ある過去の追憶
ベモリゼ・テモワン 2019年5月25日
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――これは、記憶。
――猟兵が一人、生まれただけの物語。
――ただのありふれた、悲劇のひとつ。
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ラメント・ディエズラルム 2019年5月25日
――とぷり。床一面の血の海に足を踏み入れた吸血鬼の身体は溶け込むように沈んでいく。
ラメント・ディエズラルム 2019年5月25日
――名乗っても、いいものなのだろうか。 父親を睨みつけ息を切らしていた少女は、ふいに困ったような顔になり、徐々に藍色を取り戻しつつある瞳を青年に向ける。 そうしている間にも、血だまりは吸血鬼の下半身を全て飲み込んでいた。
ベモリゼ・テモワン 2019年5月25日
逃げるのかと挑発してやりたい気持ちをぐっと堪える。戦力差はわかっている。自分と、新兵にも満たない猟兵の卵あわせたところで良くて引き分け。ここから負けることだって十分にあり得る。相応の痛手を吸血鬼に与えるとしても、だ。だから、奥歯を噛みしめる。
ベモリゼ・テモワン 2019年5月25日
「……名乗りを求めるなら、自分の名前からだろう」
ラメント・ディエズラルム 2019年5月25日
「礼儀知らずが礼儀を求めるか、滑稽極まりない。……まぁいい。―――――――。お前の父親の名前だ、貴様の仕留めきれなかった者の名前だ」
ラメント・ディエズラルム 2019年5月25日
――その名を聞いて、少女が小さく戸惑いの声を漏らす。けれども時は、待ってくれない。
ベモリゼ・テモワン 2019年5月25日
「俺はベモリゼ、ベモリゼ・テモワン。次会うときまで、忘れるな」
ベモリゼ・テモワン 2019年5月25日
それから、ちらりと少女へ目線を向ける。お前はどうする?名乗るのか?と尋ねるように。
ベモリゼ・テモワン 2019年5月25日
苦笑を浮かべて、ラメント・ディエズラルムと名乗った少女に目線をやる。
ラメント・ディエズラルム 2019年5月25日
――気が抜けたのか。それとも覚醒の反動か。ずるり、ぺたり、とその場に崩れ落ち、座り込み、呆けたような目で、ベモリゼ・テモワンと名乗った青年に視線を返す。
ラメント・ディエズラルム 2019年5月25日
――血生臭い我が家で。数時間前まで幸せだったダイニングで。とっくに冷めたミルクのマグカップまでもが赤く染まってしまったこの場所で、何が起きたかなど、整理するまでもない。
ラメント・ディエズラルム 2019年5月25日
――この状況を『助かった』と言っていいのかどうかも分からないまま、けれど間違いなく『たすけて』という声に応えてくれた青年に、掠れた声で頭を下げた。
ベモリゼ・テモワン 2019年5月25日
「……――っ」 何かを言おうとして口を開いて、閉じる。再び開いて、閉じる。どう答えてやるべきか、わからなかった。少なくとも、お礼に値する何かができたという自負はなかった。だから。
ベモリゼ・テモワン 2019年5月25日
「……いいんだ、もう、いいんだ」 血の海に膝を付く。膝が赤黒く汚れることなど構うものか。小さな肩を強引に抱きしめる。顔は見ない。自らの両目を閉じて、言い聞かせるように繰り返す。
ラメント・ディエズラルム 2019年5月25日
――もはや誰の血なのかも分からなくなってしまった床一面の赤に膝をつく青年を、ただただぼんやりと霞む視界に追いかける。何が良いのだろう。何を許してくれているのだろう。わからないままに、されるがままに、抱きしめられる。
ラメント・ディエズラルム 2019年5月25日
――ぷつり。感情の糸が切れる音。 まだまだ泣きじゃくるような歳だろう。声をあげて泣くような歳だろう。けれど青年が目を閉じて抱きしめた少女からは何も聞こえず、ただ、ぽたりぽたりと、血の滴る音にも似た音が無数に聞こえるばかり。
ラメント・ディエズラルム 2019年5月25日
――声もなく泣き続けた少女の涙が止まったのは、それからしばらくしてのことだった。改めてベモリゼに頭を下げながら、それでもなお受け入れがたい現実から目を背けるように、しばらくは血だまりをじっと見つめて。
ベモリゼ・テモワン 2019年5月25日
悔しさが滲んだ声で、そっと呟く。少女から離れて立ち上がり、その瞳をじっと見つめる。黒々とした塊で満ちた血だまりを足が踏んで、ぴちゃりと音を立てた。
ラメント・ディエズラルム 2019年5月25日
――くらり、血の匂いに酔いそうになりながらかぶりを振る。立ち上がった青年を、――たった今全てを失った少女にとって、ただひとつ残された、奇跡の光を視線で追いかけて。
ラメント・ディエズラルム 2019年5月25日
――そもそもが何処から来たのかも知らない青年に問いかける。絶望の中にほんの僅か見出した光を、見失ってしまわぬように。
ベモリゼ・テモワン 2019年5月25日
「……次はどこへ行くんだろうな。俺は」 自嘲するように呟く。行く宛てなど、いくらでもある。だが、この子にとってはここしかないのだ。だからこそ、思いつくはずがない。穏やかな顔を浮かべた青年の肩に、白い鷹が止まる。
ベモリゼ・テモワン 2019年5月25日
「俺の方こそ尋ねよう。君はこれから、どうする?」
ラメント・ディエズラルム 2019年5月25日
――青年の問いかけを反芻する。これからやらなければならない事を整理する。まずは、この血だまりをどうにかして。そしたら、両親の亡骸を出来る限り手厚く葬ろう。それから、それから。
ラメント・ディエズラルム 2019年5月25日
――戦う力が欲しい。いや、得なければいけない。 青年を真っ直ぐに見つめた少女の瞳の、藍色の奥に、微かな紅――己の運命と戦う意志が灯る。
ベモリゼ・テモワン 2019年5月25日
これがラメント・ディエズラルムという猟兵のはじまり。星の数ほどいる猟兵のうちの、たった一人の物語のはじまり。ベモリゼ・テモワンという猟兵にとっては、程度の差こそあれ、ただの事件のひとつに過ぎない。
ベモリゼ・テモワン 2019年5月25日
それでも、藍色の瞳の奥に今日灯った炎は確かに揺らめくのだった。
ベモリゼ・テモワン 2019年5月25日
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