哲学的な話をするスレ
地鉛・要 2020年4月16日
正解のない思考実験をしたくなって建てたスレ
自分の疑問をぶつけてもいいし自分なりの答えを言ってもいい
今回の議題: ヒヨコを試験官に入れ完全に粉砕すると何が失われるか?なお、15gは失われないものとする
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アリスティアー・ツーハンドソード 2020年4月16日
わかりやすく「ひよこの外見」は失われる、それと神経の繋がりがズタズタになるわけだからそれで構成される「思考」も失われるんじゃないかな。
外見と中身が別物になるのなら試験管にあるものはひよことは別物になる……というのが僕の考えだが、どうだろう?
地鉛・要 2020年4月16日
ふむ、神経の繋がりは考えてなかったな。
俺は「機能」が失われると考えてる。例えば心臓のポンプとしての機能や喉の笛としての機能。
ひよこである事に間違いはないが、粉砕前とは形が失われる以上違ってひよこで「あったもの」と付くのは間違い無いと思う。
アリスティアー・ツーハンドソード 2020年4月16日
「機能」は確かに、ただ個人的には範囲が大きいから「失われたもの」を話すならもう少し細かく詰めたいところだ……僕の上げた「思考」だって言ってしまえば機能の一つだからね//色々と正論過ぎて何も言えねえ>ともの
地鉛・要 2020年4月16日
自分で粉砕するとは書いてないし・・・(震え声)まあ、ひよこミキサー状態だしなんか他にも色々と無くしてそうだよな。>ともの//確かに・・・大味すぎたか。俺の上げたのをもうちょっと細かくすると「生命活動に必要な機能」って感じか。
アリスティアー・ツーハンドソード 2020年4月16日
哲学問題ってやけに命かける物騒なの多いよね……極端に話さないと議題にならないのもあるだろうけど//生命活動に必要な機能や思考、失われているものを上げればキリはなさそうだな……ちょっと哲学者っぽく議題を掘り下げてみよう。
ここで重要なのは「何を失ったか」ではなく「失ったことでひよこはどう変化したか」ではないだろうか?
粉砕される前のひよことされた後のひよこは同一ではない、では何を失ったらひよこは粉砕された状態だと言えるのだろうか?
檻神・百々女 2020年4月16日
情報だと思うわね。ひよこであるという情報が失われたから試験管の中身を見てもひよことは認識できないし、それ単体ではひよこだったという情報もない
一一・一一 2020年4月16日
ひよこが育って生んだ卵を食したことによりえられる栄養、あるいはその栄養によって救えたかもしれない人命
地鉛・要 2020年4月16日
一一のは落語で見た事ある気がする。
アリスティアー・ツーハンドソード 2020年4月16日
確かにひよこの情報は確実に変化してる、失う前のひよこを知らない人が失った後のひよこを見てもひよこだとは思わないだろう……情報を失ったことで他者からの認識を変化させてるともとれるね//一一のは落語なのか…でもなるほど!って思ったよ正直。確かに長期的に見ればその通りだし、養殖用のひよこだった場合はひよこが増やすはずだったひよこも失うことになる、そうなると失った命の連鎖はドンドン大きくなって……面白い話だ、『素晴らしき哉、人生!』という映画を思い出すね。
檻神・百々女 2020年4月16日
これはひよこの残骸にはヒヨコだったと言う情報が含まれていないことを意味するのね
地鉛・要 2020年4月16日
情報を失ったというよりも情報は変化したの方が正しい気がしないか?
檻神・百々女 2020年4月16日
変化は可逆性あるかなっtr
一一・一一 2020年4月16日
落語であったん!?
一一・一一 2020年4月16日
いや、だって、普通に自分で思ったこと書いただけだし…
頭の中にあったのはタオルケットはもう一度の「ちゅん」(仲間になるひよこにして孵化することで宇宙が産まれるひよこ)だったし…
地鉛・要 2020年4月16日
ちゃんと覚えてないから簡単な説明になるが・・・
男がゆで卵を食べて、財布が無い事からツケにして貰う。
後日払いに行くとゆで卵とは思えない金額を請求される。店主の言う事には「あの時ゆで卵を食べなければ、雛が生まれ、その雛が鶏に育ち、卵を産み、また雛が生まれた。」と言う。
それをおかしく思った男はまたゆで卵を買い、店でゆで卵を孵そうとする・・・
って話だったかな?
一一・一一 2020年4月16日
あぁ、でもそうか
ひよこが完全に粉砕されるならなにも見えなくなるからひよこが見ている「世界」もなくなるのか
一一・一一 2020年4月16日
ゆで卵の時点でもう産まれないっていうツッコミはなしっすね、わかります
そういう落語もあるんですねぇ…
地鉛・要 2020年4月16日
落語って結構奥が深い・・・ってのは置いておいて。
ひよこからの世界観が失われるってのは確かにあるな。ひよこからの視点が失われるってのも有りそう。
オンカール・シン 2020年4月16日
なにやら面白い話をされていますね。
この話って「何も失われていない。何かが失われたと感じるのは錯覚である」というのは無しでしょうか。
地鉛・要 2020年4月16日
うむ、物質的には何も失われていないってのが話の肝だな。
アリスティアー・ツーハンドソード 2020年4月17日
物質的には何も失われていない、という言葉をそのまま飲むなら粉砕する前と後でひよこは同じ存在のはずだが……実際はそうではない。ならばひよこは確実に何かが失われている、変化しているというお話。
「失われたと感じるのは錯覚である」と論じるならば「粉砕する前のひよことされた後のひよこは何故同一でないのか」を証明しないといけないのかな?
オンカール・シン 2020年4月18日
なるほど、そういうことですか。難しいですね......。では、「ひよこを認識する要素」が失われたというのはどうでしょう。
インド哲学にはサマーニャという概念があり、これは異なる物質を同一の概念に結びつける要素のことです。
例えば、皆さんが幼い頃に親に「これは椅子よ」と教えられた椅子とは別の椅子を見ても「これは椅子だ」と思えるのは、両者からサマーニャを見いだせているからでして、つまり座面や脚がそれに当たります。
同様に、我々の頭の中にある「これがひよこだ」という像(アパマナムと言います)と、試験管の中のひよこ(アペメヤムと言います)を結びつけるサマーニャが失われたことで、化学的には何も変わっていないにも関わらず、我々はひよこを認識できなくなるのかも。なぜ同一でないのか、それはサマーニャが無くなっているからだ...と。
アリスティアー・ツーハンドソード 2020年4月18日
凄い面白いし真面目な話だ……もうちょっと色々と聞きたくなるな。
というわけで、話を掘り下げるため哲学らしくオンカールに反論してみよう。ひよこを認識する要素が失われたというが、ひよこが粉砕される瞬間を見てしまったらどれだけ姿が変わってもひよこと認識してしまうはずだ。
そう考えるとサマーニャが失われるには粉砕するだけじゃ足りないんじゃないだろうか?
地鉛・要 2020年4月18日
遺伝子学、情報的には同じってのも重要だと思う。
木と椅子とタンスは素材が同じでも違うモノであると言えるし
オンカール・シン 2020年4月19日
うーん、確かに。粉砕される前やされた瞬間を見た者は、それをひよこと認識できますね。一方、粉砕された後だけを見せられた者は認識できない…。
何がサマーニャとなるのかは、見る者や状況により変わり
オンカール・シン 2020年4月19日
(途中送信)ますね。
そうすると、サマーニャが失われたとも言い切れませんか。
すると15gの話になりそうですが、それではいけません。
失われたのは15gではなく、僕らが「これには15gがある、あれにはない」ということの判断材料に使っているナニカ…。それは何なのでしょうか。
ルキ・マーシトロン 2020年4月20日
それは「慣習」ではないかな。何を生命とし、何を非生命とするかは結局のところ、その者が属している文化によって変わるからね。
アリスティアー・ツーハンドソード 2020年4月21日
ちょっと意地悪な質問をしてしまったね、すまない。そしてオンカールの質問はルキがいい線を言っているように思う。
SF的な話も入るが、ウォーマシンのような高度な知性を持った機械生物であればパソコンを生物として認識されるかもしれない。
人間だって生態も構造違う虫すら生き物と認識しているわけだしね。認識を作るための下地があればなんでも生き物になるし、その下地を作るのが文化なのかもしれない。
地鉛・要 2020年4月22日
逆に言うのであれば、生命と呼ぶには粉砕されたヒヨコには何が足りないのだろうな?
やはり動きだろうか?