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散歩の記録。

ミニョン・エルシェ 2018年12月15日

訪れた場所、印象に残った事やモノを記録しておく場所です。気持ちとしては、その土地や事象に感謝して、褒めるような感じで書いていきましょう。




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ミニョン・エルシェ  2018年12月16日
4.岩村城//明知鉄道の恵那駅より、途中、駅の待合室にリアル仏像が鎮座している極楽駅を通過して電車に揺られて数十分。信長の叔母にあたる「おつやの方」が城主を務めていた岩村に到着です。ここの岩村城は三大山城の一角に数えられており、かつては江戸諸藩の中で、最も標高の高い場所に本丸を構えていました。その本丸跡から眺める景色は絶景です。他にも東洋のマチュピチュとも言われるほど美しい石垣を有しており、六段石垣も見どころの一つであることは疑いのない事でしょう。なお、六段になった理由は補修に次ぐ補修でこうなったとか。//なお、私が訪れた時は、偶然にも7年に一度の石室千体仏の御開帳の日。千体仏のある丘から岩村の城下町、そして岩村城まで白い帯が巡らされており、それは美しい光景でした。
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ミニョン・エルシェ  2018年12月21日
5.渋谷城//はい。渋谷です。渋谷にもお城がありました。不夜城的な意味ではなく。古くは渋谷金王丸、またの名を土佐坊昌俊が属する渋谷氏の居城でした。現在の金王八幡宮付近が本丸であったと伝えられています。あんな土地に城が建てられるのかと思われそうなものですが、武蔵野台地の縁に存在しているためにある程度の比高が確保されているほか、今は暗渠にされてしまって姿が見えない渋谷川を天然の堀とした要害でした。遺構はほぼ確認できませんが、金王八幡宮には渋谷城の石垣と伝えられる石が存在しています。…形は確かに積石に見えるのですが、落城が1524年前後となりますと、あのように成形された石はまだ存在するか怪しいですし、関東の城は手近に石を採掘できる場所もないですし、それ故に江戸城でも総石垣ではなく鉢巻石垣だったりしますし君は何処から来た石なのかこんこんと問うてみたく(以下略)
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ミニョン・エルシェ  2018年12月23日
6.赤塚城//これも都内のお城になります。高島平から10~20分ほど歩くと武蔵野崖線の縁に突き当たるのですが、この台地の縁という高台を利用した、後北条氏に属した武将の城と言われています。どうやら近場にある沖山の塁ともセットの様ですね。比高そのものは5,6Mほどだとは思うのですが、あれを槍や刀片手に登れるかと言われたら無理です。普通に登ってる最中に色々降ってきます。//経験則ではありますが、台地の縁には割と湧水が出る場所が多く、ここにも「しったり坂」や湧水を利用した「赤塚不動の滝」などが確認できます。なお、この近所には日本で三番目の大きさを誇る大仏、「東京大仏」もありますので、ついでに歩いてみると良いと思うのです。
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ミニョン・エルシェ  2018年12月24日
7.八王子城//北条氏の、未完の大城塞です。関東には珍しい、多量の石垣を使った御主殿は、城主である北条氏照が安土城を模して作ったと言われています。発掘調査では家紋である三つ鱗を模した巨石も見つかったり、レースガラスの壺が発見されたり、当時の北条氏の力は凄まじいのです。橋を渡った先の桝形はボトルネックとなっていますし、そもそも橋が木橋の為、落としてしまえば敵は攻める手段を一挙に欠く。更に御主殿の背後には山を利用した本丸があり、横矢に次ぐ横矢のオンパレード。戦国時代の城としては最末期のものであるだけに、未完成ながらほぼ完成形と言っても過言ではないでしょう。//そんな城でも守備兵力を十分に賄えない状態では内通者と数万を超える数の暴力には抗えず、一日で落城するという憂き目を見ました。//こちらを巡る時は、ボランティアの無料ガイドさんも居らっしゃいますので、そちらに案内をお願いする事をお勧めします。
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ミニョン・エルシェ  2018年12月24日
8.鉢形城//北条氏邦が改修したお城です。荒川と深沢川という二筋の天然の水堀に加え、荒川に削り込まれた断崖は正に絶壁。土の城に精通した後北条氏らしく、城内にも障子堀や緩く横矢を掛けた土塁、気合の入った土木工事量を感じさせる空堀など、様々な遺構を確認することが出来ます。障子堀につきましては同じ北条氏の城であった、東海道を守る山中城と共通する特徴ですね。水運・交通の要衝である為か武田信玄、上杉謙信なども攻込んできていますが、何れも撃退に成功して天下にその堅固さを示しました。最後の戦である豊臣氏による北条征伐においても、3万~5万とも言われる大軍による包囲を、3千の兵力で1ヶ月耐え抜き、結果として『落城』ではなく、『開城』してその役目を終えました。//春には氏邦桜が咲き誇り、秋には少し足を延ばせば長瀞の渓谷と見事な紅葉が見られます。この近辺にももう少しお城と史跡がありますが、今回はこの辺りで。
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ミニョン・エルシェ  2018年12月26日
9.唐沢山城//田沼駅から歩く事3,40分。唐沢山に到着です。私がこの城に興味を持つ切っ掛けは、関東には珍しい高石垣を持つ城という点。専門家に伺ったところ、石垣で有名な太田金山城と同じ地質であるとか。山を登っていく際にも剥き出しの岩盤が覗いています/この城は俵藤太公が築いたものと言われていますが、真実であるかは定かではありません。しかし、居を構えた佐野氏が上杉謙信を撃退しているという戦歴を持っています。竜宮にまで繋るという伝説を持つ石造りの大井戸に、土塁や堀切、切岸など様々な山城の築城技術が見られますし、関八州を見渡せると称されるその眺望は絶景です。スカイツリーも目視出来ました。あと、御朱印がすごく素敵です。あとあと、地域猫さんも沢山います。とても寛いでいます。なお、少し歩いた吉水の辺りにも城が構えられていたとか俵藤太公のお墓があるとか佐野城もセットでとか色々あるのですが今回はここまでで。
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ミニョン・エルシェ  2018年12月31日
10.山辺の道//はい、今回は城ではありません。大神神社から延々と歩きました。道としては途中、お墓を突き抜けたり二人は並んで歩けないような道幅の箇所もあったり、雪に追いかけられたりしましたが、景色もよく、道も歩きやすかったですね。特に、無人販売所が多く、干し柿や大福が100円から売られているので、楽しみも多いです。この辺りは流石奈良、古墳や寺社も多いので、御朱印帳を持って行くのもグッドかと。元伊勢と呼ばれる檜原神社の辺りからは、少し歩けばバス停も有るような道になりますので、リタイアも安心です。ゴールはお鶏様が沢山の石上神宮。此方の社務所には山辺の道踏破記念の木鈴もありますので、旅の記念に良いと思います。
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ミニョン・エルシェ  2019年1月1日
11.天の橋立//お城じゃないです。今回はバスツアーで行ったので、周辺スポットは薄いです。リフトで上がる事数分、ビューランドに到着です。幸いにも積雪はありましたが天気は良好、股のぞきで景観を楽しませて頂きました。流石は日本三景、細川藤孝は随分と良い場所に領地を貰ったと羨む次第です。なお、バランスを取るのがちょっと怖いのは内緒です。園内にはかわらけ投げが出来る場もあり、ちょっとした楽しみも多目です。//リフトを降り、安倍文殊院の混みようが半端ではなかったので、旋回橋を越えて天の橋立に突入。はい、橋がくるっと回ります。船を通すためです。そうこうして対岸の元伊勢を目指したのですが、残り500mを残して、残り時間が危険域に。というわけで、元伊勢の情報をお待ち致しております。なお、安倍文殊院の御朱印は抜かりなく頂戴致しました。
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ミニョン・エルシェ  2019年1月6日
12.岩崎城//名鉄日進駅から歩くこと20分ほど。小牧長久手の戦いにおいて、最も重要な局面を担った岩崎城に到着です。現在こそ復興天守と石垣が築かれていますが、往時は土の城だった模様。今でも土塁や、深さ、高さのある空堀の遺構が確認出来ます。意外に比高があるのがこの城の面白さでしょうか。//なお、この城は16歳で疱瘡…死病に罹った城代が239の兵を率い、かつて織田信長に仕えた猛将で、三河に奇襲をかけんとする池田恒興・森長可隊に戦いを挑み、全滅した場所。しかし、この僅かな戦闘時間、戦後処理の時間が小牧長久手の戦いの結果を大いに揺るがしたのです。//さて、ここから5分ほど歩くと白山宮があるのですが、此方の境内社に足王神社というお社があります。此方の御利益はミニョンお墨付きです。山で滑落したり色々ありましたが、大きな足の故障もなく過ごせました。日進に行かれた際は、足を伸ばされる事をお勧めします。
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ミニョン・エルシェ  2019年1月11日
13.十日えびす開門神事(1)//タイムリーな話題です。散歩じゃないです。全力疾走です。毎年1月10日に兵庫県西宮神社にて執り行われる神事の一つです。西宮神社の参道230mを全力で駆け抜け、神職さんに一番最初にタッチした人が一番福として認められます。福男になる条件は先着1500名での抽選資格を得、そしてくじ引きでAブロックの籤を引き、更に場所決めで好位置を得なければならないという超強運を求められます。あと、午前0時過ぎに抽選が開始されるまで、凡そ5,6時間ほど1月9日の寒い中、屋外で耐えて待つ必要があります。風がある日は地獄です。そして、終電は終わっています。帰れません。私はA,Bブロックに入ったことがないのでわかりませんが、AブロックやBブロックに入りますと、出走位置の抽選などで午前2時、3時くらいで拘束され、仮眠時間は殆ど取れないそうです。過酷です。
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ミニョン・エルシェ  2019年1月12日
13.十日えびす開門神事(2)//さて、重要な注意点をここで一つ。この神事に参加し、一番福から三番福に入られた方にはある義務が生じます。それは、その年に行われる3度の神事に絶対に参加せねばならないという事。これにつきましては怪我の注意も含めまして誓約書を書く事となりますので、それを織り込んだうえで挑戦してみてください。//100~400mの地元の陸上部の方たちも多く挑戦されているようですが、50m6秒台であれば、スタート位置によっては逃げ切れる…かもしれません。審判の楠という、とんでもない位置に生えている楠や、最後の坂など、気を付けるべき場所は沢山ありますし、大群が押し寄せますので転びでもすると大けがの恐れもあります。転ばない様に、福男になれる様に、全力で逃げましょう。周囲に福を分け与えられる福男になるという経験は、そう出来るものではありませんから。
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ミニョン・エルシェ  2019年1月12日
13.十日えびす開門神事(3)//Aブロックの事ばかり話しましたが、Bブロックでは参加証として開門神事の軍手がいただけます。また、Cブロックは外れ籤ですので、御縁がなかったと思って諦めるよりほかありません。しかし…私が抽選に外れてでもこの神事に参加したいと思ったのは、福男が決まった後の、場の一体感です。どこからともなく湧きおこる、福男を讃えるコール。厳かな宮司さんによる祝詞。福男さんたちによる鏡開きと、振る舞われるお酒を呑み合い、見ず知らずの方たちが楽し気に語り合うその空気。それが、私は大好きなのです。
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ミニョン・エルシェ  2019年1月13日
14.洲崎神社//館山からレンタサイクルをかっ飛ばし、寄り道等々含めて1.5時間ほど。安房国一宮、洲崎神社に到着です。坂が多く、大荷物を背負っての移動だったため、流石に足腰にきましたがそれはさておき。三浦半島の安房口神社と対になる、東京湾守護を担うとされている神社です。結構な階段を上る必要はありますが、その分非常に見晴らしがよく、特に富士遥拝所からの景色は絶景です。なお、こちらには夏場に行った時は雨柱が迫っている事も見えてしまったため、慌てて降りて社務所で雨宿りさせて頂いたのも良い思い出です。あと、御朱印が豪快です。とても、豪快です。//この辺りには里見氏の館山城や沖ノ島を初めとするビーチ、さかなクンに関係する研究施設や観光施設等々もありますし、新鮮な海の幸を堪能するなどの楽しみ方も出来ますので、お勧めしたい場所の一つです。
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ミニョン・エルシェ  2019年1月15日
15.鬼鎮神社//埼玉県武蔵嵐山にある小さなお社です。周りは菅谷城に杉山城に小倉城に伝木曽義仲生家に大量の史跡で溢れています。さて、この小さなお社を何故取り上げたかと言いますと、節分が近いから、です。この鬼鎮神社、関東圏では唯一と言われる、「鬼を祀る」神社なのです。全国でも4例しかないそうですので、全国的にも非常に珍しいですね。境内には鬼の金棒が奉納され、お守りも金棒。手のひらサイズですがずっしり重いです。社殿の梁には赤鬼・青鬼の額がかかっています。とても憎めない姿です。//私が訪れたのは昨年の節分で、雪に覆われた杉山城を踏査した果てに辿り着いたのですが、なんと鬼が豆を撒くという現場に居合わせました。「福は内、鬼は内、悪魔外」の掛け声とともに、豆どころかお守りにお札に蜜柑にetcがわんさわんさとクロスファイアでした。//名物の嵐山辛モツ焼そばも美味しかったので、是非お立ち寄りください。
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ミニョン・エルシェ  2019年1月16日
16.大和郡山城//豊臣秀吉の弟、羽柴秀長の居城です。石上神宮の後に立ち寄らせて頂いたお城です。ここのお城の特徴は、石垣です。ただの石垣であれば石垣技術が普及したこの時期のお城では珍しくないのですが、ここは何といっても墓石からお地蔵さんから石臼から、石と呼べるものは何でも石垣に使ってしまったという転用石の使用率が最も多いとされているのです。きっと、良い岩盤が無くて苦労されたのでしょう。関東のお城をメインに歩く私としては同情を禁じ得ません。転用石自体は姫路城にも見られたりしますが…はい、多くの古墳が黒田官兵衛にクラッシュされた模様です。石棺の蓋とかいい具合ですものね、仕方ないです。私でも使います。さておき。石垣に組み込まれた逆さ地蔵や、かつて石垣に組み込まれていたという閻魔像など、当時の民間の生活や信仰のにおいを感じ取ることが出来るお城です。はい、ぐだぐだですが、今回はここまでで。
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ミニョン・エルシェ  2019年1月19日
17.佐野城//駅チカ物件です。徒歩1分というレベルです。東武佐野駅北口にある城山公園。これこそが佐野城に他なりません。「城山」とつく丘は、割と城址である事が多いです。元々は9で説明した唐沢山城の城主、佐野氏が「豊臣系だろお前、そんな奴が眺望も良過ぎるいい城持ってんじゃねーぞ」と幕府に難癖付けられ…たかはわかりませんが、この地に移封されて築きました。連郭式の城としても、とてもわかりやすい作りです。堀切に切岸、お手本の様な作りです。しかし、1614年に佐野氏が突如改易。凡そ10年と少しの、本拠としては短命な城として幕を下ろしました。//佐野と言えば、佐野ラーメン。そして佐野厄除け大師。はい、佐野ラーメンのお店が本当に多いです。ちぢれた感じの麺が美味しいです。御当地のあの白いキャラクターも可愛らしいです。御当地グルメを楽しみながら、是非佐野城にも立ち寄って頂ければと思う次第です。
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ミニョン・エルシェ  2019年1月25日
18.杉山城//土の城の教科書、と称されるお城です。続百名城です。山内上杉氏の城か、後北条氏の城か…発掘物と築城法によって築城年代の想定にバラつきが出ているという、「杉山城問題」でも、そちらのスジの人には有名です。…上杉氏が築いて、後北条氏が大規模改修を加えた、なのではないかというのは私の妄想です。//横矢掛や喰い違い虎口、ボトルネックとして配された土橋など、決して大きな城ではないのに、極めて精緻に、かつ効果的に組み合わされています。木橋を配されていたと思われる行き止まりの通路もあったりするので、絶望感半端ないです。城はその目的で築くとはいえ、一歩足を踏み入れれば生きては帰れぬ様な、凄まじいまでの殺意に満ち溢れています。何処から撃たれそうか、何処から撃てそうか。何遍城に殺されたか。それらを妄想しながら歩くのも醍醐味だと思うのです。
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ミニョン・エルシェ  2019年1月28日
19.太田金山城//群馬県太田市に存在する、関東でも有数の石垣を持つ山城です。由良氏の居城であり、武田信玄や上杉謙信といった高名な武将でも攻め落とすことが出来なかったこの城には、堀切や堀底道、食い違い虎口などの遺構が見られるほか、うっすらとですが土塁も現存しています。//さて、私は西城方面から登って行ったのですが、此方の方にはほとんど石垣が無い土の城の様相です。しかし、実城に行くとがらりと一変。ほぼ総石垣の、マチュピチュの様な威容にお目にかかることが出来ます。郭の作りは殺る気満々です。大手虎口は緩やかにカーブしていて先が見通せませんし、綺麗に相横矢掛かってます。攻込んだと思ったら袋の鼠です。そんな虎口を抜けると、祭祀にも使われ、水が枯れた事が無いという神秘的な日ノ池、そして更に登って行けば新田神社が有ります。もう、全部伝えようとすると言葉が足りまいくらいに魅力的なお城なのです。
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ミニョン・エルシェ  2019年2月2日
20.大高城//松平元康…のちの徳川家康の兵糧入れで有名なお城です。また、この城と鳴海城が桶狭間の合戦を招いたとも言えるかもしれません。さて、私は鳴海城から延々と歩いてみたのですが…鳴海城から、織田方が大高城を分断する目的で築いた善祥寺、丸根の両砦までは凡そ15~20分、そこから更に10分ほど歩くと大高城に到着です。はい、たったそれくらいの距離です。砦からは大高城が丸見えで、城の人達は本当に落ち着かなかったと思います。大声出せば届くのではないかという距離感です。故に、桶狭間の戦い当日に松平隊などに襲われて壊滅の憂き目を見るのですが。この信長の付城のやり方は、後に秀吉にも継承されて、鳥取城攻めの時に…さておき。小さな郭や切岸、土橋などの遺構が確認できます。高さは20m程ですが、意外に眺めも良好です。流石は濃尾平野。是非、桶狭間の散歩の後に立ち寄って頂きたい場所です。
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ミニョン・エルシェ  2019年2月13日
21.菅谷城//別名、菅谷館。武蔵嵐山にある、畠山重忠の居館です。…とはいえ、大改修されて完全に城塞と化しているのですが。内部の空堀とか横矢掛とか結構えぐいです。なお、城内にはコンクリート製の畠山重忠公も鎮座しています。武蔵嵐山駅方面からだと平地のイメージがありますが…反対側からだと、都幾川、嵐山渓谷の河岸段丘により高低差を確保。広大な天然の水堀を持っているため、堅固な城であったことは疑い有りません。さて、これまでの話題で出て来ました杉山城と共に、このお城も比企城館跡群として、国の指定遺跡となっています。近くには旭将軍木曽義仲の生家もあったりしますし、敷地内にはホタルが生息していたり、オオムラサキの保護林などもあります。あの辺りは自然も多いですが見るべきものも多く、歩いてみると楽しいのです。
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ミニョン・エルシェ  2019年2月22日
22.山中城//静岡県の三島方面のお城ですね。旧東海道を挟み込む様に築かれた、後北条氏の城塞です。街道を城内に引き入れているせいで、相手方からは無視できない立地なのです。//高低差とクランクを見事に組み合わせ、各郭で連動して敵を迎撃できる実に美しく、殺意溢れるお城です。そしてとくにベルギーワッフル…ではなく障子堀。障子堀も美しいのです。火山灰に由来する、崩れやすい地質のため、一度落ちると脱出は困難だとか。障子堀の特徴として移動も制限されますし、念仏を唱えるしかありません。ぜひツツジの季節に訪れて頂きたいのです。//しかしそんな素晴らしいお城も、6万もの豊臣軍という、訳の分からないレベルの数の暴力、浸透戦術には抗えなかったのでした。
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ミニョン・エルシェ  2019年2月27日
23.姫路城//天下に知れた白鷺城、世界遺産のお城です。駅を出ると真っ白なお城が見えて感動した記憶があります。近所には播州総社の射楯兵主神社や、素晴らしい庭園である好古園もありますが、今回はお城を。ええ、水堀を渡っていくのですが、見事に横矢が掛かっていて、側面攻撃されたらと思うと渡る気が失せます。//城塞としての素晴らしさ、白漆喰の美しさは言わずもがな、古墳の石棺などの転用石が多く見られるのが特徴です。そりゃ、整った形をした石材は、石垣に組み入れやすいので私でもそうします。また、天守の頂上にある長壁神社や播州皿屋敷の舞台となったお菊井戸なども現存しています。とても怪奇には縁深いお城ともいえるかもしれません。お菊虫は採取できませんでしたが…。某ゲームでも取り上げられたこともあるようですし、非常に綺麗な町割りをしているので散策もしやすいです。世界遺産という価値もあって、必見ですね。
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ミニョン・エルシェ  2019年3月4日
24.掛川城//今川氏の忠臣、朝比奈氏が守ったお城を、山内一豊が改修したお城です。子角山の旧掛川城と一緒に見ておくとぐーです。此方にも立派な堀切がありますので。さておき、太田道灌の子孫である太田氏も幕末期に城主として城を守っており、御殿に収蔵されている、太田氏の「本小札紺裾濃縅大袖付胴丸」の美しさは必見です。冠雪した富士山を思わせます。//このお城は山内氏の文書を参考に、高知城を模して、木造建築で再建したものとなります。あ、御殿は川越城と並ぶ現存のもので、実際に拝観も出来るので是非是非。(確か)900円の周遊券を購入すると、お茶屋さんで和菓子もいただけますのでお勧めです。
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ミニョン・エルシェ  2019年3月5日
25.天竜二俣城//天竜川に削られた断崖を要する、今川領のお城です。現在確認できる天守台の石垣は、豊臣期に作られたものだとか。天竜川は交通、交易の要衝ですし、ここから北は武田領。非常に重要な拠点です。比高もあり、武田勢が攻めあぐねたのも頷ける好立地です。また、徳川家康の嫡男、松平信康が自害したお城でもあります。私にとって大きな発見だったのは、二俣城の付城とされていた鳥羽山城が、「結果として」付城と機能しただけであって、本来は同一の城であった可能性が高い、という事でしょうか。付城といえば丸根砦の様な簡素なものを想像していたのですが、鳥羽山城に庭園遺構を見た時は吃驚しました。//二俣の地は高名な自動車メーカーの父、本田宗一郎氏の故郷であり、また、天竜浜名湖鉄道の転車台なども見ることが出来ます。…鳥羽山城のローラーコースターも良かったのです。
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ミニョン・エルシェ  2019年3月8日
26.「千葉セクション」の地磁気逆転地層//簡潔に言えば、養老川沿いに露出している、「チバニアン」の地層です。小湊鉄道の月崎駅で下車、国道172号線沿いを延々と歩き、田渕地区に到着。わかりやすい「チバニアン」の幟が立っているので、それを目印に、川に向けての下り道。凄く急で、帰り道が憂鬱でしたね…。問題はここからで、目的の地層は川縁にあります。足元は滑りやすい上に急流、多少の川の増水で簡単に水没しそうな足場しかありません。命にも関わりますので、好天が続いた翌日がお勧め、です。なお、私はキジや、カゲロウの集団羽化とのエンカウントが発生しました。//なお、上総中野駅でのいすみ鉄道と小湊鉄道の乗り換えは劣悪な状態(乗り換え待ちで約1時間)であるため、五井駅からがお勧めです。
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ミニョン・エルシェ  2019年3月10日
27.大多喜城//三河が産んだ汎用人型決戦兵器ホンダムもとい、本多忠勝公のお城です。元々は朝倉宗滴の語る「日本に国持人使の上手よき手本」として列挙されている人物の一人である、名将・正木時茂のお城でした。//いすみ鉄道で揺られること30分ほど、城見が丘から既に城が見えています。大多喜駅からは徒歩10分ほど。雨脚が強い場合は大多喜高校からのルートが封鎖されてしまうため、御注意を。天守の内部は資料館になっており、貴重な兎形兜や刀剣、書画類、そして隠れキリシタンが所持していたとされている、十字架やマリア観音などを見る事も出来ます。//私の旅は大阪の一心寺から始まりましたので、良玄寺の忠勝公、忠朝公の墓碑に詣でさせて頂いた時、えもいわれぬ感慨がありました。…あくまで私の感動、ですが。
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ミニョン・エルシェ  2019年3月27日
28.イフ島//名前だけではわかりづらいですが、こう言えばわかる方もいらっしゃるでしょうか。シャトー・ディフと。元々はマルセイユを守る海上要塞だったのですが、それが気付けば監獄に早変わり。モンテ・クリスト伯とかが幽閉されていたとか、そもそも実在してない人ですが、それでもモンテ・クリスト伯が収監されたという牢獄が現存しています。作りものですが。監獄内には、建材にの石に様々な名前を彫り込んだものがありましたが、あれはジョークだったのか、それとも、本物だったのか…。ミニョンとしては気になるところです。//フェリーではマルセイユのヨットハーバーの風景を楽しめるうえ、30分もせずに渡れるのですが、私が訪れた時は風が非常に強かった記憶があります。外洋にある事も関係しているのでしょうか?丘の上にあるノートルダム寺院の内装に、船乗りの祈願の吊るし物が下がっていたりするので、きっと湾外は難所なのでしょう。
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ミニョン・エルシェ  2019年4月1日
29.皇居乾通//江戸城…つまり、今の皇居の桜の名所です。一般公開の時のみ立ち入れる場所です。なお、江戸城は享徳の乱における戦争の天才の片割れ、太田道灌が築城し、徳川政権が拡張したお城ですね。はい、私は日曜日に行きましたため、大変な賑わいでした。大手町より、手荷物検査を経て坂下門へ。黒塗りの御門というのも美しいものです。それはさておき、江戸城の石垣の凄まじさに圧倒され、富士見多聞を右手に眺めながら前へ。左手の道灌堀も、堀沿いに枝垂れの桜が咲いていて美しかったです。そして、さらに進むと東御苑と乾通の分かれ道。東御苑に行ってしまうと、乾通には戻れなくなってしまうので注意です。此処からはヤマザクラやエドヒガンザクラなど、様々な桜が通りを彩ります。この通りから眺める桔梗橋も大変美しく、是非、一度は楽しんでいただきたい風景でした。
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ミニョン・エルシェ  2019年4月14日
30.近江八幡城//琵琶湖のほとり、八幡山の頂上にあるお城で、現在は村雲御所瑞龍寺となっています。JR近江八幡駅から歩く事になるのですが、兎にも角にも町割りが綺麗!まるで碁盤の目の様で、自分の居場所さえ分かっていれば、必ず目的地に辿り着けると言っても良いかと思います。目的地にたどり着くまでにはヴォーリズ氏の建築物や、彼の興した「近江兄弟社」、時代劇の撮影にも用いられる八幡堀、和菓子のたねやなど、沢山の見どころがありますので是非お立ち寄り頂ければ。さて、日牟禮八幡宮に到着したら、そこからはロープウェーで頂上へ。頂上からは安土城、及び観音寺城、世界的に見ても珍しい有人の湖沼の島、沖島などが見られるのです。//秀次公は暗愚だなんだと言われがちですが…近江八幡の美しさ、「近江商人」を輩出する商業都市として発展させ、今なお地元で慕われている事。それこそ彼の実像を表している、そんな気がします。
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ミニョン・エルシェ  2019年5月7日
31.弘前城//新青森駅から弘前駅まで、電車に揺られること1時間ほど。そして臨時バスに乗って更に10分ほど。弘前城に到着です。私の行く2,3日前に嵐が来たようで、残念ながらソメイヨシノは壊滅状態でしたが、代わりに枝垂桜と八重桜のピークには間に合ったようで、見事に満開でした。弘前城の天守の裏表の姿の違いはTVなどでも紹介されていますので割愛。それよりも、現在、石垣の修復のため、曳家の手法で天守が別のところに移動しています。それが怪我の功名となり、岩木山と一緒に天守を眺めることが出来るのです。これは修復が終わったら見られなくなる光景ですので、是非見て頂きたい風景ですね!そして、この弘前城には出城として「禅林街」と呼ばれる、お寺しかない界隈があるのですが…一件だけ保育園が混ざっていてほっこり。
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ミニョン・エルシェ  2019年5月7日
32.尻屋崎//本州最果ての地です。バスの本数がとっても少ないのです。一歩間違えると身動き取れなくなるのです。それはさておき。ここの名物は何と言っても寒立馬。道産子の様ながっしりした体格のお馬さんなのですが、そのお馬さんたちが放牧されています。それはもう、車道を歩くわ、池にダイブするわ、崖っぷちでのんびり草を食むわ、とってもフリーダムです。フリーダムですので、ボロには注意です。大海原を背景に、のんびりと草を食む寒立馬はとても絵になりますし、天気さえよければ北海道も視界に収めることが出来るのです。ただ、人馴れはしていますが、それでも臆病らしく、犬の吠え声を聞くとパニックを起こして暴れ出したり、油断して後ろに近付いて救急車沙汰、という事もあるらしいので、お互いの為に気を付けてあげてください。適切な間合い、大事です。
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ミニョン・エルシェ  2019年5月9日
33.恐山//むつバスターミナルから直通のバスに揺られる事、およそ1時間ほど。山中の林道を行き、突如視界が開くと広大な宇曽利湖が。恐山は曹洞宗の禅寺で、今も昔も湯治客が訪れる場所。境内で参拝料が必要ですが、素晴らしい景観と温泉に入れる事を考えれば些細な額です。地熱の所為か、足元から熱を感じる気がしますし、火山性の岩がごろごろ転がっている上に、硫黄の臭いが立ち込めているために「死」や「地獄」を感じる場所ですが、「極楽浜」という場所ではそれが一転。残雪の山々、ターコイズブルーの池、新緑の緑。あまりに鮮やかで、地獄から極楽への救いすら感じる景観です。恐ろしい場所というよりは…涼やかな、信仰の山という印象が強かったです。//境内にはイタコさんもいらっしゃって、お話を伺うことが出来ます。一人呼んで頂くごとに、4千円。もし、そこまで行ってでも会いたい人が居る方は…救いを感じられるかもしれません。
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ミニョン・エルシェ  2019年5月28日
34.館山城//はい、たまにはこちらで仕事します。館山城は房総半島の要衝、里見八犬伝でおなじみ里見氏が治めた城です。海沿いの丘に建てられた城は眺望もよく、水軍を率いた里見氏らしく、海上交通も手に取る様にわかる様な立地となっています。驚いたことに、この里見氏は葛飾区手前の国府台城で関東の覇者、北条氏と合戦を繰り広げており、個人的にはその行動範囲の広さに驚いていたりします。//館山駅から少しばかり距離がありますので、レンタサイクルで他の場所も周りがてら、散策するのが良いかもしれませんね。なお、現在ある天守は模擬天守であり、本来の姿は「あったと言われる」程度とのこと。とはいえ切岸などの遺構も確かに残っていますし、海を眺められるその景色も良好ですので、館山にお越しの際はぜひ。
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リルア・ルリア  2019年7月5日
35.石神井城//石神井公園の駅から歩いて、石神井公園にある石神井城跡を見てきたのよ。といっても、塹壕や盛土の跡の上の雑木林ばかりで、お城の雰囲気は掴めなかったわ。となりの氷川神社で茅の輪くぐりをしてきたけど、厳島神社もみてくればよかったと思ってるのよ。
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ミニョン・エルシェ  2019年7月15日
36.石脇城//焼津駅から国道150号と東海道新幹線沿いに歩いて30分ほど。周囲は藪に覆われており、蚊とのエンカウント率はカンスト状態、しかし頂上からは焼津の港も見渡せるお城です。このお城の特筆すべき点は、伊勢盛時…北条早雲が用いていたという一点。今川家が山一つ分京に近い場所を手配してくれたのでしょうか?案内板には縄張り図があり、土塁や堀切の遺構を確認しやすいのでお勧めなのです。なお、井伊直孝産湯の井戸などの史跡もありますので、ついでに立ち寄るのもぐーだと思います。
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ミニョン・エルシェ  2019年7月24日
37.韮山城//興国寺城から移った北条早雲が、終生の居城としたお城なのです。「韮山城」だけを見ると龍城山を丸っと使った、比高40M程の中規模のお城にしか見えないのですが、その真の姿は隣の天ヶ岳の砦群も利用した大城塞。まあ、規模で言うよりかは、小田原攻めの際にこの韮山に動員された軍勢が5万ほど。蒲生、織田、福島、細川、森、蜂須賀など錚々たる面子ですね。それを3か月耐えちゃいました。//周囲は韮山反射炉や、源頼朝の流刑地であった蛭ヶ小島、北条氏邸など、歴史ファン必見の史跡がごろごろ転がっているのです。日本で初めてパンを作ったのも、此処、韮山の方だとか…!なお、軍用の乾パンなので、真面に齧ると歯をやられると思われます。
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ミニョン・エルシェ  2019年7月29日
38.興国寺城//北条早雲が今川氏親によって与えられたお城です。ここから今川氏を助けつつ、伊豆制覇に乗り出していくことになります。沼津も近いので、立ち寄ってマグロ丼を食べたのは秘密です。//原駅から一寸入るとその名も興国寺城通りというまっすぐな道がありますので、これに沿って歩けば迷うことなくたどり着けます。かなりの深さのある大空堀や、山そのものをくりぬいたのではと思える土塁などの遺構が確認できますが、武田系の三日月堀や、豊臣・徳川期の天守跡もあり、早雲の時代の遺構は、ぶっちゃけわからない状態です。しかし、こういう場所だからこそ、在りし日の彼をほんの少しの実感を以て、妄想出来ると思うのですよ。
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ミニョン・エルシェ  2019年8月4日
39.信州上田城//タイムリーでしたので。他人のお金で城を建てておいて、その城で出資者を迎撃するとかまさに真田。そんな真田信繁の父、昌幸の城と言われていますが、今の形は仙谷氏による大改修後のもの。千曲川によって削られた断崖を利用したり、鬼門封じを取り入れたりなど鉄壁の防御。隠し穴などの伝説があるのも頷けます。昌幸なら、それくらい、やる。なお、真田神社の御朱印帖は、期間限定ですがゴージャスなものもあったりするのです。私は思わず欲に目が眩みました。さすが真田、商売も上手。
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ミニョン・エルシェ  2019年9月23日
40.吉田城//妙に普通な名前と侮るなかれ、徳川家康の祖父、松平清康や、徳川四天王の一人、酒井忠次ゆかりの城であり、東海道の要衝を抑えた屈指の城塞の一つです。場所は豊川稲荷も近く、ヤマサのちくわも美味しい豊橋。天守の代用として用いられた鉄櫓が再建されており、陸路、河川双方を抑えた河の城の威容を窺う事が出来ます。また、辰巳櫓などの石垣には、様々な刻印が観察できるのも特徴ですし、豊川側から攻めあがる際の川手櫓、入道櫓近辺の虎口の、溢れんばかりの殺意はさすがの一言です。//出世城としても有名ですし、もしかしたらご運も開けるかもしれませんよ!あと、やっぱりちくわがおいしかったのです。
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ミニョン・エルシェ  2019年11月4日
41.武節城//武田勝頼が長篠・設楽原決戦で敗れ、滅亡の道を辿ったことは有名ですが、その勝頼が逃げ込んだのが武節城です。ここから、更に田峯城まで逃れようとするのですが…。//「稲生温泉どんぐりの湯」側から見ると比高がわかりづらいのですが、一度曲輪に入ってみて、そして城山八幡神社から周囲を見渡してみると、意外なほどに高さがあり、周囲の砦・城群と連動した中規模の城であったことが窺えます。切岸や虎口の部分も残りが良かったのですが、稲生温泉側から行くとお墓に突入することになりますので、心の準備はしておくとよいかと…。なお、とうもろこしがすごくおいしかったのです!
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ミニョン・エルシェ  2020年3月4日
42.足助城//ウィルス禍で外に出られないのでお仕事します! 足助城は愛知県有数の紅葉の名所、香嵐渓を擁する山の中のお城。足助の地名は「足助氏」という源氏に連なる氏族からとられたのですが、どうやら足助城自体は戦国時代に、三河鈴木氏によって築かれたというのが通説となっているようです。ややこしい。//アクセスは悪いのですが、城の保存・及び整備は非常に良好な状態で、切岸の遺構などを観察できるほか、御城印も格好いいのです!足助の町並みも見渡すことができますし、香嵐渓を歩くのもまた良しとのんびり散策するのは絶好な場所だと思うのですよ。忘れるところでしたが、日本の戦国時代の山城の中で、最初に復元されたのもこのお城なのです!
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ミニョン・エルシェ  2020年6月28日
43.本佐倉城//千葉県の京成線特急も停車する秘境駅、大佐倉にあるお城なのです。続百名城にも選定されており、関東の名士、千葉氏の本城で、沼に囲まれた好立地。船着場の様な遺構も確認出来るのです。お城のゆるキャラは『かったねくん』というのです。//内部は石垣を用いない土の城ですが、堀切や虎口、土塁の残存度は非常に良好。あと、縄張内に並べてある月星紋の置盾の格好良さは異常なのです…!//京成線を乗り継げば宗吾参道や、ど迫力な空堀を擁する佐倉城にも行けますので、其方にも足を運ばれるのをお勧めするのです。
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ミニョン・エルシェ  2020年9月20日
44.苗木城//岐阜県中津川市にあるお城なのです。森長可を撃退した事も!造りがまず特殊で、巨大な自然岩の上に懸け造り…清水寺の様に足場を作り、その上に天守を建てていたと伝わります。天守付近の馬洗岩の大きさも圧巻ですがー…流石にあれを馬と言い張るのは無理があrけふけふ。車で30分ほどの位置にある岩村城の様に、櫓の石垣の組み方も見事で…遠山氏は石の扱いが得意だったのかもしれませんね?//なお、資料館には藩札などの苦しい財政状況を窺える資料も沢山…。立派なお城を維持するには、お金がかかるのです…。//龍の伝説もあるのですが…私は、山を巻くように遺された石垣に龍を見た気がするのです。
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ミニョン・エルシェ  2020年9月21日
45.長篠城//歴史のある一族ながら、三河の小豪族に過ぎなかった奥平氏を一躍大名にせしめた堅城なのです。//長篠の戦いと言えば甫庵信長記における描写が有名ですが、そもそもの成立の切っ掛けが、あまりにも防御面が優秀過ぎて落とせなかった事。二つの河に加えて断崖絶壁、防御を一面に集中できる素晴らしい縄張り。なお、長篠城を脱出して徳川・織田連合軍の救援を実現させた鳥居強右衛門磔刑の丘も見えるらしいのですが、草木が茂っていてよく見えず…。なお、JR飯田線がお城のすぐ側を走っていたりするのです。//資料館には血槍九郎の槍が展示されていたり、血痕の残る陣笠が展示されていたり…。近くの道の駅、もっくる新城には美味しい五平餅が売られているので、こちらもおすすめなのです!
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ミニョン・エルシェ  2020年9月27日
46.明知城//別名『白鷹城』、現在の岐阜県明知町にあるお城なのです!明智光秀の生誕の地とも言われますが、同じ岐阜県にある『明智城』の方が支持されていますね。//岩村、苗木等、美濃で活躍していた遠山氏のお城で、先の両城が岩盤や石垣を多用した城であるのに対し、こちらは全くと言っていいほどに石は使われない土の城なのです。江戸時代に入ってからも改修を加えられていたためか遺構の残りがよく、畝状空堀群は一見の価値ありです!切岸や虎口などの防御要素も一つ一つ、しっかり定まっているお手本の様な城なのですよ!整備も良くて、歩きやすいのです!//なお、大正村のレストランではジビエカレーが食べられたり、半分青いプリンがうっていたり。個人的には西宮恵比寿様の分社があった事に、十日戎を何度も走ってきた身として、ちょっとした御縁を感じました。
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ミニョン・エルシェ  2023年4月3日
47.妻木城//岐阜県妻木町にあるお城なのです!土岐明智氏、又の名を妻木氏の城で、この妻木氏からは明智光秀公の正室である、煕子女史などが出ています。//城の麓には士屋敷の石垣が遺っており、江戸時代は山頂ではなくこちらの屋敷で政務を行ったとか。それもその筈、山頂の妻木城まで比高にして200mほどの登山を強いられるため。当時の方からしても相当不便だった様で、麓に政庁を移したとか。…通勤からストレスは抱えたくないですよね…。//そんな訳で、登山装備はしておいた方が安全。山頂の本丸には石垣が残存しており、帯曲輪など、至る所に花崗岩の岩盤が露出しています。この花崗岩の節理というか割れ方、石垣みたいに見えて紛らわしいのですよね…。//妻木城の近くには土岐明智氏の菩提寺である崇禅寺、更に進めば道の駅美濃街道どんぶり会館などもありますので、美濃焼きの掘り出し物を物色するのも楽しいかも、なのです!
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ミニョン・エルシェ  6月4日22時
48.高根城//静岡県浜松市の北部にある城で、夏は酷暑で冬は冷凍庫の豪雪地帯にある城です。//天竜川水系水窪川と秋葉街道を監視する城であり、遠州に広く分布する、後醍醐天皇の皇子とされる尹良親王ゆかりの城の一つ。現在も主郭からは水窪の町が一望できます。この眺望の良さから中世には武田氏の城として改良が加えられた、とのこと。二重の薬研堀が復元されているほか、城壁も復元されており、おんな城主直虎のロケ地の一つになったことも。//背後は車で行きましたが、もしかしたら飯田線で行った方がよかったかも…という、中々の酷道ぶり。水窪の町が見えて道が開けた時は、本当にホッとしたのでした。遠州七不思議の一つ、幻の池もこの地域ですが、酷暑と登山とヤマビルのコンボがキマるらしいので、挑むかは考え中…。星の駅水窪のオーガニックなお弁当は絶品ですので、ぜひお立ち寄りくださいね!
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ミニョン・エルシェ  6月18日18時
49.奥大井湖上駅//大井川鐵道の秘境駅のひとつで、何より特徴的なのはその立地!その名の通り接岨湖上にあり、奥大井レインボーブリッジという鉄橋で結ばれているのですが…この湖、ダム湖!湛水の結果、離れ小島となったようなのです。//湖上駅にはカフェがあり、景観も雰囲気も抜群!大井川の水で淹れられたコーヒーも、多分川根茶?の甘茶糖も心身が休まる味ですし、蒼い湖上カレーが何より美味しい!湖上駅をイメージして、青いルーの上に、島の様なライスが盛り付けられているのです。かわいい。//なお、湖上駅の開発をテーマにしたと思われる小説の第4話が掲示されているのですが、タヌキたちと人間の交流が描かれている模様。途中からじゃわからない…っ!ただ、帰り道の鉄橋の上に狸の落とし物があり。人と鉄道だけでなく、確かにタヌキも利用している事がわかったのでした。
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ミニョン・エルシェ  8月3日16時
50.諏訪原城//静岡県島田市にある、武田方の馬場信春が築いたとされる城です。現在の国道1号沿いにあるため、アクセスも良好!//このお城の目玉は三日月堀と丸馬出!甲州流築城術で多く見られる形の馬出ですが、ここは特に保存状態が良く、上空から見ると笑顔の様にも見えることから、グッズのデザインにも流用されていたり。主郭からは海まで見渡せる立地のため、街道や周辺の城砦の監視に役立てられていたことでしょう。//実戦経験を持つ城でもあり、併設されているビジターセンターにも実戦を経たであろう発掘品が多く展示されています。撃ち込まれて変形した徳川方の鉛玉や、資源不足から鐚銭より鋳造された武田方の銅玉が展示されています。撃ち込まれてなお変形が少ない銅玉の恐ろしさは推して知るべし…//夏の暑さの中、島田市の職員さんたちが草刈りをやって下さっており、管理にも力を入れて下さっている様なので、機会があれば是非!
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瀬堀・秋沙  8月9日22時
51.境浦(父島)//父島中央、西側に位置する大きな砂浜にゃ。道からちょっと下ったトコにあってにゃ、大村海岸、扇浦海岸、小港海岸に比べると、藪もあってちょっと穴場なスポットにゃ。ここには大東亜戦争の際に撃沈された貨物船・濱江丸があってにゃ、上部の残骸が海中から顔を覗かせてるにゃ。今でも浜辺から見えるにゃ。なんでも、今では魚礁のようになってて、熱帯魚やサメのシロワニが沢山いるらしいにゃ。ダイビングできる人は泳いでみるといいにゃ!
ちょっと穴場で人の気配が少ないからか、アオウミガメが上陸することもあるにゃ。
木の根っこに引っかかってたあの子の子孫は元気かにゃー。
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