20240804 怪談白物語 改変前ver
寧宮・澪 2024年8月4日
病院の見守り
これは、私が知り合いから聞いた話です。
彼の名前は……そうですね、大鳥居星矢(仮名)さん、としておきましょう。
星矢さんは、大学生の頃よくアルバイトをしていたそうです。大学生の夏季休業は長めなこともあり、その時期は稼ぎ時。日中は体を休め、特に涼しい夕方から夜のバイトを入れていました。
そのうちの一つが、夜間の見回りのバイトです。
どこを見回りするかというと、病院です。夜の病院に異常がないか朝まで巡回する。そういうバイトです。
そこそこ大きな病院で、始めたばかりの頃は星矢さんと、星矢さんの先輩に当たる警備員で同じルートを回っていました。注意点や巡回する手順、ルートなどを覚えるためです。
そうして数日繰り返した後、いつも通り出勤して開始の打ち合わせを終えた星矢さんは指導に当たってくれている先輩の葉月(仮名)さんから、こう告げられました。
「今日から一人だけど大丈夫かい?」
「大丈夫です」
しっかり頷いた星矢さんに、葉月さんは何かを差し出しました。
「何もねえだろうけれど、念の為。これを持っていくといい」
やや不安そうな顔の葉月さんの左手に乗せられていたのは、小さなお守り袋。白い袋に白い組紐で、暗い中でもほんのり際立って見えるよう。
星矢さんはあんまりオカルトを信じないタイプです。だからお守りもいらないと言うつもりでした。
でも葉月さんの顔は眉が下がり、心から心配しているようで、結構心配性なのかもしれない、と星矢さんは考え、葉月さんが安心できるなら、とお守りを受け取りました。
「ありがとうございます」
「気をつけてな」
葉月さんと別れて、星矢さんは巡回を始めました。入り口から待合室、検査室や診察室などを見て回ります。
普段人がいる場所に今は誰もおらず、白い壁に囲まれた部屋で椅子が並ぶばかり。しんと静かな病院は昼間とは全く違う顔を見せてきます。暗がりも相まって、少し不気味に感じました。
昨日までは二人で見回り、今日からは一人。たったそれだけでこんなに気持ちが違うなんて、と星矢さんは少し驚きます。なんとなく心細さを覚えながらお守りをぎゅっと握り、もう一方の手で懐中電灯を握って歩きます。
巡回予定分が半分を過ぎた頃、星矢さんはある音を聞きました。
自分の足音以外に、もう一つ音がするのです。
かつ、こつ、と星矢さんの靴の音がします。ぺた、ぴた、と合わせるように何かの音がします。まるで裸足で歩いているかのような、足音が。
星矢さんが振り返っても何もいません。やっぱり気のせいかと顔を前に戻すと、ほんの数歩先に白い服の子供が立っていました。
「おにいちゃん」
「な、何かな。迷子かい? 部屋はわかるかな」
驚きながらも星矢さんはしゃがんで子供に目を合わせました。もしかしたら入院患者が目を覚まして、迷子になったのかもしれないと思い、声をかけました。近くには小児科の病棟があったので。
「あぶないよ」
「え」
子供が星矢さんの後ろを指差します。振り返るとそこには、まっ暗がりに大きく口を開けた、何かがいました。
まあるい黒い獣のようなそれは、口は大学生の星矢さんをひとのみできるくらいに大きく、逆に足は小さく、ちいさな子供と同じくらいでした。ぺたり、ぴた、と歩くたびに足音がします。
咄嗟に星矢さんは子供を抱えて走り出しました。何かの息遣いが聞こえます。ぺた、ぺた、と裸足の足音が追いかけてきます。
息がひゅうひゅう切れそうになりながらも星矢さんは子供を抱えて走ります。楽しそうに、いたぶるように早くなったり遅くなったりする黒い何かに追いつかれないように。
あれに追いつかれたら、あれと同じになる、と何故かわかってしまいました。抱えたこの子も、大変な目に合うと。
だからぎゅっと子供を落とさないようしっかりと抱えながら、星矢さんは走ります。
まっすぐ走ればすぐにどこか行き止まりか、出入り口に当たるはずでした。けれどどこまで走っても何故か廊下の端にたどり着けず、だんだんと星矢さんの息も上がってきました。
もうだめだ、走れなくなる、と思った星矢さんは、子供を下ろします。そして、握っていたお守りを子供に渡して、子供の背を押しました。
「俺が足止めするから、頑張って逃げてくれ」
子供はぎゅっとお守りを握ってから、首を振りました。
「——もう、大丈夫。お迎えが来たみたい」
「え?」
子供の手のお守りがふわりと光りました。優しい歌声がどこからか聞こえてきます。どんどん光は強くなり、そして星矢さんの視界を白く染め上げ——意識は暗くなっていきました。
「大丈夫か?」
次に星矢さんが目を開けると、懐中電灯で星矢さんを照らす葉月さんの姿が見えました。
「驚いたぞ、こんなところで倒れてっから」
「え、ここは……」
そこは病院の、小児科病棟近くの庭でした。起き上がると、草の香りやじっとりした夏の空気が感じられます。星矢さんがあたりを確認するために横を見ると、小さな碑がありました。
「この碑は、なんですか」
「この病院の鎮魂碑だ。昔、ここがもっと小さな病院だった頃からあるらしい」
古ぼけた、それでも今でも丁寧に手入れされている碑に、掘られていたのはお地蔵様でした。
「葉月さん、お守り、あれなんのお守りだったんです」
「あれ? あれはな」
葉月さんは石碑を指差しました。
「地蔵尊、お地蔵さんのご利益を願うお守りさ」
お地蔵様が優しく笑ったように見えました。
「いないはずの子供を見かけたって言う話は、よく聞くんだ。もしかして、子供が自分が死んだこともわからず、迷っていたずらしているのかも、と思ってな。地蔵尊のお守りがあればそういう子供を導いてくれるかも、と言う気持ちで持っているのさ」
そう聞いたとき、そういう子供もいるかもしれないけれど、黒い何かが子供を迷わせているのかもしれない、と星矢さんは思ったそうです。そして迷子を助けるため、あのとき星矢さんは黒い何かと白い子供の前に導かれたのかもしれない、とも。
星矢さんは夏休みが終わるまで、バイトを続けました。目標額以上が集まった星矢さんは、花屋さんによって、真っ白い花の献花を買ったそうです。
それを鎮魂碑の前に供え、あんな風な迷子が増えませんようにと、祈ったそうですよ。
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