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真梨木・言杷の日記帳


真梨木・言杷  2022年6月27日
一念に心をこめて、『死ね』と打ち込む。筆者がどれだけ巨大な恨み辛みを文字に託していたとしても、その重さは4バイトでしかない。どんな呪いも、死ねと言葉にしてしまえばたった16個のスイッチの明滅で表現できる情報に還元されてしまう。委曲を尽くし、筆舌を尽くし、言葉を尽くす以外に、人を呪う術はない。
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真梨木・言杷  2022年6月27日
『死ね』と言うのに必要な時間はおおよそ1秒。ビットレート128kbpsで録音した場合、その音声ファイルは約16KBになる。文字データの4000倍重い、呪う声。あるいは、これが言霊の重さなのかもしれない。
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真梨木・言杷  2022年12月3日
十分な時間を与えれば、無秩序にタイプライタを叩く猿もいつか『ハムレット』を打ち出す。それならば、無限の猿は世界の理に通じる真言/パスワードを解読できないはずがない。
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真梨木・言杷  2022年12月12日
『……今も見てるんだろ、シプラス』

『気づくよ。いつ、右眼に入り込んだのかまでは知らないけどね。多分、最初からかな』

『……どうだっていいよ。さて、オブリビオンから直接摘み取ったこの言霊ならどう?きみを壊せそうかな?』

『……"その口を守る者はその生命を守る"。沈黙は自己保存プロトコルが働いている証拠、か。きみはどうしたい……なんて、聞いても無駄なんだろうね』

『……きみは、帰りたい?』

『……わかったよ』
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真梨木・言杷  2022年12月30日
脳と脊髄。呼吸器系を除く臓器の一部と血液、それから骨が何本か。私は私のほとんどを機械に換えてしまった。

私が死ぬ時はどうなるのだろう。どんな姿であの世へ行くのだろう。例えば黄泉の国があるとして、そこに眼鏡を持ち込めるだろうか?

脳と脊髄だけでは、三途の川さえ渡れやしない。
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真梨木・言杷  2023年3月4日
「──いい造形だな。どこの造顔作家だ?」

私は黙って人差し指を立てた。それに釣られ、きょとんとした男は真上に視線を向ける。 次の瞬間にはがら空きの下顎を回し蹴りが捉えていた。

「上にいるよ」

果たしてこの顔は天上におわします神のものか、自らそこに送ってやった親のものか。どちらにせよ、クソッタレな事に変わりはない。
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真梨木・言杷  2023年7月11日
『重さ』とは非常に曖昧な概念だ。例えば月の大地を走る時、車の重さは1/6になる。では、月面探査車の重量税を1/6にまけられるだろうか?

物体の動かしにくさだとか、重力加速度だとかヒッグス粒子だとか、重さの正体について説明を試みた研究は数えきれない。しかし、数学者でない人々にとって些細な定義の違いはどうだってよく、質量と重量はたびたび混同される。学者にとってさえ慣性質量と重力質量の違いが不明瞭なのだからなおさらだ。

私の能力の源は言葉の重さにある。では、言葉は質量か、重量か?──考えるまでもない。時として十数行をコンマ1秒以下で読み飛ばすほど軽くもなり、たった一言で人生を変えてしまうほど重くもなる。言葉に質量は存在しない。そこにはただ、引力があるだけだ。
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真梨木・言杷  2023年9月19日
美しい言葉には世界を変える力がある。私はそんな言葉に憧れた。ゴミ山の中にうち捨てられた、茶色く日焼けした紙媒体の一節にあこがれていたんだ。

……言葉の仕事は歩合制だ。意味の大小の関わらず、一文字いくらで取引される私の言葉。食いつなぐために、書いた。書いて、書いて、冗長にファイルの重さを稼ぐことだけを覚えた。

今の稼業を始めたのは、欲しかった才能はなくて、欲しくなかった才能があったからだ。盗用と引用ばかりで、無意味で無秩序で、手抜きの水増しで、それでも効果的に人を呪い殺す醜い文字列の塊。他の誰にもできないことが、私にだけはできた。最悪だった。

だから私はワールドハッカー。
言葉で世界を騙すのみ。
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真梨木・言杷  1月3日02時
マキシマムベット×一目掛け配当36倍×リモート義体の打ち子9人。確率論をねじ曲げる豪運にタダ乗りし、運命の輪から絞り上げたチップの山は凄まじい額だ。万一足のつかないよう、年単位に渡って何重にもロンダリングを続け、ようやく全額を自分の口座に移し終えた。ちょっとしたビルが建つくらいのあぶく銭。フリーランスの雇われとしてはもう「アガリ」と言っていい稼ぎだ。これで──

──これでまた、自分で作った|瓶詰め地獄《ただひとりだけの部屋》に閉じこもるのか?

私は、死をより遠ざけるために動いてきた。義体の機能強化を繰り返し、何十機もの身代わりデコイを立て、追手の脳を焼き、情報を消し、足跡を隠し、防護を張り巡らせた核シェルターの殻に閉じこもって。安心と安全を得るためにありとあらゆる手段を講じてきた。だというのに、どういうわけか私はいつまでも安心できない。落ち着けない。
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真梨木・言杷  1月3日02時
命が惜しくて最高峰の義体を得た。だけど、それを維持する為には最高峰のメンテナンス代が必要だ。それを捻出する為には、極めて危険なオブリビオンと戦って莫大な金を稼ぎ続けなければならない。

矛盾している。分かっている。しかし──物理法則を容易く超えるオブリビオンの脅威を知ってしまった以上、それに対抗しうるこの義体はもう捨てられない。この世界が蒙昧と欺瞞の薄氷の上に成り立っていることも、きらびやかな街の裏路地を少し覗けば地獄が覗いていることも。決して忘れることはできない。私は外側を歩いた時間が長すぎた。今回の稼ぎを以て猟兵を降りたとして、殻の中でひとり、いつ来るかも分からない終わりにいつまでも怯えるだけだ。
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真梨木・言杷  1月3日02時
抜け出せない矛盾に目を瞑って、諦めと惰性で仕事を続けてきた。少し金ができれば部屋に閉じこもって現実から逃げ、金がなくなればやむを得ずのろのろと巣穴から這い出す。出来損ないの亀かカタツムリ、それが私。ああ、ずっと眠っていたい。何も考えたくない。全部忘れて、逃げ出してしまいたい。

どこに?
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真梨木・言杷  1月3日02時
かくして、寝起きで開いたニューストピックから、世界の終わりはやって来た。

どうやら、この世界はまるごと消し飛ぶらしい。

突然だった。しかし予感はしていた。

結局、核シェルターもかくやの防護を固めたこの部屋も、身代わり義体も、稼ぐだけ稼いだ金も、本当の終わりの前にはまったく無意味だったようだ。この世界に安心なんて、どこにもない。はじめから。ずっと前から、わかっていたはずだった。わかっていたから、私はもう一度ベッドに潜り込んだ。

体が震えていた。必死に気を紛らわそうとネットを見回ったが、どこも終末の話題で持ちきりだった。浴びるように酒を飲んだ。何箱も煙草を吸い込んだ。まだ、体が震えていた。
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真梨木・言杷  1月3日02時
何年か猟兵として戦って、分かったことがある。

きっと、私が戦わなくったって、いい。

猟兵は強い。猟兵は多い。猟兵は逃げない。

きっと彼らは、どうせ彼らは、今まで何度も繰り返したように、またしても敵を倒し、この世界も救うだろう。

だから、いい。

きっと、誰かが何とかしてくれる。

ここで眠っていれば、それで──
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真梨木・言杷  1月3日02時
気づけば、姿見の前に立っていた。義体のメンテナンスハッチを全て開いていた。強化筋繊維と各種センサーを事細かに点検し、戦闘用人工血液の充填と浸透を始めていた。

気づけば、地下の武器庫を開いていた。身代わり義体用の予備も含めたオートネイルガンを引っ張り出していた。一発一発、釘弾の通信確認を終えたそばから全てのマガジンに送り込んでいた。

気づけば、戦術ローカルサーバーに接続していた。各防壁と攻撃プログラムをチェックし、フルスキャンを始動していた。サイバーザナドゥ中に隠した全てのリモート義体を緊急起動し、いつでも使えるよう待機状態にしていた。

スートラスーツを身に纏い、上からPVCレインコートを羽織る。咥え煙草に火を点ける。ホーマエンジンのアイドリングが低く唸る。

「……柄でもないな、こんなこと」

笑い話にもならない。このクソッタレた世界を守るために戦う、なんて。人々のために命をかける、なんて。
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真梨木・言杷  1月3日02時
馬鹿が。そんなことはしてやらない。してやるものか。私が戦うのは、単にムカつくからだ。奪えるだけ奪っておいて、蓄えるだけ蓄えておいて、悠々と逃げようとするヤツらが。そして何よりも、そんなヤツらに怯えたまま、ここで眠りこけていようとした私自身が。このムカつきを晴らさなくては、落ち着いて文字も書けやしない。

敵は各メガコーポのCEOだという。この世界を支配する、実質的な王だ。上等だ。ヤツらに中指を立ててやる。ありったけ呪ってやる。嫌というほど聞かせてやる。どうせ、それしかできやしないんだ、私は。それさえやめてしまったら、何もなくなるんだ、私は。

「……いいよ、死んでやる。こうなったら、死んでも呪ってやるよ」
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真梨木・言杷  1月3日02時
最後に。使い古した万年筆を、まっさらな原稿用紙を。壊れ物を扱うように大切に、大切にデスクにしまって。

私は/真梨木言杷は、戦場に向かった。
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