
「……あなたは、誰ですか?」
「え、あたしも答えるの?」
 くすくすと楽しげに笑っていた白雪は、返って来た全く同じ問いかけに同じようにきょとんとしてしまった。そうだよ、と笑うライオットに、ほんの少し躊躇ってから答えを口にする。
「『私は呪いが解けて目を覚ました、幸せな娘です』
 そう口にした途端、頬が俄かに熱を持った気がした。白雪は両手で自分の頬を押さえる。
「これ、思ったより恥ずかしいわ……」
「そうかな?」
「そうよ。……もう、そんなににこにこして」
「ふふ、ごめん。でも馬鹿にしているわけではないよ。……だって、呪いを解いたのはきっと、他でもない君自身だ」
 呼び声は、きっかけ。それに気づいたのは白雪自身だ。
 そうかしら、白雪は呟いて、海月を見る。やわらかく揺蕩う、蒼い光。――幸せな娘は、幸福な王子に微笑む。きっと、そのどちらもに。
「幸せな気持ちが届いたなら、嬉しいわ」

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

セリオス・アリス
【双星】
アドリブ◎

水槽のヒビを指でなぞる
あんなに戻らないとと思っていたのに
脳裏に響いた憎い声がまた反響して
ガラス一枚破れない
…戻っていいのか
本当に?
…でもアレスが心配してる


おかえりと言うその姿が
あの日の、12年ごしの再会の様で
目が潤む
表情だけは笑顔でただいまと
ああ…濡れててよかった
これなら涙もごまかせる

お前も濡れるだろ
…つーか、大袈裟なんだよ
被されたマントだけ受け取って
アレスの体を押し退ける

ああ、もっと檻から出るのが早ければ
素直に言えたのか
思い出して、自覚する度に段々言えなくなった気持ち
汚れた手じゃアイツの隣に相応しくないと何度も否定して
それでも捨てれない憐れな感情を
『側にいたい、いて欲しい』


アレクシス・ミラ
【双星】
アドリブ◎

また、だ
君がとても遠く感じる
けど…君の居場所は水の中じゃないだろ
ヒビ目掛けて鞘に収めた剣を振り下ろす
…今度は僕の手で
その檻を、開けるよ

自分のマントを外すと彼に肩にかけて
…気づけば、抱きしめていた
セリオス
…おかえり

彼の背中を見ながら
謎解きを思い出す
聞きたい事…か
なあ、セリオス
さっきは自分から出ようとしなかったな
今までも…時折、僕の手を躊躇っていた
…僕は、君の側にいてもいいのかな
背中に向かって問うも…届かなかったみたいで
ふと、チケットを見れば文字が…

…これが問いの答え…君の本心かい?
漸く探していたものが見えたようで
少しだけ泣きそうになるも、堪えて
彼の背中を追う
…僕はもう、迷わない



●泣いてる君を知りもしないで
 透明な檻は、すぐに割れてしまいそうだった。
 セリオス・アリス(黒歌鳥・f09573)は水槽のひびを指でなぞる。――あんなに戻らないとと、思っていたのに。
(「どうして、破れない」)
 たかが硝子一枚。その先に、目の前にそれを待つ友がいるのに。繋がれてなどいないのに。脳裏に反響する憎悪の声が、それを阻む。手を伸ばしては引っ込める。
(「戻らないと」)
 ――ほんとうに?
(「アレスが、心配してる」)
 ――こんな汚れた手で、その隣にいてもいいのか。
 何度も否定した。相応しくないと切り捨てようとした。それでも自覚する度に捨てられなかったこの感情は、きっと御伽噺にもならない憐れなもので。

「……君の居場所は、水の中じゃないだろ」

 硝子の向こうから、静かな声がそう言った。見上げた先でアレクシス・ミラ(夜明けの赤星・f14882)は思い詰めたような、酷く泣きそうな顔をしていた気がした。
 ――それともそんな顔をしていたのは、硝子に映ったセリオス自身だっただろうか。
 それを確かめるより、鞘に収められた剣で硝子が割られるほうが早かった。
(「今度は、僕の手で」)
 ――その檻を、開けるよ。その言葉は声にならぬまま、水槽の硝子が粉々に砕ける音が、しゃらしゃらと耳を塞ぐ。
 まただ。また。こんなに近くにセリオスがいて、アレクシスもすぐ傍にいるのに。
(「どうして君はすぐに、遠くに行ってしまうんだろう」)
 ただアレクシスがそう感じるだけだ。けれどその度に怖くなる。時折、差し伸べた手を取るのを躊躇うのに気づく度に。今だってそうだ。
 自分から出ようともしなかったその肩にマントを掛ける。――抱きしめる。
「セリオス、おかえり」
 アレクシスがそう言ったその姿が。言葉が。声が。
(「あの日、みたいだ」)
 ぼんやりと、セリオスは十二年越しの再会の日を思い出した。あの日も、いつだってアレクシスは真っ直ぐで、きれいだ。目が開けていられなくなるくらい。喉に言葉が詰まって、ろくに出て来なくなるくらい。
「……ただいま」
 濡れていて良かった、そう思った。表情ばかりは笑みにしたのに、瞳から溢れたのは涙だったから。
「つーか、大袈裟なんだよ。濡れるだろ、お前も」
 ぐいとアレクシスの体を押し退ける。その言葉も声もぶっきらぼうで、ひとつも素直に言えたりしない。
(「もっと檻から出るのが早ければ、素直に言えたのか」)
 そう思いながら、逃げるように歩き出した足を速めこそすれ、止まることはできなかった。
 遠ざかるセリオスの背を見ながら、アレクシスはふと足元に落ちた二人分のチケットに気づいた。ひとつは濡れて、ぐしゃぐしゃだ。セリオスのものだろう。破かないよう、丁寧に拾い上げる。
「……なあ、セリオス。僕は、君の側にいてもいいのかな」
 ――謎解きの券にかけて問うた声は、届かなかったろう。
 わかりきっていたことに自分で苦笑しかけたときだ。ふと、濡れてぐしゃぐしゃのチケットに文字が浮かんだ。

『側にいたい、いて欲しい』

(「……これが、答え。君の本心かい?」)
 見失いかけていた、探していたもの。それがようやく見えた気がした。目頭がやたらと熱い。それを振り払うように、アレクシスは立ち上がる。濡れたチケットを、藍色のチケットで丁寧に包み込んで。行ってしまった友の背中を追う。
 遠くはない。すぐそこにいる。
(「――僕はもう、迷わない」)

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

杜鬼・クロウ
【桜鏡】
アドリブ◎
髪型整え

先の件もあり暫し無言

オイ
ンな辛気臭ェ顔、似合わねェし(デコピン
…俺にまた呼ばせンなよ
ま、呼ばれてェなら別だケド?桜鬼の姫サン

俺の?
あの人…お嬢は俺の初恋
はじめてを沢山教えてくれたひとだ

我が主の娘で弟の主
自ら告白し両想いに
でも対の鏡は負を吸収し使う物で娘の体を蝕み病弱に
死に際見届けず故郷去る

お前こそ戀の一つや二つ、してねェの
…その年で娶られる、ねェ
無理矢理だったのにお前はそいつを愛してたのか

(…テメェにも”しおん”が似合いなのかもな)

お前に流れる血脈は其れを望んでねェ癖に
俺は本能がままに生きるお前が
好きだぜ
割とな
嫋やぐ羅刹女とか…ねェわ(ぷくく
ホントらしくねェぞ(頬抓り


千桜・エリシャ
【桜鏡】
先程の件もあり気まずく無言
ひゃん!いきなりなんですの!
もう…またそういう…ずるい人

そういえば謎解き券…
ではクロウさんの“愛した女”について教えていただこうかしら
ずっと気になっていましたから

そう…随分と悲恋でしたのね
(今も悔いていらっしゃるのかしら?)

…私の恋ですの?
欲に素直で苛烈で粗野で
私を無理やり手に入れた方で
…私の夫
もうこの世にはいませんの
(私が首を落としてしまったから)
ふふ、最初は恐くて仕方なかったのですけれど
いつの間にか、ね――

ふと海月を見遣る
私もこんな風に穏やかに生きられたらよかったのかしら
なんて、私らしくもないことを
いひゃいっ!今日は随分と情熱的ですこと…

…最後が余計ですわ



●その戀の忘れ方を僕らは知らない
 ――気まずい沈黙が続いていた。
 ふわふわと游ぐ海月と、ぽたぽたと滴る雫。体に張り付くような服の感触は落ち着かなかったが、それよりも落ち着かなかったのは、二人のあいだに落ちたきりの、らしくもない沈黙だった。
 濡れた髪を軽く整えるように片手で搔き上げて、杜鬼・クロウ(風雲児・f04599)は隣で海月を見るでもなく視線を余所に落としている千桜・エリシャ(春宵・f02565)に短く声を掛けた。
「……オイ」
 ――ぺちんっ、と。エリシャの額をクロウの指が打つ軽い音が声と共に沈黙を破る。
「ひゃん! いきなりなんですの!」
「ァ? 知らねェのか、デコピン」
「知ってますわよ、それくらい……」
「なら、ンな辛気臭ェ顔、してんじゃねェよ。似合わねェぞ」
「辛気臭い顔なんて、私」
「――俺にまた呼ばせンなよ」
 エリシャの声を遮るようにして、クロウは海月を見つめたままに言う。白く昇りゆく海月たちは、水槽の中で溢れた彼女の名を奪おうとした泡にもよく、似ていて。
「ま、呼ばれてェなら別だケド? 桜鬼の姫サン」
「……もう、またそういう……ずるい人」
 揶揄うように唇の端を吊り上げて笑ったクロウに、もう、とエリシャはもう一度呟く。
 困ってしまうような、呆れてしまうような――けれども花に浮かぶのは、柔い綻びだ。気まずい沈黙など、そういえば許してくれるような男ではなかった。
 ひとつ息を吐いて、エリシャは袖に収めていた水色のチケットを指先にひょいと摘む。
「では――クロウさんの“愛した女”について教えていただこうかしら」
「俺の?」
「ええ、ずっと気になっていましたから」
 それに、今日の私の名前だったでしょう。そう微笑めば、そこにいるのはいつもの桜鬼。女だ羅刹だ、ろくにその名前が呼ばれたことはないけれど。
「あの人は……お嬢は俺の初恋のひとだ。はじめてを沢山、教えてくれた」
 我が主の娘で、弟の主。記憶を開き思い返すように、クロウは紡ぐ。
 自ら告白し、両想いになったこと。けれど対の鏡は負の力を吸収し使う物であったせいで、結果として娘の体を蝕んだ。病弱になった娘は、少しずつ、少しずつ、死の淵へと追いやられて。
「……結局、俺はお嬢の死に際を見届けずに故郷を去った」
「そう……随分と、悲しい恋でしたのね」
 深くその理由を問うこともなく、エリシャは呟く。
(「今も、悔いていらっしゃるのかしら」)
 そう問うのは、きっと今ではないから。
「お前こそ戀の一つや二つ、してねェの」
「……私の恋、ですの?」
 問いを返されて、そうですわね、とエリシャはふと睫毛を伏せる。桜色を映す瞳が、ふと笑んだ。
「欲に素直で、苛烈で、粗野で……私を無理やり手に入れた方で」
 ――私の夫。愛おしげに、エリシャは音を唇に乗せる。
「もう、この世にはいませんの」
 どれだけ脳裏にその姿を鮮明に描けても、暖かいその血潮を覚えていたって。
(「私が首を落としてしまったから」)
「……その歳で娶られる、ねェ。無理やりだったのに、お前はそいつを愛してたのか」
「ふふ、最初は恐くて仕方なかったのですけれど。いつの間にか、ね」
 いつのまにか落ちる戀。その姿が世界の何処にもなくとも、忘れ得ぬその想い。その想い方は、どこか似ているような気がして、クロウは艶やかに笑む鬼を見る。
(「……テメェにも”しおん”が似合いなのかもな」)
 忘れない。――忘れられない。ひとつの恋の、愛のかたち。

「私も、こんな風に穏やかに生きられたら、よかったのかしら」
 ふと海月を見上げて、エリシャが囁いた。それからすぐに、らしくない、と思う。けれども今日はどうも『らしくない日』ならしい。化粧が取れたクロウの顔が、やけに優しげに見えるのも、きっとそういう日だからだろう。
「お前に流れる血脈は、其れを望んでねェくせに」
「……ええ、私は」
 血を滾らせる、その御首が。
「俺は本能がままに生きるお前が好きだぜ。……割とな」
 軽く吹き出して、クロウは笑う。その本能に殺されたなら――それはきっと、愛のかたちのひとつだったのかもしれないと、ぼんやりと思う。ならばその苛烈で美しい在り様が、きっと。
「ホントらしくねェぞ。嫋やぐ羅刹女とか……ねェわ」
 むに、と抓る頬は、夢に落ちるのを起こすかのように。
「いひゃいっ! もう、今日は随分と情熱的ですこと。……最後が余計ですわ」
 ぺしんとその手を払って、エリシャはつんと外方を向く。けれども柔い海月の道行きは、クロウと同じに瞳に映っているだろう。
 その手に引かれ、声に呼ばれて。らしくない、こんな日に。
「……紫苑の花が、咲いたなら」
「ン?」
「見に行きましょう。付き合ってあげますわ」

 ――しおんとさくらの忘れ得ぬ日に。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

リル・ルリ
🐟櫻と人魚
アドリブ歓迎

わぁ、くらげ!
ふうわり可愛いね

水槽のひび割れを割って飛び出して、君の隣を泳ぐ
卵から生まれたようだ
ただの石ころが宝石に変わるように
僕の名前……特別になったよ、櫻宵
そういう意味では、生まれ直したようだよ
ふふ……ありがとう
僕の名前を呼んでくれて
――ただいま、櫻宵
もうこの名前を、落としたくない

そう
櫻の名前の意味は?
それで『櫻宵』
花が咲き、鳥は歌い、空は青く澄んで風が吹き、すべてのものが春の息吹を謳歌する…
綺麗な、春の名前だよ
僕がそういうんだから、誇ってよ

ねぇ櫻
謎解き、をいい?
僕は……あの湖を離れてもいい?
都市を沈めて皆の命を奪った僕が…
君のところにいって幸せになっても許される?


誘名・櫻宵
🌸櫻と人魚
アドリブ歓迎

揺蕩う白
なんて綺麗
出てらっしゃい、リル

漂う海月のショーを並んで見ましょ
白纏い揺蕩う人魚もまた海月のようで美しいと
ふわり浮かぶ白を眺めながら思うわ
すっきりした顔ね、リル
よかったわ
あなたに名前を付けられて
特別になれたのが嬉しいわ
生まれたならば、おめでとうと言うべきかしらね
おかえり、リル

あたしの名前?
…桜が満開に咲いた、美しい春の宵の清らな、清明の日に生まれたからと聞いたわ
名に込められた願いなんて、今のあたしとは程遠いものだけど
そんなに褒められると照れるわ…あなたの櫻としてそうあれるように、努めるわ

そんなの当たり前よ!
おいで、リル
あなたは幸せになるべきよ
たくさん、たくさんね!



●きみとの春をしあわせと呼ぶ
「わぁ、くらげ!」
 丸い水槽の中で、リル・ルリ(想愛アクアリウム・f10762)は弾んだ声を響かせた。
「ねえ櫻、櫻、ふうわり。可愛いね」
 くるくる、ふわふわ。釣られたように、その優美な尾鰭がひらひら踊る。それを瞳を緩めて見ていた誘名・櫻宵(屠櫻・f02768)は優しい声で、そうね、と頷いた。
「出てらっしゃい、リル。……海月のショーを、並んで見ましょう?」
 その言葉でリルは気づく。そう、この水槽からはもう、出られるのだった。――きみのとなりに、帰れるのだった。
「――櫻宵っ」
 水槽のひびを尾鰭で叩き割って、外へ飛び出る。ぱりんと割れた硝子は、きらきらと光って水と落ちる。それはまるで、卵から生まれたようで、ただの石ころが、宝石に変わるようで。
 ふわり、月白む人魚は水がなくとも、咲き誇る櫻の隣を嬉しげに泳ぐ。
「すっきりした顔ね、リル」
「うん。僕の名前……特別になったよ、櫻宵」
 誰かに付けられた、ただの記号。わけもわからず歌っていた春のうたは、その色を鮮やかに灯した。そのひとに、その声に呼ばれるのなら。なみだの意味も、きっと変わってゆく。
「……あたし、あなたに名前を付けられた?」
「うん。だから、生まれ直したようだよ。……ありがとう、僕の名前を呼んでくれて」
 リル。そう呼ぶ声が咲く限り、きっと泡沫よりもやわらかく、リルは笑うことができるのだ。
「――ただいま、櫻宵」
 もうこの名前を、落としたくない。だから手を伸ばす。指先が、今度はちゃんと触れ合った。
「おかえり、リル。……生まれたならば、おめでとうと言うべきかしらね」
「ふふ、ありがとう櫻宵。……そう。だから、僕もききたい。櫻の名前の意味は?」
 春の木漏れ日のような微笑みを交わし合ってから、リルは真剣な眼差しを櫻宵へ向けた。その名前は、戀をしてから、ずっと特別なものだけれど。
「あたしの名前?」
 櫻宵はきょとりと瞬いて、首を傾げた。それから少し考えて、その唇に笑みが乗る。
「……桜が満開に咲いた、美しい春の宵の清らな、清明の日に生まれたからと聞いたわ」
 勘当された身からすれば、名に込められた願いなど、今の自分には程遠いものだろうけれど。それでもこの世界に生まれ出たその日に美しく咲いた桜は、誰よりも愛おしんでくれるひとがいるのを知っている。
「それで『櫻宵』……。花が咲き、鳥は歌い、空は青く澄んで風が吹き、すべてのものが春の息吹を謳歌する――綺麗な、春のなまえ」
 意味を語るあいだ合わなかった瞳を覗き込んで、リルは繰り返す。
「僕の春の名前だよ」
「あら。……あら、あら。そんなに褒められると照れるわ」
「照れてもいいよ。僕がそういうんだから、誇ってよ」
 その名前が、特別なものだと知ってほしい。誇って欲しい。――何処かで何かを見失っても、その名を呼んだら、どうか応えて。
「ええ。……あなたの櫻としてそうあれるように、努めるわ」
 約束だよ、とは言わなかった。そう言った桜色の瞳が、リルを綺麗に映して見せたから。

 ふわ、ふわり。いつまでも続くように思えた海月たちのショーは、どうやら終幕が近いようだった。
 あんなに游いでいた海月たちは、少しずつ少しずついなくなって、ふわ、ふわと一匹、二匹、通り過ぎるだけになってゆく。
「……ねぇ、櫻」
「なあに?」
「謎解き、をいい?」
 水族館も、すっかり静寂を取り戻しつつあった。他にあった人影も、ひとつ、ふたつとなくなって、今水族館に残っているのは、きっとふたりだけだ。
 静かな水槽の外側に、澄んだ人魚の声が少し震えて、ひびく。
「――僕は、あの湖を……離れても、いい?」
 都市を、全てを沈めて、皆の命を奪った。
 あの場所にいるのは、半ば贖罪だった。そこに居続けたって、いのちはひとつも戻らないのに。
 櫻宵は音もなく息を呑んだ。挟まったほんの僅かな沈黙が、永遠じゃないかと思う。喉で、息が詰まる。けれど。

「そんなの当たり前よ!」

 たった一言で、呼吸が戻った。
 嬉しそうな櫻宵の声が、弾んで静寂に響いてゆく。
「……いいの?」
 確かめるように、おそるおそる溢した声にも、櫻宵は迷いなく頷いた。
「おいで、リル」
 ――静寂が色づく。淡く、春を運ぶ風のように。
「あなたは幸せになるべきよ。たくさん、たくさんね!」
 櫻宵の声が、リルに響く。
 楽しげな声だ。嬉しそうな声だ。柔らかな笑みが、春のように綻ぶのが、とてもすきで。
「うん。……うん、一緒にいたいよ、さくら」

 幸せそうに笑った真白い人魚から、あたたかな涙がこぼれて落ちた。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​



最終結果:成功

完成日:2019年10月14日


挿絵イラスト