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悲蜜(ひみつ)

#UDCアース

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#UDCアース


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●表裏一体
 華やかな賑わいの影には、陰鬱な暗がりがある。
 花に木々、池に山。人々が季節の彩に目を細める風光明媚な公園も、整えられた区画を過ぎれば、木々が鬱蒼と林立し、容易くは奥が見通せない洞穴が点々と口を開けている。
 『裏山』と評するのが一番しっくりくるだろう。
 風に楽しい笑い声の余韻が運ばれてくる分だけ、辛さや、悲しみが際立つ地。
「どうせ、あたしは何をやってもダメだし」
「いつかきっと、なんてないんだ」
「私の気持ちなんて、誰も分からない」
 だからだろうか――そこに負が凝ったのは。

●悲蜜
 春は桜にチューリップ。初夏の薔薇に、夏は朝顔、向日葵。秋にはコスモス、ケイトウ、そして再び盛りを迎えた薔薇。冬はパンジーに椿。
 山の端に湖たゆたう地形を活かしたそこは、季節を楽しむ人々が憩い集う公園だ。
 その和やかな一時をじんわりと脅かすかの如く、山の裏手を拠点とした邪神教団がある。
 要となるのは、点在する洞穴の一つ。
 周辺では≪それ≫を守る少女たちが、鬱々と徘徊している。
 儘ならぬ生き方を、抱えた疵を、天の采配を恨み、人の道から外れた果てにオブリビオンと化した少女たちだ。
 立ち振る舞いも、発する言葉も、明日の視得ぬものばかり。対峙した者の心を引き摺り、暗がりに取り込んでしまいそうなほど。
「かなしいのは、かなしいね」
 自分が味わったものではないのに、ウトラ・ブルーメトレネ(花迷竜・f14228)予知に眉を下げる。
 この拠点を放置するわけにはいかない。でも送り出せば、猟兵たちの内の疵を抉ることになるかもしれない。
 だが迷うわけにはいかない事実を前に、ウトラはとっておきの光を片手に掲げた。
「かなしいも。いつかきっと、きれいになるとおもうの」
 いつまでも疼き続ける痛みも、やがて自身を輝かせる光になる。きっとそう言いたいのだろう少女は、「きれいでしょう?」と掲げた光を猟兵たちへ見せ、ふわりと微笑む。
「ぜんぶ、おわったら。公園で、ゆっくりできるよ」
 四季を愛でるのも良い。公園内に放した蜂に集めさせた蜂蜜を使った飲み物や菓子が名物なので、それを味わうのも良いだろう。
 騒いだ心を落ち着けるには、うってつけの公園だ。
「おねがい、するね」
 光の傍らに猟兵たちを転送する為の花を咲かせ、ウトラは銀の眼をゆっくりと瞬かせた。

 他人の不幸は蜜の味、なんて言葉もあるけれど。
 自分の痛みはどんな味になるのか。
 じっくりとろとろ煮詰めたら、ただの痛みの塊になるのか、いつかの光になるのか。


七凪臣
 お世話になります、七凪です。
 今回はUDCアースでのお仕事をお届けに参上しました。

●シナリオ傾向
 がっつり心情系。

●シナリオの流れ
 【第1章】集団戦。
 自身の『悲しみ』『辛さ』などを浮き彫りにする章です。
 戦場は洞穴内or雑木林から選べます。雰囲気暗めが良いのか、木漏れ日の中が良いのか。心情に合わせて選択可能です。
 戦闘プレはおまけ程度で大丈夫です。
 【第2章】ボス戦。
 第1章で浮き彫りにした『負』に自分なりの決着をつけて頂く章です。
 詳細は章開始時に導入部を追記します。
 【第3章】日常。
 ざわついた心を慰める章です。
 公園の詳細などは章開始時に追加する導入部にて。
 この章のみ、お声がけ頂ければウトラがお邪魔します。

●その他
 POW/SPD/WIZはお気になさらず。
 展開に添うようであれば、行動ご自由に。

●プレイング受付期間
 今回は『プレイングの再送』が前提になります。
 予めご了承下さい。
 プレイング受付期間や再送のご案内方法など、詳細は『マスターページ』にて随時ご案内致しますので、プレイング送信前に必ずご一読下さい。

 皆様のご参加を、心よりお待ちしております。
 宜しくお願い申し上げます。
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第1章 集団戦 『不幸少女』

POW   :    現実は必ず突きつけられる
無敵の【完璧になんでもこなす最高の自分】を想像から創造し、戦闘に利用できる。強力だが、能力に疑念を感じると大幅に弱体化する。
SPD   :    数秒後に墜落するイカロスの翼
【擦り傷や絆創膏の増えた傷だらけの姿】に変身し、武器「【赤点答案用紙の翼】」の威力増強と、【本当は転んだだけの浮遊している妄想】によるレベル×5km/hの飛翔能力を得る。
WIZ   :    同じ苦しみを味わう者にしか分からない悲痛な声
【0点の答案用紙を見られ必死に誤魔化す声】を聞いて共感した対象全ての戦闘力を増強する。
👑11
🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

種別『集団戦』のルール
 記載された敵が「沢山」出現します(厳密に何体いるかは、書く場合も書かない場合もあります)。多くの場合、敵は、あなたが行動に使用したのと「同じ能力値」の戦闘方法で反撃してきます。
 それらを踏まえつつ、300文字以内の「プレイング」を作成してください。料金は★0.5個で、プレイングが採用されなかったら全額返金されます。

 大成功🔵🔵🔵
 成功🔵🔵🔴
 苦戦🔵🔴🔴
 失敗🔴🔴🔴
 大失敗[評価なし]

👑の数だけ🔵をゲットしたら、次章に進めます。
 ただし、先に👑の数だけ🔴をゲットしてしまったら、残念ながらシナリオはこの章で「強制終了」です。

※自分とお友達で、それぞれ「お互いに協力する」みたいな事をプレイングに書いておくと、全員まとめてひとつのリプレイにして貰える場合があります。


●引き摺り出される『痛み』
 落ち葉をかさりと鳴らし、或いは洞穴の闇に潜み。
 少女たちは顔を曇らせ嘆く。
 ――なぜ、わたしは。
 ――どうして、誰も。
 ――かみさまなんて、いない。
 嘆きが、耳にする者の心をチクチクと刺激する。
 さして強くもない相手ゆえ、斃すことは容易だ。
 しかし為す前に、胸に兆すものがあるならば。暫し、振り返るのも、向き合うのも、悪くない。
 いや――意識せずとも引き摺られ、痛みにがんじがらめにされるかもしれない。
清川・シャル
【雑木林】
かみさまなんていない、私もそう思います
実家で忌み嫌われた日々
罵詈雑言、聞き飽きました。お前なんて居なければと。
毎晩夢に見ます。そこには生身の小さな私しか居ないんです。
誰も何もしてくれない、それはあの人にも求めていない。
孤独かもしれないけど、分かってもらえるとも思っていないし、誰にも頼る訳にもいかない
愛用のそーちゃんを片手に、答えを探して、今日も戦場へ来てる私です。
UC、鬼神斬
この手で終わらせる、必ず。



●鬼、ひとり
 温かなはずの木漏れ日が、煩わしく感じる。
 慈悲深くて、暖かくて、まるで≪かみさま≫の両手に包まれているよう――だけれど。
『かみさまなんていない』
 半べそで不幸ばかりを訴える少女の言葉に、清川・シャル(無銘・f01440)は躊躇いなく頷いた。
 ――かみさまなんて、いない。
 ――私も、そう思います。
 どこからか世界をお守り下さっている筈のかみさま。
 哀しくて、苦しくて、辛いばかりの日々にも、光を与えて下さるはずのかみさま。
 そんなもの、シャルは知らない。
 父と母を継いだ、白金髪青眼の羅刹――それが、シャル。
 二親はシャルに命を継いで間もなく身罷り、遺されたシャルに押されたのは『異端』の烙印。
 忌み嫌われた。
 罵詈雑言は、訊き飽いた。
 『お前なんて居なければ』なんて、訊き飽き過ぎて言葉の価値が大暴落。
 だのに、毎晩。シャルは夢に見る。
 大きな世界に、小さなシャルがぽつんとひとり。生身で、独り。
 手を差し伸べてくれる人は、誰もいない。
 いや、そもそも『誰か』すらいない。
 もちろん、かみさまも。
 ――だからシャルも何も求めない。
(「それはあの人にも求めていない」)
 足元に落としていた視線をゆるりと上げて、シャルは不幸を絵にかいたような少女を見た。
 傍らに、近しい誰かの熱があったように感じたのは、気のせいだ。
 神経を逆なでばかりするからかい声も、聴こえはしない。
 だってシャルが求めていないから。
 孤独……かもしれない。
 でも、分かって貰えるとは思っていない。
(「誰にも頼る訳にもいかない」)
 かさり、と足元の落ち葉を踏み拉き、シャルは一歩を踏み出し、走り出す。
 手には可愛らしい桜色に塗られた、けれど生えた棘が回転する鬼の金棒を、片手で振り回しながら。
 ――答えを探すことを、諦めたのではない。
 ――だから私は、今日も戦場へ来ているのです。
 この手で、終わらせる為に。
 必ず、いつか。
「地獄へWelcome」
 花綻ぶように微笑んで、シャルは鬼金棒を少女の顔面へ叩きつける。
 ぐしゃり。
 派手に潰したけれど、やっぱり胸に抱えた痛みは潰えない。

大成功 🔵​🔵​🔵​

渦雷・ユキテル
雑木林で少女と向き合い

ふふ、陰キャの巣窟って感じですねー
すぐに倒すなんてつまんない
あなたはどんな"過去"なのか
あたしの興味を満たしてから消えてください

テストの結果が悪かった事ないんですよー
実験動物はそうじゃなきゃ生きられない
明日がほしいから努力して蹴落として
そのくせ、いなくなってから少しだけ泣いたりして
馬鹿みたい

研究所にいた名前のないわたしたちの声
今でもずっと聞こえる
見捨てたこと怒ってる?怨んでる?――間違ってた?
揺れる心があるなら
後悔してる暇があるなら
あたしはまだ戦える 笑ってられる
これだけ犠牲にしてきたんだもの、
こんなところで終わるのは割に合いません
点滴槍のクランケヴァッフェを握って駆け



●笑え!
 どんなに勉強を頑張っても、テストの点数が伸びないの。
 毎回、赤点。補習に補習を重ね、追試に追試を重ねてようやくついた進級の目途も、他校の素行不良な生徒に絡まれ、おじゃんになった。
『ただのドジだったんですよ? 飛び出してきた猫を避けようとしてふらついて、そしたら鞄が飛んで』
 鬱々と語る少女を前に、渦雷・ユキテル(さいわい・f16385)は「ふーん、それで」「それからどうなったの?」と、燃え尽きる間際の太陽みたいな色の瞳をきらきらと輝かせた。
 なるほど此処はいわゆる『陰キャ』の巣窟。
 そこかしこから漂う不幸の気配に、ユキテルは「ふふ」と相好を崩す。
 疼く、詮索心。
 すぐに倒して、ハイサヨナラなんてつまんない。
 ――あなたはどんな"過去"なのか。
 ――あたしの興味を満たしてから消えてください?
 心の内で言葉運びは丁寧ながら、緩く崩した音色を唱え。男の身体(うつわ)に宿した少女の心をユキテルは煌めかせる。
 朗らかな――それこそ太陽を彷彿させる見目と態度のユキテルだ。
 滔々と不幸を連ねる少女は、予想だにしていなかったろう。不意に言葉で反撃されることに。
「ちなみに、あたし。テストの結果が悪かった事ないんですよー」
『――え?』
 何を言われたか分からない、から、思い切り傷付いたと訴える少女の顔をユキテルはにこにこ笑ったまんま見つめる。
 ただ双眸が、険を帯びた。
 だって垂れ流された不幸なぞ、ユキテルにとってはただただかわいい不平不満。
 ――実験動物は、成績優秀でないと生きていけない。
 ――『明日』が欲しいから、努力して努力して努力して、肩を並べる誰かを蹴落としもする。
 ――そのくせ、蹴落とした誰かがいなくなったら。ほんの少し、泣いたりもして。
「馬鹿みたい」
『なにを、言って……?』
「ああ、ごめんなさい? あなたの事じゃないです。けど、あなたも十分、馬鹿ですね」
『!!』
 オブリビオンが人間みたいな反応をしている。
 一度、骸の海に渡って。そこから戻って来て、歪んでいるくせに。そのことをユキテルは少し不思議に感じた。
 『研究所』にいた、名前のない『わたし』たちの声。
 『人』として扱われなかった『わたし』たちの声。
 今でもずっと聞こえている。
(「見捨てたこと怒ってる? 怨んでる?」)
 ――あたしは、間違ってた?
 心が、揺れる。
 そう。揺れる≪心≫がユキテルにはある。
 後悔している暇があるなら、前を向け、走れ、進め。
(「あたしはまだ、戦える。笑って、られる」)
 ――笑え、あたし!
「これだけ犠牲にしてきたんだもの」
 どこからともなく、かつて酷く馴染みがあった点滴台を模した得物を取り出し、ユキテルは高く結い上げた金の髪を木漏れ日に翻す。
『え、ちょっ、なんで!?』
 ユキテルの攻勢を悟った少女が鑪を踏んで、そのまま後ろへひっくり返った。
 哀れだ。だが、倒さなければ斃される。そんな勿体ない命の使い方なんて、ユキテルには出来ない。
「こんなところで終わるのは割に合いません」
 槍のようにとがった先端を、ユキテルは突き出した。

大成功 🔵​🔵​🔵​

リル・ルリ
🐟櫻と人魚
雑木林

君はこのままの僕を愛してくれる
けれど焦がれてたまらない
憧れが止まらない
―君と同じ、脚がほしい
僕だって櫻の横を
地を踏み歩きたい
想う度に己が身が悲しい

…硝子の靴を履きたい

「人魚姫の歌」
脚だ!僕の脚!
立てない
動かし方がわからない
聲を出せば元に戻るから刺すような痛みに唇噛んで耐える

見て櫻!僕の脚!
表情だけで歓喜を伝えるも返ってきたのは
哀しそうな櫻の顔に悲痛な言葉

胸が痛い
なんで喜んでくれない
違うよ!僕は、

動けないから君を追えない
歌えない僕は君を守れない
何もできない
僕は歌
歌しかない
事実がまた哀しい
せめてと浮かべるオーラ防御の水泡

望みが叶ったはずなのに
どうしてこんなに
悲しくて苦しいんだろう


誘名・櫻宵
🌸櫻と人魚
雑木林

リルがこのままのあたしを好きと綺麗だと言ってくれたから
あたしは自分を見つめられた
悪龍の本性も血を求む趣向も穢らわしい私もリルは受け入れてくれた
リルの横で笑っていたい
声も歌も尾鰭も全部が大好きなの

目の前には脚のあるリル
動けないのね
嬉しげに微笑みかけてくる
どうして聲を…歌を

私はそんなにもリルを追い詰めていたの?
住まう世界は違っても関係ないと思ってた
足と鰭の違いなんて関係ないって
笑顔が哀しい
リルの生命と等しい歌声を贄にするなんて
私と出逢わない方が
同じ人魚が恋人だったらこんな事
望まなかったんじゃないの?
苦しくて
切ない

リルの馬鹿!
八つ当たりの様に敵をなぎ払い斬る
リルは動けない
守らなきゃ



●素足の人魚
 誘名・櫻宵(屠櫻・f02768)はリル・ルリ(想愛アクアリウム・f10762)の歌が好きだ。
 だから歌声をよりいっそう高らかに響かせる為に、硝子の靴(シンフォニックデバイス)を贈った。
 人魚のリルに、硝子の靴。
 履けないことは分かっていた。
 でも、そんなことは関係なしに、櫻宵はリルのことが好き。とてもとても、とても好き。
 リルは、ありのままの櫻宵を受け入れてくれた。
 悪龍の本性も、血を求む嗜好も、自身でさえ穢らわしいと思っている櫻宵のことを、リルは受け入れ、綺麗だと、好きだと言ってくれたのだ。
 ――リルの横で笑っていたい。
 ――声も歌も、尾鰭も。全部、全部。リルだから、大好きなの。
 櫻宵は、そう思っているのに。

「――弾けて消えるしゃぼん玉。夢泡沫のお伽噺。人魚の泪に夢幻の歌を。嗚呼、叶えておくれ」
 季節に彩られた公園まで届けようとするかのように、リルは高々と歌い上げた。
 鬱蒼とした雑木林に、神が零した溜め息が如き旋律が広がっていく。
 あまりの美しさに、陰鬱を語る少女さえも瞠目した。
 リルは、人魚の己を櫻宵が愛してくれているのを知っている。
 知っているけれど、焦がれてたまらないものがあった。憧れて止まないものがあった。
 ――君と同じ、脚が欲しい!
 櫻宵と並んで歩きたい。
 歩幅を合わせて、歩きたい。
 同じ地を踏み、同じ足音を立てて、歩きたい。
 思う度、叶わない現実に涙が溢れそうになった。悲しみに心は沈んだ。
 そして今、リルには更に希求している。
(「……硝子の靴を、履きたい!」)
「泡沫の夢、偽りであろうとも――僕に脚を、」
 然して人魚(リル)は夢を叶える為に、謳った。
 人魚を人にする歌。美しい尾鰭を、しなやかな脚へと換える歌。
 望みは遂げられる。揺らめく月光ヴェールは木々の狭間を駆ける風に溶け、白い頬と同じ色の脚が残された。
 ――脚だ!
 立てなかった。
 ――僕の脚!!
 動かし方も、分からなかった。
 聲を代償に捧げているから、リルは突き刺すような痛みを唇を噛み締め堪える。
 その唇に、血が滲むのも気にせずに。

 ――見て、櫻! 僕の脚!!
 青褪めた笑顔に、櫻宵の心は抉られた。
「……動けないのね?」
「どうして聲を……歌を」
 何故?
 何故?
 何故?
 私はそんなにもリルを追い詰めていたの?
 住む世界が違っても関係ないと思っていた。足と鰭の違いなんて関係ないと思っていた!
 だのに、リルは。
 リルの生命と等しい歌声を贄にして。懸命に、笑って――。
(「その、笑顔が。哀しい……」)
「ねぇ、私と出逢わない方が良かった?」
「同じ人魚が恋人だったら、こんな事を望まなかったんじゃないの?」
 苦しさと切なさから絞り出された櫻宵の悲痛な言葉に、リルは息を呑みそうになって、慌てて両手で口を覆った。
 ――なんで喜んでくれないの?
 ――違う、違う、違うよ、僕は!!
 今にも泣き出しそうな櫻宵を抱きしめたくて、リルは必死に手を伸ばす。
 けれどリルの手は櫻宵へと届かない。
「リルの馬鹿!」
 いつもの刃を手に、櫻宵がくるりと身を翻し、呆然とみつめる少女へ突進してゆく。
 無謀な突進ぶりを諫めたくても、やっぱりリルの手は櫻宵へ届かない。だって、動けないのだ。
 ならせめて歌で守ろうとして――。
(「歌えない僕は、君を守れない」)
 直面した現実にリルは戦慄する。自分は何も出来ない。元々、歌しかなかったのに。その歌さえ、今は捧げてしまっているから。
(「何故? 何故?」)
(「望みが叶ったはずなのに、どうしてこんなに悲しくて、苦しいんだろう?」)
 押し寄せる事実が、また哀しくて。溢れ出そうな涙を、守護の水泡に変えて櫻宵へ贈る。直ぐに弾けてしまう泡沫でしかないけれど。
「さぁ、お退きなさい!」
 泡沫の残骸で頬を濡らし、櫻宵は少女めがけて不可視の斬撃を放つ。
 リルは動けないから、絶対に守らなきゃいけない。
 ただその為だけに――いや、ほんの少し。自分たちの悲しみを刺激する少女への八つ当たりを込めて。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

ジャスパー・ドゥルジー
【狼鬼】

かなしいもの、と聴いて
浮かぶのはたまに魘される夢
餓鬼だった頃の俺が
生きたいと願ったせいで
死ななくていい奴が死んだ
大勢

ひとごろし、と
責める声から逃れるように
赦してくれと自分を痛めつける
惨めな道化、それが俺だと

――違う!
あれは只の夢だ
失くした記憶じゃねえ
俺は俺だ
痛いのが好きでたまらねえ、ただの頭のおかしい奴だ
自己犠牲なんて、バカバカしい

さっさと片付けるぜ、ザザ
ゲヘナの炎で全身を包む
いつものニヤニヤ嗤いも、軽口も
うまくいかねえ程度には余裕を失っちまってる

くそ、腹が立つ
何もかも燃えちまえ
理由なんて求めてない

俺を留めてくれる鎖と
優しい言葉には気づくものの
礼を言うほどの理性は、今は無えかも
……悪ィ


ザザ・クライスト
【狼鬼】

後悔はない
オレは自分の為にトリガーを引いた
多くの名前すらない敵に
多くの名前すら知らない敵に
数少ない名前を知る敵に
ただ一人のかけがえのない部下に
かけがえのない部下の恋人だった──惚れた女に

痛みがオレを離さない

「サイコーじゃねェか、なァジャスパー?」

と思ったらやっこさんの頭は煮えちまってた
相当キてる、笑みが引き攣ってるぜ

「オマエは優しいよ、ジャスパー」

イカレてるし、ちっとばかし──イヤ、結構な変態だけどなァ

銃でジャスパーの足を撃つと同時に【監獄の鎖】

「好きなだけ暴れてきな、捕まえててやるからよ」

煙草に火を点けて笑う
痛みや記憶を忘れねェのに鎖はいらねェ
繋いどかねェと消えちまう奴にこそ必要だ



●イカレた鎖
 少女の嘆きに、己が裡がじくじくと騒ぎ出す。
 否応なしに炙り出される遠い、或いは近い日々。
 銃声と刃が肉にのめり込む感触が蘇り、誰の物とも知れぬ断末魔が耳の奥を掻きむしる。
 全き精神の持ち主ならば、耳を塞いで蹲っているところだろう――だのにザザ・クライスト(人狼騎士第六席・f07677)はフンと鼻を鳴らして、片頬をニヤリと吊り上げた。
 後悔なんぞ、していない。
 ――オレは自分の為に、トリガーを引いた。
 多くの名前すらない敵に。多くの名前すらしらない敵に。数少ない名前を知る敵に。
 ただ一人、かけがえのない部下に。
 かけがえのない部下の恋人だった――惚れた女に。
 朱に塗れぬはずの手が、真っ赤に濡れそぼっているように視得た。
 ≪痛み≫は決してザザを離さない。
 ――だから、何だ?
「サイコーじゃねェか」
 赤い眸をぬらりと眇め、ザザは哂い。傍らの男へ同意を求める。
「なぁジャスパー?」
『鬼。悪魔。言われ飽きたよ、んな事は』
 そう宣う男だ。てっきり同じように嗤うだろうとザザは思っていたのに――。

 哀しい、悲しいと嘆く少女らの声に、ジャスパーの内に≪夢≫が浮かぶ。
 たまに魘される夢だ。
 ――餓鬼だった頃の俺が。生きたいと願ったせいで。
 死ななくていい人間が死んだ、夢。
 大勢、大勢、死んだ。ジャスパーが生きたいと願ったばかりの、死の結末。
『ひとごろし』
 ねっとりと絡みついて来る糾弾の声から逃れるように、ジャスパーは己を痛めつけて、朱に染める。赦してくれと懇願するように、赤く赤く血に濡れる。
 ――惨めな道化。それが俺だ。
 夢が、そう訴える。
 ジャスパーが目を反らそうとする現実を、容赦なく鼻先へ突き付ける。
「――違う! あれは只の夢だ! 失くした記憶じゃねえ、俺は俺だ」

「痛いのが好きでたまらねえ、ただの頭のおかしい奴だ」
 無駄に声を上げて笑うジャスパーを、ザザは痛々しいものを見る目で見た。
 どうやらやっこさんの頭は煮えてしまっているらしい。
 今のジャスパーは、ザザからしても『相当キている』状態だ。
 いつも通りに哂おうとしているが、肝心の笑みが引き攣っている。
「自己犠牲なんて、バカバカしい。さっさと片付けるぜ、ザザ」
 ――あんたも、あんたもあんたも、全部燃やし尽くしてやる。動くんじゃねえ!
 ザザをけしかけ、ジャスパーは白い肌を瞬く間に、赤を通り越して白く燃える炎で包み込む。
 でも、ジャスパー自身がいつも通りでないのを自覚していた。
 皮肉に肩を聳やかすみたいに、イイ感じにニヤニヤ嗤えない。
「――くそ、腹が立つ。何もかも燃えちまえ」
 吐いた軽口からだって、余裕が失われている。
 懸命に悪びれているようにしか、見得ない。
「オマエは優しいよ、ジャスパー」
 イカレてるし、ちっとばかし――イヤ、結構な変態だけどなァ。
 褒め言葉の代わりに、ザザはおもむろにジャスパーの足を撃った。
 時にオブリビオンの息の根を止める一撃だ。それを遠慮なしの容赦なしでぶちかまして、爆ぜた炎で互いを繋ぐ鎖を編み上げた。
「好きなだけ暴れてきな、捕まえててやるからよ」
 後は好きにしろよと煙草に火を点け、ふぅと紫煙を燻らすザザの言葉に、ジャスパーの紫眼に『いつも』が微かに兆す。
 でも、まだ礼を言えるほどではない。不意の痛みも、鎖の意図も、優しい言葉にも気付きはしたけれど。
「……悪ぃ」
 それだけ小さく残し、ジャスパーはザザの掌の上で暴れ出す。
 燃やして、燃やして、不幸を嘆く少女らを燃やし尽くす為に。

 鎖が、落ち葉の上を蛇のように這う。
 ――痛みや記憶を忘れねェのに鎖はいらねェ。
 ――繋いどかねェと消えちまう奴にこそ必要だ。
「おーォ、ど派手じゃん?」
 白い炎に目を細め、ザザはジャスパーを繋ぎ止める。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

雨糸・咲
生い茂る樹々の足元に立てば
どこか住処のある静かな森に似ていて
でも、ここはもっとずっと寂しく感じる

少女たちの哀しい声が、どうしたって胸をちくりと刺すのは
どうにもならない現実を
無力を思い知らされたことがあるから

――どうして、なんでしょうね

たったひとつそれだけを、と願ったことは叶わず
その為に手に入れたものは徒爾に終わった

終わった…はずなのに
私は、今もこうして在るのです

彼女たちと自分、何が違うのだろうか
自分もまた、絶望に折れたはずだったのに

雪白の花弁を降らせながら、
消えゆく少女たちをじっと見つめる

――私はまた、こちら側…

もはや意味の無い身でありながら何故、と
厭う己自身の声は、今も胸の内に響いている



●あちら、と、こちら
 触れた樹の肌は、冷たいようで温かい。
 生い茂る木々は、どことなく住処のある静かな森に似ていると雨糸・咲(希旻・f01982)は感じ、だからこそ際立つこの地の寂しさに髪を一筋、震わせる。
『きっと明日は上手くいくの――上手くいくったら、いくの!』
『うそ。上手くなんていかない』
『あたしは駄目な子。誰もあたしのことなんか見てくれない』
『あたしだって、あたしだって……』
『……誰も、あたしのことなんて。わかってくれない』
 雪が降り積もっていくように、木立に響く少女たちの嘆きが、咲の胸を冷やし、チクリと小さな棘を刺す。
 オブリビオンだ。
 同情しては駄目。同調しては駄目――そう思うのに、咲の心は引き摺られる。引き摺られてしまう。
 だって、咲は知っている。
 どうにもならない現実があることを。
 己の無力を思い知らされたことも、ある。
「――どうして、なんでしょうね」
 木陰からじぃと此方を見ている少女の視線に、咲は瞼をそっと落とす。
 たったひとつを願った。
 ただそれだけをと、願った――けれど、願いは叶わず。その為にと手に入れたものも、徒爾に終わった。
 ――終わった?
 そう。終わった……はず、なのに。
(「私は、今も。こうして此処に在るのです」)
 映し身なのに。
 嘆きから、救えなかったのに。
 だのに、今も、こうして。かの人は、もう居ないのに。咲ばかりが、為すべきを為せぬまま徒に永らえている。
 果たして、骸の海から蘇り嘆き続ける少女たちと自分のどこが違うのか咲には理解らない。
 咲も、絶望に折れたはずだったのだ。
 山葡萄の手提げ籠に宿った心に、意味を見出せなくなったはずなのに。
 それなのに、咲は。還らずに、留まり続けている。

「清めの花の香、悪い夢は洗い流して――」
 微かな葉擦れの如く唱え、咲は少女たちへ雪白の花弁を降り積もらせてゆく。その悲しみまでをも雪ぐかのように。
 ひとり、またひとり。
 嘆く少女が咲の視界から消えて逝く。
 しずかにしずかに。ようやくの平穏を得るように姿を散らす彼女らを、咲はじっと見つめる。
 そうして、ぽつり。
「――私はまた、こちら側……」
 残される、遺される。
(「もはや意味の無い身でありながら――何故?」)
 誰より咲を厭う咲自身の問いが咲の内側に響き、悲しみの蕾を大きく膨らませる。

大成功 🔵​🔵​🔵​

華折・黒羽
かなしいも。いつかきっと、きれいになる

送り出す前に猟兵が口にした言葉
本当にそうなのだろうか
何時まで経っても霞む事無いこの悲しさも
探せど探せど大切な人を見つけ出せぬこの辛さも
胸の内に穏やかに留まる日が来るのか

木漏れ日の中響く声
─黒羽
名を失った俺にあの子がつけてくれた新しい名
─黒羽
優しく見守り強く鍛えてくれた育ての父
─黒羽
弱さを許し抱きしめてくれた育ての母

名を呼ばれる度積もった幸福は
いつかの炎と共に消えてしまった
そしてあの子も何処かに消えたまま

立ち尽くす頬に黒帝の頭がすり寄せられる
その毛皮を撫で顔を埋めれば
今尚目元はじわりと熱を持つのに

感じ取った敵の気配に影纏いながら

─その“いつか”は、いつ…?



●“いつか”
 ――かなしいも。いつかきっと、きれいになる。
 やけに耳に残った声を反芻し、華折・黒羽(掬折・f10471)は憂いた表情をいっそう曇らせた。
 ――本当に、そうなのだろうか?
 容易には信じがたい、と黒羽は思ってしまう。
 だって黒羽の胸には深い深い痛みと悲しみが沈んだまま。いや、沈んでさえいない。
 いつまでたっても、得た悲しみは霞むことなく鮮烈なまま。
 探せど探せど、大切な人を見つけることが出来ない事実は、筆舌に尽くしがたい辛さで黒羽を苛む。
 そんな悲しみや、辛さが。
 黒羽の胸に穏やかに留まる日が来るのだろうか?
 小さな胸ひとつに、収まりきることがあるのだろうか?

 ――黒羽。
 光の粒子を纏う木漏れ日に、黒羽は誰かの声を聴く。
 ――黒羽。
 幻聴だ。聴こえるはずがないと分かっているのに、それでも黒羽は聴く。
 ――黒羽。
(「名を失った俺に、あの子がつけてくれた新しい名」)
 ――黒羽。
(「優しく見守り強く鍛えてくれた育ての父」)
 ――黒羽。
(「弱さを許し抱きしめてくれた育ての母」)
 ――黒羽、黒羽、黒羽、くろば。

 忘れない。名を呼ばれる度に、胸に降り積もっていったのを。
 ただ、それだけ。それだけで幸せだった。とても、とても、幸せだった。
 しかし、その幸せは炎と共に掻き消えた。
 ≪あの子≫も何処かへ消えてしまって、戻らない。
 雪のように優しく静かに降り積もった幸福は、炎の熱に溶かされ、もう――。

 陰鬱の底まで沈んだ黒羽の頬へ、漆黒のライオンが頭を摺り寄せる。
「……」
 慰めてくれているのだろうか?
 ユーベルコードで喚び寄せた獣は、言葉こそ語りはしないが良き理解者だ。黒羽はその毛皮を撫で、顔を埋める。
 途端、目元は今もじわりと熱を持つのに。
「――」
 感じた気配に重い溜め息を零し、黒羽は影を纏って臨戦態勢へ移る。
 消えぬ痛みを、悲しみを、辛さを抱いたまま。
 これも、ほんとうに、いつか?

(「─―その“いつか”は、いつ……?」)

大成功 🔵​🔵​🔵​

ジャック・スペード
雑木林で

ああ、こんなに胸が痛むのは初めてだ
思えば「こころ」を得る事は、傷を得る事でもあった

ヒトと関わり、彼等に好意や憧れを抱く度
此の躰は所詮作り物なのだと思い知る
ヒトは一人一人が特別な存在だ
一方、俺は工場で造られた量産型の旧式兵器
つまり特別な存在じゃない、替えの効く存在だ

塵を捨てるような気軽さで欠陥品の俺は処分された
当機は塵じゃない、なんて未だ言い切れないな
此の躰にも命は確かに宿っているが
なにせ機械仕掛けだ、ヒトと同じ価値が有るとも思えない
それでも――替えの効かない命で在りたい、なんて滑稽だろうか

なあ、オレも落第生だったんだ
だから其の答案用紙は花吹雪に攫ってやる
――点数は2人だけの秘密にしよう



●『こころ』
 ヒト、とは。
 一人一人が特別な存在だ。
 全く同じ個体がない。極めて近しい遺伝情報を有すものもないではないが、成長を経て異なる『個性』を獲得する。
 対して、己はどうだ。
 工場で造られた、量産兵器。しかも型は旧式。
 銀河帝国によって製造された衛兵は、同一個体が腐るほど溢れているだろう。
 替えなど幾らでも効くから、欠陥品の烙印を押されてしまえば、修理などされずに放逐されるモノ。
 ヒトと関り、彼等に好意や憧れを抱く度。
 強く知らしめられる現実に、ジャック・スペード(J♠️・f16475)のこころは痛みを覚える。
 ――しかし。
(「ああ、こんなに胸が痛むのは初めてだ」)
 『こころ』を得る事は、傷を得る事。その傷には一つとして同じものはなく、ジャックももうただの量産品ではない。
 だのに、ジャックは確信が持てずにいる。
「塵を捨てるような気軽さで欠陥品の俺は処分された」
 遠巻きに自らの非運を吐露し続ける少女らへ、ジャックは語り掛けた。
 否、それは語り掛けでさえなく。ただの独り言にも等しいもの。
「当機は塵じゃない、なんて未だ言い切れないな」
 ヒトを模しながらも、漆黒の体躯は決してヒトたり得ぬものの象徴。
 製造番号を棄て、ヒーローとして街を駈けて尚、ジャックは誰より自分を認めていない。
「此の躰にも命は確かに宿っているが、なにせ機械仕掛けだ、ヒトと同じ価値が有るとも思えない」
 センサーは、正しく木漏れ日を認識する。
 温度も、葉の透過率も、光の強弱も。
 だがヒトは、そんな風に木漏れ日を解析しないだろう。『こころ』で感じるままに、目を細め、手を掲げるのだろう。
 もし今、ジャックがそうしたとして。果たして純粋な『こころ』の発露と言い切れるだろうか? 計算の末に導かれた模倣ではないのだろうか?
 でも。
 それでも。
 替えの効かない命で在りたい、なんて『想って』しまうジャックを、ヒトは滑稽だと笑うだろうか?

「なあ、オレも落第生だったんだ」
 やたらと×が目につく答案用紙を背に広げた少女へ、ジャックは機械仕掛けの手を差し出す。
『……、うそ』
「嘘じゃないさ――だから、その答案用紙はオレが攫ってやる」
 お前のかつての『生』に喝采を。
 恥じることはないのだと、ジャックは少女の嘆きを彩に溢れた色待宵草の花吹雪で包み込む。
「――点数は二人だけの秘密にしよう」
 ジャックの『こころ』に運ばれ、少女は正しい輪廻へ戻るべく、骸の海へと還って――逝った。

大成功 🔵​🔵​🔵​

冴木・蜜
足を踏み入れ頭を過るのは
過去の罪の記憶

私は救いたかっただけ
いつだって私は
ただそれだけを願っていた

信じて共に並び立っていた友人に裏切られ
救いを信じて作り出した薬が
数多の命を融かした
あの時、私は絶望というものを知った

私が彼に手を貸さなければ
あの薬は人を殺さなかった

耳にこびり付いている
私を責める声が 罵る声が聞こえる

お前があの薬を作らなければ
所詮人ではないから人の心が無いのだ
この化け物め
虐げられた数々の記憶が蘇る

これ以上
聞いていたくない
見ていたくない
思い出したくない!

本能が拒否するままに
力任せに黒血を振るい
少女を融かす

それがまた
人ならざる私を浮き彫りにするようで

人でなくては薬になれないのですか…?



●致死量
 木漏れ日の注ぐ木立から、より陰鬱な洞の暗がりへ。
 足を踏み入れた途端、わんっと響いた嘆きの圧に、冴木・蜜(天賦の薬・f15222)はタールを口の端からこふりと吐いた。
 まるで血のようだ。
 けれど赤くない。タールはタール。黒は黒。
 どこかに不幸な少女を隠す闇よりも濃い黒を、人を模す白い手で掬い。その穢れように、蜜の裡には過去の罪の記憶が過る。
(「私は、救いたかっただけ」)
 いつだって蜜の願いは、ただそれだけだった。それだけを、蜜は願い続けていたのに。
 信じて共に並び立っていた友人に、蜜は裏切られた。
 蜜が救いを信じて創り出した薬が、数多の命を融かしてしまった。
 治療上限を超えた薬効成分は、中毒量をも上回る致死量で用いられた。
(「あの時、私は絶望というものを知った……」)
 もし蜜が『彼』に手を貸さなければ、あの薬は人を殺さなかったろう。
 もしかしたら正しく薬として、命を救ったかもしれない。
 しかし現実は――真逆。
 蜜の耳には未だ、怨嗟の声がこびり付いたまま。
 口々に、責め立てられた。罵られた。憎悪を投げつけられた。

『お前が……お前が、あの薬をつくらなければ!』
『所詮、お前はブラックタール。人ではないから、人の心が無いのだ』
『だからあんな薬――毒をつくり出せたんだ!!』

 ――違う、違う、違う。
 ――そうじゃない。
 ――あれは薬で、人を救う筈のもので。
 ――私はただただ、人を救いたかっただけで。
 訴えても耳を貸す者はいなかった。何故なら、蜜の薬が多くの命を奪ったのは、覆りようのない事実だったから。

『この化け物め!!!!』

「――ッ、」
 フラッシュバック。
 鮮烈に蘇る虐げられた記憶の数々に、蜜は反射で指先から黒を滴らせる。
『なぜ?』
『どうして?』
『わたしが??』
 少女の嘆きを、蜜の本能が拒絶していた。
 これ以上、聞いていたくなかった。現実を、見ていたくなかった。
 思い出したく、なかった!
「せめて苦しまずに、」
 力任せに、黒を――黒血をぶちまける。
「眠る様に逝けたなら」
 致死性の高い毒蜜は、物影に潜む少女まで届き、瞬く間に融かしてしまう。
「あ……あ、ぁ」
 先ほどまで、自身を構築する一部だったものが、命を融かす。
 それがまた蜜が人ならざるものであるのを、浮き彫りにする。

「私は、私は――私、は。人ではなくて、薬になれないのですか……?」
 目の前の現実こそが、蜜にとっては致死量にも等しい痛みを齎していた。

大成功 🔵​🔵​🔵​

向日水・厄介
林の中に嘆きの声を聞いた気がして
探しにいくの

「かみさまは、いない」
そうかもしれないの
神様は誰かを救っても、神様を救ってくれるひとはいなかった
そうして死んだ女の――次が、わたし

絶対に、すべてを救ってくれるひとなんて、いないの
それでも救いたい
あなたも救いたかった
こんなにも光溢れる世界で
ひとり泣く人がいたら悲しいから

あなたのような人を見ると、胸が痛い
今なおすべては嘆きに満ちて
なのにわたしの手はあまりに小さいの
神、と名前のつくはずなのに
――もう届かないのね、あなたの悲しみにも

雨よ、雨よ、降れ
すべての悲しみに慈しみを、愛を
眠ればもう苦しまなくていい――そんなささやかな安寧しか、与えられないけれど



●言祝ぎの娘(かみ)
 しず、しず、と。
 鬱蒼とした木立には不似合いな足取りで、向日水・厄介(雨降り・f20862)は往く。
 不幸な少女が此処で嘆いていると聴いたのだ。
 それが骸の海から蘇った者であったとしても、厄介にとっては関係ない。
 誰であろうと、何であろうと、その者の死に侍り、一生を言祝ぐことを定められたのが、厄介。
『あたしはずっと駄目なまんま。かみさまなんて、いない』
「――そうかもしれないの」
 然して熱をも光をも超越した瞳で世界を視る娘は、寂しさの狭間を静かに歩き。耳にした嘆きに、その足を止めた。
 かみさまは、いない。
 少女の嘆きは、正しいかもしれない。
 だって≪神様≫は誰かを救っても、神様をすくってくれる≪ひと≫はいなかった。
 そうして死んだ女の――次が、厄介だった。
「絶対に、すべてを救ってくれるひとなんて、いないの」
『――っ、』
 来ないで、と拒絶されるより早く、厄介は少女の手を取る。
 身長はさほど変わらない。眼鏡越しの瞳が、オブリビオンらしくなく怯えて歪んだ。
『っ、わかった顔、しないで! あたしの気持ちは、あんたなんかにわかるわけない!』
 決めつける言葉に、厄介の裡がぎりりと軋みを上げる。しかし厄介は更に一歩歩み寄り、繋ぐ手に力を込めた。
 全てを救ってくれるひとなんて、いない。
 それでも救いたいと厄介は望む。
 この少女も、救いたかった。
 影に支配されたような森にも木漏れ日が注ぐように、世界は光に溢れているのに。ひとりで泣くひとがいるなんて、悲し過ぎる。
「あなたのような人を見ると、胸が痛い」
『き、きれいごと、いわないでっ』
 跳ね返されても、厄介は諦めない。退かない。
 光溢れていても今なお嘆きに満ちる世界。だが厄介の手は、世界に対してあまりに小さ過ぎる。
 ≪神≫と称されるもののはずなのに。
「――もう届かないのね。あなたの悲しみにも」
 理解っている。少女の嘆きは、終わったもの。救うどころか、掬い上げることさえ叶わぬもの。
「見ていて?」
 手は離さず、厄介は謳うように唱えた。
 ――雨よ、雨よ、降れ。
(「すべての悲しみに慈しみを、愛を」)
 届かぬものへも届けようと、優しい雫を大地の隅々まで染み渡らせる。
 少女の頬にも、肩にも降ったそれに、嘆くばかりであった少女はやがて輪郭を失い、消えて逝く。

 果たして救いになったろうか?
 眠ればもう苦しまなくていい――そんなささやかな安寧しか与えられないことが、厄介の胸をつきりと痛ませた。

大成功 🔵​🔵​🔵​

ファルシェ・ユヴェール
仄暗い洞穴
似た雰囲気の場所には憶えがあります

寒冷な険しい山岳の故郷に居た頃
叱られた時、独りになりたい時
隠れ場所は決まって、枯れた坑道の奥深く

珍しい宝石を名産に
その峻険ゆえに吸血鬼の支配も逃れ得た地は
迫害され逃げてきた子供がダンピールであっても救い上げ
術の素養を見出せば、弟子として育ててもくれた
けれど

――宝石に眩んだ人買いは秘術を知る者を拐い
残されたのは坑道に隠れた、ダンピールの子供

今でも思い返すのです
隠れず抗う事も出来たのではないか
子供であろうと、制御が苦手であろうと
秘術はこの手にもあり、血の力を振るう事も出来た

圧政を逃れ得た筈の地は、ひとの手で滅んだ
其れは、回避出来る未来では無かったか――



●暗がりの子供
 泣き声が聞こえた気がして覗きこんだ洞穴の中は、似た雰囲気の場所に憶えがある風景だった。
 嘆きの主は臆病なのだろう。己の隠れ家へ踏み入ってきた誰か――ファルシェ・ユヴェール(宝石商・f21045)に対し、すぐに姿を現すことはなかった。
 代わりに、嘆きが暗がりにこだまする。
 少女の声は、声変りを前にした少年の声にも似ていて。
 ふと、ファルシェの脳裏に『似る』だけではない光景が重なり――蘇る。
 此処よりもずっとずっと寒い場所。
 そこは険しい山岳にあるファルシェの故郷。
 叱られた時、独りになりたい時。ファルシェは決まって、枯れた坑道の奥深くに身をひそめた。
 珍しい宝石を名産とする地だった。
 あまりの峻険ぶりに、ヴァンパイアの支配からも逃れ得る地だった。
 迫害にやっとの思いで逃げ込んで来た子供がダンピールであろうと、救い上げ。術の素養を見出せば、弟子として育ててもくれた地だった。
 苦しみしかない世界に於いて、数少ない『救い』のある地だったと言えるだろう。
 だというのに。
(「……人が、人を」)
 鳴りやまぬサイレンじみた少女の嘆きに、ファルシェの心が引きずられる。
 営業用の笑顔なぞ、とっくに消え去っている。
 ――宝石に眩んだ人買いは、秘術を知る者を拐っていった。
 残ったのは、坑道に隠れて難を逃れてしまったダンピールの子供ひとり。

(「今でも、思い返すのです」)
 居合わせなかったから、惨状を目にしたわけではない。
 だが拒まなかったはずもない。
 ならば、己が。子供であろうと、制御が苦手であろうと、既に秘術を手にし、血の力を振るうことも可能であった己が。
(「隠れず抗う事も出来たのでは……?」)
 理不尽な主。ヴァンパイアの圧政を逃れ得た筈の地は、ひとの手によって滅ぼされた。
 苦難に喘ぐ≪ひと≫が、同じ≪ひと≫を食い物にした。
 あの、悲劇は。
(「回避出来る未来では無かったか――」)

 嘆いても、悔いても、時は巻き戻らない。
 心臓を鷲掴みにされるが如き痛みに、ファルシェの視界は真っ赤に染まった。

大成功 🔵​🔵​🔵​

エンティ・シェア
木漏れ日の爽やかさに似合わぬ陰鬱加減ですね
貴方達に興味なんてありません
殺すことが、僕の仕事ですので

――そう、罪の有無なんて知りません
僕はただ殺すだけ
手を下すだけ
救いを乞う目も呪いのような恨み言も全部無視をして
息の根を、止めるだけ
仕事ですから
仕事、ですから

だから…だから、どうぞ恨んでください
恨んで、そうして、早く、僕を…
僕を、殺せと言ったじゃないか
どうして僕はまだ生かされてるんですか?

ちがう そうじゃない
どうでもいい、どうでもいいんです

色隠しを、使います
理想にしか縋れない、中身のない貴方達なんて、そう、こわくなんてない
殺しておしまい
それでいい
僕は、何もかも知らないままでいい
あぁ…早く、殺さないと



●終わらせましょう
 夕映えが如き髪の隙間から、エンティ・シェア(欠片・f00526)は木漏れ日を振り仰ぐ。
 汗ばむでなく、凍えるでなく。気候的には清々しい限り。
 だのにチラチラと光粒を纏う陽光の爽やかさには不似合いな陰鬱さが、この木立を支配している。
 勿体ない、というより、無駄な損失――という気がしないでない。
 しかしエンティはその何れにも興味はないとでも言うように、ひょいと肩を竦めたかと思うと、見つけた人影めがけ矢のように駆け出した。
 何故なら、殺すことが≪僕≫の仕事だから。
(「――そう、罪の有無なんて知りません」)
 エンティの接近に気付いた少女が、身を翻す。
 まるで狼に追われるウサギだ。だが少女にウサギの脚力も敏捷性もなく。時折、木の根に躓いては、スカートについた泥を払う間もなく再び走り出す。
(「僕はただ、殺すだけ」)
 見る間に詰まる距離を、次第に大きくなる少女の背中を、エンティは無感動に観る。
 振り返った瞳と、目が合った。
 どちらが世界に仇為す存在なのか分からなくなるくらい、怯えた視線を放られた。
「来ないでよ! 来ないで! 世界は、なんて、ひどい!」
 上がる息の間に、少女が悲痛を叫ぶ。
 でも、それら全部を。救いを乞う目も、呪いのような恨み言も、全部、全部、全部無視して、エンティは手を下すために少女へ肉薄する。
 ――仕事ですから。
 ――仕事、ですから。
「だから……だから、どうぞ恨んでください」
『え?』
 思わぬエンティの訴えに、少女の足が止まった。
 眼鏡の奥の瞳が丸まり、驚きを顕わにする。
 その眼は、続いたエンティの台詞に、いっそう見開かれた。
「怨んで、そうして、早く、僕を……僕を、殺せと言ったじゃないか。どうして僕はまだ生かされているんですか?」
『――え?』
 先ほどとは僅かに音色を異にする疑問符が、少女の口から転げ出る。
 だがそんなもの、エンティは聴いてはいない。あと一息で手が届くほどの場所に少女は居るのに。
「ちがう、そうじゃない」
『あな、た……?』
「どうでもいい、どうでもいいんです」
『っ!? 知らないっ。知らない! あなたもあたしの気持ちなんて、わからないっ』
「もう、終わらせましょう」
 会話は、噛み合わない。会話にさえ、なっていない。
 この男は、自分のことなど見ていない――多くの疑問を抱えながらも、唯一察した真実に少女は声を荒げてエンティの精神を蝕もうとするが、そんなのお構いなしの体でエンティは黒熊人形に封じられた拷問器具の封印を解く。
「理想にしか縋れない、中身のない貴方達なんて――そう、こわくなんてない」
 苦しませて、絶命させる得物を、エンティは容赦なく少女へ差し向けた。
 ――殺しておしまい。
 ――それでいい。
 聲がする。
 聲がする気がする。
(「僕は、何も知らないままでいい」)
 知らない、知らない。
 これは仕事、これは仕事、これは仕事、これは仕事、これは仕事、これは仕事、これは仕事、これは仕事、これは仕事、これは仕事、これは仕事、これは仕事――……。
「はぁ……早く、殺さないと」
 手を夕映えより鮮やかな朱に染め、≪エンティ≫は次のオブリビオンを探して木立を彷徨う。

 だってこれは、仕事だから。

大成功 🔵​🔵​🔵​

蘭・七結
トモエさん/f02927

『あなた』を失った喪失感
尽きることのない〝あか〟への渇欲
代用の効かない、渇いたココロ
―――ほしい、
わたしは、ナユは、今だって
『あなた』だけを、求めているの

嗚呼、悲しみの聲がきこえる
耳を塞いで遮断するのは簡単、だけれど
この聲から逃れることは、しないわ

完璧を求めるココロ
ナユには、よくわからないけれど
満たされたものだけが、美しいとは限らない
空に浮かぶお月様が、満ちて欠けるように
移ろうものだって、とても美しい
そうよね、トモエさん

彼女へと紡がれてゆく言葉
あなたの声色が心地よい
ナユのココロのなかへ染み渡る
信じること、受け止めること
ナユにも、できるのかしら
この、尽きることのない渇欲を


五条・巴
七結(f00421)と

夢を見るのはいいね。
僕もなりたい理想がある。
その為に出来る限りのことをしている...と、思う。
でも、どんなに頑張っても理想は常に高くて、近づいているのかも分からない。

でもね、僕はそれが楽しい。
悔しいと、惨めだと思う時もあるし、反省してばかりだ。
それでも、どんな道からも得られるものは必ずあると、信じてるから。

七結の言う通り、欠けてるからこそ美しいものもあるんだ。

君も、受け止めてあげてよ。
今の自分を、真正面から。

その先に、求める理想が違えど、姿勢が同じ人が、きっと現れるから。ね?七結。

君が僕らと同じように諦めないのなら、僕はまた、顔を上げた君ともう一度会いたいな。



●満ち欠け
 春には春の、夏には夏の、秋には秋の、冬には冬の花が咲く。
 世界はいつだって豊かな彩に満ちている。
 だけど蘭・七結(戀一華・f00421)の心にぽかりと開いた穴を、埋めてくれるのはいつも〝あか〟だけ。
 それさえも、渇いたココロを一時うるおすだけだけど。
 ――『あなた』を失った喪失感。
 冠するあかい牡丹、一花に。七結は木漏れ日を飾りながら、不幸を嘆く少女たちをじぃと見る。
『なんで? なんで?』
『どうして、あたしばっかり』
『何をやったって無駄なのよ』
 悲しみの聲に、裡の柔い部分が引き摺られる。
 嗚呼、嗚呼、嗚呼。
 耳を塞いで遮断することは容易いけれど、七結は敢えて聲から逃げぬ道を択ぶ。
 ――わかる。
 七結に深く根差し、尽きることのない〝あか〟への渇欲。それは代用の効かない、渇いたココロ。
(「わたしは、ナユは、今だって。『あなた』だけを、求めているの」)
 叶わないと知りながら、それでも、なお。求めて、止まない。満ち足りない心を抱え、骸の海より迷い出てしまった少女たちのように。
 真っ直ぐに向き合えば向き合う程、聲が深く、強く響く。
 ともすれば、捕らわれ堕ちてしまいかねない。けれど七結は一人じゃない。五条・巴(見果てぬ夜の夢・f02927)が共に、居る。
『夢は叶わない。いつだって現実を突きつけられるの』
「へぇ、夢を見るのはいいね」
 少女がただの少女であったらば、巴は微笑みだけで攻略できてしまったかもしれない。
「僕もなりたい理想がある。その為に出来る限りのことをしている……と、思う」
 まるで敵意を感じさせない笑顔と口振りで、巴は最も近くにいる少女へ歩み寄った。
「でも、どんなに頑張っても理想は常に高くて、近づいているのかも分からない――でもね、僕はそれが楽しい」
『――あなた、なにいって……?』
 両手まで広げる巴に、唯人ならぬ少女は眉を顰める。
 見た目には、年頃の少女だ。されど本質はオブリビオンに置き換わっているもの。凝り澱んだ怨嗟が解けることはない。
 猟兵である巴だって、そのことは百も承知。その上で、巴は見目好いかんばせを、懐柔の意図ひとつない爽やかな笑みで彩る。
「僕だって、悔しいと、惨めだと思う時もあるし、反省してばかりだ。それでも、どんな道からも得られるものは必ずあると、信じてるから」
 耳障りの良い巴の聲が、するすると七結の中へ沁みて来る。
 不幸を訴える少女みたいに完璧を求めるココロは、七結には理解できない。
 けれど――。
「満たされたものだけが、美しいとは限らない」
 まるでそこに白い輝きがあるかの如く、七結は木立の空を見上げた。無論、在るのは落葉の始まりつつある褪せた緑の天井。だが七結の瞳は、世にも美しきものを視る。
「空に浮かぶお月様が、満ちて欠けるように。移ろうものだって、とても美しい」
 夜を渡る船は、日ごと姿を変えて人の目を楽しませるもの。
 銀のススキ野原に在る心地を暫し味わった七結は、ゆっくりと目線を巴へ移す。
「そうよね、トモエさん」
「そうだよ――七結の言う通り、欠けてるからこそ美しいものもあるんだ」
 どうして、この二人は笑っているのだろう?
 何故、嘆かないのだろう?
 根底を揺るがされる困惑に、嘆く少女の表情が絶望に塗り潰される。
 果たして、理に反せぬ命を宿していた頃ならば、巴や七結の言葉に理解を示すことが出来たのだろうか?
 そんな仮定は、少女にとって残酷な過去。
「君も、受け止めてあげてよ。今の自分を、真正面から」
『う、受け止められるわけないでしょ!』
 泣き叫ぶように少女が金切り声を上げ、手を閃かせた。パチン、と響いた乾いた音色は、巴が頬を張られたせい。
「その先に、求める理想が違えど、姿勢が同じ人が、きっと現れるから」
 ――ね? 七結。
 対し、現世の輪廻の中を生きる七結には、巴が紡ぐ言葉は変わらず心地よい。
 波打ち際を洗うさざなみのように、引いては寄せて、寄せては引いて、優しく優しく、凝りを攫う。
(「信じること、受け止めること」)
 ――ナユにも、できるのかしら?
 ――この、尽きることのない渇欲を。
 視得ぬ明日は孵化する前の卵と同じ。
「君が僕らと同じように諦めないのなら、僕はまた、顔を上げた君ともう一度会いたいな」
 ――諦めない?
 嘆く少女は決して受け入れぬ巴の言の葉の全てを、七結は噛み締め、反芻し、自分の裡への問い掛けに変える――その前に。
 巴へ牙を剥いた少女を、七結は有刺鉄線の鎖で絡め取る。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

飛白・刻
何処迄も暗いその道は
己が育った地を
底に沈めた記憶を引きずり出すようで

最後の血の繋がりを絶たれたと同時
そこからは道具として扱われるようになった
元々が迫害種だ、遺された方が奇怪なことだが
年端の行かぬ子供でも使えると思ったのだろう

仇為す術を知らぬ子供は云われるが侭に
騙し騙しに独学で抗うだけの力を得た頃には
あまりに年月は経ち過ぎて
幾つ、何を、失ったのかも曖昧に

知があれば
力があれば
幼くとも何か出来たのではないかと
あの非力な細腕を守ることも

……或いは
自らを絶つ結末を選ぶことも
何度問うても答えなど無く

……煩ぇんだよ
負を重ねていくざわつく声の主達を
苛立ちを引き連れたままに斬りつける
それは過去か己か、まぜこぜに



●『if』
 冷え色の首筋に落ちた雫を、飛白・刻(if・f06028)は日差しなど知らぬような手で無造作に拭う。
 暗い、暗い、洞の中。
 入り口は既に遠く、陽光は既に余韻さえ絶えた。
 何処迄も続く闇色は、刻に己が育った地を――底に沈めた記憶を引きずり出すよう。
 ひたり、歩を進める毎に暗がりにかつての景色が映る。
 最後の血の繋がりを断たれたと同時に、刻は≪人≫ではなく≪道具≫として扱われるようになった。
 人並み外れた美貌を持って生まれた半人半魔は、元より世に馴染みにくい存在。オブラートに包まず言えば、迫害されることも少なくない種。
 寄る辺ないのに、遺されたことの方が奇跡に近く、稀有で奇怪な事であったのかもしれない。
(「――いや」)
 年端も行かぬ子供であったが故に、利用価値を見出されたのだろう。
 何せ子供は愛されるべき存在。無垢な存在。危険からは遠い存在だ。
 然して、仇為す術を知らなかった≪子供≫は、云われるが侭に生きて――否、生かされてきた。
 ただし子供は意外に強かなもの。この子供も、騙し騙しながらも独学で抗う術を学び、力をつけていた。
 ――為せる頃には、あまりにも年月が経ち過ぎていて。幾つ、何を、失ったのかさえ≪青年≫は曖昧にしか思い出せなくなっていたけれど。

(「知があれば」)
 無知であった頃の己を、刻は詰る。
(「力があれば」)
 無力であった頃の己を、刻は責める。
 もしも、もしも、もしも。知を持ち、力も有していたならば。喩え幼かろうが、出来たことはあったのではないだろうか?
(「あの非力な細腕を――守る、ことも」)
 いや、そんな高望みまではしない。
(「自らを絶つ結末を選ぶことも――」)
 全ては『if』だ。可能性ですらない、憐れな残滓だ。
 幾度問おうと、答えなぞ出るわけない。
 理解っている。理解っているのだ――それ、でも。それでも!
『なぜ、わたしは』
『どうして、誰も』
「……さっきから、煩ぇんだよ」
 まるで輪唱だ。延々と闇から垂れ流される嘆きの声を、刻は吐き捨てるように否定した。
 目はとっくに闇に馴染んでいる。
 隘路に潜もうと、抱えた答案用紙の白が、否が応にも目に飛び込んでくるのだ。
『ひどい、ひどい』
『あたしだって、救われたいのに』
『かみさまなんていないのよ』
『誰もあたしを救って――』
「――ッ」
 重ね連ねられる負へ募る苛立ちに任せ、刻は銘を持たぬ短刀を鞘から抜き放つ。
 振るう先は、当然オブリビオン――だのに、血花を咲かせれば咲かせるほど、刻は惑う。
 ――此処は、今か。
 ――それとも、?
 まぜこぜになる青年の手と、幼子の手。
 視界が、現在と過去の狭間でぶれて歪む。

大成功 🔵​🔵​🔵​

霧島・ニュイ
洞窟
ここに来れば、もしかしたら心の奥に沈めた悲しみが出てきて、記憶が戻るかもしれないと
賭けてみたつもりだった。
でも、浮き彫りにされたのは覚えている記憶だった。

今は人形として動かして共にいるリサちゃん。
彼女は、元は生きた羅刹……。
もともと親しくしていて、一緒に命からがら逃げ出してきたのだろう。
でも、気がついたときには彼女は横で息絶えていた。
思い出したのは、
辛すぎて僕の助けを拒絶してそのまま息を引き取った、そんな記憶。
…………。
拒絶するなんて許さない。
君はずっと一緒。
だから改造して傍に居させている。

【スナイパー】【騙し討ち】で機を伺い銃を撃つ
僕を忘れないで、リサちゃん。
武器を勿忘草にして吹雪かせる



●鬼棲みの闇
 いつもの霧島・ニュイ(霧雲・f12029)を知る人が居れば、きっとニュイ本人なのか疑っただろう。
 けれど此処は、重い闇の中。
 嘆きの声が聞こえて来るばかりで、他には何もいないし誰もいない。
 いや、ニュイの他にもうひとり。髪に椿の花を飾る、羅刹人形の少女が≪ひとり≫。愛くるしい面立ちに、小動物を思わす表情を浮かべて、ニュイのあとをちょこちょことついてきている。
「リサちゃん」
 名を呼んで、ニュイは彼女の所在を確かめた。
 大丈夫、傍にいる。
 それにしても、だ。此処へ来れば、心の奥に沈めた悲しみが浮かび上がって、失われた記憶が戻るかもしれない――なんて、賭けてみたつもりだったけれど。
 さめざめと泣く声と他者を羨む声に、己を蔑む声に浮き彫りにされるのは、失われていない記憶ばかり。
「リサちゃん」
 奥へ奥へと歩む足を止め、ニュイは小柄な少女人形の手を取った。
 果たして彼女が、元は生きていた羅刹だと信じる者はいるだろうか?
 今は人形としてニュイが動かし、共に居る少女。けれど始まりは、親しくしていた少女。
 きっと、命からがら逃げ出してきたのだろう――と、ニュイはぼんやり思う。
 だって気が付いた時には、彼女は己の横で息絶えていたのだ。
(「……」)
 じぃと物言わぬ少女を見つめ、ニュイは握る手に力を込める。
 何があったのかは、霞の彼方。想像の域を出ないことばかり。
 そんな中、唯一思い出したのは。辛すぎて、辛すぎて、ニュイの助けを拒絶して、少女が息を引き取ったということ。
(「……ゆる、さない」)
「………許さない。拒絶するなんて、許さない」
 胸の内に凝っていたはずの言葉が、いつしか喉を震わせ、反響する嘆きに混ざって洞窟内へ沁みてゆく。
「許さない。君はずっと、僕と一緒なんだ」
 だから、だから。
 ――ニュイは、彼女を、改造して、傍に、居させている。

 息を潜めて、嘆きの主を誘き出し。
 おどけて笑い、構えた冷たいマスケット銃を可憐な勿忘草の花弁に換えて、命奪う花嵐とし。
 心臓を引き絞られるような痛みと戦いながら、ニュイは闇の奥へ奥へと進んで征く。
「僕を忘れないで、リサちゃん」

大成功 🔵​🔵​🔵​

トトリ・トートリド
どうして、って、いつも思ってたころが…トトリにも、あった
もうぼんやりとしか思い出せないのは
思い出さないように、しまって
うつむいて、耳をふさいで、歩いてきたから

背中、向けられても
なにが悪いのかわからなかった
きらいだと言われることも、なじられることも、なかったけど
…沈黙のほうが、こわかった
本当の名前を呼ばれることも、なくて…忘れてしまう、くらい
トトリは、あの場所に、いないものだった

もやがかかる思い出
でも、トトリの中から消えることは、きっと…ない
…トトリも、もしかしたら…きみみたいに、なっていた、かも
岩群青の、空色の雨で
できるだけ優しく、終わらせたいんだ
悲しくて、痛いまま、終わるのは…かなしいから



●寡黙な背中
 温かな焚火を思わすトトリ・トートリド(みどりのまもり・f13948)の瞳が、薄く翳る。
 ――どうして?
 溜め息に混ぜたような少女の嘆きに、胸がきゅうと引き絞られたからだ。
 どうして、と。
 いつも思っていた時期が、トトリにもあった。
 過ぎ去った日々の記憶だが、輪郭が曖昧なのは時間のせいだけではない。
(「思い出さないように、しまって」)
 知らず、トトリの視線が足元へ落ちた。
 まだ乾き切らない落ち葉の中、すっかり枯れた色が一枚、やけに目についた。
(「うつむいて、耳をふさいで、歩いてきたから」)
 形も大きさも同じだ。元は共に一つの木陰をつくっていただろうに。色が異なるだけで、全く違うもののように見えてしまう。
 トトリは、その感覚を憶えている――。

 背中を向けられた理由が、トトリには分からなかった。
 何か悪いことをしたのだろうか?
 首を傾げても、何も言われる事はなかった。
 だからいっそう、何が悪かったのか、分からなかった。
 みんなから、嫌いだと言われることもなかった。責め立てられることも、詰られることもなかった。
 なんにも、なかった。
 あったのは、沈黙だけ。
 その沈黙がトトリは、怖かった。責め立てられるより、詰られるより、突き付けられるより、怖かった。
(「……こわかった」)
 名前さえ、呼ばれなくなり。
 トトリはいつしか、自分の本当の名前を忘れてしまった。
 名前は、呼ばれて初めて意味を持ち、人を形作る特別になる。だから誰も呼んでくれなければ、名前は意味のないものとなり、あった筈の≪個≫が失われる。
(「それくらい……トトリは、あの場所に、いないものだった」)
 靄がかかるほど、遠い思い出だ。
 トトリはもう≪トトリ≫であり、その名を呼んでくれる人がいる。
 それでも。どれだけ優しさに、温もりに包まれても、トトリの中から≪トトリ≫になる前の『こわい』が消えることは、きっと――ない。

「ごめん、ね」
 君の気持ちが分かるとは言わず、トトリは視線を上げて嘆く少女を眼に映し、≪トトリ≫が作った『色』を鞄の中に探す。
「……トトリも、もしかしたら……きみみたいに、なっていた、かも」
『かもって、何? 結局だれもあたしを救ってなんかくれないんでしょ? だってあたしは、駄目な人間だから』
 少女の甲高い悲鳴が、またトトリの心を貫く。
 しかし今度は目を反らさず、魂の感覚で探し当てた青を指に乗せ、戦化粧を施す。
「この雨は、空の涙」
 青が残る指先を、つと少女へ向ける。降り出した慈雨は、トトリの肩は濡らさず、少女だけに静かに注ぐ。
 出来るだけ、穏やかに、優しく、終わらせたかった。
 少女の嘆きを癒せるなんて、烏滸がましいことは思わないけれど。これ以上、悲しくて、痛いまま、終わらせるのは、もっともっとかなしい気がしたから。
『    』
 雨に絵の具が洗い流されるみたいに消えた少女が遺した言葉は、トトリの耳には届かない。
 踏み出した足元では、渇き切っていた落ち葉がほんのり濡れていた。

大成功 🔵​🔵​🔵​

黒谷・英壱
木々が茂る中、その嘆きに耳を傾ければ
いつしか共に過ごしていた友を思い出す

物心がついた頃からあいつは居たのは覚えてる
俺とは正反対の調子の良い性格なのに不思議と憎めなくて
他人から見れば仲良しな凸凹関係にも見えただろう

だからこそ何処か弱い部分があったり頼っていたのかもしれないし、
いいように甘えてた自分に後悔も残る
あの日、もしも今よりも、いや同じでもいい
それほどの力があればあいつを取り戻せただろうか

……「なぜ」?、「どうして」?
ああ確かに「かみさま」はもういない
だからつらいんだよ!

段々と耳障りになるその嘆きに向かい
湧き出る怒りに身を任せ炎の矢を放つ


この世界へ来るたびに、どうしてこうも意識してしまうんだ



●『当たり前』の裏返し
 葉を落とし始めた木々は、見上げるとすきっ歯のようだ。
 きっと夏より差し込む陽光の量は増えている――なのに寒々としている。
 被るフードが脱げてしまわぬよう押さえていた手を体の脇へと降ろし、黒谷・英壱(ダンス・オン・ワンライン・f07000)は振り仰いでいた視線を周囲へ馳せた。
 ちらちら、と。物陰から此方の様子を窺っている少女たちがいる。
 そのいずれの口も揃って零すのは、内容に多少の違いはあれど『嘆き』だ。
 世界が嘆きの海に沈んでゆく。漂う英壱もまた、心を嘆きに引きずられる。
 思い出すのは、今よりももっと幼い時分。
 英壱には、いつしか共に過ごすようになっていた友がいた。それが何時からなのかは定かではない。しかし物心ついた頃には――。
(「あいつは、居た」)
 性格は、英壱とは正反対。でも、不思議と憎めなかったのを英壱は今も憶えている。
 傍から見れば、仲の良い凸凹関係だったのかもしれない。
 共にあるのが当たり前だった。
 当たり前すぎて、存在について深く想い馳せることはなかった。
 だって、≪当たり前≫に共に在ったのだ。
(「だからこそ、何処か弱い部分があったり」)
(「頼っていたのかもしれないし」)
 ぐるぐると、英壱の視界が回る。回り回って、過去へ過去へと心が押し流される。後悔に、捕らわれる。
 知らず、甘えていた自分がいた。
(「もし、あの日」)
 今よりも、いや同じくらいでもいい。
 ≪力≫を英壱が持っていたならば。
 ――あいつを、取り戻せただろうか?
 当たり前は、裏返ってしまった。当たり前は、当たり前でなくなってしまった。

『なぜ、わたしは』
 ――なぜ?
『どうして、誰も』
 ――どうして?
『かみさまなんて、い――』
「それに答えられたらこんなにも考え込まないだろ!」
 繰り返される嘆きへ、英壱は腕を振り払った。生まれた炎は矢と化し、耳障りな音を発し続ける少女たちを貫いてゆく。
 英壱の内側から、怒りが湧き出ていた。
 痛みに端を発する、怒りが止め処なく溢れ続ける。

(「この世界へ来るたびに、どうしてこうも意識してしまうんだ」)
 骸の海から還ってくるものは居るのに、過ぎた時間は還らない。
 当たり前の日々もまた、同じに――。

大成功 🔵​🔵​🔵​




第2章 ボス戦 『碑文の断片』

POW   :    災の章
「属性」と「自然現象」を合成した現象を発動する。氷の津波、炎の竜巻など。制御が難しく暴走しやすい。
SPD   :    妖の章
【猟兵以外のあらゆる存在が醜悪な怪物】に変化し、超攻撃力と超耐久力を得る。ただし理性を失い、速く動く物を無差別攻撃し続ける。
WIZ   :    神の章
【召喚した邪神の一部が、動く物に連続攻撃】を発動する。超高速連続攻撃が可能だが、回避されても中止できない。
👑11
🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

種別『ボス戦』のルール
 記載された敵が「1体」出現します。多くの場合、敵は、あなたが行動に使用したのと「同じ能力値」の戦闘方法で反撃してきます。
 それらを踏まえつつ、300文字以内の「プレイング」を作成してください。料金は★0.5個で、プレイングが採用されなかったら全額返金されます。
 プレイングが採用されたら、その結果は400文字程度のリプレイと「成功度」で表現されます。成功度は結果に応じて変化します。

 大成功🔵🔵🔵
 成功🔵🔵🔴
 苦戦🔵🔴🔴
 失敗🔴🔴🔴
 大失敗[評価なし]

👑の数だけ🔵をゲットしたら、次章に進めます。
 ただし、先に👑の数だけ🔴をゲットしてしまったら、残念ながらシナリオはこの章で「強制終了」です。

※このボスの宿敵主は桑崎・恭介です。ボスは殺してもシナリオ終了後に蘇る可能性がありますが、宿敵主がボス戦に参加したかつシナリオが成功すると、とどめを刺す事ができます。
※自分とお友達で、それぞれ「お互いに協力する」みたいな事をプレイングに書いておくと、全員まとめてひとつのリプレイにして貰える場合があります。


●理不尽(かみさま)
 少女たちの嘆きを超え、目についた洞を辿った猟兵たちが、道に迷うことはなかった。
 導くように、闇が重さを増しているのだ。そう感じるくらい、“負”が凝っている。正しくあろうとする者の心さえ、歪めるほどに。
 それでも猟兵としての責務を胸に――半ばそれを支えに――猟兵たちは、奥へ奥へと進む。
 そうして目にしたのは、獰猛な獣でもなく、神を騙る醜悪な者でもなく、ただの欠片だった。
 碑文、が刻まれているのだろう。
 幾つかに割れたそれには、淡く輝く文字が浮いている。
 でも、読むことは出来なかった。読もうとするだけで、精神が破壊されるような苦痛に襲われるのだ。

 ――理不尽だ。

 意思も持たぬような欠片でありながら、少女たちの嘆きに護られ、寂寥の地を更に歪めようとしている。
 人智を超えた其れは、まるで『かみさま』だ。
 こんなものが、破綻を招く。人を狂わせる。
 まるで貴いもののような形(なり)をして。

 災いを操り、妖を従え、『神』の一部であるという其れを前にして、胸に湧く感情は如何なるものか。
 生々しい『痛み』の記憶を抱えたまま、理不尽の極みと対峙し、何を思うのか。
 超えてゆくことを望むのか。
 折れながらも、抗うのか。
 ただ否定を叫ぶのか。

 ――渦巻く嵐は、心の顕れ。
冴木・蜜
私を責める声が止まない
どろどろと身体が融けていく
人型が維持できない

覚えています
忘れられるわけがない

死した人々の並ぶ惨状を
責め立てる言葉を
独房の温度を
底のない絶望を すべて

勿論 悔いていない訳ではありません
意図していなかったとはいえ
私の薬が多くの生命を奪ったのは事実
理解しています
私は罪人だ
…私が、殺したのです

でも
だからこそ
私はずっと抱き続けたこの想いを
手放すわけにはいかないのです

たとえ
罪人と罵られても
人外と誹られても
傷付こうとも

私は未だ薬ではないかもしれない
それでも私は、――救いたい

この死毒にも救えるものがあると信じたい
己の体から揮発した毒霧を操り
この理不尽を終わらせる



●罪過の手
 何が書いてあるのかさっぱり読めぬ碑の文字だけが、やたらと輝いて見える暗がりで、蜜は人の形を失っていた。
 どろどろ、どろどろ。
 最初は指先、次いで腕、脚、肘、肩。頬がこけるように削げ落ちて、髪だったものは黒い雫となって足元に溜まりを作っている。
 無数の声が、今やあるやなしやの蜜の聴覚を繰り返し突き刺す。
 責められている。
 糾弾されている。
 まとわりつく重い声が、思念が、蜜から人型を保つだけの余力を奪っていく。
 ――覚えています。
 忘れられるわけなどないのだ。
 死した人々が並ぶ惨状は、灰色の境界を思わせた。
 そこに慰め労わる神の手はなく、ただ蜜を責め立てる言葉だけがあった。
 独房の温度をも、蜜は記憶している。
 底のない絶望も余すことなく全て――すべて、すべて、すべて、すべて。喩え身を象る黒の一片は何処へ置き忘れようとも、負った罪過のすべてを蜜は忘れることなどありえないほど鮮明に覚えている。
 ころり。冷たい地べたに転がる紫の一対は、蜜の眼球であったものだ。今、唯一感情が現れるそれは、黒の溜まりに静かに沈む。
(「勿論、悔いていない訳ではありません」)
 意図していなかったとはいえ、蜜の薬が多くの命を奪ったのは覆り様のない『事実』。
(「理解しています」)
 ――私は、罪人だ。
(「……私が、殺したのです」)
 蜜が、殺したのだ。
 裏切りがあったとしても、蜜の薬が、蜜の手が、人を模した手が、人を殺めたのだ。
 でも、だからこそ。
(「私はずっと抱き続けたこの想いを、手放すわけにはいかないのです」)
 紫を連れたタールが、ずるりと地を這う。視得ているのは、緑の燐光。理不尽なるものが放つ光。
(「たとえ、罪人と罵られても、人外と誹られても――傷付こうとも」)
 嗚呼、そうだ。蜜は罪人だ。人外だ。されど人の心は持っている。その心は、忘れ得ぬ記憶にいつまでもじくじくと痛むけれど。いや、痛むからこそ蜜は進むことを諦めずにいられる。
(「私は未だ薬ではないかもしれない」)
(「それでも私は、」)
 ――救いたい。
 願いは一つ。想いも一つ。希求する唯一無二を心に抱き、蜜は砕けた碑の断片のひとつを見据え、黒い己で包み込む。
 ――おやすみなさい、さようなら。
 唱えは裡にのみ響かせ、しかし発揮した死を齎す毒で理不尽の塊を侵す。
 全ての理不尽を終わらせられるかは分からない。
 だが目の前の理不尽は、必ず。
 華やかな秋の裏側の寂寥は、拭い去ってみせる。
 自らの死毒にも、救えるものがあるのだと信じる為に。

 緑の燐光が薄らぎゆく。
 傍らで紫の双眸が力強く輝いていた。

大成功 🔵​🔵​🔵​

ファルシェ・ユヴェール
隠れた子供は
皆を助けに行く事が出来なかった
その理由は何処までも自分本位

人々の前に晒せなかった――
あの闇の世界で
怖れられるヴァンパイアそのものの如き真の姿を

差し伸べられた手に縋りながら
信じる事が出来ていなかった

まだ見ぬ拒絶を怖れた癖に
然し未練の如く
拐われたなら、目当てが秘術なら
何処かで生きている筈と、恩師を、彼等を探す
罪滅ぼしにもならぬと解っていながら

けれど
其れでも諦める訳にはいかない
まだ
恩ある人々に何ひとつ報いることが出来ていないのだから――

この手に「不屈」の煙水晶を握り締め
顔を上げたなら
かつて自ら怖れた、この血の力を

ひとに寄り添わぬ力は
ひとに向けられれば災禍
その力が神であろうと、人であろうと



●『不屈』
 穏やかな紫を湛える瞳の色が変わっているのを、ファルシェは理解していた。
 ――此処は本当に、あの場所に似ています。
 濃い邪気に身の裡をしんと冷やしながら、ファルシェは真紅の眼で、世事など我関せずとでも言わんばかりの緑の燐光を見据える。
 今の己は、ヴァンパイアそのものの姿になっているだろう。
 余人の気配を近くに感じつつ、一帯を包む闇が視界を隔ててくれていることに、ファルシェはどこかで安堵を憶えていた。
 何故ならファルシェは――隠れていた子供は、人々の前に姿を晒せぬという自分本位極まりない理由から、皆を助けにゆけなかったのだ。
 だってあの闇の世界では、ヴァンパイアは怖れられるもの。忌むべき支配者。
 ……でも。
 そんな世界にあって、あの場所はファルシェを受け入れてくれたのに。
 そしてファルシェは、差し伸べられた手に縋ったのに。
 そのくせに、ファルシェは信じきれずに恐れたのだ。
 いや、信じることが出来ずにいたのだ。
(「滑稽ですね」)
 まだ見ぬ拒絶を怖れた子供を嗤い、ファルシェは碑の欠片へゆっくりと歩み寄る。
 怖れ、見捨てたにも関わらず。子供はかそけき希望に縋って長じた。

 拐われたなら、目当てが秘術なら。
 何処かで生きている筈。

 恩師を、彼等を探す理由は未練の如く。罪滅ぼしになどなりはしないと解っていながら。
 けれど、其れでも。ファルシェは諦めることを己に許すことは出来ない。
 未だ、何一つ。恩ある人々へ報いることが出来ていないのだから――。
「――」
 あと一息で碑片に爪先が届く寸前、ファルシェは視線を足元へ落とした。
 途端、幻の業火がファルシェの身を灼く。
 じりと肌が焦がされる感覚を味わいながら、ファルシェはトランクの中から目当ての宝石を取り出し、強く握り締めた。
 仮初の灯りに、煙がかったような色彩が煌めく。
 折れぬ心を――不屈の精神を齎す、煙水晶。宿された力を頼りにファルシェは顔を上げ、かつて自ら怖れた血の力の真価を解き放つ。
 宝石を商う者が携えるに相応しい杖が、一振りで鋭い矛先を顕わにする。
 ひとたび閃かせれば、放たれた風の刃がファルシェを包む炎と碑の欠片を切り裂く。

 ――ひとに寄り添わぬ力は、ひとに向けられれば災禍となる。
 ――その力が神であろうと、人であろうと。

 なれば己は災禍になるまいと、ファルシェは暗がりの支配者を絶ち砕いた。

大成功 🔵​🔵​🔵​

渦雷・ユキテル
はじめに言葉ありき、なんて
人があなたを造ったのに
いつの間にか振り回されてるのって滑稽ですね

淡く光る文字
白い部屋の向こうに見えてたモニターみたい
大人は画面に並ぶ文字と睨めっこ
あたし達の顔なんて見ずに、機械が齎す啓示だけを信じてました
そんなものが生き死にを決めて、成か否か振り分ける
皆それが正しいと
神様の選択を疑いもしなかったんです

実験体同士のお喋りはいつでも許されてた訳じゃない
痛くて苦しくて泣きそうなとき
大人に気付かれないよう繋いでくれた彼の手は温かくて
何も言わなくたって
祝福や、宣告や、神様がくれるどんな言葉よりも確かだった
あたしのさいわい。今も探してるただひとり

電流込めた銃弾をどうぞ、かみさま



●かみさまへの贈物(ギフト)
 暗い洞穴内に淡い光が見えた。
 新緑にも似た色は、確かに『かみさま』のようだ。
 ――けれど。
「はじめに言葉ありき、なんて」
 仄かな灯に頬を照らし出し、ユキテルはくすりと笑った。
「人があなたを造ったのに。いつの間にか振り回されてるのって滑稽ですね」
 その在り様は己と何が違う?
 文字である以上、刻んだ者がいるはずだ。勝手に浮かび上がってきた可能性もなくはないが。
 でも『此れ』の始まりが、人の手であったなら。
 『此れ』に額づき、崇める人々の居る今の何と皮肉なことか。
 また一歩近づき、ユキテルは読めない文字を見つめる。
 どことなく覚えのある光景だ。
(「ああ、そうです。これは」)
 光の文字に、現在と過去が重なった。
 白い部屋の向こうに見えていた、モニターに並ぶ文字たちもこんな風だった。
 難しい顔をした大人達は、いつもそれらとばかり睨めっこ。
 計測されたあらゆるデータを見落とさぬよう目を瞠り――けれどその視線は一片たりとてユキテルらに向けられることはなかった。
 まるで機械が啓示を齎すよう。そして大人達はその機械の従順なる信徒。
 ユキテルらの生死は、機械が定めるものとなり。機械こそがユキテルらの『成』と『否』を振り分ける。
 機械が下す神託を、疑う者はいなかった。
 それこそが正しいのだと、皆が思っていた。
 神様(きかい)の選択の宣託によって、ユキテルらの世界は成り立っていた。

「ねぇ、かみさま?」
 また一歩、ユキテルは踏み入る。
 感じた敵意にか、文字が激しく輝き、神罰がユキテルの髪をなぶって肌を引き裂いた。
 しかしそんなもの、ユキテルはこれっぽっちも痛いと感じなかった。
(「実験体同士のお喋りはいつでも許されてた訳じゃない」)
 未だユキテルの視界には、過去が灯る。
 ――痛くて苦しくて泣きそうなとき、大人に気付かれないよう繋いでくれた『彼』の手は温かかった。
 ――何も言わなくたって、祝福や、宣告や、神様がくれるどんな言葉よりも確かだった。
(「あたしの、さいわい。今も探してるただひとり」)
 ユキテルにとって最も尊いものは決まっている。
 ユキテルを動かすのは、神様でも機械でもなく、たったひとつの理由。
 だからユキテルは、迷わされない。
「あたしからの贈物をどうぞ」
 使い慣れた自動拳銃の引金にユキテルは指をかける。ダブルアクション式だ、15発の弾丸を放つのに苦はない。
 然してユキテルは人に形作られた理不尽(かみさま)へ、電撃を帯びた破滅を贈る。

大成功 🔵​🔵​🔵​

ジャスパー・ドゥルジー
【狼鬼】
理不尽、ね
何でザザがいつも冷静なのか
少しだけ判った気がするぜ

なァ、ザザ
万一あの夢が真実で
もう一度同じ選択を突き付けられたとして
俺はやっぱり、同じ選択をする
あんたが含まれていたって変わらねえ

生きたい
死にたくない

これでも俺を「優しい」だなんて言えるかい
――はは、俺は変態だがあんたも変人だ
おもしれえな

あんたは忘れてねえんだろ
強いよな
俺は、どうだろうなァ
何せ一度ぜんぶ忘れちまった奴だからなァ

でも、覚えていたいとは想うぜ

【なぁ、俺を殺してみろよ】
武器を投げ捨て敵に告げる
【ほォら、抵抗しねえぜ】
言葉の正体はUC
効けば相手は動けねえし
効かなかったら宣言通り受けてやるよ
死なねえから

ほら、逃がすなよザザ


ザザ・クライスト
【狼鬼】

「理不尽って何だろォなァ、ジャスパー?」

煙草の紫煙を燻らせる
努力すれば報われるか?
清貧に生きれば救われるのか?
才能に恵まれたら幸せか?
この世は理不尽の塊さ

ジャスパーの言葉に唇を吊り上げる
オレだってそうする
生きたいし死にたくねェ

「オマエさんなら覚えてるだろ」

縛られるワケじゃねェ
囚われるワケでもねェ
オレの死をも喰らって踏みつけた事を忘れねェ
手が血に汚れてるのを知っている
それが優しいって事さ

「無かった事にされたら寂しィじゃねェか」

碑文を見つめる
相変わらず読めやしねェが、

「全部だ」

超える事を望み、無様でも抗い、生きたいと死を否定する
全部抱えて先を往くぜ

「アリーヴェデルチ」

オレはトリガーを引いた



●渇望
 ジャスパーの闇に慣れた目に、紫を帯びて棚引く煙が映る。出処を追えば、煙草を燻らすザザの口元へ辿り着く。
 その皮肉に歪められた唇が、ふぅ、と飽いた息を吐き出す。
「理不尽って何だろォなァ、ジャスパー?」
 煙草を摘まんだ指先から傍らのジャスパーへ視線を移しながら、ザザは詮無いと知ることへ思考を巡らせた。
 努力をすれば、報われるだろうか?
 清貧に生きれば、救われるのだろうか?
 才能に恵まれたら、幸せだろうか?
 ――答えは、全て否だ。現実はそんなに生き易いものではない。
「つまり、この世界は理不尽の塊さ」
 肩を竦め、鼻を鳴らすザザの仕草に、ジャスパーは「理不尽ね」と反芻しつつ、彼の男がいつも冷静な理由が少し判った気分を味わう。
 そしてそんなザザに、ジャスパーはふと胸に落ちた確信を差し出す。
「なァ、ザザ。万一あの夢が真実で。もう一度同じ選択を突き付けられるとして――俺はやっぱり、同じ選択をする。あんたが含まれていたって変わらねえ」
 生きたいのだ。
 死にたくないのだ。
 喩え、何人を犠牲にしたとしても。
「なァ。あんたはこんな俺を『優しい』だなんてまだ言えるかい」
 ジャスパーの喉がくつりと鳴ったのは、己を嘲る為だ。けれどそんなジャスパーに対し、ザザは至極楽しそうに唇を釣り上げる。
「ンなの決まってんだろ。オレだってそうする。生きたいし死にたくねェ」
 改めて考え直す必要などなかった。
 何故なら、それこそ人の本性。剥き出しの魂の形。それに――。
「オマエさんなら覚えてるだろ」
 生きる糧としたものを、ジャスパーならば忘れはしまい。忘れぬことで罪の意識が芽生え、苦しみにのたうち回ることになろうとも。
「縛られるワケじゃねェ。囚われるワケでもねェ。オレの死をを喰らって踏みつけたことをジャスパーは忘れねェだろうよ。何があっても、手が血に汚れてるのを知ってる」
 ――それが優しいって事さ。
 疑いなど微塵も抱かぬザザの直球ぶりに、ジャスパーは僅かに鼻白んで――磊落な声を上げた。
「――はは、俺は変態だがあんたも変人だ。おもしれえな」
 稀有な縁なのかもしれない。
 だが難しく考えるより、単純な興味の方が勝る。
「ザザ、確かにあんたは忘れてねえんだろ。強いよな。けど、俺はどうだろうなァ。何せ一度ぜんぶ忘れちまった奴だからなァ」
「そうか? ケドよ、無かった事にされたら寂しィじゃねェか」
「……」
 酷く歪んでいるようで、カラリとしたザザの気配は心地よきもの。然してジャスパーは刹那迷った言葉を、決意を喉の奥から絞り出す。
「――でも、覚えていたいとは想うぜ」
「ほらナ! そう想う時点で、やっぱりオマエさんは優しいってことさ」
 優しさは、口をぽかんと開けてまっていたって訪れやしない。
 そうありたいと願うだけで、何処かに無理は生じてしまう。それをおして尚、願い続けることは、やはり『優しい』ということに他ならない。本人がどれだけ己を疑ってかかっていても、だ。
 理不尽なことのない世界なんて存在しない。
 足を竦ませている暇があったら、前に進んだ方が幾ばくか心も晴れる。
 行く手を阻むものがあったとしても。
「っつーわけで、だ」
 ちらりとザザは燐光を放つ碑を何の気なしに見遣った。
 浮かび上がる文字は、変わらず読む事はできない。
 ――超えてゆくことを望むのか。
 ――折れながらも、抗うのか。
 ――ただ否定を叫ぶのか。
 絶対的な理不尽を前に、ザザの導き出す解は単純明快。
「全部だ」
 超える事を望み、どれだけ無様で、地を這いずろうとも、抗い『生きたい』と『死』を否定する。
「俺は全部抱えて先を往くぜ――アリーヴェデルチ」
 火の点ったままだった煙草を再び咥え、ザザはいかなる神話生物にも傷を与えるという狙撃銃を無造作に構え――気負いなくトリガーを引く。
 迎え撃つかの如く吹き荒れた嵐に、細くなっていた煙草の火が掻き消されるが、対価としては安いものだ。全身に穿たれた傷は、言わずもがな。
 先んじて生き様を見せたザザに倣い、風を掻き分けジャスパーも碑の欠片へ向い合う。
『――なぁ、俺を殺してみろよ』
 全身のあちこちに仕込んだナイフを、じゃらじゃらと音を立ててジャスパーは地面へ落とす。
『ほォら、抵抗しねえぜ』
 丸腰を装う唱えは、惑いを招く力ある言葉。
 動きを封じられたことを戸惑った碑片――石のくせに!――が不満を訴えるよう文字を瞬かせるのを、ジャスパーは心の底から嘲笑う。
「ほら、ザザ。もう一発だ。逃がすなよ」
「はぁ? 誰に言ってんだよ」
 いま一度引かれたトリガーに、理不尽の欠片は、キモチイイくらい木っ端みじんに砕け散る。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

雨糸・咲
輝く文字を追うまでも無い
とても、いやな感じ
猟兵として、為すべきこと――破壊に躊躇いは必要無い

こうしなければ
こう在らなければ
それはまるで義務だと
そんな生き方は息苦しかろう、と言われたこともある
けれど、義務を杖としなければ立っていられない

いっそ手を放して
崩れ落ち、朽ちて消えてしまえば楽だろうと知りながら
或いは願いながら
それでもしがみついているのは私自身

身勝手で愚かだと思うけれど
私は…

いなくなってしまった大切なひとたちの代わりに
誰かの心の中に、居場所が欲しい
爪跡を残したい
口には出せないひみつの願い

今は、まだ、このまま…

さや、と、囁く声で喚んだ花精が輝く文字を暗闇へ散らす様を
身動ぎもせずじっと見つめた



●今は、まだ
 暗闇に浮かび上がる新緑の文字は、夜の街を煌びやかに彩るイルミネーションのようだ。
 けれど咲は文字を追うことなく、すっと目を眇める。
 ――とても、いやな感じ。
 直感で、そう思った。
 これは良くないモノ。砕かなければならないモノ。
 意思もつ『モノ』だ。在り方は、ヤドリガミたる咲とそう遠くないのかもしれない。それでも対象の破壊に、躊躇いを抱く必要はない。
 何故なら、咲は猟兵なのだ。
 オブリビオンは須らく骸の海へと還すもの。
 猟兵とは、そうあるべきもの。
 そこで、ふと。咲は思った。自分の在り様と、猟兵の在り様の何と近しいことか。
 ――こうしなければならない。
 ――こう在らねばない。
 まるで義務だ。そんな生き方は息苦しかろうと、云われたことさえある。
 それでも咲は、今の生き方に拘り続ける。だって『義務』を杖としなければ、立っていることさえ儘ならないのだ。
 己を縛るものがある。
 歩む先を定める道がある。
 踏み外さずにいられれば、咲は≪咲≫として生きていられる。
 いっそ全てを手放して、崩れ落ちて、朽ち果ててしまえばどれほど楽だろう。
 心を失い、形を喪い、何にも思い悩むことのない無に帰すのだ。
 さぞや晴れやかだろう。自由だろう。軽くなれるだろう。
 そのことを識り――或いは、そうありたいと願いながらも。みっともなく今の在り様にしがみついているのは、他の誰でもない咲自身。

 ――身勝手で、愚かだと思うけれど。
 それでも、それでも。
 私は……。

「花の慰めをあのひとへ……」
 砕けた欠片の一つを咲は秋にさざめく稲穂のような瞳で見つめ、力を紡ぎあげる。
 ――いなくなってしまった大切なひとたちの代わりに。
 ――誰かの心の中に、居場所が欲しい。
(「爪跡を、残したい」)
 嗚呼、嗚呼。何と罪深い欲だろう。しかしそれは『人』としての必然。
 だが咲はそれをまだ『ひみつの願い』として、胸の奥にそっと押し込める。
「力を貸して」
 咲の声に呼ばれた花精が、新雪を撫でる風のようにさやと吹き、悪しき意思持つ文字を雪いでゆく。
 ちらちらと、新緑が散り、六花が舞う。
 美しくも見える光景を、咲は身動ぎさえせず両の眼に映す。

 ――今は、まだ、このまま……。

大成功 🔵​🔵​🔵​

霧島・ニュイ
……欠片。
ぽつりと零せば怒りがこみ上げる
誰かが書いたような何かに踊らされた気がして

神様風情が
ゆらゆら揺らめいているだけなのに、人を壊して満足かい?
そんな神様に期待した僕も滑稽だ

【二回攻撃】【零距離射撃】【傷口をえぐる】
つかつかとやってくると、近距離で射撃
吸血鬼(真の姿)を使って数多く攻撃して
抉って抉って壊して壊して――
粉々になって痛みを感じながら、なくなれば良い
(*ナチュラルにサイコパス
リサを動かすのは忘れてる)

リサちゃんは僕と一緒
僕が区切りがつくまで。つかない限り一緒にいられる

僕は抱えて生きていくよ
たとえ鬼のような闇だと言われたとしても
それを抱えて
最終的にどうなったとしても
それが僕だと云う



●『僕』
 御大層な身分のように転がっている欠片を前に、ニュイの顔からは表情が抜け落ちた。
「……欠片」
 ありのままを現す言葉を口にすれば、ふつふつと怒りが込み上げてくる。
 こんな、ものに。誰かが書いたような何かに、踊らされてしまった心地をニュイは奥歯で噛み締めた。
 予め結末が決められたシナリオを、ただなぞっていただけとでも言うつもりなのか。
 自分の意思で歩いてきたと思った道のりが、人を無造作に運ぶ動く通路であったのか。
「――神様風情が」
 侮蔑も顕わに、ニュイは文字が光るだけの石ころをねめつけた。
「ゆらゆら揺らめいているだけなのに、人を壊して満足かい?」
 こんな神様に期待してしまった自分自身が、ニュイは滑稽で堪らなくなる。
 救ってなどくれない神様。
 たった一人のための道など示してくれない神様。
 人の心など持ち合わせない、傲慢な神様。
 ニュイは言葉を忘れたように無言で、碑片へ渇いた足音を立てて歩み寄った。
 目についたなかで、最も大きな欠片だった。
 それに対しニュイはマスケット銃を構え、銃口をぐいと押し当てる。
 抗う意思が文字より炎の風を迸らせた。烈火がニュイを呑む。だがニュイは焼かれる痛みなぞ気にする風は無く、指をかけたトリガーを引く。
 零距離射撃に、碑片が砕けて文字が散る。
 そこへニュイは畳みかけて銃弾を放ち続けた。
 穿たれた址が、更に抉られ、深い罅と化せば、狙いは執拗なまでに一点に絞られる。

 ――抉って、抉って。
 壊して、壊して、壊して、壊して――。

 笑い出していないことが不思議とさえ感じる何かにとり憑かれながら、ニュイは緑から真紅――ヴァンパイアを象徴する彩に転じた瞳を爛々と輝かせた。
「粉々になって、痛みを感じながら、なくなっちゃえばいいんだよ」
 母親に似た美しい面差しに、狂い鬼の微笑を刷いて、ニュイは銃を火吹かせる。
 動かすことをすっかり忘れたリサは、それでも変わらず傍らに置いたまま。
 ――リサちゃんは、僕と一緒。
 ――僕に区切りがつくまで。
(「つかない限りは、ずっとずっと……永遠に、一緒だよ」)

 ニュイの生き方は、おかしい。狂っている。
 しかしニュイは、誰かに自分の生き方を『鬼の様な闇だ』と称されても、抱え続ける覚悟がある。
 全てを抱えて、往く。
 最終的に、どうなったとしても。
「それが僕だと、僕は云う」

大成功 🔵​🔵​🔵​

華折・黒羽
理不尽など今までに幾度と晒されてきた
この身体は研究と称しあらゆる調べ施され
好奇の目に晒され痛めつけられ
ひとたび暴走し化物の姿となれば蔑まれ殺されそうに

やっと得た幸福な居場所さえ
燃やされ殺され奪われた

何故あの人達が傷つかなければいけなかった?
何故あの子が奪われなければいけなかった?
何故
何故
なぜ
答えは至極単純

俺が、俺だから

歪な身で誰かと穏やかに触れ合う事を望んだから
あの優しさを望んでしまったから

…でも

─ねえ、朔様

未だ見つからぬあの子を思う
桜の似合う綺麗な人

どうしよう、俺…
幸せだって思う事が…増えたんだ…

泣き出しそうに震える声
過るのはいつだって
また失う事への恐怖と痛み
縋る様に屠の刃先が敵へ向けられた



●“幸せ”
 闇に呼ばれるように洞の奥へ奥へと歩みを進めた黒羽は、理不尽の権化を目にした瞬間、哀惜や諦念を超える何かに飲み込まれた。
 “理不尽”など、黒羽は怖れない。
 此れ迄も、嫌というほど理不尽に晒されてきたのだ。
 様々な獣が掛け合わされた身体は、研究という大義名分を掲げた者たちの手によって調べ尽くされた。
 それが人道に悖るものであったのは、火を見るよりも明らか。
 好奇の目に晒された。身も、心も、痛めつけられた。
 ひとたび暴走し、化物の姿となってしまえば――蔑みの目を向けられ殺められそうにさえなった。
 あらゆる艱難辛苦を経て、ようやく黒羽が得た幸福な居場所さえ、燃やされ、殺され、奪われた。
「何故」
 ――何故あの人達が傷つかなければいけなかった?
「何故」
 ――何故あの子が奪われなければいけなかった?
「何故」
 ――何故。
「何故」
 ――何故。
「何故」
 ――なぜ?
「…………、っは」
 繰り返す問いを途切れさせたのは、黒羽自身の苦し気でありながら自嘲めいた吐息。
 だって答は至極単純。
(「俺が、俺だから」)
 優しい人たちの幸いを壊したのは、黒羽自身。
 歪な身でありながら、分不相応に『誰かと穏やかに触れ合う事』を――あの、優しさを望んでしまったせい。
 黒羽がそんなことを望まなければ、優しい人たちは今も穏やかな陽だまりを日常としていただろう。
 理不尽になぞ見舞われなかっただろう。
 ……でも。
「――ねえ、朔様」
 未だ見つからぬあの子を、黒羽は思う。
 桜の似合う綺麗な人だった――いや、綺麗な人。
「どうしよう、俺……幸せだって思う事が……増えたんだ……」
 人の幸いを奪っておきながら、人を不幸にしておきながら!
 それなのに、今の黒羽は。ひとりじゃなくて。幸せを、覚えてしまって、いる。
 けれど、けれど、けれど。
「朔、様」
 絞り出した声は、泣き出しそうに震えていた。
 脳裏を過る、過去の残影。
 幸せが、また失う事への恐怖と痛みを連れてくる。
 どうして、世界は、こんなに理不尽なのか――そう、外を糾弾するだけの自負を未だ持てぬ黒羽は、縋る心地で黒剣を握り締めた。
 刃を、かみさまへ向ける。
 ――これ以上の破綻と狂気は要らない。
「花が枯れ堕ちるまで、──動くな」
 染み出す凍てた冷気に、理不尽を謳う文字が氷ついた。

大成功 🔵​🔵​🔵​

エンティ・シェア
人の形をしていない物を壊すだけなら
余程、気が楽です
囮代わりにもうひとりを喚んで走り回らせておきましょう

…これが例えば人だったとしても、関係ありませんでしたね
壊すだけ、殺すだけ
虐げて苦しめて、上手に上手に、断末魔を響かせるだけ
人が人を貶めることを好む、物好きな方々の娯楽のために
そう、それが、僕の仕事…でした

――なんだ
『知って』みれば、かつてより今の方が痛むものがない
だって、対峙するのは明確に敵だと判別できるもので
護るためという大義があって
随分、簡単なことだ

綺麗なものも醜いものも、纏めて殴ればいいんでしょう
粉々にしてしまえば、いいんでしょう
問題ありません。僕の仕事です
鈍器の扱いは、割と得意ですので



●大義名分
 闇に塗り込められた洞窟は、どこまで続いているか定かではなく。
 不安を煽るには好都合な暗がりの果て、ようやく目にした灯――理不尽なかみさが発しる光に、エンティの心臓は全身に血を巡らす圧を僅かに弱めた。
 見てくれは、幾つにも割れた石だ。
 文字が放つ力に、意思に似たものを感じないではないが、明らかに『人』ではない。
「さぁ、好きに暴れておいで?」
 内側に唱え、具現化させたもう一人の己を、エンティは碑片のひとつへ走らせる。
 途端、かみさまであったものが醜悪な鬼へと変じた。四肢を持ち、頭も胴もある、人の形を模した禍々しい妖に。
 けれどあくまで元は石くれだと判っているものだ。
(「余程、気が楽です」)
 敵としては先ほど邂逅した少女らの方がよほど面倒だったと、過ぎ去りし時を振り返るエンティの瞳に二つの影が映る。
 駆けるもう一人のエンティが、妖に組み付くとみせかけ、すぐに距離をとった。フェイントについていき損ねた妖の、刃を重ねたかの如き手が空を切る。
 ヴン、と。余波が生んだ衝撃が、エンティの頬を掠め、深まる秋色の髪の先を疎らに散らす。
(「――いえ」)
 滲んだ血を指の腹で拭い、エンティは己が思考に潜む過ちを正しにかかる。
 ――ちがう。
 人型であろうがなかろうが、対峙する相手への心持が変わるような自分ではない。
 ――壊すだけ、殺すだけ。
 そうだ。
 虐げられるだけ虐げて、苦しめるだけ苦しめて、恐怖と絶望に顔を染めさせて、そうして上手に上手に断末魔を響かせる。
 女子供の叫びは、文字通り絹を引き裂くような高音のソプラノだった。
 屈強な男も、生娘が如き啼き声だった。
 そういうものを好む――人が人を貶めることを娯楽とする好事家のために、エンティは『人』を壊し殺し続けた。
(「そう、それが、僕の仕事……でした」)

「――なんだ」
 かみさまを睥睨したエンティは、そこで新たな扉を開く。
 『知って』みれば、かつてより今の方が痛むものがない。
 だって相対するモノは、須らく『敵』だと明確に判断し得るものばかり。
 エンティには、正義という免罪符が与えられている。誰かの娯楽の為とかいう不道徳なものではない、立派な立派な大義名分だ。
 護るために、戦うのだ。
 護るために、壊すのだ。
 護るために、殺すのだ。
「――随分と、簡単なことだ」
 誰に聞かせるでなく――おそらく己自身へも――呟いて、エンティは指先に残る血を瞬く間に鈍重な拷問器具へと転じさせる。
「綺麗なものも、醜いものも。ぜんぶ纏めて殴ればいいんでしょう」
 心臓は羽が生えたように軽やかだ。
 然してもう一人の自分を追い、エンティは妖に迫り、鈍器を振り上げる。
「粉々にしてしまえば、いいんでしょう」
 問題ない。
 それがエンティの――僕、の仕事だ。
「鈍器の扱いは、割と得意ですよ」
 謳うように囁き振り下ろす一撃に、形を保てなくなった碑片は≪かみさま≫の力と在り様を失う。

大成功 🔵​🔵​🔵​

清川・シャル
己を救うのは己自身のみだと思うんですよ
それは過去になにかを成し遂げてきた自分自身
だから私は誰かの力になれるとも思ってないし、救えるとも思ってない
ただ、この忌み嫌われた自分でも、生きていくのに必要だったから身につけた力でも、誰かの何かのきっかけになるなら。
それは自分自身も立っていられる証明になる
呪詛と祝福は表裏一体
私の身体は呪詛を取り込んで力にするから、取り込んだ間は人に触れられないけど
終わったら、きちんと浄化して、いつもみたいに笑っています
もしかしたら寿命を削りすぎたり呪詛を浴びすぎたりするかもしれない
それでも私は、前に進む
背中に傷は作らないから
生きた証をその身に刻むまで、走り続けます
大丈夫



●『1歩ずつ』
 かつ、かつ、かつ、かつ。
 先の見通しがきかない暗がりを、一切の惑いを感じさせぬ足取りで進んだシャルは、理不尽なかみさまの耀きを、何の感慨もなく目に映した。
 シャルはかみさまなんて欲していない。
 救って欲しいとも、思わない。
 だって――。
(「己を救うのは己自身のみだと思うんですよ」)
 それは、過去に何かを成し遂げて来た自分自身。
(「だから私は、誰かの力になれるとも思ってないし、救えるとも思っていない」)
 年の瀬にようやく十三になる娘が、易々と到達できる結論ではない。ともすれば、終生悟りをひらけぬ人間だっているだろう。
 シャルが達観できてしまったのは、ある種の不幸なのかもしれない。
 けれどシャルは世の不条理を受け止め、もう前を向いてしまっている。
 されど全てから己を切り離しているわけではない。他者との関わり合いを、捨てたわけではない。
 ――この忌み嫌われた自分でも。
 ――生きていくのに必要だったから、身に着けた力でも。
 誰かの『何か』の『きっかけ』になるのならば。シャルはその為に走るし、得物を振るう。
 差し出せるのは、あくまできっかけ。
 そこから踏み出すか否かは、当人次第。
(「自分自身も立っていられる証明にもなります、から」)
 そして『今』も、証明する時。
(「父様母様、力を貸して下さい」)
 血に眠る二人へ呼びかけ、棘唸る重量級の得物を握り締め、シャルは理性を手放す。
 分かるのは、屠るべき相手と、刻一刻と命が失われてゆく感覚。
 碑片のひとつ目掛けて、一足飛びに駆ける。襲い来た氷の槍は鬼こん棒で叩き落し、尚も加速。
 呪詛と、祝福は、表裏一体。
 シャルは呪詛を取り込み、力とする。故に、取り込む間は人に触れることをシャルは自身に禁じ。
 ――でも、全てが終わったら。きちんと浄化して、いつもみたいに笑うから。
 命を削り過ぎれば、取り返しのつかないことになるかもしれない。
 呪詛を浴び過ぎたら、戻れなくなるかもしれない。
(「それでも、私は前に進む」)
 愚直なまでにまっすぐな軌跡を鈍器に描かせ、シャルは碑片へ渾身の一撃を叩きつける。
 鋼と未知の鉱石がぶつかりあう衝撃に、シャルの手がビリリと痺れた。しかし追撃を加えるべく、シャルは止まらない。
 抗いの槍をシャルは全て正面から受ける。
 ――背中に疵は作らない。
 ――生きた証をその身に刻むまで、走り続けます。
 だから。
「私は、大丈夫」
 悲壮なまでの決意を胸に、シャルは一歩ずつ前へと進んで征く。

大成功 🔵​🔵​🔵​

蘭・七結
トモエさん/f02927

月の引力、妖し力
じわりと滲んだ言葉
ナユのあおいお月さま
あなたに、魅せられたの

指輪に口付けようとしたその刹那
ぱりんと割れて弾けた柘榴石の彩
砕け散った鈍く暗い輝き
ただ静かにみつめていた
――嗚呼、どうして

あなたの聲がきこえない
あなたの姿がみえないの
『かみさま』、――さま
もう一度、いいえ
幾度と罪を重ねたとしても
ナユは、あなたを求めているのに

渇欲のままに彷徨う牡丹一花の刃
屠り求めるようにただただ貫いて
たとえ、美しくない演舞だとしても
狂おしく愛おしい〝あか〟を魅せて

ええ、本当ね
お月さまが、きれいだわ
あなたのおかげよ、トモエさん

――嗚呼
喉が、かわく
口にできない〝血〟の色を、求めている


五条・巴
七結(f00421)と

僕が誰かに影響を──

七結の言葉に驚く間もなく
彼女がかみさまと繋がる"それ"が壊れてしまった。

けれどもう、七結が冒した罪は既に彼女にとって罪にあらず。
迷子のような瞳は一筋の道を捉えていた。
敵を見すえる瞳はより紅く

求め続ける姿は恋する少女のそれだ。

七結をフォローするように弓を構えて
"明けの明星"
僕が焦がれる色とおなじ、神鳴を轟かせる。
たとえどんなに責められようとも、
七結にとってこの先が明るい場所であるように。
彼女のゆく道に幸あらんことを願う。

今まで見てきた美しい舞とは違う。
けれど今の七結は生き生きとしていて・・・
嗚呼、月がきれいだね。



●『渇欲』
 月の引力、妖し力。
 じわりと七結の裡に滲んだ言葉。
 ――ナユの、あおい、お月さま。
 ――あなたに、魅せられたの。

 終わりの見えない洞の暗がり。冴え冴えとした碑片の文字は、さながら月の光の如き光を放つ。
 華奢な鎖をしゃらりと歌わせ、通した指輪を七結は掬い上げ。そっと、そっと唇を寄せよとした刹那。異変は、不意に訪れた。
「――嗚呼、」
 ぱりん。
 乾いた音を立て、割れて弾けたのは指輪が戴いていた柘榴石。元より褪せた彩は、細かく砕け散って鈍く暗い輝きを残す。
「どうして」
 起きた現実を受け止めきれないのか、七結は手の中から零れていく光をただ静かに見つめていた。
 ――嗚呼、どうして。
 ――どうして、どうして。
 どれだけ呼び掛けても、聲は還らない。
 ――あなたの聲が、きこえない。
 ――あなたの姿が、みえないの。
「……『かみさま』……」
「………、――さま」
 おねがい。
 もう一度。
 いいえ、幾度となく罪を重ねたとしても。
「ナユは、あなたを求めているのに」

 ――僕が誰かに影響を……。
「っ、!?」
 巴に七結の言葉に驚く猶予は然程なかった。
 だって突然、七結がかみさまと繋がる“それ”が壊れてしまったのだ。
 事態を飲み込めぬよう七結がぼんやりしていたのは一瞬。何かに取り憑かれたように七結は、あかい牡丹を一花冠した刃を閃かせ始めた。
 渇欲のままに、彷徨っているだけにも見える。
 無造作な軌跡は時に碑片を逸れて、理不尽なかみさまが発する赤々とした炎に七結を晒す。
 けれど巴の目には、そうは映らない。
(「……もう。七結が冒した罪は、既に彼女にとって罪じゃない」)
 赤みを帯びた紫眸は迷子のようでありながら、一筋の道を捉えている。
 敵――真実の神ではなく、オブリビオンを見据える双眸は、徐々に紅く、紅く、紅く輝き出している。
 求め続ける姿は、恋する少女のそれ。
 狂おしく堕ちた罪人のものではない。
「七結……煌めく夢を見せてあげよう」
 きっと今の七結へ声は届かないだろう。分かっているから、巴は彼女への理解を実践で示す。
 構えた弓は、さながら三日月。
 呼び覚ます力は、明けの明星。無数の矢を番え、巴が焦がれる色と同じ神鳴を轟かせる。
 彗星のように翔けた矢が、七結を襲う炎を貫く。さほど広くない洞窟内は、瞬く間に巴色に染まった――唯一、七結の進むべき道を残して。
(「たとえどんなに責められようとも」)
 ――僕は。
(「七結にとってこの先が明るい場所であるように」)
 ――君のゆく道に幸あらんことを願う。

「――トモエさん?」
 纏わりつく炎の鬱陶しさから解放されて、瞬きするほどのほんの一時。意識を他所へ向けた七結は、しかしまたすぐに渇欲に呑まれて舞う。
 それは巴がこれまで見て来た、美しい舞とは次元から異なるもの。
 屠り求めるようにただただ貫くだけの、直情的な刃舞。静謐な美しさからは遠い演舞。
 だのにどうしてか、七結の命の息吹を感じさせてくれる戦舞。
 灰色の髪に、花と緑と赤の光を飾り、いっそ奔放なまでに舞い尽くす。
 駆ける脚は伸びやかに、振るう腕はしなやかに。七結そのものが、ひらりはらりと舞う紅い花弁になったように。
 七結は、舞う。
 狂おしく、愛おしい“あか”に焦がれて。

「嗚呼、月がきれいだね」
 砕けた碑片が散らす光は、細い三日月。
「ええ、本当ね。お月さまが、きれいだわ」
 あなたのおかげよ、トモエさん――そう微笑みながら、七結は喉のかわきを抑えきれない。
 ――嗚呼、嗚呼。
 ――喉が、かわく。
 渇いて、渇いて、渇いて、しょうがない。
 それほどに、七結は。口にできない“血”の色を、求めている。

 渇きを癒してくれるのは、誰?
 少なくとも、理不尽な≪かみさま≫ではない――。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

黒谷・英壱
『かみさま』
俺が覚えている限り、あの施設に居た頃やたらと聞いた単語だ


『かみさま』は魂にまず宿り
そう願えばひとつ生まれ
悪へは『ばつ』の印を下し
人々は『かみさま』を崇める


なあおっさん
俺が意味を聞くたびに、何故か悲しそうに笑ったりしてなだめていたよな
今の俺によく似ていたおっさん
もし今も生きてたら答えてくれたのか?

俺に残されたのは、この読みたくても読めない碑文のような
記憶と記録だけなのか?
あいつの事ももっと知りたいのに、それも出来ないのか?


目の前に視線を向ければ
まるで思い出せないけど見た事があるような、怪物
気付いたら体が動いていたが、心ここにあらず


多分あいつとは近いうちに会うかもしれない
そんな気がする



●『かみさま』とは
 蛍火のように文字が浮かび上がっている。
 幾つにも割れた碑片の一つ、途絶えることなくびっしりと何かが書き連ねられたものを見据え、英壱は脳裏に過ぎ去った日々の記憶を蘇らせた。
 『かみさま』
 あの≪施設≫に居た頃、やたらと耳にした単語だ。

 『かみさま』は魂にまず宿り。
 そう願えばひとつ生まれ。
 悪へは『ばつ』の印を下し。
 人々は『かみさま』を崇める。

(「なあ、おっさん」)
 新緑色の光は、まるで魂の光だ。
 映写機みたいに投影される思い出の影の中から、英壱はひとりを択び取る。
 『かみさま』とは何なのか。
 その意味を英壱が問う度、何故だか悲しげな笑顔で宥めようとしてくれた人。
 今の英壱に、よく似ていた人――それが『おっさん』。
(「もし今も生きてたら、答えてくれたのか?」)
 わからない、わからない。
 あの頃より成長した今ならば、悲しい笑顔で誤魔化されないかもしれない。
 わからない、わからない。
 何も変わらず、幼子のように遇されるのかもしれない。
 わからない――わかりようがない。全てが仮定過ぎて、憶測することさえ儘ならない。
 唯一わかっているのは、英壱に残されているのが眼前の碑文のようなものだけということ。
 読みたくても読めない、そんな記憶と記録たち。
(「あいつのことも、もっと知りたいのに。それも出来ないのか?」)
 知りたいのに『かみさま』は教えてくれない。
 さも訳知り顔で、ただそこに在るだけ。
 願いの元に生まれてくるはずなのに、願いなんてこれっぽっちも叶えてくれない!
 理不尽の権化だ。美味な餌を鼻先に吊るしているのに、与えるつもりなんて微塵もない。
「――」
 怒りなのか、悲しみなのか、形容しがたい感情が、英壱の中で膨らみ暴発する。
 知らず、手が百獣の王の頭部に転じていた。
 だらりと涎を垂らす顎を、碑片へ向ける。途端、文字が強く輝き『怪物』が英壱の前に立ち塞がった。
(「……」)
 まるで思い出せない。でも、どこかで見たことがあるような、そんな怪物だった。
 しかし『どこか』を追求するだけの余剰は英壱の中にはなく。衝動に突き動かされるように英壱は『かみさま』に牙を突き立て、無に帰さんと砕く。
 一撃ごとに、文字が力を失い光が消える。
 ひとつ、ひとつ、またひとつ。英壱の裡へ吸い込まれるみたいに。
 そうしてすべての文字が消えた時、天啓にも似た閃きが芽生える。

 ――多分、あいつとは近いうちに会うかもしれない。

大成功 🔵​🔵​🔵​

ジャック・スペード
確かに侭ならないこと、辛いことも多いが
――世界は理不尽だけじゃないだろう
お前が神ならば、俺は其の在り方を否定しよう

痛みが齎すのは絶望だけじゃない
痛みを知る程にヒトは優しく成れる筈だ
それに、胸が痛む度に此のこころは豊かに成る
仄暗い想いを知って尚、感情を得た事は後悔して居ない
寧ろ替えの効かない存在に、少しずつ近づけていると思えるんだ

理不尽は超える事が出来る
そして其の先に幸福が有るのだと
――俺はそう信じたい

災は脅威だが、上手く御せない所が欠点か
ならば恐れることはない
フェルナントに攻撃を封じさせよう
その隙を突いて、勇気を胸に捨て身の一撃
涙淵の斬撃であの碑文を破壊してやる
お前はお役目御免だ、「カミサマ」



●信じる『こころ』
 洞窟を支配する闇に懐かしさを覚え、ジャックは立ち込める重い空気が宇宙(そら)に似ている事に気付く。
 無重力ではない。けれど感じる邪気には、容易に命を奪う圧がある。
(「俺は放り出されたくらいでは、壊れなどしない機械だったがな――」)
 正常な心の持ち主なら、この闇を怖れるだろう。すすんで近づくような事はあるまい。
 つまり、ここは深部。
 猟兵としてと、数多のヴィランと戦うダークヒーローとしてと。両方の経験から察する結論にジャックはセンサーの感度を引き上げ――人工の光じみた耀きに、臨戦態勢へと移行する。
 文字が刻みつけられただけの、ただの石――しかも幾つにも割れた――に視得るモノだ。
 こんなものを少女らは守り、崇め、縋っていたのか。
 救うどころか、答えてさえくれない石くれを。
 確かに、世界には侭ならないことで溢れている。辛いことも少なくない。
(「――だが、理不尽だけじゃないだろう」)
 痛みが齎すのは、絶望だけではない。
 痛みを知る度に『ヒト』は優しく成れる筈だと――ヒトでなかったジャックは知っている。
 痛みを知らぬものは、傲慢な獣(ケダモノ)。ヒトと呼ぶに値せぬもの。
 痛みを抱えるのは、辛いだろう。苦しいだろう。
(「それでも――此の、こころは。痛むたびに、豊かに成る」)
 其れの所在を確かめるよう、ジャックは左手を胸に押し当てた。
 全身スキャンをかけても計測できないものが、そこに在る。
 嘗ては持ち得なかったもの。稀有なる出逢いの果てに、宿ったもの。
 仄暗い想い知って尚、感情(こころ)を得た事をジャックは後悔していない。後悔するはずがない。寧ろ、替えの効かない存在に少しずつ近付けているとさえ、思えているのだ。
「だから俺は。お前のような神は、在り方そのものを否定する」
 胸に当てていた手を下ろし、代わりにリボルバーの銃口を碑片へ向ける。直後、文字の耀きが膨れ上がり、象られた炎の構造をジャックは見抜く。
 揺らぐもの、一つに留まらない物。自由が効く四肢を持たぬ神ならなおさらに。
「一点突破すればいい」
 然して迷わず炎の壁に男は身を投じたかに見せ、唱えた。
「――矜持を示せ、フェルナント」
 弱みを実証するのを門として、鷲獅子が虚空より出でて金色の鉤爪で碑片の力を封じ込める。
 ――理不尽は、超える事が出来る。
 ――そして其の先に幸福が有るのだと……俺は、信じたい。
「お前はお役御免だ、『カミサマ』」
 淡い緑の燐光に、白縹が閃く。抜かれた刀は刃に天竺葵を彫り咲かせ、理不尽なるかみさまの片を、骸の海へと誘った。

大成功 🔵​🔵​🔵​

飛白・刻
【SPD】

進めど進めど光は見えず
苛立ちと不快感をより深めながら

傍から見ればただの石片
あるのはただそれだけ
それだけなのに
全てを狂わせるだけの
闇を増幅させ続けるだけの
なにかが

過去はどう嘆き足掻くも変わらぬもの
それでも
わずかながら確かに覚えた色を光を
少しずつ知り得た心を温もりを
それまで否定するのは踏み躙られるのは

最期まで抗い守ろうとした
あの非力な細腕を忘れることは、

したくないのだ、と

なにも求めなかった己が
求めたものを

物言わぬそれの力を得て
形を変えたそれを目掛け蜜毒を放つ
そちらはただ抑えつけるだけの役割に
朧月に全てを任せて
思い切りに


……ifならば
己が灯りを求め捉えることとて



●朧月
 近くに余人の気配はある。
 だのに遠く隔てられているように感じるのは、この闇の洞を支配する『かみさま』の仕業だろうか。
「――ッ」
 舌打ちしたい衝動を、眉を顰めて押し殺し、刻はただただ暗く昏い世界を往く。
 時間の感覚が、曖昧になってきていた。
 さほど時間は経ってはいるまい――と理性は告げているが、本能的な部分が惑う。
 いつまでたっても光が見えぬ。
 闇が抱く怨嗟が四肢にまとわりついてくるようで、肉を纏った内側の、更なる内側がざわざわと蠢いている。
 募り深まるのは、苛立ちと不快感ばかり。
 然してようやく邂逅した『かみさま』に、刻は訳もなく叫び出したくなり、喉を爪で掻く。
 傍目には、ただの石片だった。
 幾つにも砕かれた、石片――碑片は、文字が連ねてあるだけの、無機物。
(「それ、だけなのに」)
 たった、それだけなのに。
 ようやくの光でもある緑の燐光が象るものを目で追うだけで、内側に嵐が巻き起こる。
 全てが狂わされる。
 世界を埋め尽くす闇ではなく、内側に飼いならす闇が、無意味に、無造作に、増幅されていく。
 そんななにかが『かみさま』で。人の運命を易々と翻弄し、蹂躙しようとしている。
 未来が、塗り潰される。
 善なるものの全てが、消し去られてしまう。
「三つ……毒、の」
 上顎から喉仏を経て、辿り着いた赫い絲に指先をひっかけ、刻は唱え吐き出す。
 過去は、どう嘆き、足掻こうとも変わらぬもの。
 それでも、わずかながら確かに覚えた色を、光を。少しずつ知り得た心の温もりを。
 ――それまで、否定するのは。踏み躙られるのは。
 ――最期まで抗い守ろうとした、あの非力な細腕を忘れることは。
(「したくない」)
 なにも求めなかった刻が、唯一求めたものを。
 忘れたくないと、他でもない刻が望んだから。塗り潰されたくないと、闇に圧されたくないと、願ったから。
「蜜の味を」
 絞り出すようだった聲が、暗がり凛と響いた。
 刻の力に呼応した碑片はおぞましき妖に姿を転じたが、刻は迷いない動作で毒絲を、毒針を、毒牙を投じて『かみさま』のなれのはての動きと力を封じる。
 されど、これで終わらせるつもりはない。
 封じるのは、ただの抑え。
 本命は――先ほど血花を咲かせた刃。
 闇に刃の軌跡が、朧月を描く。心の臓を貫けば、硬い石が砕けた手ごたえ。

(「……ifならば」)
 己が灯りを求め捉えることとて――。

大成功 🔵​🔵​🔵​

リル・ルリ
🐟櫻と人魚

靴が好きでずっと憧れてた

脚に固執するようになったのは
櫻の元恋人の幻影に言われてから
何も成せぬ男な上に同じ地も歩めぬと
悔しくて悲しくて痛くて堪らなくて
君のくれた靴を履きたい
僕だって横を歩けると証明したい

勝手な嫉妬と悲嘆だ

櫻の着物に包まれ抱えられ
安全そうな場所…僕を置いて1人で戦う気だ
灼ける喉に脚の痛み役立たたずな僕
きっと嫌われて…

足に触れる硝子の靴
櫻の優しい言葉に笑顔
僕…硝子の靴、履いてる
零れる雫は偽物じゃない
脚に煌めく靴
嬉しい

だけど
それより大切なのは櫻宵だ
僕の願いを受け入れてくれた

痛み越え歌うのは「花籠の歌」
唯一の武器
花筏を尾鰭で蹴って
櫻に抱きつき守る
理不尽なんかに傷つけさせないよ


誘名・櫻宵
🌸櫻と人魚

脚を得た人魚の笑顔を想う

リルの宝物は硝子の靴
部屋には沢山の靴
憧れ焦がれるリルの願いを知っていた
叶わない願いに焦がれる痛みを知ってて目を瞑っていたわ
あたしは人魚スーツでリルの横を泳げたけれど…リルは
何を犠牲にしても叶えたかったのね

動けぬリルを彼がくれた打掛けで包み抱き安全そうな場所に降ろし
裸足の脚にリルの硝子の靴とあたしの硝子の靴を履かせる
良く似合うわ
歌を聴けないのは残念だけど
望むなら歩き方も教える
私はリルの歌も聲も人魚の姿も
どんな姿のリルも大好き

彼の背負う痛みを分け合いたい
解りたい

待ってて
理不尽を砕くわ
破魔宿す衝撃波を放ちなぎ払う
浄華の斬撃と泉で邪を祓い
攻撃は見切り躱し

歌が
聴こえた



●人魚の歌
 哀しい、と思ってしまったリルの笑顔は、それでもとても美しいものだった。
 脚を得た人魚。
 痛みを堪えての笑顔。
 籠もる想いの強さが、よりいっそう引き立てたのかもしれない――夜明けに桜と月下美人が添う瑠璃の打掛けにリルを至宝のように包んで抱えた櫻宵は、暗闇を駆け乍ら想いを様々に巡らせる。
(「リルの宝物は、硝子の靴」)
 リルの部屋には沢山の靴がある。憧れと焦がれる熱の結晶は、リルの願いそのもの。
 人魚である以上、リルに靴を履くことは出来ない。
 つまり靴は、叶わぬ願いの象徴でもある。そして櫻宵こそが、誰より叶わぬ願いに焦がれる痛みを知っていたのに、リルの痛みに目を瞑ってしまっていた。
(「あたしは、人魚スーツでリルの横を泳げたけれど……」)
 仮初の尾鰭を得て、水のない海を泳いで、櫻宵は人魚の心地を味わったけれど。リルは何を犠牲にしてでも、己の脚を欲したのだ。
 嘘偽りない、真実の脚を、願ったのだ。
 それの何と哀しい事か、美しい事か――。

 ――靴が好きで、ずっと憧れていた。
 憧れるだけで済まなくなったのは、櫻のかつての恋人の幻影に言われたからだ。
『何も成せぬ男な上に、同じ地も歩めぬ』
(「――、っ」)
 悔しかった。
 哀しかった。
 言葉と現実が、痛くて堪らなかった。
 『憧れ』が固執になったのは、そこからだ。
 櫻宵のくれた靴をリルはどうしても履きたくなった。
(「僕だって、横を歩けるんだって――証明したい!」)
 勝手な嫉妬と悲嘆であることは、リル自身が解っていた。
 でも、解っていてもどうしようもないことは、あるのだ。
 だって櫻宵の事が好きだから。今の櫻宵の恋人は、リルだから。

 碑に刻まれた文字が発する燐光が、仄かに輪郭を照らし出す距離で、櫻宵はゆっくりとリルを地面へと降ろした。
 ここならば、多少の余波はあるだろうが、害を被る事はあるまい。所謂、安全圏だ。
「――さ、」
 櫻宵が一人で戦うつもりなのを察したリルが、愛しい名を呼ぼうとした瞬間。櫻宵は膝を折ると、リルの脚を慈しむようにするりと撫で、その足に硝子の靴を履かせた。
「よく似合うわ」
 木立の中で否定してしまったことを詫びるように、櫻宵はどこまでも優しくリルへ微笑む。
 歌を聴けないのは、残念ではある。
 けれどリルが望むなら、歩き方だって教える。
「私はリルの歌も聲も、人魚の姿も――どんな姿のリルも大好きよ」
 微かな光にも無垢に煌めく靴を踵から爪先へと撫でた櫻宵は、凛然と立ち上がった。
(「彼の――リルの背負う痛みを分け合いたい。解りたい」)
「待ってて、理不尽を砕くわ」
 駆け出したなら、振り返らない。
 血桜の太刀に邪を祓う力を纏わせて、櫻宵は神の片鱗と切り結ぶ。
 剥き出しの敵意に、文字がいっそう眩く輝き、この世のものとは思えないものを顕現させる。
 その一閃が目にも留まらぬ速さで、櫻宵へと迫った。
「……!」
(「櫻宵、櫻宵、櫻宵、櫻宵」)
 夢にまで見た硝子の靴を履き、櫻宵の優しい言葉と笑顔に、偽りなき雫を零していたリルは息を呑む。
 脚に硝子の靴が煌めくのは、心底嬉しかった。胸は歓喜で溢れていた。
 でも、でも、でも、でも。
(「僕にとって、一番大切なのは――」)
 硝子の靴を履きたかった。
 櫻宵の横を、並んで歩きたかった。
 だけどそれより大切なのは、リルの願いを受け入れてくれた櫻宵自身。
「……ら、」
 発した言葉に、リルの全身を貫くような痛みが襲った。
 だがリルは怯まない。
「ラ・カージュ 花を飾って」
「ラ・カージュ 閉じ込めて」
 脚の輪郭が、溶ける。硝子の靴が、ころりと転げ落ちた。
「ラ・カージュ 雲戀う鳥などいない」
「アムール・オン・カージュ 君を守る、花籠を」
 櫻宵の力が編んだ花筏から尾鰭で蹴り出て、リルは櫻宵に抱き着く。さすれば歌の終わりと共に実体化した如何なる攻撃をも通さぬ水槽が、櫻宵を守る絶対の盾となる。
「君を理不尽なんかに傷つけさせないよ」
「――リル」
 歌は、聴こえていた。
 しかし振り返るより早く美しい人魚に守られて、櫻宵は角に綻ぶ桜を満開にさせる。
 もう何も怖れるものなどありはしない。
「愚かなる心の数々、戒め給いて一切衆生の罪穢れ ――斬り祓い、清めてあげる」
 力強く踏み込み、櫻宵は渾身の力で断末魔の啼き声さえ断つ刃を振り抜く。
 放たれた不可視の斬撃が、空を薙ぎ、碑の欠片を両断する。
 音もなく真っ二つになった理不尽な神は、手から零れ落ちる砂のようにさらさらと崩れて消えた。

 やがて洞に穏やかな静寂が満ちる。
 和やかな気配が何処からか流れ込んで来ているように感じたのは、隔てられていた表と裏が重なった――理不尽なかみさまの欠片が、人の手によって尽く滅せられた証だった。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​




第3章 日常 『彩の庭園』

POW   :    庭園を散策し、四季折々の風景を楽しむ

SPD   :    茶屋で美味しいものを食べる

WIZ   :    美しい景色を眺めてのんびりと過ごす

👑5
🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

種別『日常』のルール
「POW・SPD・WIZ」の能力値別に書かれた「この章でできる行動の例」を参考にしつつ、300文字以内の「プレイング」を作成してください。料金は★0.5個で、プレイングが採用されなかったら全額返金されます。
 プレイングが採用されたら、その結果は400文字程度のリプレイと「成功度」で表現されます。成功度は結果に応じて変化します。

 大成功🔵🔵🔵
 成功🔵🔵🔴
 苦戦🔵🔴🔴
 失敗🔴🔴🔴
 大失敗[評価なし]

👑の数だけ🔵をゲットしたら、次章に進めます。
 ただし、先に👑の数だけ🔴をゲットしてしまったら、残念ながらシナリオはこの章で「強制終了」です。

※自分とお友達で、それぞれ「お互いに協力する」みたいな事をプレイングに書いておくと、全員まとめてひとつのリプレイにして貰える場合があります。


●こころなぐさめ
 元来た道を戻るのも面白味に欠ける。
 同じ暗がりから出るなら、陰鬱な木立ではなく、和やかな庭がいい――と思ったか定かではないが。
 理不尽な『かみさま』を超えた猟兵らは引き返すことなく進み、大人一人が身を屈めてようやく通り抜けられるような隘路を経て、麗らかな昼下がりの光が降り注ぐ庭の片隅に出た。
 表裏一体、だと思ってはいたが。
 どうやら明暗は分かたれることなく、繋がっていたらしい。
 どこからともなく、花の香りが漂って来た。
 甘いそれは一種類ではなく、おそらく二種類。金木犀と薔薇の香気が混ざり合ったもの。
 悲しみの少女たちが蠢いていた雑然とした木立と違い、よくよく手入れが行き届いた明るい木立の向こうには、さらに明るい庭園が垣間見える。
 広々とした池の淵を彩る鮮やかな色は、薔薇たちだ。
 池から伸びる道のひつとはゆるやかな上り坂になっており、蔓薔薇のアーチが続いている。
 それが終わると、庭園を一望できる高台があるのだが、そこには東屋が点在している。
 なんでもこの東屋、『昼寝処』と言われているらしく、お気に入りのポプリを入れた枕を抱えてひと眠りできるのだとか。
 ちなみにこの時期のお勧めは、やはり薔薇と金木犀だ。
 昼寝処と反対にあるのが、花樹と季節の花々が植わった花園。
 花樹で花園を区切るような作りのそこは、少し迷路めいていて、散策するのも楽しい。
 今は植え替えの時期でこれといった花はないが、金木犀の香りを楽しむならここが一番なはず。
 そして庭園名物の蜂蜜を使った菓子や飲み物は、花園の奥に居を構えたレトロな喫茶店で供されている。
 菓子は香りを楽しむ為にシンプルな作りになっていて、パンケーキやシフォンケーキなどは、添えられた生クリームがなければ貧相になりかねないが、味の方は間違いない。
 郷愁を誘うと専らの評判で、老若男女かまわず口に合うらしい。
 共に楽しむのは金木犀が香る紅茶がお勧めだが、蜂蜜ミルクや、蜂蜜をブレンドしたフルーツジュースなどもある。
 生憎、パンケーキとシフォンケーキは喫茶店で頂くしかないが、イチジク入りのパウンドケーキと各種飲み物は、外へ持ち出すことも出来るのだそうで、お気に入りの場所をみつけて楽しめる。
 あと、遊び心を満たす為にだろう。
 池には定番のスワンボートが準備されている――だけでなく。なんと池の一部に蜘蛛の巣のように細い吊り橋が渡されていて、スリリング体験もできる仕様だ。

 曝け出したばかりの心は、まだじくじくと痛んでいるかもしれない。
 だからこそ和やかな秋の一時は、悲しみや苦しみを宥めるのに良い時間となるだろう。
リル・ルリ
🐟櫻と人魚
アドリブ歓迎

いい香り
火照った身体に清らな風が気持ちいい
池の中に飛び込めばより心地よい

傍に座る櫻とぱうんどけーきを食べる
イチジクも美味しいね
教えられた花言葉
実る戀が嬉しくて自然に笑みが咲く

蜂蜜ミルクで乾杯だ
甘くて、心に染みる
櫻が笑ってくれて僕を受け入れてくれた
甘くて、心が満ちる

隣を歩けなくてもこうやって
隣を游げばいい
心はいつだって寄り添ってる
この尾鰭は硝子の靴を履いてるも同然だよ
池の水を弾けば尾鰭が揺れる
これが僕
君が愛してくれる
それでいい

嗚呼でも
今度脚になったら歩き方教えてね?
歌ってあげる
じゃあ「愛の歌」を
木立揺らす風に乗せて

ねぇ、だいすきだよ
硝子の靴が履けなくても
僕は君のシンデレラ


誘名・櫻宵
🌸櫻と人魚
アドリブ歓迎

薔薇と金木犀のいい香り
池に飛び込んで心地良さげに游ぐリルに微笑む
やっぱりこの姿が一番ね

一緒にパウンドケーキ食べましょ
おやつの時間よ
池の傍に腰掛けてリルにケーキを渡すわ
知ってる?イチジクの花言葉…実りある戀っていうの

甘いミルクで乾杯
愛し人魚の髪撫でる
リルの存在は何よりも大切
私は悪龍
殺すことは愛だった
そうでしか愛を感じられない悪龍
けれど
私はヒトでありたい
血色の欲望封じ込め
あなたの隣を
胸を張って歩けるように

あらまだ諦めてないの?なんて軽口
いいわ
教えてあげる
あたしにも泳ぎ方教えて
そうして分け合いましょ
願いも痛みも
2人で1つよ

愛の歌が心を満たす
そばにいて
あなたは私だけのシンデレラ



●月光ヴェールのシンデレラ
 池の畔に腰を下ろしたリルは、ひらひら揺れる尾鰭で水面を撫でた。
 戦いの熾火はまだ裡に残っている。このまま冷たい水に飛び込めたなら、さぞ気持ちが良いだろう。
 だが季節は秋。人魚なリルにはへっちゃらだが、衆目を集めてしまうのは間違いない。
 それは正直――嬉しくない。
 想像して白い頬を子供のように膨らませたリルは、これから過ごす時間を思い浮かべて、膝の上に乗せた硝子の靴を愛おし気に撫でた。
 真夏の太陽の下なら、皆と大騒ぎするのも悪くない。
 けれど花香る清らかな風に身を任せるなら、恋人と二人きりが良い。
(「――こいびと」)
 脳裏を過った影に、自然と頬は緩む。そして軽やかな足音に振り向くと、鮮やかな桜が咲き誇っていた。
「お待たせ?」
 リルの傍らに腰を下ろしながら、櫻宵が甘く微笑む。角に咲いた桜は、櫻宵の歓喜を現すように満開なのに、漂う香りは薔薇のもの。二人を周囲から隔絶する薔薇たちが齎す香気だが、そのちぐはぐさが少しだけ面白くて、リルは「櫻の駆け足は早いね」と笑い含みながら応えた。
「当然よ。リルの所にまっしぐらだもの」
 くすくす、くすくす。
 儘ならなさに苦悩したことなど忘れたみたいに、リルと櫻宵は肩を寄せ合う。ちら、と。光が瞬いたのは、リルの尾鰭が水をはじいたからだ。その煌めきに目をやった櫻宵は、遊色に踊る尾鰭に目を細めた。
(「やっぱりこの姿が一番ね」)
 自分の為に必死になってくれるリルは、堪らなく愛おしい。
 しかし自由に游ぎ歌うリルが、一番だと今の櫻宵は思える。
「というわけで、お待ちかねのおやつの時間よ」
「やったあ!」
 櫻宵が買い求めた二人分のパウンドケーキと蜂蜜ミルク。
 秋桜が描かれた和紙に包まれたパウンドケーキは、厚めにカットされていた。遠慮なく頬張ると、瑞々しさを残した無花果の甘味が口にいっぱいに広がる。
「ぱうんどけーき、美味しいね」
 舌足らずのような独特な響きで零れたリルの感想に、櫻宵はふと思い出す。
「ねぇ、知ってる? 無花果の花言葉は、実りある戀っていうのよ」
「……実りある戀」
 知ったばかりの言の葉を、リルは反芻してパウンドケーキと一緒に噛み締めた。
 実りある戀。
 嗚呼、なんて今の自分たちに相応しい言葉だろう!
 込み上げてきた嬉しさに、リルの白磁の頬にも桜色が咲く。
 歓びには乾杯を。手元にはちょうど甘いミルク。紙のコップは、グラスみたいに甲高くは鳴らないけれど、額と額を突き合わすみたいにことんと添わせ、視線を見交わし喉を鳴らすと、優しい甘さが身体に――心にじんわりと染み入る。

 ――櫻が笑って僕を受け入れてくれた。
 隣を歩けなくても、隣を游げばいいのだとリルは知った。
 こころはいつだって寄り添っている。
 月光ヴェールの尾鰭は、色も輝きも、何もかも、硝子の靴を履いているも同然。
 駆けられなくてもいい。
 水を遊ばせ跳ねる尾鰭こそ、リル自身。
 櫻宵が愛してくれる、リル。
 ――それでいい。

 砂糖菓子より甘い微笑を湛えたリルの髪を、櫻宵はするすると梳き撫でる。
 愛しい人魚。私の人魚。
 リルの存在は、何にも代え難く、大切なもの。
 ――だって私は悪龍。
 殺すことは、櫻宵にとって愛だった。
 そうでしか愛を感じられない悪龍が、櫻宵という人間だった。
 ――けれど、私はヒトでありたい。
 血色の欲望を封じ込め。胸を張って生きていきたい。
 ――胸を張ってあなたの隣を歩いていきたいの。

 有りの侭でいい。
 背伸びする必要はない。
 リルはリルで、櫻宵は櫻宵であればいい。
 辿り着いた答は、とてもシンプル。
 ……でも。
「今度脚になったら歩き方教えてね?」
 悪戯めかしたリルの上目遣いに、櫻宵は嘯くように笑った。
「まだ諦めてないの?」
「そりゃあ、ね?」
「いいわ、教えてあげる。そしたらあたしにも泳ぎ方を教えて?」
 ――そうして、分け合いましょ。
 ――願いも、痛みも。全てが、二人で一つ。
 永遠の宣誓にも似る櫻宵の慾に、リルは一も二もなく頷き――応えを愛の歌で返す。

 人魚姫の愛のうた、病める時も健やかなる時も――甘やかな倖せに恋を灯し 泡沫揺蕩う風に蕩かすは愛の言の葉―愛しき櫻、守るうたと成る。

 近くに、薔薇の香り。
 遠くに、金木犀の香り。
 それらを運ぶ風が、リルの歌声を世界へ広げ、櫻宵を包み満たす。
「ねぇ、だいすきだよ」
 履けない硝子の靴を膝に乗せた人魚が櫻の龍へ囁く。
 ――僕は君のシンデレラ。
「ええ、そばにいて。ずっと、ずっと」
 ――あなたは私だけのシンデレラ。

 それは午前零時になっても解けない、永遠の魔法。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

ジャスパー・ドゥルジー
【狼鬼】
「古今東西、トンネルの先には明媚が待ち構えているもんさ」

ザザの言葉に待ってましたと目を輝かせ

パンケーキ、生クリームたっぷりな
鬼だ悪魔だとワルぶってても甘いモンの前では無力なのさ
金木犀の紅茶は先ずストレートで
紅茶とピアスにだけは拘るんだよ

…にしてもザザが甘いモン好きなのは意外だったな
てっきりハードチーズお供にブラック飲んでるタイプだとばかり

言いつつも共通点が増えた割と喜ばしい
またひとつ、誘う口実が増えた事も

あーっ、ほんと美味いな
こんなご褒美が待ち構えてるなら人生も悪くないぜ
だろ?

「結局ビターにかっこつけやがって」
笑いながらも自分も自然と砂糖を入れている
人生を甘くするも苦くするも自分自身さ


ザザ・クライスト
【狼鬼】

「昏いトンネルの先は、秘密の花園だったなンてなァ」

花の香りが漂う中を歩いていく
洒落たアーチをくぐると喫茶店があるじゃねェか

「一服しようぜ、ジャスパー」

蜂蜜たっぷりのパウンドケーキを頬張ってニヤリと笑う
理不尽だなんだ言ってもこれくらいでご機嫌ってなァ

「安上がりだよなァ。しかし、そんなモンだぜ、現実ってヤツはよ」

お高く止まっても仕方ねェだろ
頼んだコーヒーのカップを手に取ると口をつける
ウマイ、ケーキの甘さを調和してくれる

「時には苦味も必要だ。だが……」

カップを置いて砂糖をひとつふたつと加える
スプーンで混ぜると再び口をつける

「甘いくらいが丁度イイさ。コーヒーも人生もな」

うそぶいて笑みを浮かべた



●狼+鬼=餓鬼二人
 受けた日差しに赤と紫の瞳の瞳孔が窄まる――どころか、眉間に力が籠もって目そのものが細まった。
「昏いトンネルの先は、秘密の花園だったなンてなァ」
 視界をゆっくりと正しザザが嘯くと、周囲を見渡したジャスパーは「さもありなん」と鼻を鳴らして肩を竦める。
「当然だろ? 古今東西、トンネルの先には明媚が待ち構えているもんさ」
 長い長い昏闇の中に居た。
 数多の怨嗟の声を聴き、超然とした理不尽と対峙した。
 為すべきことを為した。
 そしてようやくの陽光との再会は、鬱蒼とした樹林ではなく鮮やかな秋の庭を男たちに齎した。
 ふくよかな香りを放つ薔薇が、艶やかに花開いている。それらに縁どられた水面は、ダイヤモンドの欠片をばら撒いたみたいに輝いている。どこからともなく匂ってくるのは金木犀だ。
 赤と紫の視線がかち合う。どちらともなく、皮肉気でいて楽し気な笑みを浮かべた。男二人でゆくにはむず痒さを覚えるような煌びやかさではないか。だが、それが何だというのだ?
「一服しようぜ、ジャスパー」
 童話にでも出て来そうな洒落た薔薇のアーチを抜け、目に留まった「いかにも」な雰囲気の喫茶店を先に目に留めたザザが口の端を吊り上げる。
 無論、ジャスパーに否やはない。むしろ紫に混ざるピンクを色濃くした瞳を輝かせ、ジャスパーは「待ってました」と足取りを軽くした。

 唐茶色を基調とした店内は、いかにも『女子』が好きそうな造りになっていたが、そんなことは一切気を遣らずにジャスパーは山盛りにされた生クリームに目尻を下げる。
「そうそう、パンケーキには生クリームたっぷりってな」
 型破りな外見に、鬼だ悪魔だとワルぶっていても、甘い物の前では無力になるのが世の倣い。
 こんがりキツネ色に焼き上げられた二段重ねのパンケーキを、ナイフとフォークで贅沢に切り分けると、これでもか、と生クリームを絡めて口に運んだジャスパーは、んんんんと幸福を堪能し。意外なくらい品良い所作で紅茶を一口、含んだ。
 途端、金木犀の香りが脳天にこの上ない至福を連れてくる。やはり紅茶には敬意を表して最初はストレートで味わうのが重要だ。なんだかんだでジャスパーは、ピアスと紅茶にはこだわる男なのである。
 しかし、だ。
「……ザザが甘いモン好きなのは意外だったな」
 対面で蜂蜜をたっぷりかけたパウンドケーキを頬張っている男にまじまじと云うと、ザザはニヤリとジャスパーを見返す。
「甘いモンでごキゲンさ、安上がりだよなァ。そんなモンだぜ、現実ってヤツはよ」
 理不尽だなんだと言っても、人間とはこれくらいでご機嫌になれるものなのだ。そしてそれくらい、ザザもジャスパーも当たり前に『人間』だということ。
「それはそれとして――てっきりハードチーズお供にブラック飲んでるタイプだとばかり」
「お高く止まっても仕方ねェだろ」
 尚も不似合いを言い募るジャスパーへ、ザザは口元に滴った金色の蜜を親指で拭い取ると、やおらコーヒーが注がれたカップを手に取り、口をつけた。
(「ウマイ」)
 見目に反せぬケーキの甘さが、コーヒーの苦みで調和される。正しく、マリアージュだ。
「それに、時には苦みも必要だ。だが……」
 けれどカップをソーサーに戻した男は、濃褐色の液体へ角砂糖をひとつ、ふたつ。スプーンで混ぜ溶かすと、再び一口こくり。
「甘いくらいが丁度イイさ。珈琲も人生もな」
 カップをソーサーに戻す様も、僅かに首を傾げてみせる所作も、うそぶき笑う貌も。全てが計算され尽くしたかの如く、絵になる男だった。
 事実、ザザに見せつけられたジャスパーは「結局ビターにかっこつけやがって」と揶揄った――されど、笑いながらもストレートで嗜んでいた紅茶に角砂糖を幾つか落とし込む。
 人生を甘くするのも苦くするのも己自身。
 なら、甘く出来るときに甘くするのも良いではないか。どうせ甘くするなら、とびっきり甘くする方がパンチが効いていてイケている。
 それに、あれこれ言いはしても。ザザとの共通点が増えたのは、純粋に嬉しいのだ。
(「またひとつ、誘う口実が増えたこともな」)
 胸に宿った歓喜の種を気取られぬようジャスパーは、甘い紅茶をゆっくりと嗜む。
「あーっ、ほんと美味いな。こんなご褒美が待ち構えてるなら人生も悪くないぜ」
 だろ?
 同意を求めるジャスパーの、餓鬼のような笑顔に、ザザは「違いない」と喉を鳴らした。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

ファルシェ・ユヴェール
池の畔、鮮やかな薔薇の色彩を辿るように散策

ふと水面に目を向ければ、今は何時も通りの姿が映る

胡散臭い程にお手本のような微笑を湛え
優雅な所作は何処か芝居がかって見える
――偽物の宝石と造花で華やかに飾った宝石商

ほんの僅か、己自身しか気付けぬ揺らぎを除いては


かつて目的の為だけに選んだ『宝石商』の仕事は
案外馴染み、今は日常

鉱石の知識のみならず
歴史、神話、そして込められた想いと言葉
読み解き貪欲に拾い集める
それは師の教えであり、自身の道であり
そしていつかの約束のため


花も咲かぬ地で
花を模った宝石を咲かせ師は語った

――私は外の世界を知らないが
君はいつかきっと私の知らぬ宝石と物語を運んできてくれる
そうしたら、――



●宝石商の悲蜜
 ふくよかな香りに、ファルシェは目を細める。
 鼻先を、香気を纏わせた羽に撫でられているようだ。秋晴れの空に負けじと鮮やかに咲き誇る薔薇たちの贈物に、ファルシェは息をひとつ深く吐く。
 余人の賑わう声が聴こえている。
 けれど池と花園を隔てる径をファルシェはひとり、赤に橙、緋に濃桃の彩を右手に眺めながらゆるりと歩いた。
 ふ、と。高い音がファルシェの耳を引き寄せる。続いた羽搏きで、水鳥が飛び立ったのだと悟った時、ファルシェの視線は薔薇とは対面の水面に吸い寄せられていた。
 高い空を映すそこに、人影が加わる。
 見慣れた姿に、ファルシェの肩が小さく落ちた。
 他でもない自分自身だ――瞳の色も赤ではなく『いつも通り』の紫の。
「……」
 鏡像がゆるりと首を傾げたのに、ファルシェはほんのり苦く微笑む。その微笑さえ、絵に描いたような優雅さだ。無論、首を傾げる所作も言わずもがな。いっそ胡散臭いくらい。マナー講師に教えられたままをなぞったような仕草全ては、人によっては芝居がかって見えることだろう。
 かくあらねばならぬ。かくあればよい――理想の宝石商。ただし、偽物の宝石と造花で華やかに飾り上げたものだけれど。
 されどそこに、ファルシェだけは小さな小さな『揺らぎ』を視る。
 落ち葉一枚――いや、羽虫がたてた波紋よりもささやかな揺らぎ。

 ファルシェが『宝石商』を『仕事』として選んだのは、『目的』の為だった。
 だからファルシェは、誰よりも『宝石商』たらんとしてきた。
 だが、今は。

(「――存外、馴染んで」)
 美しいばかりだった水面の鏡像に微笑みに、爪先程の微熱が兆す。
 すっかり『日常』となった日々は、そう悪いものでもない。
 宝石を商うには、鉱石の知識のみならず、様々な知識が必要となる。
 歴史に神話、込められた想いと言葉。それらひとつひとつを丁寧に読み解き、貪欲に拾い集めることは、師の教えでもあった。同時に、ファルシェ自身の道でもあり――。
(「いつかの約束の、ため」)

 足元に置いていた眼差しを、ファルシェは周囲へ馳せる。
 風が吹いていた。
 吹いた風に、宝石のような薔薇たちが香りを咲かせ、季節を色鮮やかに華やがせる。
 此処は灰色の世界ではない。
 花咲かぬ地ではない。
 ある意味、師が花を模った宝石を咲かせた地とは対極にある場所。
 そんな風景の中で、ファルシェは師の言葉を強く想い出す。

 ――私は外の世界は知らないが。
 君はいつかきっと私の知らぬ宝石と物語を運んで来てくれる。
 そうしたら、――。

「――そうしたら」
 未来を描く呟きを、温かな光と香りが包み込んだ。

大成功 🔵​🔵​🔵​

エンティ・シェア
昼寝処とやらで、茶猫と白兎のぬいぐるみとポプリを並べ置いて
変わる気が無いのなら…いっそ寝ていなさい

…聞いてますか?聞いてませんね
そうでしょう。眠っているのでしょう
だからこれはただの独り言です
あるいは、そう、寝言です

貴方に拾われた時、僕を殺せと言ったのに、貴方は聞きませんでしたね
その上、また僕に殺させるんだ
恨みましたよ。そりゃぁ
でも、思い出しましたので
僕を心から怨んでいた幾つもの声を
その声が、僕を殺してくれるまで
せいぜい、貴方の内の一人として努めます

貴方のことは今でも嫌いですよ、「エンティ」
でも、今後は少しくらい話し相手になってあげてもいいですよ
罪滅ぼしの真似事ができることへの、感謝の分くらいは



●ひとりごと
 小さな東屋の内側には、座面が畳敷きの椅子が積木のように幾つも並び、傍らの籠にはいくつものクッションが収められていた。
 なるほど、これで好きなように寝床を設えろ、ということらしい。
 納得したエンティは適当に寝床を整え、籠の傍らの棚から目についたポプリを引き出すと、一度、二度、とクッションの上で手を弾ませて感触を確かめ、まずは茶猫と白兎のぬいぐるみを横たえた。
 籠の中で日の光を受けていたクッションに、ぬいぐるみ達が柔らかく包み込まれる。
 ふわりと立ち昇ったのは、薔薇と金木犀を綯い交ぜにした甘い香りだ。それでいてしつこくない香りに手招きされて、エンティは茶猫と白兎の間に身を横たえる。
 夏場に日除けとして使うのだろう御簾は、すっかり上げてあった。
 だのに不思議と、小さな屋根で区切られた空間には静寂が満ちる。
「……聞いていますか?」
 右、左。茶猫、白兎。見比べて、誰へというわけでもないようにエンティは呟く。
「聞いていませんね。そうでしょう。眠っているのでしょう」
 ――変わる気が無いのなら、いっそ寝ていなさい。
 音にしない言葉を落とした胸の上で、行く宛てのない両手を何とはなしに組んで、最後に寝転んだ男も緑の瞳を閉ざす。
「だからこれはただの独り言です――あるいは、そう。寝言です」
 寝言ですから、とさらにもう一度だけ念押しし。人の身を器とする男は、光が閉ざされた裡から言葉と記憶と想いを手繰る。

 貴方に拾われた時、『僕を殺せ』と言ったのに。
 貴方は聞いてくれなかった挙句に、『僕』にまた殺させる。
 そりゃぁ、恨まないはずがない。
 恨みに恨んで、もひとつ恨んで――ふと、思い出した。
 『僕』を怨んでいる声を。
 例えば今、頬を撫でてゆく風みたいになまっちょろいものではなく。心の底から怨んで怨んで、怨み尽くしている幾つもの声を。
(「その声が、僕を殺してくれるまで」)
 ――せいぜい、貴方の内の一人として務めます。

「貴方のことは今でも嫌いですよ、『エンティ』」
 きっと赤に金を混ぜたような色をしているだろう髪を――何せ今は目を瞑っているから、実際の色を確かめることは出来ない――一つまみして、ざらつくような、すべらかなような手触りを感じながら男は寝言を続ける。
 身体に残る疲労を、秋の花の香りが宥めてゆく。
 ともすれば、本当に意識が攫われてしまいそうだ。
 麗らかな昼下がりの温度も、眠りを誘う。
「でも、今後は少しくらい話し相手になってあげてもいいですよ」
 うつらうつら。
 演技なのか、それとも真実なのか。
 見極めのつかない微睡みに、茶猫と白兎を両脇に男は浸る。
「罪滅ぼしの真似事ができることへの、感謝の分くらいは」

大成功 🔵​🔵​🔵​

雨糸・咲
ヒトの身を持った時から、ずっと考え続けた
自分は居ていいのか、と
暗闇に光の射す気配は無いまま
答えは出ないまま

…きっと、自分で思うより疲れていて
だから明るい庭に出て、力が抜けたのかも
『昼寝処』の文言にまっすぐ吸い寄せられた

薔薇も金木犀も私には少し華やか過ぎるから
選んだ香りは白檀と菩提樹
静かに心を鎮めたかった
深い場所へ落ちて行くみたいに

けれど
ころりと横になってもいっこう眠ることはできなくて

ねぇ、ウトラさん
私のかなしいも、きれいに変われるでしょうか…?
…すみません
こんなこと言われても困りますよね

ほろ苦く笑って枕を抱き締め
静かに瞳を閉じる
仄かに甘い清涼な香りを胸に吸い込んで
少しだけ、涙を流した



●きれいになあれ
「こっちだよ」
 暗がりを抜けた先、案内板の『昼寝処』の文字に咲の目が吸い寄せられたのを気付いたのだろう。
 虹色の毛先を揺らす少女は、心此処にあらずな様子の咲の前を、歩き出した。
 華やかな池の畔を抜け、薔薇のアーチをくぐり、ゆったりとした坂を登り切る。
 その間も、咲の心は遠くにあった。
 遠く遠く遠く、鮮やかな秋の花園を昏い木立の隙間から覗き見るような。世界はすっかり明るいのに、今なお鬱蒼とした木々の直中に身を置いているような――そんな少し寒くて、ぼんやりとした心地。
(「私は居ていいのかしら?」)
 こだまするのは、いつもと同じ聲。
 ヒトの身を持った時から、ずっとずっと――ずっと考え続けていること。
 暗闇に、光が射す気配は無い。
  ……世界はこんなに花と光で満ちているのに。
 答えも、出る気配さえ無い。
  ……今日の戦いはもう終わり、一つの憂いに結論が出たというのに。
 咲の居る場所と、咲を包む『今』には、余りに大きな隔たりがある。だからだろう、明るい庭に出て力が抜けてしまったのだ。
「おつかれ?」
 咲自身が思っていたよりも、今日の咲は疲れているのだろう。
 だから『昼寝処』の文言へ真っ先に目がいってしまったのだ。
「ゆっくりしてね」
 透明な銀の瞳で何かを見透かすように、少女が東屋の内へ咲を引き入れる。
 眩い陽光をいっぱいに浴びたクッションを居心地良いように並べ、用意されていたポプリに顔を寄せ、幾種類の中から咲は白檀と菩提樹を択び取った。
 薔薇と金木犀は、寝床の隅にちょこんと腰掛けている少女には似合いだろう。
 けれど咲は、気後れした。その華やかさに、己は見合わぬと。
 それに何より。
 静かに心を鎮めたかった。
 深い、深い、海の底より深い場所へ落ちてゆくみたいに。
 ――だのに。
「……ねぇ、ウトラさん」
 微かに甘く、けれど静謐な森の奥に佇むのにも似た香気に包まれた咲に、いっかな眠気は訪れず。咲は身を横たえたまま、抱き締めた枕に憂い溜め息を零す。
「私の『かなしい』も、きれいに変われるでしょうか……?」
 ふかり、と。ポプリが醸す香りの強弱で、咲の傍で誰かが身じろいだのが分かった。しかしその誰かが――ウトラが返す言葉をみつけるより早く、咲は問いを打ち消す。
「……すみません。こんなこと言われても困りますよね」
 半身を起こして振り返り、懸命に笑って、咲はまたクッションと香りの海に沈み込む。
 笑みにほろ苦さが混ざったのは、ウトラには気取られなかっただろう。
 でももうウトラから咲の貌は見れないから。咲は枕をぎゅっと抱き込み、そっと視界を閉ざす。
 世界が暗がりに落ちた。
 残されたのは、香りだけ。それを胸一杯に吸い込み、咲は枕に顔を押し付ける。
 溢れた涙は、雨糸のようにほんの少し。
 枕に残された跡も、きっとすぐに乾いてしまうだろう。
 けれど、渇き切ってしまう僅かの間くらい――。

 横たわるのは沈黙のみ。
 答えを差し出せなかったウトラは山葡萄色の髪をそっと梳き、答えを見つけられぬ咲はなぐさめの一時に暫し黙す。

 ――いたいの、いたいの。きれいになあれ。

大成功 🔵​🔵​🔵​

清川・シャル
一眠り、しようかな?
金木犀と薔薇…ブレンドは可能でしょうか?金木犀オンリーがいいかな?
ちょっと迷ってポプリを選びます
自分と向き合うのって疲れるよね、なんて
少しだけ休みましょう
私不眠症なんですよね…あんまりいい夢見ないし…
けど、気だるい疲れがちょうど心地いいし、ここなら眠れそう
袖から小振りの猫の抱き枕を取り出して、抱きしめて丸くなっておやすみなさい…
良い匂いにつつまれてきっと気持ちいい
いい夢を見るか、もしくは。
頭まっさらになるよう、何も見ない。
どちらかでありますよう…
おやすみなさい。



●まどろみ
 東屋の内に用意されていた小さな椅子たちは、座面が畳敷きのものだった。
 これらを好きに並べて、自分に合った寝床を設えれば良いらしい。
 あまり広すぎるのも面倒になったのか、シャルは椅子の半分は脇に避け、それでも自分ひとりが寝転がるには十分なスペースを確保すると、日当たりの良い場所に置かれた籠から、ありったけのクッションを引っ張り出した。
 出来上がった寝床からは、お日様の匂いがするようだ。
 だが用意してあるポプリを無視するのは勿体ない。
「……なるほど、です。好きなものを、好きなだけと」
 籠の近くに置かれた棚には、段ごとに種類を分けたポプリが詰まっている。これならば、薔薇にするか、金木犀にするか、はたまたブレンドするかも自由自在。
 少しの間だけポプリ棚と睨めっこしたシャルは、クッションカバーに縫い留められた袋に金木犀の香りだけをしのばせた。
 温かクッションに、ふわりと秋色の香気が立ち昇る。
 優しい甘さに全身浸しているような感覚に、シャルは純度の高い青の瞳を僅かに眇めた。
 あれしきの戦闘で、疲れることはない――気はしたが、成長痛に悩む体はそうでもなかったようだ。
 いや、そうではなく。
 肉体的疲労ではなく、精神的疲労が存外に全身に広がっている。
(「自分と向き合うのって疲れるよね……なんて」)
 ぽふりとクッションの海に身を横たえ、シャルは知らず長い吐息を零して、全身の力を抜いた。
 ――少しだけ休みましょう。
 薄い金の髪が、金木犀の香りを纏ってそっと流れる。
 穏やかな光景だ。けれどシャルの眠りは浅い――というより、不眠症だ。
(「……あんまりいい夢見ないし……」)
 でも、今なら。
 気怠い疲れが、いっそ心地よく感じられる今なら。
 自然の風が吹き抜ける、柔らかな陽だまりの如き此処なら。
「……」
 もぞりと身動ぎ、シャルは袖から小振りの猫の抱き枕を取り出すと、ぎゅっと抱き締め、身体を丸めた。
 相変わらず近くにある金木犀の香りも、気持ち良い。
 今なら。
 今なら。
 よい夢を、見られるかもしれない。
 それでなくても、頭まっさらになるように、何も見ないで済むかもしれない。
 ――どちらかでありますよう。
 密かに、何かに祈り、シャルは瞼を閉ざす。

「おやすみなさい」

 鬼の娘は束の間、微睡む。

大成功 🔵​🔵​🔵​

冴木・蜜
大分余裕も取り戻して
人型を保てるようになりましたが
どうもまだ本調子ではないですね

甘いものも心惹かれますが
今回は静かな所でゆっくりと休息をとりましょう
「昼寝処」でのんびりとお昼寝を

屋外でお昼寝するなんて機会
中々ないでしょうから
折角ですしポプリは金木犀にしましょう

…、静かですね
先程までの声が嘘のよう

私は罪人だから
どんな言葉も受け入れるつもりですが
流石に今回は少し疲れてしまいました

ほんの少し ほんのすこしだけ
目を閉じて一休みしてもいいでしょうか

思えば最近
よく眠れていなかったような気もします
独房から出てからも
ずっと ずっと
考えていることが多くて…

いけませんね
歩み続けるために
たまには休息をとらなくては



●休息
 チャリ、と眼鏡のパッドが鳴った。
 手持無沙汰ぎみにぶら下げていた眼鏡をようやくかけ直すことが出来た蜜は、『昼寝処』と書かれた文字に誘われるように秋の庭園を抜けてゆく。
 ――甘いものも心は惹かれますが。
 余裕は大分、取り戻した。とはいえ、人型を保てるようになった程度だ。本調子とは程遠い。
 つまり、今の蜜が欲しているのは、蕩ける蜜のような甘さではなく、心から安らげる静かな休息。
 ずるずると黒の残滓を引き摺るが如き歩みで花咲く坂を登り、辿り着いた東屋で適当に寝床を設える。
 敷き詰めたクッションの上を、柔らかな温もりを帯びた風がそよぐ。
 壁に区切られた室内では感じることの出来ない解放感に、蜜は此処が改めて『外』なのだと実感する。
 屋外で昼寝を愉しむなど、早々ない機会だ。
 香りを嗜むなど優雅な趣味はないが、折角だからと金木犀のポプリを選ぶと、何となく贅沢な気分になった。
 ごろりと甘い香りの上へ身を横たえる。
 人を模した耳に、葉擦れの音がしのんできた。短く聞える高い囀りは、ジョウビタキだろうか。
(「……、静かですね」)
 先ほどまでの怨嗟の声が嘘のような穏やかさが、じんわりと蜜の裡に沁みていく。
 秋色の香りを存分に纏ったクッションを抱え込み、蜜は人の子のように丸くなる。
 人は母の胎内でこんな風に抱かれ、命を育むらしい。
(「私は罪人だから」)
 蜜は、人を殺めた。
 間違いなく、罪人だ。
 喩え誰が許しても、蜜自身が己が罪人であることを認めている。
 だから、どんな非難の言葉も受け止めるつもりでいる――けれども。
(「流石に今回は、少し疲れてしまいました」)
 自嘲めいた吐息が金木犀の香に混ざったのを、蜜以外の誰かが知ることはない。蜜を謗る誰も。
 故に今日は、今だけは。
 ほんの少し。
 ほんのすこしだけ。
 ――目を閉じて一休みしてもいいでしょうか。
 逃げ出すのではない、歩みを止めるのでもない。束の間の休息を。
 思えば最近、よく眠れていなかったような気がして、蜜は一度、二度と、ゆっくりと瞬いた。乾いた眼球に瞼が張り付きそうになったが、繰り返すうちに動きはスムーズになる。
 身体機能が正常であることは重要だ。壊れてしまえば、歩み続けることは出来なくなってしまう。
 碌な眠りを得られなかったのは、ずっと、ずっと考えていたから。独房を出てから、ずっと、ずっと、ずっと、ずっと。多くのことを、ずっと考えていた。
(「いけませんね」)
 また渦巻き始めた思考を、蜜は意思の力で一時沈める。
 たまには休息をとらなくてはならない――これから先も、歩み続ける為に。
 黙した青白い頬を、巡る季節の風が撫でた。

大成功 🔵​🔵​🔵​

霧島・ニュイ
ちょっと疲れちゃったね
昼寝処でひと眠りしよう…

リサを連れて東屋へ
誰もいない部屋を選択し、薔薇ポプリ入りの枕を借りる
落ち着く香り…

まず畳の上にずしゃーっとスライディング
そのあとお布団を敷いてお布団を手でぽんぽんしてリサちゃんを迎えると
彼女はちょっと恥ずかしがった後同じようにずさーっと転がる
動かすのは僕だけど!
僕の思うままに動く人形
散らばった記憶の片隅にある彼女を動かして
こうして独りぼっちを二人ぼっちに
……本当なら、生きた彼女が笑って四六時中ずっと傍にいてくれたら、って思うんだよ
寂しいって言葉は脳内にも出さない

彼女を抱きしめて目を瞑る
狂った心を晒すのはここまで
目を開けたらまた、いつもの僕の始まり



●はじまり、はじまり
「ちょっと疲れちゃったね」
 ピンピンと四方に気ままに跳ねる髪をぶるりと震わせ、ニュイは残る余力を総動員して花冠の坂を登り出す。
 てくてくとニュイが歩けば、伴う人形――リサも歩く。
 そうして二人辿り着いた東屋は、昼寝処の隅の隅。茂る木々を背に負うせいで影も多いが、代わりに振り仰げば木漏れ日が見えた。
 良い場所だ。
 リサと目線を合わせて含み笑んだニュイは、然していそいそと寝床の支度に取り掛かる。
 用意されていたのは、座面が畳敷きになった四角い椅子たち。それを積木のように並べて、思い思いの広さを確保するらしい。
 正直いえば、今すぐお布団ダイヴしたい心地ではあるが、そこはぐっと堪えて、疲れた体に鞭を打ってもうひと仕事。
 リサと自分が転がるには十分のスペースを作り上げ、後は傍らの籠からありったけのクッションを引っ張り出すだけだが――そこで堪らず、ニュイは畳みへスライディングを決めた。
 青い匂いではなく、日に焼けた黄色い匂いが、郷愁を誘うようで心地よい。
 唇をむにゅりと動かしニュイは得も言われぬ表情を形作ると、ばっと起き上がって籠ごとひっくり返してクッションを敷き詰めた。
 そうして、今度はゆっくり横たわり。ぽんぽん、とクッションの上で手を弾ませ、自分の隣へリサを促す。
 そんなニュイの所作に、髪に椿を飾る少女はもじりと足元へ視線を落とした。
 だが僅かの逡巡の後に意を決したリサは、ニュイに倣ってクッションの海へと飛び込んだ。
 ――無論、リサを動かしているのはニュイだ。
 恥じらう仕草も、快活な動きも、何もかも。
 リサは、ニュイが思いの侭に動かせる『お人形』。もちろん、ただ動かしているわけではない。散らばった記憶の片隅にある『リサ』を選り集めて、手繰り寄せて、そうしてニュイは『リサ』を模してリサを動かしている。
 こうしていれば、ニュイは独りぼっちではない。
 独りぼっちではなく、ふたりぼっち。
(「……本当なら」)
 四六時中、生きた『リサ』が笑って傍に居てくれたら――とニュイは思う。
 笑って、時にはニュイには想像もつかないことをして、また笑って。
 でも。
 でも。
 でも、リサは。
 ――■■■■。
 過りかけた四つの音を、ニュイは思考の片隅からも消し去る。
 その音は、輪郭さえ成させてはならないもの。片鱗さえ、胸に置いてはならぬもの。
「おやすみ?」
 代わりにリサをぎゅっと抱き締め、ニュイは目を瞑った。
 世界が、闇に塗り込められる。
 闇には狂気が宿る。しかしその狂気を晒すのも、ここまで。
 再び目を開いた時、ニュイはいつも通りのニュイを始める。

大成功 🔵​🔵​🔵​

華折・黒羽
呼び出した黒帝と共に花園へ

拓けた一角で身体を落ち着けた黒帝に背預け横たわれば
鼻を掠めたかおり

…金木犀、か─

そのにおいが
手招く様眠りへ誘う
抗えず目蓋は閉じ



くろ

懐かしい声が呼ぶ
重たい瞼持ち上げれば目の前には
探し続けていた朔様本人
覗き込む笑顔はちっとも変わらぬまま

ああ、でもどうしてだろう
身体が重くて声も出ない

…また泣いてる
本当に泣き虫だね、くろは

優しい声とあたたかな手が目元を撫でる感触

大丈夫だよ、くろ
何も怖い事なんかない
くろはただ信じればいいの
あなたが大切だと思う人達を─

だから、だいじょうぶ



金木犀の花弁が黒帝の鼻先を通り舞い落ちる
その先で眠る主の眸から零れる雫を舌で拭って
寄り添うように獅子も眠りへ─



●『だいじょうぶ』
 猫科特有のしなやかな歩みで、漆黒の獣が彩の少ない庭園を横切る。
 黒毛のライオンだ。衆目を集めないのは、黒羽が猟兵であるがゆえ。けれども公園内において今の時期はめぼしいものが少ないこの場所は、元より閑散としていてたいした人影もない。
 故に黒羽は、誰の視線を気にするでなくゆるりと歩み。拓けた――けれど樹木がほどよく世界を隔絶する一画に腰を下ろした。
 漆黒のライオン――黒帝も、身を横たえる。それに背を預ければ、冬の到来を予感させる風からも黒羽は守られた。
 ふと鼻先を擽る香りに視線を巡らせると、オレンジ色の小花が無数に咲いている。
「……金木犀、か――」
 心地よい甘さが、黒羽の頬の傷を擽り、心を撫でた。
 預けた背中からも、和みの波動が伝播する。
 そして、また。
 吹き渡った風が連れた香りが、黒羽を眠りへ手招き誘う。
 酷く無防備な状況だ。
 分かってはいる――分かってはいるが、抗えなくて。黒羽はそろりと目蓋を閉じた。

 ――くろ。
 懐かしい声に呼ばれ、黒羽は重い瞼をゆるゆると持ち上げ――突き抜ける秋空の如き青の双眸を見開いた。
『……!』
 目の前に、探し続けている人がいた。
 黒帝に寄りかかり眠りこけていた黒羽を、にこにこと面白そうに覗き込んでいる。
 ――くろ。
 ころころと鈴を転がすように、黒羽の名を呼ぶ。
 朔様、と。黒羽は応えて立ち上がりたかった。手を伸ばしたかった。
 しかしどうしたことか、身体が酷く重くて、声さえ出ない。
 ――……また、泣いてる。
 『朔様』が、黒羽の前に膝を折る。
 ――本当に泣き虫だね、くろは。
 優しい声を降り注がせながら、忘れ得ぬ笑顔で温かな手を伸ばし、慰めるように、労わるように黒羽を撫でる。
 ――大丈夫だよ、くろ。
 怖れ畏れられた黒羽に、僅かも臆することなく。
 ――何も怖い事なんかない。
 『朔様』は笑う。
 ――くろはただ信じればいいの。
 笑って、告げる。
 ――あなたが大切だと思う人たちを――……。

 『だから、だいじょうぶ』

 ふぁあ、と。
 黒羽の枕を担いながら、黒帝が大きな欠伸をした。
 その鼻先へオレンジ色の小さな花弁が舞い降り、またはらりと滑り落ちる。
 ふあぁ、と。もう一度、黒帝は欠伸をし。主の閉じた眸から伝い落ちる雫を見止め、それを舐めて拭い取った。
 主は、よく眠っているようだ。
 その眠りに誘われ、黒帝も暫し微睡みへと沈んでいった。

大成功 🔵​🔵​🔵​

ジャック・スペード
パウンドケーキと紅茶を供に
陽の当たる場所……叶うなら薔薇が見える所で
ひと時の休息を取りたいな
良ければウトラも、一緒に如何だろうか

マスクパーツを外せば、菓子と紅茶に舌鼓
この紅茶は花のような香りがするんだな
そしてこのパウンドケーキから感じる甘さ
コレは砂糖と無花果、どちらの甘さなのだろうか

……こんな風に、俺の味覚はヒトと違って鈍い
しかし味覚を学習することは出来る
だから、ウトラの感想を聞いてみたいんだ

――それに、斯うして誰かと一緒に軽食を楽しんでいると
味覚の鈍い俺でも「オイシイ」と、そう思えるような気がする
少しずつヒトに近づけることも喜ばしいが
あんたにとっても美味しいひと時ならば、更にウレシイと思う



●unknown
『良ければウトラも、一緒に如何だろうか』
『いく! なに食べる?』
 誘いの言葉は、遠慮がちにかけた。だのに返された応えは随分と前のめりで。人間の子供というものはこういうものなのだろうかと考えながら、ジャックは今にもスキップしそうな少女の背中を眺めて花園を横切った。
 からん、からん。
 鈍色のカウベルが出迎えを歌い、通されたのは日当たりの良い角の席。少し遠いですけれど、と示された先には池の畔の薔薇たちが見えた。一望できるおかげで、虹色の絨毯が広がっているようにも見え、これはこれで見事なものだと、ジャックは視覚に秋の景色を取り込む。
 そうしている間に、紅茶とパウンドケーキのセットが運ばれて来る。
 頂きます、と両手を合わせた少女を真似てジャックも甘味に一礼すると、まずは一口――の前に、マスクパーツを取り外す。
 途端、ウトラが目と口をぽかんと開く。
「――どうした?」
 自身の顔を凝視してくる少女に問えば、ぱちぱちときっちり二回、瞬いた後にウトラは「それ、はずせたのね」と素直すぎる感想を吐露してきた。
 成程、だ。
 ウォーマシンのジャックとしては至極当たり前の事であったが、ドラゴニアンの少女にとっては驚きだったらしい。種が異なれば常識も変わる。
(「ヒトとは、そういうものか」)
 不可思議な感慨に身を浸しつつ、二人は改めて今度こそパウンドケーキを頬張った。
 表面は香ばしく、中はしっとりしている。追って紅茶を一口含むと、『花に類する』とセンサーが識別する香りをジャックは検知した。
 そうして更に、パウンドケーキをもう一口。
 甘い――と、味覚センサーは判断するが、ジャックにはそれが『砂糖』の甘味なのか、『無花果』の甘味なのかが分からない。
 数値的な経験がないからだ。元となるデータがあれば、照らし合わせて答はすぐ出る。ヒトではないからこその、『鈍さ』だ。
 ジャックはヒトならざるモノではあるが、ヒトを模して学習する事は出来る。より『ヒト』に近づくことができる。故に新たなものとの出逢いに、ジャックはヒトに類する少女へ『感想』を求めようとして――思考を一時停止させた。
 対面に座した少女は、時折紅茶を飲みながらも、一心不乱にパウンドケーキを食べている。その表情は、満面の笑顔。そうしてあっという間に完食したウトラは、顔を上げるや否や、秋には不似合いな向日葵のように貌を輝かせて言った。
「とってもおいしかったね! わたし、いちじくってはじめてたべた!」
「――そうか。それは、良かった」
 どうやらこれは、頗る『美味』らしい。眼前の少女の味覚では、甘味の差異はでは計り切れなかったが、はち切れんばかりの笑顔に胸の辺りが温かくなったような気がする。
 味覚の鈍い己。
 しかし斯うして誰かと一緒に軽食を楽しんでいると、「オイシイ」と思える。
 不思議なものだ。如何なるロジックを辿り、導き出されたアウトプットなのか予測できない。
「ジャックさんも、おいしい?」
 だが無邪気に尋ねて来るウトラに、ジャックは頷きを返す。
 きっとこれが『ヒト』というものだ。そして自分は少しずつヒトに近づけている。それが喜ばしい――されどそれ以上に、もっと。
「よかった! おいしいは、うれしいだよね」
 全身で歓喜を現すウトラへ、ジャックは今日得た最適解を差し出す。
「そうだな。でもあんたにとっても美味しいひと時ならば、更にウレシイと思う」
 うれしいと、ウレシイと、美味しいに。少女は「わたしもとってもうれしい!」と目に無数の星を煌めかせた。

大成功 🔵​🔵​🔵​

飛白・刻
隔てた世界かのように
色が香が音が感覚が徐々に戻る

色彩と共に先程まで忘れていた
秋、なのだと

ふと
帯に差したままだったそれを
沈折のままに、二振、三振と
風に乗る花香に鈴の音をそっと

それは己が力を得たと同じくして
寄り添ってきた相棒達への合図

己以外信ずるものが無いその時に
唯一に心を許した相棒達と
賑わいからは離れた場所へ

飲食への執着が少ないこともあるが
疲弊した心身を慰むには
ただその温もりに預けるだけの程が丁度良い

周囲に興味示しだした鳴を珀と共に目で追いながら
金木犀の淡い香を静かに堪能して
今はただ、それだけで良いと

補足程度:
扇子を二振で雪豹の雌、珀(クールで大人しい)
扇子を三振で黒狼の雄、鳴(やや好奇心旺盛)



●秋、静か
 熱が指先からじわりと這い上がってくるように、鮮やかな色彩が刻の冷えた眼を侵食する。
 裏と表。影と光。
 隔てた世界かのように、まずは色が、次いで人々の賑わいが――そして鼻先を擽った甘い香りが、刻を現実へと引き戻す。
 そうだ。
 暗がりに忘れていたが、今は秋。
 灰色の冬を前に、豊かに色づき香る季節。
 歩を進めると、足元が小さく鳴った。落ちたばかりの朽ち葉を踏んだのだ。右、左、右、左。足を出す度、かさりかさりと響く。
 まるで野を往く獣のようだ。と、そこで刻は帯に差したままにしていた沈折に触れて、抜いて――振った。
 気負わぬ所作は、沈折の気儘に任せ。
 二振りで、白き獣が刻の傍らに姿を見せた。
 三振りで、黒き獣が刻の前へと跳ね出た。
「珀、」
 呼ばれた名に、白獣――雪豹が一度だけ刻の足へ身を摺り寄せる。気紛れな女を思わす素振りは冷ややかなれど、落ち着いた眼差しが刻への情を物語り。
「鳴」
 次いで呼ばれた黒獣――黒狼は、年若き少年のように尻尾を左右に揺らして一度振り返り、軽やかな足取りで刻に先を促す。
 刻が今より頑なであった頃。己以外、信じるものがなかった時分。戦う力を得たのと同じくして、寄り添ってくれたのが珀と鳴。刻が唯一、心を許した獣たち。
 相棒となった二頭に道行きを任せると、人のいない方へいない方へと進んでゆく。飲食への執着が少ない主の疲弊を察しての事か、それとも花の香りに誘われただけかは定かではないが、やがて一人と二頭は賑わい遠い陽だまりに落ち着いた。
 座り込むでなく、刻はただ立ち尽くす。穏やかな静寂が、痺れて麻痺したような心にじんわりと沁みゆき、労わりと慰めになる。
 されど付き従う獣らは、いつまでもじっとはしていられず。周囲を見渡しては、鼻をひくつかせ、また見渡しては、今度は主の顔を見上げた。
「――」
 白い睫毛が、ゆっくりと上下する。それを刻から与えられた許しと悟った二頭の獣たちは、興を引かれる秋の庭の散策を開始した。
 そんな二頭を目で追う刻の鼻先へ、陽光に温められた風が金木犀の香を運ぶ。
 何の変哲もない、日常だ。
 静かなばかりの一時だ。
 ――だが。
(「今は、」)
 多くは望まぬ。
(「これだけで、良い」)
 手にした長閑な昼下がり。刻は人知れず、静かなる秋の景色に溶け込む。

大成功 🔵​🔵​🔵​

蘭・七結
トモエさん/f02927

紫彩をあかく滲ませて
拓けた視界はなんてまばゆいのかしら
その聲色も、聲調も
なにひとつ変わらぬあなた
やわくて、心地がよくて
嗚呼、とてもあたたかい
ただいま、トモエさん
そして――〝おはよう〟

あまい、あまい香気の道をゆく
このお花が、キンモクセイ
眼前の景色は淡い美しさに満ちていて
すんと一呼吸をして肺奥まで吸い込む
溺れるような芳香、とてもすきよ

たどり着いたのは東処
そうと身体を預けたのなら
あなたと共にしたお茶のお話
サクラを眺めた春の日のお話
円かな満月を眺めた日のお話
どんなお話をしましょうか

あかく色づく瞳を伏せて
おやすみなさい、トモエさん
目が覚めた時には、また
その心地よい聲を聞けますよう


五条・巴
七結(f00421)と

戻ってきた七結にかける一声目は
おかえり

どんな"姿"であろうとも僕の中では七結は七結だ。
いつも通り、見せていた笑顔で声をかける。

進んだ先に見えた美しい景色に、胸に詰まっていた硬い空気が解けてゆく
1歩、歩み花々の間を縫いながら
七結と東屋へ

柔らかな金木犀の香りに包まれながら
先程の戦いの話ではなく、たわいもない、先日あった話だとか、楽しかった話を少しずつ語らって。
今度はどこに行こうか。もう冬が近いかな。

身体は疲れを訴えているからきっとすぐ寝てしまうね。
今はゆっくり、休もう。
そうして目が覚めて、また
おはよう
変わらず続く日々の、最初に音にする言葉を君に送ろう



●〝おはよう〟
 光が降っていた。
 真夏のように燦燦とではなく、真冬のようにたおやかでもなく、春のように華やかにでもなく、きらきらとしずしずと、楚々と降っている。
 ちくり。
 暗がりに慣れた網膜へ、小さな棘を突き立てられるのにも似た刺激に七結は目を細め、それから紫彩をあかく滲ませる瞳を大きく見開いた。
 ――ああ、ああ、ああ。
 拓けた視界のまばゆさに、七結の目がくらむ。うっとりと陶酔する心地。されど耽溺するより早く、七結の意識はやわくて心地よい聲に掬い上げられた。
「おかえり」
 何を含むでない、一言。
 気負いのない、いつもどおりの、一声。
 音に、聲色に、聲調に呼ばれて七結は首を巡らせ、傍らの巴のまろい笑顔に出逢うと、ふんわりと頬を弛める。
 ――嗚呼、とてもあたたかい。
 どんな“姿”であろうと、巴の中で七結は七結。故に巴は決めていたのだ。何があろうと、何が起きようと。戦い終えた七結を、いつも通り、見せていた笑顔で出迎えると。
 果たしてそれは、七結を温もりで包み込んだ。
 ――嗚呼、とてもとてもあたたかい。
 尖った光よりも胸に染みる巴の笑顔に、七結は感嘆を繰り返し、小作りの口を歌うように開く。
「ただいま、トモエさん」
 そして――〝おはよう〟

 光に導かれ秋の庭を巴と七結は歩いた。
 池の水面には光の粒が躍っていた。縁取る薔薇はむせ返るように甘い香りを放ち、色は濃い。
 春とは違う美しさに、巴の胸にわだかまっていた固い空気が解けてゆき。足取りを軽くした男は、半歩先を歩いて七結の歩みを促す。
 花の合間を、縫うように歩く。
 香りの主役は、いつのまにか薔薇から金木犀へと移り変わっていた。
 ふくよかさでは薔薇に劣るが、道に満ちたあまいあまい香気に七結は酔う。ふと目にしたオレンジ色の小花が鈴なりに咲く光景には、足を止めて、息を吸った。
 スン、と。小さく鼻を鳴らした少女の肺に、秋の馨しさが満ちる。肺腑の奥の奥まで満たされ、七結は秘めた華のように微笑んだ。
「わたし、この溺れるような芳香。とてもすきよ」

 薔薇のアーチを抜け、ゆるやかな坂を登り。
 辿り着いたのは東屋の群れ。手際よく寝床を整えたのは巴だ。金木犀のポプリを選んだのもまた、巴。直前に、七結が「すき」だと言ったからかもしれな。
 然して二人はクッションの褥にそうっと身体を預け、柔らかな金木犀の香りに全身を浸しながら他愛のない話に興じた。
 とつり、とつり。
 二人で共にした、お茶のお話。
 とつり、とつり。
 サクラを眺めた春の日のお話。
 とつり、とつり。
 円かな満月を眺めた日のお話。
 とつり、とつり、とつり、とつり。
 猟兵としての物語ではなく、巴と七結――人としての二人が紡いできた日常のお話。少しずつ、少しずつ語らって、日々の楽しさを振り返りながら温もりを散りばめていく。
 長閑な昼下がり、時間だけならたっぷりある。
 お話の種は、まだまだたくさん。
 でも、でも――。
「――七結?」
 うつらうつらと首を揺らし始めた七結へ、巴は眠りを促すように柔く聲を紡いだ。
 戦いを終えた後だ。身体は疲れを訴えている。ならば今は、ゆっくりと。
 微睡みへの誘いに、七結のあかく色づく瞳が伏せられる。
『おやすみなさい、トモエさん――……』
 おやすみは、きちんと最後まで言えたろうか? 聞けたろうか?
 ――目が覚めた時には、また。その心地よい聲を聞けますよう。
 内なる暗がりに沈みゆきつつ、七結は祈り。
 閑かな眠りに少女が沈んだのを見届けた男は、再び目覚めた時のことを想い描きながら意識を手放す。
 ――おはよう、と告げよう。
 変わらず続く日々の、最初に音にする言葉を。幾度でも、幾度でも、幾度でも、君へ。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

黒谷・英壱
頭がうまく働かないまま明るい日差しの下に出て
ふと甘い匂いに誘われ向かった喫茶店で蜂蜜ミルクを注文
パンケーキも頼もうか迷ったが、適当に散歩をしたいのでまた今度にしとこう

庭園をぼんやりと散歩し、時折飲み物を口に含み糖分を得る
まるでさっきまで催眠にかかっていたみたいだ
……いや、もしかしたら何処か本心の部分も出ていたのかもしれない
無意識に使ったこの手の変化技も、いつもと違って何か違和感を感じた
……まだまだ道のりは長そうだな


そんな中ふとウトラを見かけたから声をかけて少し話でもしようか
そうだな、立ち話もなんだしそこのベンチにでも座ろう

なあ、もしもう1度会いたい人に会えるとしたら、誰かいるか?
俺は──



●『俺は──』
 果たして何時、暗がりを脱したのか。
 気が付いた時には明るい秋の庭に居た英壱は、前髪のかかる目を幾度か瞬くと、忘れていたものを取り戻すように息を大きく吐いて――吸った。
「――甘い?」
 途端、薔薇と金木犀の香りの中に混ざった、とろりと蕩けるような甘さが英壱の琴線に触れる。
 然して未だ思考に靄がかかったような足取りで、英壱は気を引く甘さを求めて趣ある佇まいの喫茶店へと辿り着いた。
 店内は空いている。シンプルなメニュー票に写真付きで載せられたパンケーキも、食べてみたいと思った。
 だがそれ以上に秋の庭が、英壱を誘う。
(「――また、今度にしとこう」)
 これが今生の別れではない。来ようと思えば、二度目はある。過ったのは、喪失の不安ではなく、不可思議な安堵。
 然して英壱は蜂蜜ミルクだけをオーダーすると、それを手に元来た道を戻り始めた。
 先ほどはぼんやりと過った庭も、温かな飲み物を嚥下するごとに輪郭が際立つ。花こそ少ないが、青い空に残された緑が鮮やかだ。
 道順を違えたわけではない。摂取した糖分が、英壱の思考を蘇らせたのかもしれない。意識がはっきりしてくると、少し前までは催眠にでもかかっていたような気分になる。
(「……いや、もしかしたら」)
 次の春の準備の為か。土が掘り返された花壇の前に立って、英壱は己が裡へと思考を落とす。
 果たしてアレは催眠か?
 何処か本心の部分も出てはいなかっただろうか?
 無意識に使っていた手を獅子の頭部へと転じる力も、常とは異なる――そう、違和感のようなものを覚えはしなかったか。
「……まだまだ、だな」
 辿る事を望む道のりの、果てへの遠さを少年は実感し、空を仰いだ。
 澄み切った天は高く、雲一つない。どこまでも飛んでゆけそうな青だ。事実、羽搏く人影がひとつ。
「――ウトラ?」
「!」
 それがこの地へ自分を誘った少女であったのに気付いて名を呼ぶと、聞きつけたドラゴニアンの娘は英壱への傍らへとひらりと舞い降りる。
「こんにちは! それ、おいしい?」
 年は近い筈だ。けれど随分と年下に感じる口振りで衒いなく笑う少女に英壱は若干面食らいつつ、これも縁と憩いの一時へと誘う。
「甘すぎないのがいい。買ってくるか?」
「うん! まってて。びゅんって行って、びゅんってかえってくる!」
 立ち話も何だと、ウトラのいぬ間に英壱は空いたベンチを見繕い。声をかけたは良いが、何を話すか考え、気の赴くままに任せる事にする。

 なあ、もしもう1度会いたい人に会えるとしたら、誰かいるか?
 俺は──。

大成功 🔵​🔵​🔵​

渦雷・ユキテル
金木犀のお茶とシフォンケーキをいただきます
映え系スイーツもいいですけど
シンプルなのも味や香りに集中できて
結構好きなんですよねー

綺麗なものを見るたび、
美味しいものを食べる度に思っちゃう
彼と一緒なら景色はもっと綺麗で
こうして口にする甘さだって
何倍にも美味しく感じただろうなって

いつか二人で、
……やだなあ、甘いものも十分傷口に染みますね
だけど香りのおかげでしょうか
さっきよりは軽くなった気がします
どんな理不尽だって砕くことができるんですから
期待するのも悪くないでしょ
神様じゃなく、明日の自分に



●明日の自分
 ユキテルが陣取ったのは、椅子の脚が長いカウンター席。
 奥のキッチンスペースで手際よく動く店員の様子を眺めること暫し、胡桃色のトレイに乗せられ運ばれてきたものに、ユキテルは頬を緩ませた。
 真っ白いだけのカップの中身は、澄んだ紅茶色。
 同じく真っ白なだけの皿の上に鎮座するのは、卵の色が濃いふわふわシフォンケーキ。ミルク色のクリームが皿と同化しかけているが、素朴な手作り感が目にも優しい。
 ファッション好きとしては、映え系スイーツへの求心はあるけれど。たまにはこういうシンプルなのも良い。何より味や香りに集中できるのが――。
(「結構、好きなんですよねー」)
 くふりと微笑み、軽く両手を合わせて「いただきます」と瞬き、恭しくカップを持ち上げ、まずは一口。
 口いっぱいに広がった金木犀の香りが、優しく鼻から抜けてゆく。目を閉じるといっそう感じる香りが、脳裏にオレンジ色の小花が咲かすようだ。
 次はシフォンケーキをクリームと共に。口にした途端、クリームはしゅわりと溶けた。そして残ったミルクの風味が、シフォンケーキに使われた蜂蜜の甘さを引き出す。
「んんんん」
 十分合格点に達する味わいに、ユキテルは思わず両頬を包み込んだ。
 美味しい。嬉しい。幸せ。
 でも、でも、でも。
 こんな風に美味しいもの食べる度、綺麗なものを見る度に。どうしても思ってしまうことがある。
(「彼と一緒なら」)
 ――きっと景色はもっともっと綺麗なのだろう。
 一つの花を、二人で観る。あっちが良い、こっちが良いと言い合い乍ら、様々な景色を探す。
 ――甘さだって、何倍にも美味しく感じられただろう。
 違う品を頼んでシェアすることも出来る。好みの違いや、意外な共通点に目を丸めるのも、きっと楽しい。
 全ては、「だろう」だ。分かっている。けれど「いつか二人で」と考えるのを止められない。
「……やだなあ」
 知らず零れた溜め息に、ユキテルははっと顔を上げた。
 食したものを悪く言ったのではない。慌てて言い繕うとしたが、幸い独り言は誰の耳にも届かなかったようだ。
 良かった――安堵と共に、裏腹な痛みがユキテルの胸を疼かせる。
 困った事に、甘い物も十分傷口に染みてしまった。
 だが、先ほどより軽くなったように感じる。
(「香りのおかげ、でしょうか」)
 身体に満たした穏やかな香が、心を鎮めてくれるのかもしれない。
 どうしたって癒えない傷は、在る。
 されど癒える傷もある。どんな理不尽だって砕けるように。
(「期待するのも、悪くないでしょ」)
 ――神様じゃなく。
 ――明日の自分に。
 止めていた手を再び動かし、郷愁誘う甘味を口に運んだユキテルは、秋の彩が広がる庭を見た。

大成功 🔵​🔵​🔵​



最終結果:成功

完成日:2019年11月20日


挿絵イラスト